(Translated by https://www.hiragana.jp/)
あかんたれ - Wikipedia コンテンツにスキップ

あかんたれ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
あかんたれ
ジャンル テレビドラマ
脚本きゃくほん はなとうかたみ
出演しゅつえんしゃ 志垣しがき太郎たろう
沢本さわもと忠雄ただお
土田つちた早苗さなえ
岡崎おかざき友紀ゆき
小山こやま明子あきこ
高田たかだ次郎じろう
中村なかむら玉緒たまお
中村なかむら嘉葎雄かつおほか
オープニング 「あかんたれ」
鶴岡つるおか雅義まさよし東京とうきょうロマンチカ
製作せいさく
プロデューサー 平松ひらまつ敏男としお
制作せいさく 東海テレビ放送とうかいてれびほうそう東宝とうほう
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
あかんたれ
放送ほうそう期間きかん1976ねん10がつ11にち - 1977ねん7がつ29にち
放送ほうそう時間じかん月曜日げつようび - 金曜日きんようび13:30 - 14:00
ぞく・あかんたれ
放送ほうそう期間きかん1978ねん2がつ27にち - 9月29にち
放送ほうそう時間じかん月曜日げつようび - 金曜日きんようび13:30 - 14:00
テンプレートを表示ひょうじ

あかんたれ[1]は、1976ねん昭和しょうわ51ねん)から放送ほうそうされた東海とうかいテレビ制作せいさくひるドラマ原作げんさく脚本きゃくほんはなとうかたみがけている。

明治めいじ中期ちゅうき大阪おおさか船場ふなば呉服ごふく問屋とんや成田なりた舞台ぶたいに、主人しゅじん秀吉ひでよし(ひできち)がのこした「てかけ(わらわ)の」・秀松ひでまつこと秀太郎ひでたろう(ひでたろう)の奮闘ふんとうえがく。 志垣しがき太郎たろう出世しゅっせさくおよ中村なかむら玉緒たまおの1970年代ねんだい代表だいひょうさくでもあった。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

放送ほうそうは1976ねん10月11にちから1977ねん7がつ29にち月曜げつようから金曜きんようぜん210[2]。ストーリーの途中とちゅう唐突とうとつ終了しゅうりょうしたが、やく半年はんとしに「ぞく・あかんたれ」(以下いか正編せいへんたいして続編ぞくへんとする)として再開さいかい1978ねん2がつ27にちから同年どうねん9月29にちまでぜん155放送ほうそうされた。なお、続編ぞくへん中村なかむら玉緒たまおはオープニングクレジットじょう特別とくべつ出演しゅつえん」として表示ひょうじされた。フジテレビけい東海とうかいテレビ製作せいさく)のひるたいドラマの歴代れきだい最高さいこう視聴しちょうりつ番組ばんぐみ平均へいきん11.1%)として記録きろくされている。現在げんざいなお各地かくちさい放送ほうそうされているが、ほん放送ほうそうから長期間ちょうきかん経過けいかしているため放映ほうえいきょくによっては表現ひょうげん映像えいぞうかんするテロップ表示ひょうじれられることがある。

登場とうじょう人物じんぶつおよび出演しゅつえんしゃ

[編集へんしゅう]

※「」ない成田屋なりたやでの
秀太郎ひでたろう家族かぞく

  • 秀太郎ひでたろう主人公しゅじんこう。「秀松ひでまつ」):森川もりかわまこと志垣しがき太郎たろう
成田なりた先代せんだい主人しゅじん秀吉ひでよし許嫁いいなずけ・おきぬとのあいだまれた周囲しゅういから尊敬そんけいされるようなちちちながら、わがままで意気地いくじなしであった秀太郎ひでたろう将来しょうらい憂慮ゆうりょしたおきぬ判断はんだんにより、秀吉ひでよしとして「ごりょうさんや兄弟きょうだいたちからおとうとんでもらえるまでは一切いっさいわない」と約束やくそくさせたうえで、成田なりた丁稚でっちとしてあづけられる。本妻ほんさいであるひさや分家ぶんけをはじめ、成田なりた人間にんげんから「てかけの」と容赦ようしゃないいじめをけるが、音松おとまつやおひかりいとしげ数少かずすくない理解りかいしゃたちにささえられ、くっすることなく父親ちちおやゆずりの才覚さいかく人格じんかくあわった青年せいねんへと成長せいちょうげる。呉服ごふく問屋とんやとしての経営けいえい不振ふしん成田なりた身内みうちによる散財さんざいなどによって倒産とうさん寸前すんぜんまれ、安造やすぞうやごりょうさんでは取引とりひきできないとの理由りゆう取引とりひきさきから主人しゅじん推挙すいきょされて以後いごも「主人しゅじん代理だいりとしてみせあずかっているだけ」とつづけ、やがて男性だんせい下着したぎの「ステテコ」を開発かいはつし、凋落ちょうらく一途いっと辿たどっていた成田屋なりたや再興さいこう世間せけんから「ステテコ大将たいしょう」とばれるまでになる。
秀吉ひでよし許婚きょこんで、料亭りょうていじゅういえ」の仲居なかいをしていた。ひさとの結婚けっこん承諾しょうだくせざるをなくなった秀吉ひでよしを「大阪おおさかいち商人しょうにん(あきんど)になることが秀吉ひでよし目標もくひょうだから」とみずかく。そのすうねん再会さいかいしてからは、「てかけ」となることをきらって秀吉ひでよしからの金銭きんせんてき援助えんじょこばつづけていたが、秀太郎ひでたろう出産しゅっさんにん関係かんけい世間せけんれ、秀吉ひでよしとは秀太郎ひでたろうのみをわせてみずかうことはなかった。秀吉ひでよし死後しご秀太郎ひでたろう成田なりたあづけて以降いこう里心さとごころをつけさせないために住居じゅうきょえるが、つね人知ひとしれず見守みまもっていた。のち仲居なかいあたまとなり、芸者げいしゃとなった糸子いとこを、反発はんぱつされながらもきゃくからまもつづけた。
近江おうみ膳所ぜぜはん足軽あしがるむすめとしてまれるが、むすめのおきぬ秀吉ひでよしはたらいている大阪おおさかはたらきたいといえたきりもどらないことを心配しんぱいしてたところ、おきぬ妊娠にんしんしていることをり、それ以後いご同居どうきょつづけることになる。まご秀太郎ひでたろうを「ひでぼう」とんで可愛かわいがっていた。そのため秀太郎ひでたろう成田屋なりたやあづけられて以後いごは、つね秀太郎ひでたろうらせるちわびていた。秀太郎ひでたろうがひさから成田屋なりたや子供こどもみとめられてあいだもなく、二人ふたり善光寺ぜんこうじまいりにかけるが、その直後ちょくご一夜いちややまいいきる。


成田なりた家族かぞく親戚しんせき

成田なりた先代せんだい主人しゅじん臨終りんじゅう間際まぎわにあった先々さきざきだい主人しゅじんたってのねがいであるむすめ・ひさとの結婚けっこんを、主人しゅじん安心あんしんさせたい一心いっしんで、幼馴染おさななじみ許婚きょこん・おきぬがありながら承諾しょうだくする。事情じじょうったいとしげ主人しゅじんから「かり祝言しゅうげんだけをげてみせなおしたらあいだはいって暖簾のれんさせる」との助言じょげんけるも経営けいえい不振ふしんつづいたため、みせ再興さいこうすべく袋物ふくろもの問屋とんやから呉服ごふく問屋とんやへの転換てんかんをひさに提案ていあん。ひさは「船場ふなばではいだもの商売しょうばいえることはゆるされないが婿むこなら可能かのう」と回答かいとうしたため、秀吉ひでよし祝言しゅうげんげてたたげのなか番頭ばんがしらから主人しゅじんとなり経営けいえい状態じょうたい好転こうてんする。その自身じしん同時どうじ妊娠にんしんしていることをったひさがおきぬ自宅じたくみ、そこでにんとも出産しゅっさんしたことが醜聞しゅうぶんとなって成田屋なりたや信用しんよう失墜しっついする。秀吉ひでよしみせようとするが、奉公人ほうこうにんたちに説得せっとくされて「みせなおるまで」との約束やくそくみせのこる。だが業績ぎょうせき不振ふしんつづき、倒産とうさん寸前すんぜんまれるが、いとしげけいらいで入荷にゅうか実現じつげんしたモスリン商機しょうきとしてみせなおる。7ねん信用しんよう回復かいふくみとめられて出席しゅっせきゆるされただい問屋とんやいのせき秀吉ひでよし突然とつぜんたおれると、ひさは「病人びょうにんしてはみせはじ」として秀吉ひでよしみせもどすが病状びょうじょう悪化あっか秀吉ひでよしは「秀太郎ひでたろう成田なりたせきれること、秀太郎ひでたろういち人前にんまえ商人しょうにんになったらみせ財産ざいさん安造やすぞう半分はんぶん半分はんぶんにすること」との遺言ゆいごんのこして死亡しぼう。そのよるから、おきぬ秀太郎ひでたろう丁稚でっちとして成田屋なりたやあづけることになる。
父親ちちおやである先々さきざきだい主人しゅじん遺言ゆいごんにより、番頭ばんがしらであった秀吉ひでよし渋々しぶしぶ結婚けっこんする。長男ちょうなん安造やすぞう溺愛できあいし、いつかはかれ主人しゅじんとなって成田屋なりたやふたたなおすとしんじている。安造やすぞうさんろうらがトラブルをこすたびに仏壇ぶつだんむかい、両親りょうしんなげくようにつぶやいていた。富江とみえ音松おとまつ婚礼こんれいで「長女ちょうじょ芸者げいしゃがり、次女じじょみせ裏切うらぎった丁稚でっち結婚けっこん長男ちょうなん行方ゆくえ不明ふめい成田屋なりたや滅茶苦茶めちゃくちゃになったが、みせたすけたばかりか、さんろうかねがたあじまでおしえた秀松ひでまつこと成田なりた秀太郎ひでたろうこそ、自分じぶん子供こどもではないが、成田なりた子供こども」とかたり、高作こうさ主人しゅじんとするために秀太郎ひでたろう丁稚でっちとしてあづける決意けついをする。その19ねん安造やすぞうかえってきて、秀太郎ひでたろうとおきぬ同居どうきょできるたときには「わてにとっても息子むすこやった」とかたっていた。
  • 安造やすぞう本妻ほんさい長男ちょうなん。「わかだんさん」):中村なかむら健介けんすけ沢本さわもと忠雄ただお
糸子いとこ富江とみえさんろうからは「やすぼん」とばれている。幼少ようしょうからひさにあまやかされてそだち、落第らくだい浪人ろうにんかえした挙句あげくかねんで入学にゅうがくした私立しりつ大学だいがく1ねん素行そこう不良ふりょうのため退学たいがく処分しょぶんとなる。さんろう影響えいきょう放蕩ほうとうかぎりをくして実家じっか居場所いばしょうしない、愛子あいこ神戸こうべ間借まが生活せいかつはじめるがみずかはたらくことは殆んどなかった。弁護士べんごし名乗なの詐欺さぎ木下きのした先生せんせいあおぎ、かれの「きみ大人おとなぶつだ」という言葉ことばしんささえとしていた。その木下きのしただまされてひとり大連たいれんかう貨物かもつせんせられる直前ちょくぜんまれた子供こども高作こうさ愛子いとしごとともに富江とみえ成田屋なりたやり、のち秀太郎ひでたろうそだてられる。高作こうさ出征しゅっせいする当日とうじつ偶然ぐうぜんもどってきたかれ高作こうさから「しゅうおじさんはおとうさんのために不幸ふこうになった」とめられる。あやまらなければ自分じぶん父親ちちおやとしては秀太郎ひでたろうしかうつらないとわれたかれは、秀太郎ひでたろう土下座どげざして謝罪しゃざいする。だが秀太郎ひでたろうは「あに留守るすおとうとまもるのはたりまえ」とかたり、ついに成田なりた家族かぞく全員ぜんいんから「成田屋なりたや子供こども」としてみとめられる。
  • 糸子いとこ長女ちょうじょ安造やすぞうあね。「とうさん」):中島なかじま香葉子かよこ藤吉ふじよし美加みか土田つちた早苗さなえ
いとしげ主人しゅじんひょうするところ、「父親ちちおやゆずりの才覚さいかく母親ははおやゆずりの気位きぐらいたかさ」をあわち、そのため秀太郎ひでたろうたいして複雑ふくざつ心情しんじょういている。浪速なにわ女学校じょがっこう卒業そつぎょうくすり問屋とんや一人ひとり息子むすこ恋愛れんあい関係かんけいになるが安造やすぞう行状ぎょうじょう原因げんいん破談はだんとなり、自殺じさつはかる。のち父親ちちおや遺言ゆいごんたすためにいち芸妓げいぎとなっていと名乗なのるが、秀太郎ひでたろう奔走ほんそうによって実家じっかもどることがまったとき、秀太郎ひでたろうなみだながらにおとうとみとめる。続編ぞくへん最終さいしゅうかいではちょくすけ結婚けっこんしていた。
  • 富江とみえ次女じじょ安造やすぞうあね糸子いとこいもうと。「こいさん」):ほし亜希子あきこ岡崎おかざき友紀ゆき
向学心こうがくしんつよく、一度いちど卒業そつぎょうしたよんきょう女学校じょがっこうさい入学にゅうがくしたのち東京とうきょう日本橋にほんばし商業しょうぎょう大学だいがく首席しゅせき合格ごうかく(のち入学にゅうがく辞退じたい)。学費がくひさせたいとしげからの交換こうかん条件じょうけんとしてはたらくことになったいとしげ商店しょうてん東京とうきょう支店してんてつがわ(音松おとまつ)と再会さいかいのち秀太郎ひでたろうにん結婚けっこんについてひさの了解りょうかいをとりつけ、それをかれおとうとみとめる。
ひさ・糸子いとこ冨江とみえからは「おじさん」、安造やすぞうからは「おったん」とばれている、成田屋なりたや最大さいだいのトラブルメーカー。秀吉ひでよし死後しご、ひさにかわって主人しゅじん同然どうぜん立場たちば成田なりたはいむが、みせかね着服ちゃくふくして放蕩ほうとうすることのみに執心しゅうしんし、経営けいえいかえりみることはまったくなかった。あることないこと、ひさに注進ちゅうしんするがことごと策略さくりゃく失敗しっぱいする。行方ゆくえらない音松おとまつさが富江とみえだまし、かれふりふたつのおとこわたそうとくわだてて失敗しっぱいした挙句あげく、その報復ほうふくからのがれてかくすために、秀太郎ひでたろう説得せっとくされ東京とうきょうかれ仕事しごと手伝てつだうことになる。かねがたあじったかれは、人目ひとめけてひさに富江とみえへの結婚けっこんしゅく現金げんきんだけあづけ、ふたた仕事しごと東京とうきょうもどってった。
興奮こうふんすると周囲しゅうい見境みさかいなく物事ものごとくちにする性格せいかくで、おひさが産気さんけづいたさいに、出産しゅっさん必要ひつよう道具どうぐるいをおきぬ自宅じたく成田なりた大八車だいはちぐるまもうとして、世間せけん醜聞しゅうぶんられてしまうことになる。秀吉ひでよし死去しきょともなってさんろう成田屋なりたやんだことがきっかけとなって離婚りこんしていたことが、のちにひさのくちからかたられている。


成田屋なりたや奉公人ほうこうにんとその家族かぞく

  • 忠助ちゅうすけ成田屋なりたやだい番頭ばんがしら平野ひらの石平いしだいら):三浦みうら策郎さくろう
  • こうすけ成田屋なりたやちゅう番頭ばんがしらどうだい番頭ばんがしら支配人しはいにん):石井いしいひとし
  • おいし(こうすけつま):石井いしい富子とみこ
  • たか(おいしの):千村ちむらみさき
  • ちょくすけ成田屋なりたやしょう番頭ばんがしらちょくななどうちゅう番頭ばんがしら営業えいぎょう部長ぶちょう):田中たなか直行なおゆき
  • まめなな成田屋なりたや手代てだいまめきちどうしょう番頭ばんがしら営業えいぎょう店内てんない課長かちょうせい尾形おがた):はなとまめ(げん坂本さかもと小吉こよし)
  • 捨吉すてきち成田屋なりたや手代てだい富山とやまけん出身しゅっしんせい富田とみた):椎名しいなしげる
  • てつきち捨吉すてきちおとうと):諏訪すわたけしさく
  • 音松おとまつ秀太郎ひでたろう先輩せんぱい丁稚でっちてつ川音かわおときちただ続編ぞくへんでは音田おとだ):鹿股かのまた祐司ゆうじ倉岡くらおか伸太郎しんたろう
秀吉ひでよし可愛かわいがられた恩義おんぎかんじて、みせものられずに秀太郎ひでたろうわせる段取だんどりをしていた。秀吉ひでよし丁稚でっちとなってからも面倒めんどうていたが、かれがおひかりとともにいとしげるつうじていたことがひさにられて成田屋なりたやわれる。そのかつ呉服ごふく」で生計せいけいてていたが、あきないのイロハをまなぶべくいとしげ商店しょうてん名古屋なごやてん入社にゅうしゃする。その同社どうしゃ東京とうきょう支店してんちょうとして大学だいがく受験じゅけんのために上京じょうきょう見習みなら事務じむいんとして採用さいようされた富江とみえ再会さいかいするが、女学生じょがくせい制服せいふくめぐるトラブルが契機けいきとなって、秀太郎ひでたろうたすけるためにいとしげから解雇かいこ名目めいもく富江とみえとともに大阪おおさかもどる。その富江とみえ結婚けっこんして3にん子供こども父親ちちおやとなる。
  • 田中たなかみよ(ミシンの先生せんせい製造せいぞう部長ぶちょう。「みよ先生せんせい」「おみよさん」):柴田しばた美保子みほこ
  • 山中やまなか作造さくぞう屋台やたいうどん営業えいぎょう地方ちほう課長かちょう):たにみきいち
東京とうきょう恵比寿えびす造船ぞうせんぎょういとな家庭かていまれるが、安藤あんどう(=木下きのした)にだまされて実家じっかぜん財産ざいさんうしなう。そのしょく転々てんてんとしたのち大阪おおさかでうどんの屋台やたいいとなんでいた。倒産とうさん寸前すんぜん成田なりたいとしげ指示しじきゃくになりすましてけにったり、そのすうねん丁稚でっちになりたての秀太郎ひでたろう掛取かけとりに同行どうこうした過去かこがある。江戸えど気質きしつ喧嘩けんかはやいちめんもあるが、のち成田屋なりたや主人しゅじん推挙すいきょされたばかりの秀太郎ひでたろう再会さいかい、ステテコの発案はつあんおおきく貢献こうけんしたり、芸者げいしゃとなった糸子いとこ実家じっかかえらせるために一役ひとやくうなど、秀太郎ひでたろうのよき協力きょうりょくしゃとなる。
  • まつ成田屋なりたや女中じょちゅう):国原くにはらよしあき
  • たけ成田屋なりたや女中じょちゅう):千村ちむら克子かつこ
  • うめ成田屋なりたや女中じょちゅうまかない部長ぶちょう):うすあいだ香世かよ


どう業者ぎょうしゃ取引とりひきさき

船場ふなばそう大将たいしょうで、秀松ひでまつ後見人こうけんにん商売しょうばい私情しじょうをはさむことをきら厳格げんかく性格せいかくである反面はんめん、ひさとおきぬ同時どうじ出産しゅっさんした醜聞しゅうぶん成田なりた倒産とうさん寸前すんぜんとなったときにモスリンの仕入しいれ秀吉ひでよしたすけたり、ステテコの大量たいりょう生産せいさん必要ひつようミシン輸入ゆにゅうおろしさいして秀太郎ひでたろう配慮はいりょするなど、つね成田なりたにかけている。
いとしげわらわおな境遇きょうぐうにある秀太郎ひでたろうまもるためいとしげ密命みつめいけ、秀吉ひでよし葬儀そうぎのときから成田屋なりたや女中じょちゅうとしてはいる。音松おとまつとともに成田屋なりたやわれるが、成人せいじんした秀太郎ひでたろう再会さいかいしたときには小料理こりょうり女将おかみとなっていた。
  • やなぎ 正治しょうじ達磨だるまどう長男ちょうなん):なか真貴まき
音松おとまつ東京とうきょう時代じだい友人ゆうじん。ステテコの大量たいりょう生産せいさんめぐって成田屋なりたや対立たいりつさんろう画策かくさくして偽物にせもののステテコを市場いちば流通りゅうつうさせる。
正治しょうじ単身たんしん上京じょうきょうしていたあいだ商才しょうさい頭角とうかくあらわしたために義父ぎふ信頼しんらいあつくなり、正治しょうじからうとましくおもわれ離縁りえんせまられる。ひたむきな秀太郎ひでたろうひそかにおもいをせ、偽物にせもののステテコを駆逐くちくするために成田なりた協力きょうりょくする。
ストツキング」の製造せいぞう販売はんばい主力しゅりょくとして関東かんとう商圏しょうけん経営けいえいしている。関西かんさいじんたいしてふくむところがあり、成田なりたからまれた関東かんとうにおけるステテコ製造せいぞう依頼いらいみみそうとしなかったが、間違まちがえてかえりかけたシャープペンシル返却へんきゃくするために社長しゃちょうしつもどってきた秀太郎ひでたろう信用しんようして商談しょうだん成立せいりつすることになる。このとき秀太郎ひでたろう同行どうこうして上京じょうきょうした作造さくぞうは、その祖父母そふぼがかつて柳原やなぎはらつかえていたことはっていたが、ちして所帯じょたいをもったことは柳原やなぎはら社長しゃちょうからくまでらなかった。


安造やすぞう関係かんけいしゃ

富江とみえ女学校じょがっこう時代じだい同級生どうきゅうせい安造やすぞうもてあそばれてられたためにみずか小指こゆび切断せつだんしたいもうとのち死亡しぼう)への責任せきにん問題もんだいにするため成田なりたあらわれる。
丑吉うしきち続編ぞくへんではうしづくりえんじ三上みかみ真一郎しんいちろう)の内妻ないさいで、成田なりた財産ざいさんねら木下きのした命令めいれい女給じょきゅうとして安造やすぞうちかづく。秀太郎ひでたろう主人しゅじんとして推挙すいきょされたことを成田なりたした安造やすぞう神戸こうべ同棲どうせい神戸こうべ小川おがわせい名乗なのっていたことがあるが真偽しんぎ不明ふめい同地どうち高作こうさ出産しゅっさんするが、成田なりたられてもなく肺病はいびょう発症はっしょうし、高作こうさ秀太郎ひでたろうたくしていのちとす。なお本名ほんみょう千代ちよ
  • ぼたん:高橋たかはし牧子まきこ
カフェーで愛子いとしごとともにはたら女給じょきゅうだったが、したらずと甲高かんだかこえわざわいしてか、みせ転々てんてんとしていた。成田屋なりたやした富江とみえ面接めんせつさきみせい、劣悪れつあく環境かんきょうんでいることから富江とみえ説得せっとくされ成田なりたはたらくことになる。なお本名ほんみょうトミ子とみこ
成田なりた財産ざいさんねらって愛子いとしご使つか安造やすぞうちかづく。いち失敗しっぱいするが、さんろううごかして実印じついんさせ借用しゃくようしょ捏造ねつぞうし、その担保たんぽとして成田屋なりたや不動産ふどうさんだまっている。過去かこ東京とうきょう安藤あんどう作造さくぞう実家じっか財産ざいさんだまっていた。ただ木下きのした(弥三郎やさぶろう)・安藤あんどうのどちらかが本名ほんみょうなのかはげきちゅうではつまびらかにされていない。
  • きゅうすけ(「はんきゅう主人しゅじん):三浦みうら策郎さくろう
神戸こうべ生田いくた判子はんこいとなかたわら、みせかい安造やすぞう愛子いとしご間貸まがししている。

糸子いとこ関係かんけいしゃ

糸子いとこ担任たんにん先生せんせい初恋はつこいひと
くすり問屋とんやかん水堂みずどう一人ひとり息子むすこ糸子いとこ恋愛れんあい関係かんけいにあったが、安造やすぞう行状ぎょうじょう原因げんいんとして両親りょうしん反対はんたいされ破談はだんとなる。
いとあずかる芸者げいしゃ置屋おきや女将おかみ
堂島どうじまべい相場そうば料亭りょうていじゅうきゃく丁稚でっち時代じだい恋心こいごころいていたいまべい問屋とんや長女ちょうじょ面影おもかげいとかさねている。木下きのした成田なりた不動産ふどうさんげられたことをった糸子いとこねがいをかなえるため、不動産ふどうさんもど安造やすぞう秀太郎ひでたろうわたそうとするが、「丁稚でっち気持きもち」をかた秀太郎ひでたろう理解りかいしめ代金だいきんる。のち糸子いとこ成田なりたかえらせるにさいしてもかげから秀太郎ひでたろう協力きょうりょくする。

主題歌しゅだいか

[編集へんしゅう]
  • 「あかんたれ」鶴岡つるおか雅義まさよし東京とうきょうロマンチカ北村きたむら敏郎としお[3]浜名はまなひろし)[4]
    作詞さくしはなとうかたみ作曲さっきょく鶴岡つるおか雅義まさよし
    レコード:CBSソニー 06SH-84(1976ねん12月発売はつばい北村きたむらがボーカルのバージョン)
  • 一部いちぶ資料しりょうには「正編せいへんでは三條さんじょう正人まさと続編ぞくへんでは浜名はまながボーカル担当たんとう」とされているが、1974ねんさんじょう脱退だったいしており、レコーディングには参加さんかしていない[5]
  • 本編ほんぺん主題歌しゅだいかは、番組ばんぐみ開始かいし制作せいさくされた初期しょきバージョンと、レコード発売はつばいともなってさい録音ろくおんされた中期ちゅうきバージョン(北村きたむら)、続編ぞくへん中盤ちゅうばんにボーカルのみろくなおした後期こうきバージョン(浜名はまな)があり、それぞれにつき通常つうじょうばんとイントロ短縮たんしゅくばんの2タイプが用意よういされた。
  • レコードようバージョンは続編ぞくへんだい19だい60などで挿入そうにゅうされた。

スタッフ

[編集へんしゅう]
  • 音楽おんがく加納かのう光紀みつのり
  • プロデューサー:渡辺わたなべひかりのり澤田さわだ和宏かずひろあずま一寿かずとし東宝とうほう)、平松ひらまつ敏男としお東海とうかいテレビ)
  • 演出えんしゅつ平松ひらまつ敏男としお大西おおにし博彦ひろひこ高田たかだいち ほか
  • 制作せいさく東海とうかいテレビ、東宝とうほう株式会社かぶしきがいしゃ

原作げんさくせいほね」のドラマ

[編集へんしゅう]

原作げんさくほん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 関西かんさいべんで「意気地無いくじなし」の
  2. ^ ほん放送ほうそうちゅう1977ねん4がつ8にちには、萩本はぎもと欽一きんいちフジテレビ系列けいれつぜん番組ばんぐみ出演しゅつえんする企画きかく欽ちゃんのドーンと24あいだ』により、ストーリーと無関係むかんけい登場とうじょうしたが、さい放送ほうそうよう素材そざいでは特段とくだん説明せつめい表示ひょうじされていない。
  3. ^ 本名ほんみょう上原うえはら敏郎としお。ソロ転向てんこう、「たきまさと」と改名かいめいして『大江戸おおえど捜査そうさもう』エンディングテーマ『えよ夕陽ゆうひ』などを発表はっぴょうしている。
  4. ^ 1976ねんにリリースされたシングルばんは、「ロマンチカ」名義めいぎとなっている。
  5. ^ 三條さんじょう復帰ふっきにコンサートなどで歌唱かしょうしたことがある。

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
東海とうかいテレビ制作せいさく ひるドラマ
ぜん番組ばんぐみ あかんたれシリーズ 番組ばんぐみ
なぎさよりあいをこめて
(1976.8.23 - 1976.10.8)
あかんたれ
(1976.10.11 - 1977.7.29)
おんなのいくさ
(1977.8.1 - 1977.10.14)
つくしんぼ
(1977.12.19 - 1978.2.24)
ぞく・あかんたれ
(1978.2.27 - 1978.9.29)
不信ふしんのとき
(1978.10.2 - 1978.11.17)