(Translated by https://www.hiragana.jp/)
阿波狸合戦 - Wikipedia コンテンツにスキップ

阿波あわたぬき合戦かっせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
かねちょうたぬきから転送てんそう
かねちょうぞうかねちょう神社じんじゃ

阿波あわたぬき合戦かっせん(あわたぬきがっせん)は、江戸えど時代じだい末期まっき阿波あわこく徳島とくしまけん)できたというタヌキたちの大戦たいせんそう伝説でんせつ阿波あわたぬき合戦かっせん(あわのたぬきがっせん)[1]かねちょうたぬき合戦かっせん(きんちょうたぬきがっせん)ともいう[2]

四国しこくかずあるタヌキのはなしなかでもとくによくられており[3][4][5]徳島とくしまのタヌキのはなしなかでももっと名高なだかいものともいわれる[6]物語ものがたり成立せいりつ時期じき江戸えど末期まっきられており[7]文献ぶんけんとしての記録きろく江戸えど後期こうき写本しゃほん三種さんしゅ近頃ちかごろ古狸ふるだぬき珍説ちんせつ』『古狸ふるだぬききむ長義ながよしいさむ珍説ちんせつ』『きむ長一ちょういちせい』だが、くわしい年代ねんだいはわからない。講談こうだん速記そっきほんとして流通りゅうつうしたのは1910ねん明治めいじ43ねん)に刊行かんこうされた『四国しこく奇談きだん実説じっせつ古狸ふるだぬき合戦かっせん』『津田つだ浦大うらおお決戦けっせん』『日開野ひがいのちょう合戦かっせん』のさんさつとされる[8]明治めいじ時代じだいから戦中せんちゅうにかけては講談こうだんで、昭和しょうわ初期しょきには映画えいがされて人気にんきはくしており、平成へいせい以降いこうには徳島とくしまけんまちづくり題材だいざいとなって、徳島とくしま県民けんみんしたしまれている。

伝説でんせつ

[編集へんしゅう]

後述こうじゅつするかねちょう神社じんじゃしゃでんや、徳島とくしまけん出身しゅっしん考古こうこ学者がくしゃ笠井かさい新也しんや著書ちょしょ阿波あわたぬきはなし』から伝説でんせつ要約ようやくすると、以下いかのようになる。

天保てんぽう年間ねんかん1830ねんから1844ねんまで)、小松こまつとう日開野ひがいの小松島こまつしま神田瀬かんだせまち)でのはなし大和屋やまとや(やまとや[9])という染物そめものいとなしげるみぎ衛門えもん(もえもん[9])というものが、人々ひとびといじめられそうなタヌキをたすけた[10][11]あいだもなく、大和屋やまとや商売しょうばいがどんどん繁盛はんじょうした。やがて、みせつとめる万吉まんきちというものにタヌキが憑き、素性すじょうかたはじめた。それによればタヌキは「かねちょう(きんちょう)」といい、206さいになる付近ふきん頭株あたまかぶだという。万吉まげちひょういたかねちょうは、みせおとずれる人々ひとびと病気びょうきなおしたりえきたりとだい活躍かつやくし、だい評判ひょうばんとなった[10]

しばらく、まだタヌキとしてのたないかねちょうは、津田つだ名東めいとうぐんときむら津田つだうらげん徳島とくしま津田つだまち)にいるタヌキのそう大将たいしょう六右衛門ろくうえもん(ろくえもん)」のもとに修行しゅぎょうた。かねちょう修行しゅぎょう抜群ばつぐん成績せいせきおさめ、念願ねんがんせいいち寸前すんぜんまでいたった。六右衛門ろくうえもんかねちょう手放てばなすことをしみ、むすめ婿養子むこようしとして手元てもとめようとした。しかしかねちょうしげるみぎ衛門えもんへの義理ぎりくわえ、残虐ざんぎゃく性格せいかく六右衛門ろくうえもんきらってこれをこばんだ。

これを不服ふふくとした六右衛門ろくうえもんは、かねちょうがいずれ自分じぶんてきになるとかんがえ、家来けらいとともにかねちょう夜襲やしゅうくわえた。かねちょうは、ともに日開野ひがいのからていたタヌキ「藤ノ木ふじのきてらたか」とともに応戦おうせんした。しかしたか戦死せんしし、どうにかかねちょうのみが日開野ひがいののがれた。

かねちょうたかかたきちのため同志どうしつのり、六右衛門ろくうえもんたちとのたたかいがひろげられた。このたたかいはかねちょうぐんまさり、六右衛門ろくうえもんかねちょうころされた。しかしかねちょうたたかいできずい、まもなくいのちとした[10]

しげるみぎ衛門えもんせいいちまえいのちとしたかねちょうを憐み、みずか京都きょうと吉田よしだ神祇じんぎ管領かんりょうしょ出向でむき、せいいちさずかってたという[12]

このたたかいのころ六右衛門ろくうえもんかねちょうぐん鎮守ちんじゅもり勢揃せいぞろいすると、人々ひとびとあいだうわさされていた。人々ひとびと日暮ひぐれにもり見物けんぶつしかけたところ、ふけになるとなにかがひしめきおとひびき、翌朝よくあさには無数むすうのタヌキの足跡あしあとのこされており、合戦かっせん風説ふうせつけっして虚言きょげんではないとはなった[10]

異説いせつ

[編集へんしゅう]

この伝説でんせつ紹介しょうかいしている書籍しょせきには、媒体ばいたいによっていくつかのバリエーションがある。これは本来ほんらい地元じもと口承こうしょう後述こうじゅつする講談こうだん影響えいきょうけて変化へんかしたのではないか、ともられている[3]

  • 六右衛門ろくうえもんむすめは「小安おやすひめ(こやすひめ)」。彼女かのじょかねちょう恋焦こいこがれており、かねちょうめようとした六右衛門ろくうえもんがわ批難ひなんし、ついには自刃じじんすることでちちとがめようとした。だが、小安おやすひめによってかえって六右衛門ろくうえもん憎悪ぞうお増長ぞうちょうした。また、かねちょうも、自分じぶんあいしてくれた小安おやすり、打倒だとう六右衛門ろくうえもん決意けついかためた[13]
勝浦川かつうらがわ
  • 合戦かっせん舞台ぶたいである勝浦川かつうらがわはさみ、かねちょうぐん総勢そうぜい600ひきあまり、六右衛門ろくうえもんぐん総勢そうぜい600ひきあまりが対峙たいじし、死闘しとうは3にち3ばんおよんだ[13]
  • 淡路島あわじしまたぬきであるしばみぎ衛門えもんたぬきも、合戦かっせん参戦さんせんしに阿波あわかった[14]。(津田つだかう途中とちゅう二軒屋にけんや観音寺かんおんじにて武士ぶし姿すがたふんして芝居しばいていたがいぬころされ死体したいさん日間にちかん武士ぶし姿すがたのままだったという。このエピソードは浪速なにわ中座ちゅうざでの出来事できごと転用てんようされたとみていとおもわれる。)
  • かねちょう合戦かっせん致命傷ちめいしょうったものの、必死ひっし日開野ひがいのかえり、恩義おんぎあるしげみぎ衛門えもんれいべ、力尽ちからつきた。そのざましんたれたしげるみぎ衛門えもんは、かねちょうだい明神みょうじんとしてまつった[15]
  • 瀕死ひんしかねちょうは、れいとなってまんきちに憑き、死後しごれいとして永遠えいえんしげるみぎ衛門えもんいえかみとして報恩ほうおんちかった。これにしんたれたしげるみぎ衛門えもんは、かねちょうだい明神みょうじんとしてまつった[16][17][18]

由来ゆらい

[編集へんしゅう]

天保てんぽう年間ねんかんには、大和やまとたすけられたタヌキが恩返おんがえしをしたという動物どうぶつ報恩ほうおんたんがあったため、これを由来ゆらいとするせつがある[19]。そののあるとし勝浦川かつうらがわ河川敷かせんしき多数たすうのタヌキの死体したいがあった事実じじつくわわり[20]、それらを講談こうだんのように仕立したてて、かねちょう六右衛門ろくうえもんだい勢力せいりょく激突げきとつはなし誕生たんじょうしたというせつもある[19]

一方いっぽうでは、この合戦かっせんにおけるあらそい、悲恋ひれん葛藤かっとうなどは人間にんげん社会しゃかいでもめずらしくなかったため、阿波あわたぬき合戦かっせん実態じったいは、人間にんげん社会しゃかいでの出来事できごとをタヌキにえたものともかんがえられている[21]

徳島とくしま修験しゅげんどう霊山れいざんでは別派べっぱ同士どうしあらそいがあったこと、伝説でんせつつづった古書こしょ古狸ふるだぬききむ長義ながよしいさむ珍説ちんせつせき』で投石とうせき場面ばめんがあり、投石とうせき中世ちゅうせい以来いらい戦闘せんとう手段しゅだんであったことから、太竜寺山たりゅうじやま剣山けんざんとのあいだしょうじた修験しゅげんどうあらそいがタヌキの伝説でんせつ仕立したてげられたのではないか、というせつもある[22]。このせつにおいては、ふとしりゅうてら修験しゅげんしゃかねちょう剣山けんざん修験しゅげんしゃ六右衛門ろくうえもんのモデルになったとかんがえられ、太竜寺山たりゅうじやまから北上ほくじょうしようとする勢力せいりょく剣山けんざんから南下なんかしようとする勢力せいりょく衝突しょうとつし、流派りゅうは拠点きょてんことなるもの同士どうし紛争ふんそうつながった可能かのうせい示唆しさされている[22]

また、徳島とくしまけんではあいさかんであり、その工程こうていすなもちいる。そして田浦たのうられるすなあいめに最適さいてきであった。よって、勝浦川かつうらがわりょうきし地域ちいきすなめぐあらそいがき、これがたぬき合戦かっせん題材だいざいになったというせつがある[23]。さらに、津田つだ地区ちく小松こまつとうあいだ漁業ぎょぎょうけんあらそいがモデルになったとのせつもある[23][24]六右衛門ろくうえもん史跡しせきのある津田つだてら後述こうじゅつ)の住職じゅうしょくである浅川あさがわやすしけいも、この漁業ぎょぎょうけんあらそいを由来ゆらいとするせつ支持しじしている[25]。これらのように人間にんげんをモデルとするせつ事実じじつなら、どこかにくめないタヌキたちの姿すがたは、じつおろかな人間にんげんたちのいの投影とうえいということになる[23]

なおタヌキのはなし真偽しんぎはともかく、しげるみぎ衛門えもん実在じつざい人物じんぶつであり[5][26]後述こうじゅつ映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん』も、講談こうだんほんとともにしげるみぎ衛門えもん直系ちょっけい子孫しそんいえ口承こうしょうをもとに制作せいさくされている[5]。また万吉まげちにタヌキがひょういた事件じけんは、たぬき合戦かっせんとはべつ実際じっさいきた事実じじつであり、講談こうだんがこの万吉まげち事件じけんたぬき合戦かっせんむすけ、「阿波あわたぬき合戦かっせん」を創作そうさくしたとするせつもある[22]

関連かんれんする伝承でんしょう

[編集へんしゅう]

徳島とくしまけん伝承でんしょうによれば、阿波あわはん時代じだいとき太鼓たいこ時刻じこくらせるための太鼓たいこ)がらされていたが、市内しない富田とみた大道だいどうではよっ寺町てらまちではどきだけ、太鼓たいこたれなかった。これは、富田とみた大道だいどう金毘羅こんぴら神社じんじゃ末社まっしゃかねちょうの2代目だいめが「およっつさん」としてまつられ、寺町てらまち妙長寺みょうちょうじたぬき合戦かっせん関係かんけいしたメスのタヌキが「おろくさん」としてまつられており、それらとおなめい相当そうとうする時刻じこく太鼓たいこつとたたりがあるのだという[14]べつせつでは、寺町てらまちには六右衛門ろくうえもんの2代目だいめまつられたためともいう[27]

史跡しせき

[編集へんしゅう]

かねちょう神社じんじゃ

[編集へんしゅう]

1939ねん昭和しょうわ14ねん5月後述こうじゅつする映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん』のだいヒットのれいめて、にち峰山みねやま山中さんちゅうかねちょう神社じんじゃかねちょう神社じんじゃ本宮ほんぐう)が建立こんりゅうされた[26][28]1946ねん昭和しょうわ21ねん)には神社じんじゃでの「かねちょうれい大祭たいさい」がはじまり[28]1955ねん昭和しょうわ30ねん)には、かねちょうとなえて毎年まいとしまつりを実行じっこうする組織そしきとして「かねちょう奉賛ほうさんかい」が結成けっせいされている[28]

かねちょう神社じんじゃ

1956ねん昭和しょうわ31ねん)、小松島こまつしま報恩ほうおん感謝かんしゃねんあつかねちょうとくたたえるとともに、かねちょう観光かんこう資源しげんにするため、それまでしげみぎ衛門えもん末裔まつえいである梅山うめやまにわ屋敷やしきしんとしてまつられていたきむ長大ちょうだい明神みょうじん市内しない中田なかだまち移設いせつするよう勧請かんじょう[9][28]よく1957ねん昭和しょうわ32ねん)にかねちょう神社じんじゃ建立こんりゅうされた[28]映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん制作せいさく新興しんこうキネマ京都きょうと撮影さつえい所長しょちょう建立こんりゅう当時とうじ大映だいえい社長しゃちょう就任しゅうにんしていた永田ながた雅一まさいちかねちょうを、倒産とうさん寸前すんぜんであった新興しんこうキネマをすくった救世主きゅうせいしゅとして、当時とうじとしては破格はかくひゃくまんえん寄付きふし、神社じんじゃ建設けんせつ資金しきんはほとんどがこの寄付きふきんまかなわれた[9][28]境内けいだい玉垣たまがきには永田ながたのほか、かど光三郎こうざぶろう[9]長谷川はせがわ一夫かずおきょうマチ子まちこといった人気にんき役者やくしゃまれた[16]

きむ長大ちょうだい明神みょうじん恩義おんぎあるしげみぎ衛門えもんくしたかねちょうとくたかさから「報徳ほうとくたぬき」のあがめられており[29]、招福・開運かいうん守護しゅごかみとしてもられ[29][30]商売しょうばい繁盛はんじょうにご利益りえきがあるともいわれる[12][26]徳島とくしまかずあるタヌキのほこらなかでも代表だいひょうてきなもののひとつであり[16]地元じもと人々ひとびと一般いっぱん祭神さいじんとはことなる距離きょりかんかねちょうせっし、したしみをめて「きむおさむさん」とんでいる[9]後述こうじゅつするアニメ映画えいが平成へいせいたぬき合戦かっせんぽんぽこ』にも登場とうじょうしている[26]伝説でんせつじょうかねちょう大和屋やまとや守護しゅごしていた関係かんけいで、神社じんじゃ建立こんりゅう以来いらい大和屋やまとや子孫しそん宮司ぐうじつとめており[28][31]2014ねん平成へいせい26ねん時点じてん宮司ぐうじしげるみぎ衛門えもんからかぞえて6代目だいめにあたる[32][33]

きむ長大ちょうだい明神みょうじんは、やまなかにある本宮ほんぐうくらべてあしはこびやすい場所ばしょにあるため、徳島とくしまばかりか関西かんさい方面ほうめんからも参拝さんぱいしゃおとずれており[9]平成へいせい以降いこうにおいても参拝さんぱいしゃこうたない[18]一方いっぽうにちほう山中さんちゅうかねちょう神社じんじゃ本宮ほんぐうやまなかということもあり、平成へいせいにおいては知名度ちめいどひくい。小松こまつとうかねちょう神社じんじゃが2つあるという事実じじつもあまりられていない[19]

2017ねん平成へいせい29ねん)には、小松島こまつしま都市とし整備せいびともなきん長大ちょうだい明神みょうじんこわしの危機ききっていることから[34]どう神社じんじゃまもりたい有志ゆうしにより「かねちょう神社じんじゃまもかい」が結成けっせいされ、ブログTwitterなどでの活動かつどうにおいて、かねちょう子分こぶんのタヌキである「小鷹こたか」「熊鷹くまたか」の名義めいぎもちいられている[35][36][37]

そのほかの史跡しせき

[編集へんしゅう]

六右衛門ろくうえもんがわかんする事物じぶつとしては、徳島とくしま津田西つだにしまちにある津田つだてら墓地ぼちに、六右衛門ろくうえもんがわとりでとしていたといわれるあな観音かんのんという洞窟どうくつがある[25]六右衛門ろくうえもん六右衛門ろくうえもん大明神だいみょうじんとしてほこらまつられており[24]ほこらおがひと掃除そうじをするひとおお[25]六右衛門ろくうえもん息子むすこの「千住せんじゅ太郎たろう」、むすめの「鹿」のほこらもあり、親子おやこともどもかみとしてまつられている[31][38]

この津田つだてらには、かつて権右衛門ごんうえもん(ごんえもん)というタヌキがみついており、合戦かっせん六右衛門ろくうえもんがわ大将たいしょうとして戦死せんししたといわれ、現在げんざいではどうてらほこら石像せきぞうまつられている[31]

かねちょう大鷹おおたか六右衛門ろくうえもん追手おってたたか大鷹おおたかにしたとされる、大原おおはらまちせんだいまるにある「阿波あわたぬき古戦場こせんじょうあと」は大鷹おおたかだい明神みょうじんまんたぬき大明神だいみょうじんほこらがある。

合戦かっせん主戦しゅせんじょうとされる勝浦川かつうらがわ北側きたがわ新浜本しんはまほんまち2丁目ちょうめ付近ふきんには「阿波あわたぬき合戦かっせん古戦場こせんじょう」のあとこう坊主ぼうず大明神だいみょうじんほこらがあり、激戦げきせんすえにタヌキのかばね川床かわどこめた場所ばしょとされている[39]

関連かんれん作品さくひん

[編集へんしゅう]

講談こうだん

[編集へんしゅう]

明治めいじ時代じだい後期こうき当時とうじ大阪おおさか活躍かつやくしていた講談こうだんである神田かんだはくりゅうがこの伝説でんせつ講談こうだんとして舞台ぶたい披露ひろうしたことで、この伝説でんせつ都会とかい芸能げいのうとして全国ぜんこくてきひろられるようになった[11]。この講談こうだん速記そっきしゃ丸山まるやま平次郎へいじろう速記そっきにより講談こうだんほんとなり、1910ねん明治めいじ43ねん)、『実説じっせつ古狸ふるだぬき合戦かっせん』『古狸ふるだぬき奇談きだん津田つだ浦大うらおお決戦けっせん』『古狸ふるだぬき奇談きだん日開野ひがいのとむら合戦がっせん』のぜん3かん刊行かんこうされた[3][11]どう時期じきでタヌキをあつかった講談こうだんとしてはほかに、伊予いよこく松山まつやま愛媛えひめけん松山まつやま)のたぬきであるかくれしん刑部おさかべえがいた『松山まつやまたぬき問答もんどう』がある。こちらは人間にんげん主人公しゅじんこうであり、『実説じっせつ古狸ふるだぬき合戦かっせん』ほかの講談こうだんはタヌキを主人公しゅじんこうとしてあつかったことが特徴とくちょうてきである[3]

はくりゅうによる講談こうだんは、大筋おおすじ口承こうしょう大差たいさないが、ひとひとつの行為こうい丁寧ていねい描写びょうしゃし、ときには台詞せりふくわえることにより戦闘せんとう場面ばめん臨場りんじょうかんげ、さらにタヌキを滑稽こっけい動物どうぶつとしてではなく、人間にんげん同様どうようしん軍人ぐんじんとしてえがいているという特徴とくちょうがある[3]伝説でんせつじょうにない場面ばめん多々たたあり、これらは創作そうさくられている[3][14]いちれいとして講談こうだんほんでは、かねちょう六右衛門ろくうえもんの2代目だいめ同士どうしたたかいの場面ばめんがあるが、タヌキとしてはあまりに綿密めんみつ作戦さくせんによるたたかいの様子ようすえがかれているうえ講談こうだん以前いぜん関連かんれん書籍しょせきにそうした記述きじゅつ存在そんざいしないため、それらは軍記ぐんきぶつ得意とくいとする講談こうだんによる創作そうさくかんがえられている[3]はくりゅう自身じしんも、講談こうだんほんなか原典げんてんとはわってしまっている部分ぶぶんもあると説明せつめいしている[11]

講談こうだん人気にんきはくしていた要因よういんは、時期じきおりしもにちしん戦争せんそう時期じきであり、戦争せんそう時代じだい社会しゃかいにおいて軍談ぐんだん武勇ぶゆうでんてきかたきちといったたたかおとこたちの物語ものがたりこのまれたことや、タヌキたちが人間にんげん同様どうようにときには仲間なかま同士どうしたすい、ときには名誉めいよ戦死せんしげるといった物語ものがたりが、講談こうだんたのしむ人々ひとびとにとって身近みぢか存在そんざいえたことだとかんがえられている[3]。また、民話みんわにおいてかく土地とち統括とうかつする親分おやぶんきゅうのタヌキは、かみとしてほこらまつられたりおおくの逸話いつわ登場とうじょうしたりと、人々ひとびとにとって身近みぢか存在そんざいであり、とくかねちょう六右衛門ろくうえもん地域ちいき住民じゅうみんにとってのヒーローといえたため、土地とち人々ひとびと仲間なかまないでこうしたタヌキをかたることをとおし、おな知識ちしき共有きょうゆうする仲間なかまおな土地とち人間にんげんとしてのきずなつよまったとの見方みかたともある[23]

それから80ねん以上いじょう1996ねん平成へいせい8ねん)、この明治めいじ講談こうだんをリニューアルした『立体りったい講談こうだん阿波あわたぬき合戦かっせん』が小松こまつとう上演じょうえんされた[28]。さらに1998ねん平成へいせい10ねん)、この立体りったい講談こうだん市民しみんかたってもらい、小松こまつとう文化ぶんか継承けいしょうしていくためかた養成ようせい小松こまつ企画きかく東京とうきょうから講談こうだん講談こうだん脚本きゃくほんまねき、かたじゅくによって開講かいこうされ[28][40]1999ねん発表はっぴょうかい開催かいさいでは大盛おおもりきょうはくした[28]よく1999ねん平成へいせい11ねん)にじゅく終了しゅうりょうしたのち[40]同年どうねん塾生じゅくせいたち20にんにより「小松島こまつしまかた協会きょうかい御伽おとぎしゅ」が結成けっせいされ[41]市内しないがい敬老けいろうかい福祉ふくし施設しせつ講談こうだん園芸えんげい披露ひろうし、聴衆ちょうしゅうわらいやなみださそった[28][42]。しかしのちには高齢こうれいなどの事情じじょうになり、講談こうだん結成けっせい代表だいひょうしゃ1にんだけの状態じょうたいとなっている(2008ねん平成へいせい20ねん時点じてん[40]

映画えいが

[編集へんしゅう]

講談こうだん人気にんき明治めいじ37ねんころをさかいにしてうしなわれ、タヌキの物語ものがたりは、あらたな娯楽ごらくである映画えいがにおいてべつかたち展開てんかいせた[3]

1939ねん昭和しょうわ14ねん映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん』が上映じょうえい制作せいさく新興しんこうキネマで、当時とうじ倒産とうさん寸前すんぜんだった同社どうしゃは、この映画えいがだいヒットで倒産とうさん危機ききえた[9][28]。また、それまで『阿波あわたぬき合戦かっせん』『おもねしゅうたぬき合戦かっせん』などともばれていたこの伝説でんせつが『阿波あわたぬき合戦かっせん』のでほぼ統一とういつされたのは、この映画えいがのタイトルが決定的けっていてきだったともられている[11]1940ねん昭和しょうわ15ねん)には、新興しんこうキネマにより『ぞく阿波あわたぬき合戦かっせん』が制作せいさくされ、またもだいヒットとなった[28]。その昭和しょうわ20年代ねんだいから30年代ねんだいにかけ、タヌキをテーマとした映画えいが数多かずおおつくられ、人気にんきはくした[7][28]

1994ねん平成へいせい6ねん)、たぬき合戦かっせんをモチーフの一部いちぶとした アニメーション映画えいが平成へいせいたぬき合戦かっせんぽんぽこ』が上映じょうえい[43]四国しこく長老ちょうろうたぬきとして「ろく代目だいめきんちょう」「太三郎たさぶろう禿かぶろたぬき」「かくれしん刑部おさかべ」が活躍かつやくするなかかねちょう中心ちゅうしんてき役割やくわりたし、前述ぜんじゅつかねちょう神社じんじゃげきちゅう登場とうじょうした[28]

2011ねん平成へいせい23ねん)には徳島文理大学とくしまぶんりだいがく人間にんげん生活せいかつ学部がくぶメディアデザイン学科がっかによりアニメ作品さくひん製作せいさくされた。どう大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅでもある画家がかめしはら一夫かずお提案ていあんによるもので[44]地域ちいき活性かっせい事業じぎょう一環いっかんとして、同年どうねん12月上映じょうえいかい開催かいさいされ[45]よく2012ねん平成へいせい24ねん)に徳島とくしま市立しりつ徳島とくしまじょう博物館はくぶつかん開催かいさいされた飯原いいはら絵画かいがてんでも上映じょうえいされた[46]

その

[編集へんしゅう]

あらたな伝達でんたつ媒体ばいたいとして、2015ねん平成へいせい27ねん)には電子でんし書籍しょせき公開こうかい開始かいしされた。製作せいさく徳島文理大学とくしまぶんりだいがく学生がくせいたち、文章ぶんしょう前述ぜんじゅつめしはら一夫かずおによる。徳島とくしま電子でんし図書館としょかんのウェブサイトで公開こうかいされており、ユーザー登録とうろく利用りようパスワードなどを必要ひつようとせずに閲覧えつらん可能かのうである[47][48]

徳島とくしま県内けんないのまちづくり

[編集へんしゅう]

小松島こまつしま

[編集へんしゅう]
かねちょうまんじゅう
小松島こまつしまステーションパーク
小松島こまつしま運輸うんゆ路線ろせんバス
阿波あわたぬきまつり

小松島こまつしまではたぬき合戦かっせん史跡しせきはじめとするタヌキ関連かんれん事物じぶつまちづくりかすみがさかんであり、タヌキがまちのシンボルとなって、まち随所ずいしょにそのモニュメントやウォールアートがられる[4][26]

かねちょうをモチーフとした菓子かしかねちょうまんじゅう」(ハレルヤ製菓せいか)は、小松島こまつしま代表だいひょうてき土産みやげ菓子かしである[4]。「小松こまつとうといえばかねちょうたぬき」との発想はっそうつくられた菓子かしで、映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん公開こうかいは、映画えいがだいヒットのなみって大人気だいにんき商品しょうひんとなった[49]

1985ねん昭和しょうわ60ねん)のきゅう国鉄こくてつ小松島線こまつじません廃止はいしに、小松こまつとうでは民話みんわをテーマとした地域ちいき活性かっせい話題わだいがった。小松島線こまつじませんは、港湾こうわん都市としとして発展はってんしてきた小松こまつとうにとっては本線ほんせん牟岐線むぎせん中田なかだえき)とみなとむす鉄道てつどうであり、これがうしなわれると経済けいざいだい打撃だげきらってしまう。だい打撃だげきめるために、地域ちいき活性かっせいがよりさかんになり、市内しないにタヌキにまつわる事物じぶつえてゆくこととなった[20]

いちはや着手ちゃくしゅしたのが、市内しないかねちょうだぬき郵便ゆうびんきょくである。同局どうきょくきゅう名称めいしょうの「小松こまつとう新港しんこう郵便ゆうびんきょく」から1989ねん平成へいせい元年がんねん)に改名かいめいし、動物どうぶつ名前なまえいた全国ぜんこくはつきょくめいとして全国ぜんこくてき話題わだいとなった。当時とうじ局長きょくちょうが、かつて映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん』をおもれをいたこともあり、当時とうじ地域ちいきうずもれた素材そざいだったタヌキにひかりてるため、かねちょうをモチーフにしたはがきづくりなどの活動かつどうつづけ、やがてきょくしゃ改装かいそうあわせてきょくめい改名かいめい発案はつあん特定とくてい郵便ゆうびん局長きょくちょうかい小松島こまつしま商工しょうこう会議かいぎしょなどの応援おうえんながら、四国しこく郵政ゆうせいきょく日本にっぽん郵便ゆうびん株式会社かぶしきがいしゃ四国しこく支社ししゃ愛媛えひめけん松山まつやま)にきょくめい変更へんこう申請しんせいしたすえかねちょうんできた長年ながねん努力どりょく地道じみち活動かつどうみとめられ、きょくめい変更へんこう認可にんかされた[50]動物どうぶつ名前なまえ郵便ゆうびんきょくれいがまったくないことから、認可にんかにあたって郵政省ゆうせいしょうではかなり議論ぎろんがあったという[28]開局かいきょくあわせてタヌキをえがいた葉書はがき切手きって、スタンプなどを製作せいさくしたところ、全国ぜんこくの郵趣たちからもうみが殺到さっとうするにいたった[20][50]市内しないにはタヌキのぞうかざられた郵便ゆうびんポストもられる[51]

1991ねん平成へいせい3ねん)には小松島こまつしま市内しない若者わかものたちにより、かねちょうたぬきをイメージした太鼓たいこきむ長太ちょうたつづみ」が結成けっせいされた。陽気ようきあかるく愉快ゆかい演奏えんそうであり、これまでの太鼓たいこのイメージをやぶるとのこえもある[5]

1993ねん平成へいせい5ねん)には、小松島こまつしまステーションパーク世界せかい最大さいだいかねちょう銅像どうぞう完成かんせいした[4][28]たかさ5メートル、胴回どうまわり5メートル、おもさが5トンあり[28]小松島こまつしまのシンボルでもある[52]観光かんこうきゃくからも人気にんきがある[18]。タヌキの置物おきものとしては信楽焼しがらきやき有名ゆうめいであり、信楽しがらき滋賀しがけん甲賀こうが)には全高ぜんこう8メートルのタヌキの置物おきものがある。だが銅像どうぞうとしてはこの小松島こまつしまステーションパークの銅像どうぞう世界一せかいいちである[28]。このステーションパークには、合戦かっせん登場とうじょうするタヌキも石像せきぞうとしてならんでいる[43]

平成へいせいたぬき合戦かっせんぽんぽこ』が公開こうかいされた1994ねんにはウォールアート事業じぎょう一環いっかんとして、小松島こまつしま運輸うんゆので市営しえいバスの車体しゃたいがタヌキのデザインでかざられた[28]だい好評こうひょうけてさらに2だいのバスがつくられ、そのも5だいまでつくられ、市内しない運行うんこうしている[28]

5月の連休れんきゅうにはかねちょう神社じんじゃ中心ちゅうしんに「かねちょうまつり」がひらかれ、タヌキ神輿しんよのパレード、きむ長太ちょうたつづみ披露ひろうなどのもよおしがおこなわれている[4]毎年まいとし11がつ開催かいさいされる「阿波あわたぬきまつり」は、20すうまんにんきゃくあつめる一大いちだいイベントであり、タヌキを倶楽部くらぶマスコットにかかげるプロサッカーチームの徳島とくしまヴォルティスも、ブースを出店しゅってんして会場かいじょうげに一役ひとやくっている[53]

2012ねん平成へいせい24ねん)には、かねちょうをモチーフとしたゆるキャラ「こまポン」が登場とうじょうした。名称めいしょう小松島こまつしま市内しない小学校しょうがっこう6年生ねんせいから募集ぼしゅうしたなかからえらばれた。源義経みなもとのよしつねをイメージした武具ぶぐたタヌキの姿すがたで、かたなかわりに小松島こまつしま特産とくさんたけちくわにし、Facebookつうじての小松島こまつしま観光かんこう情報じょうほう発信はっしんなど[54]小松島こまつしま観光かんこうPRマスコットキャラクターとして活躍かつやくしている[55]どう2012ねんにはこまポンにちなみ、たけちくわを食材しょくざいとした料理りょうり「こまポンき」も、市街地しがいち活性かっせい検討けんとうかいにより開発かいはつされている[56]

徳島とくしま津田つだ地区ちく

[編集へんしゅう]

徳島とくしま津田つだ地区ちくでは、かねちょう敵対てきたいした六右衛門ろくうえもんがシンボルとされている。伝説でんせつじょうでは恩返おんがえしをするなど義理堅ぎりがたいとされるかねちょうたいし、六右衛門ろくうえもん映画えいが阿波あわたぬき合戦かっせん』の影響えいきょうもあって悪役あくやく仕立したてげられており[57]、このことに不満ふまんいだ津田つだ地区ちくみんすくなくない[44]。またかねちょうがわ小松島こまつしまでも、かつては六右衛門ろくうえもんわるいタヌキとするイメージがつよかったものの、戦後せんご平和へいわ時代じだいには人々ひとびとかんがえが変化へんかしたこともあり、かねちょう師匠ししょうとして六右衛門ろくうえもん評価ひょうかするこえもある[57]

前述ぜんじゅつかねちょうまんじゅうにたいし、津田西つだにしまち和菓子わがしである吉本よしもとがつどうでは「ろくみぎもん饅頭まんじゅう」が発売はつばいされており、同店どうてん看板かんばん商品しょうひんとなっている。伝説でんせつじょう敵対てきたい関係かんけいとなったかねちょう六右衛門ろくうえもんとはことなり、ろくみぎもん饅頭まんじゅう発案はつあんしゃである吉本よしもとがつどう創業そうぎょうしゃ吉本よしもと利明としあき( - 1982ねん)とかねちょうまんじゅうの発案はつあんしゃであるハレルヤ製菓せいか創業そうぎょうしゃおか武男たけお( - 1996ねん)は、どう業者ぎょうしゃとして旧知きゅうちなかである。おかかねちょうまんじゅうのしにさいし、当時とうじすでにろくみぎもん饅頭まんじゅうしていた吉本よしもとのもとをたずね、意見いけん交換こうかんおこなっていたという[58]

1995ねん平成へいせい7ねん)より津田つだ地区ちく社会しゃかい福祉ふくし協議きょうぎかい考案こうあんによるまちおこしイベント「六右衛門ろくうえもんまつり」が開催かいさいされており、出店しゅってん子供こども太鼓たいこ阿波あわおどり、けん指定してい無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい津田つだ盆踊ぼんおど」などで好評こうひょうはくしている[59]

2014ねん平成へいせい26ねん)に開催かいさいされただい20かい六右衛門ろくうえもんまつりでは、小松島こまつしま商工しょうこう会議かいぎしょ協力きょうりょくのもとに「六右衛門ろくうえもんたぬきかねちょうたぬき交流こうりゅう宣言せんげん」が表明ひょうめいされ、六右衛門ろくうえもんぐるみが登場とうじょう前述ぜんじゅつのこまポンと握手あくしゅをかわし、江戸えど時代じだいから対立たいりつしていたタヌキ同士どうしが170ねんぶりに和解わかいたしたとほうじられた[59]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 井上いのうえ 1980, p. 202.
  2. ^ しんはちたぬき四国しこく昔話むかしばなしはちじゅうはちケ所かしょめぐ”. ウェブサイト空海くうかい. セント・レディス (2006ねん). 2015ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i 横山よこやま 2009, pp. 18–24
  4. ^ a b c d e 内藤ないとうほか 2007, pp. 182–183
  5. ^ a b c d たぬきのまちづくり” (PDF). 小松島こまつしま. 2017ねん6がつ7にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ 村松むらまつじょうこうしん日本にっぽん伝説でんせつ100せん秋田あきた書店しょてん〈100せんシリーズ〉、1990ねん9がつ1にち、216-218ぺーじISBN 978-4-253-00406-0 
  7. ^ a b 斉藤さいとうほか 2006, p. 84
  8. ^ 妖怪ようかい散策さんさく かたつたえられるたぬき合戦かっせん」『読売新聞よみうりしんぶん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ、2005ねん10がつ16にち大阪おおさか朝刊ちょうかん、28めん
  9. ^ a b c d e f g h 谷野たにのけいすけきむおさむさん」『徳島とくしま新聞しんぶん徳島新聞社とくしましんぶんしゃ、2008ねん11月25にちオリジナルの2012ねん11月15にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d 笠井かさい 1927, pp. 95–102
  11. ^ a b c d e 喜田きた 2009, pp. 117–119
  12. ^ a b 横溝よこみぞほか 1989, pp. 360–361
  13. ^ a b 武田たけだ 1977, pp. 177–185
  14. ^ a b c d 後藤ごとう 1922, pp. 281–288
  15. ^ 三澤みさわ敏博としひろ日本にっぽんもののけたん白地しろじしゃ、2005ねん1がつ30にち、84-85ぺーじISBN 978-4-89359-230-9 
  16. ^ a b c 井上いのうえ 1980, pp. 123–125
  17. ^ たぬきの民話みんわ伝説でんせつ”. 小松島こまつしま (2009ねん8がつ1にち). 2013ねん6がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  18. ^ a b c かねちょうたぬき”. 西日本にしにほん中央ちゅうおう連携れんけいじく]. 2007ねん11がつ10日とおか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん6がつ17にち閲覧えつらん
  19. ^ a b c かつら冨士ふじろう阿波あわ文学ぶんがく散歩さんぽ」『徳島とくしま新聞しんぶん』1994ねん4がつ17にち朝刊ちょうかん、13めん
  20. ^ a b c 徳島とくしまけん小松島こまつしま タヌキのまち愉快ゆかいにアピール」『スポーツ報知ほうち報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、2009ねん4がつ21にち、21めん
  21. ^ 阿波あわたぬき合戦かっせんした小松島こまつしま」『徳島とくしま新聞しんぶん』。オリジナルの2015ねん3がつ26にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  22. ^ a b c 中村なかむら 1998, pp. 275–280
  23. ^ a b c d 高橋たかはし 2000, pp. 235–238
  24. ^ a b 三輪みわさち徳島とくしま津田西つだにしまちかいわい タヌキそう大将たいしょう、いま神様かみさま」『朝日新聞あさひしんぶん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2010ねん1がつ31にち大阪おおさか地方ちほうばん、31めん
  25. ^ a b c よし松美まつみ和子かずこ津田つだたぬき伝説でんせつ 六右衛門ろくうえもん魅力みりょく」『徳島とくしま新聞しんぶん』2011ねん9がつ22にち朝刊ちょうかん、27めん
  26. ^ a b c d e コラム きんちょう神社じんじゃ”. 中国ちゅうごく四国しこく農政のうせいきょく. 2013ねん6がつ17にち閲覧えつらん
  27. ^ 宮田みやたのぼる王権おうけん日和見ひよりみ吉川弘文館よしかわこうぶんかん宮田みやたのぼる 日本にっぽんかたる〉、2006ねん11月、189ぺーじISBN 978-4-642-07142-0 
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u かねちょうたぬきにかんするデータベース きんちょうたぬきの歴史れきし
  29. ^ a b 戸部とべ 2013, p. 237
  30. ^ 長沢ながさわたけし動物どうぶつ民俗みんぞく』 1かん法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく〈ものと人間にんげん文化ぶんか〉、2005ねん4がつ、117ぺーじISBN 978-4-588-21241-3 
  31. ^ a b c 村上むらかみ 2008, pp. 285–290
  32. ^ 山内やまうちふかし紗子さえこ阿波あわたぬき合戦かっせん 徳島とくしまけん小松島こまつしま 義理ぎりつらぬいたあきないのかみ」『朝日新聞あさひしんぶん』2006ねん8がつ10日とおか大阪おおさか朝刊ちょうかん、23めん
  33. ^ きむ長大ちょうだい明神みょうじん”. るなび. 日本にっぽん観光かんこう振興しんこう協会きょうかい (2014ねん). 2015ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  34. ^ ジブリ映画えいがにも登場とうじょう きん長大ちょうだい明神みょうじん存続そんぞく危機きき」『徳島とくしま新聞しんぶん』2017ねん7がつ10日とおか2018ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  35. ^ きむ長大ちょうだい明神みょうじん小松島こまつしま復興ふっこうだい作戦さくせんぽんぽこ - Ameba Blog
  36. ^ かねちょう神社じんじゃまもかい きん長子ちょうしぶん小鷹こたか熊鷹くまたか (@kinchostrategy) - X(きゅうTwitter)
  37. ^ かねちょうたぬき”. 小松島こまつしま. 2018ねん4がつ20日はつか時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  38. ^ 津田つだコース 42”. たぬきくにへおいでなして. 四国放送しこくほうそう. 2013ねん6がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  39. ^ 津田つだコース 43”. たぬきくにへおいでなして. 2013ねん6がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん6がつ23にち閲覧えつらん
  40. ^ a b c 谷野たにのけいすけ市民しみん講談こうだん」『徳島とくしま新聞しんぶん』2008ねん11月28にちオリジナルの2012ねん11月17にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  41. ^ 徳島とくしま小松島こまつしまがタヌキの民話みんわ講談こうだん伝承でんしょうするかた協会きょうかい発足ほっそくへ」『読売新聞よみうりしんぶん』1999ねん5がつ29にち大阪おおさか夕刊ゆうかん、11めん
  42. ^ 小松こまつとう住民じゅうみんグループが「たぬき合戦かっせん題材だいざいにオリジナル講談こうだん 8にちはつ披露ひろう」『徳島とくしま新聞しんぶん』2001ねん4がつ6にち特集とくしゅう
  43. ^ a b かねちょうだぬき”. 小松島こまつしまじまんプロジェクト. 2013ねん6がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2016ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  44. ^ a b 津田つだたぬき伝説でんせつ 六右衛門ろくうえもん魅力みりょく」『徳島とくしま新聞しんぶん』2011ねん9がつ23にち朝刊ちょうかん、27めん
  45. ^ 前編ぜんぺん上映じょうえいはじまる 徳島文理大とくしまぶんりだいせいがアニメ阿波あわたぬき合戦かっせん」『徳島とくしま新聞しんぶん』2011ねん12月20にちオリジナルの2012ねん2がつ11にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  46. ^ 絵画かいがてん:画家がかめしげんさん、「たぬき合戦かっせん独特どくとく筆致ひっち徳島とくしまじょう博物館はくぶつかん、27にちまで」『毎日新聞まいにちしんぶん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2012ねん5がつ24にち、20めん
  47. ^ かめおか龍太りゅうた阿波あわタヌキ伝承でんしょう電子でんしほん発信はっしん あすからHPで公開こうかい 徳島とくしま電子でんし図書館としょかん」『朝日新聞あさひしんぶん』2015ねん5がつ15にち大阪おおさか地方ちほうばん/徳島とくしま、27めん
  48. ^ ぽんぽこ 阿波あわたぬき物語ものがたり
  49. ^ 谷野たにのけいすけかねちょうまんじゅう」『徳島とくしま新聞しんぶん』2008ねん11月27にちオリジナルの2014ねん3がつ9にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  50. ^ a b 谷野たにのけいすけかねちょうだぬき郵便ゆうびんきょく」『徳島とくしま新聞しんぶん』2008ねん11月26にちオリジナルの2012ねん11月17にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  51. ^ 「『四国しこくふるさと自慢じまん小松島こまつしまステーションパーク(徳島とくしまけん小松島こまつしま世界一せかいいちのタヌキ鎮座ちんざ」『高知新聞こうちしんぶん高知新聞社こうちしんぶんしゃ、2003ねん6がつ28にち朝刊ちょうかん、24めん
  52. ^ 谷野たにのけいすけ小松島こまつしま観光かんこうPR ポスターはつ作製さくせい、パンフ一新いっしん」『徳島とくしま新聞しんぶん』2012ねん4がつ12にちオリジナルの2012ねん4がつ15にち時点じてんにおけるアーカイブ。2015ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  53. ^ 中林なかばやし良輔りょうすけ へん『J2白書はくしょ 51せつあつたたかい 2009』東邦とうほう出版しゅっぱん、2010ねん、202ぺーじISBN 978-4-8094-0846-5 
  54. ^ かねちょうたぬき こまポン (sangyoshinko) - Facebook
  55. ^ 「こまポン」と命名めいめい 小松島こまつしまのマスコットキャラ」『徳島とくしま新聞しんぶん』2012ねん6がつ17にちオリジナルの2012ねん6がつ22にち時点じてんにおけるアーカイブ。2016ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  56. ^ 小松島こまつしま特産とくさんちくわ使用しよう、「こまポンき」開発かいはつ イベントで3にち販売はんばい」『徳島とくしま新聞しんぶん』2012ねん11月1にち朝刊ちょうかん、18めん
  57. ^ a b 津田つだたぬき伝説でんせつ 六右衛門ろくうえもん魅力みりょく きんちょうとの関係かんけい」『徳島とくしま新聞しんぶん』2011ねん9がつ26にち朝刊ちょうかん、19めん
  58. ^ よし松美まつみ和子かずこ津田つだたぬき伝説でんせつ 六右衛門ろくうえもん魅力みりょく ろくみぎもん饅頭まんじゅう」『徳島とくしま新聞しんぶん』2011ねん9がつ25にち朝刊ちょうかん、25めん
  59. ^ a b 津田つだ六右衛門ろくうえもんまつり」6にちで20かい きんちょうたぬきむかえ“和解わかい演出えんしゅつ」『徳島とくしま新聞しんぶん』2014ねん4がつ5にち朝刊ちょうかん、17めんオリジナルの2015ねん9がつ3にち時点じてんにおけるアーカイブ。2016ねん1がつ14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 井上いのうえ友治ゆうじたぬき日本人にっぽんじん黎明れいめい書房しょぼう、1980ねん5がつNCID BN06991060 
  • 笠井かさい新也しんや阿波あわたぬきはなし中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公ちゅうこう文庫ぶんこ〉、2009ねん8がつ原著げんちょ1927ねん)。ISBN 978-4-12-205193-5 
  • 後藤ごとう捷一しょういち阿波あわけるたぬき傳説でんせつじゅうはちのり」『民族みんぞく歴史れきしだい8かん1ごう通巻つうかん43ごう)、日本にっぽん学術がくじゅつ普及ふきゅうかい、1922ねん7がつNCID AN00237313 
  • 斉藤さいとう小川おがわまちほか ちょ人文じんぶんしゃ編集へんしゅう へん日本にっぽんなぞ不思議ふしぎ大全たいぜん西日本にしにほんへん人文じんぶんしゃ〈ものしりミニシリーズ〉、2006ねん10がつISBN 978-4-7959-1987-7 
  • 高橋たかはし晋一しんいち「「はなし」の社会しゃかいてき機能きのう 阿波あわたぬきばなしをめぐって」『世間せけんばなし研究けんきゅうだい10ごう世間せけんばなし研究けんきゅうかい、2000ねん1がつNCID AA11578391 
  • 喜田きた昌裕まさひろ ちょ阿波あわたぬき合戦かっせん真実しんじつ」、力石りきいし幸一こういち へん不思議ふしぎ大陸たいりくアトランティア』 1ごう徳間書店とくましょてん〈TOWN MOOK〉、2009ねん4がつISBN 978-4-19-710208-2 
  • 武田たけだあきら守川もりかわ慎一郎しんいちろう阿波あわ伝説でんせつ角川書店かどかわしょてん日本にっぽん伝説でんせつ〉、1977ねん3がつNCID BN03653571 
  • 戸部とべ民夫たみお神様かみさまになった動物どうぶつたち』大和やまと書房しょぼう〈だいわ文庫ぶんこ〉、2013ねん1がつ12にちISBN 978-4-479-30417-3 
  • 内藤ないとうひろしほまれほか ちょ日本にっぽん口承こうしょう文芸ぶんげい学会がっかい へん『シリーズことばの世界せかいだい3かん三弥みつや書店しょてん、2007ねん12月。ISBN 978-4-8382-3160-7 
  • 中村なかむらただしさと ちょ徳島とくしまけんのタヌキほこら」、ぬま義昭よしあき博士はかせ古稀こき記念きねんろん文集ぶんしゅう編集へんしゅう委員いいんかい へん宗教しゅうきょう社会しゃかい生活せいかつ諸相しょそう隆文たかふみかん、1998ねん3がつISBN 978-4-89747-338-3 
  • 村上むらかみ健司けんじ日本にっぽん妖怪ようかい散歩さんぽ角川書店かどかわしょてん角川かどかわ文庫ぶんこ〉、2008ねん8がつ25にちISBN 978-4-04-391001-4 
  • 横山よこやま泰子やすこ ちょたぬきたたかい、おどる」、小松こまつ和彦かずひこ へん妖怪ようかい文化ぶんか研究けんきゅう最前線さいぜんせんせりか書房しょぼう、2009ねん10がつISBN 978-4-7967-0291-1 
  • 横溝よこみぞ正道せいどうほか『全国ぜんこく神社じんじゃだい要覧ようらん大竹おおたけしんむべ監修かんしゅう、リッチマインド出版しゅっぱん事業じぎょう、1989ねん8がつNCID BN04522127 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]