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はたあきら

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はたあきら
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出生しゅっしょう 生年せいねんしょう
四川しせんひらきしゅう
死去しきょ 1121ねん
むつみしゅうきりいおりけんがらすりゅうみね
拼音 Qín Míng
別名べつめい 霹靂へきれき
主君しゅくん そうこう

はた あきら(しん めい)は、中国ちゅうごく小説しょうせつよんだい奇書きしょひとつである『みず滸伝』の登場とうじょう人物じんぶつ

キャラクター概要がいよう

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てんもうほしまれわりで、序列じょれつ梁山泊りょうざんぱくだいなな好漢こうかん渾名あだな霹靂へきれき(へきれきか)で、非常ひじょう短気たんき剛直ごうちょく性分しょうぶんと、大変たいへんおおきな怒鳴どなごえ稲妻いなづまたとえたもの。

おおかみきばぼうというろくしゃくあまりの鉄棒てつぼうさきサボテンじょう多数たすうとげのあるおもりがいた、てきかぶとよろいごとたたつぶ武器ぶき得意とくいとする。剛直ごうちょく短気たんきえがいたようなもうしょうで、戦場せんじょうではその武勇ぶゆう勇猛ゆうもうさでおおいに活躍かつやくするが、その性格せいかくわざわいして不覚ふかくることもおおい。

物語ものがたりちゅうでの活躍かつやく

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四川しせんひらきしゅうひと異説いせつり)で、あおしゅう赴任ふにんしそこのぐんそう司令しれいかんにまでなった。

あおしゅう管轄かんかつである清風せいふうふさがふく長官ちょうかん花栄はなえ山賊さんぞくつうじたため、部下ぶかしん山賊さんぞく首領しゅりょう諸共もろともらえ、あおしゅうまで護送ごそうしようとしたが、途中とちゅう清風山せいふうざん山賊さんぞくたちにうばわれた。はたあきらへいひきいて山賊さんぞく討伐とうばつのために出陣しゅつじん。そこで花栄はなえ山賊さんぞくいちたいひきいてくると、山賊さんぞくとした花栄はなえ激昂げっこうちかかった。ところが、勝負しょうぶまえはなさかえしたためこれを追撃ついげきするも、山道さんどう木石ぼくせき糞尿ふんにょうびせられ部隊ぶたい混乱こんらん山賊さんぞくたちの挑発ちょうはつ翻弄ほんろうされて山中さんちゅうけずりまわった挙句あげく火攻ひぜめにい、かわちかくへのがれたところ上流じょうりゅうせきられたため、部下ぶかほとんどは溺死できしし、はたあきららえられた。山塞さんさい連行れんこうされると、しんらえた山賊さんぞく首領しゅりょうは、じつそうこうという名高なだか好漢こうかんで、花栄はなえらのつみすべりゅう高夫たかおつまのでっちきょげだったとり、みずからの不明ふめいびた。ここでそうこうらから仲間なかまくわわるよう打診だしんされるが、軍人ぐんじんほこりをはたあきらはこれを拒否きょひあおしゅうもどることにした。ところが、あおしゅう帰還きかんすると城門じょうもんかたじられ、衛兵えいへいらが自分じぶんはなってきた。そこへ知事ちじの慕容彦達から、はたあきら山賊さんぞく内通ないつう反逆はんぎゃくしたつみにより一族郎党いちぞくろうとう処刑しょけいしたとつたえられ、はたあきらつまくび竿ざおからかかげた。おぼえのないつみつまころされ激怒げきどしたがどうすることもできず、やむなく清風山せいふうざんもどった。そうこうらにことの次第しだいはなすと、じつあおしゅう襲撃しゅうげきしたはたあきら山賊さんぞくけた偽者にせもので、はたあきら仲間なかまれるためそうらが仕組しくんだことが判明はんめいはたあきら激怒げきどするが、2人ふたり誠心せいしん誠意せいいびるのと、いまさらどうしようもないので仕方しかたなく仲間なかまはいった。また、やもめになったはたあきらのために、そうこうのとりなしではなさかえいもうとはなたからつばめめとることになった。こののちはたあきらはさらにしん説得せっとくして仲間なかまくわえ、そうこうたちが清風山せいふうざんるのにともなって梁山泊りょうざんぱく合流ごうりゅうした。

梁山泊りょうざんぱくではぐん中心ちゅうしん一人ひとりとして活動かつどうしゅくそうとのたたかいではしゅくりゅうやぶり、しゅくそうちゅう最強さいきょう欒廷だまとも互角ごかく以上いじょうたたかうが、かれ誘引ゆういんけいにかかり捕虜ほりょになった。つづこうとうしゅうたたかいではこうれん配下はいかゆたかぶんたから瞬殺しゅんさつし、さらによびのべとのたたかいではてきしょうかん圧倒あっとうし、因縁いんねんあおしゅうめにはさき従軍じゅうぐん希望きぼうして、つまかたき・慕容彦達をった。北京ぺきんめではたような性格せいかくてきさくちょう互角ごかく勝負しょうぶえんじた。だい曾頭せんではあきらぶたかたきふみぶんきょうたたかうが、てきほう上手じょうず太股ふともも重傷じゅうしょう敗北はいぼく以後いごしばらく養生ようじょうのため戦線せんせんはなれた。ひゃくはちほし集結しゅうけつ騎兵きへいとらしょう一人ひとり任命にんめいされる。朝廷ちょうていへの帰順きじゅん肯定こうていだったようで、朝廷ちょうてい帰順きじゅんおも騎兵きへい先鋒せんぽうとして活躍かつやく数々かずかずてきしょうる。ほうとの最終さいしゅう決戦けっせん前哨ぜんしょうせんで、ほう臘のおいほうすぐるたたかいこれも圧倒あっとうするが、べつてきしょうもりほろがたなはなち、これをかわしたところすきまれ、ほうすぐるほうたかしびてられた。

関連かんれん項目こうもく

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