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デイス (潜水艦) - Wikipedia

デイス (潜水せんすいかん)

ガトーきゅう潜水せんすいかん

デイス (USS Dace, SS-247) は、アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんガトーきゅう潜水せんすいかんの35ばんかんかんめいコイウグイのヨーロッパクレードにぞくする淡水魚たんすいぎょデイスちなむ。同名どうめいのアメリカ軍艦ぐんかんUSS Dace)としては初代しょだい退役たいえきから9ねんパーミットきゅう原子力げんしりょく潜水せんすいかん9ばんかんとして2代目だいめデイス (SSN-607)」が就役しゅうえきしている。

USS デイス
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ エレクトリック・ボート造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
かんしゅ 攻撃こうげきがた潜水せんすいかん (SS)
きゅうめい ガトーきゅう潜水せんすいかん
かんれき
起工きこう 1942ねん7がつ22にち[1]
進水しんすい 1943ねん4がつ25にち[1]
就役しゅうえき 1: 1943ねん7がつ23にち[1]
2: 1951ねん8がつ8にち[2]
3: 1954ねん10月22にち[2]
退役たいえき 1: 1947ねん2がつ12にち[2]
2: 1954ねん1がつ15にち[2]
3: 1955ねん1がつ31にち[2]
除籍じょせき 1972ねん10月15にち[3]
その 1955ねん1がつ31にちイタリア海軍かいぐん貸与たいよ[3]
返還へんかん除籍じょせき1975ねん4がつ1にちにスクラップとして売却ばいきゃく[4]
要目ようもく
水上すいじょう排水はいすいりょう 1,525 トン[3]
水中すいちゅう排水はいすいりょう 2,424 トン[3]
全長ぜんちょう 311フィート9インチ (95.02 m)[3]
水線すいせんちょう 307フィート (93.6 m)
最大さいだいはば 27フィート3インチ (8.31 m)[3]
吃水きっすい 17フィート (5.2 m)(最大さいだい[3]
おも ゼネラルモーターズ248A 16気筒きとうディーゼルエンジン×4[3]
電源でんげん ゼネラル・エレクトリックせい 発電はつでん×2[3]
出力しゅつりょく 5,400馬力ばりき (4.0 MW)[3]
電力でんりょく 2,740馬力ばりき (2.0 MW)[3]
推進すいしん スクリュープロペラ×2じく[3]
最大さいだい速力そくりょく 水上すいじょう:21ノット[5]
水中すいちゅう:9ノット[5]
航続こうぞく距離きょり 11,000カイリ/10ノット[5]
航海こうかい日数にっすう 潜航せんこう2ノット48あいだ哨戒しょうかい活動かつどう75日間にちかん[5]
潜航せんこう深度しんど 試験しけん:300フィート (91 m)[5]
乗員じょういん平時へいじ士官しかん6めい兵員へいいん54めい[5]
へいそう
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コモン・デイス(Common dace
サザン・レッドベリー・デイス(Southern redbelly dace

かんれき

編集へんしゅう

「デイス」は1942ねん7がつ22にちコネチカットしゅうグロトンエレクトリック・ボート勝利しょうり工廠こうしょう[ちゅう 1][1]起工きこうする。1943ねん4がつ25にちにO・P・ロバートソン夫人ふじんによって進水しんすいし、のち空母くうぼ信濃しなの」を撃沈げきちんすることになる艦長かんちょうジョゼフ・F・エンライト少佐しょうさアナポリス1933ねんぐみ)の指揮しき1943ねん7がつ23にち就役しゅうえきする。ニューロンドンを9月7にち出港しゅっこうし、10月3にち真珠湾しんじゅわん到着とうちゃくした。

だい1の哨戒しょうかい 1943ねん10がつ - 12月

編集へんしゅう

10がつ20日はつか、「デイス」は最初さいしょ哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった[12]。11月7にち北緯ほくい3414ふん 東経とうけい13715ふん / 北緯ほくい34.233 東経とうけい137.250 / 34.233; 137.250地点ちてんでレーダーにより複数ふくすう目標もくひょう探知たんちし、やがてそのうちのひとつは6,800トンきゅう輸送ゆそうせんのようだと推定すいていされた[13]最初さいしょ攻撃こうげき魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[14]つぎだい目標もくひょうである6,800トンきゅう輸送ゆそうせん照準しょうじゅんわせて魚雷ぎょらいを2ほん発射はっしゃし、1ほん命中めいちゅうした[15]照準しょうじゅん最初さいしょ目標もくひょうと2せき護衛ごえいかんわせたさん度目どめ攻撃こうげきでは魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃしたものの、命中めいちゅうしなかった[16]。「デイス」は護衛ごえいかん上手うまくまいてそのからった[17]。11月11にちには北緯ほくい3329ふん 東経とうけい13643ふん / 北緯ほくい33.483 東経とうけい136.717 / 33.483; 136.717地点ちてんで「駆逐くちくかん」を発見はっけんし、魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃしたが成功せいこうしなかった[18]当時とうじ、「デイス」がかった海域かいいき空母くうぼしょうづる」が通過つうかするという情報じょうほうがあり、「デイス」をふくめた所在しょざい潜水せんすいかんに「しょうづる」を仕留しとめるよう指令しれいていた[19]。ところが、エンライト艦長かんちょう自分じぶん直感ちょっかんおさえて規則きそくしたがった結果けっか結果けっかてきに「しょうづる」をのが結果けっかとなった[20]実際じっさいに11月15にち北緯ほくい3355ふん 東経とうけい14032ふん / 北緯ほくい33.917 東経とうけい140.533 / 33.917; 140.533地点ちてんで「しょうづる」と3せき駆逐くちくかん発見はっけんしたものの、ただ「発見はっけんした」というだけにとどまった[21]。11月19にち午後ごご、「デイス」は北緯ほくい3413ふん 東経とうけい13633ふん / 北緯ほくい34.217 東経とうけい136.550 / 34.217; 136.550地点ちてん輸送ゆそうせん、タンカー、哨戒しょうかいてい相次あいついで発見はっけん[22]。しかし、哨戒しょうかいてい先制せんせい攻撃こうげきけ、14はつおよ爆雷ばくらい攻撃こうげきかん発射はっしゃかんしつのバルブが損傷そんしょうするなどの被害ひがいけた[ちゅう 2][25]。12月11にち、49日間にちかん行動こうどうえてミッドウェーとう帰投きとうした。

意気いき消沈しょうちんしたままエンライトは司令しれい報告ほうこくのため出頭しゅっとうした。報告ほうこくは「自分じぶんかんもスタッフも担当たんとう海域かいいきも、あらゆるすぐれたものにめぐまれた」ではじまり、「今回こんかい哨戒しょうかい任務にんむ不作ふさくだったのは自分じぶん責任せきにんですから」と、みずか自分じぶんをデスクワークにまわしてくれるよう要請ようせい受理じゅりされたエンライトは12月28にち潜水せんすいかん救護きゅうごたい隊長たいちょうてんじた[26]後任こうにん艦長かんちょうにはブラッデン・D・クラゲット少佐しょうさ(アナポリス1935ねんぐみ)がいた。

だい2、だい3、だい4の哨戒しょうかい 1944ねん1がつ - 8がつ

編集へんしゅう

1944ねん1がつ7にち、「デイス」は2かい哨戒しょうかいトラック諸島しょとうおよびビスマルク諸島しょとう方面ほうめんかった[27]。1月26にちよる北緯ほくい0201ふん 東経とうけい14836ふん / 北緯ほくい2.017 東経とうけい148.600 / 2.017; 148.600地点ちてんで2せき護衛ごえいかん厳重げんじゅう護衛ごえいされた10,000トンきゅうタンカーを発見はっけんし、魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃ[28]。2つのばく発音はつおんこえてきたが、結局けっきょくがした[29]。その緊急きんきゅう修理しゅうり必要ひつよう故障こしょう発生はっせいし、2がつ2にちツラギとう入港にゅうこう応急おうきゅう修理しゅうりほどこしたのちふたたびトラック諸島しょとう周辺しゅうへんもどった[30]。2月17にちには、だい58任務にんむ部隊ぶたいマーク・ミッチャー中将ちゅうじょう)によるトラックとう空襲くうしゅう支援しえん実施じっしした[31]。2月25にち、48日間にちかん行動こうどうえてミルンわん帰投きとうした。

3月18にち、「デイス」は3かい哨戒しょうかいフラウンダー (USS Flounder, SS-251) とともにニューギニアパラオおよびフィリピン南部なんぶ方面ほうめんかった[32]。3月22にちから27にちまでホーランジア方面ほうめん特別とくべつ任務にんむおこな[33][34]、3月27にちマヌスとう寄港きこう給油きゅうゆおこない、哨戒しょうかい再開さいかいする[35]。3月31にち、「デイス」は浮上ふじょう航行こうこうちゅうばくげきけ、とうじられた2はつばくだんのうち1はつは、かんからわずか50フィートしかはなれていない箇所かしょちた[36]。4月5にちには北緯ほくい0614ふん 東経とうけい12618ふん / 北緯ほくい6.233 東経とうけい126.300 / 6.233; 126.300ダバオわん英語えいごばんくち空母くうぼおぼしき艦艇かんてい発見はっけんし、追跡ついせきしたものの距離きょりちぢまらず攻撃こうげきできなかった[37]よく4がつ6にち未明みめいにも北緯ほくい0555ふん 東経とうけい12609ふん / 北緯ほくい5.917 東経とうけい126.150 / 5.917; 126.150地点ちてんで、パラオからシンガポール南方なんぽうリンガ泊地はくちかうだい艦隊かんたい栗田くりた健男たけお中将ちゅうじょう)の一部いちぶおぼしき7つの目標もくひょう探知たんちし、ダーター (USS Darter, SS-227) とともに艦隊かんたい追跡ついせきし、目標もくひょう推定すいてい22ノットの高速こうそく航行こうこうしていたものの魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃしたが、命中めいちゅうしなかった[38]。4月7にち僚艦りょうかんスキャンプ (USS Scamp, SS-277) が駆逐くちくかん水上すいじょう偵察ていさつ攻撃こうげきなかやぶしたため、「デイス」は掩護えんごめいじられ、マヌスとうゼーアドラーわんまでおくとどけた[33][39]。4月19にちふたた出撃しゅつげき[39]、ダバオ近海きんかい哨戒しょうかいした[40]。5月2にちあさには北緯ほくい0323ふん 東経とうけい12756ふん / 北緯ほくい3.383 東経とうけい127.933 / 3.383; 127.933地点ちてんでタンカーと駆逐くちくかん哨戒しょうかいてい発見はっけんし、魚雷ぎょらいを5ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[41]。5月13にち、55日間にちかん行動こうどうえてブリスベン帰投きとうした。

6月13にち、「デイス」は4かい哨戒しょうかいでダバオわんおよびミンダナオ島みんだなおとう方面ほうめんかった[42]。6月20にちから21にちにかけてはマヌスとう補給ほきゅうおこなった[43]。7月9にち北緯ほくい0622ふん 東経とうけい12618ふん / 北緯ほくい6.367 東経とうけい126.300 / 6.367; 126.300地点ちてんで「プレジデント・ハリソンきゅう輸送ゆそうせん」と「千鳥ちどりがた水雷すいらいてい」をふくむ2せき護衛ごえいかん発見はっけん[44]護衛ごえいかんから43爆雷ばくらい投下とうかされたが反撃はんげき魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃし、3つの命中めいちゅうおん確認かくにんした[45]。7月16にちにはミンダナオ島みんだなおとうサランガニわん英語えいごばん偵察ていさつ[46]。7月26にち、1じょうけむり発見はっけんし、航空機こうくうき飛来ひらいでしばしば潜航せんこうしながらもまるいちにち追跡ついせき[47]。7月27にち未明みめいにいたり、北緯ほくい0520ふん 東経とうけい12143ふん / 北緯ほくい5.333 東経とうけい121.717 / 5.333; 121.717ホロとうおきで、ダバオからサンボアンガかうZ258船団せんだん発見はっけんし、魚雷ぎょらいかんくびかんりょう発射はっしゃかんからけい10ほん発射はっしゃ[48][49]魚雷ぎょらい特設とくせつ運送うんそうせん給油きゅうゆ)「だい共栄きょうえいまる」(共栄きょうえいタンカー、1,192トン)に1ほんから3ほん命中めいちゅうしてこれを撃沈げきちんした[49][50][51]。7月31にち午後ごごには、北緯ほくい0613ふん 東経とうけい12411ふん / 北緯ほくい6.217 東経とうけい124.183 / 6.217; 124.183地点ちてん陸軍りくぐんせん真珠しんじゅまる」を発見はっけんし、魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃして1ほん命中めいちゅうさせて撃沈げきちんはぐれた3ほんのうち1ほん海岸かいがんたって爆発ばくはつした[52][53]よく8がつ1にちあさには北緯ほくい0623ふん 東経とうけい12402ふん / 北緯ほくい6.383 東経とうけい124.033 / 6.383; 124.033地点ちてん陸軍りくぐん輸送ゆそうせん立石たていしまる」(大阪おおさか商船しょうせん、3,801トン)にたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが、回避かいひされた[54][55]。8月6にちにマヌスとう寄港きこう[56]。8月12にち、60日間にちかん行動こうどうえてブリスベンに帰投きとうした。

だい5の哨戒しょうかい 1944ねん9がつ - 11月・摩耶まや撃沈げきちん

編集へんしゅう

9月1にち、「デイス」は5かい哨戒しょうかいで「ダーター」とともにセレベスかい、パラワン水道すいどう南沙なんさ諸島しょとうおよび南シナ海みなみしなかい方面ほうめんかった[57]りょうかんは9がつ10日とおかダーウィン入港にゅうこう給油きゅうゆしたのち[58]パラワンとうバラバク海峡かいきょう方面ほうめん進出しんしゅつ。この方面ほうめん敷設ふせつされている機雷きらい注意ちゅういはらいながら哨戒しょうかいしたが[59]ジャイロコンパス故障こしょうにより哨戒しょうかい一時いちじ中止ちゅうし[60]。9月27にちに「ダーター」とともにミオス・ウンディとう到着とうちゃくし、10月3にちまで整備せいび訓練くんれんける[61][62]哨戒しょうかい再開さいかいボルネオ北岸ほくがんおき針路しんろけた。10月13にち午前ごぜん、「デイス」は7せき輸送ゆそうせんからなる輸送ゆそう船団せんだん、ミ19船団せんだん発見はっけん[63][64]まるいちにちかけて追跡ついせきののち、よく10がつ14にち未明みめいにいたってかんくびかん発射はっしゃかんから魚雷ぎょらいけい10ほん発射はっしゃし、魚雷ぎょらい応急おうきゅうタンカー「にちてつまる」(日産にっさん汽船きせん、5,993トン)、輸送ゆそうせんえいとおるまる」(日本郵船にっぽんゆうせん、6,948トン)および「大善だいぜんまる」(大阪おおさか商船しょうせん、5,396トン)に命中めいちゅう[65]。「にちてつまる」が沈没ちんぼつして、「えいとおるまる」は1ほん命中めいちゅうして大破たいはラブアンとうビクトリアこう曳航えいこうされていった[ちゅう 3]。「大善だいぜんまる」は右舷うげん船首せんしゅに1ほん命中めいちゅうしたが、ラブアンとう回航かいこうされかり修理しゅうりおこなった[67]。10月19にちにも、北緯ほくい0855ふん 東経とうけい11648ふん / 北緯ほくい8.917 東経とうけい116.800 / 8.917; 116.800地点ちてんで「吹雪ふぶきがた駆逐くちくかん」にたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが、命中めいちゅうしなかった[68]。「ダーター」もあい前後ぜんごしておな目標もくひょう攻撃こうげきしていたが、結果けっかは「デイス」とおなじだった[69]。その、2せきはパラワン水道すいどう移動いどうした。

10がつ20日はつかから22にち

編集へんしゅう

10がつ20日はつかから21にちにかけて、「ダーター」のレーダーは数個すうこ目標もくひょうとらえた[70]レイテ島れいてとうたいする緊急きんきゅう輸送ゆそう支援しえんするためマニラかっていたじゅう巡洋艦じゅんようかん青葉あおば」とけい巡洋艦じゅんようかん鬼怒きぬ」、駆逐くちくかんうら」を「ダーター」とともに追跡ついせきした「デイス」は、本来ほんらいの哨区からおおきくはなれる結果けっかとなった。10月22にち夜半やはん、「デイス」は「ダーター」と無線むせん電話でんわ交信こうしんするため接近せっきんしていた。そのとき、「ダーター」のレーダーがあらたな目標もくひょうとらえた。2せき目標もくひょうかって速力そくりょくげた。

10月23にち

編集へんしゅう
 
じゅう巡洋艦じゅんようかん摩耶まや」(1944ねん

10月23にち017ふん、「ダーター」のレーダーが複数ふくすう目標もくひょう追跡ついせきしていたとき、「デイス」のレーダーは故障こしょうしていた。「デイス」は故障こしょう回復かいふくつとめ、そのあいだは「ダーター」からの情報じょうほう追跡ついせきおこなっていた。ほどなく故障こしょう修理しゅうりわった「デイス」にたいして「ダーター」が「重量じゅうりょうきゅう艦隊かんたいれつ縦隊じゅうたい前進ぜんしんちゅう」と通報つうほうし、自艦じかんつづくよう指示しじあたえ、デイスもぜんそく前進ぜんしん速力そくりょくげた。目標もくひょうレイテおき海戦かいせん出撃しゅつげきする栗田くりた中将ちゅうじょうひきいるだい艦隊かんたいのうちのだいいち部隊ぶたいであることはうまでもく、りょうかん進路しんろ栗田くりた艦隊かんたい進路しんろ直角ちょっかく交差こうさする位置いちにあった。230ふん、「ダーター」は無線むせんふうどめいのちをためらわずやぶり、「日本にっぽん艦隊かんたい出撃しゅつげき。パラワン水道すいどう経由けいゆでレイテへ進撃しんげきちゅう推測すいそく」と「デイス」にはもちろんのこと、だい7艦隊かんたい司令しれいかんトーマス・C・キンケイド中将ちゅうじょうだい3艦隊かんたいウィリアム・ハルゼー大将たいしょう)にも通報つうほうした。りょうかんは19ノットの速力そくりょく維持いじ浮上ふじょうしたまま艦隊かんたい接近せっきんしていった。

59ふん、「ダーター」が自身じしん攻撃こうげき位置いちかうため分離ぶんりしたのち潜航せんこうした。「デイス」はそのままの進路しんろたもちながら潜航せんこう艦隊かんたい右翼うよくれつねらえる位置いち確保かくほした。634ふんごろ、「デイス」は「ダーター」の発射はっしゃした魚雷ぎょらい左舷さげんたい先頭せんとうじゅう巡洋艦じゅんようかん愛宕あたご」に5ほん命中めいちゅうし、駆逐くちくかん2せきが「愛宕あたご」に近寄ちかよっていくのを確認かくにんした。その、「デイス」も自身じしん攻撃こうげき目標もくひょうさだめにかかった。この時点じてんで、一番いちばんちかくの目標もくひょうまで6,300mの距離きょりがあった。クラゲット艦長かんちょう潜望鏡せんぼうきょうしに「先頭せんとうは『愛宕あたご』、いで『那智なち』、そのうしろに『戦艦せんかん』がつづいている」と判断はんだんした[71]。652ふん、「目標もくひょう金剛こんごうがた戦艦せんかん」と指示しじ、「愛宕あたご」がまさに海中かいちゅうぼっしようとした654ふん、「金剛こんごうがた戦艦せんかん」を目標もくひょう魚雷ぎょらい6ほん発射はっしゃ[72]発射はっしゃ大型おおがたかん舷側げんそくまわりこむ体勢たいせいをとった。656ふん魚雷ぎょらいは「金剛こんごうがた戦艦せんかん」とされた右舷うげんたい3ばんかんじゅう巡洋艦じゅんようかん摩耶まや」の左舷さげんに4ほん命中めいちゅうした[72][73]当時とうじ、「摩耶まや」は右舷うげん注意ちゅうい集中しゅうちゅうさせており、左舷さげんがわからせま魚雷ぎょらいおん気付きづくのがおくれ、面舵おもかじ直後ちょくご取舵とりかじしたれいしたものの命中めいちゅう[74]。「摩耶まや」は北緯ほくい0927ふん 東経とうけい11723ふん / 北緯ほくい9.450 東経とうけい117.383 / 9.450; 117.383地点ちてんやく8ふん沈没ちんぼつ[73]、「デイス」では61ふんに「海底かいてい爆発ばくはつしたかのようなばく発音はつおん」、63ふんだい破壊はかいおん聴取ちょうしゅし、65ふん爆雷ばくらい攻撃こうげきけるも損害そんがいけた[75]日没にちぼつ、「ダーター」とともに浮上ふじょう、「ダーター」がだいげき撃破げきはした「高雄たかお」を追跡ついせきしたが、潜航せんこう状態じょうたいつづけていたため自艦じかん現在げんざいいている方位ほういからなくなってしまった。「デイス」は「ダーター」にならって天測てんそく航法こうほうこころみるも雲量うんりょうおお断念だんねんせざるをなかった。りょうかん最初さいしょ攻撃こうげき位置いちとおぼしき位置いちにとりあえずもどろうと反転はんてんしたが、「デイス」は「ダーター」とすこちが進路しんろをとった。

10月24にちと25にち

編集へんしゅう

15ふん、「ダーター」は北緯ほくい0926ふん 東経とうけい11655ふん / 北緯ほくい9.433 東経とうけい116.917 / 9.433; 116.917のボンベイ礁に座礁ざしょうしてしまった[76]。「デイス」はなおも高雄たかお追跡ついせきちゅうであったが、「ダーター」の座礁ざしょうにより反転はんてんりょうかん乗組のりくみいんの「ダーター」を離礁りしょうさせようというこころみはすべ失敗しっぱいした。よく25にち246ふん、「デイス」は「ダーター」にロープをげ、またゴムボートも活用かつようして「ダーター」乗組のりくみいん移乗いじょう開始かいしされた。「ダーター」のすべての乗組のりくみいんは「デイス」にうつった。345ふん、2ほんのロープが「ダーター」のかんむすけられた。「ダーター」の乗員じょういん救助きゅうじょしたのち、555ふんに「デイス」は「ダーター」にけて魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが、岩礁がんしょうたって爆発ばくはつしただけだった[77]いで4インチほう21はつを「ダーター」の水線すいせん命中めいちゅうさせたが[78]日本にっぽん軍機ぐんき飛来ひらいしてきたので潜航せんこう退避たいひした。「デイス」は潜航せんこうちゅうも「ダーター」の様子ようすうかがっており、日本にっぽんへい駆逐くちくかんから「ダーター」にむのを確認かくにんした。夕刻ゆうこく浮上ふじょうして再度さいど「ダーター」の完全かんぜん破壊はかい目論もくろむも、正体しょうたい不明ふめい発信はっしんおん探知たんちしたため、これ以上いじょう作業さぎょう断念だんねん。「ダーター」の処分しょぶんかん依頼いらいするむね司令しれい打電だでんし、乗組のりくみいんですし状態じょうたいになりながら現場げんばった。「デイス」は「ダーター」処分しょぶん最後さいごのこっていた魚雷ぎょらいをすべて使つかたし艦内かんないには余裕よゆうがあったが、それでも「ダーター」乗組のりくみいん全員ぜんいんったままんだため身動みうごきもままならず、乗組のりくみいんがトイレにかうときだけわずかに空間くうかん出来でき有様ありさまだったという。11月6にち、60日間にちかん行動こうどうえてフリーマントル帰投きとう艦長かんちょうがオーティス・R・コール・ジュニア中佐ちゅうさ(アナポリス1936ねんぐみ)にわった。

だい6、だい7の哨戒しょうかい 1944ねん12月 - 1945ねん7がつ

編集へんしゅう
 
特務とくむかん埼」(1941ねん

12月2にち、「デイス」は6かい哨戒しょうかい南シナ海みなみしなかいかった。この哨戒しょうかいではシンガポール香港ほんこんあいだ航路こうろ遮断しゃだんめいじられるとともに、機雷きらい敷設ふせつめいじられていた。12月16にち未明みめいインドシナ半島いんどしなはんとうガンビルとうおき機雷きらい敷設ふせつ[79][80]直後ちょくご敷設ふせつ海域かいいきのあたりからばく発音はつおんこえた[79]。3にちの12月19にち輸送ゆそう船団せんだん発見はっけん攻撃こうげき準備じゅんびかっていたところ、4はつ爆雷ばくらい投下とうかされ、損傷そんしょうけた[81][82]。12月28にち北緯ほくい1236ふん 東経とうけい10928ふん / 北緯ほくい12.600 東経とうけい109.467 / 12.600; 109.467地点ちてん輸送ゆそう船団せんだん発見はっけんし、魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃ[83]魚雷ぎょらいは4,000トンきゅう輸送ゆそうせんせられた2つの目標もくひょう命中めいちゅうし、1つをしずめて1つは損傷そんしょうしたと判断はんだんされる[84]。この攻撃こうげき特務とくむかん」を撃沈げきちんした[ちゅう 4]。12月31にちにも北緯ほくい1255ふん 東経とうけい10929ふん / 北緯ほくい12.917 東経とうけい109.483 / 12.917; 109.483地点ちてんで「ヒ84船団せんだん」の護衛ごえいちゅうであった空母くうぼうみたか」を発見はっけんして魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃしたが、命中めいちゅうしなかった[ちゅう 5][89]。その、1945ねん1がつ17にちサイパンとう寄港きこうする[90]真珠湾しんじゅわんけて航海こうかいちゅうの1がつ26にち前年ぜんねん12がつ16にち敷設ふせつした機雷きらい応急おうきゅうタンカー「だいじゅう多聞たもんまる」(はちうま汽船きせん、6,925トン)がれて沈没ちんぼつした。1月28にち、56日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとうサンフランシスコ回航かいこうされベスレヘム・スチールオーバーホールはいり、4がつ25にち完了かんりょうした[91]

5月25にち、「デイス」は7かい哨戒しょうかいカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とともに千島ちしま列島れっとうおよびオホーツクかい方面ほうめんかった[92]。6月8にち国後島くなしりとう近海きんかい哨戒しょうかい海域かいいき到着とうちゃくし、早々そうそう北緯ほくい4420ふん 東経とうけい14638ふん / 北緯ほくい44.333 東経とうけい146.633 / 44.333; 146.633地点ちてんでさっそく獲物えものにありつき、海上かいじょうトラックラガー英語えいごばん浮上ふじょう砲戦ほうせん撃沈げきちんした[93]。6月9にちアポゴン (USS Apogon, SS-308) およびマンタ (USS Manta, SS-299) と合流ごうりゅう[94]。6月10にち、「デイス」はきりなかを、護衛ごえいかんはいした輸送ゆそうせんとタンカーがやってくるのを探知たんちした[95]以後いご追跡ついせきつづけ、北緯ほくい4721ふん 東経とうけい14907ふん / 北緯ほくい47.350 東経とうけい149.117 / 47.350; 149.117うらないもりとうおきで3つの目標もくひょうに、Mk27誘導ゆうどう魚雷ぎょらい英語えいごばんとMk28がた誘導ゆうどう魚雷ぎょらい[ちゅう 6]通常つうじょう魚雷ぎょらいをそれぞれ1ほんずつ発射はっしゃ[97]魚雷ぎょらい海軍かいぐんちょう傭船ようせんひろしようまる」(九州きゅうしゅう郵船ゆうせん、1,391トン)に命中めいちゅうして撃沈げきちん反撃はんげきけたので、護衛ごえいかん魚雷ぎょらい発射はっしゃしたのち深深ふかぶか潜航せんこうのがれた[98]。6月18にちよる、「アポゴン」と「カベゾン」はほろむしろとうからてきたばかりの輸送ゆそう船団せんだん発見はっけんし、「アポゴン」が輸送ゆそうせん博愛はくあいまる」(日本にっぽん海洋かいよう漁業ぎょぎょう、2,614トン)[ちゅう 7]を、「カベゾン」が輸送ゆそうせん蔵王山ざおうざんまる」(川崎汽船かわさききせん、2,631トン)をそれぞれ撃沈げきちんした。はなれた場所ばしょ爆発ばくはつ確認かくにんしていた「デイス」は、6月19にち未明みめい北緯ほくい5023ふん 東経とうけい15434ふん / 北緯ほくい50.383 東経とうけい154.567 / 50.383; 154.567地点ちてんで、船団せんだん護衛ごえいしていた護衛ごえいかん発見はっけんし、魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃ[99]。2ほん命中めいちゅうしたと判断はんだんされ、さらに4ほん発射はっしゃする[100]攻撃こうげき、36はつおよ爆雷ばくらい攻撃こうげきけたがこれをけた[101]。6月23にちよるには北緯ほくい4526ふん 東経とうけい14856ふん / 北緯ほくい45.433 東経とうけい148.933 / 45.433; 148.933地点ちてんで、海岸かいがんけて4はつの5インチ砲弾ほうだんんだ[102]。7がつ10日とおか、46日間にちかん行動こうどうえてミッドウェーとう帰投きとうした[103]

その、「デイス」は8かい哨戒しょうかい準備じゅんびのため8がつ13にちにサイパンとう到着とうちゃくしたが、2にち終戦しゅうせんむかえた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ   イタリア海軍かいぐん
かんれき
就役しゅうえき 1955ねん1がつ31にち
退役たいえき 1973ねん
要目ようもく
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デイスのエンブレム。
Public domain photo from the Naval Historical Center

戦争せんそう終了しゅうりょうすると、「デイス」は真珠湾しんじゅわんへの帰還きかんめいじられ、10月5にちにニューロンドンに到着とうちゃくした。1946ねん1がつ15にちポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ予備よびやくとなり、ニューロンドンに曳航えいこうされたのち、1947ねん2がつ12にち退役たいえきした。その、1951ねん8がつ8にちさい就役しゅうえきし、ニューロンドンから大西洋たいせいようがんカリブ海かりぶかい活動かつどう、1953ねん12月31にちふたた予備よびやくとなる。1954ねん1がつ15にちGUPPY IB改修かいしゅうのためにポーツマス海軍かいぐん造船ぞうせんしょ退役たいえきし、1954ねん10がつ22にちさい就役しゅうえきする。イタリア海軍かいぐん乗員じょういん訓練くんれんしたのち1955ねん1がつ31にちにニューロンドンで退役たいえき同日どうじつ軍事ぐんじ援助えんじょプログラムにもとづきイタリア海軍かいぐん移管いかんされた。

その「デイス」はイタリア海軍かいぐんで「レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci, S-510) 」として就役しゅうえきした。当初とうしょはイタリアへ5年間ねんかん貸与たいよ予定よていであったが、1959ねんにもう5年間ねんかん延長えんちょうされ、そのさらに5ねん延長えんちょうされた。姉妹しまいかんの「エンリコ・タッツオーリ (Enrico Tazzoli, S-511) 」(もとバーブ」)とともに1950年代ねんだいから60年代ねんだいまつにかけてイタリア海軍かいぐん潜水せんすいかん部隊ぶたい中核ちゅうかくとして活躍かつやくした。SS-247(レオナルド・ダ・ヴィンチ)は1972ねん10がつ15にちにアメリカ海軍かいぐん除籍じょせきされ、翌年よくねんイタリア海軍かいぐん除籍じょせきされた。その、1975ねん4がつ1にちにスクラップとして売却ばいきゃくされた。

なお、ジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかん1954-55年版ねんばんおよび1955-56年版ねんばんでは「デイス」が「エンリコ・タッツオーリ」へ、「バーブ」が「レオナルド・ダ・ヴィンチ」になったと記述きじゅつされた。すべての資料しりょうおよびそののジェーン海軍かいぐん年鑑ねんかんではその記述きじゅつ反対はんたいになった。

「デイス」はだい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうおよび7哨戒しょうかい海軍かいぐん殊勲しゅくん隊章たいしょうと7従軍じゅうぐん星章せいしょう受章じゅしょうした。そう撃沈げきちんトン数とんすうは28,689トンにおよぶ。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ アメリカ海軍かいぐん主導しゅどう建造けんぞうされ、エレクトリック・ボートが管理かんりしていた造船ぞうせんしょ[11]
  2. ^ #木俣きまたてきせん1989では、この輸送ゆそう船団せんだん特設とくせつ潜水せんすい母艦ぼかん平安へいあんまる」(日本郵船にっぽんゆうせん、11,616トン)をふくんだだい3115船団せんだんで、「デイス」は護衛ごえい海防かいぼうかん隠岐おき」から反撃はんげきされ、エビ大群たいぐんはいってなにとか逃亡とうぼうしたという意味いみのことがいてある[23]当該とうがい船団せんだんが「潜水せんすいかん接触せっしょくして」隠岐おき制圧せいあつしたのは事実じじつだが、その位置いち北緯ほくい2215ふん 東経とうけい14820ふん / 北緯ほくい22.250 東経とうけい148.333 / 22.250; 148.333地点ちてんである[24]
  3. ^ えいとおるまる」はこののち度重たびかさなる空襲くうしゅう破壊はかいされ12月16にち放棄ほうきされた[66]
  4. ^ #chronでは、「デイス」は「埼」撃沈げきちんのほかに "Chefoo Maru" を撃破げきはしたとする[85]。この "Chefoo Maru" は、輸送ゆそうせん芝園しばぞのまる」(日本郵船にっぽんゆうせん、1,831トン)ではなく、1945ねん1がつ12にちサイゴン港内こうない沈没ちんぼつした輸送ゆそうせんしば罘丸」(東亜とうあ海運かいうん、3,218トン)。#じゅういちとく1912 には "Chefoo Maru" 損傷そんしょう記載きさいがない[86]。なお、芝園しばぞのまるは1945ねん1がつ3にち鳥島とつしま近海きんかいキングフィッシュ (USS Kingfish, SS-234)に撃沈げきちんされた[87][88]
  5. ^ このとき「デイス」の乗組のりくみいんは「うみたか」のことを「千歳ちとせがた航空こうくう母艦ぼかん」と報告ほうこくしているが、実際じっさいには千歳ちとせがたレイテおき海戦かいせんにおいて2せきとも戦没せんぼつしている。
  6. ^ Mk18がた電池でんち魚雷ぎょらい英語えいごばん聴音ちょうおん追尾ついびしき誘導ゆうどう機構きこうけた魚雷ぎょらいで、馳走ちそう能力のうりょくは19.5ノット[96]
  7. ^ 小林こばやし多喜二たきじの『蟹工船かにこうせん』のモデル。

出典しゅってん

編集へんしゅう
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大塚おおつか好古よしふるべい海軍かいぐん艦隊かんたいがた潜水せんすいかん」の完成かんせいがたシリーズ」『歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ63 徹底てってい比較ひかく 日米にちべい潜水せんすいかん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2008ねん、149-155ぺーじISBN 978-4-05-605004-2 
  • 大塚おおつか好古よしふるべい潜水せんすいかんへいそうしょ装備そうび」『歴史れきしぐんぞう 太平洋たいへいよう戦史せんしシリーズ63 徹底てってい比較ひかく 日米にちべい潜水せんすいかん学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、2008ねん、173-186ぺーじISBN 978-4-05-605004-2 

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