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空襲警報 - Wikipedia

空襲くうしゅう警報けいほう

緊急きんきゅう危険きけんつたえる信号しんごう

空襲くうしゅう警報けいほう(くうしゅうけいほう)とは、戦争せんそうにおいててきぐん航空機こうくうきによる空襲くうしゅう市民しみんらせ、被害ひがいないようにより安全あんぜん場所ばしょへの退避たいひうなが目的もくてき発令はつれいされる警報けいほうである。発令はつれいされた場合ばあいには市民しみん防空壕ぼうくうごうへの避難ひなんなどをおこなうことになる。

日本にっぽん

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だい世界せかい大戦たいせん警報けいほう

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だい世界せかい大戦たいせんにちはな事変じへんだい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそう大日本帝國だいにっぽんていこくでは、1937ねん昭和しょうわ12ねん)に本土ほんど防空ぼうくうにおける民間みんかん防衛ぼうえいかんする法律ほうりつ防空ぼうくうほう」(昭和しょうわ12ねん法律ほうりつだい47ごう)が制定せいていされ、同年どうねん防空ぼうくうほう施行しこうれい昭和しょうわ12ねんみことのりれいだい549ごう)で空襲くうしゅう警報けいほう基本きほん規定きていかれた。

防空ぼうくうほう施行しこうれいだい7じょうでは、「航空機こうくうき来襲らいしゅうおそれアル場合ばあい」に発令はつれいされる「警戒けいかい警報けいほう」と、より切迫せっぱくした「航空機こうくうき来襲らいしゅう危険きけんアル場合ばあい」に発令はつれいされる「空襲くうしゅう警報けいほう」の2段階だんかい警報けいほうはっせられる仕組しくみになっており、「防空ぼうくう警報けいほう」と総称そうしょうした。当該とうがい地域ちいき担当たんとうする帝國ていこく陸海りくかいぐん指揮しきかんすなわ陸軍りくぐんであれば防衛ぼうえい司令しれいかんおよび師団しだんちょうないしは要塞ようさい司令しれいかん海軍かいぐんなら鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかんもしくは要港ようこう司令しれいかんといったレベルのもの警報けいほう発令はつれいする権限けんげんゆうした。一般いっぱん市民しみんたいしては警戒けいかい警報けいほう発令はつれいには灯火ともしび管制かんせい実施じっし空襲くうしゅう警報けいほう移行いこうした場合ばあいすみやかな防空壕ぼうくうごうへの避難ひなんをするように指示しじされ、また防衛ぼうえい召集しょうしゅうにより待命たいめいちゅう軍人ぐんじんたいしては警戒けいかい警報けいほうのサイレンがった時点じてん召集令状しょうしゅうれいじょう交付こうふされたものとみなして配置はいちくことが義務付ぎむづけられていた。

しかし、空襲くうしゅう探知たんちするレーダー聴音ちょうおん絶対ぜったいすう不足ふそく各地かくちもうけられた軍民ぐんみん双方そうほう対空たいくう監視かんし哨(目視もくしにててき監視かんしする見張みはだい)と司令しれいあいだ通信つうしん設備せつび不備ふびなどの問題もんだいから、だい東亜とうあ戦争せんそう後期こうき日本にっぽん本土ほんど空襲くうしゅうではかならずしもうまく機能きのうしなかった。

戦時せんじちゅう日本にっぽんでは空襲くうしゅう警報けいほう国民こくみん広報こうほうする手段しゅだんとしては、比較的ひかくてき普及ふきゅうしていたAMラジオ活用かつようされた。当時とうじ電波でんぱによる放送ほうそう自体じたい公共こうきょう放送ほうそうきょくであるNHK完全かんぜん独占どくせんであり、事実じじつじょう国営こくえい放送ほうそうとして伝達でんたつ役割やくわりになった。

空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそう警戒けいかい警報けいほう防空ぼうくう警報けいほうども定型ていけいされた放送ほうそう内容ないようを2かえアナウンサーげる形式けいしきで、最初さいしょおおきなブザーおとひびいたのちに『○○けん 警戒けいかい警報けいほう』、防空ぼうくう警報けいほう場合ばあいは『○○ぐん情報じょうほう』(またはぐん管区かんく情報じょうほう)とまずげられ、どこのぐん管区かんくから提供ていきょうされたなん情報じょうほうかが明確めいかく通知つうちされたうえで、『○○○○ふんてき編隊へんたい(または梯団ていだん)○○は、△△(地名ちめい)をて××(方角ほうがく)へすすんでおります』『○○○○ふんごろ、△△(地名ちめい)へるものとおもわれます』『△△(地名ちめい)の高射こうしゃほう斉射せいしゃおこないますから、注意ちゅういしてください』など、軍事ぐんじ知識ちしきとぼしい国民こくみんでも理解りかいしやすい比較的ひかくてき平易へいい短文たんぶん(東部とうぶぐん管区かんくでは文語ぶんごたいであったが、中部ちゅうぶぐん管区かんくでは口語体こうごたいもちいられた)で構成こうせいされた警報けいほうぶんげられた。周波数しゅうはすうはNHKのR1同一どういつであり、緊急きんきゅうには一般いっぱん放送ほうそうかたち空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそう挿入そうにゅうされ、警報けいほう放送ほうそうないでもそのむねことわりがげられているが、のち本土ほんど空襲くうしゅう激化げきかするとぐん司令しれいないにアナウンサーが24あいだ常駐じょうちゅうして空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそうおこな体制たいせいとなった。

防空壕ぼうくうごうなどへ避難ひなんちゅう国民こくみんラジオ受信じゅしんから逐一ちくいちながれてくる空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそう注視ちゅうしすることで、現時点げんじてんなにきていて、それにたいして帝國ていこく陸海りくかいぐんがどのような対応たいおうおこなっているかがつたわる仕組しくみになっており、ときとしてぐん内部ないぶでも通信つうしん手段しゅだんとぼしい場所ばしょ勤務きんむする将兵しょうへいたちは、空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそうつうじて全体ぜんたい戦況せんきょう把握はあくおこなことがあったという。これらの空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそうとうのNHKでも録音ろくおんがされておらず、戦後せんごながきにわたって現存げんそんする音源おんげん存在そんざいしないものとされていた。そのため戦後せんご製作せいさくされたテレビドラマ映画えいがなどでは、当時とうじ文書ぶんしょ記録きろく市民しみん証言しょうげんなどをもと製作せいさくされた再現さいげん放送ほうそう使用しようしていた。しかし2010年代ねんだいはいって、戦時せんじちゅう兵庫ひょうごけん神戸こうべ東灘ひがしなだ旧制きゅうせい中学ちゅうがくかよ戦後せんご熊本くまもと在住ざいじゅうしていた男性だんせいが、吹込ふきこめばんにてひそかに録音ろくおんしていた戦時せんじちゅうのラジオ放送ほうそう[1]NHKアーカイブス寄贈きぞう、そのなか1945ねん昭和しょうわ20ねん)2がつ4にちひる神戸こうべへのB-29編隊へんたい空襲くうしゅうと、同年どうねん2がつ18にちよる大阪おおさか単独たんどく飛来ひらいしたさい中部ちゅうぶぐん司令しれいより発令はつれいされた空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそうふくまれており、2016ねん現在げんざいこれが日本にっぽん国内こくない現存げんそんする唯一ゆいいつ音源おんげんとなっている。これらの空襲くうしゅう警報けいほう放送ほうそう2014ねんおよび2015ねん終戦しゅうせんのNHK R1『ラジオ深夜しんや便びん』にて『のこされた「空襲くうしゅう警報けいほう」~録音ろくおんばんかたる~』の題名だいめいにて放送ほうそうされた[2]

だい42だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん鈴木すずき貫太郎かんたろうひきいる帝國ていこく政府せいふポツダム宣言せんげん受諾じゅだくして、だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつしたのち1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ21にち内務省ないむしょう防空ぼうくう総本部そうほんぶよく22にち午前ごぜんれいをもって防空ぼうくう実施じっし終止しゅうしする命令めいれいはっし、日本にっぽんにおけるだい世界せかい大戦たいせん空襲くうしゅう警報けいほう終了しゅうりょうした[3]

戦時せんじ警報けいほう興行こうぎょう

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1942ねん昭和しょうわ17ねん5月16にち東京とうきょうげん東京とうきょう)では警視庁けいしちょうプロスポーツ団体だんたいだい日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい日本にっぽん競馬けいばかいげん日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい)・日本にっぽん野球やきゅう連盟れんめいげんNPB日本にっぽん野球やきゅう機構きこう)および映画えいがかん劇場げきじょう運営うんえいする興行こうぎょうしゃ団体だんたいとのあいだで、警報けいほう発令はつれい行動こうどう入場にゅうじょうけんあつかいなどについてもうわせがおこなわれた。もうわせでは、警戒けいかい警報けいほう発令はつれいには原則げんそくとして興行こうぎょう中止ちゅうししないが空襲くうしゅう警報けいほう発令はつれいされたさいには観客かんきゃく退避たいひ場外じょうがい誘導ゆうどうさせること、入場にゅうじょうけん興行こうぎょうまえ中止ちゅうしした興行こうぎょう開始かいししたから有効ゆうこう興行こうぎょう開始かいし5/10の時間じかん経過けいかしたのち中止ちゅうしした場合ばあい無効むこうはらもどしせず)といったルールがさだめられた[4]

実際じっさい適用てきようれいでは、1943ねん昭和しょうわ18ねん)の大相撲おおずもう春場所はるばしょでは警戒けいかい警報けいほうでも開催かいさいされたが、同年どうねん5がつ夏場所なつばしょでは5にち5月13にち)に警戒けいかい警報けいほう発令はつれいされて中止ちゅうしされた。同日どうじつ東京とうきょう小石川こいしかわ後楽園こうらくえん球場きゅうじょうげん東京とうきょうドーム)でおこなわれる予定よていだった職業しょくぎょう野球やきゅう(プロ野球やきゅう)も警戒けいかい警報けいほう解除かいじょされるまで中止ちゅうしめ、東京とうきょう北多摩きたたまぐん府中ふちゅうまち東京競馬場とうきょうけいばじょうおこなわれる予定よていだった公認こうにん競馬けいば日本にっぽん競馬けいばかい主催しゅさい)も中止ちゅうし順延じゅんえん発表はっぴょうされている[5]

だい東亜とうあ戦争せんそう終結しゅうけつ80ねんちかくがぎた現在げんざいでもこの名残なごりがあり、日本にっぽん競馬けいばかい後身こうしん日本中央競馬会にっぽんちゅうおうけいばかい主催しゅさいする中央ちゅうおう競馬けいばでは1にち施行しこうするべきレースの半分はんぶんえるまえ中止ちゅうしまった場合ばあい翌日よくじつ以降いこう続行ぞっこう競馬けいばとしてのこりのレースを施行しこう半分はんぶんえたのち中止ちゅうしまったときのこりのレースはじゅうしょう競走きょうそうないしクラシック競走きょうそうトライアルなど一部いちぶ例外れいがいのぞ原則げんそくりやめになる。

だい世界せかい大戦たいせん警報けいほう

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朝鮮ちょうせん動乱どうらん韓国かんこくめい6・25韓国かんこく戦争せんそう北朝鮮きたちょうせんめい祖国そこく解放かいほう戦争せんそう勃発ぼっぱつ直後ちょくごには、福岡ふくおかけん長崎ながさきけん大都市だいとしたいして空襲くうしゅう警報けいほう発令はつれいされたこともあった。

朝鮮ちょうせん休戦きゅうせん日本にっぽんでは、有事ゆうじそなえた議論ぎろんがタブーされたこともあって、民間みんかん防衛ぼうえいよう警報けいほうシステムはながらく不十分ふじゅうぶん状況じょうきょうつづき、ベレンコ中尉ちゅうい亡命ぼうめい事件じけんでは防空ぼうくうもう完全かんぜん突破とっぱされた。1990年代ねんだいころより北朝鮮きたちょうせんによるミサイル発射はっしゃ実験じっけん脅威きょういされるようになったことなどから、国民こくみん保護ほご議論ぎろん本格ほんかくし、全国ぜんこく瞬時しゅんじ警報けいほうシステム2004ねん着手ちゃくしゅ)、武力ぶりょく攻撃こうげき事態じたい告知こくちするサイレン(外部がいぶリンク参照さんしょう)の制定せいていなどのシステム整備せいびすすめられ、2010年代ねんだい以降いこう北朝鮮きたちょうせんミサイルの本州ほんしゅう北海道ほっかいどう通過つうか頻発ひんぱつ実際じっさい運用うんようされることとなった。

なお、航空こうくう自衛隊じえいたい内部ないぶでは、3段階だんかい防空ぼうくう状態じょうたい設定せっていされており、防空ぼうくう警報けいほうあか通称つうしょうアップルジャック)、警戒けいかい警報けいほう通称つうしょうレモンジュース)、警報けいほう解除かいじょしろスノーマン)とんでいる[6]が、それぞれの警報けいほう正確せいかく段階だんかいについては不明ふめいとされている。ただし、これらの防空ぼうくう警報けいほう適時てきじ国民こくみん伝達でんたつする手段しゅだんについては検討けんとう課題かだいとされている。[7]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 浄法寺じょうほうじ朝美あさみ日本にっぽん防空ぼうくうはら書房しょぼう、1981ねん

出典しゅってん

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  1. ^ てき油断ゆだん禁物きんもつ戦時せんじのラジオ放送ほうそう熊本くまもと男性だんせい録音ろくおん - 朝日新聞あさひしんぶん2015ねん12月16にち
  2. ^ 神戸こうべ空襲くうしゅう警報けいほう音声おんせい終戦しゅうせん放送ほうそう NHK「ラジオ深夜しんや便びん - 神戸こうべ新聞しんぶん、2015ねん8がつ13にち
  3. ^ 防空ぼうくう総本部そうほんぶ長官ちょうかん民間みんかん防空ぼうくう終止しゅうし命令めいれい朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわ20ねん8がつ22にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん本編ほんぺんp728 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  4. ^ 空襲くうしゅう警報けいほう劇場げきじょう映画えいがかん興行こうぎょう中止ちゅうし中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう昭和しょうわ17ねん5がつ17にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん本編ほんぺんp728)
  5. ^ 競馬けいばとプロ野球やきゅう警戒けいかい警報けいほう中止ちゅうし順延じゅんえん毎日新聞まいにちしんぶん昭和しょうわ18ねん5がつ14にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん本編ほんぺんp728)
  6. ^ 楢崎ならさき欣弥きんや (2001ねん2がつ6にち). “今後こんご日本にっぽん外交がいこう防衛ぼうえい問題もんだいおよ有事ゆうじ法制ほうせいかんする質問しつもん主意しゅいしょ” (HTML). 2010ねん3がつ13にち閲覧えつらん
  7. ^ もり喜朗よしろう (2001ねん3がつ30にち). “衆議院しゅうぎいん議員ぎいん楢崎ならさき欣弥きんやくん提出ていしゅつ今後こんご日本にっぽん外交がいこう防衛ぼうえい問題もんだいおよ有事ゆうじ法制ほうせいかんする質問しつもんたいする答弁とうべんしょ” (HTML). 2010ねん3がつ13にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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