(Translated by https://www.hiragana.jp/)
豊ノ海真二 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ゆたかうみ真二しんじ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゆたかうみ 真二しんじ
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい 濱田はまだ 真二しんじ浜田はまだ 真二しんじたかはま 真二しんじ乃濱 真二しんじたかはま 真二しんじゆたかうみ 真二しんじ
本名ほんみょう 濱田はまだ 真二しんじ
生年月日せいねんがっぴ (1965-09-22) 1965ねん9月22にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2021-11-20) 2021ねん11月20にち(56さいぼつ
出身しゅっしん 福岡ふくおかけん豊前ぶぜん大字だいじ松江まつえ
身長しんちょう 190cm
体重たいじゅう 225kg
BMI 62.33
所属しょぞく部屋へや 二子山ふたごやま部屋へや藤島ふじしま部屋へや二子山ふたごやま部屋へや
得意とくいわざ ひだりよっつ、り、かんぬき
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし前頭まえがしら筆頭ひっとう
生涯しょうがい戦歴せんれき 655しょう661はい(108場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 209しょう241はい(30場所ばしょ
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう2かい
幕下まくした優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 1981ねん3がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1988ねん11月場所ばしょ
引退いんたい 1999ねん3がつ場所ばしょ
備考びこう
2021ねん11月21にち現在げんざい

ゆたかうみ 真二しんじ(とよのうみ しんじ、1965ねん9月22にち - 2021ねん11月20にち)は、福岡ふくおかけん豊前ぶぜん大字だいじ松江まつえ出身しゅっしんで、二子山ふたごやま部屋へや藤島ふじしま部屋へや所属しょぞくした大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう濱田はまだ 真二しんじ(はまだ しんじ)。最高さいこう西にし前頭まえがしら筆頭ひっとう1992ねん9月場所ばしょ)。現役げんえき時代じだい体格たいかくは190cm、225kg(さい重量じゅうりょうは228kgで歴代れきだい10、タイは春日山かすがやま部屋へや所属しょぞくしていたまんはなじょう[1]で、藤島ふじしま部屋へや二子山ふたごやま部屋へやいち巨漢きょかんだった。得意とくいしゅひだりよっつ、り、かんぬき

しんじゅうりょう昇進しょうしんから1990ねん7がつ場所ばしょまでは、たかはま真二しんじ四股しこめいであったが、よく9がつ場所ばしょより「ゆたかうみ真二しんじ豊前ぶぜんうみちなむ)」に改名かいめいした。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

漁業ぎょぎょういとな家庭かていまれた。家族かぞく仕事しごとがらじょう普段ふだんからさかなべてそだち、ふと骨格こっかく丈夫じょうぶ内臓ないぞうやしなった[2]

小学校しょうがっこう時代じだい地元じもと豊前ぶぜんおこなわれていた巡業じゅんぎょう当時とうじ大関おおぜきだったたかはない、二子山ふたごやま部屋へやへの入門にゅうもん約束やくそくした。

地元じもと椎田しいだ中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう約束やくそくどお上京じょうきょうしてどう部屋へや入門にゅうもんし、1981ねん3がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。入門にゅうもん体重たいじゅうは120kgから130kgであり、弟弟子おとうとでし貴闘力たかとうりきただししげる入門にゅうもんしたころには150kgから160kgにえていた[2]

ゆたかうみふくめて、はつ土俵どひょう同期どうきからは小結こむすび大善だいぜん関脇せきわけとちつかさ幕下まくしたづけ)など14にん関取せきとり誕生たんじょうしている。

当初とうしょ四股しこめいは、本名ほんみょうおなじ「濱田はまだ」であった。なお、改名かいめいの「たかはま」は、「たかはな」と本名ほんみょうしん字体じたいである「浜田はまだ」に由来ゆらいしている。

入門にゅうもん当初とうしょ腕立うでたせが1かいもできず、相撲すもう同期生どうきせいなか一番いちばんよわかったため、いじめやシゴキの対象たいしょうとなった[2]親方おやかたからも毎日まいにち竹刀しないたたかれながら稽古けいこはげんでいるうちに、自分じぶんをいじめていた力士りきし稽古けいこじょうかすことができるようになり、それで自信じしんいてつよくなった[2]

その部屋へやきの藤島ふじしま親方おやかたもと大関おおぜきたかはな)の独立どくりつともなって、1982ねん3月より藤島ふじしま部屋へや移籍いせき

序ノ口じょのくちいて以来いらい順調じゅんちょう出世しゅっせし、1987ねん9月場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしん1988ねん11月場所ばしょいて、しん入幕にゅうまくたした。これにより、佐賀さがのぼるとも昭和しょうわ最後さいごしん入幕にゅうまく力士りきしとなった。前頭まえがしら上位じょうい奮闘ふんとうした時期じきもあり、大関おおぜき霧島きりしまあけぼのらに勝利しょうりしたこともある。

1993ねん2がつには、師匠ししょう藤島ふじしま実兄じっけい停年ていねん間近まぢか二子山ふたごやま親方おやかたもと横綱よこづな若乃花わかのはな)と名跡みょうせき交換こうかんし、藤島ふじしま親方おやかた二子山親方ふたごやまおやかたとして二子山ふたごやま部屋へや継承けいしょうすることにともなふたた二子山ふたごやま部屋へやへと移籍いせきした。

現役げんえきにはさんやくへの昇進しょうしんたせず、さんしょう受賞じゅしょうできなかった。なかでも平成へいせい4ねん9がつ場所ばしょ霧島きりしまあけぼのの2大関おおぜきやぶ前半ぜんはん、5しょう3はい好調こうちょうさんやく昇進しょうしん可能かのうせいもあったが後半こうはん、7連敗れんぱいきっし5しょう10はいおおきくし、これが自己じこ最高さいこうとなる。

引退いんたいこうは、年寄としよりやまひびき襲名しゅうめいして二子山ふたごやま部屋へやきの親方おやかたとなったが、2002ねん6がつ日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい退職たいしょくした。

それまで料理りょうり経験けいけんとくになかったが退職たいしょく料理人りょうりにんみちへとすす[2]2008ねん2がつ14にち東京とうきょう新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょう自身じしん経営けいえいする串焼くしやてん丁目ちょうめのバンデラ」を開店かいてんした。弟弟子おとうとでし若乃花わかのはなのちゃんこ手伝てつだっていた時期じき、うどん勤務きんむしていた時期じきもあった[2]

2021ねん11月20にち死去しきょしていたことがかった[3]。56さいぼつ。11月27にち通夜つやおこなわれた[2]

また、藤島ふじしま部屋へや二子山ふたごやま部屋へや時代じだい弟弟子おとうとでしだった貴闘力たかとうりき自身じしんのYouTubeチャンネルにて、死因しいん膵臓すいぞうがんつかった時点じてんではすで末期まっき手遅ておくれの状態じょうたいだったとべている[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

社交しゃこうせい人見知ひとみしりする性格せいかくであったといい、後援こうえん会員かいいんとの会食かいしょくにもあまりわず1人ひとりでパチンコをつのが趣味しゅみであった。愛嬌あいきょうけるタイプではなかったため後援こうえん会員かいいんがあまり周囲しゅういあつまらなかった。貴闘力たかとうりきは「おべんちゃらが使つかえるような人間にんげんだったら親方おやかたをずっとやっている」と日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい在籍ざいせき時代じだいのその不器用ぶきようさをひょうした。ところが協会きょうかい退職たいしょくにうどんはたらいていたときには、ひさしぶりにゆたかうみいに貴闘力たかとうりき笑顔えがおかべながら「たまにはみんなをれてあそびにてよ!」とこえをかけ、現役げんえき時代じだい面影おもかげ人付ひとづいの上手じょうずさに貴闘力たかとうりきおどろいていた[2]

師匠ししょう二子山ふたごやま弟弟子おとうとでし貴闘力たかとうりきに「おまえ濱田はまだはオレの部屋へやじゃなかったら関取せきとりになってねぇ!」と才能さいのうさを指摘してきしていたという[2]

子供こどもはいなかったが夫人ふじんとのなか円満えんまんで、ゆたかうみのち半生はんせい充実じゅうじつしていたとされる[2]

温厚おんこう性格せいかくであったが体重たいじゅう話題わだいになるとムキになるいちめんがあった。1998ねん5がつ場所ばしょ体重たいじゅう測定そくていで1須佐すさみずうみの240kg、2あけぼのの227kg、3ゆたかうみの225kgであったさいに、記者きしゃが「食事しょくじなどは、あけぼのより体重たいじゅうおもときがあるのでは?」と冗談じょうだんっぽくみずけると、真剣しんけんかおで「こうも食事しょくじをするから一緒いっしょだよ」と否定ひていした[4]

くち[編集へんしゅう]

200kgをえるほどの巨体きょたいした相撲すもうだったが完全かんぜんわきあまく、相手あいてほんされたのちからうできわめてくち目立めだった。

一方いっぽう貴闘力たかとうりきふと骨格こっかく丈夫じょうぶ内臓ないぞうのおかげで体重たいじゅうわりうごきはかったと解説かいせつしている[2]

稽古けいこじょうではよわいが本場所ほんばしょではつよい、所謂いわゆる場所ばしょ相撲すもう」の力士りきしであり、幕下まくした時代じだい貴闘力たかとうりき当時とうじ幕内まくうちであったゆたかうみ稽古けいこじょうであっさりかしていた。部屋へや力士りきしたちは下積したづ時代じだいゆたかうみとの稽古けいこ自信じしんけ、貴闘力たかとうりきはこのことから「感謝かんしゃしかない」とかたっている[2]

序ノ口じょのくちいてから引退いんたいするまで、いちやすまず、「1316ばん連続れんぞく出場しゅつじょう」の記録きろくのこしている。

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:655しょう661はい 勝率しょうりつ.498
  • 幕内まくうち成績せいせき:209しょう241はい 勝率しょうりつ.464
  • 現役げんえき在位ざいい:108場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:30場所ばしょ
  • 連続れんぞく出場しゅつじょう:1316ばん(1981ねん5がつ場所ばしょ - 1999ねん3がつ場所ばしょ大相撲おおずもう史上しじょう9序ノ口じょのくちいてから休場きゅうじょうなしで最終さいしゅう場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくまでつとめた力士りきしとしては史上しじょう1))
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:2かい(1988ねん9がつ場所ばしょ、1992ねん1がつ場所ばしょおな場所ばしょで、どう部屋へや貴花田たかはなだ幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう
    • 幕下まくした優勝ゆうしょう:1かい1986ねん5月場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

ゆたかうみ 真二しんじ
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1981ねん
昭和しょうわ56ねん
x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち31まい
2–5 
ひがし序ノ口じょのくち11まい
4–3 
西にしじょだん131まい
3–4 
西にしじょだん138まい
6–1 
1982ねん
昭和しょうわ57ねん
西にしじょだん71まい
1–6 
西にしじょだん107まい
4–3 
ひがしじょだん90まい
6–1 
ひがしじょだん21まい
2–5 
西にしじょだん49まい
4–3 
ひがしじょだん27まい
5–2 
1983ねん
昭和しょうわ58ねん
西にしさんだん79まい
4–3 
ひがしさんだん62まい
3–4 
ひがしさんだん76まい
5–2 
ひがしさんだん45まい
3–4 
ひがしさんだん62まい
3–4 
西にしさんだん79まい
5–2 
1984ねん
昭和しょうわ59ねん
ひがしさんだん45まい
5–2 
ひがしさんだん14まい
3–4 
西にしさんだん29まい
4–3 
ひがしさんだん13まい
4–3 
西にしさんだん筆頭ひっとう
3–4 
西にしさんだん14まい
5–2 
1985ねん
昭和しょうわ60ねん
西にし幕下まくした45まい
4–3 
ひがし幕下まくした32まい
4–3 
西にし幕下まくした20まい
4–3 
西にし幕下まくした14まい
2–5 
西にし幕下まくした30まい
2–5 
ひがし幕下まくした56まい
5–2 
1986ねん
昭和しょうわ61ねん
西にし幕下まくした34まい
2–5 
西にし幕下まくした58まい
5–2 
ひがし幕下まくした36まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがし幕下まくした3まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
4–3 
西にし幕下まくした3まい
3–4 
1987ねん
昭和しょうわ62ねん
ひがし幕下まくした6まい
4–3 
ひがし幕下まくした3まい
4–3 
西にし幕下まくした筆頭ひっとう
4–3 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
4–3 
西にしじゅうりょう12まい
7–8 
ひがしじゅうりょう13まい
11–4 
1988ねん
昭和しょうわ63ねん
ひがしじゅうりょう6まい
8–7 
西にしじゅうりょう3まい
8–7 
ひがしじゅうりょう2まい
8–7 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
6–9 
ひがしじゅうりょう5まい
優勝ゆうしょう
11–4
西前にしまえあたま13まい
7–8 
1989ねん
平成へいせい元年がんねん
ひがし前頭まえがしら14まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら8まい
5–10 
ひがし前頭まえがしら13まい
4–11 
ひがしじゅうりょう5まい
11–4 
西前にしまえあたま14まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら8まい
6–9 
1990ねん
平成へいせい2ねん
ひがし前頭まえがしら11まい
7–8 
西前にしまえあたま13まい
7–8 
西前にしまえあたま13まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら10まい
9–6 
西前にしまえあたま3まい
3–12 
ひがし前頭まえがしら13まい
6–9 
1991ねん
平成へいせい3ねん
西にしじゅうりょう3まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら15まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら8まい
6–9 
西前にしまえあたま12まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら14まい
7–8 
西前にしまえあたま15まい
7–8 
1992ねん
平成へいせい4ねん
ひがしじゅうりょう2まい
優勝ゆうしょう
12–3
西前にしまえあたま10まい
9–6 
西前にしまえあたま5まい
8–7 
西前にしまえあたま4まい
8–7 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
5–10 
ひがし前頭まえがしら7まい
9–6 
1993ねん
平成へいせい5ねん
西前にしまえあたま4まい
7–8 
西前にしまえあたま6まい
8–7 
西前にしまえあたま3まい
5–10 
ひがし前頭まえがしら9まい
7–8 
西前にしまえあたま11まい
7–8 
西前にしまえあたま14まい
8–7 
1994ねん
平成へいせい6ねん
西前にしまえあたま11まい
6–9 
西前にしまえあたま14まい
6–9 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
7–8 
ひがしじゅうりょう3まい
4–11 
西にしじゅうりょう11まい
8–7 
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
1995ねん
平成へいせい7ねん
ひがしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
9–6 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
5–10 
西にしじゅうりょう5まい
8–7 
西にしじゅうりょう3まい
6–9 
1996ねん
平成へいせい8ねん
西にしじゅうりょう5まい
6–9 
ひがしじゅうりょう11まい
9–6 
西にしじゅうりょう6まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
3–12 
ひがしじゅうりょう11まい
9–6 
ひがしじゅうりょう6まい
5–10 
1997ねん
平成へいせい9ねん
ひがしじゅうりょう11まい
8–7 
ひがしじゅうりょう8まい
6–9 
ひがしじゅうりょう11まい
9–6 
西にしじゅうりょう6まい
6–9 
西にしじゅうりょう9まい
8–7 
西にしじゅうりょう5まい
8–7 
1998ねん
平成へいせい10ねん
西にしじゅうりょう3まい
5–10 
ひがしじゅうりょう8まい
6–9 
西にしじゅうりょう10まい
9–6 
西にしじゅうりょう5まい
8–7 
西にしじゅうりょう3まい
6–9 
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
1999ねん
平成へいせい11ねん
西にしじゅうりょう6まい
7–8 
ひがしじゅうりょう8まい
引退いんたい
2–13–0
x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおいいつきさん 1 1 あけぼの 1 3 あさ乃若 1 0 あさひさと 1 0
あさひ富士ふじ 0 1 板井いたい 7 0 恵那櫻えなざくら 7 6 きょほう 5 1
だい若松わかまつ 0 2 小城おぎにしき 1 2 小城おぎはな 4 8 魁皇かいおう 1 1
春日かすが富士ふじ 7 7 きた勝鬨かちどき 2 4 騏ノあらし 1 1 旭豪山きょくごうざん 2 1
旭道山きょくどうざん 9 7 鬼雷砲きらいほう 3 8 霧島きりしま 3 5 起利錦きりにしき 5 4
久島くしまうみ 3 4 剣晃けんこう 1 4 こうのぞむさん 1 4 琴稲妻こといなづま 8 7
きんうめ 6 3 きん椿つばき 3 3 琴錦ことにしき 1 7 きんわか 2 10
琴富士ことふじ 6 13 琴別府ことべっぷ 1 5 小錦こにしき 3 5 佐賀さがのぼる 0 1
逆鉾さかほこ 4 1 薩洲洋さっしゅうなだ 3 0 陣岳じんだけ 2 6 ふとし寿山ことぶきやま 5 2
だいしょうおおとり 5 2 だいしょうさん 8 2 大善だいぜん 2 1 こう乃富 2 5
たかみね 1 0 隆三りゅうぞうすぎ 3 10 多賀たがりゅう 2 4 たてこう 2 0
玉海力たまかいりき 3 1 たまりゅう 1 1 寺尾てらお 4 4 時津とぎつよう 5 4
とちつかさ 3 1 とち乃藤 1 1 とち乃和 1 2 ともえ富士ふじ 4 2
智ノ花とものはな 0 2 はな乃湖 0 1 はなくに 2 5 はましま 0 2
肥後ひごうみ 3 2 日立ひたちりゅう 1 0 富士ふじ乃真 1 1 鳳凰ほうおう 1 1
北勝海ほくとうみ 0 1 まいうみ 5 5 えきあらつよし 0 1 三杉里みすぎさと 7 5
水戸みといずみ 4 5 みなと富士ふじ 1 1 武蔵丸むさしまる 0 3 りゅうおきさん 0 1
両国りょうこく 3 7 わかしょうよう 3 1 わか瀬川せかわ 2 9 和歌わか乃山 1 1

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • 濱田はまだ 真二しんじ(はまだ しんじ)1981ねん3がつ場所ばしょ - 1981ねん7がつ場所ばしょ
  • 浜田はまだ 真二しんじ(はまだ - )1981ねん9がつ場所ばしょ - 1982ねん3がつ場所ばしょ
  • たかはま 真二しんじ(たかのはま - )1982ねん5がつ場所ばしょ - 1985ねん3がつ場所ばしょ
  • 乃濱 真二しんじ(たかのはま - )1985ねん5がつ場所ばしょ - 1985ねん9がつ場所ばしょ
  • たかはま 真二しんじ(たかのはま - )1985ねん11月場所ばしょ - 1990ねん7がつ場所ばしょ
  • ゆたかうみ 真二しんじ(とよのうみ - )1990ねん9月場所ばしょ - 1999ねん3がつ場所ばしょ

年寄としより遍歴へんれき[編集へんしゅう]

  • やまひびき 真二しんじ(やまひびき しんじ)1999ねん3がつ - 2002ねん6がつ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 相撲すもう』2012ねん1がつごう 記録きろく玉手箱たまてばこ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m ゆたかうみ】56さいはやすぎる永眠えいみんちょう重量じゅうりょうきゅう力士りきし素顔すがおかたる。あけぼのキラーをそだてたおとこ 貴闘力たかとうりき部屋へや 2021/12/04 (2021ねん12月4にち閲覧えつらん)
  3. ^ 元山もとやまひびき親方おやかたもと前頭まえがしらゆたかうみ浜田はまだ真二しんじ死去しきょ56さい 福岡ふくおか豊前ぶぜん出身しゅっしん」『日刊にっかんスポーツ』、2021ねん11月21にち2021ねん11月21にち閲覧えつらん
  4. ^ もと大関おおぜき小錦こにしき本当ほんとう最高さいこう体重たいじゅうは?重量じゅうりょう力士りきし上位じょういのほとんどは平成へいせい以降いこう(4/6ページ) JBpress 2022.11.18 (2024ねん3がつ12にち閲覧えつらん)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]