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当世具足 - Wikipedia

当世とうせい具足ぐそく

室町むろまち時代じだい後期こうきから安土あづち桃山ももやま時代じだいしょうじたよろい形式けいしき

当世とうせい具足ぐそく(とうせいぐそく)とは、日本にっぽん甲冑かっちゅう分類ぶんるい名称めいしょうひとつ。鉄砲てっぽう伝来でんらい戦闘せんとうだい規模きぼによる武器ぶき戦術せんじゅつ進歩しんぽ南蛮なんばん貿易ぼうえきなどによる西洋せいよう甲冑かっちゅう影響えいきょうなどの要因よういんにより、室町むろまち時代ときよ後期こうき戦国せんごく時代じだいから安土あづち桃山ももやま時代じだいしょうじた甲冑かっちゅういち形式けいしき。「当世とうせい」とは「現代げんだい」の意味いみで、当時とうじ従来じゅうらいよろいとはちがあたらしい様式ようしき甲冑かっちゅうであったため、そのようばれた。たん具足ぐそくともばれる。

しゅうるしぬり矢筈やはずさつこんいとかか具足ぐそくつて豊臣とよとみ秀次しゅうじ所用しょよう)、安土あづち桃山ももやま時代じだい、16 - 17世紀せいきサントリー美術館びじゅつかんくら
紀州きしゅう徳川とくがわ伝来でんらいきむしょうさつこんいと褸紅おどし二枚胴具足蟷螂立物、江戸えど時代じだい、17世紀せいき中頃なかごろミネアポリス美術館びじゅつかんくら)。2009ねん当時とうじ日本にっぽん甲冑かっちゅうとしてはクリスティーズ史上しじょう最高さいこうがくの5500まんえん落札らくさつされた[1]

歴史れきし特徴とくちょう

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かただつまいどう具足ぐそくつて加藤かとう清正きよまさ所用しょよう)、安土あづち桃山ももやま - 江戸えど時代じだい・16 - 17世紀せいき東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう
 
南蛮なんばんどう具足ぐそくつて明智あけち光春みつはる所用しょよう)、安土あづち桃山ももやま時代じだい - 江戸えど時代じだい・16 - 17世紀せいき東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう
 
中世ちゅうせい復古ふっこ調ちょう納戸なんどいと雲龍うんりゅう蒔絵まきえ山道さんどうあたまおけがわまいどう具足ぐそく江戸えど時代じだい・19世紀せいき東京富士とうきょうふじ美術館びじゅつかんくら

平安へいあん時代じだい以降いこうだいよろい胴丸どうまる南北なんぼくあさから室町むろまち時代じだい前期ぜんきにかけては、胴丸どうまる腹巻はらまきといった伝統でんとうてき形式けいしき甲冑かっちゅう主流しゅりゅうであったが、戦国せんごく時代じだいはいると、戦闘せんとうだい規模きぼによる集団しゅうだんせんや、鉄砲てっぽう伝来でんらいによる鉄砲てっぽうせんといった戦法せんぽう変化へんかともなって、製作せいさく簡便かんべん大量たいりょう生産せいさんてきしながらも、たか防御ぼうぎょせい装着そうちゃく機動きどうせいそなえる甲冑かっちゅうもとめられた。これらにおうじて、当時とうじ下克上げこくじょう風潮ふうちょう反映はんえいして誕生たんじょうした甲冑かっちゅう当世とうせい具足ぐそくである[2]

従来じゅうらいだいよろい胴丸どうまる腹巻はらまきなどが、かわしょうさつ(こざね)をいろいとつづった、華美かびではあるが大量たいりょう生産せいさんにはかない構造こうぞうであったのにたいして、当世とうせい具足ぐそくではどう部分ぶぶんしょうさつ大型おおがたしたり、よこいちれつかくしょうさついちまいいたえたいたさつ(いたざね)構造こうぞう発展はってんしたり、全面ぜんめんてきいちまいいたになったりして構造こうぞう簡素かんそになり大量たいりょう生産せいさん可能かのうとなった。またこれらのしょうさついたさつてつ製作せいさくされることもおおくなり防御ぼうぎょせい向上こうじょうした。これにより甲冑かっちゅう柔軟じゅうなんせいうしなわれため、蝶番ちょうつがい構造こうぞう使つかってどう部分ぶぶん開閉かいへいして着脱ちゃくだつする方式ほうしきあらためられた[2]

こうして構造こうぞう簡素かんそされて製作せいさく簡便かんべんになったことで、かえって甲冑かっちゅうのデザインに注力ちゅうりょくすることができるようになり、合戦かっせんだい規模きぼによりてき味方みかた識別しきべつ必要ひつようせい戦場せんじょうでの自己じこ顕示けんじ目的もくてきもあって、甲冑かっちゅうのデザインの多様たようせいすことになった。従来じゅうらい甲冑かっちゅうではしょうさつつづいといろくらいでしか一目いちもく区別くべつできなかったが、当世とうせい具足ぐそくでは多種たしゅ多様たよう形式けいしきやデザインが存在そんざいする。たとえばかぶと装着そうちゃくするぜんだては、だいよろいなどではくわがたいち種類しゅるいしか存在そんざいしないが、当世とうせい具足ぐそくにおいては、文字もじ家紋かもん左右さゆう非対称ひたいしょうデザインなど多種たしゅ多様たようなものが存在そんざいする。どう部分ぶぶんてつ表面ひょうめんかみって装飾そうしょくほどこして奇抜きばつなデザインを実現じつげんしたり、しょうさついろいとどう貼付ちょうふけて、胴丸どうまる当世とうせい具足ぐそく折衷せっちゅうしたかのようなデザインに仕上しあげたものも存在そんざいする。一方いっぽう仙台せんだいはん伊達だてまさしむねくろうるしぬりまいどう具足ぐそくのように、大将たいしょう武将ぶしょうクラスはどういち形式けいしき具足ぐそく統一とういつしてユニフォームし、だてぶつぶつなどで差別さべつするれいもあった[3]

当世とうせい具足ぐそく胴丸どうまる改良かいりょうするかたちで発展はってんし、おけがわどうふつどう最上もがみどうひとしその形式けいしきおおく、かおおお面頬めんぼう(めんぼお)、太腿ふとももおおう佩楯(はいだて)とう付属ふぞくする小具足こぐそく充実じゅうじつした。欧州おうしゅう甲冑かっちゅうプレートアーマー輸入ゆにゅう改造かいぞうしたものもあり、それらは南蛮なんばんどう南蛮なんばんかぶとばれる。これらはのち国産こくさんがなされ、鉄砲てっぽう弾丸だんがんらせるため具足ぐそく曲線きょくせん傾斜けいしゃ多用たようした工夫くふうほどこされている。かぶとにも様々さまざま形式けいしきしょうじ、実用じつようせいとともに当時とうじ武士ぶし気性きしょう反映はんえいしたはなやかで奇抜きばつ装飾そうしょくせいったものもおお[2]

このように、当世とうせい具足ぐそくではどうかぶと堅牢けんろうなものになったが、うごきやすさを重視じゅうししてうであし一部いちぶおお部分ぶぶんてつ小片しょうへんつづったり鎖帷子くさりかたびら形式けいしき形態けいたい従来じゅうらい形式けいしき踏襲とうしゅうしており、従来じゅうらい胴丸どうまるとうおなじく西洋せいようラメラーアーマーおな構造こうぞう原理げんりであった。

武将ぶしょう一人ひとり多数たすう甲冑かっちゅう所有しょゆうすることもあり、たとえば徳川とくがわ家康いえやす所用しょようひん久能山くのうざん東照宮とうしょうぐう日光にっこう東照宮とうしょうぐう紀州きしゅう東照宮とうしょうぐう徳川とくがわ美術館びじゅつかん徳川とくがわミュージアム東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんなどにすうじゅうひん確認かくにんされている[4][5][6]

江戸えど時代じだいはいり1615ねん大坂おおさかなつじん江戸えど幕府ばくふ豊臣とよとみほろぼし、元和がんわ偃武むかえて太平たいへい謳歌おうかするようになると、せん当世とうせい具足ぐそく使つかわれることもなくなり、かざったとき豪華ごうかさを目的もくてき本来ほんらい必要ひつようのない部品ぶひんけられたり、豪華ごうか蒔絵まきえほどこされたりなど、当世とうせい具足ぐそく虚飾きょしょくくわえられるようになった。江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこう中世ちゅうせい復古ふっこ調ちょう流行はやり、だいよろい胴丸どうまる腹巻はらまき模範もはんとして甲冑かっちゅうつくられたが、当世とうせい具足ぐそく様式ようしきざったりしてかならずしも時代じだい考証こうしょうのっとったものではない甲冑かっちゅう製作せいさくされた。その明治維新めいじいしんによる武士ぶし階級かいきゅう消滅しょうめつ軍備ぐんび近代きんだいともない、1877ねん西南せいなん戦争せんそう最後さいご実用じつようきょうされることはなくなった[2]

構造こうぞう

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当世とうせい具足ぐそく特徴とくちょうてき独創どくそうてきなデザインのかぶとどう部分ぶぶんいたさつかおかたまも面頬めんぼう当世とうせいそでれる。しゅうるしぬり矢筈やはずさつこんいとかか具足ぐそくつて豊臣とよとみ秀次しゅうじ所用しょよう)、16-17世紀せいき安土あづち桃山ももやま時代じだいサントリー美術館びじゅつかんくら
 
豊臣とよとみ秀吉ひでよし所用しょようとされる富士ふじ神火しんかぶんくろ羅紗らしゃ陣羽織じんばおり参考さんこうにして19世紀せいき初頭しょとうから中頃なかごろ江戸えど時代じだいつくられた陣羽織じんばおり。メトロポリタン美術館びじゅつかんぞう

いたさつ

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いたさつ(いたざね)。平安へいあん時代じだい以来いらい使用しようされてきた胴丸どうまるは、しょうさつ(こざね)とばれるてつかわせいちいさないたひもとう縦横じゅうおうじてつくられており、その作成さくせい複雑ふくざつ手間てまのかかるものであった。そこで、生産せいさん簡易かんいはかるため、しょうさつよこいちだんいちまいいた作成さくせいするいたさつされた。いたさつ制作せいさく比較的ひかくてき容易よういであるとともにいちまいいたであるため、小板こいたより強固きょうこであり防御ぼうぎょせいにもすぐれていた。このいたさつひもなどでたてつなわせたりびょうめるなどして、どう本体ほんたいそで・錣(しころ)とう各部かくぶ構成こうせいする。

蝶番ちょうつがい

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ちいさな鉄板てっぱんひもつなわせたしょうさつせいよろいちがい、横長よこなが鉄板てっぱんでできたいたさつよろい柔軟じゅうなんせいいため、そのままでは脱着だっちゃくがしにくい。そのため、どう本体ほんたい前後ぜんご2- 6まい程度ていど分割ぶんかつし、それぞれを蝶番ちょうつがいつなぐことで脱着だっちゃく容易よういにした。どうみぎわきわせるものがおおく、これは胴丸どうまる同様どうようである。蝶番ちょうつがいつないだいたかずによりまいどうろくまいどうとう名称めいしょう分類ぶんるいされることもあるが、おおくはまいどうまいどうである。

当世とうせい具足ぐそくどう防御ぼうぎょする面積めんせきすため、一般いっぱんてきに、ちょうがわ(ながかわ、腹部ふくぶ)・ぜんたてきょ(まえたてあげ、胸部きょうぶ)・こうたてきょ背部はいぶ)の段数だんすう胴丸どうまるより1だんおおくなっている。しかし、しょうさついたさつとうもちいず前後ぜんご2まい鉄板てっぱんつくられたものなど様々さまざま形式けいしきがあり、打出うちでもりじょううるしぬり金箔きんぱく押などの技法ぎほうによって個性こせいてき装飾そうしょくほどこされたものもおおい。下部かぶ草摺くさずりは7まい一般いっぱんてきである。 おけがわどうふつどう最上もがみどうゆきしたどう(仙台せんだいどう)、仁王におうどうだんがえどうたたみどうむねふつどう南蛮なんばんどうひとしがある。

おけがわどう てつやネリかわもちいてつくられたいたさつ(いたざね)をめしてつくったどうのことで、まいどうまいどう形式けいしきがある。めの方法ほうほうにはたてはぎよこはぎがあり、める方法ほうほうによってびょうつづりどうひしつづりどうむねつづりどうなどにけられる。さらに、おけがわふつどうつつみふつどうばれる形式けいしきなどもあり、当世とうせい具足ぐそくなかではもっとも数多かずおお作例さくれいのこされている。

えりまわり小鰭こはだ

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えりまわり(えりまわし)、小鰭こはだ(こびれ)。くび周囲しゅういかた上部じょうぶまも部品ぶひんとして付属ふぞくする。

ごうとう、受筒、待受まちうけ

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ごうとう(がったり)、受筒(うけづつ)、待受まちうけ(まちうけ)。戦国せんごく時代じだい戦闘せんとう参加さんか人数にんずう増加ぞうかともない、部隊ぶたい個人こじん識別しきべつするために目印めじるしとして旗指物はたさしもの(はたさしもの)とばれるのぼりさまのものを背中せなかして戦闘せんとうおこなった。そのため、当世とうせい具足ぐそく背部はいぶには指物さしものすための装置そうちごうとう、受筒、待受まちうけ)が付属ふぞくする。

小具足こぐそく

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小具足こぐそく(こぐそく)。顔面がんめんのど防御ぼうぎょする面頬めんぼう(めんほお)・たれ(たれ)、かたには小型こがた軽快けいかい当世とうせいそで(とうせいそで)、うでかごしゅあしに佩楯(はいだて)、臑当すねあて(すねあて)など、からだかく部分ぶぶん防御ぼうぎょするための部品ぶひんである小具足こぐそく付属ふぞくした。小具足こぐそく装着そうちゃくすることによってからだのほとんどの部分ぶぶん装甲そうこう防御ぼうぎょすることができたが、防御ぼうぎょせいだけでなく着用ちゃくようしゃ負担ふたんかんじさせない軽量けいりょううごきやすいことを重視じゅうしした構造こうぞうにもなっている。装飾そうしょくほどこされたものおおい。

かぶと(かぶと)。付属ふぞくするかぶとにも機能きのうせい生産せいさんせい向上こうじょうはかられた。伝統でんとうてきほしかぶとすじかぶとほかあたまがたかぶと(ずなりかぶと)、ももがたかぶとわりかぶとなど様々さまざま形式けいしきかぶともちいられ、実用じつようせい追求ついきゅうする一方いっぽう装飾そうしょくせいした。

各部かくぶ名称めいしょう

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当世とうせい具足ぐそく各部かくぶ名称めいしょう
 
てつ肉色にくいろうるしぬりれつぜいしたほおとう 曲輪くるわづけ江戸えど時代じだい中期ちゅうき・18世紀せいき東京富士とうきょうふじ美術館びじゅつかんくら
  1. どう (どう) - みぎのものはふつどう
  2. 草摺くさずり (くさずり)
  3. 佩楯 (はいだて)
  4. たてきょ (たてあげ)
  5. 臑当すねあて (すねあて) - みぎしの臑当すねあてしの金物かなもの[しのがなもの]を布地ぬのじじつけた形式けいしき臑当すねあて)。
  6. かぶとかか (こうがけ)
  7. そで (そで) - 「当世とうせいそで」ともう。
  8. かごしゅ (こて) - みぎしのかごしゅ
  9. 手甲てっこう (てっこう、てこう) - みぎは摘手甲てっこう(つみてっこう)。
  10. かぶとはち (かぶとばち) - かぶと頭部とうぶおお部位ぶいみぎ日根野ひねの[7]あたまがた
  11. 腰巻こしまき (こしまき)
  12. まゆひさし (まびさし) - かぶとがくひさし(ひさし)。帽子ぼうし用語ようごまゆひさし」(つば)とおなじ。
  13. 吹返 (ふきかえし)
  14. (しころ) - みぎ日根野ひねのしころ。
  15. だてぶつ (たてもの) - みぎ水牛すいぎゅう脇立わきだち(わきだて)。
  16. だてぶつ - みぎ日輪にちりんぜんだて(まえだて)。
  17. 面頬めんぼう (めんぽお、めんぽう) - ほおまもる。
  18. たれ (たれ)
  19. えりまわり (えりまわし)

有名ゆうめい当世とうせい具足ぐそく

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  • くろうるしぬりまいどう具足ぐそく (くろうるしぬり ごまいどう ぐそく) - 伊達だてまさしむね所用しょよう仙台せんだい博物館はくぶつかんぞう
    • ユニフォームはかった仙台せんだいはん代表だいひょうする具足ぐそくで、足軽あしがるいたるまでどういち形式けいしき具足ぐそく統一とういつされている。かぶとぜんだて左右さゆう非対称ひたいしょう三日月みかづきがたになっているのが特徴とくちょうだが、デザインセンスのみならず、かたなとき邪魔じゃまにならないように右側みぎがわちいさくするという実用じつようじょう意味合いみあいもある。代々だいだい仙台せんだい藩主はんしゅも、おな形式けいしき具足ぐそく所用しょようしている。
 
徳川とくがわ家康いえやす南蛮なんばん具足ぐそく
  • 南蛮なんばんどう具足ぐそく (なんばんどう ぐそく) - 徳川とくがわ家康いえやす所用しょよう日光にっこう東照宮とうしょうぐうぞう
    • ウィリアム・アダムス漂着ひょうちゃくしたことられる、リーフデごう積載せきさいされた海兵かいへいようプレートアーマー回収かいしゅうし、当世とうせい具足ぐそく形式けいしきとしたもの。家康いえやすだけでなく、主要しゅよう家臣かしんにも分与ぶんよされている。
  • 伊予いよさつくろいとたけし胴丸どうまる具足ぐそく (いよざね くろいとおどし どうまる ぐそく) - 徳川とくがわ家康いえやす所用しょよう久能山くのうざん東照宮とうしょうぐうぞう
    • 関ヶ原せきがはらたたか前夜ぜんや家康いえやす大黒天だいこくてんゆめつくらせたという伝説でんせつのこる。歯朶しだ前立まえだてがくことから「歯朶しだ具足ぐそく」とばれる。大坂おおさかじん着用ちゃくようしたとつたわる。
  • きむ溜塗ためぬりまいどう具足ぐそく (きんためぬり にまいどう ぐそく) - でん徳川とくがわ家康いえやす所用しょよう久能山くのうざん東照宮とうしょうぐうぞう
    • 金箔きんぱくうるし仕上しあげてあり色彩しきさい派手はでであるが、付加ふかてき装飾そうしょく一切いっさいく、意匠いしょう単純たんじゅんである。家康いえやす初陣ういじんさい今川いまがわ義元よしもと人質ひとじちとして辛酸しんさんめていた当時とうじ)に着用ちゃくようしたとつたわる。
  • あぜつづりおけがわどう具足ぐそく (うなめとじ おけがわどう ぐそく) - 細川ほそかわ忠興ただおき所用しょようえいあお文庫ぶんこぞう
    • 実戦じっせん重視じゅうし身動みうごきがとりやすいよう最低限さいていげん防御ぼうぎょそなえたえつ中流ちゅうりゅうばれる甲冑かっちゅうのち細川ほそかわ御家流おいえりゅうとなった。
  • きむしょうさつ白絲しらいともとかか胴丸どうまる具足ぐそく (きんこざね しろいとすがけおどし どうまるぐそく) - 前田まえだ利家としいえ所用しょよう前田まえだいくとくかいぞう
    • 前田まえだ利家としいえ末森すえのもりじょうたたかいで着用ちゃくようしたとつたわる。胴丸どうまるから当世とうせい具足ぐそくへの進化しんかがみられる貴重きちょうしな
  • 片肌かたはだだつどう具足ぐそく (かたはだぬぎどう ぐそく) - つて加藤かとう清正きよまさ所用しょよう東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかんぞう
    • 肌色はだいろった当世とうせい具足ぐそくうえに、胴丸どうまるしていろいと貼付ちょうふけており、あたかも胴丸どうまるはんぎにしたような意匠いしょうになっている。
  • しゅうるしぬりおけがわどう具足ぐそく (しゅうるしぬり おけがわどう ぐそく) - つて井伊いい直政なおまさ所用しょよう彦根城ひこねじょう博物館はくぶつかんぞう
    • 井伊いい直政なおまさは、配下はいかへいまですべしゅりの具足ぐそく統一とういつし、「井伊いいあかそなえ」としてられる。
  • くろいとまいどう具足ぐそく (くろいとおどし にまいどう ぐそく) - つて本多ほんだ忠勝ただかつ所用しょよう個人こじんぞう
  • きむしょうさつ浅葱あさつきまいどう具足ぐそく (きんこざね あさぎおどし にまいどう ぐそく) - つて直江なおえけんつづけ所用しょよう上杉うえすぎ神社じんじゃぞう
    • かぶとぜんだてが、「あい」の文字もじになっていることられる。

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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