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ねこぢる - Wikipedia

ねこぢる

日本にっぽん女性じょせい漫画まんが

ねこぢる本名ほんみょう橋口はしぐち 千代美ちよみ旧姓きゅうせい中山なかやま1967ねん1がつ19にち - 1998ねん5がつ10日とおか)は、日本にっぽん女性じょせい漫画まんがおっとおなじく漫画まんが山野やまのはじめ

ねこぢる
本名ほんみょう 橋口はしぐち 千代美ちよみ
生誕せいたん (1967-01-19) 1967ねん1がつ19にち
日本の旗 埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん鳩ヶ谷はとがやまち
鳩ヶ谷はとがやげん川口かわぐち
死没しぼつ (1998-05-10) 1998ねん5がつ10日とおか(31さいぼつ
日本の旗 東京とうきょう町田まちだ中町なかまちさん丁目ちょうめ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
職業しょくぎょう 漫画まんが
活動かつどう期間きかん 1990ねん-1998ねん
ジャンル ガロけい
代表だいひょうさくねこぢるうどん
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1990ねん月刊げっかん漫画まんがガロ6がつごう掲載けいさいの『ねこぢるうどん』でデビュー。当初とうしょのペンネームは「ねこぢるし」でのちに「ねこぢる」と改名かいめい可愛かわいさと残酷ざんこくさが同居どうきょする、ポップシュール作風さくふう人気にんきはくす。しかし1998ねん5がつ10日とおか東京とうきょう町田まちだ自宅じたくにて縊死いし自殺じさつ)により死去しきょした。31さいぼつ

概要がいよう 編集へんしゅう

ねこぢるは貧困ひんこん差別さべつ電波でんぱ畸形障害しょうがいしゃなどを題材だいざいにしたはん社会しゃかいてき作風さくふう得意とくいとする鬼畜きちくけい漫画まんが山野さんやつまであった女性じょせいペンネームであり、ねこぢると山野さんや二人ふたりから漫画まんが制作せいさくユニットの共有きょうゆう筆名ひつめいでもあった。

それまで、エキセントリックなたん編集へんしゅうゆめしまいましょう』『貧困ひんこん魔境まきょうでんヒヤパカ』『混沌こんとん大陸たいりくパンゲア』や長編ちょうへんかいさくよん丁目ちょうめ夕日ゆうひ』『どぶさらい劇場げきじょう』の作者さくしゃとしてカルトてき人気にんきていた特殊とくしゅ漫画まんが山野さんやはあるつまえがいた落書らくがに「尋常じんじょうではないなにか」をかんじとり、その落書らくがきをもとにつまと『ねこぢるうどん』という短編たんぺん共同きょうどう制作せいさくする。この漫画まんが山野さんやあお林堂はやしどうの『ガロ』にんだことでねこぢるはることになった。

ねこぢるの活動かつどう期間きかんは1990ねんから1998ねんまでのわずか8年間ねんかんであったが、その特異とくい作風さくふうは「ガロけい」のわくおおきくえて当時とうじアイドルからバックパッカーまで幅広はばひろ支持しじあつめた。没後ぼつごテレビアニメOVAなどのメディアミックスおこなわれており、現在げんざいいたるまでファンをやしつづけている。

ねこぢる名義めいぎ発表はっぴょう作品さくひんはすべて山野さんやとねこぢるのともさくであるが、作品さくひんごとの役割やくわり分担ぶんたんははっきりしていない。

経歴けいれき 編集へんしゅう

編集へんしゅう

埼玉さいたまけん北足立きたあだちぐん鳩ヶ谷はとがやまち生後せいごすぐにとうまち市制しせい施行しこう[注釈ちゅうしゃく 1]鳩ヶ谷はとがやげん川口かわぐち出身しゅっしん不動産ふどうさんぎょういとな裕福ゆうふく家庭かていまれ、鳩ヶ谷はとがやひがし鳩ヶ谷はとがや団地だんち近所きんじょそだ[1]最初さいしょおぼえた言葉ことばは「ばか」でだれたいしても「ばか」とっていたという[2]

学歴がくれきしょうだが吉永よしなが嘉明よしあき証言しょうげんによれば地元じもと美容びよう専門せんもん学校がっこうかよっており、学生がくせい時代じだい佐藤さとうかおる1980年代ねんだい伝説でんせつてきニュー・ウェイヴバンドEP-4」「TACO」で活躍かつやくしていたミュージシャン)のっかけをしていたという[3]

また当時とうじ購読こうどくしていたあお林堂はやしどう発行はっこう漫画まんが雑誌ざっしガロ』をとおして根本ねもとたかし丸尾まるお末広すえひろ花輪はなわ和一かずいち諸星もろぼし大二郎だいじろうなどの作家さっか傾倒けいとう[2][4]とく山野やまのはじめ作品さくひんしゅうゆめしまいましょう』(あお林堂はやしどう)に感銘かんめいける。

ねこぢるは知人ちじん知人ちじんとおして山野やまの接触せっしょく[2]しかけ女房にょうぼうのようなかたちで18さいとき山野さんや結婚けっこんする[3]結婚けっこん山野さんやのセミアシスタントとしてベタなどの単純たんじゅん作業さぎょう手伝てつだうが、漫画まんがになるつもりはまったくなかったという[5]

漫画まんがデビュー 編集へんしゅう

ある、ねこぢるがひまてあまして画用紙がようしに「奇妙きみょうなタコのようなネコの」をえがいてあそんでいたところ、彼女かのじょ山野やまのが「言語げんご不可能ふかのうなあるしゅ違和感いわかんかもしれないけど、大人おとな解釈かいしゃくされたものではない生々なまなましい幼児ようじせいというか、かわいさと気持きもわるさと残虐ざんぎゃくせいじった奇妙きみょう魅力みりょく[6]かんじ、そのをモチーフにした原作げんさく山野さんやつくり、ねこぢるがえがいて一本いっぽん漫画まんが創作そうさくする。なお、夫妻ふさいとも漫画まんがとしての訓練くんれん一切いっさいけておらず、かんしては完全かんぜん独学どくがくであるという[6]

この原稿げんこう山野さんやあお林堂はやしどうんだところ[4]、ガロ編集へんしゅう高市たかいち真紀まき山田やまだ花子はなこ実妹じつまい、のちに担当たんとう編集へんしゅうしゃ)や白取しらとり千夏ちなつゆう(のちに『ガロ』ふく編集へんしゅうちょう)から好評こうひょうて『月刊げっかん漫画まんがガロ』1990ねん6がつごうより『ねこぢるうどん』の連載れんさい開始かいしする[4][7]。この連作れんさくもとにもなったデビューさくは、子猫こねこがうどん去勢きょせいされてぬというだけの内容ないようである。

このデビューさくからおっと山野さんやは「さく山野さんやいち かく・ねこぢるし」[注釈ちゅうしゃく 2]共同きょうどう名義めいぎでクレジットされるようになり、唯一ゆいいつ無二むにの「共同きょうどう創作そうさくしゃ」としての役割やくわりつとめることになった。二人ふたりには「きわめて微妙びみょう」な役割やくわり分担ぶんたんがあり、ねこぢるの発想はっそうやメモをもとに山野さんやがストーリーをネームにしてこし「める漫画まんが」にまでさい構成こうせいする役割やくわりなどをになった(山野さんやはこの作業さぎょうを「通訳つうやく」とべている)。これらの連作れんさくは、ねこぢる自身じしんゆめなか体験たいけんもとにした支離滅裂しりめつれつ不条理ふじょうり展開てんかいやドラッグ中毒ちゅうどくのようにサイケデリック描写びょうしゃ特徴とくちょうてきである。

1992ねんには『ガロ』6がつごう特集とくしゅうまれ、知久ともひさ寿ひさししょう岡崎おかざき京子きょうこ根本ねもとたかしぎゃくはしらいみりスージーあまきん松尾まつおスズキ土橋どばしとし井坂いさか洋子ようこ内田うちだ春菊しゅんぎく黒川くろかわはじめらが批評ひひょうぶん寄稿きこうした。

1995ねん2がつ3がつインドバラナシ山野さんやいち放浪ほうろうし、場末ばすえのレストランにあったテレビで地下鉄ちかてつサリン事件じけんる。このインド体験たいけんは『ぢるぢる旅行りょこう インドへん』として漫画まんがされており、自殺じさつする直前ちょくぜんの1998ねん2がつぶんかしゃから単行本たんこうぼん出版しゅっぱんされている[注釈ちゅうしゃく 3]。なお、おっと山野さんや事件じけん発覚はっかくするすうねんまえカルト新興しんこう宗教しゅうきょう団体だんたい栄枯盛衰えいこせいすいえがいた『どぶさらい劇場げきじょう』という鬼畜きちく漫画まんが連載れんさいしていたほか、夫妻ふさいともにヒンドゥーきょうたいする造詣ぞうけいふかく、シヴァ信奉しんぽうするオウム真理教おうむしんりきょうこした一連いちれん事件じけん夫妻ふさい強烈きょうれつ印象いんしょうのこすことになった。

ブーム到来とうらい 編集へんしゅう

1990年代ねんだい後半こうはんになると、当時とうじ流行りゅうこうしていたあく趣味しゅみブームながれで「ねこぢるブーム」がこる。以後いご、『ガロ』『ヤングサンデー』『コミックビンゴ!』『ビッグコミックスピリッツ』『ヤングアニマル』『テレビブロス』『SPA!』『あぶない1ごう』『小説しょうせつすばる』まで漫画まんが雑誌ざっしわくえてすうおおくの媒体ばいたい多岐たきわた作品さくひん発表はっぴょう東京電力とうきょうでんりょく宣伝せんでんキャラクターまで仕事しごとはば非常ひじょう幅広はばひろかった[注釈ちゅうしゃく 4]。またポップな絵柄えがらとシュールな作風さくふうのギャップからねこぢるの作品さくひんは『ガロ』以外いがい一般いっぱん読者どくしゃにも注目ちゅうもくされるようになり、若年じゃくねんそう女子じょし中高生ちゅうこうせい支持しじあつめたとされている。

山野さんやとねこぢるは仕事しごとならなんでもける方針ほうしんだったため[8]、ブームによってえた仕事しごと依頼いらいことわることができず、作品さくひん量産りょうさん表現ひょうげん自主じしゅ規制きせいにんいられた。ねこぢるは次第しだい精神せいしん不安定ふあんていになり、自殺じさつ未遂みすいかえすなど奇行きこう目立めだつようになる[9]なんも「べつこわくない」と周囲しゅうい[10]編集へんしゅうしゃにも「のうとおもったことありますか?」とたずねたこともあったという[11]

晩年ばんねん 編集へんしゅう

1998ねん4がつ原稿げんこう依頼いらいをした女性じょせい編集へんしゅうしゃ電話でんわで2あいだにわたり「自分じぶんはもうきなものしかえがきたくない。おかねになるとかじゃなくえがきたいものだけをえがいていきたい」[12]仕事しごと依頼いらい殺到さっとうして自分じぶん方向ほうこうせい資質ししつちがうことばかりやらされていて本当ほんとうにつらい。いきなり仕事しごとりょうえて体力たいりょく消耗しょうもうしきっているので、もうこれ以上いじょうなにかんがえられないし、なにもできない」[13]現状げんじょう不満ふまんける。よく5月5にちには白泉社はくせんしゃ担当たんとう編集へんしゅうしゃに「漫画まんがえがくのはつかれた。もう漫画まんがをやめて旦那だんな一緒いっしょ発展はってん途上とじょうこくってらしたい」と電話でんわこうらしていた[11]

1998ねん5がつ10にち午後ごご318ふん町田まちだ自宅じたくマンションのトイレにてドアノブにけたタオルでくびった状態じょうたいになっているのをおっと山野さんやによって発見はっけんされた[14]。31さいぼつ遺体いたい発見はっけんおくれて死後しご硬直こうちょくはじまっていたという[9]

1998ねん5がつ10にち以降いこう 編集へんしゅう

その山野さんやは「ねこぢるy」のペンネームで、ねこぢるワールドをいで創作そうさくつづけている。ねこぢるの死後しご制作せいさくされたOVAねこぢるくさ』は、『ねこぢるうどん』のかくへんのシチュエーションをモチーフにした幻想げんそうてき作品さくひん仕上しあがっている。

人物じんぶつ 編集へんしゅう

ねこぢる自身じしん素顔すがお詳細しょうさいなプロフィールをほとんど公表こうひょうしておらず、『ガロ』1992ねん6がつごう特集とくしゅう掲載けいさいされたねこぢるの写真しゃしんのみが一般いっぱん素顔すがおせた唯一ゆいいつれいである[注釈ちゅうしゃく 5]

容姿ようし性格せいかく 編集へんしゅう

ねこぢるのおっと山野さんやはねこぢるの人物じんぶつぞうについて、「身長しんちょう153センチ、体重たいじゅう37キロ、童顔どうがん…。18のとき出会であってからずっと、彼女かのじょはその姿すがたもメンタリティーも、ほとんどわることはありませんでした。それは彼女かのじょひと共通きょうつうしてっていた感想かんそうで、わたしもそれが不思議ふしぎであると同時どうじに、不安ふあんでもあったのですが…」「生前せいぜん彼女かのじょは、かなりエキセントリックな個性こせいぬしでした。つよ半面はんめんきわめてナイーブで、わたしほかにはごくかぎられた“波長はちょう”の友人ゆうじんにしかしんひらくことはありませんでした。“波長はちょう”のわないひとうことは、彼女かのじょにとって苦痛くつうで、それが極端きょくたん場合ばあいには精神せいしんてきにも肉体にくたいてきにも、かなりダメージをけていたようです。彼女かのじょほどでないにしろ、わたしにもおなじような傾向けいこうがあり、二人ふたりともノーマルな社会しゃかいじんとしてはまった適格てきかくでした」と寄稿きこうした追悼ついとうぶんなかべている[15]

きらいなものはきら 編集へんしゅう

ねこぢると交友こうゆうのあった『あぶない1ごう編集へんしゅうしゃ吉永よしなが嘉明よしあきによると、ねこぢるは基本きほんてきほとんどの人間にんげん対象たいしょうにまるで関心かんしんがなく、それらにたいする口癖くちぐせも「つまんない」「きらい」「相性あいしょうわるい」「興味きょうみがない」「関心かんしんがない」「波長はちょうわない」などうそがつけない体質たいしつだけにきわめてストレートなものだったという[16]。“特殊とくしゅ漫画まんが”の根本ねもとたかしもねこぢるの性格せいかくについて、「他人たにん正体しょうたいもの本質ほんしつをパッと見抜みぬけてしまうひと。またそれを素直すなおくちにしてしまう正直しょうじきしゃ」とひょうしている[17]

一方いっぽうで、興味きょうみのある対象たいしょうには非常ひじょう積極せっきょくてきであり、とくに“波長はちょう”の人物じんぶつには熱狂ねっきょうてき好意こういいた。また好意こういいた人物じんぶつには「っかけ」ともえる行動こうどうることもあり、おっと山野さんやいち結婚けっこんした経緯けいいも、ねこぢるが山野さんやむアパートにまでけて、そのままがりんでしまったからだという[3]吉永よしながいわく山野さんやはねこぢるの「おかあさん」のような存在そんざいでもあり[18]、ねこぢるの自殺じさつについても「あそこまできたのも山野やまのさんがいたからだともおもう」とかたっている[19]

山野さんやとねこぢるの関係かんけいせいについて1998ねん当時とうじ『ガロ』の編集へんしゅうちょうつとめていた長戸ながと雅之まさゆきも「なかく、波長はちょうっている二人ふたり」「おたがいにしんゆるせるパートナーとおもいました」とかたっており、あめ喫茶店きっさてんわせしたときも、夫妻ふさい相合あいがさをしてやってきて、かえりもひとつのかさ一緒いっしょかえってったと回想かいそうしている[20]

てき性格せいかく 編集へんしゅう

吉永よしなが証言しょうげんによれば、ねこぢるはうつびょう精神せいしん通院つういんしており、出会であったころにはすでてき性格せいかく完全かんぜん確立かくりつしていたという[10]吉永よしながはねこぢるの閉について、「精神せいしんてき孤立こりつして自分じぶん内面ないめんにこもる傾向けいこうはぐくまれたのかもしれない」と推察すいさつしている[10]

また『月刊げっかん漫画まんがガロ』の担当たんとう編集へんしゅうしゃであったあお林堂はやしどうげん :あおりん工藝こうげいしゃ)の高市たかいち真紀まき証言しょうげんでも、ねこぢるはほとん外出がいしゅつせず、喫茶店きっさてんきらいでお世辞せじ社交しゃこう辞令じれいにも敏感びんかん反応はんのうしてしまい、世間せけんとのいは苦手にがてだったという[21]。その一方いっぽう高市たかいちあね漫画まんが山田やまだ花子はなこが1992ねん投身とうしん自殺じさつしたときには、高市たかいち山田やまだ後追あとおをするのでないかと心配しんぱいして「なんでも相談そうだんするんだよ」と親身しんみはなしいてくれたとべている[20][21]。なお、「しん見抜みぬかれそう」と緊張きんちょうしていた高市たかいちたいして「大丈夫だいじょうぶ緊張きんちょうしないで」とこえをかけるいちめんもあったという[21]

とぼしい食欲しょくよく 編集へんしゅう

ねこぢるには食欲しょくよく存在そんざいしなかったようで、ねこぢるについて吉永よしながが「最期さいごのほうはきる欲望よくぼううすれていった」ともべている[22]。またにくさかなかんしても「あじがするから」とまったべず[11]友人ゆうじんたつみ早紀さきもとペヨトル工房こうぼう編集へんしゅうしゃ吉永よしなが嘉明よしあきつま2003ねん縊死いし)がすすめたアボカドいちくちべていきおいよくしたという[22]

これにかんして生前せいぜん、ねこぢるは「トンカツってぶた死体したいだよね」という感想かんそうおっと山野さんやべており[11]漫画まんがなかでもぶた下等かとう生物せいぶつとしてののしられころされべられる家畜かちく程度ていど存在そんざいにしかえがかれていない[23]

つよ責任せきにんかん 編集へんしゅう

ねこぢるの死後しご、『COMIC GON!』(大洋図書たいようとしょミリオン出版しゅっぱん)3ごうで「よみがえるねこぢるワールド」という特集とくしゅうまれ、ねこぢるに接触せっしょくした17にん編集へんしゅうしゃのインタビューが掲載けいさいされた[1]。このなかで『テレビブロス』編集へんしゅうしゃしょう田倉たくらさとしも、ねこぢるが自殺じさつする直前ちょくぜん過労かろう入院にゅういんしていたことをかしている[1]

ねこぢるについて担当たんとう編集へんしゅうしゃらは、「原稿げんこうりをキッチリとまもひとだった。つきすうじゅうほん原稿げんこうかかえながら、りをまもるのは至難しなんわざ、それをやりげたねこぢるはムチャクチャ責任せきにんかんのあるひと」「自分じぶん漫画まんがんでいる有名人ゆうめいじんをそれとなくチェックしておび推薦すいせんぶん人選じんせんかんがえたり、10代の自分じぶんほんをおこづかいでえるように、価格かかくげるように交渉こうしょうしたり、単行本たんこうぼんつく過程かていでいろいろ知恵ちえしぼっていた」と証言しょうげんしている[1]。この特集とくしゅう企画きかくした編集へんしゅうしゃはこれらの証言しょうげんまえて「『自分じぶん人気にんき一時いちじてきなもので、すぐれなくなる』と、自分じぶん人気にんきあまんじない冷静れいせいさがあったので、彼女かのじょ仕事しごとこばまず、なおさら人気にんき漫画まんがとなったのでは」と推察すいさつしていた[1]

不規則ふきそく生活せいかつ 編集へんしゅう

ねこぢるは、れっになるまえから3日間にちかんつづけ、そのまる1にちるという体内たいない時計とけいサーカディアン・リズム)にさからった不規則ふきそく生活せいかつおくっていた[3]。その様子ようす自殺じさつにちまええがいた遺稿いこう『ガラスまど』でもることが出来でき[24]

作風さくふう 編集へんしゅう

  • ねこぢる作品さくひんおおくは、子供こども特有とくゆう残酷ざんこくさをった無邪気むじゃき子猫こねこあねおとうと「にゃーこ」と「にゃっふとし」を主人公しゅじんこうとするいち完結かんけつがた不条理ふじょうり漫画まんがである(自身じしん主人公しゅじんこうとした『ぢるぢる旅行りょこう』や『ぢるぢる日記にっき』などのエッセイ漫画まんがでも、作者さくしゃのねこぢるがねこ姿すがたえがかれている)。唯一ゆいいつ例外れいがいとして、短編たんぺん『つなみ』はヒトが主人公しゅじんこうである。
  • ねこの「にゃーこ」と「にゃっふとし」を主人公しゅじんこうとした連作れんさくねこぢるうどん』(・ねこぢる/さく山野やまのはじめ)は評価ひょうかたかい。にゃーことにゃっふとし子供こどもであり、主婦しゅふははと、工場こうじょう勤務きんむアルコール使用しよう障害しょうがいちちつ。にゃーこはしゃべれるが、にゃっふとしねこごえでしかしゃべれないという設定せっていである。しかし、唯一ゆいいつ例外れいがいとしてはつ登場とうじょうかいである『かぶとむしのまき』では、にゃっふとし普通ふつうしゃべ姿すがたられる[注釈ちゅうしゃく 6]
  • おっと原作げんさくしゃ山野さんやはエッセイである『インドぢる』において、このキャラクターの出生しゅっしょうについて言及げんきゅうしている。それによると、ねこぢるがひまてあまして画用紙がようし落書らくがきをしていたときに、えがいていたイラストが「にゃーこ」と「にゃっふとし」の原型げんけいになっているとのこと[25]。また山野さんやアルカイックスマイルにもつうじるねこぢるの独特どくとく絵柄えがらについて「初期しょき蛭子えびす能収よしかずさんの、なにかんがえないでえが人間にんげんかおなんかも、とう蛭子えびすさんが無自覚むじかく狂気きょうきみたいなものまで、ものつたえたりするのとたようなもの」をかんじていたとべている[6]
  • 作品さくひんちゅうにはねこほかにも動物どうぶつ姿すがたをしたキャラクターがおお登場とうじょうするがはなし舞台ぶたい人間にんげん世界せかいであることがおおく、現実げんじつ社会しゃかいにおけるタブーや底辺ていへん社会しゃかい描写びょうしゃしたブラックな作品さくひんおおい。また作品さくひんちゅうにはマジックマッシュルームLSDといった違法いほう薬物やくぶつもたびたび登場とうじょうする。
  • 山野さんやによれば、漫画まんがにどうしても反映はんえいせざるをないひとぶつ目撃もくげきする機会きかいおおく、傍観ぼうかんするような視界しかいなかにそういうひとがよく登場とうじょうするとインタビューでこたえている[26][27][28]。また奇妙きみょう人物じんぶつとの遭遇そうぐう体験たいけんは『ねこぢるうどん』などの創作そうさく漫画まんがにもつよ反映はんえいされている[2]
  • 山野さんやいわく、ねこぢるには「へんひと遭遇そうぐうする不思議ふしぎちから」があり、人混ひとごみであきらかにあやしいおとことおくからちょくぐねこぢるにかってあるいてきて「おれ、あたまばかなんだ」とってねこぢるのうでつかみかかったというエピソードも存在そんざいする[29]
  • ねこぢるうどん3』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)に収録しゅうろくされた「ゆめのメモ」からもわかるようにねこぢる自身じしんゆめなか体験たいけんもとにした奇想天外きそうてんがい内容ないよう作品さくひん多数たすう存在そんざいする。一方いっぽうでねこぢるはエッセイ作品さくひんにおいても「路上ろじょうでうんこをしているひと[30]深夜しんや目覚めざめるとらないおばさんがわらって見下みおろしていた[31]ぎゃくL字形じけいをした物体ぶったいひかりながら移動いどうしていた[32]といった不可思議ふかしぎ体験たいけん数多かずおおえがのこしており、生前せいぜんのインタビューでも「そういえばゆめそとてきちゃったときがありました。夜中よなかいぬにかまれてはらったら、いぬ布団ふとんうえにいて、すぐにあわのようにえていっちゃった」とべたことがある[29]。これにかんして吉永よしなが嘉明よしあきは「彼女かのじょゆめ現実げんじつがあやふやにじりったような、分裂ぶんれつてき思考しこう回路かいろっていた。たぶん本人ほんにんにはえているのだろう」とかたっている[33][34]

漫画まんが単行たんこうほん 編集へんしゅう

山野やまのはじめ(ねこぢるy)による『おばけアパート前編ぜんぺん』(アトリエサード以外いがい単行本たんこうぼん現在げんざいすべて絶版ぜっぱんである(ただし没後ぼつご20ねん2018ねん10月にぜん作品さくひん収録しゅうろくした『ねこぢる大全たいぜん上下じょうげまき電子でんし書籍しょせきかたちKindleiBooksKoboにて復刊ふっかんされた)。また一部いちぶ作品さくひん海外かいがい翻訳ほんやく出版しゅっぱんされている。

「ねこぢる」名義めいぎ 編集へんしゅう

  • ねこぢるうどんあお林堂はやしどう 1992~1995 ぜん2かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1998~1999 ぜん3かん
  • ねこぢるだんご (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1997/ソノラマコミック文庫ぶんこ 2002)
  • ねこぢる食堂しょくどう白泉社はくせんしゃ 1997/白泉社はくせんしゃ文庫ぶんこ 2001)
  • ねこかみさまぜん2かん 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1997~1998/ぜん1かん 文春ぶんしゅん文庫ぶんこPLUS 2001)
  • ねこぢるまんじゅう (文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1998/文春ぶんしゅん文庫ぶんこPLUS 2001)
  • ねこぢるせんべい (集英社しゅうえいしゃ 1998/集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 2002)
  • ぢるぢる日記にっき二見ふたみ書房しょぼう 1998/二見ふたみ書房しょぼう 2000 文庫ぶんこ
  • ぢるぢる旅行りょこう・インドへん (ぶんかしゃ 1998/Kindle 2017)
  • ぢるぢる旅行りょこう総集編そうしゅうへんあお林堂はやしどう 2001)
  • ねこぢる大全たいぜん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2008/Kindle 2018)上下じょうげまき

「ねこぢるy」名義めいぎ 編集へんしゅう

  • ねこぢるyうどんあお林堂はやしどう 2000-2002)ぜん3かん
  • インドぢる (文春ぶんしゅんネスコ 2003)
  • おばけアパート前編ぜんぺん (アトリエサード/しょえんしんしゃ 2013)

アニメーション 編集へんしゅう

ねこぢるの漫画まんがは、テレビ朝日てれびあさひけい深夜しんや番組ばんぐみ爆笑ばくしょう問題もんだいのボスキャラおう』の1コーナーとして1998ねん短編たんぺんアニメされのちに『ねこぢる劇場げきじょう』というタイトルのビデオとDVDが発売はつばいされた。

2001ねんにはOVAねこぢるくさ』(監督かんとく佐藤さとう竜雄たつお)が製作せいさくされている。これは『ねこぢる劇場げきじょう』の続編ぞくへんではなくまった無関係むかんけい作品さくひんである。脚本きゃくほんコンテ・演出えんしゅつ作画さくが監督かんとくの4やく湯浅ゆあさ政明まさあきむかえ、ねこぢる本来ほんらい画風がふうかしつつ、湯浅ゆあさ独自どくじ世界せかいかん融合ゆうごうさせた幻想げんそうてき映像えいぞうになっている。同年どうねん文化庁ぶんかちょうメディア芸術げいじゅつさいアニメーション部門ぶもんでは優秀ゆうしゅうしょう受賞じゅしょうした[35]。また『ねこぢるくさ』のタイトルでサウンドトラック発売はつばいされている。

山野さんやいちとの創作そうさくじょう関係かんけい 編集へんしゅう

夫妻ふさい面識めんしきがあった評論ひょうろん黒川くろかわはじめが『ガロ』に寄稿きこうしたコラムのなかで「山野やまのはじめは、ねこぢるのストーリーづく補助ほじょ、ペン下働したばたらき、スクリーントーンがかり、および渉外しょうがい担当たんとうのようなちをしてきたらしい。つまり、『ねこぢる』というのは個人こじんめいというよりいちしゅ屋号やごうで、その『ねこぢる』の成分せいぶんには10%か20%“山野さんやいち”が配合はいごうされているのだとかんがえられなくもない。わたし彼女かのじょのことを“ねこぢる”とぶたび、自分じぶんあたまのうしろのほうでは(……ただし、20%の山野やまの一成いっせいぶんきの)と、きのないささやきがこえる。ちょっとイライラする。いったい、彼女かのじょだれなのだろう」とべており、二人ふたりの「きわめて微妙びみょう」な関係かんけいせい困惑こんわくしていたという[36]。また“特殊とくしゅ漫画まんが”の根本ねもとたかしも「ただのきょう作者さくしゃとか夫婦ふうふとか友人ゆうじんとかとはちがう、ジョン・レノンオノ・ヨーコ以上いじょうなにふかいものをかんじていた」とかたっている[4]

山野さんやいちとの相互そうご影響えいきょう 編集へんしゅう

山野さんやによると、ねこぢるの最初さいしょ漫画まんがは、ねこぢるがチラシのうら画用紙がようしなどにえがいていた「奇妙きみょうなタコのようなネコの」をモチーフとして、ねこぢるのゆめのメモをもとに山野さんやがストーリーをくことからはじまった[5]。そのため初期しょきのねこぢる作品さくひんである『ねこぢるうどん』では山野さんや原作げんさくしゃとしてクレジットされている。二人ふたりには「きわめて微妙びみょう」な役割やくわり分担ぶんたんがあり、外部がいぶ人間にんげんをアシスタントとしてれることが出来できなかったため、山野やまのがねこぢるの「唯一ゆいいつ共同きょうどう創作そうさくしゃ」であった[5]

山野さんや作品さくひんちゅうにも、ねこぢる作品さくひんから着想ちゃくそうされたもの多数たすう登場とうじょうする。1990年代ねんだい前半ぜんはん山野やまの作品さくひんである『カリ・ユガ』や『どぶさらい劇場げきじょう』にも、ねこぢる作品さくひんのキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっふとし」のえがかれている箇所かしょ存在そんざいする。二人ふたり作品さくひん共通きょうつうしてあらわれるものれいとして、「はぐれぶた」または「いちひきぶた」とかれた看板かんばんかざられている装飾そうしょくきの大型おおがたトラックなどがある[37]

ねこぢるのルポルタージュ漫画まんが作品さくひんぢるぢる旅行りょこう』(ぶんかしゃあお林堂はやしどう)では、ねこぢると「旦那だんな」のにんによるインドネパールでのたびえがかれている。また、ねこぢるが自身じしん私生活しせいかつ題材だいざいとした作品さくひん『ぢるぢる日記にっき』にも「鬼畜きちくけいマンガ」である「旦那だんな」が登場とうじょうしている[38]

なお、山野やまの作品さくひんにもねこぢるが部分ぶぶんてき関与かんよしており、山野やまの1980年代ねんだい後半こうはんに『漫画まんがスカット』(みのり書房しょぼう掲載けいさい年月日ねんがっぴ不明ふめい)に発表はっぴょうした短編たんぺん荒野あらののハリガネちゅう』では冒頭ぼうとうのクレジットに「CHARACTER DESINE C.NAKAYAMA」というねこぢるの本名ほんみょう記載きさいがある[注釈ちゅうしゃく 7]。また『ガロ1987ねん9月ごう掲載けいさい短編たんぺん在日ざいにち特殊とくしゅ小児しょうにでんきよしちゃん』には、ねこぢるの本名ほんみょうおなじ「チヨミ」という少女しょうじょ登場とうじょうしており、1990ねん山野さんやが『月刊げっかんHEN』というエロほん発表はっぴょうした短編たんぺんさるのあな』でも「チヨミ」に少女しょうじょ登場とうじょうしている。いずれの作品さくひん子供こどもてき狂気きょうき障害しょうがい虐待ぎゃくたいをメイン・テーマにしており、ねこぢる作品さくひん近接きんせつした世界せかいかんとなっている。

ねこぢるの死後しご山野やまの雑誌ざっし寄稿きこうした「追悼ついとうぶん」のなかで、1998ねん5月以前いぜん自身じしん活動かつどうについて「わたし以前いぜんは、だいぶ問題もんだいのある漫画まんがえがいていたものですが、“ったものち”ともうしましょうか…。うえにはうえがいるもので、ここすうねんはほとんどねこぢるのアシストに専念せんねんしておりました」とけている[5]。また彼女かのじょ創作そうさくてき感性かんせい可能かのうせいについて「ねこぢるは右脳うのうがたというか、完全かんぜん感性かんせいがまさったひとで、もし彼女かのじょ一人ひとり創作そうさくしていたら、もっとずっとブッんだトランシーな作品さくひんができていたことでしょう」と評価ひょうかしている[5]

その山野やまのはねこぢるの様式ようしきえがいた漫画まんが作品さくひんを「ねこぢるy」の名義めいぎぎ、ねこぢるの創作そうさく様式ようしき踏襲とうしゅうする一方いっぽうで、コンピュータによる作画さくが全般ぜんぱんてきれた[注釈ちゅうしゃく 8]

自殺じさつ 編集へんしゅう

ねこぢるは生前せいぜんより自殺じさつ未遂みすい経験けいけんがあり、自殺じさつすうねんまえかれた遺書いしょ存在そんざいする[注釈ちゅうしゃく 9][4][9]。その遺書いしょには「きていたことさえもわすれてほしい[4]はかはいらない[9]んだ動機どうきについては一切いっさいはなさないこと[9]しるされていたが、遺族いぞく意向いこうはかてられている。ただし墓石はかいしには名前なまえかれておらず、ブラフマン至高しこう存在そんざい宇宙うちゅう根本こんぽん原理げんり)を意味いみする梵字ぼんじがひとつってあるのみである[9][39]

おっと山野さんや自殺じさつ真相しんそうについて「故人こじん遺志いしにより、その動機どうき、いきさつについては一切いっさいつたえすることができません。一部いちぶマスコミで“ぼうミュージシャン後追あとお”との憶測おくそく報道ほうどうがなされましたが、そのような事実じじつはありません。ねこぢるはテクノゴア・トランス傾倒けいとうしており、お通夜つやながしたおとは、彼女かのじょが“天才てんさい”と敬愛けいあいしてまなかったAphex Twin(Richard D.James)の『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人ほんにんつよ希望きぼうにより、ひつぎおさめられたのは、彼女かのじょっていたAphex TwinのすべてのCDビデオでした」とコメントしている[40]。このぼうミュージシャンとは、この数日すうじつまえ他界たかいしたX JAPANのギタリストhideである。このことかんして山野やまのは「(hideのきょくかんして)彼女かのじょ多分たぶんいちびょういたことはない」とべている。

評価ひょうか分析ぶんせき 編集へんしゅう

  • 知久ともひさ寿ひさししょう - にゃーとにゃっふとし表情ひょうじょう微妙びみょうだ。ねこくちもとが「ωおめが」なのも手伝てつだってはいるが。そんな、キチガイのそれっていうかんじの表情ひょうじょうのまんま、のまわりでこる出来事できごとたいして、情緒じょうちょてきなところをすこんと欠落けつらくさせたみたいな単純たんじゅんでまっすぐな反応はんのうをするひき──あれっ?やっぱりキチガイみたいだなぁ。そうか。そうです、ぼくは『ねこぢるうどん』の、この淡々たんたんとしてキチガイなとこにかんじちゃうんですよ。でもあねおとうとなかいいよね[41]
  • 岡崎おかざき京子きょうこ - ゆかいにむじゃきに「ぶちゅう」とむしをふみしだいてゆく2ひきおさないねこあねおとうとはたら職工しょっこうくろこげのまるやきになってたん々とんでゆく、「ふーん」とみつめる2ひき。いやなかんじ。やだなぁ。でもわたしはこの「やだなぁ」というかんじは人間にんげんきてゆくうえでとても大切たいせつなものだとおもうしじつきです[42]
  • 唐沢からさわ俊一しゅんいち - 幼児ようじつ、プリミティブ残酷ざんこくせいをこれほど直観ちょっかんてきえがした作品さくひんはないだろう。ねこあねおとうと基本きほんてき無表情むひょうじょうなままの残酷ざんこく行為こういは、われわれが子供こどものころ、おやおこられてもしかられても、なぜかやめられなかった、しょう動物どうぶつ虐待ぎゃくたい記憶きおくをまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種いっしゅ痛快つうかい記憶きおくとしてよみがえらせている自分じぶんがついてハッとさせられるのである[43]
  • 速水はやみ由紀子ゆきこ - 1970年代ねんだい前後ぜんごなつかしいいえまちねこ家族かぞくメルヘン世界せかいを、突如とつじょ殺戮さつりく狂気きょうきがスパッと唐突とうとつさ。物置ものおき片隅かたすみファンタジー殺意さつい同居どうきょしていた、子供こどもころ記憶きおくがリアルによみがえってくる。グリム童話どうわ無垢むく残酷ざんこくさにもつうじるものだ[7]
  • ねこぢるy - そのはじめてたのは、彼女かのじょひまてあましてなぐっていた画用紙がようしだ。魅力みりょくたしかにあるのだが、その正体しょうたいがよくわからない。可愛かわいいようでこわい。単純たんじゅんなようでもありはかれなくもある。原始げんしじんケイブアート、あのなか記号きごうされたような動物どうぶつひと、あるいはろくすすきぼしハーケンクロイツといったシンボリックな図形ずけい。そういった要素ようそが、えがいた本人ほんにん無自覚むじかくなうちにそなわっているのではなかろうか[25]
  • 蛭子えびす能収よしかず - 最初さいしょはとにかく、ばっとばしててた。『ガロ』にってても、真面目まじめたことなかったんですよ。あれはただの可愛かわい漫画まんがとばかりおもっていたもんですから。るとこんな残酷ざんこくで。よくあれがれられたとおもいますよ。だから、不思議ふしぎでたまらない[11]
  • 柳下やぎした毅一郎きいちろう - ねこぢるがあれほどのポピュラリティーを獲得かくとくできた理由りゆうどくちた内容ないようと、アンバランスなまるっこい描線の可愛かわいらしい絵柄えがら。ミスマッチともえそうだが、あまったるい絵柄えがらどくをくるむ糖衣とういとなったおかげで、ほどからみをかせることになったのだ。これが山野さんやいちではそうはいかない。透明とうめいな、抽象ちゅうしょうたか生々なまなましさをいたからこそ、おんな子供こどもにもあいされるねこぢるケータイストラップがつくられたわけである[44]
  • 村崎むらさきひゃくろう - ねこぢる漫画まんが根底こんていにあるのはなにかに対立たいりつする“たん”の意識いしきなどではなく、倫理りんり道徳どうとく社会しゃかいせいともいうべき、あらゆるものから隔絶かくぜつ超然ちょうぜんとした精神せいしんである[44]
  • 青山あおやま正明まさあき - ねこぢるの創作そうさくする世界せかいでは、凡百ぼんぴゃく残酷ざんこく童話どうわにありがちな説教せっきょうめいた教訓きょうくんなどなく、つよ動物どうぶつよわ動物どうぶつにどんな暴力ぼうりょくるおうが、そのにくらおうがおかまいなしだ。ところが、その一方いっぽうで、主人公しゅじんこうたるねこ一家いっかは、奇妙きみょうなところは多々たたあるとはいえ、とりあえずなかむつまじい家族かぞくである。いつもをつないであるく、つよこわちち分別ふんべつあるはは。こうした家族かぞくのありかたは、いまにあっては、現実げんじつとは程遠ほどとおいファンタジーとえよう[45]
  • 吉永よしなが嘉明よしあき - ねこぢるは「おばさんになるぐらいならんだほうがいい」とよくはなしていた。ひょっとしたら、きることは、ぬよりもつらいのではないか?とかんがえたこともある。それでもきていくなかに、きっと、ささやかなよろこびがある。としることをおそれないでほしいし、のこされたひとのつらさもかんがえてほしい[46]
  • 根本ねもとたかし - 大抵たいてい自殺じさつ不幸ふこうなものだ。だが、例外れいがいもある。自殺じさつした当人とうにんるいまれなるキャラクターをち、そのひとらしいかた選択肢せんたくしのひとつとしてこともタマにはあるかとおもう。ねこぢるの場合ばあいがそうだ。死後しご、つくづく彼女かのじょは「大物おおもの」で、そして「本物ほんもの」だったと実感じっかんする。そのねこぢるが「このはもう、このあたりでいい」と決断けつだんしてこうなった以上いじょう、これはもうみとめるほかないのである。年々ねんねんあがる、漫画まんがとしての世間せけんてき人気にんきをよそに、本人ほんにんは「つなみ」のよう世界せかい浮遊ふゆうしていたのではないか。ぞくにいう“あの”なんてない。丹波たんば哲郎てつろうのいう“だい霊界れいかい”などあってたまるか。だが、“この以外いがいの“別世界べっせかい”は確実かくじつにあるとおもう。ねこぢるはいまそこにいる[47]ねこぢるy名義めいぎでのしょ作品さくひん制作せいさくする過程かてい山野やまのさんは別世界べっせかいにいる、ねこぢると交感こうかんし、精神せいしん安定あんていていたのではなかろうか。『ねこぢるうどん』がしん評価ひょうかけるのはまださきことだろう。何故なぜならこの作品さくひんはどこかへかうためのバルドっていうんですか、その途上とじょうにあるから。一体いったいどこへ辿たどくのか? それは─山野やまのさんののうないおこなわれる─山野やまのさんとねこぢるによる「のうないコックリさん」でコインがどの方向ほうこうへスーッとうごくのか、それによってまるだろうが、どちらが主導しゅどうけんにぎるか、それによって道筋みちすじちがってる。が、いずれにせよ辿たどさきはひとつだろう[48]
  • 山野やまのはじめ - なぜ読者どくしゃ方々かたがたは、ねこぢるの漫画まんが安堵あんどかんおぼえたのだろうか?…それは彼女かのじょ漫画まんががもつノスタルジックな雰囲気ふんいきのせいかもしれない…。しかしそれよりも、自分じぶんとの出会であい…とうのむかしわすれてきた“自分じぶん自身じしん”に再開さいかいした…そういうなつかしさなのではないだろうか? まだなん分別ふんべつもなく、本能ほんのうのままにきていたころ自分じぶん…。道徳どうとく良識りょうしきや、学校がっこう教育きょういくによる洗脳せんのうけるまえ自分じぶん…。社会しゃかいされる過程かていで、分化ぶんかなまま深層しんそう意識いしき奥底おくそこ幽閉ゆうへいされてしまった自分じぶん…。その無垢むくさのなかには当然とうぜん暴力ぼうりょくせい非合理ひごうりせい本能ほんのうてき差別さべつせいふくまれる…。人間にんげんのそういう性質せいしつが、この現代げんだい社会しゃかいにそぐわないことはよくほどける。どんな人間にんげんであれ、そのひとまれた社会しゃかい順応じゅんのうすることを強要きょうようされ、またそうしないときてはいけない。しかし問題もんだいなのは、なか都合つごうはどうであれ“元々もともと人間にんげんはそのような存在そんざいではない”ということだ。もってまれた資質ししつ一部いちぶを、ころさざるをえない個々ここ人間にんげんは、とても十全じゅうぜんとはいえないし、幸福こうふくともいえない…。ねこぢるの漫画まんがは、そういった問題もんだい潜在せんざいてきにかかえ、またそれを自覚じかくしていない若者わかものたちに、カタルシスあたえていたのだとおも[49]生前せいぜん彼女かのじょチベット密教みっきょう行者ぎょうじゃレベルまでトランスできる、るいいまれな才能さいのうっておりました。お葬式そうしきでおけいげていただいたおぼうさまにははなはだ失礼しつれいですが、すくなくともかれせんばいはステージがたかかったとおもわれるので大丈夫だいじょうぶ…。今頃いまごろ俗世ぞくせかいわたしのこともなにもかもわすれ、ブラフマン同一どういつしてることでしょう[5]

展示てんじ 編集へんしゅう

個展こてん 編集へんしゅう

  • 2010.10.5-10.9 「ねこぢるyの世界せかい2010」渋谷しぶやポスターハリスギャラリー
  • 2011.3.4-3.13 ねこぢるy個展こてん湾曲わんきょくした記憶きおく渋谷しぶやポスターハリスギャラリー
  • 2011.9.17-9.26 山野さんやいちとねこぢるy個展こてん失地しっちへの帰還きかん渋谷しぶやポスターハリスギャラリー
  • 2013.11.1-11.17 漫画まんが生活せいかつ30周年しゅうねん記念きねん「ねこぢるy(山野さんやいち新作しんさく漫画まんが原画げんが&絵画かいがてん2013」渋谷しぶやポスターハリスギャラリー
  • 2015.8.20-9.5 山野やまのはじめ/ねこぢるy個展こてん「そこいらの涅槃ねはん(ニルヴァーナ)」ぎんけいさろん&ギャラリー 東京とうきょう銀座ぎんざ
  • 2016.7.7-8.30 ねこぢる・ねこぢるy・山野さんやいち作品さくひんてん「ねこぢるのなつやすみ」不思議ふしぎ博物館はくぶつかん分室ぶんしつサナトリウム 福岡ふくおか天神てんじん
  • 2017.1.19-2.4 ねこぢる生誕せいたん50周年しゅうねん記念きねん「ねこぢる&ねこぢるyてん」ぎんけいさろん&ギャラリー 東京とうきょう銀座ぎんざ
  • 2018.3.23-4.7 ねこぢる・山野やまのはじめ・ねこぢるyてん2018「しあわせのき」ぎんけいさろん&ギャラリー 東京とうきょう銀座ぎんざ
  • 2018.7.5-8.28 ねこぢる・ねこぢるy・山野さんやいち作品さくひんてん「ねこぢるのくに不思議ふしぎ博物館はくぶつかん分室ぶんしつサナトリウム 福岡ふくおか天神てんじん

関連かんれん人物じんぶつ 編集へんしゅう

影響えいきょうけた人物じんぶつ 編集へんしゅう

山野やまのはじめ
鬼畜きちくけい漫画まんが。ねこぢるの共同きょうどう創作そうさくしゃとして原作げんさくネーム作画さくがアシスタント担当たんとう。また彼女かのじょマネージャーとして渉外しょうがい担当たんとう役回やくまわりもつとめていた。
佐藤さとうかおる
ねこぢるが1980年代ねんだいっかけをしていたミュージシャン[3]山崎やまざき春美はるみ伝説でんせつてきロックバンドTACO」の主要しゅようメンバー。京都きょうとニュー・ウェイヴテクノファンクバンドEP-4」のリーダー。
諸星もろぼし大二郎だいじろう
SF漫画まんが。ねこぢるはとくに『面目めんぼく』という作品さくひんだいのおりで、そのため、この作品さくひんだいファンであるというむねのファンレターを諸星もろぼしおくっている[11]
エイフェックス・ツイン
ねこぢるがもっと傾倒けいとうしていたミュージシャン。通夜つやながした音楽おんがくもエイフェックス・ツインの『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人ほんにんつよ希望きぼうによりひつぎおさめられたのは、彼女かのじょっていたエイフェックス・ツインのすべてのCDビデオだった。

家族かぞく親族しんぞく 編集へんしゅう

山野やまのはじめ
ねこぢるのおっと。ねこぢるのルポルタージュ漫画まんが作品さくひんぢるぢる旅行りょこう』では、ねこぢると「旦那だんな」のにんによるインドネパールでのたびえがかれている。また、ねこぢるが自身じしん私生活しせいかつ題材だいざいとした作品さくひん『ぢるぢる日記にっき』にも「鬼畜きちくけいマンガ」である「旦那だんな」が登場とうじょうしている[38]
ただれ彦
ねこぢるのおとうと山野さんや義弟ぎてい。「ただれ彦」は生前せいぜんのねこぢるが即興そっきょうけた綽名。山野さんや旅行りょこう『インドぢる』では、ただれ彦との二人ふたりたび様子ようすかれている。

友人ゆうじん 編集へんしゅう

根本ねもとたかし
特殊とくしゅ漫画まんが夫妻ふさいともに根本こんぽん尊敬そんけいしており[18]とくにねこぢるは根本こんぽん作品さくひんはつ単行本たんこうぼんはなひらく家族かぞく天国てんごく』(あお林堂はやしどう)から愛読あいどくしていたという[6]。また根本こんぽんもねこぢるの「本物ほんものせい」を彼女かのじょのデビューまえからかんじていたらしく、自殺じさつけて「本物ほんもの実感じっかん」とだいした追悼ついとうぶん雑誌ざっし寄稿きこうした[50]
吉永よしなが嘉明よしあき
鬼畜きちくけいムックあぶない1ごうふく編集へんしゅうちょう。ねこぢるとはデビュー当初とうしょからプライベートで交友こうゆうがあり、夫妻ふさいとも非常ひじょう親密しんみつ関係かんけいがあった[18]著書ちょしょに『自殺じさつされちゃったぼく』(飛鳥新社あすかしんしゃ幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこ)がある。
たつみ早紀さき
もとペヨトル工房こうぼう編集へんしゅうしゃ当時とうじ同僚どうりょう鬼畜きちくけいライター村崎むらさきひゃくろうがいる)。ねこぢるとはおっと吉永よしなが嘉明よしあきつうじて交友こうゆう関係かんけいっていた。2003ねん9月28にち首吊くびつ自殺じさつ

編集へんしゅうしゃ 編集へんしゅう

高市たかいち真紀まき
もとあお林堂はやしどうガロ担当たんとう編集へんしゅうしゃ[51]あね漫画まんが山田やまだ花子はなこげんあおりん工藝こうげいしゃアックス編集へんしゅうしゃ
白取しらとり千夏ちなつゆう
もとあお林堂はやしどう『ガロ』ふく編集へんしゅうちょう1998ねん新宿しんじゅくロフトプラスワンおこなわれた追悼ついとうトークライブ「ねこぢる追悼ついとうナイト」に参加さんかした。
加藤かとう宏子ひろこ
白泉社はくせんしゃ担当たんとう編集へんしゅうしゃ。『PUTAO』に連載れんさいされたエッセイ漫画まんが『ぢるぢる見聞けんぶんろく』に担当たんとうのKさんとして登場とうじょうする。
かお工房こうぼう
かつて青山あおやま正明まさあき編集へんしゅうプロダクション東京とうきょう公司こうし」に在籍ざいせきしていたえん鬼畜きちくけいムックあぶない1ごう』の編集へんしゅう手伝てつだう。ちなみに『ねこかみさまだい2かん収録しゅうろく4コマ漫画まんがではぼう出版しゅっぱんしゃのバイトくんとして登場とうじょうたしている[52][53][54]
蟹江かにえ幹彦みきひこ
げんあお林堂はやしどう社長しゃちょう山野さんやけられたあだは「泥棒どろぼう社長しゃちょう」)[55]1990年代ねんだいCD-ROM制作せいさく会社かいしゃ大和やまとどう経営けいえいしており、当時とうじあお林堂はやしどう社長しゃちょうであった山中やまなかじゅんよりねこぢるの版権はんけんゆずけ、ねこぢる作品さくひんCD-ROMはんやグッズの販売はんばいおこなっていた。ねこぢるの死後しごあお林堂はやしどう社長しゃちょうになり、故人こじん版権はんけんすう年間ねんかん管理かんりしていたが、山野やまのとは見解けんかい相違そういにより関係かんけい悪化あっか絶縁ぜつえん状態じょうたいとなった(そのOVAねこぢるくさ』の著作ちょさくけん使用しようりょうについて実際じっさい販売元はんばいもとから支払しはらわれていたにもかかわらず「印税いんぜい支払しはらいはない」という虚偽きょぎ報告ほうこくおこない、山野さんやいちせんたりとも支払しはらわなかったことが判明はんめいする)[55][56]。また2010年代ねんだい以降いこうサブカルチャー漫画まんが中心ちゅうしんだったあお林堂はやしどう政治せいじ思想しそう中心ちゅうしん極右きょくう出版しゅっぱんしゃ路線ろせん転換てんかんさせたこともあり[57]現在げんざいあお林堂はやしどうについて白取しらとり千夏ちなつゆう弟子でしである編集へんしゅうしゃ劇画げきが評論ひょうろん劇画げきがおおかみは「ガロのあお林堂はやしどうから社名しゃめいっただけのべつ会社かいしゃ」としている[58]

関連かんれん作品さくひん 編集へんしゅう

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • SPA!』1995ねん12月20にちごう 扶桑社ふそうしゃ
    • 鶴見つるみわたる道徳どうとく信仰しんこうはなし、この真実しんじつえがく“うらイソップ物語ものがたり”ねこぢる『ねこぢるうどん』」
  • あぶない1ごうだい2かん 1996ねん4がつ発行はっこう データハウス東京とうきょう公司こうし
    • 吉永よしなが嘉明よしあき貧乏人びんぼうにん悲惨ひさん生活せいかつえがかせたらみぎものなし! ロングインタビュー山野さんやいち
  • 週刊宝石しゅうかんほうせき』1997ねん12月18にちごう 光文社こうぶんしゃ
    • 村上むらかみ知彦ともひこ「こだわりのコミック ネコのあねおとうとかんがえた数々かずかずあそびは現代げんだいどもをうつしだすかがみである ねこぢる『ねこぢる食堂しょくどう白泉社はくせんしゃ
  • ブブカ』1998ねん1がつごう コアマガジン
    • かわいくってざんこくな本棚ほんだなのペットねこぢるのかた鬼畜きちくなねこちゃんのなにかがわかるほん特集とくしゅうねこぢるマンガの生態せいたい
  • GINZA』1998ねん1がつごう マガジンハウス
  • 週刊しゅうかん新潮しんちょう』1998ねん5がつ28にちごう 新潮社しんちょうしゃ p.39「ドアノブで首吊くびつ自殺じさつした人気にんき漫画まんが
  • 女性じょせい自身じしん』1998ねん6がつ2にちごう 光文社こうぶんしゃ p.47-48「いそがしいOLのワイドショー講座こうざ ねこぢるさん、hideとおな方法ほうほうなぞ自殺じさつ 熱狂ねっきょうてきファンにさよならもわず」
  • 週刊しゅうかん朝日あさひ』1998ねん6がつ5にちごう 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ p.28「ねこぢるだけではない漫画まんが自殺じさつ みなみカンコ、山田やまだ花子はなこ自殺じさつしたのは5がつだった」
  • 『SPA!』1998ねん6がつ10にちごう 扶桑社ふそうしゃ
    • 末広すえひろ泰志やすし自殺じさつしたマンガ自分じぶん現実げんじつつめるめた視線しせん
  • 週刊しゅうかんプレイボーイ』1998ねん8がつ25にちごう 集英社しゅうえいしゃ p.275-276「98上半期かみはんき事件じけん簿 なぜ、そんなにいそぐのか?世紀せいきまつニッポンに続出ぞくしゅつする『自殺じさつ』の裏側うらがわ…。hideの自殺じさつ女子高じょしこうせい少年しょうねん後追あとお自殺じさつ、ねこぢるの自殺じさつ
  • ガロ』2000ねん6がつごう あお林堂はやしどう
    • ねこぢるyインタビュー「特集とくしゅうねこぢる10周年しゅうねん
  • 『ガロ』2001ねん1がつごう あお林堂はやしどう
  • 『ガロ』2001ねん6がつごう あお林堂はやしどう
    • ねこぢるyインタビュー「特集とくしゅうねこぢるyてきアジアのたび
  • しんしお45』2004ねん4がつごう 新潮社しんちょうしゃ p.106-114
    • 吉永よしなが嘉明よしあき「わがともねこぢるのおも愛妻あいさい自殺じさつ 人気にんき漫画まんが自殺じさつから5ねん、わがつまみずかいのちをたった。痛恨つうこん手記しゅき
  • DVD BURST』2005ねん2がつごう コアマガジン p.34-37
  • 実話じつわGON!ナックルズ』2006ねん1がつごう ミリオン出版しゅっぱん p.46-47
    • 吉永よしなが嘉明よしあき親友しんゆうのねこぢる・仕事しごと仲間なかま青山あおやま正明まさあき・そして最愛さいあいつま自殺じさつされた かなしみの最中さいちゅうげた『自殺じさつされちゃったぼく』。『自殺じさつされちゃったぼく』のその
  • 実話じつわGON!ナックルズ』2006ねん5がつごう ミリオン出版しゅっぱん p.111
    • 対談たいだん吉永よしなが嘉明よしあき×山野やまのはじめ自殺じさつされちゃったぼくたち【Vol.3】ただしく失望しつぼうせよ!」
  • そう』2006ねん11がつごう 創出そうしゅつばん p.138-143
  • サイゾー』2012ねん12がつごう サイゾー p.42-43
    • 高橋たかはしダイスケ「タブーなマンガ マンガ業界ぎょうかいウラばなし『よいこの黙示録もくしろく』『たましいのアソコ』『ぢるぢる日記にっき』etc…マンガたちはなぜ自殺じさつしたのか?最期さいご作品さくひんかくされた“遺言ゆいごん”」 

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 鳩ヶ谷はとがや市制しせい施行しこうはねこぢるの生後せいごやく1ヶ月かげつはんの1967ねん3がつ1にち
  2. ^ ねこぢるはデビューから1年間ねんかんねこぢるし名義めいぎ活動かつどうしていたが、デビュー1ねんにあたる『月刊げっかん漫画まんがガロ』1991ねん6がつごう掲載けいさいの『ねこぢるうどん扉絵とびらえに「ねこぢるしあらため/・ねこぢる さく山野やまのはじめ」とあることから、これをにペンネームを正式せいしきあらためていたこと判明はんめいしている。またねこぢるは『文藝ぶんげい』1996ねん冬季とうきごうのインタビューで改名かいめい経緯けいいについて「最初さいしょ『ねこぢるし』だったんですけど、自分じぶんも『ねこぢる』『ねこぢる』とっているから、そのほうがおぼえやすいし、いやすいし、インパクトがのこるかなとおもって」とかたっている。また原作げんさく担当たんとう山野さんやいちも『文藝ぶんげい』2000ねん夏季かきごうのインタビューで「はじめは『ねこぢるし』という名前なまえでしたが『ねこぢる』のほうがいいと本人ほんにんがいいだしたのでそうしたとおもいます」と同様どうよう証言しょうげんをしている。
  3. ^ 「ネパールへん」はねこぢるの他界たかい未完みかんとなり、単行本たんこうぼんもされていなかったが、その2001ねんあお林堂はやしどうより刊行かんこうされた「総集編そうしゅうへん」に収録しゅうろくされた。
  4. ^ ねこぢるによる東京電力とうきょうでんりょく宣伝せんでんキャラクター「デンキくん」は1997ねん4がつ公開こうかいされたのちTVCMにも登場とうじょうしたが、よく98ねん5月にねこぢるの自殺じさつけてられた。デンキくんはTVCM放送ほうそうちゅうTEPCO銀座ぎんざかん展示てんじされ、ねこぢるの自殺じさつ撤去てっきょされることなく展示てんじされたが、TEPCO銀座ぎんざかん大幅おおはば改装かいそうリニューアル工事こうじのため2002ねん3月31にちをもって展示てんじ終了しゅうりょうとなった。
  5. ^ 本人ほんにん遺志いし[疑問ぎもんてん]顔写真かおじゃしん原則げんそく非公開ひこうかいとなっている。
  6. ^ なお、この作品さくひん現在げんざい、ねこぢるyの公式こうしきサイト「ねこぢるライス」にて閲覧えつらんすることができる。
  7. ^ ねこぢると親和しんわせいたかほんさく2016ねん作品さくひんてんねこぢるのなつやすみ」でも当時とうじ原画げんが展示てんじされている。
  8. ^ ねこぢるy(山野やまのはじめ)が2013ねん発表はっぴょうした漫画まんが単行たんこうほん『おばけアパート前編ぜんぺん』(アトリエサード)では従来じゅうらいのアナログ作画さくが採用さいようしている。
  9. ^ ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1998ねん)112-113ぺーじ「あとがき」によると、かれた遺書いしょは2ねんまえ(1996ねん)のものと山野やまのべている。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ a b c d e 大泉おおいずみ実成さねなり「ねこぢる曼荼羅まんだらさがして」『えたマンガ ダウナーけいまき太田出版おおたしゅっぱん 2000ねん初出しょしゅつ太田おおた出版しゅっぱんかんQuick Japan』Vol.32)
  2. ^ a b c d 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ文藝ぶんげい』2000ねん夏季かきごう ねこぢるyインタビュー「ねこぢる/ねこぢるy(山野さんやいち)さんにまつわる50の質問しつもん
  3. ^ a b c d e 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか私生活しせいかつ」より。
  4. ^ a b c d e f 根本ねもとたかし白取しらとり千夏ちなつゆうサエキけんぞう鶴岡つるおかほうとき「ねこぢる追悼ついとうナイト」『TALKING LOFT3せい』VOL.2 1999ねん11がつ ロフトブックス
  5. ^ a b c d e f 山野やまのはじめ特別とくべつ寄稿きこう追悼ついとうぶん」『まんがアロハ!増刊ぞうかん「ぢるぢる旅行りょこう総集編そうしゅうへん」7/19ごう』ぶんかしゃ 1998ねん7がつ19にち 166ぺーじ
  6. ^ a b c d ねこぢる『ねこぢる大全たいぜん 』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう対談たいだん 根本ねもとたかし特殊とくしゅ漫画まんが)×山野やまのはじめ漫画まんが)「いまもゆめなかにねこぢるがてくるんです」790-796ぺーじ
  7. ^ a b AERA』1996ねん4がつ22にちごう 73ぺーじ
  8. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか「ブーム到来とうらい」より。
  9. ^ a b c d e f 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなかがお」より。
  10. ^ a b c 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなかこわくない」より。
  11. ^ a b c d e f メディアDo「ねこぢるの」(関西かんさいテレビ 2001ねん3月26にち
  12. ^ 唐沢からさわ俊一しゅんいち『Bきゅうがくマンガへん』(うみつぶせしゃ
  13. ^ ねこぢる『ねこぢる大全たいぜん 』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう寄稿きこう唐沢からさわ俊一しゅんいち予言よげんしょ」369-370ぺーじ
  14. ^ 警視庁けいしちょう町田まちだしょによると、ねこぢるさんのおっと漫画まんが山野さんやいち(はじめ)さんが、今月こんげつ10にち午後ごご318ふん自宅じたくマンションのトイレでくびをつっているねこぢるさんを発見はっけんし、町田まちだ消防署しょうぼうしょに119ばん通報つうほう救急きゅうきゅう隊員たいいんけつけたときには、すで死亡しぼうしていた。ねこぢるさんはトイレのドアノブにタオルのようなものをけてくびをつっており、この午前ごぜんちゅうくなったとみられている。遺書いしょはなく、自殺じさつ理由りゆう不明ふめい」『東京とうきょう新聞しんぶん』1998ねん5がつ13にちづけ記事きじより。
  15. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記にっき』(二見ふたみ書房しょぼう 1998ねん)114-115ぺーじ
  16. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなかきらいなものはきらい」より。
  17. ^ あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1992ねん6がつごう「ほっかほっか家族かぞく天国てんごく」(根本ねもとたかし)より。
  18. ^ a b c 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか直観ちょっかんひらめき」より。
  19. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなかころすか、ぬか」より。
  20. ^ a b COMIC GON!だい3ごう「ねこぢる担当たんとうしゃかたる ぢるぢる編集へんしゅう後記こうき」(取材しゅざい構成こうせい小野おの澄恵すみえ)1998ねん11月 ミリオン出版しゅっぱん
  21. ^ a b c 速水はやみ由紀子ゆきこ新人しんじんるい世代せだい閉塞へいそく サブカルチャーのカリスマたちの自殺じさつ」『AERA』2001ねん11月19にちごう所収しょしゅう
  22. ^ a b 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか武装ぶそう願望がんぼう」より。
  23. ^ このような作品さくひんれいとして、『ねこぢるだんご』(1997ねん 朝日あさひソノラマ)に収録しゅうろくされている「かちく」などがある。
  24. ^ 「3にちきてたり30あいだてたり…なかのリズムとはだいぶズレてしまった…ガラスまどそとはまるで次元じげんのよーだ…出勤しゅっきん途中とちゅうのサラリーマン…あのひとにはどんなふううつってるのかなー…」ねこぢる『ねこかみさま』だい2かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう遺稿いこう「ガラスまど」133ぺーじ
  25. ^ a b ねこぢるy『インドぢる』(2003ねん 文春ぶんしゅんネスコ)156-158ぺーじ
  26. ^ あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1992ねん10がつごう特殊とくしゅ漫画まんが博覧はくらんかい」のなか特殊とくしゅ漫画まんが特殊とくしゅ才能さいのう」より。
  27. ^ あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1994ねん2がつごう混沌こんとん大陸たいりくパンゲア刊行かんこう記念きねん 山野さんやいちインタビュー」249ぺーじ
  28. ^ これにかんしてねこぢるも『月刊げっかん漫画まんがガロ』1992ねん6がつごうや『文藝ぶんげい』1996ねん冬季とうきごうのインタビューにて「へんひと」に遭遇そうぐうする機会きかいおおいことをべている。
  29. ^ a b 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ文藝ぶんげい』1996ねん冬季とうきごう ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまにおもったりして」
  30. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記にっき』(二見ふたみ書房しょぼう 1998ねん)67-69ぺーじ
  31. ^ ねこぢる『ねこぢる食堂しょくどう』(1997ねん 白泉社はくせんしゃ)「ぢるぢる恐怖きょうふ体験たいけん」72ぺーじ
  32. ^ ねこぢる『ぢるぢる日記にっき』(二見ふたみ書房しょぼう 1998ねん)51ぺーじ
  33. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか「コラボレーション」より。
  34. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか天然てんねんアシッド」より。
  35. ^ 歴代れきだい受賞じゅしょう作品さくひん だい5かい 2001ねん アニメーション部門ぶもん 受賞じゅしょう作品さくひん 優秀ゆうしゅうしょう - ねこぢるくさ”. 文化庁ぶんかちょうメディア芸術げいじゅつさい. 文化庁ぶんかちょう. 2016ねん7がつ30にち閲覧えつらん
  36. ^ 黒川くろかわはじめねこぢるってだれ?あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1995ねん10がつごう 103ぺーじ
  37. ^ 山野やまの作品さくひんでの「はぐれぶた」のれいは、山野やまのはじめヒヤパカ』(あお林堂はやしどう 1989ねん)56ぺーじ参照さんしょう。ねこぢる作品さくひんでの「はぐれぶた」のれいは、ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1998ねん)25ぺーじ参照さんしょう。ねこぢる作品さくひんでの「いちひきぶた」のれいは、ねこぢる『ねこぢるうどん3』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1999ねん)36-37ぺーじ参照さんしょう。ねこぢるy作品さくひんでの「はぐれぶた」のれいは、ねこぢるy『おばけアパート前編ぜんぺん』(アトリエサード 2013ねん)107ぺーじ参照さんしょう
  38. ^ a b ねこぢる『ぢるぢる日記にっき』(二見ふたみ書房しょぼう 1998ねん)75ぺーじ
  39. ^ 山野さんやいちのツイート 2024ねん5がつ11にち
  40. ^ 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうコミックビンゴ!』1998ねん7がつごう 195ぺーじ漫画まんが山野やまのはじめさんからの緊急きんきゅうメッセージ」
  41. ^ あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1992ねん6がつごう 31ぺーじ 知久ともひさ寿ひさししょう「ねこぢるうどんについて」
  42. ^ あお林堂はやしどう月刊げっかん漫画まんがガロ』1992ねん6がつごう 32ぺーじ 岡崎おかざき京子きょうこ「やだなぁ」
  43. ^ 青土おうづちしゃユリイカ』1995ねん4がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごうそう特集とくしゅうあく趣味しゅみ大全たいぜん
  44. ^ a b 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ文藝ぶんげい2000ねん夏季かきごう 特集とくしゅう「ねこぢる。」
  45. ^ ねこぢる『ねこぢるだんご』(朝日あさひソノラマ 1997ねん解説かいせつより。
  46. ^ 斎藤さいとう利江子りえこ (2005ねん2がつ4にち). “つらい、だからきる つまうしなった編集へんしゅうしゃ手記しゅき自殺じさつされちゃったぼく」”. 朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん: p. 21 
  47. ^ 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう『コミックビンゴ!』1998ねん7がつごう 210ぺーじ 根本ねもとたかし本物ほんもの」の実感じっかん
  48. ^ 根本ねもとたかし解説かいせつ「ねこぢるうどん」……それはマンガでたのしむ山野さんやの「バルド・トドゥル」となるのか?(ねこぢるy『ねこぢるyうどん①』あお林堂はやしどう 2000ねん
  49. ^ ねこぢる『ねこぢるせんべい』(集英社しゅうえいしゃ 1998ねん)136-137ぺーじおっと漫画まんが 山野さんやいち」による「あとがき」より。
  50. ^ 特殊とくしゅ漫画まんが根本ねもとたかし追悼ついとうコメント「本物ほんもの実感じっかん水道橋すいどうばし博士はかせ悪童あくどう日記にっき 1998ねん6がつ26にちづけ
  51. ^ 山野さんやいちのツイート 2017ねん1がつ29にち
  52. ^ 吉永よしなが嘉明よしあき自殺じさつされちゃったぼく』(幻冬舎げんとうしゃアウトロー文庫ぶんこだい2しょう「ねこぢるのおも」のなか修羅場しゅらば」より。
  53. ^ かお工房こうぼう証言しょうげんより。
  54. ^ ねこぢる『ねこかみさま』だい2かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)「ぢるぢる4コマ漫画まんが」100-102ぺーじ
  55. ^ a b 山野さんやいちのツイート 2019ねん2がつ26にち
  56. ^ 山野やまのはじめさん登場とうじょう!! はなしけました。 YouTube
  57. ^ はやしあきらふとし (2015ねん1がつ10日とおか). “むかし「ガロ」いま「ヘイトほん伝説でんせつ漫画まんが月刊げっかん 版元はんもと転向てんこう 社長しゃちょう経営けいえいじょう問題もんだい出版しゅっぱん関係かんけいしゃしてならない分野ぶんや」” (日本語にほんご). 東京とうきょう新聞しんぶん朝刊ちょうかん特報とくほう (中日新聞ちゅうにちしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ): p. 24 
  58. ^ おおかみ書房しょぼう公式こうしき劇画げきがおおかみのツイート 2017ねん2がつ8にち

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう