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西武401系電車 (初代) - Wikipedia

西武せいぶ401けい電車でんしゃ (初代しょだい)

西武せいぶ401けい電車でんしゃ(せいぶ401けいでんしゃ)は、かつて西武鉄道せいぶてつどう在籍ざいせきした通勤つうきんがた電車でんしゃ日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ)よりはらげをけた63けい(ロクサンがた)をルーツとする系列けいれつである。

三鷹みたか事件じけん
画像がぞうみぎ2りょうほん系列けいれつたねしゃとなったモハ63057)

概要がいよう

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終戦しゅうせん直後ちょくご買出かいだとうともな利用りようきゃく激増げきぞうと、それと比例ひれいするかのような整備せいび不良ふりょう補修ほしゅう部品ぶひん不足ふそくによる車両しゃりょう故障こしょう多発たはつ鉄道てつどう事業じぎょうしゃ各社かくしゃあたまなやませていた。そのような状況じょうきょうかんがみ、運輸省うんゆしょう鉄道てつどう軌道きどう統制とうせいかい(のち鉄道てつどう車輌しゃりょう統制とうせいかい)は1946ねん昭和しょうわ21ねん以降いこう国鉄こくてつけに大量たいりょう生産せいさんされた63けいモハ63かたち私鉄してつけにもあてて、逼迫ひっぱくする輸送ゆそう事情じじょう改善かいぜんはかることとした。

対象たいしょう事業じぎょうしゃ[ちゅう 1]ふくまれることとなった西武せいぶにはモハ63かたち2りょう[ちゅう 2]入線にゅうせんした。しかし、当時とうじ西武せいぶ地上ちじょう設備せつび都合つごうじょう20mきゅう車体しゃたい大型おおがたしゃ入線にゅうせん不可能ふかのう状況じょうきょうであり[ちゅう 3]くわえて63けいてにともな在来ざいらいしゃ地方ちほう私鉄してつへの供出きょうしゅつきらったことから[ちゅう 4]どうてを辞退じたいしたうえ代替だいたいしゃとして国鉄こくてつモハ50かたち50118・50012の2りょうれ、のちモハ311かたち317・318として正式せいしきはらげをけるにいたった。そのため、西武せいぶには私鉄してつしゃとしての63けい入線にゅうせんしていない[ちゅう 5]

しかし、後年こうねんしゃ体長たいちょう20mきゅう車両しゃりょう入線にゅうせん可能かのうとなったのちには、国鉄こくてつより土砂崩どしゃくず事故じこ被災ひさい大破たいはしたモハ63024、三鷹みたか事件じけん被災ひさい車両しゃりょうモハ63057、車両しゃりょう火災かさいによって焼損しょうそんしたモハ63470[ちゅう 6]の3りょうはらげをけている。それらを1953ねん昭和しょうわ28ねん)3がつからよく1954ねん昭和しょうわ29ねん)3がつにかけて、西武せいぶ傘下さんか復興ふっこうしゃ[ちゅう 7]所澤ところざわ車両しゃりょう工場こうじょう西武せいぶ所沢ところざわ車両しゃりょう工場こうじょう)にて復旧ふっきゅううえ順次じゅんじ導入どうにゅうしたものがほん系列けいれつである。

なお、これらは制御せいぎょ電動でんどうしゃ(モハ)1りょう制御せいぎょしゃ(クハ)2りょうとして復旧ふっきゅうされ、モハが1りょう不足ふそくしたことから、1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつどう形態けいたいのモハを所沢ところざわ車両しゃりょう工場こうじょうしんせいし、2りょう編成へんせい2ほん形成けいせいした。

きゃくようとびら片側かたがわ4箇所かしょゆうするはんはがねせい車体しゃたいの20mしゃで、ふか屋根やね切妻きりづま形状けいじょう前面ぜんめんといった63けい特徴とくちょうをそのまま継承けいしょうしている。ただし、復旧ふっきゅうさいして前面ぜんめんまくいた通風つうふうこうおよび運行うんこう番号ばんごう表示ひょうじまど撤去てっきょされ、がわまどは2だんまどとされたことから原形げんけいとは若干じゃっかん印象いんしょうことなっていた。

ベンチレーターはグローブがたで、63けい特徴とくちょうであるサイドカバーが直立ちょくりつした構造こうぞうのものをそのまま装備そうびした。ただし、クハへ改造かいぞうされた車両しゃりょうきゅうパンタグラフ台座だいざ付近ふきん増設ぞうせつされたベンチレーターのみはサイドカバーのうええん内側うちがわげられた標準ひょうじゅん仕様しようのものとされている。

主要しゅよう機器ききについては自社じしゃストックひん、および別途べっと国鉄こくてつよりはらげをけた制式せいしき機器ききかわそうされた。しゅ電動でんどうはMT30[ちゅう 8]しゅ制御せいぎょでんそらカムじくしきCS5、制動せいどう装置そうちはA動作どうさべん使用しようしたAMA自動じどう空気くうきブレーキ台車だいしゃはモハはペンシルバニアがたペデスタルしきTR25、クハははりしきTR11をそれぞれ装備そうびする。パンタグラフは従前じゅうぜんどおり、PS13をモハの先頭せんとうりに1搭載とうさいする。

竣功しゅんこう当初とうしょ制御せいぎょ電動でんどうしゃ(Mc)がモハ401かたち402[ちゅう 9]初代しょだい)を、制御せいぎょしゃ(Tc)がクハ1421かたち1421・1422(いずれも初代しょだい)をしょうした。

導入どうにゅう変遷へんせん

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モハ401のぞう備・制御せいぎょしゃあらためばん

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前述ぜんじゅつのようにはらげをけたのは3りょうであり、それらをモハ1りょう・クハ2りょうとして復旧ふっきゅうしたことから、不足ふそくするモハを補充ほじゅうするかたちで1956ねん昭和しょうわ31ねん)9がつにモハ401(初代しょだい)がぞう備された。

モハ401はの3りょう極力きょくりょく仕様しようそろえてしんせいされ、4とびらはんこうせい車体しゃたいという同様どうよう特徴とくちょうゆうするものの、屋根やね断面だんめん形状けいじょう当時とうじしんせいされていた最新さいしんがた車両しゃりょう501けい初期しょきしゃ同一どういつとされ[ちゅう 10]、それにともなって車体しゃたいだかにも変化へんかしょうじているため、の3りょうとは印象いんしょうことなる。ベンチレーターはグローブがたであるものの、サイドカバーのうええん内側うちがわげられた標準ひょうじゅん仕様しようのものに変更へんこうされている。なお、主要しゅよう機器ききはモハ402と同一どういつであるが、台車だいしゃのみはりしきTR22(DT11)に変更へんこうされた。

また、前述ぜんじゅつとおほん系列けいれつ制御せいぎょしゃはクハ1421かたちしょうしていたが、クハ1411がたぞうつぶさともなって1955ねん昭和しょうわ30ねん)4がつクハ1451がた初代しょだい1451・1452と改称かいしょうあらためばんされたのち、さらによく1956ねん昭和しょうわ31ねん)8がつにはクハ1451(初代しょだい)がクハ1401がた(2だい1401に、同年どうねん9がつにクハ1452(初代しょだい)がクハ1402(2だい)にそれぞれ改称かいしょうあらためばんされた。

空気くうきばね台車だいしゃ試用しよう

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1958ねん昭和しょうわ34ねん)2がつより、モハ401がた台車だいしゃ試作しさくがた空気くうきばね台車だいしゃかわそうし、実用じつよう試験しけん実施じっしされた。この台車だいしゃはTR25をベースにまくらばね従来じゅうらいの4れんいたばねからベローズしき空気くうきばねへ改造かいぞうしたもので、後年こうねん空気くうきばね台車だいしゃでは常識じょうしきてき装備そうびとされているボルスタアンカー省略しょうりゃくされているほか、新設しんせつされた空気くうきばねようのエアタンクを台車だいしゃわく側面そくめん搭載とうさいするという特異とくい外観がいかんていしていた。

なお、モハ401・402とも台車だいしゃかわそう同時どうじしゅ電動でんどうをMT15けい[ちゅう 11]かわそうされ、MT30を501けいしんせいさいして提供ていきょうしている。

ほん系列けいれつ試用しようされた空気くうきばね仕様しようTR25の運用うんよう実績じっせきもとに、1961ねん昭和しょうわ36ねん)より501けいモハ501かたち装備そうびする台車だいしゃ空気くうきばね改造かいぞう実施じっしされたが、どう改造かいぞうさいしてはエアタンクの車体しゃたいがわ搭載とうさいおよびボルスタアンカーの追加ついかといった改良かいりょうくわえられている。1962ねん昭和しょうわ37ねん)4がつにはほん系列けいれつ装備そうびする試作しさく台車だいしゃたいしても、エアタンクの撤去てっきょならびにボルスタアンカーの追加ついかとうさい改造かいぞう施工しこうされ、量産りょうさんがた空気くうきばね改造かいぞう台車だいしゃ仕様しよう統一とういつされた。

晩年ばんねん

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1964ねん昭和しょうわ39ねん)1がつ制御せいぎょ電動でんどうしゃ(Mc)の形式けいしき記号きごうがモハからクモハへ一斉いっせい変更へんこうされたことをけ、ほん系列けいれつ制御せいぎょ電動でんどうしゃもクモハ401・402と改称かいしょうされ、車体しゃたい塗装とそうもディープラズベリーとサンドベージュの二色にしきりのいわゆる「あかでん塗装とそう変更へんこうされた。そのATS整備せいびおよび列車れっしゃ無線むせん搭載とうさい車内しゃない扇風機せんぷうき新設しんせつとう実施じっしされている。

導入どうにゅうほん系列けいれつ新宿しんじゅくせん系統けいとう配属はいぞくされ、おも新宿しんじゅくせん国分寺線こくぶんじせん運用うんようされた。しかし、当時とうじ西武せいぶにおける保有ほゆう車両しゃりょう大半たいはんが3とびら構造こうぞう車両しゃりょうであったことから、唯一ゆいいつ4とびら構造こうぞう異端いたんしゃ[ちゅう 12]であるほん系列けいれつは、編成へんせい長大ちょうだいともなって次第しだい運用うんようじょう厄介やっかい存在そんざいしていった。

後年こうねん国分寺線こくぶんじせん上水じょうすいせんげん拝島線はいじませんとう支線しせんにおける運用うんようおもとなり、さらに1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ30にちづけ状態じょうたいわるかったクモハ402・クハ1402が廃車はいしゃ解体かいたいされた。編成へんせい相手あいてうしなったクモハ401とクハ1401は、クハをくるまばんはそのままに偶数ぐうすうきへ方向ほうこう転換てんかん実施じっしし、あらたに2りょう編成へんせいんだものの[ちゅう 13]1971ねん昭和しょうわ46ねん)4がつにはクハ1401も廃車はいしゃとなり、同車どうしゃ廃車はいしゃをもって西武せいぶにおけるモハ63かたち出自しゅつじとする車両しゃりょう全廃ぜんぱいとなった。

のこるクモハ401は、クハ1411かたち1431をくるまばんはそのままに偶数ぐうすうきへ方向ほうこう転換てんかん実施じっししたうえあらたな編成へんせい相手あいてとし、さい晩年ばんねん多摩湖線たまこせん国分寺こくぶんじ - 萩山はぎやまあいだにおける区間くかん運用うんよう専用せんよう編成へんせいとして運用うんようされた。しかし、どう路線ろせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうともない20mしゃの2りょう編成へんせいでは収容しゅうよう力不足ちからぶそくとなり[ちゅう 14]くるまよわい18ねん経過けいかして各部かくぶ老朽ろうきゅう進行しんこう修繕しゅうぜん時期じきむかえつつあったことから、1973ねん昭和しょうわ48ねん)6がつ編成へんせい相手あいてのクハ1431とともに廃車はいしゃとなってほん系列けいれつ形式けいしき消滅しょうめつした。

くるまれき

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くるまばん 竣功しゅんこう きゅうばん
(モハ63かたち当時とうじ
あらためばん 廃車はいしゃ 備考びこう
竣功しゅんこう 1955ねん4がつ
クモハ401 1956ねん9がつ - - 1973ねん6がつ 所沢ところざわ車両しゃりょう工場こうじょうせいじゅん新車しんしゃ
クモハ402 1953ねん3がつ モハ63024 - 1967ねん9がつ  
クハ1401 1953ねん3がつ モハ63057 クハ1421 (I) クハ1451 (I) 1971ねん4がつ クハ1401へのあらためばんは1956ねん8がつ、1967ねん10がつ以降いこう偶数ぐうすうきにかたてん
クハ1402 1954ねん3がつ モハ63470[ちゅう 6] クハ1422 (I) クハ1452 (I) 1967ねん9がつ クハ1402へのあらためばんは1956ねん9がつ

参考さんこう文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 東武鉄道とうぶてつどう東京急行電鉄とうきょうきゅうこうでんてつのち小田急電鉄おだきゅうでんてつおよび相模鉄道さがみてつどうとして分離ぶんり独立どくりつした小田原おだわらせんおよび厚木あつぎせん導入どうにゅうされた)・名古屋鉄道なごやてつどう近畿日本鉄道きんきにほんてつどうのち南海電気鉄道なんかいでんきてつどうとして分離ぶんり独立どくりつした南海なんかいせん導入どうにゅうされた)・山陽電気鉄道さんようでんきてつどうの5しゃに、各種かくしゅ事情じじょうからモハ63がたてを辞退じたいした西武せいぶ京阪神けいはんしん急行きゅうこう電鉄でんてつげん阪急電鉄はんきゅうでんてつ車両しゃりょう自体じたい京都きょうとせん導入どうにゅうさせる予定よていであったが、車両しゃりょう限界げんかい関係かんけいじょう大幅おおはば改修かいしゅう必要ひつようとなるため辞退じたいした)の2しゃくわえたけい7しゃがその対象たいしょうとされた。
  2. ^ モハ63092・63094の導入どうにゅう予定よていされていた。どう2りょう後述こうじゅつモハ50かたち50118・50012と交換こうかんされるかたち国鉄こくてつせき編入へんにゅうされている。
  3. ^ 西武せいぶはつの20mくるまとなる戦災せんさい復旧ふっきゅう国電こくでんクハ1401がた初代しょだいクハ1411かたち)の誕生たんじょうは、辞退じたいから4ねん1950ねん昭和しょうわ25ねん)11月のことであった。
  4. ^ モハ63がたてをけた鉄道てつどう会社かいしゃには、どうすう同数どうすう保有ほゆう車両しゃりょう地方ちほう私鉄してつ供出きょうしゅつすることが義務付ぎむづけられていた。これはモハ63がたてが直接的ちょくせつてき対象たいしょうである大手おおて私鉄してつ救済きゅうさいのみならず、そこからの供出きょうしゅつ車両しゃりょうによって中小ちゅうしょう私鉄してつにおける車両しゃりょう事情じじょう改善かいぜんをも目論もくろんでいたことによる。もっとも、供出きょうしゅつすうについては厳密げんみつまもられたれいはなく、いちれいげると東武鉄道とうぶてつどうは40りょうてにたい従来じゅうらいしゃ11りょうを、山陽電気鉄道さんようでんきてつどうは20りょうてにたい従来じゅうらいしゃ4りょうをそれぞれ供出きょうしゅつしたにぎなかった。
  5. ^ 西武せいぶ場合ばあい戦災せんさい復旧ふっきゅう国電こくでん大量たいりょう導入どうにゅうのほか、同様どうよう国鉄こくてつよりはらげをけた老朽ろうきゅう木造もくぞうしゃたねしゃとして所沢ところざわ車両しゃりょう工場こうじょうにおいてはがねたい改造かいぞうおこなった車両しゃりょう並行へいこうして導入どうにゅうすることにより、戦後せんご混乱こんらんにおける輸送ゆそうりょく増強ぞうきょう実施じっしした。これは車両しゃりょう調達ちょうたつかんして運輸省うんゆしょう統制とうせいけることをきらった(げん西武鉄道せいぶてつどう創業そうぎょうしゃつつみ康次郎やすじろう意向いこうによるものであり、西武せいぶがモハ63かたちしゃのみならず運輸省うんゆしょう規格きかくがた車両しゃりょう導入どうにゅうにも興味きょうみしめさなかった理由りゆう同様どうようであるとされている。
  6. ^ a b 同車どうしゃはモハ63046として竣功しゅんこうし、一旦いったん東武鉄道とうぶてつどうけにてられモハ6300かたちとして導入どうにゅうされたものの、竣功しゅんこう半年はんとしらずでたいわく折損せっそん事故じここし製造せいぞうメーカーである川崎かわさき車輌しゃりょうげん川崎重工業かわさきじゅうこうぎょう)へ返却へんきゃくされたのち復旧ふっきゅううえモハ63470として国鉄こくてつ再度さいど納入のうにゅうされたという複雑ふくざつ経歴けいれきゆうする。
  7. ^ 1961ねん昭和しょうわ36ねん)10がつ西武建設せいぶけんせつ社名しゃめい変更へんこう
  8. ^ 端子たんし電圧でんあつ675Vていかく出力しゅつりょく128kW, ていかく回転かいてんすう780rpm.
  9. ^ 当時とうじモハ401かたちは1りょうのみであったにもかかわらず「モハ402」をしょうしたのは、同車どうしゃ池袋いけぶくろ本川越ほんかわごえかた運転うんてんだいゆうする偶数ぐうすうきの車両しゃりょうであったことによる。
  10. ^ ただし、どう時期じき落成らくせいした501けい初期しょきしゃでは屋根やね鋼板こうはん仕様しよう改良かいりょうされていたものの、同車どうしゃは501けい初期しょきしゃ初期しょき落成らくせいグループ同様どうよう木製もくせい屋根やねにキャンバスりとされている。
  11. ^ 端子たんし電圧でんあつ675Vていかく出力しゅつりょく100kW, ていかく回転かいてんすう653rpm.
  12. ^ 西武せいぶにおける20m4とびらしゃ正式せいしき導入どうにゅうは、ほん系列けいれつ全廃ぜんぱいから4ねん1977ねん昭和しょうわ52ねん)の2000けいしんせいまでたなければならなかった。また、通勤つうきんがた車両しゃりょう主流しゅりゅうが4とびらしゃ移行いこうするのは、さらに10ねん以上いじょう経過けいかした1988ねん昭和しょうわ63ねん)のしん2000けい大量たいりょうぞう以降いこうのことであった。
  13. ^ そのあいだ、クモハ401は1969ねん昭和しょうわ44ねん)7がつ台車だいしゃをTR14Aにかわそうし、また時期じき不明ふめいながらクハ1401についてもTR23だいしゃへのかわそう実施じっしされた。
  14. ^ 国分寺こくぶんじえき多摩湖線たまこせんホームの有効ゆうこうちょう都合つごうじょう、20mしゃでは2りょう編成へんせい入線にゅうせん限界げんかいであり、どう路線ろせん輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうは17mくるま編成へんせいの3りょう編成へんせいによって実施じっしされた。

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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他社たしゃてられた国鉄こくてつ63けい譲渡じょうとしゃ

  • 東武とうぶ7300けい電車でんしゃ - 東武とうぶしゃのち名鉄めいてつしゃ14りょう譲受ゆずりうけし、最盛さいせいにはけい54りょう在籍ざいせきした。
  • 小田急おだきゅう1800かたち電車でんしゃ - 東急とうきゅうしゃ。20りょうちゅう6りょう相模鉄道さがみてつどう相鉄そうてつ)の委託いたく営業えいぎょう解除かいじょさいして相鉄そうてつ譲渡ゆずりわたされ、補充ほじゅうとして名鉄めいてつしゃ6りょう譲受ゆずりうけした。
  • 相鉄そうてつ3000けい電車でんしゃ - どう系列けいれつ9りょうちゅう7りょうがモハ63かたち出自しゅつじとする。6りょう前述ぜんじゅつ東急とうきゅうより譲受じょうじゅした車両しゃりょうで、1りょう西武せいぶ401けい初代しょだい同様どうよう事故じこ廃車はいしゃとなったモハ63がたはら復旧ふっきゅうしゃであった。
  • 名鉄めいてつ3700けい電車でんしゃ (初代しょだい) - 名鉄めいてつしゃ車両しゃりょう限界げんかい都合つごうから導入どうにゅうもなく東武とうぶへ14りょう小田急おだきゅうへ6りょうさい譲渡じょうとし、名鉄めいてつにおける運用うんよう短期間たんきかんわった。
  • 南海なんかい1501かたち電車でんしゃ - 近鉄きんてつしゃ各部かくぶ独自どくじ設計せっけい反映はんえいされたてん特徴とくちょうであった。
  • 山陽電気鉄道さんようでんきてつどう700かたち電車でんしゃ - 山陽さんようしゃしゃでは唯一ゆいいつ標準軌ひょうじゅんき路線ろせん導入どうにゅうされ、「広軌こうきロクサンがた」の異名いみょうゆうした。