Su-9 (航空機こうくうき)

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Su-9 / Су-9 フィッシュポット

国土防空軍のSu-9

国土こくど防空ぼうくうぐんのSu-9

Su-9(スホーイ9、スホイ9;ロシア:Су-9スー・ヂェーヴャチ)は、ソ連それんスホーイ設計せっけいきょく開発かいはつされた迎撃げいげき戦闘せんとうИстребитель-перехватчик)である。1960年代ねんだいソ連それん防空ぼうくうぐん主力しゅりょくとして使用しようされた。

こう高度こうど領空りょうくう侵入しんにゅうしてくる偵察ていさつ情報じょうほう収集しゅうしゅう迎撃げいげき主要しゅよう任務にんむとした。当時とうじソ連それんでは、最速さいそくのそしてもっとたか高度こうど飛行ひこうできる最高さいこう性能せいのう戦闘せんとうであった。運用うんよう現場げんばでは、その主翼しゅよく形状けいじょうから「三角さんかくぼう」、「バラライカ」と渾名あだなされた。U-2撃墜げきつい事件じけんさい迎撃げいげきがった機体きたいとして話題わだいにのぼることもおおい。北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう(NATO)では、識別しきべつのためSu-9にたいし「フィッシュポット」(Fishpot)というNATOコードネームてた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

前史ぜんし[編集へんしゅう]

ソ連それん航空機こうくうき技術ぎじゅつしゃであったベラルーシじんパーヴェル・オーシポヴィチ・スホーイは、だい世界せかい大戦たいせんちゅうSu-2開発かいはつなどでられたが、政治せいじてき事情じじょうもありあまりおおきな業績ぎょうせきのこすことはできなかった。スホーイはエルモラーエフの設計せっけいきょくおこなわれていた双発そうはつジェット機じぇっとき開発かいはつぎ、戦後せんごにはSu-9 «K»成功裏せいこうり飛行ひこうさせたが、この機体きたいも、またその発展はってんがた量産りょうさんみとめられなかった。くわえて、大型おおがた後退こうたいつばさSu-15 «P»墜落ついらくSu-17 «R»開発かいはつ失敗しっぱいどころソ連それん中央ちゅうおうよりサボタージュおこなったとして批判ひはんされ、設計せっけいきょく閉鎖へいさめいぜられた。

後退こうたいつばさとデルタつばさ[編集へんしゅう]

スホーイにふたたびチャンスがめぐってきたのは、マッハ 2クラスの新型しんがた大型おおがた戦闘せんとう開発かいはつさいしてのことであった。1953ねん3月、スホーイに航空こうくう産業さんぎょうしょうだい1設計せっけいきょく(OKB-1;ОКБ-1)の設計せっけい主任しゅにんにんくよう指令しれいがおりた。当時とうじきょくしのけて主要しゅよう戦闘せんとう設計せっけいきょくとなっていたミグ設計せっけいきょく空軍くうぐん主力しゅりょく戦闘せんとうとなるべき小型こがたちょう音速おんそく前線ぜんせん戦闘せんとう開発かいはつ手一杯ていっぱいであったため、スホーイに大型おおがた前線ぜんせん戦闘せんとう防空ぼうくうぐんけの迎撃げいげき戦闘せんとう開発かいはつめいぜられた。これらスホーイの大型おおがたは、ミグの小型こがたよりもおおきな収容しゅうようりょくかしてよりたか能力のうりょく機体きたいとしての完成かんせい期待きたいされた。設計せっけいきょくは、そのとしすえ自身じしん根拠地こんきょちとなるだい51工場こうじょう受給じゅきゅうされた。

当時とうじはどのくにでもちょう音速おんそくにおける航空こうくう技術ぎじゅつかんしてはまったくの暗中模索あんちゅうもさくというような状態じょうたいであった。ソ連それんでは、そのなかでもとくに「後退こうたいつばさ」か「デルタつばさ三角みすみつばさ)」かという議論ぎろん結論けつろん見出みだせないでいるところであった。そのため、ミグ、スホーイりょう設計せっけいきょくにはおな胴体どうたい尾翼びよく利用りようしてそれぞれのつばさがたった機体きたい試作しさくすることがめいぜられた。

このときミグで開発かいはつされたデルタつばさは、のちにちょう音速おんそくとしては最大さいだい生産せいさんすう達成たっせいすることとなるMiG-21シリーズへと発展はってんした。後退こうたいつばさ(Ye-2)量産りょうさんされなかった。ともに空軍くうぐんへと配備はいびされることになるどうクラスの戦闘せんとう平行へいこうして生産せいさんされる必要ひつようはなかったためであるといわれる。一方いっぽう、スホーイで開発かいはつされた後退こうたいつばさS-1、S-3のうち前線ぜんせん戦闘せんとうとして開発かいはつされたS-1は、目標もくひょうどお大型おおがた前線ぜんせん戦闘せんとうSu-7として完成かんせいした。Su-7シリーズは、つぎのSu-7B以降いこうソ連それんはつ本格ほんかくてき戦闘せんとう爆撃ばくげきへと発展はってんした。Su-7シリーズは、ソ連それん空軍くうぐんをはじめワルシャワ条約じょうやく機構きこう諸国しょこくアジアアフリカ諸国しょこく多数たすう配備はいびされた。

一方いっぽう、これとおな機体きたいつデルタつばさT-3Т-3)は、防空ぼうくうぐんけの迎撃げいげき戦闘せんとうとして設計せっけいされた。「T」(テー)は、ロシアで「三角形さんかっけいの」を意味いみする形容詞けいようしтреугольный」(トリウゴーリヌィイ)をあらわしている。また、デルタつばさ研究けんきゅうは「トレウゴールカ」(Треуголкаトリウゴールカ:「正装せいそうようさん角帽かくぼう」のこと)と渾名あだなされた。のちにSu-9と命名めいめいされることとなるこの機体きたいは、姉妹しまいのSu-7とともにスホーイ設計せっけいきょく復活ふっかつになった重要じゅうよう機体きたいとなったといえる。

T-3は1954ねん後退こうたいつばさS-1やS-3とどう時期じき設計せっけいきょく開発かいはつはじめられた。T-3に平行へいこうして、前線ぜんせん戦闘せんとうがたとなるT-1も設計せっけいされたが、こちらはS-1の採用さいようを以って開発かいはつ中止ちゅうしとなった。一方いっぽうのT-3の開発かいはつは、さき開始かいしされたS-1の開発かいはつ進行しんこうした。

T-3の開発かいはつ[編集へんしゅう]

T-3とT-7 (PT-7)。レーダー配置はいちとレドームの形状けいじょうこう生産せいさんがたSu-9とはことなっている。

T-3の機体きたいは、中央ちゅうおう航空こうくう流体りゅうたい力学りきがく研究所けんきゅうじょ(TsAGI)の研究けんきゅうをもとに設計せっけいされた基本きほん構造こうぞうをもっていた。平行へいこうして開発かいはつされたのちのMiG-21もおな研究けんきゅうをもとに設計せっけいされたため、両者りょうしゃはよく構造こうぞうをもつ機体きたいとなった。

T-3は当初とうしょ、「アルマース」(Алмаз:「ダイヤモンド原石げんせき」の意味いみレーダー搭載とうさいする機体きたいとして設計せっけいされた。これは電波でんぱはか距部と捜索そうさくかれた電波でんぱ探知たんち装置そうち(レーダー・ステーション)で、そのためT-3は特異とくい形態けいたい機首きしゅをもっていた。T-3初号しょごうは、「アルマース」レーダーの派生はせいがたのひとつである「アルマース3」(Алмаз-3)を搭載とうさいして完成かんせいされた。はか距用アンテナのレドームちょう音速おんそく飛行ひこうけに先端せんたんとがらせたものとなっており、従来じゅうらいソ連それんはん円筒えんとうがた空気くうきこうとなった機首きしゅ上面うわつら設置せっちされていた。一方いっぽう捜索そうさくスキャナーのレドームは小型こがた先端せんたんまる形状けいじょうのものであった。T-3はA・リューリカ=サトゥールンせいターボジェットエンジンAL-7FАЛ-7Ф)1 搭載とうさいした。T-3は1956ねんはつ飛行ひこうたし、トゥーシノ航空こうくうパレードで同機どうきを「発見はっけん」したNATOはこの未知みち機体きたいたいし「フィッシュポットA」(Fishpot-A)というコードネームを付与ふよした。

レドームを装備そうびしたT-3やMiG-19P/PMでは、空気くうきこうへのコーンの設置せっちMiG-19Sのようにたんなる円筒えんとうがた空気くうきこうをもつ機体きたい形態けいたいより飛行ひこう速度そくど無理むりなくたかめることに貢献こうけんすることが偶然ぐうぜんにもあきらかになった。そのため、Su-9以降いこうソ連それん戦闘せんとうでは円筒えんとうがた空気くうきこう中央ちゅうおう外部がいぶ圧縮あっしゅくがたノーズコーン設置せっちする方式ほうしきおお採用さいようされるようになった。ノーズコーンはなな衝撃波しょうげきはむことから空気くうきこうまれる空気くうき圧力あつりょく損失そんしつすくなくするというショックコーン役割やくわりたしており、このショックコーンが航空機こうくうきちょう音速おんそく突破とっぱへのひとつのかぎとなることはスホーイにちょう音速おんそく迎撃げいげき戦闘せんとう開発かいはつめいぜられた1953ねん当時とうじには一種いっしゅ公然こうぜん秘密ひみつであった。機首きしゅ空気くうきこうもうけてノーズコーンをけるこの方式ほうしき飛行ひこう性能せいのうてきにはたいへんすぐれており、もっとも効率こうりつてき形態けいたいであるともいわれている。しかしその反面はんめん、コーンないのスペースがかぎられるためレーダーとう機器きき搭載とうさい困難こんなんとなり、ソ連それんはノーズコーンの改良かいりょう大型おおがた試行錯誤しこうさくごつづけることとなった。オイルショック契機けいき電子でんし機器きき小型こがた効率こうりつ推進すいしんされる1980年代ねんだいまで、電子でんし機器きき性能せいのうたかさは機械きかいおおきさに比例ひれいするといってもよいほどで、そのためより高度こうどのレーダーなどを装備そうびしようとした場合ばあいそれ相応そうおうおおきな設置せっちスペースが必要ひつようとなったのである。飛行ひこう性能せいのうがよくまた手馴てなれた機体きたい構造こうぞうであった機首きしゅ空気くうきこうかかわったミグやスホーイなどソ連それんかく設計せっけいきょくでは、他国たこくではられないような様々さまざま形状けいじょうのノーズコーンが試作しさくされた。また、それを搭載とうさいするおおくの試作しさく戦闘せんとう設計せっけいされ、それらのおおくはそれなりの飛行ひこう性能せいのう発揮はっきした。だが、やはりこうした改良かいりょう作業さぎょうでは限度げんどがあり、それらのおおくは量産りょうさんなかった。より抜本ばっぽんてき解決かいけつもとめられた結果けっか結局けっきょく西側にしがわF-4ファントムIIはんいたような胴体どうたい両側りょうがわ空気くうきこう設置せっちする形態けいたいへとながれていった。なお、電子でんし機器きき小型こがたすすんだ現在げんざいでは小型こがたのノーズコーンないにも高性能こうせいのうのレーダーを搭載とうさいすることが可能かのうとなっており、近代きんだい改修かいしゅうされたMiG-21などは効率こうりつのよい機体きたい構造こうぞうによるたか飛行ひこう性能せいのう高性能こうせいのうのレーダーによるすぐれた攻撃こうげき能力のうりょくわせた有力ゆうりょく戦闘せんとうとなっている。

その改良かいりょうがたの「アルマース7」(Алмаз-7))を搭載とうさいする研究けんきゅうPT-7ПТ-7)が製作せいさくされたが、この機体きたいでは空気くうき口内こうない設置せっちされた捜索そうさくスキャナーのレドームは下方かほうかい先端せんたんとがったものに変更へんこうされていた。ソ連それんではいまだはか距部と捜索そうさく統合とうごうする技術ぎじゅつ開発かいはつされておらず、この機体きたい搭載とうさいされた「アルマース」も相変あいかわらず電波でんぱはか距部と捜索そうさくべつになっていた。そのため、PT-7の機首きしゅ外見がいけんはまるでくちひらいたとりくちばしのようであった。この機体きたいでは、へいそうとしてK-7LまたはK-5およびK-5Mをもとにして開発かいはつされK-6Vそら対空たいくう誘導ゆうどうミサイル(ロシアでは「ミサイル」という単独たんどく単語たんごはなく「ロケット」とおな単語たんごぶ)を搭載とうさいする予定よてい試験しけんおこなわれた。しかし、当時とうじソ連それん保有ほゆうしていたレーダー・ステーションとそれに組合くみあわされるへいそうはいずれも満足まんぞくのいくものではなく、「アルマース」を搭載とうさいした実用じつよう研究けんきゅうであるこのPT-7やPT-8ПТ-8)もそれら自体じたい失敗しっぱいさくわった。とはいえ、これらの機体きたい研究けんきゅう経験けいけん成果せいかはその開発かいはつおおいにかされることとなった。

T-43での研究けんきゅう[編集へんしゅう]

設計せっけいきょく名称めいしょうT-43Т-43)とばれた大型おおがたデルタつばさは、1958ねん前半ぜんはん量産りょうさんけた開発かいはつであったPT-8をベースに製作せいさくされた。T-43シリーズはT-3シリーズのひとつにかぞえられている。T-43はまずT-43-1からT-43-6まで6つの機体きたい製作せいさくされ、それらにはAL-7Fの改良かいりょうがた当時とうじソ連それん最大さいだい出力しゅつりょくをもっていたAL-7F-1(АЛ-7Ф-1)1搭載とうさいされた。

T-43 の開発かいはつ当時とうじソ連それんにあったレーダー・ステーションは、従来じゅうらいMiG-17PF/PFUやMiG-19P/PM迎撃げいげき戦闘せんとう搭載とうさいされていた「イズムルート」(Изумруд:「エメラルド」の意味いみ)またはRP-1(РП-1)、RP-2(РП-2)および改良かいりょうがたのRP-5(РП-5)とばれる小型こがた電波でんぱ発信はっしん受信じゅしん分離ぶんりされている形態けいたいのもの、Yak-25迎撃げいげき戦闘せんとう搭載とうさいされていた「ソーコル」(Сокол:「たか」の意味いみ)またはRP-6(РП-6)とばれる大型おおがたのもののわずか2系統けいとうのみであった。いずれのステーションも、あたらしい迎撃げいげき戦闘せんとうへの採用さいようには不適ふてきであった。イズムルートは小型こがたかつ形状けいじょう特異とくい発展はってんせいとぼしく、ぎゃくにソーコルはあまりにおおきすぎてT-43への搭載とうさい困難こんなんであった。当時とうじソ連それんでレーダー開発かいはつおこなっていた唯一ゆいいつ機関きかんであっただい17モスクワ科学かがく試験しけん研究所けんきゅうじょ(NII-17)では、あたらしいレーダー・ステーションである「ウラガーン」(Ураган:「突風とっぷう」の意味いみ)と「パンテーラ」(Пантера:「ひょう」の意味いみ)の開発かいはつすすめていたが、それらの計画けいかく遅々ちちとしてすすまなかった。そこにきて、軍事ぐんじ産業さんぎょうしょうだい1設計せっけいきょくあらたなレーダー・ステーションの開発かいはつおこなわれていることがあきらかになった。ゆうつばさそら対地たいちミサイルのシステムにかんする研究けんきゅう中心ちゅうしんであったこの設計せっけいきょくでは、主任しゅにんA・A・コーロソフА.А. Колосов)を中心ちゅうしんに、十分じゅうぶんにコンパクトなレーダー・ステーションTsD-30(ЦД-30)が完成かんせいされた。TsD-30には、ピョートル・ドミートリエヴィチ・グルーシンПетр Дмитриевич Грушин)のひきいる航空こうくう産業さんぎょうしょう(MAP)だい2設計せっけいきょくグルーシン設計せっけいきょく)で開発かいはつされたそら対空たいくう誘導ゆうどうミサイルシステムK-5(К-5)の運用うんよう能力のうりょく確保かくほされていた。また、TsD-30は「ヴォーズドゥフ1」(Воздух-1:воздухは「空気くうき」の意味いみ自動じどう誘導ゆうどう装置そうち搭載とうさいし、この装置そうちてい高度こうど目標もくひょうへの攻撃こうげき能力のうりょく大幅おおはばたかめる役割やくわりになった。発信はっしん受信じゅしん統合とうごうするシステムが開発かいはつされ、このレーダー・ステーションの寸法すんぽうはT-43の可動かどうしきノーズコーンに無理むりなく収納しゅうのうできるものとなった。この派生はせいがたのおかげで、1957ねんまでにソ連それん制式せいしき武装ぶそう採用さいようされたそら対空たいくう誘導ゆうどうミサイルは唯一ゆいいつK-5だけであるとわれた。その改良かいりょうがたのK-5M(К-5М)や1957ねん10がつにMiG-19PMにおける検査けんさ試験しけん成功裏せいこうり完了かんりょうしたK-5MS((К-5МС)がTsD-30の主要しゅよう運用うんようへいそうとされた。のちに、K-5はRS-1UРС-1У)、K-5Mは RS-2UРС-2У)、K-5MSはRS-2USРС-2УС)にそれぞれ改称かいしょうされた。

T-43シリーズではレーダーシステムの試験しけんのほか機体きたい飛行ひこう特性とくせい試験しけんおこなわれた。その過程かていで、T-43-1のノーズコーンにはESUV-1(ЭСУВ-1電気でんき水圧すいあつシステムが追加ついか搭載とうさいされた。1960ねん1がつには、T-43のたか速度そくどおよ高度こうど性能せいのう比例ひれいして増加ぞうかする燃料ねんりょう消費しょうひりょうまかなうためにつばさないにもインテグラルしき燃料ねんりょうタンクを設置せっちした機体きたいとしてT-43-12Т-43-12)が開発かいはつされた。インテグラルしき燃料ねんりょうタンクを機体きたい構造こうぞうんだのは、この機体きたい世界せかいはつとなった。その西側にしがわ各国かっこくでも機内きない燃料ねんりょうタンクのインテグラルすすめられた。だが、つばさないにまで燃料ねんりょうタンクを設置せっちした戦闘せんとうはあまりれいがない。これは、T-43がよほど燃料ねんりょう大量たいりょう消費しょうひしたことと、それに対処たいしょするために設計せっけいしゃおおいに努力どりょくおこなったことのあらわれである。各種かくしゅ試験しけんにおいてT-43はたか評価ひょうか、その研究けんきゅう成果せいか量産りょうさんけたT-3の完成かんせい反映はんえいされることとなった。

Su-9-51の完成かんせい[編集へんしゅう]

1957ねん11月28にち定期ていき政府せいふ決定けっていでは、だい51設計せっけいきょく(スホーイ設計せっけいきょく)へAL-7F-1装備そうびのT-3へのTsD-30とK-5MSの艤装ぎそうめいじられた。1958ねん4がつにT-3-51が、TsD-30とK-5MSミサイルを搭載とうさいする試作しさくとして完成かんせいされた。T-3-51は、1958ねん3がつはつ飛行ひこうした後退こうたいつばさ姉妹しまいSu-7と主翼しゅよく以外いがいはよく形状けいじょう機体きたいデザインにいたが、レーダー・ステーションを搭載とうさいしたため機首きしゅはSu-7よりも若干じゃっかん延長えんちょうされていた。なお、T-3-51に平行へいこうして「ソーコル2」をもとに開発かいはつされたレーダー・ステーション「オリョール」(Орел:「わし」の意味いみ)を搭載とうさいするT-3-8MТ-3-8М)も開発かいはつされた。この機体きたいはK-5MSよりはるかにすぐれたレーダー誘導ゆうどうまたは赤外線せきがいせん誘導ゆうどうそら対空たいくうK-8M(К-8М)を搭載とうさいした。1958ねんから1960ねんにかけて、これらの機体きたい設計せっけいきょく実用じつよう試験しけんはいり、それぞれ各種かくしゅ変更へんこう量産りょうさんへとかっていった。T-3-8MはT-47となり、のちSu-11として完成かんせいされた。

1960ねん10がつ最終さいしゅうてきにT-3-51がSu-9-51Су-9-51)として制式せいしき採用さいようけた。機体きたいSu-9Су-9)と命名めいめいされた。一方いっぽう搭載とうさいするレーダー・ステーションTsD-30T(ЦД-30Т)はRP-9U(РП-9У)、K-5MSミサイルはRS-2USという正式せいしき名称めいしょう付与ふよされた。Su-9-51にたいし、NATOは「フィッシュポットB」(Fishpot-B)というコードネームを付与ふよした((資料しりょうによってはT-43にたいして付与ふよしたことになっている)。このコードネームは、量産りょうさんがたのSu-9にもつづ使用しようされた。

装備そうび[編集へんしゅう]

量産りょうさんがたSu-9にはRP-9Uレーダー・ステーションが搭載とうさいされ、これにより新型しんがたのRS-2US(K-5MS)そら対空たいくうミサイルの運用うんよう可能かのうとされていた。しかしながら、RS-2USはそれまでのMiG-19PMなどに搭載とうさいされていたRS-1U(K-5)とあまりわりえのしない装備そうびであり、搭載とうさいする数量すうりょうも4 はつおなじであった。運用うんよう能力のうりょくしたとはいえ、新型しんがた迎撃げいげき戦闘せんとうがこれら能力のうりょく不足ふそくのMiG-19PMなどとどう程度ていど攻撃こうげき兵器へいきしか搭載とうさいしないのでは、Su-9の実戦じっせん運用うんよう限界げんかいしょうじることはえていた。RS-2USはビームライディング誘導ゆうどうされる1950年代ねんだい当時とうじとしては先進せんしんてき技術ぎじゅつったそら対空たいくうミサイルであった。また、サイドワインダーのような細身ほそみのミサイルよりもたまたい破壊はかいりょくはずっとおおきなものであった。しかしながら、機体きたい小型こがた航続こうぞく距離きょり不十分ふじゅうぶんであること、ビームライディング誘導ゆうどう技術ぎじゅつ限界げんかい、それらと関連かんれんして射程しゃてい不足ふそくがあることなどの欠点けってんっていた。Su-9の攻撃こうげき範囲はんいは、戦略せんりゃく爆撃ばくげき目標もくひょうとした場合ばあい18-22kmまでの目標もくひょう捕捉ほそくでき、RS-2USは高度こうど10kmまでの空域くういきで10kmの射程しゃていっていた。この高度こうど場合ばあい目標もくひょう上空じょうくう2000m以内いないおさめねばならなかった。のち、RS-2USを赤外線せきがいせん誘導ゆうどう方式ほうしき変更へんこうしたR-55Р-55)も開発かいはつされSu-9でもRS-2USと併用へいようされるようになったが、これによっても大幅おおはば攻撃こうげきりょくすにはいたらなかった。ただ、レーダー誘導ゆうどう方式ほうしき長距離ちょうきょりミサイルと赤外線せきがいせん誘導ゆうどう方式ほうしき短距離たんきょりミサイルを同型どうけいミサイルの派生はせいがたとして搭載とうさいするというソ連それん防空ぼうくうぐん伝統でんとうてき装備そうびは、ここにはじめられたともいえる。

TsD-30T/RP-9Uレーダー・ステーションを搭載とうさいするSu-9は、ビームライディング誘導ゆうどう装置そうちである「ラズーリ」(Лазурь:「瑠璃るりいろ」)を搭載とうさいする機体きたい相互そうご連関れんかんさせる自動じどう誘導ゆうどう装置そうち「ヴォーズドゥフ1」を搭載とうさいしていた。これらの装備そうびは、おくれて開発かいはつはじめられたMiG-21の全天候ぜんてんこうがたMiG-21P/PFにも搭載とうさいされた。ただし、MiG-21ではTsD-30TレーダーはRP-21「サプフィール」(РП-21 Сапфир:「сапфир」は「サファイア」のこと)の名称めいしょう制式せいしき採用さいようされた。このレーダーは、「サプフィール21」((Сапфир-21)ともばれた。同等どうとうのレーダー・ステーションが前線ぜんせん戦闘せんとうにも搭載とうさいされたことでSu-9の相対そうたいてき価値かち低下ていかしょうじたが、その防空ぼうくうシステムを搭載とうさいする容量ようりょうかんしては機体きたい容積ようせきおおきなSu-9が有利ゆうりであった。

無線むせんナビゲーションおよ通信つうしん装置そうちは、通信つうしんちょう短波たんぱステーションRSIU-4V(РСИУ-4В)、KKO-2セットにふくまれるこう高度こうどよう通信つうしん装置そうち自動じどう無線むせん方位ほういけい(コンパス)ARK-5(АРК-5)、マーカー無線むせん受信じゅしん装置そうちMTP-56P(МРП-56П)、計器けいき離着陸りちゃくりく(盲目もうもく離着陸りちゃくりく)よう電波でんぱ探知たんちシステムRSP-6(РСП-6)の無線むせん応答おうとうSOD-57M(СОД-57М)、機上きじょうコマンド誘導ゆうどう装置そうちARL-S「ラズーリ」(АРЛ-С Лазурь)、てき味方みかた識別しきべつ装置そうち「クレームニイ2M」(Кремний-2М:「кремний」は「珪素けいそ」のこと)の応答おうとうSRZO-2M(СРЗО-2М)が搭載とうさいされた。

Su-9の飛行ひこうするこう高度こうど空域くういきではなつでも外気がいき温度おんど真冬まふゆシベリアよりもさらに寒冷かんれいになるため、乗員じょういん酷寒こっかんから保護ほごするための設備せつび必要ひつよう不可欠ふかけつであった。Su-9に搭載とうさいされる空調くうちょうシステムは、乗員じょういん精力せいりょくてき活動かつどうできる条件じょうけん確保かくほするものと期待きたいされた。空気くうきはコンプレッサーの5または7段階だんかいから選択せんたくされ、プログラムされた圧力あつりょくレベルはARD-57V(АРД-57В調節ちょうせつ装置そうち(レギュレーター)から供給きょうきゅうされた。TRTVK-45M(ТРТВК-45М恒温こうおん(サーモスタット)にあたえられていた温度おんどレベルは、+10℃から+20℃であった。空気くうきは、風防ふうぼうガラスがくもるのを予防よぼうするため、ガラスめられためんしゅう電器でんきしに操縦そうじゅうしつないはいるようになっていた。こう高度こうどにおける飛行ひこう操縦そうじゅうしつ気密きみつきわするパイロットの酸素さんそ確保かくほのため、KM-ZOM(КМ-ЗОМ酸素さんそマスクとKP-34(КП-34)とパラシュート降下こうかようのKP-27M(КП-27М酸素さんそ装置そうちから酸素さんそ装置そうちセットKKO-2(ККО-2)とてい高度こうどようレダクター・システムのボンベが搭載とうさいされた。こう高度こうどようあずか圧服あっぷくは、GSh-4M(ГШ-4М付属ふぞくのVKK-ZM(ВКК-ЗМ)が用意よういされた。

生産せいさん[編集へんしゅう]

Su-9は、1957ねんから1962ねんあいだヴァレーリイ・パーヴロヴィチ・チュカーロフ記念きねんノヴォシビールスクだい153工場こうじょう各種かくしゅ派生はせいがたふくめ8881959ねんから1961ねんあいだモスクワだい30工場こうじょう「ズナーミャ・トルダー」(「労働ろうどうはた」の意味いみ現在げんざいP・デメーンチエフ記念きねんMAPO)で量産りょうさんがた129生産せいさんされた。Su-9はわせて1000以上いじょう生産せいさん配備はいびされ、防空ぼうくうぐんあたらしい主力しゅりょく迎撃げいげき戦闘せんとうとなった。なお、量産りょうさん開始かいし時期じき機体きたい完成かんせい時期じきよりもかなりはやくなっているのは、当時とうじソ連それんのシステムによるものである。当時とうじソ連それんでは試験しけん段階だんかい将来しょうらい有望ゆうぼうせいたしかめられれば開発かいはつ試験しけん完了かんりょうたず生産せいさん体制たいせい準備じゅんびされるというのが通例つうれいで、その変更へんこうてん機体きたい生産せいさんされてから改修かいしゅうというかたち適用てきようされていくというのが通常つうじょうのスタイルであった。れいげれば、姉妹しまいであるSu-7も生産せいさん開始かいし指示しじされたのは1956ねんであったのにたい開発かいはつ試験しけん完了かんりょうしたのは1958ねんまつのことであった。また、MiG-15にいたっては開発かいはつ完了かんりょうしたのははやくても機体きたい名称めいしょうわったMiG-17Fになってからのことで、つまり朝鮮ちょうせん戦争せんそうときにはいまだ開発かいはつ段階だんかいにあった機体きたい最前線さいぜんせん投入とうにゅうされていたということになるのである。これが、欧米おうべい諸国しょこくいちたりともおくれをとるまいとして新型しんがた装備そうびぞう備をいそいだソ連それんのスタイルであった。

Su-9U[編集へんしゅう]

1960ねんにはT-43をふくした練習れんしゅう戦闘せんとうとしてU-43У-43)が開発かいはつされ、1961ねんから1962ねんまで工場こうじょう試験しけんおよび国家こっか試験しけんおこなわれた。試験しけん成績せいせき良好りょうこうであったことから1961ねんからはだい30工場こうじょう量産りょうさんはいり、Su-9UСу-9У)として部隊ぶたい配備はいびされた。Su-9Uは50生産せいさんされたとされる。Su-9Uには戦闘せんとうがた同様どうよう機器きき搭載とうさいされており、戦闘せんとう訓練くんれん使用しようされた。NATOはSu-9Uにたいして「メイデン」(Maiden:「処女しょじょ」)というコードネームを付与ふよした。

発展はってん[編集へんしゅう]

Su-9の改良かいりょう作業さぎょうはその継続けいぞくしておこなわれ、エンジンは当初とうしょのAL-7F-1からAL-7F1-100、AL-7F1-150、AL-7F1-200へと改良かいりょうされていった。Su-9ではSu-7シリーズとおなじく射出しゃしゅつ座席ざせきKSКС)シリーズが搭載とうさいされていたが、これも初期しょきのKS-1から改良かいりょうがたのKS-2にかわそうされた。KS-2は最大さいだい速度そくど1000 km/hまでの速度そくどいき使用しよう可能かのうで、下限かげん高度こうど150 mにおいて500 km/hで安全あんぜん射出しゃしゅつ可能かのうとされた。さらにのちには、改良かいりょうがたのKS-2a、またさらに改良かいりょうされたKS-3が搭載とうさいされた。搭載とうさい武装ぶそうは、当初とうしょはRS-2USコマンド誘導ゆうどうミサイルを4はつであったが、のちにはRS-2USを2はつとその派生はせいがたであるR-55赤外線せきがいせん誘導ゆうどうミサイルを2はつというわせが基本きほん装備そうびとなった。それにわせ、搭載とうさいするレーダー・ステーションはRP-9UからR-55を運用うんよう可能かのうなRP-9UK(РП-9УК)に変更へんこうされた。また、Su-9はおおくの迎撃げいげき戦闘せんとうれいれず固定こてい武装ぶそうとして機関きかんほう装備そうびしなかったが、偵察ていさつ気球ききゅうなどの迎撃げいげきおおきな効力こうりょく発揮はっきする機関きかんほう必要ひつようであるとして汎用はんよう機関きかんほうコンテナーUPK-23-250(УПК-23-250)が搭載とうさいできるよう改修かいしゅうされた。そのおおくの電子でんし機器きき徐々じょじょあたらしいより性能せいのうたかいものへとかわそうされていった。また、機内きない燃料ねんりょうタンクにも改良かいりょうくわえられ、外部がいぶにもぞうそう搭載とうさいできるように改修かいしゅうされた。搭乗とうじょういんあずか圧服あっぷくあたらしいものへ変更へんこうされていった。

また、Su-9からはそら研究所けんきゅうじょ«Летающая лаборатория»リターユシャヤ・ラバラトーリヤ)とばれるおおくの研究けんきゅう開発かいはつされた。さまざまな技術ぎじゅつ画定かくていであった1960年代ねんだいにあって、開発かいはつめんでもSu-9はおおきな業績ぎょうせきのこしたといえる。これらの研究けんきゅう成果せいかから、Su-15迎撃げいげき戦闘せんとうはたT-4「ソートカ」ちょう音速おんそく爆撃ばくげきなどがされた。

運用うんよう[編集へんしゅう]

Su-9は全天候ぜんてんこう迎撃げいげきとしては能力のうりょく不足ふそくしていたMiG-17やMiG-19を代替だいたいし、まず首都しゅとモスクワやバクー油田ゆでんなどの重要じゅうよう地点ちてん防備ぼうび部隊ぶたいから配備はいび開始かいしされた。そのには、Su-9はしゅとしてソ連それん北辺ほくへん防備ぼうび中央ちゅうおうアジア方面ほうめん防備ぼうびいた。

具体ぐたいてきには、Su-9の最初さいしょ部隊ぶたい配備はいびカスピ海かすぴかい沿トルクメニスタンクラスノヴォーツクウクライナ オデッサしゅうオズョールノエリヴィウしゅうストルィーイベラルーシブレストしゅうバラーノヴィチロシア北方ほっぽうムールマンスク近郊きんこうキルプ=ヤーヴルウズベキスタンカルシーかく飛行場ひこうじょうへなされた。部隊ぶたいかく都市としあいだ防空ぼうくうにんいた。のところは、最初さいしょ量産りょうさん航続こうぞく距離きょり不足ふそくのせいでこれらの飛行場ひこうじょうあいだ巡回じゅんかいすることで防空ぼうくう任務にんむ遂行すいこうするよりほかなかったのである。これらの飛行場ひこうじょうたがいに1000 km以内いない距離きょりかれており、ひがしシベリア極東きょくとう地方ちほうのような基地きちあいだ距離きょりなが地帯ちたい防空ぼうくう問題もんだい解決かいけつされなかった。そのもSu-9のぞう備はつづけられたが、この問題もんだい解決かいけつされるのは1960年代ねんだいまつよりはじめられたTu-128配備はいびまでたねばならなかった。

ウラル山脈さんみゃく西側にしがわ都市としペルミ部隊ぶたい配備はいびされたSu-9のうちの1は、受領じゅりょうあいだもない1960ねん5月1にち領空りょうくう侵犯しんぱんして飛来ひらいしたアメリカ中央ちゅうおう情報じょうほうきょく(CIA)の偵察ていさつU-2迎撃げいげきめいぜられた。アメリカは、まだ配備はいびはじまってあいだもないSu-9の能力のうりょく十分じゅうぶん把握はあくしておらず、ソ連それんぐん迎撃げいげき戦闘せんとう攻撃こうげきをまったくといっていいほど警戒けいかいしていなかったようである。そのため、U-2は悠々ゆうゆうソ連それん領土りょうど上空じょうくう飛行ひこうしていた。一方いっぽう新鋭しんえいであったSu-9は機上きじょうレーダーがまだ稼動かどう状態じょうたいになかったため地上ちじょうからの厳密げんみつ誘導ゆうどうのもと侵犯しんぱん迎撃げいげきがったが、結局けっきょく目標もくひょう発見はっけんできなかったとされる。また、Su-9は本来ほんらいMiG-19などとちがじゅうふんにU-2を迎撃げいげきできる能力のうりょくをもっていたが、このときにはまだ武装ぶそう到着とうちゃくしていなかった。そのため、Su-9のパイロットは体当たいあたりで侵犯しんぱん撃墜げきついするようめいぜられていたが、身重みおもつまのあったパイロットはそれをためらってU-2の発見はっけん報告ほうこくしなかったのではないかという憶測おくそくもある。ニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョーフはのちに「くに防空ぼうくう部隊ぶたい惰眠だみんむさぼっていた」と批判ひはんしているが、それまでいちもU-2の迎撃げいげき成功せいこうしたことのなかった防空ぼうくうぐん立場たちば相当そうとうきびしいところにあったとおもわれる。そのためもありペルミの上官じょうかん非理ひり性的せいてき命令めいれいくだしたとおもわれるが、結局けっきょくこのU-2は防空ぼうくうミサイルによって撃墜げきついされた。これは一般いっぱんに「U-2撃墜げきつい事件じけん」としてられている。U-2を撃墜げきついしたのはSu-9であるというせつもあったが、Su-9は迎撃げいげきにはがったものの撃墜げきついするにはいたっていないというのが実際じっさいのところのようである。

その、Su-9ではRS-2USを搭載とうさいしての迎撃げいげき戦闘せんとう訓練くんれんおこなわれた。その目標もくひょうは、アメリカ空軍くうぐん戦略せんりゃく爆撃ばくげきB-47B-52偵察ていさつU-2、そしてばくげきから発射はっしゃされる大型おおがたゆうつばさそら対地たいちミサイルAGM-28ハウンド・ドッグであった。RS-2USのSu-9での試験しけん地上ちじょう目標もくひょうたいしても実施じっしされた。1966ねんだい350戦闘せんとう飛行ひこう連隊れんたいのパイロットたちはバルハシちかくの演習えんしゅうじょう地上ちじょう目標もくひょうへの戦闘せんとう訓練くんれん開始かいしした。だが、やはりRS-2USは万能ばんのうミサイルにはなりなかった。

実戦じっせんへのRS-2USの使用しよう実態じったいつまびらかでないが、すくなくとも1960年代ねんだいまつにSu-9が2 イラン空軍くうぐん戦闘せんとうたいしてRS-2USを発射はっしゃしている。しかし、Su-9の機上きじょうレーダーは接近せっきんしすぎたてきを1 とらえてしまい、発射はっしゃされたミサイルは2 のあいだをけてしまい、Su-9は目標もくひょうがした。また、1967ねんにはだい179護衛ごえい戦闘せんとう飛行ひこう連隊れんたいのSu-9が高度こうど26 kmで自動じどう偵察ていさつ気球ききゅう迎撃げいげきおこなった。Su-9は、高度こうど22 kmにたっした時点じてんでRS-2USを発射はっしゃした。ミサイルは、気球ききゅう長大ちょうだいつるし下部かぶしたはん部分ぶぶんいた。そのべつ連隊れんたいのパイロットがこの気球ききゅうめをした。

防空ぼうくう戦闘せんとう日常にちじょうにおけるもっと重要じゅうよう任務にんむのひとつであった偵察ていさつ気球ききゅう迎撃げいげきかんしては、初期しょきころはこのようにミサイルをもちいて攻撃こうげきおこなっていた。防空ぼうくうぐん戦闘せんとうは「ミサイル万能ばんのうろん」をけて機関きかんほうなどの機上きじょう固定こてい武装ぶそう搭載とうさいしていなかったが、気球ききゅうのような「やわらかい目標もくひょう」にたいしてはミサイルでの攻撃こうげき効率こうりつてきではなく、またそうした目標もくひょう使用しようするにはミサイルはあまりに高価こうかであったため、のちに防空ぼうくうぐん戦闘せんとうはUPK-23-250機関きかんほうコンテナーが運用うんようできるように改修かいしゅうされていった。この機関きかんほう汎用はんようとされたが、しゅとして気球ききゅう迎撃げいげきのために用意よういされたものであることはその運用うんよう実績じっせきからもあきらかであった。UPK-23-250を搭載とうさいしたSu-15TMやMiG-23MLDは、多数たすう軍用ぐんよう気球ききゅう撃墜げきついした。Su-9もUPK-23-250を搭載とうさいするよう改修かいしゅうほどこされたが、そのときはすでに就航しゅうこう時期じき末期まっきかっていたためのような目立めだった活動かつどうかれない。

Su-9の配備はいび各国かっこく輸出ゆしゅつされた姉妹しまいSu-7とことなり、ソ連それん国内こくないのみになされた。ソ連それんでは、高度こうどなシステムを搭載とうさいする防空ぼうくうぐん機材きざい国外こくがい不出ふしゅつというのが原則げんそくであった。例外れいがいとしては輸出ゆしゅつがたMiG-25PDげられるが、これは「ベレンコ中尉ちゅうい亡命ぼうめい事件じけん」でMiG-25Pの搭載とうさい機材きざい情報じょうほうがすべて西側にしがわれてしまったこと、そのこの事件じけんけてシステムを一新いっしんした国内こくないけMiG-25PDが開発かいはつされたことなどにより、輸出ゆしゅつけMiG-25PDの機体きたいにはMiG-25Pよう機材きざい搭載とうさいすることにより輸出ゆしゅつ許可きょかされたものとかんがえられている。一方いっぽう、Su-9は発展はってんがたのSu-11、Su-15とともに1たりとも海外かいがい輸出ゆしゅつされることはなかった。また、ソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいときにはSu-9はすでに旧式きゅうしきして退役たいえきしており、ロシア、ベラルーシ 、ウクライナなど独立どくりつ国家こっか共同きょうどうたい諸国しょこく運用うんようされたSu-15とちがい、かく独立どくりつこく運用うんようされることもなかった。Su-9は1970年代ねんだいにはだい一線いっせん退しりぞいた。退役たいえき時期じき資料しりょうによるが、1963ねんから1966ねんにかけて退役たいえきしたとする記述きじゅつもある。一方いっぽう各種かくしゅ改良かいりょう作業さぎょうほどこして1980年代ねんだいなかばまで運用うんようされたとする資料しりょうもある。おそらくは、一部いちぶ部隊ぶたいではSu-9は1960年代ねんだいにSu-11など機体きたい代替だいたいされ、おおくの機体きたいは1970年代ねんだい退役たいえきし、のこ一部いちぶは1980年代ねんだいまで使用しようされたのであろう。また、標的ひょうてきSu-9RMСу-9РМ)に改修かいしゅうされ最後さいご役目やくめたした機体きたいもあった。Su-9は大型おおがた容積ようせきおおきい高速こうそくであったことからさまざまな試験しけん重宝ちょうほうされ、ソ連それんでは迎撃げいげき戦闘せんとうとしてのみならず研究けんきゅうとしても重要じゅうよう位置いちめていた。なお、Su-9は後継こうけいのSu-11にぜん代替だいたいされたとする記述きじゅつひろられるが、Su-9にくらべればごくわずかしか生産せいさんされなかったSu-11ではSu-9を代替だいたいするにはりず、実際じっさいにSu-9を退役たいえきいやったのはつぎのSu-15やMiG-25である。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

Su-9は20すうねんにわたりない改修かいしゅうほどこされたうえ、機体きたいのほとんどは退役たいえき解体かいたいされて現存げんそんしない。またその改修かいしゅう一括いっかつしておこなわれたものでなく、その規格きかくかんしてもソ連それん同様どうよう機体きたいによる個体こたいおおきいため全体ぜんたいぞうつかむのはいまもっむずかしい。だが、Su-9はソ連それん迎撃げいげき戦闘せんとうのスタイルを確立かくりつした重要じゅうよう機体きたいとして位置いちづけられることはたしかである。

それまでの主力しゅりょく迎撃げいげき戦闘せんとうMiG-19は、現在げんざいでも「最高さいこう格闘かくとう戦闘せんとう」といわれるほどの運動うんどうせいほこ軽快けいかい小型こがた戦闘せんとうであった。それにたいし、Su-9は大型おおがた機体きたいおおくの電子でんし機器ききやデータリングシステムを搭載とうさいするハイテクとして完成かんせいされた。Su-9はMiG-19のように格闘かくとうせん前提ぜんていとしたレシプロ時代じだい以来いらい戦闘せんとう概念がいねんて、純粋じゅんすいにミサイルの発射はっしゃベースとして設計せっけいされたとえる。格闘かくとう戦闘せんとうにこだわる旧来きゅうらい伝統でんとうてるこの方針ほうしん背景はいけいには、当時とうじの「ミサイル万能ばんのうろん」があったとかんがえられる。Su-9については防空ぼうくうシステム関連かんれん情報じょうほう機密きみつせいたかさから一般いっぱんにはあきらかにされておらずその特性とくせいについてもつまびらかでないものの、安定あんていした飛行ひこう特性とくせいをもつばくげきようベースであったという姉妹しまいSu-7への評価ひょうかから類推るいすいすれば、Su-9も機動きどうせい犠牲ぎせいにしたわりにミサイルの発射はっしゃベースとして安定あんていした飛行ひこう特性とくせい機体きたいであったとかんがえられる。空中くうちゅう機動きどうせいたか航空機こうくうき格闘かくとうせん能力のうりょく向上こうじょうするものの射撃しゃげきベースとしての安定あんていせい低下ていかしがちである。Su-9はMiG-19のような空中くうちゅう格闘かくとうせんおこなうには不向ふむきな機体きたいとなったが、かわりに安定あんていしたブレのない飛行ひこうによりミサイルの運用うんよう容易よういならしめるべく設計せっけいされた機体きたいであった。そして、迎撃げいげき戦闘せんとうをミサイルの発射はっしゃベースとしてとらえるこの方針ほうしんは、ソ連それん最後さいご純粋じゅんすい迎撃げいげき戦闘せんとうであるMiG-31いたるまで変更へんこうされることはなかった。

その一方いっぽうで、前線ぜんせん戦闘せんとうとしてのMiG-19の後継こうけいであるMiG-21は、MiG-19のたか運動うんどうせいいだ機体きたいとなっている。さらに後継こうけいであったMiG-23運動うんどうせいでは前任ぜんにんおよばなかったが逐次ちくじ改良かいりょうつづけられ、MiG-29いたってふたたたか運動うんどうせいている。

Su-9は技術ぎじゅつてき未完成みかんせい部分ぶぶんおおかったが、前線ぜんせん戦闘せんとう迎撃げいげき戦闘せんとうという2つのソ連それん戦闘せんとうカテゴリーのうち一方いっぽうのスタイルを決定けっていけた機体きたいとして、たいへん重要じゅうよう機体きたいであるといえる。

おも派生はせいがた[編集へんしゅう]

  • Su-9Су-9スー・ヂェーヴャチ):迎撃げいげき戦闘せんとうがた基本きほんがた。1957ねんはつ飛行ひこうSu-9
  • Su-9BСу-9Бスー・ヂェーヴャチ・ベー):戦闘せんとう爆撃ばくげきがた
  • Su-9UСу-9Уスー・ヂェーヴャチ・ウー):ふく教育きょういく訓練くんれんがた。NATOは「メイデン」(Maiden)というコードネームを付与ふよした。
  • Su-9RMСу-9РМスー・ヂェーヴャチ・エール・エーム):標的ひょうてきとして改修かいしゅうされたSu-9。
  • Su-11Су-11スー・アヂーンナッツァチ):迎撃げいげき戦闘せんとうがた発展はってんがた。1958ねんはつ飛行ひこうSu-11(量産りょうさん
  • Su-15Су-15スー・ピトナーッツァチ):迎撃げいげき戦闘せんとうがた発展はってんがた1963ねんはつ飛行ひこうミンスク上空じょうくう飛行ひこうするSu-15TM
  • T-3Т-3テー・トリー):Su-9/11/15の試作しさく。デルタつばさ共通きょうつう特徴とくちょうである。アルマース3・レーダー・ステーションを搭載とうさいした最初さいしょ機体きたいを、NATOは「フィッシュポットA」(Fishpot-A)として認識にんしきしたが、多数たすう製造せいぞうされたほか機体きたいかんしてはコードネームは付与ふよされなかった。 T-3(アルマース3搭載とうさいがた
  • T-5Т-5テー・ピャーチ):Su-9の双発そうはつ試作しさくとなった機体きたいよこはば拡張かくちょうされた後部こうぶ胴体どうたいにR-11F-300(Р-11Ф-300)エンジン2搭載とうさいした。研究けんきゅう成果せいかはSu-15の開発かいはつかされた。 T-5
  • レターユシチャヤ・ラボラトーリヤЛетающая лабораторияリターユシャヤ・ラバラトーリヤ):「そら研究所けんきゅうじょ」という意味いみ名称めいしょう研究けんきゅうがされた。略称りゃくしょうLLЛЛエール・エール)である。このうちのある機体きたいではカナードつばさ試験しけんおこなわれたが、その方法ほうほう上下じょうげに1まいずつあるいは下面かめんに1まいのみというわったものであった。
  • PT-7ПТ-7ペーテー・スィェーミ):T-3から開発かいはつされたアルマース・レーダー・ステーションを搭載とうさいする試作しさくがたのひとつ。K-7またはK-6ミサイルを搭載とうさいする機体きたいとして開発かいはつされたが、このミサイルの成功せいこうにより機体きたい開発かいはつ終了しゅうりょうした。なお、名称めいしょう搭載とうさいミサイルめい由来ゆらいするものである。
  • PT-8ПТ-8ペーテー・ヴォースィェミ):T-3から開発かいはつされたアルマース・レーダー・ステーションを搭載とうさいする試作しさくがたのひとつ。PT-8-4はK-7ミサイルを搭載とうさいする機体きたいとして開発かいはつされたが、このミサイルの成功せいこうにより機体きたい開発かいはつ終了しゅうりょうしたが、機体きたいはT-47のもととなった。なお、PT-8-4に平行へいこうして開発かいはつされたPT-8-5はT-47と改称かいしょうされた。なお、名称めいしょう搭載とうさいミサイルめい由来ゆらいするものである。
  • PT-95ПТ-95ペーテー・ヂヴィノースタ・ピャーチ):PT-8をもとにAL-7F-1エンジンの試験しけんよう開発かいはつされた「そら研究所けんきゅうじょ」。この機体きたいでAL-7F-1エンジンの搭載とうさい試験しけんはいちおうの完成かんせいた。
  • 製品せいひん100L-1」«Изделие 100Л-1»イズヂェーリイェ・ストー・エール・アヂーン):「そら研究所けんきゅうじょ」のひとつ。Su-9をもとに製作せいさくされ、あたらしいつばさがた試験しけんされた。 100L
  • L-43Л-43エール・エール):「そら研究所けんきゅうじょ」のひとつ。Su-9UをもとにT-4ソートカばくげき開発かいはつのために製作せいさくされた研究けんきゅう製品せいひん94」«Изделие 94»イズヂェーリイェ・ヂヴィノースタ・チトィーリェ)ともばれた。
  • T-3-8MТ-3-Мテー・トリー・エーム):Su-11のもととなった試作しさく。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載とうさいし、エンジンはAL-7F-1の単発たんぱつであった。
  • T-37Т-37テー・トリーッツァチ・スィェーミ):T-3の派生はせいがたとして設計せっけいされた試作しさく迎撃げいげき戦闘せんとうで、当初とうしょT-3AТ-3Аテー・トリー・アー)とばれた。K-9-51(R-38)ミサイル2はつ搭載とうさいし7600 kg/sのR-15-300ターボジェットエンジンで3000 km/hのさい高速度こうそくど発揮はっきすることを計画けいかくしていた。ミグ設計せっけいきょくのマッハ 3きゅう試作しさく迎撃げいげき戦闘せんとうYe-150まさ性能せいのう機体きたいとなるはずであったが、実際じっさい製作せいさくはされなかった。
  • T-43Т-43テー・ソーラク・トリー):T-3から製作せいさくされた研究けんきゅう多数たすう製作せいさくされた。1960ねん5がつには、T-43-5が100 kmコースにおける2032 km/hの世界せかい速度そくど記録きろく達成たっせいしている。1962ねん9月4にちには、AL-7F-2エンジンを搭載とうさいしたT-43-1が21270 mの高度こうど記録きろく達成たっせいした。3週間しゅうかん、この機体きたいは500 kmの閉鎖へいさコースにおける平均へいきん速度そくど 2337 km/hという速度そくど記録きろく達成たっせいした。T-43-3、T-43-4、T-43-5、T-43-8では、ミサイルと自動じどう赤外線せきがいせん照準しょうじゅん装置そうちТГСТепловая головка самонаведения)の試験しけんおこなわれた。K-7ミサイル装備そうび仕様しようのPT-8をK-5M装備そうび仕様しよう改修かいしゅうしたT-43-6は1959ねん7がつ20日はつか墜落ついらくし、パイロットが死亡しぼうした。T-43-7とT-43-10は、自動じどう操縦そうじゅう装置そうちAP-29Zh1(АП-28Ж1)の研究けんきゅう使用しようされたが、T-43-10は1960ねん墜落ついらく事故じこうしなわれた。そのほか、いわゆる「ドッグスーツ」(犬歯けんし)または「」(ズープ;«зуб»)とばれる先端せんたんするどしをもうけた形状けいじょう主翼しゅよくをもつ機体きたい試験しけんされた。 T-43-12
  • U-43У-43ウー・ソーラク・トリー):T-43から製作せいさくされたふく練習れんしゅう戦闘せんとうがた試作しさく。Su-9Uとして量産りょうさんされた。 U-43-1
  • T-47Т-47テー・ソーラク・スィェーミ):Su-11のもととなった試作しさくシリーズ。当初とうしょ名称めいしょうはPT-8-5。開発かいはつ中止ちゅうしとなったPT-8シリーズの機体きたい研究けんきゅう成果せいかかされ、それと同様どうよう機体きたいっていた。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載とうさいし、エンジンはAL-7F-1の単発たんぱつであった。 T-47-5
  • T-49Т-49テー・ソーラク・ヂェーヴャチ):試作しさく戦闘せんとう。より大型おおがた高性能こうせいのうのレーダー・ステーションを搭載とうさいするために機首きしゅ容積ようせき増加ぞうかさせる目的もくてき開発かいはつされた。従来じゅうらい円筒えんとうがた方式ほうしき機首きしゅあらためられ、空気くうきこう機首きしゅりょう側面そくめんりにもうけられていた。これは、のちに量産りょうさんされたSu-15の機体きたいりょうわき空気くうきこうもうける方式ほうしきともことなる独自どくじのものであった。1959ねんすえから1960ねん初旬しょじゅんにかけて若干じゃっかん飛行ひこう試験しけんおこなわれたが、エンジンの不調ふちょうにより開発かいはつ失敗しっぱいわった。 T-49
  • T-58DТ-58Дテー・ピヂスャート・ヴォースィェミ・デー):Su-15のもととなった試作しさく。T-37、T-49、T-5などの研究けんきゅう成果せいか製作せいさくされた。改良かいりょうがたのオリョール-D-58(Орел-Д-58)レーダー・ステーションとK-98К-98そら対空たいくうミサイルが搭載とうさいされた。

スペック(Su-9)[編集へんしゅう]

  • 種別しゅべつ迎撃げいげき戦闘せんとう
  • はつ飛行ひこう:1957ねん
  • つばさはば:8.54 m
  • 全長ぜんちょう:18.06 m (プローブふくむ)
  • 全高ぜんこう:4.82 m
  • つばさ面積めんせき:34.00 m2
  • 空虚くうきょ重量じゅうりょう:7675 kg
  • 通常つうじょう離陸りりく重量じゅうりょう:11422 kg
  • 最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょう:12515 kg
  • 機内きない燃料ねんりょう搭載とうさいりょう:3100 kg
  • 発動はつどう:AL-8F-1-100U(АЛ-7Ф-1-100У) ターボジェットエンジン ×1
  • 出力しゅつりょく:6800 kg/s
  • 出力しゅつりょくアフターバーナー使用しよう):9600 kg/s
  • 最高さいこう速度そくど:2230 km/h
  • 最高さいこう速度そくど(地表ちひょう高度こうど):1150 km/h
  • 実用じつよう航続こうぞく距離きょり:1260 km
  • 実用じつよう航続こうぞく距離きょり増加ぞうか燃料ねんりょうタンク使用しよう):1710 km
  • 最大さいだい上昇じょうしょうりょく:12000 m/min
  • 実用じつよう飛行ひこう上限じょうげん高度こうど:20000 m
  • 乗員じょういん:1 めい
  • 武装ぶそう
    • ハードポイント ×6
    • RS-2US(РС-2УСそら対空たいくうコマンド誘導ゆうどうミサイル×4、またはRS-2US ×2およびR-55(Р-55そら対空たいくう赤外線せきがいせん誘導ゆうどうミサイル×2
    • 増加ぞうか燃料ねんりょうタンク ×2

運用うんようこく[編集へんしゅう]

ソ連それん
国土こくど防空ぼうくうぐん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

ソ連それん防空ぼうくうぐん機体きたい

どうクラスの機体きたい

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

画像がぞうリンク[編集へんしゅう]

参考さんこうページ[編集へんしゅう]