(Translated by https://www.hiragana.jp/)
結縄 - Wikipedia

結縄けつじょう

むすもちいた記憶きおく補助ほじょ記録きろく手段しゅだん

結縄けつじょう(けつじょう)は、ひもなわなどのむすもちいた記憶きおく補助ほじょ手段しゅだん、もしくは原始げんしてき情報じょうほう媒体ばいたいである。南米なんべいインカ帝国ていこくしたおこなわれたキープもっともよくられているが、同様どうよう方法ほうほう世界せかい各地かくちつたわっている。このような記録きろく方法ほうほう今日きょうでも、カトリックロザリオ仏教ぶっきょう数珠じゅずハンカチむすとうにもることができる[1]

南米なんべいのキープ

結縄けつじょうこく英語えいごばんなどとともに事物じぶつ文字もじ一種いっしゅ分類ぶんるいされ、文字もじ使用しよういた先行せんこう段階だんかいなされる。言語げんご形式けいしき単位たんい、すなわち音素おんそ単位たんい意味いみ単位たんいとの対応たいおう関係かんけい一定いっていではなく、恣意しいてきであったため、本来ほんらい意味いみでの文字もじのレベルにはたっしなかったものとかんがえられている[2]。しかし、なかには言語げんごとの対応たいおう関係かんけいられるものもある。

古代こだい結縄けつじょう

編集へんしゅう

史料しりょう

編集へんしゅう

結縄けつじょう記録きろく媒体ばいたいとしてもちいられたもっとふる記録きろくの1つとして、中国ちゅうごくでは『えきけい』の繋辞けいじしたでんに、

上古じょうこ結縄けつじょう而治。後世こうせい聖人せいじんえき書契しょけい[3]
上古じょうこなわむすびておさまる。後世こうせい聖人せいじんこれれにえき(か)うるに書契しょけい文字もじ割符わりふもってす。

記述きじゅつがある。とうだいえき注釈ちゅうしゃくである『しゅうえきしゅうかい』は『きゅういええき』(前漢ぜんかん逸書いっしょ)をき、「いにしえ文字もじく、やくちかいことらば、ことだいならばなわだいゆいし、ことしょうならばなわ小結こむすびし、ゆい多少たしょうもの衆寡しゅうかしたがう」[4]べる。ここから、文字もじのなかった時代じだい政治せいじを「結縄けつじょうせい」とい、とくろうそうしょにはその理想りそう垣間見かいまみえる。たとえば、『老子ろうしだい80しょう小国おぐに寡民」には「みんをしてふくなわゆわいてこれれをもちいしむ」[5]などとある。

日本にっぽんかんして、『ずいしょまき81東夷あずまえびすでん倭国わのくにじょうには、倭人わじん風俗ふうぞくとして「文字もじし、ただきざなわむすぶのみ」としるしている。関連かんれんさだかでないが、唐古からこかぎ遺跡いせきおにとらかわ遺跡いせきなど弥生やよい時代じだい遺跡いせきからは、むすいた大麻たいまなわイグサむすだまかんがえられるものも発見はっけんされている[6]。また古来こらい日本にっぽんではくさむすびとって、かや菖蒲しょうぶなどのながって2・3かしょだまむすびにして、そのむすかた場所ばしょによって祝意しゅくい恋愛れんあいなどの様々さまざま意味いみあらわしたとされている[7]

古代こだいギリシアにおいては、ヘロドトスの『歴史れきし』(紀元前きげんぜん5世紀せいき)に記録きろくがある。アケメネスあさペルシアおうダレイオスは、同盟どうめいのギリシアぐんはしあたま防衛ぼうえいまかせてスキュティア進軍しんぐんするさい、60むすがついたかわひもをわたしながら、つぎのような言葉ことばのこしたとされる。

そなたらはわしがスキュタイじん攻撃こうげき出発しゅっぱつするのをたならば、そのときからはじめて毎日まいにちむすひとつずつほどいていってくれ。その期間きかんにわしがもどってこず、むすかずだけの経過けいかしたならば、そなたらはふね帰国きこくしてくれてよい。[8]

古代こだいエジプトヒエログリフには、むすいたひもしたものがある。エジプトの測量そくりょうじゅつにおいて、むすのついたロープを使つかって直角ちょっかく三角形さんかっけいつくっていたことはられているが、こうした測量そくりょう技師ぎし同時どうじむすつく計数けいすう管理かんりをする技術ぎじゅつしゃであった可能かのうせいもある[9]広義こうぎうみ文書ぶんしょるいする、ナハル・ヘヴェルから出土しゅつどしたヘブライ貸借たいしゃく契約けいやくしょなかでは、領収りょうしゅうしょを「むす קשׁר‎」や「断片だんぺん שובר‎」という言葉ことばあらわしており、これはきが普及ふきゅうしていなかったころ結縄けつじょう木片もくへんをもって数量すうりょう記録きろくしていた状況じょうきょう名残なごりるべきである[10]

宗教しゅうきょう儀礼ぎれい結縄けつじょう

編集へんしゅう
 
アシュケナジムけいとセファルディムけいのツィーツィート

記憶きおく手段しゅだんとしてのむす利用りようユダヤきょう衣装いしょうタッリートにも痕跡こんせきることができる。りつほうしたがえば、すべてのイスラエルじん男子だんしあさ祈祷きとうさいかたぼうかざり(ツィーツィート)をげることになっているが、このぼうかざりにがっているいとのうち、その四隅よすみひもつね一定いっていかずになるようにむすばれている。セファルディム伝承でんしょうでは26、アシュケナジム伝承でんしょうでは39で、これはユダヤきょうにおいて重要じゅうようすうなされている[11]

おもはまたモーセにわれた、「イスラエルの人々ひとびとめいじて、代々だいだいその衣服いふくのすそのすみにふさをつけ、そのふさをあおひもで、すそのすみにつけさせなさい。あなたがたが、そのふさをて、おものもろもろのいましめをおもおこして、それをおこない、あなたがたが自分じぶんしんと、よくしたがって、みだらなおこないをしないためである。」[12]

カトリック教会きょうかいのロザリオや仏教ぶっきょう数珠じゅずイスラム教いすらむきょうミスバハ英語えいごばんなど、おおくの世界せかい宗教しゅうきょう共通きょうつうしてられる数珠じゅずじょういのりの用具ようぐ元来がんらいいのりの回数かいすうかぞえるための道具どうぐであり、ロザリオであれば150、数珠じゅずであれば108というようにかく教派きょうは儀礼ぎれいおうじてたま個数こすうさだまっている。同様どうよう道具どうぐヒンドゥーきょうジャイナきょうシクきょうでももちいられている。コンボスキニオンばれる東方とうほう正教会せいきょうかい道具どうぐには、たまではなくむす利用りようしているものもあり、これは伝承でんしょうによれば4世紀せいきのエジプトの聖者せいじゃパコミウス英語えいごばんはしはっするとされている[13]

南北なんぼくアメリカ

編集へんしゅう

インカ帝国ていこく

編集へんしゅう

結縄けつじょうとして世界せかいてきもっと著名ちょめいなのがキープQuipu)である。キープは「むすぶ」あるいは「むす」を意味いみし、租税そぜい管理かんり国勢調査こくせいちょうさなどの統計とうけいてき記述きじゅつもちいられ、固有こゆう文字もじたなかったインカ帝国ていこく集権しゅうけんてき行政ぎょうせいにおいて重要じゅうよう役割やくわりになった。キープのひもには羊毛ようもうもちいられ、いろむす距離きょりかずおおきさ、かたちあるいはねじれかたなどによって膨大ぼうだい情報じょうほう記録きろくすることができた[14]帝国ていこくではキプカマヨク(結縄けつじょう)とばれる役人やくにん統計とうけい管理かんり会計かいけいにあたったが、その精度せいどはスペインじん驚嘆きょうたんするほどであった[15]

キープはインカ帝国ていこく口承こうしょう伝承でんしょう法律ほうりつ保存ほぞんのうえで、記憶きおく補助ほじょするための手段しゅだんとしても機能きのうしていたとかんがえられている[16]。しかしながらほとんどの場合ばあいキープは計数けいすう道具どうぐであって、言語げんご情報じょうほうつたえる文書ぶんしょとはなしないとかんがえられてきた。一方いっぽうで、キープの一部いちぶ二進法にしんほうもとづく原始げんしてき書記しょき体系たいけい形式けいしきをなしているものがある、というせつ近年きんねん有力ゆうりょくされつつある[17]ゲイリー・アートン英語えいごばんサビン・ハイランド英語えいごばんなどの研究けんきゅうしゃが、キープにきざまれた名前なまえ文字もじてき情報じょうほう解読かいどく成功せいこうしたと主張しゅちょうしている[18]

中南米ちゅうなんべい

編集へんしゅう

歴史れきしエルランド・ノルデンシェルド英語えいごばんは、結縄けつじょう中米ちゅうべいコロンビアパナマインディオメキシコ中部ちゅうぶ北部ほくぶアマゾンからポリネシアにまで存在そんざいしたと指摘してきしたうえで、十進法じっしんほうらなかったてん中米ちゅうべい結縄けつじょうはペルーのそれとは区別くべつされるべきであると主張しゅちょうする。ルイ・ボーダンも、コロンビアのポパヤンオリノコがわカリブ北米ほくべいインディアン一部いちぶ文字もじ出現しゅつげんまえのメキシコに結縄けつじょう使つかわれていたとべる。16世紀せいきイエズスかいのホセ・ゲバラ神父しんぷトゥピ・グアラニー語族ごぞくがキープを使つか伝統でんとうについてかたっており、ペドロ・ロサノ英語えいごばん神父しんぷも、アンダルガラ英語えいごばん(アルゼンチン)のインディオが1611ねん現在げんざいでもそれを使つかっていたと報告ほうこくしている。おどろくべきことに、インカ帝国ていこく版図はんとまれなかった地域ちいきでもキープが使つかわれており、チリのマプチェあいだでは19世紀せいきにもその慣習かんしゅうおこなわれていた[19]

それがインカ帝国ていこく由来ゆらいする、あるいは独自どくじ発生はっせいしたにせよ、類似るいじする風習ふうしゅう今日きょうまで南米なんべいつたわっている。たとえばふつりょうギアナのトゥピ・グアラニーけい民族みんぞくあいだでは、宗教しゅうきょう儀礼ぎれい順序じゅんじょしめすための記録きろくあるいはロザリオとしてウドゥクル(udukuru)とばれる結縄けつじょうもちいられる[19]

北米ほくべい

編集へんしゅう
 
インディアンからペンシルベニア植民しょくみん総督そうとくウィリアム・ペン寄贈きぞうされたワムパムたい(1682ねん

北米ほくべいインディアンのあいだでも結縄けつじょうはしばしばられる習慣しゅうかんであった。これがみとめられる部族ぶぞくとしては、ワシントンしゅう東部とうぶヤキマアリゾナしゅうワラパイ英語えいごばんハヴァスパイ英語えいごばんカリフォルニアしゅうミウォク英語えいごばんマイドゥ英語えいごばんニューメキシコしゅうアパッチズニ英語えいごばんなどがある[20]

結縄けつじょうるいするインディアンの文化ぶんかワムパムがある。ワムパムはビーズやあなけた貝殻かいがら樹皮じゅひあさなどの植物しょくぶつせい繊維せんい鹿しかがわなどのひもとおしたもので、ワムパムは「貝殻かいがら」を意味いみしているとされる。貝殻かいがらやビーズだまいろ相違そういによって様々さまざま意味いみあらわすことができ、部族ぶぞく歴史れきし部族ぶぞくあいだ条約じょうやく協定きょうてい相当そうとうするめや領土りょうど境界きょうかい、さらには個人こじん特徴とくちょうをも記録きろくするのにもちいられた[21]

ひがしアジア

編集へんしゅう

上述じょうじゅつのように中国ちゅうごく典籍てんせき結縄けつじょう習俗しゅうぞくつたわっているが、近年きんねんいたるまで、琉球りゅうきゅう諸島しょとう台湾たいわん中国ちゅうごくアイヌ社会しゃかい、あるいは日本にっぽん内地ないちでも類例るいれい報告ほうこくされている。

北海道ほっかいどう

編集へんしゅう

アイヌの結縄けつじょう文化ぶんかについては、1739ねんもとぶん4ねん)に坂倉さかくら源次郎げんじろうあらわした『北海ほっかい随筆ずいひつ』や、1808ねん文化ぶんか5ねん)に最上もがみ徳内とくないあらわした『渡島ととう筆記ひっき』に言及げんきゅうされている。これらによれば、和人わじんやまじんオロッコとの交易こうえきにおいて勘定かんじょうよう結縄けつじょうこくもちいられており、和人わじん交易こうえき出向でむいたさいには1ねんまえ情報じょうほうでも詳細しょうさい記憶きおくしていた。また、記録きろくほう恣意しいてき運用うんようされるのではなく、ふる慣習かんしゅうしたがっておこなわれていた[22][23]明治めいじ人類じんるい学者がくしゃ坪井つぼいただし五郎ごろうは、帝国ていこく大学だいがく理科りか大学だいがくにアイヌの結縄けつじょうかえっている[24]

日本にっぽん内地ないち

編集へんしゅう

宮中きゅうちゅう行事ぎょうじ大嘗祭だいじょうさい前日ぜんじつおこなわれる鎮魂ちんこんに「いとむすび(たましいむすび)」があり、むすびをもちいてひゃくかぞえ、遊離ゆうりするたましいしずめるならわしがある[7]同様どうよう鎮魂ちんこんさいは、奈良なら石上いしがみ神宮じんぐう新潟にいがた弥彦やひこ神社じんじゃ島根しまね物部ものべ神社じんじゃなどにもつたわっている[25]

ほんきょ宣長のりながの『たましょうあいだだい13かんには、讃岐さぬき田舎いなかつたわる求婚きゅうこん風習ふうしゅうしるされている。おとこおんなに2つむすのついたわらおくり、おんな拒絶きょぜつする場合ばあいにはむすはずしてかえし、承諾しょうだく場合ばあいにはむす中央ちゅうおうあつめてかえすものという[26]坪井つぼいただし五郎ごろう柏原かしわばらまなぶからつたいたはなしによると、現在げんざい静岡しずおか駿河するが久能山くのうざん付近ふきんでは家々いえいえ勝手かってロになわが2ほんげてあり、しおりがしおいてさいにそのりょうしたがってなわむすだまつくり、勘定かんじょうるときにはこのたまかぞえる習慣しゅうかんがあった[24]

沖縄おきなわ

編集へんしゅう
 
わらさん

琉球りゅうきゅう諸島しょとうでは文字もじ使用しようゆるされなかった庶民しょみんあいだ記録きろくほうとしてスーチューマカイダ文字もじなどとならび、わらさん(ワラザン・バラザン)とばれる結縄けつじょう慣習かんしゅうおこなわれていた。スーチューマやカイダ文字もじ比較的ひかくてき上層じょうそう人々ひとびともちいたのにたいして、一般いっぱん庶民しょみんは、わらあるいはイグサのむすかたによって数量すうりょうあらわ方法ほうほうもちいたのである。これには人数にんずうあらわすもの、みつぎおさめがくあらわすもの、材木ざいもくおおきさをあらわすもの、祈願きがんようのものがあった[27]明治めいじはじめてわらざん考察こうさつのこした民俗みんぞく学者がくしゃ田代たしろ安定あんていは、とく八重山やえやま地方ちほうにおいて普及ふきゅういちじるしく、ここでは会計かいけいじょう意味いみえて、禁止きんし告訴こくそ命令めいれいなどの文書ぶんしょてき通達つうたつわる「会意かいいかく」の用法ようほうがあることをしるしている[28]

台湾たいわん

編集へんしゅう

アミ人々ひとびと文字もじかず表現ひょうげん代用だいようとして結縄けつじょうおお使用しようし、大正たいしょう時代じだい地域ちいきによっては昭和しょうわ初期しょきまで、相手あいてへの意思いし伝達でんたつ記録きろく計算けいさんにおいて結縄けつじょうもちいられていた。計算けいさんのための結縄けつじょうふとさのことなる3ほん麻糸あさいとたばねてつくられ、それぞれのいと位取くらいどりをあらわした(アミの経済けいざい観念かんねん非常ひじょう単純たんじゅんで、3けた以上いじょう演算えんざん必要ひつようとしなかった)。このほか、借用しゃくよう証書しょうしょとして、さらに男子だんし集会しゅうかいしょにおける祭礼さいれい作業さぎょう負担ふたん記録きろくのために結縄けつじょうもちいられている[29]

プユマ社会しゃかいでは、男女だんじょ情愛じょうあいのほどをたしかめるのに結縄けつじょうもちいられる。おとこには赤色あかいろおんなにはあおまたは黄色おうしょくいともちい、男女だんじょ2ほんいとをつないで数ヶ所すうかしょむすつくり、そのむす位置いちむすかた一致いっち不一致ふいっちによってたがいの愛情あいじょう確認かくにんしあった[30]

雲南うんなん・チベット

編集へんしゅう
 
ぞく貸借たいしゃく手形てがたした金額きんがく利子りし期間きかんしるされている。

中国ちゅうごく雲南うんなん地方ちほうチベット少数しょうすう民族みんぞくには結縄けつじょう風習ふうしゅうがあり、トーロンぞくリスぞくヌーぞくぞくヤオぞくナシぞくプミぞくハニぞくロッパぞくなどは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく成立せいりつ以前いぜんにはなわによって日付ひづけをつけていた。リスぞく会計かいけい結縄けつじょうもちい、ハニぞくおなながさのなわおながたむすつくって共有きょうゆうし、貸借たいしゃく証明しょうめいしょとした。やすしのナシぞくやプミぞくは、羊毛ようもうんだなわって情報じょうほうつたえ、人々ひとびと招集しょうしゅうした[31]

チベット仏教ぶっきょう僧侶そうりょは、108むすがついた数珠じゅずもちいて祈祷きとう回数かいすうかぞえることがあった。また、黄色きいろひも仏陀ぶっだしろひも菩薩ぼさつというように、祈祷きとう対象たいしょうによっていろ使つかけがなされていた。これと同様どうよう習慣しゅうかんは、20世紀せいき初頭しょとうまでシベリアのマンシハンティツングースヤクートなどにもおこなわれていた[20]

西南せいなんアジア

編集へんしゅう

えいりょうインドで1872ねん国勢調査こくせいちょうさおこなわれたさいジャールカンドしゅうサンタル・パルガナ地区ちく英語えいごばんサンタルじん首長しゅちょうは、男女だんじょ成人せいじん子供こどもべつに4しょくいともちいて人口じんこう報告ほうこくした[32]みなみインドのコンド英語えいごばん婚姻こんいん儀礼ぎれいでは、求婚きゅうこんしゃむすいたひもあたえられ、同様どうようひも花嫁はなよめ家族かぞくのもとに保管ほかんされる。結婚式けっこんしき日取ひどりは、毎朝まいあさこのむすをほどいていくことで調整ちょうせいされる[33]

このことは、旧約きゅうやく聖書せいしょエレミヤしょつぎ記述きじゅつとも関連かんれんするかもしれない。ヘブライおび意味いみするקִשֻּׁרִים‎(qishshurim)は、文字通もじどおり「むす」や「結縄けつじょう」も意味いみする[34]

おとめはそのかざものわすれることができようか。花嫁はなよめはそのおびわすれることができようか。ところが、わたしのみんの、わたしをわすれたかぞえがたい。[35]

ラトビア、およびリトアニアのラトビアじんコミュニティには、20世紀せいきまで、こよみ呪術じゅじゅつてき治療ちりょう招待しょうたいじょう、そしてとりわけ民謡みんよう記録きろくする目的もくてきメズグル・ラクスティmezglu raksti;「むす文字もじ」)という結縄けつじょうもちいられていた歴史れきしがある[36]民謡みんよう記録きろくしたいとはヅィエスム・カムオルス(dziesmu kamols;「うた毛糸けいとだま」)とばれ、500きょく以上いじょうのラトビア民謡みんようなか登場とうじょうする。むすラトビアアルファベット英語えいごばん対応たいおうしており、アルファベットとの対応たいおう関係かんけいひもわせをことにする3種類しゅるい表記ひょうきほうられている[37]。また、ドイツでは19世紀せいきまつに、製粉せいふん業者ぎょうしゃがパン取引とりひきするさい結縄けつじょう使用しようしていたれいがある[20]

租税そぜい貸借たいしゃく結縄けつじょうもちいる習慣しゅうかんは、西にしアフリカ一帯いったい、とくにナイジェリアラゴス後背こうはいイェブ英語えいごばん社会しゃかいみとめられる。ジャン=バティスト・ラバ英語えいごばんが1720ねん黄金おうごん海岸かいがん(ガーナ)をおとずれた記録きろくでは、上流じょうりゅう階級かいきゅう黒人こくじんはポルトガルきができたが、だい多数たすう下層かそう階級かいきゅう結縄けつじょうもちいていた[38]

コンゴ周辺しゅうへんにもしょう取引とりひきこよみのための結縄けつじょうもちいる部族ぶぞくおおい。コンゴ共和きょうわこくテンボフランス語ふらんすごばん社会しゃかいにはラフィアヤシ繊維せんいからんだなわもちいて求婚きゅうこんのメッセージをかわす習慣しゅうかんがある。アフリカ南部なんぶモノモタパ王国おうこくではおう即位そくいするごとに宮廷きゅうてい歴史れきしむすを1つつくならわしがあり、1929ねん時点じてんで35むすがあって、15世紀せいき中葉ちゅうようにさかのぼるすべてのおう区別くべつすることができた。ラーゲルクランツが1960年代ねんだいに、アフリカにおける結縄けつじょう文化ぶんか分布ぶんぷのこしている[39]

ハワイ徴税ちょうぜいじん結縄けつじょうもちいていた事実じじつは、1820年代ねんだいのイギリスじん宣教師せんきょうしらの日誌にっししるされている。かれらのしるすところでは、「徴税ちょうぜいじんたちは、きができないが、島中しまなか住民じゅうみんからあつめられたあらゆる種類しゅるい品々しなじなについての非常ひじょう詳細しょうさい記録きろくをつけている。これはしゅとして1人ひとり人間にんげんによっておこなわれ、そして記録きろくするものは、400~500ひろやく750~950 m)なわ1ほんにすぎない」[40]東洋とうよう学者がくしゃテリアン・ド・ラクペリは1885ねんにハワイの結縄けつじょうについてより詳細しょうさい記述きじゅつのこしており、ことなる形状けいじょういろおおきさのなわむすぼうによって記録きろくおこなわれると解説かいせつしている[41]

マルキーズ諸島しょとうでは家系かけい民謡みんよう伝説でんせつ記録きろくするのに結縄けつじょうもちいていた。カール・フォン・デン・シュタイネン英語えいごばんの20世紀せいきまつ記録きろくでは、マルキーズ諸島しょとう家系かけいは159世代せだいまえまでさかのぼり、しまへの到達とうたつ宇宙うちゅう創造そうぞう伝説でんせつ記録きろくしている[42]。また、死者ししゃたときには僧侶そうりょがココナッツの繊維せんいからつくられたひもむすつくり、死亡しぼうしゃ統計とうけいつくっていた[43]人類じんるい学者がくしゃラルフ・リントンは1920ねんから1921ねんにかけての調査ちょうさにおいて、「結縄けつじょう使用しようは、ポリネシアほかのいかなる地域ちいきよりも、マルキーズ諸島しょとうにおいてもっと高度こうど発達はったつしているようにおもわれる」とつづっている[44]結縄けつじょう文化ぶんかソシエテ諸島しょとう経由けいゆしてニュージーランドまでつたわり、現地げんちマオリあいだではタウポナポナtau-ponapona)とばれていた。イースターとうにも結縄けつじょうによる家系かけいのこっている[43]

ポリネシア以外いがいでも、メラネシアソロモン諸島しょとうナウル、さらにフィリピンでも日付ひづけかぞえるための結縄けつじょう使用しよう報告ほうこくされている[45]。18世紀せいき西洋せいようおとずれた太平洋たいへいよう諸島しょとうじんとしてられるパラオミクロネシア)のリー・ボー英語えいごばん王子おうじは、結縄けつじょうもちいて航海こうかい日誌にっしをつけるなかで文字もじ便利べんりさにづき、学習がくしゅうはじめたが、イングランドの学校がっこうかよううちに天然痘てんねんとう客死かくしした[46]

その用例ようれい

編集へんしゅう
 
結縄けつじょうによる英語えいごアルファベット表記ひょうきあん

19世紀せいきブライユ点字てんじ普及ふきゅうする以前いぜんに、結縄けつじょうによる英語えいごアルファベット表記ひょうきstring alphabet)が考案こうあんされたれいがある。エディンバラ盲目もうもく語学ごがく教師きょうしデヴィッド・マクベスとその知人ちじんによって開発かいはつされたもので、アルファベットをむす形状けいじょうおおきさ・状態じょうたいによってけるものであった。発案はつあんしゃは、発明はつめいされていた視覚しかく障碍しょうがいしゃよう文字もじくらべてはこびやすく、材料ざいりょうすくなく、正確せいかく伝達でんたつ可能かのうであるなどの利点りてんげている[47]。19世紀せいき日本にっぽんでは東京とうきょう盲唖もうあ学校がっこう生徒せいとである小林こばやし新吉しんきちが、いろは47文字もじ対応たいおうしたむす文章ぶんしょう表記ひょうきする「むすび文字もじ」を考案こうあんした。1989ねん明治めいじ22ねん)には、平野ひらの知雄ともおにより大小だいしょうのビーズをとおす「通信つうしんだま」が考案こうあんされた[48]

ひもなわによる情報じょうほう伝達でんたつ一種いっしゅステガノグラフィーとして諜報ちょうほう活動かつどうにも利用りようされてきた。ものなか暗号あんごう仕込しこ手法しゅほうは、ふるくはチャールズ・ディケンズの『物語ものがたり』のなかにも登場とうじょうするが、だいいち世界せかい大戦たいせんときには実際じっさいにイギリスの諜報ちょうほう活動かつどう使つかわれるようになった。だい世界せかい大戦たいせんでは英国えいこくのスパイ、フィリス・ラトゥール・ドイル英語えいごばんドイツ占領せんりょうのフランス潜入せんにゅうし、モールス符号ふごうものによって駐屯ちゅうとんドイツぐん位置いち記録きろくしていた。大戦たいせんベルギーのレジスタンスは年配ねんぱい女性じょせいやとい、列車れっしゃ通過つうかもののパターンで記録きろくさせることで、てき兵站へいたん追跡ついせきしようとこころみたという[49]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ だんつじ 2001, p. 394.
  2. ^ だんつじ 2001, pp. 394–396.
  3. ^ えきけい』繫辞でん
  4. ^ しゅうえきしゅうかいまき15
  5. ^ 老子ろうしだい80しょう
  6. ^ 布目ぬのめ 1996, pp. 90–93.
  7. ^ a b 布目ぬのめ 1996, p. 92.
  8. ^ 松平まつだいらやく 1972, p. 68.
  9. ^ Gandz 1930, pp. 213–214.
  10. ^ Naveh & Shaked 2003, p. 111-112.
  11. ^ 宮田みやた 2018, pp. 74–75.
  12. ^ みんすう』15:37-39
  13. ^ 溝田みぞた 2008.
  14. ^ だんつじ 2001, pp. 394–395.
  15. ^ 池田いけだ 1952, p. 98.
  16. ^ 池田いけだ 1952, p. 101.
  17. ^ Wilford 2003.
  18. ^ Cossins 2018.
  19. ^ a b Radicati di Primeglio & Urton 2006, pp. 97–99.
  20. ^ a b c 宮田みやた 2018, p. 74.
  21. ^ だんつじ 2001, p. 395.
  22. ^ 坂倉さかくら 1739, p. 410.
  23. ^ 最上さいじょう 1808, p. 528.
  24. ^ a b 坪井つぼい 1891, p. 405.
  25. ^ 額田ぬかた 1983, pp. 116–117.
  26. ^ 額田ぬかた 1983, p. 13.
  27. ^ 高橋たかはし 2001, pp. 1122–1123.
  28. ^ 宮田みやた 2018, pp. 19–21.
  29. ^ 中野なかの 1981, pp. 2–5.
  30. ^ 長浜ながはま 1977, pp. 2–3.
  31. ^ はやし 1986.
  32. ^ 長浜ながはま 1971, p. 2.
  33. ^ Gandz 1930, p. 204.
  34. ^ Gandz 1930, pp. 204–205.
  35. ^ 『エレミヤしょ』2:32
  36. ^ Nastevičs 2016, p. 79.
  37. ^ Nastevičs 2016, p. 83.
  38. ^ Day 1957, p. 24.
  39. ^ Huylebrouk 2006, p. 149.
  40. ^ Jacobsen 1983, p. 55.
  41. ^ Jacobsen 1983, p. 56.
  42. ^ Day 1957, p. 14.
  43. ^ a b Brown 1924, p. 83.
  44. ^ Jacobsen 1983, pp. 54–55.
  45. ^ Day 1957, pp. 11–12.
  46. ^ Day 1957, pp. 12–13.
  47. ^ Knight 1835, pp. 517–518.
  48. ^ 筑波大学つくばだいがく附属ふぞく盲学校もうがっこう 2006.
  49. ^ Zarrelli 2017.

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 河野こうの六郎ろくろう千野ちの栄一えいいち西田にしだ龍雄たつお へん言語げんごがくだい辞典じてん別巻べっかん三省堂さんせいどう、2001ねんISBN 4385151776 
高橋たかはし俊三しゅんぞう琉球りゅうきゅう列島れっとう文字もじ」、1117-1126ぺーじ 
だんつじただしつよし結縄けつじょう」、394-396ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう