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召集 - Wikipedia

召集しょうしゅう(しょうしゅう)とは、以下いか意味いみ使用しようされる。

  1. 多人数たにんずうんであつめること[1][2][3][4]多人数たにんずうあつめるさいにおける召集しょうしゅう参照さんしょう
  2. 国会こっかい会期かいき開始かいしさせる行為こうい国会こっかい議員ぎいんたいし、一定いってい時期じきにおいて国会こっかいへの集合しゅうごうめいじる[1][3][4][5]国会こっかいにおける召集しょうしゅう参照さんしょう
  3. 在郷ざいきょう軍人ぐんじん国民こくみんへいなどを、軍隊ぐんたいあつめること。また、その行政ぎょうせい作用さよう[1][2][3][4]軍事ぐんじにおける召集しょうしゅう参照さんしょう

ここでは、以上いじょうのそれぞれについて記載きさいする。

召集しょうしゅう」の「召」は、「くちせる」「上位じょういしゃ目下もっかものせる」などのとされる[6][7]一方いっぽう、「招集しょうしゅう」の「招」は、本来ほんらいまねきをする」「でまねきせること」である[7]

召集しょうしゅう」はほん記事きじにあるような意味いみ使つかわれており、「招集しょうしゅう」は「会議かいぎのためにあつまってもらう」「関係かんけいしゃまねあつめること」「おおくのひとあつまってもらうこと」の意味いみ使つかわれている[8][9][10][11][7]

多人数たにんずうあつめるさいにおける召集しょうしゅう

編集へんしゅう

辞書じしょによれば、「召集しょうしゅう」の意味いみとして「んであつめること」は共通きょうつうしている。「多数たすう」「多人数たにんずう」をあつめると記載きさいする辞書じしょと、人数にんずうについては限定げんていしない辞書じしょがある。また、「配下はいかひと」「自分じぶん同等どうとうもしくは、それ以下いかもの」のようにあつめるものあつめられるもの関係かんけいせいについて言及げんきゅうする辞書じしょと、それについては言及げんきゅうしない辞書じしょがある。用事ようじがあるときに「関係かんけいするひと」をあつめると記載きさいしている辞書じしょもある。辞書じしょ文例ぶんれいから、「医師いし」・「代表だいひょうチーム」・「部員ぶいん」をあつめるさいに「召集しょうしゅうする」と表記ひょうきすることができるのはあきらかである[1][2][3][4]

一方いっぽう日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい(NHK)の放送ほうそう用語ようごでは、日本にっぽん国会こっかいきゅう日本にっぽんぐんについては「召集しょうしゅう」とするものの、については一般いっぱんてきに「招集しょうしゅう」を使用しようしている[7]

災害さいがいなど、なに非常ひじょう事態じたいしょうじたさい職員しょくいんなどを緊急きんきゅうすことについては、「召集しょうしゅう」の使用しようする自治体じちたいと「招集しょうしゅう」の使用しようする自治体じちたいがある [12][13][14]防衛ぼうえいしょうは、防衛ぼうえい災害さいがいとうにおける予備よび自衛じえいかんについて「招集しょうしゅう」の使用しようする[15]しん明解めいかい国語こくご辞典じてんでは、警察けいさつについても「召集しょうしゅう」の表記ひょうきとしている[4][11]

国会こっかいにおける召集しょうしゅう

編集へんしゅう

国会こっかい会期かいき開始かいしさせる行為こうい国会こっかい議員ぎいんたいし、一定いってい時期じきにおいて国会こっかいへの集合しゅうごうめいじる。

日本にっぽん国会こっかいにおいては法令ほうれいじょう召集しょうしゅう」の表記ひょうきであり、日本にっぽん地方ちほう議会ぎかいにおいては法令ほうれいじょう招集しょうしゅう」の表記ひょうきである[5][16]日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょでは日本にっぽん以外いがいくに立法府りっぽうふについても「召集しょうしゅう」を使用しようしており、アメリカ・イギリス・イタリア・ドイツ・フランスの各国かっこく議会ぎかいについても「召集しょうしゅう」と記載きさいされている事例じれいがある[5][17][18][19]一方いっぽう、NHKの放送ほうそう用語ようごにおいては、「召集しょうしゅう」を使用しようするのは日本にっぽん国会こっかい限定げんていし、地方自治体ちほうじちたい外国がいこく議会ぎかいについては「招集しょうしゅう」を使用しようしている[7]

日本にっぽん国会こっかいにおける召集しょうしゅう

編集へんしゅう

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうでは、だい7じょうに「天皇てんのう帝国ていこく議会ぎかい召集しょうしゅうシ其ノ開会かいかい閉会へいかい停会ていかい及衆議院ぎいん解散かいさんいのちス」とさだめられた。その議会ぎかい毎年まいとし召集しょうしゅうすること臨時りんじかい召集しょうしゅうできることや、衆議院しゅうぎいん解散かいさん解散かいさんから5ヶ月かげつ以内いない議会ぎかい召集しょうしゅうすることなどがさだめられた。

日本国にっぽんこく憲法けんぽうでは、だい7じょうに「天皇てんのうは、内閣ないかく助言じょげん承認しょうにんにより、国民こくみんのために、ひだり国事こくじかんする行為こういくだりふ。」とさだめられ、そのだい2ごうに「国会こっかい召集しょうしゅうすること。」の文言もんごんがある。その国会こっかい毎年まいとし召集しょうしゅうすると記載きさいされ臨時りんじかい召集しょうしゅうできることや、衆議院しゅうぎいん解散かいさん解散かいさんから70にち以内いない議会ぎかい召集しょうしゅうすることなどもさだめられた。なお、だい70じょう規定きていにより、衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょのちはじめて国会こっかい召集しょうしゅうがあつたときは、内閣ないかくそう辞職じしょくしなければならない。国会こっかい召集しょうしゅう詔書しょうしょをもっておこなわれ、召集しょうしゅう詔書しょうしょには集会しゅうかい期日きじつや、常会じょうかい臨時りんじかい特別とくべつかいのいずれであるかなどが記載きさいされる[20]

日本にっぽん以外いがい国会こっかいにおける召集しょうしゅう

編集へんしゅう

イギリスの議会ぎかいにおいては、国王こくおう国王こくおう大権たいけんひとつとして議会ぎかい召集しょうしゅうおこな[21]

軍事ぐんじにおける召集しょうしゅう

編集へんしゅう

在郷ざいきょう軍人ぐんじん国民こくみんへいなどを軍隊ぐんたいあつめることや、その行政ぎょうせい作用さようす。

きゅう日本にっぽんぐんにおいては法令ほうれいじょう召集しょうしゅう」の表記ひょうきであり、自衛隊じえいたいにおいては法令ほうれいじょう招集しょうしゅう」の表記ひょうきである[3][16]大辞泉だいじせん大辞林だいじりん日本にっぽん国語こくごだい辞典じてんしん明解めいかい国語こくご辞典じてんのいずれの辞書じしょにおいても、この意味いみ表記ひょうきは「召集しょうしゅう」であり「招集しょうしゅう」ではない[1][2][3][4][8][9][10][11]一方いっぽう、NHKの放送ほうそう用語ようごにおいては「召集しょうしゅう」はきゅう日本にっぽんぐん限定げんていし、自衛隊じえいたい外国がいこく軍隊ぐんたいについては「招集しょうしゅう」を使用しようしている[7]。ニュースや解説かいせつなどにおいては、日本にっぽん以外いがい軍隊ぐんたいたいして「召集しょうしゅう」「招集しょうしゅう」いずれの表現ひょうげんもちいられるれいがある[22][23][24]

以下いかでは、だい東亜とうあ戦争せんそう太平洋戦争たいへいようせんそうだい世界せかい大戦たいせん以前いぜん大日本帝國だいにっぽんていこく軍事ぐんじにおける召集しょうしゅうについて記載きさいするが、朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)の朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんタイ王立おうりつぐん帝國ていこく陸海りくかいぐん徴兵ちょうへい制度せいど影響えいきょうけている。

徴兵ちょうへい制度せいどした日本にっぽん国民こくみん軍務ぐんむにつくには、徴集ちょうしゅう召集しょうしゅう志願しがんさんとおりがあった[25][26]時代じだいによりこまかな用語ようごことなる場合ばあいがあるが、徴集ちょうしゅうとは徴兵ちょうへい検査けんさ合格ごうかくしたもの現役げんえきまたは補充ほじゅう兵役へいえき編入へんにゅうすることで、現役げんえき編入へんにゅうされたもの平時へいじ有事ゆうじとにかかわらず軍務ぐんむにつく[27]現役げんえきへい軍隊ぐんたいはいることは召集しょうしゅうではない召集しょうしゅうとは現役げんえき以外いがい兵役へいえきふく実際じっさい軍務ぐんむについていないものを、なんらかの事由じゆうによる必要ひつようから軍務ぐんむにつかせることである[28][29]予備よびやく将校しょうこうあるいは補充ほじゅうへいなどが召集しょうしゅうされて軍務ぐんむについてもやくしゅわらず[30]、あくまでも「召集しょうしゅうちゅう予備よびやく将校しょうこう」「召集しょうしゅうちゅう補充ほじゅうへい」である。したがって「召集しょうしゅうされて現役げんえきに」などの表現ひょうげんあやまりとなる。

明治めいじおよび大正たいしょう

編集へんしゅう

明治めいじじゅう年代ねんだいまで

編集へんしゅう

1873ねん明治めいじ6ねん)1がつ制定せいていされた徴兵ちょうへいれい召集しょうしゅう明文化めいぶんかされている[31]徴兵ちょうへいれいでは陸軍りくぐん常備じょうびぐん後備こうびぐん国民こくみんぐんけ、徴兵ちょうへい検査けんさ合格ごうかく免役めんえき条件じょうけん該当がいとうせず抽籤ちゅうせんによりえらばれたものは、兵卒へいそつ[32]として3年間ねんかん常備じょうびぐん服役ふくえき部隊ぶたい屯営とんえいする(平時へいじは2ねんぎ「帰休ききゅう」として常備じょうびぐん服役ふくえき期間きかんちゅう軍務ぐんむはなれることも可能かのうとされ、こうした兵卒へいそつ帰休兵ききゅうへいんだ)。常備じょうびぐん服役ふくえきわると後備こうびぐんだいいち後備こうびぐんだい後備こうびぐん)として民間みんかん生活せいかつをする。はじめの2年間ねんかんだいいち後備こうびぐんであり、「戦時せんじとうリテハちょくチニ召集しょうしゅうシ」常備じょうびぐんくわえるとした。平時へいじにおいてもとしいち技量ぎりょう維持いじのため短期間たんきかん召集しょうしゅうがあった。だいいち後備こうびぐん服役ふくえきわると、さらに2年間ねんかんだい後備こうびぐん服役ふくえきし「全国ぜんこく大挙たいきょとき」には召集しょうしゅうするとさだめられた。国民こくみんぐん常備じょうびぐん後備こうびぐん服役ふくえきちゅうでない17さいから40さいまでの男子だんしすべてにより構成こうせいされるが、召集しょうしゅう対象たいしょうにはならなかった。海軍かいぐんかんして徴兵ちょうへいれいでは緒言しょげん陸軍りくぐん兵員へいいんのうち「ぬまかい住民じゅうみんぶねかじ濤ニ慣レンしゃ」(うみ湖沼こしょう近辺きんぺん住民じゅうみんふねなみれているもの)を海軍かいぐん兵員へいいんにあてるとしるされているのみだった[33]1875ねん明治めいじ8ねん)、後備こうびぐん召集しょうしゅうについてくわしく規定きていした後備こうびぐん召集しょうしゅう条例じょうれい陸軍りくぐんしょういたるだい112ごう)が制定せいていされている[34]

1879ねん明治めいじ12ねん)10がつ徴兵ちょうへいれい改正かいせい太政官だじょうかん布告ふこくだい46ごう)で3年間ねんかん常備じょうびぐんのちさらに3年間ねんかん予備よびぐんもうけられ、そのを4年間ねんかん後備こうびぐんとし、予備よびぐん後備こうびぐん民間みんかん生活せいかつするが「戦時せんじある非常ひじょう事故じこアル」には予備よびぐん後備こうびぐんじゅん召集しょうしゅうし、常備じょうびぐんくわえるとさだめられた。平時へいじ予備よびぐん後備こうびぐんともにとしいちかい召集しょうしゅうによる訓練くんれんがあった[35]

1886ねん明治めいじ19ねん)10がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう条例じょうれい陸軍りくぐん省令しょうれいかぶとだい39ごう)が制定せいてい施行しこうされ、召集しょうしゅう充員じゅういん召集しょうしゅう後備こうびぐん召集しょうしゅう近衛このえ充員じゅういん召集しょうしゅう近衛このえ後備こうびぐん召集しょうしゅう演習えんしゅう召集しょうしゅう点呼てんこ召集しょうしゅうの6つにわけられた[36][37]充員じゅういん召集しょうしゅうとは戦時せんじまたは事変じへんさい常備じょうびぐん帰休兵ききゅうへい予備よびぐん召集しょうしゅうすることで、後備こうびぐん召集しょうしゅう充員じゅういん召集しょうしゅうつぎ後備こうびぐん召集しょうしゅうすることである。近衛このえ充員じゅういん召集しょうしゅう近衛このえ後備こうびぐん召集しょうしゅう対象たいしょう近衛このえへい限定げんていした召集しょうしゅうである。演習えんしゅう召集しょうしゅう臨時りんじ定時ていじがあり、臨時りんじ演習えんしゅう召集しょうしゅう戦時せんじまたは事変じへんさい充員じゅういん召集しょうしゅうあるいは後備こうびぐん召集しょうしゅう手続てつづきを演習えんしゅうするもので、定時ていじ演習えんしゅう召集しょうしゅうはあらかじめさだめた期日きじつ帰休兵ききゅうへい予備よびぐん後備こうびぐん短期間たんきかん演習えんしゅうのため召集しょうしゅうすることである。点呼てんこ召集しょうしゅうとは予備よびぐんおよび後備こうびぐん兵員へいいん調査ちょうさするための召集しょうしゅうである。かく召集しょうしゅうには召集令状しょうしゅうれいじょうもちいられ、原則げんそくとして本人ほんにん手渡てわたしされる。そのさい召集しょうしゅうおうじるための旅費りょひ国庫こっこから支払しはらわれることになっていた。この当時とうじ召集令状しょうしゅうれいじょう後年こうねんちがひょうみじかく「召集しょうしゅうれいス」と大書たいしょされ、めいぜられたものやくしゅ階級かいきゅう姓名せいめい召集しょうしゅう発令はつれい年月日ねんがっぴ発令はつれいをした鎮台ちんだいめい(または近衛このえ)などがしるされるのみで、用紙ようし着色ちゃくしょくする規定きていはなかった。裏面りめん召集しょうしゅうけた本人ほんにん住所じゅうしょ召集しょうしゅう召集しょうしゅうまでの距離きょりとそれにおうじた旅費りょひ金額きんがくなどがしるされ、旅費りょひ受領じゅりょうしたさい記名きめい捺印なついんをするまりであった[38]

徴兵ちょうへいれいだい改正かいせい以後いご

編集へんしゅう

1889ねん明治めいじ22ねん)1がつ大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう同年どうねん2がつ発布はっぷ、11月施行しこう)の制定せいていにあわせて徴兵ちょうへいれい法律ほうりつだい1ごうとしておおきく改正かいせいされ、兵役へいえき種類しゅるい常備じょうびやく後備こうびやく国民こくみん兵役へいえきとし、常備じょうびやく現役げんえき予備よびやくにわけた。現役げんえきは20さい徴兵ちょうへい検査けんさ合格ごうかく抽籤ちゅうせんによりえらばれた男子だんし陸軍りくぐんは3年間ねんかん海軍かいぐんは4年間ねんかんふくし、現役げんえきわると陸軍りくぐんは4年間ねんかん海軍かいぐんは3年間ねんかん予備よびやくふくした。さらに常備じょうびやくえたものりく海軍かいぐんとも5年間ねんかん後備こうびやくふくし、常備じょうびやくでも後備こうびやくでもない17さいから40さいまでの男子だんし国民こくみん兵役へいえきふくする。予備よびやくにあるもの戦時せんじもしくは事変じへんさい召集しょうしゅうされ、平時へいじには60にち以内いない勤務きんむ演習えんしゅうのための召集しょうしゅう毎年まいとしいち簡閲かんえつ点呼てんこもあった。後備こうびやくにあるもの予備よびやくいで召集しょうしゅうされた。平時へいじ勤務きんむ演習えんしゅう簡閲かんえつ点呼てんこ予備よびやく同様どうようである。国民こくみん兵役へいえきにあるもの後備こうびやく兵員へいいん召集しょうしゅうしてもなお兵員へいいん必要ひつようとする場合ばあいかぎ召集しょうしゅうされた。勤務きんむ演習えんしゅう召集しょうしゅう簡閲かんえつ点呼てんこ国民こくみん兵役へいえきにはなかった。

1894ねん明治めいじ27ねん)、にちしん戦争せんそう日本にっぽん徴兵ちょうへいれいはじめてのだい規模きぼ対外たいがい戦争せんそう経験けいけんした。戦争せんそうぜん期間きかんつうじた動員どういん兵力へいりょくは24まん616にん、そのうち下士かし[39]以上いじょう人員じんいんのぞいた兵卒へいそつは20まん9927にんであった。開戦かいせん現役げんえき兵卒へいそつ定数ていすうは6まん589にんぎず、のこりは予備よびやく兵卒へいそつ9まん35にん後備こうびやく兵卒へいそつ10まん3914にんなかから召集しょうしゅうによって補充ほじゅうされた[40]

戦争せんそうがまだ継続けいぞくちゅう1895ねん明治めいじ28ねん)3がつ徴兵ちょうへいれい改正かいせい法律ほうりつだい15ごう)が公布こうふされ、同年どうねん4がつ1にち施行しこうされた[41]。この改正かいせいでは陸軍りくぐん予備よびやくを4ねんから4ねん4かげつ延長えんちょうし、あらたに補充ほじゅう兵役へいえきさだめられた。補充ほじゅう兵役へいえき陸軍りくぐんではだいいち補充ほじゅう兵役へいえきだい補充ほじゅう兵役へいえきにわかれ、現役げんえきてきするが定数ていすうのため現役げんえき指定していされなかったものだいいち補充ほじゅう兵役へいえきに7ねん4かげつふくし、だい補充ほじゅう兵役へいえきだいいち補充ほじゅう兵員へいいん指定していされなかったものが1ねん4かげつ服役ふくえきする。海軍かいぐんにおいてはだいいちだいにわけず、現役げんえきてきするが兵員へいいん定数ていすうにより現役げんえき指定していされなかったものが1年間ねんかん補充ほじゅう兵役へいえきふくすとされた。また国民こくみん兵役へいえきだいいちだいにわけ、だいいち国民こくみん兵役へいえき後備こうび兵役へいえきおよびだいいち補充ほじゅう兵役へいえきえたものふくし、だい国民こくみん兵役へいえき常備じょうび兵役へいえき後備こうび兵役へいえき補充ほじゅう兵役へいえきだいいち国民こくみん兵役へいえきのいずれでもないものふくした。召集しょうしゅうかんしては陸軍りくぐんだいいち補充ほじゅう兵役へいえき海軍かいぐん補充ほじゅう兵役へいえきにあるものはそれぞれ現役げんえき不足ふそく場合ばあい補欠ほけつにあて、また戦時せんじもしくは事変じへんさい召集しょうしゅうするとさだめられた(陸軍りくぐんだいいち補充ほじゅうへい現役げんえき補欠ほけつ要員よういんとなるのは補充ほじゅうへいとして徴集ちょうしゅうされた初年しょねんかぎる)。だいいち補充ほじゅうへい平時へいじには教育きょういくのため150にち以内いない召集しょうしゅうがあった。陸軍りくぐんだい補充ほじゅう兵役へいえきにあるものは、だいいち補充ほじゅうへい召集しょうしゅうしてもなお兵員へいいんようするときに召集しょうしゅうするとされた。この改正かいせいにより現役げんえき定数ていすうやす(平時へいじには国家こっか財政ざいせい負担ふたんになる)ことなく、有事ゆうじ召集しょうしゅう要員よういんのプールを充実じゅうじつさせることで兵員へいいん確保かくほ以前いぜんより容易よういになった[42]

1896ねん明治めいじ29ねん)11月、あらたな陸軍りくぐん召集しょうしゅう条例じょうれいみことのりれいだい364ごう)が制定せいていされ、よく1897ねん明治めいじ30ねん)4がつ、それまでの条例じょうれいはい施行しこうされた[43][44]しん条例じょうれいでは充員じゅういん召集しょうしゅう国民こくみんへい召集しょうしゅう演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう補欠ほけつ召集しょうしゅうと、ぜん条例じょうれい点呼てんこ召集しょうしゅうにかわり簡閲かんえつ点呼てんこ規定きていされている。充員じゅういん召集しょうしゅうとは動員どういんさい陸軍りくぐん全部ぜんぶもしくは一部いちぶ充員じゅういんするため、および動員どういん完結かんけつ欠員けついん補充ほじゅうするためその要員よういん召集しょうしゅうすることで、動員どういんれいしたが師団しだんちょう充員じゅういんれいはっする。国民こくみんへい召集しょうしゅうだいいち国民こくみんへい召集しょうしゅうだい国民こくみんへい召集しょうしゅうにわかれ、年齢ねんれいわかものより召集しょうしゅうするとさだめられている(だい国民こくみん兵役へいえきの17さい以上いじょう21さい未満みまんもの特別とくべつ命令めいれい以外いがいでは召集しょうしゅうされない)。演習えんしゅう召集しょうしゅうとは予備よびやく後備こうびやく将校しょうこう下士かし兵卒へいそつおよびだいいち補充ほじゅうへい勤務きんむ演習えんしゅう、ならびに現役げんえき帰休兵ききゅうへい演習えんしゅう召集しょうしゅうである。教育きょういく召集しょうしゅうとは教育きょういくのためだいいち補充ほじゅうへい召集しょうしゅうすることで、だいいち補充ほじゅう兵役へいえき初年しょねんおこなう。補欠ほけつ召集しょうしゅうとは平時へいじにおいて臨時りんじ兵員へいいん補欠ほけつようするときに帰休兵ききゅうへい召集しょうしゅうすることである。簡閲かんえつ点呼てんこ予備よびやく後備こうびやく下士かし兵卒へいそつおよびだいいち補充ほじゅうへいあつ平時へいじにおける状況じょうきょう把握はあくし、必要ひつよう訓示くんじおこなうことである。在郷ざいきょう軍人ぐんじん待命たいめい休職きゅうしょく停職ていしょく予備よびやく後備こうびやく将校しょうこうどう相当そうとうかんまたはどうじゅん士官しかん予備よびやく後備こうびやく下士かし兵卒へいそつ)および補充ほじゅうへい召集しょうしゅうには召集令状しょうしゅうれいじょうもちい、令状れいじょうには編入へんにゅうすべき部隊ぶたい到着とうちゃく地点ちてん到着とうちゃく期日きじつしるされる。国民こくみん兵役へいえきにあるもの召集しょうしゅうする場合ばあい召集令しょうしゅうれい伝達でんたつしょもちい、集合しゅうごう地点ちてんとその期日きじつしるされる。簡閲かんえつ点呼てんこ点呼てんこ令状れいじょうもちい、点呼てんこじょうとその到着とうちゃくしるされることになっていた。

1898ねん明治めいじ31ねん)10がつには海軍かいぐん召集しょうしゅう条例じょうれいみことのりれいだい247ごう)が制定せいてい施行しこうされた[45]基本きほんてき志願しがんによる補充ほじゅう重点じゅうてんき、軍務ぐんむ技術ぎじゅつようすることが陸軍りくぐんくらべておお海軍かいぐんが、条例じょうれいさだめたのは、充員じゅういん召集しょうしゅう演習えんしゅう召集しょうしゅう簡閲かんえつ点呼てんこの3種類しゅるいのみであった。充員じゅういん召集しょうしゅうとは戦時せんじもしくは事変じへんさい充員じゅういんおこなうため、予備よびやく後備こうびやく海軍かいぐん軍人ぐんじん一部いちぶまたは全部ぜんぶ召集しょうしゅうすることである。演習えんしゅう召集しょうしゅうとは演習えんしゅうおこなうため平時へいじ予備よびやく後備こうびやく海軍かいぐん軍人ぐんじん召集しょうしゅうすることである。簡閲かんえつ点呼てんことは予備よびやく後備こうびやく海軍かいぐん下士かしそつ[46]を「じつ査スルため」、時期じきさだ召集しょうしゅうすることである。陸軍りくぐん将校しょうこうから兵卒へいそつにいたるまでの召集しょうしゅう師団しだんちょうおこなうのにたいし、海軍かいぐんじゅん士官しかん以上いじょう召集しょうしゅう海軍かいぐん大臣だいじんおこない、下士かしそつ召集しょうしゅう鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかんおこなう。また陸軍りくぐん充員じゅういん召集しょうしゅう動員どういんれいにしたがっておこなわれるのにたいし、海軍かいぐんはその軍隊ぐんたい性質せいしつから動員どういん文言もんごんがない。召集しょうしゅうには召集令状しょうしゅうれいじょう簡閲かんえつ点呼てんこには点呼てんこ令状れいじょうもちいること、召集しょうしゅうおうじるための旅費りょひ支給しきゅうされることなどは陸軍りくぐん同様どうようであった。

にち戦争せんそうから大正たいしょう

編集へんしゅう

1904ねん明治めいじ37ねん)2がつにち戦争せんそう開戦かいせんすると、同年どうねん3がつに「戦時せんじまた事変じへんさいニ於ケル臨時りんじ召集しょうしゅうせきスルけん」(みことのりれいだい83ごう)が公布こうふ施行しこうされた[47]。これにより戦時せんじまたは事変じへんさい必要ひつようあるとき、師団しだんちょう陸軍りくぐん予備よびやくまたは後備こうびやく将兵しょうへい臨時りんじ召集しょうしゅうすることができるとさだめられた。明治めいじから大正たいしょうにかけての日本にっぽんぐんで、もっとも召集しょうしゅうおこなわれたのがにち戦争せんそう期間きかんである。兵卒へいそつだけにかぎっても1904年度ねんどは86まん9785にんざつそつ[48]から砲兵ほうへい輜重しちょうへい兵卒へいそつおよび看護かんごそつてんじたものじゅう集計しゅうけいされているため、人数にんずう)が召集しょうしゅうされた。内訳うちわけ現役げんえき帰休兵ききゅうへい3まん2922にん予備よびやく19まん9357にん後備こうびやく14まん510にん補充ほじゅう兵役へいえき46まん105にん国民こくみん兵役へいえき3まん6891にん(いずれも人数にんずう)であった[49]前記ぜんき人数にんずう可能かのうにするため、後備こうびやくは5ねんから10ねん延長えんちょうされた。それによって従来じゅうらいなら国民こくみん兵役へいえきであったところを後備こうびやくさい編入へんにゅうされた人数にんずうが5まん199にんとなり、最高さいこうまん38さいものまでが兵卒へいそつとして召集しょうしゅうされることになった[50]にち戦争せんそうでの召集しょうしゅうは、1899ねん明治めいじ32ねん)10がつより施行しこうされた陸軍りくぐん召集しょうしゅう条例じょうれい施行しこう細則さいそく陸軍りくぐん省令しょうれいだい29ごう)で令状れいじょうを「用紙ようし適宜てきぎニシテ紅色こうしょくトス」とさだめていたため、いわゆる「赤紙あかがみ」によるものであった[51]

1913ねん大正たいしょう2ねん)11月、陸軍りくぐん召集令しょうしゅうれいみことのりれいだい299ごう)が施行しこうされ、それまでの陸軍りくぐん召集しょうしゅう条例じょうれい廃止はいしとなった[52]陸軍りくぐん召集令しょうしゅうれいでは充員じゅういん召集しょうしゅう臨時りんじ召集しょうしゅう国民こくみんへい召集しょうしゅう演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう補欠ほけつ召集しょうしゅう簡閲かんえつ点呼てんこ規定きていされている。それまでの条例じょうれい臨時りんじ召集しょうしゅうくわえ、かく条項じょうこう定義ていぎ簡潔かんけつあらためた以外いがいにはおおきな変更へんこうはない。

昭和しょうわ

編集へんしゅう

兵役へいえきほう制度せいど

編集へんしゅう

1927ねん昭和しょうわ2ねん)3がつ徴兵ちょうへいれいにかわって兵役へいえきほう法律ほうりつだい47ごう)が公布こうふされ、同年どうねん12がつ1にち施行しこうされた[53]兵役へいえきほうでは「帝国ていこく臣民しんみんタル男子だんし」は常備じょうび兵役へいえき後備こうび兵役へいえき補充ほじゅう兵役へいえき国民こくみん兵役へいえきのいずれかにふくすとさだめられ、常備じょうび兵役へいえき現役げんえき予備よびやくに、補充ほじゅう兵役へいえき国民こくみん兵役へいえきはどちらもだいいちだい細分さいぶんされた[54]召集しょうしゅうについては「帰休兵ききゅうへい予備よびへい後備こうびへい補充ほじゅうへいまた国民こくみんへい戦時せんじまた事変じへんぎわ必要ひつようおう召集しょうしゅうス」とさだめられ、詳細しょうさい兵役へいえきほう同時どうじ施行しこうされた兵役へいえきほう施行しこうれいみことのりれいだい330ごう)および陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく陸軍りくぐん省令しょうれいだい25ごう)、海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく海軍かいぐんしょうれいだい23ごう)とあわせて規定きていされた[55][56][57]。1927ねん12月1にち時点じてんでの陸海りくかいぐん召集しょうしゅう簡閲かんえつ点呼てんこ以下いかのとおりである。

陸軍りくぐん
  • 充員じゅういん召集しょうしゅう動員どういんにあたり、しょ部隊ぶたい要員よういん充足じゅうそくするため在郷ざいきょう軍人ぐんじん召集しょうしゅうする。
  • 臨時りんじ召集しょうしゅう戦時せんじまたは事変じへんさい必要ひつようにより臨時りんじ在郷ざいきょう軍人ぐんじん召集しょうしゅうする。
  • 国民こくみんへい召集しょうしゅう[58]戦時せんじまたは事変じへんさい国民こくみんへい召集しょうしゅうする。
  • 演習えんしゅう召集しょうしゅう勤務きんむ演習えんしゅうのため在郷ざいきょう軍人ぐんじん召集しょうしゅうする。
  • 教育きょういく召集しょうしゅう教育きょういくのためだいいち補充ほじゅうへい召集しょうしゅうする。
  • 補欠ほけつ召集しょうしゅう[59]ざい営のへい補欠ほけつ必要ひつようがあるさい臨時りんじ帰休兵ききゅうへい召集しょうしゅうする。
  • 簡閲かんえつ点呼てんこ予備よびやく後備こうびやく下士官かしかんへい、およびだいいち補充ほじゅうへいあつめ、調査ちょうさ訓示くんじあたえる。
海軍かいぐん
  • 充員じゅういん召集しょうしゅう戦時せんじまたは事変じへんさい充員じゅういんのため在郷ざいきょう軍人ぐんじん召集しょうしゅうする。
  • 演習えんしゅう召集しょうしゅう演習えんしゅうのため在郷ざいきょう軍人ぐんじん召集しょうしゅうする。
  • 補欠ほけつ召集しょうしゅう臨時りんじ兵員へいいん補欠ほけつそので、帰休ききゅうちゅうまたは服役ふくえき1ねん予備よびやく下士官かしかんへい召集しょうしゅうする。
  • 簡閲かんえつ点呼てんこ予備よびやく後備こうびやく下士官かしかんへいあつめ、調査ちょうさ訓示くんじあたえる。

具体ぐたいてき召集しょうしゅう対象たいしょうとなるのは兵役へいえきほうさだめられた徴兵ちょうへいによる人員じんいんだけではなく、志願しがんによりぐんはいったのち現役げんえきはなれたものふくまれる。陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそくでは待命たいめい休職きゅうしょく停職ていしょく予備よびやく後備こうびやく将校しょうこうどう相当そうとうかん[60]ならびにじゅん士官しかん予備よびやく後備こうびやく下士官かしかんへい[61]補充ほじゅうへい以上いじょうをあわせて在郷ざいきょう軍人ぐんじんとする)、および国民こくみんへい召集しょうしゅうすると規定きていした。海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく予備よびやく後備こうびやく士官しかん特務とくむ士官しかんじゅん士官しかん下士官かしかんへい、および帰休ききゅうちゅう下士官かしかんへい海軍かいぐん在郷ざいきょう軍人ぐんじん規定きていした[62][63]召集しょうしゅうおうじることを応召おうしょうといい、召集しょうしゅうしゃ法令ほうれいでは応召おうしょういん一般いっぱんには応召おうしょうしゃんだ。召集しょうしゅうおよび簡閲かんえつ点呼てんこはそれぞれの令状れいじょうによって通達つうたつされる。陸軍りくぐん充員じゅういん召集令状しょうしゅうれいじょう臨時りんじ召集令状しょうしゅうれいじょう国民こくみんへい召集令状しょうしゅうれいじょうは「用紙ようし適宜てきぎニシテ淡紅あわべにしょくトス」、海軍かいぐん充員じゅういん召集令状しょうしゅうれいじょうは「用紙ようし適宜てきぎ紅色こうしょく」とさだめられていたため[64][65][66]赤紙あかがみという俗称ぞくしょうばれることもあった。

実施じっし手順てじゅん

編集へんしゅう

陸軍りくぐん召集しょうしゅうかん(ひとつの師団しだん管轄かんかつする区域くいき単位たんいおこなわれ、師団しだんちょう統括とうかつする。実際じっさい召集しょうしゅう事務じむ業務ぎょうむおこなうのは管内かんないかく連隊れんたい司令しれいである。召集しょうしゅう人選じんせん国民こくみんへい召集しょうしゅうのぞき、市町村しちょうそん役場やくばからまえもって提出ていしゅつされた在郷ざいきょう軍人ぐんじん名簿めいぼをもとに連隊れんたい司令しれい決定けっていし、召集令状しょうしゅうれいじょう作成さくせいされる[67]召集令状しょうしゅうれいじょう連隊れんたい司令しれいから各地かくち警察けいさつしょつう町村ちょうそん役場やくばとどけられ(場合ばあい連隊れんたい司令しれいから直接ちょくせつへ)、兵事へいじがかりばれる担当たんとうしゃ応召おうしょういん直接ちょくせつ令状れいじょう手渡てわたすことを原則げんそくとした。応召おうしょういん不在ふざいのときは戸主こしゅ応召おうしょういんまたは戸主こしゅどう世帯せたい家事かじ担当たんとうする家族かぞくなどに手渡てわたす。令状れいじょうったもの令状れいじょう添付てんぷされている受領証じゅりょうしょう実際じっさいには令状れいじょう一部分いちぶぶんになっており、はなして受領証じゅりょうしょうとした)に受領じゅりょう年月日ねんがっぴ時刻じこく記入きにゅうし、捺印なついん応召おうしょういん以外いがい受領じゅりょうした場合ばあい記名きめい捺印なついん)してただちに返付へんぷするとさだめられていた。したがって、よくわれるいちぜにりんのはがき1まい召集しょうしゅうのようなことはありない。

召集しょうしゅう本籍ほんせき主義しゅぎであり、応召おうしょういん就業しゅうぎょう就学しゅうがくその理由りゆうにより本籍ほんせき居住きょじゅうしていない場合ばあいでも本籍ほんせき管轄かんかつする連隊れんたい司令しれい令状れいじょう本籍ほんせき住所じゅうしょあて交付こうふする。令状れいじょうには応召おうしょういん到着とうちゃくすべき日時にちじ場所ばしょおよび召集しょうしゅう部隊ぶたいめい記入きにゅうされてあり、応召おうしょういん令状れいじょう召集しょうしゅう部隊ぶたいまで持参じさんする。そのさい到着とうちゃくまでに必要ひつよう鉄道てつどう船舶せんぱく切符きっぷは、令状れいじょう提示ていじして発行はっこうないしは割引わりびき運賃うんちん購入こうにゅう到着とうちゃく自己じこ負担ふたんぶん返金へんきんけることができた。

海軍かいぐん場合ばあい鎮守ちんじゅ単位たんいとしておこなわれ、鎮守ちんじゅ司令しれい長官ちょうかん統括とうかつする。召集しょうしゅう事務じむおこなうのは各地かくち海軍かいぐん人事じんじである。応召おうしょういんへの令状れいじょう交付こうふ手順てじゅんなどは陸軍りくぐんしょう委託いたくされるため陸軍りくぐんとのあいだおおきなちがいはなかったが、海軍かいぐんでは帰休ききゅうちゅう現役げんえきへい場合ばあいなど、該当がいとうしゃ令状れいじょう郵送ゆうそうされたれいもある。

かく召集しょうしゅう概要がいよう

編集へんしゅう

陸軍りくぐん充員じゅういん召集しょうしゅう動員どういんれい応急おうきゅう動員どういんれいふくむ)によって実施じっしされる。軍隊ぐんたい平時へいじ編制へんせいから戦時せんじ事変じへんなど有事ゆうじ編制へんせいにすることが動員どういんであり、有事ゆうじ編制へんせい規模きぼ平時へいじよりおおきいため、その人員じんいん召集しょうしゅうにより充足じゅうそくする。陸軍りくぐんでは毎年まいとし参謀さんぼう本部ほんぶ有事ゆうじ想定そうていした作戦さくせん計画けいかく立案りつあんし、それに対応たいおうした年度ねんど動員どういん計画けいかく作成さくせいした[68]充員じゅういん召集しょうしゅうはこれにもとづきあらかじめ召集令状しょうしゅうれいじょう作成さくせいされてあり、動員どういんれいしたれいされると充員じゅういん召集令状しょうしゅうれいじょう発行はっこうされることになっていた[69][70]海軍かいぐん場合ばあい動員どういん相当そうとうするものが充員じゅういんであり、海軍かいぐん充員じゅういん召集しょうしゅう充員じゅういんれいによって実施じっしされる。充員じゅういん召集しょうしゅう解除かいじょ陸軍りくぐん復員ふくいんれい海軍かいぐんかいいんれいによって実施じっしされる。ただし陸軍りくぐん大臣だいじんまたは海軍かいぐん大臣だいじんいのちにより一部いちぶ召集しょうしゅう解除かいじょおこなうことも可能かのうであった。

臨時りんじ召集しょうしゅう戦争せんそう事変じへん拡大かくだいするなどの状況じょうきょうおうじて、既定きてい動員どういん計画けいかくになかった人員じんいん不足ふそくおぎなうために臨時りんじ動員どういんれいまたは陸軍りくぐん大臣だいじん命令めいれい実施じっしされる。戦地せんち派遣はけんした師団しだん戦死せんしそのにより人員じんいん不足ふそくしょうじたときにも、該当がいとうする師団しだん管轄かんかつ区域くいき召集しょうしゅう実施じっしした。ささえ事変じへんにちちゅう戦争せんそう以後いご、とくに太平洋戦争たいへいようせんそうでは臨時りんじ召集しょうしゅうおおくなっていった。また、1941ねん昭和しょうわ16ねん)6がつドイツによるソビエト連邦れんぽう侵攻しんこう呼応こおうした関東軍かんとうぐん特種とくしゅ演習えんしゅうのように徹底的てっていてき秘匿ひとくされた作戦さくせんにおいては従来じゅうらい動員どういんれい適用てきようせず、召集しょうしゅう臨時りんじ召集しょうしゅうとなったれいがある[71]

国民こくみんへい召集しょうしゅう国民こくみんへい動員どういんれいによって実施じっしし、その欠員けついん補充ほじゅうするかその必要ひつようなときにも臨時りんじ召集しょうしゅう実施じっしする。国民こくみんへい召集令状しょうしゅうれいじょう連隊れんたい司令しれいではなく市町村しちょうそん役場やくば作成さくせいし、国民こくみんへい召集しょうしゅう名簿めいぼ連隊れんたい司令しれい提出ていしゅつする規定きていになっていたが、それ以外いがい手続てつづきはほぼ充員じゅういん召集しょうしゅうじゅんずるものである。1941ねん11月の陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい54ごう)で国民こくみんへい召集しょうしゅう廃止はいしされ、国民こくみん兵役へいえきにある下士官かしかんへい充員じゅういん召集しょうしゅう対象たいしょうくわえられた[72]

演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう本来ほんらい平時へいじにおける召集しょうしゅうであり、有事ゆうじ充員じゅういん召集しょうしゅうあるいは臨時りんじ召集しょうしゅうされても支障ししょうなく軍務ぐんむ適応てきおうできるようそなえておくためのものである[73]演習えんしゅう召集しょうしゅう兵役へいえきほうでは服役ふくえき期間きかんないに5かい、1ねんに1かいとし、陸軍りくぐんは35にち以内いない海軍かいぐんは70にち以内いない上限じょうげんさだめていたが、陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそくでは召集しょうしゅう回数かいすう服役ふくえき期間きかんないに2かい幹部かんぶ候補こうほせい出身しゅっしん将校しょうこう下士官かしかんは3かい補助ほじょ看護かんごそつ[74]だいいち補充ほじゅうへいは1かい)、1かいにつき21にち一部いちぶものは14にち)と現実げんじつ上限じょうげんよりもひく設定せっていされた。教育きょういく召集しょうしゅう歩兵ほへい戦車せんしゃへい野砲やほうへい山砲さんぽうへい野戦やせん重砲じゅうほうへい重砲じゅうほうへい高射こうしゃ砲兵ほうへい工兵こうへい鉄道てつどうへい電信でんしんへいのいずれか[75]だいいち補充ほじゅうへいとして徴集ちょうしゅうされたもの服役ふくえき期間きかんちゅうに1かい90にち教育きょういくかく部隊ぶたいけるものである[76][77]。ただし歩兵ほへいはあらかじめ青年せいねん訓練くんれんしょ訓練くんれん修了しゅうりょう検定けんてい合格ごうかくしたか成績せいせき優秀ゆうしゅうものにかぎり、召集しょうしゅう期間きかんを75にち短縮たんしゅくした[78]

補欠ほけつ召集しょうしゅう平時へいじ召集しょうしゅうである[79]兵役へいえきほうだい55じょうにもとづき、現役げんえき服役ふくえき期間きかんのこして軍務ぐんむえた帰休兵ききゅうへいを、部隊ぶたい人員じんいん不足ふそくしたときにかぎ臨時りんじもどすのが陸軍りくぐん補欠ほけつ召集しょうしゅうである。1933ねん昭和しょうわ8ねん)6がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい20ごう)で陸軍りくぐん補欠ほけつ召集しょうしゅう名称めいしょう帰休兵ききゅうへい召集しょうしゅうあらためられた[80]海軍かいぐん補欠ほけつ召集しょうしゅうは、現役げんえき服役ふくえき期間きかん満了まんりょう予備よびやく編入へんにゅうされて1ねん下士官かしかんへい対象たいしょうとなった[81]

簡閲かんえつ点呼てんこ召集しょうしゅうことなり部隊ぶたい入隊にゅうたいするものではないが、召集しょうしゅうかんする法令ほうれいさだめられている。陸軍りくぐん簡閲かんえつ点呼てんこ場合ばあい予備よびやく後備こうびやく下士官かしかん通常つうじょう1ねんおきに、予備よびやく後備こうびやくへいおよびだいいち補充ほじゅうへい教育きょういくへいのぞく)は服役ふくえき期間きかんつうじ5かい通常つうじょう1ねんおきにおこなう。教育きょういくだいいち補充ほじゅうへい服役ふくえき期間きかんつうじ4かい通常つうじょう2ねんおきにおこなう。簡閲かんえつ点呼てんこは「なりルベクはん日間にちかん点呼てんこゆいりょう」するよう点呼てんこじょう点呼てんこ区域くいき参会さんかい人員じんいんおよび点呼てんこ日割ひわりさだめるとされていた。海軍かいぐん簡閲かんえつ点呼てんこ毎年まいとし1かい便宜べんぎにおいて施行しこうするとさだめられた。

にちちゅう戦争せんそう以後いご

編集へんしゅう

兵役へいえきほう召集しょうしゅうだい規模きぼになったのは1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつにちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)の勃発ぼっぱつ以後いごである。それまでやく35まんにんからやく40まんにん程度ていどであった陸軍りくぐん兵力へいりょくは1937ねんにはやく50まんにん翌年よくねんにはやく100まんにん増大ぞうだいした。海軍かいぐんやく10まんにんであったものが1937ねんにはやく13まんにん翌年よくねんにはやく16まんにんとなった[82]兵力へいりょく増強ぞうきょう現役げんえき徴集ちょうしゅうする比率ひりつ服役ふくえき年限ねんげんをそれまでの陸軍りくぐん2ねん海軍かいぐん3ねんから期限きげん延長えんちょうするだけでなく、召集しょうしゅうひろおこなわれ、へいだけでも1938ねん昭和しょうわ13ねん)にやく47まんにん召集しょうしゅうされた(同年どうねんに29まんにん召集しょうしゅう解除かいじょもされている)[83]召集しょうしゅう容易よういにするため在郷ざいきょう軍人ぐんじん構成こうせい変更へんこうけ、1941ねん昭和しょうわ16ねん)2がつ公布こうふ、4がつ1にち施行しこう兵役へいえきほう改正かいせい法律ほうりつだい2ごう)により後備こうびやく廃止はいしされ、予備よびやく服役ふくえき期間きかん従来じゅうらい予備よびやく後備こうびやく服役ふくえき期間きかんわせた年数ねんすう延長えんちょうされた[84]同年どうねん11がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい54ごう)で国民こくみんへい召集しょうしゅう廃止はいしし、充員じゅういん召集しょうしゅう対象たいしょうしゃ国民こくみん兵役へいえきにある下士官かしかんへいくわえた[72]。また同時どうじ施行しこうされた兵役へいえきほう施行しこうれい改正かいせいみことのりれいだい971ごう)により、それまで事実じじつじょう召集しょうしゅう免除めんじょしゃであった20さい以上いじょう徴兵ちょうへい検査けんさけただい国民こくみんへいへいしゅ合格ごうかくなど体格たいかくいちじるしくおともの)も召集しょうしゅう可能かのうとなった[85][86]

太平洋戦争たいへいようせんそう

編集へんしゅう

1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月の太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんにより、召集しょうしゅうはさらにしていった。海軍かいぐん現役げんえき軍人ぐんじん中心ちゅうしんとし、召集しょうしゅうにはあまり重点じゅうてんかずにきたが、1942ねん昭和しょうわ17ねん)2がつ兵役へいえきほう改正かいせい法律ほうりつだい16ごう[87]により陸海りくかいぐん共通きょうつうだいいちだいとも補充ほじゅうへい服役ふくえき期間きかんが17ねん4かげつ延長えんちょうされた(それまで海軍かいぐんだいいち補充ほじゅう兵役へいえきは1ねんのみであった)こと[88]対応たいおうして、同年どうねん8がつ海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい海軍かいぐん省令しょうれいだい21ごう)で教育きょういく召集しょうしゅうくわえ、召集しょうしゅう強化きょうかした[89]。また演習えんしゅう召集しょうしゅう名称めいしょう勤務きんむ演習えんしゅう召集しょうしゅうにかえた。これにより海軍かいぐん召集しょうしゅう充員じゅういん召集しょうしゅう勤務きんむ演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう補欠ほけつ召集しょうしゅう、および簡閲かんえつ点呼てんことなった。

1942ねん10がつには陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい52ごう)と陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう規則きそく陸軍りくぐん省令しょうれいだい53ごう)が施行しこうされ、陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅうさだめられた[90][91]防衛ぼうえい召集しょうしゅう同年どうねん4がつ日本にっぽん本土ほんどはじめて空襲くうしゅうドーリットル空襲くうしゅう)をけたことを契機けいきとして、空襲くうしゅう撹乱かくらん目的もくてきとしたてきしょう部隊ぶたい上陸じょうりくそなえるためのもので[92]防空ぼうくう召集しょうしゅう警備けいび召集しょうしゅうにわけられ、戦時せんじまたは事変じへんさいして防衛ぼうえいじょう必要ひつようある場合ばあい在郷ざいきょう軍人ぐんじんおよび国民こくみん兵役へいえき下士官かしかんへい予備よびやく補充ほじゅう兵役へいえきえたもの)を召集しょうしゅうすることと規定きていされた。

防衛ぼうえい召集しょうしゅうは「待命たいめい」という手順てじゅんがあるてん召集しょうしゅうちがっていた。待命たいめいちゅう自分じぶん民間みんかん仕事しごと従事じゅうじし、必要ひつようなときにかぎ召集しょうしゅうされ防空ぼうくうあるいは警備けいび任務にんむにつき、必要ひつようがなくなればまた待命たいめい状態じょうたいにもどる。これは軍隊ぐんたい戦力せんりょく増強ぞうきょう軍務ぐんむにつく兵員へいいんすうやす)と、くにとしての総力そうりょく強化きょうか民間みんかんじん確保かくほ生産せいさんりょくたかめる)という相反あいはんする問題もんだいわせる、いわばパートタイムの召集しょうしゅうであった[93][94][95]具体ぐたいてきにはたとえばビルの屋上おくじょう対空たいくう機関きかんじゅう設置せっちした場合ばあい、そこに部隊ぶたい常時じょうじ配置はいちすることは効率こうりつとなるので、そのビルまたは近辺きんぺん民間みんかん仕事しごと従事じゅうじする在郷ざいきょう軍人ぐんじんなかから防空ぼうくう召集しょうしゅう待命たいめいしゃ指定していし、空襲くうしゅうさいには召集しょうしゅう機関きかんじゅう配置はいちにつかせ、空襲くうしゅうわればまた待命たいめいとしてもと仕事しごともどるという具合ぐあいである[93]防空ぼうくう召集しょうしゅう警備けいび召集しょうしゅうともにあわ青色あおいろ召集しょうしゅう待命たいめい令状れいじょう[96]によって待命たいめい通達つうたつし、召集しょうしゅう通達つうたつ防空ぼうくう召集しょうしゅうでは淡紅あわべにしょく召集令状しょうしゅうれいじょう[97]もちいなくても、警戒けいかい警報けいほう空襲くうしゅう警報けいほうのサイレンなどによって「防空ぼうくう召集令状しょうしゅうれいじょう交付こうふセラレタルモノト做ス」という手段しゅだん可能かのうであった[98][94]防衛ぼうえい召集しょうしゅう待命たいめい期間きかんはおよそ1ねんさだめられ、期間きかんぎるとあらたに指名しめいされたほか待命たいめいしゃ交代こうたいする。また防衛ぼうえい召集しょうしゅう召集しょうしゅうのように本籍ほんせき主義しゅぎをとらず居住きょじゅう主義しゅぎであり、自分じぶん生活せいかつする地域ちいき防衛ぼうえい担当たんとうするもので、待命たいめいしゃなんらかの理由りゆうにより転居てんきょする場合ばあい待命たいめい解除かいじょされる。

1943ねん昭和しょうわ18ねん)8がつ1にちからは朝鮮ちょうせんでも徴兵ちょうへい制度せいど開始かいしされた。10月には兵役へいえきほう改正かいせい法律ほうりつだい110ごう)により、徴兵ちょうへいによる兵役へいえき年限ねんげん従来じゅうらいの40さいまでからまん45さいになるとしの3がつ31にちまでと延長えんちょうされた[99]志願しがんにより下士官かしかんじゅん士官しかん将校しょうこうとなったもの年限ねんげんとはことなる)。

1944ねん昭和しょうわ19ねん)4がつ海軍かいぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう規則きそく海軍かいぐん省令しょうれいだい20ごう)が施行しこうされ、海軍かいぐんにおいても防衛ぼうえい召集しょうしゅうさだめられた[100]海軍かいぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう警備けいび召集しょうしゅう特別とくべつ召集しょうしゅうにわかれ、警備けいび召集しょうしゅう海軍かいぐん在郷ざいきょう軍人ぐんじんが、特別とくべつ召集しょうしゅう民間みんかん船長せんちょう(またはこれにじゅんずるもの)である海軍かいぐん在郷ざいきょう軍人ぐんじん対象たいしょうとなった。同年どうねん9がつ海軍かいぐんちょうやとい船舶せんぱく船長せんちょう召集しょうしゅう規則きそく海軍かいぐん省令しょうれいだい52ごう)、海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい海軍かいぐん省令しょうれいだい53ごう)でしるしやとい船舶せんぱく船長せんちょう召集しょうしゅうさだめられた[101]。これは民間みんかんの500トンきゅう以上いじょう船舶せんぱく海軍かいぐん徴用ちょうようするさいに、その船長せんちょうおよび運転うんてん予備よびやくまたは海軍かいぐん予備よびいんじゅん士官しかん以上いじょうである場合ばあい同時どうじ召集しょうしゅうするというものである[102]

9月には台湾たいわんげん中華民国ちゅうかみんこく)にも徴兵ちょうへい制度せいど拡大かくだい、さらに樺太からふと内地ないち編入へんにゅうにより、徴兵ちょうへい制度せいど南洋なんよう諸島しょとうのぞ帝国ていこく領土りょうど大半たいはんおこなわれるようになる。

同年どうねん10がつ制定せいてい、11月施行しこう陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい46ごう)では防衛ぼうえい召集しょうしゅう対象たいしょう在郷ざいきょう軍人ぐんじんおよび国民こくみん兵役へいえきにある17さい以上いじょう45さいまでのだい部分ぶぶんものにまで拡大かくだいされた[103]。さらに同年どうねん12がつ施行しこう陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい58ごう)では、17さい未満みまん志願しがんによりだい国民こくみん兵役へいえき編入へんにゅうされたもの[104]防衛ぼうえい召集しょうしゅう対象たいしょうしゃくわえられた[105]1945ねん昭和しょうわ20ねん)5がつ施行しこうされた陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい46ごう)では防衛ぼうえい召集しょうしゅう区分くぶん従来じゅうらい防空ぼうくう召集しょうしゅう警戒けいかい召集しょうしゅうから、「防衛ぼうえい召集しょうしゅう(かぶと)」と「防衛ぼうえい召集しょうしゅう(おつ)」にあらためられた[106]。1945ねん5がつ時点じてん法令ほうれいにより規定きていされていた陸海りくかいぐん召集しょうしゅう簡閲かんえつ点呼てんこ以下いかのとおりである。

陸軍りくぐん
充員じゅういん召集しょうしゅう臨時りんじ召集しょうしゅう演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう帰休兵ききゅうへい召集しょうしゅう防衛ぼうえい召集しょうしゅうかぶとおよびおつ
簡閲かんえつ点呼てんこ
海軍かいぐん
充員じゅういん召集しょうしゅう勤務きんむ演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう補欠ほけつ召集しょうしゅう防衛ぼうえい召集しょうしゅう警戒けいかい召集しょうしゅうおよび特別とくべつ召集しょうしゅう) ・しるしやとい船舶せんぱく船長せんちょう召集しょうしゅう
簡閲かんえつ点呼てんこ

1945ねん8がつ14にち日本にっぽんポツダム宣言せんげん受諾じゅだく戦争せんそう終結しゅうけつにより、それ以後いご召集しょうしゅうおこなわれなくなった。召集しょうしゅう根拠こんきょとなる兵役へいえきほうおよび兵役へいえきほう施行しこうれい同年どうねん11がつの「昭和しょうわじゅうねんみことのりれいだいひゃくよんじゅうごう「ポツダム」宣言せんげん受諾じゅだくともなえはつスル命令めいれいせきスルけんもと兵役へいえきほう廃止はいしとうせきスルけん」(みことのりれいだい634ごう)により廃止はいしされた[107]


脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b c d e 召集しょうしゅうデジタル大辞泉だいじせん小学館しょうがくかん) 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  2. ^ a b c d 召集しょうしゅう三省堂さんせいどう 大辞林だいじりん だいさんはん 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  3. ^ a b c d e f 召集しょうしゅう精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  4. ^ a b c d e f 召集しょうしゅう しん明解めいかい国語こくご辞典じてんだいななはん三省堂さんせいどう) 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  5. ^ a b c 召集しょうしゅう 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  6. ^ 大辞泉だいじせん小学館しょうがくかん) 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  7. ^ a b c d e f 予備よびへいは「招集しょうしゅう」する?「召集しょうしゅう」する? NHK放送ほうそう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ 2001ねん10がつ1にち公開こうかい
  8. ^ a b 招集しょうしゅう デジタル大辞泉だいじせん小学館しょうがくかん) 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  9. ^ a b 招集しょうしゅう 三省堂さんせいどう 大辞林だいじりん だいさんはん 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  10. ^ a b 招集しょうしゅう 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  11. ^ a b c 招集しょうしゅう しん明解めいかい国語こくご辞典じてんだいななはん三省堂さんせいどう) 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  12. ^ 広島ひろしま消防しょうぼう職員しょくいん非常ひじょう召集しょうしゅう規程きてい広島ひろしま消防局しょうぼうきょく 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  13. ^ 徳島とくしま消防しょうぼう職員しょくいん非常ひじょう召集しょうしゅう規程きてい 徳島とくしま消防しょうぼう本部ほんぶ 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  14. ^ 名取なとり消防しょうぼう職員しょくいんおよ消防しょうぼうだんいん招集しょうしゅう規則きそく名取なとり 2020ねん8がつ1にち確認かくにん
  15. ^ くにの、3つの予備よび自衛じえいかん制度せいど”. 防衛ぼうえいしょう自衛隊じえいたい. 2024ねん1がつ5にち閲覧えつらん
  16. ^ a b 招集しょうしゅう日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 2020ねん8がつ2にち確認かくにん
  17. ^ 佐藤さとう立夫たつお英国えいこく弾劾だんがい制度せいど」(PDF)『比較ひかく法学ほうがくだい24かんだい1ごう早稲田大学わせだだいがく、1991ねん、1-102ぺーじISSN 04408055NAID 110000313288 
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  28. ^ 1927ねん陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそくでは「在郷ざいきょう軍人ぐんじん待命たいめい休職きゅうしょく停職ていしょく予備よびやく後備こうびやく将校しょうこうどう相当そうとうかんじゅん士官しかん予備よびやく後備こうびやく下士かし[幹部かんぶ候補こうほせいニシテ予備よびやくざいしゃヲ含ム]兵卒へいそつ補充ほじゅうへいいい以下いかどうジ)及国民兵みんぺい」を召集しょうしゅうすると定義ていぎされている。近代きんだいデジタルライブラリー - 兵事へいじ法規ほうき輯覧
  29. ^ 待命たいめいちゅう将校しょうこう後述こうじゅつする帰休兵ききゅうへいなどはやくしゅのうえでは現役げんえきであるが、実際じっさい軍務ぐんむにはついていない。
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  32. ^ 一等いっとうそつとうそつ上等じょうとうへい総称そうしょうが「兵卒へいそつ」である。一等いっとうそつとうそつ呼称こしょうは1931ねん11月にそれぞれ一等いっとうへい二等兵にとうへいとなり、総称そうしょうとしての「兵卒へいそつ」は「へい」となった。
  33. ^ 実際じっさいには当時とうじ海軍かいぐん志願しがんへいのみで充足じゅうそくしており、徴兵ちょうへい関係かんけいがなかった。近代きんだいデジタルライブラリー - 海軍かいぐん制度せいど沿革えんかく. まき5
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  39. ^ 海軍かいぐんでは1920ねん3がつまで、陸軍りくぐんでは1931ねん11がつまで下士官かしかんを「下士かし」とんだ。
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  54. ^ 1927ねん12月時点じてん規定きていでは陸軍りくぐん現役げんえき2ねん予備よびやく5ねん4かげつ後備こうび兵役へいえき10ねん以後いご40さいまではだいいち国民こくみん兵役へいえき陸軍りくぐんだいいち補充ほじゅう兵役へいえきだい補充ほじゅう兵役へいえきは12ねん4かげつ以後いごは40さいまでだいふたまたはだいいち国民こくみん兵役へいえき海軍かいぐん現役げんえき3ねん予備よびやく4ねん後備こうび兵役へいえき5ねん以後いご40さいまではだいいち国民こくみん兵役へいえき海軍かいぐんだいいち補充ほじゅう兵役へいえきは1ねん以後いごだい補充ほじゅう兵役へいえき11ねん4かげつ、それ以後いご40さいまではだいいち国民こくみん兵役へいえき。17さいから40さい以上いじょうのいずれにも服役ふくえきちゅうでないものだい国民こくみん兵役へいえき志願しがんにより兵籍へいせきはいもの服役ふくえき年限ねんげんことなる。
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  59. ^ 1933ねん6がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい20ごう)で名称めいしょう帰休兵ききゅうへい召集しょうしゅう変更へんこう
  60. ^ 経理けいり衛生えいせいなどの武官ぶかんそう任官にんかん以上いじょうもの、1937ねん2がつ以降いこうは「各部かくぶ将校しょうこう」となった。
  61. ^ 帰休兵ききゅうへいふくむ。
  62. ^ 1940ねん昭和しょうわ15ねん)7がつ公布こうふ12がつ施行しこう海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい海軍かいぐんれいだい15ごう)でだいいち国民こくみん兵役へいえき下士官かしかんへい在郷ざいきょう軍人ぐんじんふくまれるようになった。官報かんぽう 1940ねん07がつ20日はつか
  63. ^ 1942ねん昭和しょうわ17ねん)8がつ海軍かいぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい海軍かいぐんれいだい21ごう)で補充ほじゅう兵役へいえき国民こくみん兵役へいえき下士官かしかんへい在郷ざいきょう軍人ぐんじんふくまれるようになった。官報かんぽう 1942ねん08がつ28にち
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  73. ^ 有事ゆうじにも演習えんしゅう召集しょうしゅう教育きょういく召集しょうしゅう実施じっし可能かのうである。
  74. ^ のちに「補助ほじょ衛生えいせいへい」と名称めいしょうわる。官報かんぽう 1937ねん05がつ22にち
  75. ^ 1934ねん2がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい2ごう)で気球ききゅうへいくわわる。官報かんぽう 1934ねん02がつ16にち
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  77. ^ 1939ねん4がつ陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそく改正かいせい陸軍りくぐん省令しょうれいだい14ごう)でだいいち補充ほじゅうへい指定していがなくなり補充ほじゅうへい全般ぜんぱん適用てきようされる。官報かんぽう 1939ねん04がつ01にち
  78. ^ 陸軍りくぐん召集しょうしゅう規則きそくだい97じょうによる。
  79. ^ 有事ゆうじにも補欠ほけつ召集しょうしゅう実施じっし可能かのうである。
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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  • 加藤かとう陽子ようこ徴兵ちょうへいせい近代きんだい日本にっぽん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねんISBN 4-642-07496-1
  • 黒田くろだ俊雄としお へんむら戦争せんそう 兵事へいじがかり証言しょうげんかつら書房しょぼう、1988ねん
  • 吉田よしだ敏浩としひろ赤紙あかがみ徴兵ちょうへい 105さい最後さいご兵事へいじがかり証言しょうげんから』いろどりりゅうしゃ、2011ねんISBN 978-4-7791-1625-4
  • 吉田よしだひろし日本にっぽん軍隊ぐんたい岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ新書しんしょ〉、2002ねんISBN 4-00-430816-X
  • 河合かわい正廣まさひろ陸軍りくぐん防衛ぼうえい召集しょうしゅう制度せいどとその実態じったいについてー沖縄おきなわにおける防衛ぼうえい召集しょうしゅうー」[1]戦史せんし研究けんきゅう年報ねんぽう だい3ごう防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ、2000ねん

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