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かげ

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障子しょうじうつかげ

かげ(かげ、英語えいご:shadow、ドイツ:Schatten)は、物体ぶったいひとなどが、ひかり進行しんこうさえぎ結果けっかかべ地面じめんにできるくら領域りょういきである。かげは、その原因げんいんとなる物体ぶったいひと輪郭りんかくたものとなるが、かべ地面じめんなど、かげができるめん角度かくどおうじて、普通ふつういがんだぞうとなる。比喩ひゆてき意味いみでも使つかわれ、文学ぶんがく心理しんりがく概念がいねんとしても使用しようされる。

なお、ひかりたらないところは、区別くべつして、かげ(かげ、英語えいご:shade)とく。

物理ぶつり現象げんしょうとしてのかげ

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かげ物理ぶつり現象げんしょうとしては、こう直進ちょくしんせいつことからまれる。またひかり波長はちょうくらべ、かげ原因げんいんとなる物体ぶったい非常ひじょう巨大きょだいであるため、輪郭りんかく明瞭めいりょうかげ成立せいりつする。電波でんぱは、物理ぶつり学的がくてきには、本質ほんしつてきひかりわりない電磁波でんじはであるが、波長はちょう非常ひじょうながく、人体じんたい建造けんぞうぶつなどとくらべるとはるかにおおきいため、電波でんぱもまた直進ちょくしんせいつとはえ、電波でんぱによるかげは、日常にちじょうてきなサイズの物体ぶったいとうについてはまれない。

ビルのかげなどになると、TV電波でんぱ受信じゅしん電波でんぱ障害しょうがいこるが、これは光学こうがくてきな「はんかげ」に相当そうとうする現象げんしょうである。かげという場合ばあいは、通常つうじょう特定とくてい光源こうげん電磁波でんじはげんからのひかり電磁波でんじはについての「真影しんえい」のことをすので、電波でんぱとう場合ばあいは、日常にちじょうてき物体ぶったいサイズでは、かげしょうじないのである。べつ言葉ことばべると、直進ちょくしんする電波でんぱがビルにたった場合ばあい波長はちょう非常ひじょうながいため、電波でんぱ散乱さんらんしてビルの背後はいごにまでまわってしまい、純粋じゅんすいかげはできない。

投影とうえい

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かげについては、光源こうげんを「てん光源こうげん」としてかんがえるとかりやすい。ひとつのてんよりひかり放射ほうしゃされ、それが四方八方しほうはっぽう空間くうかんひろがってくとき、このような光源こうげんは「てん光源こうげん」である。

またかげうつ地面じめんまたはかべとしては、抽象ちゅうしょうして、「平面へいめんスクリーン」をかんがえる。もちろん、地面じめんかべも、具体ぐたいてき存在そんざいするものはけっして純粋じゅんすい平面へいめんではなく、でこぼこが表面ひょうめんにあったり、おおきく円盤えんばんじょう湾曲わんきょくしていたり、あるいは波状はじょう起伏きふくしている場合ばあいもあるが、理想りそうして、純粋じゅんすい平面へいめんスクリーンにうつるとかんがえる。

このようにかんがえると、かげかたちは、光源こうげんとスクリーンのあいだにあって、ひかりさえぎ物体ぶったいあるいはひととうの「輪郭りんかく」を、スクリーン平面へいめん投影とうえいしたかたちとなる。

てん光源こうげんによるかげ

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てん光源こうげん物体ぶったい中心ちゅうしんてん(どこが中心ちゅうしんてんかは、物体ぶったいおうじて適宜てきぎめる)とをむす直線ちょくせんかんがえると、スクリーンが、この直線ちょくせんたいし、直角ちょっかくまじわるかたちかれているか、またはかたむいた角度かくどかれているかで、かげ輪郭りんかくの「ゆがみ」のありようが変化へんかする(この、光源こうげん物体ぶったい中心ちゅうしんむす直線ちょくせんを、「投影とうえい中心ちゅうしんせん」とここではぶ)。

  • スクリーン平面へいめんが、投影とうえい中心ちゅうしんせん直角ちょっかくまじわる場合ばあい(いいかえれば、投影とうえい中心ちゅうしんせんたいし、スクリーンがほう平面へいめんである場合ばあい
    • 物体ぶったい輪郭りんかくと、かげ輪郭りんかく相似そうじかたちで、ゆがみはない。光源こうげんとスクリーンが固定こていされている場合ばあい物体ぶったい光源こうげんちかづくと、スクリーンじょうかげおおきくなり、その反対はんたいに、光源こうげんからとおざかると、かげちいさくなる。
  • スクリーン平面へいめんが、投影とうえい中心ちゅうしんせん直角ちょっかくまじわらず、かたむきを場合ばあい(このとき、スクリーンには、ふたつの方向ほうこうができる。かげ部分ぶぶんからスクリーンじょう移動いどうすると、光源こうげんよりとおざかる方向ほうこうと、そのぎゃく方向ほうこうで、光源こうげん近寄ちかよろうとする方向ほうこうである)
    • 光源こうげんよりとおざかる方向ほうこうすすむと: かげは、投影とうえい中心ちゅうしんせんがスクリーンとまじわる位置いちにできるかげよりも、おおきくなりいがんだかたちになる。
    • 光源こうげんちかづく方向ほうこうすすむと: かげは、投影とうえい中心ちゅうしんせんがスクリーンとまじわる位置いちにできるかげよりも、ちいさくなりいがんだかたちになる。

平行へいこう光源こうげんによるかげ

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てん光源こうげんによるかげ場合ばあいはなしを、てん光源こうげんが「無限むげんとお位置いち」にあるとしてかんがえた場合ばあいが、平行へいこう光源こうげんによるかげである。無論むろん物理ぶつりてきには、てん光源こうげん無限むげん遠方えんぽうにあると、ひかりのエネルギーはゼロとなり、投影とうえいぞうまれない。しかし、幾何きか学的がくてきには、平行へいこうひかりかげかんがえることができる。光源こうげん非常ひじょう遠方えんぽうにある場合ばあいたとえば、太陽たいようひかりなどがつくかげだと、近似きんじてきに、太陽たいよう無限むげん遠方えんぽうにあるとかんがえ、平行へいこう光源こうげんなすことができる。

さきに、投影とうえい中心ちゅうしんせんとスクリーン平面へいめんまじわりが、直角ちょっかくかそうでないかによって、ふたつの場合ばあいがあった。平行へいこう光源こうげん場合ばあい、このふたつのケースは、製図せいずにおける「せい投影とうえい」と「はす投影とうえい」に該当がいとうする。

  • スクリーン平面へいめんが、平行へいこうすすひかり直角ちょっかくまじわる場合ばあいせい投影とうえい場合ばあい
    • 物体ぶったい輪郭りんかくと、かげ輪郭りんかく合同ごうどうで、ゆがみはなく、おおきさにもちがいはない。
  • スクリーン平面へいめんが、平行へいこうすすひかりななめにまじわる場合ばあいはす投影とうえい場合ばあい
    • この場合ばあいも、スクリーンにはふたつの方向ほうこうができるが、てん光源こうげん場合ばあいかげとはべつゆがかたとなる。物体ぶったいかげは、このふたつの方向ほうこうで、はば変化へんかはなく、ながさだけが、一定いってい比率ひりつおおきくなる。

夕方ゆうがたなどになって、太陽たいよう高度こうどひくくなると、平面へいめんちか地面じめんにできるひとかげなどは、ながびたかげとなる。このかげは、うえの「はす投影とうえい」の場合ばあいたっており、かげは、はば変化へんかしょうじず、ながさだけがおおきくなる。その結果けっかひとかげなどは、ながさを nばいしただけのゆがみのない、「たてびた姿すがた」になる。

サーチライトなどのてん光源こうげんらされた場合ばあい地面じめんにできるひとかげは、とおはなれるほどにはばおおきくなってくが、太陽たいよう光源こうげんとなって地面じめんにできるかげは、どこまでとおざかっても、はば一定いっていである。平行へいこう光源こうげんによってできるかげよりも、てん光源こうげんによるかげほうが、よりゆがみがおおきい。

ふくあい投影とうえいぞうとしてのかげ

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光源こうげんてん光源こうげんとし、てん光源こうげん有限ゆうげん距離きょりにある場合ばあいと、無限むげん距離きょりにある場合ばあい平行へいこう光源こうげん)のかげのできかたを以上いじょうべたが、現実げんじつには、複数ふくすう光源こうげんがあるのが通常つうじょうである。また、光源こうげんが「てん光源こうげん」というのは理想りそうであって、光源こうげん普通ふつう、「おおきさ」をっている。

複数ふくすう光源こうげんによるかげ

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光源こうげんてん光源こうげんとし、単一たんいつではなく、複数ふくすう光源こうげんがある場合ばあいかげかんがえることができる。

この場合ばあいは、「ひかりかさわせ」の原理げんり適用てきようできる。かげは、ひかり物体ぶったいとうさえぎぎられて、ひかりたらない結果けっかできるものであるので、光源こうげんごとでできるかげのパターンをかんがえ、このかげのパターンをかさわせれば、どのようなかげができるのか再現さいげんできる。

真影しんえいはんかげ

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この場合ばあい、スクリーンじょうにできるかげ領域りょういきは、かげ合成ごうせいとして、あかるさの度合どあいがことなる複数ふくすうのものがまれる。どの光源こうげんからもひかりない領域りょういきは、本来ほんらいかげであって、これを真影しんえいう。他方たほう、ある光源こうげんからは真影しんえいであるが、べつ光源こうげんからはひかり領域りょういきは、完全かんぜんかげではない。このような領域りょういきはんかげう。

はんかげあかるさ

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Nの(てん光源こうげんがあるとして、それぞれの代表だいひょうてきな「あかるさの比率ひりつ」というものをかんがえる。ここでいう「あかるさの比率ひりつ」とは、かげができる位置いちで、かげ中心ちゅうしんともかんがえられるてんかんがえ、ひかりさえぎ物体ぶったいがない場合ばあいのこのてんあかるさを、1 として、このあかるさ 1 に、それぞれの光源こうげんがどの程度ていどあかるさの寄与きよおこなっているかをしめ比率ひりつ数字すうじである。

これを、S1, S2, S3, ……Sn とするとき、S1+S2+S3+……+Sn=1 である。ふたつの光源こうげん A と B があり、A のほうあかるく、ひかりあかるさの寄与きよとして、A が6わり、B が4わりのときは、S(A)=0.6, S(B)=0.4 というような数字すうじになる。

さらに、あるはんかげてんが、特定とくてい光源こうげんについて、真影しんえいであるか、そうでないかによって、0 と 1 の数字すうじとなる、パリティ P (i) をかんがえる。i ばん光源こうげんについて、はんかげてんにおいて、ひかりさえぎられている場合ばあい、P (i)=0 であり、ひかりさえぎられていない場合ばあい、P (i)=1 である。このようにすると、ある特定とくていてんの「はんかげとしてのあかるさ」はつぎしき表現ひょうげんできる:

あかるさ=P (1)・S1+P (2)・S2+P (3)・S3+……+P (n)・Sn

N光源こうげんがあるとき、それぞれの光源こうげんあかるさの比率ひりつことなると、2^n-2( 2 の n マイナス 2 )種類しゅるいはんかげ領域りょういきがあることになる(「マイナス 2」は、かげのない領域りょういき真影しんえいふたつの領域りょういきである)。

色彩しきさいはんかげ

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複数ふくすう光源こうげん存在そんざいし、それぞれの光源こうげんことなるいろひかりである場合ばあいはんかげには微妙びみょう色彩しきさいのヴァリエーションがまれることになる。

あおほしあかほしれんほしけい惑星わくせいがあった場合ばあい、この惑星わくせいじょうでは、あおあかはんかげ存在そんざいすることになる。

おおきさを光源こうげんかげ

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てん光源こうげん理想りそうであって、現実げんじつ存在そんざいする光源こうげんおおきさをっている。くもりガラスのランプのしたにできるかげは、輪郭りんかく曖昧あいまいでぼけており、フリンジには、連続れんぞくはんかげしょうじる。太陽たいよう場合ばあいでも、厳密げんみつにはおおきさのある光源こうげんであって、かげ輪郭りんかくには、連続れんぞくはんかげのフリンジが存在そんざいする。

螢光けいこうとうのような光源こうげんは、光源こうげんひろがりがおおきいので、天井てんじょうなどにある場合ばあいは、ゆかにできるかげはすべてはんかげとなる。天井てんじょう非常ひじょう多数たすう螢光けいこうとうがあったり、天井てんじょう全体ぜんたいが、乱反射らんはんしゃによる発光はっこうげんである場合ばあいは、ゆかかげがほとんど存在そんざいしない場合ばあいもある。

外科げか手術しゅじゅつなどの場合ばあい外科げか器具きぐなどがかげつくすことで、手術しゅじゅつ過程かていづらくなることがある。これを回避かいひするため、かげができないように「かげとう」が工夫くふうされている。

天体てんたい現象げんしょうにおけるかげ

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日食にっしょく

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日食にっしょくは、地上ちじょう観測かんそくするひとには、太陽たいようひかりだまめんつきさえぎり、太陽たいようからのひかり天文てんもん現象げんしょうえる。しかし、日食にっしょくこっているとき、宇宙うちゅう空間くうかんから地球ちきゅう表面ひょうめんると、「つきかげ」が、徐々じょじょおおきさをして、地球ちきゅう表面ひょうめん通過つうかして現象げんしょうえる。

このとき、地球ちきゅう表面ひょうめんにできるつきかげが、はんかげである場合ばあいは、部分ぶぶん日食にっしょくであり、ごく一部いちぶ地域ちいきでも、真影しんえいしょうじる場合ばあい地球ちきゅうじょうのこの地域ちいきでは、皆既かいき日食にっしょくこっている。

月食げっしょく

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月食げっしょく進行しんこう連続れんぞく写真しゃしん

日食にっしょく場合ばあいは、地球ちきゅうじょう観測かんそくしゃかげ観測かんそくするのではなくかげのなかに自身じしんはいってくが、月食げっしょくは、月面げつめんうつ地球ちきゅうかげ観察かんさつする天文てんもん現象げんしょうである。

地球ちきゅうほうつきよりもおおきな天体てんたいであり、つきから地球ちきゅう直径ちょっけいは、地球ちきゅうからつき直径ちょっけいよりもはるかにおおきい(実質じっしつおおきさでも、直径ちょっけいでも、地球ちきゅうつきやく4ばい)。このため、日食にっしょくくら月食げっしょくほうこりやすい。

日食にっしょく場合ばあいは、1)部分ぶぶん日食にっしょく、2)皆既かいき日食にっしょく、そして、つき直径ちょっけい太陽たいよう直径ちょっけい非常ひじょうちか数字すうじであるためまれこる、3)金環きんかん日食にっしょくさん種類しゅるいしょくがある。月食げっしょく場合ばあいは、地球ちきゅう直径ちょっけいおおきいので金環きんかん月食げっしょくはない。そのわりに、はんかげしょくがあり、月食げっしょく場合ばあいは、1)はんかげ月食げっしょく、2)部分ぶぶん月食げっしょく、3)皆既かいき月食げっしょくさん種類しゅるいになる。

はんかげ月食げっしょくは、つきからると、地球ちきゅうによる部分ぶぶん日食にっしょくえるが、地球ちきゅうから部分ぶぶん日食にっしょくことなるのは、地球ちきゅうからえる月面げつめんぜん領域りょういきが、太陽たいようはんかげ領域りょういきはいることである。月面げつめん全体ぜんたいからて、地球ちきゅうによる部分ぶぶん日食にっしょくこっている状態じょうたいである。

自然しぜんぶつ人工じんこうぶつたかさの測定そくてい

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樹木じゅもくピラミッドたかさなどを、それらがつくかげながさを測定そくていして、おなじときにはかった、垂直すいちょくてたぼうなどのかげながさとの相似そうじ計算けいさん算出さんしゅつする方法ほうほう古代こだいから存在そんざいした。

近年きんねん人工じんこう衛星えいせいによる地上ちじょう写真しゃしんもとに、さんや、建造けんぞうぶつなどのたかさを、そのかげながさを測定そくてい算出さんしゅつする技術ぎじゅつがある。人工じんこう衛星えいせいから、垂直すいちょくした地上ちじょう撮影さつえいした衛星えいせい写真しゃしんでは、建造けんぞうぶつ構造こうぞうとか、自然しぜん地形ちけいとかが平坦へいたんうつり、起伏きふく判別はんべつできないので、かげ使つかって、立体りったい構造こうぞう識別しきべつする。

このようなかげ使つかう、たかさの算出さんしゅつ方法ほうほうは、月面げつめん存在そんざいするさん盆地ぼんち高低こうていなどの測定そくていにも使つかわれていた。また水星すいせい火星かせいなどの地形ちけいも、この方法ほうほう算出さんしゅつすることができ、惑星わくせいあいだ人工じんこう天体てんたい飛行ひこうで、以前いぜん近接きんせつして観測かんそくできなかった小惑星しょうわくせいそと惑星わくせい衛星えいせいなどの写真しゃしんにおいても、かげのありようを解析かいせきして、立体りったいてき起伏きふく算出さんしゅつすることができる。

文化ぶんかてき概念がいねんとしてのかげ

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かげは、物理ぶつりてきには、物体ぶったいとうによってひかりさえぎられる結果けっかできる、くら領域りょういきのことをう。かげは、一般いっぱんに、いくらかのゆがみはあるとはえ、もと物体ぶったいや、人物じんぶつ輪郭りんかく類似るいじしたかたちっている。

また、視覚しかく感覚かんかく中心ちゅうしんとしている人間にんげんにとっては、ひかりがあってものがえる場合ばあいつねに「かげ」が存在そんざいしており、かげは、その原因げんいんとなる遮蔽しゃへい物象ぶっしょうつねたいとなって存在そんざいしているというかんがえがある。さらに、かげのなかにはいることは、ひかりからとおざかることであり、日常にちじょう世界せかいからなにがしかの距離きょりくことだとの観念かんねんもまた派生はせいした。

はらぞう影像えいぞう

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文化ぶんかてきには、事象じしょう一般いっぱんについて、もと存在そんざいである「はらぞう」と、その補完ほかん存在そんざいあるいはてき存在そんざいとしての「影像えいぞう」という観念かんねん成立せいりつする。

人間にんげんの「たましい」について、未開みかい時代じだいから現代げんだいにいたるまで、様々さまざま把握はあくがあるが、たましい自体じたいと、たましい補完ほかんするぞうとしての「たましいかげ」というかんがかたがある。たましいかげとはどのようなものであるのか、たましいがどのように観念かんねんされているかによって、色々いろいろ把握はあくがある。

古代こだいギリシアの「プシューケー ψぷさいυうぷしろんχかいηいーた」は、「たましいかげ」または「ひとかげ」というような意味いみっていた。幽霊ゆうれいおおくの文化ぶんかばれているものは、弱々よわよわしくはかなかげ現象げんしょうでもある。

プラトンかたるところでは、我々われわれているもの、現象げんしょう世界せかいは、真実しんじつ在世ざいせいかいかげであるとう。この場合ばあいかげはらぞう姿すがた暗示あんじし、類似るいじしたかたちつが、はらぞう実在じつざいそのものとはことなっている。このような実在じつざい仮象かしょうとしてのかげという把握はあくは、人類じんるいなが宗教しゅうきょうてき文化ぶんかてきなイメージの歴史れきしから意味いみされているとえる。

ひかり世界せかいかげ世界せかい

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ひかりたいしてはやみがあり、ひかり世界せかいたいしてはやみ世界せかいがあるとえる。しかし他方たほうで、ひかり昼間ひるま世界せかいたいし、やみよる世界せかいがあるという対立たいりつならんで、ひかり昼間ひるま世界せかいたいし、かげ薄暮はくぼ世界せかいがあるという観念かんねんがある。

ひかり生命せいめい躍動やくどうちたなまであり存在そんざいなら、やみでありである。しかし、その中間ちゅうかん亡霊ぼうれいとしてのはかないかげ存在そんざいする「かげ世界せかい」がある。かげ世界せかいとは「冥府めいふ」であり、よるゆめのなかでくらいイメージの世界せかいである。

文化ぶんかてき現象げんしょうとしてのかげ意味いみ

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人間にんげん心理しんりにおけるかげ概念がいねん多様たようさと重要じゅうようさが、かげ神話しんわかげ暗喩あんゆ、また様々さまざま思想しそうてき意味いみになって文化ぶんかてき現象げんしょうしたとえる。ひとなまをめぐるかげ現象げんしょうがくがあり、またかげ意味いみいかける文学ぶんがく存在そんざいする。

宗教しゅうきょうにおけるかげ

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かげは、ゆめ想像そうぞうあらわれる死者ししゃなどのイメージであり、たましい付随ふずいするだいたましいでもある。自分じぶん自身じしん姿すがたることを「自己じこ」というが、自己じこたましい身体しんたいからの離脱りだつ意味いみし、「じゅうドッペルゲンガー)」の現象げんしょう関連かんれんする。

かげははかないたましいであり、そのイメージであるが、自分じぶん自身じしん自分じぶんかげることは、ある文化ぶんか解釈かいしゃくでは、まえにしていることを意味いみした。自分じぶん姿すがた外部がいぶることを「かげやまい」ともしょうしたが、それは自覚じかくであった。

魔術まじゅつにおけるかげ

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魔術まじゅつ呪術じゅじゅつにおいてはひかり対応たいおうするやみとしてなど、多様たよう象徴しょうちょうせいつ。またかげにも本体ほんたいたましい一部いちぶがある、というかんがえがあり、それは他人たにんとく目上めうえひとかげまないという礼儀れいぎ作法さほうなどとして表現ひょうげんされる。

ファンタジーにおける魔術まじゅつでは、忍術にんじゅつもちいられる「かげい」が有名ゆうめいである。忍者にんじゃてきかげである地面じめん手裏剣しゅりけんげると、本来ほんらい物理ぶつりてき関係かんけいのない本体ほんたいきずついたり行動こうどう不能ふのうになったりする。これは人形にんぎょう同様どうよう本体ほんたいとの呪術じゅじゅつてき関係かんけいせいをイメージしてとかんがえられる。ほかにもかげ本体ほんたいからはなれて活動かつどうする忍術にんじゅつられる。また魔物まもの本体ほんたいが、かがみぞう同様どうようかげであるケースもある。

心理しんりがくにおけるかげ

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かげ現象げんしょうは、宗教しゅうきょうてき重要じゅうよう意味いみち、ひと生死せいし関係かんけいしていた。ひと生死せいしは、肉体にくたいてき意味いみ生死せいしと、心理しんりてき意味いみ生死せいしがあり、ひと発達はったつ成長せいちょうは、心理しんりてき未熟みじゅく自己じこ経験けいけん通過つうかし、あたらしい自己じことしてまれることであるともえる。

このような構想こうそうにおいて、カール・グスタフ・ユングかれ分析ぶんせき心理しんりがくにおいて、自我じが補完ほかんするもとかたとして、かげ(Schatten)のもとかた提唱ていしょうした。かげもとかた分析ぶんせき初期しょき段階だんかいあらわれることがおおく、また異性いせいとしてあらわれるアニマアニムスちがって、分析ぶんせきしゃ同性どうせい人物じんぶつとしてあらわれることがおおい。かげは、そのひと意識いしき抑圧よくあつしたり、十分じゅうぶん発達はったつしていない領域りょういき代表だいひょうするが、また未来みらい発展はってん可能かのうせい示唆しさする。そのひときられなかった反面はんめんをイメージするちからといえよう。

かげ否定ひていてき意味いみつ(しばしばあく恐怖きょうふ対象たいしょうとしてイメージされる)場合ばあいおおいが、この否定ひていせいえて、自己じこ発達はったつさせねばならない。それはかげ無意識むいしき世界せかいいやるのではなく、むしろかげとの対決たいけつかげ自分じぶん自身じしん否定ひていてき側面そくめん欠如けつじょ側面そくめん意識いしきし、かげ自我じが統合とうごうすることが、自我じが発達はったつみちであり、自己じこ実現じつげんみち個性こせい過程かてい)であるとユングはとなえた。

文学ぶんがくにおけるかげ

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宗教しゅうきょうてき心理しんりがくてきに、かげ個人こじんにとって重要じゅうようなにかだということは、文学ぶんがくのなかでもげられている。日本にっぽんにおいて、戦国せんごく時代じだい武将ぶしょうなどに使つかわれた「影武者かげむしゃ」という概念がいねんは、本体ほんたいまもるために、てき模造もぞうしゃ代理だいりてきてることであるが、黒澤くろさわあきらの『影武者かげむしゃ(1980ねん)』がしめすように、かげ本体ほんたい交替こうたいする可能かのうせいつ。

りゅう慶一郎けいいちろうの『影武者かげむしゃ徳川とくがわ家康いえやす』では、関ヶ原せきがはら緒戦しょせん暗殺あんさつされた家康いえやす本人ほんにんわって、影武者かげむしゃ世良田せらだろうさんろう活躍かつやくするが、かげほう実像じつぞう家康いえやすよりもきとして才知さいちちている。戦国せんごく時代じだい天下てんかじんであった織田おだ信長のぶなが豊臣とよとみ秀吉ひでよし、そしてここでべた徳川とくがわ家康いえやす性格せいかくや、かたかんがえるとき、たがいのあいだのかげ投射とうしゃや受影の現象げんしょう交錯こうさくしていた。どれだけふか無意識むいしき自我じがのあいだの調整ちょうせいれたかが、武将ぶしょう政治せいじたちの運命うんめいめたとも、ユング心理しんり学的がくてきにはえる。

かげ人間にんげんにとっていかに重要じゅうよう存在そんざいかということは、ドイツ作家さっかアーデルベルト・フォン・シャミッソーの『かげをなくしたおとこ』の物語ものがたりしめされているともえる。ペーター・シュレミールは、無尽蔵むじんぞう金貨きんかはいるという魔法まほう誘惑ゆうわくけて、悪魔あくま自分じぶんかげわたす。しかし、とみれたシュレミールは、ぎゃくに「かげ」がいかに重要じゅうようなものか、それがかれ自身じしん存在そんざい意味いみにもかかわるかをさとる。かげは、人間にんげん自我じが陰翳いんえいあたえ、立体りったいてき存在そんざいとしてささえるのである。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 河合かわい隼雄はやおかげ現象げんしょうがく思索しさくしゃ
  • ジェイムズ・ホリス『「かげ」の心理しんりがく なぜ善人ぜんにんあくすのか』コスモス・ライブラリー

関連かんれん項目こうもく

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