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桜の通り抜け (大阪造幣局) - Wikipedia コンテンツにスキップ

さくらとおけ (大阪おおさか造幣局ぞうへいきょく)

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造幣局ぞうへいきょくさくらとお
地図

さくらとお(さくらのとおりぬけ)とは、毎年まいとし4がつ中旬ちゅうじゅんごろヤエザクラ開花かいか時期じきの7日間にちかんに、大阪おおさか大阪おおさかきた位置いちする独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく敷地しきちない一部いちぶ一般いっぱん公開こうかいされておこなわれる品種ひんしゅサクラもよおしのこと。「とおけ」という名称めいしょう大川おおかわ沿いにつづ構内こうない通路つうろ沿いの560mにおおくのさくらえられ、その通路つうろ沿って一方いっぽう通行つうこう花見はなみきゃくとおけることから、明治めいじ40ねんごろ定着ていちゃくしたもの[1]

造幣局ぞうへいきょく日本にっぽんさくら名所めいしょ100せん選定せんていされており、構内こうないえられている品種ひんしゅカンザンフゲンゾウなどの遅咲おそざきのヤエザクラを中心ちゅうしんに134品種ひんしゅ338ほんかぞえる(2019ねん時点じてん)。このうち1つの品種ひんしゅが「今年ことしはな」として毎年まいとし選定せんていされ公表こうひょうされている[2][1]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

天保てんぽうひろし年代ねんだい1830ねん-1847ねん)に伊勢いせこくはんあるじ藤堂とうどう大坂おおさか蔵屋敷くらやしきつつみさくらえたのがはじまり。毎年まいとし花見はなみ時期じき屋敷やしき開放かいほう観桜かんおうさせる桜狩さくらがりもよおした[3]

明治めいじ政府せいふにより没収ぼっしゅうされた蔵屋敷くらやしき一部いちぶは、明治めいじ4ねん(1871ねん)に造幣局ぞうへいきょくとして整備せいびされ開業かいぎょうした。蔵屋敷くらやしきにあったさくら大川おおかわ川岸かわぎしどおりに移植いしょくされ、造幣局ぞうへいきょく敷地しきちないには明治めいじ3ねん(1870ねん以降いこうあらたにさくら若木わかぎえられ、それらが現在げんざいさくら並木なみきのルーツになった[4]

1883ねん明治めいじ16ねん)に、造幣局ぞうへいきょくちょう遠藤えんどう謹助が「局員きょくいんだけの観桜かんおうではもったいない。大阪おおさか市民しみんみなさんかたともたのしもうではないか。」と一般いっぱん開放かいほうされた[1][5]開放かいほう当初とうしょ午前ごぜん10から午後ごご4開放かいほうであったが、次第しだい開放かいほう時間じかん拡大かくだいされ、1905ねん明治めいじ38ねん)には午前ごぜん8から午後ごご6開放かいほうとなった。1907ねん明治めいじ40ねん)には午前ごぜん8から午後ごご5縮小しゅくしょうされた[6]開放かいほう期間きかんちゅう人出ひとでは、1893ねん明治めいじ26ねん)7まんにん、1899ねん明治めいじ32ねん)9まん6000にんとの記録きろくがある[7]

1889ねん日本にっぽん旅行りょこうちゅうにこの「とおけ」に遭遇そうぐうしたノーベルしょう作家さっかキプリング当時とうじ様子ようすを、「かわ並行へいこうするみち沿いにはさくらももうめといった木々きぎがピンクやしろべにはなをいっぱいにつけ、えだえだかわしつつとどかぎりのはる彼方かなたまでやわらかなビロードのおびのようにつづいていた。水辺みずべのアクセントである緑色みどりいろやなぎをともなって、あたりいちめんにはもっと贅沢ぜいたくはる祭典さいてんひろげられていた(後略こうりゃく)」と描写びょうしゃし、日本人にっぽんじん庶民しょみんいたるまで花見はなみという絶景ぜっけいたのしむ趣味しゅみっていることにおどろきをしめし、読者どくしゃけてこの時期じき日本にっぽんなさいとすすめている[8]

1909ねん明治めいじ42ねん)にはいちじゅうのシバヤマ132ほんミクルマガエシ68ほんとうなどの18種類しゅるい287ほんさくらがあり、カンザンフゲンゾウなどの遅咲おそざきのヤエザクラおお現在げんざい植樹しょくじゅじょうきょうとはことなったおもむきであった[7]

大正たいしょう時代じだいには周辺しゅうへん工場こうじょうからの煤煙ばいえん影響えいきょうによって樹勢じゅせいおとろえたことで、大正たいしょう末期まっきから昭和しょうわ初期しょきにかけて全国ぜんこくから苗木なえぎあつめてうえされていった[9]うえすすめた結果けっか、1927ねん昭和しょうわ2ねん)には12しゅ455ほんもっと本数ほんすうおおかった1931ねん昭和しょうわ6ねん)には74しゅ764ほんになった[4]

1917ねん大正たいしょう6ねん)には6日間にちかんで70まん2252にん人出ひとでがあり、これは戦前せんぜん最高さいこう記録きろくである[10]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ15にち空襲くうしゅう造幣局ぞうへいきょくさくら過半数かはんすう焼失しょうしつするひとし被害ひがいけた[10]

戦後せんご復興ふっこうは、1946ねん昭和しょうわ21ねん)から北摂ほくせつ地域ちいきからの移植いしょくけ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に5ねんぶりに「とおけ」を再開さいかいした。そのおぎなえうえつづけられ、1951ねん昭和しょうわ26ねん)に戦前せんぜん状態じょうたいまで復興ふっこうし、同年どうねん夜間やかん開放かいほうはじまった[10]

1959ねん昭和しょうわ34ねん)に、当時とうじ過去かこ最高さいこうとなる106まん1780にん観桜かんおうしゃすう記録きろくした[1][10]

1967ねん昭和しょうわ42ねん)4がつ22にち一人ひとり観客かんきゃくがつまずきたおれたことをきっかけとしておおくの観客かんきゃくかさなって転倒てんとうし、1めいくなる事故じことなった。この事故じこ契機けいきとしてもん通路つうろ拡張かくちょう工事こうじおこなうとともに、閉門へいもん時間じかん混雑こんざつじょうきょうおうじて変更へんこうするなど柔軟じゅうなん運用うんようおこなわれるようになった[10]

1975ねん昭和しょうわ50ねん)4がつ19にちには、1にちとしては最高さいこうの36まんにん観桜かんおうしゃすう記録きろくしている[11]。このとしから毎年まいとしいち品種ひんしゅが「今年ことしはな」として紹介しょうかいされるようになり、また「とお記念きねんメダル」の販売はんばいはじまった[12]

2005ねん平成へいせい17ねん)に過去かこ最高さいこうの114まん7000にん観桜かんおうしゃすう記録きろくした[1]

2011ねん平成へいせい23ねん)は東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいきわする電力でんりょく危機ききにより内外ないがいからの開催かいさい反対はんたい意見いけんがあったが、夜桜よざくらライトアップをめて昼間ひるまのみ開催かいさいされ、開催かいさい7日間にちかんで1000まんえんあまり募金ぼきんされた[13]

2020ねんれい2ねん)と2021ねんれい3ねん)は新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう影響えいきょう中止ちゅうしされた[14][15]当初とうしょ2021ねんれい3ねん)の予定よていでは、防疫ぼうえき拡大かくだい防止ぼうしのため事前じぜんにはがきによる抽選ちゅうせんもうみに当選とうせんしたほう対象たいしょうとして、1にちたり8400にん週末しゅうまつは9600にん)、かつ、1あいだたり1200にん上限じょうげんとして、申込もうしこみしゃ曜日ようび時間じかん午前ごぜん午後ごご。1あいだ単位たんい入場にゅうじょう指定していについては主催しゅさいしゃ決定けってい)を指定していした入場にゅうじょうけたうえで[16]4がつ8にち~14にち開催かいさいすることになっていたが、変異へんいしゅなどによるコロナウィルスだい4影響えいきょうひろがっていること、また日本国にっぽんこく政府せいふ大阪おおさかたいして、「蔓延まんえん防止ぼうしとう重点じゅうてん措置そち」を4がつ6にち~5がつ5にち予定よてい)に適用てきようすることをめたことをまえ、「来場らいじょうしゃ感染かんせんふせぐため」に同年どうねん開催かいさい見合みあわせることがまった[17]

2022ねんれい4ねん)から一般いっぱん公開こうかい再開さいかい。2022,23年度ねんどれい4,5ねん)は、事前じぜん予約よやく(ネットにて先着せんちゃくじゅん参加さんか無料むりょう)をすることが必要ひつようだった。

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e さくらとおけデータ 造幣局ぞうへいきょく公式こうしきサイト
  2. ^ さくらとおけ(大阪おおさか 造幣局ぞうへいきょく公式こうしきサイト
  3. ^ とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいつくもとしゃ1985、pp25-26
  4. ^ a b とおけ」造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1996、pp.48-49
  5. ^ とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1985、pp28-29
  6. ^ とおけ」造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1996、p.56
  7. ^ a b とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1985、p.33
  8. ^ 『キプリングの日本にっぽん発見はっけん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、2002, p134
  9. ^ とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1985、pp.50-51
  10. ^ a b c d e とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1985、p.51
  11. ^ とおけ」造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1996p127
  12. ^ とおけのさくら造幣局ぞうへいきょくいずみともかいはじめもとしゃ1985、p.78
  13. ^ さくらとおけにおける募金ぼきんについて(報告ほうこく)~来場らいじょうしゃ皆様みなさまおよ被災ひさい皆様みなさまへ~造幣局ぞうへいきょくサイト トピックス 2011ねん4がつ25にち
  14. ^ さくらとおけ」および「はなのまわりみち」の開催かいさい中止ちゅうしについて” (PDF). 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく (2020ねん2がつ28にち). 2020ねん2がつ29にち閲覧えつらん
  15. ^ さくらとおけ(大阪おおさか”. 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく (2021ねん4がつ2にち). 2021ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  16. ^ 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく (2020ねん12月8にち). “れい3ねんさくらとおけ」開催かいさいのおらせ(2020ねん12月8にち”. 2021ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  17. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん (2021ねん4がつ3にち). “造幣局ぞうへいきょくさくらとおけ、今年ことし中止ちゅうし 大阪おおさか「まんえん防止ぼうし適用てきよう”. 2021ねん4がつ5にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 造幣局ぞうへいきょくいずみともかい へんとおけのさくらつくもとしゃ、1985ねん4がつISBN 4-422-25019-1 
  • 池田いけだ成徳しげのり ちょ造幣局ぞうへいきょくいずみともかい へんとおけ:そのあゆみとさくらそうもとしゃ、1996ねん4がつISBN 4-422-25022-1 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3441ふん46.4びょう 東経とうけい13531ふん15.4びょう / 北緯ほくい34.696222 東経とうけい135.520944 / 34.696222; 135.520944