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フランツ・ブレンターノ - Wikipedia

フランツ・ブレンターノ

オーストリアの哲学てつがくしゃ心理しんり学者がくしゃ (1838-1917)

フランツ・ブレンターノFranz Clemens Honoratus Hermann Brentano1838ねん1がつ16にち - 1917ねん3月17にち)は、オーストリア哲学てつがくしゃ心理しんり学者がくしゃ哲学てつがく世界せかい志向しこうせい概念がいねんさい導入どうにゅう現象げんしょうがく基盤きばんつくった。作用さよう心理しんりがく[13]論理ろんりがくにおいては判断はんだん理論りろん展開てんかいした。エドムント・フッサールアレクシウス・マイノングなどに多大ただい影響えいきょうあたえた。ブレンターノに指導しどうけた、あるいはつよ影響えいきょうけた学者がくしゃらを「ブレンターノ学派がくは」ともぶ。ふつうブレンターノ学派がくはフッサールフロイトふくめないが、もしふくめたとすると、ヨーロッパ大陸たいりくで20世紀せいき登場とうじょうした哲学てつがくてき運動うんどうなかでブレンターノに無関係むかんけいなものをつけることはできないともわれるほど広汎こうはん影響えいきょうあたえた[14]

フランツ・ブレンターノ
Franz Clemens Honoratus Hermann Brentano
生誕せいたん (1838-01-16) 1838ねん1がつ16にち
プロイセン王国おうこく,ラインけん(Rhine Province),ラインがわ沿岸えんがんマリーエンブルク(Marienberg am Rhein)
死没しぼつ (1917-03-17) 1917ねん3月17にち(79さいぼつ
スイスの旗 スイスチューリッヒ
時代じだい 19世紀せいき哲学てつがく
地域ちいき 西洋せいよう哲学てつがく
出身しゅっしんこう ミュンヘン大学だいがく
ベルリン大学だいがく
ミュンスタみゅんすた大学だいがく
テュービンゲン大学だいがく
(PhD, 1862)
ヴュルツブルク大学だいがく
(Dr. phil. hab., 1866)
配偶はいぐうしゃ
  • イーダ・フォン・リーベン(Ida von Lieben)
    (m. 1880–1894; her death)
  • エミリエ・ルエプレヒト(Emilie Rueprecht)
    (m. 1897–1917; his death)
学派がくは ブレンターノ学派がくは
アリストテレス主義しゅぎ
志向しこうせい主義しゅぎ ("さく用心ようじん理学りがく")[1]
経験けいけん主義しゅぎてき心理しんりがく[2]
オーストリア現象げんしょうがく[3]
オーストリア実在じつざいろん[4][5]
研究けんきゅう機関きかん ヴュルツブルク大学だいがく
(1866–1873)
ウィーン大学だいがく
(1873–1895)
研究けんきゅう分野ぶんや 存在そんざいろん
心理しんりがく
おも概念がいねん 志向しこうせい,
志向しこう対象たいしょう,
発生はっせい心理しんりがく経験けいけんてき/記述きじゅつてき心理しんりがくとの差異さい,[6]
distinction between sensory and noetic consciousness (presentations of sensory objects or intuitions versus thinking of concepts)[7][8]
the judgement–predication distinction,
time-consciousness[6]
博士はかせ課程かてい指導しどう教員きょういん Franz Jakob Clemens
(PhD thesis advisor)
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「ブレンターノはもっともよく引用いんようされる哲学てつがくしゃ一人ひとりだが、もっと研究けんきゅうされることのすくない哲学てつがくしゃ一人ひとりである」とひょうされる[15]など、現代げんだいのブレンターノをめぐる状況じょうきょう奇妙きみょう様相ようそうていしている。こうしたブレンターノをめぐる状況じょうきょうを「ブレンターノ・パズル」とんで、ブレンターノが現代げんだい哲学てつがくなかえなくなっていること(Brentano's invisibility)が問題もんだいされることもある[16]

生涯しょうがい

編集へんしゅう

フランツ・ブレンターノは、1838ねんに、バイエルン王国おうこくアシャフェンブルクのイタリア出身しゅっしんのドイツの名門めいもんブレンターノいえとして、ボッパルト付近ふきんラインがわ沿岸えんがんマリーエンブルクでまれた。ドイツ・ロマン主義しゅぎ代表だいひょうてき小説しょうせつクレメンス・ブレンターノ伯父おじ有名ゆうめい女流じょりゅう詩人しじんベッティーナ・フォン・アルニム伯母おばである。また、おとうとルヨ・ブレンターノ経済けいざい学者がくしゃとしてそののこしている。ちちクリスティアン・ブレンターノはカトリックの宗教しゅうきょうてき著述ちょじゅつであったという。ちちはやくにんだので、フランツはもっぱらそのははエミリエによって、敬虔けいけんカトリック精神せいしんてき雰囲気ふんいきうちそだてられた[17]

ミュンヘンヴュルツブルクベルリンミュンスターかく大学だいがく哲学てつがく神学しんがくまなび、1862ねんテュービンゲン大学だいがく学位がくい取得しゅとくした。1864ねんにカトリックの司祭しさい奉職ほうしょくし、1866ねんヴュルツブルク大学だいがく教授きょうじゅ資格しかく取得しゅとくする。しかし、司祭しさいしょくかんしては、哲学てつがくてき動機どうきにより、カトリックの教義きょうぎ疑念ぎねんつようになり、1873ねん辞任じにんした。これが波紋はもんとなり、ヴュルツブルク大学だいがくり、1874ねんウィーン大学だいがくへとうつる。このとしに、「経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがく」を出版しゅっぱん1880ねんには、ウィーン大学だいがく教授きょうじゅし、同大どうだいわたし講師こうしになった。1884ねんから1886ねんにかけてはフッサールがブレンターノの講義こうぎきにていた。しかし、1895ねんには教職きょうしょくして[18]フィレンツェ移住いじゅうした。このとし、ミュンヘンにおけるだいさんかい国際こくさい心理しんり学会がっかい出席しゅっせきし『感覚かんかくろんについて』という講演こうえんおこなった。1914ねん勃発ぼっぱつしただいいち世界せかい大戦たいせんけ、チューリッヒ移住いじゅうし、同地どうちで1917ねんぼっした。79さいだった。

ブレンターノは、イタリア移住いじゅうの1905ねんごろさかい心的しんてき現象げんしょう存在そんざいろんかんするかんがかたおおきくえたとわれる。解釈かいしゃくしゃによって見解けんかいかれているが、ブレンターノのかんがかた変化へんかは、アリストテレス研究けんきゅう中心ちゅうしんとする「アリストテレス主義しゅぎ」の時期じきからはじまって、内的ないてき知覚ちかく明証めいしょうせいにもとづいてがく基礎きそづけようとした「デカルト主義しゅぎ」の時期じき、そして「もの主義しゅぎ」の時期じきというように整理せいりされている[19]

アリストテレス主義しゅぎ時期じき

編集へんしゅう

ブレンターノは、わかころ数学すうがく哲学てつがくとの研究けんきゅうのどちらにかうべきかなやんだが結局けっきょく哲学てつがくこころざすことにした。そこで、フィヒテシェリングヘーゲル思想しそうかい接触せっしょくしてみたが、それら思想しそうはブレンターノにとっては科学かがくてきうつったためれることができなかった。すなわち、形而上学けいじじょうがくてき問題もんだいかんして、思弁しべんてき体系たいけいてき思想家しそうかたちが恣意しいてき構成こうせいてきうのにたいして、かれはあくまで自然しぜん科学かがくてき問題もんだいたいするのとおな方法ほうほう要求ようきゅうしたのである。このようにかれカント以後いごドイツ観念論かんねんろんのような思弁しべんてき観念かんねんてき思想家しそうかたいする抗議こうぎって出発しゅっぱつしたが、そのかれかったのがアリストテレス体系たいけいであり、かれ終生しゅうせいとしてあおいだものはアリストテレスのほかになかった[20]

ブレンターノは、1866ねんヴュルツブルグ大学だいがく講師こうしとなったが、就任しゅうにんにあたって25のテーゼを朗読ろうどくして、それにたいする弁明べんめいおこなった。ここで注目ちゅうもくすべきはだい4のテーゼとして「哲学てつがくしん方法ほうほう自然しぜん科学かがく方法ほうほうにほかならない」とかたったことであり、かれ哲学てつがくたいして自然しぜん科学かがくてき方法ほうほう要求ようきゅうしたことがあらわれている。かれにとって、哲学てつがくはその根源こんげんてき科学かがくせい保持ほじすべきものであったのであり、これはかれ思想しそう一貫いっかんした基礎きそとなっている。

デカルト主義しゅぎ時期じき

編集へんしゅう

ブレンターノはドイツ観念論かんねんろんのような思弁しべんによる概念がいねん構成こうせい哲学てつがく退しりぞけ、経験けいけんてき立場たちばからの哲学てつがく主張しゅちょうした。ブレンターノはあらゆる社会しゃかいてき現象げんしょう整理せいりするちからとなるのは「心理しんりてき法則ほうそくること、したがって哲学てつがくてき知識ちしき」であると、哲学てつがく心理しんりがく同一どういつしたうえで、心理しんりがくてき探求たんきゅう従事じゅうじする使命しめいがあると主張しゅちょうした。実際じっさいかれは1872ねんから73ねんにかけて心理しんりがく没頭ぼっとうし、その成果せいかは1874ねんに『経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがく』("Psychologie vom empirischen Standpunkt")の出版しゅっぱんによって公表こうひょうされた[21]

ブレンターノは、形而上学けいじじょうがくてきよそおいをけるため、心理しんりがくを「しんがく」ではなく、「しんてき現象げんしょうかんするがく」として規定きていした。そして「心理しんりがく基礎きそ形成けいせいするのは、自然しぜん科学かがくのそれとおなじく、知覚ちかく経験けいけんである」とし、「固有こゆうしんてき現象げんしょう内部ないぶ知覚ちかく経験けいけんだいいち源泉げんせんであり、それが心理しんりがく研究けんきゅうにとってくことのできないものである」とした。 つまり、ブレンターノは、人間にんげん内部ないぶ意識いしき中心ちゅうしんき、内的ないてきしんてき現象げんしょう分析ぶんせきすることをとおして、哲学てつがくてき体系たいけい心理しんりがく)を構築こうちくしようとしたのである[22]。ここで、そのしんてき現象げんしょうばれるものを特徴とくちょうづけるために、経験けいけんてき感覚かんかくてき性質せいしつとしてられる所与しょよ(data)としての現象げんしょうを、心的しんてきならざる現象げんしょう物的ぶってき現象げんしょうんで対立たいりつさせた。

我々われわれ内部ないぶになにか現象げんしょう発生はっせいするとき、すなわち所与しょよ(data)、表象ひょうしょうるときは、五感ごかんによる外的がいてき知覚ちかくかいしてるか、もしくは、その所与しょよなどからこされる内的ないてき現象げんしょう内的ないてき知覚ちかくかいして認識にんしきする。ブレンターノは、いろおとだんひやなどの五感ごかん知覚ちかくされた「感覚かんかくてき性質せいしつ」、つまり現象げんしょう物的ぶってき現象げんしょう(physical phenomena)とんだ。そしてそれ以外いがい内的ないてき知覚ちかくでしか認識にんしきできない内的ないてき現象げんしょう感情かんじょうなど)で、その内容ないようかんする対象たいしょう(「対象たいしょう」とっているが実在じつざいせいもとめない)への方向ほうこうせい関係かんけい(これを志向しこうせいぶ)をつもの、つまり自己じこ内部ないぶ意識いしきにおいてのみ知覚ちかくされる「対象たいしょう」の志向しこうてき内在ないざい(intentional inexistence)をつという特質とくしつがあるものをしんてき現象げんしょう(mental phenomena)とんだ。なお、これにはいくつか反論はんろんもあったが、ブレンターノはあらゆるしんてき現象げんしょうにおいて例外れいがいなく対象たいしょう志向しこうてき内在ないざいみとめた[23]

ブレンターノが直接的ちょくせつてき明証めいしょうてき知覚ちかくであるとしたのはこのうち心的しんてき現象げんしょうほうであって、心理しんりがく研究けんきゅうもっぱらこのしんてき現象げんしょう内部ないぶ知覚ちかく経験けいけん源泉げんせんとすべきとした。一方いっぽうで、物的ぶってき現象げんしょう外部がいぶ知覚ちかくは、明証めいしょうてきたりえず、知覚ちかくとの対象たいしょう間接かんせつてきで、対象たいしょうはあくまで現象げんしょうとしてのみ存在そんざいしているとした[24]

ふつう心理しんりは、五感ごかん知覚ちかくされた所与しょよ認識にんしきだけではなく、それらを原因げんいんとする内的ないてき発生はっせいする現象げんしょう因果いんがてき連鎖れんさからなるとかんがえられるので、この志向しこうせい概念がいねんは、心理しんりがく現象げんしょうがくおおきな影響えいきょうあたえた。

もの主義しゅぎ(reism)の時期じき

編集へんしゅう

ブレンターノは1911ねんに『しんてき現象げんしょう分類ぶんるいについて』(Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)を出版しゅっぱんした。この書物しょもつは、以前いぜん出版しゅっぱんされた『経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがく』(Psychologie vom empirischen Standpunkt)のだいだいしょう以下いか本文ほんぶんとしており、それに11へん短文たんぶんが「かんがかた訂正ていせい展開てんかい、ならびに解説かいせつ擁護ようごのための覚書おぼえがき」という表題ひょうだいのもと、付録ふろくとしてくわえられてできていたが、ここでブレンターノは以前いぜんのデカルト主義しゅぎてきかんがえの訂正ていせいおこなった[25]

ブレンターノが維持いじできないとかんがえるようになった見解けんかいとは、心的しんてき関係かんけいは「実在じつざいてきなもの」(Reales)以外いがい対象たいしょうとすることがありうる、つまりは「抽象ちゅうしょうてき存在そんざいしゃ」(ens rationis)を対象たいしょうとすることができるという見解けんかいであった。このほんの「序言じょげん」おいてかれは、

もっと重要じゅうよう改正かいせいひとつは、心的しんてき関係かんけいはそのつど実在じつざいてきなもの以外いがいのものを対象たいしょうとしてゆうすることができるという見解けんかいわたしはもはやもっていないということである。

— Franz Brentano, Psychologie vom empirischen Standpunkt, II, s.2.(小倉おぐら(1986) pp.82-83)

かたっている。これは従前じゅうぜん志向しこうてき内在ないざいたる対象たいしょうとしては実在じつざいてきなものもみとめるという見解けんかいるものであった。この見方みかたえてブレンターノがしたのが「実在じつざいてきなもの」のみが対象たいしょうとなりうるもの主義しゅぎ(reism)とばれる見方みかたである[26]

業績ぎょうせき

編集へんしゅう

ブレンターノがもっともよくられるのは志向しこうせい現代げんだい哲学てつがくさい導入どうにゅうしたことであるが、アリストテレス研究けんきゅう哲学てつがく美学びがく形而上学けいじじょうがく認識にんしきろんなどに業績ぎょうせきつ。

志向しこうせい(Intentionality)

編集へんしゅう

ブレンターノは、かれ講義こうぎおよび1874ねんの『経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがく』("Psychologie vom empirischen Standpunkt")の出版しゅっぱんによって、スコラ哲学すこらてつがくから派生はせいしたものである志向しこうせいどく: intentionalität; えい: intentionality; : intentionalité)の概念がいねん現代げんだい哲学てつがくさい導入どうにゅうしたことでもっともよくられる。われわれの現象げんしょうかい全体ぜんたいは、ブレンターノによれば、物的ぶってき現象げんしょう(mental phenomena)としんてき現象げんしょう(mental phenomena)のふたつのおおきな分類ぶんるいけることができる。ブレンターノによれば、対象たいしょう志向しこうてき内在ないざいどく: intentionale inexistenz)という概念がいねんもちいることによって心的しんてき現象げんしょう特徴とくちょうづけ、それによって心的しんてき現象げんしょう物的ぶってき現象げんしょう本質ほんしつてき区分くぶんおこなおうとした。現代げんだいでもしんのありかたしめ特徴とくちょうとして「志向しこうせい」という概念がいねんされるときには、以下いか文章ぶんしょうかえ引用いんようされている。

すべてのしんてき現象げんしょうは、中世ちゅうせいのスコラ学者がくしゃたちが対象たいしょう志向しこうせい(または精神せいしんてき内在ないざい名付なづけたもの、そしてわれわれが内容ないよう[対象たいしょう]との関係かんけい対象たいしょうへの方向ほうこう(ここで対象たいしょうというのは実在じつざいせい意味いみかいすべきではない)、あるいは内在ないざいてき対称たいしょうせい名付なづけるところのものによって特色とくしょくづけられる。すべてのしんてき現象げんしょうは、そのおのおのがおな仕方しかたにおいてではないにしても、対象たいしょうとしてのあるものをうちふくむ。表象ひょうしょうにおいては、あるものが表象ひょうしょうされ、判断はんだんにおいてはあるものが承認しょうにんされるか否認ひにんされるかいずれかであり、あいにおいてはなにかがあいされ、にくにおいてはなにかがにくまれ、欲望よくぼうにおいてはなにかがほっせられる。こうした志向しこうてき内在ないざい心的しんてき現象げんしょうもっぱ固有こゆうである。物的ぶってき現象げんしょうはこれにたものをしめさない。したがってわれわれは、しんてき現象げんしょうとは志向しこうてき対象たいしょうをみずからのうちふく現象げんしょうであるとうことによって、かかる現象げんしょう定義ていぎすることができるのである。

— Franz Brentano, Psychologie vom empirischen Standpunkt, I, S. 124f. (小倉おぐら(1986) p.79)

すべてのしんてき現象げんしょうすべての心理しんりがくてき行為こうい内容ないようち、その対象たいしょう志向しこう対象たいしょう)へのこうきづけをっている。すべての信念しんねん欲望よくぼうそのは、それらを志向しこうさせる対象たいしょう、すなわち、しんじられるもの、欲望よくぼうされるものにつながっている。ブレンターノは「志向しこうてき内在ないざい」という表現ひょうげん使つかって、しんなかにおける思考しこう対象たいしょうという状態じょうたいしした。志向しこうてき存在そんざい性質せいしつ、いいかえれば志向しこう対象たいしょうちうる性質せいしつ、は心的しんてき現象げんしょう物的ぶってき現象げんしょう区別くべつするためのかぎとなる特徴とくちょうである。なぜならば、ブレンターノの定義ていぎによれば、物的ぶってき現象げんしょう本来ほんらい志向しこうせい能力のうりょくけており、ただかれ派生はせいてき志向しこうせいとした間接かんせつてき方法ほうほうで、志向しこうてき関係かんけい促進そくしんすることができるだけである。

結局けっきょくしんてき現象げんしょう特質とくしつをブレンターノはつぎのように総括そうかつした[27]

  1. 表象ひょうしょうとして規定きていされ、しかもその基礎きそとしての表象ひょうしょうもとづく現象げんしょうであり、
  2. 志向しこうてき内在ないざい」「対象たいしょうとしてのあるものとの関係かんけい」を特性とくせいとし、
  3. 内部ないぶ知覚ちかく対象たいしょうであり、それのみが直接的ちょくせつてき明証めいしょうせいをもって知覚ちかくされる、
  4. さらにこのこととむすびついて、ろれは「志向しこうてき存在そんざいのほかに現実げんじつてき実在じつざいせいぞくする唯一ゆいいつ現象げんしょう」である。

ブレンターノは発生はっせい心理しんりがく(genetic psychology)記述きじゅつ心理しんりがく(descriptive psychology)とのちがいを導入どうにゅうした[28]かれ用語ようごほうによれば、発生はっせい心理しんりがく第三者だいさんしゃからみたときのしんてき現象げんしょう研究けんきゅうであり、経験けいけん主義しゅぎてき実験じっけん(したがって、我々われわれ今日きょう経験けいけん主義しゅぎてき科学かがく期待きたいする科学かがくてき基準きじゅんたす)の使用しようようする[6](この概念がいねん経験けいけん主義しゅぎてき心理しんりがく(empirical psychology)[29]認知にんち科学かがく[29]、またはヘテロ現象げんしょうがくばれるものとほぼ等価とうかであり、明示めいじてき第三者だいさんしゃによる意識いしき(consciousness)の研究けんきゅうへの科学かがくてきなアプローチである)。記述きじゅつ心理しんりがくねらいは、反対はんたいに、一人称いちにんしょう立場たちばから意識いしき記述きじゅつをすることにある[6]後者こうしゃのアプローチは、フッサール現象げんしょうがくがさらに発展はってんさせた[30]

知覚ちかく理論りろん(Theory of perception)

編集へんしゅう

かれはまた、"Wahrnehmung ist Falschnehmung"(「知覚ちかく誤解ごかいである」)、つまり知覚ちかくあやまっていると主張しゅちょうすることでもよくられる。実際じっさいかれは、外的がいてき感覚かんかくてき知覚ちかくは、知覚ちかくされた世界せかい現実げんじつ存在そんざいせいについてなにおしえてくれず、それがたん幻想げんそうである可能かのうせいがあると主張しゅちょうした。しかしながら、我々われわれ我々われわれ内的ないてき知覚ちかく絶対ぜったいてき確信かくしんすることができる。わたしがある音色ねいろいたとき、わたし現実げんじつ世界せかいにおいてその音色ねいろ存在そんざいしたということを完璧かんぺき確信かくしんするということはできないが、わたしがそれをいたということは絶対ぜったいてき確信かくしんしている。わたし音色ねいろいたという事実じじつかんするこの自覚じかく内的ないてき知覚ちかく(internal perception)とばれる。外的がいてき知覚ちかく感覚かんかくてき知覚ちかくは、知覚ちかくされた世界せかいについての仮説かせつすだけであり、真実しんじつすことはできない。すなわち、かれおおくのかれ学生がくせいとくに、カール・シュトゥンプエドムント・フッサール)は、自然しぜん科学かがく仮説かせつすだけで、けっして数学すうがくじゅん論理ろんりがくてき普遍ふへんてき絶対ぜったいてき真理しんりすことはできないとかんじた。

しかしながら、「経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがく」(Psychologie vom Empirischen Standpunkte)の再版さいはんにおいて、ブレンターノは以前いぜんのこの見解けんかい撤回てっかいした。かれはその仕事しごとなか以前いぜん議論ぎろんをやりなおすことなしに理論りろんづけようとしたが、かれ完全かんぜん失敗しっぱいしたとわれる。あたらしい観点かんてんでは我々われわれおととき我々われわれ外部がいぶ世界せかいからなにかをいているのであって、内的ないてき知覚ちかく物的ぶってき現象げんしょうがあるわけではない[31]

判断はんだん理論りろん(Theory of judgement)

編集へんしゅう
 
フランツ・ブレンターノ(撮影さつえいねん不明ふめい

1874ねんから1895ねんにかけて、ブレンターノはウィーン大学だいがくにおいてしばしば論理ろんりがくについての講義こうぎおこなった。ブレンターノによれば、論理ろんりがくは「正当せいとう判断はんだんについての学説がくせつ」であり、論理ろんりがくただしい判断はんだんみちびいていくための手段しゅだんおしえるという目的もくてきによって規定きていされているものであった[32]現代げんだいにおいて、ブレンターノの判断はんだん理論りろんは、マイヤー・ヒレブラント女史じょし編集へんしゅうによる『正当せいとう判断はんだんろん』(Die Lehre vom richtigen Urteil)を参照さんしょうすることによってることができる。

ブレンターノによれば、しんてき現象げんしょうみっつに分類ぶんるいすることができる。だいいち表象ひょうしょう作用さようであり、だい判断はんだん作用さよう、そしてだいさんあいにくであり、論理ろんりがく対象たいしょうとなるのはこのうち前者ぜんしゃ表象ひょうしょうどく: Vorstellung, えい: representation, presentation)と判断はんだんどく: Urteil, えい: judgement)である。デカルト以前いぜんにおいては判断はんだん表象ひょうしょう一体いったいであるとかんがえられていたが、ブレンターノはこれはあやまりとした。たとえば、「緑色みどりいろ」という表象ひょうしょう結合けつごうと「みどりである」という判断はんだん作用さようまった別物べつものであり、表象ひょうしょう結合けつごうによってはいかなる判断はんだんしょうじない。ブレンターノは、現在げんざい支配しはいてきな(フレーゲの)見解けんかいとはことなる判断はんだん理論りろんっていたが、かれ判断はんだん理論りろんは、このように表象ひょうしょう作用さよう判断はんだん作用さよう相違そうい確立かくりつしようとした

前期ぜんき存在そんざい判断はんだん還元かんげんろん

かれたってまず問題もんだいとしたのは、判断はんだん理論りろん出発しゅっぱつてん形成けいせいしている存在そんざい判断はんだんについてであり、かれは「あらゆる判断はんだんは、それが定言的ていげんてき形式けいしきかりげんてき形式けいしき選言せんげんてき形式けいしきのいずれにおいてあらわされるにしても、意味いみすこしもえることなく主語しゅご命題めいだい形式けいしき、あるいはわたしのいいあらわしによれば、存在そんざい命題めいだい形式けいしきあらわされうる」と、判断はんだん形式けいしき存在そんざい命題めいだい形式けいしきへの還元かんげん主張しゅちょうした[33]。なお、ここで「主語しゅご命題めいだい」=「存在そんざい命題めいだい」といっているのは、人称にんしょうの es をとる命題めいだいのこと(es gibt, es ist)であり、さらに「主語しゅご命題めいだい(subjektloser Satz)」という表現ひょうげんは、有名ゆうめい言語げんご学者がくしゃフランツ・ミクロシッチから由来ゆらいするものであった[34]。ブレンターノは判断はんだん考察こうさつ言語げんご表現ひょうげんとは独立どくりつには不可能ふかのうであるという見地けんちち、あらゆる判断はんだん主語しゅご命題めいだい存在そんざい命題めいだい形式けいしきあらわそうとしたのである。

ブレンターノが主張しゅちょうしたことは、たとえば、アリストテレス以来いらい判断はんだん基本きほん形式けいしきである、判断はんだん定言的ていげんてき形式けいしき(categorical judgement)

S は P である。(S is P.)

は、

SP がある。(SP exist.)

にいいかえることができ、りょう命題めいだいは「論理ろんり学的がくてきには」ひとしい、ということであった。これは、「あるひと病気びょうきだ」という命題めいだいは、「病気びょうきひとがいる」というのと同義どうぎであり、「すべてのひとぬものだ」という命題めいだいは、「なないひと存在そんざいしない」というのと同義どうぎであるということである。

ブレンターノの判断はんだん理論りろん中心ちゅうしんにあるのは、表象ひょうしょう(presentation)作用さよう判断はんだん作用さようことなるものであるが、判断はんだん表象ひょうしょうしにおこなうことはできない。つまり、判断はんだんさきんじて表象ひょうしょう(presentation)がなくてはならないというかんがえである。ブレンターノは、たとえば「火星かせい存在そんざいする」というときの判断はんだんはただひとつの表象ひょうしょうつ、というように単一たんいつ表象ひょうしょうからしょうじる判断はんだんもあると主張しゅちょうした。ブレンターノ自身じしん記法きほうもちいれば、判断はんだんつねつぎ形式けいしきつ。つまり’+ A'(A が存在そんざい) または '- A'(Aは存在そんざいしない)[35]

ブレンターノは、判断はんだん作用さよう主観しゅかんてき表象ひょうしょう結合けつごうではなく、存在そんざい自体じたいにかかわる承認しょうにんあるいは拒否きょひ作用さようであるとし、しかも存在そんざい概念がいねんただちにしんなるもの概念がいねんつうじるとかんがえ(前期ぜんきてき見解けんかい)、つぎのように主張しゅちょうした[36]

存在そんざい存在そんざい概念がいねん肯定こうていてき判断はんだん(affirmative judgement)と否定ひていてき判断はんだん(denial judgment)との真理しんり概念がいねん相関そうかんたいである。判断はんだんには判断はんだんされたものがぞくする。すなわち肯定こうていてき判断はんだんには肯定こうていてき判断はんだんされたものが、否定ひていてき判断はんだんには否定ひていてき判断はんだんされたものがぞくする。それとおなじように肯定こうていてき判断はんだん正当せいとうせいには肯定こうていてき判断はんだんされたものの存在そんざいぞくし、否定ひていてき判断はんだん正当せいとうせいには否定ひていてき判断はんだんされたものの存在そんざいぞくする。そしてわたしが、肯定こうていてき判断はんだんしんである、あるいはその対象たいしょう存在そんざいしているとうにしても、そしてまたわたしが、否定ひていてき判断はんだんしんである、あるいはその対象たいしょう存在そんざいであるとうにしても、両者りょうしゃ場合ばあいにおいてわたし同一どういつのことをっているのである。おなじようにそれゆえ、わたしがおのおのの場合ばあいにおいて肯定こうていてきあるいは否定ひていてき判断はんだんしんであるか、それともおのおのの対象たいしょう存在そんざいしているか存在そんざいであるかであると場合ばあい本質ほんしつてき同一どういつ論理ろんりてき原理げんりそんするのである。これにしたがえば、たとえば『あるひと学識がくしきがある』という判断はんだん真理しんり主張しゅちょうは、その対象たいしょう、すなわち『学識がくしきあるひと』の存在そんざい主張しゅちょう相関そうかんたいであり、そして『いしには生命せいめいがない』という判断はんだん真理しんり主張しゅちょうは、その対象たいしょう、すなわち『生命せいめいあるいし』の存在そんざい主張しゅちょう相関そうかんたいである。ここでは相関そうかんてき主張しゅちょういたるところで不可分ふかぶん一体いったいである。

— Frantz Brentano, Sittl. Erk., S. 60; Wahrheit und Evidenz, S.45 Anm. (小倉おぐら(1986) pp.114-115)

ブレンターノの判断はんだん理論りろん問題もんだいは、すべての判断はんだん存在そんざいろんてき判断はんだんであるというかんがえであるというところではなく(普通ふつう判断はんだん存在そんざいろんてきなものに変換へんかんするのはしばしば非常ひじょう困難こんなんであるものの)、本当ほんとう問題もんだいは、ブレンターノが対象たいしょう表象ひょうしょう区別くべつおこなわなかったというところである。表象ひょうしょうはあなたのしんなか対象たいしょうとして存在そんざいする。したがって、あなたは A が存在そんざいしないと実際じっさい判断はんだんすることはできない。なぜならば、もしかしたらあなたが表象ひょうしょうがそこにいとも判断はんだんするかもしれないからである(すべての判断はんだん表象ひょうしょうとして判断はんだんされる対象たいしょうつというブレンターノのかんがえによれば、これは不可能ふかのうである)。カジミェシュ・トヴァルドフスキはこの問題もんだいみとめ、対象たいしょう表象ひょうしょう等価とうかであるということを否定ひていすることでこの問題もんだい解決かいけつした。これは実際じっさいにはブレンターノの知覚ちかく理論りろん変更へんこうぎないが、判断はんだん理論りろんにおいても歓迎かんげいすべき結論けつろんをもたらす。すなわち、(存在そんざいする)表象ひょうしょうつことはできるが、同時どうじ対象たいしょう存在そんざいしないという判断はんだんもできる。

後期こうきじゅう判断はんだんろん

影響えいきょう

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マルティン・ハイデッガーは、わかころ(1907ねん)、ブレンターノの初期しょき作品さくひん「アリストテレスによる存在そんざいしゃのさまざまな意味いみについて("On the Several Senses of Being in Aristotle")」をおくられるとみふけり、その思想しそう非常ひじょう触発しょくはつされた。

ブレンターノの心理しんりてき(または現象げんしょう学的がくてき)な志向しこうせいへの着目ちゃくもくは、 カール・シュトゥンプのベルリン実験じっけん心理しんり学派がくは、アントン・マーティ(Anton Marty)の言語げんごがくにおけるプラハ学派がくはアレクシウス・マイノング実験じっけん心理しんりがくにおける Graz Schoolカジミェシュ・トヴァルドフスキ哲学てつがくにおける Lwów–Warsaw schoolエドムント・フッサール現象げんしょうがくがれている[37]。ブレンターノの仕事しごとは、ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがくジョージ・エドワード・ムーアバートランド・ラッセル教師きょうしであったジョージ・スタウト( George Stout[12]にも影響えいきょうあたえた[38]

分析ぶんせき哲学てつがくしゃ立場たちばから、哲学てつがくにおける分析ぶんせき哲学てつがく現象げんしょうがくあいだおろかしい対立たいりつめることは有意義ゆういぎであるとかんがえ、現存げんそん分析ぶんせき哲学てつがくしゃにもみとめられている唯一ゆいいつ心理しんり主義しゅぎてき様相ようそうゆうする理論りろんであるライツェン・エヒベルトゥス・ヤン・ブラウワー直観ちょっかん主義しゅぎ題材だいざい非常ひじょうまわりくどい論理ろんり展開てんかいしたマイケル・ダメットは、分析ぶんせき哲学てつがく現象げんしょうがく起源きげんがフランツ・ブレンターノにあることをあんしめした[39]

著作ちょさく

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  • (1862) 「アリストテレスによる存在そんざいしゃのさまざまな意味いみについて」On the Several Senses of Being in Aristotle (Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (博士はかせ論文ろんぶん)) (online)
  • (1867) 「アリストテレスの心理しんりがく、とくにかれのヌース・ポイエティコスのせつについて」The Psychology of Aristotle (Die Psychologie des Aristoteles, insbesondere seine Lehre vom Nous Poietikos (教員きょういん資格しかく論文ろんぶん1865/66)) (online)
  • (1874) 「経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがくだいかん Psychology from an Empirical Standpoint (Psychologie vom empirischen Standpunkt) (online)
    • (1924–25) (Psychologie vom empirischen Standpunkt) Ed. Oskar Kraus, 2 vols. Leipzig: Meiner. ISBN 3-7873-0014-7[40]
  • (1876) 「どんな種類しゅるい哲学てつがくしゃがしばしば時代じだいかくするか」(Was für ein Philosoph manchmal Epoche macht) (プロティノス批判ひはん) (Online)
  • (1889) 「道徳どうとくてき認識にんしき源泉げんせんについて」[41]The Origin of our Knowledge of Right and Wrong (Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis) (1902 English edition online)
  • (1892)「天才てんさい」(Das Genie)、「文学ぶんがくてき表現ひょうげん対象たいしょうとしてのあくについて」[42]Vom Schlechtenals Gegenstand dichterischer Darstellung
  • (1893)「哲学てつがく将来しょうらいについて」(Über die Zukunft der Philosophie
  • (1895)「哲学てつがくよん段階だんかい斯学しがく現状げんじょう」(Die vier Phasen der Philosophie und ihr augenblicklicher Stand
  • (1911) 「アリストテレスとその世界せかいかんAristotle and his World View (Aristoteles und seine Weltanschauung)、「アリストテレスの人間にんげん精神せいしん根源こんげんについての学説がくせつ」(Aristoteles' Lehre vom Ursprung des menschlichen Geistes
  • (1911) 「しんてき現象げんしょう分類ぶんるいについて」The Classification of Mental Phenomena (Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)
  • (1930) 「真理しんり明証めいしょうせいThe True and the Evident (Wahrheit und Evidenz)
  • (1952)「倫理りんりがく基礎きそづけと構成こうせい」(Grundlegund und Aufbau der Ethik)
  • (1956)「正当せいとう判断はんだんろん」(Die Lehre vom richtigen Urteil)
  • (1959)「美学びがく綱要こうよう」(Grundzüge der Ästhetik)
  • (1976) 「空間くうかん時間じかん連続れんぞく哲学てつがくてき研究けんきゅうPhilosophical Investigations on Space, Time and Phenomena (Philosophische Untersuchungen zu Raum, Zeit und Kontinuum)
  • (1982) 「記述きじゅつてき心理しんりがくDescriptive Psychology (Deskriptive Psychologie)

全集ぜんしゅう

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  • Sämtliche veröffentlichte Schriften in zehn Bänden (Collected Works in Ten Volumes, edited by Arkadiusz Chrudzimski and Thomas Binder), Frankfurt: Ontos Verlag (now Walter de Gruyter).
    • 1. Psychologie vom empirischen Standpunkte — Von der Klassifikation der psychischen Phänomene (2008)
    • 2. Untersuchungen zur Sinnespsychologie (2009)
    • 3. Schriften zur Ethik und Ästhetik (2010)
    • 4. Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles (2014)

年表ねんぴょう

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1838ねん(0さい
ドイツのマリエンブルグに生誕せいたん
1862ねん(24さい
処女しょじょさく『アリストテレスによる存在そんざいしゃのさまざまの意味いみについて』(Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles)を出版しゅっぱん当時とうじ学界がっかい大御所おおごしょてき存在そんざいであり、アリストテレス研究けんきゅうしゃとして有名ゆうめいなトレンデレンブルグの賞賛しょうさんた。テュービンゲン大学だいがく学位がくいる。
1864ねん(26さい
ブレンターノ、カトリック教会きょうかい司祭しさいとなる。
1866ねん(28さい
ブレンターノ、ヴュルツブルグ大学だいがくわたし講師こうしとなる。
1870ねん(32さい
7がつ18にちバチカン会議かいぎにて教皇きょうこう不可ふか謬性宣布せんぷがなされる。
1872ねん(34さい
ブレンターノ、ヴュルツブルグ大学だいがく助教授じょきょうじゅとなる。
1873ねん(35さい
司祭しさいしょくてるとともに、カトリック教会きょうかいから離脱りだつする。このことが原因げんいんでヴュルツブルグ大学だいがく教職きょうしょくすることになる。
1874ねん(36さい
ブレンターノ、ウィーン大学だいがく教授きょうじゅとしてまねかれる。『経験けいけんてき立場たちばからの心理しんりがくだいいちかん(Psychologie vom empirischen Standpunkt Bd. I)を出版しゅっぱん
1879ねん(41さい
ブレンターノ、イーダ・フォン・リーベンと結婚けっこん
1888ねん(50さい
一人ひとり息子むすこのヨハネス・ブレンターノ(Johannes C. Brentano, 1888-1969;ノースウェストン大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅ専攻せんこう物理ぶつりがく[43]誕生たんじょう
1894ねん(56さい
ブレンターノ、イーダ・フォン・リーベンと死別しべつ
1895ねん(57さい
ブレンターノはウィーン大学だいがくわたし講師こうしめ、そのしゅとしてイタリアのフィレンツェにむ。
1896ねん(58さい
ブレンターノ、ミュンヘンでひらかれただいさんかい国際こくさい心理しんり学会がっかいシュトゥンプとともに参加さんかし、「感覚かんかくについて」という講演こうえんおこなう。
1897ねん(59さい
ブレンターノ、エミリエ・ルエプレヒトと結婚けっこん
1903ねん(65さい
ブレンターノ、両目りょうめ手術しゅじゅつけるも病状びょうじょう悪化あっかするいちぽうであり、すうねんにはまったくの盲目もうもくとなる。
1905ねん(67さい
このころからしんてき現象げんしょう存在そんざいろんかんするかんがかたおおきくえはじめる。
1911ねん(73さい
しんてき現象げんしょう分類ぶんるいについて』(Von der Klassifikation der psychischen Phänomene)を出版しゅっぱんし、もの主義しゅぎ(reism)てきかんがえに転向てんこうしたことを公表こうひょうする。
1914ねん(76さい
だいいち世界せかい大戦たいせんこる。ブレンターノ、なんけてスイスのチューリヒにうつる。
1917ねん(79さい
ブレンターノ、チューリヒです。

関連かんれん項目こうもく

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関連かんれん人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Franz Brentano – Britannica.com
  2. ^ E. B. Titchener (1921). “Brentano and Wundt: Empirical and Experimental Psychology”. The American Journal of Psychology (University of Illinois Press) 32 (1): 108-120. ISSN 00029556. http://www.jstor.org/stable/1413478. 
  3. ^ Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 7.
  4. ^ Gestalt Theory: Official Journal of the Society for Gestalt Theory and Its Applications (GTA), 22, Steinkopff, 2000, p. 94: "Attention has varied between Continental Phenomenology (late Husserl, Merleau-Ponty) and Austrian Realism (Brentano, Meinong, Benussi, early Husserl)".
  5. ^ Robin D. Rollinger, Austrian Phenomenology: Brentano, Husserl, Meinong, and Others on Mind and Object, Walter de Gruyter, 2008, p. 114: "The fact that Brentano [in Psychology from an Empirical Standpoint] speaks of a relation of analogy between physical phenomena and real things existing outside of the mind obviously indicates that he is a realist and not an idealist or a solipsist, as he may indeed be taken to at first glance. Rather, his position is a very extreme representational realism. The things which exist outside of our sensations, he maintains, are in fact to be identified with the ones we find posited in the hypotheses of natural sciences."
  6. ^ a b c d Huemer, Wolfgang. "Franz Brentano". In Zalta, Edward N. (ed.). Stanford Encyclopedia of Philosophy (英語えいご).
  7. ^ Brentano, F., Sensory and Noetic Consciousness: Psychology from an Empirical Standpoint III, International Library of Philosophy and Scientific Method, Routledge & Kegan Paul, 1981.
  8. ^ Biagio G. Tassone, From Psychology to Phenomenology: Franz Brentano's 'Psychology from an Empirical Standpoint' and Contemporary Philosophy of Mind, Palgrave Macmillan, 2012, p. 307.
  9. ^ Edoardo Fugali, Toward the Rebirth of Aristotelian Psychology: Trendelenburg and Brentano (2008).
  10. ^ Robin D. Rollinger, Husserl's Position in the School of Brentano, Phaenomenologica 150, Dordrecht: Kluwer, 1999, Chap. 2: "Husserl and Bolzano", p. 70.
  11. ^ Barry Smith, "Aristotle, Menger, Mises:An Essay in the Metaphysics of Economics", History of Political Economy, Annual Supplement to vol. 22 (1990), 263–288.
  12. ^ a b Liliana Albertazzi, Immanent Realism: An Introduction to Brentano, Springer, 2006, p. 321.
  13. ^ 今田いまだ めぐみ心理しんりがく岩波書店いわなみしょてん、1962ねん  p.226
  14. ^ 哲学てつがく歴史れきし10 p.70
  15. ^ 哲学てつがく歴史れきし10 p.57
  16. ^ 哲学てつがく歴史れきし10 p.58
  17. ^ 世界せかい名著めいちょ51(1970)p.8
  18. ^ このときちょうどわるようにプラハ大学だいがくからウィーン大学だいがく哲学てつがく教授きょうじゅ就任しゅうにんしたのが1885ねん刊行かんこうの『感覚かんかく分析ぶんせき』でられていたエルンスト・マッハであった。
  19. ^ 哲学てつがく歴史れきし10 p.63
  20. ^ 小倉おぐら(1986) p.54,p.69
  21. ^ この著作ちょさくにおいて、ブレンターノは時代じだい精神せいしん解釈かいしゃくしゃ心理しんりがくあらたな創設そうせつしゃとしてみなされる。 小倉おぐら(1986) p.71
  22. ^ 小倉おぐら(1986) p.52,72
  23. ^ 小倉おぐら(1986) p.80
  24. ^ 小倉おぐら(1986) pp.80-81
  25. ^ 哲学てつがく歴史れきし10 pp.93-94
  26. ^ 「もの主義しゅぎ」という言葉ことばは、ブレンターノ自身じしん言葉ことばではなく、カジミェシュ・トヴァルドフスキ弟子でしであったタデウシュ・コタルビンスキみずからの見解けんかいしめすためにもちいたものであり、「事物じぶつのみが存在そんざいしうるのであり、事物じぶつのみが思考しこう対象たいしょうとなりうる」というテーゼを中核ちゅうかくとするかんがかたである。 哲学てつがく歴史れきし10 pp.93-94
  27. ^ 小倉おぐら(1986) p.81
  28. ^ The first published occurrence of the term is in Brentano's Vom Ursprung sittlicher Erkenntnis (The Origin of our Knowledge of Right and Wrong) published in 1889 (see Franz Brentano, Descriptive Psychology, Routledge, 2012, "Introduction").
  29. ^ a b Dale Jacquette (ed.), The Cambridge Companion to Brentano, Cambridge University Press, 2004, p. 67.
  30. ^ Anna-Teresa Tymieniecka, Phenomenology World-Wide: Foundations — Expanding Dynamics — Life-Engagements A Guide for Research and Study, Springer, 2014, p. 18: "[Husserl] entrusts this analysis to a pure or phenomenological psychology whose links with Brentano's descriptive psychology are still clearly visible."
  31. ^ See Postfix in the 1923 edition (in German) or the 1973, English version (ISBN 0710074255, edited by Oskar Kraus; translated [from German] by Antos C. Rancurello, D. B. Terrell and Linda López McAlister; English edition edited by Linda López McAlister).
  32. ^ 小倉おぐら(1986) p.60
  33. ^ 小倉おぐら(1986) pp.110-111,119
  34. ^ 小倉おぐら(1986) pp.119-121
  35. ^ Brentano's Theory of Judgement
  36. ^ 小倉おぐら(1986) p.114
  37. ^ Uriah Kriegel, "Phenomenal intentionality past and present: introductory, Phenomenology and the Cognitive Sciences 12(3):437–444 (2013).
  38. ^ Maria van der Schaar, G. F. Stout and the Psychological Origins of Analytic Philosophy, Springer, 2013, p. viii.
  39. ^ ダメット(1993)
  40. ^ Franz Brentano Archiv Graz
  41. ^ 世界せかい名著めいちょ51(1970)収録しゅうろく
  42. ^ フランツ・ブレンターノ ちょ篠田しのだ 英雄ひでお(わけ) へん天才てんさい/あく岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ〉、1936ねん 
  43. ^ Personal Reminiscences:J. C. M. Brentano

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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