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経済けいざい成長せいちょう理論りろん

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経済けいざい成長せいちょう理論りろん(けいざいせいちょうりろん、えい: economic growth theory)は、国民こくみん経済けいざいもしくは世界せかい経済けいざい経済けいざい成長せいちょうについての動態どうたい、その要因よういん分析ぶんせき説明せつめい、をおこなマクロ経済けいざいがくいち分野ぶんや。マクロ経済けいざいがく主要しゅよう分野ぶんやであり、ロバート・ソローロバート・ルーカスチャリング・クープマンスなど、とう分野ぶんや研究けんきゅうした多数たすう経済けいざい学者がくしゃノーベル経済けいざいがくしょう受賞じゅしょうしている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

数学すうがくモデルをもちい、経済けいざい成長せいちょうかんする考察こうさつみちびき、説明せつめいおこなうことがそのしゅたる内容ないようになっている。なお、経済けいざい成長せいちょう測定そくてい計量けいりょう経済けいざいがく分野ぶんやぞくし、制度せいど政策せいさくてき要因よういん考慮こうりょして開発途上国かいはつとじょうこく経済けいざい成長せいちょう分析ぶんせきする分野ぶんやとして開発かいはつ経済けいざいがく存在そんざいする。また、過去かこ経済けいざい成長せいちょう要因よういん分析ぶんせき経済けいざいいち分野ぶんやで、とく計量けいりょう経済けいざいがく経済けいざい成長せいちょうろんしょ理論りろん多用たようする経済けいざい研究けんきゅうして数量すうりょう経済けいざいぶことがある。

経済けいざい成長せいちょう理論りろん歴史れきし[編集へんしゅう]

数学すうがくモデルを多用たようした現在げんざい経済けいざい成長せいちょう理論りろんジョン・フォン・ノイマンフランク・ラムゼイのモデルを起源きげんとしている。それ以前いぜん時代じだい、19世紀せいきわりから20世紀せいき初頭しょとう議論ぎろんすくないが、それ以前いぜん時代じだい中心ちゅうしん経済けいざい成長せいちょうかんする考察こうさつ自体じたいは、ふるくからおこなわれている。

アダム・スミス以前いぜん[編集へんしゅう]

最初さいしょ経済けいざい成長せいちょう注目ちゅうもくしたのは、経済けいざいがくちちであるアダム・スミスをさかのぼること100ねんほどまえじゅうしょう主義しゅぎものしゃであった。かれらは、国家こっか経済けいざい発展はってんしたり衰退すいたいしたりするということを明確めいかく認識にんしきし、経済けいざい成長せいちょうする要因よういんについて考察こうさつをはじめた最初さいしょ人々ひとびとである。

もっとも、じゅうしょう主義しゅぎしゃ議論ぎろんみずからがおこなった商業しょうぎょう中心ちゅうしん構築こうちくされ、貨幣かへいストックを国家こっかとみかんがえる発想はっそうであった。またこの議論ぎろんにおいては、労働ろうどうしゃ消費しょうひ活動かつどうおこなったりとみ享受きょうじゅする主体しゅたいではなく、生産せいさんいち要素ようそのように認識にんしきされていた。

こういった誤謬ごびゅうからし、現代げんだいてき経済けいざい成長せいちょう、すなわちとみをフローの概念がいねんらえ、その増加ぞうかりょう経済けいざい成長せいちょうとしてらえたのは最初さいしょ人物じんぶつとしてはリチャード・カンティロンげることができる。かれは、土地とち労働ろうどうにより構成こうせいされる部門ぶもん均衡きんこうモデルを構築こうちくした。

スミス以降いこう成長せいちょう理論りろん[編集へんしゅう]

アダム・スミスはカンティロンのモデルをもとに、土地とち労働ろうどう資本しほんによる成長せいちょうモデルを議論ぎろんしている。有名ゆうめい分業ぶんぎょうはなしられるように、かれ技術ぎじゅつ進歩しんぽによる経済けいざい成長せいちょう考慮こうりょした。また啓蒙けいもう思想しそう影響えいきょうけたスミスは、従来じゅうらい思想家しそうか食料しょくりょう購入こうにゅうして労働ろうどうりょくさい生産せいさんする生産せいさん主体しゅたいとしてあつかった農民のうみん工場こうじょう労働ろうどうしゃ地主じぬし貴族きぞく階級かいきゅう同様どうようとみ享受きょうじゅ(消費しょうひ)する対象たいしょうとして考察こうさつした。スミスはイギリスが目覚めざましい経済けいざい成長せいちょうげていることに注目ちゅうもくしたが、技術ぎじゅつ革新かくしん終焉しゅうえん土地とち制約せいやくにより成長せいちょうまるものとかんがえていた。

スミス以降いこう経済けいざい成長せいちょう理論りろんについて考察こうさつした思想家しそうかとしては、デヴィッド・リカードジョン・スチュアート・ミルカール・マルクス、などをげることができる。リカードは土地とち限界げんかい生産せいさんせい機械きかいによる技術ぎじゅつ革新かくしんといったてん考慮こうりょして、緻密ちみつ考察こうさつおこなった。リカードの考察こうさつは、技術ぎじゅつ革新かくしん賃金ちんぎん低下ていかをもたらすという結論けつろんみちびいたてん悲観ひかんてきであった。ミルの考察こうさつもリカードの考察こうさつ踏襲とうしゅうしたものであるが、経済けいざい成長せいちょうは、たか文化ぶんか水準すいじゅん謳歌おうかする理想郷りそうきょうとしての経済けいざい停止ていし状態じょうたいくとろんじたてんおおきくことなっていた。

マルクスの考察こうさつは、リカードの影響えいきょうけたものであったが、その分析ぶんせきはかなり拡大かくだいされていた。資本しほんろんなかで、かれさい生産せいさんひょうしきというものを提示ていじしたが、これは部門ぶもん成長せいちょう理論りろん最初さいしょのものの1つであった。かれ長期ちょうき安定あんていてき成長せいちょう実現じつげんむずかしく、それが資本しほん主義しゅぎ経済けいざい恐慌きょうこう原因げんいんになること、利潤りじゅんりつ長期ちょうきには低下ていか傾向けいこうにあることをしめした。考察こうさつ対象たいしょう当時とうじ経済けいざいがく水準すいじゅんからすると広範囲こうはんいであったために、かれ成長せいちょう理論りろん不完全ふかんぜんなものにとどまったが、のち森嶋もりしま通夫みちおポール・サミュエルソンによってさい検討けんとうおこなわれている。

マルクス以降いこう限界げんかい革命かくめい以降いこう経済けいざい学者がくしゃアルフレッド・マーシャル若干じゃっかん修正しゅうせいのぞけば成長せいちょう理論りろんについて言及げんきゅうをあまりおこなわなかった。19世紀せいき後半こうはん主流しゅりゅう歴史れきし学派がくは議論ぎろんや20世紀せいき初頭しょとうヨーゼフ・シュンペーター議論ぎろん注目ちゅうもくあたいするが、しゅたる成長せいちょう理論りろんつぎしめすようなしん古典こてん、ケインズ経済けいざい成長せいちょう理論りろんとしてあらためて発展はってんすることになった。

主要しゅよう経済けいざい成長せいちょう理論りろん[編集へんしゅう]

ハロッド・ドーマーモデル[編集へんしゅう]

ロイ・ハロッドエブセイ・ドーマーにより1930年代ねんだいから40年代ねんだいにかけて発表はっぴょうされたモデル。経済けいざい自律じりつてき安定あんてい確保かくほするむずかしさを例示れいじするなど、ケインズ経済けいざいがく影響えいきょうつよけた経済けいざい成長せいちょうモデルである。いわゆるどう学理がくりろんとよばれるものである。

このモデルの一番いちばん特徴とくちょうは、投資とうし供給きょうきゅう能力のうりょくと、需要じゅようそれぞれの増加ぞうかりょうとが安定あんていてき調和ちょうわするような保証ほしょう経済けいざい成長せいちょうりつ (資本しほん増加ぞうかりつ)が、完全かんぜん雇用こようをもたらすような自然しぜん経済けいざい成長せいちょうりつ (労働ろうどうりょく増加ぞうかりつ)と別個べっこ規定きていされ、その関係かんけい自律じりつてき均衡きんこうかわないと仮定かていすることにある。両者りょうしゃ均衡きんこう慢性まんせいてき経済けいざい停滞ていたいやインフレをみちびくもとと結論けつろんづけられた。安定あんていてき成長せいちょうりつ実現じつげん非常ひじょう困難こんなんで、ナイフ・エッジの均衡きんこうともばれる。また、保証ほしょう成長せいちょうりつ貯蓄ちょちくりつ影響えいきょうするものと定義ていぎされた。

ハロッド・ドーマーモデルは、前提ぜんてい硬直こうちょくてきであるために、ソロー・スワンモデルと同様どうよう成長せいちょう理論りろんひながたとして教科書きょうかしょ登場とうじょうするほかは、そのまま議論ぎろん道具どうぐとしてもちいられることは現在げんざいではすくない。

なお保証ほしょう経済けいざい成長せいちょうりつ貯蓄ちょちくりつ資本しほん生産せいさんせい生産せいさん1単位たんいやすのに必要ひつよう資本しほんりょうをあらわす資本しほん係数けいすう逆数ぎゃくすう)となる(ハロッド・ドーマーの基本きほん方程式ほうていしき)。

ソロー・スワンモデル[編集へんしゅう]

ロバート・ソロートレイヴァー・スワンが1956ねん提唱ていしょうした成長せいちょうモデルの1つ、生産せいさん関数かんすうかんがかた、そのみちび結論けつろんしん古典こてん思想しそう共通きょうつうすることから、しん古典こてん成長せいちょうモデルともばれる。

基本きほんてきなアイディアは、資本しほん増加ぞうか人口じんこう増加ぞうか上回うわまわったさいに、資本しほん1単位たんいあたりの生産せいさん効率こうりつがだんだんがる(資本しほんりょうが2ばいになっても生産せいさんは2ばいにはならず、1-2ばい範囲はんいないおさまる)ために、資本しほん増加ぞうかりょう鈍化どんかし、人口じんこう増加ぞうかりついつき、ぎゃく人口じんこう増加ぞうか資本しほん増加ぞうか上回うわまわった場合ばあいには資本しほん1単位たんいあたりの生産せいさん効率こうりつ上昇じょうしょうするために資本しほん増加ぞうかりつ人口じんこう増加ぞうかりついつくというものである。一時いちじてきなショックにより資本しほん人口じんこう増加ぞうかりつ乖離かいりしても、長期ちょうきてき資本しほん増加ぞうか人口じんこう増加ぞうかりつ収束しゅうそくし、資本しほんをより効率こうりつてき使つかえるようなしん技術ぎじゅつ登場とうじょうがないかぎりは一人ひとりたりの国民こくみん所得しょとく増加ぞうかしないという結論けつろんみちびいた。

成長せいちょう理論りろんひながたとして教科書きょうかしょ登場とうじょうする非常ひじょう簡単かんたんなモデルであるにもかかわらず、依然いぜんとして経済けいざい成長せいちょう分析ぶんせき多用たようされている。もっとくみられる分析ぶんせきは、経済けいざい成長せいちょう要因よういん資本しほん労働ろうどう技術ぎじゅつ進歩しんぽかく要因よういん分解ぶんかいすることである。こうした分析ぶんせきは、アラモビッツやソローによってはじめられた、成長せいちょう会計かいけいばれる手法しゅほうである。技術ぎじゅつ進歩しんぽりつ経済けいざい成長せいちょう資本しほん労働ろうどう寄与きよ説明せつめいしたのこりとしてもとめられるため、ソローざんばれることもある。

このモデルの欠点けってんは、技術ぎじゅつ進歩しんぽ貯蓄ちょちくりつそとせいてきあたえられていることで、これを改善かいぜんするためにつぎしめすようなモデルの展開てんかいみちびいた。

フォン・ノイマンの部門ぶもん成長せいちょうモデル[編集へんしゅう]

フォン・ノイマンが1937ねん発表はっぴょうした経済けいざい成長せいちょうモデル。しん古典こてん成長せいちょうモデルのもととなったラムゼイのモデルが1部門ぶもん経済けいざい成長せいちょうモデルであるのにたいし、各種かくしゅざい生産せいさん投資とうしがなされる現実げんじつ経済けいざいそくしたモデルの構築こうちくおこなわれた。

部門ぶもんモデルは、だい世界せかい大戦たいせん、サミュエルソン、森嶋もりしまらの努力どりょくによって改良かいりょうくわえられた。サミュエルソンの見出みいだしたターンパイク理論りろんはとりわけ有名ゆうめい発見はっけんである。

うちせいてき成長せいちょうモデル[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいころからさかんに研究けんきゅうおこなわれるようになったモデルで、従来じゅうらい成長せいちょうモデルが技術ぎじゅつ進歩しんぽ要因よういん説明せつめいできなかったのにたいし、技術ぎじゅつ進歩しんぽ経済けいざい活動かつどう成果せいかとしてんだことおおきな特徴とくちょうである。Romer 1986契機けいきとなり、うちせいてき成長せいちょう理論りろん発展はってんしていった。

環境かんきょう経済けいざいがく医療いりょう経済けいざいがく教育きょういく経済けいざいがく成果せいかである拡張かくちょうされた資本しほん理論りろんれつつ、発展はってんつづけている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Romer, Paul M (1986), “Increasing Returns and Long-Run Growth”, Journal of Political Economy 94 (5): 1002-1037 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]