《武德ぶとく律りつ》是これ唐から朝あさ高祖こうそ武德ぶとく年とし间制定せいてい并颁布ぬの的てき律令りつりょう。
武德ぶとく元年がんねん(618年ねん),唐から高祖こうそ命いのち裴寂等とう修おさむ订律令りつりょう,十一月じゅういちがつ颁布“五ご十じゅう三さん条じょう格かく”[註 1]。四よん年ねん,又また命いのち裴寂、萧瑀、崔ちぇ善よし为等とう十じゅう五ご人にん撰せん定律ていりつ令れい,于七なな年ねん(624年ねん)完成かんせい并颁布ぬの,史し称しょう《武德ぶとく律りつ》。共とも十じゅう二に篇へん,五ご百ひゃく条じょう。它基本きほん上じょう“以《开皇》为准”、“除じょ其苛细五十じゅう三さん条じょう”,附つけ上新かみしん颁布的てき“五ご十じゅう三さん条じょう格かく”,“他た无所改正かいせい”[1]。同どう时制定せいてい的てき还有《武德ぶとく令れい》三さん十じゅう卷かん、《武德ぶとく式しき》十じゅう四よん卷かん。