吳ご慰曾,字じ子安こやす,一いち字じ怡堂,號ごう福田ふくだ。安徽あんき當とう涂縣人ひと。清朝せいちょう翰林かんりん。
吳ご慰曾為ため道みち光こう二に十じゅう七なな年ねん(1847年ねん)丁未ていみ科か二に甲かぶと進士しんし。選せん庶吉士し,散ち館かん授翰林院かんりんいん編修へんしゅう。[1]余事よじ不ふ詳しょう。