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杉 (松型駆逐艦) - Wikipedia

すぎ (まつがた駆逐くちくかん)

まつがた駆逐くちくかん

すぎ(すぎ)は、日本にっぽん海軍かいぐんだい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう)で運用うんようした駆逐くちくかん[2]まつがた駆逐くちくかんの7ばんかん[3]かんめいとしてはかばがた駆逐くちくかん[4]の9ばんかんすぎ[5]つづいて2代目だいめ

すぎ
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ 藤永ふじなが造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ  大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん
きゅうめい まつがた駆逐くちくかん
かんれき
起工きこう 1944ねん2がつ25にち
進水しんすい 1944ねん7がつ3にち
竣工しゅんこう 1944ねん8がつ25にち
除籍じょせき 1945ねん10月5にち
その 中華民国ちゅうかみんこく海軍かいぐんめぐみ」となる。1951ねんころはいかん
要目ようもく
基準きじゅん排水はいすいりょう 1,262t
おおやけためし排水はいすいりょう 1,530t
全長ぜんちょう 100.00m
最大さいだいはば 9.35m
吃水きっすい 3.30m
ボイラー ごうかん本式ほんしきかん 2
おも かん本式ほんしきタービン 22じく
出力しゅつりょく 19,000hp
速力そくりょく 27.8kt
燃料ねんりょう 重油じゅうゆ370t
航続こうぞく距離きょり 18ktで3,500かいり
乗員じょういん 211めい / 257めい[1]
へいそう
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概要がいよう

編集へんしゅう

一等いっとう駆逐くちくかんすぎ(すぎ)は、帝国ていこく海軍かいぐん藤永ふじなが造船ぞうせんしょ建造けんぞうした駆逐くちくかん[6]1944ねん昭和しょうわ19ねん)8がつ25にち竣工しゅんこうした[7]訓練くんれん部隊ぶたい水雷すいらい戦隊せんたい#だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅうされ[8]内海うつみ西部せいぶ訓練くんれんをおこなう。 捷一しょういちごう作戦さくせん発動はつどうにより小沢おざわ機動きどう部隊ぶたい編入へんにゅうされる[ちゅう 1]10がつ20日はつか内海うつみ西部せいぶ出撃しゅつげきしたが[10]燃料ねんりょう不足ふそくのため僚艦りょうかんきり」ととも離脱りだつ[11]10月25にち対空たいくう戦闘せんとうには参加さんかしていない(レイテおき海戦かいせん)。内地ないち帰投きとうだいさんじゅういち戦隊せんたいともだいよん航空こうくう戦隊せんたい護衛ごえいして南西なんせい方面ほうめん進出しんしゅつした[12]

11月15にちよりだい52駆逐くちくたい所属しょぞくした[13]マニラ回航かいこう、12月上旬じょうじゅんだいはちごう作戦さくせん参加さんか[14]、「すぎ」は小破しょうはした[15]。 12月下旬げじゅんれいごう作戦さくせん参加さんかした[16][17]。 1945ねん昭和しょうわ20ねん1がつ21にち台湾たいわん高雄たかおこうべいぐん機動きどう部隊ぶたい艦上かんじょう空襲くうしゅうけて損傷そんしょうした[18]。 3がつ中旬ちゅうじゅんよりくれ修理しゅうりをおこない、以後いご内海うつみ西部せいぶ待機たいきした[7]戦後せんご復員ふくいん輸送ゆそう従事じゅうじした。その国府こくふ海軍かいぐん(のちの台湾たいわん海軍かいぐん)にわたされ、「めぐみ(フェイヤン)」と命名めいめいされた[19]

かんれき

編集へんしゅう

建造けんぞうから練習れんしゅう部隊ぶたい

編集へんしゅう

仮称かしょうかんめい、5487ごうかん[2]1944ねん昭和しょうわ19ねん)2がつ25にち藤永ふじなが造船ぞうせんしょ起工きこう[20]。6月5にち、「すぎ」と命名めいめいされる[6]どう5にちづけ駆逐くちくかん3せきすぎまきもみ)はまつがた駆逐くちくかん類別るいべつされた[21]。 7月3にち進水しんすい[20]。7月15にちじゅうじゅん那智なち水雷すいらいちょう菊池きくち敏隆としたか少佐しょうさすぎ艤装ぎそういんちょう補職ほしょくされる[22]。 8月25にち竣工しゅんこう[20]佐世保させぼ鎮守ちんじゅせき[23]どう25にちづけ菊池きくち艤装ぎそういんちょう制式せいしきすぎ駆逐くちく艦長かんちょうとなった[24]艤装ぎそういん事務所じむしょ撤去てっきょする[25]

就役しゅうえき訓練くんれん部隊ぶたいだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん高間たかまかん少将しょうしょう海軍兵学校かいぐんへいがっこう41[26]編入へんにゅうされた[8][27]8がつ25にち時点じてんじゅういちみず戦旗せんきかん駆逐くちくかんくわ」であった[28][29]けい巡洋艦じゅんようかん多摩たま」のじゅういちみずせん編入へんにゅうにより、8がつ30にちから「多摩たま」が旗艦きかんとなった[29][30]。 「すぎ」は大阪おおさか出発しゅっぱつして瀬戸内海せとないかい回航かいこうされた[31]。 これ以降いこう、10がつ中旬ちゅうじゅんまでじゅういちみずせん僚艦りょうかん[32]内海うつみ西部せいぶ所在しょざいだっただいゆうげき部隊ぶたい[33][34]訓練くんれんをおこなう[35][36]

10月15にち[36]小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょうは「秋月あきづき」と「すぎ」にたいし、鹿児島かごしまへの緊急きんきゅう弾薬だんやく輸送ゆそうおこなうようめいじた[37]。 10月16にちあさ小沢おざわ長官ちょうかん秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん2せき若月わかつきりょうがつ[38]たいし、台湾たいわんだかゆうへのだいろくさん海軍かいぐん航空こうくうたい人員じんいん基地きち物件ぶっけん輸送ゆそうめいじた[39]どう16にち午後ごご2秋月あきづき駆逐くちく艦長かんちょう指揮しきする2せき秋月しゅうげつすぎ)は出発しゅっぱつした[40]同日どうじつよる九州きゅうしゅう都井岬といみさき沖合おきあい航行こうこうちゅうの2せき若月わかつきりょうがつ)をアメリカ潜水せんすいかんベスゴ襲撃しゅうげきかみなりした「りょうがつ」はかんくびうしなった[41][ちゅう 2]

10月17にち午前ごぜん630ふん小沢おざわ長官ちょうかんは「りょうがつ」の帰投きとうと「すぎ」への物件ぶっけんうつり、さらに若月わかつき駆逐くちく艦長かんちょう指揮しきによる「若月わかつき」と「すぎ」の台湾たいわん輸送ゆそうめいじた[43]。これにたい連合れんごう艦隊かんたいは「若月わかつき」と「りょうがつ」を鹿児島かごしま入港にゅうこうさせ、練習れんしゅう巡洋艦じゅんようかん鹿島かしま」とだい30駆逐くちくたいゆうがつ卯月うづき)に物件ぶっけんうつすようめいじた[44]どう17にち正午しょうご、「秋月しゅうげつ」と「すぎ」は鹿児島かごしま到着とうちゃくした[40][45]。 そのころ南西なんせい方面ほうめんでは、アメリカぐんがフィリピン、レイテわんスルアンとう上陸じょうりく開始かいしした[46][47]日本にっぽん海軍かいぐん捷一しょういちごう作戦さくせん警戒けいかい発令はつれいした[48]。3せき若月わかつきりょうがつすぎ)にたいする台湾たいわん輸送ゆそう命令めいれいされた[49]実際じっさい高雄たかお輸送ゆそうをおこなったのは3せき鹿島かしまゆうがつ卯月うづき)だった[50][51]

10月18にち夕刻ゆうこく日本にっぽんぐん捷一しょういちごう作戦さくせん発動はつどうした[52][53]。 この作戦さくせんだいさん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん小沢おざわおさむ三郎さぶろう中将ちゅうじょう海兵かいへい37)がひきいる機動きどう部隊ぶたいおとりとなってだい38任務にんむ部隊ぶたいマーク・ミッチャー中将ちゅうじょう)をひきつけ、そのすきだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう海兵かいへい38ひきいるだいいちゆうげき部隊ぶたい通称つうしょう栗田くりた艦隊かんたい 」または「 栗田くりた部隊ぶたい 」)がレイテわん突入とつにゅうしアメリカぐん上陸じょうりく部隊ぶたい撃破げきはするというものであった[54]

小澤おざわ機動きどう部隊ぶたい護衛ごえいだいゆうげき部隊ぶたいだい艦隊かんたい)が担当たんとうしていたが[55]台湾たいわんおき航空こうくうせんの「残敵ざんてき掃討そうとう」に投入とうにゅうされてしまった[56][57]。このためだいさん航空こうくう戦隊せんたいだいよん航空こうくう戦隊せんたい警戒けいかい兵力へいりょく不足ふそくし、連合れんごう艦隊かんたい内地ないち所在しょざいだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたいからけいじゅん多摩たま」とほんかん[58]たいせん掃蕩そうとう部隊ぶたいだいさんじゅういち戦隊せんたいから一部いちぶ兵力へいりょく[59]機動きどう部隊ぶたい編入へんにゅうした[60][61]こうあいだ少将しょうしょうじゅういちみず戦旗せんきかんを「多摩たま」から駆逐くちくかんひのき」に変更へんこうし、内地ないちのこった[58]よんこうせんのうち空母くうぼはやぶさたか」と「りゅうおおとり」は搭載とうさいする航空こうくうたいがなく、出撃しゅつげきしなかった[62]出撃しゅつげきかくかん内地ないち残留ざんりゅうの「はやぶさたか」から燃料ねんりょう補給ほきゅうした[59]

10がつ20日はつか夕刻ゆうこく[63]空母くうぼ4せき航空こうくう戦艦せんかん2せき[64]基幹きかんとする小沢おざわ機動きどう部隊ぶたい豊後水道ぶんごすいどう出撃しゅつげきした[ちゅう 3]22にち、「すぎ」は空母くうぼ千歳ちとせ」から重油じゅうゆ洋上ようじょう補給ほきゅうおこな[ちゅう 4]23にち午前ごぜんより、小沢おざわ機動きどう部隊ぶたいたいせん警戒けいかいおもとしただいいち警戒けいかい航行こうこう序列じょれつから、対空たいくう警戒けいかいおもとした輪形りんけいじんえた[65][66]輪形りんけいじんは、だいぐんみずづる瑞鳳ずいほう伊勢いせ大淀おおよど多摩たまはつつき秋月あきづき若月わかつきすぎきり)と、だいろくぐん千代田ちよだ千歳ちとせ日向ひなた五十鈴いすず霜月しもづきまきくわ)にわかれていた[67]

よく10月24にち上空じょうくう警戒けいかいにあたっていた「みずづる」のれいせん1かん失敗しっぱいして海上かいじょう墜落ついらくし、「きり」と「すぎ」が捜索そうさくおこなう。この分離ぶんりについて『戦史せんし叢書そうしょ56かん』240ページでは「小沢おざわ長官ちょうかんみずづる)は燃料ねんりょう不足ふそくになったきりすぎ台湾たいわん高雄たかお退避たいひさせた」と記述きじゅつしている[ちゅう 5]捜索そうさくどう24にち深夜しんやにはだいよん航空こうくう戦隊せんたい[ちゅう 6]日向ひなた伊勢いせ[70]およ秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん4せきはつつき若月わかつき秋月あきづき霜月しもつき)からなる機動きどう部隊ぶたい前衛ぜんえい部隊ぶたいに「きり」と「すぎ」はさい合流ごうりゅう前衛ぜんえい部隊ぶたい後続こうぞくすることとした[71]。しかしどう時刻じこく上空じょうくう飛行ひこうしていた空母くうぼインディペンデンス所属しょぞく夜間やかん哨戒しょうかい発見はっけんし、同機どうきはっした無線むせん通信つうしん[ちゅう 7]艦内かんない電話でんわ混線こんせんしたことなどもあり、きり駆逐くちく艦長かんちょう川畑かわはたまこと少佐しょうさはこの前衛ぜんえい部隊ぶたいべいぐん機動きどう部隊ぶたいであると誤認ごにんまつがた2せききりすぎ)で反転はんてん離脱りだつすることとなった[72][73]。その、「きり」は「燃料ねんりょう余裕よゆうがない」との機関きかんちょう進言しんげんもあって高雄たかおかい、「すぎ」もこれに同行どうこうしている[74]。 2353ふん[75]小沢おざわ長官ちょうかんは「前衛ぜんえいよんこうせん)とすぎ本隊ほんたい合同ごうどうせよ。きり奄美あまみ大島おおしま補給ほきゅうしたうえ合同ごうどうせよ」とめいじた[ちゅう 8]。この命令めいれいがあったものの、「きり」と「すぎ」は機動きどう部隊ぶたいさい合流ごうりゅうできなかった。このため2せきとも10月25にちエンガノみさきおき海戦かいせん参加さんかしていない[74]10月26にち午前ごぜん930ふん高雄たかお到着とうちゃく、つづいて奄美あまみ大島おおしまかい29にち[77]補給ほきゅう部隊ぶたいのタンカー「たかねまる」(日本にっぽん海運かいうん、10,021トン)から200トンの重油じゅうゆ補給ほきゅうしてもらった[78][79]特務とくむかん室戸むろと」の生存せいぞんしゃ158めい[ちゅう 9]せ、「きり」とともに10がつ29にち奄美あまみ大島おおしま出港しゅっこうし、よく10がつ30にち帰投きとうした[81]。 「すぎ」ととも出撃しゅつげきしたじゅういちみずせんけいじゅん多摩たま」はアメリカ潜水せんすいかんジャラオ撃沈げきちんされ、ぜん乗組のりくみいん戦死せんしした[82]

南西なんせい方面ほうめん作戦さくせん

編集へんしゅう

11月2にちづけで、じゅういちみずせんまつがた2せきすぎくわ)はだいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれいかん江戸えど兵太郎へいたろう少将しょうしょう海兵かいへい40)の指揮しきはいった[83][84]だいさんじゅういち戦隊せんたい旗艦きかんけい巡洋艦じゅんようかん五十鈴いすず」と[12]護衛ごえい部隊ぶたい秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん霜月しもづき[85]まつがた駆逐くちくかんくわきりすぎももうめ〉)という編成へんせいで、南方なんぽう進出しんしゅつするだいよん航空こうくう戦隊せんたい航空こうくう戦艦せんかん2せき日向ひなた伊勢いせ)を護衛ごえいする[86][ちゅう 10]南方なんぽう輸送ゆそう部隊ぶたい「H部隊ぶたい」は11月9にち五島列島ごとうれっとう有川湾ありかわわん出撃しゅつげき[ちゅう 11]うまこう経由けいゆで14にち南沙なんさ諸島しょとう新南しんなん群島ぐんとう)に到着とうちゃくした[90][91]

11月15にち日本にっぽん海軍かいぐんまつがた5せきくわひのきもみすぎかし)でだい52駆逐くちくたい新編しんぺんした[13]駆逐くちくたい司令しれいには岩上いわかみいち大佐たいさ任命にんめいされた[92]つづだいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい編入へんにゅうされた[93]17にち新南しんなん群島ぐんとうよんこうせん護衛ごえい艦艇かんてい霜月しもつきうめきり)とわかれ、だいさんじゅういち戦隊せんたいマニラ進出しんしゅつした [ちゅう 12] [ちゅう 13] [ちゅう 14]

11月25にち[93]だい52駆逐くちくたいだいさんじゅういち戦隊せんたい編入へんにゅうされた[ちゅう 15] [ちゅう 16]

このころだいさんじゅういち戦隊せんたいだい艦隊かんたい編入へんにゅうされていた[101]。さらに北東ほくとう方面ほうめん艦隊かんたいかいたいにともないだい艦隊かんたい12月5にちづけ南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい編入へんにゅうされ、だい艦隊かんたい隷下れいかだいさんじゅういち戦隊せんたい自動的じどうてき南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい所属しょぞくとなった[105]軍隊ぐんたい区分くぶんにおいては、南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたい警戒けいかい部隊ぶたいであった[108]南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたいレイテ島れいてとう西岸せいがんオルモックわんへの輸送ゆそう作戦さくせんであるごう作戦さくせん依然いぜんとして続行ぞっこうしており[109]、「すぎ」もだいはちごう作戦さくせん参加さんかすることになった[14]。 マニラ出撃しゅつげきまえだいななごう作戦さくせんから帰投きとうした姉妹しまいかんたけ」の損傷そんしょうじょうきょう目撃もくげきして、すぎ乗組のりくみいんきびしい作戦さくせん覚悟かくごしたという[110]12月5にち[110]駆逐くちくかん3せきうめももすぎ)、だい18ごう駆潜艇くせんていだい38ごう駆潜艇くせんていだい11ごう輸送ゆそうかん輸送ゆそうせん3せきSSてい3せき[111]からだいはちごう作戦さくせん部隊ぶたいはマニラを出撃しゅつげきした[112]指揮しきかんだい43駆逐くちくたい司令しれい菅間すがま良吉りょうきち大佐たいさで、「うめ」に座乗ざじょうしていた[113]

上陸じょうりく予定よてい12月7にち早朝そうちょう日本にっぽん陸軍りくぐん航空こうくう部隊ぶたいオルモック南方なんぽうだい規模きぼ船団せんだん発見はっけん上級じょうきゅう司令しれい判別はんべつまよったが、やがててき輸送ゆそう船団せんだん判明はんめいした[114]日本にっぽん陸海りくかいぐん航空こうくう部隊ぶたいは、ごう作戦さくせん部隊ぶたい護衛ごえいと、てき上陸じょうりく船団せんだん攻撃こうげきの、ふたつの任務にんむ実施じっしする[115]。 アメリカぐんだい77師団しだんオルモック南方なんぽう上陸じょうりくレイテ島れいてとう地上ちじょうせん状況じょうきょう一変いっぺん[116]だい43駆逐くちくたい司令しれいオルモックわんへの接近せっきん断念だんねん揚陸ようりくレイテ島れいてとう西岸せいがん北方ほっぽうサン・イシドロ英語えいごばん変更へんこうした[117][118]どう7にち午前ごぜん9だいはち輸送ゆそう部隊ぶたいはサン・イシドロに到着とうちゃくして揚陸ようりく開始かいしした[119]。のべ25日本にっぽん海軍かいぐん戦闘せんとう船団せんだん上空じょうくうちょく掩を実施じっしした[120]同地どうちには接岸せつがん施設しせつがなく、兵員へいいん揚陸ようりく成功せいこうしたが重火器じゅうかき揚陸ようりく出来できなかった[121]。また揚陸ようりくちゅうタクロバンからの陸軍りくぐん海兵かいへいたいばくげきけ、多数たすう死傷ししょうしゃした[117]輸送ゆそうせん撃沈げきちんされたり海岸かいがん擱座かくざして壊滅かいめつした[122][123]じゅう装備そうびうしなってレイテ島れいてとう上陸じょうりくしただいろくじゅうはち旅団りょだんは、その地上ちじょうせんで「消滅しょうめつ」した[124]。マニラへの帰投きとうちゅう空襲くうしゅうけ「すぎ」は損傷そんしょうした[125]F4U コルセアふくすうから機銃きじゅう掃射そうしゃけ、軍医ぐんいちょうふく多数たすう乗組のりくみいんたおれた(戦死せんし35めい負傷ふしょう43めい[126]誘爆ゆうばくふせぐため魚雷ぎょらい投棄とうきした[15]12月9にちひるごろ、「すぎ」はマニラにたどりいた[127]同地どうちでは駆逐くちくかん3せきゆうがつ卯月うづききり)がだいきゅうごう作戦さくせんのため出撃しゅつげき準備じゅんびととのえており、「きり乗組のりくみいんは「すぎ」の損傷そんしょう状態じょうたいたりにした[127]

12月13にち陸軍りくぐん偵察ていさつミンドロ島みんどろとう目指めざ連合れんごうぐんだい部隊ぶたい発見はっけんした[128][129]12月14にちをもってだいじゅうごう作戦さくせん駆逐くちくかんきよししも[ちゅう 17]まつがた駆逐くちくかん複数ふくすう参加さんか予定よてい[131][132]中止ちゅうしされた[133][134]どう14にちだい38任務にんむ部隊ぶたいジョン・S・マケイン・シニア中将ちゅうじょう)の艦上かんじょうはマニラをふくルソン島るそんとう各地かくち襲撃しゅうげきした[135]まつがた3せきすぎかしかや)はマニラを脱出だっしゅつする[136]姉妹しまいかんうめ」は海南かいなんとう経由けいゆ香港ほんこん脱出だっしゅつした[137]。マニラ空襲くうしゅう損傷そんしょうしていた「もも」は[138]高雄たかおにむけ避退ちゅう15にちよるにアメリカ潜水せんすいかんホークビル (USS Hawkbill, SS-366) の雷撃らいげき沈没ちんぼつした[139]

14にち20[140]南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんだい川内かわうち傳七でんしち中将ちゅうじょう南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたい指揮しきかん)は、てきルソン島るそんとうおさむした場合ばあいだいゆうげき部隊ぶたいだい艦隊かんたい)とだいさんじゅういち戦隊せんたい駆逐くちくかん4せきうめかやすぎかし)で突入とつにゅう作戦さくせん実施じっしさせるため、りょう部隊ぶたい南沙なんさ諸島しょとう進出しんしゅつめいじた[141]だいゆうげき部隊ぶたいすでカムランわん進出しんしゅつしていた[142]。 マニラ脱出だっしゅつまつがた3せきかしすぎかや)は、ひとまず南沙なんさ諸島しょとう様子ようすをうかがっていた[136]

12月15にち、アメリカぐんミンドロ島みんどろとう上陸じょうりく開始かいししてミンドロ島みんどろとうたたかはじまる[143][144]12月16にち午前ごぜん835ふん[145]大川内おおかわち長官ちょうかん中将ちゅうじょう海兵かいへい37)は[146]南沙なんさ諸島しょとう待機たいきちゅう駆逐くちくかん3せきかしかやすぎ)によるミンドロ島みんどろとうサンホセへのなぐ作戦さくせん発令はつれい突撃とつげき部隊ぶたい指揮しきかんだい43駆逐くちくたい司令しれい菅間すがま良吉りょうきち大佐たいさ海兵かいへい50)であっ[147]計画けいかくでは「マニラへかう航路こうろりつつカラミアン諸島しょとう背景はいけいにサンホセに突入とつにゅうし、突入とつにゅうはマニラに帰投きとうする」という作戦さくせんだった[148]。このときまつがた3せきかやすぎかし)はカムランわん入港にゅうこう直前ちょくぜんだったという[149]。「かし」は給水きゅうすいポンプの復旧ふっきゅう見込みこみがたず速力そくりょくは21ノットをすのがやっと、「すぎ」はごう作戦さくせんでの損傷そんしょうえておらず、「かや」も不具合ふぐあいかかえていた[150]どう16にち夕刻ゆうこく[151]、43司令しれい指揮しきの3せきすぎかしかや)はカムランわん入港にゅうこうし、タンカーにち栄丸さかえまる」(日東にっとう汽船きせん、10,020トン)から燃料ねんりょう補給ほきゅうした[152]どう16にちよる連合れんごう艦隊かんたい司令しれい参謀さんぼうちょうくさ鹿しか龍之介りゅうのすけ中将ちゅうじょう先任せんにん参謀さんぼうかみ重徳しげのり大佐たいさ)は南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたいたいし、だいゆうげき部隊ぶたいミンドロ島みんどろとう突入とつにゅうせまった[153][154]

12月17にちまつがた3せきはカムランを出撃しゅつげきしたが海上かいじょう台風たいふうだいれだった[149]どう17にち午後ごご[152]菅間すがま司令しれいまつがた3せき状態じょうたいから突入とつにゅう作戦さくせん成功せいこう見込みこみなしと判断はんだんし、サンジャック移動いどうして修理しゅうりすると報告ほうこくした[155]18にちよるだいゆうげき部隊ぶたいがサンジャックに到着とうちゃくする[152]菅間すがま司令しれいまつがた3せき20日はつかよる突入とつにゅうと「ただし司令しれい肺浸潤はいしんじゅんにわかカニじゅうリシトシテ「サイゴン病院びょういん入院にゅういん」を打電だでんした[152]かや駆逐くちく艦長かんちょう指揮しきさい出撃しゅつげきしたが[149]12月19にち午前ごぜん546ふんになり大川内おおかわち長官ちょうかんまつがた3せき突入とつにゅう中止ちゅうし[156]だいゆうげき部隊ぶたいとの合同ごうどうめいじた[157][152]

12月20にち連合れんごう艦隊かんたい司令しれいくさ鹿しか参謀さんぼうちょうかみ重徳しげのり参謀さんぼう)は南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたいミンドロ島みんどろとうぎゃく上陸じょうりく水上すいじょう部隊ぶたいなぐみを督促とくそくした[153][ちゅう 18]大川内おおかわち中将ちゅうじょうだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん木村きむら昌福まさとみ少将しょうしょう海兵かいへい41)を中心ちゅうしんとしてサンホセへの突入とつにゅう作戦さくせんおこなうよう、志摩しま中将ちゅうじょう命令めいれいした[160] [ちゅう 19][ちゅう 20]

だいゆうげき部隊ぶたい指揮しきかんだい艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかん)は旗艦きかんおもじゅん足柄あしがら」から航空こうくう戦艦せんかん日向ひなた」に変更へんこうした[164][ちゅう 21]12月21にち2130ふん[166]、3せきかしかやにち栄丸さかえまる)はサンジャックを出発しゅっぱつ22にち夕刻ゆうこくカムランわん進出しんしゅつした[167]挺身ていしん部隊ぶたい指揮しきかん木村きむら昌福まさとみ少将しょうしょうだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれいかん)の集結しゅうけつ[168]12月24にちにカムランわん出撃しゅつげきしてなぐりこみ作戦さくせんれいごう作戦さくせん」が開始かいしされた[169][17]挺身ていしん部隊ぶたいは、だいいち挺身ていしんたい旗艦きかんかすみ一番いちばんたいきよししもあさしも 〉、ばんたいかやすぎかし 〉)、だい挺身ていしんたい足柄あしがら大淀おおよど)という編成へんせいであった[16]作戦さくせんつうじ、「すぎ」は空襲くうしゅうによる至近しきんだんでレーダーが使用しよう不能ふのうとなったほか、砲戦ほうせんおよび魚雷ぎょらいせん必要ひつよう装置そうち破損はそんしたが[170]人的じんてきめんでは戦死せんしした乗員じょういんはおらず軽傷けいしょうしゃ1めいしただけだった[171]。 カムランわんへの帰路きろ[172]についていた12月28にち午後ごご南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたいまつがた3せきかやかしすぎ)をだいゆうげき部隊ぶたいからとりあげ、南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたい警戒けいかい部隊ぶたい編入へんにゅうした[173]ばんたい二水にすいせんからおくれてカムランわんへむけ航行こうこうちゅう、アメリカ潜水せんすいかんデイス (USS Dace, SS-247) の雷撃らいげきによりふつしるしおき沈没ちんぼつしたきゅうかてかん[174]乗員じょういん発見はっけん救助きゅうじょ実施じっしした[175][176]12月29にち1135ふん、カムランわん帰投きとうして大型おおがたかんから燃料ねんりょう補給ほきゅうした[177][178]どう29にち1400、「すぎ」や大淀おおよどひとしはカムランわん出発しゅっぱつ12月30にち13サンジャックに到着とうちゃくした[179]。 なおマニラから姉妹しまいかん2せきもみひのき)がカムランわん到着とうちゃくし、このうち「もみ」にはだいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれい鶴岡つるおか少将しょうしょう)が乗艦じょうかんしていた[180]30にち午後ごご、サンジャックにて鶴岡つるおか少将しょうしょうだいさんじゅういち戦隊せんたい旗艦きかんを「もみ」から「かし」に変更へんこうした[ちゅう 22][ちゅう 23]

1945ねん行動こうどう

編集へんしゅう

1945ねん昭和しょうわ20ねん)1がつ1にち、サンジャックを出港しゅっこうして香港ほんこん経由けいゆ1がつ7にち台湾たいわん高雄たかお到着とうちゃくした[183]。なお1がつ6にちづけで「すぎ」はだい52駆逐くちくたい司令しれい駆逐くちくかん指定していされた[184]8にちあさ南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたいだいさんじゅういち戦隊せんたい麾下きか3せきうめかしすぎ)のルソン島るそんとうリンガエンわん突入とつにゅううながした[185]9にちあさ南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい水上すいじょう部隊ぶたいのリンガエンわん突入とつにゅうをあきらめたので、高雄たかお修理しゅうりちゅうの「かや」は舞鶴まいづる帰投きとうし、香港ほんこん修理しゅうりちゅうの「うめ」も高雄たかお移動いどうした[185]。1がつ10日とおか南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたい指揮しきかん南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい長官ちょうかん)はかく部隊ぶたい任務にんむ変更へんこうした[ちゅう 24]だいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれいかん鶴岡つるおか信道のぶみち少将しょうしょう)にたいし「警戒けいかい部隊ぶたい指揮しきかん所定しょてい台湾たいわん海峡かいきょう及呂さかえ海峡かいきょう方面ほうめんニ於ケルてき潜水せんすいかん掃討そうとうくだりフトども台湾たいわんりょさかえあいだ作戦さくせん輸送ゆそうにんズベシ」とめいじたのである[187]。 「すぎ」は高雄たかお修理しゅうりつづけていたが、レーダーや方位ほうい磁針じしん修理しゅうり出来できないことから、佐世保させぼへの回航かいこうまる[188]

1がつ21にち高雄たかおだい38任務にんむ部隊ぶたい艦上かんじょう空襲くうしゅうけ、まつがた3せきうめかしすぎ)で応戦おうせんする[18]。「すぎ」は至近しきんだんすうはつけてレーダーなどに被害ひがいをうける[189]。「かし」を旗艦きかんとしていただいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれいは、陸上りくじょう高雄たかお警備けいびはたはたかかげた[180]損傷そんしょうかんはただちにもとたかしへの回航かいこうめいじられ、1がつ23にち到着とうちゃくした[190]応急おうきゅう修理しゅうりのち2がつ1にちまつがた2せきすぎかし)で出港しゅっこう[191]舟山ふなやま群島ぐんとうみなみごう作戦さくせんのヒ88A船団せんだん部隊ぶたい(「せりあまる」〈三菱みつびし汽船きせん、10,238トン〉、だい205ごう海防かいぼうかんだい41ごう海防かいぼうかん[192]合流ごうりゅうして門司もじまで護衛ごえいおこなった[193]7にち、ヒ88A船団せんだん部隊ぶたい門司もじ到着とうちゃくした[194]護衛ごえい終了しゅうりょう8にち佐世保させぼ帰投きとうし、佐世保させぼ海軍かいぐん工廠こうしょう修理しゅうりおこなわれた[195]

航海こうかいちゅう2がつ5にちづけだい艦隊かんたいかいたいされてだいじゅう方面ほうめん艦隊かんたい新編しんぺんされた[196][197]だいさんじゅういち戦隊せんたい連合れんごう艦隊かんたい付属ふぞく[187]3月15にちづけだい艦隊かんたい編入へんにゅうされた[198]だいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれい空路くうろ内地ないちもどり、駆逐くちくかんたけ」や秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん花月かげつ」にはたはたかかげた[199]だいさんじゅういち戦隊せんたいだい艦隊かんたい編入へんにゅう3にちまえに「すぎ」はだい52駆逐くちくたい司令しれい駆逐くちくかんとなった[200]杉谷すぎたに長秀ながひで大佐たいさ当時とうじ駆逐くちくかんりょうがつ艦長かんちょう)がだい52駆逐くちくたい司令しれい補職ほしょくされた[201]修理しゅうり回航かいこうされて戦艦せんかん大和やまと」の護衛ごえいにあたるが、もなく海軍かいぐん工廠こうしょう再度さいど修理しゅうりおこなわれた[202]4がつ20日はつかだい艦隊かんたいだい水雷すいらい戦隊せんたいかいたいにより、だいさんじゅういち戦隊せんたい連合れんごう艦隊かんたい付属ふぞくとなった[203]5がつ20日はつかだいさんじゅういち戦隊せんたいけい巡洋艦じゅんようかん北上ほくじょう[204]人間にんげん魚雷ぎょらい回天かいてん母艦ぼかん)などで海上かいじょう挺進ていしん部隊ぶたい編成へんせいされ、「すぎ」もどう部隊ぶたい所属しょぞくした[205]。 その瀬戸内海せとないかい訓練くんれん待機たいき日々ひびごし、終戦しゅうせんざいはくしていた。10月5にち除籍じょせき

12月1にち特別とくべつ輸送ゆそうかん指定していされ、復員ふくいん輸送ゆそう従事じゅうじ終了しゅうりょう賠償ばいしょうかん指定していされ、1947ねん昭和しょうわ22ねん)7がつ31にち中華民国ちゅうかみんこく引渡ひきわたし、せっいちごうかり命名めいめいされたのちめぐみ(フェイヤン)と正式せいしき命名めいめいされた[19]。しかし、同型どうけい賠償ばいしょうかん状態じょうたいかったしんきゅうはつうめ」)[206]とはちがい、状態じょうたいくなかった華陽かようきゅうつた」)[207]や衡陽(きゅうかえで」)[208]とともにさい武装ぶそうされず任務にんむあたえられなかった[209]国共こっきょう内戦ないせんなかの1949ねん5がつ上海しゃんはい脱出だっしゅつして台湾たいわんかったさい淡水たんすい座礁ざしょう事故じここし、そのまま修理しゅうりされないまま1951ねん除籍じょせきされ解体かいたいされた[210]

歴代れきだい艦長かんちょう

編集へんしゅう
 
1944ねん9がつの「すぎかんがた略図りゃくず。25mm3連装れんそう機銃きじゅう4どうたんそう12装備そうび

※『艦長かんちょうたちの軍艦ぐんかん』364ぺーじによる。

艤装ぎそういんちょう

編集へんしゅう
  1. 菊地きくち敏隆としたか 少佐しょうさ:1944ねん7がつ15にち[22] - 1944ねん8がつ25にち[24]

駆逐くちく艦長かんちょう

編集へんしゅう
  1. 菊地きくち敏隆としたか 少佐しょうさ:1944ねん8がつ25にち[24] - 不明ふめい

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ 〔 (長官ちょうかん)KdB|31S司令しれいかん KdMB〔 GF長官ちょうかん 2F長官ちょうかん 軍令ぐんれい総長そうちょう〕|機密きみつだいいちなないちさんばんでん KDMBでんれいさくだいきゅうごう いち.3Sf、4Sf(だいろくさんよん航空こうくうたいかけ)31S(一部いちぶかけ)大淀おおよど 61dg(りょうがつかけ)41dg(ふゆがつかけ)ハそく出撃しゅつげき準備じゅんび完成かんせいはちとう錨地びょうち集合しゅうごうスベシ/.だいろくさん航空こうくうたいちゅう大分おおいた鹿児島かごしま航空こうくう基地きち方面ほうめん残留ざんりゅう兵力へいりょく及第きゅうだいろく〇一航空隊中着発可能兵力ハべつていムルしょべつどうスル3Sfニ収容しゅうようス/さん.尓余ノたいかんげん任務にんむ続行ぞっこうスベシ|無電むでん 〕・〔 (長官ちょうかん)KdMB(あてりゃく)機密きみつだいいちなないちろくばんでん KdMBでんれいさくだいいちごう いち.でんれいさくだいななごうだいいちこう出撃しゅつげき兵力へいりょく多摩たま すぎ追加ついかス/.どうこう さんこうせん収容しゅうよう兵力へいりょくニ634fg当方とうほう残留ざんりゅう兵力へいりょくニシテ母艦ぼかん着発ちゃくはつ可能かのう兵力へいりょく追加ついか みぎ兵力へいりょくじゅうきゅうにちちゅう大分おおいた航空こうくう基地きち転進てんしんスベシ|無電むでん[9]
  2. ^ 一部いちぶ資料しりょうでは「りょうがつ」のかみなり時刻じこく10月18にち午前ごぜんれいとしている[42]
  3. ^ 機動きどう部隊ぶたい軍隊ぐんたい区分くぶん[10]だいいち軍隊ぐんたい区分くぶん おもたいさんこうせんよんこうせん)、巡洋艦じゅんようかん戦隊せんたい多摩たま五十鈴いすず)、警戒けいかいたい/だいいち駆逐くちく連隊れんたい大淀おおよどくわまきすぎきり)/だい駆逐くちく連隊れんたいはつつき秋月あきづき若月わかつき霜月しもつき)、補給ほきゅう部隊ぶたいじん栄丸さかえまる、たかねまる秋風あきかぜ海防かいぼうかん4せき)|だい軍隊ぐんたい区分くぶん おもたいさんこうせん巡洋艦じゅんようかん戦隊せんたいだいいち駆逐くちく連隊れんたい)、前衛ぜんえいよんこうせんだい駆逐くちく連隊れんたい)。
  4. ^ 機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい 捷一しょういちごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう』C08030036600, pp.19,20 。「千歳ちとせ」の記録きろくでは、補給ほきゅう相手あいては「くわ」となっている(『捷一しょういちごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう』C08030582500, pp.4)
  5. ^ 戦史せんし叢書そうしょ56 海軍かいぐんとしごう作戦さくせん(2)』240ぺーじ[11](引用いんよう開始かいし)いちなな〇〇ぎ、小澤おざわ長官ちょうかんは、燃料ねんりょう不足ふそくになりつつある駆逐くちくかんきり高雄たかお分離ぶんりさせることを決意けついした。どう長官ちょうかんたい警戒けいかい兵力へいりょく不足ふそくするのを覚悟かくごうえで、さらに駆逐くちくかんすぎをもこれにした。/こうして、「きり」と「すぎ」はおもたいから分離ぶんりし、爾後じご警戒けいかい兵力へいりょくけいじゅんさんせき多摩たま五十鈴いすず大淀おおよど)と駆逐くちくかんせきまきくわ)となった。(引用いんようおわり)
  6. ^ (昭和しょうわ19ねん10がつ24にち火曜日かようび)[68](中略ちゅうりゃく)1800ごろ本隊ほんたい指揮しきかんより前衛ぜんえい(〈はたはた日向ひなた伊勢いせ秋月あきづき若月わかつきりょうがつ霜月しもつき)はてきかた進出しんしゅつ残敵ざんてき撃滅げきめつすべきいのちあり、航空こうくうせん戦果せんかしょうならず、てき兵力へいりょく位置いちまた不明ふめい(以下いかりゃく)〔 註、秋月しゅうげつがたりょうがつ出撃しゅつげき直前ちょくぜんかみなりして内地ないち修理しゅうりちゅう[69]。 〕
  7. ^ USS Enterprise (CV6) Action Report 22-31 October 1944』によれば、同機どうき午前ごぜん25ふんに「北緯ほくい1650ふん 東経とうけい12510ふん / 北緯ほくい16.833 東経とうけい125.167 / 16.833; 125.167地点ちてん東進とうしんする2つのグループにかれた日本にっぽんぐん部隊ぶたい発見はっけんした」という報告ほうこくおこなっている。
  8. ^ 機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたいでんれいさくだいいちごう(1KdF機密きみつだいよんさんさんばんでん)[76] いち 本隊ほんたいじゅうにちろく〇〇地点ちてん「ヘンホ33」〔 北緯ほくい1830ふん東経とうけい12630ふん針路しんろいちよん速力そくりょくじゅうろくせつ 前衛ぜんえい及杉ハ本隊ほんたい合同ごうどうスベシ/ きり単独たんどく奄美あまみ大島おおしま回航かいこう補給ほきゅううえそく合同ごうどうスベシ
  9. ^ 室戸むろと」は10月22にち薩南諸島しょとう近海きんかいでアメリカ潜水せんすいかんシードッグ (USS Sea Dog, SS-401) に撃沈げきちんされた[80]
  10. ^ 南方なんぽう輸送ゆそう部隊ぶたい編成へんせい[87]〔 1KdF機密きみつだいいちよんいちはちばんでん だいよん航空こうくう戰隊せんたい(日向ひなた 伊勢いせ)だいよんじゅういち駆逐くちくたい(霜月しもつき)凉月 だいさんじゅういち戰隊せんたい(五十鈴いすず くわ きり うめ もも すぎ)ハじゅう一月八日槙冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込みこみ 〕(註:秋月しゅうげつがたりょうがつ浸水しんすい事故じこのため不参加ふさんか[88]。)
  11. ^ (昭和しょうわ19ねん11月)[89]〔 9|0615日向ひなた有明ありあけわんはつ五島ごしま北方ほっぽうにて伊勢いせ、(司令しれいかん)/31S、五十鈴いすず霜月しもづきくわまきすぎもも合同ごうどうし茲に南方なんぽう輸送ゆそう部隊ぶたいH部隊ぶたい集合しゅうごうる。指揮しきかん31S司令しれいかん速力そくりょく20ktおおやけむかう。〕(註:まきではなく「うめきり[87]参加さんかした。)
  12. ^ (昭和しょうわ19ねん11月)[89]〔 17|2YPでんれいにより支援しえん部隊ぶたい5F(足柄あしがら)4Sf、榛名はるな大淀おおよど、d×4はリンガに回航かいこうこととなる。31S(五十鈴いすずまきくわすぎもも)マニラにこうかふ。4Sf、霜月しもづきうめきり長島ながしま錨地びょうちこうふ。1600にゅうはく。1Sd、かすみしおたけ同地どうちにありかくかん燃料ねんりょう補給ほきゅうす。〕(註:「まき」は41ふゆがつ霜月しもつき)と空母くうぼはやぶさたか護衛ごえい任務にんむ[94]。)
  13. ^ マニラ進出しんしゅつ11月19にちだいさんじゅういち戦隊せんたい旗艦きかん五十鈴いすず」がマニラ沖合おきあい[95]、アメリカ潜水せんすいかんヘイク (USS Hake, SS-256) の魚雷ぎょらい攻撃こうげきける[96]かみなりによりかんかじうしなった「五十鈴いすず」は「もも」に護衛ごえいされてシンガポールにむかった[97]
  14. ^ 戦史せんし叢書そうしょ93かん』74ページでは「うめ」が「五十鈴いすず」の護衛ごえい、「ももきり」がだいいちゆうげき部隊ぶたい大和やまと長門ながときむつよし護衛ごえいとなっているが[98]だいいちゆうげき部隊ぶたい護衛ごえいは「うめ」と「きり」である[99]
  15. ^ (昭和しょうわ19ねん11月25にちだい52駆逐くちくたいだいさんじゅういち戦隊せんたい編入へんにゅうする)[100]だい52駆逐くちくたいだい艦隊かんたい隷下れいかだいさんじゅういち戦隊せんたい[101]司令しれいかん江戸えど兵太郎へいたろう少将しょうしょう海兵かいへい40)に編入へんにゅうされた[102]
  16. ^ このだいさんじゅういち戦隊せんたい旗艦きかん霜月しもづき」が潜水せんすいかんカヴァラ撃沈げきちんされた[103]霜月しもつき沈没ちんぼつにより[104]江戸えど少将しょうしょう司令しれい全滅ぜんめつした[105]後任こうにんだいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれいかん鶴岡つるおか信道のぶみち少将しょうしょう[106]しん司令しれいは12月上旬じょうじゅん内地ないち発足ほっそく空路くうろでマニラへ進出しんしゅつした[107]
  17. ^ (昭和しょうわ19ねん12月12にち)[130]じゅうにちいちろくよんろく(指揮しきかん)NSB|じゅうさんにち〇〇(指揮しきかん)2YB (司令しれいかん)2Sd(GF長官ちょうかん-)|南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたいでんれいさくだいはちいちはちごう だい十次多號輸送作戰期間中第二水雷戰隊ノ駆逐くちくかんいちせき護送ごそう部隊ぶたいいち編入へんにゅうス みぎ駆逐くちくかんじゅうがつじゅうよんにちいち〇〇までニ「マニラ」ニ回航かいこうセシムベシ|無電むでん 〕/〔 じゅうさんにちろくよん(司令しれいかん)2Sd(あてりゃく)二水にすいせんでんれいだいはちごう 南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたいでんれいさくだいはちいちはちごう駆逐くちくかん(きよししも)ニ指定していス|信號しんごう 〕/〔 じゅうさんにち(指揮しきかん)2YB|じゅうさんにちはちよん〇 2YB|着信ちゃくしんしゃ 二水にすいせん司令しれいかん きよししも 通報つうほう GF長官ちょうかん GKF長官ちょうかん だいいち輸送ゆそう戰隊せんたい司令しれいかん 南西なんせい方面ほうめん部隊ぶたいでんれいさくだいはちいちはちごう駆逐くちくかんいちせきだい駆逐くちくたい(きよししも)ニ指定していス|信號しんごう(無電むでん) 〕
  18. ^ 12月23にちにはくさ鹿しか参謀さんぼうちょうかみ重徳しげのり参謀さんぼう淵田ふちた美津雄みつお航空こうくう参謀さんぼう空路くうろでマニラにみ、現地げんち陸海りくかいぐんとの調整ちょうせいをおこなった[158][159]
  19. ^ NSBでんれいさくだい838ごう[161](20日はつか0819ばんでん)いち だいゆうげき部隊ぶたい指揮しきかんひだりニヨリ「サンホセ」突入とつにゅう作戦さくせん実施じっしスベシ 編制へんせい行動こうどう予定よてい報告ほうこくスルトども関係かんけい各部かくぶ通報つうほうスベシ/指揮しきかん 二水にすいせん司令しれいかん兵力へいりょく 巡洋艦じゅんようかんいちせき乃至ないしせき 駆逐くちくかんよん乃至ないしろくせき突入とつにゅう期日きじつ じゅうがつじゅうにち以降いこうナルベクそく夜半やはん突入とつにゅう ほん作戦さくせんちゅう すぎかしかや一時いちじだいゆうげき部隊ぶたい編入へんにゅうス 〕
  20. ^ 12月20にち時点じてんでサンジャック所在しょざい艦艇かんてい足柄あしがら日向ひなた伊勢いせ大淀おおよどあさしもきよししもすぎかしかやにち栄丸さかえまるなど)、サンジャック南南西なんなんせいやく330かいりみょうだか救援きゅうえん部隊ぶたい[162]羽黒はぐろみょうだかかすみはつしも海防かいぼうかん千振せんぶりなど)[163]
  21. ^ れいごう作戦さくせん終了しゅうりょう1945ねん昭和しょうわ20ねん1がつ1にち、シンガポールでだいゆうげき部隊ぶたい旗艦きかんは「日向ひなた」から「足柄あしがら」に復帰ふっきした[165]
  22. ^ (旗艦きかん司令しれい所在地しょざいち変遷へんせん)[180](はたはた)ノ掲揚けいよう いち.「マニラ」海軍かいぐん本部ほんぶよん きゅう)もみいち.さん いち.)かしいち.二三にさん .よん)高雄たかお警備けいび.二八にっぱち さん.いちなな)たけ()/さん.いちはち花月かげつさん.いち 2Fニ編入へんにゅう(以下いかりゃく)。
  23. ^ マニラにもどっただい2駆逐くちくたいひのきかし)は1945ねん昭和しょうわ20ねん1がつ5にちに「もみ」が、1がつ7にちに「ひのき」が撃沈げきちんされ、岩上いわかみ大佐たいさだい52駆逐くちくたい司令しれい)も戦死せんしした[181][182]
  24. ^ だいゆうげき部隊ぶたい南方みなかた輸送ゆそう支援しえんおよ好機こうき比島ひじま方面ほうめんてき進攻しんこう部隊ぶたい撃滅げきめつ警戒けいかい部隊ぶたい台湾たいわん海峡かいきょうおよびルソン海峡かいきょう方面ほうめんてきせん掃蕩そうとうおよ台湾たいわんルソンあいだ作戦さくせん輸送ゆそうだいいち輸送ゆそう戦隊せんたい台湾たいわんルソンあいだ作戦さくせん輸送ゆそう潜水せんすい部隊ぶたい比島ひじま方面ほうめん作戦さくせん[186]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん駆逐くちくかん物語ものがたり 1993, p. 291(I 一等いっとう駆逐くちくかんつづき)すぎ(Ⅱ)Sugi
  3. ^ 戦史せんし叢書そうしょ88 1975, pp. 52–56駆逐くちくかん(ひのと)
  4. ^ 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん駆逐くちくかん物語ものがたり 1993, pp. 74–77〈かばがた
  5. ^ 福井ふくい静夫しずお日本にっぽん駆逐くちくかん物語ものがたり 1993, p. 294(II とう駆逐くちくかんつづき)すぎ(I)Sugi
  6. ^ a b #たち昭和しょうわ19ねん6がつ pp.3-4〔 いたるだいひゃくはちじゅういちごう 昭和しょうわじゅうはち年度ねんど昭和しょうわじゅうきゅう年度ねんどニ於テ建造けんぞう着手ちゃくしゅ驅逐くちくかんさんせき潜水せんすいかん二隻及海防艦九隻ニひだりつう命名めいめいス 昭和しょうわじゅうきゅうねんろくがつにち 海軍かいぐん大臣だいじん嶋田しまだ繁太郎しげたろう株式會社かぶしきがいしゃ藤永ふじなが造船ぞうせんしょニ於テ建造けんぞう 驅逐くちくかん すぎ(スギ) だいさんじゅうろくごう海防かいぼうかん だいよんじゅうごう海防かいぼうかん|舞鶴まいづる海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞう 驅逐くちくかん まき(マキ) だいろくじゅういちごう海防かいぼうかん|横須賀よこすか海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞう 驅逐くちくかん もみ(モミ) ごうだいさんひゃくななじゅう潜水せんすいかん|海軍かいぐん工廠こうしょうニ於テ建造けんぞう ごうだいよんひゃくよん潜水せんすいかん|日立造船ひたちぞうせんしょ株式會社かぶしきがいしゃニ於テ建造けんぞう 海防かいぼうかん 大東おおひがし(ダイトウ)
  7. ^ a b 陽炎かげろうがた(光人みつひとしゃ) 2014, p. 332すぎ(すぎ)
  8. ^ a b #S1906じゅういちみずせん日誌にっし(3) p.30〔 すぎクカ(あてりゃく)機密きみつだいいちろく〇〇ばんでん いち.竣工しゅんこう受領じゅりょうセリ/.ほんかんあかりじゅうろくにちきゅう〇〇大阪おおさかはつじゅうななにちいちなな〇〇内海うちうみ西部せいぶ豫定よてい無電むでん 〕、〔 じゅうろくにちいちはちなな軍令ぐんれい総長そうちょう(あてりゃく)機密きみつだいろくいちはちななばんでん はちがつじゅうにち すぎヲ11Sdニ編入へんにゅうス|無電むでん
  9. ^ #S1906じゅういちみずせん日誌にっし(4) pp.25-26
  10. ^ a b 戦史せんし叢書そうしょ56 1972, pp. 82–85作戦さくせん要領ようりょう
  11. ^ a b 戦史せんし叢書そうしょ56 1972, p. 240.
  12. ^ a b 戦史せんし叢書そうしょ93 1976, pp. 73–74南西なんせい方面ほうめん艦隊かんたい駆逐くちくかん不足ふそくを訴う
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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  • 大内おおうち健二けんじ航空こうくう戦艦せんかん伊勢いせ」「日向ひなた航空こうくう母艦ぼかん戦艦せんかん一体化いったいかさせたおそるべき軍艦ぐんかん づけ航空こうくう巡洋艦じゅんようかん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2014ねん6がつISBN 978-4-7698-2834-1 
  • 小淵こぶち守男もりおだいじゅういちしょう きたごう輸送ゆそう作戦さくせん」『少年しょうねん水兵すいへい太平洋戦争たいへいようせんそう 巡洋艦じゅんようかん大淀おおよど」16さい海戦かいせん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2011ねん11月。ISBN 978-4-7698-2713-9 
  • 岸見きしみ勇美いさみ地獄じごくのレイテ輸送ゆそう作戦さくせん てき制空権せいくうけんごう作戦さくせん全貌ぜんぼう光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2010ねん12月。ISBN 978-4-7698-2666-8 
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  • 木俣きまたしげるろう「3.航空こうくう戦艦せんかん日向ひなた」「伊勢いせ」」『撃沈げきちん戦記せんき 海原うなばらてた日本にっぽん艦船かんせん25せき航跡こうせき光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、2013ねん6がつISBN 978-4-7698-2786-3 
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  • 佐藤さとう和正かずまさ艦長かんちょうたちの太平洋戦争たいへいようせんそう 34にん艦長かんちょうかたった勇者ゆうしゃ条件じょうけん光人みつひとしゃ光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、1993ねん5がつISBN 47698-2009-7 
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  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 海軍かいぐんとしごう作戦さくせん<1> 臺灣たいわんおき航空こうくうせんまでだい37かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1970ねん8がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ としごう陸軍りくぐん作戦さくせん(1) レイテ決戦けっせんだい41かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1970ねん12月。 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 海上かいじょう護衛ごえいせんだい46かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1971ねん5がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 比島ひじまとしごう陸軍りくぐん航空こうくう作戦さくせんだい48かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1971ねん8がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 南西なんせい方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせん だいだん作戦さくせん以降いこうだい54かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1972ねん3がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 海軍かいぐんとしごう作戦さくせん<2> フィリピンおき海戦かいせんだい56かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1972ねん6がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 本土ほんど方面ほうめん海軍かいぐん作戦さくせんだい85かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1975ねん6がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 海軍かいぐん戦備せんび<2> 開戦かいせん以後いごだい88かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1975ねん10がつ 
  • 防衛庁ぼうえいちょう防衛ぼうえい研修けんしゅうしょ戦史せんししつ戦史せんし叢書そうしょ 大本營だいほんえい海軍かいぐん聯合れんごう艦隊かんたい<7> 戦争せんそう最終さいしゅうだい93かんあさくも新聞しんぶんしゃ、1976ねん3がつ 
  • 茂呂もろはかるづくり南海なんかい死闘しとう 少年しょうねん水兵すいへい海戦かいせん株式会社かぶしきがいしゃ近代きんだい文藝ぶんげいしゃ、1994ねん4がつISBN 4-7733-3262-X 
  • 山本やまもとたいらわたるほか『秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん<づけゆうくもがたしまふうひのとがた> 戦時せんじ竣工しゅんこうしたさい新鋭しんえい駆逐くちくかん実力じつりょく全貌ぜんぼうしお書房しょぼう光人みつひとしゃ、2015ねん3がつISBN 978-4-7698-1584-6 
    • (332-338ぺーじ)戦史せんし研究けんきゅう伊達だてひさひのとがた駆逐くちく艦船かんせんだん護衛ごえいダイアリィ まつがたじゅうはちせきたちばながたじゅうよんせき太平洋戦争たいへいようせんそう
  • 雑誌ざっしまる編集へんしゅう へん小嶋こじま和夫かずおごう作戦さくせんいち輸送ゆそうかん』」『写真しゃしん 日本にっぽん軍艦ぐんかん しょう艦艇かんてい 特務とくむかん潜水せんすい母艦ぼかん 特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかん 駆潜艇くせんてい哨戒しょうかいてい 掃海そうかいてい輸送ゆそうかんだい13かん光人みつひとしゃ、1990ねん8がつ、244-245ぺーじISBN 4-7698-0463-6 
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅうへん秋月しゅうげつがた駆逐くちくかん たい空戦くうせん威力いりょく発揮はっきした空母くうぼ直衛なおえかん勇姿ゆうしだい23かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉、1999ねん10がつISBN 4-05-602063-9 
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅうへん帝国ていこく海軍かいぐん真実しんじつ艦艇かんてい2 史料しりょう精査せいさ傍証ぼうしょうかさねでかす定説ていせつ真偽しんぎられざる逸話いつわ実相じっそうだい51かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉、2005ねん8がつISBN 4-05-604083-4 
    • (137-148ぺーじ)田村たむら俊夫としお帝国ていこく海軍かいぐん 真実しんじつ艦艇かんてい2〔だい7しょう〕 中国ちゅうごくわたされた日本にっぽん賠償ばいしょう艦艇かんていぜん34せき足取あしどり」
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅうへん睦月むつきがた駆逐くちくかん 真実しんじつ艦艇かんてい4 ― なぞおお艦隊かんたいがた駆逐くちくかん実相じっそうだい64かん学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ〉、2008ねん5がつISBN 978-4-05-605091-2 
  • アジア歴史れきし資料しりょうセンター(公式こうしき防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ
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    • 昭和しょうわ20ねん1がつ1にち昭和しょうわ20ねん3がつ31にち だい1海上かいじょう護衛ごえい艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(1)』。Ref.C08030142000。 
    • 昭和しょうわ20ねん1がつ1にち昭和しょうわ20ねん3がつ31にち だい1海上かいじょう護衛ごえい艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(2)』。Ref.C08030142100。 
    • 昭和しょうわ19ねん6がつ1にち昭和しょうわ19ねん12月13にち だい30駆逐くちくたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)』。Ref.C08030149800。 
    • 昭和しょうわ16ねん昭和しょうわ20ねん 戦隊せんたい みずせん輸送ゆそう戦隊せんたい 行動こうどう調書ちょうしょ』。Ref.C08051772000。 
    • 昭和しょうわ19ねん1がつ〜6がつたち/たち昭和しょうわ19ねん6がつ』。Ref.C12070125000。 
    • 昭和しょうわ19ねん1がついたり昭和しょうわ19ねん7がつないれい/昭和しょうわ19ねん6がつ』。Ref.C12070195400。 
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    • 昭和しょうわ19.1~昭和しょうわ20.2だい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(護衛ごえいたいせん関係かんけい)の2/昭和しょうわ19ねん12がつ』。Ref.C16120660300。 
    • だい2世界せかい大戦たいせん略歴りゃくれきだい東亜とうあ戦争せんそう経過けいか概要がいよう(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)昭和しょうわ19ねん10がつ経過けいか概要がいよう昭和しょうわ19ねん12月経過けいか概要がいよう』。Ref.C16120725100。 
    • だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい司令しれい昭和しょうわじゅうきゅうねんはちがついちにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねんはちがつさんじゅういちにち だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』『昭和しょうわじゅうきゅうねんきゅうがついちにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねんきゅうがつさんじゅうにち だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ19ねん6がつ1にち昭和しょうわ20ねん6がつ30にち だい11水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(3))』。Ref.C08030127600。 
    • だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい司令しれい昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅうがついちにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅうがつさんじゅういちにち だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』『昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅういちがついちにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅういちがつさんじゅうにち だいじゅういち水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ19ねん6がつ1にち昭和しょうわ20ねん6がつ30にち だい11水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(4))』。Ref.C08030127700。 
    • だいいち機動きどう艦隊かんたい司令しれい昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅういちがつじゅうにち 機動きどう部隊ぶたい本隊ほんたい 捷一しょういちごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう 昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅうがつじゅうにちいたり同年どうねんじゅうがつじゅうきゅうにち 比島ひじまおき海戦かいせん』(昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ28にち としごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう比島ひじま方面ほうめん決戦けっせん)(1)(2)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030036600、C08030036700
    • 軍艦ぐんかんせんさい昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅうがつじゅうにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねんじゅうがつじゅうにち 捷一しょういちごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう』(昭和しょうわ19ねん10がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん10がつ25にち 軍艦ぐんかん千歳ちとせとし1ごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030582500
    • だい艦隊かんたい司令しれい昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがついちにちいたり昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがつさんじゅういちにち だい艦隊かんたいだいさんゆうげき部隊ぶたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ19ねん11月1にち昭和しょうわ20ねん2がつ5にち だい5艦隊かんたい戦時せんじ日誌にっし(2)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030019900
    • れいごう作戦さくせん挺身ていしん部隊ぶたいだい水雷すいらい戦隊せんたい司令しれい)『れいごう作戦さくせん戦闘せんとう詳報しょうほう (昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがつじゅうにちいたり同年どうねんじゅうがつさんじゅうにち)』(昭和しょうわ19ねん11がつ20日はつか昭和しょうわ19ねん12月30にち だい2水雷すいらい戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし戦闘せんとう詳報しょうほう(3)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030102600
    • だいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれい昭和しょうわじゅうきゅうねん十二月じゅうにがつじゅうにちいたり昭和しょうわじゅうねんいちがつさんじゅういちにち だいさんじゅういち戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ19ねん12月22にち昭和しょうわ20ねん4がつ30にち だい31戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(1)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030074800
    • だいさんじゅういち戦隊せんたい司令しれい昭和しょうわじゅうねんがついちにちいたり昭和しょうわじゅうねんさんがつさんじゅういちにち だいさんじゅういち戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』『昭和しょうわじゅうねんよんがついちにちいたり昭和しょうわじゅうねんよんがつさんじゅうにち だいさんじゅういち戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし』(昭和しょうわ19ねん12月22にち昭和しょうわ20ねん4がつ30にち だい31戦隊せんたい戦時せんじ日誌にっし(2)) アジア歴史れきし資料しりょうセンター レファレンスコード:C08030074900

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