この行為 こうい 、またはそれによって書 か かれたものは、多 おお くの場合 ばあい において、第三者 だいさんしゃ にしてみれば意味 いみ が無 な く、財産 ざいさん の所有 しょゆう 者 しゃ にとって、損害 そんがい をもたらすものである。割 わ れ窓 まど 理論 りろん によって、更 さら に治安 ちあん の悪化 あっか を招 まね く[1] [3] 。
紙 かみ が貴重 きちょう であった時代 じだい くらい、古 ふる い時代 じだい に書 か かれた場合 ばあい でのみ、民俗 みんぞく 学 がく などに於 お いて当時 とうじ の風俗 ふうぞく 、文化 ぶんか を知 し る上 じょう で大 おお きな手掛 てが かりとなるケースもある。
幼児 ようじ ・児童 じどう が主 おも に家庭 かてい 内 ない や親族 しんぞく の所有 しょゆう 物 ぶつ に行 おこな うモノも「落書 らくが き」と称 しょう されるが、学生 がくせい や成人 せいじん が他者 たしゃ の財産 ざいさん を無 む 許可 きょか で毀損 きそん する「落書 らくが き」とは意味 いみ の異 こと なるモノである[4] 。
ボートに乗 の る人々 ひとびと を描 えが いたグラフィティ。古代 こだい の落書 らくが きの博物館 はくぶつかん 、フランス
語源 ごげん としては、古 ふる くは落書 らくがき (らくしょ、おとしがき)と呼 よ ばれる、特定 とくてい の誰 だれ かを揶揄 やゆ したり風刺 ふうし する意図 いと で、対象 たいしょう 人物 じんぶつ の家 いえ の門 もん や壁 かべ に貼 は られた、またはわざと目 め に付 つ く場所 ばしょ に落 お とされた匿名 とくめい 文章 ぶんしょう の様式 ようしき が存在 そんざい したが、恐 おそ らくこれが今 いま 言 い うところの落書 らくが きになったとみられる。
へのへのもへじ
ヘマムシヨ入道 にゅうどう
日本 にっぽん には古 ふる くから「へのへのもへじ 」や「ヘマムシ入道 にゅうどう (またはヘマムシヨ入道 にゅうどう )」等 とう の文字 もじ 遊 あそ びとしての落書 らくが きが存在 そんざい し、今 いま でもこれを描 えが く人 ひと も見 み られる。(ヘマムシ入道 にゅうどう に関 かん しては、広辞苑 こうじえん の同 どう 項 こう に図 ず が見 み られる)現在 げんざい にも伝 つた わっている落書 らくがき には、建 たて 武 たけし の新政 しんせい における混乱 こんらん を風刺 ふうし した『二 に 条 じょう 河原 かわはら の落書 らくがき 』が知 し られている。
ポンペイ に残 のこ された選挙 せんきょ の落書 らくが き。民衆 みんしゅう の話 はな し言葉 ことば 、俗 ぞく ラテン語 らてんご で書 か かれており貴重 きちょう な資料 しりょう である。
ヴェスヴィオ の噴火 ふんか により埋没 まいぼつ したポンペイ では、古代 こだい の町並 まちな みをそのままの姿 すがた で見 み ることができる。こうして現代 げんだい に残 のこ った古代 こだい の建物 たてもの の壁面 へきめん には多数 たすう の落書 らくが きが残 のこ されており、古代 こだい ローマ時代 じだい にはどの町 まち にも同様 どうよう の落書 らくが きがみられたと考 かんが えられている。
落書 らくが きのなかには、公職 こうしょく 立候補者 りっこうほしゃ の選挙 せんきょ の際 さい に各 かく 建物 たてもの に大書 たいしょ された推薦 すいせん や誹謗 ひぼう の落書 らくが きや、剣 けん 闘士 とうし 試合 しあい の告知 こくち があり、こうしたものは専 せん 門 もん の業者 ぎょうしゃ の手 て によって書 か かれたと考 かんが えられている。他方 たほう で、酒場 さかば の戯言 ざれごと や恋人 こいびと 同士 どうし の伝言 でんごん など一般人 いっぱんじん の手 て によると思 おも われる落書 らくが きも多 おお く、ここから当時 とうじ の庶民 しょみん 階層 かいそう の識字 しきじ 率 りつ の高 たか さを指摘 してき する意見 いけん もある。[5]
アンコール・ワット 遺跡 いせき には、寛永 かんえい 9年 ねん (1632年 ねん )に同地 どうち を訪 おとず れた江戸 えど 初期 しょき の武士 ぶし ・肥前 ひぜん 松浦 まつうら 藩士 はんし の森本 もりもと 右近 うこん 太夫 たゆう が筆 ふで と墨 すみ で残 のこ した落書 らくが きが見 み られる。当時 とうじ 、日本 にっぽん の商人 しょうにん や浪人 ろうにん たちが多数 たすう 東南 とうなん アジアに住 す んでおり、こうした人々 ひとびと によってアンコール・ワットは「祇園 ぎおん 精舎 しょうじゃ 」の跡地 あとち であるという誤 あやま った情報 じょうほう が日本 にっぽん に伝 つた わり、多 おお くの人々 ひとびと が海 うみ をわたり祈 いの りのために訪 おとず れた。アンコール・ワットはこの落書 らくが きが書 か かれた後 のち に一旦 いったん 忘 わす れ去 さ られ、1860年 ねん にフランス人 じん 学者 がくしゃ のアンリ・ムーオにより再 さい 発見 はっけん された。
「父母 ちちはは の菩提 ぼだい (ぼだい)のため、数 すう 千里 せんり の海上 かいじょう を渡 わた り…」と記 しる された森本 もりもと 右近 うこん 太夫 たゆう の記念 きねん の落書 らくが きのほか、十 じゅう 数 すう 箇所 かしょ の日本人 にっぽんじん の落書 らくが きが1960年代 ねんだい までは残 のこ っていた。一度 いちど ポル・ポト派 は の手 て によってペンキで塗 ぬ り潰 つぶ されていたが、現在 げんざい では森本 もりもと 右近 うこん 太夫 たゆう の落書 らくが きはペンキの風化 ふうか によって再 ふたた び(部分 ぶぶん 的 てき ではあるが)読 よ めるようになっているという。2003年 ねん 11月21日 にち には右近 うこん 太夫 たゆう の15代目 だいめ の子孫 しそん がこれに対面 たいめん を果 は たした。
南米 なんべい の古代 こだい 文明 ぶんめい における落書 らくが き
編集 へんしゅう
グアテマラ のマヤ 遺跡 いせき ティカル の建物 たてもの からは、草 くさ ぶき屋根 やね の神殿 しんでん や輿 こし に乗 の った貴族 きぞく などを描 えが いた落書 らくが きが発見 はっけん され、当時 とうじ の社会 しゃかい や生活 せいかつ の様子 ようす を描 えが いた興味深 きょうみぶか いものとして知 し られている。
英国 えいこく のロンドン塔 とう は建築 けんちく の約 やく 1080 - 1100年代 ねんだい 以降 いこう その長 なが い歴史 れきし の中 なか でテムズ川 がわ の防御 ぼうぎょ を担 にな うと共 とも に、英国 えいこく 王 おう の居城 きょじょう としても、その一部 いちぶ は牢獄 ろうごく (身分 みぶん が高 たか い人 ひと では、使用人 しようにん を置 お くことも許 ゆる される、それなりに恵 めぐ まれたものではあったが)としても利用 りよう されていた。このため随所 ずいしょ に関係 かんけい 者 しゃ や収容 しゅうよう されていた者 もの の落書 らくが き(石 いし や漆喰 しっくい に彫 ほ り込 こ んだもの)が残 のこ されている。その中 なか には当時 とうじ の権力 けんりょく 闘争 とうそう に敗 やぶ れた著名 ちょめい 人 じん (権力 けんりょく 者 しゃ )の落書 らくが きとするにも余 あま りに緻密 ちみつ なメッセージが見 み られる。
広島 ひろしま 県 けん 広島 ひろしま 市 し の広島 ひろしま 市立 しりつ 袋町 ふくろまち 小学校 しょうがっこう は被曝 ひばく 建造 けんぞう 物 ぶつ として校舎 こうしゃ の保護 ほご 活動 かつどう [6] が行 おこな われていたが、老朽 ろうきゅう 化 か により2000年 ねん 8月 がつ 7日 にち より解体 かいたい 作業 さぎょう が行 おこな われた。この際 さい に黒板 こくばん の下 した などから当時 とうじ の、避難 ひなん した人 ひと の消息 しょうそく を伝 つた える数 すう 多 おお くの被曝 ひばく 伝言 でんごん が発見 はっけん されている。現在 げんざい では切 き り取 と られた壁面 へきめん などが平和 へいわ 教育 きょういく 用 よう の資料 しりょう として保存 ほぞん ・公開 こうかい [7] されている。
また震災 しんさい 等 とう の大 だい 規模 きぼ 災害 さいがい では通信 つうしん 網 もう の分断 ぶんだん や情報 じょうほう の混乱 こんらん が発生 はっせい し、家族 かぞく と離 はな れ離 ばな れになる人 ひと も出 で てくる。阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい では、行方 ゆくえ 不明 ふめい 者 しゃ や尋 たず ね人 びと の情報 じょうほう が避難 ひなん 所 しょ として利用 りよう されていた学校 がっこう 施設 しせつ の壁 かべ に掲示 けいじ ・または書 か き記 しる された。現在 げんざい では当時 とうじ の資料 しりょう として写真 しゃしん の形 かたち でその多 おお くが記録 きろく されている。
1961年 ねん から東 ひがし ドイツ政府 せいふ は東西 とうざい ベルリンを遮断 しゃだん し有刺鉄線 ゆうしてっせん を、のちに石壁 いしかべ を西 にし ベルリンを囲 かこ むように張 は り巡 めぐ らせ、1975年 ねん にはコンクリートの155kmに及 およ ぶ壁 かべ が完成 かんせい した。東側 ひがしがわ からは幅 はば 100mの無人 むじん 地帯 ちたい のため立 た ち入 い ることができなかったが、西側 にしがわ からは接近 せっきん することができたため、壁 かべ の建設 けんせつ をなじり撤去 てっきょ を求 もと める政治 せいじ 的 てき な落書 らくが きが出現 しゅつげん するようになった。やがてさまざまなメッセージや色 いろ 鮮 あざ やかなストリートアート が西側 にしがわ の壁 かべ を彩 いろど ることになった。
郡山八幡 こおりやまはちまん 神社 じんじゃ の本殿 ほんでん 解体 かいたい 修理 しゅうり 時 じ に、木材 もくざい に木片 もくへん が打 う ち付 つ けられているのが発見 はっけん された。そこには永 えい 禄 ろく 2年 ねん (1559年 ねん )8月 がつ 11日 にち の日付 ひづけ とともに「其時座主 ざす ハ大 だい キナこすてをちやりて一 いち 度 ど も焼酎 しょうちゅう ヲ不 ふ 被 ひ 下 した 候 こう (くだされずそうろう) 何 なに 共 ども めいわくな事 こと 哉(ことかな)」(今回 こんかい の施主 せしゅ はたいへんけちで一 いち 度 ど も焼酎 しょうちゅう を振 ふ る舞 ま ってくれなかった。なんともひどい話 はなし だ。)と書 か かれており、施主 せしゅ に対 たい する愚痴 ぐち を綴 つづ っただけの落書 らくが きであるが「焼酎 しょうちゅう 」の語 かたり を使用 しよう した最 もっと も古 ふる い文献 ぶんけん とされている。落書 らくが きがされている板 いた は頭 あたま 貫 ぬき と呼 よ ばれる水平 すいへい 材 ざい であり、打 う ち付 つ けられている状態 じょうたい では見 み えないようになっていた[8] 。
「価値 かち のない情報 じょうほう が氾濫 はんらん する場 ば 」という意味 いみ で、電子 でんし 掲示板 けいじばん に書 か かれる内容 ないよう を、「便所 べんじょ の落書 らくが き」に例 たと えることがある。由来 ゆらい としては、新 しん 世紀 せいき エヴァンゲリオン の庵 あん 野 の 秀明 ひであき 監督 かんとく が、インターネット上 じょう のチャット通信 つうしん について「便所 べんじょ の落書 らくが き」と批判 ひはん したことにある[9] 。また東芝 とうしば クレーマー事件 じけん において筑紫哲也 ちくしてつや が自身 じしん の番組 ばんぐみ 中 ちゅう 、インターネット 上 うえ の情報 じょうほう を、「かなり恣意 しい 的 てき で、トイレの落書 らくが きに近 ちか い、などという酷評 こくひょう すらあります」と報 ほう じた[10] 。
インターネット の普及 ふきゅう によって、電子 でんし 掲示板 けいじばん や個人 こじん ・団体 だんたい のウェブサイト 上 うえ にも、様々 さまざま な落書 らくが きがみられる。荒 あ らし行為 こうい によるものから、特定 とくてい 個人 こじん ・団体 だんたい に対 たい する中傷 ちゅうしょう もあり、中 なか には訴訟 そしょう 事例 じれい に発展 はってん する事例 じれい も多 おお い。意図 いと してそのようなモノを公開 こうかい するのは論外 ろんがい と言 い えるが、他方 たほう では意図 いと せずそうなってしまうケースもあるため、注意 ちゅうい が必要 ひつよう であると共 とも に、掲示板 けいじばん 管理 かんり 者 しゃ などにより、一定 いってい のガイドライン が示 しめ されている場合 ばあい も見 み られる。
現代 げんだい 社会 しゃかい で文化財 ぶんかざい のような公共 こうきょう 財産 ざいさん を含 ふく む他者 たしゃ の財産 ざいさん への落書 らくが きによる汚損 おそん や破壊 はかい ・落書 らくが きを放置 ほうち すると治安 ちあん 悪化 あっか と落書 らくが き増加 ぞうか を招 まね くこと・消 け す費用 ひよう のが圧倒的 あっとうてき に高 たか いこと、その費用 ひよう を被害 ひがい 者 しゃ が負 お うこと、問 と われる罪 つみ が軽 かる 過 す ぎることが問題 もんだい になっている[11] [12] [13] [14] [15] [16] 。落書 らくが きをする人々 ひとびと は、犯罪 はんざい でしか自己 じこ 顕示 けんじ 欲 ほし や承認 しょうにん 欲求 よっきゅう を満 み たせない「つまらない 人間 にんげん 」であり、犯罪 はんざい 者 しゃ として法的 ほうてき 責任 せきにん を負 お わせる必要 ひつよう がある[11] 。一 ひと つ許 ゆる すと模倣 もほう 犯 はん も増殖 ぞうしょく する。彼 かれ らは「アート」と主張 しゅちょう するが、自己 じこ の財産 ざいさん 以外 いがい への落書 らくが きは犯罪 はんざい 行為 こうい であり、器物 きぶつ 損壊 そんかい 罪 ざい 等 とう にあたり、3年 ねん 以下 いか の懲役 ちょうえき または30万 まん 円 えん 以下 いか の罰金 ばっきん に課 か せられる。現場 げんば を直撃 ちょくげき された落書 らくが き犯 はん はかつ「自分 じぶん は書 か きたい場所 ばしょ に書 か いているだけ。人 ひと の家 いえ だろうが、公共 こうきょう だろうが、国 くに のなんちゃらだろうが。」「みんなそういうの思 おも い思 おも いに書 か いたりするのがアートなんで。それで成 な り立 た っている世界 せかい なんで。」と主張 しゅちょう している。落書 らくが きされた財産 ざいさん の持 も ち主 ぬし らからの依頼 いらい で落書 らくがき 消 け し業者 ぎょうしゃ の男性 だんせい は、 書 か くのは簡単 かんたん だろうが「消 け すのは大変 たいへん 」と指摘 してき している[12] 。
フィンランドにある落書 らくが きされたルーフフェルト工場 こうじょう の廃墟 はいきょ
公共 こうきょう 施設 しせつ や他人 たにん の家屋 かおく ・店舗 てんぽ などに勝手 かって にペイント書 とが きをする行為 こうい は、各国 かっこく の法律 ほうりつ において器物 きぶつ 損壊 そんかい 、犯罪 はんざい 行為 こうい であり、落書 らくが きという様式 ようしき の暴力 ぼうりょく (ヴァンダリズム )である。
特 とく に他人 たにん を誹謗 ひぼう ・中傷 ちゅうしょう する意図 いと で攻撃 こうげき 的 てき な文言 もんごん を書 か き残 のこ した場合 ばあい は、脅迫 きょうはく の範疇 はんちゅう によって扱 あつか われる。これは刑法 けいほう にいうところの器物 きぶつ 損壊 そんかい としてれっきとした犯罪 はんざい 行為 こうい であるとともに道徳 どうとく 的 てき に見 み ても公共 こうきょう 良俗 りょうぞく を損 そこ なう行為 こうい である。
建造 けんぞう 物 ぶつ ・天然記念物 てんねんきねんぶつ への落書 らくが き
編集 へんしゅう
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "落書 らくが き" – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年 ねん 11月 )
歴史 れきし 的 てき 建造 けんぞう 物 ぶつ に来訪 らいほう 者 しゃ が落書 らくが きを残 のこ すケースは多 おお く、1980年代 ねんだい - 1990年代 ねんだい には日本 にっぽん 人 ひと 観光 かんこう 客 きゃく らが訪 おとず れた国 くに の文化財 ぶんかざい とされる歴史 れきし 的 てき 建造 けんぞう 物 ぶつ を汚損 おそん したとして逮捕 たいほ される事例 じれい も度々 たびたび 出 で て問題 もんだい 視 し された。万里 ばんり の長城 ちょうじょう では、観光 かんこう 客 きゃく らによる落書 らくが き(彫 ほ り込 こ んだもの)などにより、風化 ふうか が進 すす むことが懸念 けねん されている。日本 にっぽん の奈良 なら の大仏殿 だいぶつでん など一般 いっぱん 公開 こうかい されている神社 じんじゃ 仏閣 ぶっかく の汚損 おそん も酷 ひど く、大阪城 おおさかじょう でもハングル の落書 らくが きが問題 もんだい 視 し されている。後述 こうじゅつ のドイツ ・ハイデルベルク の学生 がくせい 牢 ろう やハイデルベルク城 じょう でも本来 ほんらい の落書 らくが きのほか、観光 かんこう 客 きゃく がドイツ語 ご のほか、英語 えいご ・日本語 にほんご ・中国 ちゅうごく 語 ご ・韓国 かんこく 語 ご など様々 さまざま な言語 げんご による落書 らくが きを行 おこな っている。2003年 ねん に日本人 にっぽんじん の青年 せいねん がイースター島 とう のモアイ にサインを彫 ほ りこんで国立 こくりつ 遺産 いさん 法 ほう 違反 いはん で逮捕 たいほ されている[17] 。2016年 ねん に神奈川大学 かながわだいがく の学生 がくせい 2名 めい がケルン大 だい 聖堂 せいどう に落書 らくが きし、それをツイッター で公開 こうかい 、神奈川大学 かながわだいがく はケルン大 だい 聖堂 せいどう に謝罪 しゃざい している[18] 。
また天然記念物 てんねんきねんぶつ や自然 しぜん の景観 けいかん を汚損 おそん する落書 らくが きをするケースでは、それら傷付 きずつ けられた動植物 どうしょくぶつ の生命 せいめい を脅 おびや かす事態 じたい まで発生 はっせい しているとされる。1989年 ねん に、スクープを目論 もくろ んだ朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ カメラマンによってサンゴ が傷付 きずつ けられ(朝日新聞 あさひしんぶん 珊瑚 さんご 記事 きじ 捏造 ねつぞう 事件 じけん )、大 おお きな社会 しゃかい 問題 もんだい とされたが、同時 どうじ にサンゴ落書 らくが き問題 もんだい が方々 かたがた で発生 はっせい していることもクローズアップされた。
学校 がっこう を含 ふく む公共 こうきょう の場 ば としての便所 べんじょ には、落書 らくが きが書 か かれている場合 ばあい が多 おお い。そこには愚 ぐ にもつかない駄文 だぶん から、個人 こじん 情報 じょうほう とおぼしき文字 もじ 列 れつ までさまざまな情報 じょうほう が書 か かれているが、稀 まれ に秀逸 しゅういつ なジョークや、非常 ひじょう に興味深 きょうみぶか い警句 けいく もみられる。馬上 もうえ 、枕上 まくらがみ 、厠 かわや 上 じょう の3つを文章 ぶんしょう を練 ね りやすい場所 ばしょ という意味 いみ で「三上 みかみ 」というように、便所 べんじょ を使用 しよう している最中 さいちゅう は、様々 さまざま な思索 しさく が交錯 こうさく しやすい。それの発露 はつろ が便所 べんじょ の落書 らくが き といえる。多種 たしゅ 多様 たよう な人間 にんげん の利用 りよう する駅 えき や高速 こうそく 道路 どうろ サービスエリアの公衆 こうしゅう 便所 べんじょ では、多様 たよう な落書 らくが きが見出 みいだ される。
特 とく に日本 にっぽん では1990年代 ねんだい 以降 いこう 、携帯 けいたい 電話 でんわ 番号 ばんごう の落書 らくが きが増 ふ える傾向 けいこう が顕著 けんちょ だが、これは本人 ほんにん の番号 ばんごう ではなく、他人 たにん の番号 ばんごう を書 か き散 ち らして個人 こじん 攻撃 こうげき を実現 じつげん する目的 もくてき と推測 すいそく される。公園 こうえん に併設 へいせつ された衛生 えいせい 状態 じょうたい の芳 かんば しくない公衆 こうしゅう 便所 べんじょ では、暴走 ぼうそう 族 ぞく の叫 さけ びにも似 に た自己 じこ 主張 しゅちょう 的 てき なマーキング、同性愛 どうせいあい 者 もの 向 む けの交流 こうりゅう に向 む けたメッセージも見 み られる。
いずれにしても、第三者 だいさんしゃ にとっては無 む 価値 かち な情報 じょうほう であるものが多 おお く、有益 ゆうえき な情報 じょうほう が残 のこ されていることは稀 まれ である。またそれら雑 ざつ 情報 じょうほう に埋 うず もれる格好 かっこう で、他 た の情報 じょうほう までその価値 かち を失 うしな うという現象 げんしょう も見 み られる。ノイズ の項 こう を参照 さんしょう 。
以下 いか に国 くに によって地域 ちいき 性 せい の見 み られる落書 らくが き事例 じれい とその対応 たいおう について述 の べる。
ワシントンD.C. の第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 記念 きねん 碑 ひ に見 み られるキルロイ参上 さんじょう の落書 らくが き
アメリカ では、1970年代 ねんだい より都市 とし 部 ぶ の落書 らくが きが、犯罪 はんざい や失業 しつぎょう の増加 ぞうか とあいまって深刻 しんこく な社会 しゃかい 問題 もんだい と化 か した。一方 いっぽう これらはエアロゾール (グラフィティ )と呼 よ ばれるヒップホップ 文化 ぶんか の重要 じゅうよう な要素 ようそ であり、多 おお くのグラフィティや出身 しゅっしん の画家 がか やイラストレーター を輩出 はいしゅつ した(ストリートアート を参照 さんしょう 、またニューヨークのグラフィティ・シーンを追 お った2002年 ねん の映画 えいが 『ボム・ザ・システム』もこの文化 ぶんか に関 かん して詳 くわ しい)。しかし、その他 た ギャングの縄張 なわば りを示 しめ す走 はし り書 が き(タギング )のような悪質 あくしつ なものも相当 そうとう 見 み られた。1990年代 ねんだい 以降 いこう 各 かく 都市 とし の施策 しさく により頻繁 ひんぱん に消去 しょうきょ されるようになった。
ニューヨークのクィーンズ区 く にあった建物 たてもの 「ファイブ・ポインツ(5 Pointz)」は、不動産 ふどうさん 所有 しょゆう 者 しゃ が落書 らくが きアートの表現 ひょうげん 場所 ばしょ としてグラフィティ・アーティストたちに20年間 ねんかん に渡 わた り提供 ていきょう してきており、国際 こくさい 的 てき にも名所 めいしょ として有名 ゆうめい であったが、2013年 ねん に再 さい 開発 かいはつ 計画 けいかく に伴 ともな い落書 らくが きを塗 ぬ りつぶし、2014年 ねん には建物 たてもの そのものを取 と り壊 こわ したとしたことに対 たい し、破壊 はかい 前 まえ に作品 さくひん 保存 ほぞん の機会 きかい を与 あた えるべきであったとして、21人 にん のアーティストたちが「視覚 しかく 芸術 げいじゅつ 家 か 権利 けんり 法 ほう (VARA)」違反 いはん として損害 そんがい 賠償 ばいしょう 請求 せいきゅう の訴訟 そしょう をおこし、2018年 ねん にニューヨークの連邦 れんぽう 地裁 ちさい は喪失 そうしつ した45の落書 らくが き各 かく 作品 さくひん に対 たい し、法定 ほうてい 損害 そんがい 賠償 ばいしょう 上限 じょうげん となる15万 まん ドル(約 やく 1,600万 まん 円 えん )計 けい 7億 おく 円 えん を超 こ える賠償 ばいしょう 額 がく を認 みと める判決 はんけつ を出 だ している[19] 。
なお米国 べいこく にはキルロイ参上 さんじょう (“Kilroy was here”:「キルロイは此処 ここら に来 き た」とも)と呼 よ ばれる伝統 でんとう 的 てき 落書 らくが きの様式 ようしき があり、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 当時 とうじ にはアメリカのあちこちに存在 そんざい し、一説 いっせつ に拠 よ れば朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう からイラク戦争 せんそう に至 いた るまで、米 べい 軍 ぐん が軍事 ぐんじ 活動 かつどう した地域 ちいき には、しばしばこういった落書 らくが きが残 のこ されたという[20] 。
イギリス ・ロンドン には縦横無尽 じゅうおうむじん に地下鉄 ちかてつ が走 はし っているが、その窓 まど への落書 らくが きがみられ問題 もんだい とされている。これらはダイヤモンド の指輪 ゆびわ などによって付 つ けられたもので、ガラス 面 めん を直接 ちょくせつ 傷 きず つけるために強度 きょうど 低下 ていか が心配 しんぱい され、地下鉄 ちかてつ の管理 かんり 側 がわ は罰金 ばっきん を課 か して取 と り締 し まってはいるが、完全 かんぜん には防 ふせ ぎきれていない。なおこういった傷 きず は、ガラス切 ぎ り でガラスを切削 せっさく するのと同様 どうよう であり、クラッカープレート と同 おな じ原理 げんり により最終 さいしゅう 的 てき には割 わ れる可能 かのう 性 せい を含 ふく んでいて、大変 たいへん 危険 きけん な行為 こうい である。
多 おお くの歴史 れきし 的 てき 事件 じけん の舞台 ぶたい となり、文化財 ぶんかざい も多 おお く残 のこ っている世界 せかい 的 てき な観光 かんこう 地 ち であるイタリア だが、歴史 れきし 的 てき 建造 けんぞう 物 ぶつ への落書 らくが きは多 おお い。落書 らくが きの大半 たいはん はイタリア人 じん によるもの[21] であり、言語 げんご 別 べつ ではイタリア語 ご や英語 えいご 、スペイン語 ご が大 だい 部分 ぶぶん を占 し める[22] 。
イタリア人 じん は落書 らくが きに対 たい して寛容 かんよう であり、上述 じょうじゅつ のとおりイタリア語 ご の落書 らくが きは多 おお い。2008年 ねん 6月 がつ にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大 だい 聖堂 せいどう への京都産業大学 きょうとさんぎょうだいがく や岐阜 ぎふ 市立 しりつ 女子 じょし 短期大学 たんきだいがく の学生 がくせい 、教育 きょういく 者 しゃ であるべき常磐大学 ときわだいがく 高等 こうとう 学校 がっこう 野球 やきゅう 部 ぶ 監督 かんとく による落書 らくが きが新聞 しんぶん やニュースで相次 あいつ いで取 と り上 あ げられ、関係 かんけい 者 しゃ が停学 ていがく 等 とう の処分 しょぶん を受 う けたことについては、「いきすぎた処分 しょぶん であり、イタリアではあり得 え ない」と地元 じもと 紙 し が報道 ほうどう した[21] 。
もっとも立場 たちば が変 か われば意見 いけん は変 か わるもので、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大 だい 聖堂 せいどう の技術 ぎじゅつ 責任 せきにん 者 しゃ ・ビアンキーニが「日本 にっぽん の出来事 できごと は、落書 らくが きが合法 ごうほう と思 おも っているイタリア人 じん にはいい教訓 きょうくん だ」と述 の べたように、イタリア人 じん の意識 いしき に釘 くぎ を刺 さ す意見 いけん もある[21] 。
観光 かんこう 産業 さんぎょう に力 ちから を入 い れるシンガポール では、落書 らくが きは都市 とし の景観 けいかん を汚損 おそん する重大 じゅうだい な犯罪 はんざい と見 み なされている。鉛筆 えんぴつ やクレヨン 等 ひとし による消 け すことが比較的 ひかくてき 簡単 かんたん なものは初犯 しょはん に限 かぎ り注意 ちゅうい に留 と められるが、ペンキや油性 ゆせい ペン等 ひとし による落 お とし難 がた いもので落書 らくが きした場合 ばあい は鞭打 むちう ち刑 けい が科 か せられる。1993年 ねん にアメリカ人 じん の18歳 さい 男性 だんせい が他人 たにん の自動車 じどうしゃ にスプレーペンキで落書 らくが きをして逮捕 たいほ された。シンガポール政府 せいふ は当時 とうじ の合衆国 がっしゅうこく 大統領 だいとうりょう ビル・クリントン による嘆願 たんがん 書 しょ を退 しりぞ け、「鞭打 むちう ち4回 かい 」の刑罰 けいばつ を執行 しっこう して国際 こくさい 的 てき にも大 おお きく取 と り上 あ げられた。
2010年 ねん にスイス人 じん の32歳 さい 男性 だんせい が夜中 よなか に一人 ひとり のイギリス人 じん とともにチャンギ車両 しゃりょう 基地 きち に忍 しの び込 こ み、2台 だい の車両 しゃりょう にスプレー落書 らくが きをした。一 いち 週間 しゅうかん 後 ご 、スイス人 じん は逮捕 たいほ されて5か月 げつ の懲役 ちょうえき と「鞭打 むちう ち3回 かい 」判決 はんけつ された。他 た のイギリス人 じん の共犯 きょうはん はまだ逮捕 たいほ されず香港 ほんこん にいると考 かんが えられている[23] 。
ドイツ鉄道 てつどう では落書 らくが き被害 ひがい が深刻 しんこく なため、落書 らくが き消 け し技術 ぎじゅつ の開発 かいはつ を行 おこな っている[13] 。
現代 げんだい 日本 にっぽん では、戦後 せんご 初期 しょき の学生 がくせい 運動 うんどう や新 しん 左翼 さよく 的 てき な政治 せいじ 運動 うんどう の過激 かげき 化 か により、政治 せいじ 的 てき メッセージの落書 らくが き(ゲバ字 じ が使 つか われた)やアジ電車 でんしゃ が増殖 ぞうしょく した。全学 ぜんがく 共闘 きょうとう 会議 かいぎ (全共闘 ぜんきょうとう )および新 しん 左翼 さよく の学生 がくせい が東京大学 とうきょうだいがく 本郷 ほんごう キャンパス安田 やすだ 講堂 こうどう を占拠 せんきょ した東大 とうだい 安田 やすだ 講堂 こうどう 事件 じけん では大量 たいりょう の落書 らくが きが行 おこな われたことが記録 きろく されている。1970年代 ねんだい ~1980年代 ねんだい は校内 こうない 暴力 ぼうりょく の時代 じだい となり不良 ふりょう や暴走 ぼうそう 族 ぞく による難読 なんどく 漢字 かんじ の羅列 られつ が多 おお く見 み られ、
バブル崩壊 ほうかい 後 こう はシャッター通 どお り や破綻 はたん した観光 かんこう 施設 しせつ などが増加 ぞうか し、これら管理 かんり 放棄 ほうき された建物 たてもの が狙 ねら われやすい。市民 しみん 有志 ゆうし による除去 じょきょ 活動 かつどう も見 み られる。日本 にっぽん の法令 ほうれい では文化財 ぶんかざい 保護 ほご 法 ほう 違反 いはん 、建造 けんぞう 物 ぶつ 損壊 そんかい 罪 ざい 、器物 きぶつ 損壊 そんかい 罪 ざい 、軽犯罪法 けいはんざいほう 違反 いはん 、落書 らくがき 防止 ぼうし 条例 じょうれい 違反 いはん などに問 と われる。また、別途 べっと 、所有 しょゆう 者 しゃ や管理 かんり 者 しゃ から修復 しゅうふく 費 ひ などを含 ふく む賠償金 ばいしょうきん を請求 せいきゅう される。2018年 ねん に茨城 いばらき 県 けん 取手 とりで 市 し で器物 きぶつ 損壊 そんかい 容疑 ようぎ で摘発 てきはつ された者 もの の例 れい では、示談 じだん のために457万 まん 円 えん を同市 どうし に支払 しはら った[24] 。
ロンドンでコンテストに参加 さんか しているグラフィティ・アーティスト
落書 らくが きは都市 とし の景観 けいかん を損 そこ なうことから、各国 かっこく で多 おお くの市民 しみん は迷惑 めいわく 行為 こうい と考 かんが えており、器物 きぶつ 損壊 そんかい 、不動産 ふどうさん に対 たい する侵害 しんがい 、ヴァンダリズム の一環 いっかん となる。また落書 らくが きと若年 じゃくねん 犯罪 はんざい の密接 みっせつ な関係 かんけい を強調 きょうちょう し、犯罪 はんざい 抑止 よくし の観点 かんてん から割 わ れ窓 まど 理論 りろん 等 ひとし の犯罪 はんざい 抑止 よくし 理論 りろん が盛 さか んに論 ろん じられるようになり、都市 とし 部 ぶ の落書 らくが きも地域 ちいき の治安 ちあん を悪化 あっか させる要因 よういん と見 み なされ、厳重 げんじゅう に取 と り締 し まられている。
1990年代 ねんだい 以降 いこう 落書 らくが きに対 たい する規制 きせい や消去 しょうきょ の努力 どりょく が各国 かっこく の地方 ちほう 政府 せいふ やボランティア の手 て で始 はじ まっている。ニューヨークのルドルフ・ジュリアーニ 市長 しちょう (当時 とうじ )は割 わ れ窓 まど 理論 りろん の立場 たちば からかねてから落書 らくが きに反対 はんたい し、悪名 あくめい 高 たか い地下鉄 ちかてつ の落書 らくが きを消 け し去 さ った。1995年 ねん には落書 らくが きと戦 たたか う「アンチ・グラフィティ・タスクフォース」を結成 けっせい し、過去 かこ 最大 さいだい 級 きゅう の落書 らくが き反対 はんたい キャンペーンを開始 かいし した。また同年 どうねん 、18歳 さい 以下 いか の青少年 せいしょうねん にエアロゾール・スプレー を売 う ることを禁止 きんし したニューヨーク市 し 条例 じょうれい を施行 しこう させた。
落書 らくが きは、美観 びかん 損害 そんがい と不快 ふかい 感 かん 、地域 ちいき 治安 ちあん 悪化 あっか の原因 げんいん となる。藤沢 ふじさわ 市 し は2007年 ねん 7月 がつ に「藤沢 ふじさわ 市 し きれいで住 す みよい環境 かんきょう づくり条例 じょうれい 」を制定 せいてい し、早期 そうき 発見 はっけん ・早期 そうき 消去 しょうきょ ・予防 よぼう 対策 たいさく の3つを掲 かか げ、「まちから落書 らくが きをなくしましょう!」と落書 らくが き防止 ぼうし に取 と り組 く んでいる[16] 。
イタリア のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大 だい 聖堂 せいどう ではバーチャルに落書 らくが きするアプリを搭載 とうさい したタブレット端 はし 末 まつ が設置 せっち されている[25] 。一方 いっぽう 、ヨーロッパやアメリカ、近年 きんねん では日本 にっぽん でも、特定 とくてい の壁面 へきめん をストリートアーティストやグラフィティアーティストのために開放 かいほう し自由 じゆう に描 えが いてもらおうという、「リーガル・グラフィティ(合法 ごうほう 的 てき な落書 らくが き)のための壁面 へきめん 」を用意 ようい する特別 とくべつ 地方 ちほう 公共 こうきょう 団体 だんたい や建物 たてもの 所有 しょゆう 者 しゃ が現 あらわ れるようになった。アーティストには見回 みまわ りの目 め を気 き にしない発表 はっぴょう の場 ば を存分 ぞんぶん に提供 ていきょう し、同時 どうじ に非合法 ひごうほう な落書 らくが きを減 へ らし、都市 とし の装飾 そうしょく や観光 かんこう にも使 つか おうとのアイデアである。これには歓迎 かんげい する立場 たちば と、非合法 ひごうほう の落書 らくが きを減 へ らすことにはならないと歓迎 かんげい しない立場 たちば がある。
東京 とうきょう 都 と 渋谷 しぶや 区 く では、2000年代 ねんだい からナイキ と関係 かんけい のあるNPO法人 ほうじん などによって、落書 らくが きが目立 めだ つ公共 こうきょう の壁面 へきめん などにリーガル・グラフィティの設置 せっち が提案 ていあん され、渋谷 しぶや 区 く 周辺 しゅうへん の公的 こうてき 施設 しせつ の限定 げんてい された場所 ばしょ で一部 いちぶ 認可 にんか された。しかし、関係 かんけい 者 しゃ 以外 いがい には壁 かべ の側面 そくめん 等 とう に描 えが かれたモノが合法 ごうほう の場所 ばしょ に書 か かれたか否 ひ かの認識 にんしき が定着 ていちゃく せず、リーガルグラフティ(許可 きょか 場 じょう 内 ない に書 か かれたラク化 か )を目 め にした国内外 こくないがい の訪 おとずれ 来者 らいしゃ が、「渋谷 しぶや 区 く では落書 らくが きが許容 きょよう されている」と曲解 きょっかい し、自 みずか ら選定 せんてい した場所 ばしょ へ落書 らくが きを行 おこな うなどのケースが多発 たはつ した。「渋谷 しぶや は落書 らくが きOK」という勘違 かんちが いが外国 がいこく 人 じん にも広 ひろ まり、2018年 ねん にはオーストラリア人 じん の少年 しょうねん が逮捕 たいほ されるなど、同区 どうく では意図 いと に反 はん して非合法 ひごうほう な場所 ばしょ への落書 らくが きが増加 ぞうか したとも指摘 してき される[26] [27] 。落書 らくが き消去 しょうきょ などの活動 かつどう はボランティアを含 ふく む地元 じもと の団体 だんたい やNPO法人 ほうじん 等 とう の協力 きょうりょく を得 え て推進 すいしん されているが、原状 げんじょう 回復 かいふく と防止 ぼうし 政策 せいさく などの費用 ひよう については、公費 こうひ や建造 けんぞう 物 ぶつ 所有 しょゆう 者 しゃ など地域 ちいき 住民 じゅうみん の資金 しきん 負担 ふたん とされている。
マジックインキ で書 か かれた、幼児 ようじ の落書 らくが きの例 れい
ある程度 ていど 自発 じはつ 性 せい が育 そだ ってきた幼児 ようじ は、その程度 ていど にも個人 こじん 差 さ があるが、筆記具 ひっきぐ と紙 かみ さえ与 あた えておけば落書 らくが き(もう少 すこ し丁寧 ていねい に「お絵 え かき」と呼 よ ぶ場合 ばあい もある)に熱中 ねっちゅう する傾向 けいこう がみられる。ことによると興 きょう にのって壁 かべ や床 ゆか などにまで落書 らくが きしてしまうことも珍 めずら しいことではない。
これら幼児 ようじ の落書 らくが きは、共通 きょうつう して幾 いく つかの段階 だんかい を経 へ ていく傾向 けいこう が見 み られ、幼児 ようじ 自身 じしん の発育 はついく 過程 かてい を把握 はあく する上 じょう で、興味深 きょうみぶか い資料 しりょう となる。また情緒 じょうちょ 的 てき な水準 すいじゅん ないし機嫌 きげん のようなものや、性格 せいかく にもよって描 えが かれる絵 え にも傾向 けいこう が発生 はっせい する。
1-2歳 さい 程度 ていど の初期 しょき の段階 だんかい では、子供 こども は「何 なに かを書 か く」という行為 こうい そのものに関心 かんしん を抱 いだ く。専 せん ら紙 し の上 うえ に筆記具 ひっきぐ (クレヨンや鉛筆 えんぴつ など)に「腕 うで の左右 さゆう の往復 おうふく 」という形 かたち で緩 ゆる い弧 こ を描 えが く線 せん をひたすら書 か く。仕舞 しま いには紙 かみ が破 わ れるまで線 せん を幾重 いくえ にも重 かさ ねて書 か く。
線 せん をひたすら描 えが く時期 じき が過 す ぎると、幼児 ようじ は円 えん を描 えが き始 はじ める。最初 さいしょ の内 うち こそグルグルと何 なん 重 じゅう にも重 かさ なった歪 いびつ な円 えん を描 えが く。3歳 さい 頃 ごろ までには、幾 いく つかの簡単 かんたん な図形 ずけい を描 えが くことが出来 でき るようになる。これらの段階 だんかい では、描 えが くという行為 こうい そのものを通 とお して表現 ひょうげん する傾向 けいこう にあり、例 たと えば自動車 じどうしゃ に乗 の った体験 たいけん では何 なん 本 ほん もの線 せん を重 かさ ねて描 えが いて「早 はや く移動 いどう した」ことを示 しめ そうとし、新幹線 しんかんせん に乗 の ったら更 さら に多 おお くの線 せん を重 かさ ねてスピードの激 はげ しさをしめそうとするのである。したがって、描 えが かれた絵 え そのものにはなんら意味 いみ は無 な く、描 えが く過程 かてい を観察 かんさつ するか当人 とうにん が説明 せつめい しなければ、それが何 なに を描 えが いたのかは他人 たにん にはわからない。これは落書 らくが きされた絵 え (映像 えいぞう )そのものには意味 いみ が無 な い、筆記用具 ひっきようぐ を使 つか った遊 あそ びの一種 いっしゅ である。
しかし次第 しだい に描 えが くという行為 こうい と表現 ひょうげん する欲求 よっきゅう を結 むす び付 つ け始 はじ め、これら円 えん はやがて人 ひと の顔 かお や物 もの の輪郭 りんかく として利用 りよう されるようになる。多 おお くの場合 ばあい に最初 さいしょ のものは、身近 みぢか な人間 にんげん である母親 ははおや の顔 かお など、円 えん に目 め ・鼻 はな ・口 くち をあらわす線 せん や丸 まる を書 か き込 こ んだ物 もの を描 えが くケースが多 おお い。進歩 しんぽ すると母親 ははおや と父親 ちちおや ・祖父母 そふぼ といった書 か き分 わ けを始 はじ めるようになる。ただし最初 さいしょ 期 き の人物 じんぶつ 画 が を描 えが き始 はじ める3歳 さい 後半 こうはん 頃 ごろ までは、俗 ぞく に「頭 あたま 足 あし 人 じん 」と表現 ひょうげん される、頭 あたま に直接 ちょくせつ 手足 てあし が生 は えたM&M's のイメージキャラクターのような感 かん じのものを「人間 にんげん 」として描 えが く傾向 けいこう にあり、これは子供 こども が認識 にんしき する人間 にんげん (ヒト )のイメージが、顔 かお と手足 てあし に集約 しゅうやく されているものと解 ほぐ される。しかし次第 しだい に「人間 にんげん としてのディティール」に胴体 どうたい や首 くび などの他 ほか の部位 ぶい があることを意識 いしき するようになって、大人 おとな の認識 にんしき する人間 にんげん の姿 すがた により近 ちか くなっていく。
この段階 だんかい に至 いた ると、急速 きゅうそく に認識 にんしき 力 りょく が進歩 しんぽ し、両親 りょうしん の顔 かお の違 ちが い・近所 きんじょ の人 ひと の顔 かお の違 ちが いを明確 めいかく に意識 いしき し始 はじ める様子 ようす が窺 うかが え、4-5歳 さい 頃 ごろ には絵 え の方 ほう も丸 まる や四角 よつかど ・三角 さんかく を組 く み合 あ わせた物 もの へと進歩 しんぽ を始 はじ め、自動車 じどうしゃ や飛行機 ひこうき ・家 いえ や木 き や花 はな といった様々 さまざま な物 もの に関心 かんしん を向 む け図形 ずけい の組 く み合 あ わせでそれらを表 あらわ すようになる。例 たと えば、横 よこ に平 ひら たい楕円 だえん を二 ふた つ並 なら べて足 あし を生 は やし動物 どうぶつ に見立 みた てたり、三角形 さんかっけい の下 した に四角 よつかど を描 えが いて家 いえ に見立 みた てたりといった具合 ぐあい である。また最初 さいしょ の頃 ころ には、そういった様々 さまざま な物品 ぶっぴん をカタログ のように並 なら べて描 えが いていたものが、5歳 さい 頃 ごろ には社会 しゃかい 性 せい の発達 はったつ や行動 こうどう 半径 はんけい の拡大 かくだい により、多様 たよう な人 ひと ・物 もの ・動物 どうぶつ ・植物 しょくぶつ を描 えが くと共 とも に、明確 めいかく な嗜好 しこう によって絵 え にテーマが生 う まれるようになる様子 ようす が見 み られる。この段階 だんかい にもなると、性格 せいかく にも性差 せいさ が出 で てくるようになり、いわゆる「男 おとこ の子 こ らしい絵 え 」や「女 おんな の子 こ らしい絵 え 」などの傾向 けいこう も発生 はっせい 、男児 だんじ なら乗物 のりもの やヒーロー番組 ばんぐみ の登場 とうじょう 人物 じんぶつ など、女児 じょじ なら花 はな やお姫様 ひめさま などといったような、記号 きごう 化 か されたイメージが繰 く り返 かえ し描 えが かれるようになっていく。
なおこういった絵 え の傾向 けいこう には個人 こじん 差 さ があるほか、当人 とうにん の実生活 じっせいかつ における経験 けいけん が反映 はんえい される傾向 けいこう にあり、読 よ み聞 き かせてもらった物語 ものがたり や絵本 えほん 、あるいは様々 さまざま な生活 せいかつ 体験 たいけん 、コミュニケーションの内容 ないよう などが絵 え に影響 えいきょう する。ただ、それらの影響 えいきょう も一 いち 枚 まい の絵 え で軽々 かるがる しく判断 はんだん できるものではない。
参考 さんこう 書籍 しょせき 『育児 いくじ としつけの百科 ひゃっか -幼児 ようじ 期 き ・学童 がくどう 期 き の育 そだ て方 かた -』(ISBN 4093030170 ・小学館 しょうがくかん )
線 せん を引 ひ く、円 えん を描 えが く、絵 え にするという段階 だんかい は、幼児 ようじ の発達 はったつ において見 み られる現象 げんしょう であるが、その一方 いっぽう で、扱 あつか いの難 むずか しい筆記用具 ひっきようぐ に慣 な れるための練習 れんしゅう にも用 もち いられる。
例 たと えば漫画 まんが を書 か くためのペンは扱 あつか いの難 むずか しい筆記用具 ひっきようぐ の一 ひと つとされているが、これの扱 あつか いを習得 しゅうとく する上 じょう で、「フリーハンドで横線 おうせん を引 ひ く」「紙 かみ を動 うご かさずに丸 まる を描 えが く」といった段階 だんかい があり、これを習得 しゅうとく することで、自在 じざい に絵 え が描 えが ける。これは線 せん を書 か くことで適切 てきせつ な一定 いってい の筆 ふで 圧 あつ を維持 いじ する練習 れんしゅう となり、円 えん を書 か くことで360度 ど 全 ぜん 方向 ほうこう へ筆先 ふでさき を滑 すべ らせることが出来 でき るようになる…という理由 りゆう で、様々 さまざま な筆記用具 ひっきようぐ の練習 れんしゅう にも応用 おうよう することが可能 かのう である。
他方 たほう では自由 じゆう に落書 らくが きさせることで、児童 じどう の心理 しんり 状態 じょうたい を調 しら べる分野 ぶんや もあり、精神 せいしん 的 てき な健康 けんこう 状態 じょうたい を落書 らくが きを描 えが かせて測定 そくてい する手法 しゅほう がある。この方法 ほうほう は失語症 しつごしょう に陥 おちい っている大人 おとな にも適用 てきよう されることもある。
健康 けんこう な精神 せいしん 状態 じょうたい にある児童 じどう は、様々 さまざま な物 もの を描 えが く傾向 けいこう が強 つよ いが、紛争 ふんそう や事件 じけん に巻 ま き込 こ まれたり児童 じどう 虐待 ぎゃくたい を受 う けるなど、トラウマ やPTSD によって精神 せいしん 活動 かつどう にダメージを受 う けている児童 じどう では、上手 じょうず に落書 らくが きをすることが出来 でき ない。場合 ばあい によっては極端 きょくたん にデフォルメされた人物 じんぶつ 像 ぞう を描 えが いたり、または意味 いみ のある絵 え が描 えが けなくなってしまう現象 げんしょう も見 み られる。
また精神 せいしん 的 てき なダメージの回復 かいふく に、落書 らくが きを根気 こんき 良 よ くさせることでストレスの原因 げんいん となっている記憶 きおく を吐 は き出 だ させ、治療 ちりょう を行 おこな う方法 ほうほう も存在 そんざい している。これらでは、ストレスの原因 げんいん を絵 え を分析 ぶんせき することで周囲 しゅうい が把握 はあく し、これを取 と り除 のぞ く方向 ほうこう で助 たす けていくとされる。
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