うま麟 (みず滸伝)

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うま

うま(ば りん)は、中国ちゅうごく小説しょうせつよんだい奇書きしょひとつである『みず滸伝』の登場とうじょう人物じんぶつ

梁山泊りょうざんぱくだいろくじゅうなな好漢こうかん明星みょうじょうまれわり。梁山泊りょうざんぱく以前いぜん黄門こうもんやまだいさん頭領とうりょう渾名あだな鉄笛てってきせん(てってきせん)で、達者たっしゃふえ腕前うでまえ由来ゆらいする。一方いっぽう容貌ようぼうはあらあらしく、ひゃくにん相手あいてにしてもけをらないだいたぎかたな使つかとされるが、戦場せんじょうでは2ほんどうがたなるうそうがたな使つかとしてえがかれ、たぎかたな使用しようする場面ばめんはなかった。おも梁山泊りょうざんぱくぐんないでは戦闘せんとう要員よういんとして多数たすうせん参加さんかし、一時期いちじき梁山泊りょうざんぱく造船ぞうせん作業さぎょう担当たんとうした。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

うま麟はたてやすし出身しゅっしん代々だいだい軍人ぐんじん家柄いえがらまれ、もとしげるおかっ引)であったが、黄門こうもんやまもって山賊さんぞくとなりおうおおとり蔣敬とうはじめらの仲間なかまとともに4、500にん手下てしたひきいてばんよりどころしていた。あるときしゅう刑場けいじょう襲撃しゅうげきした梁山泊りょうざんぱくいちとう帰路きろ自分じぶんたちの本拠ほんきょ付近ふきんとおるらしいという情報じょうほうおうおおとりたちは、天下てんか義賊ぎぞくとして名高なだかかれらを出迎でむかえたいとかんがえた。それらしい集団しゅうだんがやってくるとわざと襲撃しゅうげきするようなそぶりをせて梁山泊りょうざんぱくいちぎょう名乗なのらせてそれであると確認かくにんすると、すかさず自身じしん非礼ひれいいちぎょう山塞さんさい招待しょうたいしておおいにもてなした。この席上せきじょうかれらの実力じつりょくいたそうこうから仲間入なかまいりを打診だしんされ、よろこんだうま麟たちはそのまま梁山泊りょうざんぱく合流ごうりゅうした。

梁山泊りょうざんぱく入山にゅうざん家族かぞくむかえるために一旦いったん故郷こきょうもどったそうこうかた襲撃しゅうげきされたのを救出きゅうしゅつ直後ちょくご組織そしき編制へんせいでは造船ぞうせん責任せきにんしゃ任命にんめいされるが、ほどなく本職ほんしょく船大工ふなだいくであるはじめやすし戴宗によって入山にゅうざんしたためすぐ交替こうたいした。しゅくそうとのたたかいではてきおんな剣士けんしさんむすめとの一騎討いっきうちちで苦戦くせんするおうおおとり助太刀すけだちまじえるが、決着けっちゃくがつくまえ味方みかた旗色はたいろわるくなり退却たいきゃくした。しゅくそう陥落かんらくおう味方みかたれるための作戦さくせん参加さんか前歴ぜんれきかしてぬすめ役人やくにん変装へんそう、そのはやし花栄はなえらの副将ふくしょうとして活躍かつやくつづけた。

ひゃくはちほし集結しゅうけつ騎兵きへいぐんしょうあやしょうけん斥候せっこう頭領とうりょうじゅうろくいんだいじゅう任命にんめいされ、平時へいじでは宴席えんせきふえ腕前うでまえ披露ひろうし、みなたのしませるなどした。官軍かんぐんとのたたかいや朝廷ちょうていへの帰順きじゅん戦役せんえきでもおもさくちょう副将ふくしょうとして活躍かつやくとらほうとの合戦かっせんでは度々たびたび伏兵ふくへいとしててきらす活躍かつやくせた。むつみしゅうめのさいがらすりゅうみねきずかれたほう臘方の要塞ようさいえる間道かんどう土地とち古老ころうからききだし、そうこうがその情報じょうほうもと別働隊べつどうたい編成へんせいむつみしゅう目指めざあいだうま麟はがらすりゅうみね西陣にしじんまもるが、起死回生きしかいせいねらせてきたいしたから部隊ぶたい交戦こうせんしろ投槍なげやりけてひるんだすきかれて、すかさず接近せっきんしてきたいしたからの劈風がたなで、一刀いっとうしたてられた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]