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スバルカスタマイズ工房 - Wikipedia
SUBARU > スバルカスタマイズ工房こうぼう

スバルカスタマイズ工房こうぼう株式会社かぶしきがいしゃ(スバルカスタマイズこうぼう・Subaru Customize Kobo Corporation)は、2003ねん平成へいせい15ねん)から2011ねん平成へいせい23ねん)まで群馬ぐんまけん伊勢崎いせざき存在そんざいした富士重工業ふじじゅうこうぎょうげんSUBARU)の子会社こがいしゃ

17がたS・いすゞLV771R
はとバス バブル絶頂ぜっちょう東京とうきょういろどった

かつて日本にっぽんバスボディーコーチビルダーのリーディングカンパニーであった富士重工業ふじじゅうこうぎょうせいバスのアフターサービス目的もくてき設立せつりつされた。自動車じどうしゃ部門ぶもんはスバルしゃカスタマイズバス部門ぶもん日産にっさんディーゼル(げんUDトラックスしゃのアフターサービス、日産にっさんディーゼルしゃおよびメーカーしゃのリニューアルをおこなっていた。

2011ねん平成へいせい23ねん)4がつ1にちづけおなじく富士重工業ふじじゅうこうぎょうグループである桐生きりゅう工業こうぎょう吸収きゅうしゅう合併がっぺいされ、同社どうしゃ伊勢崎いせざき工場こうじょうとなった。

ほんこうでは、富士重工業ふじじゅうこうぎょうせいバスボディーを主軸しゅじくあつかうこととする。

概要がいよう

編集へんしゅう

民生みんせいデイゼル工業こうぎょう日産にっさんディーゼル (のちのUDトラックス)を中心ちゅうしんに、トヨタニッサンふく大型おおがた自動車じどうしゃかくメーカーのバス車体しゃたいそうしていた。国内こくないシェアならびに生産せいさんすうがトップで、1980ねん昭和しょうわ55ねんごろにそのピークをむかえたが、自家用車じかようしゃ保有ほゆう台数だいすう増加ぞうかともなバス事業じぎょう縮小しゅくしょうと、シャーシメーカーコーチビルダー系列けいれつ生産せいさん台数だいすう減少げんしょうしてった。

まず1997ねん平成へいせい9ねん) - 1998ねん平成へいせい10ねん)にかけて、富士重工ふじじゅうこうでの生産せいさん台数だいすうすくなく、採算さいさんであった三菱みつびしふそう日野自動車ひのじどうしゃへのそうる。また、おなじころいすゞ自動車ずじどうしゃからもシャーシ供給きょうきゅうりを通告つうこくされるものの、富士重工ふじじゅうこうがわ同社どうしゃせいシャーシをおお受注じゅちゅうしていた事業じぎょうしゃ三重交通みえこうつうひとしとう要望ようぼう継続けいぞく生産せいさんされることになった。

その2002ねん平成へいせい14ねん1がつ日産にっさんディーゼルがバス車体しゃたいそう西日本にしにほん車体しゃたい工業こうぎょう西にしこう福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう小倉北こくらきた)に集約しゅうやくすることを決定けっていしたため[1]同年どうねん5月事業じぎょう存続そんぞく困難こんなん判断はんだんし、伊勢崎いせざき製作所せいさくしょおこなっていたバス車体しゃたいそう事業じぎょう2003ねん平成へいせい15ねん3がつえた。そのUDトラックスが2010ねん10がつ29にちづけでバスシャーシから撤退てったい連鎖れんさてき西にしこう同月どうげつ31にちづけ解散かいさんしている(清算せいさん完了かんりょうは2011ねん3がつ)。その同所どうしょ後身こうしんである当社とうしゃ、そして現在げんざいはその後身こうしんである桐生きりゅう工業こうぎょう伊勢崎いせさき工場こうじょうでアフターサービスをおこなっている。富士重工ふじじゅうこうのバス車体しゃたいそう終了しゅうりょうから20ねんちかった現在げんざいでは、同社どうしゃのバス車体しゃたい急速きゅうそくかずらしており、さん大都市だいとしけんでは姿すがたなくなっている。

 
サンバーディアスの商品しょうひん中古ちゅうこしゃ「サブロクサンバー」[2]

2004ねん平成へいせい16ねん)にはスバルせい乗用車じょうようしゃのカスタマイズを手掛てがけ、だいいちだんとしてオリジナルボディーキットをまとったインプレッサレガシィ往年おうねん名車めいしゃスバル360をモチーフにつくられたサブロクサンバー発売はつばいした。

  • 1945ねん - 中島なかじま飛行機ひこうき終戦しゅうせんGHQ接収せっしゅうされ賠償ばいしょう指定してい工場こうじょうとなり富士産業ふじさんぎょうげんSUBARU)へ改称かいしょう
  • 1946ねん - きゅう海軍かいぐん生産せいさん小泉こいずみ製作所せいさくしょがバス車体しゃたい生産せいさん民需みんじゅ転換てんかん申請しんせい小泉こいずみボデー製作所せいさくしょ設立せつりつ中古ちゅうこ日産にっさん180シャシにそうしたジュラルミンせいキャブオーバーT1がた[補足ほそく 1]バス1号車ごうしゃ完成かんせい
  • 1947ねん - 賠償ばいしょう問題もんだい一部いちぶ解決かいけつ小泉こいずみボデー製作所せいさくしょ解散かいさん富士産業ふじさんぎょう伊勢崎いせざき工場こうじょう小泉こいずみボデー製作所せいさくしょのバス事業じぎょう継承けいしょうGHQ払下はらいさげのGMC CCKW353トラックとうにキャブオーバーT3がた(屋根やねまるい)およびT5がたぜんまど凹)ボディーをそう。このころGHQがんだGMCリヤエンジンバス[補足ほそく 2]日本にっぽんのバス関係かんけいしゃ影響えいきょうあたはじめる[補足ほそく 3]
  • 1949ねん - いすゞBX91Gリヤアクスルを流用りゅうようし、民生みんせいKD2がた60psエンジンをたて搭載とうさいした、国産こくさんはつのフレームレスモノコックR5がたボディーのリヤエンジンバスふじごう完成かんせい
    R5がたボディーのふじごう
    富士ふじTR014X-2

     
     
    産業さんぎょう遺産いさんとして伊勢崎いせさき製作所せいさくしょ保存ほぞん
  • 1950ねん - 富士産業ふじさんぎょう富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょう改称かいしょう同年どうねん民生みんせい産業さんぎょう共同きょうどう開発かいはつ[補足ほそく 4]KD3がたよこ搭載とうさいコンドルBR3がたに5がたボディーをそう完成かんせい[補足ほそく 5]
  • 1951ねん -コンドルジュニアBR20けい専用せんよう前面ぜんめんガラスが凹型になっておらずコーナーに曲面きょくめんガラスを使用しようした4分割ぶんかつぜんまど側面そくめんはつのスタンディーウィンドウを採用さいようしたボディーが登場とうじょう形式けいしきR6がたとなる。
  • 1952ねん - それまでのジュラルミンボディーを鋼板こうはんにした7がた登場とうじょう一方いっぽう乗用車じょうようしゃP1試作しさく[補足ほそく 6]開始かいし、2ねん完成かんせい富士ふじ精密せいみつプリンス自動車じどうしゃせいFG4Aがた1.5L45ps搭載とうさいし「すばる」と命名めいめい当時とうじとしては画期的かっきてきなモノコック構造こうぞう前輪ぜんりん独立どくりつのサスペンションを装備そうびしていた。しかし量産りょうさん発売はつばい直前ちょくぜんトヨペット・クラウン競合きょうごう理由りゆう銀行ぎんこう融資ゆうし拒否きょひまぼろしわる。
  • 1954ねん - 凹前まど曲面きょくめんガラスになりAピラーが傾斜けいしゃしてぜんまど上端じょうたんまるくなったボディー登場とうじょう形式けいしき7がた継承けいしょう従来じゅうらいがた7がた平行へいこう生産せいさん[補足ほそく 7]のちにマイナーチェンジし9がたとなる。
  • 1955ねん - 富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょうきゅう中島なかじま飛行機ひこうきけい4しゃ会社かいしゃ共同きょうどう出資しゅっしし、富士重工業ふじじゅうこうぎょう発足ほっそくさせ出資しゅっし5しゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺい[補足ほそく 8]同年どうねんカミンズ160ps搭載とうさいふそうR32シャーシに7がたほそ4おりとびら12mボディが完成かんせいしゃ南米なんべいチリ輸出ゆしゅつ。2ねんがかりで600だいという大量たいりょう受注じゅちゅうであった。 
  • 1956ねん - 東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつ仲介ちゅうかい[補足ほそく 9]によりいすゞリヤエンジンバスBA3かた初号しょごうしゃ完成かんせい国産こくさんディーゼル4しゃモノコックリヤエンジンバスそうのコーチビルダー体制たいせいととのう。
  • 1957ねん - 1954ねんより生産せいさん開始かいしした前面ぜんめん曲面きょくめんガラス傾斜けいしゃタイプの7がた平面へいめんガラス(コーナーのみ曲面きょくめんガラス)に変更へんこうし、形式けいしき9がたとなる。国鉄こくてつけエアサス(民生みんせいRFA)バス完成かんせい以後いご民生みんせい以外いがいのエアサスしゃふくめJRまで国鉄こくてつ御用達ごようたし定着ていちゃくする。
  • 1958ねん - まぼろし乗用車じょうようしゃP1スバル360発売はつばい昇華しょうかする。同年どうねんトヨタFがたリヤエンジンバス生産せいさん
     
    9がた南部なんぶ縦貫じゅうかん鉄道てつどうせんレールバス
    キハ101(日野ひのDS22がた125ps搭載とうさい)
  • 1959ねん - 国鉄こくてつバス110だいはつ受注じゅちゅう都電とでん杉並すぎなみせんよう路面ろめん電車でんしゃにバスボディーそう。レールバス製造せいぞう国際こくさい観光かんこうけセミデッカーバスふそうMAR470完成かんせいいすゞBC151生産せいさん
  • 1960ねん - ワンマンバス開発かいはつ両替りょうがえひかりでんリレーとうワンマン運転うんてん負担ふたん極力きょくりょく軽減けいげんする装置そうち実用じつようされる。
  • 1961ねん - 9がた基本きほん形態けいたい同様どうようながらがわまどに2ほんあったリブのうちしたがわのリブを省略しょうりゃくしたボディーが登場とうじょう形式けいしき11がたとなる。けい合金ごうきんバスの試作しさく同年どうねんスバル360の生産せいさん群馬ぐんま製作所せいさくしょ群馬ぐんまけん太田おおた)へ移管いかん
  • 1962ねん - 国鉄こくてつ7かたち高速こうそくバスふそうMAR820あらため試作しさく試作しさくけい合金ごうきんしゃをモデルにぜんまど上端じょうたんにひさしがいた13がたバスボディー生産せいさん開始かいし道路どうろ鉄道てつどう両用りょうようバス試作しさくトロリーバス生産せいさんピーク。
  • 1963ねん - 日本にっぽんはつちょう大型おおがたまえ2じく12mバスふそうMR430完成かんせい旅客機りょかくき空調くうちょうシステムを応用おうようしたワンユニットしきバスクーラー(通称つうしょうサブエンジンしきエアコン)をはじめて京都きょうと国際こくさい観光かんこうけに搭載とうさい
  • 1964ねん - 国鉄こくてつけトイレ高速こうそくバス完成かんせい13がたB通称つうしょう3B)観光かんこうバスがお誕生たんじょう。いすゞBA-N(ナローしゃ)かたけに14がた生産せいさん開始かいし日本にっぽんはつのコンベアバス組立くみたてライン導入どうにゅう。ボンネットバスそう中止ちゅうし
  • 1965ねん - だいいち事業じぎょう廃止はいし車両しゃりょうバス事業じぎょうとなり伊勢崎いせざき工場こうじょう群馬ぐんま製作所せいさくしょから分離ぶんり伊勢崎いせざき製作所せいさくしょとなる。
 
13がたB・国鉄こくてつ東名とうめい高速こうそくバス仕様しよう
三菱みつびしK-MS504R
  • 1969ねん - 国鉄こくてつ東名とうめい高速こうそくバス三菱みつびしB906RデV8RA120完成かんせい年間ねんかん生産せいさん繁閑はんかんめるためロビンエンジン搭載とうさい脱穀だっこく生産せいさん開始かいし翌年よくねんからハウストレーラーやキャンピングトレーラー「スバルキャンパーO」もがける。
  • 1970ねん - バス事業じぎょう収支しゅうしのターニングポイントをむか車両しゃりょうバス事業じぎょうから分離ぶんりし、バス事業じぎょうとなる。バス車体しゃたい製造せいぞう工程こうてい合理ごうりしん分割ぶんかつ組立くみたて方式ほうしきとなりめんスタイルも変更へんこう(3がた新組しんぐみ)。当期とうき年間ねんかん1700だい生産せいさんそうりつデ44%、いすゞ23%、三菱みつびし13%、日野ひの11%、トヨタ1.5%、日産にっさんが1.5%。
  • 1971ねん - ぜん自動じどう循環じゅんかんしきバス料金りょうきんばこ開発かいはつ当初とうしょのワンマンバス両替りょうがえてい料金りょうきん手動しゅどうしきであったが、区間くかんよう対応たいおうさらにワンマン運転うんてん負担ふたん軽減けいげん同年どうねんバス車体しゃたい更生こうせい修理しゅうり事業じぎょうはじめる。バスボディ製造せいぞうのノウハウをかして仮設かせつユニットハウス・小型こがたプレハブ住宅じゅうたく製造せいぞう開始かいし[3]
  • 1972ねん - 13かたE、F通称つうしょう3E、3Fは前面ぜんめん視野しや拡大かくだいがたていゆかバスデPR105あらため開発かいはつ移動いどう銀行ぎんこうバス生産せいさん
  • 1973ねん - Sがたセミデッカー豪華ごうかサロンバス国際こくさい自動車じどうしゃ完成かんせい日産自動車にっさんじどうしゃ電気でんきバス(DCモーター駆動くどう)とガスタービンバス (300ps) 試作しさく養護ようご学校がっこうこうバス生産せいさん車載しゃさいようかん清涼せいりょう自販機じはんき開発かいはつ
  • 1975ねん - Gがたセミデッカーバス藤田観光ふじたかんこう自動車じどうしゃ完成かんせい。3Bカーブドガラスバス中央ちゅうおう交通こうつう完成かんせい中型ちゅうがたバス(デRM90)14がたボディ量産りょうさん開始かいし。これで中型ちゅうがたバスは4しゃ出揃でそろう。
  • 1976ねん - Pがたパノラマデッカー中央ちゅうおう観光かんこう完成かんせい特殊とくしゅバス(レントゲンしゃとう一貫いっかん生産せいさん開始かいし
  • 1977ねん - 13がたR1フルデッカー中央ちゅうおう観光かんこう完成かんせい
  • 1978ねん - 13がたR2フルデッカー イースタン観光かんこう完成かんせい。リベットレスバスケイエム観光かんこう完成かんせい
  • 1979ねん - 路線ろせんバスけ2エバポレーターしき直結ちょっけつクーラー開発かいはつ
  • 1980ねん - 15がたR3フルデッカー中央ちゅうおう観光かんこう完成かんせい当期とうき年間ねんかん生産せいさん2300だい達成たっせい、ピークをむかえる。
  • 1981ねん - 日本にっぽんはつ3じく大型おおがた観光かんこうバス(デDA50T試作しさく
  • 1982ねん - R3の経験けいけん発展はってんさせぜんモデル15がたキュービック(スケルトンフルモデルチェンジ。7がた以来いらいつづいた車体しゃたい断面だんめん基本きほんせんあらためる。
    15がた・スペースドリーム
     
     
    P-GA66T 熊本くまもと電鉄でんてつ
  • 1983ねん - ダブルデッカーバス(デGA66T試作しさく翌年よくねん発売はつばいされスペースドリームとなる
  • 1984ねん - 科学万博かがくばんぱくつくば85よう連接れんせつバスボルボ・B10M完成かんせい
  • 1985ねん - 新型しんがた観光かんこうバスHD-I(ハイデッカー)、HD-II(スーパーハイデッカー)発売はつばい
  • 1987ねん - ミッドシップ(B10M)シャーシをかしたROHダブルデッカーHD-III FHI-ボルボアステローペ (P-B10MB) 発売はつばい
 
みぎ路線ろせんしゃ改造かいぞうされた15がたR2(通称つうしょうR2)・デP-RA52R(1984ねんしき
ひだり)17がたE(通称つうしょう7E)トップドア仕様しようデU-UA440NSN(1995ねんしき
琉球りゅうきゅうバス当時とうじ
  • 1988ねん - 路線ろせんバス17がたEにフルモデルチェンジ。
  • 1989ねん - アンダーフロアーコックピットバス(いすゞLV719RUFC発売はつばい
  • 1990ねん - 大型おおがた観光かんこうハイデッカーバス17がたM マキシオンにフルモデルチェンジ。
  • 1991ねん - FHI-ボルボアステローペ・スペリオール (U-B10MC) にフルモデルチェンジ。
  • 1992ねん - 大型おおがた観光かんこうスーパーハイデッカーバス17がたSにフルモデルチェンジ。スペリオール調ちょうとなる。
  • 1994ねん - 小型こがたハイデッカーバス(デEN18がたMボディと、中型ちゅうがた18がたEの10.5m(デJP発売はつばい。CNGバス完成かんせい
  • 1995ねん - 日産にっさんディーゼルフィリピン (NDPC) 現地げんち技術ぎじゅつ指導しどう協力きょうりょく大連たいれんでバスクーラー現地げんち生産せいさん。ODAでモンゴルへ大型おおがた路線ろせんバス60だい輸出ゆしゅつデRB)。機動きどう隊員たいいん輸送ゆそうしゃ170だい受注じゅちゅうデRM?)。
  • 1996ねん - クラスはつ小型こがたワンステップバス(デRN)と大型おおがたノンステップ路線ろせんバス(デUA発売はつばい消防車しょうぼうしゃキャビン生産せいさん受託じゅたく開始かいしいすゞバス製造せいぞう一本いっぽん方針ほうしん発表はっぴょうたいつよ継続けいぞくそう要求ようきゅうしかなう。
  • 1997ねん - バス・ハウス事業じぎょう発足ほっそく
 
17がたE・FHI-Volvo連接れんせつバス
京成けいせいバス
  • 1998ねん - 日本にっぽんはつ一般いっぱん路線ろせんようボルボ連接れんせつバス発売はつばい。CNGバス開発かいはつ日野ひの三菱みつびしシャーシへのそう終了しゅうりょうなが隆盛りゅうせいほこった4しゃそうコーチビルディング体制たいせい終止符しゅうしふたれ、1955ねん以来いらいつづいた年間ねんかんバス車体しゃたい生産せいさん1,000だいオーバーをり、当期とうき760だいとなる。
 
17がたEかおのはしごしゃ
デFJ550LN+NIKKI・スカイアクションラダー(川越かわごえ地区ちく消防局しょうぼうきょく
 
おそらく富士重工ふじじゅうこう製造せいぞうした最後さいごいすゞシャーシしゃであろう
九州きゅうしゅうさん交バスのNo.272(17Eマイチェンモデル《しん7E》、2003ねんしきKL-LV280N1エルガみぎ
  1. ^ この時代じだい型式けいしきは、Tはトランジットすなわちキャブオーバーがた、Cはコンベンショナルすなわちボンネット数字すうじはボディー進度しんど世代せだい)をあらわす。ちなみに中島なかじま飛行機ひこうき部品ぶひん番号ばんごうあつかいは通常つうじょう奇数きすうのみですすむ。偶数ぐうすうみぎ半分はんぶんのミラーパーツ(てんじて類似るいじ部品ぶひん)を意味いみし、ミラーでなければ偶数ぐうすうでカウントせず奇数きすうあつかう(機体きたい基本きほんてき左右さゆう対称たいしょうであり、左側ひだりがわだけ管理かんりすればことむからである)。こういう部分ぶぶんにもれいせん生産せいさんすう本家ほんけ上回うわまわったきゅう中島なかじまマスプロ能力のうりょく片鱗へんりん垣間見かいまみることができる。
  2. ^ 日本にっぽんのバス車両しゃりょうこうモノコックこうにGMCリヤエンジンバスについての記述きじゅつがある。
  3. ^ 富士産業ふじさんぎょう軍令ぐんれいよりべいぐんバスの修理しゅうり命令めいれいけフレームレスモノコックバス構造こうぞうたりにすることになる。一方いっぽういすゞどう時期じきにリヤエンジンバスの開発かいはつはじめボディーの製造せいぞう依頼いらい富士産業ふじさんぎょう打診だしんしている。しかしブランドとう条件じょうけんわず決裂けつれつ川崎かわさき産業さんぎょうボディーのいすゞBC10誕生たんじょうとなる
  4. ^ いすゞと決裂けつれつした富士産業ふじさんぎょう民生みんせい産業さんぎょう開発かいはつ協定きょうていむすんだ。しかし、こう1952ねん発売はつばいしたしんにちこく工業こうぎょうボディーの民生みんせいRSイーグルごう富士ふじ民生みんせいあいだ遺恨いこんのこした。
  5. ^ 富士産業ふじさんぎょうバスボディーは業界ぎょうかいない評判ひょうばんになり、全国ぜんこくのバスユーザーはシャーシ系列けいれつ無視むし富士ふじボディーを指定していするようになる。しかしこれは国産こくさんバスシャーシとボディーの系列けいれつを20ねん以上いじょうおくらせることになる。
  6. ^ バスシャーシメーカーの横暴おうぼうさに奮起ふんきして乗用車じょうようしゃ開発かいはつはじまった。
  7. ^ の13がたと13がたEのような関係かんけい
  8. ^ 富士重工業ふじじゅうこうぎょう吸収きゅうしゅう合併がっぺいしたきゅう中島なかじま飛行機ひこうきけい内訳うちわけは、バスの富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょうと、富士工業ふじこうぎょう宇都宮うつのみや車両しゃりょう大宮おおみや富士工業ふじこうぎょう東京とうきょう富士産業ふじさんぎょうの5しゃ中島なかじま時代じだいさかえほまれひとし航空こうくうエンジン製造せいぞう担当たんとうしていた富士ふじ精密せいみつは、戦後せんごはミシンとう製造せいぞうてガソリンエンジン製造せいぞう復活ふっかつ目論もくろみ、当時とうじバスを製造せいぞうしていた富士産業ふじさんぎょう打診だしんしたがなしのつぶてだった経緯けいいをもつ。仕方しかたなくきゅう立川たちかわ飛行機ひこうきけいたま自動車じどうしゃみ、1950ねんからプジョーOHVを参考さんこう乗用車じょうようしゃようガソリンエンジンを製造せいぞうしたのが皮肉ひにくにもP1に搭載とうさいされたFG4Aがたであった。
  9. ^ フレームレスリヤエンジン開発かいはつ決裂けつれつはつのいすゞしゃ当時とうじいすゞは40%のシェアをほこっていた。

バスボディーギャラリー

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1がた - 11がた 1946 - 1968ねん製造せいぞう(1963ねん以降いこうはT11がたのみ)

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  • 1がた
  • 3がた
  • 5がた
  • R6がた
  • 7がた
  • 9がた
  • 11がた

13がた 1963 - 1982ねん製造せいぞう

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  • 13がた
  • 13がたA(3A)
  • 13がたB(3B) ぜんまどじょう拡大かくだい
  • 13がたD(3D)
  • 13がたE(3E)、13がたF(3F)
  • 13がたS(Sデッカー)2はしらじょうルーフにかりまど(イーグルアイ)
  • 13がたG(Gデッカー)4はしらじょうからルーフがたかくなる
  • 13がたP(Pデッカー)Gデッカーのかりまどうえ拡大かくだいしルーフにバルジをもたせ室内しつない天井てんじょうにテレビを格納かくのうした
  • 13がたR1(R1フルデッカー)ぜんまどじょうかりまど増設ぞうせつ
  • 13がたR2(R2フルデッカー)ぜんまどじょう拡大かくだい

R14がた 1964 - 1982ねん製造せいぞう

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  • 14がた
  • 14がたB (4B)
  • 14がたE (4E)

R15がた 1982 - 1990ねん製造せいぞう

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  • 15がたB(5B 標準ひょうじゅんゆか貸切かしきりよう路線ろせんよう
  • 15がたE(5E 路線ろせんよう
  • 15がたR1(高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 15がたR2(R2 高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 15がたR3(R3 R3P 高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 15がたHD1(HD1 高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 15がたHD2(HD2 ちょう高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 15がたHD2 いすゞ・UFCよう

R16がた 1982 - 1994ねん製造せいぞう

編集へんしゅう
  • 16がたB(6B 中型ちゅうがた貸切かしきりよう
  • 16がたE(6E 中型ちゅうがた路線ろせんよう
  • 16がたH1(中型ちゅうがた貸切かしきりよう

R17がた 1988 - 2002ねん製造せいぞう

編集へんしゅう
  • 17がたB(7B、しん7B 標準ひょうじゅんゆか貸切かしきりよう路線ろせんよう
  • 17がたE(7E、しん7E 路線ろせんよう
  • 17がたM(7HD 高床たかゆか貸切かしきりよう マキシオン)
  • 17がたS2(7S ちょう高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 17がたS3(7S ボルボ アステローペ・スペリオールよう 貸切かしきりよう

R18がた 1990 - 2002ねん製造せいぞう

編集へんしゅう
  • 18がたB(8B、中型ちゅうがた貸切かしきりよう
  • 18がたE(8E、中型ちゅうがた路線ろせんよう
  • 18がたM(中型ちゅうがた貸切かしきりよう

R21がた 2000 - 2002ねん製造せいぞう

編集へんしゅう
  • 21がたM(1M 高床たかゆか貸切かしきりよう
  • 21がたS(1S ちょう高床たかゆか貸切かしきりよう

導入どうにゅう地域ちいき

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富士重工ふじじゅうこうせい車体しゃたいそうしたバスは、北海道ほっかいどうから沖繩おきなわけんまで日本にっぽん全国ぜんこくでその導入どうにゅうれいられる。

ただし、そう指定していメーカーとなっていた民生たみお/日産にっさんディーゼル・いすゞをのぞくとその分布ぶんぷにはかたよりがられる。1998ねんまではそう指定していメーカーであったいすゞへのそうおも中京ちゅうきょうけん以東いとう事業じぎょうしゃ導入どうにゅうしていた。日野ひのせいシャーシへのそう少数しょうすうながら各地かくちられるが、三菱みつびしせいシャーシへのそう1990年代ねんだいはいってからは一部いちぶ特定とくてい事業じぎょうしゃのみにかぎられていた。

なお、にちデにかんしては、フルフラットノンステップなど富士重ふじじゅう車体しゃたいそう撤退てったいまで西にしこうでは設定せっていされなかった車種しゃしゅがあったため、京都きょうと交通こうつうきょくなど西にしこうせい車体しゃたい導入どうにゅうしていた事業じぎょうしゃにおいても富士重ふじじゅうせい車体しゃたい導入どうにゅうされた事例じれいがある。また関東かんとうバス小湊こみなと鉄道てつどうのように、シャシーメーカーにかかわらず4メーカーとも富士重ふじじゅうせい車体しゃたいそうしていた事例じれいもある。

また、富士重ふじじゅうせい車体しゃたいしんせい配置はいちがなかった事業じぎょうしゃが、首都しゅとけん事業じぎょうしゃなどからの中古ちゅうこしゃ移籍いせきにより、富士重ふじじゅうせい車体しゃたい導入どうにゅうする事例じれい近年きんねん各地かくちられる。

観光かんこうバスについては、にち以外いがいにいすゞと日野ひのそうされたれいおおられる。とくいすゞ・スーパークルーザーシャーシへはかなりの割合わりあい富士重ふじじゅう車体しゃたいそうしている。日野ひのしゃについてもスーパーハイデッカーをそうしたれいがある。観光かんこうバスについては路線ろせんバスとことなり、関西かんさいけん九州きゅうしゅうでも以外いがいのシャーシに富士重ふじじゅうせい車体しゃたいそうしていた事業じぎょうしゃがある。

参考さんこう文献ぶんけん

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出典しゅってん

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 前面ぜんめん方向ほうこうまく部分ぶぶん採光さいこうまど

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  1. ^ 日産にっさんディ、西日本にしにほん車体しゃたいへのバスボディー発注はっちゅう集約しゅうやく発表はっぴょう. NIKKEI NET (日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ). (2002ねん1がつ16にち). オリジナルの2002ねん1がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20020118131653/http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20020116CIII077616.html 2017ねん3がつ16にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b スバルカスタマイズ工房こうぼう 2004.
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