放浪ほうろう

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放浪ほうろう』(ほうろうき)は、作家さっかはやし芙美子ふみこみずからの日記にっきをもとに放浪ほうろう生活せいかつ体験たいけんつづった自伝じでんてき小説しょうせつである[1][2][3][4]舞台ぶたい映画えいがテレビドラマもされたはやし芙美子ふみこ出世しゅっせさくであり、代表だいひょうさくである[4][5]

わたし宿命しゅくめいてき放浪ほうろうしゃである。わたし古里ふるさとたない…したがってたび古里ふるさとであった」とのだしはじまるほんさくは、だいいち世界せかい大戦たいせんこうくら東京とうきょうで、えと絶望ぜつぼうくるしみながらもしたたかにく「わたし」が主人公しゅじんこうである[3]。「しまおとこ」との初恋はつこいやぶれ、地方ちほう出身しゅっしんしゃかねコネもない都会とかい女性じょせいられるしょくなどれていた[3]夜店よみせ商人しょうにんセルロイド女工じょこうカフエ女給じょきゅうなど、おおくのしょくいて微々びびたる給金きゅうきんながらさい底辺ていへんらしをきる[1][2][3]。1にちやすめば、宿やどくし、えとわなければならない文字通もじどおりそのらし。ひどい貧乏びんぼうにもめげず、あっけらかんとした姿すがたおおくの読者どくしゃをひきつけ、ベストセラーとなった[6]

東京とうきょう芙美子ふみこ上京じょうきょうしたよく1923ねん関東大震災かんとうだいしんさい残存ざんそんしていた江戸えど明治めいじ街並まちなみが壊滅かいめつし、そのモダンなだい都会とかいよみがえろうとしていた[1]壊滅かいめつした東京とうきょう復興ふっこうげつつある喧騒けんそうそこいずるように「わたし」はひもじさと孤独こどくをかみしめながら転職てんしょく転居てんきょかさね、童話どうわ原稿げんこう編集へんしゅうしゃからかえされつづける[1]川本かわもと三郎さぶろうは「芙美子ふみこ青春せいしゅんと、再生さいせいしかけていた東京とうきょうの『青春せいしゅん』がかさなりっていた」とろんじている[1]きあたりばったりにはたらこうえる芙美子ふみこまぐるしさは、恋愛れんあいにもられる芙美子ふみこ性癖せいへきだった[1]

桐野きりの夏生なつきは「たいせつなほん」として本書ほんしょ[3]、「さい底辺ていへんでも意気軒昂いきけんこう。ほのえる冷徹れいてつもある。わかひとにぜひんでもらいたい」とすすめている[3]

大林おおばやし宣彦のぶひこは「"うみえた。うみえる。ねんりにる、尾道おのみちうみはなつかしい"『放浪ほうろう』の有名ゆうめいいちせつは、尾道おのみちまれそだったぼくにとってこの一節いっせつ不思議ふしぎおもっていました。普通ふつうかんがえると、とおくに『える』うみがだんだんちかづいてきて、そのうみまえにどーんとおおきくひろがったときに『えた』と意識いしきするのではないか。しかし、芙美子ふみこ表現ひょうげんでは『えた』がさきでした。その理由りゆう気付きづいたのははじめての上京じょうきょうのちぼく尾道おのみちに、その汽車きしゃ里帰さとがえりをしたときです。当時とうじ在来ざいらいせん蒸気じょうき機関きかんしゃけむりきながらはたけなかすす汽車きしゃが、やがておおきくてきゅうなカーブへとかり、速度そくどとしながらであってもふいにカーブをおおきくがる。すると突然とつぜんまえうみあらわれるんです。『あっ、"うみえた"とはこういうことか』と気付きづきました。尾道おのみちえきかう車窓しゃそうから、ふる民家みんか屋根やねしにえる尾道おのみち水道すいどうながめ、『故郷こきょう尾道おのみちかえってきたんだなあ』と感慨かんがいひたる。はやし芙美子ふみこ尾道おのみち独特どくとく里帰さとがえりの情感じょうかん見事みごと表現ひょうげんしていたんです。このいわゆる人情にんじょう機微きび大切たいせつにした手法しゅほうぼく映画えいがづくりにもおおきく影響えいきょうしています。『なによりもしみじみとかんじることが大切たいせつ』という大林おおばやし映画えいが原点げんてんはここにあるのです』とべている[4]

あらすじ[編集へんしゅう]

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

菊田きくた一夫かずお脚本きゃくほんもり光子みつこ主演しゅえん舞台ぶたいされ、1961ねん東京とうきょう芸術座げいじゅつざ初演しょえんされて以後いごどう劇場げきじょう公演こうえんつづけ、公演こうえん回数かいすう2009ねん5月29にちまで通算つうさん2017かいかぞえた[7]2005ねん公演こうえん最後さいごどう劇場げきじょう閉鎖へいさされたため、2006ねん2009ねん帝国ていこく劇場げきじょう2008ねんシアタークリエにて上演じょうえんされた。もりもこれを終生しゅうせい代表だいひょうさくとした[7]

映画えいが[編集へんしゅう]

1935年版ねんばん[編集へんしゅう]

P.C.L.映画えいが製作所せいさくしょ製作せいさくし、1935ねん6月1にち公開こうかいされた。

キャスト
スタッフ

1954年版ねんばん[編集へんしゅう]

東映とうえい製作せいさくし、1954ねん4がつ7にち公開こうかいされた。

キャスト
スタッフ

1962年版ねんばん[編集へんしゅう]

高峰たかみね秀子ひでこ主演しゅえん成瀬なるせ巳喜男みきお監督かんとくにより、宝塚たからづか映画えいがげん宝塚たからづか映像えいぞう製作せいさく東宝とうほう配給はいきゅうで、1962ねん9月29にち公開こうかい[1]東宝とうほう創立そうりつ30周年しゅうねん記念きねん映画えいがとして公開こうかいされた。小説しょうせつ菊田きくた一夫かずお戯曲ぎきょく放浪ほうろう』を底本ていほんとする[1]物静ものしずかで職人しょくにんはだ監督かんとくだった成瀬なるせは、午前ごぜんちゅう撮影さつえいでは絶対ぜったい女優じょゆうアップらなかったという[1]寝起ねおきのむくみのこっているからで、女優じょゆうよろこばれた[1]。さりげなく、づかいをする感性かんせいそなわっていたからこそ、愛憎あいぞううご女心おんなごころ陰影いんえいをしっとりと描写びょうしゃして、女性じょせい映画えいが名匠めいしょうばれた[1]成瀬なるせ演出えんしゅつはやし芙美子ふみことの相性あいしょうがよく、はやし絶筆ぜっぴつめし』を皮切かわきりに、『稲妻いなづま』『つま』『ばんきく』『浮雲うきぐも』とつづけざまにり、最後さいごが『放浪ほうろう』だった[1]菊田きくた一夫かずお戯曲ぎきょく底本ていほんとしているため、りきんだ高峰こうほう演技えんぎから、もり光子みつこへの対抗心たいこうしんがありありとつたわる[1]

キャスト
スタッフ
同時どうじ上映じょうえい
しんきつねたぬき
原作げんさくくまおう徳平とくひら脚本きゃくほんきくしま隆三りゅうぞう監督かんとく松林しょうりんそうめぐみ主演しゅえん森繁もりしげ久彌ひさや宝塚たからづか映画えいが作品さくひん

舞台劇ぶたいげき[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

1961年版ねんばん[編集へんしゅう]

1961ねん4がつ8にちNHK「NHK劇場げきじょうわくにて放送ほうそうされた。

キャスト
スタッフ

1974年版ねんばん[編集へんしゅう]

1974ねん1がつ7にち - 3月1にちTBS花王かおう あい劇場げきじょうわくにて放送ほうそうされた。ぜん40

キャスト
スタッフ
TBS 花王かおう あい劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
はなのいのち
(1973.10.29 - 1973.12.28)
放浪ほうろう
(1974.1.7 - 1974.3.1)

1997年版ねんばん[編集へんしゅう]

1997ねん1がつ1にちテレビ東京てれびとうきょう初春しょしゅんドラマスペシャル放浪ほうろう』〜おとこなんてなにさ!人生じんせい七転ななころ八起やおき〜」の題名だいめい放送ほうそうされた。

キャスト
スタッフ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 放浪ほうろうはやし芙美子ふみこみどりさとし岡野おかの軍一ぐんいち広島ひろしま尾道おのみち東京とうきょう中井なかい」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル朝日新聞社あさひしんぶんしゃ2024ねん4がつ6にち閲覧えつらんオリジナルの2024ねん4がつ6にち時点じてんにおけるアーカイブ。保科ほしなりゅうろう (2014ねん6がつ21にち). “映画えいが旅人たびびと 愛欲あいよく飢餓きがちる 『放浪ほうろう』(1962ねん流浪るろうがさだめのおんなひとり 東京とうきょうをさすらうあいしてもえられない境界きょうかい”. 朝日新聞あさひしんぶんbe on Saturday (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): pp. e1–2 
  2. ^ a b もり恭彦やすひこたびたびして 旅行りょこう広島ひろしま 物書ものかきとして見返みかえしたい…因島いんのしま(いんのしま)(広島ひろしまけん尾道おのみちなんせんれた人間にんげんこえ(こえ)をいたか!こゝは内海うちうみしずかな造船ぞうせんみなとだーはやし芙美子ふみこ放浪ほうろうぞく放浪ほうろう」(1933ねん改造かいぞうしゃばん」『読売新聞よみうりしんぶんオンライン読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、2023–08–27。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらんオリジナルの2024ねん4がつ6にち時点じてんにおけるアーカイブ。
  3. ^ a b c d e f “【読書どくしょ】 〔大切たいせつほん桐野きりの夏生なつき(作家さっか) ●はやし芙美子ふみこ放浪ほうろうさい底辺ていへんでも意気軒昂いきけんこう ほのえる冷徹れいてつ”. 朝日新聞あさひしんぶん (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): p. 17. (2008ねん6がつ15にち) 
  4. ^ a b c 週刊しゅうかん現代げんだい60周年しゅうねん企画きかく れいという「あたらしい時代じだい」のはじまり 未来みらいのためのぼく責務せきむ 大林おおばやし宣彦のぶひこ映画えいが作家さっか”. 講談社こうだんしゃ (2019–06–07). 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ たびのふるさとをもとめて 芙美子ふみこ尾道おのみちある”. Blue Signal 2011 vol.137 July. 西日本旅客鉄道にしにほんりょかくてつどう. p. 2. 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  6. ^ はやし 芙美子ふみこ”. ネットミュージアム兵庫ひょうご文学ぶんがくかん. 兵庫ひょうご県立けんりつ美術館びじゅつかん. 2024ねん4がつ6にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん
  7. ^ a b もり光子みつこさんが死去しきょ 舞台ぶたい放浪ほうろう」で2017かい主演しゅえん. MSN産経さんけいニュース. (2012ねん11月14にち). オリジナルの2012ねん11月30にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121130200413/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121114/ent12111419330017-n1.htm 2024ねん4がつ6にち閲覧えつらん 
  8. ^ 「TV joho」『映画えいが情報じょうほうだい39かんだい2ごう国際こくさい情報じょうほうしゃ、1974ねん2がつ1にち、68ぺーじNDLJP:10339876/68 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]