高松 公園
Morioka Takamatsu Park | |
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5,1ha | |
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アクセス |
概要
[この
歴史 ・沿革
[- 1597
年 (慶長 2年 ) -南部 家 26代 当主 南部 信 直 が盛岡 城 築城 開始 。 - 1661
年 (寛文 元年 )~1673年 (寛文 13年 ) -盛岡 城下 の北西 側 の湿地 帯 に上田 組 町 を建設 するにあたって、水源 地 に治水 対策 のため上田 に三 段 の堤防 を築堤 して堰 き止 め、用水 堰 を通 して北上川 に排水 した。この上 堤 、中堤 、下堤 の内 、最 も大 きかった中堤 が、現在 の高松 の池 となる。なお、灌漑 としての役割 は少 なく、上田 周辺 の水田 化 に利用 されただけとされる。 - 1889
年 (明治 22年 )4月 1日 -町村 制 施行 に伴 い、現在 の高松 の池 周辺 は岩手 郡 米 内村 の一部 となる。 - 1892
年 (明治 25年 ) -上田 堤 の開発 が計画 され、松 、躑躅 、梅 などが植 えられる。水辺 には屋形船 を浮 かべ、開発 の端緒 がつくられる。 - 1906
年 (明治 39年 ) -日 露 戦争 の勝利 を記念 して、地元 有志 が中心 となり「栽桜会 」を結成 、ソメイヨシノ1000本 の苗木 を池 周囲 に植樹 する。 大正 中頃 -上田堤 周辺 が南部 家 の鷹狩 りの場 であったこと、松林 の美 しさが有名 であったことにちなみ、高松 の池 と改称 される。なお、この名称 は当時 盛岡 市長 であった北田 親 氏 が、かつて盛岡 市長 を務 めた大矢 馬 太郎 と相談 して命名 したものである。- 1922
年 (大正 11年 ) -公園 整備 計画 の策定 と整備 。約 2年 をかけて四阿 、園 路 などを整備 する。 - 1928
年 (昭和 3年 ) -盛岡 市 と米 内 村 の合併 により、高松 の池 が盛岡 市 の管理 となる。 - 1948
年 (昭和 23年 ) -高松 振興 促進 会 が設立 され、公園 整備 のための寄附 募集 活動 を開始 する。 - 1949
年 (昭和 24年 ) - 4月 に高松 振興 促進 会 が公園 整備 費 30万 円 と桜 の苗木 650本 を寄附 。5月1日 には市立 公園 として指定 される。 - 1952
年 (昭和 27年 ) -池 を中心 とした風致 を守 るため、高松 風致 地区 が指定 される。 - 1957
年 (昭和 32年 ) -都市 計画 法 による都市 公園 として計画 決定 。 - 1958
年 (昭和 33年 ) -第 13回 冬季 国体 のスケート競技 、及 び第 7回 全国 高校 スケート大会 を開催 し、両 大会 の会場 として利用 される。 - 1966
年 (昭和 41年 ) -大 規模 老朽 溜池 事業 により堤 体 の全面 改修 を実施 する。 - 1984
年 (昭和 59年 ) -白鳥 の餌付 けを開始 。以後 多 くの白鳥 の飛来 地 となる。 - 1989
年 (平成 元年 ) -日本 さくら名所 100選 に選 ばれる。