日本にっぽん年號ねんごうれつひょう

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重定しげさだこうむかいくも

日本にっぽんしたがえ大化たいか革新かくしんどき開始かいし學習がくしゅう中國ちゅうごく制度せいどなみ開始かいし使用しよう年號ねんごうにち语:元号げんごうげんごう紀年きねんおこり初和はつわ中國ちゅうごく一樣在天皇更替之時更改年號,あるもの遭逢天災てんさいひとあるゆう人事じんじ異動いどうかい更改こうかい年號ねんごう後來こうらいさらかわ年號ねんごうてき權力けんりょく甚至掌握しょうあくざい幕府ばくふある武家ぶけ政權せいけんまとしゅじょう日本にっぽん也曾發生はっせいすう兩個りゃんこ年號ねんごう並立へいりつてき局面きょくめんじょうがた,如南北なんぼくあさ時代じだい大覺寺だいかくじみつるてき南朝なんちょうあずか持明院じみょういんみつるてき北朝ほくちょう兩個りゃんこ政府せいふ各自かくじゆう自己じこ年號ねんごうちょくいた統一とういつこれ年號ねんごうざいさいつぎ合流ごうりゅう日本にっぽん年號ねんごうてき用字ようじ多數たすうため年號ねんごうただゆう5ためよん年號ねんごう,且分布ぶんぷざい奈良なら時代じだい

ざい古代こだい日本にっぽん曆法れきほう採用さいよう中國ちゅうごくてき傳統でんとう曆法れきほうしょうためれき」,いちちょくいた日本にっぽん進行しんこう維新いしん改革かいかく廢除はいじょ傳統でんとう曆法れきほうあらためよう西方せいほう通行つうこうてきおおやけれき,以舊れき明治めいじねん十二月じゅうにがつさんにち作為さくい新曆しんれき明治めいじろくねん1がつ1にちしたがえ此就完全かんぜん使用しよう陽曆ようれき明治めいじ以前いぜんてき天皇てんのうだい多數たすう最少さいしょう使用しようりょう2個年かねんごう明治天皇めいじてんのうのぼりはじめ頒布はんぷ命令めいれいあらためためいち天皇てんのう固定こてい使用しよういち個年かねんごうしょうため一世一元いっせいいちげん」,これてき天皇てんのうただゆういち個年かねんごう。20世紀せいき以後いご東亞とうあ國家こっか如中こく朝鮮ちょうせんえつみなみ先後せんご廢除はいじょ君主くんしゅせいなみ廢止はいしりょう年號ねんごう紀年きねん日本にっぽんなりりょう僅存使用しよう年號ねんごうてき國家こっか現今げんこん使用しようてき年號ねんごうためれい」。

該列ひょう羅列られつ日本にっぽんかく時代じだい使用しようてき年號ねんごう名稱めいしょう基本きほん訊息,さら多年たねんごう訊息かえ請讀しゃさん時代じだい區分くぶんてき年號ねんごうれつひょう

目次もくじ[编辑]

凡例はんれい[编辑]

該年ごうれつひょうてき格式かくしき主要しゅよう根據こんきょ中国ちゅうごく年号ねんごうれつひょう,內容主要しゅよう參考さんこうりょう森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかん》、德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽん》及無めい公卿くぎょう補任ほにん整理せいり而成,きょうけいゆう248個年かねんごう

年號ねんごう索引さくいん按照日本にっぽん時代じだいぶんあきら,以年ごう使用しようてき順序じゅんじょ排列はいれつまい一行年號列出起訖時間、紀年きねん年數ねんすう,其他說明せつめい如繼にん天皇てんのう沿用前任ぜんにん天皇てんのう年號ねんごうとうとう事項じこうのりざい備注內說明せつめいわかざい年中ねんじゅう改元かいげんある終止しゅうし使用しよう年號ねんごうてきばなしのりざいとし份後標注ひょうちゅう明日あした本曆ほんれきほうがつ份。(數字すうじ漢字かんじ表示ひょうじしゃため日本にっぽん舊曆きゅうれきつき份;以阿ひしげはく數字すうじ表示ひょうじしゃため日本にっぽん新曆しんれきつき份。)

飛鳥あすか時代ときよ[编辑]

孝德天皇こうとくてんのう於645ねん遷都せんと難波なんばいま大阪おおさか),たてはじめ大化たいか日本にっぽん年號ねんごうはじめこれ兩度りょうどとまよう年號ねんごう,701ねん改元かいげん大寶たいほうこうねんごうのべぞくいたりこん不斷ふだんいたり710ねん元明もとあき天皇てんのう遷都せんと平城京へいじょうきょういま奈良ならためどめきょう使用しようりょう6個年かねんごう

飛鳥あすか時代ときよ(592ねん-710ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
孝德天皇こうとくてんのう在位ざいい:596ねん-654ねん
大化たいか 645ねんろくがつ-650ねんがつ 6ねん 日本にっぽんだいいちおおやけ年號ねんごう[註 1][3]
しろ 650ねんがつ-654ねんじゅういちがつ 5ねん 日本にっぽんだいおおやけ年號ねんごう[註 1][4]
しろねん(654ねんひとし明天めいてんすめらぎ即位そくいこれ日本にっぽんとまよう年號ねんごうゆう32ねん
あるさく白鳳はくほう」。
天武天皇てんむてんのう在位ざいい:673ねん-686ねん
朱鳥あすか 686ねんなながつきゅうがつ 1ねん 日本にっぽんだいさんおおやけ年號ねんごう[註 1][5]朱鳥あすか元年がんねん(686ねん)九月天武天皇駕崩之後,日本にっぽんとまよう年號ねんごう15ねん
あるさく朱雀すじゃく」。
文武ぶんぶ天皇てんのう在位ざいい:697ねん-707ねん
大寶たいほう 701ねんさんがつ-704ねんがつ 4ねん したがえ此,おおやけ年號ねんごう不斷ふだんのべぞくいたりいま
けいくも 704ねんがつ-708ねん正月しょうがつ 5ねん けいくもよんねん(707ねんなながつ元明もとあき天皇てんのうつぎ
元明もとあき天皇てんのう在位ざいい:707ねん-715ねん
和銅わどう 708ねん正月しょうがつ-715ねんきゅうがつ 8ねん

奈良なら時代じだい[编辑]

710ねん元明もとあき天皇てんのうじょう平城京へいじょうきょう,794ねん桓武かんむ天皇てんのう遷都せんと平安京へいあんきょういま京都きょうとためどめきょう使用しようりょう12個年かねんごう

奈良なら時代じだい(710ねん-794ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
元正がんしょう天皇てんのう在位ざいい:715ねん-724ねん
れいかめ 715ねんきゅうがつ-717ねんじゅういちがつ 3ねん
養老ようろう 717ねん十一月じゅういちがつ-724ねんがつ 8ねん
聖武天皇しょうむてんのう在位ざいい:724ねん-749ねん
かみひさし 724ねんがつ-729ねんはちがつ 6ねん 東國とうごくどおりかんさくはくひさし」,《そうさくたからひさし[6]
天平てんぺい 729ねんはちがつ-749ねんよんがつ 21ねん
天平てんぴょうかんたから 749ねんよんがつなながつ 1ねん 年號ねんごう使用しよう3個月かげつ
こうけん天皇てんのう在位ざいい:749ねん-758ねん
天平てんぴょうかちたから 749ねんなながつ-757ねんはちがつ 9ねん 天平てんぴょうかちたからななねん(755ねん正月しょうがつあらためとしためとし[7]
紀元きげんへんさくかちたから」,あるさく勝實かつみ」、「太平たいへいしょうたから[6]
天平てんぴょうたから 757ねんはちがつ-765ねん正月しょうがつ 9ねん ふくとしためとし[8]
天平てんぴょうたからねん(758ねんはちがつ淳仁天皇じゅんにんてんのうつぎ
天平てんぴょうたからはちねん(764ねんじゅうがつしょうとく天皇てんのうつぎ
紀元きげんへんさくたから」,あるさく太平たいへいたから[6]
しょうとく天皇てんのう在位ざいい:764ねん-770ねん
天平てんぺい神護かんご 765ねん正月しょうがつ-767ねんはちがつ 3ねん 紀元きげんへんさくかみまもる[6]
神護かんごけいくも 767ねんはちがつ-770ねんじゅうがつ 4ねん 紀元きげんへんさくけいくも[6]
ひかりじん天皇てんのう在位ざいい:770ねん-781ねん
たからひさし 770ねんじゅうがつ-780ねん 11ねん
てんおう 781ねん-782ねんはちがつ 2ねん てんおう元年がんねん(781ねんよんがつ桓武かんむ天皇てんのうつぎ
桓武かんむ天皇てんのう在位ざいい:781ねん-806ねん
のべれき 782ねんはちがつ-806ねんがつ 25ねん のべれきじゅうねん(806ねんさんがつ平城ひらじろ天皇てんのう即位そくい改元かいげん

平安へいあん時代じだい[编辑]

794ねん桓武かんむ天皇てんのう遷都せんと平安京へいあんきょう,1184ねん鎌倉かまくら幕府ばくふ成立せいりつためどめきょう使用しようりょう88個年かねんごう

平安へいあん時代じだい(794ねん-1185ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
平城ひらじろ天皇てんのう在位ざいい:806ねん-809ねん
大同だいどう 806ねんがつ-810ねんきゅうがつ 5ねん 大同だいどうよんねん(809ねんよんがつ嵯峨天皇さがてんのうつぎ
嵯峨天皇さがてんのう在位ざいい:809ねん-823ねん
ひろしひとし 810ねんきゅうがつ-824ねん正月しょうがつ 15ねん ひろじんじゅうよんねん(823ねんよんがつ淳和天皇じゅんなてんのうつぎ
淳和天皇じゅんなてんのう在位ざいい:823ねん-833ねん
てんちょう 824ねん正月しょうがつ-834ねん正月しょうがつ 11ねん てんちょうじゅうねん(833ねんがつ仁明天皇にんみょうてんのうつぎ
仁明天皇にんみょうてんのう在位ざいい:833ねん-850ねん
うけたまわ 834ねん正月しょうがつ-848ねんろくがつ 15ねん
よしみさち 848ねんろくがつ-851ねんよんがつ 4ねん よしみさちさんねん(850ねんさんがつ文德ふみのり天皇てんのうつぎ
文德ふみのり天皇てんのう在位ざいい:850ねん-858ねん
じんことぶき 851ねんよんがつ-854ねんじゅういちがつ 4ねん
ひとし 854ねん十一月じゅういちがつ-857ねんがつ 4ねん
てんやす 857ねんがつ-859ねんよんがつ 3ねん てんやすねん(858ねんはちがつ清和せいわ天皇てんのうつぎ
清和せいわ天皇てんのう在位ざいい:858ねん-876ねん
さだかん 859ねんよんがつ-877ねんよんがつ 19ねん さだかんじゅうはちねん(876ねんじゅういちがつ陽成ようぜい天皇てんのうつぎ
陽成ようぜい天皇てんのう在位ざいい:876ねん-884ねん
もとけい 877ねんよんがつ-885ねんがつ 9ねん もとけいはちねん(884ねんがつ光孝みつたか天皇てんのうつぎ
光孝みつたか天皇てんのう在位ざいい:884ねん-887ねん
仁和にわ 885ねんがつ-889ねんよんがつ 5ねん 仁和にわさんねん(887ねんはちがつ宇多天皇うだてんのうつぎ
宇多天皇うだてんのう在位ざいい:887ねん-897ねん
寬平かんぺい 889ねんよんがつ-898ねんよんがつ 10ねん 寬平かんぺいきゅうねん(897)なながつ醍醐天皇だいごてんのうつぎ
醍醐天皇だいごてんのう在位ざいい:897ねん-930ねん
あきらやすし 898ねんよんがつ-901ねんなながつ 4ねん
延喜えんぎ 901ねんなながつ-923ねんうるうよんがつ 23ねん 曼殊まんしゅいん文書ぶんしょ有作ゆうさく延壽えんじゅ[9];《類聚るいじゅうこうさくのべ[10]
延長えんちょう 923ねんうるうよんがつ-931ねんよんがつ 9ねん 延長えんちょうはちねん(930ねんきゅうがつ朱雀すざく天皇てんのうつぎ
朱雀すざく天皇てんのう在位ざいい:930ねん-946ねん
うけたまわひらた 931ねんよんがつ-938ねんがつ 8ねん
てんけい 938ねんがつ-947ねんよんがつ 10ねん てんけいきゅうねん(946ねんよんがつ村上むらかみ天皇てんのうつぎ
村上むらかみ天皇てんのう在位ざいい:946ねん-967ねん
てんれき 947ねんよんがつ-957ねんじゅうがつ 11ねん
天德てんとく 957ねんじゅうがつ-961ねんがつ 5ねん
おう 961ねんがつ-964ねんなながつ 4ねん
かんたもつ 964ねんなながつ-968ねんはちがつ 5ねん かんよんねん(967ねんがつ冷泉れいせん天皇てんのうつぎ
冷泉れいせん天皇てんのう在位ざいい:967ねん-969ねん
安和やすかず 968ねんはちがつ-970ねんさんがつ 3ねん 安和あわねん(969ねんはちがつ圓融天皇えんゆうてんのうつぎ
圓融天皇えんゆうてんのう在位ざいい:969ねん-984ねん
てん祿ろく 970ねんさんがつ-973ねん十二月じゅうにがつ 4ねん
てんのべ 973ねん十二月じゅうにがつ-976ねんなながつ 4ねん
貞元さだもと 976ねんなながつ-978ねんじゅういちがつ 3ねん
天元てんげん 978ねん十一月じゅういちがつ-983ねんよんがつ 6ねん
永觀えいかん 983ねんよんがつ-985ねんよんがつ 3ねん 永觀えいかんねん(984ねんはちがつ花山はなやま天皇てんのうつぎ
花山はなやま天皇てんのう[註 2]在位ざいい:984ねん-986ねん
寬和ひろかず 985ねんよんがつ-987ねんよんがつ 3ねん 寬和ひろかずねん(986ねんろくがつ一條天皇いちじょうてんのうつぎ
一條天皇いちじょうてんのう在位ざいい:986ねん-1011ねん
えいのべ 987ねんよんがつ-989ねんはちがつ 3ねん
えい 989ねんはちがつ-990ねんじゅういちがつ 2ねん
せいこよみ 990ねん十一月じゅういちがつ-995ねんがつ 6ねん
ちょういさお 995ねんがつ-999ねん正月しょうがつ 5ねん
長保ながほ 999ねん正月しょうがつ-1004ねんなながつ 6ねん
寬弘かんこう 1004ねんなながつ-1012ねん十二月じゅうにがつ 9ねん 寬弘かんこうはちねん(1011ねんろくがつ三條さんじょう天皇てんのうつぎ
三條さんじょう天皇てんのう在位ざいい:1011ねん-1016ねん
長和ながわ 1012ねん十二月じゅうにがつ-1017ねんよんがつ 6ねん 長和おさわねん(1016ねん正月しょうがつ後一條天皇ごいちじょうてんのうつぎ
後一條天皇ごいちじょうてんのう在位ざいい:1016ねん-1036ねん
寬仁かんじん 1017ねんよんがつ-1021ねんがつ 5ねん
治安ちあん 1021ねんがつ-1024ねんなながつ 4ねん
萬壽まんす 1024ねんなながつ-1028ねんなながつ 5ねん
ちょうはじめ 1028ねんなながつ-1037ねんよんがつ 10ねん ながもときゅうねん(1036ねんよんがつこう朱雀すざく天皇てんのうつぎ
こう朱雀すざく天皇てんのう在位ざいい:1036ねん-1045ねん
ちょうこよみ 1037ねんよんがつ-1040ねんじゅういちがつ[註 3] 4ねん
長久ながひさ 1040ねん十一月じゅういちがつ-1044ねんじゅういちがつ 5ねん
ひろしとく 1044ねん十一月じゅういちがつ-1046ねんよんがつ 3ねん ひろしとくねん(1045ねん正月しょうがつ後冷泉天皇ごれいぜいてんのうつぎ
後冷泉天皇ごれいぜいてんのう在位ざいい:1045ねん-1068ねん
ながうけたまわ 1046ねんよんがつ-1053ねん正月しょうがつ 8ねん
てん 1053ねん正月しょうがつ-1058ねんはちがつ 6ねん
康平こうへい 1058ねんはちがつ-1065ねんはちがつ 8ねん 維庚紀元きげんどおり攷》ちゅういちさく廣平ひろへい」。
れき 1065ねんはちがつ-1069ねんよんがつ 5ねん れきよんねん(1068ねんよんがつ後三條ごさんじょう天皇てんのうつぎ
後三條ごさんじょう天皇てんのう在位ざいい:1068ねん-1073ねん
延久のべひさ 1069ねんよんがつ-1074ねんはちがつ 6ねん 延久のべひさよんねん(1072ねんじゅうがつ白河天皇しらかわてんのうつぎ
白河天皇しらかわてんのう在位ざいい:1073ねん-1087ねん
うけたまわ 1074ねんはちがつ-1077ねんじゅういちがつ 4ねん
うけたまわこよみ 1077ねん十一月じゅういちがつ-1081ねんがつ 5ねん
えいたもつ 1081ねんがつ-1084ねんがつ 4ねん
おうとく 1084ねんがつ-1087ねんよんがつ 4ねん おうとくさんねん(1086ねんじゅういちがつ堀河ほりかわ天皇てんのうつぎ
堀河ほりかわ天皇てんのう在位ざいい:1087ねん-1107ねん
寬治かんじ 1087ねんよんがつ-1094ねん十二月じゅうにがつ 8ねん
よしみ 1094ねん十二月じゅうにがつ-1096ねん十二月じゅうにがつ 3ねん
永長ながおさ 1096ねん十二月じゅうにがつ-1097ねんじゅういちがつ 2ねん
うけたまわとく 1097ねん十一月じゅういちがつ-1099ねんはちがつ 3ねん 岩手いわてけん成島なるしま毘沙門堂びしゃもんどう觀音かんのんぞう銘文めいぶんさくうけたまわとく[13]
かんかず 1099ねんはちがつ-1104ねんがつ 6ねん
長治ながはる 1104ねんがつ-1106ねんよんがつ 3ねん
よしみうけたまわ 1106ねんよんがつ-1108ねんはちがつ 3ねん よしみうけたまわねん(1107ねんなながつ鳥羽天皇とばてんのうつぎ
鳥羽天皇とばてんのう在位ざいい:1107ねん-1123ねん
てんひとし 1108ねんはちがつ-1110ねんなながつ 3ねん
てんひさし 1110ねんなながつ-1113ねんなながつ 4ねん
永久えいきゅう 1113ねんなながつ-1118ねんよんがつ 6ねん
元永もとなが 1118ねんよんがつ-1120ねんよんがつ 3ねん 橋川はしかわただし綜合そうごう日本にっぽん佛教ぶっきょう》引福岡ふくおかけん田島たじま板碑いたびさくもと[14]
保安ほあん 1120ねんよんがつ-1124ねんよんがつ 5ねん 保安ほあんよんねん(1123ねん正月しょうがつ崇德天皇すとくてんのうつぎ
崇德天皇すとくてんのう在位ざいい:1123ねん-1142ねん
てん 1124ねんよんがつ-1126ねん正月しょうがつ 3ねん
大治おおはる 1126ねん正月しょうがつ-1131ねん正月しょうがつ 6ねん
てんうけたまわ 1131ねん正月しょうがつ-1132ねんはちがつ 2ねん
ながうけたまわ 1132ねんはちがつ-1135ねんよんがつ 4ねん
のべ 1135ねんよんがつ-1141ねんなながつ 7ねん
永治えいじ 1141ねんなながつ-1142ねんよんがつ 2ねん たまかいあやまさくながしか[15]
永治えいじ元年がんねん(1141ねんじゅうがつ近衛天皇このえてんのうつぎ
近衛天皇このえてんのう在位ざいい:1142ねん-1155ねん
康治こうじ 1142ねんよんがつ-1144ねんがつ 3ねん
てんやしなえ 1144ねんがつ-1145ねんなながつ 2ねん
久安ひさやす 1145ねんなながつ-1151ねん正月しょうがつ 7ねん そうひえるいいちさくひさじょう[16]
仁平にだいら 1151ねん正月しょうがつ-1154ねんじゅうがつ 4ねん
久壽きゅうじゅ 1154ねんじゅうがつ-1156ねんよんがつ 3ねん 久壽きゅうじゅねん(1155ねんなながつ後白河天皇ごしらかわてんのうつぎ
後白河天皇ごしらかわてんのう在位ざいい:1155ねん-1158ねん
もと 1156ねんよんがつ-1159ねんよんがつ 4ねん もとさんねん(1158ねんはちがつ二條天皇にじょうてんのうつぎ
二條天皇にじょうてんのう在位ざいい:1158ねん-1165ねん
平治へいじ 1159ねんよんがつ-1160ねん正月しょうがつ 2ねん
えいれき 1160ねん正月しょうがつ-1161ねんきゅうがつ 2ねん 奈良なら東大寺とうだいじけいばこ文字もじさくえいれき[13]
おう 1161ねんきゅうがつ-1163ねんさんがつ 3ねん
ちょうひろし 1163ねんさんがつ-1165ねんろくがつ 3ねん
えいよろず 1165ねんろくがつ-1166ねんはちがつ 2ねん ながまん元年がんねん(1165ねんろくがつろくじょう天皇てんのうつぎ
ろくじょう天皇てんのう在位ざいい:1165ねん-1168ねん
じんやす 1166ねんはちがつ-1169ねんよんがつ 4ねん じんやすさんねん(1168ねんがつ高倉天皇たかくらてんのうつぎ
高倉天皇たかくらてんのう在位ざいい:1168ねん-1180ねん
よしみおう 1169ねんよんがつ-1171ねんよんがつ 3ねん 新潟にいがたけんきむせんてら經塚きょうづか出土しゅつどてきけいとう文字もじさくおう[13]
うけたまわやす 1171ねんよんがつ-1175ねんなながつ 5ねん
安元やすもと 1175ねんなながつ-1177ねんはちがつ 3ねん
うけたまわ 1177ねんはちがつ-1181ねんなながつ 5ねん みずのとからしざつ識》いいゆう年號ねんごうぞう」,とうそくうけたまわこれなまり[17]
うけたまわよんねん(1180ねんがつ安德天皇あんとくてんのうつぎ
みなもと使用しよういたりうけたまわはちねん(1184ねん[註 4]
安德天皇あんとくてんのう在位ざいい:1180ねん-1185ねん
養和ようわ 1181ねんなながつ-1182ねんがつ 2ねん 日本にっぽん开始たん暂的年号ねんごう分流ぶんりゅう[註 5]
ことぶきひさし 1182ねんがつ-1185ねんさんがつ 4ねん 東國とうごくどおりかんさくことぶきひさ[17]
ことぶきひさしねん(1183ねんはちがつ後鳥羽ごとば天皇てんのう即位そくい沿用。
ことぶきひさしよんねん(1185)さんがつじゅうよんにちたいら战败,安德天皇あんとくてんのうとう海自かいじ[註 6]
後鳥羽ごとば天皇てんのう在位ざいい:1183ねん-1198ねん
もとこよみ 1184ねんよんがつ-1185ねんはちがつ 2ねん
平安へいあん時代じだいてきわたしねんごう
わたしねんごう 元年がんねん對應たいおうこう年號ねんごう西元にしもと やめ使用しよう年數ねんすう 備注
ちょうよしみ 1ねん 千葉ちばけん香取かとり市長しちょうよしみ板碑いたび[20]

鎌倉かまくら時代ときよ[编辑]

1184ねんみなもと賴朝よりとも成立せいりつ鎌倉かまくら幕府ばくふ成立せいりつ,1333ねん鎌倉かまくら幕府ばくふ滅亡めつぼうためどめ包含ほうがん持明院じみょういんみつるざい內,きょう使用しようりょう50個年かねんごう。(包含ほうがんこうげん天皇てんのう使用しようてきもととく年號ねんごう

鎌倉かまくら時代ときよ(1185ねん-1333ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
後鳥羽ごとば天皇てんのう在位ざいい:1183ねん-1197ねん
文治ぶんじ 1185ねんはちがつ-1190ねんよんがつ 6ねん
たてひさ 1190ねんよんがつ-1199ねんよんがつ 10ねん たてひさきゅうねん(1198ねん正月しょうがつ土御門天皇つちみかどてんのうつぎ
土御門天皇つちみかどてんのう在位ざいい:1197ねん-1210ねん
正治しょうじ 1199ねんよんがつ-1201ねんがつ 3ねん
たてひとし 1201ねんがつ-1204ねんがつ 4ねん
元久もとひさ 1204ねんがつ-1206ねんよんがつ 3ねん
たてひさし 1206ねんよんがつ-1207ねんじゅうがつ 2ねん
うけたまわもと 1207ねんじゅうがつ-1211ねんさんがつ 5ねん うけたまわもとよんねん(1210ねんじゅういちがつ順德天皇じゅんとくてんのうつぎ
順德天皇じゅんとくてんのう在位ざいい:1210ねん-1221ねん
けんれき 1211ねんさんがつ-1213ねん十二月じゅうにがつ 3ねん
たてたもつ 1213ねん十二月じゅうにがつ-1219ねんよんがつ 7ねん
うけたまわひさし 1219ねんよんがつ-1222ねんよんがつ 4ねん うけたまわひさしさんねん(1221ねんよんがつ仲恭天皇ちゅうきょうてんのうつぎ同年どうねんなながつこう堀河ほりかわ天皇てんのうつぎ
こう堀河ほりかわ天皇てんのう在位ざいい:1221ねん-1232ねん
さだおう 1222ねんよんがつ-1224ねんじゅういちがつ 3ねん
げんひとし 1224ねん十一月じゅういちがつ-1225ねんよんがつ 2ねん
よしみ祿ろく 1225ねんよんがつ-1227ねん十二月じゅうにがつ 3ねん
安貞やすさだ 1227ねん十二月じゅうにがつ-1229ねんさんがつ 3ねん
ひろし 1229ねんさんがつ-1232ねんよんがつ 4ねん 松田まつだ福一ふくいちろう不空ふくう常住じょうじゅう紀年きねんろくさくかん[13],《東寺とうじ王代おうだいさくひろしことぶき[9]
さだひさし 1232ねんよんがつ-1233ねんよんがつ 2ねん さだなが元年がんねん(1232ねんじゅうがつ四條しじょう天皇てんのうつぎ
四條しじょう天皇てんのう在位ざいい:1232ねん-1242ねん
天福てんぷく 1233ねんよんがつ-1234ねんじゅういちがつ 2ねん
ぶんれき 1234ねん十一月じゅういちがつ-1235ねんきゅうがつ 2ねん
よしみただし 1235ねんきゅうがつ-1238ねんじゅういちがつ 4ねん 澁谷しぶやあきらやすし天台宗てんだいしゅう書籍しょせき綜合そうごう目錄もくろく·天台宗てんだいしゅういちじょうようしょうかい紹誤さくもとしか[21];鍾映ふちたてもとこうさくよしみさだ[17]
こよみひとし 1238ねん十一月じゅういちがつ-1239ねんがつ 2ねん 鍾映ふちたてもとこうさく曆日れきじつ[17]
のべおう 1239ねんがつ-1240ねんなながつ 2ねん
じん 1240ねんなながつ-1243ねんがつ 4ねん じんさんねん(1242ねん正月しょうがつこう嵯峨天皇さがてんのうつぎ
こう嵯峨天皇さがてんのう在位ざいい:1242ねん-1246ねん
ひろしもと 1243ねんがつ-1247ねんがつ 5ねん ひろしもとよんねん(1246ねん正月しょうがつ後深草天皇ごふかくさてんのうつぎ
後深草天皇ごふかくさてんのう在位ざいい:1246ねん-1259ねん
たからおさむ 1247ねんがつ-1249ねんさんがつ 3ねん
けんちょう 1249ねんさんがつ-1256ねんじゅうがつ 8ねん
かんはじめ 1256ねんじゅうがつ-1257ねんさんがつ 2ねん
せいよしみ 1257ねんさんがつ-1259ねんさんがつ[註 7] 3ねん 北佐久きたさくぐんこころざし》引墓碑文ひぶんさくせい[13]すももちょうらく紀元きげんへんさく正喜まさよし[17]
せいもと 1259ねんさんがつ-1260ねんよんがつ 2ねん 愛知あいちけん武豐たけとよまち出土しゅつどすえすずりめいさくせい[23]
せいもと元年がんねん(1259ねんじゅういちがつ龜山天皇かめやまてんのうつぎ
龜山天皇かめやまてんのう在位ざいい:1259ねん-1274ねん
ぶんおう 1260ねんよんがつ-1261ねんがつ 2ねん
ひろちょう 1261ねんがつ-1264ねんがつ 4ねん
ぶんひさし 1264ねんがつ-1275ねんよんがつ 12ねん ぶんながじゅういちねん(1274ねん正月しょうがつこう宇多天皇うだてんのうつぎ
こう宇多天皇うだてんのう在位ざいい:1274ねん-1278ねん
建治けんじ 1275ねんよんがつ-1278ねんがつ 4ねん
弘安ひろやす 1278ねんがつ-1288ねんよんがつ 11ねん 弘安ひろやすじゅうねん(1287ねんじゅうがつ伏見天皇ふしみてんのうつぎ
伏見天皇ふしみてんのう在位ざいい:1287ねん-1298ねん
せいおう 1288ねんよんがつ-1293ねんはちがつ 6ねん
えいひとし 1293ねんはちがつ-1299ねんよんがつ 7ねん えいひとしろくねん(1298ねんなながつこう伏見天皇ふしみてんのうつぎ
こう伏見天皇ふしみてんのう在位ざいい:1298ねん-1301ねん
正安まさやす 1299ねんよんがつ-1302ねんじゅういちがつ 4ねん 正安まさやすさんねん(1301ねん正月しょうがつこう二條天皇にじょうてんのうつぎ
こう二條天皇にじょうてんのう在位ざいい:1301ねん-1308ねん
いぬいはじめ 1302ねん十一月じゅういちがつ-1303ねんはちがつ 2ねん そうあやまさくいぬいあや[24]
よしみもと 1303ねんはちがつ-1306ねん十二月じゅうにがつ 4ねん
德治とくじ 1306ねん十二月じゅうにがつ-1308ねんじゅうがつ 3ねん 德治とくじさんねん(1308ねんはちがつ花園天皇はなぞのてんのうつぎ
花園天皇はなぞのてんのう在位ざいい:1308ねん-1318ねん
のべけい 1308ねんじゅうがつ-1311ねんよんがつ 4ねん
おうちょう 1311ねんよんがつ-1312ねんさんがつ 2ねん
正和しょうわ 1312ねんさんがつ-1317ねんがつ 6ねん
ぶん 1317ねんがつ-1319ねんよんがつ 3ねん ぶんねん(1318ねんがつ後醍醐天皇ごだいごてんのうつぎ
後醍醐天皇ごだいごてんのう在位ざいい:1318ねん-1339ねん
もとおう 1319ねんよんがつ-1321ねんがつ 3ねん
げんとおる 1321ねんがつ-1324ねん十二月じゅうにがつ 4ねん
正中せいちゅう 1324ねん十二月じゅうにがつ-1326ねんよんがつ 5ねん 金澤文庫かなざわぶんこ文書ぶんしょ·下總しもふさこく東庄とうのしょう年貢ねんぐ算用さんようじょう》及服清五郎せいごろう板碑いたび概說がいせつ有作ゆうさくせいなか[13]
よしみれき 1326ねんよんがつ-1329ねんはちがつ 4ねん
もととく 1329ねんはちがつ-1331ねんはちがつ 3ねん
元弘もとひろ 1331ねんはちがつ-1334ねん正月しょうがつ 4ねん 元弘もとひろ元年がんねん(1331ねん)九月以後日本再度開始短暫的年號分流[註 8]元弘もとひろさんねん(1333ねんじゅうがつ後醍醐天皇ごだいごてんのう復位ふくい
ひかりげん天皇てんのう在位ざいい:1331ねん-1333ねん
もととく 1331ねんきゅうがつ-1332ねんよんがつ 2ねん 镰仓幕府ばくふ擁立ようりつひかりげん天皇てんのうこう用後ようご醍醐天皇だいごてんのうてき年號ねんごうもととくさんねんいたりよんねん[25]
せいけい 1332ねんよんがつ-1333ねんがつ[註 9] 2ねん せいけいねん(1333ねんがつひかりげん天皇てんのう废黜,みことため上皇じょうこう
鎌倉かまくら時代じだいてきわたしねんごう
わたしねんごう 元年がんねん對應たいおうこう年號ねんごう西元にしもと やめ使用しよう年數ねんすう 備注
ことぶき じんやすねん?(1167ねん 1ねん 奈良ならけん五條ごじょう御靈ごりょう神社じんじゃ神像しんぞうめい[28]
泰平たいへい うけたまわやすねん(1172ねん 於《ひゃく鍊鈔》[29]
たまさく萬平まんぺい」。
かずまさる たて久元ひさもとねん(1190ねん 1ねん 於《高野山こうのやま文書ぶんしょ·たから簡集》いちはち[30]
むかいくも たて久元ひさもとねん(1190ねん 1ねん 於《法隆寺ほうりゅうじ文書ぶんしょきゅう[31]
けんきょう もとじんねん(1225ねん 1ねん 於《讀經どきょうばん論議ろんぎ問答もんどう[32]
永福えいふく えいひとしねん?(1297ねん 山崎やまざき美成びせいうみろく》及《新編しんぺん武藏むさし風土記ふどき稿こう[33]
正久まさひさ もとおう元年がんねん(1319ねん 2ねん 埼玉さいたまけん飯能はんのう西光さいこう廢寺はいじ墓地ぼち板碑いたび[34]

室町むろまち時代ときよ[编辑]

1333ねん後醍醐天皇ごだいごてんのうじゅうしん復位ふくいいたり1336ねん足利尊氏あしかがたかうじおさむおちい京都きょうと擁立ようりつ持明院じみょういんみつるてき光明こうみょう天皇てんのう大覺寺だいかくじみつるてき後醍醐天皇ごだいごてんのうみなみ逃到吉野よしのいま奈良ならけん吉野よしのまち),ともれきけいりょう3ねん使用しようりょう1個年かねんごう

室町むろまち時代ときよ(1336ねん-1573ねん經歷けいれきりょう南北なんぼくあさ分裂ぶんれつ明德めいとく以後いご統一とういつ及戰こくさん階段かいだん

1336ねん足利尊氏あしかがたかうじ擁立ようりつ光明こうみょう天皇てんのう建立こんりゅう室町むろまち幕府ばくふため北朝ほくちょう後醍醐天皇ごだいごてんのう逃往吉野よしのため南朝なんちょう進入しんにゅうりょう日本にっぽんちゅう狹義きょうぎてき南北なんぼくあさ時代じだい後期こうき南朝なんちょう勢力せいりょく衰退すいたい。1392ねん南朝なんちょうこう龜山天皇かめやまてんのうはた天皇てんのうさん神器じんぎ交給北朝ほくちょう結束けっそくりょう南北なんぼくあさ分裂ぶんれつ時代じだいしょう明德めいとく統一とういつ」。1466ねん應仁おうにんみだれ日本にっぽん進入しんにゅう一個半世紀的混戰局面,しょう戰國せんごく時代じだい」。1573ねん室町むろまち幕府ばくふ將軍しょうぐん足利あしかが義昭よしあきながれ南北なんぼくあされきけいりょう57ねん南朝なんちょう使用しようりょう8個年かねんごう北朝ほくちょう使用しようりょう16個年かねんごう包含ほうがんたてたけし年號ねんごう[註 10]明德めいとく以後いごれきけいりょう175ねん使用しようりょう23個年かねんごう

たてたけし新政しんせい(1333ねん-1336ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
後醍醐天皇ごだいごてんのう在位ざいい:1318ねん-1339ねん
たてたけし 1334ねん正月しょうがつ-1336ねんがつ 3ねん
南朝なんちょう(1336ねん-1392ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
後醍醐天皇ごだいごてんのう在位ざいい:1318ねん-1339ねん
のべもと 1336ねんがつ-1340ねんよんがつ 5ねん 日本にっぽんだいさん年號ねんごう分流ぶんりゅう[註 11]
のべもとよんねん(1339ねんはちがつ後村上天皇ごむらかみてんのうつぎ
後村上天皇ごむらかみてんのう在位ざいい:1339ねん-1368ねん
興國こうこく 1340ねんよんがつ-1346ねんよんがつ 7ねん
正平しょうへい 1346ねんよんがつ-1370ねん十二月じゅうにがつ[註 12] 25ねん 正平しょうへいじゅうさんねん(1368ねんさんがつ長慶天皇ちょうけいてんのうつぎ
長慶天皇ちょうけいてんのう在位ざいい:1368ねん-1383ねん[註 13]
建德けんとく 1370ねん十二月じゅうにがつ-1372ねんさんがつ[註 12] 3ねん にゅうもと英太郎えいたろう東京とうきょう北郊ほっこう板碑いたび》引鹿はま板碑いたびさくいぬいいさお[13]
文中ぶんちゅう 1372ねんさんがつ-1375ねんがつ[註 12] 4ねん にち名子なご太郎たろう大分おおいたけん金石かねいし年表ねんぴょう》引寶篋印とう銘文めいぶんさくぶんなか[13]
天授てんじゅ 1375ねんがつ-1381ねんがつ[註 12] 7ねん 佐倉さくら風土記ふどき·武藏むさし國司こくし藤原ふじわら朝臣あそんしゅじょう》、《南部なんぶ文書ぶんしょ·南部なんぶ信光のぶみつ讓狀ゆずりじょうさく天壽てんじゅ[13]
弘和ひろかず 1381ねんがつ-1384ねんよんがつ[註 12] 4ねん 清白すずしろしゅう》避清みかどいみなさくひろし[24]
弘和こうわさんねん(1383ねん冬季とうきこう龜山天皇かめやまてんのうつぎ
こう龜山天皇かめやまてんのう在位ざいい:1383ねん-1392ねん
もとなか 1384ねんよんがつ-1392ねんうるうじゅうがつ[註 12] 9ねん もとなかきゅうねん(1392ねんうるうじゅうがつ五日後龜山天皇交出神器,南北なんぼくあさ統一とういつ
北朝ほくちょう(1336ねん-1392ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
光明こうみょう天皇てんのう在位ざいい:1336ねん-1348ねん
たてたけし 1336ねんがつ-1338ねんはちがつ 3ねん たてたけしさんねん(1336ねんがつ後醍醐天皇ごだいごてんのう改元かいげんのべもと足利尊氏あしかがたかうじ仍用たてたけし年号ねんごう
同年どうねんはちがつ光明こうみょう天皇てんのうつぎ。(たてたけしさんねんいたりねん
こよみおう 1338ねんはちがつ-1342ねんよんがつ[註 9] 5ねん
かんひさし 1342ねんよんがつ-1345ねんじゅうがつ[註 9] 4ねん
貞和さだかず 1345ねんじゅうがつ-1350ねんがつ[註 9] 6ねん 贞和よんねん(1348ねんじゅうがつたかしこう天皇てんのうつぎ
長門ながと探題たんだい足利あしかが直冬ただふゆ使用しよういたり貞和さだかずななねん(1351ねん[39]
たかしこう天皇てんのう在位ざいい:1348ねん-1351ねん
かんおう 1350ねんがつ-1352ねんきゅうがつ[註 9] 3ねん かんおうねん(1351ねんじゅう一月室町幕府廢掉崇光天皇,とまよう該年ごうさんねん(1352ねんさんがつ恢復かいふく使用しよう[40]はちがつ後光ごこうげん天皇てんのうつぎ
後光ごこうげん天皇てんのう在位ざいい:1352ねん-1371ねん
文和ふみかず 1352ねんきゅうがつ-1356ねんさんがつ[註 9] 5ねん ひがしよう有作ゆうさくぶんやまと[13]
のべぶん 1356ねんさんがつ-1361ねんさんがつ[註 9] 6ねん
かんやすし 1361ねんさんがつ-1362ねんきゅうがつ[註 9] 2ねん 清宮きよみやしげるけん新選しんせん年表ねんぴょうあやまさくおう[41]
貞治さだはる 1362ねんきゅうがつ-1368ねんがつ[註 9] 7ねん
おうやす 1368ねんがつ-1375ねんがつ[註 9] 8ねん 应安よんねん(1371ねんさんがつこう圓融天皇えんゆうてんのうつぎ
こう圓融天皇えんゆうてんのう在位ざいい:1371ねん-1382ねん
永和えいわ 1375ねんがつ-1379ねんさんがつ[註 9] 5ねん
かんれき 1379ねんさんがつ-1381ねんがつ[註 9] 3ねん 日本にっぽん考古こうこ學會がっかいみやつこぞう銘記めいき》引奈良ならけん法隆寺ほうりゅうじ佛像ぶつぞう銘文めいぶんさくかんりゃく[13]
えいいさお 1381ねんがつ-1384ねんがつ[註 9] 4ねん 九州きゅうしゅう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ紀要きようだいさんよんごう引《ぼう讓狀ゆずりじょうさくえいとく[13]
えいいさおねん(1382ねんよんがつこう小松こまつ天皇てんのうつぎ
こう小松こまつ天皇てんのう在位ざいい:1382ねん-1412ねん
至德しとく 1384ねんがつ-1387ねんはちがつ[註 9] 4ねん 稻村いなむらひろしもと武蔵野むさしの青石あおいし塔婆とうば》引阿彌あみ佗佛板碑いたびさくいたりとく[13]
よしみけい 1387ねんはちがつ-1389ねんがつ[註 9] 3ねん 香取かとり文書ぶんしょ·よしみけいねんじゅうがつづけ文書ぶんしょさくけい[13]秋田あきたけん金澤かなざわさん八幡やはたしゃ所藏しょぞう經典きょうてん有作ゆうさくことぶきけい[9]
かんおう 1389ねんがつ-1390ねんさんがつ[註 9] 2ねん
明德めいとく 1390ねんさんがつ-1394ねんなながつ 5ねん
明德めいとく統一とういつ以後いご(1392ねん-1568ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
こう小松こまつ天皇てんのう在位ざいい:1382ねん-1412ねん
おうひさし 1394ねんなながつ-1428ねんよんがつ 35ねん 应永じゅうきゅうねん(1412ねんはちがつしょうこう天皇てんのうつぎ
しょうこう天皇てんのう在位ざいい:1412ねん-1428ねん
せいちょう 1428ねんよんがつ-1429ねんきゅうがつ 2ねん せい长元ねん(1428ねんなながつこう花園天皇はなぞのてんのう即位そくいきさき沿用。
鎌倉かまくら公方くぼう足利あしかが持氏もちうじ使用しよういたりせいちょうよんねん(1431ねん)。
こう花園天皇はなぞのてんのう在位ざいい:1428ねん-1464ねん
えいとおる 1429ねんきゅうがつ-1441ねんがつ 13ねん 宮城みやぎけん三迫普賢堂所藏過去帳及鰐口銘有作「えいやすし[9]
嘉吉よしきち 1441ねんがつ-1444ねんがつ 4ねん
ぶんやす 1444ねんがつ-1449ねんなながつ 6ねん
たからいさお 1449ねんなながつ-1452ねんなながつ 4ねん
とおるとく 1452ねんなながつ-1455ねんなながつ 4ねん 篠崎しのざき四郎しろう房總ぼうそう金石かねいしぶん研究けんきゅう》引安樂寺あんらくじ護摩ごま紀年きねんめいさくきょういさお[13]
古河ふるかわ公方くぼう足利あしかが成氏しげうじ使用しよういたりとおるとくじゅうななねん(1478ねん[42]
康正こうせい 1455ねんなながつ-1457ねんきゅうがつ 3ねん 栃木とちぎけん鎫阿てら康政やすまさ元年がんねん文書ぶんしょさく康政やすまさ[13]
長祿ちょうろく 1457ねんきゅうがつ-1460ねん十二月じゅうにがつ 4ねん 香取かとり文書ぶんしょあるさくちょうろく[13]
ひろしただし 1460ねん十二月じゅうにがつ-1466ねんがつ 7ねん きゅうろく司代しだい文書ぶんしょ有作ゆうさく寬延かんえい[9]
宽正ねん(1464ねんなながつこう土御門天皇つちみかどてんのうつぎ
こう土御門天皇つちみかどてんのう在位ざいい:1464ねん-1500ねん
文正ふみまさ 1466ねんがつ-1467ねんさんがつ 2ねん
應仁おうにん 1467ねんさんがつ-1469ねんよんがつ 3ねん 鎌倉かまくら·社寺しゃじへん》及服清五郎せいごろう板碑いたび概說がいせつ有作ゆうさくおうにん[13]
文明ぶんめい 1469ねんよんがつ-1487ねんなながつ 19ねん 千葉縣市川市曾公安國寺板牌有作「ぶんいのち[13]
ちょうとおる 1487ねんなながつ-1489ねんはちがつ 3ねん
延德えんとく 1489ねんはちがつ-1492ねんなながつ 4ねん
あかりおう 1492ねんなながつ-1501ねんがつ 10ねん あかりきゅうねん(1500ねんじゅうがつこう柏原かしわばら天皇てんのうつぎ
こう柏原かしわばら天皇てんのう在位ざいい:1500ねん-1526ねん
ぶんかめ 1501ねんがつ-1504ねんがつ 4ねん 宮城みやぎけん石卷いしのまきせんたたえ寺跡てらあと板碑いたびさくぶんおに[43]
えいただし 1504ねんがつ-1521ねんはちがつ 18ねん 香取かとり文書ぶんしょ有作ゆうさくさかえただし[13];《清白すずしろしゅうあやまさくえい[44]
だいひさし 1521ねんはちがつ-1528ねんはちがつ 8ねん だいながろくねん(1526ねんよんがつこう奈良なら天皇てんのうつぎ
こう奈良なら天皇てんのう在位ざいい:1526ねん-1557ねん
とおる祿ろく 1528ねんはちがつ-1532ねんなながつ 5ねん 會津あいづ塔寺とうでら八幡やはた宮長みやながちょう》、《諏訪すわ文書ぶんしょ》、《不空ふくう常住じょうじゅう紀年きねんろく有作ゆうさくとおるろく[45]
天文てんもん 1532ねんなながつ-1555ねんじゅうがつ 24ねん 石田いしだ茂作しげさく日本にっぽん美術びじゅつ工藝こうげいだい56ごう奈良ならけん法隆寺ほうりゅうじとうそう壁畫へきがさくてんもん[13]
弘治こうじ 1555ねんじゅうがつ-1558ねんがつ 4ねん 弘治こうじさんねん(1557ねんじゅうがつ正親町おおぎまち天皇てんのうつぎ
正親町おおぎまち天皇てんのう在位ざいい:1557ねん-1586ねん
えい祿ろく 1558ねんがつ-1570ねんよんがつ 13ねん 大分おおいたけん史料しりょう·だい12》有作ゆうさく永六えいろく[13],《新編しんぺん會津あいづ風土記ふどきあやまさくえい[46]
室町むろまち時代じだいてきわたしねんごう
わたしねんごう 元年がんねん對應たいおうこう年號ねんごう西元にしもと やめ使用しよう年數ねんすう 備注
しろ鹿しか 興國こうこくろくねん/貞和さだかず元年がんねん(1345ねん 2ねん 於《とくこう文書ぶんしょ》及龍安寺あてらぞう太平たいへいまき批注[47]
おう 興國こうこくろくねん/貞和さだかず元年がんねん(1345ねん 1ねん 於大おだいばん泉大津いずみおおつ細見ほそみじつぞうかかふつめい[48]
ひろとく もと中元ちゅうげんねん/至德しとく元年がんねん(1384ねん 1ねん 奈良ならじゅうろくしょ神社じんじゃ棟木むなぎめいじ叡山えいざん文庫ぶんこぞう般若心經はんにゃしんぎょうかぎしょう》批注[49]
えいたから もとなかねん/よしみけいねん(1388ねん 1ねん 奈良ならけん奈良ならはりまち觀音寺かんおんじぞうだい般若はんにゃけいまきよんはち〇批注[50]
真賀まが 2ねん 奈良ならけん奈良ならはりまち觀音寺かんおんじぞうだい般若はんにゃけいまき480批注[51]
もとしん 1ねん 於琦たまけん比企ひきまち阿彌あみさんみこと板碑いたび紀年きねんめい[52]
しなれき 1ねん 於《阿蘇あそ文書ぶんしょ[53]
えいまぼろし 3ねん 宮城みやぎけん登米とよねうえゆきてら板碑いたび[54]
とくあきら 3ねん 宮城みやぎけん栗原くりはらみょうきょうてら板碑いたび[54]
至大しだい 1ねん 於《武藏むさしこく板碑いたび集錄しゅうろく[55]
てんやすし 嘉吉よしきちさんねん(1443ねん 13ねん 於《武家ぶけ功名こうみょう》及《南朝なんちょう遺文いぶん[55]
こう南朝なんちょうのこ裔及遺臣いしん使用しようてき年號ねんごう
ぶくやす 嘉吉よしきちよんねん(1444ねん 1ねん 岡山おかやまけん赤磐あかいわ千光寺藏備前燒四耳壺銘[56]
とおるだか とおるとく元年がんねん(1452ねん 4ねん 於《きゅう新福寺しんぷくじ文書ぶんしょ》及《本土ほんどてら過去かこちょう[57]
可能かのうこう年號ねんごうとおるとくてき別名べつめい
とおるただし とおるとくさんねん(1454ねん 5ねん 埼玉さいたまけん相關そうかん板碑いたび及《きゅうあん主家しゅか文書ぶんしょ[58]
關東かんとう地區ちく使用しようてきわたしねんごう
延德えんとく ひろしせいねん(1461ねん 5ねん 於《きゅう新福寺しんぷくじ文書ぶんしょ》及《本土ほんどてら過去かこちょう[59]
關東かんとう地區ちく使用しようてきわたしねんごう
福壽ふくじゅ ひろしせいさんねん?(1462ねん 1ねん 宮城みやぎけん石卷いしのまき板碑いたび[60]
あかりおう 文明ぶんめい元年がんねん(1469ねん 於《大乘だいじょういん寺社じしゃ雜事ざつじ[61]
こう南朝なんちょうのこ使用しようてきわたしねんごう
せいとおる 延德えんとく元年がんねん(1489ねん 2ねん 於《甲斐かいこく妙法寺みょうほうじ[62]
福德ふくとく 延德えんとくねん(1490ねん 2ねん 於《きゅうろく司代しだい文書ぶんしょ》及《本土ほんどてら過去かこちょう[63]
えいつたえ 延德えんとくねん(1490ねん 1ねん 於《田畠たばたその屋敷やしき注文ちゅうもん[64]
おういさお 8ねん 於日光輪こうりん王寺おうじ慈眼じげんどう經藏きょうぞういんきょう指南しなん[65]
とくおう ぶんかめ元年がんねん?(1501ねん 1ねん 於東おひがし京都きょうと板橋いたばしじょうあか塜町藥師堂やくしどう發掘はっくつ出土しゅつどてき板碑いたび[66]
子平しへい ぶんかめねん(1502ねん 5ねん 熊本くまもとけん熊本くまもときた植木うえきまち所在しょざいたから篋印とうめい[53]
彌勒みろく えいただしさんねん(1506ねんあるながせいよんねん(1507ねん 3ねん 於《甲斐かいこく妙法寺みょうほうじ》、《きゅうろく司代しだい文書ぶんしょ》、《本土ほんどてら過去かこちょう』、《妙法寺みょうほうじとうとう[67]
加平かへい えいただしじゅうよんねん(1517ねん 1ねん 於《阿蘇あそ文書ぶんしょ[68]
えい だいながろくねん(1526ねん 2ねん 於《きゅうあん主家しゅか文書ぶんしょ》、《新編しんぺん會津あいづ風土記ふどきまき五三及栃木縣小山市須賀神社和鏡等等[69]
會津あいづ塔寺とうでら八幡やはた宮長みやながちょうさくえいひさし」。
たからひさし 天文てんもんねん(1533ねん 2ねん 長野ながのけん佐久さくまち出土しゅつどけいとうめいじ、《古今ここん金工きんこう便覽びんらん[70]
いのち祿ろく 天文てんもんきゅうねん(1540ねん 3ねん 蜷川にながわ所藏しょぞう年代ねんだい》、《本土ほんどてら過去かこちょう》、《津金つがね文書ぶんしょとうとう[71]

安土あづち桃山ももやま時代じだい[编辑]

1568ねん織田おだ信長のぶなが扶植ふしょく足利あしかが義昭よしあきため幕府ばくふ將軍しょうぐん,1603ねん德川とくがわ家康いえやす建立こんりゅう江戶えど幕府ばくふためどめきょう使用しようりょう4個年かねんごう

安土あづち桃山ももやま時代じだい(1568ねん-1603ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
正親町おおぎまち天皇てんのう在位ざいい:1557ねん-1586ねん
もとかめ 1570ねんよんがつ-1573ねんなながつ 4ねん 大分おおいたけん史蹟しせき名勝めいしょう天然てんねんねんぶつ調ちょう報告ほうこくしょだいいち輯有さくげんかめ[13]
天正てんしょう 1573ねんなながつ-1592ねん十二月じゅうにがつ 20ねん さわ恭三きょうぞう會津あいづ塔寺とうでら八幡やはた宮長みやながちょうとばりほん記錄きろく有作ゆうさくてんしょう」,吉田よしだ東伍とうごだい日本にっぽん地名ちめい辭書じしょ》引長ぬまもりしげる墓碑ぼひ有作ゆうさくてんせい[13]
天正てんしょうじゅうよんねん(1586ねんじゅういちがつこう陽成ようぜい天皇てんのうつぎ
こう陽成ようぜい天皇てんのう在位ざいい:1586ねん-1611ねん
ぶん祿ろく 1592ねん十二月じゅうにがつ-1596ねんじゅうがつ 5ねん
慶長けいちょう 1596ねんじゅうがつ-1615ねんなながつ 20ねん 庆长じゅうろくねん(1611ねんさんがつ後水尾天皇ごみずのおてんのうつぎ
安土あづち桃山ももやま時代じだいてきわたしねんごう
わたしねんごう 元年がんねん對應たいおうこう年號ねんごう西元にしもと やめ使用しよう年數ねんすう 備注
光永みつなが 天正てんしょうよんねん(1576ねん 不明ふめい 於辻善之助ぜんのすけだい日本にっぽん年表ねんぴょう》,しょ據出きょしゅつしょ不明ふめい[72]
天王てんのう 天正てんしょう年間ねんかん 1ねん 國立こくりつ歷史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんくら丹波たんばしょうさんみみつぼめい[73]

江戶えど時代じだい[编辑]

1603ねん德川とくがわ家康いえやす建立こんりゅう江戶えど幕府ばくふいたり1868ねん末代まつだい幕府ばくふ將軍しょうぐん德川とくがわ慶喜よしのぶ大政奉還たいせいほうかん」,江戶えど幕府ばくふ結束けっそくきょう使用しようりょう35個年かねんごう

江戶えど時代じだい(1603ねん-1868ねん
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
後水尾天皇ごみずのおてんのう在位ざいい:1611ねん-1629ねん
元和がんわ 1615ねんなながつ-1624ねんがつ 10ねん 神奈川かながわけん鹿島田かしまだ淜蓮てら墓碑ぼひさくけん[13]
寬永かんえい 1624ねんがつ-1644ねん十二月じゅうにがつ 21ねん 宽永ろくねん(1629ねんじゅういちがつ明正めいせい天皇てんのうつぎ
宽永じゅうねん(1643ねんじゅうがつこう光明こうみょう天皇てんのうつぎ
明正めいせい天皇てんのう在位ざいい:1629ねん-1643ねん
こう光明こうみょう天皇てんのう在位ざいい:1643ねん-1654ねん
正保まさやす 1644ねん十二月じゅうにがつ-1648ねんがつ 5ねん
慶安けいあん 1648ねんがつ-1652ねんきゅうがつ 5ねん
うけたまわおう 1652ねんきゅうがつ-1655ねんよんがつ 4ねん うけたまわさんねん(1654ねんじゅういちがつこう西にし天皇てんのうつぎ
こう西にし天皇てんのう在位ざいい:1654ねん-1663ねん
あかりれき 1655ねんよんがつ-1658ねんなながつ 4ねん
萬治まんじ 1658ねんなながつ-1661ねんよんがつ 4ねん
寬文ひろふみ 1661ねんよんがつ-1673ねんきゅうがつ 13ねん 宽文さんねん(1663ねん正月しょうがつれいもと天皇てんのうつぎ
れいもと天皇てんのう在位ざいい:1663ねん-1687ねん
のべたから 1673ねんきゅうがつ-1681ねんきゅうがつ 9ねん
天和てんわ 1681ねんきゅうがつ-1684ねんがつ 4ねん
貞享ていきょう 1684ねんがつ-1688ねんきゅうがつ 5ねん いんらんさくさだとおる[74]
贞享よんねん(1687ねんさんがつ東山ひがしやま天皇てんのうつぎ
東山ひがしやま天皇てんのう在位ざいい:1687ねん-1709ねん
元祿げんろく 1688ねんきゅうがつ-1704ねんさんがつ 17ねん
寶永ほうえい 1704ねんさんがつ-1711ねんよんがつ 8ねん 宝永ほうえいろくねん(1709ねんろくがつ中御門天皇なかみかどてんのうつぎ
中御門天皇なかみかどてんのう在位ざいい:1709ねん-1735ねん
正德まさのり 1711ねんよんがつ-1716ねんろくがつ 6ねん
とおる 1716ねんろくがつ-1736ねんよんがつ 21ねん とおるじゅうねん(1735ねんさんがつさくらまち天皇てんのうつぎ
さくらまち天皇てんのう在位ざいい:1735ねん-1747ねん
もとぶん 1736ねんよんがつ-1741ねんがつ 6ねん
ひろし 1741ねんがつ-1744ねんがつ 4ねん
のべとおる 1744ねんがつ-1748ねんなながつ 5ねん のべとおるよんねん(1747ねんがつ桃園ももぞの天皇てんのうつぎ
桃園ももぞの天皇てんのう在位ざいい:1747ねん-1762ねん
寬延かんえい 1748ねんなながつ-1751ねんじゅうがつ 4ねん
たかられき 1751ねんじゅうがつ[註 14]-1764ねんろくがつ 14ねん たからじゅうねん(1762ねんなながつこうさくらまち天皇てんのうつぎ
こうさくらまち天皇てんのう在位ざいい:1762ねん-1770ねん
明和めいわ 1764ねんろくがつ-1772ねんじゅういちがつ 9ねん 明和めいわななねん(1770ねんじゅういちがつこう桃園ももぞの天皇てんのうつぎ
こう桃園ももぞの天皇てんのう在位ざいい:1770ねん-1779ねん
安永やすなが 1772ねん十一月じゅういちがつ-1781ねんよんがつ 10ねん 安永やすながはちねん(1779ねんじゅういちがつひかりかく天皇てんのうつぎ
ひかりかく天皇てんのう在位ざいい:1779ねん-1817ねん
天明てんめい 1781ねんよんがつ-1789ねん正月しょうがつ 9ねん
寬政かんせい 1789ねん正月しょうがつ-1801ねんがつ 13ねん
とおる 1801ねんがつ-1804ねんがつ 4ねん
文化ぶんか 1804ねんがつ-1818ねんよんがつ 15ねん 文化ぶんかじゅうよんねん(1817ねんきゅうがつ仁孝天皇にんこうてんのうつぎ
仁孝天皇にんこうてんのう在位ざいい:1817ねん-1846ねん
文政ぶんせい 1818ねんよんがつ-1830ねん十二月じゅうにがつ 13ねん
天保てんぽう 1830ねん十二月じゅうにがつ-1844ねん十二月じゅうにがつ 15ねん
ひろし 1844ねん十二月じゅうにがつ-1848ねんがつ 5ねん ひろしさんねん(1846ねんがつ孝明天皇こうめいてんのうつぎ
孝明天皇こうめいてんのう在位ざいい:1846ねん-1867ねん
よしみひさし 1848ねんがつ-1854ねんじゅういちがつ 7ねん
安政あんせい 1854ねん十一月じゅういちがつ-1860ねんさんがつ 7ねん
萬延まんえん 1860ねんさんがつ-1861ねんがつ 2ねん
文久ぶんきゅう 1861ねんがつ-1864ねんがつ 4ねん
元治もとはる 1864ねんがつ-1865ねんよんがつ 2ねん
慶應けいおう 1865ねんよんがつ-1868ねんきゅうがつ 4ねん 庆应さんねん(1867ねん正月しょうがつ明治天皇めいじてんのうつぎ
江戶えど時代じだいてきわたしねんごう
わたしねんごう 元年がんねん對應たいおうこう年號ねんごう西元にしもと やめ使用しよう年數ねんすう 備注
大道だいどう 慶長けいちょうじゅうはちねん(1613ねん 10ねん 於《新編しんぺん會津あいづ風土記ふどき》、《紀伊きい國名こくめいしょ圖會ずえ》及青森あおもりけん南部なんぶまち靈驗れいけんどうがんとびらめい[76]
新編しんぺん會津あいづ風土記ふどきまた另作「大筒おおづつ」。
正中せいちゅう 元和がんわななねん(1621ねん 2ねん 於《山田やまだ文書ぶんしょ[77]
慶喜よしのぶ 寬永かんえいじゅうねん(1643ねん 2ねん 於《うえかじ文書ぶんしょ[78]
義明よしあき 於黃むね羲《日本にっぽん乞師》,うん明正めいせい天皇てんのう之子ゆきこはじめ改元かいげん義明よしあき[74][79]
久寶くぼう 天保てんぽうねん(1834ねん 1ねん 石川いしかわけん七尾市藤原四手緒神社藏天保繪馬額[80]
永長ながおさ 天保てんぽうはちねん(1837ねん 1ねん 於《大橋おおはしけんたすく文書ぶんしょ[81]
龜光かめみつ 文久ぶんきゅうねん(1862ねん 1ねん 於《きよしみょうあきら信女しんにょめい墓石はかいし[82]
神德しんとく 慶應けいおうさんねん(1867ねん 1ねん 於《そでうら·通史つうしへん2》[83]
てんはれ 慶應けいおうさんねん(1867ねん 1ねん またさくてんせい」、「てんぼし」。
高知こうちけんしょてきいし燈籠どうろう[84]
かみおさむ 慶應けいおうさんねん(1867ねん 1ねん 熊本くまもとけん人吉ひとよし大畑麓おこばふもとまち行者ぎょうじゃどう安置あんちやく小角おがく木像もくぞう補修ほしゅうめい[85]
ちょういさお 慶應けいおうさんねん(1867ねん 1ねん 於《昭島あきしま》引中野なかの久次郎きゅうじろうてき日記にっき[86]
延壽えんじゅ 慶應けいおうよんねん(1868ねん 1ねん 吉野よしの真保まほよしみなが明治めいじ年間ねんかんろく》及《中外ちゅうがい新聞しんぶん慶應けいおうよんねんがつじゅうななにちづけ[87]
奧羽おううしょはんところ使用しようてきわたしねんごう
大政たいせい 慶應けいおうよんねん(1868ねん 1ねん またさく大化たいか」。
於《蜂須賀はちすか文書ぶんしょ》、《菊池きくち容齋ようさい所藏しょぞう文書ぶんしょ[88]
奧羽おううしょはんしょ使用しようてきわたしねんごう

近代きんだいあずか現代げんだい[编辑]

1868ねん明治天皇めいじてんのう頒布はんぷ明治めいじ改元かいげんみことのり確立かくりつりょう日本にっぽん一世一元いっせいいちげんせい,2019ねんとくひとし改元かいげんれいきょう使用しようりょう5個年かねんごう

一世一元いっせいいちげんせい施行しこう(1868ねんいま
年號ねんごう おこり訖時あいだおおやけもと 紀年きねん年數ねんすう 備注
明治天皇めいじてんのう在位ざいい:1868ねん-1912ねん
明治めいじ 1868ねん舊曆きゅうれき9がつ-1912ねん7がつ 45ねん 明治めいじねん(1872ねんじゅういちがつ頒布はんぷ詔書しょうしょ,以明治めいじねん十二月じゅうにがつさんにち舊曆きゅうれきため明治めいじろくねん1がつ1にち新曆しんれき[89]
明治めいじ45ねん(1912)7がつ30にち明治天皇めいじてんのう崩御ほうぎょ同日どうじつ改元かいげん大正たいしょう[90]
大正天皇たいしょうてんのう在位ざいい:1912ねん-1926ねん
大正たいしょう 1912ねん7がつ-1926ねん12月[註 15] 15ねん 大正たいしょう15ねん(1926ねん)12月25にち大正天皇たいしょうてんのう崩御ほうぎょ同日どうじつ改元かいげん昭和しょうわ[92]
昭和しょうわ天皇てんのう在位ざいい:1926ねん-1989ねん
昭和しょうわ 1926ねん12月-1989ねん1がつ 64ねん 東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶんいま每日新聞まいにちしんぶんどくほうみちびけあやまさくひかりぶん[93]
昭和しょうわ64ねん(1989ねん)1がつ7にち昭和しょうわ天皇てんのう崩御ほうぎょ翌日よくじつ改元かいげん平成へいせい[94]
上皇じょうこう明仁あきひと在位ざいい:1989ねん-2019ねん
平成へいせい 1989ねん1がつ-2019ねん4がつ 31ねん 平成へいせい31ねん(2019ねん)4がつ30にち天皇てんのう明仁あきひと生前せいぜん退位たいい退位たいい改稱かいしょう上皇じょうこう」,翌日よくじつ改元かいげんれい[95]
今上きんじょう天皇てんのうとくじん在位ざいい:2019ねんいま
れい 2019ねん5がついま

古代こだい年號ねんごう[编辑]

日本にっぽん古代こだい年號ねんごう
年號ねんごう けいよう時間じかん西元にしもと 使用しよう年數ねんすう 所屬しょぞく天皇てんのう 備注
れつ ぜん290ねん 5ねん こうれい天皇てんのう 於《和漢わかんねんちぎり》、《いっごう年表ねんぴょう》、《ちがやまど漫錄》[96]
いちさくれつしずく」。
璽至 270ねん 1ねん 應神天皇おうじんてんのう 於《和漢わかんねんちぎり》、《いっごう年表ねんぴょう[97]
嘉紀よしのり 499ねん 4ねん たけれつ天皇てんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《いっごう年表ねんぴょう》、《ちがやまど漫錄》、《つう元紀もとのりりゃく[97]
503ねん 4ねん たけれつ天皇てんのう 於《いっごう年表ねんぴょう[98]
てい 7ねん つぎたい天皇てんのう 於《和漢わかんねんちぎり[98]
はつ つぎたい天皇てんのう 於《清白すずしろしゅう》、《歷代れきだい紀元きげんへん[98][99]
つぎたい 517ねん 5ねん つぎたい天皇てんのう 於《ちゅうれき》。
ぜん 522ねん 4ねん つぎたい天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《東寺とうじ王代おうだい》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《興福寺こうふくじりゃく年代ねんだい[100]
いちさくぜん」;《うみひがし諸國しょこくさくぜん」,《ふう內名あとこころざしさくぜん」。
正和しょうわ 526ねん 5ねん つぎたい天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《和漢わかん年代ねんだい》、《ぞうおさむごううん[101]
すめらぎだいさく正治しょうじ」。
きょういた 531ねん 6ねん つぎたい天皇てんのう 於《如是にょぜいん年代ねんだい》、《ちゅうれき》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《古代こだい年號ねんごう[102]
日本にっぽんにせ年號ねんごうさくいんいた」,《うみひがし諸國しょこくさくはつたおせ」,《和漢わかんねんちぎりさくきょう」,《やすしかた溯源さくげん》引《九州きゅうしゅう年號ねんごうさくいんいたり[103]
たからはじめ 535ねん 5ねん 安閑天皇あんかんてんのう 於狩たに棭齋《古京ふるきょう遺文いぶん[103]
そう 536ねん 4ねん せん天皇てんのう 於《如是にょぜいん年代ねんだい》、《ちゅうれき》、《すめらぎだい》、《和漢わかん年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《和漢わかんねんちぎり》、《うららわたししょう[104]
あかりよう 541ねん 11ねん 欽明天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《漢和かんわ年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《和漢わかん年代ねんだい》、《和漢わかんねんちぎり》、《うららわたししょう[105]
すめらぎだいさくあかりやす」,《うみひがし諸國しょこくさくどうよう」,《清白すずしろしゅうさくどうやす」,《增補ぞうほ秩父ちちぶ風土記ふどきさくあかりよう」。
とく 550ねん 2ねん 欽明天皇てんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《いっごう年表ねんぴょう》、《ちがやまど漫錄》[105]
らく 552ねん 2ねん 欽明天皇てんのう 於《如是にょぜいん年代ねんだい》、《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《すめらぎだい》、《和漢わかん年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《和漢わかんねんちぎり》、《うららわたししょう[106]
いちさくのこたのし」。
ほうきよし 554ねん 4ねん 欽明天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《和漢わかんねんちぎり》、《うららわたししょう[106]
すめらぎだい》、《和漢わかん年代ねんだい》、《うんしょくしゅうさくほうやすし」,《うみひがし諸國しょこくさくゆいきよし」。
兄弟きょうだい 558ねん 1ねん
いちさく2ねん
欽明天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《うららわたししょう[107]
和漢わかんねんちぎり》、《かさねこくにせ僭考》、《ちがやまど漫錄》さく兄弟きょうだい」。
ぞう 559ねん
古代こだい年號ねんごうさく560ねん
5ねん 欽明天皇てんのう 於《和漢わかん年代ねんだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい[108]
ちゅうれき》、《すめらぎだい》、《年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うみひがし諸國しょこくさくぞう」。
やす 564ねん
古代こだい年號ねんごうさく565ねん
1ねん 欽明天皇てんのう 於《みねしょう》、《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい[108]
そう 565ねん
古代こだい年號ねんごうさく566ねん
5ねん 欽明天皇てんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい[109]
ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《清白すずしろしゅうさくかずそう」。
金光かねみつ 570ねん 欽明天皇てんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《妙法寺みょうほうじねんろく》、《聖德太子しょうとくたいしでん[110]
けんしょう 576ねん 5ねん さとしたち天皇てんのう 於《年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《水鏡みずかがみ》、《南北なんぼくきょう靈地れいちしゅう[111]
すめらぎだいさく賢輔けんすけ」;《うみひがし諸國しょこくさくけんせっ」;《古代こだい年號ねんごう》、《衝口はつ》、《かさねこくにせ僭考》、《日本にっぽんにせとしこうさくけん」,またさくけんはく」、「けんでん」。
かがみつね 581ねん 4ねん さとしたち天皇てんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《日本にっぽん略記りゃっき》、《日本にっぽんにせとしこう[112]
いちさくしょうつね」;《うみひがし諸國しょこく》、《ちゅうれきさくかがみとう」;《ちがやまど漫錄》さくかがみあきら」。
かつあきら 585ねん 4ねん さとしたち天皇てんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《聖德太子しょうとくたいしでん[113]
古本ふるもと水鏡みずかがみさくかつれつ」;《かさねこくにせ僭考》、《和漢わかんねんちぎりさくあきらかち」。
和重かずえ 587ねん 2ねん よう明天めいてんすめらぎ 於《和漢わかんねんちぎり》、《衝口はつ》、《かさねこくにせ僭考》、《ちがやまど漫錄》、《紀元きげんどおりりゃく[114]
はしせい 589ねん 5ねん たかしたかし天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《和漢わかん年代ねんだい[114]
いちさく端正たんせい」;《如是にょぜいん年代ねんだいさくはしあらため」。
ほうきょう 591ねん 32ねん たかしたかし天皇てんのう
推古天皇すいこてんのう
於《伊予いよ湯岡ゆのおか碑文ひぶん》、《法隆寺ほうりゅうじ金堂こんどう釋迦しゃかぞう光背こうはいめい[115]
喜樂きらく 593ねん 推古天皇すいこてんのう 於《新編しんぺん會津あいづ風土記ふどき稿こう》、《ちがやまど漫錄》[116]
つげとうと 594ねん 7ねん 推古天皇すいこてんのう 於《すめらぎだい》、《年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《ちゅうれき》、《妙法寺みょうほうじねんろく》、《善光寺ぜんこうじ緣起えんぎ》、《南北なんぼくきょう靈地れいちしゅう[116]
如是にょぜいん年代ねんだいさくよしたか」;《うみひがし諸國しょこくさくしたがえとうと」。
はじめ 595ねん 1ねん 推古天皇すいこてんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《衝口はつ》、《ちがやまど漫錄》[117]
和漢わかんねんちぎり》、《かさねこくにせ僭考》さくはじめだい」。
ねがいてん 601ねん 4ねん 推古天皇すいこてんのう 於《すめらぎだい》、《年代ねんだい》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《妙法寺みょうほうじねんろく》、《南北なんぼくきょう靈地れいちしゅう[117]
うみひがし諸國しょこくさくはんてん」;はり玉繩たまなわ清白すずしろしゅう》、ちょうらく紀元きげんへんさく頌轉」;《やすしかた溯源さくげん》引《輿こしぶくてらりゃく年代ねんだいさくねがいはく」。
ひかりたかし 605ねん 6ねん 推古天皇すいこてんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《うみひがし諸國しょこく》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うんしょくしゅう》、《やすしかた溯源さくげん》引《輿こしぶくてらりゃく年代ねんだい》、《南北なんぼくきょう靈地れいちしゅう[117]
一本いっぽんぞうおさむ和漢わかんあいうんさくひかり」;いちほんすめらぎだいさくひろもと」;《塩尻しおじりさく光永みつなが」。
大花おおはな 606ねん 1ねん 推古天皇すいこてんのう 於《上宮かみみや太子たいし拾遺しゅうい》、《障子しょうじでん[118]
ていきょ 611ねん 7ねん 推古天皇すいこてんのう 於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《うみひがし諸國しょこく》、《如是にょぜいん年代ねんだい[119]
聖德太子しょうとくたいし拾遺しゅういさく定光じょうこう」。
きよし 613ねん 5ねん 推古天皇すいこてんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《水鏡みずかがみ》、《ちがやまど漫錄》、《紀元きげんどおりりゃく[119]
やまときょうなわ 618ねん 5ねん 推古天皇すいこてんのう 於《ぞうおさむ和漢わかんあいうん[120]
ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこくさくやまときょう」,《水鏡みずかがみさくかずきょう」,《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれきさくけいなわ」,べつほんすめらぎだいさくやまとなわ」,《如是にょぜいん年代ねんだい》、《興福寺こうふくじりゃく年代ねんだいさくかずきょうなわ」及「ゆだねきょうなわ」,《ほうてらねんろくさくかずけいなわ」及「けいなわ」。
ふしちゅう 623ねん 5ねん 推古天皇すいこてんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《ちがやまど漫錄》、《かさねこくにせ僭考》、《漢和かんわねんちぎり[121]
仁王におう 623ねん 6ねん 推古天皇すいこてんのう
舒明天皇てんのう
於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《ちゅうれき》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《うみひがし諸國しょこく》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき[121]
りょう玉繩たまなわ清白すずしろしゅうさくじんいたり」。
聖德せいとく 629ねん 5ねん 舒明天皇てんのう 於《本土ほんどてら過去かこちょう[122]
そうよう 635ねん 5ねん 舒明天皇てんのう 於《ちゅうれき》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《うみひがし諸國しょこく》、《妙法寺みょうほうじねんろく[123]
年代ねんだい》、《すめらぎだいさくぞうよう」。
いのちちょう 640ねん 7ねん 舒明天皇てんのう
すめらぎごく天皇てんのう
孝德天皇こうとくてんのう
於《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《水鏡みずかがみ[123]
年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれきさくれいちょう」,《衝口はつ》、《かさねこくにせ僭考》さく長命ちょうめいあるあかりちょう」。
証明しょうめい 4ねん 推古天皇すいこてんのう
舒明天皇てんのう
於《あぶら明神みょうじんしゃ[123]
つねいろ 647ねん 5ねん 孝德天皇こうとくてんのう 於《ちゅうれき》、《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《妙法寺みょうほうじねんろく[124]
清白すずしろしゅうさくつね」,《紀元きげんへんさくつね」,《紀元きげん類聚るいじゅうこうさくから」,《妙法寺みょうほうじねんろくべつほんさくつねおのれ」,《塩尻しおじりさく常光じょうこう」。
白鳳はくほう 661ねん(《うみひがし諸國しょこく》)
672ねん(《うららわたししょう》)
23ねん(《うみひがし諸國しょこく》)
14ねん(《うららわたししょう》)
ひとし明天めいてんすめらぎ
天智天皇てんぢてんのう
天武天皇てんむてんのう
於《ちゅうれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《うららわたししょう》。
中元ちゅうげん 662ねん 4ねん 天智天皇てんぢてんのう 於《古代こだい年號ねんごう》、《衝口はつ》、《ちがやまど漫錄》、《漢和かんわねんちぎり[124]
はてやす 686ねん 4ねん 天武天皇てんむてんのう
もちすべ天皇てんのう
於《古代こだい年號ねんごう》、《衝口はつ》、《漢和かんわねんちぎり》、《ちがやまど漫錄》[124]
大化たいか 686ねん 天武天皇てんむてんのう
もちすべ天皇てんのう
文武ぶんぶ天皇てんのう
於《如是にょぜいん年代ねんだい》、《ぞうおさむ和漢わかんあいうん[124]
だいたむろ 692ねん 9ねん もちすべ天皇てんのう
文武ぶんぶ天皇てんのう
於《萬葉まんようぬき[124]
大長おおちょう 692ねん 9ねん もちすべ天皇てんのう
文武ぶんぶ天皇てんのう
於《年代ねんだい》、《すめらぎだい》、《春秋しゅんじゅうりゃくれき》、《うみひがし諸國しょこく》、《如是にょぜいん年代ねんだい》、《妙法寺みょうほうじねんろく[125]
大和やまと 695ねん 2ねん もちすべ天皇てんのう 於《うみひがし諸國しょこく》、《興福寺こうふくじりゃく年代ねんだい[125]
正法しょうぼう 760ねん 1ねん 淳仁天皇じゅんにんてんのう 於《本土ほんどてら過去かこちょう[126]
こうれい 5ねん 於千葉縣香取郡東庄町吉祥院木造延命地藏像[127]

まいり[编辑]

注釋ちゅうしゃく[编辑]

  1. ^ 1.0 1.1 1.2 德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽん記載きさいだいしろ雉、しゅとりさん個年かねんごう[1]森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんゆうだいしろ雉、しゅとり三個年號但改元月份空白[2],這裡以舍人親王とねりしんのう日本書紀にほんしょきためじゅん
  2. ^ 德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽんさく華山げさん天皇てんのう」,[11]はなどうはな」。
  3. ^ 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんあやまさくとめよんねんじゅうがつ[12]
  4. ^ にち維基百科ひゃっかうけたまわ寿ことぶきひさしらんじょううけたまわ5ねん(1181ねん)では『養和ようわ』と改元かいげんされたが、頼朝よりともはんたいら勢力せいりょくはこれをみとめずに『うけたまわ』の元号げんごうもちいた。
  5. ^ 1181ねんいたり1185ねん凡5ねん
  6. ^ 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんさく年號ねんごうとめよんねんよんがつじゅうにち[18]此處ここら德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽん記載きさいてき安德天皇あんとくてんのう死亡しぼうためじゅん[19]
  7. ^ 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんあやまさく元年がんねんおこりがつ[22]
  8. ^ 1331ねんいたり1333ねん凡3ねん
  9. ^ 9.00 9.01 9.02 9.03 9.04 9.05 9.06 9.07 9.08 9.09 9.10 9.11 9.12 9.13 9.14 9.15 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかん記載きさい北朝ほくちょうてきせいけいこよみおうかんひさし貞和さだかずかんおう文和ふみかずのべぶんかんやすし貞治さだはるおうやす永和えいわかんれきえいいさお至德しとくよしみけいかんおう16個年かねんごうてき改元かいげんがつ[26],這裡以德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽんためじゅん[27]
  10. ^ 此處ここら狹義きょうぎてき南北なんぼくあさ統計とうけい1336ねんいたり1392ねん期間きかんしょ使用しようてき年號ねんごう
  11. ^ 1336ねんいたり1392ねん凡57ねん
  12. ^ 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽん記載きさい南朝なんちょうてき正平しょうへい建德けんとく文中ぶんちゅう天授てんじゅ弘和こうわもとなか六個年號的改元月份[35],這裡以森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんためじゅん[36]
  13. ^ 德川とくがわ光圀みつくにだい日本にっぽんさく長慶天皇ちょうけいてんのう1368ねんいたり1373ねん在位ざいいあずかのち龜山天皇かめやまてんのう1374ねんいたり1392ねん在位ざいい[37],這裡以八代やしろ國治くにはる長慶天皇ちょうけいてんのう即位そくい研究けんきゅうためじゅん[38]
  14. ^ 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんあやまさく元年がんねんおこりなながつ[75]
  15. ^ 森本もりもと角藏かくぞう日本にっぽん年號ねんごう大觀たいかんあやまさくおわりじゅうねんがつ[91]

參考さんこう資料しりょう[编辑]

  1. ^ 德川とくがわ光圀みつくに 1911かんだいじゅういち孝德天皇こうとくてんのう〉、まきだいじゅういち天武天皇てんむてんのう〉.
  2. ^ 森本もりもと角藏かくぞう 1933だい155、158、159ぺーじ.
  3. ^ s:日本書紀にほんしょき/まきだい廿にじゅう「〔てんゆたかざいじゅう日足ひあしひめ天皇てんのうよんねんろくがつおつあらためてんゆたかざいじゅう日足ひあしひめ天皇てんのうよんねんため大化たいか元年がんねん。 大化たいか元年がんねんあきなながつちょうしげるさくつちのえたつ。」
  4. ^ s:日本書紀にほんしょき/まきだい廿にじゅう「〔しろ雉元ねんがつきのえさる……またみことのり曰:『四方しほう諸國しょこくぐんとうゆかりてんづけちんそう臨而ぐういまわがおや神祖しんそところともあな戶國とくにちゅうゆう此嘉みず所以ゆえん大赦たいしゃ天下でんか改元かいげんしろ雉。……』」
  5. ^ s:日本書紀にほんしょき/まきだい廿にじゅうきゅう「〔朱鳥あすか元年がんねんなながつつちのえうま改元かいげん曰朱とり元年がんねん。」
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  8. ^ 德川とくがわ光圀みつくに 1911かんだいじゅうななこうけん天皇てんのう〉「〔天平てんぴょうたから元年がんねんはちがつじゅうはちにちかぶとうま,敕曰:『……其改天平てんぴょうかちたから九歲為天平寶字元年。……』」.
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参考さんこう文献ぶんけん[编辑]

外部がいぶ連結れんけつ[编辑]