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オートノミー

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自律じりつから転送てんそう

オートノミーえい: Autonomyどく: Autonomieにち: 自律じりつなか: 自主權じしゅけん)とは、元々もともと自分じぶん自分じぶん自身じしんほうあたえるもの」という古代こだいギリシア由来ゆらいする概念がいねんで、一般いっぱんに、自主じしゅ(せい)・自律じりつ(せい)・主体しゅたい(せい)・自治じち自治じちけん自主権じしゅけん自己じこ決定けっていけんなどを意味いみし、政治せいじ道徳どうとく哲学てつがく心理しんりがく医学いがく宗教しゅうきょうほう人事じんじ人権じんけんなど幅広はばひろ分野ぶんやにおいて、複数ふくすうのそしてそれぞれことなる、またはふくあいてき意味いみをもつ基礎きそ概念がいねんである。

日本にっぽん医療いりょう分野ぶんやでは、「患者かんじゃ自主権じしゅけん自己じこ決定けってい」の文脈ぶんみゃくにおいてしばしばオートノミーを「自律じりつせい」と誤訳ごやくしたうえで「患者かんじゃ自分じぶんりっして自己じこ規制きせいすること」などと「患者かんじゃ権利けんり否定ひてい」するようなせい反対はんたい意味いみ誤用ごようされている。さらに、日本にっぽん医師いしかいにおいては海外かいがい文書ぶんしょ翻訳ほんやくぶんにおいて「患者かんじゃのオートノミーは自律じりつせい」とやくしながらも「医師いしのオートノミーはオートノミー」とカタカナ表記ひょうき翻訳ほんやくし、「オートノミー」のわけ意図いとてきことなるものにしている(後述こうじゅつ)という現象げんしょう見受みうけられているので、注意ちゅうい必要ひつようである。

由来ゆらい[編集へんしゅう]

オートノミーの由来ゆらいは、古代こだいギリシアの、

αあるふぁὐτονομία, autonomia, from αあるふぁὐτόνομος, autonomos, from αあるふぁτたうοおみくろん- auto- "self" and νόμος nomos, "law"

つまり英語えいご表現ひょうげんすると、

"one who gives oneself one's own law"

という意味いみ言葉ことばから由来ゆらいする。

日本語にほんご直訳ちょくやくすると、

自分じぶん自分じぶん自身じしんほうあたえるもの

となる。

定義ていぎ[編集へんしゅう]

上記じょうき古代こだいギリシアから派生はせいした英単語えいたんご、オートノミー(Autonomy)の定義ていぎは、

"the capacity of a rational individual to make an informed, un-coerced decision"

であり、正確せいかくさを重視じゅうしして直訳ちょくやくすると、

合理ごうりてきが、総合そうごうてきにすべての情報じょうほうあたえられた(ている)状態じょうたいで、からの干渉かんしょうけない自由じゆう意思いし決定けっていをすることが可能かのうキャパシティー可能かのう能力のうりょく状態じょうたい権利けんり権能けんのう

となる。

派生はせい概念がいねん用語ようご[編集へんしゅう]

オートノミーの日本語にほんごやくとして、日本にっぽんにおいておももちいられる用語ようご(と派生はせい概念がいねん)のうち、代表だいひょうてきなものを以下いか要点ようてんとしてまとめる。

政治せいじ社会しゃかいがくにおける[編集へんしゅう]

概念がいねんとして「自治じち

具体ぐたいとして「自治体じちたい」、「自治じち」、「自治領じちりょう」、「自治じち行政ぎょうせい区画くかく

権利けんりとして「自治じちけん」、「自律じりつけん」(内部ないぶ事項じこうについては自主じしゅてき決定けっていできる権能けんのう)

法学ほうがく医学いがくにおける[編集へんしゅう]

概念がいねんとして「自主じしゅ

具体ぐたいとして「自主じしゅせい」、「自己じこ決定けってい

権利けんりとして「自主権じしゅけん」(れい関税かんぜい自主権じしゅけん)、「自決じけつけん

個人こじん権利けんりとして「身体しんたいてき自主権じしゅけん」、「自己じこ決定けっていけん

民族みんぞく権利けんりとして「民族みんぞく自決じけつけん

哲学てつがくにおける[編集へんしゅう]

概念がいねんとして「オートノミー

カントう、他者たしゃからの「自主じしゅ」とうちなる「自律じりつ」と理想りそうとしての「自立じりつ」からる「オートノミー」

  • 内心ないしん欲求よっきゅうたいする「自律じりつしん

道徳どうとくてき権利けんり(Moral rights)として「人格じんかくけん」、「内心ないしん自由じゆう」、「やすしょう恭敬きょうけい

心理しんりがくにおける[編集へんしゅう]

概念がいねんとして「自立じりつ

  • 自立じりつ」の対義語たいぎごとして「依存いぞん

概念がいねんとして「自律じりつ

  • 発達はったつ心理しんりがくの、成長せいちょうにおける「自律じりつせい(「善悪ぜんあく判断はんだん自己じこ抑制よくせい)」の発達はったつ過程かてい

宗教しゅうきょうにおける[編集へんしゅう]

  • 神権しんけんもとづく自由じゆう概念がいねんからの宗教しゅうきょう教会きょうかい自治じち

教会きょうかい自治じちけん」、「自治じち教会きょうかい」、「教区きょうく管轄かんかつけん

人事じんじにおける[編集へんしゅう]

職権しょっけん

  • 業務ぎょうむじょう役職やくしょく地位ちいあたえられた範囲はんい主体しゅたいてき決断けつだんくだせる権利けんり職能しょくのう

政治せいじ[編集へんしゅう]

オートノミーは、自治体じちたいなどの、自治じち自治じちけん、(海外かいがい自治領じちりょう、「自治じち行政ぎょうせい区画くかく(Autonomous administrative division)」などのわけであり、自治じち自治体じちたい自治じちけんす。

社会しゃかいがく[編集へんしゅう]

知識ちしき社会しゃかいがく一般いっぱんにおけるオートノミーのコンセプトは、オートノミーにおける境界きょうかいなどについての議論ぎろんがあり、その相対そうたいてき意味いみ以上いじょう合意ごういられている段階だんかいではないとされている[1]

制度せいどてきオートノミー(自治じちせい[編集へんしゅう]

制度せいどてきオートノミー(Institutional autonomy)は、議員ぎいんとしての権能けんのうつものが公式こうしき目標もくひょう付与ふよすることができる体制たいせいす(自治じちなど)。制度せいどてき自治体じちたいはそのリソースや計画けいかく、プログラム、サービスなどを提供ていきょうするにあたっての責任せきにん[2]同時どうじにその社会しゃかいてき立場たちばによる責任せきにんなどもう。その自治体じちたいにとっては自己じこ管理かんり体制たいせいなどのガバナンス体制たいせい必要ひつようとなる。またリーダーシップや意思いし決定けっていにおける責任せきにん分配ぶんぱいなどは、その資源しげん入手にゅうしゅ有効ゆうこうなものとなる[3]

制度せいどてきオートノミーは、しばしば(自決じけつけん・「民族みんぞく自決じけつ(self-determination)」)と同義語どうぎごになり、おおくの政府せいふは、民族みんぞく統一とういつ主義しゅぎなどによる混乱こんらんおそれる。しかしながら、オートノミーは民族みんぞく自決じけつなどの問題もんだい解決かいけつさくとしてみなされるべきである。民族みんぞく自決じけつ独立どくりつへの運動うんどうであり、一方いっぽうオートノミーは固有こゆう地域ちいき・グループを尊重そんちょうしようとするものだからである。制度せいどてきオートノミーは、社会しゃかいなかにおいて、マイノリティや少数しょうすう民族みんぞくとの衝突しょうとつ対立たいりつ解消かいしょうすることが出来できるものである。よりオートノミーを推進すいしんすることによって、中央ちゅうおう政府せいふとの外交がいこうてき関係かんけいきずたすけとなるものである[4]

哲学てつがくにおける「オートノミー」[編集へんしゅう]

オートノミーは、哲学てつがくのさまざまな分野ぶんやおおきな影響えいきょうあたえる重要じゅうよう概念がいねんとなっている。形而上学けいじじょうがくてき哲学てつがくでは、オートノミーの概念がいねんは、自由じゆう意志いし宿命しゅくめいろん決定けっていろん、そして行為こうい主体性しゅたいせい英語えいごばん行為こういしゃ想定そうてい)についての議論ぎろんあつかわれている。

倫理りんりがくにおいては、オートノミーは自分じぶん自身じしん客観きゃっかんてき道徳どうとくほうしたがわせることを[5]

カントによる「オートノミー」[編集へんしゅう]

イマヌエル・カント (1724-1804)は現代げんだい倫理りんりかんする3つのテーマによってオートノミー( ドイツ: Autonomie )を定義ていぎしたものと現代げんだい倫理りんりがく哲学てつがくしゃたちによって解釈かいしゃくされている[注釈ちゅうしゃく 1]だいいちに、他者たしゃからの干渉かんしょう排除はいじょしてみずからの決定けっていくだ権利けんりとしてのオートノミー(自主じしゅせい自主権じしゅけん自己じこ決定けっていけん)。だいに、みずからのしん独立どくりつせいとおしてそして個人こじんてき熟考じゅっこうのちにそのような決断けつだんをする能力のうりょくとしてのオートノミー(自律じりつせい)。だいさんに、オートノミー(自立じりつてき)に生活せいかつするための理想りそうてき方法ほうほうとして。要約ようやくすると、オートノミーは、自分じぶん所有しょゆうするうちなる道徳どうとくてき権利けんり(Moral rights=内心ないしん道徳どうとくてき権利けんり=人格じんかくけん)、または日常にちじょう生活せいかつなか展開てんかいする出来事できごとたいしてある程度ていどのコントロールまたはパワーを提供ていきょうする自分じぶん自身じしんのためにかんがえ、決定けっていくだすためにわたしたちが能力のうりょくとされる[6]。カントによると、道徳どうとくは、その道徳どうとくてき欲求よっきゅうていげんいのちほう表現ひょうげんされ、オートノミーを前提ぜんていとしたものであると主張しゅちょうした。

道徳どうとく形而上学けいじじょうがく基礎きそづけ」、でカントはまた人格じんかく人間にんげん尊厳そんげん概念がいねん定義ていぎするためにオートノミーの概念がいねん適用てきようした。オートノミーは、合理ごうりせい一緒いっしょに、意味いみのある生活せいかつのための2つの基準きじゅんとしてカントによって解釈かいしゃくされた[7]。それはオートノミーがあるがゆえに、人間にんげん行動こうどう道徳どうとくてき賞賛しょうさんあたいするか、または非難ひなんあたいするものとなる。植物しょくぶつ動物どうぶつなどのオートノミーな存在そんざいは、その行動こうどうオートノミーてきであるために非難ひなんあたいするものではなくなる[7] [8]

ニーチェによる「オートノミー」[編集へんしゅう]

フリードリヒ・ニーチェは、オートノミーと道徳どうとくてきたたかいについていている[9]。この意味いみでのオートノミーは自由じゆう自己じこばれ、自己じこ尊重そんちょう自己じこあいさえもふく自己じこのいくつかの側面そくめんともなう。これはカント自尊心じそんしん )とアリストテレス自愛じあい )の影響えいきょうけていると解釈かいしゃくすることができる。ニーチェにとって、倫理りんりてきオートノミーを尊重そんちょうすることは、あい自己じこあい)とほう自尊心じそんしん)とのあいだ対立たいりつ解消かいしょうすることといえる。ニーチェは自分じぶん人生じんせい責任せきにんつことで自由じゆう感覚かんかくつことを定義ていぎしているので、自由じゆう自己じこ責任せきにんはオートノミーとつよ関連かんれんせい[10]

ピアジェによる「オートノミー」[編集へんしゅう]

スイス哲学てつがくしゃジャン・ピアジェ (1896-1980)は、オートノミーはうちからて、「自由じゆう決断けつだん」からしょうじるとした。それは本質ほんしつてき価値かちがあり、オートノミーの道徳どうとくれられるだけでなく義務ぎむてきである。社会しゃかいてき交流こうりゅうこころみがおこなわれるとき、他者たしゃとの共同きょうどう作業さぎょうおこなわれた理由りゆう関係かんけいなく、オートノミーがあることは相反あいはんてき理想りそうてきかつ自然しぜんである。ピアジェにとって、オートノミーという用語ようごは、ルールが自己じこ選択せんたくてきであるというかんがえを説明せつめいするために使用しようする。したがうべきルールをまもるかまもらないかをえらぶことで、わたしたちは自分じぶんたちの行動こうどう決定けっていするのである[11]

ピアジェは、子供こどもたちのゲームちゅうおよびインタビューをとおして子供こどもたちの認知にんち発達はったつ分析ぶんせきし、子供こどもたちの道徳どうとくてき成熟せいじゅくプロセスは2つのフェーズでおこなわれると分類ぶんるいした。

  • 異論いろん推論すいろん

ルールは客観きゃっかんてき不変ふへん当局とうきょくがそれをめいじており、例外れいがい議論ぎろんわないので、それらは文字通もじどおりでなければならない。規則きそく根拠こんきょすぐれた権威けんい両親りょうしん大人おとなしゅうけん)、くに)であり、いかなる場合ばあいにおいても規則きそくがそれらにしたまたはそれをたした理由りゆうあたえるべきではない。提供ていきょうされた義務ぎむは、自分じぶんからあたえられたものとかんがえられる。道徳どうとくてき動機どうき感情かんじょうは、ひとただしいとしんじるものをとおして可能かのう

  • 自律じりつ推論すいろん

規則きそく合意ごうい産物さんぶつであり、したがって変更へんこう可能かのうである。それらは解釈かいしゃく対象たいしょうとなることがあり、例外れいがい異議いぎ対象たいしょうとなることがある。

コールバーグによる「オートノミー」[編集へんしゅう]

アメリカの心理しんり学者がくしゃローレンス・コールバーグ (1927-1987)はピアジェの研究けんきゅうつづけ、文化ぶんか多様たようせい排除はいじょするために様々さまざま緯度いどから情報じょうほう収集しゅうしゅうし、道徳どうとくてき推論すいろん焦点しょうてんてており、行動こうどうやその結果けっかにはそれほど重点じゅうてんはおいていない。「道徳どうとくてきジレンマ」を青年せいねんおよび10代の少年しょうねんたちへのインタビューをつうじて、コールバーグはさらに道徳どうとくてき発達はったつ段階だんかい発展はってんさせた。かれらが提供ていきょうしたこたえは2つのうちの1つであることがおおいことがあきらかになった。かれらはあたえられた法律ほうりつ権威けんいしゃ、あるいはあるしゅ規則きそくしたがうことをえらぶか、あるいは人間にんげん必要ひつよう役立やくだつような行動こうどうをとることをえらびつつ、これらの規則きそく命令めいれいやぶっていた。

もっと人気にんきのある道徳どうとくてきジレンマは、特別とくべつ種類しゅるいがんのためにちかづいている男性だんせいつまんだものである。そのくすり自分じぶん入手にゅうしゅするにはたかすぎるため、そしてそのくすり発見はっけんして販売はんばいした薬剤師やくざいしおもいやりがなく、ただ利益りえきしいだけだとして、それをぬすみんだ。コールバーグは、これらの思春期ししゅんきおよび10代の少年しょうねん(10さい、13さい、16さい)に、おっとがそうすべきかどうかをたずねる。すると、かれらの決定けっていおうじて、かれらはよりふか論理ろんりてき根拠こんきょかんがえについてコールバーグにこたえを提供ていきょうし、それらが重要じゅうようであるとかんがえるものを決定けっていしました。そしてこのかれらの道徳どうとくてき推論すいろんの「構造こうぞう」を決定けっていした[12]

コールバーグは道徳どうとくの3段階だんかい提示ていじし、それぞれの段階だんかいは2つのレベルにけられる。それぞれ漸進ぜんしんてきなもので、つまり、よりたかいレベルはよりおおきなオートノミーをしめす。

  • レベル1:倫理りんりてき/ぜん慣習かんしゅうてき道徳どうとくせい快楽かいらく主義しゅぎてきまたは肉体にくたいてき結果けっかおうじて。
    • [ステージ0:自己じこ中心ちゅうしんてき判断はんだん:ルールや義務ぎむ概念がいねん欠如けつじょなど、個々ここねがいから独立どくりつした道徳どうとくてき概念がいねんはない。]
    • ステージ1:ばっ - 服従ふくじゅう方向ほうこうせい:この規則きそくばちけるためにのみまもられています。肉体にくたいてき結果けっかまたはあく決定けっていし、ちからは、人間にんげんてきまたは道徳どうとくてき価値かち、またはこれらの結果けっか意味いみ尊重そんちょうすることなく、うたがいもなく延期えんきされます。心配しんぱい自己じこのため。
    • ステージ2:道具どうぐ - 相対そうたい主義しゅぎしゃのオリエンテーション:道徳どうとく個人こじん主義しゅぎてき自己じこ中心ちゅうしんてきです。利益りえき交換こうかんがあるが、つね個人こじんのニーズをたすという観点かんてんから。公平こうへいせい相反あいはんせい要素ようそ存在そんざいするが、これらは感謝かんしゃ正義せいぎ経験けいけんではなく、実用じつようてき方法ほうほう解釈かいしゃくされる。本質ほんしつてきには自己じこ中心ちゅうしんてきだが、他人たにん視点してんから物事ものごと能力のうりょくはじめている。
  • レベル2:慣習かんしゅうてき道徳どうとくせい役割やくわり適合てきごうせい規則きそく社会しゃかいさだめられた慣習かんしゅうしたがってまもられる。
    • ステージ3:いい:オリエンテーション:モラルはステレオタイプの社会しゃかいてき役割やくわりしたがってかんがえられる。直接ちょくせつのグループの承認しょうにんるための規則きそくしたがい、ただしい行動こうどう他人たにんよろこばせるか、または自分じぶんひとであるという印象いんしょうあたえることにもとづいて判断はんだんされる。行動こうどう意図いとしたがって評価ひょうかされる。
    • ステージ4:ほう秩序ちつじょ志向しこう道徳どうとく制度せいど権威けんい、あるいは社会しゃかい秩序ちつじょ必要ひつようせいしたがって判断はんだんされる。法律ほうりつ秩序ちつじょ優先ゆうせんされる。
  • レベル3:慣習かんしゅう道徳どうとくせい/自己じこ容認ようにんされた道徳どうとくてき原則げんそく道徳どうとくてき行動こうどう基準きじゅん内部ないぶされている。道徳どうとくは、慣習かんしゅうてき確立かくりつされた社会しゃかいなか個人こじん価値かち認識にんしきかんする意識いしきてき反射はんしゃからみちびされる合理ごうりてき判断はんだんによって支配しはいされる。
    • ステージ5:社会しゃかい契約けいやく方向ほうこうせい基本きほんてき普遍ふへんてき価値かちとして合法ごうほうてき確立かくりつされている個人こじん権利けんり基準きじゅんがある。規則きそく手続てつづきをとおして合意ごういされ、社会しゃかいはよりおおきな恩恵おんけいけるために批判ひはんてき検討けんとうとおして合意ごういたっする。
    • ステージ6:普遍ふへんてき原則げんそく志向しこう抽象ちゅうしょうてき倫理りんりてき原則げんそくは、社会しゃかいてき規則きそく慣習かんしゅうくわえて、個人こじんてきなレベルでもまもられる。正義まさよし相互そうご主義しゅぎ平等びょうどう、そして人間にんげん尊厳そんげんという普遍ふへんてき原則げんそく内在ないざいしており、もしこれらの理想りそうしたがわなければ、罪悪ざいあくかん自責じせきねんがもたらされる。

子供こども発達はったつ過程かていにおける「オートノミー」[編集へんしゅう]

小児しょうにおよび思春期ししゅんき青年せいねんにおけるオートノミーは、独立どくりつした自我じがによるオートノミーな個人こじんとして自分じぶん自身じしん感覚かんかく獲得かくとく(self-governing)しようとつとめる発達はったつ過程かてい[13]。また1〜3さいの、エリクソンとフロイトの発達はったつだい2段階だんかいあいだ発生はっせいする心理しんり社会しゃかいてき危機ききはオートノミーとじとうたがいのことである[14]。この段階だんかいこる重大じゅうだい出来事できごと子供こどもたちがオートノミーであることをまなばなければならないということであり、そしてそうしないことは子供こどもかれ自身じしん能力のうりょくうたがってずかしいとかんじるかもしれないということ[14]子供こども自立じりつすると、子供こどもあたらしいスキルを探求たんきゅう習得しゅうとくすることができる。オートノミーには2つの重要じゅうよう側面そくめんがある。つまり、おやよりも自分じぶん自身じしんたよ感情かんじょうてき要素ようそと、判断はんだん使用しようして独立どくりつして意思いし決定けっていおこな行動こうどうてき要素ようそがある[13]子育こそだてのスタイルは、子供こども自主じしゅせい発達はったつ影響えいきょうあたえる。権威けんいのある子育こそだてはもっと成功せいこうしたアプローチであり、両親りょうしんかれらの年齢ねんれい能力のうりょくにふさわしい自治じちけん付与ふよ従事じゅうじする[13]思春期ししゅんき自治じちは、アイデンティティの探求たんきゅう密接みっせつ関係かんけいしている[13]青年せいねんには、おや仲間なかま影響えいきょうりょくのある代理人だいりにんとして行動こうどうする。思春期ししゅんき初期しょきにおける同僚どうりょう影響えいきょうりょくは、青少年せいしょうねん成長せいちょうするにつれておや同僚どうりょう影響えいきょうけにくくなるため、思春期ししゅんきのプロセスが徐々じょじょ自主じしゅてきになるのに役立やくだ[14]青年せいねんにおいてもっと重要じゅうよう発達はったつ課題かだいは、健康けんこうてき自主じしゅ意識いしき発達はったつさせることとなる[14]

宗教しゅうきょうにおける「自治じち」・「教区きょうく管轄かんかつけん[編集へんしゅう]

キリスト教きりすときょうでは、オートノミーはさまざまなレベルの教会きょうかい運営うんえいにおける部分ぶぶんてき自治じち意味いみする。キリストきょう歴史れきしにおいて、オートノミーには2つの基本きほんてきなタイプがあった。いくつかの重要じゅうようしょう教区きょうく修道院しゅうどういんには「教区きょうく管轄かんかつけん」といった、特別とくべつ自治じちけん特権とっけんあたえられ、もっと有名ゆうめい修道院しゅうどういん自治じちれいギリシャアトスさん有名ゆうめい東方とうほう正教会せいきょうかい修道院しゅうどういんコミュニティである。一方いっぽうで、教会きょうかい全体ぜんたい行政ぎょうせい行政ぎょうせい自治じちには、歴史れきしつうじて様々さまざま程度ていど内部ないぶ自治じちふくまれてきた。

サルトルはデカルトしん完全かんぜんなる自由じゆうでオートノミーてきであるという概念がいねん提唱ていしょうしている。かみ本質ほんしつ永遠えいえん真理しんりそしてかみ意志いし創造そうぞうしゃであるかみともにある存在そんざい本質ほんしつよりも優先ゆうせんされるとべ、この純粋じゅんすいかみ自由じゆうは、人間にんげん既存きそんかんがえや価値かちかんにとらわれるべきではない、というてんで、人間にんげん自由じゆう教会きょうかいのオートノミー(自治じち信教しんきょう自由じゆう)に関連かんれんづけられている[15]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、連邦れんぽう政府せいふによる、国立こくりつ教会きょうかい建設けんせつ制限せいげんされている。これは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく憲法けんぽう修正しゅうせいだい1じょうが、自分じぶん信念しんねんしたがって信仰しんこう崇拝すうはいする自由じゆう人々ひとびとみとめたことによるものである。たとえば、アメリカ政府せいふは、教会きょうかい政治せいじへの歴史れきしてき影響えいきょう公衆こうしゅうへのかれらの権威けんいのために、かれらの「権威けんい範囲はんい」から教会きょうかいのぞいている[16]。しかし、これが衰退すいたいはじまりとなる。アメリカのプロテスタント教会きょうかいは、学校がっこう病院びょういん孤児こじいん大学だいがく雑誌ざっしなどの設立せつりつ組織そしきした19世紀せいきのアメリカ文化ぶんかおおきな影響えいきょうあたえたものだった[17]。しかしこれは政教せいきょう分離ぶんり原則げんそくという有名ゆうめいで、よく誤解ごかいされる言葉ことばをもたらしました。これで教会きょうかいしゅうからの立法りっぽうじょうおよび財政ざいせいじょう支援しえんうしなうことになった。

戦後せんご帰還きかんした兵士へいしたち、そのベビーブームにより一時いちじ復興ふっこうきざしがあったものの、これらの信者しんじゃかれらの両親りょうしんおな信念しんねんってはおらず、1960年代ねんだい政治せいじてき、そして宗教しゅうきょうてき変革へんかくをもたらしすことになった。この1960年代ねんだいに、宗教しゅうきょうてきおよび文化ぶんかてき中間ちゅうかん崩壊ほうかいは、3番目ばんめ不安定ふあんていをもたらした[18]宗教しゅうきょう個人こじんにとってより重要じゅうようでなくなり、共同きょうどうたいコミュニティにとってもそれほど重要じゅうようではなくなっていった。これらの変革へんかくからもたらされた変化へんかは、構造こうぞうじょう制約せいやくがないために個人こじん自主じしゅせいいちじるしくたかめ、かれらに選択せんたく自由じゆうあたえることになった。この概念がいねんは「あたらしい自主じしゅ主義しゅぎ[18]としてられており、そこでは個人こじんがどのように宗教しゅうきょうてきであるかについての自由じゆう選択せんたく宗教しゅうきょうてきであるかどうかの自由じゆう選択せんたくあたえるものである。

医学いがくにおける「自主権じしゅけん」と「自己じこ決定けっていけん身体しんたいてき自主権じしゅけん)」[編集へんしゅう]

医学いがくまとには、患者かんじゃ個人こじんてき自主じしゅせい自己じこ決定けっていけん(オートノミー)を尊重そんちょうすることは、医学いがくにおけるおおくの基本きほんてき倫理りんり原則げんそく医療いりょう倫理りんり生命せいめい倫理りんり研究けんきゅう倫理りんり参照さんしょう)の1つとされている[19]自主じしゅ(オートノミー)とはひと自分じぶん自由じゆう意思いし決定けっていをすることができるべき、というものである。この自己じこ決定けっていけん(オートノミー)を尊重そんちょうすることは、インフォームド・コンセントシェアード・ディシジョン・メイキング中心ちゅうしんてきなコンセプトである。しかしながら、今日きょう医学いがく実践じっせんにおいて不可欠ふかけつであるとかんがえられてはいるものの、このかんがかた過去かこだい世界せかい大戦たいせんすうじゅうねんほどのあいだ発展はってんしたものである。トム・ビーチャム英語えいごばんジェイムズ・チルドレス英語えいごばんは、「Biomedical ethicsのしょ原理げんりPrinciples of biomedical ethics 1979)」(げん生命せいめい医学いがく倫理りんり」)において、「4つの原則げんそく

  • 患者かんじゃ自主じしゅ尊重そんちょう原則げんそく(respect for a patient's personal autonomy) - 個人こじんとして尊重そんちょうし、その自己じこ決定けっていけん尊重そんちょうする。患者かんじゃ自分じぶん治療ちりょう拒否きょひまたは選択せんたくする権利けんりがある。
  • あずかえき原則げんそく善行ぜんこう)(beneficence) - 医療いりょうしゃ患者かんじゃ最大さいだい利益りえきのために行動こうどうすべきである。
  • 加害かがい原則げんそく危害きがい)(non-maleficence)- 害悪がいあくくわえない。または、"実用じつようてきには" - がいよりもぜん促進そくしんする。
  • 公平こうへい正義せいぎ原則げんそく(justice/equality)- とぼしい健康けんこう資源しげん分配ぶんぱい、およびだれがどの治療ちりょうけるかの決定けっていかんする公平こうへい原則げんそく

提唱ていしょうした。

そのほんでは、ナチスドイツの、ニュルンベルク裁判さいばんは(T4作戦さくせんほか)人体じんたい実験じっけん倫理りんりてき人体じんたい実験じっけん)の被験者ひけんしゃ身体しんたいてきインテグリティ個人こじんてき自主権じしゅけん(オートノミー)を侵害しんがいしたおそろしく搾取さくしゅてき医学いがくてきナチス・ドイツの人体じんたい実験じっけん」の詳細しょうさい説明せつめいしている[20]。これらの事件じけんは、医学いがく研究けんきゅうへの自発じはつてき参加さんか重要じゅうようせい強調きょうちょうしたニュルンベルク綱領こうりょうのような医学いがく研究けんきゅうにおける保障ほしょう措置そち要求ようきゅううながすものとなった。ニュルンベルク綱領こうりょうは、研究けんきゅう倫理りんりかんする現在げんざいおおくの文書ぶんしょヘルシンキ宣言せんげんリスボン宣言せんげんベルモント・レポート等々とうとう)の前提ぜんていとなっているとかんがえられるようになった[21]

患者かんじゃ自主じしゅせい尊重そんちょう強調きょうちょうするうごきは、医療いりょうにおいて自主じしゅせいそこなわれやすく、構造こうぞうてきに、患者かんじゃ脆弱ぜいじゃくせいまれること指摘してきされたことからしょうじたものである。そして、患者かんじゃ自主じしゅ尊重そんちょう医療いりょうまれるようになり、患者かんじゃける医療いりょうサービスについて個人こじんてき決定けっていくだすことができるようになっていった[22]。ただ、自主じしゅせいにはいくつかの側面そくめんと、医療いりょう運営うんえい影響えいきょうあたえる課題かだいのこされている。患者かんじゃあつかわれる方法ほうほうは、患者かんじゃ主体性しゅたいせい自主じしゅせい弱体じゃくたいさせる可能かのうせいがあり、このため、患者かんじゃとのコミュニケーションが非常ひじょう重要じゅうようなものとなる。患者かんじゃ医療いりょう従事じゅうじしゃとのあいだ良好りょうこう関係かんけいは、患者かんじゃ自主じしゅせい尊重そんちょうされることを確実かくじつにするために、明確めいかく定義ていぎされ、指針ししんなどの文書ぶんしょかをはか必要ひつようがある[23]人間にんげん人生じんせいほか状況じょうきょうおなじように、患者かんじゃとしてもひと管理かんりかれることを本来ほんらいのぞまないのです。

患者かんじゃ自主じしゅせい研究けんきゅう文脈ぶんみゃくにおいてのみ適用てきようされるわけではない。医療いりょうける患者かんじゃは、医師いし支配しはいされるのではなく、自主じしゅせい尊重そんちょうして治療ちりょうける権利けんりっている。これを父権ふけん主義しゅぎ(パターナリズム)の問題もんだいぶ。父権ふけん主義しゅぎ患者かんじゃにとって全体ぜんたいてきいものであることを意図いとしてはいるものの、患者かんじゃ自主じしゅおおいに、容易よういさまたげることがある[24]。そのため、確立かくりつされた「治療ちりょうてき関係かんけい英語えいごばん(Therapeutic relationship)」をとおして、患者かんじゃ医師いしあいだ思慮しりょふか対話たいわつうじたコミュニケーションが、患者かんじゃ意思いし決定けっていへの参加さんかしゃとし、より結果けっかをもたらすもとなる。

自主じしゅせい(オートノミー)にはさまざまな定義ていぎがあり、そのおおくは社会しゃかいにおける個人こじん文脈ぶんみゃくいている。また、「関係かんけい自主じしゅせい(relational autonomy)」は、ひと他人たにんとの関係かんけいとおして定義ていぎされることを示唆しさするものです。また、「支持しじされた自主じしゅせい(supported autonomy)」 [25]は、特定とくてい状況じょうきょうにおいて長期ちょうきてき自主じしゅせいまもるために一時いちじてき妥協だきょうすべきことがあることも示唆しさしている。定義ていぎでは、そのひと権利けんりがいかなる状況じょうきょうでも妥協だきょうされるべきではないふうめられたそして自給自足じきゅうじそくてき存在そんざいとしてそのひとをイメージするものなどである[26]

現代げんだい医療いりょうがよりおおきな患者かんじゃ自主じしゅせい移行いこうするべきか、それとも伝統でんとうてき父権ふけん主義しゅぎてき(パターナリスティック)なアプローチを固守こしゅべきかについても、ことなる見解けんかい存在そんざいする。たとえば、現在げんざいおこなわれている患者かんじゃ自主じしゅせい尊重そんちょうは、治療ちりょうにおける誤解ごかい文化ぶんかちがいといった欠陥けっかんなやまされているということ、そして専門せんもん知識ちしき医療いりょう専門せんもんは、父権ふけん主義しゅぎもとづくべきである、とする医療いりょうしゃがわからの議論ぎろん[27]などである。他方たほう患者かんじゃ自主じしゅせい改善かいぜんさせていくためには、患者かんじゃ医療いりょう従事じゅうじしゃとのあいだ関係かんけい理解りかい増加ぞうかさせていく必要ひつようがある[28]、というアプローチも提示ていじされている。

トム・ビーチャム英語えいごばんジェイムズ・チルドレス英語えいごばんインフォームド・コンセントの7つの要素ようそとして、しきい要素ようそ能力のうりょく自発じはつせい)、情報じょうほう要素ようそ開示かいじ推奨すいしょう理解りかい)と同意どうい要素ようそ決定けってい承認しょうにん)を提示ていじした[29]。ただ、ハリー・フランクフルトのような何人なんにんかの哲学てつがくしゃはビーチャムとチルドレスの基準きじゅん不十分ふじゅうぶんで、意図いとてき行動こうどうするじょうで、自己じこ欲求よっきゅうについて高次こうじ価値かちかん形成けいせいする能力のうりょく行使こうしする場合ばあいにおいてのみ、その行動こうどう自主じしゅてき(オートノミー)なものであるとかんがえることができると主張しゅちょうしている[30]

特定とくてい特殊とくしゅ状況じょうきょうでは、政府せいふは、ひといのち幸福こうふく維持いじするために、身体しんたいてきインテグリティ保護ほごする権利けんり一時いちじてき無効むこうにする権利けんりゆうする場合ばあいがある。このような制度せいどは、「支持しじされた自主じしゅせい(supported autonomy)」の原理げんりもちいて説明せつめいすることができる[25]いちれいとして、メンタルヘルスにおけるユニークな状況じょうきょう記述きじゅつするために開発かいはつされた概念がいねんれいとしては、強制きょうせい摂食せっしょく死亡しぼうしゃ摂食せっしょく障害しょうがいこばめしょくしょう、または一時いちじてき治療ちりょう精神病せいしんびょうせい障害しょうがいのあるひとこう精神病せいしんびょうやくによる治療ちりょう物議ぶつぎかも場合ばあいもあるが、「支持しじされた自主じしゅせい(supported autonomy)」の原則げんそくは、市民しみんいのち自由じゆうまもるための政府せいふ役割やくわり一致いっちしている。Terrence F. Ackerman はこれらの状況じょうきょうでの問題もんだい強調きょうちょうし、医師いしまたは政府せいふがこの一連いちれん行動こうどうをとることによって、患者かんじゃ自主じしゅせいたいする病気びょうき制約せいやくてき効果こうかとして価値かち矛盾むじゅんあやまって解釈かいしゃくする危険きけんおかすと主張しゅちょうしている[31]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおいては、1960年代ねんだい以来いらい医者いしゃ医学部いがくぶにいるあいだ医師いし生命せいめい倫理りんりがくコースを受講じゅこうするという要件ようけんふくむ、患者かんじゃ自主じしゅ尊重そんちょうする意識いしきたかめるこころみがなされてきた[32]。しかしながら、患者かんじゃ自主じしゅ尊重そんちょう促進そくしんすることへのだい規模きぼみにもかかわらず、先進せんしんこくにおける医学いがくたいする国民こくみん不信ふしんのこったままである[33]

日本にっぽんにおける「自己じこ決定けっていけん[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは、法学ほうがくしゃうた孝一こういちの1965ねん論文ろんぶん(「治療ちりょう行為こういにおける患者かんじゃ承諾しょうだく医師いし説明せつめい」『契約けいやく法大ほうだいけいまき、1965ねん2がつ医事いじ法学ほうがくへのあゆみ』、1970ねん医事いじほうそこにあるもの」さいろく)のなかで、ドイツのPersonale Selbstbestimmung の訳語やくごとして患者かんじゃの「個人こじん自己じこ決定けっていけん」が使つかわれているという。それとどう時期じきに、欧米おうべいでの患者かんじゃ権利けんりのための運動うんどうさかんになり、そこで主張しゅちょうされた英語えいごの Patient Autonomy が「患者かんじゃ自己じこ決定けっていけん」とやくされたようになった[34]という。当時とうじより、英語えいごでの self-determination は「民族みんぞく自決じけつ」(運動うんどう)をしていた。

その世界せかい医師いしかいリスボン宣言せんげんでも「患者かんじゃ自己じこ決定けってい権利けんり」がうたわれた。ただし、1995ねん「リスボン宣言せんげんバリ総会そうかい改訂かいていばん」の採択さいたくにおいて、日本にっぽん医師いしかい唯一ゆいいつ棄権きけんしている[35]

日本にっぽん医師いしかい生命せいめい倫理りんり懇談こんだんかいはそのあいだインフォームド・コンセントもとにした、1990ねんに「説明せつめい同意どうい」と表現ひょうげんする患者かんじゃ自己じこ決定けっていけん保障ほしょうするシステムあるいは一連いちれんのプロセスの概念がいねんしめした。1997ねん医療いりょうほう改正かいせいされ「説明せつめい同意どうい」をおこな義務ぎむが、はじめて法律ほうりつとして明文化めいぶんかされることになった[36]。これにたいし、日弁連にちべんれん日本にっぽん弁護士べんごし連合れんごうかい)は2011ねん10がつ6にちだい54かい人権じんけん擁護ようご大会たいかい声明せいめいにおいて、「くにには、このような基本きほんてき人権じんけんである患者かんじゃ権利けんりさだめた法律ほうりつがない」「日本にっぽん医師いしかい生命せいめい倫理りんり懇談こんだんかいによる1990ねんの『説明せつめい同意どうい』についての報告ほうこくも、こうしたながれをけたものではあるが、『説明せつめい同意どうい』という訳語やくごは、インフォームド・コンセント理念りねんまさしくつたえず、むしろ従来じゅうらいがたパターナリズム温存おんぞんさせるものである」と批判ひはんした[37]

日本にっぽんにおける「"自律じりつ"尊重そんちょう原則げんそく[編集へんしゅう]

日本にっぽん一部いちぶでは(単純たんじゅんに、自律じりつ神経しんけいから連想れんそうして誤訳ごやくしてしまっただけの可能かのうせいもあるが)、これを定義ていぎどおりの「自己じこ決定けっていけん」または「自主じしゅ」でもなく、「自律じりつ」または「自律じりつせい」という文脈ぶんみゃくじょうとくに違和感いわかんのある日本語にほんごやく採用さいようする場合ばあいがある。また、その根拠こんきょを、もとギリシャ原義げんぎとする意味合いみあいによらず、カントがその道徳どうとくろんもちいたオートノミーにもとめて説明せつめいするこころみがられている[38][39]。その結果けっかとして「自分じぶん行為こうい主体しゅたいてき規制きせいすること。外部がいぶからの支配しはい制御せいぎょからだっして、自身じしんてた規範きはんしたがって行動こうどうすること」という理解りかい[38]つながってしまっているのである。(本来ほんらいぎゃくで「患者かんじゃつね自分じぶん治療ちりょう選択せんたくする自由じゆうつべき」という定義ていぎ

しかしながら、ここ(「医療いりょう倫理りんりの4原則げんそく」や生命せいめい倫理りんりがく#原則げんそく)におけるオートノミーをカントの意味合いみあいにもとめる根拠こんきょ存在そんざいせず、そもそもカント道徳どうとくにおいて、オートノミーを3つのテーマによって定義ていぎしていると現代げんだい倫理りんりでは一般いっぱん解釈かいしゃく[注釈ちゅうしゃく 1]されている。だいいちに、他者たしゃからの干渉かんしょう排除はいじょしてみずからの決定けっていくだ権利けんりとしてのオートノミー(自主じしゅせい)。だいに、みずからのしん独立どくりつせいとおしてそして個人こじんてき熟考じゅっこうのちにそのような決断けつだんをする能力のうりょくとしてのオートノミー(自律じりつせい)。だいさんに、オートノミー(自立じりつてき)に生活せいかつするための理想りそうてき方法ほうほうとして。つまり、(カントの定義ていぎする)オートノミーは、自分じぶん所有しょゆうするうちなる道徳どうとくてき権利けんり("Moral rights"=「人格じんかくけん」)とえる[6]

ゆえに、ここであえて「自律じりつ」という訳語やくご採用さいようし、患者かんじゃ内面ないめん道徳どうとくてき自律じりつしん」または「(子供こども発達はったつにおける)自己じこりっする自律じりつせい」「自分じぶん行為こうい主体しゅたいてき規制きせいすること」を示唆しさするのは、医療いりょう倫理りんり文脈ぶんみゃくでいう、そとからの干渉かんしょうけない患者かんじゃの「自主じしゅ」にもとづく自己じこ決定けってい権利けんりをあえて欠落けつらくさせるものである。

つまり、パターナリズム対義語たいぎごとしての患者かんじゃの「自己じこ決定けっていけん)」の擁護ようご、およびその保障ほしょうプロセスとしての「インフォームド・コンセント」の必要ひつようせいくこの文脈ぶんみゃくにおいて、「自律じりつ」の訳語やくご採用さいようあきらかにあやまりである。実情じつじょうげると、インフォームド・コンセントをあえて「説明せつめい同意どうい」という日本にっぽん独自どくじ概念がいねんえてしまい、日弁連にちべんれんから「『説明せつめい同意どうい』という訳語やくごインフォームド・コンセント理念りねんまさしくつたえず、むしろ従来じゅうらいがたパターナリズム温存おんぞんさせるものである」[37]批判ひはんされたように、ここで「自律じりつ」のわけ採用さいようすること自体じたい日本にっぽん医療いりょうにおけるパターナリスティク慣習かんしゅう抵抗ていこうあらわれである、とする批判ひはん可能かのうである。そこで、ここでは中立ちゅうりつてき客観きゃっかんてきに、よりただしい意味合いみあいである「自主じしゅ」、そしてその具体ぐたいとしての「自己じこ決定けっていけん」というオートノミーの訳語やくご採用さいようしているものである。

なお、おな漢字かんじけんくに台湾たいわんなど)においても、この文脈ぶんみゃくでは「自主じしゅ」である。

れい:「醫學いがく倫理りんりがく - やまい患自ぬし患者かんじゃ自主じしゅ」、「生命せいめい倫理りんりがくよん原則げんそく、1.尊重そんちょう自主じしゅ原則げんそく」、「自主じしゅしん经系统」、「病人びょうにん自主じしゅ權利けんりほう患者かんじゃ自主じしゅ権利けんりほう[40]

日本にっぽん医師いしかい対応たいおう[編集へんしゅう]

さらに、世界せかい医師いしかい発表はっぴょうする宣言せんげんぶんリスボン宣言せんげんなど)の翻訳ほんやくぶん日本にっぽん医師いしかい公開こうかいしているが、そこでは「患者かんじゃのオートノミー」はすべて「患者かんじゃ自律じりつせい」とのわけ[41]一貫いっかんし、2008ねん採択さいたくされたべつの「プロフェッショナル・オートノミーと臨床りんしょうじょう独立どくりつせいかんするWMAソウル宣言せんげん[42]では、カタカナ表記ひょうきで「オートノミー」としている。このちがいは、ソウル宣言せんげんでは、オートノミーが医師いしについてのことだからである。患者かんじゃのオートノミーは自律じりつせい」とやくしながらも「医師いしのオートノミーはオートノミー」とカタカナ表記ひょうき翻訳ほんやくし、「オートノミー」のわけ意図いとてきことなるものにしているのである。

同様どうよう意図いとてきな「誤訳ごやく」はでも指摘してきされており、「WMA(世界せかい医師いしかい)のかんがえが日本にっぽん医療いりょうかい浸透しんとうしないのは、日本にっぽん医師いしかいの『あやまった認識にんしき』がそれをさまたげているからでしょう。日本にっぽん医師いしかいは『WMAのかんがえをかくしたい』という『意図いと』をっているようです」・・・「日本にっぽん医師いしかいわけでは『個々ここ医師いしのありかた』をべていることになります。これは『the medical profession』と『individual physicians』との区別くべつくしたための『誤訳ごやく』です。いちれいげましたが、このようなprofessionにかんする『誤訳ごやく』はWMAのほか宣言せんげんなどでも一貫いっかんしててきます。したがってこれは『意図いとてき誤訳ごやく』でしょう」[43]。つまり、日本にっぽん医師いしかいは、誤解ごかい誤訳ごやくではなく、意図いとがあって意図いとてきっている、とえる。

その自己じこ決定けっていけん[編集へんしゅう]

その様々さまざま用法ようほう[編集へんしゅう]

  • コンピューティングでは、オートノミーがた周辺しゅうへん機器ききは、コンピュータの電源でんげんった状態じょうたい使用しようできるもの。
  • 心理しんりがくにおける自己じこ決定けっていろんなかで、オートノミーは「オートノミーの支援しえんたいコントロール」、「オートノミー支援しえん社会しゃかいてき文脈ぶんみゃくがオートノミーな動機どうき健康けんこうてき発達はったつ、および最適さいてき機能きのう促進そくしんする傾向けいこうがあるという仮説かせつ」をす。
  • 数学すうがくてき解析かいせきでは、常微分じょうびぶん方程式ほうていしき時間じかん依存いぞんしなければ励系であるとわれる。
  • 言語げんごがくにおいて、独立どくりつ言語げんご(Autonomous language)は言語げんごから独立どくりつしているものであり、たとえば、標準ひょうじゅんてき多様たようせい文法ぶんぽうほん辞書じしょまたは文学ぶんがくなどをゆうする。
  • ロボット工学こうがくでは、「オートノミー」は制御せいぎょ自主じしゅせい意味いみする。この特徴とくちょうは、ロボット工学こうがく場合ばあいには、設計せっけいしゃとロボットとのあいだ関係かんけいにおいて、2しゃあいだ関係かんけい特性とくせいであることを意味いみする。自給自足じきゅうじそく適性てきせい学習がくしゅうまたは発達はったつ、および進化しんかは、エージェントのオートノミーをたかめるのです」とRolf Pfeiferはべている。
  • 自律じりつシステム自律じりつけい(autonomous system)参照さんしょう
  • 宇宙うちゅう飛行ひこうでは、オートノミーは地上ちじょう管制かんせいかんによる制御せいぎょなしで動作どうさしている有人ゆうじん任務にんむすこともある。
  • 経済けいざいがくでは、自治じち消費しょうひ所得しょとく水準すいじゅんがゼロのときの消費しょうひ支出ししゅつであり、支出ししゅつ所得しょとくたいしてオートノミーになる。
  • 政治せいじでは、自治じちてき領土りょうどとは、自決じけつけん主権しゅけんまたは独立どくりつ主権しゅけん )にたいする民族みんぞくてきまたは先住民せんじゅうみんぞく要求ようきゅう反対はんたいして領土りょうど完全かんぜんせい維持いじしたいがわくにす。
  • はん体制たいせい運動うんどうでは、autonomous spaceは、(政府せいふあいだ交流こうりゅうのための)政府せいふ社会しゃかいてき中心ちゅうしんとしての社交しゃこう空間くうかん自由じゆう空間くうかんのための別称べっしょう
  • 社会しゃかい心理しんりがくでは、オートノミーは、個人こじん達成たっせい自立じりつ孤独こどくこのむことに焦点しょうてんてることで特徴とくちょうづけられる性格せいかく特性とくせいであり、おも社会しゃかい指向しこうせい (sociotropy) の対義語たいぎごあつかわれる[44]
  • 自動じどう運転うんてんしゃでは、autonomous carは、制御せいぎょシステムが「自律じりつがた」であることが要件ようけんとなる。

はんオートノミー[編集へんしゅう]

セミオートノミー (接頭せっとうsemi / / "half"とわせた )は、部分ぶぶんてきまたは限定げんていてきなオートノミーしめします。相対そうたいてき用語ようごとして、それは通常つうじょう完全かんぜんオートノミーなエンティティまたはプロセスと比較ひかくして、実質じっしつてきにまたは機能きのうてき制限せいげんされている様々さまざまはんオートノミーのエンティティまたはプロセスに適用てきようされる。

じゅんオートノミー[編集へんしゅう]

クワシオートノミー(接頭せっとう quasi- /「類似るいじ」または「出現しゅつげん」のいた造語ぞうご)という用語ようごは、正式せいしき取得しゅとくまたは宣言せんげんされているが、機能きのうてき制限せいげんされているか制約せいやくされたオートノミーをあらわす。記述きじゅつてき用語ようごとして、それは通常つうじょう自律じりつてき正式せいしき指定していまたはラベル付らべるつけされているさまざまなじゅん自律じりつてきなエンティティまたはプロセスに適用てきようされるが、実際じっさいには機能きのうてき依存いぞんするか、のエンティティまたはプロセスによって影響えいきょうける。このような用語ようご使用しようれいは、じゅん自治じちてき政府せいふ組織そしき一般いっぱんてき名称めいしょうることができる。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Oliver Sensenちょ "Kant on Moral Autonomy" というほん(2012ねん)の15ページ、「"Kant argued that autonomy of the will is necessary presupposition of all morality. His idea of autonomy is abstract,fundational, normative, and a key to his defense of the rationality of moral commitment. In contemporary ethics philosophers often appeal to ideas of autonomy more specifically, for example, as a moral right to make one's own decisions or as a psychological ideal of independent thinking and rational self-control."」抜粋ばっすい要約ようやくすると「カントのオートノミーについてのかんがえは抽象ちゅうしょうてきで・・・。ただ、近代きんだい倫理りんりにおいては、哲学てつがくしゃたちはしばしばより具体ぐたいてきに・・・道徳どうとくてき権利けんりとして、自分じぶん自分じぶん決断けつだんくだ権利けんり、または独立どくりつした思考しこう精神せいしんてき理念りねん、そして合理ごうりてき自己じこ制御せいぎょとして・・・」

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]