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耳納山みのうやま

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
耳納山みのうやま
宮の陣橋より望む筑後川と耳納山地
みやじんきょう久留米くるめ)から
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん 福岡ふくおかけん
位置いち
耳納山地の位置(日本内)
耳納山地
北緯ほくい3317ふん34びょう 東経とうけい13035ふん41びょう / 北緯ほくい33.29278 東経とうけい130.59472 / 33.29278; 130.59472座標ざひょう: 北緯ほくい3317ふん34びょう 東経とうけい13035ふん41びょう / 北緯ほくい33.29278 東経とうけい130.59472 / 33.29278; 130.59472
最高峰さいこうほう 鷹取山たかつとやま(802 m
延長えんちょう 30 km
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ
西方せいほうからの遠景えんけいきたふもと左側ひだりがわ)はきゅうみなみふもと右側みぎがわ)はゆるやか。

耳納山みのうやま(みのうさんち)は、福岡ふくおかけん筑後ちくご地方ちほうにある山地さんちみずなわ山地さんちとも表記ひょうきする。みみおさめ連山れんざん(みのうれんざん)の通称つうしょうもある[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

西端せいたん久留米くるめ中心ちゅうしん南東なんとうにある高良山こうらさんで、兜山かぶとやま耳納山みのうやま発心山ほっしんざん鷹取山たかつとやまなどの山々やまやま東西とうざいつらなり、東端ひがしばた大分おおいたけんさかいまでいたる。山地さんち西部せいぶ久留米くるめ八女やめに、東部とうぶうきは八女やめにまたがっている。山地さんち西端せいたん南側みなみがわには広川ひろかわまち八女やめにまたがるあかやぶさんがあり、山地さんち東端ひがしばたでは津江つえさんやま釈迦岳しゃかだけ御前岳ごぜんだけ渡神岳とかみだけ)などの津江つえ山地さんちせっする。

山地さんちきたえん存在そんざいするみずなわ断層だんそうによって形成けいせいされたとかんがえられており、北側きたがわ久留米くるめがわ)はきゅうがけじょう南側みなみがわ八女やめがわ)はなる斜面しゃめんとなっている。ひがしはしにあるもりは、たきのある水源すいげんもりとして水源すいげんもりひゃくせん選定せんていされ[2]筑後川ちくごがわ水系すいけいきょ瀬川せかわ名水めいすいひゃくせん選定せんていされた清水しみず湧水わきみず重要じゅうよう水源すいげんとなっている。

関係かんけい自治体じちたい[編集へんしゅう]

おもやまとうげ[編集へんしゅう]

西にしからひがしじゅん

歴史れきし[編集へんしゅう]

地震じしん[編集へんしゅう]

土砂どしゃ災害さいがい[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい中期ちゅうきとおる5ねん6がつ21にち1720ねん7がつ26にち)、筑後川ちくごがわ流域りゅういきでは大雨おおあめによる災害さいがい発生はっせいし、耳納山みのうやまでは山津波やまつなみ発生はっせいして洪水こうずいわせて61にん死亡しぼうし、211家屋かおく流失りゅうしつした[3]。うきはにある西見にしみ所蔵しょぞうの「壊山(くえやま)物語ものがたり」(1720~36ねん)によると4むらがほぼ壊滅かいめつし60にんちか住民じゅうみんくなったという[4]。また、朝倉あさくらみなみ琳寺所蔵しょぞうの「みなみ琳寺縁起えんぎ」によると朝倉あさくら山田やまだ古毛こもう白木しらき志波しわなどの地区ちく甚大じんだい被害ひがいけたという[4]。1932ねんには大村おおむら天満てんまみや(うきは吉井よしいまち)に大村おおむら復興ふっこうてられた[4]

道路どうろ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ みみおさめ連山れんざん - ほとめきのまち久留米くるめ観光かんこうサイト
  2. ^ たきのある水源すいげんもり - 水源すいげんもりひゃくせん - 林野庁りんやちょう
  3. ^ 福岡ふくおか朝倉あさくら水害すいがい江戸えど時代じだい)(とおる56がつ21にち) | 災害さいがいカレンダー”. Yahoo!天気てんき災害さいがい. 2022ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c みみおさめ連山れんざん土石流どせきりゅうから300ねん「うきはわざわいこと企画きかくてん 福岡ふくおか・うきは」『西日本にしにほん新聞しんぶん』。2020ねん11月21にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]