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定家仮名遣 - Wikipedia

定家さだいえ仮名遣かなづかい(ていかかなづかい)とは、仮名遣かなづか規範きはん一種いっしゅ平安へいあん時代じだいすえから鎌倉かまくら時代ときよ初期しょきにかけての公家くげ藤原ふじわら定家さだいえがはじめたもので、明治めいじいたるまで一定いってい支持しじた。

概要がいよう

編集へんしゅう

定家さだいえ仮名遣かなづかいは、藤原ふじわら定家さだいえ著書ちょしょしたかんしゅう』をおこりとする。『したかんしゅう』の成立せいりつ年代ねんだいについては、浅田あさだとおる1210年代ねんだい後半こうはんとしている。このなかにある「いや文字もじごと」(文字もじいやごと)に仮名遣かなづかいの用例ようれいしるされており、定家さだいえはこれに沿って写本しゃほんにおける仮名遣かなづかいをさだめた。この『したかんしゅう』の仮名遣かなづかいが南北なんぼくあさ時代じだいいたり、みなもとちかしぎょうまごくだりおもねあらわした『仮名かめい文字もじ』においてかたりれい増補ぞうほされる。この『仮名かめい文字もじ』にしるされる仮名遣かなづかいをくだりおもね仮名遣かなづかい(ぎょうあかなづかい)ともぶが、これがひろ定家さだいえ仮名遣かなづかいをもってばれるものであり、明治めいじ時代じだい歴史れきしてき仮名遣かなづかい仮名遣かなづかいの規範きはんとされるまでもちいられた。

したかんしゅう以前いぜん

編集へんしゅう

今日きょうまでの国語こくごがく言語げんごがく研究けんきゅうでは、10世紀せいき後半こうはんから12世紀せいきにかけて、日本語にほんご以下いか音韻おんいん変化へんか発生はっせいしたと推測すいそくされている。

  • ぎょう「お」/o/おとが、ぎょう「を」/wo/おと変化へんか合流ごうりゅう
  • 語頭ごとう以外いがいぎょう/ɸ/おとが、ワぎょう/w/おとゆうごえ変化へんかぎょうてんよびこう参照さんしょう
  • ぎょう「ゑ」/we/おとが、アぎょう「え」/e/おと変化へんか合流ごうりゅうしつつあった(ただしこの/we//e/ちがいについては、定家さだいえ自身じしんはなんとか区別くべつできていたという)

さらに13世紀せいきなかばには、ワぎょう「ゐ」/wi/おともアぎょう「い」/i/へと変化へんかした。これにより「を・お」、「え・ゑ・へ」、「い・ゐ・ひ」などの仮名かめい発音はつおんじょう区別くべつがなくなり、どの言葉ことばにどの仮名かめいてるのかということについて動揺どうようきていた。その用例ようれい規定きていしたものが定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいやくだりおもねあらわした『仮名かめい文字もじ』であったとされる。ただし、定家さだいえ仮名遣かなづかいをさだめる以前いぜん仮名遣かなづかいは、ただひたすら混乱こんらんするだけだったわけではない。

仮名かめい音韻おんいん変化へんかにより、その表記ひょうきのありかた影響えいきょうけたことはたしかである。「ゆゑ」(ゆえ)は「ゆへ」とくようになったり、かく助詞じょしの「を」も「お」とかれたりするれいていたが、音韻おんいんとはかかわりなく表記ひょうき一定いっていしていた言葉ことばもあった。「こひ」(こい)は音韻おんいん変化へんかによりその発音はつおん[ko-ɸi]から[ko-wi]変化へんかしており、[wi]おと対応たいおうする仮名かめいは「ゐ」であったが、文献ぶんけんじょう「こひ」という表記ひょうきわっておらず、おな仮名がなく「こひ」(こい)は、『仮名かめい文字もじ』では「こひ」・「こゐ」・「こい」などという表記ひょうきられ一定いっていしていない。ほかにも「おもふ」など終止しゅうしがた連体れんたいがた活用かつよう語尾ごびが「ふ」となるものは類推るいすいによって、「ならふ」や「かなふ」が「ならう」「かなう」などとかれることはなく、使用しよう頻度ひんどたか言葉ことばほど、その表記ひょうきのありかたすなわち仮名遣かなづかいはわらなかった。「ゆへ」のようにもとの表記ひょうきとはちがれいてはいたが、そのはその変化へんかした表記ひょうき維持いじされている。「こひ」(こい)の表記ひょうきさだまらなかったのは、当時とうじ教養きょうようそうかり名文めいぶんにおいてほとんどげることのない言葉ことばだったからである。

ようするに定家さだいえ以前いぜん仮名遣かなづかいのありようは、仮名かめい使つかうえ不都合ふつごうのない程度ていどいていた。音韻おんいん変化へんか仮名かめいがそのまましたがうことは、それまでのなか慣習かんしゅうした言葉ことば表記ひょうきえられることになるが、それでは仮名かめいいたぶんひとんでもらおうとおもっても意味いみつうじないということになりかねない。うえげた「こひ」(こい)が「こい」だとか「こゐ」などとかれては、こいという意味いみ理解りかいされなかったということである。馬渕まぶち和夫かずおはこの慣習かんしゅうてきおこなわれていた仮名遣かなづかいを「平安へいあんかなづかい」とんでいる。そんななか定家さだいえ仮名遣かなづかいをさだめなければならなかったのは、定家さだいえ個人こじん事情じじょうによる。それは、定家さだいえ定家さだいえほんられるように数多すうた古典こてん文学ぶんがく作品さくひん書写しょしゃした人物じんぶつとしてもられているが、定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいとは、それら写本しゃほんにおける仮名遣かなづかいをしめすためのものだったからである。

したかんしゅう』の仮名遣かなづか

編集へんしゅう

したかんしゅう』のなかにある「いや文字もじごと」(文字もじいやごと)では60ほどのかたりれいして仮名遣かなづかいをさだめているが、そのかたりれいまえには以下いか前置まえおきがある。原文げんぶん漢字かんじぶんなので、漢字かんじ平仮名ひらがなじりのぶんにして引用いんようする。「文字もじいやふ」とは仮名かめいつづじょう文字もじ選択せんたくすること、ようするに仮名遣かなづかいをさだめることをいう。

他人たにんそうじてそうじて)しからず。また先達せんだつつよひて此のことし。ただ(ただ)分別ふんべつめたる僻事ひがごと(ひがごと)なり。親疎しんそ老少ろうしょう一人ひとり同心どうしんひとし。もっと道理どうりいいふべし。きょうまた(また)当世とうせいひとところ文字もじ狼藉ろうぜき古人こじんようらいたれるところぎたり。心中しんちゅうのこれをうらむ。

このぶん大意たいい要約ようやくすれば、以下いかのようである。

仮名遣かなづかいについて、ほかのひとそうじてにすることがない。また先人せんじんたちもこのことについて、とく言及げんきゅうしたことはなかった。以下いか自分じぶんさだめる仮名遣かなづかいは、ひとからればただのひとりよがりのくだらないたわごとである。したしいものだろうとうとものだろうと、またいもわかきも、これを自分じぶんおなじくするひとだれもいないだろう。まことにそれは道理どうりというべきである。ましてそのうえいまひとくところの仮名遣かなづかいのでたらめさは、古人こじんもちいてきたところをもはるかにえている。この現状げんじょうを、しんなかうらんでいる」

このなかで定家さだいえは、仮名遣かなづかいをさだめることについてはだれかんがえにもらず、自分じぶんまったあたらしくはじめることだとしている。これは仮名遣かなづかいのれいをあげたその最後さいごにも、

みぎことせつず。ただよりはっす。きゅう草子ぞうして、これを了見りょうけんす。

しるしており、「みぎさだめた仮名遣かなづかいは、自分じぶん師匠ししょうとするひとからけたせつではない。ただ自分じぶん勝手かって創意そういでしたことであり、ふる時代じだい草子そうし判断はんだんした」ということで、やはりこの仮名遣かなづかいが自分じぶんかんがえついたものであり、ふるくからのつたえやおしえにもとづくものではないことを強調きょうちょうしている。

したかんしゅう』の内容ないよう和歌わか仮名かめいつづかた写本しゃほんつくもちいるさいまりとうについてしるしたものであり、それらは幼童ようどう文字もじつづかたおしえるなどといったるいいのものではない。定家さだいえ朝廷ちょうていつかえる公家くげであるとともに、和歌わかごうとするいえすなわち歌詠うたよいえとしてもげていた。それはたん和歌わかむだけではなく、当時とうじすでに古典こてんとされた『古今ここん和歌集わかしゅう』や『伊勢物語いせものがたり』といった文学ぶんがく作品さくひんうつし、またその本文ほんぶん解釈かいしゃくを「せつ」としょうして子孫しそんつたえることも重要じゅうようごととしていたのである。『したかんしゅう』の仮名遣かなづかいとは、それら写本しゃほんつくるうえで本文ほんぶん校訂こうてい解釈かいしゃくさだめるためのものであった。つまり自分じぶん以外いがい人間にんげん自分じぶんうつしたほんて、みづらかったり理解りかいしづらいことがないように本文ほんぶん表記ひょうきまりをもうけておこうというのが、定家さだいえ仮名遣かなづかいをさだめた目的もくてきだったのである。じょうのいう「文字もじ狼藉ろうぜき」とは、歌詠うたよみにとって重要じゅうようなものであるはずのさんだいしゅうをはじめとする歌書かしょるい本文ほんぶんについて、その仮名遣かなづかいがなん規範きはんもない、いい加減かげんなものであっては誤写ごしゃ誤読ごどくまねくことになるという意味いみ批判ひはんであった。

ただし定家さだいえは、「むかしひと仮名かめいをまともにけていた、それにくらべていまひとたちの仮名遣かなづかいはでたらめだ」などといっているわけではない。定家さだいえからすれば、さんだいしゅうとう写本しゃほんつくるうえで仮名遣かなづかいをはじめとする表記ひょうきのありように、とく関心かんしんかなかった「古人こじん」や「先達せんだつ」もまた「文字もじ狼藉ろうぜき」をかえしていたとているのであり、ましてそれ以上いじょうの「文字もじ狼藉ろうぜき」をおこなって平気へいきでいる「当世とうせいひと」にいたっては、はなしにならないといっているのである。しかし当時とうじ学問がくもんにおいて「せつ」によらずあらたになにかをなそうとすることは、相当そうとう自信じしん覚悟かくごのいることだったとられるが、たとえそれが「僻事ひがごと」と非難ひなんされようとも、定家さだいえにとっては「文字もじ狼藉ろうぜき」がないように本文ほんぶん書写しょしゃ校訂こうていすることのほうが重要じゅうようであるとかんがえたのである。

では定家さだいえなにをもって仮名遣かなづかいをさだめたのかといえば、『したかんしゅう』では仮名遣かなづかいの用例ようれいを「きゅう草子ぞうし」、すなわち「ふる時代じだいうつされた仮名かめい文学ぶんがく作品さくひん」にもとめたとしているが、その「きゅう草子ぞうし」とは定家さだいえ入手にゅうしゅできたものにかぎられており、そこからみちびされた仮名遣かなづかいは、音韻おんいん変化へんかする以前いぜん用例ようれい正確せいかくしるしているものではないことが確認かくにんされている。たとえば「ゆゑ」(ゆえ)は「ゆへ」とくようにさだめられている。しかしこれは定家さだいえきた当時とうじにおいては「ゆへ」とくほうが優勢ゆうせいであり、定家さだいえにした「きゅう草子ぞうし」にも「ゆへ」としるれいおおかったことにより、んで理解りかいうつすのに「ゆへ」であっても不都合ふつごうではない、むしろ「ゆゑ」などとしたのではかえって人々ひとびと理解りかいさまたげると判断はんだんしたからであった。

また当時とうじいずれも[wo]おととなっていた「を」と「お」の仮名かめいについては、アクセント高低こうていによって高音こうおんを「を」に、低音ていおんを「お」にてて使つかけていたことも、大野おおのすすむによって発見はっけんされている。これは、もし[wo]おとふくんだ言葉ことば仮名かめいくのに「を」と「お」のいずれをけばいいのかまよったとき、たとえば「く」なら高音こうおんの「く」、「おく」なら低音ていおんの「く」というように、それを実際じっさい発音はつおんしてみればいずれにてはまるのかがわかる。ぎゃくに「をく」、「おく」といておけば、それが「く」、「おく」であるのがわかるというものであった。この高音こうおん低音ていおんいろはうたの「いろはにほへどちりぬる」の「を」のアクセントと、「うゐのくやま」の「お」のアクセントが、それぞれの基本きほんとなったとかんがえられているが、『したかんしゅう』では「を」には「いとぐちこれおん」、「お」には「これおん」というただきがついており、実際じっさいにはこの「いとぐち」と「」のふたつの言葉ことばくちにすれば判断はんだんできるようにしている。このアクセントによる「を」と「お」の使つかけは、平安へいあん時代じだい後半こうはんの11世紀せいきまつには成立せいりつしていたとかんがえられる『いろるいしょう』にもすでにられる。ただし定家さだいえはさらにこの「を」と「お」のほかに変体へんたい仮名がなの「𛄚」(こし/・ )をもちい、アクセントにかかわりなく「を」と「お」のいずれにも使つかえる仮名かめい文字もじとした。れいをあげると、

あきのよを いたづらにのみ おきあかす つゆはわがみの うへにぞありける(『こうせん和歌集わかしゅう』・あきちゅう よみじんしらず)

がある。この和歌わかだいさん「おきあかす」には「き」と「き」の掛詞かけことばふくまれるが、定家さだいえひつの『せん和歌集わかしゅう』ではここに「こし」の仮名かめい使つかい「えつき」といている。『せん和歌集わかしゅう』が編纂へんさんされた当時とうじは、「き」と「き」はいずれも「おき」であった。しかし定家さだいえ使つかけでは、「き」の[wo]うえでもべたように高音こうおんなので「をき」とくが、「き」の[wo]では低音ていおんなので「おき」とかなければならない。だがそれでは、この言葉ことば掛詞かけことばであることがしめせない。そこで「を」と「お」のどちらでもれる手段しゅだんとして、「こし」の仮名かめいをアクセントとはかかわりない文字もじとしてさだもちいたのである。定家さだいえはほかにもこれらみっつの仮名かめい使つかけによって、仮名かめいぶんをわかりやすく書写しょしゃすることに成功せいこうしている。

定家さだいえは、のちの契沖けいちゅうのようにふる文献ぶんけん調しらべて仮名遣かなづかいをたしかめようとしていたわけではない。ゆえにその仮名遣かなづかいには理論りろんてき表記ひょうき規則きそく根拠こんきょはないともいえるが、理論りろんてきであろうがなかろうが定家さだいえにしてみれば、うえべた目的もくてきたすものであればそんなことはどうでもよかったのである。定家さだいえにとって仮名遣かなづかいの問題もんだいふる文献ぶんけんなかにあったのではなく、仮名かめいつづ現場げんばこっていることであった。定家さだいえ仮名遣かなづかいをさだめることにより、写本しゃほん本文ほんぶん当時とうじ人々ひとびとからみやすいことを原則げんそくとしていたのである。

したかんしゅう以後いご

編集へんしゅう

したかんしゅう』はその定家さだいえ自筆じひつほんをその息子むすこ藤原為家ふじわらのためいえ所持しょじしていた。『したかんしゅう』のつてほんにはぶんひさし8ねん1271ねん)10がつ15にち年紀としのりがある奥書おくがきつものがあり、それによればこの、「けん大納言だいなごん」という人物じんぶつのもとにため(このときすでに出家しゅっけしている)が定家さだいえ自筆じひつの『したかんしゅう』をっておとずれ、「けん大納言だいなごん」はその自筆じひつほんをすぐさまそのうつしたという。この「けん大納言だいなごん」とは当時とうじ27さいだった西園寺さいおんじみのるけんのことではなかったかともいわれるが、この奥書おくがきにはほかにためいたこととして、「を・お・こし」、「ゐ・い・ひ」、「え・ゑ・へ」の仮名遣かなづかいのことについてもれており、とくに「を・お・こし」については実例じつれいをあげて解説かいせつしている。これは定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいがそのためにおおむねつたわり、また子孫しそん以外いがいものにもかれていたはやれいとして注目ちゅうもくすべきものである。

国語こくごがく大系たいけい』におさめる『したかんしゅう』には、定家さだいえ以外いがいものがのちにくわえたしょからの引用いんよう、また仮名遣かなづかいのれいについて増補ぞうほされた部分ぶぶんがあり、さらにおな内容ないようかえすなど雑多ざった内容ないようとなっている。その奥書おくがきには弘安ひろやす7ねん1284ねん)7がつぶんなが3ねん1266ねん)4がつもととく元年がんねん1329ねん)10がつ年紀としのりがあり、これら奥書おくがきくわえた人物じんぶつとして「しんあきら」、「ちんはん」という署名しょめいられる。それらがどのような人物じんぶつであったかは不明ふめいであるが、『したかんしゅう』とそのなかにある定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいが、当時とうじさかんにもちいられていたことがうかがえる。またため没後ぼつご定家さだいえ自筆じひつの『したかんしゅう』はじょう所持しょじしていたが、ため息子むすこ冷泉れいせん為相ためすけ内容ないよう増補ぞうほされた系統けいとうほんを、みずからが鎌倉かまくら下向げこうしたおりなどに書写しょしゃしてひとあたえていたという。定家さだいえ古典こてん書写しょしゃ校訂こうていというごくかぎられた目的もくてき仮名遣かなづかいをさだめたが、それが当時とうじ教養きょうようそうひろまり、あらたに創作そうさくされた作品さくひんにもその仮名遣かなづかいが使つかわれるなど、あらためて仮名かめい文字もじけるための規範きはんとして使つかわれるようになっていた。そしてそれは『したかんしゅう』にしるされている以外いがい仮名遣かなづかいの用例ようれい人々ひとびと要求ようきゅうすることになり、のちにくだりおもねが『仮名かめい文字もじ』をあらわ背景はいけいとなったのである。

14世紀せいき後半こうはんくだりおもねは『仮名かめい文字もじ』をあらわし、そのなかで「いや文字もじごと」をもとにして「を・お・ほ」、「わ・は」、「む・う・ふ」のしょれい大幅おおはば増補ぞうほした。『仮名かめい文字もじ』の序文じょぶん冒頭ぼうとうにはつぎのようにえる。

京極きょうごく中納言ちゅうなごん定家さだいえきょう〉、家集かしゅう拾遺しゅういそう清書せいしょ祖父そふ河内かわうちぜんつかさ大炊おおいすけおやぎょうあつらえもうされけるときおやぎょうさるうん、を・お・え・ゑ・へ・い・ゐ・ひとう文字もじせいかよひたるあやまあるによりて、其字のわきがたきことざいこれしかあいだ、此次をもて後学こうがくのためにじょうをかるべきよし黄門こうもんさるしょに、われもしからいよりおもえよりし也、さらばしゅ爨が所存しょぞんぶん書出かきだして、すすむよしつくられけるあいだ大概たいがい如此注進ちゅうしんしょに、さるしょ悉其かのうへりとて、のり合点がてんせられ畢… — 仮名がな文字もじ序文じょぶん

これによれば『仮名かめい文字もじ』にしるされる仮名遣かなづかいは、くだりおもね祖父そふであるおやぎょう定家さだいえにその私家集しかしゅうである『拾遺しゅういそう』の清書せいしょたのまれたことがあったが、そのときおやぎょう仮名遣かなづかいについて提案ていあんしたところ、定家さだいえ承認しょうにんけたものがもとになっているとするが、このはなし定家さだいえ権威けんい利用りようするための虚構きょこうであろうといわれている。またぎょうおもね弘法大師こうぼうだいしによってつくられたとされる「いろは仮名がなよんじゅうなな文字もじ神聖しんせいしており、それらは発音はつおんおなじであっても使つかけるべきであるとした。その仮名遣かなづかいについては「を」と「お」をアクセントで区別くべつするなど定家さだいえ使つかけに沿っているが、和歌わか使つかわれる言葉ことばだけではなく日常にちじょう使つか言葉ことばおおられている。『仮名かめい文字もじ』は定家さだいえ権威けんいあずかって仮名遣かなづかいの規範きはんとしてひろまり、のちにその内容ないようをさらに増補ぞうほされながらもちいられた。

しかしぎょうおもねが『仮名かめい文字もじ』をあらわしたころ、日本語にほんごにはおおきなアクセントの変化へんかこりつつあった。その変化へんかのひとつとして、それまでのアクセントで低音ていおん[wo](お)だったものが、高音こうおん[wo](を)となるれいおおあらわれ、また現代げんだいおなじように、ふた以上いじょう言葉ことば複合語ふくごうごになるとアクセントが変化へんかするようになっていたのである(それまでは複合語ふくごうごになっても、それぞれの言葉ことばのアクセントは維持いじされていた)。これにより実際じっさいのアクセントがそれまでいていた仮名遣かなづかいとはちがうようになり、「を」と「お」をアクセントでける方法ほうほう完全かんぜん混乱こんらんする。このアクセントの変化へんかについて当時とうじ人々ひとびとこうおもねふくめて自覚じかくすることができず、定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいは「おとにもあらず、ただし言葉ことば意味いみにもあらず、いづれのへん典籍てんせききてさだめたるにか、おぼつかなし」(『せんげんしょう』)という批判ひはんけることにもなったが、以後いご仮名かめい文字もじ』はアクセントとは無関係むかんけいの、慣例かんれいによってさだめられた仮名遣かなづかいとして使つかわれることになる。

藤原ふじわら定家さだいえによって権威けんいづけをされた定家さだいえ仮名遣かなづかい歌人かじん知識ちしきじん中心ちゅうしんおこなわれ、一般いっぱんにも仮名遣かなづかいの規範きはんとしてられた。それはうた人定じんてい権威けんいだけでれられていたわけではなく、仮名かめい正書法せいしょほうとして当時とうじ社会しゃかいみとめられ使つかわれていたのである。しかし江戸えど時代じだいになると国学こくがくしゃ契沖けいちゅうが、仮名遣かなづかいについての「研究けんきゅう」を元禄げんろく8ねん1695ねん)に『和字わじせい濫抄』としてし、定家さだいえ仮名遣かなづかいられる仮名遣かなづかいはふる文献ぶんけん(『万葉集まんようしゅう』や『日本書紀にほんしょき』など)にえるものとはちがっており、あやまりがあると批判ひはんした。それにたいし、たちばな成員せいいん定家さだいえ仮名遣かなづかい擁護ようごする立場たちばから『やまと古今ここん通例つうれい全書ぜんしょ』をあらわして契沖けいちゅう反論はんろんし、契沖けいちゅうはまたこれに反駁はんばくしたが、結局けっきょくそれは仮名遣かなづかいについて、なぜそうくのかの根拠こんきょ議論ぎろん終始しゅうししてしまった。

その契沖けいちゅうの『和字わじせい濫抄』は国学こくがくしゃあいだひろ支持しじされたが、定家さだいえ仮名遣かなづかい歌壇かだん中心ちゅうしん支持しじされつづけた。表記ひょうき根拠こんきょがどうであろうと、それまでながらく尊重そんちょうされ使つかわれてきた定家さだいえ仮名遣かなづかい規範きはんとしてすでにみとめられており、これを使つかつづけるのに特段とくだん不都合ふつごうはなかったからである。そしてこの状況じょうきょうは『和字わじせい濫抄』でかれた契沖けいちゅう仮名遣かなづかいを、明治めいじ政府せいふ学校がっこう教育きょういく採用さいようする(いわゆる歴史れきしてき仮名遣かなづかい採用さいよう)までつづいた。現在げんざいでは、定家さだいえ仮名遣かなづかい学問がくもんてきには歴史れきしてき仮名遣かなづかい不完全ふかんぜんなものとして做されている。

定家さだいえ文字もじつかかた

編集へんしゅう

以下いか本来ほんらい仮名遣かなづかいにかかわることではないが、定家さだいえ場合ばあいそのさだめた仮名遣かなづかいと密接みっせつかかわっていることなのであえてげる。

定家さだいえ古典こてん書写しょしゃ校訂こうていのために仮名遣かなづかいをさだめたが、それはたん仮名遣かなづかいだけをさだめてしとしたわけではない。うえれたように定家さだいえは「こし」の変体へんたい仮名がなをアクセントに左右さゆうされない文字もじとして使用しようしていたが、ほかの変体へんたい仮名がなについてもほんうつうえでの使つかけがなされていた。ほんうつしていて1ぎょうえると、当然とうぜんくだりうつることになるが、定家さだいえはそのときまえくだりおな仮名がなならんだ場合ばあいには、ちが字体じたい仮名かめいもちいている。たとえば行頭ぎょうとうに「あはれ」という言葉ことばがあり、そのつぎくだりもやはり「あはれ」という言葉ことばはじめなければならない場合ばあい以下いかのように変体へんたい仮名がなの「おもね」を使つかって「おもねはれ」といている。

はれ………
おもねはれ………

これは写本しゃほんつくじょうおな文字もじ複数ふくすうくだりわたって横並よこならびになると、目移めうつりしてとしやあやまりをしやすいので、それをけるための配慮はいりょであった。「こし」の仮名かめいうえべた掛詞かけことばのほかに、このように目移めうつりさせない工夫くふうのために使つかわれており、定家さだいえ写本しゃほんなかでは「こし」や「おもね以外いがい変体へんたい仮名がなでもこのような使つかかたられる。

また、当時とうじ仮名かめいぶん基本きほんてき漢語かんご漢字かんじくようになっていたが、漢語かんごではない和語わご文章ぶんしょうみやすくするために漢字かんじしるされていた。『土佐とさ日記にっき』にも和語わご漢字かんじをあててれいられるが、定家さだいえはこうした和語わご漢字かんじをあてることについても、規範きはんもうけて使つかけをしている。たとえば「よる」と「よ」いずれも漢字かんじでは「よる」のをあてる言葉ことばには、「よる」は仮名書かながきとし「よ」は「よる」の漢字かんじきしている。「よる」という漢字かんじだけだと「よる」と「よ」いずれにむのかわからないので、一方いっぽうだけに漢字かんじをあてるようさだめたのである。「よ」という一文字ひともじ言葉ことばでは、言葉ことばまぎれてあやまりなどしやすいという配慮はいりょからでもあった。これはほかにも「きぬ」・「ころも」では「ころも」だけに「ころも」の漢字かんじをあてるなどのれいられる。それ以外いがいにも、和語わご適度てきど漢字かんじをあててみやすくするよう配慮はいりょがなされている。

ほかにも『したかんしゅう』では、仮名かめいつづさいには意味いみのわかりづらい文字もじつづかたをしてはならないとか、和歌わかを2ぎょうけてくときはかみしもにそれぞれきちんとけてけというような記述きじゅつられるが(『したかんしゅう』のこう参照さんしょう)、定家さだいえさだめた仮名遣かなづかいは、以上いじょうのような用字ようじ書式しょしきのありかたのなかまれて使つかわれていたといえる。つまり写本しゃほん本文ほんぶんしるうえで、定家さだいえにとって文字もじをどのようにつづりまたつかえば間違まちがいがないかということを追求ついきゅうした結果けっか仮名遣かなづかいにも規範きはんもうけたほうがよいと判断はんだんしたということであり、その仮名遣かなづかいは本来ほんらいこうした仮名かめい字体じたい漢字かんじつかかたならびに書式しょしき不可分ふかぶんのものであった。しかしのちの定家さだいえ仮名遣かなづかいではこれらのような技術ぎじゅつつたわらず、ただ仮名遣かなづかいだけが仮名かめいける規範きはんとしてつたわることになったのである。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福井ふくい久蔵きゅうぞうへん 『国語こくごがく大系たいけいだいきゅうかん 仮名遣かなづかいいち』 厚生こうせいかく、1940ねん
  • 小松こまつ英雄ひでお 『いろはうた』〈『中公新書ちゅうこうしんしょ』558〉 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1979ねん
  • 小松こまつ英雄ひでお 『日本語にほんご書記しょき原論げんろん』 笠間かさま書院しょいん、1998ねん
  • 浅田あさだとおる 「したかんしゅうしょほん」 『国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん紀要きようだい26ごう 人間にんげん文化ぶんか研究けんきゅう機構きこう国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん、2000ねん
  • 浅田あさだとおる 「したかんしゅう定家さだいえ」 『国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん紀要きようだい27ごう 人間にんげん文化ぶんか研究けんきゅう機構きこう国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかん、2001ねん
  • 冷泉れいせん時雨しぐれてい文庫ぶんこへん 『せん和歌集わかしゅう 天福てんぷくねんほん』(『冷泉れいせん時雨しぐれてい文庫ぶんこ叢書そうしょだいろくだいろくじゅういちかい配本はいほん) 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2004ねん

関連かんれん項目こうもく

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