(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ディスコ (音楽) - Wikipedia

ディスコ(Disco)は、ポピュラー音楽おんがくにおけるダンス・ミュージックのジャンルのひとつ。

ディスコ
様式ようしきてき起源きげん R&B[1]フィラデルフィア・ソウル[2]
文化ぶんかてき起源きげん 1960年代ねんだい後半こうはんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく、ヨーロッパ
使用しよう楽器がっき エレクトリックギターエレクトリックベースドラムセットシンセベースシンセサイザー、オーケストラ、鍵盤けんばん楽器がっき打楽器だがっき弦楽器げんがっき、ホーンセクション
派生はせいジャンル Hi-NRGハウステクノポップテクノユーロ・ビートヒップホップフュージョンポスト・ディスコ
サブジャンル
イタロ・ディスコ、スペース・ディスコ、ユーロ・ディスコ英語えいごばん
融合ゆうごうジャンル
ニュー・ディスコ
テンプレートを表示ひょうじ
ディスコを象徴しょうちょうするアイテムのひとつである、ミラーボール

概要がいよう

編集へんしゅう

1970年代ねんだい前半ぜんはんフィリー・ソウルは、ディスコ音楽おんがくおおきな影響えいきょうあたえた。MFSBドラマー、アール・ヤングのドラムスのキックと、16ビートのハイハットわせはのサルソウル・レコードのディスコ・サウンドのルーツとなった。ときにはチョッパーベースもせるエレキベース女性じょせいボーカル起用きようされることもおおく、ストリングスホーンセクション[ちゅう 1]クラヴィネット、リズムをきざむことがメインのエレキギターがバッキングをつとめた。また、フルートのようなオーケストラ楽器がっきがしばしばソロもちいられた[ちゅう 2]。また、ブルックリンなどの白人はくじん黒人こくじんら、ニューヨークのダンス音楽おんがくきがディスコに参入さんにゅうした[3]

一部いちぶのディスコ・ミュージシャンのレコードは、ジャケットうつっている人物じんぶつと、実際じっさいうたっているシンガーがちがうという、お粗末そまつ事実じじつもあった。

詳細しょうさい

編集へんしゅう
 
”ディスコ・クイーン”ドナ・サマー

ディスコの語源ごげんとなったのは、バンドのなま演奏えんそうではなくDJがレコード演奏えんそうをおこない、きゃくがそれにわせてダンスをおど娯楽ごらくじょうのことをす「ディスコティーク」で、もともとフランス語ふらんすご[4]である。

アメリカでは、アフリカけいアメリカじんヒスパニックのコミュニティを起源きげんとし、1960年代ねんだいから1970年代ねんだい前半ぜんはんにかけてフィラデルフィアからニューヨークへとつたわっていった[5][6][7][8][9]ディスコ・スタイルのクラブ前身ぜんしんは、1970ねん2がつにニューヨークDJ、デヴィッド・マンキューソが自宅じたくひらいたメンバーせいプライベート・ダンス・クラブ「ザ・ロフト (The Loft)」である[10][11]

ディスコの主要しゅようきゃく黒人こくじんゲイだった。ゲイのDJやきゃくは、ドナ・サマーグロリア・ゲイナーダイアナ・ロスグレイス・ジョーンズメルバ・ムーアロリータ・ハロウェイらを「ディスコ・クイーン」の地位ちいげた[12]。また当初とうしょはソウルミュージックにあわせておどっていたが、のちには気持きもちよくおどらせるのはどうしたらよいのか、という発想はっそうになり、きょくテンポ注目ちゅうもくされる。1分間ふんかんにBPM・120ぐらいがひとおどっているときの心臓しんぞう鼓動こどうちかいということで、それにわせたフォーマットのきょくえた。シルヴェスターきょく[ちゅう 3]などに、その典型てんけいられる。

日本にっぽんにおいてオールジャンルで選曲せんきょくしていたディスコは、1990年代ねんだい個々ここのジャンルにとくして「クラブ」とばれるようになった。日本にっぽん国内こくないでは、中高年ちゅうこうねん中心ちゅうしんとした、かつてのディスコ世代せだいけたディスコ・イベントなどが開催かいさいされている。フィリー・ソウルは、ハウスなど後進こうしんのダンス・ミュージックに影響えいきょうあたえた。イギリスロンドンイビサとうゴアなどでさかんにイベントが開催かいさいされている。

1960年代ねんだい-1974ねん

編集へんしゅう

1960年代ねんだいのディスコでながれた音楽おんがくは、ジェームス・ブラウンテンプテーションズフォー・トップスなどの本物ほんもののソウル・ミュージックだった。やがて1970年代ねんだい前半ぜんはんになると、フィラデルフィア・ソウルがブームになってきた。もっと初期しょきのディスコ・ソングには、1972ねんにリリースされたManu Dibangoの「Soul Makossa」やスリー・ディグリーズの「荒野あらののならずもの」、ハロルド・メルビン&ブルーノーツの「ザ・ラブ・アイ・ロスト」などがある[13]。ディスコにかんする最初さいしょ記事きじは、1973ねん9がつの『ローリング・ストーンに、Vince Alettiによってかれた[14][15]。1974ねんにはニューヨークのWPIX-FMで世界せかいはつのディスコのラジオ番組ばんぐみ放送ほうそうされた[16]。さらに、エレガントなサウンドを得意とくいとするバリー・ホワイトが結成けっせいしたラヴ・アンリミテッド・オーケストラ「あいのテーマ」は、ビルボード・ポップ・チャートで1になるだいヒットとなった。

1975-1979ねん: ディスコ・ブーム

編集へんしゅう

1975ねんにはヴァン・マッコイの「ハッスル」がだいヒットした[17]。1975ねん以後いご1979ねんまでに、ジョニー・テイラー、リック・ディーズ、ヴィッキ・スー・ロビンソン、ヒートウェイブ、テイスト・オブ・ハニーシック、フォクシー、マイケル・ゼイガー・バンド、シスター・スレッジ、ピーチズ&ハーブらがディスコ・ヒットをばした。1970年代ねんだい後半こうはんのディスコ・パフォーマーにはビージーズヴィレッジ・ピープルドナ・サマーアラベスクジンギスカンがいる。ドナ・サマーはおおくのビッグヒットをし、またもっともポピュラーになったディスコのスターである。また、彼女かのじょはエレクトロニック・サウンドを特徴とくちょうとするユーロ・ディスコのヒットをした。裏方うらかたであったジョルジオ・モロダーらの音楽おんがくプロデューサーたちはおおきな役割やくわりたした。かれらはきょく制作せいさくおこない、画一かくいつてきなシンセ・サウンドを確立かくりつしていった。これらは「ディスコサウンド」の一部いちぶとなった[18]。ヒットが量産りょうさんされるのをディスコアーティストは、ディスコ絶頂ぜっちょうにディスコ・ソングを録音ろくおんした。また『サタデー・ナイト・フィーバー』や、『イッツ・フライデー』(1978ねん) のような商業しょうぎょう映画えいがは、ディスコのマーケットを拡大かくだいするじょうで、おおきな役割やくわりたした。

一方いっぽうでディスコ・ミュージックや文化ぶんかたいするはげしい反発はんぱつき、アメリカで1979ねん7がつこったディスコ・デモリッション・ナイトはディスコ人気にんき打撃だげきあたえる1つの原因げんいんになった[ちゅう 4]。ただ、ディスコが衰退すいたいしたおおきな原因げんいんは、ヒットが大量たいりょうまれ音楽おんがくファンにきられたことと、ファンの需要じゅよう多様たようであり画一かくいつてきなレコード供給きょうきゅうではダメだというてんにあった。また、産業さんぎょうロック[ちゅう 5]フュージョン[ちゅう 6]同様どうように、ディスコにたいしては音楽おんがくファンと音楽おんがく評論ひょうろんによる商業しょうぎょう主義しゅぎとの批判ひはんが、容赦ようしゃなくびせられた。その結果けっか、アメリカではディスコの人気にんきいちじるしく低下ていかしたが、おどらせるためのダンス・ミュージックは1980年代ねんだい以降いこう世界せかいのディスコで存在そんざいつづけた。

ファンキー・ディスコ

編集へんしゅう

ディスコはおどらせるための音楽おんがくであるため、どうしてもソウルやR&B、ファンクなどにくらべると、かるられる傾向けいこうつよかった。しかし、一部いちぶのアーティストは黒人こくじんらしさを強調きょうちょうしたファンキー・ディスコ(ブラック・ディスコ)のきょく発表はっぴょうした。この分野ぶんやれいとしては、イヴリン・キングの「シェイム」[19]D・トレインの「ユアー・ザ・ワン・フォー・ミー」、レイディオの「パーティー・ナウ」[ちゅう 7]、GQの「ディスコ・ナイト」、BB&Qバンドの「オン・ザ・ビート」、ダズ・バンドの「レット・イット・ホイップ」、シックの「グッド・タイムズ」[ちゅう 8]、ピープルズ・チョイスの「ドゥ・イット・エニウェイ・ユー・ワナ」[ちゅう 9]などがある。にはヴァーノン・バーチ「ゲット・アップ」、ジミー・ボー・ホーン「スパンク」、ボハノン「レッツ・スタート・ザ・ダンス」があげられる[20][ちゅう 10]

ロックからのアプローチ

編集へんしゅう

ディスコ・ブームが長期ちょうきするのをけ、ロックなどジャンルからディスコ・サウンドをれる現象げんしょうられた。

ロックおもれいとしては、ローリング・ストーンズの「ミス・ユー」、バッド・カンパニー[ちゅう 11]の「ロックンロール・ファンタジー」、ELOの「シャイン・ラヴ」、キッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー」、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」、ドゥービー・ブラザーズの「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」、クイーンの「地獄じごくみちづれ[ちゅう 12]などがある。

ジャズからのアプローチ

編集へんしゅう

ジャズでは、ハービー・マンの「ハイジャック」が1975ねんにヒットしたことが、のジャズマンがディスコきょく録音ろくおんするきっかけとなった。クインシー・ジョーンズ(「スタッフ・ライク・ザット」)、ジョー・ファレルヒューストン・ピアソン(「ディスコ・サックス」)、クリーブランド・イートン[ちゅう 13]から、ベテランのベニー・ゴルソンソニー・ロリンズ[21]までが、ディスコ・ビートをれたきょく発表はっぴょうした。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ トランペットトロンボーンサックスなどからなる複数ふくすう金管楽器きんかんがっき奏者そうしゃ
  2. ^ Let's All Chant」(邦題ほうだい:チャンタでこう! 1978ねん)ではクラリネット使つかわれている。
  3. ^ 「ユー・メイク・ミー・フィール」「ドゥ・ユー・ワナ・ファンク」などがヒットしたゲイのディスコ歌手かしゅわかくしてエイズで死去しきょした
  4. ^ ラジオきょく解雇かいこされたロックのDJなどが中心ちゅうしんになって、ディスコのレコードをくなどの抗議こうぎ行動こうどうをおこなった事件じけん
  5. ^ ジャーニー、TOTO、スティックス、ボストンなどが代表だいひょうてきなバンド
  6. ^ リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディメオラらがフュージョンの音楽家おんがくかとしてられている
  7. ^ レイ・パーカー・ジュニアのグループ。どうきょくのボーカルはジェリー・ナイト。
  8. ^ 「ダンス・ダンス・ダンス」「おしゃれフリーク」などヒットきょく多数たすう
  9. ^ フィリー・ソウルのグループ。ラップのニュースクール・グループ、ジャングル・ブラザーズが「ワットUウェイティング4」でサンプリングしている
  10. ^ 記事きじ掲載けいさいしなかったファンキー・ディスコきょくに、ジミー・ジェイムズヴァガボンズ「ディスコ・フィーバー」、コンガス「ジャングル」などがある
  11. ^ 「キャント・ゲット・イナフ」が1974ねんにヒット。
  12. ^ いちばんに300まんえんパーティーで300まんえん浪費ろうひしたなどのスキャンダルが、メディアで報道ほうどうされた
  13. ^ 1978ねんの「バマ・ブギー・ウギー」がファンキーディスコのきょくである。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ Disco after dark 2023ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ TSOP ルーツ・オブ・ディスコ 2023ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ Turn the Beat Around: The Secret History of Disco 2021ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ http://eow.alc.co.jp/search?q=discotheque
  5. ^ (1995) "Out in Culture: Gay, Lesbian and Queer Essays on Popular Culture", ISBN 030433488X, 9780304334889, p.439:(Disco 1990). "Although the disco pulse was born in the small gay black clubs of New York, disco music only began to gain commercial attention when it was exposed to the dance floor public of large, predominantly white gay discos."
  6. ^ (1998) "The Cambridge History of American Music", ISBN 0521454298, 9780521454292, p.372: "Initially, disco musicians and audiences alike belonged to marginalized communities: women, gay, black, and Latinos"
  7. ^ (2007) "The 1970s", ISBN 0313339198, 9780313339196, p.203-204: "During the late 1960s various male counterculture groups, most notably gay, but also heterosexual black and Latino, created an alternative to rock'n'roll, which was dominated by white — and presumably heterosexual — men. This alternative was disco,..."
  8. ^ (2002) "Traces of the Spirit: The Religious Dimensions of Popular Music", ISBN 0814798098, 9780814798096, p.117: "New York City was the primary center of disco, and the original audience was primarily gay African Americans and Latinos."
  9. ^ (1976) "Stereo Review", University of Michigan, p.75: "[..] and the result - what has come to be called disco - was clearly the most compelling and influential form of black commercial pop music since the halcyon days of the "Motown Sound" of the middle Sixties."
  10. ^ empsfm.org Past Exhibitions
  11. ^ discomusic.com Timeline
  12. ^ 「リズム&ブルースの」ネルソン・ジョージちょ、p.286。早川書房はやかわしょぼう
  13. ^ Disco origins Archived 2009ねん2がつ27にち, at the Wayback Machine.
  14. ^ ARTS IN AMERICA; Here's to Disco, It Never Could Say Goodbye, The New York Times, December 10, 2002]
  15. ^ Excerpt from first article about disco
  16. ^ discomusic.com Timeline first disco radio show
  17. ^ https://www.discogs.com/Van-McCoy-The-Soul-City-Symphony-The-Hustle/release/2422820
  18. ^ allmusic  ディスコ All music 2023ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  19. ^ ALL MUSIC
  20. ^ Bohannon dies 2023ねん3がつ7にち閲覧えつらん
  21. ^ http://news.allaboutjazz.com/sonny-rollins-on-disco-monk.php

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう