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オートノミー (英 えい : Autonomy 、独 どく : Autonomie 、日 にち : 自律 じりつ 、中 なか : 自主權 じしゅけん )とは、元々 もともと 「自分 じぶん で自分 じぶん に自身 じしん の法 ほう を与 あた える者 もの 」という古代 こだい ギリシア語 ご に由来 ゆらい する概念 がいねん で、一般 いっぱん に、自主 じしゅ (性 せい )・自律 じりつ (性 せい )・主体 しゅたい (性 せい )・自治 じち ・自治 じち 権 けん ・自主権 じしゅけん ・自己 じこ 決定 けってい 権 けん などを意味 いみ し、政治 せいじ ・道徳 どうとく ・哲学 てつがく ・心理 しんり 学 がく ・医学 いがく ・宗教 しゅうきょう ・法 ほう ・人事 じんじ ・人権 じんけん など幅広 はばひろ い分野 ぶんや において、複数 ふくすう のそしてそれぞれ異 こと なる、または複 ふく 合 あい 的 てき な意味 いみ をもつ基礎 きそ 概念 がいねん である。
日本 にっぽん の医療 いりょう の分野 ぶんや では、「患者 かんじゃ の自主権 じしゅけん ・自己 じこ 決定 けってい 」の文脈 ぶんみゃく においてしばしばオートノミーを「自律 じりつ 性 せい 」と誤訳 ごやく した上 うえ で「患者 かんじゃ が自分 じぶん を律 りっ して自己 じこ 規制 きせい すること」などと「患者 かんじゃ の権利 けんり を否定 ひてい 」するような正 せい 反対 はんたい の意味 いみ で誤用 ごよう されている。さらに、日本 にっぽん 医師 いし 会 かい においては海外 かいがい 文書 ぶんしょ の翻訳 ほんやく 文 ぶん において「患者 かんじゃ のオートノミーは自律 じりつ 性 せい 」と訳 やく しながらも「医師 いし のオートノミーはオートノミー」とカタカナ表記 ひょうき で翻訳 ほんやく し、「オートノミー」の訳 わけ を意図 いと 的 てき に異 こと なるものにしている(後述 こうじゅつ )という現象 げんしょう も見受 みう けられているので、注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
オートノミーの由来 ゆらい は、古代 こだい ギリシア語 ご の、
α あるふぁ ὐτονομία, autonomia , from α あるふぁ ὐτόνομος, autonomos , from α あるふぁ ὐτ たう ο おみくろん - auto- "self" and νόμος nomos , "law"
つまり英語 えいご で表現 ひょうげん すると、
"one who gives oneself one's own law "
という意味 いみ の言葉 ことば から由来 ゆらい する。
日本語 にほんご に直訳 ちょくやく すると、
「自分 じぶん で自分 じぶん に自身 じしん の法 ほう を与 あた える者 もの 」
となる。
上記 じょうき 、古代 こだい ギリシア語 ご から派生 はせい した英単語 えいたんご 、オートノミー(Autonomy )の定義 ていぎ は、
"the capacity of a rational individual to make an informed, un-coerced decision "
であり、正確 せいかく さを重視 じゅうし して直訳 ちょくやく すると、
「合理 ごうり 的 てき な個 こ が、総合 そうごう 的 てき にすべての情報 じょうほう を与 あた えられた(得 え ている)状態 じょうたい で、他 た からの干渉 かんしょう を受 う けない自由 じゆう な意思 いし 決定 けってい をすることが可能 かのう なキャパシティー (可能 かのう な能力 のうりょく ・状態 じょうたい =権利 けんり ・権能 けんのう ) 」
となる。
派生 はせい 概念 がいねん と用語 ようご [ 編集 へんしゅう ]
オートノミーの日本語 にほんご 訳 やく として、日本 にっぽん において主 おも に用 もち いられる用語 ようご (と派生 はせい 概念 がいねん )のうち、代表 だいひょう 的 てき なものを以下 いか に要点 ようてん としてまとめる。
政治 せいじ ・社会 しゃかい 学 がく における[ 編集 へんしゅう ]
概念 がいねん として「自治 じち 」
具体 ぐたい として「自治体 じちたい 」、「自治 じち 区 く 」、「自治領 じちりょう 」、「自治 じち 行政 ぎょうせい 区画 くかく 」
権利 けんり として「自治 じち 権 けん 」、「自律 じりつ 権 けん 」(内部 ないぶ 事項 じこう については自主 じしゅ 的 てき に決定 けってい できる権能 けんのう )
法学 ほうがく ・医学 いがく における[ 編集 へんしゅう ]
概念 がいねん として「自主 じしゅ 」
具体 ぐたい として「自主 じしゅ 性 せい 」、「自己 じこ 決定 けってい 」
権利 けんり として「自主権 じしゅけん 」(例 れい :関税 かんぜい 自主権 じしゅけん )、「自決 じけつ 権 けん 」
個人 こじん の権利 けんり として「身体 しんたい 的 てき 自主権 じしゅけん 」、「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」
民族 みんぞく の権利 けんり として「民族 みんぞく 自決 じけつ 権 けん 」
概念 がいねん として「オートノミー 」
カント の言 い う、他者 たしゃ からの「自主 じしゅ 」と内 うち なる「自律 じりつ 」と理想 りそう としての「自立 じりつ 」から成 な る「オートノミー」
内心 ないしん の欲求 よっきゅう に対 たい する「自律 じりつ 心 しん 」
道徳 どうとく 的 てき 権利 けんり (Moral rights)として「人格 じんかく 権 けん 」、「内心 ないしん の自由 じゆう 」、「安 やす 詳 しょう 恭敬 きょうけい 」
概念 がいねん として「自立 じりつ 」
「自立 じりつ 」の対義語 たいぎご として「依存 いぞん 」
概念 がいねん として「自律 じりつ 」
発達 はったつ 心理 しんり 学 がく の、成長 せいちょう 期 き における「自律 じりつ 性 せい (「善悪 ぜんあく の判断 はんだん と自己 じこ 抑制 よくせい )」の発達 はったつ 過程 かてい 。
神権 しんけん に基 もと づく自由 じゆう の概念 がいねん からの宗教 しゅうきょう ・教会 きょうかい 自治 じち
「教会 きょうかい 自治 じち 権 けん 」、「自治 じち 教会 きょうかい 」、「教区 きょうく 管轄 かんかつ 権 けん 」
「職権 しょっけん 」
業務 ぎょうむ 上 じょう の役職 やくしょく 地位 ちい に与 あた えられた範囲 はんい で主体 しゅたい 的 てき に決断 けつだん を下 くだ せる権利 けんり ・職能 しょくのう
オートノミーは、自治体 じちたい などの、自治 じち 、自治 じち 権 けん 、(海外 かいがい )自治領 じちりょう 、「自治 じち 行政 ぎょうせい 区画 くかく (Autonomous administrative division)」などの訳 わけ であり、自治 じち ・自治体 じちたい ・自治 じち 権 けん を指 さ す。
知識 ちしき 社会 しゃかい 学 がく 一般 いっぱん におけるオートノミーのコンセプトは、オートノミーにおける境界 きょうかい などについての議論 ぎろん があり、その相対 そうたい 的 てき な意味 いみ 以上 いじょう の合意 ごうい が得 え られている段階 だんかい ではないとされている[1] 。
制度 せいど 的 てき オートノミー(自治 じち 制 せい )[ 編集 へんしゅう ]
制度 せいど 的 てき オートノミー(Institutional autonomy)は、議員 ぎいん としての権能 けんのう を持 も つものが公式 こうしき な目標 もくひょう を付与 ふよ することができる体制 たいせい を指 さ す(自治 じち 区 く など)。制度 せいど 的 てき 自治体 じちたい はそのリソースや計画 けいかく 、プログラム、サービスなどを提供 ていきょう するにあたっての責任 せきにん を負 お う[2] 。同時 どうじ にその社会 しゃかい 的 てき な立場 たちば による責任 せきにん なども負 お う。その自治体 じちたい にとっては自己 じこ 管理 かんり 体制 たいせい などのガバナンス体制 たいせい が必要 ひつよう となる。またリーダーシップや意思 いし 決定 けってい における責任 せきにん の分配 ぶんぱい などは、その資源 しげん の入手 にゅうしゅ に有効 ゆうこう なものとなる[3] 。
制度 せいど 的 てき オートノミーは、しばしば(自決 じけつ 権 けん ・「民族 みんぞく 自決 じけつ (self-determination)」)と同義語 どうぎご になり、多 おお くの政府 せいふ は、民族 みんぞく 統一 とういつ 主義 しゅぎ などによる混乱 こんらん を恐 おそ れる。しかしながら、オートノミーは民族 みんぞく 自決 じけつ などの問題 もんだい の解決 かいけつ 策 さく としてみなされるべきである。民族 みんぞく 自決 じけつ は独立 どくりつ への運動 うんどう であり、一方 いっぽう オートノミーは固有 こゆう の地域 ちいき ・グループを尊重 そんちょう しようとするものだからである。制度 せいど 的 てき オートノミーは、社会 しゃかい の中 なか において、マイノリティや少数 しょうすう 民族 みんぞく との衝突 しょうとつ や対立 たいりつ を解消 かいしょう することが出来 でき るものである。よりオートノミーを推進 すいしん することによって、中央 ちゅうおう 政府 せいふ との外交 がいこう 的 てき 関係 かんけい を築 きず く助 たす けとなるものである[4] 。
哲学 てつがく における「オートノミー」[ 編集 へんしゅう ]
オートノミーは、哲学 てつがく のさまざまな分野 ぶんや に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた える重要 じゅうよう な概念 がいねん となっている。形而上学 けいじじょうがく 的 てき 哲学 てつがく では、オートノミーの概念 がいねん は、自由 じゆう 意志 いし 、宿命 しゅくめい 論 ろん 、決定 けってい 論 ろん 、そして行為 こうい 主体性 しゅたいせい (英語 えいご 版 ばん ) (行為 こうい 者 しゃ の想定 そうてい )についての議論 ぎろん で扱 あつか われている。
倫理 りんり 学 がく においては、オートノミーは自分 じぶん 自身 じしん を客観 きゃっかん 的 てき な道徳 どうとく 法 ほう に従 したが わせることを指 さ す[5] 。
カントによる「オートノミー」 [ 編集 へんしゅう ]
イマヌエル・カント (1724-1804)は現代 げんだい 倫理 りんり に関 かん する3つのテーマによってオートノミー( ドイツ語 ご : Autonomie )を定義 ていぎ したものと現代 げんだい 倫理 りんり 学 がく の哲学 てつがく 者 しゃ 達 たち によって解釈 かいしゃく されている[注釈 ちゅうしゃく 1] 。第 だい 一 いち に、他者 たしゃ からの干渉 かんしょう を排除 はいじょ して自 みずか らの決定 けってい を下 くだ す権利 けんり としてのオートノミー(自主 じしゅ 性 せい ・自主権 じしゅけん ・自己 じこ 決定 けってい 権 けん )。第 だい 二 に に、自 みずか らの心 しん の独立 どくりつ 性 せい を通 とお してそして個人 こじん 的 てき な熟考 じゅっこう の後 のち にそのような決断 けつだん をする能力 のうりょく としてのオートノミー(自律 じりつ 性 せい )。第 だい 三 さん に、オートノミー(自立 じりつ 的 てき )に生活 せいかつ するための理想 りそう 的 てき な方法 ほうほう として。要約 ようやく すると、オートノミーは、自分 じぶん が所有 しょゆう する内 うち なる道徳 どうとく 的 てき な権利 けんり (Moral rights=内心 ないしん の道徳 どうとく 的 てき な権利 けんり =人格 じんかく 権 けん )、または日常 にちじょう 生活 せいかつ の中 なか で展開 てんかい する出来事 できごと に対 たい してある程度 ていど のコントロールまたはパワーを提供 ていきょう する自分 じぶん 自身 じしん のために考 かんが え、決定 けってい を下 くだ すために私 わたし たちが持 も つ能力 のうりょく とされる[6] 。カントによると、道徳 どうとく は、その道徳 どうとく 的 てき 欲求 よっきゅう が定 てい 言 げん 命 いのち 法 ほう で表現 ひょうげん され、オートノミーを前提 ぜんてい としたものであると主張 しゅちょう した。
「道徳 どうとく の形而上学 けいじじょうがく の基礎 きそ づけ 」、でカントはまた人格 じんかく と人間 にんげん の尊厳 そんげん の概念 がいねん を定義 ていぎ するためにオートノミーの概念 がいねん を適用 てきよう した。オートノミーは、合理 ごうり 性 せい と一緒 いっしょ に、意味 いみ のある生活 せいかつ のための2つの基準 きじゅん としてカントによって解釈 かいしゃく された[7] 。それはオートノミーがあるがゆえに、人間 にんげん の行動 こうどう は道徳 どうとく 的 てき に賞賛 しょうさん に値 あたい するか、または非難 ひなん に値 あたい するものとなる。植物 しょくぶつ や動物 どうぶつ などの非 ひ オートノミーな存在 そんざい は、その行動 こうどう が非 ひ オートノミー的 てき であるために非難 ひなん に値 あたい するものではなくなる[7] [8] 。
ニーチェによる「オートノミー」 [ 編集 へんしゅう ]
フリードリヒ・ニーチェ は、オートノミーと道徳 どうとく 的 てき な戦 たたか いについて書 か いている[9] 。この意味 いみ でのオートノミーは自由 じゆう な自己 じこ と呼 よ ばれ、自己 じこ 尊重 そんちょう や自己 じこ 愛 あい さえも含 ふく む自己 じこ のいくつかの側面 そくめん を伴 ともな う。これはカント ( 自尊心 じそんしん )とアリストテレス ( 自愛 じあい )の影響 えいきょう を受 う けていると解釈 かいしゃく することができる。ニーチェにとって、倫理 りんり 的 てき オートノミーを尊重 そんちょう することは、愛 あい (自己 じこ 愛 あい )と法 ほう (自尊心 じそんしん )との間 あいだ の対立 たいりつ を解消 かいしょう することといえる。ニーチェは自分 じぶん の人生 じんせい に責任 せきにん を持 も つことで自由 じゆう の感覚 かんかく を持 も つことを定義 ていぎ しているので、自由 じゆう と自己 じこ 責任 せきにん はオートノミーと強 つよ い関連 かんれん 性 せい を持 も つ[10] 。
ピアジェによる「オートノミー」 [ 編集 へんしゅう ]
スイス の哲学 てつがく 者 しゃ ジャン・ピアジェ (1896-1980)は、オートノミーは内 うち から来 き て、「自由 じゆう な決断 けつだん 」から生 しょう じるとした。それは本質 ほんしつ 的 てき な価値 かち があり、オートノミーの道徳 どうとく は受 う け入 い れられるだけでなく義務 ぎむ 的 てき である。社会 しゃかい 的 てき 交流 こうりゅう の試 こころ みが行 おこな われるとき、他者 たしゃ との共同 きょうどう 作業 さぎょう が行 おこな われた理由 りゆう に関係 かんけい なく、オートノミーがあることは相反 あいはん 的 てき 、理想 りそう 的 てき かつ自然 しぜん である。ピアジェにとって、オートノミーという用語 ようご は、ルールが自己 じこ 選択 せんたく 的 てき であるという考 かんが えを説明 せつめい するために使用 しよう する。従 したが うべきルールを守 まも るか守 まも らないかを選 えら ぶことで、私 わたし たちは自分 じぶん たちの行動 こうどう を決定 けってい するのである[11] 。
ピアジェは、子供 こども たちのゲーム中 ちゅう およびインタビューを通 とお して子供 こども たちの認知 にんち 発達 はったつ を分析 ぶんせき し、子供 こども たちの道徳 どうとく 的 てき 成熟 せいじゅく プロセスは2つのフェーズで行 おこな われると分類 ぶんるい した。
ルールは客観 きゃっかん 的 てき で不変 ふへん 。当局 とうきょく がそれを命 めい じており、例外 れいがい や議論 ぎろん に合 あ わないので、それらは文字通 もじどお りでなければならない。規則 きそく の根拠 こんきょ は優 すぐ れた権威 けんい (両親 りょうしん 、大人 おとな 、州 しゅう (県 けん )、国 くに )であり、いかなる場合 ばあい においても規則 きそく がそれらに課 か したまたはそれを満 み たした理由 りゆう を与 あた えるべきではない。提供 ていきょう された義務 ぎむ は、自分 じぶん から与 あた えられたものと考 かんが えられる。道徳 どうとく 的 てき 動機 どうき や感情 かんじょう は、人 ひと が正 ただ しいと信 しん じるものを通 とお して可能 かのう 。
規則 きそく は合意 ごうい の産物 さんぶつ であり、したがって変更 へんこう 可能 かのう である。それらは解釈 かいしゃく の対象 たいしょう となることがあり、例外 れいがい や異議 いぎ の対象 たいしょう となることがある。
コールバーグによる「オートノミー」 [ 編集 へんしゅう ]
アメリカの心理 しんり 学者 がくしゃ ローレンス・コールバーグ (1927-1987)はピアジェの研究 けんきゅう を続 つづ け、文化 ぶんか の多様 たよう 性 せい を排除 はいじょ するために様々 さまざま な緯度 いど から情報 じょうほう を収集 しゅうしゅう し、道徳 どうとく 的 てき な推論 すいろん に焦点 しょうてん を当 あ てており、行動 こうどう やその結果 けっか にはそれほど重点 じゅうてん はおいていない。「道徳 どうとく 的 てき ジレンマ」を経 へ た青年 せいねん 期 き および10代の少年 しょうねん たちへのインタビューを通 つう じて、コールバーグはさらに道徳 どうとく 的 てき 発達 はったつ の段階 だんかい を発展 はってん させた。彼 かれ らが提供 ていきょう した答 こた えは2つのうちの1つであることが多 おお いことがあきらかになった。彼 かれ らは与 あた えられた法律 ほうりつ 、権威 けんい 者 しゃ 、あるいはある種 しゅ の規則 きそく に従 したが うことを選 えら ぶか、あるいは人間 にんげん の必要 ひつよう に役立 やくだ つような行動 こうどう をとることを選 えら びつつ、これらの規則 きそく や命令 めいれい を破 やぶ っていた。
最 もっと も人気 にんき のある道徳 どうとく 的 てき ジレンマは、特別 とくべつ な種類 しゅるい の癌 がん のために死 し に近 ちか づいている男性 だんせい の妻 つま を巻 ま き込 こ んだものである。その薬 くすり は自分 じぶん で入手 にゅうしゅ するには高 たか すぎるため、そしてその薬 くすり を発見 はっけん して販売 はんばい した薬剤師 やくざいし は思 おも いやりがなく、ただ利益 りえき が欲 ほ しいだけだとして、それを盗 ぬす みんだ。コールバーグは、これらの思春期 ししゅんき および10代の少年 しょうねん (10歳 さい 、13歳 さい 、16歳 さい )に、夫 おっと がそうすべきかどうかを尋 たず ねる。すると、彼 かれ らの決定 けってい に応 おう じて、彼 かれ らはより深 ふか い論理 ろんり 的 てき 根拠 こんきょ と考 かんが えについてコールバーグに答 こた えを提供 ていきょう し、それらが重要 じゅうよう であると考 かんが えるものを決定 けってい しました。そしてこの値 ね が彼 かれ らの道徳 どうとく 的 てき 推論 すいろん の「構造 こうぞう 」を決定 けってい した[12] 。
コールバーグは道徳 どうとく の3段階 だんかい を提示 ていじ し、それぞれの段階 だんかい は2つのレベルに分 わ けられる。それぞれ漸進 ぜんしん 的 てき なもので、つまり、より高 たか いレベルはより大 おお きなオートノミーを示 しめ す。
レベル1: 倫理 りんり 的 てき /前 ぜん 慣習 かんしゅう 的 てき な道徳 どうとく 性 せい :快楽 かいらく 主義 しゅぎ 的 てき または肉体 にくたい 的 てき な結果 けっか に応 おう じて。
[ステージ0:自己 じこ 中心 ちゅうしん 的 てき 判断 はんだん :ルールや義務 ぎむ の概念 がいねん の欠如 けつじょ など、個々 ここ の願 ねが いから独立 どくりつ した道徳 どうとく 的 てき 概念 がいねん はない。]
ステージ1:罰 ばっ - 服従 ふくじゅう の方向 ほうこう 性 せい :この規則 きそく は罰 ばち を避 さ けるためにのみ守 まも られています。肉体 にくたい 的 てき な結果 けっか が善 よ または悪 あく を決定 けってい し、力 ちから は、人間 にんげん 的 てき または道徳 どうとく 的 てき 価値 かち 、またはこれらの結果 けっか の意味 いみ を尊重 そんちょう することなく、疑 うたが いもなく延期 えんき されます。心配 しんぱい は自己 じこ のため。
ステージ2:道具 どうぐ - 相対 そうたい 主義 しゅぎ 者 しゃ のオリエンテーション:道徳 どうとく は個人 こじん 主義 しゅぎ 的 てき で自己 じこ 中心 ちゅうしん 的 てき です。利益 りえき の交換 こうかん があるが、常 つね に個人 こじん のニーズを満 み たすという観点 かんてん から。公平 こうへい 性 せい と相反 あいはん 性 せい の要素 ようそ が存在 そんざい するが、これらは感謝 かんしゃ や正義 せいぎ の経験 けいけん ではなく、実用 じつよう 的 てき な方法 ほうほう で解釈 かいしゃく される。本質 ほんしつ 的 てき には自己 じこ 中心 ちゅうしん 的 てき だが、他人 たにん の視点 してん から物事 ものごと を見 み る能力 のうりょく を取 と り入 い れ始 はじ めている。
レベル2: 慣習 かんしゅう 的 てき な道徳 どうとく 性 せい /役割 やくわり の適合 てきごう 性 せい :規則 きそく は社会 しゃかい の定 さだ められた慣習 かんしゅう に従 したが って守 まも られる。
ステージ3:いい子 こ :オリエンテーション:モラルはステレオタイプの社会 しゃかい 的 てき 役割 やくわり に従 したが って考 かんが えられる。直接 ちょくせつ のグループの承認 しょうにん を得 え るための規則 きそく に従 したが い、正 ただ しい行動 こうどう は他人 たにん を喜 よろこ ばせるか、または自分 じぶん が良 よ い人 ひと であるという印象 いんしょう を与 あた えることに基 もと づいて判断 はんだん される。行動 こうどう は意図 いと に従 したが って評価 ひょうか される。
ステージ4:法 ほう と秩序 ちつじょ の志向 しこう :道徳 どうとく は制度 せいど の権威 けんい 、あるいは社会 しゃかい 秩序 ちつじょ の必要 ひつよう 性 せい に従 したが って判断 はんだん される。法律 ほうりつ と秩序 ちつじょ が優先 ゆうせん される。
レベル3: 慣習 かんしゅう 後 ご の道徳 どうとく 性 せい /自己 じこ 容認 ようにん された道徳 どうとく 的 てき 原則 げんそく :道徳 どうとく 的 てき 行動 こうどう の基準 きじゅん は内部 ないぶ 化 か されている。道徳 どうとく は、慣習 かんしゅう 的 てき に確立 かくりつ された社会 しゃかい の中 なか の個人 こじん の価値 かち の認識 にんしき に関 かん する意識 いしき 的 てき な反射 はんしゃ から導 みちび き出 だ される合理 ごうり 的 てき な判断 はんだん によって支配 しはい される。
ステージ5:社会 しゃかい 契約 けいやく の方向 ほうこう 性 せい :基本 きほん 的 てき な普遍 ふへん 的 てき な価値 かち として合法 ごうほう 的 てき に確立 かくりつ されている個人 こじん の権利 けんり と基準 きじゅん がある。規則 きそく は手続 てつづ きを通 とお して合意 ごうい され、社会 しゃかい はより大 おお きな恩恵 おんけい を受 う けるために批判 ひはん 的 てき 検討 けんとう を通 とお して合意 ごうい に達 たっ する。
ステージ6:普遍 ふへん 的 てき な原則 げんそく 志向 しこう :抽象 ちゅうしょう 的 てき な倫理 りんり 的 てき 原則 げんそく は、社会 しゃかい 的 てき な規則 きそく や慣習 かんしゅう に加 くわ えて、個人 こじん 的 てき なレベルでも守 まも られる。正義 まさよし 、相互 そうご 主義 しゅぎ 、平等 びょうどう 、そして人間 にんげん の尊厳 そんげん という普遍 ふへん 的 てき な原則 げんそく は内在 ないざい 化 か しており、もしこれらの理想 りそう に従 したが わなければ、罪悪 ざいあく 感 かん や自責 じせき の念 ねん がもたらされる。
子供 こども の発達 はったつ 過程 かてい における「オートノミー」[ 編集 へんしゅう ]
小児 しょうに 期 き および思春期 ししゅんき ・青年 せいねん 期 き におけるオートノミーは、独立 どくりつ した自我 じが によるオートノミーな個人 こじん として自分 じぶん 自身 じしん の感覚 かんかく を獲得 かくとく (self-governing)しようと努 つと める発達 はったつ 過程 かてい [13] 。また1〜3歳 さい 期 き の、エリクソンとフロイトの発達 はったつ の第 だい 2段階 だんかい の間 あいだ に発生 はっせい する心理 しんり 社会 しゃかい 的 てき 危機 きき はオートノミーと恥 は じと疑 うたが いのことである[14] 。この段階 だんかい で起 お こる重大 じゅうだい な出来事 できごと は子供 こども たちがオートノミーであることを学 まな ばなければならないということであり、そしてそうしないことは子供 こども が彼 かれ ら自身 じしん の能力 のうりょく を疑 うたが って恥 は ずかしいと感 かん じるかもしれないということ[14] 。子供 こども が自立 じりつ すると、子供 こども は新 あたら しいスキルを探求 たんきゅう し習得 しゅうとく することができる。オートノミーには2つの重要 じゅうよう な側面 そくめん がある。つまり、親 おや よりも自分 じぶん 自身 じしん に頼 たよ る感情 かんじょう 的 てき な要素 ようそ と、判断 はんだん を使用 しよう して独立 どくりつ して意思 いし 決定 けってい を行 おこな う行動 こうどう 的 てき な要素 ようそ がある[13] 。子育 こそだ てのスタイルは、子供 こども の自主 じしゅ 性 せい の発達 はったつ に影響 えいきょう を与 あた える。権威 けんい のある子育 こそだ ては最 もっと も成功 せいこう したアプローチであり、両親 りょうしん は彼 かれ らの年齢 ねんれい と能力 のうりょく にふさわしい自治 じち 権 けん 付与 ふよ に従事 じゅうじ する[13] 。思春期 ししゅんき の自治 じち は、アイデンティティの探求 たんきゅう と密接 みっせつ に関係 かんけい している[13] 。青年 せいねん 期 き には、親 おや と仲間 なかま が影響 えいきょう 力 りょく のある代理人 だいりにん として行動 こうどう する。思春期 ししゅんき 初期 しょき における同僚 どうりょう の影響 えいきょう 力 りょく は、青少年 せいしょうねん が成長 せいちょう するにつれて親 おや や同僚 どうりょう の影響 えいきょう を受 う けにくくなるため、思春期 ししゅんき のプロセスが徐々 じょじょ に自主 じしゅ 的 てき になるのに役立 やくだ つ[14] 。青年 せいねん 期 き において最 もっと も重要 じゅうよう な発達 はったつ 課題 かだい は、健康 けんこう 的 てき な自主 じしゅ 意識 いしき を発達 はったつ させることとなる[14] 。
宗教 しゅうきょう における「自治 じち 」・「教区 きょうく 管轄 かんかつ 権 けん 」[ 編集 へんしゅう ]
キリスト教 きりすときょう では、オートノミーはさまざまなレベルの教会 きょうかい 運営 うんえい における部分 ぶぶん 的 てき な自治 じち を意味 いみ する。キリスト教 きょう の歴史 れきし において、オートノミーには2つの基本 きほん 的 てき なタイプがあった。いくつかの重要 じゅうよう な小 しょう 教区 きょうく や修道院 しゅうどういん には「教区 きょうく 管轄 かんかつ 権 けん 」といった、特別 とくべつ な自治 じち 権 けん と特権 とっけん が与 あた えられ、最 もっと も有名 ゆうめい な修道院 しゅうどういん 自治 じち の例 れい はギリシャ のアトス山 さん の有名 ゆうめい な東方 とうほう 正教会 せいきょうかい の修道院 しゅうどういん コミュニティである。一方 いっぽう で、教会 きょうかい 全体 ぜんたい の行政 ぎょうせい 区 く の行政 ぎょうせい 自治 じち には、歴史 れきし を通 つう じて様々 さまざま な程度 ていど の内部 ないぶ 自治 じち が含 ふく まれてきた。
サルトル はデカルト神 しん が完全 かんぜん なる自由 じゆう でオートノミー的 てき であるという概念 がいねん を提唱 ていしょう している。神 かみ は本質 ほんしつ 、永遠 えいえん の真理 しんり そして神 かみ の意志 いし の創造 そうぞう 者 しゃ である神 かみ と共 とも にある存在 そんざい が本質 ほんしつ よりも優先 ゆうせん されると述 の べ、この純粋 じゅんすい な神 かみ の自由 じゆう は、人間 にんげん が既存 きそん の考 かんが えや価値 かち 観 かん にとらわれるべきではない、という点 てん で、人間 にんげん の自由 じゆう と教会 きょうかい のオートノミー(自治 じち ・信教 しんきょう の自由 じゆう )に関連 かんれん づけられている[15] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では、連邦 れんぽう 政府 せいふ による、国立 こくりつ 教会 きょうかい の建設 けんせつ を制限 せいげん されている。これは、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう 修正 しゅうせい 第 だい 1条 じょう が、自分 じぶん の信念 しんねん に従 したが って信仰 しんこう を崇拝 すうはい する自由 じゆう を人々 ひとびと が認 みと めたことによるものである。例 たと えば、アメリカ政府 せいふ は、教会 きょうかい の政治 せいじ への歴史 れきし 的 てき 影響 えいきょう と公衆 こうしゅう への彼 かれ らの権威 けんい のために、彼 かれ らの「権威 けんい の範囲 はんい 」から教会 きょうかい を取 と り除 のぞ いている[16] 。しかし、これが衰退 すいたい の始 はじ まりとなる。アメリカのプロテスタント教会 きょうかい は、学校 がっこう 、病院 びょういん 、孤児 こじ 院 いん 、大学 だいがく 、雑誌 ざっし などの設立 せつりつ を組織 そしき した19世紀 せいき のアメリカ文化 ぶんか に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えたものだった[17] 。しかしこれは政教 せいきょう 分離 ぶんり 原則 げんそく という有名 ゆうめい で、よく誤解 ごかい される言葉 ことば をもたらしました。これで教会 きょうかい は州 しゅう からの立法 りっぽう 上 じょう および財政 ざいせい 上 じょう の支援 しえん を失 うしな うことになった。
戦後 せんご 、帰還 きかん した兵士 へいし たち、そのベビーブームにより一時 いちじ 復興 ふっこう の兆 きざ しがあったものの、これらの信者 しんじゃ は彼 かれ らの両親 りょうしん と同 おな じ信念 しんねん を持 も ってはおらず、1960年代 ねんだい の政治 せいじ 的 てき 、そして宗教 しゅうきょう 的 てき な変革 へんかく をもたらしすことになった。この1960年代 ねんだい に、宗教 しゅうきょう 的 てき および文化 ぶんか 的 てき な中間 ちゅうかん の崩壊 ほうかい は、3番目 ばんめ の不安定 ふあんてい 化 か をもたらした[18] 。宗教 しゅうきょう は個人 こじん にとってより重要 じゅうよう でなくなり、共同 きょうどう 体 たい コミュニティにとってもそれほど重要 じゅうよう ではなくなっていった。これらの変革 へんかく からもたらされた変化 へんか は、構造 こうぞう 上 じょう の制約 せいやく がないために個人 こじん の自主 じしゅ 性 せい を著 いちじる しく高 たか め、彼 かれ らに選択 せんたく の自由 じゆう を与 あた えることになった。この概念 がいねん は「新 あたら しい自主 じしゅ 主義 しゅぎ 」 [18] として知 し られており、そこでは個人 こじん がどのように宗教 しゅうきょう 的 てき であるかについての自由 じゆう な選択 せんたく と宗教 しゅうきょう 的 てき であるかどうかの自由 じゆう な選択 せんたく を与 あた えるものである。
医学 いがく における「自主権 じしゅけん 」と「自己 じこ 決定 けってい 権 けん (身体 しんたい 的 てき 自主権 じしゅけん )」[ 編集 へんしゅう ]
医学 いがく 的 まと には、患者 かんじゃ の個人 こじん 的 てき な自主 じしゅ 性 せい ・自己 じこ 決定 けってい 権 けん (オートノミー)を尊重 そんちょう することは、医学 いがく における多 おお くの基本 きほん 的 てき な倫理 りんり 原則 げんそく (医療 いりょう 倫理 りんり 、生命 せいめい 倫理 りんり 、研究 けんきゅう 倫理 りんり を参照 さんしょう )の1つとされている[19] 。自主 じしゅ (オートノミー)とは人 ひと が自分 じぶん で自由 じゆう な意思 いし 決定 けってい をすることができるべき、というものである。この自己 じこ 決定 けってい 権 けん (オートノミー)を尊重 そんちょう することは、インフォームド・コンセント とシェアード・ディシジョン・メイキング の中心 ちゅうしん 的 てき なコンセプトである。しかしながら、今日 きょう の医学 いがく の実践 じっせん において不可欠 ふかけつ であると考 かんが えられてはいるものの、この考 かんが え方 かた は過去 かこ 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご の数 すう 十 じゅう 年 ねん ほどの間 あいだ に発展 はってん したものである。トム・ビーチャム (英語 えいご 版 ばん ) とジェイムズ・チルドレス (英語 えいご 版 ばん ) は、「Biomedical ethicsの諸 しょ 原理 げんり (Principles of biomedical ethics 1979)」(現 げん 「生命 せいめい 医学 いがく 倫理 りんり 」)において、「4つの原則 げんそく 」
患者 かんじゃ の自主 じしゅ 尊重 そんちょう 原則 げんそく (respect for a patient's personal autonomy) - 個人 こじん として尊重 そんちょう し、その自己 じこ 決定 けってい 権 けん を尊重 そんちょう する。患者 かんじゃ は自分 じぶん の治療 ちりょう を拒否 きょひ または選択 せんたく する権利 けんり がある。
与 あずか 益 えき 原則 げんそく (善行 ぜんこう )(beneficence) - 医療 いりょう 者 しゃ は患者 かんじゃ の最大 さいだい の利益 りえき のために行動 こうどう すべきである。
無 む 加害 かがい 原則 げんそく (無 む 危害 きがい )(non-maleficence)- 害悪 がいあく を加 くわ えない。または、"実用 じつよう 的 てき には" - 害 がい よりも善 ぜん を促進 そくしん する。
公平 こうへい ・正義 せいぎ の原則 げんそく (justice/equality)- 乏 とぼ しい健康 けんこう 資源 しげん の分配 ぶんぱい 、および誰 だれ がどの治療 ちりょう を受 う けるかの決定 けってい に関 かん する公平 こうへい 原則 げんそく 。
を提唱 ていしょう した。
その本 ほん では、ナチスドイツ後 ご の、ニュルンベルク裁判 さいばん は(T4作戦 さくせん ほか)人体 じんたい 実験 じっけん (非 ひ 倫理 りんり 的 てき な人体 じんたい 実験 じっけん )の被験者 ひけんしゃ の身体 しんたい 的 てき インテグリティ と個人 こじん 的 てき 自主権 じしゅけん (オートノミー)を侵害 しんがい した恐 おそ ろしく搾取 さくしゅ 的 てき な医学 いがく 的 てき 「ナチス・ドイツの人体 じんたい 実験 じっけん 」の詳細 しょうさい を説明 せつめい している[20] 。これらの事件 じけん は、医学 いがく 研究 けんきゅう への自発 じはつ 的 てき 参加 さんか の重要 じゅうよう 性 せい を強調 きょうちょう したニュルンベルク綱領 こうりょう のような医学 いがく 研究 けんきゅう における保障 ほしょう 措置 そち の要求 ようきゅう を促 うなが すものとなった。ニュルンベルク綱領 こうりょう は、研究 けんきゅう 倫理 りんり に関 かん する現在 げんざい の多 おお くの文書 ぶんしょ (ヘルシンキ宣言 せんげん 、リスボン宣言 せんげん 、ベルモント・レポート 、等々 とうとう )の前提 ぜんてい となっていると考 かんが えられるようになった[21] 。
患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい の尊重 そんちょう を強調 きょうちょう する動 うご きは、医療 いりょう において自主 じしゅ 性 せい が損 そこ なわれやすく、構造 こうぞう 的 てき に、患者 かんじゃ の脆弱 ぜいじゃく 性 せい が生 う まれる事 こと を指摘 してき された事 こと から生 しょう じたものである。そして、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 尊重 そんちょう は医療 いりょう に組 く み込 こ まれるようになり、患者 かんじゃ は受 う ける医療 いりょう サービスについて個人 こじん 的 てき な決定 けってい を下 くだ すことができるようになっていった[22] 。ただ、自主 じしゅ 性 せい にはいくつかの側面 そくめん と、医療 いりょう 運営 うんえい に影響 えいきょう を与 あた える課題 かだい が残 のこ されている。患者 かんじゃ が扱 あつか われる方法 ほうほう は、患者 かんじゃ の主体性 しゅたいせい ・自主 じしゅ 性 せい を弱体 じゃくたい 化 か させる可能 かのう 性 せい があり、このため、患者 かんじゃ とのコミュニケーションが非常 ひじょう に重要 じゅうよう なものとなる。患者 かんじゃ と医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ との間 あいだ の良好 りょうこう な関係 かんけい は、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい が尊重 そんちょう されることを確実 かくじつ にするために、明確 めいかく に定義 ていぎ され、指針 ししん などの文書 ぶんしょ かを図 はか る必要 ひつよう がある[23] 。人間 にんげん は人生 じんせい の他 ほか の状況 じょうきょう と同 おな じように、患者 かんじゃ としても他 た の人 ひと の管理 かんり 下 か に置 お かれることを本来 ほんらい は望 のぞ まないのです。
患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい は研究 けんきゅう の文脈 ぶんみゃく においてのみ適用 てきよう されるわけではない。医療 いりょう を受 う ける患者 かんじゃ は、医師 いし に支配 しはい されるのではなく、自主 じしゅ 性 せい を尊重 そんちょう して治療 ちりょう を受 う ける権利 けんり を持 も っている。これを父権 ふけん 主義 しゅぎ (パターナリズム)の問題 もんだい と呼 よ ぶ。父権 ふけん 主義 しゅぎ は患者 かんじゃ にとって全体 ぜんたい 的 てき に良 よ いものであることを意図 いと してはいるものの、患者 かんじゃ の自主 じしゅ を大 おお いに、容易 ようい に妨 さまた げることがある[24] 。そのため、確立 かくりつ された「治療 ちりょう 的 てき 関係 かんけい (英語 えいご 版 ばん ) (Therapeutic relationship)」を通 とお して、患者 かんじゃ と医師 いし の間 あいだ の思慮 しりょ 深 ふか い対話 たいわ を通 つう じたコミュニケーションが、患者 かんじゃ が意思 いし 決定 けってい への参加 さんか 者 しゃ とし、より良 よ い結果 けっか をもたらすもとなる。
自主 じしゅ 性 せい (オートノミー)にはさまざまな定義 ていぎ があり、その多 おお くは社会 しゃかい における個人 こじん の文脈 ぶんみゃく に置 お いている。また、「関係 かんけい 自主 じしゅ 性 せい (relational autonomy)」は、人 ひと は他人 たにん との関係 かんけい を通 とお して定義 ていぎ されることを示唆 しさ するものです。また、「支持 しじ された自主 じしゅ 性 せい (supported autonomy)」 [25] は、特定 とくてい の状況 じょうきょう において長期 ちょうき 的 てき に自主 じしゅ 性 せい を守 まも るために一時 いちじ 的 てき に妥協 だきょう すべきことがあることも示唆 しさ している。他 た の定義 ていぎ では、その人 ひと の権利 けんり がいかなる状況 じょうきょう 下 か でも妥協 だきょう されるべきではない封 ふう じ込 こ められたそして自給自足 じきゅうじそく 的 てき な存在 そんざい としてその人 ひと をイメージするものなどである[26] 。
現代 げんだい の医療 いりょう がより大 おお きな患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい に移行 いこう するべきか、それとも伝統 でんとう 的 てき な父権 ふけん 主義 しゅぎ 的 てき (パターナリスティック) なアプローチを固守 こしゅ べきかについても、異 こと なる見解 けんかい が存在 そんざい する。例 たと えば、現在 げんざい 行 おこな われている患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい 尊重 そんちょう は、治療 ちりょう における誤解 ごかい や文化 ぶんか の違 ちが いといった欠陥 けっかん に悩 なや まされているということ、そして専門 せんもん 知識 ちしき を持 も つ医療 いりょう 専門 せんもん 家 か は、父権 ふけん 主義 しゅぎ に基 もと づくべきである、とする医療 いりょう 者 しゃ 側 がわ からの議論 ぎろん [27] などである。他方 たほう 、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい を改善 かいぜん させていくためには、患者 かんじゃ と医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ との間 あいだ の関係 かんけい 理解 りかい を増加 ぞうか させていく必要 ひつよう がある[28] 、というアプローチも提示 ていじ されている。
トム・ビーチャム (英語 えいご 版 ばん ) とジェイムズ・チルドレス (英語 えいご 版 ばん ) はインフォームド・コンセント の7つの要素 ようそ として、しきい値 ち の要素 ようそ (能力 のうりょく と自発 じはつ 性 せい )、情報 じょうほう の要素 ようそ (開示 かいじ 、推奨 すいしょう 、理解 りかい )と同意 どうい の要素 ようそ (決定 けってい と承認 しょうにん )を提示 ていじ した[29] 。ただ、ハリー・フランクフルトのような何人 なんにん かの哲学 てつがく 者 しゃ はビーチャムとチルドレスの基準 きじゅん は不十分 ふじゅうぶん で、意図 いと 的 てき に行動 こうどう する上 じょう で、自己 じこ の欲求 よっきゅう について高次 こうじ の価値 かち 観 かん を形成 けいせい する能力 のうりょく を行使 こうし する場合 ばあい においてのみ、その行動 こうどう は自主 じしゅ 的 てき (オートノミー)なものであると考 かんが えることができると主張 しゅちょう している[30] 。
特定 とくてい の特殊 とくしゅ な状況 じょうきょう では、政府 せいふ は、人 ひと の命 いのち と幸福 こうふく を維持 いじ するために、身体 しんたい 的 てき インテグリティ を保護 ほご する権利 けんり を一時 いちじ 的 てき に無効 むこう にする権利 けんり を有 ゆう する場合 ばあい がある。このような制度 せいど は、「支持 しじ された自主 じしゅ 性 せい (supported autonomy)」の原理 げんり を用 もち いて説明 せつめい することができる[25] 。一 いち 例 れい として、メンタルヘルスにおけるユニークな状況 じょうきょう を記述 きじゅつ するために開発 かいはつ された概念 がいねん (例 れい としては、強制 きょうせい 摂食 せっしょく で死亡 しぼう 者 しゃ の摂食 せっしょく 障害 しょうがい の拒 こばめ 食 しょく 症 しょう 、または一時 いちじ 的 てき な治療 ちりょう を精神病 せいしんびょう 性 せい 障害 しょうがい のある人 ひと の抗 こう 精神病 せいしんびょう 薬 やく による治療 ちりょう 、物議 ぶつぎ を醸 かも す場合 ばあい もあるが、「支持 しじ された自主 じしゅ 性 せい (supported autonomy)」の原則 げんそく は、市民 しみん の命 いのち と自由 じゆう を守 まも るための政府 せいふ の役割 やくわり と一致 いっち している。Terrence F. Ackerman はこれらの状況 じょうきょう での問題 もんだい を強調 きょうちょう し、医師 いし または政府 せいふ がこの一連 いちれん の行動 こうどう をとることによって、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 性 せい に対 たい する病気 びょうき の制約 せいやく 的 てき 効果 こうか として価値 かち の矛盾 むじゅん を誤 あやま って解釈 かいしゃく する危険 きけん を冒 おか すと主張 しゅちょう している[31] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく においては、1960年代 ねんだい 以来 いらい 、医者 いしゃ が医学部 いがくぶ にいる間 あいだ に医師 いし が生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく コースを受講 じゅこう するという要件 ようけん を含 ふく む、患者 かんじゃ の自主 じしゅ を尊重 そんちょう する意識 いしき を高 たか める試 こころ みがなされてきた[32] 。しかしながら、患者 かんじゃ の自主 じしゅ 尊重 そんちょう を促進 そくしん することへの大 だい 規模 きぼ な取 と り組 く みにもかかわらず、先進 せんしん 国 こく における医学 いがく に対 たい する国民 こくみん の不信 ふしん は残 のこ ったままである[33] 。
日本 にっぽん における「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」[ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん では、法学 ほうがく 者 しゃ 唄 うた 孝一 こういち の1965年 ねん の論文 ろんぶん (「治療 ちりょう 行為 こうい における患者 かんじゃ の承諾 しょうだく と医師 いし の説明 せつめい 」『契約 けいやく 法大 ほうだい 系 けい 』補 ほ 巻 まき 、1965年 ねん 2月 がつ 『医事 いじ 法学 ほうがく への歩 あゆ み』、1970年 ねん 「医事 いじ 法 ほう の底 そこ にあるもの」再 さい 録 ろく )の中 なか で、ドイツ語 ご のPersonale Selbstbestimmung の訳語 やくご として患者 かんじゃ の「個人 こじん の自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」が使 つか われているという。それと同 どう 時期 じき に、欧米 おうべい での患者 かんじゃ の権利 けんり のための運動 うんどう が盛 さか んになり、そこで主張 しゅちょう された英語 えいご の Patient Autonomy が「患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」と訳 やく されたようになった[34] という。当時 とうじ より、英語 えいご での self-determination は「民族 みんぞく 自決 じけつ 」(運動 うんどう )を指 さ していた。
その後 ご 、世界 せかい 医師 いし 会 かい のリスボン宣言 せんげん でも「患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい の権利 けんり 」が謳 うた われた。ただし、1995年 ねん 「リスボン宣言 せんげん バリ総会 そうかい 改訂 かいてい 版 ばん 」の採択 さいたく において、日本 にっぽん 医師 いし 会 かい は唯一 ゆいいつ 棄権 きけん している[35] 。
日本 にっぽん 医師 いし 会 かい 生命 せいめい 倫理 りんり 懇談 こんだん 会 かい はその間 あいだ 、インフォームド・コンセント を元 もと にした、1990年 ねん に「説明 せつめい と同意 どうい 」と表現 ひょうげん する患者 かんじゃ の自己 じこ 決定 けってい 権 けん を保障 ほしょう するシステムあるいは一連 いちれん のプロセスの概念 がいねん を示 しめ した。1997年 ねん に医療 いりょう 法 ほう が改正 かいせい され「説明 せつめい と同意 どうい 」を行 おこな う義務 ぎむ が、初 はじ めて法律 ほうりつ として明文化 めいぶんか されることになった[36] 。これに対 たい し、日弁連 にちべんれん (日本 にっぽん 弁護士 べんごし 連合 れんごう 会 かい )は2011年 ねん 10月 がつ 6日 にち 第 だい 54回 かい 人権 じんけん 擁護 ようご 大会 たいかい の声明 せいめい において、「我 わ が国 くに には、このような基本 きほん 的 てき 人権 じんけん である患者 かんじゃ の権利 けんり を定 さだ めた法律 ほうりつ がない」「日本 にっぽん 医師 いし 会 かい 生命 せいめい 倫理 りんり 懇談 こんだん 会 かい による1990年 ねん の『説明 せつめい と同意 どうい 』についての報告 ほうこく も、こうした流 なが れを受 う けたものではあるが、『説明 せつめい と同意 どうい 』という訳語 やくご は、インフォームド・コンセント の理念 りねん を正 まさ しく伝 つた えず、むしろ従来 じゅうらい 型 がた のパターナリズム を温存 おんぞん させるものである」と批判 ひはん した[37] 。
日本 にっぽん における「"自律 じりつ "尊重 そんちょう 原則 げんそく 」[ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん の一部 いちぶ では(単純 たんじゅん に、自律 じりつ 神経 しんけい から連想 れんそう して誤訳 ごやく してしまっただけの可能 かのう 性 せい もあるが)、これを定義 ていぎ 通 どお りの「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」または「自主 じしゅ 」でもなく、「自律 じりつ 」または「自律 じりつ 性 せい 」という文脈 ぶんみゃく 上 じょう とくに違和感 いわかん のある日本語 にほんご 訳 やく を採用 さいよう する場合 ばあい がある。また、その根拠 こんきょ を、元 もと の古 こ ギリシャ語 ご を原義 げんぎ とする意味合 いみあ いによらず、カントがその道徳 どうとく 論 ろん で用 もち いたオートノミーに求 もと めて説明 せつめい する試 こころ みが見 み られている[38] [39] 。その結果 けっか として「自分 じぶん の行為 こうい を主体 しゅたい 的 てき に規制 きせい すること。外部 がいぶ からの支配 しはい や制御 せいぎょ から脱 だっ して、自身 じしん の立 た てた規範 きはん に従 したが って行動 こうどう すること」という理解 りかい [38] に繋 つな がってしまっているのである。(本来 ほんらい は逆 ぎゃく で「患者 かんじゃ は常 つね に自分 じぶん の治療 ちりょう を選択 せんたく する自由 じゆう を持 も つべき」という定義 ていぎ )
しかしながら、ここ(「医療 いりょう 倫理 りんり の4原則 げんそく 」や生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく #原則 げんそく )におけるオートノミーをカントの意味合 いみあ いに求 もと める根拠 こんきょ は存在 そんざい せず、そもそもカント は道徳 どうとく において、オートノミーを3つのテーマによって定義 ていぎ していると現代 げんだい 倫理 りんり では一般 いっぱん に解釈 かいしゃく [注釈 ちゅうしゃく 1] されている。第 だい 一 いち に、他者 たしゃ からの干渉 かんしょう を排除 はいじょ して自 みずか らの決定 けってい を下 くだ す権利 けんり としてのオートノミー(自主 じしゅ 性 せい )。第 だい 二 に に、自 みずか らの心 しん の独立 どくりつ 性 せい を通 とお してそして個人 こじん 的 てき な熟考 じゅっこう の後 のち にそのような決断 けつだん をする能力 のうりょく としてのオートノミー(自律 じりつ 性 せい )。第 だい 三 さん に、オートノミー(自立 じりつ 的 てき )に生活 せいかつ するための理想 りそう 的 てき な方法 ほうほう として。つまり、(カントの定義 ていぎ する)オートノミーは、自分 じぶん が所有 しょゆう する内 うち なる道徳 どうとく 的 てき な権利 けんり ("Moral rights"=「人格 じんかく 権 けん 」)と言 い える[6] 。
ゆえに、ここであえて「自律 じりつ 」という訳語 やくご を採用 さいよう し、患者 かんじゃ の内面 ないめん の道徳 どうとく 的 てき 「自律 じりつ 心 しん 」または「(子供 こども の発達 はったつ 期 き における)自己 じこ を律 りっ する自律 じりつ 性 せい 」「自分 じぶん の行為 こうい を主体 しゅたい 的 てき に規制 きせい すること」を示唆 しさ するのは、医療 いりょう 倫理 りんり の文脈 ぶんみゃく でいう、外 そと からの干渉 かんしょう を受 う けない患者 かんじゃ の「自主 じしゅ 」に基 もと づく自己 じこ 決定 けってい の権利 けんり をあえて欠落 けつらく させるものである。
つまり、パターナリズム の対義語 たいぎご としての患者 かんじゃ の「自己 じこ 決定 けってい (権 けん )」の擁護 ようご 、およびその保障 ほしょう プロセスとしての「インフォームド・コンセント 」の必要 ひつよう 性 せい を説 と くこの文脈 ぶんみゃく において、「自律 じりつ 」の訳語 やくご 採用 さいよう は明 あき らかに誤 あやま りである。実情 じつじょう を掘 ほ り下 さ げると、インフォームド・コンセント をあえて「説明 せつめい と同意 どうい 」という日本 にっぽん 独自 どくじ の概念 がいねん に変 か えてしまい、日弁連 にちべんれん から「『説明 せつめい と同意 どうい 』という訳語 やくご はインフォームド・コンセント の理念 りねん を正 まさ しく伝 つた えず、むしろ従来 じゅうらい 型 がた のパターナリズム を温存 おんぞん させるものである」[37] と批判 ひはん されたように、ここで「自律 じりつ 」の訳 わけ を採用 さいよう すること自体 じたい が日本 にっぽん の医療 いりょう におけるパターナリスティク な慣習 かんしゅう と抵抗 ていこう の現 あらわ れである、とする批判 ひはん も可能 かのう である。そこで、ここでは中立 ちゅうりつ 的 てき で客観 きゃっかん 的 てき に、より正 ただ しい意味合 いみあ いである「自主 じしゅ 」、そしてその具体 ぐたい としての「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」というオートノミーの訳語 やくご を採用 さいよう しているものである。
なお、同 おな じ漢字 かんじ 圏 けん の国 くに (台湾 たいわん など)においても、この文脈 ぶんみゃく では「自主 じしゅ 」である。
例 れい :「醫學 いがく 倫理 りんり 學 がく - 病 やまい 患自主 ぬし (患者 かんじゃ の自主 じしゅ ) 」、「生命 せいめい 倫理 りんり 學 がく 之 の 四 よん 原則 げんそく 、1.尊重 そんちょう 自主 じしゅ 原則 げんそく 」、「自主 じしゅ 神 しん 经系统 」、「病人 びょうにん 自主 じしゅ 權利 けんり 法 ほう (患者 かんじゃ の自主 じしゅ 権利 けんり 法 ほう )[40] 」
日本 にっぽん 医師 いし 会 かい の対応 たいおう [ 編集 へんしゅう ]
さらに、世界 せかい 医師 いし 会 かい が発表 はっぴょう する宣言 せんげん 文 ぶん (リスボン宣言 せんげん など)の翻訳 ほんやく 文 ぶん を日本 にっぽん 医師 いし 会 かい が公開 こうかい しているが、そこでは「患者 かんじゃ のオートノミー」は全 すべ て「患者 かんじゃ の自律 じりつ 性 せい 」との訳 わけ [41] で一貫 いっかん し、2008年 ねん に採択 さいたく された別 べつ の「プロフェッショナル・オートノミーと臨床 りんしょう 上 じょう の独立 どくりつ 性 せい に関 かん するWMAソウル宣言 せんげん 」[42] では、カタカナ表記 ひょうき で「オートノミー」としている。この違 ちが いは、ソウル宣言 せんげん では、オートノミーが医師 いし についての事 こと だからである。「患者 かんじゃ のオートノミーは自律 じりつ 性 せい 」と訳 やく しながらも「医師 いし のオートノミーはオートノミー」とカタカナ表記 ひょうき で翻訳 ほんやく し、「オートノミー」の訳 わけ を意図 いと 的 てき に異 こと なるものにしているのである。
同様 どうよう の意図 いと 的 てき な「誤訳 ごやく 」は他 た でも指摘 してき されており、「WMA(世界 せかい 医師 いし 会 かい )の考 かんが えが日本 にっぽん の医療 いりょう 界 かい に浸透 しんとう しないのは、日本 にっぽん 医師 いし 会 かい の『誤 あやま った認識 にんしき 』がそれを妨 さまた げているからでしょう。日本 にっぽん 医師 いし 会 かい は『WMAの考 かんが えを隠 かく したい』という『意図 いと 』を持 も っているようです」・・・「日本 にっぽん 医師 いし 会 かい の訳 わけ では『個々 ここ の医師 いし のあり方 かた 』を述 の べていることになります。これは『the medical profession』と『individual physicians』との区別 くべつ を無 な くしたための『誤訳 ごやく 』です。一 いち 例 れい を挙 あ げましたが、このようなprofessionに関 かん する『誤訳 ごやく 』はWMAの他 ほか の 宣言 せんげん などでも一貫 いっかん して出 で てきます。したがってこれは『意図 いと 的 てき な誤訳 ごやく 』でしょう」[43] 。つまり、日本 にっぽん の医師 いし 会 かい は、誤解 ごかい や誤訳 ごやく ではなく、意図 いと があって意図 いと 的 てき に行 い っている、と言 い える。
その他 た 「自己 じこ 決定 けってい 権 けん 」 [ 編集 へんしゅう ]
その他 た の様々 さまざま な用法 ようほう [ 編集 へんしゅう ]
コンピューティングでは、オートノミー型 がた 周辺 しゅうへん 機器 きき は、コンピュータの電源 でんげん を切 き った状態 じょうたい で使用 しよう できるもの。
心理 しんり 学 がく における自己 じこ 決定 けってい 論 ろん の中 なか で、オートノミーは「オートノミーの支援 しえん 対 たい コントロール」、「オートノミー支援 しえん 社会 しゃかい 的 てき 文脈 ぶんみゃく がオートノミーな動機 どうき 、健康 けんこう 的 てき な発達 はったつ 、および最適 さいてき な機能 きのう を促進 そくしん する傾向 けいこう があるという仮説 かせつ 」を指 さ す。
数学 すうがく 的 てき 解析 かいせき では、常微分 じょうびぶん 方程式 ほうていしき は時間 じかん に依存 いぞん しなければ自 じ 励系 であると言 い われる。
言語 げんご 学 がく において、独立 どくりつ 言語 げんご (Autonomous language)は他 た の言語 げんご から独立 どくりつ しているものであり、例 たと えば、標準 ひょうじゅん 的 てき な多様 たよう 性 せい 、文法 ぶんぽう 本 ほん 、辞書 じしょ または文学 ぶんがく などを有 ゆう する。
ロボット工学 こうがく では、「オートノミー」は制御 せいぎょ の自主 じしゅ 性 せい を意味 いみ する。この特徴 とくちょう は、ロボット工学 こうがく の場合 ばあい には、設計 せっけい 者 しゃ とロボットとの間 あいだ の関係 かんけい において、2者 しゃ 間 あいだ の関係 かんけい の特性 とくせい であることを意味 いみ する。自給自足 じきゅうじそく 、適性 てきせい 、学習 がくしゅう または発達 はったつ 、および進化 しんか は、エージェントのオートノミーを高 たか めるのです」とRolf Pfeiferは述 の べている。
自律 じりつ システム ・自律 じりつ 系 けい (autonomous system)参照 さんしょう 。
宇宙 うちゅう 飛行 ひこう では、オートノミーは地上 ちじょう 管制 かんせい 官 かん による制御 せいぎょ なしで動作 どうさ している有人 ゆうじん 任務 にんむ を指 さ すこともある。
経済 けいざい 学 がく では、自治 じち 消費 しょうひ は所得 しょとく 水準 すいじゅん がゼロのときの消費 しょうひ 支出 ししゅつ であり、支出 ししゅつ は所得 しょとく に対 たい してオートノミーに なる。
政治 せいじ では、自治 じち 的 てき 領土 りょうど とは、自決 じけつ 権 けん ・主権 しゅけん または独立 どくりつ ( 主権 しゅけん )に対 たい する民族 みんぞく 的 てき または先住民 せんじゅうみん 族 ぞく の要求 ようきゅう に反対 はんたい して領土 りょうど の完全 かんぜん 性 せい を維持 いじ したい側 がわ の国 くに を指 さ す。
反 はん 体制 たいせい 運動 うんどう では、autonomous spaceは、(政府 せいふ 間 あいだ の交流 こうりゅう のための)非 ひ 政府 せいふ の社会 しゃかい 的 てき な中心 ちゅうしん としての社交 しゃこう 空間 くうかん や自由 じゆう な空間 くうかん のための別称 べっしょう 。
社会 しゃかい 心理 しんり 学 がく では、オートノミーは、個人 こじん の達成 たっせい 、自立 じりつ 、孤独 こどく を好 この むことに焦点 しょうてん を当 あ てることで特徴 とくちょう づけられる性格 せいかく 特性 とくせい であり、主 おも に社会 しゃかい 指向 しこう 性 せい (sociotropy) の対義語 たいぎご に扱 あつか われる[44] 。
自動 じどう 運転 うんてん 車 しゃ では、autonomous car は、制御 せいぎょ システムが「自律 じりつ 型 がた 」であることが要件 ようけん となる。
セミオートノミー (接頭 せっとう 辞 じ semi / / "half"と組 く み合 あ わせた )は、部分 ぶぶん 的 てき または限定 げんてい 的 てき なオートノミー示 しめ します。相対 そうたい 的 てき な用語 ようご として、それは通常 つうじょう 、他 た の完全 かんぜん オートノミーなエンティティ またはプロセスと比較 ひかく して、実質 じっしつ 的 てき にまたは機能 きのう 的 てき に制限 せいげん されている様々 さまざま な半 はん オートノミーのエンティティまたはプロセスに適用 てきよう される。
クワシオートノミー(接頭 せっとう 辞 じ quasi- /「類似 るいじ 」または「出現 しゅつげん 」の付 つ いた造語 ぞうご )という用語 ようご は、正式 せいしき に取得 しゅとく または宣言 せんげん されているが、機能 きのう 的 てき に制限 せいげん されているか制約 せいやく されたオートノミーを表 あらわ す。記述 きじゅつ 的 てき な用語 ようご として、それは通常 つうじょう 自律 じりつ 的 てき に正式 せいしき に指定 してい またはラベル付 らべるつ けされているさまざまな準 じゅん 自律 じりつ 的 てき なエンティティまたはプロセスに適用 てきよう されるが、実際 じっさい には機能 きのう 的 てき に依存 いぞん するか、他 た のエンティティまたはプロセスによって影響 えいきょう を受 う ける。このような用語 ようご の使用 しよう 例 れい は、準 じゅん 自治 じち 的 てき な非 ひ 政府 せいふ 組織 そしき の一般 いっぱん 的 てき な名称 めいしょう で見 み ることができる。
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