楊福祺,字じ子こ厚あつ,號ごう潤じゅん生せい。山東さんとう歷れき城ぐすく縣けん(今こん屬ぞく濟すみ南市みなみいち)人にん。清朝せいちょう政治せいじ人物じんぶつ。
道みち光こう十じゅう八はち年ねん(1838年ねん)戊つちのえ戌いぬ科か進士しんし。選せん翰林院かんりんいん庶吉士し,散ち館かん授編修へんしゅう。官かん至いたり安徽あんき鳳おおとり陽よう府ふ知ち府ふ。[1]