(Translated by https://www.hiragana.jp/)
Bai Hu Tong : 卷十 : 喪服 - Chinese Text Project
Follow us on Facebook to receive important updates Follow us on Twitter to receive important updates Follow us on sina.com's microblogging site to receive important updates Follow us on Douban to receive important updates
Chinese Text Project

喪服もふく

Library Resources
1 喪服もふく:
諸侯しょこうため天子てんしおとろえさんねんなに普天ふてんした,莫非王土おうど率土そっとまろうど,莫非おうしんしん於君,猶子ゆうし於父。あかり至尊しそん臣子しんし義也よしや。《喪服もふくけい》曰:「諸侯しょこうため天子てんしおとろえさんねん。」天子てんしため諸侯しょこうぜっ其何?しめせどうあい百姓ひゃくしょうあきらどくおや也。れい中庸ちゅうよう》曰:「たち乎諸こう,三年之喪達乎天子。」きょう大夫たいふくだ緦,じゅう公正こうせい也。

2 喪服もふく:
れい,庶人こくくんふくひとしおとろえさんがつ王者おうじゃくずれ京師けいしみんさんがつなにみん賤,おもえあささんがつ而已。天子てんしなながつ而葬,諸侯しょこうがつ而葬しゃのりみんはじめ哭,もとふくさきそうさんがつなりひとしおとろえがつ以成れいそうくん也。れいした庶人なに所以ゆえんためみんせいなにれいした庶人しゃ尊卑そんぴ制度せいど也。ふくしゃおんしたがえ內發,為之ためゆきせい也。

3 喪服もふく:
王者おうじゃくずれ臣下しんかふくゆう先後せんごなにおんゆうあさふか遠近えんきんせいゆう日月じつげつ。《だんゆみ曰:「天子てんしくずしさんにちしゅくさきふく五日いつかかんちょうふくななにちこくちゅう男女だんじょふくさんがつ天下てんかふく

4 喪服もふく:
さんねんなんじゅうがつ?以為みんしつつう於死しゃふう無數むすうほろびこれそくじょ後代こうだい聖人せいじんいん天地てんち萬物有終始而為之制,以期だんちち至尊しそんははいたりおやため於隆,以盡孝子こうしおん恩愛おんあいいたりふかのりばいさいじゅうがつ也。れいゆう于三,いいさんねんえん其漸さんねん也。春秋しゅんじゅうでん》曰:「さんねん,其實じゅうがつ也。」三年之喪不以閏月數何?以言其期也。しゃふく其時也。大功たいこうやめ月數げっすう閏月じゅんげつじょ。《れいおそれけい》曰:「げん而小さち。」「また而大さち。」

5 喪服もふく:
れい必制おとろえあさなに?以副也。ふく以飾じょうじょう貌相はい中外ちゅうがい相應そうおう吉凶きっきょう不同ふどうふくうた哭不どうこえ所以ゆえんひょうちゅうまこと也。ぬのおとろえあさ絰、笄、なわえい、苴杖,ためりゃく及本絰者,またしめせ也。揔而載しめせゆう也。こし絰者,以代しんたい也,所以ゆえんゆいなに思慕しぼちょうわかゆい也。必再ゆいなにあかり思慕しぼやめ

6 喪服もふく:
所以ゆえん必杖しゃ孝子こうししつおや悲哀ひあい哭泣,三日みっかしょく身體しんたい羸病,つえ以扶あきら死傷ししょうせい也。れい童子どうじ婦人ふじんつえしゃ,以其不能ふのうびょう也。《れい》曰:「おとろえさんにちしょくひとしおとろえにちしょく大功たいこういちにちしょくしょうこう、緦麻一日不食再不食可也。」以竹なに其名也。たけしゃ蹙也,きりしゃつう也。ちち以竹,はは以桐なにたけしゃ也,きりしゃかげ也。たけなん以為たけだん而用しつためきりそぎ而用じんこうぶんためかげ也。れい》曰:「苴杖,たけ也。そぎつえきり也。」

7 喪服もふく:
所以ゆえん必居倚廬なに孝子こうしあいよく聞人こえまたよくしょ居中きょちゅうもんそと。倚木ためいおりしつ反古ほご也。不在ふざい門外もんがいなに?戒不おそれ也。れい大傳だいでん》曰:「父母ちちははきょ倚廬。」於中門外もんがいひがし牆下,北面ほくめんねり而居堊室,これしつまた曰:「婦人ふじんきょ倚廬。」また曰:「天子てんしななにちまた曰:「おおやけ諸侯しょこうにちきょう大夫たいふさんにち而成ふく。」

8 喪服もふく:
きょ外門ともん內、ひがしかべためいおりとまかたまり,哭無よるだつ絰帶。すんでおそれゆうせき,疏食飲水のみみずあさいち哭,ゆういち哭而やめすんでねりしゃがいきょ堊室,はじめしょくさいはて,及素しょく,哭無じゅうがつ而大さちいん醴酒,しょくいぬいにくじゅうなながつ而示覃,つうさい宗廟そうびょうころせ也。

9 喪服もふく:
れい不言ふげんしゃなに思慕しぼつきじょう也。げん不文ふぶんしゃゆびいい士民しみん不言ふげん而事なりしゃくにくんきょう大夫たいふつえ而謝まろうどざいしょう恃力,めんあかさく不言ふげん而事しゃゆえごう哭盡じょう

10 喪服もふく:
ゆうびょうとく飲酒いんしゅ食肉しょくにくなに所以ゆえん輔人せいおのれじゅう先祖せんぞのこささえたい也。きょくれい》曰:「きょれいとうゆうかさそく沐,ゆう瘍則よくゆうやましのり飲酒いんしゅ食肉しょくにくじゅう致毀,なな十唯衰麻在身,飲酒いんしゅ食肉しょくにく。」また曰:「父母ちちははゆうやまし食肉しょくにくいたりへんあじ飲酒いんしゅいたり變貌へんぼうわらいいたりはぎいかいたり詈,琴瑟きんしつ。」《曾子とい》曰:「さんねんねりぐんりつ旅行りょこうれい以飾じょう。三年之喪而吊哭,またきょ乎!」《れいだんゆみ》曰:「曾子ゆうははちょうちょう。」はりしゃ朋友ほうゆうゆうふく,雖重ふくちょう可也かなり。《曾子とい》曰:「しょうこう以與さい乎?孔子こうし曰:『おとろえやめあずかさいれい也。』」此謂くんしか也。なつとい:「さんねんすんでそつ哭,きむかわこと避者,れいあずか?」孔子こうし曰:「われ聞諸ろう聃曰:『しゅうこうはく禽,のり有為ゆうい也。』こん以三年之喪從其利者,われ知也ともや。」

11 喪服もふく:
婦人ふじん不出ふしゅつさかいつるししゃ婦人ふじん外事がいじぼう淫佚いんいつ也。《れい雜記ざっき》曰:「婦人ふじんえつ︹而吊,非禮ひれい也。」而有さんねんきみあずか夫人ふじん俱往。れいつまため父母ちちははふくおっとまたとうふく

12 喪服もふく:
ゆうつるしさんなにためじん臣子しんしつねふところ恐懼きょうくふかおもえ遠慮えんりょ志乃しの全身ぜんしんこん乃畏、いや溺死できしようため不義ふぎつるし也。《だんゆみ》曰:「つるしさんかしこいやおぼれ也。かしこしゃへい也。」《れい曾子》曰:「だいはずかしめ於身,ささえたい毀傷きしょうそくきみしん交,まつりとくためあきらきよしかばねしょくとくあきらきよし牲,とくそうあきらきよしいき也。」

13 喪服もふく:
弟子でしためふくしゃ弟子でしゆう君臣くんしん父子ふし朋友ほうゆう道也みちやなまのり尊敬そんけい而親そくあいつうおんふか義重よししげ為之ためゆきたかしふくにゅうのり絰,のっといや也。《だんゆみ》曰:「むかし夫子ふうしがおかいわか而無ふくまたしか。請喪夫子ふうしわかちち而無ふく也。」

14 喪服もふく:
曾子とい》曰:「『きみ薨既殯,而臣ゆう父母ちちははのり如之なに?』孔子こうし曰:『かえりきょ於家。ゆういんごと則之のりゆきくんしょ朝夕あさゆういな。』曰:『きみすんでけい,而臣ゆう父母ちちははのり如之なに?』孔子こうし曰:『かえり哭而はんおくきみ。』曰:『きみ殯,而臣ゆう父母ちちははのり如之なに?』孔子こうし曰:『かえり殯哭而,はん於君,いんごとのり朝夕あさゆういな大夫たいふしつろう行事ぎょうじそく子孫しそん行事ぎょうじおっと內子ゆういんごとのりまた如之くんしょ朝夕あさゆういな。』」

15 喪服もふく:
諸侯しょこうゆうおや,聞天子てんしくずれ,奔喪しゃなにこごめおのれおやおやなおみことみこと義也よしや。《春秋しゅんじゅうでん》曰:「天子てんしくずしそうしゃ,必其そう也。諸侯しょこうそう必有。」諸侯しょこうためゆう天子てんし奔,とく必以其時そう也。

16 喪服もふく:
大夫たいふ使受命じゅめい而出,聞父母ちちはは君命くんめいはんしゃぶたしげるくん也,春秋しゅんじゅうでん》曰:「大夫たいふ以君いのち,聞喪,徐行じょこうはん。」

17 喪服もふく:
諸侯しょこうあさ而有わたしとくかえなにきょうふく不入ふにゅう公門くもんきみよび義也よしやきょうふく敢入公門くもんしゃあきらみこと朝廷ちょうてい吉凶きっきょうあいしゅうかん》曰:「きょうふく不入ふにゅう公門くもん。」《きょくれい》曰:「きょ不言ふげんらく祭事さいじ不言ふげんきょうおおやけにわ不言ふげん婦女ふじょ。」《論語ろんご》曰:「於是哭,のりうた。」

18 喪服もふく:
臣下しんかゆう大喪たいそうよび其門しゃ使つかいとくおわり其孝どうなり大禮たいれい,《春秋しゅんじゅうでん》曰:「いにしえしゃしんゆう大喪たいそうくんさんねんよび其門。」

19 喪服もふく:
聞哀哭而ぎょうなにつきあい憤然ふんぜんぎょうもち國境こっきょうそく哭,あさのり君子くんしそもそも小人こどもつとむ以及れいほしそくとめにちぎょうひゃく,惻怛しんただしよくかばねひつぎ汲汲きゅうきゅうれい奔喪》曰:「以哭こたえ使者ししゃつきあいもんゆえ遂行すいこう。」曾子曰:「さんじゅうさとしゃぎょうじゅう,奔喪ひゃくさと。」すんでじょ,乃歸哭於なにあきら死者ししゃ不可ふかやめきずいたり也。いいとくついふくしゃ也,哭於而已。れい奔喪》曰:「これはか西向にしむき哭,とめ。」此謂遠出とおでそう喪服もふく以禮じょ

20 喪服もふく:
曾子あずかきゃくりつ於門,其徒趨而。曾子曰:「しかはたなに?」曰:「われちちはた哭於ちまた。」曾子曰:「はん哭於なんじ。」曾子北面ほくめん而吊焉。《だんゆみ曰:「孔子こうし曰:『われあく乎哭しょ兄弟きょうだいわれ哭諸びょうもんそとわれ哭諸朋友ほうゆうわれ哭諸門外もんがいしょわれ哭諸。』」

21 喪服もふく:
やしなえしたがえせいそうしたがえしゅうこう以王れいそうなに?以為しゅうこう踐祚せんそせいあずかてん同志どうしてんおきしゅうどうあらわてん度數どすう萬物ばんぶつ咸得,きゅうまことふさがはらたかしあいしゅうこうあずか文武ぶんぶこと以王れいそう使つかいとく郊祭。《尚書しょうしょ》曰:「こんてんどう,以彰しゅうこうとくしもげん:「れいまたむべこれ

URN: ctp:bai-hu-tong/sang-fu