尊王 論
概要
朱子学 との関係
なお
自由党 の尊王 論
世 に尊王 家 多 しと雖(いえど)も吾 (わが)自由党 の如 き(尊王 家 は)あらざるべし。世 に忠臣 少 からずと雖も、吾 自由党 の如 き(忠臣 )はあらざるべし。(中略 )吾 党 は我 皇帝 陛下 をして英 帝 の尊 栄 を保 たしめんと欲 する者 也。(中略 )吾 党 は深 く我 皇帝 陛下 を信 じ奉 る者 也。又 堅 く我国 の千歳 に垂 るるを信 ずる者 也。吾 党 は最 も我 皇帝 陛下 の明治 元年 三 月 十 四 日 の御 誓文 (五 箇条 の御 誓文 )、同 八 年 四 月 十 四 日 立憲 の詔勅 、及客年 十 月 十 二 日 の勅 諭 を信 じ奉 る者 也。既 に我 皇帝 陛下 には「広 く会議 を興 し万 機 公論 に決 すべし」と宣 (のたま)ひ、又 「旧来 の陋習を破 り天地 の公道 に基 くべし」と宣 (のたま)ひたり。吾 党 、固 (もと)より我 皇帝 陛下 の之 (これ)を履行 し、之 (これ)を拡充 し給 ふを信 ずる也。又 、立憲 の政体 を立 て汝 衆 庶と俱(とも)に其慶幸 に頼 (たよ)らんと欲 す。(中略 )既 に立憲政体 を立 てさせ給 ひ、其慶幸 に頼 らんと宣 ふ以上 は、亦 吾 党 に自由 を与 へ吾 党 をして自由 の民 たらしめんと欲 するの叡慮 なることを信 ずる也。(中略 )況 や客年 十 月 の聖 諭 の如 きあり。断然 二 十 三 年 を以 て代議士 を召 し国会 を開設 せんと叡 断 あるに於 ておや。(中略 )故 に吾 党 が平生 自由 を唱 え権利 を主張 する者 は悉 く仁慈 皇帝 陛下 の詔勅 を信 じ奉 り、一 点 (の)私心 を(も)其間に挟 まざる者 也。(中略 )斯(かく)の如 くにして吾 党 は皇帝 陛下 を信 じ、我 皇帝 陛下 の意 の在 る所 に随 ふて、此立憲政体 の慶 幸 に頼 らんと欲 する者 也。(中略 )方今 、支 那 、魯西亜 (ロシア)、土 耳 古 (トルコ)諸 邦 の形状 を察 すれば、其帝王 は驕傲 無礼 にして人民 を軽侮 し土 芥 之 を視 、人民 は其帝王 を畏 懼し、或 は怨望し雷霆 の如 く、讎敵の如 くし、故 に君民 上下 の間 に於 て曾(かつ)て其親睦 愛情 の行 はるる事 なし。(中略 )今 、吾 党 の我 日本 皇帝 陛下 を尊崇 する所以 (ゆえん)は、固 (もと)より支 那 、土 耳 古 (トルコ)の如 きを欲 せざる也。又 、大 (おおい)に魯西亜 (ロシア)の如 きを好 まざる也。吾 党 は我 人民 をして自由 の民 たらしめ、我 邦 をして文明 の国 に位 し、(皇帝 陛下 を)自由 貴重 の民 上 に君臨 せしめ、無上 の光栄 を保 ち、無比 の尊崇 を受 けしめんと企図 する者 也。(中略 )是 吾 党 が平生 堅 く聖旨 を奉 じ、自由 の主義 を執 り、政党 を組織 し、国事 に奔走 する所以 (ゆえん)也。乃(すなわ)ち皇国 を千載 に伝 へ、皇統 を無窮 に垂 れんと欲 する所以 (ゆえん)なり。世 の真理 を解 せず、時 情 を悟 らず、固陋 自 ら省 みず、妄(みだ)りに尊王 愛国 を唱へ、却(かえっ)て聖旨 に違 (たが)ひ、立憲政体 の準備 計画 を防遏 (ぼうあつ)し、皇 家 を率 ゐて危難 の深淵 に臨 まんと欲 する者 と同一 視 すべからざる也。是 れ吾 党 が古今 尊王 家 多 しと雖(いえど)も我 自由党 の如 くは無 し、古今 忠臣 義士 尠(すくな)からずと雖も我 自由党 諸氏 が忠 愛 真実 なるに如(し)かずと為 (な)す所以 (ゆえん)なり。
『自由党 の尊王 論 』板垣 退助 著