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五番ごばんまちゆうきりろう

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きゅう五番ごばんまち遊廓ゆうかく京都きょうと上京かみぎょう、2000ねん撮影さつえい

五番ごばんまちゆうきりろう』(ごばんちょうゆうぎりろう)は、水上みずかみつとむ小説しょうせつ1962ねん発表はっぴょう1958ねん売春ばいしゅん防止ぼうしほう施行しこうまで存在そんざいしていた京都きょうと五番ごばんまち遊廓ゆうかく舞台ぶたいに、家族かぞくやしなうために丹後たんごからきた少女しょうじょとその幼馴染おさななじみである学生がくせいそうとの悲恋ひれんえがいている[1]1956ねん三島みしま由紀夫ゆきおの『金閣寺きんかくじ』へのアンサーとしていた[2]水上すいじょう代表だいひょうさくであり、1950ねんきた金閣寺きんかくじ放火ほうか事件じけん水上すいじょう実体験じつたいけん題材だいざいになっている。この事件じけんかんしてかく方面ほうめんへの取材しゅざいかさね、1979ねんノンフィクションきむかく炎上えんじょう』(新潮社しんちょうしゃ)も出版しゅっぱんした。

あらすじ[編集へんしゅう]

戦後せんごあいだもない昭和しょうわ25ねんごろ、丹後たんご寒村かんそんたるはくきこりむすめ夕子ゆうこは、まずしいちち肺病はいびょうははと3にんいもうとのためにきょう西陣にしじんはながい五番ごばんまちゆうきりろうみずかられて遊女ゆうじょとなる。西陣にしじん織元おりもと好色こうしょく老人ろうじん・甚造の贔屓ひいきて、1ねんには夕子ゆうこ五番ごばんまちいちあらそれっになっていた。だが夕子ゆうこには同郷どうきょう幼友達おさなともだちであり、恋人こいびとである青年せいねんそうせいじゅんがいた。夕子ゆうこわらわにしようとしていた甚造は、せいじゅんんで修業しゅうぎょうしているおおとりかくてら住職じゅうしょくかれくるわがよいを密告みっこくする。夕子ゆうこはそのころからからだ不調ふちょううったえ、肺病はいびょうわずら入院にゅういんしてしまう。一方いっぽう信徒しんと浄財じょうざい豪遊ごうゆうするてら高僧こうそうたちの姿すがたて、せいじゅん修行しゅぎょう幻滅げんめつしていた。ある住職じゅうしょく衝突しょうとつしたせいじゅん幻滅げんめついかりからてら放火ほうかし、逮捕たいほされたのち留置りゅうちじょう自殺じさつする。新聞しんぶん事件じけんった夕子ゆうこ病院びょういんして故郷こきょう与謝よさへひとりもどり、せいじゅんってみずか生命せいめいった。

映画えいが[編集へんしゅう]

1963年版ねんばん[編集へんしゅう]

東映とうえい製作せいさく配給はいきゅう佐久間さくま良子りょうこ主演しゅえん田坂たさかたかし監督かんとくキネマ旬報きねまじゅんぽうベストテンだい3

1980年版ねんばん[編集へんしゅう]

五番ごばんまちゆうきりろう
監督かんとく 山根やまね成之しげゆき
脚本きゃくほん 中島なかじまたけはく
原作げんさく 水上みずかみつとむ五番ごばんまちゆうきりろう
きむかく炎上えんじょう
製作せいさく 樋口ひぐちきよし
出演しゅつえんしゃ 松坂まつさか慶子けいこ
奥田おくだ瑛二えいじ
音楽おんがく 岸田きしだ智史さとし
田辺たなべ信一しんいち
主題歌しゅだいか 岸田きしだ智史さとし五番ごばんまちゆうきりろう
撮影さつえい 坂本さかもとのりたかし
編集へんしゅう 石井いしいいわお
製作せいさく会社かいしゃ 松竹しょうちく
配給はいきゅう 松竹しょうちく
公開こうかい 日本の旗 1980ねん4がつ29にち
上映じょうえい時間じかん 129ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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1980ねん製作せいさく松竹しょうちく配給はいきゅう

キャスト[編集へんしゅう]

片桐かたぎり夕子ゆうこ
えんじ - 松坂まつさか慶子けいこ[1]
冒頭ぼうとうゆうきりろう遊女ゆうじょとなる。ゆうきりろうときにかつえだから「(夕子ゆうこは)19さいでこのなか一番いちばんわかい」と遊女ゆうじょたちに紹介しょうかいされている。わかころからしたしいせいじゅん好意こういせている。作中さくちゅうでは遊女ゆうじょになるまえからまわりから美貌びぼうめられ、実際じっさい接客せっきゃくされた甚造からは「きぬのようなはだ」と絶賛ぜっさんされる。遊女ゆうじょになるまえせいじゅんからもらったビーズせいのブレスレットをみぎ手首てくびにしている。
くぬぎせいじゅん(くぬぎだせいじゅん)
えんじ - 奥田おくだ瑛二えいじ
夕子ゆうこおさななじみの大学だいがく1年生ねんせいてら息子むすこ将来しょうらい僧侶そうりょになることを目指めざし、おおとりかくてら大学だいがくかよいながら修行しゅぎょうしている。作中さくちゅうでは、子供こどもころにある突然とつぜん吃音きつおんしょうになりそれ以来いらいはなかたわったという描写びょうしゃがある。特技とくぎ尺八しゃくはち夕子ゆうことは相思相愛そうしそうあいで、彼女かのじょゆうきりろう遊女ゆうじょになったとてらものかくれて遊郭ゆうかくにいる彼女かのじょいにく。
夕子ゆうこかかわるおもひとたち
ゆうきりろう女将おかみ・かつ
えんじ - はま木綿子ゆうこ
五番ごばんまちではられた遊郭ゆうかく経営けいえいしゃおっとくしたばかりの未亡人みぼうじん自身じしんみせでは『おはははん』とばれる。自身じしんみせについて「世間せけんからうしゆびさされる商売しょうばい」と自認じにんしている。拝金はいきん主義しゅぎしゃやいわゆる“やりばば”というかんじではなく、しなのある人柄ひとがら面倒めんどう遊女ゆうじょたちのだい2の母親ははおやのような存在そんざい
竹末たけすえ甚造
えんじ - 長門ながと裕之ひろゆき
ゆうきりろう得意とくいきゃく西陣にしじんおび問屋とんやだい旦那だんなゆうきりろうではまわりから『たーさん』とばれる。かつえだから「西陣にしじんでも指折ゆびおりのあそにん」とひょうされている。すうねんまえつまくしそれ以来いらい独身どくしん夕子ゆうこはじめてのきゃくとなり、彼女かのじょむ。
写真しゃしん
えんじ - 横内よこうちただし
敬子けいこきゃく普段ふだんはロケたいんで木曽きそやまなどに撮影さつえいっている。遊女ゆうじょたちから『先生せんせい』とばれている。妻子さいしがいたが離婚りこんしており現在げんざい独身どくしん。あるときゆうきりろうおとずれたとき目当めあての敬子けいこいておらず、たまたま都合つごうがついた夕子ゆうこごすことになりしんかたむく。
ゆうきりろうひとたち
久子ひさこ
えんじ - 中島なかじままもる
ゆうきりろう遊女ゆうじょ。かつえだ信頼しんらいされているらしく、冒頭ぼうとう彼女かのじょ彼女かのじょおっと葬儀そうぎ2人ふたり参列さんれつした。遊女ゆうじょになるまえ夕子ゆうこはじめてったときにその美貌びぼうに「えらいもの」と評価ひょうかする。
敬子けいこ
えんじ - 風吹ふぶきジュン
ゆうきりろう遊女ゆうじょ趣味しゅみ短歌たんか作中さくちゅういくつかの短歌たんか即興そっきょう創作そうさくしている。遊女ゆうじょ夕子ゆうこ人気にんき嫉妬しっとするなか彼女かのじょ好意こういてき態度たいどせる。
あきら千代ちよ
えんじ - 根岸ねぎし季衣としえ
ゆうきりろう遊女ゆうじょころもせぬ物言ものいいをする率直そっちょく性格せいかく遊女ゆうじょとしてのケジメにこだわっており、遊女ゆうじょごとなどにはんする行動こうどうると「ケジメがつかん」とよくはらてている。
松代まつだい
えんじ - きよし水石みずいしあけみ
ゆうきりろう遊女ゆうじょくろねこっておりきゃく待機たいき部屋へやでは、いつもねこいている。
雛菊ひなぎく(ひなぎく)
えんじ - 佐々木ささきなしさと
ゆうきりろう遊女ゆうじょ髪型かみがたはおかっぱ。きゃく人気にんきのある夕子ゆうこ嫉妬しっとするようになる。
きよ
えんじ - 水島みずしま美奈子みなこ
ゆうきりろう遊女ゆうじょいしんぼうで、待機たいき部屋へやではいつもなにかをべている。かつえだによると両親りょうしんともたきりとのことで、遊女ゆうじょなかでもとくかね必要ひつようとしている。
しん
えんじ - 中原なかはら早苗さなえ
ゆうきりろうしゅ(遊郭ゆうかくおとずれたきゃく世話せわをする役目やくめ)。営業えいぎょう時間じかんになると店先みせさきで、とおかるおとこたちに言葉ことばをかけて勧誘かんゆうしたり、きゃく相手あいてをする遊女ゆうじょとの交渉こうしょうつ。
丹後たんごらすひとたち
くぬぎでんまさ
えんじ - 奈良岡ならおか朋子ともこ
せいじゅんはは。かつえだおっと晩年ばんねん近所きんじょで1にんらしていたため、夫妻ふさいのことをよくっている。せいじゅんはなかたわってしまった原因げんいんは、子供こどもころ夕子ゆうこ息子むすこおどろかせたせいだと内心ないしんおもっていない。
くぬぎうけたまわみなもと
えんじ - 加藤かとうよしみ
せいじゅんちち故人こじんちいさなてら住職じゅうしょくだが、晩年ばんねん病気びょうき満足まんぞく仕事しごとができずに療養りょうようしていた。生前せいぜんせいじゅんはなかたについてまさと意見いけんかれたときに、てらにあるはなけた地蔵じぞうれいしてせいじゅん味方みかたをする。
片桐かたぎりさん左衛門さえもん
えんじ - 佐野さの浅夫あさお
夕子ゆうこちち肺病はいびょうわずらつま夕子ゆうこおさなむすめ3にんらしていたが生活せいかつこまり、夕子ゆうこ遊郭ゆうかくはたらいてもらう。
臨源てらげんゆう
えんじ - 織本おりもと順吉じゅんきち
臨源てら住職じゅうしょく夕子ゆうこいえは、臨源てら檀家だんか地元じもとまち葬儀そうぎ法事ほうじがあるとそのいえおもむきおけいげるなどしている。僧侶そうりょ修行しゅぎょうちゅうせいじゅん様子ようすおおとりかくてらおとずれ、田上たうえから最近さいきん生活せいかつぶりをく。
おおとりかくてら僧侶そうりょたち
田上たうえ慈州
えんじ - 佐分利さぶりしん
おおとりかくてら住職じゅうしょく僧侶そうりょたちから『長老ちょうろう』とばれている。せいじゅんたち僧侶そうりょてら一緒いっしょ生活せいかつしている。金銭きんせん感覚かんかくきびしく、僧侶そうりょたちからかげでケチばわりされている。せいじゅん生活せいかつみだれたとき言葉ことばさとす。
おおとりかくてら大原おおはら
えんじ - 山谷やまたに初男はつお
せいじゅんより年上としうえ僧侶そうりょ普段ふだん修行しゅぎょう意外いがいに、参拝さんぱいきゃく拝観はいかんりょう勘定かんじょうするなどしている。趣味しゅみ麻雀まーじゃんで、写真しゃしん乃理子のりことアメリカじんの4にんたくかこむことがある。
おおとりかくてらうけたまわみち
えんじ - はやしゆたか
せいじゅん先輩せんぱい僧侶そうりょ僧侶そうりょにしては長老ちょうろう陰口かげぐちたたいたりかくれてタバコをったりとどちらかとうと素行そこうくない。作中さくちゅうでは、せいじゅんはなかたについて「どもらずにちゃんとえ」などと注意ちゅういすることがある。
おおとりかくてらりんどう
えんじ - 佐久田さくたおさむ
せいじゅんより年下とししたらしき僧侶そうりょ僧侶そうりょになるためにてら雑務ざつむをこなしている。真面目まじめ性格せいかくせいじゅんしたっている。
その
五条ごじょう乃理子のりこ
えんじ - 宇佐美うさみ恵子けいこ
GHQのアメリカじんわらわなつごろてらきのアメリカじんれられておおとりかくてら一室いっしつすう日間にちかんりて滞在たいざいする。写真しゃしん知人ちじんてらたずねてかれしたしく会話かいわする。
ゆうきりろうきゃくA
えんじ - 井上いのうえ昭文あきふみ
きよきゃく。きよ2人ふたりきりになり、自身じしんがトイレからもどったのち財布さいふいことにづき、「きよぬすんだのでは」とうたがう。
ゆうきりろうきゃくB
えんじ - 田中たなか邦衛くにえ
夕子ゆうこきゃく。ワンシーンのみの出演しゅつえん夕子ゆうこ目当めあてで来店らいてんしたが、彼女かのじょきゃく接客せっきゃくちゅういてがっかりする。

スタッフ[編集へんしゅう]

主題歌しゅだいか挿入歌そうにゅうか[編集へんしゅう]

主題歌しゅだいか
うた岸田きしだ智史さとし五番ごばんまちゆうきりろう
挿入歌そうにゅうか
与謝よさ糸取いととうた」(作詞さくし水上みずかみつとむ作曲さっきょく池辺いけべ晋一郎しんいちろう)
あめれども、ゆきどもるな」の歌詞かしうた作中さくちゅうで、夕子ゆうこせいじゅん歌唱かしょうする。

TVドラマ[編集へんしゅう]

1968年版ねんばん[編集へんしゅう]

東海とうかいテレビ制作せいさくフジテレビ系列けいれつにて、1968ねん1がつ29にち - 4がつ26にち放送ほうそうぜん65かい

キャスト[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

東海とうかいテレビ制作せいさく ひるドラマ
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
しろ十字架じゅうじか
(1967.10.30 - 1968.1.26)
五番ごばんまちゆうきりろう
(1968.1.29 - 1968.4.26)
だれがためのあい
(1968.4.29 - 1968.6.28)

1974年版ねんばん[編集へんしゅう]

TBS系列けいれつ花王かおう あい劇場げきじょうわくにて、1974ねん3月4にち - 5月3にち放送ほうそうぜん45かい

キャスト[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

TBS 花王かおう あい劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
放浪ほうろう
(1974.1.7 - 1974.3.1)
五番ごばんまちゆうきりろう
(1974.3.4 - 1974.5.3)
つま告白こくはくする
(1974.5.6 - 1974.7.5)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 昭和しょうわ55ねん 写真しゃしん生活せいかつ』(2017ねん、ダイアプレス)p39
  2. ^ 酒井さかい順子じゅんこにん小説しょうせつ対照たいしょうしている『金閣寺きんかくじやしかた』(講談社こうだんしゃ)p.52で違和感いわかんは「かれやしなえけんおな若狭わかさまずしいいえうまれ、やしなえけんおなじようにわか時代じだい臨済宗りんざいしゅう相国寺しょうこくじてらにおいて小僧こぞうとしての生活せいかつおくっていたからになりません」という。なお、前年ぜんねん1961ねんには相国寺しょうこくじ舞台ぶたいにした『かりてら』をいている。
  3. ^ 下記かき外部がいぶリンク・映画えいが.comの解説かいせつより。
  4. ^ OPクレジットより。
  5. ^ 夕子ゆうこ 井筒いづつはちきょう本舗ほんぽONLINE SHOP井筒いづつはちきょう本舗ほんぽ、2018ねん1がつ18にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]