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关于“
士 し 夫 おっと ”及“
士 し 大夫 たいふ ”
的 てき 其他
意思 いし ,请见“
士 し 大夫 たいふ ”。
神 かみ 我 が (梵语 :पुरुष ,puruṣa ),在 ざい 契 ちぎり 经中 なか ,又 また 称 たたえ 为puṃs,另译为原人 げんじん 、士 し 夫 おっと ,为弥漫在宇宙 うちゅう 中 なか 的 てき 自我 じが 。最早 もはや 起源 きげん 于吠陀 べーだ 时代 ,随 ずい 后 きさき 成 なり 为古 こ 印度 いんど 的 てき 概念 がいねん ,数 かず 论派 以此为核心 こころ 概念 がいねん 。佛教 ぶっきょう 也受到这个思想 しそう 的 てき 影 かげ 响,引用 いんよう 这个名 めい 词,用 もちい 到 いた 其教义探讨中,但 ただし 一般 いっぱん 来 らい 说,佛教 ぶっきょう 对这个概念持 ねんじ 批判 ひはん 态度。
在 ざい 梵文 ぼんぶん 中 ちゅう , 神 かみ 我 わが 有 ゆう 人 ひと 、男 おとこ 人 じん 、自我 じが 及灵魂 等 とう 意思 いし 。神 かみ 我 わが 这个概念 がいねん 最 さい 早出 そうしゅつ 现在《原人 げんじん 歌 か 》,是 ぜ 世 よ 间最初 さいしょ 的 てき 开端。关于原人 げんじん 的 てき 传说后 きさき 来 らい 转化,将 はた 神 かみ 我 わが 当 とう 成 なり 生命 せいめい 的 てき 核心 かくしん 与 あずか 轮回的 てき 主体 しゅたい ,为古印度 いんど 数 かず 论哲学 てつがく 的 てき 核心 かくしん 概念 がいねん 。数 かず 论派提出 ていしゅつ “神 かみ 我 が ”与 あずか “本性 ほんしょう ”之 これ 二元 にげん 论哲学 てつがく [ 1] ,与 あずか 吠 ほえ 檀 まゆみ 多 おお 主 しゅ 义“梵我 幻 まぼろし ”一元 いちげん 论相 あい 抗 こう 衡,成 なり 为古印度 いんど 的 てき 主流 しゅりゅう 哲学 てつがく 概念 がいねん 之 の 一 いち 。在 ざい 数 すう 论派思想 しそう 中 ちゅう ,神 かみ 我 わが 是 ぜ 不朽 ふきゅう 的 てき 精神 せいしん 。
佛教 ぶっきょう 批驳神 しん 我 わが 论,但 ただし 有 ゆう 限度 げんど 采 さい 纳了本性 ほんしょう 论的内容 ないよう ,包括 ほうかつ 如来 にょらい 藏 ぞう 等 とう 概念 がいねん ,都 と 被 ひ 认为与神 しん 我 が 的 てき 概念 がいねん 有 ゆう 相近 すけちか 之 の 处。
“原人 げんじん ”一词最早见于《梨 なし 俱吠陀 べーだ 》的 てき 《原人 げんじん 歌 か 》中 ちゅう ,原人 げんじん 之 の 神 かみ ,无生无死,超 ちょう 验绝对,其微妙 みょう 现身,千 せん 头千眼 め 千 せん 足 そく ,从彼诞生众天神 しん 与 あずか 人 ひと 类,原人 げんじん 化身 けしん 变化成 かせい 祭 さい 品 ひん ,一众提婆用它来举行祭祀仪式,从此祭 さい 品 ひん 中 ちゅう 产生世 よ 间万物 ぶつ [ 2] 。然 しか 而,学 がく 术界认为这首赞美诗是吠陀 べーだ 时期 结束后 きさき 才 ざい 被 ひ 创作出来 でき 的 てき [ 3] 。
婆 ばば 罗门教 きょう 数 すう 论派哲学 てつがく 理 り 论现存 そん 最早 もはや 的 てき 经典是 ぜ 自在 じざい 黑 くろ 著 ちょ 《数 かず 论颂 》,其中论述了 りょう ,神 かみ 我 わが 与 あずか 本性 ほんしょう 结合而创造 づくり 世 よ 间万有 ばんゆう ,在 ざい 与 あずか 身体 しんたい 分 ぶん 离及胜性停止 ていし 活 かつ 动后,神 かみ 我 わが 获得确定而且最 さい 终的独 どく 存 そん [ 4] 。
《数 かず 论颂 》第 だい 二 に 十 じゅう 一 いち 颂[ 5] :
“
神 かみ 我 わが (与 あずか 自性 じしょう 结合)是 ぜ 为了注 ちゅう 视(自性 じしょう ),自性 じしょう (与 あずか 神 かみ 我 わが 结合)是 ぜ 为了(神 かみ 我 が )独 どく 存 そん 。二者的结合就如同跛者与盲者(的 てき 结合)一 いち 样。(世界 せかい 的 てき )创造由 よし 此产生 せい 。[ 6]
”
《数 かず 论颂 》第 だい 六 ろく 十 じゅう 四 よん 颂[ 5] :
“
通 つう 过修习(二 に 十 じゅう 五 ご )谛,产生非我 ひが (na asmi ),非我 ひが 所 しょ (na me ),因 いん 而无我 わが (na aham )的 てき 知 ち 识。(这种知 ち 识)是 ぜ 无误的 てき ,因 いん 此是纯净的 てき 和 わ 绝对的 てき 。[ 7]
”
在 ざい 大乘 だいじょう 佛教 ぶっきょう 著名 ちょめい 论师那 な 嘎呵朱 しゅ 讷的 てき 著作 ちょさく 中 ちゅう ,作者 さくしゃ 曾引述 じゅつ 《韦陀经 》等 とう 典籍 てんせき 所 しょ 提出 ていしゅつ 的 てき 一些说法并予以批驳[ 8] ,真 ま 谛 译《数 かず 论颂 》为《金 かね 七 なな 十 じゅう 论 》,有 ゆう 传说称 しょう 其释文 ぶん 为天 てん 亲所 ところ 写 うつし [ 9] 。
在 ざい 印度 いんど 宗教 しゅうきょう 教 きょう 义中,神 かみ 我 わが 是 ぜ 轮回 的 てき 主体 しゅたい ,但 ただし 佛教 ぶっきょう 认为这其实是对五 ご 蕴生起 せいき 错误的 てき 想 そう 而造成 ぞうせい [ 10] 。
大乘 だいじょう 佛教 ぶっきょう 所 ところ 认可的 てき 如来 にょらい 藏 ぞう 论,与 あずか 神 かみ 我 わが 论相似 そうじ ,但 ただし 大乘 だいじょう 佛教 ぶっきょう 往往 おうおう 会 かい 强 きょう 调两者 しゃ 之 の 间有不同 ふどう 的 てき 地方 ちほう [ 11] 。
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姚卫群 ぐん 《佛教 ぶっきょう 的 てき “如来 にょらい 藏 ぞう ”思想 しそう 与 あずか 婆 ばば 罗门教 きょう 的 てき “我 が ”》:“婆 ばば 罗门教 きょう 哲学 てつがく 中 ちゅう 的 てき 数 すう 论派和 わ 瑜伽 ゆが 派 は 是 ぜ 联系紧密的 てき 两个派 は 别。它们关于“我 が ”的 てき 观念基本 きほん 是 ぜ 一致 いっち 的 てき 。在 ざい 一般的数论派与瑜伽派的典籍中(尤 ゆう 其是在 ざい 中国 ちゅうごく 古代 こだい 翻 こぼし 译的数 すう 论派典籍 てんせき 或 ある 汉译佛典 ぶってん 对数论派的 てき 叙述 じょじゅつ 中 ちゅう ),所 しょ 谓“我 が ”与 あずか 一般的奥义书及其他婆罗门教派别说的“我 が ”(Ātman)并不相 しょう 同 どう 。数 かず 论派与 あずか 瑜伽 ゆが 派 は 中 ちゅう 说的“我 が ”更 さら 为流行 りゅうこう 的 てき 汉译术语是 ぜ “神 かみ 我 が ”(Puruṣa),它被认为是 ぜ 一个独立的精神性实体。这一实体与数论及瑜伽派中论述的另一实体“自性 じしょう ”(Prakṛti)并列存在 そんざい ,对自性 せい 转化出世 しゅっせ 间事物 ぶつ 起 おこり 某 ぼう 种作用 よう (参 まいり 见自在 ざい 黑 くろ 的 てき 《数 すう 论颂》21及乔荼波陀相应的注 ちゅう )。 ”
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巫 みこ 白 はく 慧 とし 译解《“梨 なし 俱吠陀 べーだ ”神 かみ 曲 きょく 选》,《原人 げんじん 歌 か 》:“原人 げんじん 之 の 神 かみ ,微妙 びみょう 现象,千 せん 头千眼 め ,又 また 具 ぐ 千 せん 足 そく ;包 つつみ 摄大地 ち ,上下 じょうげ 四 よん 维;巍然 ぎぜん 站立,十指 じっし 以外 いがい 。唯 ただ 此原人 じん ,是 ぜ 诸一切 いっさい ;既 すんで 属 ぞく 过去,亦 また 为未来 みらい ;唯 ただ 此原人 じん ,不死 ふし 之 の 主 しゅ ;享受 きょうじゅ 牺牲,升 しょう 华物外 がい 。 如此神 しん 奇 き ,乃彼威力 いりょく ;尤 ゆう 为胜妙 みょう ,原人 げんじん 自身 じしん :一切 いっさい 众生,占 うらない 其四一 いち ;天上 てんじょう 不死 ふし ,占 うらない 其四三 さん 。原人 げんじん 升 ます 华,用 よう 其四三 さん ,所 しょ 馀四一 いち ,留 とめ 在世 ざいせい 间。是 ぜ 故 こ 原人 げんじん ,超越 ちょうえつ 十 じゅう 方 ぽう ,遍 へん 行 ぎょう 二 に 界 かい ,食 しょく 与 あずか 不 ふ 食 しょく 。 从彼诞生,大 だい 毗罗阇;从毗罗阇,生 なま 补卢莎;彼 かれ 一 いち 出世 しゅっせ ,立 たて 放 ひ 光彩 こうさい ,创造大地 だいち ,后 きさき 复前进。原人 げんじん 化身 けしん ,变化祭 さい 品 ひん ,诸天用 よう 以,举行祭祀 さいし 。溶解 ようかい 酥油,是 ぜ 彼 かれ 春 はる 天 てん ,夏 なつ 为燃料 ねんりょう ,秋 あき 为供物 ぶつ 。 对此原人 げんじん ,太初 たいしょ 诞生,洒水净化,作 さく 圣草祭 さい 。上天 じょうてん 神祇 じんぎ ,往昔 おうせき 古 こ 圣,及今仙人 せんにん ,用 よう 之 これ 行 ぎょう 祭 さい 。当 とう 此祭典 さいてん ,献 けんじ 供 きょう 圆满,由 ゆかり 是 ぜ 收集 しゅうしゅう ,酥油凝脂 ぎょうし 。彼 かれ 复创造 づくり ,诸类动物;空中 くうちゅう 兰若,村落 そんらく 驯养。……原人 げんじん 之 の 身 み ,若 わか 被 ひ 肢 し 解 かい ,试请考 こう 虑,共有 きょうゆう 几分?何 なに 是 これ 彼 かれ 口 こう ?何 なに 是 これ 彼 かれ 臂 ひじ ?何 なに 是 これ 彼 かれ 腿 もも ?何 なに 是 これ 彼 かれ 足 あし ?……”
^ Nagarajan, V. Origins of Hindu social system. South Asia Books. 1994: 16, 121. ISBN 978-81-7192-017-4 .
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自在 じざい 黑 くろ 《数 かず 论颂 》,第 だい 六 ろく 十 じゅう 八 はち 颂:“当 とう 与 あずか 身体 しんたい 分 ぶん 离时,当 とう 自性 じしょう 由 よし 于实现了目的 もくてき ,而停止 ていし 活 かつ 动时,(神 かみ 我 が )就获得 とく 了 りょう 确定的 てき 和 わ 最 さい 终的独 どく 存 そん 。”(姚卫群 ぐん 编译《古 こ 印度 いんど 六 ろく 派 は 哲学 てつがく 经典》)
^ 5.0 5.1 姚卫群 ぐん 编译《古 こ 印度 いんど 六 ろく 派 は 哲学 てつがく 经典》,商 しょう 务印书馆,ISBN 7-100-03480-9 / B·524。
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真 ま 谛 译《金 かね 七 なな 十 じゅう 论 》:“外 そと 曰:自性 じしょう 与 あずか 人 ひと ,何 なに 因 いん 得 とく 和合 わごう ?以偈答 こたえ 曰:‘我 わが 求 もとめ 见三德 さんとく ,自性 じしょう 为独存 そん ,如跛盲人 もうじん 合 あい ,由 ゆかり 义生世 よ 间。’
我 わが 求 もとめ 见三德 さんとく 者 しゃ ,我 わが 有 ゆう 如此意 い ,我 わが 今 いま 当 とう 见三德 さんとく 自性 じしょう 故 こ ,我 わが 与 あずか 自 じ 性合 しょうあい 。自性 じしょう 为独存 そん 者 しゃ ,是 ぜ 因 いん 苦 く 人 じん ,唯 ただ 有能 ゆうのう 知 ち 见。今 こん 当 とう 为彼令 れい 得 とく 独 どく 存 そん ,以是义故,自性 じしょう 与 あずか 我 わが 和合 わごう 。譬 たとえ 如国王 おう 与 あずか 人 ひと 和合 わごう ,我 わが 应使是 ぜ 人 じん ,是 ぜ 人 じん 亦 また 与 あずか 王 おう 和合 わごう ,王 おう 应施我 わが 生活 せいかつ 故 こ ,是 ぜ 王 おう 、人 ひと 和合 わごう 。由 よし 义故得 とく 成 なり ,我 わが 、自性 じしょう 和合 わごう ,义亦如是 にょぜ ,我 わが 为见故 こ ,自性 じしょう 为他 た 独 どく 存 そん 故 こ 。
如跛盲人 もうじん 合 ごう 者 しゃ ,此中有 ちゅうう 譬 たとえ :昔 むかし 有 ゆう 商 しょう 侣往优禅尼 ぜんに ,为劫所 しょ 破 やぶ ,各 かく 分散 ぶんさん 走 はし ,有 ゆう 一生盲及一生跛,众人弃择,盲人 もうじん 漫走,跛 ちんば 者 しゃ 坐 すわ 看 み 。跛 ちんば 者 しゃ 问言:汝 なんじ 是 ぜ 何人 なんにん ?盲者 もうしゃ 答 こたえ 言 ごと :我 わが 是 ぜ 生 せい 盲 めくら ,不 ふ 识道故 こ ,所以 ゆえん 漫走。汝 なんじ 复何人 なんにん ?跛 ちんば 者 しゃ 答 こたえ 言 ごと :我 わが 生 なま 跛 ちんば 人 じん ,唯 ただ 能 のう 见道,不能 ふのう 走行 そうこう 故 こ ,汝 なんじ 今 こん 当 とう 安 やす 我 わが 肩 かた 上 じょう ,我 わが 能 のう 导路,汝 なんじ 负我行 ぎょう 。如是 にょぜ 二 に 人 にん 以共和合 わごう ,遂 とげ 至 いたり 所在 しょざい 。此之和合 わごう ,由 ゆかり 义得成就 じょうじゅ ,至 いたり 所在 しょざい ,各 かく 各相 かくしょう 离。如是 にょぜ 我 が 者 しゃ ,见自性 せい 时,即 そく 得 とく 解脱 げだつ 。是 ぜ 自性 じしょう 者 しゃ ,亦 また 令 れい 我 が 独 どく 存 そん ,各相 かくしょう 舍 しゃ 离。
由 よし 义生世 よ 间者,由人 よしと 为见他 た ,自性 じしょう 为独存 そん 故 こ ,因 いん 此二 に 义故,得 とく 和合 わごう 。是 ぜ 和合 わごう 者 しゃ ,能生 のう 世 よ 间,譬 たとえ 如男女 だんじょ ,由 ゆかり 两和合 わごう 故 こ ,得 とく 生子 おいご 。如是 にょぜ ,我 わが 与 あずか 自 じ 性合 しょうあい ,能生 のう 于大等 とう 。”
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乔荼波 は 陀 注 ちゅう 释:“通 つう 过对二 に 十 じゅう 五谛的静虑修习,……在 ざい 神 かみ 我 わが 中 なか 产生这样的 てき 知 ち 识:非我 ひが ,即 そく 我 わが 不 ふ 存在 そんざい ;非我 ひが 所 しょ ,即 そく 此身不 ふ 是 ぜ 我 が 的 てき ,因 いん 为我是 ぜ 一物 いちもつ ,身 み 是 ぜ 另一物 ぶつ ;彻底的 てき 无我 ,即 そく 自己 じこ 摆脱自我 じが 。这种知 ち 识是彻底的 てき ……,即 そく 只 ただ 有 ゆう 这(知 ち 识)是 ぜ 解脱 げだつ 的 てき 因 いん ,没 ぼつ 有 ゆう 其他的 てき 东西(是 ぜ 因 いん )。”
Sāmkhya Kārikā, as translated by Vidyāsudhākara Dr. Har Dutt Sharma, M.A., Ph.D.. Kārikā LXIV: By practising the principles thus, there arises the kmowledge, viz., ‘I am not, naught is mine, there is no Ego’, which is complete, absolute and pure, because there remains no doubt. Thus, in the way described above, by practising the meditation of twenty-five principles, viz., ‘this is Nature; this is Spirit; these are the five subtle elements, the organs and the gross elements’, there arises this knowledge in the Spirit:—I am not, i.e., I do not exist; naught is mine, i.e., this body is not mine, for I am one thing and the body another; there is no ego, which is complete, i.e., I am exempt from ego; which knowledge is complete.
真 ま 谛 译《金 かね 七 なな 十 じゅう 论 》:“复次偈 げ 言 ごと :‘如是 にょぜ 真 ま 实义,数 すう 习无馀故,无我及我所 しょ ,无倒净独智 さとし 。’如是 にょぜ 真 ま 实义者 しゃ ,如前已 やめ 说二 に 十 じゅう 五 ご 义。数 かず 习无馀故者 しゃ ,于六 ろく 行 ぎょう 中 ちゅう ,数 すう 数 すう 修 おさむ 习故;无馀者 しゃ ,修 おさむ 习究竟故,智慧 ちえ 得 とく 生 せい 。因 よし 此智慧 ちえ ,无执、我 わが 执、我 わが 所 ところ 执,此三 さん 执,及五疑 うたぐ ,并得灭尽。一切 いっさい 事 こと 及身,皆 みな 自性 じしょう 所作 しょさ ,非 ひ 无、非我 ひが 、非我 ひが 所 しょ ,悉属自性 じしょう 故 ゆえ 。因 よし 此修智慧 ちえ ,得 とく 生 せい 清 きよし 净独存 そん ,因 いん 此智,我 わが 得 とく 解脱 げだつ 。”
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龙树 《十住毘婆沙论 》卷 まき 10:“问曰:韦陀 中 ちゅう 亦 また 有 ゆう 善 ぜん 寂 さび 灭解脱 げだつ 说:‘世 よ 间先皆 みな 幽 かそけ 暗 くら ,都 と 无所有 しょゆう ;初 はつ 有 ゆう 大人 おとな ,出 で 现如日 び ,若 わか 有 ゆう 见者,得度 とくど 死 し 难,更 さら 有 ゆう 馀导。’又 また 说:‘人身 じんしん 小 しょう 则神小 しょう ,人 にん 大 だい 则神大 だい ,身 み 为神宅 たく ,常 つね 处其中 ちゅう ;若 わか 以智慧 ちえ ,开解神 しん 缚,则得解脱 げだつ 。’是 ぜ 故 こ 当知 とうち ,韦陀中有 ちゅうう 寂 さび 灭解脱 げだつ 。答 こたえ 曰:无是事 ごと 也,何 なに 以故?韦陀经中,有 ゆう 四 よん 颠倒。世 よ 间无常 つね ,而别有 ゆう 常世 とこよ 间,如说:‘一作 いつさく 天 てん 祠 ほこら 堕落 だらく ,再 さい 亦 また 堕落 だらく ,三 さん 作 さく 则不堕。’是 ぜ 为无常 つね 中 ちゅう 常 つね 颠倒。世 よ 间苦,而说有 ゆう 常 つね 乐处,是 ぜ 为苦中 ちゅう 乐颠倒 たおせ 。又 また 说:‘我 わが 神 かみ 转为子 こ ,愿 すなお 使 し 寿 ことぶき 百 ひゃく 岁。’子 こ 是 ぜ 他 た 身 み ,云 うん 何 なん 为我?是 ぜ 为无我 わが 中 なか 我 わが 颠倒。说:‘身 み 清 きよし 净,第 だい 一 いち 无比,金 きむ 银珍宝 ちんぽう ,无及身 み 者 しゃ 。’是 ぜ 名 めい 无净中 ちゅう 净颠倒 たおせ 。颠倒则无实,无实云 うん 何 なん 有 ゆう 寂 さび 灭?是 ぜ 故 こ 韦陀中 ちゅう 无善寂 さび 灭法。”
龙树 《十 じゅう 二 に 门论 》:“如经说:‘裸 はだか 形 がた 迦叶问佛,苦 く 自作 じさく 耶?佛 ふつ 默然 もくぜん 不 ふ 答 こたえ 。世尊 せそん !若 わか 苦 く 不 ふ 自作 じさく 者 しゃ ,是 ぜ 他 た 作 さく 耶?佛 ふつ 亦 また 不 ふ 答 こたえ 。世尊 せそん !若 わか 尔者,苦 く 自作 じさく 他 た 作 さく 耶?佛 ふつ 亦 また 不 ふ 答 こたえ 。世尊 せそん !若 わか 尔者,苦 く 无因无缘作 さく 耶?佛 ふつ 亦 また 不 ふ 答 こたえ 。’如是 にょぜ 四 よん 问,佛 ふつ 皆 みな 不 ふ 答 こたえ 者 しゃ ,当知 とうち 苦 く 则是空 そら 。问曰:佛 ふつ 说是经,不 ふ 说苦是 ぜ 空 そら ,随 ずい 可 か 度 ど 众生故 こ ,作 さく 是 ぜ 说。是 ぜ 裸 はだか 形 がた 迦叶,谓人是 ぜ 苦 く 因 いん 。有我 ありが 者 しゃ 说:‘好 こう 丑 うし 皆 みな 神 しん 所作 しょさ ,神 かみ 常 つね 清 しん 净,无有苦 く 恼,所 しょ 知 ち 所 しょ 解 かい ,悉皆 しっかい 是 ぜ 神 しん ,神作 かんさく 好 こう 丑 うし 苦 く 乐,还受种种身 み 。’以是邪 よこしま 见故,问佛苦 く 自作 じさく 耶?是 ぜ 故 こ 佛 ふつ 不 ふ 答 こたえ 。……复次,若 わか 他 た 作 さく 苦 く 者 しゃ ,则为是 ぜ 自 じ 在天 ざいてん 作 さく ,如此邪 よこしま 见问故 こ ,佛 ふつ 亦 また 不 ふ 答 こたえ 。……共 とも 作 さく 亦 また 不 ふ 然 しか ,有 ゆう 二 に 过故;众因缘和合生 あいおい 故 こ ,不 ふ 从无因 いん 生 せい ,佛 ふつ 亦 また 不 ふ 答 こたえ 。是 ぜ 故 こ 此经,但 ただし 破 やぶ 四 よん 种邪见,不 ふ 说苦为空。答 こたえ 曰:佛 ふつ 虽如是 ぜ 说,从众因 いん 缘生苦 く ,破 やぶ 四 よん 种邪见,即 そく 是 ぜ 说空。说苦从众因 いん 缘生,即 そく 是 ぜ 说空义。何 なに 以故?若 わか 从众因 いん 缘生,则无自性 じしょう ,无自性 せい 即 そく 是 ぜ 空 そら ,如苦空 そら ,当知 とうち 有 ゆう 为、无为,及众生 せい ,一切 いっさい 皆 みな 空 そら 。”
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真 ま 谛 译《婆 ばば 薮 やぶ 槃豆法 ほう 师传 》:“至 いたり 佛 ふつ 灭后九 きゅう 百 ひゃく 年 ねん 中 ちゅう ,有 ゆう 外道 げどう 名 めい 频阇诃婆娑 しゃば ,频阇诃是山名 やまな ,婆 ばば 娑 しゃば 译为住 じゅう 。……有 ゆう 龙王名 めい 毘梨沙 すな 迦那,住 じゅう 在 ざい 频阇诃山下池 しもいけ 中 ちゅう ,此龙王 おう 善 よし 解 かい 僧 そう 佉论。……外道 げどう 采 さい 华满一 いち 大 だい 篮,头戴华篮至 いたり 龙王所 しょ ,……即 そく 为解说僧佉论。……即 そく 入 いれ 阿 おもね 𦈕阇国,以显击论义鼓云 うん :我欲 がよく 论义,……国王 こくおう 馝柯罗摩阿 おもね 祑多,译为正 せい 勒日,……王 おう 遣 や 人 ひと 问国内 ない 诸法师,谁能当 とう 此外道 どう ?……佛陀 ぶっだ 蜜 みつ 多 た 罗法师在,佛陀 ぶっだ 蜜 みつ 多 た 罗,译为觉亲,此法师本虽大解 かい ,年 ねん 已 やめ 老 ろう 迈。……法 ほう 师即立 りつ 无常义云:一切 いっさい 有 ゆう 为法,刹那 せつな 刹那 せつな 灭,何 なに 以故?后 きさき 不 ふ 见故。……法 ほう 师即堕负,……王 おう 以三洛沙金赏外道。……还频阇诃山入 やまいり 石窟 せっくつ 中 ちゅう ,……舍 しゃ 命 いのち 身 み 即 そく 成 なり 石 せき 。……天 てん 亲弥复愤懑,即 そく 造 づくり 《七 なな 十 じゅう 真 ま 实论》,破 やぶ 外道 げどう 所 しょ 造 づくり 僧 そう 佉论,首尾 しゅび 瓦解 がかい ,无一 いち 句 く 得 とく 立 りつ ,诸外道 どう 忧苦,如害己 おのれ 命 めいじ ,虽不值彼师,其悉檀 まゆみ 既 すんで 坏,枝 えだ 末 まつ 无复所 しょ 依 よ ,报雠雪 ゆき 耻,于此为讫,众人咸闻庆悦,王 おう 以三洛沙金赏法师。”
窥基 《成 なり 唯 ただ 识论述 じゅつ 记 》:“梵云僧 そう 佉,此翻为数,即 そく 智惠 ちえ 数 すう ,数 すう 度 ど 诸法根本 こんぽん 。立 だて 名 めい 从数起 おこり 论,名 めい 为数论,论能生 せい 数 すう ,亦 また 名数 めいすう 论。其造数 すう 论及学 がく 数 すう 论,名数 めいすう 论者。此师所 しょ 造 づくり 《金 かね 七 なな 十 じゅう 论》,谓有外道 げどう 入金 にゅうきん 耳 みみ 国 こく ,以铁鍱腹、顶戴火 ひ 盆 ぼん ,击王论鼓,求 もとめ 僧 そう 论议,因 いん 诤世界 かい 初 はつ 有 ゆう 后 きさき 无,谤僧不 ふ 如外道 どう 。遂 とげ 造 づくり 七 なな 十 じゅう 行 ぎょう 颂,申 さる 数 すう 论宗,王 おう 意 い 朋 とも 彼 かれ ,以金赐之,外道 げどう 欲 よく 彰 あきら 己 おのれ 令 れい 誉 ほまれ ,遂 とげ 以所造 づくり 名 めい 《金 かね 七 なな 十 じゅう 论》。彼 かれ 论长行 ぎょう ,天 てん 亲 菩萨之 これ 所 しょ 造 づくり 也。”
^ 《杂阿含经》卷 まき 13〈306经〉:“所以 ゆえん 者 しゃ 何 なに ?眼 め 、色 いろ 缘生眼 め 识,三 さん 事 こと 和合 わごう 触 さわ ,触 さわ 俱生受、想 おもえ 、思 おもえ ,此四无色阴、眼 め 、色 いろ ,此等法名 ほうみょう 为人,于斯等 とう 法 ほう 作 さく 人 じん 想 おもえ 、众生、那 な 罗、摩 ま [少 しょう /兔 うさぎ ]阇、摩 ま 那 な 婆 ばば 、士 し 夫 おっと 、福 ぶく 伽 とぎ 罗、耆婆、禅 ぜん 头。”
^ 求 もとめ 那 な 跋 ばつ 陀罗译《楞伽阿 おもね 跋 ばつ 多 た 罗宝经》卷 まき 2:“尔时,大 だい 慧 とし 菩萨摩 ま 诃萨白 しろ 佛 ふつ 言 ごと :‘“世尊 せそん !世尊 せそん !修 おさむ 多 た 罗说:如来 にょらい 藏 ぞう 自性 じしょう 清 きよし 净,转三 さん 十 じゅう 二 に 相 そう ,入 にゅう 于一切 いっさい 众生身中 しんちゅう ,如大价宝,垢 あか 衣 ころも 所 しょ 缠。如来 にょらい 之 の 藏 ぞう 常住 じょうじゅう 不 ふ 变,亦 また 复如是 ぜ ,而阴,界 さかい ,入 いれ ,垢 あか 衣 ころも 所 しょ 缠,贪欲恚痴不 ふ 实,妄想 もうそう 尘劳所 しょ 污,一切诸佛之所演说。云 うん 何 なん 世尊 せそん 同 どう 外道 げどう 说我,言 げん 有 ゆう 如来 にょらい 藏 ぞう 耶?世尊 せそん !外道 げどう 亦 また 说有常 つね 、作者 さくしゃ 离于求 もとめ 那 な ,周 しゅう 遍 あまね 不 ふ 灭。世尊 せそん !彼 かれ 说有我 が 。’佛 ふつ 告 つげ 大 だい 慧 とし :‘我 わが 说如来 にょらい 藏 ぞう ,不同 ふどう 外道 げどう 所 しょ 说之我 が 。大 だい 慧 とし !有 ゆう 时说空 そら 、无相、无愿、如、实际、法 ほう 性 せい 、法 ほう 身 み 、涅槃 ねはん 、离自性 せい 、不 ふ 生 なま 不 ふ 灭、本来 ほんらい 寂静 じゃくじょう 、自性 じしょう 涅槃 ねはん ,如是 にょぜ 等 とう 句 く ,说如来 にょらい 藏 ぞう 已 やめ 。如来 にょらい ,应供,等 ひとし 正 せい 觉,为断愚 ぐ 夫 おっと 畏 かしこ 无我句 く 故 こ ,说离妄想 もうそう 无所有 しょゆう 境界 きょうかい 如来 にょらい 藏 ぞう 门。大 だい 慧 とし !未来 みらい 现在菩萨摩 ま 诃萨,不 ふ 应作我 わが 见计著 ちょ 。譬 たとえ 如陶家 か ,于一泥 どろ 聚,以人工 じんこう 水木 みずき 轮绳方便 ほうべん ,作 さく 种种器 き 。如来 にょらい 亦 また 复如是 ぜ ,于法无我离一切 いっさい 妄想 もうそう 相 しょう ,以种种智慧 ちえ 善 ぜん 巧 たくみ 方便 ほうべん ,或 ある 说如来 にょらい 藏 ぞう ,或 ある 说无我 が 。以是因 いん 缘故,说如来 にょらい 藏 ぞう ,不同 ふどう 外道 げどう 所 しょ 说之我 が 。是 ぜ 名 めい 说如来 にょらい 藏 ぞう 。’”