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リアエンジン - Wikipedia

リアエンジンとは、自動車じどうしゃ航空機こうくうきにおいて、貨客スペースより後方こうほうエンジン搭載とうさいする方式ほうしき自動車じどうしゃではエンジンの重心じゅうしんこう車軸しゃじく中心ちゅうしんよりうしろ(リアオーバーハング)にあるものをす。20世紀せいき後半こうはん以降いこうマイクロバスのぞバス車両しゃりょう駆動くどう方式ほうしき主流しゅりゅうとして定着ていちゃくしている。

こう車軸しゃじくよりうしろに搭載とうさいされるポルシェ911のエンジン
タトラ T87(1936ねん - 1950ねん)。近代きんだいてきリアエンジンしゃ嚆矢こうしえる

自動車じどうしゃでも分野ぶんやによっては、ミッドシップ配置はいち広義こうぎでリアエンジンにふくめていることもあるが(フォーミュラカーなど)、この記事きじでは基本きほんてきにミッドシップに相当そうとうするものはふくめないものとする。

乗用車じょうようしゃのリアエンジン

編集へんしゅう
 
リアエンジンのフィアット500

自動車じどうしゃにおいては、黎明れいめいから19世紀せいきなか原始げんしてき自動車じどうしゃでは前輪ぜんりん操舵そうだとし、こう駆動くどうとする役割やくわり分担ぶんたんにおける自然しぜん配置はいちとして、リアエンジンはしばしばられるものであった。しかし、回転かいてんじくを90げることのできるかさ歯車はぐるま駆動くどうトルクにえうるプロペラシャフトジョイントなどがそろうと、排気はいきりょう拡大かくだいによる性能せいのう向上こうじょう目指めざしておおきくおもくなる一方いっぽうのエンジンをまえき、そこからこう駆動くどうする配置はいち(いわゆるFR)が、エンジンの搭載とうさいせい前後ぜんごじくおも均衡きんこう操縦そうじゅう安定あんていせいなど、有利ゆうりてんおおかったことから多用たようされるようになり、リアエンジンは一旦いったんすたれた。

リアエンジンの再興さいこう1930年代ねんだい以降いこうである。ドライブトレインを後部こうぶ集中しゅうちゅうさせて最小限さいしょうげんにまとめることができ、軽量けいりょう室内しつない容積ようせき拡大かくだいはかれるパッケージングとして、おも小型こがた乗用車じょうようしゃ大衆たいしゅうしゃ)から採用さいようはじまり、日本にっぽんでは1950年代ねんだい後半こうはんから軽自動車けいじどうしゃにも多用たようされた。また、スポーツカー一部いちぶにも採用さいようれいがある。一方いっぽう大型おおがた乗用車じょうようしゃ高級こうきゅうしゃけのレイアウトとしてはほとんど普及ふきゅうしなかった。

乗用車じょうようしゃようとしては、操縦そうじゅう安定あんていせいラゲッジスペース確保かくほなどのめん課題かだいおおく、1960年代ねんだい以降いこう小型車こがたしゃではフロントエンジン・前輪ぜんりん駆動くどう(いわゆるFF)の配置はいちってわられた。21世紀せいき初頭しょとう時点じてんでは、一部いちぶスポーツカー特殊とくしゅ商用しょうようしゃしゅとしてもちいられるのみである。

こう駆動くどう自動車じどうしゃでは、エンジンの自重じちょう駆動くどうけることができるためトラクション駆動くどうりょく)のてんでは有利ゆうりであるが、重心じゅうしんヨーイングじくからはなれたリアオーバーハング重量じゅうりょうぶつのエンジンが配置はいちされることは、運動うんどうせいでミッドシップエンジンしゃやフロントエンジンしゃに、安定あんていせいではフロントエンジンしゃおとること、また、排気はいきかんながマフラー容量ようりょう十分じゅうぶんれないため、出力しゅつりょくめんでも不利ふりとなることなど、おおきなデメリットがある。とく運動うんどうせいでは、サスペンションジオメトリばね定数ていすうなど、おおくの要素ようそとのわせにもよるが、横転おうてんこす危険きけんがあるくるまがあった。

なお、前輪ぜんりん駆動くどうのリアエンジンしゃは、構造こうぞうじょうまったくメリットが存在そんざいしないため、フォークリフト一部いちぶくつたい車両しゃりょうなどをのぞき、世界せかいてきても採用さいようれいがない。

黎明れいめいのリアエンジンしゃ

編集へんしゅう
 
ベンツ・ヴェロ(1894ねん)。エンジンほか駆動くどうけい座席ざせきのち周囲しゅういあつまっており、着座ちゃくざ位置いちたか

ガソリン自動車じどうしゃ発明はつめいされた初期しょきには、動力どうりょく伝達でんたつのための技術ぎじゅつ未熟みじゅくで、駆動くどうであるのち至近しきんにエンジンを搭載とうさいする必要ひつようから、リアエンジン方式ほうしきにあたるレイアウトをった自動車じどうしゃがほとんどであった。最初さいしょのガソリンしゃとされる1888ねんダイムラーしゃ、ベンツしゃはいずれもチェーン伝動でんどうのリアエンジンであり、その1900ねんころまでリアエンジンは自動車じどうしゃ主流しゅりゅうであった。

ドイツで「ベテラン」と時代じだい分類ぶんるいされるこのころクラシックカーではおおくの場合ばあい乗客じょうきゃくたちはこう車軸しゃじくじょう搭載とうさいされたエンジンのさらうえ座席ざせきもうけて搭乗とうじょうしていたようなもので、当時とうじ自動車じどうしゃのちおおくがだいみち車輪しゃりんであった影響えいきょうもあって、重心じゅうしんたかくなった。

これを克服こくふくするため、1891ねんフランスパナール・ルヴァッソール車体しゃたい前方ぜんぽうにエンジンを搭載とうさいしてこう駆動くどうする「パナール・システム」とばれるフロントエンジン・リアドライブ方式ほうしき(FRとりゃくされる)を考案こうあんしててい重心じゅうしん操縦そうじゅう安定あんていせい向上こうじょう実現じつげんし、さらおなじフランスのルノー1898ねんプロペラシャフトかいして効率こうりつよく駆動くどうする「ダイレクト・ドライブ」を開発かいはつしたことでFR方式ほうしき優位ゆういせい確立かくりつされる。

この結果けっか市場いちば大勢おおぜい1900年代ねんだい中期ちゅうきまでにより高性能こうせいのうなFRへと移行いこうし、重心じゅうしんたか不安定ふあんていなリアエンジン方式ほうしき一時いちじわすれられた技術ぎじゅつとなった。

リアエンジンしゃへのさい認識にんしき

編集へんしゅう
ツェンダップのための試作しさくしゃ
ポルシェ・タイプ12
タトラ・T77のドライブトレイン
メルセデス・ベンツ 170H
フォルクスワーゲン・ビートル
フォルクスワーゲン・タイプ1のシャーシとボディー

FR方式ほうしき構造こうぞう操縦そうじゅう安定あんていせいめん無理むりのないシステムではあったが、1910年代ねんだい以降いこう自動車じどうしゃ発達はったつ過程かていで、プロペラシャフト重量じゅうりょうていゆかさまたげとなるフロアトンネルのスペース、振動しんどうとそれによる騒音そうおん顕著けんちょ問題もんだいとして表面ひょうめんしてきた。また自動車じどうしゃ大衆たいしゅうともな小型こがた軽量けいりょうていコスト必要ひつようせいから、効率こうりつパッケージング追求ついきゅう模索もさくされ、ここからだいいち世界せかい大戦たいせん、プロペラシャフトをはいした自動車じどうしゃ開発かいはつする機運きうんまれる。フロントエンジン・フロントドライブ方式ほうしき(FF、前輪ぜんりん駆動くどうミッドシップエンジン・リアドライブ方式ほうしき (MR) の研究けんきゅうはじまったのもこのころであるが、同様どうように「エンジン至近しきん車輪しゃりん駆動くどうする方式ほうしき」として、リアエンジン方式ほうしきさい認識にんしきされるようになる。

当時とうじ自動車じどうしゃシャシ改良かいりょうにより、独立どくりつ懸架けんか機構きこうであるスイングアクスルしきサスペンション実用じつようされ、これを利用りようしてトランスミッションディファレンシャル・ギア一体化いったいかしたユニット構造こうぞうの「トランスアクスル」が案出あんしゅつされた結果けっか従来じゅうらい固定こてい車軸しゃじくくるまよりもてい重心じゅうしんかつ心地ごこちいリアエンジンしゃ設計せっけい可能かのうとなった。前輪ぜんりん駆動くどう必須ひっすとされる、操舵そうだ駆動くどうりょくをスムーズにつたえることのできる「ひとしそくジョイント機構きこう」が実用じつよう水準すいじゅんいたっていなかった当時とうじ、プロペラシャフトの省略しょうりゃく目指めざした技術ぎじゅつしゃおおくは、より障壁しょうへきひくかったリアエンジン方式ほうしきでの自動車じどうしゃ開発かいはつすすめた。

同様どうようこう駆動くどうし、トランスアクスルをもちいるミドシップ方式ほうしきよりも、実用じつようしゃ重要じゅうようである客室きゃくしつ容積ようせき格段かくだんひろれ、エンジンアクセスにもすぐれるめんが、リアエンジンのおおきなメリットであった。当時とうじのミドシップ方式ほうしきは、エンジンサイズの制約せいやくゆえにホイールベースあいだのスペース消費しょうひけられず、整備せいびせいにも問題もんだいかかえていた(これらのミドシップの課題かだいは21世紀せいき初頭しょとうでも完璧かんぺき解決かいけつにはいたっていない)。

近代きんだいがたリアエンジンしゃシャシレイアウトを最初さいしょ具体ぐたいてき設計せっけいとしてしめしたのは、ウィーン工科こうか大学だいがくいち学生がくせいぎなかったベラ・バレニー (Béla Barényi 1907 - 1997)[注釈ちゅうしゃく 1]である。まだ20さいにもなっていなかったこの若者わかもの後年こうねん自動車じどうしゃ設計せっけいしゃとして大成たいせいするが、1925ねん時点じてん大学だいがくでの研究けんきゅうテーマとして、空冷くうれい水平すいへい対向たいこう4気筒きとうエンジンをリアオーバーハングに搭載とうさいし、トランスアクスルおよびバックボーンフレームわせた4りん独立どくりつ懸架けんか合理ごうりてき乗用車じょうようしゃシャーシを着想ちゃくそうし、才能さいのう萌芽ほうがをうかがわせていた[注釈ちゅうしゃく 2]。ただし、この時代じだいのバレニーはまだ実車じっしゃ製造せいぞうするまでにはいたっていない。

どう時代じだいにはながれ線形せんけいボディの研究けんきゅう進展しんてんし、ツェッペリンしゃ出身しゅっしんもと航空こうくう技術ぎじゅつしゃパウル・ヤーライ(Paul Jaray 1889ねん - 1974ねん)によって1920年代ねんだい前半ぜんはん考案こうあんされた「ヤーライりゅう線形せんけい」が、フロントエンジンしゃのシャシを利用りようしての顕著けんちょ実験じっけん結果けっかにより、空気くうき抵抗ていこう減少げんしょうさせて性能せいのうたかめるというだい世界せかい大戦たいせん以前いぜん古典こてんてき流線型りゅうせんけい乗用車じょうようしゃのコンセプトの基本きほんとなった(もっともそれが一般いっぱんするのは1930年代ねんだい中期ちゅうき以降いこうである)。

ぜんはしまるめ、後端こうたんながいたヤーライりゅう線形せんけいは、リア・オーバーハングにエンジンを搭載とうさいするのにもてきしていた。1920年代ねんだい後半こうはん以降いこう、これを具現ぐげんしようとする企画きかくがドイツやチェコスロバキアなどでちあがってくる。

1931ねんからよく1932ねんにかけてフェルディナント・ポルシェ設計せっけいになるツェンダップのためのリアエンジン試作しさくしゃ「タイプ12」が3だい製作せいさくされ、これ以降いこう、ドイツとチェコスロバキアでリアエンジン方式ほうしき量産りょうさん乗用車じょうようしゃ出現しゅつげんする。その嚆矢こうしタトラ主任しゅにん技師ぎしであるハンス・レドヴィンカ (Hans Ledwinka) による1934ねんの「T77」であろう。そして1936ねんにはメルセデス・ベンツの「170H」(W28)、1938ねんにはKdFヴァーゲン、のちのいわゆる「フォルクスワーゲン・タイプ1」が発表はっぴょうされる。MB 170Hは若干じゃっかん市販しはんされたものの増加ぞうか試作しさくいきず、VW本格ほんかく量産りょうさんだい世界せかい大戦たいせんわった1945ねんからとなる。なお、フォルクスワーゲンでは民生みんせいよう先駆さきがけ、kdfヴァーゲンを軍用ぐんよう車両しゃりょう設計せっけい変更へんこうしたキューベルワーゲンシュビムワーゲン量産りょうさんしている。

自動車じどうしゃ史上しじょう「ポスト・ヴィンテージ」とばれるこの時代じだい出現しゅつげんしたリアエンジンしゃは、バックボーンフレーム構造こうぞうなどで合理ごうりされたシャシに、機能きのうてきりゅう線形せんけいボディと、よんりん独立どくりつ懸架けんかたずさえ、むしろさら未来みらいのモダン・エイジを象徴しょうちょうする存在そんざいであった。ベテラン原始げんしてきリアエンジンしゃとは完全かんぜん断絶だんぜつした「あたらしい自動車じどうしゃ」だったのである。

アメリカの大型おおがたしゃにおけるリアエンジン

編集へんしゅう
スタウト・スカラブ(後方こうほうから)
GMC・トランジット。全長ぜんちょうのほとんどが客室きゃくしつとして利用りようされた近代きんだいてきリアエンジンバスの嚆矢こうし

大型おおがた乗用車じょうようしゃ

編集へんしゅう

ヨーロッパでリアエンジンの研究けんきゅうすすめられていた1930年代ねんだい当時とうじアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは、一般いっぱんてき乗用車じょうようしゃ分野ぶんやでリアエンジン方式ほうしき研究けんきゅうされることはほとんどなかった。それらはわずかなれいのみで試作しさくとどまっている。

オランダじん技術ぎじゅつしゃジョン・ジャーダがアメリカで1931ねん開発かいはつした大型おおがたリアエンジン試作しさくしゃ「スターケンバーグ」は、そのコンセプトがタトラに影響えいきょうあたえた可能かのうせいがあった(ジャーダがのち所属しょぞくした車体しゃたいメーカーのブリッグスしゃに、タトラの主任しゅにん設計せっけいしゃハンス・レドヴィンカの親戚しんせき在籍ざいせきしており、1934ねん発表はっぴょうタトラ T77はスターケンバーグにきわめて類似るいじしたりゅう線形せんけいしゃであった)が、アメリカでスターケンバーグのコンセプトが市販しはん自動車じどうしゃかされたのはながれ線形せんけいボディの要素ようそのみで、リアエンジンで追随ついずいするれいはなかった。

一方いっぽうアメリカでは、技術ぎじゅつしゃウィリアム・スタウト (William B. Stout) が1935ねんべつのアプローチからリアエンジン方式ほうしき応用おうようし、まったくあたらしいコンセプトのモノスペースしゃ開発かいはつした。現代げんだいミニバン始祖しそともうべき流線型りゅうせんけい試作しさくくるまスタウト・スカラブ」である。航空機こうくうき鉄道てつどう車両しゃりょうのような発想はっそうれ、ながれ線形せんけいモノスペースボディをそなえたこのくるまは、ながれ線形せんけいリアエンジンで先行せんこうしたジョン・ジャーダが実車じっしゃデザインにたずさわっており、フォードVがた8気筒きとうエンジンを車体しゃたい後部こうぶ搭載とうさいすることで、ひろ室内しつない容積ようせきとレイアウトの自由じゆうていた。

ただしこの着想ちゃくそうもすぐにかされるまでにはいたらず、スカラブが量産りょうさんされることはなかった。ミニバンクラスのリアエンジン車両しゃりょうでこのたねのアイデアをたくみに実現じつげんし、量産りょうさんして成功せいこうした最初さいしょは、1950ねん発表はっぴょうフォルクスワーゲン・タイプ2嚆矢こうしえる。以降いこう同種どうしゅ手法しゅほうはヨーロッパや日本にっぽん小型車こがたしゃでの事例じれいおもとなった。

大型おおがたバス

編集へんしゅう
 
GMC・トランジットの駆動くどう方式ほうしき乗用車じょうようしゃとはことなりバスはRRにプロペラシャフトを使用しようする。

アメリカでは、さらに大型おおがたバスでリアエンジン方式ほうしきかされることになった。大型おおがたバスは20世紀せいき初頭しょとう以来いらいトラック派生はせいともいうべきはしごフレームボンネットかた主流しゅりゅうで、一部いちぶにエンジンじょうまで客室きゃくしつとして利用りようしたキャブオーバーかたもあったものの、主流しゅりゅうとはえなかった。

それらにまさすぐれた機能きのうせいひろゆか面積めんせきおおきな車内しゃない容積ようせき合理ごうりされた駆動くどうシステムをリアエンジン方式ほうしき実現じつげんしたのが、1940ねんゼネラルモーターズによって発表はっぴょうされた新型しんがたバス「GMCトランジット」である。フレームレスモノコック構造こうぞう軽量けいりょうゆかひく車体しゃたい車体しゃたい最後さいごはしよこされた、コンパクトながら強力きょうりょくデトロイトディーゼルせいユニフロー掃気ディーゼルエンジン、これにやはりよこ直結ちょっけつされ、車体しゃたい中心ちゅうしんせんから偏向へんこう搭載とうさいされたトランスミッションと、それらより前方ぜんぽう位置いちするのち車軸しゃじくはすぎょうしたプロペラシャフトでむすんで駆動くどうする「アングルドライブ方式ほうしき」をわせたすぐれたパッケージングが、このまったあたらしいバスの成功せいこう要因よういんであった。だい世界せかい大戦たいせん世界せかい各国かっこくのバスに「トランジット」の発想はっそうがれ、リアエンジン方式ほうしき現代げんだいいたるまで大型おおがたバスにおける主流しゅりゅう駆動くどう方式ほうしきとなっている。

日本にっぽん文献ぶんけんでは、富士重工業ふじじゅうこうぎょう前身ぜんしんひとつである富士ふじ自動車じどうしゃ工業こうぎょう1949ねん昭和しょうわ24ねん)に民生みんせい産業さんぎょうげんUDトラックス共同きょうどう開発かいはつしたリアエンジンバス「ふじごう」について、日本にっぽんでオリジナルの着想ちゃくそうにより開発かいはつされた史上しじょうはつのモノコック・リアエンジンバスであるように記述きじゅつしているれいすくなくない。だが「ふじごう」の車体しゃたい設計せっけいは、進駐軍しんちゅうぐんちこんだGMのリアエンジンバスが先行せんこうれいとして参考さんこうにされているのは明白めいはくで、ボディ前面ぜんめんまど周囲しゅうい独特どくとくなへこみはトランジットそのままである。UDエンジンとアングルドライブにいては「ふじごう」(富士ふじTR014X-2)の次世代じせだいの「民生みんせい・コンドルごう」から採用さいようされており、これはGMからのライセンス供与きょうよであることが公表こうひょうされている。日本にっぽん実情じつじょうわせた開発かいはつこそ富士ふじ民生みんせい自社じしゃ技術ぎじゅつによるものとはいえ、発想はっそう根本こんぽん自体じたいけっしてオリジナルとはいえない。「ふじごう」についての文献ぶんけんでGMせいリアエンジンバスにれていないものは、日本にっぽんメーカー(おおくの場合ばあいはバスボディメーカーとしての富士重工業ふじじゅうこうぎょう)を賞揚しょうようするために、都合つごうわるいGMの存在そんざい無視むししているともとれる。[独自どくじ研究けんきゅう?]

戦後せんごのリアエンジン乗用車じょうようしゃ普及ふきゅう

編集へんしゅう
ポルシェ・356 本格ほんかくてきなリアエンジン・スポーツカーの嚆矢こうし
タトラ・603-2(1967ねんモデル)。1955-75ねん生産せいさん
リアエンジン大型おおがたしゃで、重量じゅうりょうバランス確保かくほのためフロントオーバーハングがおおきい

プロペラシャフトがなく、エンジンから駆動くどういたるまでのドライブトレーンが車体しゃたい一端いったん集中しゅうちゅうしたリアエンジンしゃ構造こうぞうきわめて合理ごうりてきであり、重量じゅうりょう軽減けいげんしながら客室きゃくしつないひろ居住きょじゅうスペースを確保かくほすることができた。そのメリットはとく小型車こがたしゃ顕著けんちょであった。

タトラやフォルクスワーゲンでの技術ぎじゅつてき成果せいか各国かっこく自動車じどうしゃ技術ぎじゅつしゃ刺激しげきあたえ、だい世界せかい大戦たいせんになると1946ねん発表はっぴょうルノー・4CV皮切かわきりに、ヨーロッパのおおくのメーカーがリアエンジン方式ほうしき小型車こがたしゃ開発かいはつするようになる。日本にっぽんのリアエンジン乗用車じょうようしゃでは、1958ねん昭和しょうわ33ねん)のスバル・360自国じこく開発かいはつによる最初さいしょ成功せいこうれいえよう。ラジエータースペースの問題もんだい軽量けいりょうのため、リアエンジンしゃには空冷くうれいエンジンくるまおおかったのも特徴とくちょうてき傾向けいこうである(ルノーのように水冷すいれいもちいたれい存在そんざいしたが、がいして簡易かんい空冷くうれいしきへの志向しこうつよかった)。

小型車こがたしゃにリアエンジン方式ほうしき採用さいようされたことは、スポーツカー分野ぶんやにもリアエンジンを普及ふきゅうさせる一因いちいんとなった。もともと小型こがたスポーツカーには、小型こがた乗用車じょうようしゃのシャーシやコンポーネントをベースにして製作せいさくされるれいおおく、車体しゃたい形状けいじょう自由じゆうたかくしかも軽量けいりょうなリアエンジン方式ほうしきのメリットが、スポーツモデルにかしやすかったからである。その代表だいひょうれい1948ねんポルシェ・356(ベースはフォルクスワーゲン・タイプ1)にはじまるポルシェ各車かくしゃ、そしてフィアット・600けいリアエンジン大衆たいしゅうしゃをベースとしたおおくのイタリア製いたりあせい小型こがたスポーツカーであろう。

なお、大型おおがた乗用車じょうようしゃでリアエンジン方式ほうしき一貫いっかんして長期ちょうき継続けいぞくしたのは、世界せかいでもタトラのみである。同社どうしゃ1934ねんタトラ・T77以来いらい東側ひがしがわブロック崩壊ほうかいによる民主みんしゅチェコスロバキア解体かいたい1998ねんに「T700」の製造せいぞう中止ちゅうし乗用車じょうようしゃ生産せいさんから撤退てったいするまで、一貫いっかんしてリアエンジン乗用車じょうようしゃ製造せいぞうした。そのモデルは1,700 ccきゅうT97(1937ねん)、2,000 ccきゅうT600タトラプラン1947ねん)の2しゅ中型ちゅうがたしゃのぞくと、一貫いっかんして2.5 Lから3.5 Lきゅう空冷くうれいVがた8気筒きとうだい排気はいきりょうくるまであった。これはチェコスロバキアが戦後せんご共産きょうさんけんはいって西側にしがわ諸国しょこくのトレンドとの関係かんけい希薄きはくしたことと、計画けいかく経済けいざい国策こくさく大型おおがた乗用車じょうようしゃメーカーに指定していされたタトラが、在来ざいらい技術ぎじゅつのキャリーオーバーで技術ぎじゅつ開発かいはつすすめたことによるもので、技術ぎじゅつてきポリシーがガラパゴスしたなかでの「奇妙きみょう進化しんか」であった。きん現代げんだいでリアエンジンしゃがそのくににおけるさい高級こうきゅう大型おおがたしゃというべき位置付いちづけにあったのは、世界せかいでもチェコスロバキアだけである。

大型おおがたリアエンジン乗用車じょうようしゃ開発かいはつ企図きとした事例じれいとしては、ほかにアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくタッカーが1948ねん発表はっぴょうした5.5 Lきゅう特異とくい大型おおがたしゃタッカー・トーピードげられるが、試行しこうてきすうじゅうだい製造せいぞうしたのみで頓挫とんざしている。

シボレー・コルヴェア事件じけん

編集へんしゅう
 
シボレー・コルヴェア・モンザ 1964ねんモデル(後方こうほうから)。パッケージングとデザインはすぐれていたが、操縦そうじゅう安定あんていせい問題もんだい内在ないざいしていた

1950年代ねんだい中期ちゅうき以降いこうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにはヨーロッパせい小型こがた乗用車じょうようしゃおお輸入ゆにゅうされ、とくにセカンド・カー需要じゅよう分野ぶんやでアメリカメーカーのシェア蚕食さんしょくはじめていた。これにたいし、先行せんこうして小型車こがたしゃ分野ぶんや転身てんしんしていたアメリカン・モーターズ (AMC) につづき、大型おおがたしゃ主力しゅりょくの「ビッグ3」(ゼネラルモーターズ、フォード・モータークライスラー)も、1950年代ねんだい末期まっきからアメリカしゃとしては小型こがたの2,000 - 3,000 ccクラス(世界せかいてきには中型ちゅうがた大型おおがたしゃであるが、当時とうじのアメリカでは「コンパクト・カー」とされた)の「小型車こがたしゃ開発かいはつむようになる。

このコンパクトカー開発かいはつさいして、ビッグ3のほか2しゃとAMCは、水冷すいれい直列ちょくれつ6気筒きとう搭載とうさいのFRレイアウトという堅実けんじつ無難ぶなん設計せっけいもちいたが、GMだけは独自どくじ路線ろせんった。空冷くうれい水平すいへい対向たいこう6気筒きとうのリアエンジンしゃシボレー・コルヴェア」を1959ねん発表はっぴょうしたのである。レイアウトからは当時とうじアメリカでよくれていたフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の影響えいきょう明白めいはくであった。

コルヴェアは洗練せんれんされたスタイルと斬新ざんしんなメカニズムで市場いちばにアピールし、その当初とうしょおおきなヒットさくとなったが、サスペンション設計せっけいとそのセッティングに根本こんぽんてき問題もんだいかかえており、走行そうこうちゅう旋回せんかい横転おうてん事故じここしやすいという危険きけんせい内包ないほうしていた。この欠陥けっかん消費しょうひしゃ運動うんどうラルフ・ネーダー指摘してきし、「危険きけん欠陥けっかんしゃ」として糾弾きゅうだんした。だがGMはコルヴェア問題もんだい適切てきせつ対処たいしょおこなわなかったばかりか、ネーダーの身辺しんぺん調査ちょうさしてかれ活動かつどうおさえようとする姑息こそく対抗たいこう手段しゅだん露見ろけんしたことでかえってスキャンダルをこじらせ、おおきく信用しんようそこなった。コルヴェアは1968ねん製造せいぞう中止ちゅうしされ、以後いごGMはリアエンジン乗用車じょうようしゃ製造せいぞうしなくなった。

コルヴェア騒動そうどう過程かていで、リアエンジンしゃ操縦そうじゅう安定あんていせいかんする疑念ぎねんおおきくクローズアップされた。もともと乗用車じょうようしゃクラスのリアエンジンしゃはオーバーステア傾向けいこうつよく、フロントエンジンしゃして直進ちょくしん安定あんていせいおとるきらいがあるため、重量じゅうりょう配分はいぶんやサスペンション・セッティングに配慮はいりょ必要ひつようである。この問題もんだい小型こがたリアエンジンしゃでも無視むしできないものであるが、大型おおがたになればなるほどさらにきびしくなる。1950年代ねんだい以前いぜんには、ジャッキアップ現象げんしょうこしやすい古典こてんてきスイングアクスル方式ほうしきのサスペンションがリアエンジンしゃおおもちいられていたため、旋回せんかい横転おうてんリスクの欠点けってんとく顕著けんちょとなった。

コルヴェアはこれらの問題もんだいかんする配慮はいりょりなかったために「欠陥けっかんしゃ」の悪評あくひょうこうむることになったのであるが、その余波よはのリアエンジンしゃにもおよんだ。アメリカ市場いちばのリアエンジンしゃはコルヴェア以外いがいすべてヨーロッパからの輸入ゆにゅうしゃで、大型おおがたしゃ存在そんざいしなかった(当時とうじのタトラはアメリカに輸出ゆしゅつされていない)のであるが、それでもフォルクスワーゲンをはじめとするリアエンジンしゃおおくが「危険きけんではないか?」「横転おうてんしやすいのではないか?」と疑念ぎねんたれるようになってしまったのである。

前輪ぜんりん駆動くどう台頭たいとう

編集へんしゅう

またリアエンジンしゃには、操縦そうじゅう安定あんていせい以外いがいにもおおくの克服こくふくしがたい弱点じゃくてんがあった。

客室きゃくしつとエンジンルームとの隔壁かくへき面積めんせきおおきく、遮音しゃおんさえぎねつめんでも不利ふりであったが、実用じつようじょう最大さいだい問題もんだいはラゲッジスペースが不足ふそくすることであった。フロントセクションは前輪ぜんりんみさおむかいかじり)のため、ホイールハウスやステアリングリンケージにスペースをられ、トランクとして利用りようするには、容積ようせき形状けいじょうめんでフロントエンジンしゃのリアトランクにはおよばなかった。とくに、エンジンルームがしつ容積ようせきゆか形状けいじょうおおきく影響えいきょうおよぼす商用しょうようしゃではさらに不利ふりとなる。リアエンジンのワゴンやバントラックもあるが、絶対ぜったいてき積載せきさい容積ようせき積載せきさいせいではやはりフロントエンジンしゃにかなわず、また遮音しゃおんさえぎねつ問題もんだいをさらにおおきくした。

リアエンジンの場合ばあい水冷すいれいエンジンくるまはエンジン冷却れいきゃく対策たいさくラジエーター配置はいちとその冷却れいきゃく空気くうき流動りゅうどう)に問題もんだいかかえていた。後部こうぶラジエーターとすると走行そうこうふう有効ゆうこう活用かつようできず、かといってフロントにラジエーターをくと、冷却れいきゃくすい配管はいかん長大ちょうだいになりぎることや、元々もともとすくないトランク容積ようせきをさらに圧迫あっぱくするなんがあった。リアエンジンしゃおお空冷くうれいエンジンくるまは、冷却れいきゃくめん制約せいやくをクリアできたにしても、今度こんど騒音そうおん過大かだい暖房だんぼう能力のうりょく不足ふそく温水おんすいヒーターしてヒートエクスチェンジャー性能せいのうはるかにおとる)というべつなんがあった。

水冷すいれいしきフロントエンジンしゃであればうえげられたリアエンジンしゃ特有とくゆう問題もんだいしょうじず、車体しゃたい後部こうぶ設計せっけい改変かいへんによるバリエーション展開てんかい容易よういである。おおくのリアエンジンしゃメーカー(それらはたいていの場合ばあい小型車こがたしゃでもFR方式ほうしき墨守ぼくしゅするメーカーにくらべると先進せんしんてき傾向けいこうがあった)が、将来しょうらいてきなフロントエンジンへの移行いこうかんがえるようになったのは無理むりもないことであった。

シボレー・コルベアとあい前後ぜんごして、1959ねん発売はつばいされたイギリス・BMCMiniが、小型こがた前輪ぜんりん駆動くどうしゃ普及ふきゅう可能かのうせいおおきくひろげた。前輪ぜんりん駆動くどうくるまつねにネックとなっていたのは、ひとしそくジョイント精度せいど耐久たいきゅうせいだったが、Miniで駆動くどうよう本格ほんかく導入どうにゅうされた「バーフィールド・ツェッパ・ジョイント」がこれを解決かいけつしたのである。しかもMiniは直列ちょくれつ4気筒きとうエンジンをよこにするという合理ごうりてき設計せっけいで、ドライブトレーンをきわめてコンパクトなものに仕上しあげた。

それ以前いぜんからヨーロッパではシトロエンアウトウニオンなどが前輪ぜんりん駆動くどうへの傾倒けいとうせていたが、耐久たいきゅうせいすぐれたひとしそくジョイントの実現じつげんはそのまま前輪ぜんりん駆動くどう方式ほうしきのさらなる飛躍ひやく意味いみしていた。たして1960年代ねんだいすえにはヨーロッパの主要しゅよう自動車じどうしゃ生産せいさんこく(ドイツ、イギリス、フランス、イタリア)のメーカーで、前輪ぜんりん駆動くどう方式ほうしき大衆たいしゅうしゃ開発かいはつ急速きゅうそくさかんとなったのである。

ひとしそくジョイントの性能せいのう品質ひんしつ改善かいぜんさらすすんだ。バーフィールドしゃ原案げんあんによるディファレンシャルがわとうそくジョイントの「ダブルオフセット・ジョイント (DOJ)」は、バーフィールドと技術ぎじゅつ提携ていけいしていた東洋とうようベアリング(げん・NTN)で、1965ねんスバル・1000ようとして実用じつようされた。これによって、前輪ぜんりん駆動くどうしゃ必要ひつようとされるデフがわ車輪しゃりんがわ双方そうほうひとしそくジョイントが完全かんぜん実用じつよう水準すいじゅんたっしたのである。

このころから、それまでリアエンジンしゃつくっていたメーカーのおおくは、リアエンジンモデルの新規しんき開発かいはつひかえ、既存きそんリアエンジンしゃ改良かいりょう延命えんめいはか程度ていどになった。もはや開発かいはつじくあし前輪ぜんりん駆動くどうしゃうつっていたのである。1969ねんにイタリアのフィアットから発売はつばいされた128は、エンジンと変速へんそく直列ちょくれつよこきエンジンなので並列へいれつともえる)に配置はいちした「ジアコーサしき前輪ぜんりん駆動くどう」を採用さいようしたが、ていコストで前輪ぜんりん駆動くどう実現じつげんできることから以後いごおおくのメーカーがこのレイアウトに追随ついずいし、前輪ぜんりん駆動くどうへのながれは決定的けっていてきとなった。

現代げんだいのリアエンジン

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タタ・ナノ
ナノの後部こうぶ床下ゆかしたエンジンルーム

リアエンジンしゃ代表だいひょうともいえるフォルクスワーゲン・タイプ1が、前輪ぜんりん駆動くどうしゃゴルフ(1974ねん発売はつばいともない、1978ねんにドイツ本国ほんごくでの生産せいさん終了しゅうりょうしたのは、リアエンジン乗用車じょうようしゃ時代じだい終焉しゅうえん象徴しょうちょうする「事件じけん」であったといえよう[注釈ちゅうしゃく 3]

そののヨーロッパや日本にっぽん主要しゅようメーカーも、旧式きゅうしきなリアエンジンしゃ延命えんめいするように生産せいさんしていた事例じれい少数しょうすうられたが、いずれも1980年代ねんだい前半ぜんはんまでには生産せいさんえている。

21世紀せいき初頭しょとう小型こがたから中型ちゅうがたのリアエンジンしゃ系譜けいふ維持いじつづけているメーカーは、スポーツカーメーカーで「リアエンジンであること」が911のアイデンティティにまでなっているポルシェと、モノスペースを追求ついきゅうしたちょう小型車こがたしゃカテゴリーにぞくするスマートタタ・ナノ程度ていどとどまっていた。

かつてスバル・360代表だいひょうされるリアエンジン軽自動車けいじどうしゃおお生産せいさんしたスバル(富士重工業ふじじゅうこうぎょう2012ねんまで生産せいさんしていたリアエンジンしゃは、けいトラックワンボックスの「サンバー」であったが、スバルはすべての軽自動車けいじどうしゃダイハツ工業だいはつこうぎょうからのOEMえ、軽自動車けいじどうしゃ生産せいさんから撤退てったいした。

一方いっぽう中型ちゅうがた以上いじょうのバスでは、トラックとコンポーネンツ多数たすう共用きょうようしたモデルや、ちょうていゆかがた特殊とくしゅしゃにおける一部いちぶ事例じれいのぞけば、ゆか面積めんせきもっと有効ゆうこう活用かつようできる手法しゅほうとして世界せかいてきにリアエンジン方式ほうしき現在げんざいいたるまで標準ひょうじゅんレイアウトとなっている。

2014ねんにはダイムラールノー提携ていけいにより、スマート・フォーフォー(2代目だいめ)とルノー・トゥインゴ(3代目だいめ)がシャシ共用きょうようしたRRレイアウトのコンパクトカーとして発売はつばいされた。これにはエンジンのダウンサイジング技術ぎじゅつ発展はってんおおきく関与かんよしており、エンジンを小型こがた軽量けいりょうすることで前後ぜんご重量じゅうりょう配分はいぶんをMRと同等どうとうにしている。居住きょじゅうせいについても、FFであったぜんモデルにくら車体しゃたいサイズをそのままに室内しつない前後ぜんごちょう大幅おおはば向上こうじょうさせることが可能かのうになった。これは、これまでフロントエンジンがっていたスペースを室内しつない前後ぜんごちょうとしてくわえることができたためである。

電気でんき自動車じどうしゃにおいてはパワートレインによる重量じゅうりょうかたよりから解放かいほうされ、ホイールインモーターをふくめてモーター搭載とうさい位置いち自由じゆうたかく、こう駆動くどう選択肢せんたくしており、2020ねん発売はつばいされたホンダ・eもRRレイアウトを採用さいようしている。

リアエンジン乗用車じょうようしゃ歴史れきし

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現行げんこう生産せいさんちゅうおもなリアエンジンしゃ(バスなどをのぞく)

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航空機こうくうきのリアエンジン

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レシプロエンジン動力どうりょくによるプロペラ時代じだいには、胴体どうたい後部こうぶにエンジンをうしきに搭載とうさいして後方こうほうきプロペラを回転かいてんさせるれいすくなからず存在そんざいした。このたねの「推進すいしんしき」とばれるレイアウトは単発たんぱつられたが、プロペラの回転かいてんスペースを確保かくほするため後尾こうびそうどうしきにする必要ひつようがあるなど、一般いっぱんてき前方ぜんぽう配置はいちエンジンの「牽引けんいんしき」にくらべるとデメリットがおおく、一般いっぱんてきではなかった。だい世界せかい大戦たいせんのちにはセスナしゃ双発そうはつプロペラ後尾こうびそうどうとした「直列ちょくれつがた双発そうはつ」の事例じれいがあるが、例外れいがいてきなものである。

戦後せんごジェットエンジン時代じだいになると、エンジン搭載とうさい制約せいやくはプロペラのだい直径ちょっけいから、エンジン本体ほんたい直径ちょっけいにまでちぢまり、搭載とうさい位置いち自由じゆうたかまった。そのになれば胴体どうたい外面がいめん直接ちょくせつジェットエンジンをけてしまうこともできるようになったのである。

 
世界せかいはつのリアエンジン旅客機りょかくき、シュド・カラベル

世界せかいはつのジェット旅客機りょかくきイギリス開発かいはつされたデハビランド・コメット(1949年初ねんしょ飛行ひこう)は、ジェットエンジンのコンパクトさをかし、主翼しゅよくなかにエンジンを搭載とうさいした、非常ひじょうにスマートな外観がいかん特徴とくちょうとしていた。もっともコメットのレイアウト自体じたいは、主翼しゅよくにエンジンを装備そうびするレシプロ旅客機りょかくき着想ちゃくそうからおおきく飛躍ひやくするものではなかった。

どう時期じきフランス政府せいふ自国じこくでの中型ちゅうがたジェット旅客機りょかくき開発かいはついそいでいた。その結果けっか、デハビランドとの契約けいやくにより、コメットの設計せっけい一部いちぶ機首きしゅ構造こうぞうなど)を流用りゅうようすることで、シュド・カラベル短期間たんきかん開発かいはつした(1955年初ねんしょ飛行ひこう)。カラベルはジェットエンジンのコンパクトさを最大限さいだいげんかし、客室きゃくしつ胴体どうたいりょう側面そくめんにエンジンポッドを装備そうびした。その結果けっか世界せかいはつのリアエンジンしきジェット旅客機りょかくきとなったのである。

どう時期じき、アメリカをはじめとする各国かっこく大型おおがたジェット輸送ゆそうばくげきなどではエンジンを翼下よくかパイロンげる手法しゅほう採用さいようされはじめていた[注釈ちゅうしゃく 4]が、リアエンジンではこれにくらべ、おもいエンジンをつばさささえずともすむことから主翼しゅよく設計せっけい自由じゆう向上こうじょうした。またしゅあしみじかくしつつエンジン搭載とうさい位置いちたかめに確保かくほできるなど、とくなか小型こがたおおくのメリットがあった。胴体どうたいかたちでエンジンが搭載とうさいされ、エンジン自体じたい前面ぜんめん投影とうえい面積めんせきかけじょうせまいことから、翼下よくかエンジンくらバードストライク比較的ひかくてきすくないことも長所ちょうしょであった。

カラベルが技術ぎじゅつてきにも商業しょうぎょうてきにも成功せいこうすると追随ついずいしゃあらわれた。その1970年代ねんだいにかけ、欧米おうべいソ連それん旅客機りょかくきメーカー・製造せいぞうしゃは、双発そうはつ3はつのリアエンジン大型おおがたジェット旅客機りょかくき多数たすう開発かいはつした。1960年代ねんだいにはイギリスのビッカース VC10や、ソ連それんイリューシン Il-62のような、当時とうじとしては大型おおがたの4はつリアエンジンの機体きたいまで出現しゅつげんしている。

 
4はつリアエンジンのVC10

その、ジェット旅客機りょかくき大型おおがたすすみ、エンジンも大型おおがただい出力しゅつりょくすると、かならずしもリアエンジン方式ほうしき有利ゆうりとはえなくなってきた。前後ぜんご重量じゅうりょうバランスをるための制約せいやくえ、また胴体どうたいちかすぎるエンジンが騒音そうおん原因げんいんになるという問題もんだいもあった。静的せいてき重心じゅうしん位置いちこうりとなるため、ボーイング727貨物かもつがたダグラスDC-9では、ちゅうなか尻餅しりもちくことがあり、ちゅうちゅう支柱しちゅう装備そうびしている機体きたいもあった。1960年代ねんだい中期ちゅうき開発かいはつされたボーイング737は、開発かいはつがリアエンジンしきジェット輸送ゆそうさかんな時期じきであったにもかかわらず、エンジン搭載とうさい位置いちたかいことによる整備せいびのしにくさをきらって、えて翼下よくかちょくかたしきとしていた。

1980年代ねんだい以降いこう、ジェットエンジンの大型おおがたすすみ、かつての3はつはおろか4はつをも代替だいたいできるほどの大型おおがただい出力しゅつりょく双発そうはつ実用じつようされたが、それらのターボファンエンジンはもはやかつての中型ちゅうがた旅客機りょかくき胴体どうたいほどにもふとくなり、翼下よくか方式ほうしきでなければ搭載とうさい困難こんなんなほどに巨大きょだいした。このため、近年きんねん大型おおがた旅客機りょかくきではリアエンジン方式ほうしき過去かこのものとなりつつある。

 
リアエンジンリージョナルジェットの小型こがたCRJ200

一方いっぽうコミューター路線ろせんけのリージョナルジェット企業きぎょう富豪ふごうけの自家用じかようビジネスジェットとよばれる小型こがたジェット機じぇっとき1960年代ねんだい以降いこう出現しゅつげんしたが、それらは翼下よくか地上ちじょうだかひくさによるエンジンレイアウトの制約せいやくから、必然ひつぜんてきにリアエンジン方式ほうしき使つかわざるをないことがおおく、一般いっぱんてきなレイアウトとして定着ていちゃくしている。

後部こうぶにジェットエンジンをくと、水平すいへい尾翼びよく通常つうじょう位置いちとした場合ばあい排気はいきりゅう干渉かんしょうするため、音速おんそくではT尾翼びよくちょう音速おんそくでは後部こうぶ胴体どうたい下部かぶとするなどして水平すいへい尾翼びよく排気はいきからけた位置いちくことがもっぱらである。

 
垂直すいちょく尾翼びよくはさんだエンジン配置はいちソ連それん空軍くうぐんTu-22

リアエンジン航空機こうくうきれい

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双発そうはつジェット

上記じょうきのように、いわゆるビジネスジェットはそのおおくが双発そうはつアフトエンジンであるため、本稿ほんこうではリージョナルジェット以上いじょう機体きたいのみをげる。

  アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

  カナダ

  ブラジル

  イギリス

  フランス

  オランダ

  ソビエト連邦れんぽう /   ロシア

さんはつジェット

  アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

  イギリス

  フランス

  ソビエト連邦れんぽう /   ロシア

よんはつジェット

  アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

  イギリス

  ソビエト連邦れんぽう /   ロシア

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ のちシュタイアなどをダイムラー・ベンツ入社にゅうしゃだい世界せかい大戦たいせんメルセデス・ベンツくるまクラッシャブル・ボディなど先進せんしんてき安全あんぜん対策たいさく思想しそうれた。20世紀せいき中期ちゅうきにおける傑出けっしゅつした自動車じどうしゃ技術ぎじゅつしゃ一人ひとりとしてられる。
  2. ^ 簡略かんりゃくてい重心じゅうしんなバックボーンフレーム、よこきリーフスプリングによる4りん独立どくりつ懸架けんか空冷くうれい水平すいへい対向たいこうエンジンというレイアウトは、1924ねん発表はっぴょうのフロントエンジンしゃタトラ・11の影響えいきょう濃厚のうこうであるが、これを本家ほんけタトラの開発かいはつしゃレドヴィンカにすうねんさきんじて、いちはやくリアエンジンレイアウトに転換てんかんすることを着想ちゃくそうしたてん卓抜たくばつなものとえよう。かれ学生がくせい時代じだいのコンセプトが、ポルシェのフォルクスワーゲン・タイプ1にまで影響えいきょうあたえているとするせつもある。
  3. ^ 以降いこう中南米ちゅうなんべいなどでのタイプ1生産せいさん継続けいぞく(2003ねんにメキシコでの生産せいさん終了しゅうりょうし、完全かんぜん製造せいぞう中止ちゅうし)は、償却しょうきゃくずみ設備せつびによって旧式きゅうしきした大衆たいしゅうしゃ廉価れんか量産りょうさんした、発展はってん途上とじょうこくでのありふれた事例じれいぎず、技術ぎじゅつてき潮流ちょうりゅうへの影響えいきょうとは無関係むかんけいなものである。
  4. ^ これは後年こうねんまで大型おおがた旅客機りょかくき輸送ゆそうのエンジンレイアウトの主流しゅりゅうとなる。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 鈴木すずきたかし 『エンジンのロマン』

関連かんれん項目こうもく

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