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木更津港 - Wikipedia

木更津きさらづこう

千葉ちばけん木更津きさらづみなと

木更津きさらづこう(きさらづこう)は、千葉ちばけん木更津きさらづおよび君津きみつ富津とみつまたが港湾こうわんほううえ重要じゅうよう港湾こうわん重点じゅうてん港湾こうわん)である。みなとそくほううえ特定とくていこう指定していされており、日本にっぽんさんだい港湾こうわん国際こくさいバルク戦略せんりゃく港湾こうわん総合そうごう静脈じょうみゃく物流ぶつりゅう拠点きょてんみなとふくまれる。港湾こうわん管理かんりしゃ千葉ちばけん

木更津きさらづこう
Kisarazu Port
木更津きさらづこう周辺しゅうへん
所在地しょざいち
くに 日本の旗 日本にっぽん
所在地しょざいち 千葉ちばけん木更津きさらづ君津きみつ富津とみつ
座標ざひょう 北緯ほくい3522ふん43びょう 東経とうけい13953ふん57びょう / 北緯ほくい35.37861 東経とうけい139.89917 / 35.37861; 139.89917座標ざひょう: 北緯ほくい3522ふん43びょう 東経とうけい13953ふん57びょう / 北緯ほくい35.37861 東経とうけい139.89917 / 35.37861; 139.89917
詳細しょうさい
開港かいこう 1968ねん昭和しょうわ43ねん)4がつ
管理かんりしゃ 千葉ちばけん
種類しゅるい 重要じゅうよう港湾こうわん
面積めんせき やく7,300 ha
LOCODE JP_KZU
統計とうけい
統計とうけい年度ねんど 2015年度ねんど参考さんこう
発着はっちゃくすう 1まん7621せき入港にゅうこうすうのみ)
貨物かもつ取扱とりあつかいりょう やく7000まん t

近年きんねんでは京葉けいよう工業こうぎょう地帯ちたい一翼いちよくにな工業こうぎょうみなとかぎらず、みなとオアシス木更津きさらづとしてみなと一帯いったいみなとオアシス登録とうろくし、マリーナ旅客りょかくターミナルおよび交流こうりゅう拠点きょてん施設しせつとして「きさらづうみえきおよ木更津きさらづマリーナが整備せいびされた。大型おおがたクルーズせんぱしふぃっくびいなす」の入港にゅうこうにクルーズ・オブ・ザ・イヤー特別とくべつしょう受賞じゅしょうした。みなと玄関げんかんこうかぶなかしまかるなかしま大橋おおはし恋人こいびと聖地せいち指定していされており、親水しんすい空間くうかんとともに本港ほんこう良好りょうこう視点してんじょうとなっている。

なかしま大橋おおはしよりのぞむ、木更津きさらづこう全景ぜんけい

概要がいよう

編集へんしゅう
 
江川えがわ海岸かいがんから木更津きさらづこう工場こうじょう夜景やけい

東京とうきょうこう東岸とうがんのほぼ中央ちゅうおう位置いちし、ふるくから物資ぶっし集散しゅうさんこうとしてさかえてきた。京葉けいよう工業こうぎょう地帯ちたい一翼いちよくにな工業こうぎょうみなととして、重点じゅうてん整備せいびすすめられ、臨海りんかい立地りっちする鉄鋼てっこうぎょうなどに関連かんれんしたそと貿貨ぶつや、すな砂利じゃりなどのうち貿貨ぶつ中心ちゅうしん取扱とりあつかっている。日本にっぽんさんだい港湾こうわんひとつとして千葉ちばけん南部なんぶ地域ちいきにおける経済けいざい社会しゃかい基盤きばんおよび横浜よこはまこう川崎かわさきこう横須賀よこすかこう東京とうきょうこう千葉ちばこうとともに首都しゅとけん発展はってん重要じゅうよう役割やくわりたしている。港湾こうわん管理かんりしゃ千葉ちばけん国連こくれん欧州おうしゅう経済けいざい委員いいんかい(UNECE)が制定せいていしている海港かいこうコード(UN/LOCODE)は「JP_KZU」[1][2]

港湾こうわん区域くいきとしては、木更津きさらづ君津きみつ富津とみつの3にわたり、背後はいごには、かく都市とし市街地しがいち所在しょざいし、これら3人口じんこうわせてやく27まんにんかぞえ、海岸かいがん延長えんちょうは28.447 kmにおよぶ。2014ねん平成へいせい26ねん)1がつ15にち港湾こうわんほう改正かいせいにより東京とうきょうわん開発かいはつ保全ほぜん航路こうろ拡大かくだいしたことにともない、水域すいいき面積めんせきやく7,300 haとなる。

1960年代ねんだいからは京葉けいよう工業こうぎょう地帯ちたい発展はってんともな工業こうぎょうみなととして開発かいはつすすめられ、工業こうぎょう用地ようちなどの造成ぞうせいそとない貿埠頭ふとう整備せいび逐次ちくじすすめられており、1968ねん昭和しょうわ43ねん)にはあいだ税法ぜいほうの「開港かいこう」および重要じゅうよう港湾こうわん指定していける。さら重要じゅうよう港湾こうわんなかでも重点的じゅうてんてき投資とうしする「選択せんたく集中しゅうちゅう」を港湾こうわん政策せいさくにも徹底てっていするという目的もくてき重点じゅうてん港湾こうわん指定していける。鉄鋼てっこうぎょう国際こくさい競争きょうそうりょく強化きょうかはかるため、2011ねん平成へいせい23ねん)5がつ31にち国土こくど交通省こうつうしょうから国際こくさいバルク戦略せんりゃく港湾こうわん選定せんていされ、おも鉄鉱てっこうせき輸入ゆにゅう目的もくてきとし、VLOCきゅう大型おおがた鉱石こうせきせんばら貨物かもつせん)が入港にゅうこうできるよう、岸壁がんぺき泊地はくち航路こうろなどの港湾こうわん機能きのうゆうする拠点きょてんみなととしての整備せいびおこなわれた[3]1975ねん昭和しょうわ50ねん)に完成かんせいしたなかしま大橋おおはし日本一にっぽんいちたか歩道橋ほどうきょうであり、恋人こいびと聖地せいち指定していされている。鳥居崎とりいさき海浜かいひん公園こうえん木更津きさらづこうかぶなかしまとをむす歩道橋ほどうきょうであり、木更津きさらづこう玄関げんかんこうにあたり、木更津きさらづこうから東京とうきょうわん出入でいりする船舶せんぱくはこのはししたをくぐることになる。

江川えがわ海岸かいがんからは木更津きさらづこう富津ふっつ火力かりょく発電はつでんしょ方面ほうめん)の工場こうじょう夜景やけいることができる。自衛隊じえいたい記念きねん行事ぎょうじである観艦式かんかんしきには停泊ていはくである本港ほんこうに、試験しけんかんあすか」、護衛ごえいかんちょうかい」、護衛ごえいかんこんごう」など艦艇かんてい一般いっぱん公開こうかい停泊ていはくこうでは電灯でんとうかんかざりなどもおこなわれる。

みなと区分くぶん

編集へんしゅう

港内こうないは、江川えがわ地区ちく吾妻あづま地区ちくうちこう)、木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく君津きみつ地区ちく富津ふっつ地区ちくの5地区ちくけられている。

木更津きさらづ港湾こうわん範囲はんいには漁港ぎょこうとして指定していしくは呼称こしょうされているみなともあり混同こんどうしやすい。農林水産省のうりんすいさんしょう水産庁すいさんちょうによる港湾こうわん範囲はんいにおいて漁港ぎょこう指定していされているみなと牛込うしごめさかなこう金田かねださかなこう見立みたてこう)、小糸川こいとがわさかなこうだい1しゅ漁港ぎょこう指定していされており、富津ふっつ漁港ぎょこう富津とみつ北港ほくこう)がだい2しゅ漁港ぎょこう指定していされている[4]としては畔戸くろとこう・呑堀こう木更津きさらづ)、富津ふっつ新港しんこう富津とみつ[5] などが一般いっぱん呼称こしょうされている。

吾妻あづま江川えがわ地区ちく

編集へんしゅう

木更津きさらづこううちみなとであり、木更津きさらづこう拠点きょてん地区ちく八幡やはた製鐵せいてつしょげん日本にっぽん製鉄せいてつ)の進出しんしゅつ木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく整備せいびにより、木更津きさらづこう現在げんざいみなとぜいとなった。

1965ねん昭和しょうわ40ねん)より木更津きさらづこう - 川崎かわさきこうあいだ就航しゅうこうしていたフェリーは1997ねん平成へいせい9ねん)12月の東京湾とうきょうわんアクアライン開通かいつうともな廃止はいしとなった。市街地しがいちちか地理ちりてき有利ゆうりせいかして、親水しんすい空間くうかん整備せいび積極せっきょくてきっている。

木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく

編集へんしゅう

木更津きさらづ南部なんぶ地区ちくやく460 haの面積めんせきがあり、混雑こんざつしているうちこうさい開発かいはつ一体いったいとなって整備せいびすすめている地区ちく

水深すいしん4.0 mもの揚場あげばおよび水深すいしん5.5 m 岸壁がんぺき4バース、水深すいしん7.5 m 岸壁がんぺき2バース、水深すいしん4.5 m 岸壁がんぺき4バースを供用きょうようちゅうであり、やますなせき基地きちとして利用りようされている。さらに、そと貿機能きのう強化きょうかとして2バース水深すいしん12 m 岸壁がんぺき260 mを平成へいせい20ねん供用きょうよう開始かいし

君津きみつ富津ふっつ地区ちく

編集へんしゅう

富津ふっつ地区ちく電力でんりょく金属きんぞく製品せいひん一般いっぱん機械きかい器具きぐ製造せいぞうぎょうなどの立地りっち計画けいかくされている。地区ちくないにはJERA富津ふっつ火力かりょく発電はつでんしょ稼働かどうしておりエネルギー供給きょうきゅう基地きちとしても重要じゅうよう役割やくわりたしている。火力かりょく発電はつでんしょとしては国内こくないだい3そう出力しゅつりょくであり、世界せかいでも最大さいだいきゅう火力かりょく発電はつでんしょである。

とう地区ちく立地りっちする企業きぎょうぐん利用りようのため水深すいしん5.5 m 岸壁がんぺき4バース、水深すいしん7.5 m 岸壁がんぺき2バースが整備せいびされている。そのうち1バースは耐震たいしんバースとなっている。

船舶せんぱく修繕しゅうぜん小型こがたせん建造けんぞうおこなアイ・エス・ビー造船ぞうせんしょもうけられている。

江戸えど時代じだい

編集へんしゅう

木更津きさらづせん海上かいじょう輸送ゆそう

編集へんしゅう
 
葛飾かつしか北斎ほくさい富嶽ふがくさんじゅうろくけい』より「上總かずさ海路かいろ

木更津きさらづの「」が「船着場ふなつきば」を意味いみする言葉ことばであることからもわかるように、木更津きさらづこうふるくからけたみなとであった。中世ちゅうせいには房総ぼうそうから鎌倉かまくらのぼ渡船場とせんばとしてさかえる[6]江戸えど時代じだいはいると徳川とくがわ家康いえやすから、1614ねん慶長けいちょう19ねん大坂おおさかじん活躍かつやくした木更津きさらづ水夫すいふへの報奨ほうしょうとして、江戸えど木更津きさらづあいだでの渡船とせん営業えいぎょうけんなどの特権とっけんあたえられた。これにより江戸えどとの往来おうらい頻繁ひんぱんとなり、木更津きさらづ上総かずさ安房あわ海上かいじょう輸送ゆそう玄関げんかんこうとして繁栄はんえいしていった。海上かいじょう輸送ゆそう発達はったつした江戸えど時代じだいにはおも東京とうきょう湾内わんない輸送ゆそう大力だいりきせんながさ31しゃくやく9.4 m)から65しゃくやく19.7 m)ほどの小型こがた廻船かいせん)が活躍かつやくし、武蔵むさし伊豆いず相模さがみ安房あわ上総かずさ下総しもうさ海辺うみべ穀類こくるい薪炭しんたんなどの運送うんそうもちいられるほかひとせて旅客りょかく輸送ゆそうおこなっていた。江戸えど日本橋にほんばし本船ほんせんまち河岸かわぎし上総かずさこく木更津きさらづむらあいだで貨客輸送ゆそうおこなっていたふねとくに「木更津きさらづせん」とばれ、葛飾かつしか北斎ほくさい浮世絵うきよえである『富嶽ふがくさんじゅうろくけい』の「上總かずさ海路かいろ[7]歌川うたがわ広重ひろしげ浮世絵うきよえである『山海さんかい見立みたて相模さがみ』の「上総かずさ木更津きさらづ[8] にもえがかれている。

保養ほようとしての流行りゅうこう

編集へんしゅう

木更津きさらづせんとく関所せきしょとおることなく往来おうらいできる利点りてんがあった。みなと様子ようす幕末ばくまつ安政あんせい年間ねんかん)にその船唄ふなうたもと木更津きさらづ出身しゅっしん噺家はなしか木更津きさらづていやなぎぜい江戸えど高座こうざうた江戸えど界隈かいわい流行りゅうこうした木更津きさらづ甚句じんくうたわれ、この甚句じんく安政あんせい(1854ねん - 1860ねん)に江戸えど流行りゅうこうした[9]

木更津きさらづ海岸かいがんからは三浦半島みうらはんとうとお富士山ふじさんのぞむことができる。風景ふうけいさから観光かんこうあるいは保養ほようとしてもられ、司馬しば江漢こうかん絵馬えま木更津きさらづうら[10] などにもえがかれる[11]

明治めいじ大正たいしょう時代じだい

編集へんしゅう

海運かいうん本格ほんかく

編集へんしゅう

明治めいじ時代じだいはいると東京とうきょうへの海上かいじょう交通こうつう手段しゅだんとして木更津きさらづ - 東京とうきょうあいだ就航しゅうこう開始かいしされる。1887ねん明治めいじ20ねん)、東京汽船とうきょうきせん株式会社かぶしきがいしゃ木更津きさらづ東京とうきょう横浜よこはまあいだ定期ていき航路こうろ引継ひきついだが、遠浅とおあさのため大型おおがたせん出入でいりができず、みおすじ利用りようした小型こがたせんもちいた航行こうこうはじめる。木更津きさらづ航路こうろ浚渫しゅんせつ防波堤ぼうはてい築造ちくぞうし、1912ねん明治めいじ45ねん)に完成かんせいした。同年どうねん大正たいしょう元年がんねん)、蘇我そが - 木更津きさらづあいだ鉄道てつどう木更津線きさらづせん内房線うちぼうせん)が開通かいつうし、海運かいうん次第しだい衰微すいびした。1926ねん大正たいしょう15ねん5月27にち内務省ないむしょう告示こくじだい131ごうにより公有こうゆう水面すいめん埋立うめたてほうもとづく指定していこうとなった[12]

昭和しょうわ時代じだい

編集へんしゅう

海軍かいぐん飛行場ひこうじょう建設けんせつ開港かいこう

編集へんしゅう
 
木更津きさらづこう公共こうきょう埠頭ふとう一般いっぱん公開こうかいちゅう護衛ごえいかん「ちょうかい」

1934ねん昭和しょうわ9ねん)にはみなと北側きたがわ日本にっぽん海軍かいぐん部隊ぶたいひとつである日本にっぽんはつ陸上りくじょう攻撃こうげき部隊ぶたいとして木更津きさらづ海軍かいぐん航空こうくうたい飛行場ひこうじょう現在げんざい木更津きさらづ駐屯ちゅうとん)が建設けんせつされ、これにともな工事こうじだい規模きぼになり、航路こうろ泊地はくち防波堤ぼうはてい護岸ごがん竣工しゅんこうした。港内こうない防波堤ぼうはてい桟橋さんばし築造ちくぞうし、航路こうろ泊地はくち浚渫しゅんせつみなと整備せいびはかった[13]

1953ねん昭和しょうわ28ねん)3がつ25にち港湾こうわんほうもとづく地方ちほう港湾こうわん指定していされ、港湾こうわん区域くいき決定けってい千葉ちばけん港湾こうわん管理かんりしゃとなった。その君津きみつまち現在げんざい君津きみつさき八幡やはた製鐵せいてつ進出しんしゅつし、東京湾とうきょうわんフェリー株式会社かぶしきがいしゃ日本にっぽんカーフェリー株式会社かぶしきがいしゃ横浜よこはまあいだ川崎かわさきあいだ就航しゅうこうした。

1968ねん昭和しょうわ43ねん4がつ1にち政令せいれいだい56ごうにより関税かんぜいほううえ開港かいこう指定していされ、港湾こうわんほうもとづく重要じゅうよう港湾こうわん指定していされた[14]

開港かいこう貿易ぼうえき整備せいび

編集へんしゅう

開港かいこうともない、さだめられた制度せいどにより以下いか指定していける。

  • 法務省ほうむしょうれいだい33ごうにより出入国しゅつにゅうこく管理かんりれいじょう出入国しゅつにゅうこくみなと
  • 政令せいれいだい287ごうにより検疫けんえきこう検疫けんえき錨地びょうち
  • 運輸省うんゆしょうれいだい61ごうにより港湾こうわん調査ちょうさ規則きそくじょう甲種こうしゅ港湾こうわん
  • 農林省のうりんしょうれいだい31ごうにより植物しょくぶつ防疫ぼうえきこう木材もくざい特定とくてい
  • みなとそくほうもとづく特定とくていこう
  • 港湾こうわん運送うんそう事業じぎょうほうもとづく2しゅみなと

さら以下いか機関きかん設置せっちされた。

  • 千葉ちばけん開発かいはつきょく君津きみつ開発かいはつ事務所じむしょ
  • 大蔵省おおくらしょう横浜よこはま税関ぜいかん千葉ちば税関ぜいかん支署ししょ木更津きさらづ出張所しゅっちょうしょ
  • 海上保安庁かいじょうほあんちょうだい3管区かんく海上かいじょう保安ほあん本部ほんぶ木更津きさらづ海上かいじょう保安ほあんしょ
  • 法務省ほうむしょう東京とうきょう入国にゅうこく管理かんり事務所じむしょ木更津きさらづ入国にゅうこく審査しんさしつ
  • 君津きみつ港湾こうわん事務所じむしょ

港湾こうわん管理かんり運営うんえい業務ぎょうむ千葉ちばけん開発かいはつちょう委任いにんされ、港湾こうわん工業こうぎょう用水ようすいきょく君津きみつ港湾こうわん工業こうぎょうよう水道すいどう事務所じむしょがそのにんたり、その港湾こうわん管理かんり運営うんえい業務ぎょうむ千葉ちばけん土木どぼくうつり、木更津きさらづ港湾こうわん事務所じむしょ設置せっちされた。1970ねん昭和しょうわ45ねん12月24にち法務省ほうむしょう設置せっちほう改正かいせいにより、東京とうきょう入国にゅうこく管理かんり事務所じむしょ木更津きさらづ出張所しゅっちょうしょ昇格しょうかくした[15]

昭和しょうわ後期こうきみなと整備せいび

編集へんしゅう

昭和しょうわ後期こうきはいると本格ほんかくてき施設しせつ整備せいびはじまった。1973ねん - 1988ねんあいだ完成かんせい供用きょうよう開始かいしした施設しせつ下記かきにまとめる。

 
港内こうないかるなかしま大橋おおはし

1975ねん昭和しょうわ50ねん)に完成かんせいしたなかしま大橋おおはし日本にっぽん一番いちばんたか歩道橋ほどうきょうであり、恋人こいびと聖地せいち指定していされている[16][17]鳥居崎とりいさき海浜かいひん公園こうえん港内こうないかぶなかしまとをむす歩道橋ほどうきょうであり、木更津きさらづこう玄関げんかんこうにあたるため、木更津きさらづこうから東京とうきょうわん出入でいりする船舶せんぱくはこのはししたをくぐることになる。1978ねん昭和しょうわ53ねん)3がつ31にち木更津きさらづ港内こうない富津とみつ地区ちく公有こうゆう水面すいめん埋立うめたて免許めんきょされ、同年どうねん4がつ7にち木更津きさらづ港内こうない富津とみつ地区ちく公有こうゆう水面すいめん埋立うめたて工事こうじ着手ちゃくしゅした。その関税かんぜいほう自主じしゅ管理かんり適用てきよう保税ほぜい地域ちいき(8,475 ㎡)の指定していけ、みなとそくほうもとづくみなといき拡張かくちょうおよび富津ふっつ航路こうろ指定していけた。

平成へいせい時代じだい

編集へんしゅう

木更津きさらづこう発展はってん現在げんざい

編集へんしゅう

平成へいせい時代じだいはいるとさらみなと施設しせつ港湾こうわん緑地りょくち整備せいびはじまった。1989ねん - 2014ねんあいだ完成かんせい供用きょうよう開始かいしした施設しせつ下記かきにまとめる。

 
東京湾とうきょうわんアクアラインから木更津きさらづこう方面ほうめん

周辺しゅうへん交通こうつうもう整備せいびすすみ、1997ねん平成へいせい9ねんごろには東京湾とうきょうわんアクアラインひがし関東かんとう自動車じどうしゃどう館山たてやまみち開通かいつうした。南部なんぶには日本にっぽん製鉄せいてつ君津きみつ製鉄せいてつしょがあり、水深すいしん-19 mの木更津きさらづ航路こうろ水深すいしん-14 mの富津ふっつ航路こうろ活用かつようした首都しゅとけん港湾こうわん全国ぜんこく港湾こうわんとの交易こうえきおよび関連かんれん産業さんぎょうによる港湾こうわん物流ぶつりゅうネットワークが形成けいせいされている。2003ねん平成へいせい15ねん)4がつ総合そうごう静脈じょうみゃく物流ぶつりゅう拠点きょてんこう(リサイクルポート)の指定していけ、さらに翌年よくねんの7がつには改正かいせいSOLAS条約じょうやく対応たいおうした埠頭ふとう保安ほあん対策たいさく開始かいしし、木更津きさらづ埠頭ふとう富津ふっつ埠頭ふとう整備せいびした。さら2006ねん平成へいせい18ねん)3がつ31にち木更津きさらづ港湾こうわん物流ぶつりゅう効率こうりつ特区とっく認定にんていされ、その、ヨット、プレジャーボートの係留けいりゅうをはじめ、地域ちいき拠点きょてんとして「きさらづうみえき木更津きさらづマリーナ)」を整備せいびし、吾妻あづま地区ちくおよび木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく一部いちぶみなとオアシス木更津きさらづ登録とうろくされた[18]

港湾こうわん活動かつどう高度こうど効率こうりつ、さらには市民しみんうみいこいえる創造そうぞうとう整備せいび」をはかるため、港湾こうわん計画けいかく2010ねん平成へいせい22ねん)3がつ改訂かいていされた[19]計画けいかく基本きほん方針ほうしんは、千葉ちばけん南部なんぶ地域ちいき産業さんぎょう物流ぶつりゅう拠点きょてんとして、また、エネルギー供給きょうきゅう拠点きょてんとして物流ぶつりゅう機能きのう充実じゅうじつはかるとともに、物流ぶつりゅう観光かんこう交流こうりゅう・アメニティ、環境かんきょう防災ぼうさいの4つの機能きのう融合ゆうごうした魅力みりょくあるみなと実現じつげんするために、取扱とりあつかい貨物かもつりょう7,090まん t、船舶せんぱく乗降じょうこう旅客りょかくすうやく5まんにん整備せいび目標もくひょうさだ事業じぎょうはかっている。

鉄鋼てっこうぎょう国際こくさい競争きょうそうりょく強化きょうかはかるため、2011ねん平成へいせい23ねん)5がつ31にち国土こくど交通省こうつうしょうから国際こくさいバルク戦略せんりゃく港湾こうわん選定せんていされ、おも鉄鉱てっこうせき輸入ゆにゅう目的もくてきとし、VLOCきゅう大型おおがた鉱石こうせきせんばら貨物かもつせん)が入港にゅうこうできるよう、岸壁がんぺき泊地はくち航路こうろなどの港湾こうわん機能きのう整備せいびゆうする拠点きょてんみなととしての整備せいびおこなわれた[3]2013ねん平成へいせい25ねん)1がつには、ブラジルVALEしゃ運航うんこうする大型おおがた鉱石こうせきせん通称つうしょうVALE MAX、載貨さいか重量じゅうりょう402,000 t)が寄港きこうした[20]

近年きんねん木更津きさらづ豪華ごうか客船きゃくせん誘致ゆうち積極せっきょくてきっており、2017ねん平成へいせい29ねん)、豪華ごうか客船きゃくせんぱしふぃっくびいなす」(全長ぜんちょう183.4 m、26,594 t)が木更津きさらづこう入港にゅうこうした[21]

2018ねん平成へいせい30ねん)3がつ江川えがわ地区ちく吾妻あづま地区ちくおよび南部なんぶ地区ちく一部いちぶ区域くいきが、木更津きさらづ都市とし計画けいかく臨港りんこう地区ちくとして決定けっていした。

記念きねん行事ぎょうじ

編集へんしゅう
 
なかしまからの花火はなび木更津きさらづこうまつり)

例年れいねん8がつ14にち8がつ15にちの2にちにわたって「木更津きさらづこうまつり」が開催かいさいされる。例年れいねん来場らいじょうしゃすうは25まんにんし、県内けんないでもおおきなまつりとなっている。まつりのフィナーレをかざ花火はなび大会たいかい関東かんとう最大さいだいきゅう規模きぼである、特大とくだいスターマインしゃくだま連打れんだ圧巻あっかん[22]

例年れいねん9がつには「みなと木更津きさらづうみまつり」が2日間にちかんにわたり、木更津きさらづ港内こうないみなとかぶ木更津きさらづないみなと公園こうえん木更津きさらづ出島でじま)で開催かいさいされる。このもよおしでは、プレジャーボート、ミニボート、カッターなどの体験たいけん乗船じょうせんかいやはぜ大会たいかい黒鯛くろだい稚魚ちぎょ放流ほうりゅう、アマモの自然しぜん観察かんさつかいなど、うみしたしむもよおしと地元じもと農産物のうさんぶつ水産物すいさんぶつ展示てんじ即売そくばいかい屋台やたい、ステージプログラムなどの内容ないよう実施じっしされる[23]

年表ねんぴょう

編集へんしゅう
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん千葉港ちばみなと工事こうじ事務所じむしょ木更津きさらづ分室ぶんしつ開所かいしょ木更津きさらづ地区ちく防波堤ぼうはてい航路こうろ着手ちゃくしゅ
  • 1971ねん昭和しょうわ46ねん木更津きさらづ地区ちく防波堤ぼうはてい延長えんちょう2,000 m)
  • 1974ねん昭和しょうわ49ねん木更津きさらづ地区ちく航路こうろ完成かんせい
  • 1975ねん昭和しょうわ50ねん)千葉港工事事務所木更津分室閉所
  • 1987ねん昭和しょうわ62ねん木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく-12 m岸壁がんぺき着工ちゃっこう
  • 1988ねん昭和しょうわ63ねん千葉港ちばみなと工事こうじ事務所じむしょ木更津きさらづ分室ぶんしつ開所かいしょ
  • 1994ねん平成へいせい 6ねん木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく-12 m岸壁がんぺき2ごうバース着工ちゃっこう
  • 1995ねん平成へいせい 7ねん館山たてやまみち開通かいつうにより千葉港工事事務所木更津分室閉所
  • 1996ねん平成へいせい 8ねん木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく-12 m岸壁がんぺき1ごうバース完成かんせい
  • 2011ねん平成へいせい23ねん国際こくさいバルク戦略せんりゃく港湾こうわん選定せんていされる

港湾こうわん施設しせつ

編集へんしゅう

木更津きさらづこう公共こうきょう岸壁がんぺきは、吾妻あづま地区ちく木更津きさらづ南部なんぶ地区ちくおよび富津ふっつ地区ちくかれており、吾妻あづま地区ちくには水深すいしん3.0 mのもの揚場あげば桟橋さんばしそう延長えんちょう723 mある。木更津きさらづ南部なんぶ地区ちくには、水深すいしん4.0 mのもの揚場あげば362 m、水深すいしん4.5 m岸壁がんぺき240 m(4バース)、水深すいしん5.5 m岸壁がんぺき360 m(4バース)、水深すいしん7.5 m岸壁がんぺき260 m(2バース)および水深すいしん12.0 m岸壁がんぺき500 m(2バース)がある。また富津ふっつ地区ちくには、水深すいしん5.5 m岸壁がんぺき360 m(4バース)および水深すいしん7.5 m岸壁がんぺき260 m(2バース、うち1バースは耐震たいしん強化きょうか岸壁がんぺき)があり、その荷捌にさばき176,411 ㎡、野積のづみじょう85,979 ㎡が利用りようされている。

  • 木更津きさらづとう
  • 富津ふっつとう
  • 木更津きさらづこう官公庁かんこうちょう船用せんよう浮桟きょう
  • つうせん浮桟きょう
  • じょうがかりじょう桟橋さんばしだい2じょうがかりじょう桟橋さんばし
  • 中央ちゅうおう桟橋さんばしひがし桟橋さんばし西にし桟橋さんばし
  • 小型こがたせん桟橋さんばし1・小型こがたせん桟橋さんばし2・小型こがたせん桟橋さんばし3

けいりゅう施設しせつ

編集へんしゅう
  • 吾妻あづま地区ちく
番号ばんごう バースめい 延長えんちょう (m) 所定しょてい水深すいしん (m) エプロンはば (m) 対象たいしょう船舶せんぱく重量じゅうりょうtすう 構造こうぞう様式ようしき 備考びこう供用きょうようねん
1 木更津きさらづこう官公庁かんこうちょう船用せんよう

浮桟きょう

40×2 -3.0 3.0 200そうt 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう平成へいせい4ねん
2 つうせん浮桟きょう 15×2 -2.0 3.0 30そうt 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ62ねん
3 じょうがかりじょう 54.0 -3.0 5.0~15.0 50そうt 重力じゅうりょくしき 供用きょうようちゅう
4 じょうがかりじょう桟橋さんばし 36×2 -2.0 2.0 50そうt 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
5 だい2じょうがかりじょう桟橋さんばし 21×2 -2.0 3.0 20そうt 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ54ねん
6 西にし桟橋さんばし 18×2 -3.0 6.0 300 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ12ねん
7 中央ちゅうおう桟橋さんばし 50×2 -3.0 18.0 300 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ27ねん
8 ひがし桟橋さんばし 19×2 -3.0 6.0 300 桟橋さんばし 供用きょうようちゅう昭和しょうわ12ねん
9 小型こがたせん桟橋さんばし(1) 15×2 -1.5 1.5 10そうt 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ59ねん
10 小型こがたせん桟橋さんばし(2) 15×2 -1.5 1.5 10そうt 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ59ねん
11 小型こがたせん桟橋さんばし(3) 15×2 -1.5 1.5 10そうt 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ59ねん
12 うちみなとぶつ揚場あげば(1) 36+32 -3.0 10.0 300 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう
13 うちみなとぶつ揚場あげば(2) 347.0 -3.0 6.0~11.0 300 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう
14 新宿しんじゅくせん揚場あげば(1) 168.0 -1.3 5そうt 供用きょうようちゅう昭和しょうわ49ねん
15 うちみなとぶつ揚場あげば(3) 240.0 -2.0 重力じゅうりょくしき 供用きょうようちゅう平成へいせい14ねん
18 江川えがわぶつ揚場あげば 40×2 -2.0 10.0 5そうt 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ63ねん
19 江川えがわせん揚場あげば 90.0 -2.0 6.4 5そうt 供用きょうようちゅう昭和しょうわ62ねん
16 ふね揚場あげば 20.0 -2.0 供用きょうようちゅう平成へいせい14ねん
17 吾妻あづまぶつ揚場あげば 239.0 -2.0 重力じゅうりょくしき 供用きょうようちゅう平成へいせい3ねん
20 吾妻あづまぶつ揚場あげば 138.0 -2.0 工事こうじちゅう
  • 木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく
対象たいしょう

番号ばんごう

バースめい 延長えんちょう (m) 所定しょてい水深すいしん (m) エプロンはば (m) 対象たいしょう船舶せんぱく重量じゅうりょうtすう 構造こうぞう様式ようしき 備考びこう供用きょうようねん
1 木更津きさらづとうぶつ揚場あげば 362.0 -4.0 10.0 500 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ47ねん
2 木更津きさらづとうA岸壁がんぺき 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ52ねん
3 木更津きさらづとうB岸壁がんぺき 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ52ねん
4 木更津きさらづとうC岸壁がんぺき 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ52ねん
5 木更津きさらづとうD岸壁がんぺき 90.0 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ52ねん
6 木更津きさらづとうE岸壁がんぺき 130.0 -7.5 20.0 5,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ55ねん
7 木更津きさらづとうF岸壁がんぺき 130.0 -7.5 20.0 5,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ55ねん
8 木更津きさらづとうG岸壁がんぺき 240.0 -12.0 20.0 30,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう平成へいせい8ねん
9 木更津きさらづとうH岸壁がんぺき 260.0 -12.0 20.0 30,000 矢板やいた桟橋さんばし併用へいようしき 供用きょうようちゅう平成へいせい20ねん
10 潮浜しおはまA・B・C・D岸壁がんぺき 240.0 -4.5 15.0 700 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ61ねん
11 木更津きさらづとう岸壁がんぺき 240.0 -12.0 30,000 計画けいかくちゅう耐震たいしんバース
12 木更津きさらづとう岸壁がんぺき 1,084.0 -5.5 500 計画けいかくちゅう
13 木更津きさらづとう岸壁がんぺき 300.0 -5.5 500 計画けいかくちゅう
  • 富津ふっつ地区ちく
番号ばんごう バースめい 延長えんちょう (m) 所定しょてい水深すいしん (m) エプロンはば (m) 対象たいしょう船舶せんぱく重量じゅうりょうtすう 構造こうぞう様式ようしき 備考びこう供用きょうようねん
1 富津ふっつとうF岸壁がんぺき 130 -7.5 20.0 5,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう耐震たいしんバース(平成へいせい7ねん
2 富津ふっつとうE岸壁がんぺき 130 -7.5 20.0 5,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう平成へいせい7ねん
3 富津ふっつとうA・B・C・D岸壁がんぺき 360 -5.5 15.0 2,000 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ59ねん
4 富津ふっつぶつ揚場あげば 857 -4.0 10.0 500 矢板やいたしき 供用きょうようちゅう昭和しょうわ60ねん

荷捌にさばき

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  • 吾妻あづま地区ちく
番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(㎡)
22 うちこう荷捌にさばき 1,745
  • 木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく
番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(㎡)
14 とう1ごう荷捌にさばき 22,551
15 とう2ごう荷捌にさばき 11,651
16 とう3ごう荷捌にさばき 11,205
17 とう4ごう荷捌にさばき 7,097
18 とう5ごう荷捌にさばき 8,118
19 潮浜しおはま1ごう荷捌にさばき 11,270
20 潮浜しおはま2ごう荷捌にさばき 9,221
21 潮浜しおはま3ごう荷捌にさばき 1,025
22 とう6ごう荷捌にさばき 8,018
23 とう7ごう荷捌にさばき 10,850
24 とう8ごう荷捌にさばき 11,657
25 とう9ごう荷捌にさばき 6,728
26 とう10ごう荷捌にさばき 8,288

野積のづみじょう

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  • 吾妻あづま地区ちく
番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(㎡)
23 とう用地ようち 5,000
24 とう用地ようち 12,000
25 とう用地ようち 16,000
26 とう用地ようち工事こうじちゅう 4,000
  • 木更津きさらづ南部なんぶ地区ちく
番号ばんごう 名称めいしょう 面積めんせき(㎡)
27 -5.5m岸壁がんぺき背後はいご野積のづみじょう 14,905
28 -5.5m岸壁がんぺき背後はいご野積のづみじょう(II) 14,632
29 もの揚場あげば背後はいご野積のづみじょう 26,765
30 -7.5m岸壁がんぺき背後はいご野積のづみじょう 8,476
31 -12メートル岸壁がんぺき背後はいご野積のづみじょう 7,847
32 木更津きさらづとう用地ようち計画けいかくちゅう 17,000

港湾こうわん緑地りょくち

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みなとぜい

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  • 入港にゅうこう船舶せんぱく平成へいせい16年度ねんど
    • 隻数せきすう 7,777せきそとこうせん:140せきうちこうせん:7,637せき
    • 総トン数そうとんすう 3,299,211そうt(そとこうせん:326,110そうt、うちこうせん:2,973,101そうt)
  • 海上かいじょう出入でいり貨物かもつ平成へいせい16年度ねんど
    • 取扱とりあつかい貨物かもつ 4,918,616 t
      • そと貿 247,787 t
      • うち貿 4,670,829 t
 
高速こうそくジェットせん「セブンアイランドあい

公共こうきょう埠頭ふとうのH岸壁がんぺき利用りようし、2015ねん2がつより、日東にっとう交通こうつう主催しゅさい観光かんこうツアーの一環いっかんとして、東海汽船とうかいきせん所有しょゆうセブンアイランドシリーズを使用しよう伊豆いず大島おおしま神津島こうづしまむす高速こうそくジェットせん運行うんこう開始かいしした。神津島こうづしまゆき現在げんざい運行うんこう終了しゅうりょうしたが、伊豆いず大島おおしまへは新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう一時いちじ中断ちゅうだん毎年まいとし運航うんこうされている。

 
大型おおがた客船きゃくせん「ぱしふぃっくびいなす」

また、2017ねん平成へいせい29ねん)からはH岸壁がんぺきから大型おおがたクルーズ客船きゃくせん試験しけんてき運航うんこうがされている。

クルーズせん誘致ゆうち木更津きさらづは、大型おおがたクルーズ客船きゃくせんぱしふぃっくびいなす」による木更津きさらづこうはつのクルーズを2ねん連続れんぞく実現じつげんさせたことや、利用りようしゃやく8わりがクルーズ旅行りょこうはじめての新規しんき顧客こきゃくだったことなどが評価ひょうかされ、日本にっぽんがいこう客船きゃくせん協会きょうかい主催しゅさいによる「クルーズ・オブ・ザ・イヤー2018」の特別とくべつしょう受賞じゅしょうした[24]

今後こんご大型おおがた客船きゃくせん宿泊しゅくはく施設しせつとして活用かつようするホテルシップを想定そうていし、客船きゃくせん公募こうぼする準備じゅんびすすめている[25]

クルーズせん寄港きこう実績じっせき

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はつ寄港きこう2017ねん

  • ぱしふぃっくびぃなす(総トン数そうとんすう26,594 t、全長ぜんちょう183.40 m、2023ねん退役たいえき

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ UN/LOCODE(みなとおよ地名ちめいコード)”. www.jastpro.org. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ みなと略称りゃくしょう一覧いちらん - SANKYU-物流ぶつりゅう情報じょうほうサービス(CISS)”. webciss.sankyu.co.jp. 2019ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 港湾こうわん資源しげん・エネルギー・食糧しょくりょうとう安定あんていてきかつ安価あんか輸入ゆにゅう実現じつげんけた効率こうりつてき海上かいじょう輸送ゆそうもう形成けいせい - 国土こくど交通省こうつうしょう”. www.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ 漁港ぎょこう一覧いちらん水産庁すいさんちょう”. www.jfa.maff.go.jp. 2019ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  5. ^ 検索けんさく - うみ情報じょうほう”. tsuriba.info. 2019ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  6. ^ 概要がいよう | 木更津きさらづこう | 千葉ちばこうのあれこれ | 国土こくど交通省こうつうしょう関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく 千葉ちば港湾こうわん事務所じむしょ”. www.pa.ktr.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ とみだけさんじゅうろくけい上総かずさ海路かいろ文化ぶんか遺産いさんオンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  8. ^ 博物館はくぶつかん資料しりょうのなかの『富士山ふじさん』:山梨やまなし県立けんりつ博物館はくぶつかん -Yamanashi Prefectural Museum-”. www.museum.pref.yamanashi.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  9. ^ 木更津きさらづぺーじ1052「木更津きさらづ甚句じんく元祖がんそ」より
  10. ^ 絹本けんぽんちょ色相しきそうしゅう鎌倉かまくらななさとはま司馬しば江漢こうかんひつきょく屏風びょうぶ文化ぶんか遺産いさんオンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  11. ^ Inc, NetAdvance. “歴史れきし地名ちめい」もうひとつのかた:ジャパンナレッジ だい16かい 木更津きさらづ”. JapanKnowledge. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ 千葉ちばけん県土けんど整備せいび政策せいさくhttps://www.pref.chiba.lg.jp/kendosei/meiji150/documents/99-2nennpyou.pdf
  13. ^ WAR MEMORIALS IN CHIBA”. mori-chan.art.coocan.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  14. ^ 木更津きさらづふう木更津きさらづ開港かいこう400周年しゅうねん記念きねん–2003/5 小林こばやしじゅん(ちょ)
  15. ^ 千葉ちばけん. “木更津きさらづこうのあゆみ”. 千葉ちばけん. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  16. ^ 港湾こうわん関係かんけい 日本一にっぽんいち世界一せかいいち -国土こくど交通省こうつうしょう中国地方ちゅうごくちほう整備せいびきょく宇部うべ港湾こうわん事務所じむしょ
  17. ^ 恋人こいびと聖地せいち」に認定にんてい”. 千葉ちば日報にっぽう (2010ねん12月9にち). 2010ねん12月23にち閲覧えつらん
  18. ^ みなとオアシス木更津きさらづ|みなとオアシス”. www.pa.ktr.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  19. ^ 千葉ちばけん. “木更津きさらづこう港湾こうわん計画けいかく改訂かいていについて”. 千葉ちばけん. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  20. ^ 木更津きさらづこう/CRUISE PORT GUIDE OF JAPAN”. www.mlit.go.jp. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  21. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2017ねん9がつ19にち). “木更津きさらづこう豪華ごうか客船きゃくせん寄港きこう せんよう”. 産経さんけいニュース. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  22. ^ 関東かんとう最大さいだいきゅう迫力はくりょく!「木更津きさらづこうまつり花火はなび大会たいかい」ビュースポット3せん - 花火はなびトピックス”. 花火はなび大会たいかい2018 花火はなびカレンダー - ウォーカープラス. 2019ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  23. ^ KISARAZU PARK BAY FESTIVAL&レイラインイベントFeeL特設とくせつサイト”. 2019ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  24. ^ 国土こくど交通こうつうしょう「クルーズ・オブ・ザ・イヤー2018 国土こくど交通こうつう大臣だいじんしょう決定けっていhttps://www.mlit.go.jp/common/001264239.pdf
  25. ^ 千葉ちば木更津きさらづこうにクルーズせん入港にゅうこう 太鼓たいこ吹奏楽すいそうがく歓迎かんげい朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. 2019ねん2がつ27にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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