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Han Shu : 紀 : 文帝紀 - Chinese Text Project
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ぶんみかど纪》

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1 ぶんみかど纪:
孝文たかふみ皇帝こうてい高祖こうそ中子なかこ也,はは曰薄ひめ高祖こうそじゅういちねん,诛陈豨,てい代地だいちたて为代おうなかじゅうななねんあきこうきさきくずれ,诸吕谋为みだれよく危刘丞相じょうしょう陈平、ふとしじょうしゅう勃、しゅきょこう刘章とうども诛之,谋立だいおう。语在だかきさき纪、こうおう传。

2 ぶんみかど纪:
大臣だいじんとげ使じんむかえだいおうろうちゅうれい张武とう议,みな曰:“汉大臣だいじんみなこうみかど时将,习兵事へいじ谋诈,其属とめ此也,とくかしここうみかど、吕太きさきみみいまやめ诛诸吕,しんちょうきょう师,以迎大王だいおう为名,实不可ふかしんすなおたたえやまし无往,以观其变。”中尉ちゅういそうあきら进曰:“群臣ぐんしん议皆也。おっとしんしつ其政,ごう杰并おこり人人ひとびと以为どくこれしゃ以万すうしかそつ天子てんししゃ,刘氏也,天下てんか绝望,いち矣。こう帝王ていおう子弟していけんきばしょうせいしょ谓盘せきそう也,天下てんかふく其强,矣。汉兴,のぞきしん烦苛,约法れいほどこせ德惠とくえ人人ひとびとやす,难动摇,さん矣。おっと以吕ふとしきさき严,たて诸吕为三おう,擅权专制,しか而太じょう以一节入北军,いちよびみな袒左,为刘ほとり诸吕,そつ以灭。此乃天授てんじゅ非人ひにん力也りきやこん大臣だいじん虽欲为变,百姓ひゃくしょうどる为使,其党宁能专一よこしまうちゆうしゅむなし、东牟亲,そとかしこ吴、すわえ淮南ワイナン、琅邪、齐、だいこれきょう方今ほうこんだかみかどどく淮南ワイナンおうあずか大王だいおう大王だいおうまた长,贤圣仁孝にんこう,闻于天下でんか大臣だいじんいん天下でんかこころ而欲むかえ立大りつだいおう大王だいおう勿疑也。”だいおう报太きさき,计犹未定みていぼくちょうとく大横おおよこうらない曰:“大横おおよこかのえかのえあまり为天おうなつ启以こう。”だいおう曰:“寡人かたやめ为王,またなにおう乎?”ぼくじん曰:“ところ谓天王者おうじゃ,乃天子てんし也。”于是だいおう乃遣ふとしきさきおとうとうすきあきら见太じょう勃,勃等げん所以ゆえんむかえたて王者おうじゃあきら还报曰:“しん矣,无可うたぐしゃ。”だいおうえみ谓宋あきら曰:“はて公言こうげん。”乃令そうあきら骖乘,张武とう六人乘六乘传诣长安。至高しこうりょうとめ,而使そうあきらさき长安观变。

3 ぶんみかど纪:
あきらいたり渭桥,丞相じょうしょうやめみなむかえあきら还报,だいおう乃进いたり渭桥。群臣ぐんしんはい谒称しんだいおうはいふとしじょう勃进曰:“すなお请间。”そうあきら曰:“ところげんこう公言こうげんしょげんわたし王者おうじゃ无私。”ふとしじょう勃乃跪上天子てんし玺。だいおう谢曰:“いたりてい而议。”

4 ぶんみかど纪:
闰月おのれとりいれだいてい群臣ぐんしん从至,うえ议曰:“丞相じょうしょうしんひらめふとしじょうしん勃、大将たいしょう军臣たけ大夫たいふしん苍、そう正臣まさおみ郢、しゅきょこうしんあきら、东牟こうしん兴居、てんきゃくしん再拜さいはいごと大王だいおう足下あしもとひろとうみな孝惠たかえ皇帝こうてい不当ふとうたてまつそう庙。しん谨请阴安こう、顷王きさき、琅邪おう列侯れっこう、吏せんせき议,大王だいおうだか皇帝こうていむべ为嗣。すなお大王だいおうそく天子てんし。”だいおう曰:“たてまつこうみかどむね庙,じゅうごと也。寡人佞,不足ふそく以称。すなお请楚おう计宜しゃ,寡人どる敢当。”群臣ぐんしんみなふくかた请。だいおう西にし乡让しゃさんみなみ乡让しゃさい丞相じょうしょう平等びょうどうみな曰:“しんふく计之,大王だいおうたてまつこう祖宗そそう庙最むべたたえ,虽天诸侯万民ばんみんみな以为よろししんとう为宗庙社稷しゃしょく计,敢忽。すなお大王だいおうこう听臣とうしん谨奉天子てんし玺符再拜さいはいじょう。”だいおう曰:“宗室そうしつしょうしょうおう列侯れっこう以为其宜寡人,寡人敢辞。”とげそく天子てんし群臣ぐんしん以次さむらい使つかいふとし仆婴、东牟こう兴居さききよし宫,奉天ほうてんほう驾迎だいてい皇帝こうてい即日そくじつゆういれ未央みお宫。よるはいそうあきら为卫はた军,领南きた军,张武为郎ちゅうれいぎょう殿中でんちゅう。还坐まえ殿どのしも诏曰:“せい诏丞しょうふとしじょう大夫たいふ:间者诸吕用事ようじ擅权,谋为大逆だいぎゃくよく危刘むね庙,赖将しょう列侯れっこう宗室そうしつ大臣だいじん诛之,みなふく其辜。ちんはつ即位そくい,其赦天下でんか,赐民爵一级,女子じょしひゃく户牛しゅ,酺にち。”

5 ぶんみかど纪:
元年がんねんふゆじゅうがつからし皇帝こうてい见于だか庙。车骑はた军薄あきらむかい皇太后こうたいごう于代。诏曰:“ぜん吕产おけ为相こく,吕禄为上はた军,擅遣はた军灌婴将へい击齐,よくだい刘氏。婴留荥阳,あずか诸侯あい谋以诛吕。吕产よく不善ふぜん丞相じょうしょうひら与太よたじょう勃等谋夺产等军。しゅむなしほうあきらくびさき斩产。ふとしじょう勃身りつじょうたいらこうどおり节承诏入北にゅうほく军。てんきゃく揭夺吕禄しるし。其益ふうじぶとじょう勃邑まん户,赐金せんきん丞相じょうしょうひらめはた军婴邑各さんせん户,かねせんきんしゅむなしほうあきらじょうたいらこうどおり邑各せん户,かねせんきんふうてんきゃく揭为阳信こう,赐金せんきん。”

6 ぶんみかど纪:
十二月じゅうにがつたて赵幽王子おうじとげ为赵おう,徙琅よこしまおう泽为つばめおう。吕氏しょ夺齐すわえみな归之。つきじょおさむ帑相すわ律令りつりょう

7 ぶんみかど纪:
正月しょうがつ有司ゆうし请蚤たて太子たいし所以ゆえんみことむね庙也。诏曰:“ちんすんで不德ふとく上帝じょうてい神明しんめい歆飨也,天下てんか人民じんみんゆう轺志。こん不能ふのうはくもとめ天下でんか贤圣有德うとくひと而嬗天下でんか焉,而曰たて太子たいし是重これしげわれ德也とくや。谓天なに?其安。”有司ゆうし曰:“たて太子たいし所以ゆえん重宗しげむね社稷しゃしょく忘天也。”じょう曰:“すわえおうちち也,春秋しゅんじゅうだか,阅天下之したの义理矣,あきら国家こっかからだ。吴王于朕,あに也;淮南ワイナンおうおとうと也:みな秉德以陪ちん,岂为哉!诸侯おう宗室そうしつこんおとうと有功ゆうこうしん贤及有德うとく义者,わか有德うとく以陪ちん不能ふのう终,社稷しゃしょく灵,天下てんかぶく也。こん选举焉,而曰必子,にん其以ちん为忘贤有德うとくしゃ而专于子,所以ゆえん忧天也。ちん甚不。”有司ゆうしかた请曰:“いにしえしゃいんしゅうゆうこく治安ちあんみな且千岁,ゆう天下てんかしゃ莫长焉,よう道也みちやたて嗣必しょ从来远矣。こうみかどはじめひら天下てんかけん诸侯,为帝しゃふとし。诸侯おう列侯れっこうはじめ受国しゃまたみな为其こく孙继嗣,世世せぜ绝,天下てんかだい义也。こうみかど设之以抚海内かいだいこん释宜けん而更选于诸侯宗室そうしつこうみかどこころざし也。さら议不よろし启最长,あつしあつ慈仁,请建以为太子たいし。”上乃うえの许之。よし赐天みんとう为父きさきしゃ爵一级。ふうはた军薄あきら为轵こう

8 ぶんみかど纪:
さんがつ有司ゆうし请立皇后こうごう皇太后こうたいごう曰:“立太子りったいしはは窦氏为皇后こうごう。”

9 ぶんみかど纪:
诏曰:“ほうはる时,草木くさき群生ぐんせいものみなゆう以自乐,而吾百姓鳏寡孤独穷困之人或阽于死亡,而莫はぶけ忧。为民父母ちちはははたなに如?其议しょ以振贷之。”また曰:“ろうしゃ帛不だんにく饱。こん岁首,时使じんそん问长おいまた布帛ふはく酒肉しゅにく赐,はたなに以佐天下でんか孙孝养其亲?こん闻吏禀当受鬻しゃある以陈あわ,岂称养老哉!为令。”有司ゆうし请令县道,ねんはちじゅう已上いじょう,赐米人月にんげついちせきにくじゅうきんさけ。其九じゅう已上いじょうまた赐帛じん疋,絮さんきん。赐物及当禀鬻まいしゃ,长吏阅视,すすむわかじょう致。满九じゅう,啬夫、れい致。千石遣都吏循行,しょうしゃとくけいしゃ及有ざいたい以上いじょう不用ふよう此令。

10 ぶんみかど纪:
すわえもとおう交薨。

11 ぶんみかど纪:
よんがつ,齐楚地震じしんじゅうきゅうやま同日どうじつくずれ大水おおみず溃出。

12 ぶんみかど纪:
ろくがつれいぐんこく无来けんじほどこせめぐみ天下でんか,诸侯四夷远近驩洽。乃修だいらいこう。诏曰:“ほう大臣だいじん诛诸吕迎ちんちん狐疑こぎみなとめちんただ中尉ちゅういそうあきら劝朕,ちんやめむね庙。やめみことあきら为卫はた军,其封あきら为壮たけこう。诸从ちんろくにんかんみないたりきゅうきょう。”また曰:“列侯れっこう从高みかどいれしょく汉者ろくじゅうはちにんえき邑各さんひゃく户。吏千石以上从高帝颍川守尊等十人食邑六百户,淮阳もりさるほふよしみとうじゅうにんひゃく户,卫尉あしとうじゅうにんよんひゃく户。”ふう淮南ワイナンおうしゅうと赵兼为周阳侯,齐王しゅうと驷钧为靖くるわこう常山つねやま丞相じょうしょう蔡兼为樊こう

13 ぶんみかど纪:
ねんふゆじゅうがつ丞相じょうしょう陈平薨。诏曰:“ちん闻古しゃ诸侯建国けんこくせん馀,かくもり其地,以时にゅう贡,みん劳苦,上下じょうげ驩欣,靡有违德。こん列侯れっこうきょ长安,邑远,吏卒给输费苦,而列こうまた无繇きょう训其みん。其令列侯れっこうくに,为吏及诏しょとめしゃ太子たいし。”

14 ぶんみかど纪:
十一月じゅういちがつみずのとみそにちゆうしょく。诏曰:“ちん闻之,天生あもうみん,为之おけきみ以养治之はるゆきひとぬし不德ふとくぬのせいひとし,则天しめせ灾以戒不。乃じゅういちがつみそにちゆうしょく,适见于天,灾孰だい焉!ちん获保むね庙,以微すがめたく士民しみん君王くんのううえ天下てんか治乱ちらんざいいちにんただ三执政犹吾股肱也。ちん不能ふのうそだて群生ぐんせいうえ以累さんひかりあきら,其不德ふとくだい矣。れいいたり,其悉おもえちん过失,及知见之しょ及,饨以启告ちん。及举贤良かた正能しょうのう直言ちょくげん极谏しゃ,以匡ちん逮。いんかく敕以职任,务省繇费以便みんちんすんで不能ふのう远德,贳然ねん外人がいじんゆう以设备未いきこん不能ふのう罢边たむろ戍,また饬兵あつ卫,其罢卫将军军。ふとし仆见马遗财足,馀皆以给传置。”

15 ぶんみかど纪:
はる正月しょうがつひのと,诏曰:“おっと农,天下てんかほん也,其开藉田,ちん亲率たがやせ,以给むね庙粢もりみん谪作县官及贷种食いれにゅう备者,みな赦之。”

16 ぶんみかど纪:
さんがつ有司ゆうし请立皇子おうじ为诸こうおう。诏曰:“ぜん赵幽おうかそけちん甚怜やめたて其太とげ为赵おうとげおとうと辟强及齐悼惠王子おうじしゅむなしほうあきら、东牟こう兴居有功ゆうこうおう。”乃遂りつ辟强为河间王,しょう为城阳王,兴居为济きたおういんりつ皇子おうじたけ为代おうまいり为太ばらおう,揖为はりおう

17 ぶんみかど纪:
五月ごがつ,诏曰:“いにしえ天下でんかあさゆう进善旌,诽谤所以ゆえんどおりどう而来谏者也。こんほうゆう诽谤訞言つみ使众臣敢尽じょう,而上无由闻过しつ也。はたなに以来いらい远方贤良?其除みんあるしゅく诅上,以相约而きさきしょう谩,吏以为大ぎゃく,其有他言たごん,吏又以为诽谤。此细みん,无知抵死,ちん甚不自今じこん以来いらいゆうはん此者勿听。”

18 ぶんみかど纪:
きゅうがつはつあずかぐんもり为铜とらたけ使

19 ぶんみかど纪:
诏曰:“农,天下てんか大本おおもと也,みんしょ恃以せい也,而民ある务本而事まつなまとげちん忧其しかこん兹亲りつ群臣ぐんしん农以劝之。其赐天下でんかみん今年ことし田租でんそはん。”

20 ぶんみかど纪:
さんねんふゆじゅうがつちょうとりみそにちゆうしょく十一月じゅういちがつちょうしげるみそにちゆう蚀之。

21 ぶんみかど纪:
诏曰:“前日ぜんじつ诏遣列侯れっこうくにくだり丞相じょうしょうちんところしげる,其为とげりつ列侯れっこうくに。”とげめん丞相じょうしょう勃,就国。十二月じゅうにがつふとしじょう颍阴こう灌婴为丞しょう。罢太尉官いかんぞく丞相じょうしょう

22 ぶんみかど纪:
なつよんがつしろ阳王あきら薨。淮南ワイナンおう长杀辟阳こう审食其。

23 ぶんみかど纪:
五月ごがつ匈奴きょうど入居にゅうきょ北地きたじ河南かなん为寇。うえみゆきあまいずみ丞相じょうしょう灌婴击匈やつ匈奴きょうど。发中尉ちゅういざいかんぞく卫将军,军长やす

24 ぶんみかど纪:
うえあまいずみこうやつよしさいわいふとしはら,见故群臣ぐんしんみな赐之。举功ぎょう赏,诸民さと赐牛しゅ。复晋阳、ちゅう都民とみんさん岁租。とめゆうふとしげんじゅう馀日。

25 ぶんみかど纪:
济北おう兴居闻帝これだいよく击匈やつ,乃反,发兵よく袭荥阳。于是诏罢丞相じょうしょうへい,以棘がまこうしばたけし大将たいしょう军,はた四将军十万众击之。祁侯缯贺为将军,军荥阳。あきなながつうえふとしはらいたる长安。诏曰:“济北おう背德はいとくはんうえ,诖误吏民,为大ぎゃく。济北吏民へいいたりさきてい及以军城邑降しゃみな赦之,复官爵かんしゃくあずかおう兴居去来きょらいしゃまた赦之。”はちがつ,虏济きたおう兴居,杀。赦诸与兴居はんしゃ

26 ぶんみかど纪:
よんねんふゆじゅうがつ丞相じょうしょう灌婴薨。

27 ぶんみかど纪:
なつがつ,复诸刘有ぞくせきいえ所与しょよ。赐诸こう王子おうじ邑各せん户。

28 ぶんみかど纪:
あききゅうがつふう齐悼めぐみ王子おうじななにん为列こう

29 ぶんみかど纪:
绛侯しゅう勃有ざい,逮诣廷尉诏狱。

30 ぶんみかど纪:
さく顾成庙。

31 ぶんみかど纪:
ねんはるがつ地震じしん

32 ぶんみかど纪:
なつよんがつじょぬすめ铸钱れいさらづくりよん铢钱。

33 ぶんみかど纪:
ろくねんふゆじゅうがつ桃李とうり华。

34 ぶんみかど纪:
十一月じゅういちがつ淮南ワイナンおう长谋はん,废迁しょく严道,雍。

35 ぶんみかど纪:
ななねんふゆじゅうがつれい列侯れっこう太夫たゆうじん夫人ふじん、诸侯王子おうじ及吏千石无得擅徵捕。

36 ぶんみかど纪:
ろくがつみずのととり未央みお宫东阙罘罳灾。

37 ぶんみかど纪:
はちねんなつふう淮南ワイナン厉王长子よんにん为列こう

38 ぶんみかど纪:
ゆう长星于东かた

39 ぶんみかど纪:
きゅうねんはる大旱たいかん

40 ぶんみかど纪:
じゅうねんふゆ行幸ぎょうこうあまいずみ

41 ぶんみかど纪:
はた军薄あきら

42 ぶんみかど纪:
じゅういちねんふゆじゅういちがつ行幸ぎょうこうだいはる正月しょうがつうえだい还。

43 ぶんみかど纪:
なつろくがつはりおう揖薨。

44 ぶんみかど纪:
匈奴きょうど寇狄どう

45 ぶんみかど纪:
じゅうねんふゆじゅうがつかわ决东ぐん

46 ぶんみかど纪:
はる正月しょうがつ,赐诸こう王女おうじょ邑各せん户。

47 ぶんみかど纪:
がつ孝惠たかえ皇帝こうていきさき宫美じんれいとくよめ

48 ぶんみかど纪:
さんがつじょ关无よう传。

49 ぶんみかど纪:
诏曰:“道民どうみんみちざい于务ほんちん亲率天下でんか农,じゅうねん于今,而野辟,岁一とう民有みんゆう饥色,从事焉尚寡,而吏务也。われ诏书すう,岁劝みん种树,而功兴,吏奉われ诏不つとむ,而劝みん明也あきや。且吾农民甚苦,而吏莫之しょうはたなに以劝焉?其赐农民今年ことし租税そぜいはん。”

50 ぶんみかど纪:
また曰:“孝悌こうてい天下てんかだい顺也。ちから,为生ほん也。さんろう,众民师也。れん吏,みんおもて也。ちん甚嘉此さん大夫たいふこれぎょういままんいえ县,うん无应れい,岂实人情にんじょう吏举贤之どう备也。其遣谒者劳赐さんろうこうしゃ帛人ひき,悌者、ちからひきれんひゃくせき以上いじょうりつひゃくせきしゃさんひき。及问みんしょ不便ふべんやす,而以户口りつおけ三老孝悌力田常员,れいかくりつ其意以道民どうみん焉。”

51 ぶんみかど纪:
じゅうさんねんはるがつきのえとら,诏曰:“ちん亲率天下でんか农耕以供しとぎもり皇后こうごう亲桑以奉祭服さいふく,其具れい仪。”

52 ぶんみかど纪:
なつじょしゅく,语在郊祀こころざし五月ごがつじょにく刑法けいほう,语在刑法けいほうこころざし

53 ぶんみかど纪:
ろくがつ,诏曰:“农,てん下之本しものもと,务莫だい焉。こん廑身从事,而有租税そぜい赋,谓本まつしゃ无以异也,其于劝农みち备。其除でん租税そぜい。赐天寡布帛絮かく有数ゆうすう。”

54 ぶんみかど纪:
じゅうよんねんふゆ匈奴きょうど寇边,杀北地きたじじょう卬。三将军军陇西、北地きたじ上郡かみごおり中尉ちゅういしゅうしゃ为卫はた军,ろうちゅうれい张武为车骑将军,军渭きた,车せんじょう,骑卒じゅうまんにんうえ亲劳军,勒兵,さるきょうれい,赐吏そつよくせい匈奴きょうど群臣ぐんしん谏,听。皇太后こうたいごうかたよううえ,乃止。于是以东阳侯张相如为大将たいしょう军,たてしげるほうただし赫、うち栾布みな为将军,击匈やつ匈奴きょうどはし

55 ぶんみかど纪:
はる,诏曰:“ちん获执牺牲けい币以ごと上帝じょうていむね庙,じゅうよんねん于今。历日わたる长,以不さと不明ふめい而久抚临天下でんかちん甚自愧。其广ぞう诸祀坛场けい币。むかし先王せんおう远施もとめ其报,もちまついのり其福,みぎ贤左戚,さきみんきさきおのれいたりあかり极也。こんわれ闻祠かんしゅくりんみな归福于朕躬,百姓ひゃくしょうちん甚愧おっと以朕不德ふとく,而专乡独其福,百姓不与焉,是重これしげわれ德也とくや。其令祠官しかん致敬,无有しょいのり。”

56 ぶんみかど纪:
じゅうねんはる龙见于成纪。上乃うえの诏议郊祀。おおやけ孙臣あかりふくしょく新垣あらかきひら设五庙。语在郊祀こころざしなつよんがつうえみゆき雍,はじめ郊见みかど,赦天おさむ名山めいざん大川おおかわ尝祀而绝しゃ有司ゆうし以岁时致れい

57 ぶんみかど纪:
きゅうがつ,诏诸こうおう公卿くぎょうぐんもり举贤良能りょうのう直言ちょくげん极谏しゃうえ亲策でん纳以ごと。语在あきら错传。

58 ぶんみかど纪:
じゅうろくねんなつよんがつうえ郊祀五帝于渭阳。

59 ぶんみかど纪:
五月ごがつたて齐悼めぐみ王子おうじろくにん淮南ワイナン厉王さんにんみな为王。

60 ぶんみかど纪:
あききゅうがつとく玉杯ぎょくはいこく曰“ひとぬし延寿えんじゅ”。れい天下てんかだい酺,明年みょうねん改元かいげん

61 ぶんみかど纪:
きさき元年がんねんふゆじゅうがつ新垣あらかきひら诈觉,谋反,えびすさんぞく

62 ぶんみかど纪:
はるさんがつ孝惠たかえ皇后こうごう张氏薨。

63 ぶんみかど纪:
诏曰:“间者すうねんとうまた有水ありみずひでりやまし疫之灾,ちん甚忧不明ふめい达其とがめしゃちんせいゆうしょしつ而行ゆう过与?乃天どうゆう顺,ある人事じんじしつ鬼神きじん废不とおるあずかなに以致此?しょう百官之奉养或费,无用ことあるおおあずかなに其民しょく寡乏也!おっとえき寡,而计みんえき,以口りょう,其于犹有馀,而食不足ふそくしゃ,其咎安在あんざい?无乃百姓之从事于末以害农者蕃,为酒もろみ以靡たにしゃ,六畜之食焉者众与?细大义,われのうとく其中。其与丞相じょうしょう列侯れっこうせんせき博士はかせ议之,有可ゆか以佐百姓ひゃくしょうしゃりつ远思,无有しょ隐。”

64 ぶんみかど纪:
ねんなつ行幸ぎょうこう雍棫阳宫。

65 ぶんみかど纪:
六月ろくがつだいおうさん薨。匈奴きょうど亲。诏曰:“ちんすんで不明ふめい不能ふのう远德,使つかいかた外之そとゆきこくある宁息。おっと四荒之外不安其生,ふう圻之内勤ないきん劳不处,しゃとがめみな于朕とくうす不能ふのう达远也。间者累年るいねん匈奴きょうど并暴边境,杀吏みん,边臣へい吏入不能ふのう谕其ないこころざし,以重われ不德ふとくおっとひさ结难连兵,なか外之そとゆきこくはたなに以自宁?こんちん夙兴よる寐,つとむ劳天,忧苦万民ばんみん,为之恻怛不安ふあんいちにち忘于しん使者ししゃかんむり盖相もち,结彻于道,以谕ちんこころざし于单于。こん单于反古ほごみち,计社稷しゃしょくやす便びん万民ばんみんしんあずかちん俱弃细过,偕之大道だいどう,结兄弟きょうだい义,以全天下でんか元元もともとこれみん亲以じょうはじめ今年ことし。”

66 ぶんみかど纪:
さんねんはるがつ行幸ぎょうこうだい

67 ぶんみかど纪:
よんねんなつよんがつへいとらみそにちゆう蚀之。五月ごがつ,赦天免官めんかん奴婢ぬひ为庶じん行幸ぎょうこう雍。

68 ぶんみかど纪:
ねんはる正月しょうがつ行幸ぎょうこう陇西。三月さんがつ行幸ぎょうこう雍。あきなながつ行幸ぎょうこうだい

69 ぶんみかど纪:
ろくねんふゆ匈奴きょうどさんまん骑入上郡かみごおりさんまん骑入うんちゅう。以中大夫たいふれいめん为车骑将军屯飞狐,すわえしょう苏意为将军屯ちゅうはた军张たけたむろ北地きたじ河内かわうち太守たいしゅしゅう亚夫为将军次细柳,そうただし刘礼为将军次霸上,しゅく兹侯じょ厉为はた军次とげ门,以备えびす

70 ぶんみかど纪:
なつよんがつ大旱たいかんいなごれい诸侯无入贡。たゆやま泽。减诸ふく。损郎吏员。发仓庾以振みんみんとく卖爵。

71 ぶんみかど纪:
ななねんなつろくがつおのれみかどくずし于未ひさし宫。遗诏曰:“ちん闻之,盖天万物ばんぶつもえせい,靡不ゆう死者ししゃ天地てんちもの自然しぜん,奚可甚哀!当今とうぎん,咸嘉せい而恶あつそう以破业,じゅうふく以伤せいわれ甚不。且朕すんで不德ふとく,无以百姓ひゃくしょういまくずれまた使つかいじゅうふくひさ临,以罹さむあつこれすうあいじん父子ふし,伤长ろうこころざし,损其饮食,绝鬼しん祭祀さいし,以重われ不德ふとく,谓天なにちん获保むね庙,以眇すがめたく于天君王くんのううえ十有馀年矣。赖天灵,社稷しゃしょくぶくぽうないやす宁,靡有兵革へいかくちんすんで不敏ふびんつねかしこ过行,以羞先帝せんてい遗德;おもんみねんひさ长,惧于终。こん乃幸以天ねんとく复供养于だか庙,ちん不明ふめいあずか嘉之よしゆき,其奚あいねんゆう!其令天下でんか吏民,れいいたさんにちみな释服。无禁妇嫁おんなほこらまつ饮酒食肉しょくにくとう给丧ごとふく临者,みな无践。侄带无过さんすん。无布车及兵器へいき。无发みん哭临宫殿ちゅう殿中でんちゅうとう临者,みな以旦ゆうかくじゅう举音,れい毕罢。旦夕たんせき临时,きん无得擅哭临。以下いかふくだいじゅうにちしょうじゅうよんにち,纤ななにち,释服。它不在ふざいれいちゅうしゃみな以此れい类从ごと布告ふこく天下でんか使つかい明知めいちちん。霸陵山川やまかわいん其故,无有しょあらため。归夫じん以下いかいたりしょう使つかい。”れい中尉ちゅうい亚夫为车骑将军,属国ぞっこく悍为しょうたむろはた军,ろうちゅうれい张武为复はた军,发近县卒まんろくせんにん,发内そつまんせんにん,臧郭穿ほじ复土ぞくはた军武。赐诸こうおう以下いか至孝しこう悌力きん钱帛かく有数ゆうすうおつそう霸陵。

72 ぶんみかど纪:
赞曰:孝文たかふみ皇帝こうてい即位そくいじゅうさんねん,宫室えん囿车骑服无所增益ぞうえきゆう不便ふべん,辄弛以利みん。尝欲さく露台ろだい,召匠计之,ちょくひゃくきんうえ曰:“ひゃくきんちゅうじんじゅういえ产也。われたてまつ先帝せんてい宫室,つねおそれ羞之,なに以台为!”ころも弋绨,しょさいわいまこと夫人ふじんころも曳地ひきちとばり帐无ぶん绣,以示あつしほお,为天さき霸陵,みなかわらとく以金银铜锡为饰,いん其山,おこり坟。南越なんごしじょう自立じりつ为帝,召贵佗兄弟きょうだい,以德怀之,佗遂しょうしんあずか匈奴きょうど结和亲,きさき而背约入ぬすめれい边备もり发兵深入ふかいりおそれ百姓ひゃくしょう。吴王诈病あさ,赐以几杖。群臣ぐんしん袁盎とう谏说虽切,つね假借かしゃく纳用焉。张武とう受赂きん钱,觉,さら赏赐,以愧其心。专务以德化とっかみん以海ないいんとみ,兴于れい义,だん狱数ひゃく,几致けい措。呜呼,ひとし哉!

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