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ジャガー (自動車) - Wikipedia

ジャガー (自動車じどうしゃ)

ジャガーランドローバーのブランド

ジャガーえい: Jaguar)は、イギリス高級こうきゅうしゃメーカーである、ジャガーランドローバー保有ほゆうするブランドである。以前いぜん存在そんざいした、ジャガー カーズは2013ねん1がつ1にちランドローバー合併がっぺいし、ジャガーランドローバー・リミテッドが設立せつりつされるまでの製造せいぞう会社かいしゃだった。

ジャガー
Jaguar
ロゴ
種類しゅるい 自動車じどうしゃ
所持しょじ会社かいしゃ ジャガーランドローバー
使用しよう開始かいしこく イギリスの旗 イギリス
主要しゅよう使用しようこく 世界の旗 世界せかい
使用しよう開始かいし 1935ねん
関連かんれんブランド ランドローバー
きゅう使用しよう会社かいしゃ ジャガーカーズ・リミテッド
ウェブサイト www.jaguar.com
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ジャガーカーズ
Jaguar Cars
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
略称りゃくしょう ジャガー
本社ほんしゃ所在地しょざいち イギリスの旗 イギリスコヴェントリー
設立せつりつ 1922ねん
業種ぎょうしゅ 自動車じどうしゃ製造せいぞうぎょう
事業じぎょう内容ないよう 自動車じどうしゃ
代表だいひょうしゃ デイヴィッド・スミス(CEO
従業じゅうぎょう員数いんずう 10000
主要しゅよう株主かぶぬし イギリスの旗 ジャガーランドローバー
関係かんけいする人物じんぶつ ウィリアム・ライオンズ創設そうせつしゃ
特記とっき事項じこう:2013ねん1がつ1にちランドローバー合併がっぺいジャガーランドローバー・リミテッドになり、法人ほうじんとしては解散かいさん
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動物どうぶつジャガーしたSS・ジャガー100フードクレストマーク

設立せつりつ

編集へんしゅう

ウィリアム・ライオンズ(1901ねん - 1985ねん)と、ライオンズの友人ゆうじんであるウィリアム・ウォームズレイ英語えいごばん(1892ねん - 1961ねん)により、「スワロー・サイドカー・カンパニー」が1922ねん設立せつりつされた[1]

会社かいしゃ社名しゃめいとおサイドカー製造せいぞう事業じぎょう拡大かくだいし、1926ねんには工場こうじょう移転いてんして自動車じどうしゃのボディ修理しゅうりがけた。ここから自動車じどうしゃのボディ製造せいぞう(コーチワーク)もがけるようになり、自動車じどうしゃメーカーへの転身てんしんはかることになった。そのうえで、まずは自動車じどうしゃ全体ぜんたいいちからつくるのではなく、コーチビルダーとしてボディ(車体しゃたい)をがけることからそのみち目指めざした[2]

「スワロー」時代じだい

編集へんしゅう
 
オースチン・セブン・スワロー・サルーン

1927ねんに、当時とうじのイギリスにおけるベストセラー大衆たいしゅうしゃであるオースチン・セブンシャシに、ライオンズ自身じしんがデザインした高級こうきゅうかんのあるアルミせいボディをかわそうしたモデル「オースチン・セブン・スワロー」を発表はっぴょうした。このくるま2人ふたりりのロードスターはじまり、サルーン追加ついかされ、とくにサルーンには特別とくべつぬりしょくとして「デュオ・トーン」(= ツートーン。写真しゃしん参照さんしょう)まで用意よういされた。これはしたフェンダー部分ぶぶんとボディサイド・ルーフをける手法しゅほうだが、当時とうじ一部いちぶかぎられた高級こうきゅうしゃでのみおこなわれており、量産りょうさん自動車じどうしゃでの採用さいようはスワローがはつである[2]

ライオンズは、サイドカー製造せいぞう経験けいけんからうつくしいものれる」という思想しそうっており、もと車両しゃりょうより値段ねだんたかくなっても、デザインがうつくしければそれをもとめる顧客こきゃくかなら存在そんざいするとかんがえていた。そのねらいは的中てきちゅうし、オースチン・セブン・スワローは1932ねんまでにやく2,500だい(うち3ぶんの2がサルーン)を生産せいさんするヒット車種しゃしゅになった[2]

会社かいしゃ1928ねん社名しゃめいを「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」と変更へんこうするとともにコヴェントリー移転いてんし、複数ふくすうのメーカーからベースとなる車種しゃしゅ調達ちょうたつしてあらたなボディをそう、また内装ないそうほんかわファブリック使つか豪華ごうか仕立したてなおすようになった[3]

「SSカーズ」時代じだい

編集へんしゅう
 
SS 1
 
SS・ジャガー100

さらに1933ねんには、専用せんよう設計せっけいシャシーつ「SS 1」と「SS 2」を発売はつばいしヒットさせ「SSカーズ」と社名しゃめい変更へんこうした。なお、「SS」の由来ゆらいについては諸説しょせつあるもののあきらかになっていない[4][注釈ちゅうしゃく 1]

これらのモデルは、おなじイギリスの高級こうきゅうしゃうえのクラスにぞくするベントレーをもおもわせる見栄みばえの外見がいけん豪華ごうか内装ないそうそなえ、きょうでもおおいにれたが、エンジンは量産りょうさんしゃメーカー・スタンダードせい実用じつようエンジンで性能せいのう凡庸ぼんようであり、自動車じどうしゃ専門せんもんカーマニアそうからは「かけだおしのまがいもの」とあなどられていた。

その世評せひょう打開だかいするため、1935ねんには、ボディだけでなくエンジンとシャシふくすべてを専用せんよう設計せっけいとしたモデルを開発かいはつすることに成功せいこうした。この新型しんがたしゃにはいままでと区別くべつする意味いみから「ジャガー」というくるまめいあらたにけ、「SS・ジャガー2½」として発表はっぴょうつづいてだい排気はいきりょうエンジンをんだスポーツモデる「SS・ジャガー90」「SS・ジャガー100」を相次あいついで投入とうにゅうした。

これらのあたらしいジャガー各車かくしゃ従前じゅうぜんからのすぐれたスタイリングと豪奢ごうしゃ内装ないそうくわえ、強化きょうかされたエンジンと量産りょうさん効果こうかによるコストダウン戦略せんりゃく導入どうにゅうで、先発せんぱつ高級こうきゅうしゃおとらない高性能こうせいのうはるかにやす価格かかく実現じつげんしており(当時とうじ、1,500ポンドのベントレーにも比肩ひけんする高性能こうせいのうなジャガーが400ポンドらずで販売はんばいされた)、たか人気にんきた。このころから、上級車じょうきゅうしゃ製造せいぞう事業じぎょう中核ちゅうかくうつしていった。上位じょういメーカーにおとらないうち外装がいそうデザインや性能せいのうを、相対そうたいてき安価あんか顧客こきゃく提供ていきょうするというこの手法しゅほうは、現在げんざいまでつづくジャガーの基本きほんポリシーの1つとなる[5]

21さいわかさでサイドカー製造せいぞうメーカーを設立せつりつしたライオンズは、わずか13ねん会社かいしゃ著名ちょめい高級こうきゅうしゃメーカーへと発展はってんさせることに成功せいこうした。なお相方あいかたのウォームズレイは、事業じぎょう拡大かくだい反対はんたいし、SSカーズへの社名しゃめい変更へんこう直前ちょくぜん会社かいしゃ経営けいえいから離脱りだつしている[6]

1939ねん9月に勃発ぼっぱつしただい世界せかい大戦たいせんときには、戦時せんじ体制たいせいしたにおいて乗用車じょうようしゃ生産せいさん縮小しゅくしょうせざるをなかったが、軍用ぐんよう車両しゃりょう委託いたく生産せいさんなどをおこなうことで糊口ここうをしのいだ。なお、どう大戦たいせんにおいて工業こうぎょう都市としでもあるコヴェントリーは敵国てきこくドイツ空軍くうぐんからもっと集中しゅうちゅうてき空襲くうしゅうけた都市としであり、SSカーズの工場こうじょう1940ねん1941ねん爆撃ばくげきにより甚大じんだい被害ひがいこうむった[7]

「ジャガー」時代じだい

編集へんしゅう
 
XK120
 
Dタイプ
 
マーク2 3.4
 
デイムラーV8 250

社名しゃめいの「SSカーズ」そしてブランドの「SSジャガー」は、かつての敵国てきこくドイツナチ親衛隊しんえいたい略称りゃくしょう「SS」とかさなり、そのこのましくないイメージを想起そうきさせるため、1945ねん変更へんこうされた。社名しゃめいは「ジャガー・カーズ」、ブランドめいは「ジャガー」となった。

1948ねん発表はっぴょうされた戦後せんごがたスポーツカーXK120は、その流麗りゅうれいなスタイリングと高性能こうせいのう、またどう程度ていど性能せいのうアストンマーティンやベントレーとくらべて圧倒的あっとうてき安価あんかだったことから大人気おとなげとなり、高級こうきゅうしゃブランドとしてのイメージを決定けっていける重要じゅうようなモデルとなった。

XK120はそのおおくが、だい世界せかい大戦たいせん好景気こうけいきにあったアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくけに輸出ゆしゅつされ、多大ただい商業しょうぎょうてき成功せいこうおさめ、つづいて発展はってんがたXK140XK150おくされ、戦災せんさい復興ふっこうにあったイギリスの外貨がいか獲得かくとくおおいに貢献こうけんした。

また、1950年代ねんだいにはレーシングカー開発かいはつし、自動車じどうしゃ史上しじょうはじめての4りんディスクブレーキそなえたCタイプDタイプ耐久たいきゅうレースに投入とうにゅうした。

とくル・マン24あいだレースではイタリアフェラーリマセラティ、ドイツのメルセデス・ベンツポルシェなどのライバルをあつだおし3連覇れんぱたすなど、モータースポーツでの活躍かつやくかさね、名声めいせい確固かっこたるものにしていった[8]。なおこれらのモータースポーツでの活躍かつやく2000年代ねんだいまでつづくことになる。

さらにXKシリーズや大型おおがたサルーンにまらず、1950年代ねんだい後期こうき以降いこうはスモールサルーンのマーク2ぜん独立どくりつ懸架けんかのスポーツカー・Eタイプなどの高性能こうせいのうしゃ市場いちばおくし、世界せかい最大さいだい自動車じどうしゃ市場いちばであるアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでの販路はんろ拡大かくだいする。ジャガーはアメリカ市場いちば成功せいこうし、イギリスの外貨がいか獲得かくとくおおきく貢献こうけんすることになる。1956ねん、ウィリアム・ライオンズはイギリス王室おうしつより「ナイト」の称号しょうごうさずかる[9][注釈ちゅうしゃく 2]

デイムラー買収ばいしゅう

編集へんしゅう

1960ねんに、ジャガーは高級こうきゅうしゃメーカーのデイムラーを340まんポンド買収ばいしゅうする[注釈ちゅうしゃく 3]当時とうじのジャガーはマーク2の販売はんばい好調こうちょうにより工場こうじょう拡大かくだいする必要ひつようせまられており、ジャガーはおなじコヴェントリーのデイムラーを傘下さんかおさめることでそれを実現じつげんした。

ブランド自体じたいのこされたものの、そののデイムラーのおも車種しゃしゅはジャガーのバッジエンジニアリングモデルでめられるようになるが、フロントグリル上端じょうたんこまかいなみがた模様もようけられた「フルーテッド・グリル」は、デイムラーの特徴とくちょうとしてのこることになる[10]

ふゆ時代じだい

編集へんしゅう
 
XJ6(シリーズ1)
 
XJS

そのジャガーは順調じゅんちょう経営けいえいつづけたものの、1966ねん7がつに、イギリス最大さいだい民族みんぞく資本しほんけい自動車じどうしゃ会社かいしゃグループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併がっぺいおこない「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成けっせいした。この突然とつぜん決定けっていは、企業きぎょう体制たいせいをさらに強固きょうこにするためのライオンズ自身じしんによる意思いしであるとされている[11]

しかし、1968ねんにはBMH主要しゅようモデルの販売はんばい不振ふしんから、BMH自体じたい経営けいえい不振ふしんおちいることになる。事態じたいおもたイギリス政府せいふは、もうひとつの民族みんぞく資本しほんけいグループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合とうごうめ「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」として参集さんしゅうさせた。

そのような背景はいけいのなか、ジャガーは同年どうねん1968ねんにスモールサルーンの後継こうけいモデルとなるXJ投入とうにゅうした。しかし、本来ほんらい高級こうきゅうしゃメーカーであるはずのジャガーは、作業さぎょういんのレベル自体じたいがBLMCの平均へいきんげられることになり[12]、またこの時代じだいのイギリスで多発たはつした労働ろうどう運動うんどう激化げきかによりいちじるしい品質ひんしつ低下ていかおちいり、販売はんばい台数だいすう大幅おおはば減少げんしょうした。また古参こさん社員しゃいん引退いんたい相次あいつぎ、ライオンズも1972ねん経営けいえいから退しりぞいた。

くわえてオイルショック影響えいきょうけ、世界せかいてき自動車じどうしゃ販売はんばい自体じたい激減げきげんする。BLMCは深刻しんこく打撃だげきけ、5せんまんポンドもの借入金かりいれきんかかえる有様ありさまとなり[12]ついに1975ねん8がつ国営こくえいされブリティッシュ・レイランド(BL)となる。

同年どうねんにEタイプの後継こうけいとしてXJS投入とうにゅうしたものの、品質ひんしつひくさやデザインが市場いちばけられず、さらにコンバーチブルモデルがいこともあり販売はんばい低迷ていめいつづけた。このころのジャガーは「ふゆ時代じだい」をあゆつづけることになる。

復活ふっかつ

編集へんしゅう
 
XJ6(XJ40)
 
XJR-9

当時とうじのイギリスで頻発ひんぱつしていた労働ろうどう争議そうぎ影響えいきょうもあり、1979ねんにはジャガーの生産せいさん台数だいすうは5ねんまえ半分はんぶん以下いか(14,000だい)にんでいた[13]。このとし、ジャガーはあらたな経営けいえいトップとして社外しゃがいからジョン・イーガン英語えいごばんまねく。

イーガンは時代遅じだいおくれでみだれた生産せいさん体制たいせい経営けいえい改革かいかく着手ちゃくしゅし、作業さぎょういん意欲いよく向上こうじょう、ジャガー本体ほんたいのみならず取引とりひきさきメーカーから納入のうにゅうされたパーツるいへの厳格げんかく品質ひんしつチェックの実施じっし[注釈ちゅうしゃく 4]経営けいえいがわ社員しゃいんがわ品質ひんしつ向上こうじょうのため直接ちょくせつはなうという日本にっぽん企業きぎょうみの品質ひんしつ管理かんり(QC運動うんどう[注釈ちゅうしゃく 5]販売はんばい手法しゅほう刷新さっしん顧客こきゃくからのフィードバック反映はんえい、そして経営けいえいリストラすすめた[13]。この改革かいかくはすぐに結果けっかとなってあらわれ、ジャガーの品質ひんしつ改善かいぜん生産せいさん台数だいすうきゅう回復かいふくした。

そしてそのの1984ねん保守党ほしゅとうマーガレット・サッチャー首相しゅしょうによる民営みんえい政策せいさくによって、ジャガーはふたた民営みんえいされた。抜本ばっぽんてき体質たいしつ改善かいぜん成功せいこうしたジャガーは、15ねん以上いじょうにわたりマイナーチェンジかえしつつつくられていたものの、技術ぎじゅつめん品質ひんしつめんだけでなく、生産せいさん効率こうりつにもおとるXJ6の世代せだい交代こうたいはかり、1986ねんには完全かんぜんしん設計せっけいとなるXJ(XJ40)をデビューさせる。

また、1975ねんにEタイプの後継こうけいとして投入とうにゅうされていたXJSも、XJ40のエンジンや電装でんそうけい内装ないそうデザインをれた大幅おおはばなマイナーチェンジをおこなうなど技術ぎじゅつめん信頼しんらいせい向上こうじょうつとめ、さらに1980年代ねんだい後半こうはんにはフルコンバーチブルモデルを追加ついかしたことからアメリカ市場いちば中心ちゅうしん人気にんき車種しゃしゅとなった。

なおウィリアム・ライオンズは1985ねんに86さい死去しきょした。そのためXJ40はライオンズがチェックした最後さいごのモデルとなった[14]。ジャガーのなおしに貢献こうけんしたイーガンは、1986ねん創業そうぎょうしゃのライオンズ同様どうよう王室おうしつより「ナイト」の称号しょうごうさずかる[14]

また、1985ねんからは世界せかい耐久たいきゅう選手権せんしゅけん(WEC)に参戦さんせんし、1986ねんにはXJR-8でシリーズチャンピオンを獲得かくとく、さらにXJR-9LMで31ねんぶりに1988ねんのル・マン24あいだレース優勝ゆうしょうし、かつての名声めいせいもどすことに成功せいこうした。

フォード傘下さんか

編集へんしゅう
 
Sタイプ

その1989ねんに、ブランドイメージをたか評価ひょうかしたフォードグループが、25おくドルでジャガーを買収ばいしゅうし、フォードの傘下さんかはいることとなる。

そのジャガーは、どう時期じき買収ばいしゅうされたイギリスの高級こうきゅうしゃメーカーのランドローバーアストンマーティンなどとともに、フォードグループの高級こうきゅうしゃ部門ぶもんPAG」の一翼いちよくになうこととなった。フォード傘下さんかはいったのちには、ランドローバーやアストンマーティンだけでなく、リンカーンやフォードとのコンポーネントやエンジン、パーツの共用きょうようすすめた。

1990年代ねんだいには、かつての人気にんき車種しゃしゅ名前なまえ使つかったミドルクラス・サルーンのSタイプや、はつ小型車こがたしゃであるXタイプ市場いちば投入とうにゅうするなど、かつてないいきおいでモデルレンジを拡大かくだいした。また、2000ねんからは「ジャガー・レーシング」のフォーミュラ1参戦さんせんした。

現在げんざい

編集へんしゅう
 
Fタイプ

2000年代ねんだい後半こうはん、フォードグループは深刻しんこく経営けいえい不振ふしんにより、PAGにぞくするブランドを売却ばいきゃくせざるをない状況じょうきょうおちいった。2008ねん3月26にち、ジャガーはランドローバーとともインドタタ・モーターズやく23おくドルで売却ばいきゃくされた[15]

ジャガーとランドローバーは、イギリスでの製造せいぞう輸出ゆしゅつ、および海外かいがい市場いちばでの販売はんばいを⾏う個別こべつのブランドほう⼈として運営うんえいされてきたが、2013ねん1がつ1にち、ジャガーカーズとランドローバーは経営けいえい統合とうごうされ、ジャガーランドローバー・リミテッドに変更へんこうした。今後こんごジャガーランドローバー・リミテッドがイギリスでジャガーとランドローバーのりょうブランドの製品せいひん設計せっけい製造せいぞう、マーケティングを担当たんとうすることになった。もと持株もちかぶ会社かいしゃは、ジャガーランドローバー・オートモーティブ PLCに社名しゃめい変更へんこうされた[16]

ジャガーは、フォードからタタ・モーターズに売却ばいきゃくされたのちも、フォードからダウンサイジングターボエンジンである「エコブースト」の供給きょうきゅうけていたが、2014ねんより、完全かんぜん自社じしゃ設計せっけい開発かいはつ製造せいぞうしん世代せだいモジュラーエンジン「INGENIUM(インジニウム)」に順次じゅんじえた。

2021ねん2がつあたらしいグローバル戦略せんりゃく「REIMAGINE」を発表はっぴょうした。そのなかで「ジャガーとランドローバーのりょうブランドの電動でんどうすすめて、2030ねんまでにりょうブランドのすべてのモデルにフルバッテリーEVの選択肢せんたくし設定せっていし、2039ねんまでに排出はいしゅつガスりょう実質じっしつゼロの達成たっせい目指めざす」「2025ねんにジャガーブランドのぜんラインナップをフルバッテリーEVする」と表明ひょうめいした[17]

1970年代ねんだいから2000年代ねんだいにかけイギリスの自動車じどうしゃメーカーのおおくが市場いちば淘汰とうたされ、ジャガーとおなじく国営こくえい企業きぎょうであるブリティッシュ・レイランドのいち部門ぶもんとなっていた「オースチン」、「モーリス」、「ローバー」、「トライアンフ」、「MGとうのイギリスの自動車じどうしゃブランドのおおくが消滅しょうめつ、もしくはブランドが売却ばいきゃくされたが、ジャガーは、インド資本しほんとなったものの、高級こうきゅうしゃ・スポーツカーブランドとして存続そんぞくしている例外れいがいてき存在そんざいである。

イギリス王室おうしつ御用達ごようたし

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エリザベス2せい女王じょおうエディンバラこうチャールズ3せい国王こくおうからワラント(御用達ごようたし指定してい)を下賜かしされている。またXJ(1968ねん - 現在げんざい)がトニー・ブレア以降いこう首相しゅしょう専用せんようしゃや、大使たいし高等こうとう弁務べんむかん専用せんようしゃえらばれている。

車種しゃしゅ一覧いちらん

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XF-S
 
XJ
 
XK コンバーチブル
 
Eタイプ
 
XJ220

現行げんこうモデル

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ここではジャガー傘下さんかはいってからのモデルをげる。

絶版ぜっぱんモデル

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コンセプトモデル

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モータースポーツ

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スポーツカーレース

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Cタイプ XKC045
 
1976ねんETCに参戦さんせんしたXJC V12 レーシングクーペ
 
ジャガーのグループCマシンはシルクカット紫色むらさきいろがシンボルだった(XJR-14
 
ジャガーG3 GT3

ジャガーは1950年代ねんだいから、スポーツカーレースとくル・マン24あいだレースなどの耐久たいきゅうレースで活躍かつやくした。1951ねん1953ねんCタイプで、1955ねんから1957ねんまでDタイプ総合そうごう優勝ゆうしょうした。

ETC(欧州おうしゅうツーリングカー選手権せんしゅけん)でも1963ねん開幕かいまく初年度しょねんどにMk2でチャンピオンとなった。1984ねんにはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)がグループA車両しゃりょうとしては最大さいだい&さい重量じゅうりょうきゅうとなるV12エンジンのXJSをたくみに改造かいぞうし、ウォーキンショー自身じしんのドライブで当時とうじ無敵むてきほこったBMWいきおいやぶってチャンピオンとなっている。

1980年代ねんだいグループC規定きていにおいても、TWRがジャガーの市販しはんしゃV12自然しぜん吸気きゅうきエンジンを流用りゅうようした、プロトタイプレーシングカーXJRシリーズ設計せっけいした。ターボ全盛ぜんせい時代じだい自然しぜん吸気きゅうき不利ふりられたが、Vがたエンジンの利点りてんかしてそらりょく設計せっけいめたマシンを開発かいはつ。1987・1988ねんのWSPC(世界せかいスポーツプロトタイプカー選手権せんしゅけん)、1988ねんのル・マン24あいだレース1990ねんのル・マン24あいだレースでポルシェやメルセデスをやぶって総合そうごう優勝ゆうしょうたした。どう時期じき北米ほくべいIMSA GT選手権せんしゅけんにも派生はせいしゃ参戦さんせんし、1988ねんと1990ねんデイトナ24あいだレース制覇せいはしている。

1991ねんにはしんグループC規定きてい適合てきごうさせたXJR-14投入とうにゅう同年どうねんSWC(スポーツカー世界せかい選手権せんしゅけん)を制覇せいはし、ジャガーのプロトタイプカー挑戦ちょうせん最後さいごかざった。なおJSPC全日本ぜんにほんスポーツプロトタイプカー耐久たいきゅう選手権せんしゅけん)の最終さいしゅうせん菅生すごう500マイルでは、SWC日本にっぽんラウンドをえたXJR-14がスポット参戦さんせんし、圧倒的あっとうてきつよさでトヨタ日産にっさんきゅう規定きていマシンをりにして勝利しょうり。ポイントシステムの関係かんけいじょう、トヨタがタイトルをつかみそこねてしまうという珍事ちんじがあった。

マツダ1991ねんのル・マン制覇せいはしん規定きていわせたシャシーとレシプロエンジンかったため、XJR-14を購入こうにゅうしてマツダ・MX-R01として参戦さんせんしていた。また1996-1997ねんにル・マンを連覇れんぱしたポルシェ・WSC95は、XJR-14の屋根やねって製作せいさくされたものである。

1993ねんル・マンにはXJ220を改造かいぞうしたGTカーで参戦さんせんし、GTクラスのトップフィニッシュをたす。だがレース車検しゃけん失格しっかくとなり、勝利しょうりまぼろしとなってしまった[18]

16ねんのブランクののち、2010ねんにXKRSのGT2車両しゃりょうでル・マン24あいだアメリカン・ル・マン・シリーズ参戦さんせん。しかし競争きょうそう力不足ちからぶそくでランキング最下位さいかいあらそ有様ありさまで、往年おうねん勇姿ゆうしかった。

現在げんざいグループGT3にG3、グループGT4規定きていにFタイプをそれぞれ投入とうにゅうしている。

ジャガーが直接ちょくせつかかわっていないれいとしては、英国えいこく小規模しょうきぼスポーツカーメーカーであるリスターは1950年代ねんだいからたびたびジャガーのエンジンをもちいてレースにも参戦さんせんした。ジャガーせいV12エンジンを搭載とうさいしたリスター・ストームは、FIA-GT選手権せんしゅけん英国えいこくGT選手権せんしゅけんのGT1クラスのチャンピオンを獲得かくとくしている。

1960年代ねんだい日本にっぽんグランプリのGTクラスには、プライベーターによりEタイプがまれていた。

フォーミュラカーレース

編集へんしゅう
 
Iタイプ 4

フォード傘下さんか時代じだいの2000-2004ねんF1スチュワート・グランプリ買収ばいしゅうし、ジャガー・レーシングとして参戦さんせん。しかし低調ていちょうなまま5シーズンで表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくはわずか2かいわった。これを買収ばいしゅうしたのが現在げんざいトップチームとして活躍かつやくしているレッドブル・レーシングである。

タタ傘下さんかとなったのち電気でんき自動車じどうしゃおこなわれるフォーミュラEにも、2016-2017ねんシーズンからウィリアムズF1支援しえんけながら、「パナソニック・ジャガー・レーシング」として参戦さんせん。2024ねん4がつ時点じてん、ジャガーはフォーミュラEで13しょう記録きろく、チームランキングで 2かい2となった。ミッチ・エヴァンスが2020-2021ねんシーズンのドライバーズランキングで2獲得かくとくする活躍かつやくせている。

日本にっぽんでの販売はんばい

編集へんしゅう
 
きゅうジャガー所沢ところざわ(ハンユウ)現在げんざい閉店へいてん
 
ジャガーランドローバー水戸みと(ミッドランズ)

しん東洋とうよう企業きぎょう」(1970年代ねんだい)、「オースチン・ローバー・ジャパン」(1980年代ねんだい前半ぜんはん)など、いくつかのインポーターの変遷へんせんて、1986ねん西武百貨店せいぶひゃっかてんとの共同きょうどう出資しゅっし日本にっぽん法人ほうじん「ジャガージャパン株式会社かぶしきがいしゃ」が設立せつりつされた。その1999ねん西武百貨店せいぶひゃっかてん資本しほん撤退てったいし、ジャガー・カーズ単独たんどくでジャガージャパンが運営うんえいされていたが、フォードPAGグループの発足ほっそくともない、日本にっぽん国内こくないのPAGブランドの統括とうかつ法人ほうじんピー・エー・ジーインポート」と合併がっぺいすることとなった。

2005ねんおなじPAGブランドのランドローバー営業えいぎょう部門ぶもん統合とうごうし「ジャガー&ランドローバージャパン」として運営うんえい開始かいし独立どくりつ店舗てんぽほかにもりょうブランドのふくあいショールームを展開てんかいする。

2008ねん3月26にち、ジャガーとランドローバーがタタやく23おくドルで買収ばいしゅうされたことにともない、フォードPAGグループから離脱りだつすることとなり、同年どうねん10がつより日本にっぽんでのビジネスは「ジャガー・ランドローバー・ジャパン株式会社かぶしきがいしゃ」が統括とうかつすることとなった。

2013ねんから全国ぜんこく販売はんばいもうがランドローバーとの併売へいばいてん一本いっぽんされ、これにともな規定きてい店舗てんぽ面積めんせき確保かくほできなかった店舗てんぽ契約けいやくりとなった。

2014ねん9月17にち、ジャガー日本にっぽん法人ほうじんはテニスの全米ぜんべいオープンじゅん優勝ゆうしょうたした錦織にしきおりけいV8Fタイプのブランドアンバサダー大使たいし)に任命にんめいしたと発表はっぴょう同年どうねん11がつ20日はつかには錦織にしきおり選手せんしゅをイメージした『KEI NISHIKORI EDITION』の発売はつばい記念きねんイベントを開催かいさいした[19]

2017ねん読売よみうりジャイアンツのオフィシャルスポンサーとなり、ランドローバーとともに、監督かんとく・コーチ・選手せんしゅ職員しょくいんあしとしてオフィシャルカー70だい貸与たいよする。

2019ねんより、しんグローバルCI「ARCHI」にじゅんじた店舗てんぽデザインに改装かいそうする。

日本にっぽんでの呼称こしょう

編集へんしゅう

日本にっぽんでは通常つうじょうジャガー」とカタカナ表記ひょうきされるが、JAGUARイギリス英語えいごでの発音はつおん発音はつおん [ˈdʒægjʊə])をおとうつしする場合ばあい「ジャギュア」と表記ひょうきするのがもっとちかい。アメリカ英語えいごでは「ジャグヮ」(発音はつおん [ˈdʒægˌwɑɹ, -ˌjuɚ])と発音はつおんする[注釈ちゅうしゃく 6]伊丹いたみ十三じゅうざが1965ねん出版しゅっぱんした『ヨーロッパ退屈たいくつ日記にっき』には「ジャギュア」というのだよという文章ぶんしょうがあり、ひとかたとなった。

オースチンローバージャパン(ARJ、のローバージャパン)が輸入ゆにゅう代理だいりてんだった1985ねんごろ、「ジャグヮー」の表記ひょうき広告こうこく使用しようしたことがあったが[注釈ちゅうしゃく 7]一般いっぱんには定着ていちゃくせず、ジャガージャパンに輸入ゆにゅう代理だいりけんうつると「ジャガー」の表記ひょうきもどされている。なお自動車じどうしゃ評論ひょうろん徳大寺とくだいじ有恒ありつねは「ジャグァ」という表記ひょうき使用しようしていた。

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ 「スワロー・サイドカー」、「スワロー・スペシャル」などのせつがある。
  2. ^ この叙勲じょくんにより、ライオンズは以降いこうサー・ウィリアム・ライオンズ」となる。
  3. ^ 当時とうじ、デイムラーはBSAしゃ傘下さんかだった。
  4. ^ ジョン・イーガンはジャガーのトップにまえマッセイ・ファーガソンのパーツ担当たんとう重役じゅうやくだった。
  5. ^ 厳格げんかく階級かいきゅう制度せいどのこ当時とうじのイギリスにおいて、この手法しゅほうはまさに革新かくしんてきであった
  6. ^ なお、略称りゃくしょうとして「ジャグ」(えい: Jag 英語えいご発音はつおん: [ˈdʒæg])ともばれる。
  7. ^ 「ジャグヮーとおびください」というキャッチコピーを使用しようしていた。

出典しゅってん

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  1. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 35.
  2. ^ a b c ネコ・パブリッシング 1997, p. 36.
  3. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 38.
  4. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 42.
  5. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 91.
  6. ^ ネコ・パブリッシング 1997, pp. 43–44.
  7. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 48.
  8. ^ ネコ・パブリッシング 1997, pp. 137–141.
  9. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 79.
  10. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 80.
  11. ^ ネコ・パブリッシング 1997, p. 90.
  12. ^ a b ネコ・パブリッシング 1997, p. 103.
  13. ^ a b ネコ・パブリッシング 1997, p. 104.
  14. ^ a b ネコ・パブリッシング 1997, p. 106.
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  18. ^ ル・マンをたたかったジャガーXJR220出品しゅっぴん ボナムス・ジ・ボンドストリート・セール - AUTOCAR JAPAN”. www.autocar.jp (2018ねん12月17にち). 2022ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  19. ^ oricon (20 November 2014). 錦織にしきおりけい『テニプリ』イラストに感激かんげき ジャガー『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』発売はつばい記念きねんイベント. YouTube.

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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