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トライアンフ・モーター・カンパニー - Wikipedia

トライアンフ・モーター・カンパニーTriumph Motor Company)は、イギリスにかつて存在そんざいした自動車じどうしゃメーカーおよびブランド現在げんざい「トライアンフ」の商標しょうひょうBMW所有しょゆうしている。

トライアンフ・モーター・カンパニー
業種ぎょうしゅ 自動車じどうしゃ産業さんぎょう ウィキデータを編集
その スタンダード・モーター・カンパニー買収ばいしゅうされたのちレイランド・モーターズおよびその後継こうけい自動車じどうしゃ部門ぶもん統合とうごう
設立せつりつ 1885ねん
解散かいさん 1984ねん
本社ほんしゃ ウェスト・ミッドランズしゅう
コヴェントリー
主要しゅよう人物じんぶつ
ジークフリート・ベットマン,
モリッツ(モーリス)シュルト創立そうりつしゃ
親会社おやがいしゃ スタンダード・モータース Ltd,
レイランド・モータース Ltd,
ブリティッシュ・レイランド・モーター Co. Ltd,
BL plc

トライアンフのはじまりは、ジークフリート・ベットマンが1885ねん創立そうりつした S. Bettmann & Co であり、同社どうしゃヨーロッパから自転車じてんしゃ輸入ゆにゅうし、自身じしんけてロンドン販売はんばいしていた。「トライアンフ」の商標しょうひょう翌年よくねんさだめられ、1887ねんにベットマンはパートナーのモリッツ(モーリス)シュルトんだ。1889ねん両者りょうしゃコヴェントリー自身じしんによる自転車じてんしゃ製造せいぞうはじめた。

1923ねん トライアンフ・10/20

トライアンフ・サイクル・カンパニー

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会社かいしゃは1897ねんトライアンフ・サイクル Co. Ltd.と改名かいめいした[1]。1902ねんにはトライアンフ・モーターサイクルがコヴェントリーのマッチパーク・ストリートに設立せつりつされた。当初とうしょかれらは会社かいしゃから購入こうにゅうしたエンジンを使用しようしたが、ビジネスの成功せいこうともなかれらはもなく自身じしんでエンジンを製造せいぞうはじめた。1907ねんかれらはあらたな工場こうじょう建設けんせつするためにプライオリー・ストリートにめんした紡績ぼうせき工場こうじょう建物たてもの購入こうにゅうした。だいいち世界せかい大戦たいせんあいだイギリス陸軍りくぐんから550ccのモデルHが大量たいりょう注文ちゅうもんされた。1918ねんまでにトライアンフがイギリスで最大さいだいオートバイメーカーとなった。

 
1931ねん トライアンフ・スーパー9, 4ドアツアラー

1921ねん、ベットマンはゼネラルマネージャーのクロード・ホルブルック(1919ねん入社にゅうしゃ)から説得せっとくされ、ドーソン・カー・カンパニー資産しさんとクレイ・レーンの建物たてものて、自動車じどうしゃ生産せいさんはじめた。リー・フランシス設計せっけいの1.4リッターのエンジンをんだくるまトライアンフ・10/20名付なづけられ、1だいれるごとにロイヤリティが支払しはらわれた[2]。このくるまおよ後継こうけいしゃ生産せいさんはそれほどおおくなかったが、1927ねん導入どうにゅうされたトライアンフ・スーパー7からは生産せいさんりょう変化へんかし、1934ねんまでおおくの車両しゃりょう販売はんばいされた。

トライアンフ・モーター・カンパニー

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1934ねん トライアンフ・グロリア・シックス
 
1936ねん トライアンフ・グロリア・サザンクロス 10.8 HP (four, 1,232 cc)
 
1937ねん トライアンフ・ドロマイト・ロードスター

1930ねん会社かいしゃ名前なまえはトライアンフ・モーター・カンパニーと変更へんこうされた[1]。ホルブルックは市場いちばにおいてよりおおきな自動車じどうしゃ会社かいしゃとはあらそうことができないと実感じっかんし、かれ高級こうきゅうしゃ生産せいさん注力ちゅうりょくすることをめ、サザンクロスとグロリア投入とうにゅうした。これらのモデルは当初とうしょコヴェントリー・クライマックス設計せっけいし、トライアンフが製造せいぞうしたエンジンを搭載とうさいしたが、1937ねんにトライアンフはドナルド・ヒーリー設計せっけいによる自身じしんのエンジンを生産せいさんはじめた。ヒーリーは1934ねんから会社かいしゃ実験じっけん部長ぶちょうつとめていた。

しかしながら同社どうしゃ財政ざいせいてき問題もんだい遭遇そうぐうした。1932ねん自転車じてんしゃ部門ぶもんラレー自転車じてんしゃ英語えいごばん売却ばいきゃくし、1936ねんにはオートバイ部門ぶもん自動車じどうしゃ部門ぶもんからはなされ、オートバイ会社かいしゃアリエル再生さいせいさせた実業じつぎょうジャック・サングスター英語えいごばん買収ばいしゅうされ、トライアンフ・エンジニアリング改名かいめいされた[1]。ヒーリーはアルファロメオ・8C 2300購入こうにゅう、アルファに感化かんかされ直列ちょくれつ8気筒きとうエンジンを搭載とうさいしたトライアンフ・ドロマイト開発かいはつした[3]。それは1934ねんに3だい生産せいさんされ、そのうちの1だいはレースでのアクシデントで破壊はかいされた。1937ねんから40ねんにかけて生産せいさんされたドロマイトはこれらのプロトタイプとは無関係むかんけいであった。

1939ねん7がつ、トライアンフ・モーター・カンパニーにたいして工場こうじょう生産せいさん設備せつび買収ばいしゅう提案ていあんがなされた[2]トーマス・W・ワード Ltd.同社どうしゃ買収ばいしゅうし、ヒーリーを社長しゃちょう指名しめいした。しかしながらだい世界せかい大戦たいせん影響えいきょうくるま生産せいさん停止ていしし、1940ねんにはホルブルックが購入こうにゅうしたレーンの工場こうじょう爆撃ばくげきによって完全かんぜん破壊はかいされた[4]

スタンダード・トライアンフ

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1946ねん トライアンフ・1800 ロードスター

1944ねん11月、トライアンフ・モーター・カンパニーののこされた資産しさんと「トライアンフ」の商標しょうひょうスタンダード・モーター・カンパニーによって買収ばいしゅうされた[5]同社どうしゃは「トライアンフ・モーター・カンパニー・リミテッド」を子会社こがいしゃとしてコヴェントリー郊外こうがいカンリーのスタンダードの工場こうじょう生産せいさんはじめた。トライアンフのあらたなオーナーは1938ねん以降いこうジャガーとその前身ぜんしんたいしてエンジンを供給きょうきゅうしていた。スタンダード・トライアンフの常務じょうむジョン・ブラックきょうと、ジャガーの創業そうぎょうしゃでデザイナーのウィリアム・ライオンズとの議論ぎろんのち、ブラックの目的もくてきはトライアンフの名前なまえ権利けんりと、破産はさんした事業じぎょうのこりをることで、もなくあらわれる戦後せんごのジャガーとあらそうことのできるくるまつくることであった[6]

戦前せんぜんのトライアンフ・モデルは復活ふっかつしなかった。そして1946ねんあらたなトライアンフが発表はっぴょうされた。それはトライアンフ・ロードスターからはじめられた。ロードスターははがね不足ふそくしていたため、アルミせいのボディを採用さいようした。当時とうじ航空機こうくうきよう余剰よじょうアルミニウムが豊富ほうふ存在そんざいしていた。おなじエンジンが1800タウン・アンド・カントリー・サルーンに使用しようされた。それはのちトライアンフ・レナウン名付なづけられ、ジョン・ブラックきょうによってえらばれたトライアンフのスタイルが採用さいようされた。同様どうようのスタイルは後継こうけいトライアンフ・メイフラワー・ライトサルーンにも採用さいようされた。これら3つのモデルは、戦前せんぜんのモデルに使つかわれた「グローヴ」バッジがけられた。ブラックきょう会社かいしゃめることとなり、これらのモデルの後継こうけいしゃ開発かいはつされなかった。アルミばんはひどく高価こうかになり、自動車じどうしゃ産業さんぎょうではだい部分ぶぶん鋼板こうはん使用しようするようになった。

 
1950ねん トライアンフ・メイフラワー
 
1955ねん トライアンフ・TR2

1950年代ねんだい初期しょきに、トライアンフの名前なまえはスポーツカー、スタンダードの名前なまえはサルーンに使用しようされることが決定けっていした。1953ねん最初さいしょTRシリーズとしてトライアンフ・TR2発表はっぴょうされた。TRシリーズはその1981ねんまで生産せいさんされた。奇妙きみょうなことに、TR2は前面ぜんめんにスタンダードのバッジがけられ、ホイールキャップには「トライアンフ・グローヴ」があしらわれた。

スタンダードは小型こがたサルーンをスタンダード・エイトおよびテンとして生産せいさんし、その後継こうけいしゃ開発かいはつんでいた。TRシリーズの成功せいこうは、トライアンフのがスタンダードよりも市場いちばきの名称めいしょうであるとかんがえられることを意味いみしていた。そして、1959ねん発表はっぴょうされた新車しんしゃトライアンフ・ヘラルド名付なづけられた。イギリスで製造せいぞうされた最後さいごのスタンダードしゃは、1963ねんトライアンフ・2000によってってわられた。

レイランドとそれ以後いご

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1960ねん トライアンフ・ヘラルド 948cc クーペ
 
1955ねん-57ねん トライアンフ・TR3
 
1970ねん トライアンフ・ビデス Mk.2 コンバーチブル

スタンダード・トライアンフは1960ねん12月にレイランド・モーターズによって買収ばいしゅうされた。ドナルド・ストークスが1963ねんにスタンダード・トライアンフ部門ぶもん会長かいちょうになった。さらなる合併がっぺいにより1968ねんにはブリティッシュ・レイランド・モーター形成けいせいされた。

トライアンフは1959ねんリヴァプールスピークたて工場こうじょう建設けんせつ、その近代きんだいてき工場こうじょう徐々じょじょやし、としに10まんだい生産せいさんできるようになった。しかしながら、生産せいさん施設しせつ完全かんぜん活用かつようされることはく、最大さいだいとし3まんだい生産せいさんされただけだった[7]。60年代ねんだいから70年代ねんだいにかけてトライアンフはジョヴァンニ・ミケロッティがデザインしたサルーンおよびスポーツカーで成功せいこうした。そのなかには16バルブの4気筒きとうエンジンを搭載とうさいした73ねんがたドロマイト・スプリントふくまれた。このころのトライアンフは信頼しんらいせいひくく、とく2.5 PI燃料ねんりょう噴射ふんしゃシステム)はその噴射ふんしゃ問題もんだい多発たはつした。オーストラリアでは夏季かき高温こうおんのため電気でんき燃料ねんりょうポンプのなか燃料ねんりょう気化きかし、頻繁ひんぱん誤動作ごどうさにつながった。燃料ねんりょう噴射ふんしゃシステムは国際こくさい競争きょうそうなかでその性能せいのう証明しょうめいしていたが、それは海抜かいばつ3,000フィート (910 m)以上いじょう高地こうちにおいて燃料ねんりょう混合こんごうぶつ調整ちょうせいするための機能きのうけていた。ルーカス燃料ねんりょう噴射ふんしゃシステムは人気にんきく、ルーカスはそれをさら開発かいはつしようとはおもわなかった。スタンダード・トライアンフのディーラーは、関連かんれん工場こうじょうやフィールドベースの訓練くんれんコースに出席しゅっせきするのをきらっていた。

レイランドやブリティッシュ・レイランドの傘下さんかにあったころのトライアンフは、1970年代ねんだい中頃なかごろすべての自動車じどうしゃのモデルやブランドが短期間たんきかん「レイランド・カーズ」としてまとめられた時期じきのぞいて、だい部分ぶぶん期間きかん「ローバー・トライアンフ」、のちには「ジャガー・ローバー・トライアンフ」の名称めいしょう特別とくべつ部門ぶもんとして生産せいさんおこなわれた。

 
1973ねん トライアンフ・スピットファイア

「ローバー・トライアンフ」としてすべてがあたらしく開発かいはつされたトライアンフは、TR7のみで、それは生産せいさん工場こうじょうが3つ連続れんぞくして閉鎖へいさされたという不幸ふこう見舞みまわれた。スピーク工場こうじょうはレイランド時代じだい十分じゅうぶん機能きのうせず[7]つづいてスタンダードのオリジナルの工場こうじょうであったカンリー、そして最後さいごはローバーのソリフル工場こうじょうであった。スピーク工場こうじょう閉鎖へいさされたとき、TR7をベースとした生産せいさん車種しゃしゅ拡大かくだい計画けいかく(コードネーム「リンクス」のファストバックをふくむ)は終了しゅうりょうした。4気筒きとうのTR7と、短命たんめいわった8気筒きとう拡大かくだいがたTR8は、ソリフル工場こうじょうのロードカー生産せいさんラインが閉鎖へいさされたときにその生涯しょうがいえた。(工場こうじょう自体じたいランドローバー生産せいさんつづけた。)

トライアンフの終焉しゅうえん

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トライアンフとしての最後さいごのモデルはアクレイムであった。これは1981ねん投入とうにゅうされたが、ホンダバラードオックスフォードカウリー所在しょざいするもとモーリス工場こうじょうでライセンス生産せいさんしたものであった。1984ねん新型しんがたシビック/バラードローバー・200として生産せいさんされることとなり、トライアンフの消滅しょうめつした。ブリティッシュ・レイランドの自動車じどうしゃ部門ぶもんオースチン・ローバー・グループ名乗なのることとなり、モーリスのもトライアンフ同様どうよう消滅しょうめつした。

現在げんざい所有しょゆうしゃ

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1974ねん トライアンフ・GT6 クーペ
 
1976ねん トライアンフ・TR6

「トライアンフ」の商標しょうひょう現在げんざいBMW所有しょゆうしている。BMWは1994ねんローバー・グループ買収ばいしゅうし、2000ねんローバー売却ばいきゃくしたが、そのさいに「トライアンフ」の商標しょうひょう手放てばなさなかった。ローバーを買収ばいしゅうしたフェニックス・コンソーシアムは「トライアンフ」の商標しょうひょう買収ばいしゅうしようとこころみたが、BMWはこれを拒絶きょぜつし、フェニックスがもしそれを主張しゅちょうするならば、取引とりひき破談はだんになると宣言せんげんした。「スタンダード」の商標しょうひょうブリティッシュ・モーター・ヘリテージ譲渡ゆずりわたされた。どう商標しょうひょう現在げんざいもブリティッシュ・モーター・ヘリテージが保有ほゆうし、同社どうしゃは「トライアンフ」の商標しょうひょうもスペアパーツや現存げんそんするトライアンフしゃ整備せいびかんして使用しようすることができる。

「トライアンフ」は「ライレー」や「ミニ同様どうよう現在げんざいもBMWが保有ほゆうしている。2007ねん後半こうはん、「オート・エクスプレス」は、トライアンフがBMW傘下さんか復活ふっかつするといううわさ現在げんざいつづいているとし、新型しんがたTR4イメいめジ図じずとも掲載けいさいした。BMWはこのけんかんして公式こうしきにコメントしなかった。

 
トライアンフ・2.5PI
 
1973ねん トライアンフ・ドロマイト・スプリント
 
1982ねん トライアンフ・TR7 カブリオレ
 
1983ねん トライアンフ・アクレイム
 
トライアンフ・リンクス

車種しゃしゅ一覧いちらん

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戦前せんぜん

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くるまめい エンジン とし
トライアンフ・10/20 1393 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1923-25)
トライアンフ・13/35、12.8 1872 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1927-27)
トライアンフ・15/50、フィフティーン 2169 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1926-30)
トライアンフ・スーパー7 747 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1928)
トライアンフ・スーパー8 832 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1930)
トライアンフ・スーパー9 1018 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1931)
トライアンフ・グロリア 10 1087 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1933)
トライアンフ・12-6 スコーピオン 1203 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう (1931-33)
トライアンフ・サザンクロス 1087/1232 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1932)
トライアンフ・グロリア ('12' / '12') フォー 1232/1496 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1934-37)
トライアンフ・グロリア ('6' / '6/16') シックス 1476/1991 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう (1934-35)
トライアンフ・グロリア 14 1496/1767 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1937-38)
トライアンフ・ドロマイト 8 1990 cc 直列ちょくれつ8気筒きとう (DOHC) (1934)
トライアンフ・ドロマイト ビテス 14 1767/1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう/6 (1937-38)
トライアンフ・ビテス 1767/1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう/6 (1936-38)
トライアンフ・ドロマイト 14/60 1767/1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう/6 (1937-39)
トライアンフ・ドロマイト ロードスター 1767/1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう/6 (1937-39)
トライアンフ・12 1496 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう (1939-40)
くるまめい エンジン とし 生産せいさん台数だいすう
トライアンフ・1800 サルーン 1776 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1946-49
トライアンフ・1800 ロードスター 1776 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1946-48
トライアンフ・2000 サルーン 2088 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1949
トライアンフ・2000 ロードスター 2088 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1948-49
トライアンフ・レナウン 2088 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1949-54
トライアンフ・メイフラワー 1247 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1949-53
トライアンフ・TR1 / 20TS 2208 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1950
トライアンフ・TR2 1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1953-55 8,636[8]
トライアンフ・TR3 1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1956-58
トライアンフ・TR3A 1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1958-62
トライアンフ・TR3B 2138 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1962
トライアンフ・イタリア 1991 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1959-62
トライアンフ・TR4 2138 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1961-65
トライアンフ・TR4A 2138 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1965-67
トライアンフ・TR5 2498 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1967-69
トライアンフ・TR250 2498 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1967-69
トライアンフ・ドーヴ GTR4 2138 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1961-64
トライアンフ・TR6 2498 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1969-76
トライアンフ・TR7 1998 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1975-81
トライアンフ・TR8 3528 cc V8 1978-81
トライアンフ・スピットファイア 4 (スピットファイア Mk I) 1147 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1962-65 45,763[9]
トライアンフ・スピットファイア Mk II 1147 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1965-67 37,409[9]
トライアンフ・スピットファイア Mk III 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1967-70 65,320[9]
トライアンフ・スピットファイア Mk IV 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1970-74 70,021[9]
トライアンフ・スピットファイア 1500 1493 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1974-80 95,829[9]
トライアンフ・GT6 1998 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1966-73 40,926[9]
トライアンフ・ヘラルド 948 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1959-64
トライアンフ・ヘラルド 1200 1147 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1961-70
トライアンフ・ヘラルド 12/50 1147 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1963-67
トライアンフ・ヘラルド 13/60 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1967-71
トライアンフ・クーリエ 1147 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1962-66
トライアンフ・ビテス 6 1596 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1962-66
トライアンフ・ビテス スポーツ 6ビテス 6のアメリカバージョン) 1596 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1962-64
トライアンフ・ビテス 2リッタービテス マーク2 1998 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1966-71
トライアンフ・1300 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1965-70
トライアンフ・1300 TC 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1967-70
トライアンフ・1500 1493 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1970-73
トライアンフ・1500 TC 1493 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1973-76
トライアンフ・スタッグ 2997 cc V8 1971-77
トライアンフ・トレド 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1970-78
トライアンフ・ドロマイト 1300 1296 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1976-80
トライアンフ・ドロマイト 1500 1493 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1976-80
トライアンフ・ドロマイト 1500 HL 1493 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1976-80
トライアンフ・ドロマイト 1850 1850 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1972-76
トライアンフ・ドロマイト 1850 HL 1850 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1976-80
トライアンフ・ドロマイト スプリント 1998 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1973-80
トライアンフ・2000 Mk1, Mk2, TC 1998 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1963-77
トライアンフ・2.5 PI Mk1, Mk2 2498 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1968-75
トライアンフ・2500 TC & S 2498 cc 直列ちょくれつ6気筒きとう 1974-77
トライアンフ・アクレイム 1335 cc 直列ちょくれつ4気筒きとう 1981-84 133,625[10]

試作しさくしゃ

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トライアンフをベースとした車種しゃしゅ

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ヴェール・スペシャル (1932-36) スーパー8およびグロリアをベースに製作せいさくされた2シーター。
スワロー・ドレッティ (1954-55)
アンフィカー (1961-68) トライアンフ・ヘラルドのエンジンを使用しよう
ボンド・エキップ GT (1964-67)
パンサー・リオ (1975-77) トライアンフ・ドロマイトをベースに開発かいはつされた。
フェアソープ・カーズ
サーブ・99 ドイツフォードのV4エンジンの供給きょうきゅう終了しゅうりょう、トライアンフのエンジンを使用しよう
ロータス・セブン (1960-68) だい2シリーズはおおくのスタンダード・トライアンフの部品ぶひん流用りゅうよう
デイムラー・SP250 ギアボックスとサスペンションに様々さまざまなトライアンフの部品ぶひん流用りゅうよう[11]、ギアボックスはトライアンフせいをコピーしたもの[12]
ジェンセン・ヒーレー Mk. I が TR-6 のフロントブレーキを流用りゅうよう
MG・ミジェット 1500 (1975-79) ゴムせいバンパーをつミジェットが1493ccのL-4エンジンおよびギアボックスをトライアンフ・スピットファイアから流用りゅうよう


関連かんれん項目こうもく

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参照さんしょう

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  1. ^ a b c Robson, Graham (1972). The Story of Triumph Sports Cars. MRP. ISBN 0-900549-23-8 
  2. ^ a b Georgano, N. (2000). Beaulieu Encyclopedia of the Automobile. London: HMSO. ISBN 1-57958-293-1 
  3. ^ Alfa Romeo 8C 2300”. rickcarey.com. 16 August 2007閲覧えつらん
  4. ^ Langworth, Richard M. (Second Quarter 1973). “Trundling Along With Triumph - The story thus far...”. Automobile Quarterly (Automobile Quarterly Inc.) 11 (2): 128-129. LCCN 62--4005. 
  5. ^ Robson, Graham (1982). Triumph Spitfire and GT6. London: Osprey Publishing Ltd. p. 8. ISBN 0-85045-452-2 
  6. ^ “Goodbye Standard long live Triumph”. Motor: 39-40. (15 May 1976). 
  7. ^ a b Closure of the Triumph TR7 Factory in Speke, Merseyside, 1978: ‘The Shape of Thingsto Come’?”. Academia.edu]. 29 August 2013閲覧えつらん
  8. ^ Original Triumph TR, Bill Piggott, ISBN 1-870979-24-9
  9. ^ a b c d e f Robson, Graham (1982). Triumph Spitfire and GT6. Osprey Publishing. p. 187. ISBN 0-85045-452-2 
  10. ^ The Unofficial Austin-Rover Web Resource”. 2016ねん6がつ30にち閲覧えつらん
  11. ^ Long, Brian (2008). Daimler V8 S.P. 250 (2nd ed.). Veloce Publishing. p. 168. ISBN 1-9047-8877-7. https://books.google.com.jm/books?id=q-szAOIfjBoC&source=gbs_navlinks_s. "Clearly based on a Triumph unit, the SP's manual gearbox is rather weak for such a powerful engine. First gear has a tendency to strip if misused by the driver, but most gearbox parts are replaceable with Triumph components." 
  12. ^ Robson, Graham; Bonds, Ray (2002). “Daimler SP250 ('Dart')”. The Illustrated Directory of Sports Cars. MBI Publishing. p. 129. ISBN 0-7603-1418-7. https://books.google.com.jm/books?id=Dl1plwafZYEC&pg=PA128&source=gbs_toc_r&cad=4#v=onepage&q&f=false. "The new car, which Daimler wanted to call the 'Dart' until Dodge complained that it held the trade mark rights to that name, had a chassis and suspension layout which was unashamedly and admittedly copied from that of the Triumph TR3A (both cars were built in Coventry, England), as was the gearbox." 

外部がいぶリンク

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