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反日亡国論 - Wikipedia

反日はんにち亡国ぼうこくろん(はんにちぼうこくろん)は、日本にっぽんしん左翼さよくである大森おおもり勝久かつひさが1970年代ねんだい主張しゅちょうした思想しそうアイヌ革命かくめいろんなど「反日はんにち」の立場たちばから「日本にっぽん滅亡めつぼうさせる」べきとする。

概要がいよう

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1970年代ねんだい大森おおもり勝久かつひさしん左翼さよく理論りろんとして太田おおたりゅう窮民きゅうみん革命かくめいろんアイヌ革命かくめいろんなどの影響えいきょうけ、さら梅内うめうち恒夫つねお手記しゅき共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんよりにちみかど打倒だとうこころざすすべての人々ひとびと」が、その理論りろんてき形成けいせいのきっかけとなった。

反日はんにち亡国ぼうこくろん」は、たん帝国ていこく主義しゅぎ戦争せんそう反対はんたいする立場たちばから自国じこく敗戦はいせん革命かくめい目指めざす「革命かくめいてき祖国そこく敗北はいぼく主義しゅぎ」ではなく、またたんに「明治めいじ以降いこう日本にっぽん帝国ていこく主義しゅぎした悪行あくぎょう」を批判ひはんするのでもなく、歴史れきしをはるかにさかのぼって日本にっぽんこく建国けんこく日本にっぽん民族みんぞくによる歴史れきしそのものを否定ひていし、その絶滅ぜつめつ主張しゅちょうした[1]

この立場たちばでは、いわゆる「日本人にっぽんじん」は、おのれが「抑圧よくあつしゃ犯罪はんざい民族みんぞく」たるにちみかど本国ほんごくじんであることを充分じゅうぶん自覚じかくし、自己じこ否定ひていしていかなくてはならない。日本にっぽんつぐないきれない犯罪はんざいかさねてきたはん革命かくめい国家こっかであり、醜悪しゅうあくはじざら国家こっか民族みんぞくであるので、日本にっぽんを「祖国そこく」とおもうこと自体じたい最大さいだいはん革命かくめい思想しそうであり、積極せっきょくてき民族みんぞく意識いしき国民こくみん意識いしきって「非国民ひこくみん」になれと[2]。そして反日はんにち亡国ぼうこくろん全面ぜんめんてきれて反日はんにち闘争とうそう闘士とうしとなることで、はじめて「抑圧よくあつしゃ犯罪はんざい民族みんぞく」という「原罪げんざい」から解放かいほうされるとする[1]

詳細しょうさい

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マルクス主義まるくすしゅぎからの脱却だっきゃく

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カール・マルクスは「共産党きょうさんとう宣言せんげん」で「労働ろうどうしゃには祖国そこくはない」、「万国ばんこく労働ろうどうしゃ団結だんけつせよ」としるし、将来しょうらい共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかいでは「国家こっか死滅しめつする」としるした。まただいインターナショナルバーゼル宣言せんげんは、労働ろうどうしゃ自国じこく帝国ていこく主義しゅぎ戦争せんそう参加さんかすることを「犯罪はんざい」として「帝国ていこく主義しゅぎ戦争せんそう内乱ないらん転化てんかせよ」とびかけ、これをウラジーミル・レーニン支持しじした。

梅内うめうち恒夫つねおの「共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんよりにちみかど打倒だとうこころざすすべての人々ひとびとへ」では、「いま我々われわれはマルクスをてよう」とき、反日はんにち闘争とうそうおこなうにたっては、マルクス主義まるくすしゅぎ既存きそん概念がいねんとらわれてはならないとした。ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんでは、「植民しょくみん人民じんみんは、日本人にっぽんじんプロレタリアをも「てき」としてていること、この厳然げんぜんたる事実じじつ痛苦つうく確認かくにんこそ、反日はんにち思想しそう原点げんてんである」と主張しゅちょうし、「植民しょくみん人民じんみん反日はんにち感情かんじょう」こそがマルクス主義まるくすしゅぎわる基本きほん原理げんりだとした[3]

  • 日本にっぽん国家こっかの「侵略しんりゃくせい
    レーニンの『帝国ていこく主義しゅぎろん正式せいしき名称めいしょう資本しほん主義しゅぎ最高さいこう段階だんかいとしての帝国ていこく主義しゅぎ)』では、その題名だいめいはしてきしめすように、高度こうど発達はったつした資本しほん主義しゅぎ国家こっかが、やがて「対外たいがい侵略しんりゃく性向せいこう」をびる帝国ていこく主義しゅぎ国家こっかへと発展はってんするとした。そのため日本にっぽんの「侵略しんりゃくせい」も、封建ほうけん主義しゅぎ社会しゃかいから資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいへの移行いこう成功せいこうしたことによる副作用ふくさようであり、これを克服こくふくするためには共産きょうさん主義しゅぎ革命かくめいこして、天皇てんのうせいなどの「日本にっぽん帝国ていこく主義しゅぎ残滓ざんし」を除去じょきょし、新生しんせい日本人にっぽんじんみん共和きょうわこく」にまれわることで、日本にっぽんの「侵略しんりゃくせい」は消滅しょうめつするとされる[4]
    しかし反日はんにち亡国ぼうこくろん場合ばあい日本にっぽんの「侵略しんりゃくせい」は帝国ていこく主義しゅぎ国家こっかになってはじめてあらわれたのではなく、建国けんこく以来いらい連綿れんめんつづく「伝統でんとう」であるため、たんに「日本人にっぽんじんみん共和きょうわこく」と改組かいそするだけでは「侵略しんりゃくせい」を除去じょきょしたとはえない[3]最終さいしゅうてき解決かいけつをするには、地球ちきゅうじょうから「日本にっぽん」という国家こっか消滅しょうめつさせ、日本人にっぽんじんの「邪悪じゃあくな」血統けっとう地上ちじょうから完全かんぜん根絶こんぜつし、「日本にっぽん」をかんする如何いかなる形態けいたい国家こっか復活ふっかつゆるさないとする[5]
  • 階級かいきゅうてき観点かんてん否定ひてい
    マルクス主義まるくすしゅぎなどの国際こくさい主義しゅぎでは、国家こっか民族みんぞくよりも階級かいきゅう重視じゅうしし、各国かっこく労働ろうどうしゃ階級かいきゅう連帯れんたいすべきとした。
    しかし反日はんにち亡国ぼうこくろんでは、「抑圧よくあつ民族みんぞく労働ろうどうしゃ階級かいきゅう」は「抑圧よくあつ民族みんぞく資本しほん階級かいきゅう」と同様どうように「抑圧よくあつ民族みんぞく労働ろうどうしゃ階級かいきゅう」にたいする加害かがいしゃであるとした。「労働ろうどうしゃ階級かいきゅう連帯れんたい」を強調きょうちょうすることは、「抑圧よくあつ民族みんぞく労働ろうどうしゃ階級かいきゅう」の加害かがい責任せきにん免責めんせきするものであるとする[3]
    ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんのメンバー黒川くろかわ芳正よしまさ言葉ことばえば、「階級かいきゅうてき観点かんてん立脚りっきゃくした反日はんにちみかど」ではなく「階級かいきゅうてき区分くぶんうちふくんだ反日はんにち」とされる[3]。そしてみずからの思想しそうは「革命かくめい思想しそう」とはべつに「反日はんにち思想しそう」とカテゴライズされるべきであり、従来じゅうらい革命かくめいろんからコペルニクスてき転回てんかいげた思想しそうだと自画じが自賛じさんしている[6]

日本にっぽん」という国号こくごうについて

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日本にっぽん」という国号こくごうは「づるしょ天子てんしくに」を意味いみし、天皇てんのうせい不可分ふかぶん存在そんざいである。中国ちゅうごく中華ちゅうか思想しそう受容じゅようするだけでなく、その元祖がんそ中国ちゅうごくをも「ぼっするところくに」と蔑視べっしする「ウルトラ傲慢ごうまん帝国ていこく主義しゅぎ」を体現たいげんしたのが「日本にっぽん」という国号こくごうであり、ユーラシア大陸たいりくひがしはし弧状こじょう列島れっとう地域ちいきあらわ価値かち中立ちゅうりつてき地名ちめいでないとする[7]

日本にっぽんこく歴史れきしてき位置付いちづ

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皇室こうしつ起源きげん騎馬きば民族みんぞく征服せいふく王朝おうちょうせつもとづき大陸たいりくから渡来とらいしたとされる。つまり日本にっぽん全土ぜんど侵略しんりゃく征服せいふくであるとする。「征服せいふくみん」は、やがて皇室こうしつつらなる「天孫てんそんぞく」と同化どうか農耕のうこう民族みんぞくとなり、同化どうか拒否きょひした一部いちぶ征服せいふくみん」は部落ぶらくみんとなった[5]中世ちゅうせい以降いこう南北なんぼく着々ちゃくちゃく侵略しんりゃくすすめていき、明治めいじになって「アイヌモシリ」や琉球りゅうきゅう王国おうこく併呑へいどんし、内地ないちにおける侵略しんりゃく完了かんりょうさせた。このように、日本にっぽんこく歴史れきしはまさに「侵略しんりゃく搾取さくしゅ歴史れきし」にならないとされる[3]。このような「侵略しんりゃく伝統でんとう」があるからこそ、日本にっぽんによるアジア・世界せかい侵略しんりゃくこったのだとする[2]。また左翼さよく歴史れきしなかには、「民衆みんしゅう史観しかん」といって自由じゆう民権みんけん運動うんどうなどの民衆みんしゅうからのぼった政治せいじ運動うんどうたか評価ひょうかするものがいるが、これら民衆みんしゅう所詮しょせんは「犯罪はんざい国家こっか日本にっぽん」の構成こうせいいんにすぎず、アイヌ琉球りゅうきゅう民族みんぞく犠牲ぎせいうえ生活せいかつっているとし、これらの政治せいじ運動うんどう全面ぜんめん否定ひていしている。1918ねん発生はっせいしたべい騒動そうどう植民しょくみん人民じんみんからこめ収奪しゅうだつするきっかけをつくりだした、たんなる「べい暴動ぼうどう」にぎないとてている[2]

しかし、1980年代ねんだいから開始かいしされたDNA解析かいせきによると、現代げんだいのユダヤ・イスラエルじん古代こだいメソポタミア文明ぶんめい形成けいせいしたアマ―ルじん、アッカドじん、シュメールじんがユダヤ・イスラエルじん)のつD系統けいとうYap遺伝子いでんし日本にっぽん民族みんぞく・チベットじんつD系統けいとうYap遺伝子いでんしどう系統けいとうという解析かいせき結果けっかから、騎馬きば民族みんぞく征服せいふく王朝おうちょうせつ完全かんぜん否定ひていされた。しかし、チンギス・ハーンのモンゴル帝国ていこくによる騎馬きば民族みんぞく征服せいふくせつは、ユーラシア大陸たいりくにおいては肯定こうていされている。

日本にっぽん文化ぶんか否定ひてい

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反日はんにち亡国ぼうこくろんでは、日本にっぽん文化ぶんかほこりをかんじること自体じたい罪悪ざいあくでありはん革命かくめいであるとし、平安京へいあんきょう遷都せんとした桓武かんむ天皇てんのうまつ平安へいあん神宮じんぐう放火ほうか事件じけん称揚しょうようした[2]

日本にっぽんにおける労働ろうどう運動うんどう否定ひてい

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戦後せんご高度こうど経済けいざい成長せいちょうにより、だい多数たすう日本にっぽん国民こくみんが「ブルジョアてき」な生活せいかつ享受きょうじゅできるようになったが、これらの原資げんしは「世界中せかいじゅう人民じんみんから搾取さくしゅされたとみ」によってっている。よって「生活せいかつ改善かいぜん運動うんどう」「賃上ちんあ運動うんどう」に代表だいひょうされる日本にっぽん労働ろうどう運動うんどうなどというものは、「強奪ごうだつひんまえをもっとよこせ」という「略奪りゃくだつ民族みんぞく日本人にっぽんじん」の「しんまずしき願望がんぼう」のあらわれであり、はん革命かくめいであるとする[2]

海外かいがい人権じんけん問題もんだいへの介入かいにゅう

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1970年代ねんだい当時とうじ左翼さよく人士じんしなかにはきむ大中でじゅん事件じけん韓国かんこく政府せいふ事実じじつじょう拘束こうそくされているきむ大中でじゅん救援きゅうえん活動かつどう奔走ほんそうしているものがいるが、これは論外ろんがいである。にちみかど本国ほんごくじん分際ぶんざい外国がいこくとくにアジア諸国しょこく)の人権じんけん云々うんぬんうのは、「日本にっぽん民主みんしゅ主義しゅぎでいいこくだ。すすんだくにだ。」という「日本にっぽん優越ゆうえつ意識いしき」のあらわれであり、帝国ていこく主義しゅぎてき侵略しんりゃく活動かつどうならないとする[2]

日本にっぽん打倒だとう戦略せんりゃく

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ベトナム戦争せんそうアメリカ国力こくりょく消耗しょうもうした故事こじならい、日本にっぽん戦争せんそうませる。そのきっかけとなるくに大韓民国だいかんみんこくである。まず手始てはじめに韓国かんこくじん排外はいがいてき韓国かんこく民族みんぞく主義しゅぎあおることで反日はんにち感情かんじょう醸成じょうせい韓国かんこくぐんクーデター誘発ゆうはつさせて「親日しんにち政権せいけん」を打倒だとうし、韓国かんこく巣食すくう「親日しんにち」を粛清しゅくせいする。そして「反日はんにち軍事ぐんじ政権せいけん」が日本にっぽん宣戦せんせん布告ふこくし、最低さいていでも10まんにん自衛隊じえいたいいん戦死せんしさせる[5][8]同時どうじに「琉球りゅうきゅう共和きょうわこく」が独立どくりつ宣言せんげんする。そして日本にっぽんやアメリカに宣戦せんせん布告ふこくし、韓国かんこくとともにたいにち侵略しんりゃく戦争せんそう参戦さんせんする。そして「アイヌ・ソビエト共和きょうわこく」も独立どくりつ宣言せんげんし、「北方領土ほっぽうりょうど返還へんかん」などとアイヌを無視むしした主張しゅちょう展開てんかいして「おもがって」いる北海道ほっかいどう在住ざいじゅう500まんにん和人わじん殺戮さつりくする[8]。また東南とうなんアジアでも反日はんにち感情かんじょうあおる。そして日本にっぽん赤軍せきぐんのネットワークを利用りようして、アラブ諸国しょこく日本にっぽんけの原油げんゆ輸出ゆしゅつ阻止そしし、かつてのABCD包囲ほういもうのように「反日はんにち包囲ほういもう」が日本にっぽんかこみ、自滅じめつうながすというものである[5][8]。「日本にっぽん滅亡めつぼう日本人にっぽんじん老若男女ろうにゃくなんにょわず裁判さいばんにかけられ、だい多数たすうは「にちみかど本国ほんごくじん」であるため有罪ゆうざい死刑しけいしょせられる。民族みんぞく意識いしき国民こくみん意識いしき反日はんにち闘争とうそうたたかった同志どうし世界せかい革命かくめい浪人ろうにん)のみが無罪むざいとなり、地球ちきゅうじょうから日本人にっぽんじん消滅しょうめつするというシナリオである[9]

批評ひひょう

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  • 主唱しゅしょうしゃ大森おおもり勝久かつひさ自身じしんは、のち獄中ごくちゅう保守ほしゅ転向てんこうし、「反日はんにち亡国ぼうこくろん」は「悪魔あくまのような思想しそう」としるした[10]
  • 佐々木ささきしゅんなおは「狂気きょうき」「あさっての方向ほうこう」「もはや常識じょうしきでははかれないほどの極端きょくたん哲学てつがく」「かい論理ろんり」「マイノリティ憑依ひょうい」とひょうした[4]
  • 森口もりぐちあきらは「異常いじょう感性かんせい」「日本人にっぽんじんでありながら日本にっぽんのろ思想しそう」「反日はんにち暴力ぼうりょく思想しそう」とひょうした[11]
  • ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんおおかみ」リーダーかく大道寺だいどうじ将司まさし著書ちょしょで「反日はんにちを1つのものとしてくくることはできません」とし、大森おおもり勝久かつひさの「反日はんにち」は統一とういつ見解けんかいではないとしるした[12]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 治安ちあんフォーラム別冊べっさつ過激かげき事件じけん簿40ねん立花たちばな書房しょぼう、2001ねん
  2. ^ a b c d e f やっていないおれ目撃もくげきできるか!編集へんしゅう委員いいんかいへん『やっていないおれ目撃もくげきできるか! 北海道庁ほっかいどうちょう爆破ばくは犯人はんにんデッチ上でっちあ事件じけんさんいち書房しょぼう、1981ねん
  3. ^ a b c d e 黒川くろかわ芳正よしまさ獄窓ごくそうからのラブレター-反日はんにち革命かくめいへのせんたび』 新泉しんいずみしゃ、1985ねん
  4. ^ a b 佐々木ささきしゅんなお『「当事とうじしゃ」の時代じだい光文社こうぶんしゃ、2012ねん
  5. ^ a b c d 竹中たけなかろう平岡ひらおか正明まさあきみず滸伝-窮民きゅうみん革命かくめいのための序説じょせつ』より梅内うめうち恒夫つねお共産きょうさんどう赤軍せきぐんよりにちみかど打倒だとうこころざすすべての人々ひとびとへ」さんいち書房しょぼう、1973ねん
  6. ^ ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんへの死刑しけい重刑じゅうけい攻撃こうげきとたたかう支援しえん連絡れんらく会議かいぎへん『でもわたしにはせんっている 斎藤さいとうかずひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん大地だいちきば」の軌跡きせき風塵ふうじんしゃ、2004ねん
  7. ^ ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんKF部隊ぶたい (じゅん)『反日はんにち革命かくめい宣言せんげん ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん戦闘せんとう鹿砦ろくさいしゃ、1979ねん
  8. ^ a b c 太田おおたりゅう辺境へんきょう最深さいしんかって退却たいきゃくせよ!』さんいち書房しょぼう、1971ねん
  9. ^ 太田おおたりゅう革命かくめい情報じょうほう認識にんしき(よみかきのしかた)』現代書館げんだいしょかん、1974ねん
  10. ^ わたし左翼さよく時代じだい洗脳せんのうされて革命かくめい運動うんどう参加さんか
  11. ^ 森口もりぐちあきら『なぜ日本にっぽん教育きょういく間違まちがうのか ~復興ふっこうのための教育きょういくがく~』扶桑社ふそうしゃ、2012ねん
  12. ^ けのほし見上みあげて:大道寺だいどうじ将司まさし獄中ごくちゅう書簡しょかんしゅう」(大道寺だいどうじ将司まさし、1984ねん、れんが書房しょぼうしんしゃ)p65、p72、p198

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 太田おおたりゅう辺境へんきょう最深さいしんかって退却たいきゃくせよ!』さんいち書房しょぼう、1971ねん
  • 梅内うめうち恒夫つねお共産きょうさん主義しゅぎしゃ同盟どうめい赤軍せきぐんよりにちみかど打倒だとうこころざすすべての人々ひとびとへ」『みず滸伝 窮民きゅうみん革命かくめいのための序説じょせつ竹中たけなかろう平岡ひらおか正明まさあきさんいち書房しょぼう、1973ねん
  • 太田おおたりゅう革命かくめい情報じょうほう認識にんしき(よみかきのしかた)』現代書館げんだいしょかん、1974ねん
  • ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんKF部隊ぶたい (じゅん)『反日はんにち革命かくめい宣言せんげん ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん戦闘せんとう鹿砦ろくさいしゃ、1979ねん
  • やっていないおれ目撃もくげきできるか!編集へんしゅう委員いいんかいへん『やっていないおれ目撃もくげきできるか! 北海道庁ほっかいどうちょう爆破ばくは犯人はんにんデッチ上でっちあ事件じけんさんいち書房しょぼう、1981ねん
  • 黒川くろかわ芳正よしまさ獄窓ごくそうからのラブレター-反日はんにち革命かくめいへのせんたび』 新泉しんいずみしゃ、1985ねん
  • 高沢たかさわあきらちょう史朗しろう松村まつむら良一りょういちへん 『戦後せんご革命かくめい運動うんどう事典じてん新泉しんいずみしゃ、1985ねん
  • 鈴木すずき邦男くにお『テロ-ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんあかほうたいいろどりりゅうしゃ、1988ねん
  • 原田はらだみのる幻想げんそうあら吐(アラハバキ)秘史ひし-「ひがしりゅうがいさんぐん」の泥濘でいねい批評社ひひょうしゃ、1999ねん
  • 治安ちあんフォーラム別冊べっさつ過激かげき事件じけん簿40ねん立花たちばな書房しょぼう、2001ねん
  • ひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせんへの死刑しけい重刑じゅうけい攻撃こうげきとたたかう支援しえん連絡れんらく会議かいぎへん『でもわたしにはせんっている 斎藤さいとうかずひがしアジア反日はんにち武装ぶそう戦線せんせん大地だいちきば」の軌跡きせき風塵ふうじんしゃ、2004ねん
  • 朝日新聞あさひしんぶん取材しゅざいはん『「過去かこ克服こくふく」と愛国心あいこくしん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2007ねん
  • 外山とやま恒一つねかずあおいムーブメント ―まったくあたらしい80年代ねんだい―』いろどりりゅうしゃ、2008ねん
  • 秀実ひでみ筑摩ちくま選書せんしょ0034 はん原発げんぱつ思想しそう筑摩書房ちくましょぼう、2012ねん
  • 森口もりぐちあきら『なぜ日本にっぽん教育きょういく間違まちがうのか ~復興ふっこうのための教育きょういくがく~』扶桑社ふそうしゃ、2012ねん
  • 佐々木ささきしゅんなお『「当事とうじしゃ」の時代じだい光文社こうぶんしゃ、2012ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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