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SUBARU - Wikipedia

SUBARU

日本にっぽん重工業じゅうこうぎょうメーカー
富士重工業ふじじゅうこうぎょうから転送てんそう

株式会社かぶしきがいしゃSUBARU(スバル、えい: SUBARU CORPORATION[2])は、日本にっぽん自動車じどうしゃなどを製造せいぞうする重工業じゅうこうぎょう会社かいしゃである。2020ねんの2がつ6にちからトヨタ自動車とよたじどうしゃ株式会社かぶしきがいしゃ持分もちぶんほう適用てきよう会社かいしゃとなっている。日経にっけい平均へいきん株価かぶかおよびTOPIX Large70構成こうせい銘柄めいがらひと[3][4]

株式会社かぶしきがいしゃSUBARU
SUBARU CORPORATION
SUBARU本社(エビススバルビル)
SUBARU本社ほんしゃ(エビススバルビル)
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
機関きかん設計せっけい 監査かんさやくかい設置せっち会社かいしゃ[1]
市場いちば情報じょうほう
東証とうしょうプライム 7270
1966ねん3がつ10日とおか上場じょうじょう
略称りゃくしょう スバル
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
150-8554
東京とうきょう渋谷しぶや恵比寿えびすいち丁目ちょうめ20ばん8ごう
(エビススバルビル)
北緯ほくい3538ふん48.4びょう 東経とうけい13942ふん48びょう / 北緯ほくい35.646778 東経とうけい139.71333 / 35.646778; 139.71333座標ざひょう: 北緯ほくい3538ふん48.4びょう 東経とうけい13942ふん48びょう / 北緯ほくい35.646778 東経とうけい139.71333 / 35.646778; 139.71333
設立せつりつ 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月27にち
東邦とうほう化学かがく株式会社かぶしきがいしゃ
業種ぎょうしゅ 輸送ゆそうよう機器きき
法人ほうじん番号ばんごう 5011101019196 ウィキデータを編集
事業じぎょう内容ないよう 自動車じどうしゃ航空機こうくうき製造せいぞう整備せいび自動車じどうしゃ車種しゃしゅ一覧いちらん参照さんしょう
産業さんぎょうよう機器きき製造せいぞう整備せいび
代表だいひょうしゃ 大崎おおさきあつし代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうCEO
早田そうだ文昭ふみあき代表だいひょう取締役とりしまりやくふく社長しゃちょう
資本しほんきん 1537おく9500まんえん
(2024ねん3がつまつ現在げんざい
発行済はっこうずみ株式かぶしき総数そうすう 7おく6917まん5000かぶ
(2022ねん3がつまつ現在げんざい
売上うりあげだか 連結れんけつ:4ちょう7029おく47ひゃくまんえん
単体たんたい:2ちょう5738おく24ひゃくまんえん
(2024ねん3がつ
営業えいぎょう利益りえき 単体たんたい:2320おく99ひゃくまんえん
(2024ねん3がつ
じゅん利益りえき 連結れんけつ:3845おく70ひゃくまんえん
(2024ねん3がつ
そう資産しさん 連結れんけつ:4ちょう814おく49ひゃくまんえん
(2024ねん3がつまつ現在げんざい
従業じゅうぎょう員数いんずう 連結れんけつ:37,693にん
単体たんたい:17,347にん
(2024ねん3がつまつ現在げんざい
決算けっさん 3月31にち
会計かいけい監査かんさじん 有限ゆうげん責任せきにんあずさ監査かんさ法人ほうじん
主要しゅよう株主かぶぬし トヨタ自動車とよたじどうしゃ:20.00%
日本にっぽんマスタートラスト信託しんたく銀行ぎんこう信託しんたくこう):7.57%
日本にっぽんトラスティ・サービス信託しんたく銀行ぎんこう信託しんたくこう):5.33%
みずほ銀行ぎんこう:1.31%
損害そんがい保険ほけんジャパン:1.27%
MIZUHO SECURITIES ASIA LIMITED-CLIENT A/C 69250601:1.31%
日本生命保険にほんせいめいほけん相互そうご会社かいしゃ:1.24%
THE BANK OF NEW YORK MELLON SA/NV 10:1.18
(2020ねん3がつ31にち時点じてん
主要しゅよう子会社こがいしゃ スバル・オブ・アメリカ
SUBARUテクノ株式会社かぶしきがいしゃ
関係かんけいする人物じんぶつ 大原おおはら栄一えいいちもと社長しゃちょう
田島たじま敏弘としひろもと社長しゃちょう
川合かわいいさむもと社長しゃちょう
田中たなかあつしもと社長しゃちょう
竹中たけなか恭二きょうじもと社長しゃちょう
吉永よしなが泰之やすゆきもと社長しゃちょう
長門ながとただしみつぎもとふく社長しゃちょう
外部がいぶリンク www.subaru.co.jp ウィキデータを編集
特記とっき事項じこう株式かぶしき額面がくめん金額きんがく変更へんこうのため、東邦とうほう化学かがく富士重工業ふじじゅうこうぎょうしんしゃ)を存続そんぞく会社かいしゃとしてきゅうしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいされている。(きゅう富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつは1953ねん7がつ17にち 
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かつての商号しょうごうは、「富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」(ふじじゅうこうぎょう、略称りゃくしょう富士重ふじじゅう〈ふじじゅう〉・富士重工ふじじゅうこう〈ふじじゅうこう〉、えい: Fuji Heavy Industries Ltd.略称りゃくしょうFHI)であったが、2017ねん4がつ1にち自動車じどうしゃのブランドめいとしてひろ浸透しんとうしていた「SUBARU(スバル)」に由来ゆらいする「株式会社かぶしきがいしゃSUBARU」に商号しょうごう変更へんこうした。

概要がいよう

編集へんしゅう

日本にっぽん自動車じどうしゃメーカーとしてはふる歴史れきしち、国内こくない規模きぼちいさいながらもレガシィシリーズ、フォレスターインプレッサシリーズなどで世界せかいてき人気にんき知名度ちめいどたか自動車じどうしゃメーカーのひとつである。とく同社どうしゃのアイデンティティである4りん独立どくりつ懸架けんか水平すいへい対向たいこうエンジン技術ぎじゅつ北米ほくべいはじめとする海外かいがいたか評価ひょうかされており、中古ちゅうこしゃ輸出ゆしゅつさかんにおこなわれている。なお、愛媛えひめけん四国しこく中央ちゅうおう本社ほんしゃかみ加工かこうメーカーのスバル株式会社かぶしきがいしゃとは社名しゃめいているが無関係むかんけいである。

1917ねん大正たいしょう6ねん)5がつ中島なかじま知久平ちくへいもと海軍かいぐん機関きかん大尉たいい)によって群馬ぐんまけん新田にったぐん尾島おじままちげん太田おおた)に設立せつりつされた[5] 民営みんえい[6]飛行機ひこうき研究所けんきゅうじょ前身ぜんしんとする[7]太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせんGHQにより財閥ざいばつ解体かいたい対象たいしょうとなった中島なかじま飛行機ひこうき(1945ねん昭和しょうわ20ねん)に富士産業ふじさんぎょう改称かいしょう)がプリンス自動車じどうしゃ工業こうぎょうとも解体かいたいされたのが 、富士重工業ふじじゅうこうぎょうのルーツである。

軍需ぐんじゅから軍需ぐんじゅ産業さんぎょうへの転換てんかんスクーターバスなどの輸送ゆそうよう機器きき開発かいはつ企業きぎょう分割ぶんかつなどをて、きゅう中島なかじまけい主要しゅよう企業きぎょう共同きょうどうにより1953ねん昭和しょうわ28ねん)に富士重工業ふじじゅうこうぎょう設立せつりつ。1955ねん昭和しょうわ30ねん)に参画さんかく各社かくしゃ富士重工業ふじじゅうこうぎょう合併がっぺいされることで企業きぎょうとしてのさい合同ごうどうたした。

1958ねん昭和しょうわ33ねん発売はつばいけい乗用車じょうようしゃスバル・360」と、その派生はせいがたである1961ねん昭和しょうわ36ねん発売はつばいけい商用しょうようしゃスバル・サンバー」が技術ぎじゅつてき商業しょうぎょうてきおおきな成功せいこうおさめたことで、以後いごスバル」ブランドの自動車じどうしゃメーカーとしての地位ちい確立かくりつ。その分野ぶんやにも多角たかくてき進出しんしゅつしながら現在げんざいいたっている。

富士重工業ふじじゅうこうぎょう誕生たんじょうまで

編集へんしゅう

中島なかじま飛行機ひこうき

編集へんしゅう
 
よんしきせん疾風しっぷう

中島なかじま飛行機ひこうきは、しゅとして太平洋戦争たいへいようせんそう敗戦はいせんまで陸海りくかいぐん需要じゅようこたえ、軍用ぐんようおよび航空こうくうようエンジン開発かいはつ製造せいぞうんだメーカーである。三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう川崎かわさき航空機こうくうきならぶ、日本にっぽん最大さいだい規模きぼ航空機こうくうき製造せいぞう会社かいしゃであった。

とく技師ぎしちょう小山こやま指揮しき陸軍りくぐん陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたい)の歴代れきだい主力しゅりょく戦闘せんとうきゅうななしき戦闘せんとう一式いっしき戦闘せんとうはやぶさしき戦闘せんとう鍾馗しょうきよんしき戦闘せんとう疾風しっぷう[注釈ちゅうしゃく 1] など、多数たすう著名ちょめい軍用ぐんようおくした。実戦じっせん投入とうにゅうらなかったが、日本にっぽんはつジェットエンジン搭載とうさいたちばなはな」の機体きたい製造せいぞう中島なかじまっている。

航空こうくう発動はつどう部門ぶもんでは、軍用ぐんようゆえの生産せいさんせい戦闘せんとうにおける生存せいぞんせい前線ぜんせんでの整備せいびせいなどから空冷くうれいほしがたエンジンにほぼとくしており、一式いっしきせんはやぶさ」やれいしき艦上かんじょう戦闘せんとうれいせん搭載とうさいされた「さかえ(ハ25)」、よんしきせん疾風しっぷう」や「紫電しでんあらため」に搭載とうさいされた「ほまれ(ハ45)」などを開発かいはつした。

企業きぎょう解体かいたい軍需ぐんじゅ産業さんぎょうへの転進てんしん

編集へんしゅう

日本にっぽん敗戦はいせんとともに、GHQより航空機こうくうき研究けんきゅう製造せいぞう一切いっさい禁止きんしされ、中島なかじま飛行機ひこうきあらたに富士産業ふじさんぎょう[注釈ちゅうしゃく 2]改称かいしょうされた。戦時せんじちゅう最先端さいせんたん航空機こうくうき開発かいはつんだ技術ぎじゅつしゃたちの生活せいかつは、かく工場こうじょうごとに、自転車じてんしゃリヤカー自動車じどうしゃ修理しゅうりてはなべがま衣類いるいばこ乳母車うばぐるまなどの金属きんぞく製品せいひんつくって糊口ここうしの日々ひびへと一変いっぺんした。

このような状況じょうきょうなか太田おおた三鷹みたか工場こうじょう技術ぎじゅつしゃたちは、進駐軍しんちゅうぐん兵士へいしたちが当時とうじ移動いどう利用りようしていたアメリカせいスクーターパウエル」に着目ちゃくもくする。軽便けいべん移動いどう手段しゅだんとしての販路はんろ見込みこめるとかんがえられたことからスクーターの国産こくさん計画けいかくされ、早速さっそく敗戦はいせんのこっていた陸上りくじょう爆撃ばくげき銀河ぎんが」のをタイヤに利用りようして試作しさく、1947ねん昭和しょうわ22ねん)に「ラビットスクーター」として発売はつばいした。ラビットは運転うんてん簡易かんいあつかいやすかったことから、戦後せんご日本にっぽん混乱こんらんにおいて市場いちば人気にんきはくし、会社かいしゃ基盤きばんささえる重要じゅうよう商品しょうひんとなった。ラビットシリーズのスクーターは、モデルチェンジをかえしつつ富士重工業ふじじゅうこうぎょう成立せいりつの1968ねん昭和しょうわ43ねん)まで生産せいさんされた。

また航空機こうくうき製造せいぞうつちかった板金ばんきん木工もっこう技術ぎじゅつ活用かつようし、1946ねん昭和しょうわ21ねん)からバスボディそうにも進出しんしゅつとく従前じゅうぜんボンネットバスよりゆか面積めんせきおおきくれるキャブオーバーがたボディのそうで、輸送ゆそう力不足ちからぶそくなやむバス会社かいしゃから人気にんきた。さらに1949ねん昭和しょうわ24ねん)にはアメリカせいリアエンジンバスにならい、得意とくい航空機こうくうき製造せいぞう技術ぎじゅつかした、日本にっぽんはつモノコックボディ・リアエンジンバス「ふじごう」が完成かんせい。フロントエンジンがたキャブオーバーバスよりさらにスペース効率こうりつすぐれることから成功せいこうおさめ、以降いこう日本にっぽんのバスボディ・シャーシ主流しゅりゅうリアエンジン移行いこうしていった。

このようにして軍需ぐんじゅ産業さんぎょう転進てんしんした富士産業ふじさんぎょうであったが、1950ねん昭和しょうわ25ねん)8がつ当時とうじ政策せいさくによって財閥ざいばつ解体かいたい対象たいしょうとなり、工場こうじょうごとに15しゃ以上いじょう分割ぶんかつされてしまった。

富士重工業ふじじゅうこうぎょう成立せいりつ

編集へんしゅう
 
富士工業ふじこうぎょう三鷹みたか工場こうじょうにおける労働ろうどう運動うんどう(1950ねんあき

1950ねん昭和しょうわ25ねん)6がつ勃発ぼっぱつした朝鮮ちょうせん戦争せんそうは、戦後せんご不況ふきょうにあえぐ日本にっぽんに「朝鮮ちょうせん特需とくじゅ」をもたらしただけでなく、GHQの日本にっぽん占領せんりょう政策せいさく一変いっぺんさせた。1952ねん昭和しょうわ27ねん)4がつサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく発効はっこうすると、きゅう財閥ざいばつから民間みんかん賠償ばいしょうようとしてGHQに接収せっしゅうされていた土地とち建物たてもの所有しょゆうしゃ返還へんかんはじまった。富士工業ふじこうぎょう太田おおた三鷹みたか工場こうじょう)、富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょう伊勢崎いせさき工場こうじょう)を中心ちゅうしんとしたきゅう中島なかじま飛行機ひこうきグループないでのさい合同ごうどううごきがにわかに活発かっぱつ、1952ねん昭和しょうわ27ねん)12月、大宮おおみや富士工業ふじこうぎょう大宮おおみや工場こうじょう)、東京とうきょう富士産業ふじさんぎょうきゅう中島なかじま飛行機ひこうき本社ほんしゃ)をくわえた4しゃ合併がっぺい同意どうい文書ぶんしょ調印ちょういんした。

おなごろ、1953ねん昭和しょうわ28ねん)の保安庁ほあんちょうげん防衛ぼうえいしょう予算よさん練習れんしゅう調達ちょうたつ予算よさん計上けいじょうされ、航空機こうくうき生産せいさん再開さいかいけて、ビーチ・エアクラフトT-34 メンター製造せいぞうライセンス獲得かくとく国内こくない航空機こうくうきメーカー各社かくしゃ一斉いっせいうごした。当時とうじさい合同ごうどう途上とじょうにあったきゅう中島なかじま飛行機ひこうきグループもさい合同ごうどううごきを加速かそくさせた。1953ねん昭和しょうわ28ねん)5がつには、鉄道てつどう車両しゃりょうメーカーとなっていた宇都宮うつのみや車輛しゃりょう宇都宮うつのみや工場こうじょう)があらたにさい合同ごうどう参加さんかすることがまり、1953ねん昭和しょうわ28ねん)7がつ15にち、5しゃ出資しゅっしによる航空機こうくうき生産せいさん事業じぎょう目的もくてきとするしん会社かいしゃ富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ発足ほっそくした[注釈ちゅうしゃく 3]ちなみにまるなかに6つのほしえがかれたSUBARUのロゴマークは、この「5しゃあつまって1つのおおきな会社かいしゃになった」ことをしめしている。

1954ねん昭和しょうわ29ねん)9がつ、6しゃ合併がっぺい契約けいやくしょ調印ちょういん。1955ねん昭和しょうわ30ねん)4がつ1にち富士重工業ふじじゅうこうぎょうは、富士工業ふじこうぎょう富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょう大宮おおみや富士工業ふじこうぎょう宇都宮うつのみや車輛しゃりょう東京とうきょう富士産業ふじさんぎょうの5しゃ吸収きゅうしゅうし、正式せいしき富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃとしてスタートした(当時とうじ資本しほんきん:8おく3050まんえん従業じゅうぎょういん:5,643めい)。ロゴは「富士重工ふじじゅうこう」で、「じゅう」の1かくがないかたちになっており、ながらく使用しようされた。これは、富士重工ふじじゅうこう文字もじすべせん対称たいしょうであることもねている。

きゅう中島なかじま飛行機ひこうき発動はつどう開発かいはつ拠点きょてんで、荻窪おぎくぼ工場こうじょう浜松はままつ工場こうじょういだ富士ふじ精密せいみつ工業こうぎょうは、中島なかじま飛行機ひこうきさい合同ごうどううごきが本格ほんかくした1952ねん昭和しょうわ27ねん)には、事実じじつじょうすでにタイヤメーカーのブリヂストン資本しほんはいっており[注釈ちゅうしゃく 4]さい合同ごうどうには参加さんかしなかった[注釈ちゅうしゃく 5]。また、このときさい合同ごうどうくわわらなかった、富士機械ふじきかい工業こうぎょう[注釈ちゅうしゃく 6] など3しゃは、のち富士重工業ふじじゅうこうぎょう関連かんれん会社かいしゃとしてくわわっている。

富士重工業ふじじゅうこうぎょうは、1966ねん昭和しょうわ41ねん)に東邦とうほう化学かがく株式会社かぶしきがいしゃ合併がっぺいし、存続そんぞく会社かいしゃ東邦とうほう化学かがく株式会社かぶしきがいしゃとした。この存続そんぞく会社かいしゃ東邦とうほう化学かがく株式会社かぶしきがいしゃは1965ねん昭和しょうわ40ねん)に商号しょうごう富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃあらためたうえ合併がっぺいしているため、一貫いっかんして継続けいぞくしたどういち名称めいしょうではあるが、法律ほうりつてきには従来じゅうらい富士重工業ふじじゅうこうぎょうは1965ねん昭和しょうわ40ねん)に一旦いったん消滅しょうめつしている。これは株式かぶしき額面がくめん金額きんがく変更へんこう目的もくてき事務じむてきなものである。

1966ねん昭和しょうわ41ねん)、それまで東京とうきょうまるうち内外ないがいビルディング所在しょざいしていた本社ほんしゃ機能きのう新宿しんじゅくえき西口にしぐち新宿しんじゅく西新宿にししんじゅく)に自社じしゃ建設けんせつした「新宿しんじゅくスバルビル」に移転いてんした。

その推移すいい業務ぎょうむ提携ていけい

編集へんしゅう

このふしでは自動車じどうしゃ部門ぶもんについてべる。

レオーネ発売はつばいした1970年代ねんだい初頭しょとうから、本格ほんかくてきアメリカ市場いちばへの進出しんしゅつ開始かいしした。オイルショック排気はいきガス規制きせいなどの消費しょうひしゃ自動車じどうしゃたいする要求ようきゅう変化へんかや、当時とうじえんやす背景はいけいとした廉価れんかせい武器ぶきに、国産こくさんメーカーとおなじくアメリカ市場いちばでの販売はんばい台数だいすう飛躍ひやくてきばすことに成功せいこうした。

1968ねん昭和しょうわ43ねん)から1999ねん平成へいせい11ねん)まではメインバンク(日本興業銀行にほんこうぎょうぎんこう/げん: みずほ銀行ぎんこう)がおな日産自動車にっさんじどうしゃ提携ていけいし、日産にっさん・チェリーパルサーサニーなどの委託いたく生産せいさん請負うけおい、工場こうじょう稼働かどうりつ上昇じょうしょうはかっていた。しかし、これらよこきエンジンの受託じゅたく車両しゃりょうとスバルしゃとはボディ骨格こっかくからがおおきくことなるため、設計せっけい部品ぶひん共用きょうようなどが本格ほんかくてきおこなわれることはなかった[注釈ちゅうしゃく 7]一方いっぽう水面すいめんでは、インプレッサの企画きかく段階だんかいにおいて直列ちょくれつ4気筒きとうよこきした試作しさくしゃつくられ、水平すいへい対向たいこう制約せいやくからのがれて「ひろ意味いみでの汎用はんようせい」におもきを商品しょうひん政策せいさくかじうごきもあった。しかし、スイッチるいやキーシリンダーなどは日産自動車にっさんじどうしゃ一部いちぶ車種しゃしゅ共通きょうつう部品ぶひんであった。

1968ねん2がつスバルオブアメリカ(Subaru of America, Inc., SOA)設立せつりつ同年どうねんイスラエル進出しんしゅつ皮切かわきりに(エピソードらん参照さんしょう)、1970年代ねんだい中盤ちゅうばんから、南米なんべいオーストラリア中心ちゅうしんとしたアジアオセアニア地方ちほう中東ちゅうとうヨーロッパなどにも進出しんしゅつした。1970年代ねんだい以前いぜんには年産ねんさん10まんだいにもたなかった生産せいさん台数だいすうを、1970年代ねんだい後半こうはんには20まんだい規模きぼにまでやし、順調じゅんちょう企業きぎょう規模きぼ拡大かくだいした。

1985ねん昭和しょうわ60ねん)9がつプラザ合意ごうい以降いこう急激きゅうげきえんだかとアメリカ市場いちばとの「共生きょうせい」がもとめられるようになった時代じだい背景はいけいなかで、北米ほくべい市場いちばでの深刻しんこく販売はんばい不振ふしん直面ちょくめんした。1987ねん昭和しょうわ62ねん)、いすゞ自動車ずじどうしゃとの共同きょうどう出資しゅっしで、スバル・イスズ・オートモーティブ(SIA)を設立せつりつして現地げんち生産せいさん開始かいしした[注釈ちゅうしゃく 8] が、おも魅力みりょくてき車種しゃしゅ展開てんかいはかれなかったことや、企業きぎょう規模きぼから国産こくさんメーカーとくら製造せいぞう経費けいひ劇的げきてきげることができなかったことなどから、1989ねんには300おくえんもの営業えいぎょう赤字あかじ転落てんらくし、深刻しんこく経営けいえい危機ききほうじられるまでになった。

しかし、おりからの「バブル景気けいき」によって資金しきん調達ちょうたつのめどが順調じゅんちょうったことや、1989ねん1がつレガシィ発売はつばい以来いらい順調じゅんちょう国内こくない市場いちば北米ほくべい市場いちばでの販売はんばい回復かいふくすることに成功せいこうした。1990ねん平成へいせい2ねん)には日産ディにっさんでぃゼル工業ぜるこうぎょうげんUDトラックス)の経営けいえい再建さいけん手腕しゅわん発揮はっきした川合かわいいさむした地道じみち経費けいひ削減さくげん努力どりょくつづけられた。世界せかいラリー選手権せんしゅけん(WRC)への出場しゅつじょうなど、コーポレーテッド・イメージ(CI)の積極せっきょくてき訴求そきゅう効果こうかとあわせ、年産ねんさん100まんだい規模きぼ世界せかいてき比較的ひかくてき小規模しょうきぼ量産りょうさんひんメーカーとして現在げんざいいたっている。

バブル崩壊ほうかい日産自動車にっさんじどうしゃ経営けいえい不振ふしんおちいり、経営けいえい再建さいけん一環いっかんとして日産自動車にっさんじどうしゃ保有ほゆう富士重工業ふじじゅうこうぎょうかぶ売却ばいきゃくめ、2000ねん平成へいせい12ねん)に放出ほうしゅつかぶすべてがゼネラルモーターズ(GM)に売却ばいきゃくされた[注釈ちゅうしゃく 9]

2005ねん平成へいせい17ねん)10がつ5にちにはGMの業績ぎょうせき悪化あっかともない、GMが保有ほゆうする富士重工ふじじゅうこうかぶ20%をすべ放出ほうしゅつした。放出ほうしゅつかぶのうち8.7%をトヨタ自動車とよたじどうしゃけて筆頭ひっとう株主かぶぬしとなり、富士重工業ふじじゅうこうぎょうトヨタ自動車とよたじどうしゃ提携ていけいすることで合意ごういした。トヨタとの資本しほん提携ていけいによるスバルの恩恵おんけいおおきく、稼働かどうりつがっていたスバルの北米ほくべい工場こうじょうで「トヨタ・カムリ」の生産せいさんったり、品質ひんしつ管理かんり経費けいひ削減さくげん方法ほうほうまなんだりするなどして利益りえきりつたかめた。また北米ほくべいとくくるまづくりに転換てんかんする一方いっぽうで、風力ふうりょく発電はつでん事業じぎょう軽自動車けいじどうしゃ生産せいさんから撤退てったいするなどの「選択せんたく集中しゅうちゅう」をすすめた。軽自動車けいじどうしゃ保有ほゆうそうざらとしてダイハツ工業だいはつこうぎょうくるまOEMけ、販売はんばい継続けいぞくすることとした[8]。こうした努力どりょくが2015ねん利益りえきりつ業界ぎょうかい1つながっている。また2012ねん86/BRZ生産せいさん販売はんばいも、トヨタとの提携ていけいかそうと模索もさくしていたことがきっかけであった。

2010ねん平成へいせい22ねん)8がつ東京とうきょう新宿しんじゅく本社ほんしゃビル(新宿しんじゅくスバルビル)が老朽ろうきゅうしたことなどにともない、建物たてもの小田急電鉄おだきゅうでんてつ売却ばいきゃくしたうえで、本社ほんしゃ機能きのう東京とうきょう渋谷しぶや恵比寿えびす東京とうきょうスバル本社ほんしゃはいっていた「エビススバルビル(きゅう)」の跡地あとちあらたにえる「エビススバルビル(しん)」へ移転いてんさせることを発表はっぴょう2014ねん平成へいせい26ねん)8がつ18にち本社ほんしゃ移転いてん完了かんりょうした。なお、エビススバルビル(しん)の一角いっかくはスバル恵比寿えびすショールーム(スバル スター スクエア)および東京とうきょうスバル恵比寿えびすてんとして機能きのうする。

2013ねん平成へいせい23ねん)1がつ、ロボット開発かいはつくにからの補助ほじょきん不正ふせい受給じゅきゅうしていたことが判明はんめいし、経済けいざい産業さんぎょうしょうしんエネルギー・産業さんぎょう技術ぎじゅつ総合そうごう開発かいはつ機構きこう(NEDO)からけい8おく250まんえん返還へんかん処分しょぶんおよび補助ほじょきん交付こうふ停止ていし処分しょぶんけた[9]

2016ねん平成へいせい28ねん)5がつ、2017ねん平成へいせい29ねん)4がつ1にちづけ商号しょうごうを「富士重工業ふじじゅうこうぎょう株式会社かぶしきがいしゃ」から「株式会社かぶしきがいしゃSUBARU」に変更へんこうすることを臨時りんじ取締役とりしまりやくかい決議けつぎした[10]

2016ねん10がつ1にち産業さんぎょう機器きき部門ぶもん自動車じどうしゃ部門ぶもん統合とうごうされた。その、12月7にちに「2017ねん9がつ30にちをもって事業じぎょう終息しゅうそくし、一部いちぶ技術ぎじゅつ資産しさん米国べいこく販売はんばい子会社こがいしゃ10がつ1にちけでヤマハ発動機やまははつどうき譲渡じょうとする契約けいやく締結ていけつした」と正式せいしき発表はっぴょうした[11]。これにより、SUBARUは以後いご自動車じどうしゃ生産せいさん航空こうくう関連かんれんとくした企業きぎょうとなり、商号しょうごう変更へんこうとともにしん時代じだいむかえることとなった。

べいシカゴ・トリビューン』では、スバルの北米ほくべい市場いちばでの成功せいこうは、よんりん駆動くどう安全あんぜんせい裏付うらづけるたしかな商品しょうひんぐんを、適正てきせい価格かかく販売はんばいできるからだと指摘してきしている[12]。『東洋とうよう経済けいざい』によると、米国べいこくにおける在庫ざいこ回転かいてん期間きかんは、他社たしゃがいして2かげつのところスバルは半月はんつき程度ていどぎず、販売はんばい奨励しょうれいきんは570ドルであり、1,000ドル以下いか異例いれいほうじている[13]

2019ねんにはトヨタが出資しゅっし比率ひりつを20.00%に増加ぞうかさせて持分もちぶんほう適用てきよう会社かいしゃ(=関連かんれん会社かいしゃ)となり、同時どうじにスバルもトヨタのかぶって連携れんけい強化きょうかした。また、EVのSUVのプラットフォームをトヨタと共同きょうどう開発かいはつすることも発表はっぴょうされた[14]

航空機こうくうきさい生産せいさん

編集へんしゅう
 
T-34 メンター
 
富士ふじ T-1

1953ねん昭和しょうわ28ねん)9がつ富士重工業ふじじゅうこうぎょうビーチ・エアクラフトしゃと「T-34 メンター」の製造せいぞうライセンス契約けいやく調印ちょういん1955ねん昭和しょうわ30ねん)10がつ国産こくさん1号機ごうき完成かんせいさせ、防衛庁ぼうえいちょうげん防衛ぼうえいしょう)への納入のうにゅう開始かいしした。さらに1957ねん昭和しょうわ32ねん)11月、戦後せんごはつ国産こくさんジェット機じぇっときT-1(練習れんしゅうはつたか)」の開発かいはつ成功せいこう中等ちゅうとう練習れんしゅうとして1963ねん昭和しょうわ38ねん)までに66防衛庁ぼうえいちょう納入のうにゅうした。

1965ねん昭和しょうわ40ねん)8がつ民間みんかんけい飛行機ひこうきFA-200「エアロスバル」はつ飛行ひこう成功せいこうよく1966ねん昭和しょうわ41ねん)10がつから販売はんばい開始かいしていつばさしき機体きたい採用さいようしたFA-200は低速ていそく安定あんていせいすぐれ、アクロバット飛行ひこうなども可能かのう万能ばんのうとして好評こうひょうはくし、298生産せいさんした。

戦後せんごはつ国産こくさん旅客機りょかくきYS-11」の開発かいはつにも参加さんか主翼しゅよくけた尾翼びよく担当たんとう。この経験けいけんはのちに、1973ねん昭和しょうわ48ねん)12月、アメリカ・ボーイングしゃボーイング747生産せいさん分担ぶんたん契約けいやく結実けつじつし、1974ねん昭和しょうわ49ねん)にはしん世代せだい旅客機りょかくきボーイング767国際こくさい共同きょうどう開発かいはつプロジェクトに参加さんか国際こくさい分業ぶんぎょうおおきな役割やくわりたした。

一方いっぽうで1974ねん昭和しょうわ49ねん)、富士重工業ふじじゅうこうぎょう米国べいこくロックウェル・インターナショナルしゃ双発そうはつビジネスFA-300共同きょうどう開発かいはつ開始かいし。1975ねん昭和しょうわ50ねん)11月にはつ飛行ひこう成功せいこう、1977ねん昭和しょうわ52ねん)から販売はんばい開始かいしした。しかし、オイルショック打撃だげきによりロックウェルしゃけい飛行機ひこうき事業じぎょうから撤退てったい計画けいかく頓挫とんざ。FA-300はわずか42生産せいさんり、富士重工業ふじじゅうこうぎょう小型こがた自社じしゃ開発かいはつ断念だんねんする結果けっかとなった。

以上いじょうのように民需みんじゅ民間みんかん)については限定げんていされた実績じっせきにとどまるが、官需かんじゅ(もっぱら陸海空りくかいくうかく自衛隊じえいたい)については「T-34」や「T-1」ののち順調じゅんちょう実績じっせきかさねてきた。詳細しょうさい#航空こうくう宇宙うちゅう部門ぶもんふし参照さんしょう民間みんかんについても、1990年代ねんだい以後いご潮流ちょうりゅうとしてえてきている国際こくさい複数ふくすう企業きぎょうによる共同きょうどう開発かいはつにいくつか関与かんよしている。

歴代れきだい社長しゃちょう

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生産せいさん部門ぶもん

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自動車じどうしゃ部門ぶもん

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主力しゅりょくのSUBARU群馬ぐんま製作所せいさくしょとその矢島やじま工場こうじょうがある群馬ぐんまけん太田おおたと、大泉おおいずみ工場こうじょうがあるどうけん大泉おおいずみまち周辺しゅうへんふくめて下請したう企業きぎょうおおく、企業きぎょう城下町じょうかまちとなっている(「太田おおた#産業さんぎょう」「大泉おおいずみまち#産業さんぎょう参照さんしょう)。そこではたらくために南米なんべい日系にっけいじんらがおおうつみ、太田おおた大泉おおいずみまち外国がいこくじんしゅうじゅう都市とし会議かいぎのメンバーとなるなど[15] 地域ちいき社会しゃかいへの影響えいきょうおおきい。群馬ぐんま製作所せいさくしょほん工場こうじょう所在地しょざいち地名ちめいスバルまちとなっている。

太田おおたおな両毛りょうけエリアには、研究けんきゅう開発かいはつ部門ぶもんとしてスバル研究けんきゅう実験じっけんセンター(栃木とちぎけん佐野さの)をゆうする[16]どうセンターの美深びふか試験場しけんじょう北海道ほっかいどう美深びふかまち)には、走行そうこう試験しけん運転うんてん支援しえん技術ぎじゅつなどの開発かいはつ使つかうテストコースをそなえている[17]

日本にっぽんなら主要しゅよう市場いちばであるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、現地げんち生産せいさんおこなっている。

航空こうくう宇宙うちゅう部門ぶもん

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環境かんきょう技術ぎじゅつ部門ぶもん

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  • エコ宇都宮うつのみや工場こうじょう栃木とちぎけん宇都宮うつのみや
    • かつて鉄道てつどう車両しゃりょう塵芥じんかい収集しゅうしゅうしゃフジマイティー生産せいさんしていた。業界ぎょうかいではトップシェアをほこっていた。現在げんざい航空機こうくうき部品ぶひんおも製造せいぞうしている。

航空こうくう宇宙うちゅう部門ぶもん

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UH-2

日本航空にほんこうくう業界ぎょうかい草分くさわけである中島なかじま飛行機ひこうき後身こうしんで、現在げんざい日本にっぽん航空こうくう宇宙うちゅう業界ぎょうかいだいさんであり、防衛ぼうえいしょう航空機こうくうき製造せいぞう開発かいはつおよ定期ていき整備せいびボーイングしゃ分担ぶんたん生産せいさん中心ちゅうしんとし、その 海上保安庁かいじょうほあんちょう消防しょうぼう警察けいさつけのヘリコプター生産せいさん整備せいびひろっている。なかでも固定こていつばさ主翼しゅよく製造せいぞうには業界ぎょうかい屈指くっし技術ぎじゅつ品質ひんしつほこり、ボーイングからボーイング787開発かいはつかかわる企業きぎょうなかとく高度こうど能力のうりょくつサプライヤーとしてたか評価ひょうかする表彰ひょうしょうけているほか、たいせん哨戒しょうかいP-1輸送ゆそうC-2など(おも主翼しゅよく製造せいぞう)の国内こくない開発かいはつでもおおきく貢献こうけんしている。 40mちょう主翼しゅよく製造せいぞう能力のうりょく設備せつび世界せかいでもボーイングやエアバスぐレベルである。

ふくごうざい製品せいひんについても、世界せかい屈指くっし技術ぎじゅつりょくつ。ふくあい材料ざいりょう実機じっき適用てきよう国内こくないメーカーの先駆せんくてき役割やくわりたしている。

民間みんかん分野ぶんやではYS-11開発かいはつ参加さんかFA-200販売はんばい国産こくさん実績じっせきんでいる。

無人むじん航空機こうくうき開発かいはつにも積極せっきょくてきであり、標的ひょうてき無人むじん偵察ていさつなど自衛隊じえいたいけの機体きたいおもとし、将来しょうらい無人むじん活躍かつやく見据みすえた複数ふくすう新型しんがた無人むじん開発かいはつかかわっている。任務にんむ多様たよう機能きのう高度こうどけ、様々さまざま技術ぎじゅつ研究けんきゅう開発かいはつちゅうである。

さらには宇宙うちゅう航空こうくう研究けんきゅう開発かいはつ機構きこう(JAXA)のちょう音速おんそく実験じっけんD-SEND製造せいぞう開発かいはつ航空こうくう自衛隊じえいたい先進せんしん技術ぎじゅつ実証じっしょうX-2)の主翼しゅよく尾翼びよく製造せいぞう開発かいはつなど日本にっぽん航空こうくう宇宙うちゅう産業さんぎょう発展はってんのための高度こうど先進せんしん技術ぎじゅつ研究けんきゅう開発かいはつにも数多かずおお参加さんかし、実績じっせきのこしている。

沿革えんかく

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  • 1958ねん昭和しょうわ33ねん)1がつ16にち - だい世界せかい大戦たいせん後日ごじつ本初ほんしょジェット機じぇっときT-1練習れんしゅう開発かいはつはつ飛行ひこう成功せいこうする。
  • 1978ねん昭和しょうわ53ねん)1がつ17にち - T-3練習れんしゅうはつ飛行ひこう。3月から量産りょうさん納入のうにゅうされた。生産せいさんすうは50
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん)4がつ27にち - T-5練習れんしゅうはつ飛行ひこう
    • 主力しゅりょくであった固定こていつばさ製造せいぞうからベルエアクラフトとのライセンス契約けいやくによるヘリコプタ製造せいぞうUH-1AH-1)へと製造せいぞう主軸しゅじくうつしてから固定こていつばさ製造せいぞうへの積極せっきょくてき参加さんかをしていなかったが、富士重工業ふじじゅうこうぎょうはつ社長しゃちょうであった竹中たけなか恭二きょうじぜん社長しゃちょう体制たいせい中期ちゅうき経営けいえい計画けいかくFDR-1により固定こていつばさ製造せいぞう中心ちゅうしんとした製造せいぞう体制たいせいふたた本格ほんかくJIS-Q-9100 制定せいていにあたり中心ちゅうしんてき役割やくわりたした。
  • 1994ねん平成へいせい6ねん)4がつ9にち - ボーイング777の1号機ごうきがロールアウト。「世界せかい最大さいだい双発そうはつ旅客機りょかくき」の開発かいはつ製造せいぞう参加さんか中央ちゅうおうつばさ分担ぶんたんする。
  • 2002ねん平成へいせい14ねん)7がつ9にち - T-3あらためはつ飛行ひこう。2003ねん平成へいせい15ねん)4がつT-7練習れんしゅうとして制式せいしき採用さいようされた。
  • 2002ねん平成へいせい14ねん)6がつ - エアバスA380参加さんか垂直すいちょく尾翼びよくぜんえんつばさはし、フェアリングを分担ぶんたんする。
  • 2005ねん平成へいせい17ねん)に開発かいはつ決定けっていしたボーイング787開発かいはつにも参加さんかしている(くわしくはYX共同きょうどう開発かいはつ参照さんしょう)。
  • 2008ねん平成へいせい20ねん)から、MRJ(三菱みつびしリージョナルジェット)(げんMitsubishi SpaceJet)の設計せっけいのために技術ぎじゅつしゃ出向しゅっこうしていた。
  • 2015ねん平成へいせい27ねん

製品せいひん

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防衛ぼうえいしょうむこう

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ライセンス生産せいさん
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分担ぶんたん生産せいさん
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民間みんかんむこう

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自社じしゃ開発かいはつ
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コンセプト
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分担ぶんたん生産せいさん
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ライセンス生産せいさん
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  • 204B 中型ちゅうがたぶつ輸ヘリコプタ(ベルエアクラフト
  • 205B 中型ちゅうがたぶつ輸ヘリコプタ(ライセンスをけて独自どくじ改良かいりょう

宇宙うちゅう関連かんれん機器きき

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環境かんきょう技術ぎじゅつ

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現在げんざい各種かくしゅ環境かんきょうようプラント設備せつびのみを生産せいさんしている。それ以外いがい製品せいひんについては後述こうじゅつ

過去かこ商品しょうひん

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けいさんりん

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  • 「ダイナスター」

二輪車にりんしゃ(スクーター)

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二輪車にりんしゃ(オートバイ)

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  • 「ハリケーン」

バス車体しゃたいそう事業じぎょう

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「ふじごう」(富士ふじTR014X-2)
 
17Eがた日野ひのシャーシへそう

1946ねん昭和しょうわ21ねん)に小泉こいずみボデー製作所せいさくしょ当初とうしょべつ会社かいしゃ)ではじまり、日本にっぽんはじめてのフレームレスモノコック構造こうぞうによるリヤエンジンバス「ふじごう」(1949ねん昭和しょうわ24ねん))の開発かいはつ成功せいこうした。のち富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょうとなり、「スバル360」とう開発かいはつおこない、現在げんざい主力しゅりょくであるスバルブランドの乗用車じょうようしゃにも発展はってんした事業じぎょうである。この分野ぶんやでは「スバル」ブランドを使つかっておらず、エンブレムとしてもプレアデス星団せいだんをあしらったスバルのエンブレムではなく、カタカナの「フ」のをあしらったエンブレムを使用しようしている(みぎ写真しゃしん参照さんしょう)。

 
バス車体しゃたいのメーカーズプレート[21]

一時期いちじき民生みんせいデイゼル日産にっさんディーゼル(げん・UDトラックス)中心ちゅうしん大型おおがた自動車じどうしゃメーカー5しゃ[注釈ちゅうしゃく 10]バス車体しゃたいそうし、バス車体しゃたいシェア1ほこっていたが、シャーシメーカーのバス車体しゃたいメーカーの系列けいれつ子会社こがいしゃでの生産せいさん)で生産せいさん台数だいすう減少げんしょうした。

ピークとなる1980ねん昭和しょうわ55ねん)には1にち12だい製造せいぞう年間ねんかんでは2,393だい生産せいさんしたが[22]、バス事業じぎょう環境かんきょう変化へんかから1993ねん平成へいせい5ねん以降いこう赤字あかじ状態じょうたいとなっていた[22]。1998ねん平成へいせい10ねん)に三菱みつびしふそう日野自動車ひのじどうしゃそうから撤退てったい、2002ねん平成へいせい14ねん1がつ日産にっさんディーゼルがバス車体しゃたいそう西日本にしにほん車体しゃたい工業こうぎょう西にしこう福岡ふくおかけん北九州きたきゅうしゅう小倉北こくらきた)に集約しゅうやくすることを決定けっていしたため[23]同年どうねん5月事業じぎょう存続そんぞく困難こんなん判断はんだんし、伊勢崎いせざき製作所せいさくしょおこなっていたバス車体しゃたいそう事業じぎょう終了しゅうりょうする決定けっていをした[24][注釈ちゅうしゃく 11]

このため、バス車体しゃたいそう事業じぎょう日産にっさんディーゼルとごく少数しょうすういすゞ自動車ずじどうしゃ最後さいごに2003ねん平成へいせい15ねん)3がつ31にち生産せいさんえた[22]。3月28にちには「バス最終さいしゅう生産せいさんしゃ出荷しゅっかしき」がおこなわれ、ひがし鉄道てつどう納入のうにゅう日産にっさんディーゼル大型おおがた観光かんこうバスおくし、バス車体しゃたい事業じぎょう部門ぶもん解散かいさんしきとなった[22]。1946ねん昭和しょうわ21ねん以来いらい、57年間ねんかんつづいたバス車体しゃたい事業じぎょう累計るいけい生産せいさんすう8まん1,292だいもって終止符しゅうしふった[22]国内こくないけだけではなく、海外かいがいけにも6,000だい以上いじょう出荷しゅっかされた[22]

またABボルボのシャシを輸入ゆにゅうし、アステローペシリーズとれんぶしバス製造せいぞうしていたが、これらも2000ねん平成へいせい12ねん)に生産せいさん終了しゅうりょうしている。

なお、伊勢崎いせざき製作所せいさくしょはそのスバルカスタマイズ工房こうぼうげん桐生きりゅう工業こうぎょう伊勢崎いせさき工場こうじょう)となり、販売はんばいみの車両しゃりょうたいするアフターサービスをおこなっていたが、バスよう補修ほしゅうひん事業じぎょう終了しゅうりょうともない、2022ねんれい4ねん)3がつをもってアフターサービスも終了しゅうりょうとなった。

鉄道てつどう車両しゃりょう事業じぎょう

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東武とうぶ9000けい電車でんしゃ車内しゃない銘板めいばん[21]

1950ねん昭和しょうわ25ねんごろからおも客車きゃくしゃ気動車きどうしゃ日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)やJR私鉄してつだいさんセクターけに、また、群馬ぐんま栃木とちぎ県内けんない路線ろせん東武鉄道とうぶてつどうけには電車でんしゃ生産せいさんしていた。生産せいさんりょうかず減少げんしょうにより2002ねん平成へいせい14ねん)5がつ事業じぎょう存続そんぞく困難こんなん判断はんだんし、宇都宮うつのみや車両しゃりょう工場こうじょう現在げんざいのエコ宇都宮うつのみや工場こうじょう)でおこなっていた鉄道てつどう車両しゃりょう事業じぎょうえる決定けっていをした[24]。2003ねん平成へいせい15ねん)2がつ新潟にいがたトランシス新潟にいがた事業じぎょうしょ新潟にいがたけん北蒲原きたかんばらぐんせい籠町かごまち)へ事業じぎょう譲渡じょうと[25]JR四国しこく2000けい気動車きどうしゃなどのしき気動車きどうしゃ大半たいはん富士重工ふじじゅうこうせい

鉄道てつどう車両しゃりょう事業じぎょう最終さいしゅう製造せいぞうしゃ甘木あまぎ鉄道てつどうAR300かたち気動車きどうしゃAR303号車ごうしゃとなった[26]最後さいご製造せいぞうされた電車でんしゃ東武とうぶ30000けい電車でんしゃ(31406Fの4りょう)。

なお、先述せんじゅつ伊勢崎いせざき事業じぎょうしょでも、東京とうきょう交通こうつうきょく2500かたち電車でんしゃ8りょうのうち昭和しょうわ34ねん製造せいぞうぶんの6りょう製造せいぞうしていた。

鉄道てつどう車両しゃりょう事業じぎょう製造せいぞう実績じっせき総計そうけい11,118りょう[27]

  • 国鉄こくてつ→JR各社かくしゃ気動車きどうしゃ 1,834りょう[27]
  • 国鉄こくてつ→JR各社かくしゃ客車きゃくしゃ 1,132りょう[27]
  • 私鉄してつ各社かくしゃ電車でんしゃ 341りょう[27]
  • だい3セクター車両しゃりょう 270りょう[27]
  • 私有しゆう貨車かしゃ 4,381りょう[27]
  • 保守ほしゅよう車両しゃりょう 3,160りょう[27]
 
四国旅客鉄道しこくりょかくてつどう(JR四国しこく)キハ185けい気動車きどうしゃ

気動車きどうしゃ

Category:富士重工業ふじじゅうこうぎょうせい気動車きどうしゃ参照さんしょう

 
東武とうぶ30000けい電車でんしゃ

電車でんしゃ

国鉄こくてつがた特急とっきゅう車両しゃりょう製造せいぞうれきもあり)[よう出典しゅってん]

  • 国鉄こくてつ電車でんしゃ車両しゃりょう改造かいぞうだけであった)
    •  72けい電車でんしゃから72けい970番台ばんだい103けい3000ばん台車だいしゃ)への更新こうしん。モハ72がたからクモユニ82かたち、クモニ83がたへの国鉄こくてつ工場こうじょうあつかいによる受託じゅたく更新こうしん工事こうじもあった。
    • 冷房れいぼうしゃから冷房れいぼう装置そうち新設しんせつ改造かいぞうAUえーゆー75けいAUえーゆー712けい同社どうしゃせい工事こうじった。

Category:富士重工業ふじじゅうこうぎょうせい電車でんしゃ参照さんしょう

客車きゃくしゃ

ほか  Category:富士重工業ふじじゅうこうぎょうせい客車きゃくしゃ参照さんしょう

貨車かしゃ

Category:富士重工業ふじじゅうこうぎょうせい貨車かしゃ参照さんしょう

軌道きどうモーターカー

環境かんきょう技術ぎじゅつ

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産業さんぎょう機器きき

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「ロビン」ブランドの小型こがた汎用はんようエンジンを開発かいはつ生産せいさんし、汎用はんようエンジン業界ぎょうかいではシェア世界せかいだい4富士重工業ふじじゅうこうぎょうないでは唯一ゆいいつ米国べいこく中国ちゅうごく生産せいさん拠点きょてんっていた。これらのエンジンはあつかいの容易たやすさと抜群ばつぐん耐久たいきゅうせいなどで、おも土木どぼく工事こうじ現場げんば使つかわれるランマー発電はつでん、コンクリートカッター、灌漑かんがいようポンプ構内こうない作業さぎょうしゃモートラック)などに動力どうりょくげんとして搭載とうさいされた。また、ゴルフカートスノーモービルATV(バギーしゃ)などに搭載とうさいされるエンジンも開発かいはつ生産せいさんしていた。これらのエンジンのほとんどはOEM供給きょうきゅうされているため、一般人いっぱんじんれる機会きかいはほとんどいものの、スバルしゃディーラーで頒布はんぷされる情報じょうほう『Cartopia』で時折ときおり紹介しょうかいされ、相応そうおう認知にんちされた存在そんざいだった。

なお、富士重工業ふじじゅうこうぎょうは、2016ねん10がつ1にちをもって自動車じどうしゃ部門ぶもん競争きょうそうりょく強化きょうかのため、産業さんぎょう機器ききカンパニーをスバル自動車じどうしゃ部門ぶもん統合とうごうし、既存きそん商品しょうひん製造せいぞう販売はんばい、サービスにとくしたうえで、開発かいはつ案件あんけん停止ていしによる人員じんいん自動車じどうしゃ部門ぶもんへの配置はいち転換てんかんなど、将来しょうらいてきには事業じぎょう縮小しゅくしょう撤退てったい意向いこうであると発表はっぴょうした[31]。 そして2016ねん12月7にち、「2017ねん9がつ30にちけで事業じぎょう終了しゅうりょうとし、一部いちぶ技術ぎじゅつ資産しさん米国べいこく販売はんばい子会社こがいしゃを10月1にちけでヤマハ発動機やまははつどうき譲渡じょうとする契約けいやく締結ていけつした」むね正式せいしき発表はっぴょうした[11]

住宅じゅうたく事業じぎょう

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SUBARUでは、建設けんせつ現場げんばけの仮設かせつユニットハウス、小型こがたプレハブ住宅じゅうたく製造せいぞうしていた。以前いぜん通信つうしん販売はんばい名高なだかセシールでもあつかっていたことがある。

2004ねん富士ふじハウレン株式会社かぶしきがいしゃ分社ぶんしゃし、2011ねん社名しゃめい富士重工ふじじゅうこうハウス株式会社かぶしきがいしゃ変更へんこうされたが、2020ねん3がつ2にちづけ子会社こがいしゃのスバルファイナンス保有ほゆうぶんふくめたぜん株式かぶしきユアサ商事ゆあさしょうじ譲渡ゆずりわたされたと同時どうじに、富士ふじクオリティハウス株式会社かぶしきがいしゃ商号しょうごう変更へんこうされた[32][33]

スノーボード・自転車じてんしゃ望遠鏡ぼうえんきょう

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1998ねん平成へいせい10ねん)に、宇宙うちゅう関連かんれん機器ききおよび航空機こうくうき部門ぶもん技術ぎじゅつ転用てんようし、中空なかぞらけた構造こうぞうオールドライカーボンのスノーボード「VTOL」を50まい限定げんていでインターネット経由けいゆのみで販売はんばいした。スバルとはことなるブランドめい販売はんばいした。2008ねん平成へいせい20ねん)12月に、99だい限定げんていでクロスタイプの自転車じてんしゃ「SUBARU XB」を36まんえん発売はつばいした。マウンテンバイクに軽量けいりょうだい口径こうけいホイールを装着そうちゃくして、オンロードでの走行そうこう性能せいのう向上こうじょうさせた自転車じてんしゃで、レガシィなどと同様どうよう、オンロードとオフロード双方そうほう走破そうはせいわせもつ自転車じてんしゃとして「クロスバイク」としょうした。2013ねん平成へいせい25ねん)1がつに、ブリヂストンサイクル協業きょうぎょうによるクロスバイクを、SUBARU Online Shop販売はんばいした。仕様しようまったことなる[34]

2009ねん平成へいせい21ねん)12月に、屈折くっせつしき天体てんたい望遠鏡ぼうえんきょう「SUBARUメローペ80A」を発売はつばいした[35]外部がいぶ専門せんもんメーカーと富士重ふじじゅう内部ないぶ開発かいはつチームのともさくで、スバルブランドを想起そうきさせる青色あおいろ塗装とそうされているが、車体しゃたいしょくとはややことなり車両しゃりょうのボディにくらべてきょくりつおおきい望遠鏡ぼうえんきょうかがみとう仕上しあげるために専用せんよう塗料とりょう採用さいようしている。現在げんざいこのクラスの望遠鏡ぼうえんきょうだい部分ぶぶん中国ちゅうごくせいだが、ほんひん光学こうがくけい製作せいさく検査けんさすべ日本にっぽんのメーカーがほどこしている。「メローペ」はプレアデス星団せいだんもっとしたにあるほし名称めいしょうである。

不祥事ふしょうじ事件じけん問題もんだい事故じこ

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汚職おしょく事件じけん

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1998ねんに、富士重工ふじじゅうこう会長かいちょうけん社長しゃちょう川合かわいいさむ専務せんむ取締役とりしまりやく小暮こぐれ泰之やすゆきが、海上かいじょう自衛隊じえいたい救難きゅうなん飛行ひこうてい開発かいはつをめぐり賄賂わいろ提供ていきょうしたとして逮捕たいほされ、辞任じにんした[36][37]賄賂わいろった国会こっかい議員ぎいんは、富士重工ふじじゅうこう前身ぜんしん中島なかじま飛行機ひこうき」の創業そうぎょうしゃ一族いちぞくである中島なかじま洋次郎ようじろうもと衆院しゅういん議員ぎいんで、2000ねん9がつ懲役ちょうえき2ねん実刑じっけい判決はんけつけ、2001ねんした[38]富士重工ふじじゅうこう2人ふたりは2006ねん執行しっこう猶予ゆうよつき懲役ちょうえきけいとなった。

リコールかく

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1996ねん平成へいせい8ねん)に滋賀しがけんで「レガシィ」がブレーキ故障こしょう起因きいんして正面しょうめん衝突しょうとつする事故じこ発生はっせいした。捜査そうさ結果けっか同様どうようのトラブルが1994ねん1がつ岡山おかやまけん千葉ちばけん発生はっせいし、本社ほんしゃ苦情くじょうせられたが内密ないみつ処理しょりされていたことが判明はんめいした。1997ねん平成へいせい9ねん)にブレーキ以外いがいにも多岐たきにわたる不具合ふぐあい発覚はっかくし、警察けいさつから警告けいこくけたスバルは11車種しゃしゅ147まんだいについてリコールとど[注釈ちゅうしゃく 15]。1998ねん平成へいせい10ねん)に東京とうきょう地方裁判所ちほうさいばんしょは、富士重工業ふじじゅうこうぎょうに7けんぶん過料かりょう140まんえん支払しはらいをめいじた。事故じこ発生はっせい危険きけんせい十分じゅうぶん認識にんしきしながら運輸省うんゆしょうへリコールをとどけなかったために事故じこ発生はっせいしたとして、警察けいさつ富士重工業ふじじゅうこうぎょう品質ひんしつ保証ほしょう本部ほんぶ幹部かんぶ2にん業務ぎょうむじょう過失かしつ傷害しょうがい容疑ようぎ大津おおつ地方ちほう検察庁けんさつちょう書類しょるい送検そうけんした。2000ねん平成へいせい12ねん)に大津おおつ地検ちけんは、業務ぎょうむじょう過失かしつ傷害しょうがいざい同社どうしゃ品質ひんしつ管理かんり責任せきにんしゃだった2人ふたり略式りゃくしき起訴きそし、いち週間しゅうかん罰金ばっきんかく50まんえん略式りゃくしき命令めいれいくだった[39][40][41]

2017ねん平成へいせい29ねん)9がつに「サンバー」62まんだいがリコールとなった[42][43] が、リコール対象たいしょう1999ねん - 2012ねん生産せいさん6代目だいめ)とふるくにおよぶことにくわえ、多数たすう不具合ふぐあい報告ほうこくと2013ねん平成へいせい25ねん)、2015ねん平成へいせい27ねん)と2行政ぎょうせい指導しどうがあったにもかかわらず大幅おおはば遅滞ちたいしたリコールとなり、サンバー所有しょゆうしゃ不信ふしんまねいた[44]。これについてスバルは「プーリーが外側そとがわない構造こうぞうであった」「対応たいおう時間じかんがかかった」としている[45]

補助ほじょきん不正ふせい

編集へんしゅう

2012ねん、クリーンロボット事業じぎょうにおいて不正ふせい経理けいりおこなわれていたとともに、経済けいざい産業さんぎょうしょう行政ぎょうせい法人ほうじんからの委託いたく事業じぎょう補助ほじょきん事業じぎょうについて不正ふせいおこなわれていたと発表はっぴょうした。不正ふせい経理けいりは2004ねんから2011ねんあいだおこなわれ、架空かくう発注はっちゅうもとに2おくえん以上いじょう資金しきん不当ふとうにスバルからし、おもにクリーンロボット部長ぶちょう私的してき流用りゅうようしていた。スバルはもとクリーンロボット部長ぶちょう栃木とちぎけん刑事けいじ告訴こくそした[46]

不正ふせい資格しかく検査けんさ

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1984ねん運輸省うんゆしょうで「レオーネ」の型式けいしき認定にんてい試験しけんさい試作しさく車両しゃりょう重量じゅうりょう事前じぜん提出ていしゅつ数値すうちよりも軽量けいりょうとなりなまり搭載とうさいして審査しんさ通過つうかしたことが後日ごじつ判明はんめいし、発売はつばいおくれて混乱こんらんした[47]

2017ねん9がつ日産自動車にっさんじどうしゃ資格しかく検査けんさ問題もんだいともない、自動車じどうしゃ製造せいぞう各社かくしゃ調査ちょうさした。スバルは群馬ぐんま工場こうじょうで30ねん以上いじょうにわたって資格しかくしゃ検査けんさをしていたことが判明はんめいした[48]。「BRZ」の兄弟きょうだいしゃでスバルが生産せいさん担当たんとうする「トヨタ・86」をふくめて直近ちょっきん3年間ねんかんの25.5まんだいがリコールとなった[49]

問題もんだいになった完成かんせい検査けんさ日本にっぽん国内こくないしゃのみに適用てきようされるもので、大別たいべつして①保安ほあん基準きじゅん検査けんさと②型式けいしき検査けんさかれる。②型式けいしき検査けんさ方法ほうほうかく企業きぎょうことなるものの、国土こくど交通省こうつうしょう申請しんせい認可にんかけた方法ほうほうである必要ひつようがあり、また①保安ほあん基準きじゅん検査けんさ基準きじゅん手法しゅほう全社ぜんしゃ共通きょうつうである。完成かんせい検査けんさいんは、かく企業きぎょうないで「当該とうがい検査けんさ必要ひつよう知識ちしきおよ技能ぎのうゆうするもののうちからあらかじめ指名しめいされたもの(=資格しかく取得しゅとくしゃ)」がおこな必要ひつようがあった[50]。スバルでは、まずゆう資格しかくしゃ監督かんとく資格しかくしゃ検査けんさおこない、つぎひとちして一定いってい期間きかん業務ぎょうむ担当たんとうし、のちに筆記ひっき試験しけん合格ごうかくして検査けんさいん資格しかく取得しゅとくするながれであったが、「ひとち」の時点じてんではだれ監督かんとくしていなかったことが問題もんだいとされた。ひと期間きかんちゅう完成かんせい検査けんさいん印章いんしょう無断むだん押印おういんすることも常態じょうたいてきしていた[49]。2017ねん12月に国土こくど交通省こうつうしょう提出ていしゅつされた調査ちょうさ報告ほうこくしょによると、研修けんしゅう自体じたい十分じゅうぶん時間じかんたなかったことや、筆記ひっき試験しけん試験しけんかんこたえをおしえるなど不正ふせいしていたことも判明はんめいした。国土こくど交通省こうつうしょう検査けんささいは、資格しかくしゃ意図いとてき現場げんばからはずすなどの隠蔽いんぺい工作こうさく慢性まんせいしていた[51]

燃費ねんぴはいガス・ブレーキ検査けんさのデータ

編集へんしゅう

上述じょうじゅつ資格しかくいん検査けんさ発覚はっかくしたさい燃費ねんぴデータの不正ふせい報告ほうこくけて外部がいぶ弁護士べんごし調査ちょうさ依頼いらいしたところ、検査けんさ一部いちぶであるりによる燃費ねんぴ検査けんさはいガス検査けんさでデータえがおこなわれていたことが2018ねん3がつ判明はんめいした。燃費ねんぴ検査けんさ道路どうろ運送うんそう車両しゃりょうほう保安ほあん基準きじゅん対象たいしょうがい自主じしゅてき検査けんさ項目こうもくだが、はいガス検査けんさ対象たいしょうないであるためどうほう抵触ていしょくする。検査けんさ結果けっかはいずれも基準きじゅん範囲はんいないであるとしてリコールはおこなわない見込みこみだが、一連いちれん問題もんだいけて吉永よしなが社長しゃちょう会長かいちょうしょく退しりぞいた[52]

2018ねん4がつ提出ていしゅつされた報告ほうこくしょによると、2012ねん12月から2017ねん11がつまでに903だい検査けんさいんおよび班長はんちょうによるデータのえがあった。同期どうきあいだ以前いぜんのデータはすでいが「2002ねんから不正ふせいおこなわれていた」とする証言しょうげんもあり、報告ほうこくしょはその可能かのうせい否定ひていできないとした[53]

2018ねん9がつに、ブレーキ検査けんさのデータかいざんも判明はんめいした。不正ふせい一部いちぶは1990年代ねんだい前半ぜんはんからおこなわれていた[54]。2018ねん11月に、これらの検査けんさ不正ふせい発覚はっかくも2018ねん10がつまでおこなわれていたことが判明はんめいした。追加ついかで10まんだいのリコールが発表はっぴょうされ、一連いちれん不正ふせいによるリコールは53まんだい[55] となった。

軽自動車けいじどうしゃようのぞくエンジン不具合ふぐあいともなだい規模きぼリコール

編集へんしゅう

2018ねん10がつ25にちに、エンジンの部品ぶひんこわれるおそれがあるとして複数ふくすう車種しゃしゅについてだい規模きぼなリコール(回収かいしゅう無償むしょう修理しゅうり)をちか国土こくど交通省こうつうしょうとどることがあきらかとなる。国内外こくないがい販売はんばいした車種しゃしゅ影響えいきょうして対象たいしょうすくなくともすうじゅうまんだいとなる。エンジン部品ぶひんのバルブスプリングが不具合ふぐあいこしてエンジン動作どうさ影響えいきょうするおそれがあり、「BRZ」と「トヨタ・86」もリコール対象たいしょうとなる[56]

国内こくない工場こうじょう生産せいさん停止ていし

編集へんしゅう

2019ねん1がつ16にちから国内こくない唯一ゆいいつ完成かんせいしゃ工場こうじょうである群馬ぐんま製作所せいさくしょ操業そうぎょうぜん車種しゃしゅ停止ていしした。部品ぶひんメーカーから調達ちょうたつしている電動でんどうパワーステアリング (EPS) で不具合ふぐあい発見はっけんして原因げんいん究明きゅうめい優先ゆうせんした。1月28にちから操業そうぎょう再開さいかい準備じゅんびしているが納車のうしゃおくれやあらたなリコール対策たいさくなどの影響えいきょう懸念けねんされる[57][58]

2019ねん1がつ28にちから、不具合ふぐあいおそれがあるEPSについて対策たいさくほどこしたEPSの調達ちょうたつ一定いってい可能かのうとなり工場こうじょうさい稼働かどうした。当面とうめんは1にち生産せいさん台数だいすうらして品質ひんしつ優先ゆうせん操業そうぎょうする。出荷しゅっか車両しゃりょうは、リコールの有無うむなどを検討けんとうする[59]

2019ねん1がつ31にちに、生産せいさん停止ていし原因げんいんとなった電動でんどうパワーステアリングの不具合ふぐあいで3車種しゃしゅ「フォレスター」「SUBARU XV」「インプレッサ」けいやく780だいのリコールを国土こくど交通省こうつうしょうとどた。2018ねん平成へいせい30ねん)12月28にち - 2019ねん平成へいせい31ねん)1がつ16にち製作せいさくぶん[60][61]対象たいしょうとなる。国内こくないやく780だいのリコールにくわえ、海外かいがいけに生産せいさんしたけいやく1まん4,000だいもリコールや部品ぶひん交換こうかん検討けんとうする[62]

残業ざんぎょうだい未払みはら問題もんだい

編集へんしゅう

2019ねん1がつ24にちに、2016ねん過労かろう自殺じさつした男性だんせい社員しゃいん代理人だいりにん会見かいけんし、2015ねんから2017ねんにかけて社員しゃいん3,421にんけい7おく7,000まんえん残業ざんぎょうだいはらっていなかったことが判明はんめいした。過労かろう自殺じさつ社内しゃない調査ちょうさで2018ねん1がつまでには判明はんめいしていたが、本社ほんしゃ広報こうほうは「(調査ちょうさ結果けっかを)かくすような意図いとはなく、公表こうひょうすべきだとは認識にんしきしていなかった」としている。[63]

死亡しぼう事故じこ

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2024ねん2がつ13にちくずれたかねがた下敷したじきになった従業じゅうぎょういん死亡しぼうする事故じこ矢島やじま工場こうじょうない発生はっせいし、その影響えいきょうでは群馬ぐんま製作所せいさくしょほん工場こうじょう矢島やじま工場こうじょう大泉おおいずみ工場こうじょうの3工場こうじょう稼働かどう停止ていしになっていること同月どうげつ16にちかった[64]

作詞さくし富士重工業ふじじゅうこうぎょうもと社員しゃいん手掛てがけた。作曲さっきょくだん伊玖磨いくま富士重工業ふじじゅうこうぎょう時代じだい創立そうりつ10周年しゅうねん記念きねんとして制定せいていされたしゃである。

SUBARUへの社名しゃめい変更へんこうさいして「しゃえないでほしい」という従業じゅうぎょういんこえけて、社名しゃめい変更へんこうしゃとして使つかわれることとなったが、富士重工業ふじじゅうこうぎょう時代じだい歌詞かしには「富士重工ふじじゅうこう」を連呼れんこするパートがあるため、その部分ぶぶん作詞さくししゃ了承りょうしょううえで「わがスバル」にえられた。[65]

「トヨタにはならないでください」

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トヨタとの資本しほん提携ていけいまったとき、トヨタの豊田とよだ章一郎しょういちろう渡辺わたなべとしあきらからわれた言葉ことばである[66]。また「これ以上いじょう、(トヨタの得意とくいゾーンの)えんはいってくれば即座そくざにたたきつぶしますから、そのつもりで」[67] ともわれたという。

軽自動車けいじどうしゃ生産せいさんからの撤退てったいについてスバルの吉永よしながは「ウチの規模きぼけい開発かいはつリソースをくよりも、世界せかいれるくるまとくする。勇気ゆうきある決断けつだんでもなんでもい。合理ごうりてきかんがえればけい撤退てったいしかなかった」とかたっている[68]

イスラエルへの輸出ゆしゅつ

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1967ねん勃発ぼっぱつした第三次中東戦争だいさんじちゅうとうせんそうけ、国連こくれん安保理あんぽりイスラエルたい占領せんりょう地区ちく開放かいほう勧告かんこくする決議けつぎ採択さいたくした。世界中せかいじゅう企業きぎょうがこれに呼応こおうして貿易ぼうえきボイコット開始かいしよく1968ねんにはトヨタ・日産にっさん本田技研ほんだぎけん出荷しゅっか停止ていしするなどにちおう自動車じどうしゃメーカーも追随ついずいした。一方いっぽうときおなじくしてラビットスクーター生産せいさん終了しゅうりょうすることとなり、以前いぜんからラビットをイスラエルへ輸入ゆにゅうしていた業者ぎょうしゃはこれをけてスバル360着目ちゃくもく、1968ねんより[69] 同車どうしゃ取扱とりあつかいを開始かいしした。そのよく1969ねんには現地げんち企業きぎょうジャパンオート・イスラエルヘブライばんえい)"Japanauto Israel Auto Corporating Ltd."[70]設立せつりつスバルff-1販売はんばい開始かいしのちレオーネ主力しゅりょく商品しょうひんとなった。こうした経緯けいいから、非公式ひこうしきにではあるが[注釈ちゅうしゃく 16] 富士重工業ふじじゅうこうぎょう海外かいがいはつ進出しんしゅつこくとして[69] イスラエルへの輸出ゆしゅつ開始かいしすることとなった[注釈ちゅうしゃく 17]くわえて、当時とうじ輸入ゆにゅうしゃおおくが排気はいきりょうやボディ形状けいじょう関係かんけい高額こうがく関税かんぜいせられており、庶民しょみんけの選択肢せんたくし小型車こがたしゃかぎられていたなかしょう排気はいきりょうながら比較的ひかくてきおおきな車体しゃたいそなえたスバルしゃどう国民こくみん需要じゅようにも合致がっちした[69]。この結果けっかダイハツ工業だいはつこうぎょうが1983ねん輸出ゆしゅつ解禁かいきんするまでの10ねん以上いじょうにわたり[71]同国どうこく乗用車じょうようしゃ市場いちばにおいておおきなシェアを獲得かくとくする結果けっかとなった。1988ねん三菱自動車工業みつびしじどうしゃこうぎょう現地げんち法人ほうじん設立せつりつしたのを皮切かわきりに輸出ゆしゅつ再開さいかい相次あいついだのにくわえ、90年代ねんだいには韓国かんこくしゃ輸出ゆしゅつ攻勢こうせいはじまった結果けっか富士重工業ふじじゅうこうぎょうのシェアは非常ひじょうちいさいものとなっている。なお、ほんエピソードを下敷したじきとして、映画えいがピンク・スバル」が2010ねん製作せいさくされた。

スバリストは自動車じどうしゃメーカーSUBARUが製造せいぞうする自動車じどうしゃエンスージアスト熱狂ねっきょうてきファン)のこと。詳細しょうさいSUBARU (自動車じどうしゃ)こう参照さんしょう

テレビ番組ばんぐみ

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 終戦しゅうせんアメリカ接収せっしゅうされて、140オクタンこう品質ひんしつ燃料ねんりょう使用しようしての綿密めんみつなテストの結果けっか、アメリカをして「だい大戦たいせん日本にっぽん戦闘せんとうのベストワン」と絶賛ぜっさんさせた。
  2. ^ 富士ふじ」は「富士山ふじさん」に由来ゆらいする。中島なかじま飛行機ひこうき創立そうりつしゃである中島なかじま知久平ちくへいは、日本にっぽん代表だいひょうする名山めいざんである富士山ふじさんをこよなくあいした。
  3. ^ 本社ほんしゃ東京とうきょう新宿しんじゅくかくはず新宿しんじゅくスバルビル所在地しょざいち)である
  4. ^ 当時とうじ、ブリヂストン会長かいちょうでもあった石橋いしばし正二郎しょうじろう個人こじん筆頭ひっとう株主かぶぬし会社かいしゃ(つまり、厳密げんみつにはブリヂストンの資本しほん系列けいれつではなかったが、銀行ぎんこう事実じじつじょうのブリヂストン支配しはい会社かいしゃ認定にんていしていた)となっていた。
  5. ^ 1954ねん昭和しょうわ29ねん)、戦前せんぜん立川たちかわ飛行機ひこうき転進てんしんで、おなじくブリヂストン傘下さんかにあったプリンス自動車じどうしゃ工業こうぎょう合併がっぺい富士ふじ精密せいみつ工業こうぎょうとして開始かいししたのち1961ねん昭和しょうわ36ねん)、プリンス自動車じどうしゃ工業こうぎょう名称めいしょう変更へんこうスカイライングロリア皇室こうしつ御料ごりょうしゃプリンスロイヤルなどを開発かいはつ1966ねん昭和しょうわ41ねん)、日産自動車にっさんじどうしゃ吸収きゅうしゅう合併がっぺいされた。
  6. ^ のちの富士ふじロビン。2007ねん富士重工ふじじゅうこう系列けいれつはなマキタ沼津ぬまづマキタ吸収きゅうしゅう合併がっぺい
  7. ^ 共用きょうようまったおこなわれなかったわけではなく、3代目だいめレオーネおよ初代しょだいアルシオーネと7代目だいめおよび8代目だいめブルーバードの一部いちぶ部品ぶひん互換ごかんせいがあった。
  8. ^ 本田技研工業ほんだぎけんこうぎょう以下いかホンダふくOEMによる完成かんせいしゃ相互そうご供給きょうきゅうおこなわれたが、2003ねん平成へいせい15ねん)いすゞのSIA撤退てったいをもって関係かんけい解消かいしょうしている。
  9. ^ GM傘下さんか在籍ざいせきちゅうには、どう傘下さんかSAABにインプレッサ・スポーツワゴンのOEM車種しゃしゅサーブ9-2X提供ていきょうしたり、GMのタイ工場こうじょうからオペルくるまのOEMであるトラヴィックなどの供給きょうきゅうけたりしていた。また2003ねん平成へいせい15ねん)から開発かいはつ開始かいしした「B9トライベッカ」ではSAABばん最初さいしょからサーブがわ共同きょうどう開発かいはつする計画けいかくだった。
  10. ^ 大型おおがた専業せんぎょう4しゃのほかにトヨタ自動車とよたじどうしゃふくむ。
  11. ^ 西日本にしにほん車体しゃたい工業こうぎょうも2010ねんをもってバス車体しゃたい生産せいさんから撤退てったい解散かいさん。UDトラックスも日本にっぽん国内こくないでのバス製造せいぞう事業じぎょう終了しゅうりょうしている。
  12. ^ のちにブラジルの国鉄こくてつ相当そうとうするブラジル連邦れんぽう鉄道てつどうポルトガルばん併合へいごう
  13. ^ ほぼ同型どうけい車両しゃりょう現地げんちサンタ・マチルジ工業こうぎょうポルトガルばんほかでも製造せいぞうされた。
  14. ^ 1978ねんに2とうしゃ、1980ねんから1983ねんにかけて3とうしゃ製造せいぞう納入のうにゅう後者こうしゃ日本車両製造にっぽんしゃりょうせいぞう住友商事すみともしょうじにより、のちに現地げんちインダストリ・クレタ・アピしゃでノックダウン生産せいさん
  15. ^ いすゞ自動車ずじどうしゃにOEM供給きょうきゅうされていた製品せいひんがリコールに該当がいとうするかどうかは不明ふめいだった。
  16. ^ しゃ富士重工業ふじじゅうこうぎょう50ねん 1953-2003』年表ねんぴょうには、たいイスラエル輸出ゆしゅつかんする記述きじゅつがない。
  17. ^ イスラエルとの取引とりひき継続けいぞくすると中東ちゅうとう諸国しょこくでボイコットをけるおそれがあったが、長年ながねん国内こくない市場いちばのみで販売はんばいされたスバルしゃにはこのリスクがいという側面そくめんがあった。

出典しゅってん

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