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FC東京 - Wikipedia

FC東京とうきょう

日本にっぽんのサッカークラブ

FC東京とうきょう(FCとうきょう、えい: FC TOKYO)は、日本にっぽん東京とうきょうをホームタウンとする[2]日本にっぽんプロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟かめいするプロサッカークラブ。

FC東京とうきょう
原語げんご表記ひょうき FC東京とうきょう
愛称あいしょう 瓦斯がす
Fひがし
F東京とうきょう
東京とうきょう
あお赤軍せきぐんだん
クラブカラー     TOKYO BLUE
    TOKYO RED
    URBAN GOLD[1]
創設そうせつねん 1935ねん
所属しょぞくリーグ 日本にっぽんプロサッカーリーグ
所属しょぞくディビジョン J1リーグ
昨季さくきリーグ順位じゅんい 11(2023ねん
クラブライセンス J1
ホームタウン 東京とうきょう[2]
ホームスタジアム
あじもとスタジアム[2]
収容しゅうよう人数にんずう 47,851[2]
運営うんえい法人ほうじん 東京とうきょうフットボールクラブ株式会社かぶしきがいしゃ[2]
代表だいひょうしゃ 川岸かわぎししげる[2]
監督かんとく オーストラリアの旗 ピーター・クラモフスキー
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
画像がぞう外部がいぶリンク
エンブレム
en:File:FCTokyo.png
FC東京とうきょうのサポーター (2008ねん3がつ8にち たい神戸こうべせん)

概要がいよう

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1.あじもとスタジアム、2.小平こだいらグランドおよびクラブハウス、3.深川ふかがわグランドおよ本社ほんしゃ

1999ねんにJリーグへ加盟かめい[2]ホームタウン東京とうきょうで、[2]ホームスタジアムはあじもとスタジアム(2001・2002ねんは「東京とうきょうスタジアム」)である[2](ホームスタジアムについての詳細しょうさい後述こうじゅつ)。練習れんしゅうじょうは、小平こだいらFC東京とうきょう小平こだいらグランド[2]東京とうきょうガス武蔵野むさしのえん)である(2001ねんまでは江東こうとう猿江さるえFC東京とうきょう深川ふかがわグランド[3]

このため、地域ちいき活動かつどう調布ちょうふ周辺しゅうへんエリア(三鷹みたかおよ府中ふちゅうふく[ちゅう 1]。)、小平こだいらをメインとして、都心としん23でも、とく上述じょうじゅつ練習れんしゅう拠点きょてんがあった江東こうとう深川ふかがわ[4]、かつてJリーグ公式こうしきせん開催かいさいしたことがある江戸川えどがわきた世田谷せたがや中心ちゅうしんとしておこなわれている。

クラブめいの「FC東京とうきょう」は、シンプルでだれにもわかりやす馴染なじみがあり「都民とみんのためのJクラブ」を目指めざ観点かんてんから制定せいていされた[2]

マスコットキャラクターは『東京とうきょうドロンパ』であり[2]、チーム創設そうせつ10周年しゅうねんけてマスコットを選考せんこうして、2009ねん開幕かいまくせんより登場とうじょうした。

2000ねんまでは東京とうきょう名乗なのるJリーグクラブがかったため、「東京とうきょう」の呼称こしょうであったが、2001ねん東京とうきょうヴェルディ1969きゅうV川崎かわさき)がホームタウンを東京とうきょう変更へんこうして以降いこう、「FC東京とうきょう」や「Fひがし」などと表記ひょうきされている。なお、Jリーグの公式こうしき情報じょうほうスポーツ振興しんこうくじ(toto)とうでの紙面しめんかぎられる公式こうしき発行はっこうぶつかんしては、F東京とうきょうとして掲載けいさいされる場合ばあいおお[5][6]ただ日刊にっかんスポーツでは「FC」をれず、上記じょうき名残なごりによりたんに「東京とうきょう」と表記ひょうき)。

プロ以前いぜん呼称こしょう東京とうきょうガスからる『ガス』が現在げんざいでもFC東京とうきょうしめ独自どくじ呼称こしょうとしてのこっているのはこうした理由りゆうにもよる[ちゅう 2]。ニックネームにはこのユニフォームのカラーからられた『あお赤軍せきぐんだん[7][6]』がある。

運営うんえい法人ほうじん

編集へんしゅう
東京とうきょうフットボールクラブ株式会社かぶしきがいしゃ[2]
TOKYO FOOTBALL CLUB Co.,Ltd.[8]
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち   日本にっぽん
182-0034[2]
東京とうきょう調布ちょうふ下石原しもいしはら1丁目ちょうめ2−3 TSOビル
北緯ほくい3539ふん27.8びょう 東経とうけい13932ふん2.1びょう / 北緯ほくい35.657722 東経とうけい139.533917 / 35.657722; 139.533917座標ざひょう: 北緯ほくい3539ふん27.8びょう 東経とうけい13932ふん2.1びょう / 北緯ほくい35.657722 東経とうけい139.533917 / 35.657722; 139.533917
本店ほんてん所在地しょざいち 135-0003
東京とうきょう江東こうとう猿江さるえ2丁目ちょうめ15-10
北緯ほくい3541ふん9.3びょう 東経とうけい13949ふん3.2びょう / 北緯ほくい35.685917 東経とうけい139.817556 / 35.685917; 139.817556
設立せつりつ 1998ねん10月1にち
業種ぎょうしゅ サービスぎょう
法人ほうじん番号ばんごう 6010601025736  
事業じぎょう内容ないよう サッカークラブの運営うんえい
代表だいひょうしゃ 川岸かわぎししげる也(代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう[2]
資本しほんきん 1,762,000,000えん
売上うりあげだか 52おく7449まん1000えん
(2023ねん1がつ[9]
営業えいぎょう利益りえき ▲8744まん2000えん
(2023ねん1がつ[9]
経常けいじょう利益りえき ▲6329まん4000えん
(2023ねん1がつ[9]
じゅん利益りえき ▲1おく8177まん6000えん
(2023ねん1がつ[9]
純資産じゅんしさん 24おく3900まん4000えん
(2023ねん1がつ[9]
そう資産しさん 30おく7250まん3000えん
(2023ねん1がつ[9]
従業じゅうぎょう員数いんずう 49にん[10]
決算けっさん 毎年まいとし1がつ31にち
主要しゅよう株主かぶぬし
関係かんけいする人物じんぶつ とりはら光憲みつのり
外部がいぶリンク www.fctokyo.co.jp  
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1998ねん10がつ1にち東京とうきょうガスなど161団体だんたい出資しゅっしした[11] 運営うんえい法人ほうじん東京とうきょうフットボールクラブ株式会社かぶしきがいしゃ』を設立せつりつ[2][3]

FC東京とうきょう運営うんえい法人ほうじんについては、東京とうきょうかかわりをつできるだけおおくの企業きぎょう自治体じちたい共同きょうどう出資しゅっしとし、特定とくてい企業きぎょう影響えいきょうけない独立どくりつせいるものとするという方針ほうしんられた。1997ねん東京とうきょうガスサッカー部長ぶちょうとりはら光憲みつのりおよびその上司じょうしJFL評議ひょうぎかい会長かいちょう上原うえはら英治えいじ方針ほうしんかため、東京とうきょうガス上層じょうそう了承りょうしょうてのものであった[12]

上記じょうき経緯けいいから、設立せつりつ当初とうしょから東京とうきょうガスとは親子おやこ会社かいしゃ関係かんけい[13][14]主要しゅよう株主かぶぬし持株もちかぶ比率ひりつは5%程度ていどとどまっている[15]

歴代れきだい代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょうにはいずれも東京とうきょうガス出身しゅっしんしゃいており、役員やくいん多数たすう主要しゅよう株主かぶぬしからの出向しゅっこうである。

2021ねん11月22にちミクシィ(げん・MIXI)東京とうきょうフットボールクラブ株式会社かぶしきがいしゃ第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうしにて発行はっこうする株式かぶしき引受ひきうけ、子会社こがいしゃした。第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうしのミクシィ(げん・MIXI)の所有しょゆう株式かぶしきすうは24,000かぶ議決ぎけつけん所有しょゆう割合わりあい51.3%)となる[16][17]

役員やくいん出向しゅっこうもと (太字ふとじ現任げんにん)

出資しゅっししゃ

編集へんしゅう
 
 
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1.三鷹みたか、2.府中ふちゅう、3.調布ちょうふ
4.小平こだいら、5.西東京にしとうきょう、6.小金井こがねい
株主かぶぬし
設立せつりつの161団体だんたいから増大ぞうだいつづけ、2022ねん10がつ現在げんざい362団体だんたい
筆頭ひっとう株主かぶぬしがMixiにわってからも、東京とうきょうガスの関連かんれん企業きぎょうおおく、市町村しちょうそんからは1999ねんより三鷹みたか[18]府中ふちゅう[19]調布ちょうふ[20]、2002ねんより小平こだいら[21]西東京にしとうきょうが、2004ねんより小金井こがねい[22]つらね、それぞれ100まんえん出資しゅっし(20かぶ保有ほゆう[21])している。詳細しょうさいは「株主かぶぬし一覧いちらん」を参照さんしょう
スポンサー

詳細しょうさいは「クラブスポンサー」を参照さんしょう

経営けいえい情報じょうほう

編集へんしゅう

クラブは2016ねん発表はっぴょうの「2020VISION[23]」において、営業えいぎょう収入しゅうにゅう数値すうち目標もくひょうとして50おくえんかかげている。

損益そんえき

編集へんしゅう
年度ねんど 収入しゅうにゅう 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん その 費用ひよう 事業じぎょう 人件じんけん 管理かんり 利益りえき じゅん利益りえき
2005 3,168 1,186 797 402 783 3,054 2,387 N.A. 667 114 9
2006 3,299 1,217 747 274 1,061 3,355 2,605 1,612 750 -56 -67
2007 3,347 1,243 778 278 1,048 3,581 2,756 1,680 825 -234 -236
2008 3,433 1,251 765 276 1,141 3,562 2,703 1,570 859 -129 -125
2009 3,763 1,357 828 375 1,203 3,731 2,939 1,768 792 32 20
2010 3,671 1,372 779 284 1,236 3,274 2,437 1,370 837 397 361
  • 金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん
  • 人件じんけん事業じぎょうふくまれる。

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん200520062007200820092010

年度ねんど 収益しゅうえき 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん 育成いくせい その 費用ひよう 人件じんけん 試合しあい トップ 育成いくせい 女子じょし 販売はんばい 利益りえき じゅん利益りえき
2011 3,334 1,336 551 110 355 982 3,063 1,427 305 198 239 0 894 271 139
2012 3,865 1,385 817 227 419 1,917 3,622 1,574 427 337 245 0 1,039 243 145
2013 3,545 1,422 788 206 422 707 3,482 1,637 373 284 255 0 933 63 67
2014 3,859 1,665 857 205 424 708 3,822 1,709 405 376 263 0 1,070 37 4
2015 4,678 1,710 966 235 457 1,310 3,993 1,641 385 429 350 0 1,188 685 376
  • 金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん20112012201320142015

年度ねんど 収益しゅうえき 広告こうこくりょう 入場にゅうじょうりょう 配分はいぶん 育成いくせい 物販ぶっぱん その 費用ひよう 人件じんけん 試合しあい トップ 育成いくせい 女子じょし 物販ぶっぱん 販売はんばい 利益りえき じゅん利益りえき
2016 4,541 1,935 961 245 444 289 667 4,447 2,025 482 472 258 0 240 970 94 83
2017 4,588 1,717 1,026 483 446 282 634 4,401 2,010 468 389 295 0 238 1,001 187 114
2018 4,844 1,988 947 382 420 287 820 4,619 2,133 455 391 303 0 287 1,050 225 134
2019 5,635 2,419 1,104 406 418 297 991 5,552 2,736 492 501 259 0 247 1,317 83 50
2020 4,588 2,284 314 639 293 371 687 5,007 3,034 258 332 149 0 291 943 -419 -325
2021 4,772 2,497 511 664 375 442 283 4,998 2,712 275 336 206 0 325 1,144 -226 -485
2022 5,274 2,559 893 630 353 449 390 4,056 2,538 324 400 456 0 329 1,305 -87 -182
  • 金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん2016 2017 2018 2019 2020 20212022

年度ねんど そう資産しさん そう負債ふさい 純資産じゅんしさん 資本しほんきん
2005 982 190 792 783
2006 883 134 748 807
2007 703 182 520 815
2008 833 389 444 863
2009 951 347 604 1,003
2010 1,349 382 967 1,005
2011 1,698 535 1,163 1,062
2012 1,870 541 1,329 1,064
2013 1,957 560 1,397 1,065
2014 1,807 379 1,428 1,092
2015 2,511 706 1,805 1,092
2016 2,310 377 1,933 1,137
2017 2,688 641 2,047 1,137
2018 2,609 378 2,231 1,187
2019 2,735 454 2,281 1,187
2020 2,361 405 1,956 1,187
2021 1,930 460 1,471 1,187
2022 3,073 634 2,439 1,762

出典しゅってん: かく年度ねんどのJクラブ決算けっさん一覧いちらん200520062007200820092010201120122013201420152016201720182019202020212022

金額きんがく単位たんい: ひゃくまんえん

1935ねん結成けっせいされた「東京とうきょうガスサッカー」が前身ぜんしんであり[2]1991ねん日本にっぽんサッカーリーグ2昇格しょうかく[2]1992ねんからジャパンフットボールリーグ参加さんか[2]

1997ねんに『東京とうきょうガスフットボールクラブ』へ改称かいしょうし、Jリーグへの参加さんか表明ひょうめい1998ねんにはよくシーズンよりクラブ名称めいしょうを『FC東京とうきょう』とする改称かいしょうおよ東京とうきょうをホームタウンとしてプロクラブし、1999ねんからのJリーグ加盟かめいJリーグ ディビジョン2(J2)参加さんかまった[2]

1999ねん(J2)

編集へんしゅう

1999ねん東京とうきょう本拠地ほんきょちとするはじめてのチームとしてJリーグ加盟かめい。プロ契約けいやくむすばない東京とうきょうガス時代じだいからの選手せんしゅ多数たすうめるなか[24]堅実けんじつたたかいで[25] シーズン中盤ちゅうばんまで2以内いないをキープ。だい27せつ仙台せんだいせんでFWアマラオがクラブはつハットトリック達成たっせい。しかし、ナビスコカップをがったことによる過密かみつ日程にってい[25]アマラオの負傷ふしょう欠場けつじょうによって[26]終盤しゅうばんには4連敗れんぱいきっしてJ1昇格しょうかく圏外けんがいまれた。最終さいしゅうぶし大分おおいたをかわして2はいり(1999ねんJ2最終さいしゅうぶし参照さんしょう)、Jリーグ ディビジョン1(J1)昇格しょうかくたした。

Jリーグヤマザキナビスコカップでは、神戸こうべ市原いちはら横浜よこはまFMのJ1チームをくだしてベスト4に進出しんしゅつ、MF佐藤さとうゆかり紀彦のりひこニューヒーローしょう選出せんしゅつされた[27]

2000ねん - 2010ねん(J1)

編集へんしゅう

2000ねんは「東京とうきょう」を名前なまえつクラブとしてはつのJ1進出しんしゅつ。10めい社員しゃいん選手せんしゅゆうするなど、のJ1クラブにくら予算よさん戦力せんりょくども小規模しょうきぼながら[13] 開幕かいまく5せつで4しょう1はい成績せいせき首位しゅいつなど旋風せんぷうこし[25][26]年間ねんかん総合そうごう順位じゅんいは7しん加入かにゅうのGK土肥どい洋一よういち好守こうしゅ[26]以後いご2006ねんいたるまでリーグせん216試合しあい連続れんぞくフル出場しゅつじょうというJリーグ記録きろくのこした[3]

攻撃こうげきではFWアマラオと、川崎かわさきFから期限きげん移籍いせき加入かにゅうしたツゥットのコンビが得点とくてん量産りょうさん[25][26]。ツゥットはリーグ2となる17得点とくてんげて、クラブはつJリーグベストイレブンにもえらばれた[26]。なお、ツゥットはシーズン終了しゅうりょう浦和うらわ完全かんぜん移籍いせきした。

天皇杯てんのうはい初戦しょせんでJ2甲府こうふ敗退はいたい

2001ねん収容しゅうよう人員じんいん49,000にんしん本拠地ほんきょち東京とうきょうスタジアム(げん:あじもとスタジアム)完成かんせい使用しよう開始かいしとなった[27] ことにより観客かんきゃく動員どういんすう飛躍ひやくてき増加ぞうか[26]。スタジアムのこけらおととなった開幕かいまくせんでは、川崎かわさきから移転いてん呼称こしょう変更へんこうした東京とうきょうVとのはつ東京とうきょうダービーとなり、しん加入かにゅうもと日本にっぽん代表だいひょうFWりょ須ワグナーVゴールせいした[25]

りょ須は4がつ4にちナビスコカップ甲府こうふせんハットトリックげるなど序盤じょばんこそ活躍かつやくしたものの、アマラオとプレースタイルが重複じゅうふくすることなどから徐々じょじょ出場しゅつじょう機会きかい[26]、チーム加入かにゅうわずか半年はんとし福岡ふくおか完全かんぜん移籍いせき。しかし、そのころには開幕かいまく直前ちょくぜん急遽きゅうきょ獲得かくとくしたブラジルじんMFケリーがチームにフィットし、司令塔しれいとうとして攻撃こうげきじん掌握しょうあく[25]以後いご4年間ねんかん攻撃こうげきかくとして活躍かつやくした。

天皇杯てんのうはい初戦しょせん横浜よこはまFCやぶれ、2ねん連続れんぞくでJ2ぜい初戦しょせん敗退はいたいきっした。この試合しあい最後さいごに、東京とうきょうガス時代じだい以来いらい7年間ねんかん指揮しきった大熊おおくまきよし監督かんとく退任たいにん[25][26][27]

2002ねん監督かんとくはら博実ひろみむかえて攻撃こうげきサッカーを指向しこうした強化きょうかすす[26]開幕かいまくせんでは前年ぜんねん優勝ゆうしょう鹿島かしまから4てんうば圧勝あっしょう[26]。しかしこの試合しあいでMVPきゅう活躍かつやくせた小林こばやし成光なるみつ交通こうつう事故じこで、攻守こうしゅ起点きてんとなった三浦みうらぶんたけだい2せつ浦和うらわせん負傷ふしょうし、とも長期ちょうき離脱りだついられた[26]

一方いっぽう、このとし移籍いせき加入かにゅうした選手せんしゅたちが5がつ以降いこうレギュラーに成長せいちょう。DF加地かじあきらとMF石川いしかわ直宏なおひろみぎサイドでの攻撃こうげき活性かっせいさせ、DF茂庭もにわ照幸てるゆきしん加入かにゅうのブラジルじんCBジャーンとのコンビで堅守けんしゅきずいた[26]。また、入団にゅうだん2ねんのMF宮沢みやざわ正史せいしもプレースキッカーとして能力のうりょく発揮はっきし、ボランチのレギュラーをつかんだ[26]。シーズン終了しゅうりょう佐藤さとうゆかり紀彦のりひこ横浜よこはまFM期限きげん移籍いせき退団たいだんした(その完全かんぜん移籍いせき)。

また、このとしまたひろし友希ゆき馬場ばばゆうふとしがチームはつのアカデミーからのトップチーム昇格しょうかくたし[27][3]、FC東京とうきょうU-18所属しょぞくあきらぎんがこれもはつとなる2しゅ登録とうろく選手せんしゅでJリーグデビューし[26]当時とうじのJ1最年少さいねんしょう記録きろくとなる16さい8ヶ月かげつ20日はつかでJ1はつ出場しゅつじょうたした。

チームスローガン:90分間ふんかん攻撃こうげきサッカー。

2003ねんは、はら体制たいせい2ねん。DF金沢かなざわきよし加入かにゅうし、リーグ最小さいしょう失点しってん記録きろく。1st、2ndステージども優勝ゆうしょう戦線せんせんから[26]年間ねんかん順位じゅんい4成績せいせき。また、シーズン初戦しょせんだった3月8にちナビスコはい横浜よこはまFMせん横浜よこはま国際こくさい総合そうごう競技きょうぎじょう)で、FC東京とうきょうU-18所属しょぞく高校生こうこうせいだった梶山かじやま陽平ようへいがトップチームでの公式こうしきせんはつ出場しゅつじょうした[27][26]一方いっぽうで、天皇杯てんのうはい最後さいごに、きゅうJFL時代じだいからチームを牽引けんいんし『KING OF TOKYO』としてしたしまれたFWアマラオ湘南しょうなん移籍いせきした。

8がつにはスペイン・レアル・マドリードとクラブ史上しじょうはつ国際こくさい親善しんぜん試合しあい開催かいさい[3]

また、加地かじあきら茂庭もにわ照幸てるゆきがクラブ所属しょぞく選手せんしゅはつ日本にっぽん代表だいひょうとして出場しゅつじょうした[3]

チームスローガン:おさむげきおさむげき攻撃こうげきサッカー。

はら体制たいせい3ねん。アマラオにわって[26]FWルーカス獲得かくとく。また、MF今野こんの泰幸やすゆき札幌さっぽろから加入かにゅうし、ユースからはただしなり梶山かじやま陽平ようへいあきらぎん昇格しょうかく[27]

8がつにはスペイン遠征えんせいおこない、デポルティーボ・ラ・コルーニャ恒例こうれいプレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャガリシアばんまねかれ、これをせい[27]帆船はんせんがたのトロフィーを獲得かくとく

リーグせん年間ねんかん8成績せいせきナビスコカップでは、日本にっぽん代表だいひょうおよびU-23日本にっぽん代表だいひょうによって複数ふくすう主力しゅりょくなか[26]決勝けっしょう進出しんしゅつどうカップではじめてベストメンバーをそろえてのぞんだ[26]決勝けっしょうせんでは浦和うらわ延長えんちょう・PKせんすえやぶり、はつ優勝ゆうしょうたし、Jリーグ加盟かめいはつ公式こうしきタイトルを獲得かくとくした[3]

チームスローガン:めてる。めてる。

はら体制たいせい4ねんケリー退団たいだんしたが、若手わかてへシフトする意味いみおおきな補強ほきょうはしなかった。

開幕かいまく直後ちょくごはそれまで苦手にがてとした磐田いわた勝利しょうり首位しゅいつなどしたが、それ以後いごは4-3-3のしん布陣ふじんしん加入かにゅうMFダニーロ不発ふはつ[26]などでチームワーストの6連敗れんぱいきっし、優勝ゆうしょう戦線せんせんから早々そうそう脱落だつらく。5月にははら監督かんとく解任かいにん現実味げんじつみびた時期じきもあり、9月の横浜よこはまFMたたかえ日産にっさんスタジアム)で石川いしかわ直宏なおひろ負傷ふしょう退場たいじょうひざ靭帯じんたい完全かんぜんだんきれにより復帰ふっきまでやく8かげつようした)[26]直後ちょくごルーカス意識いしき不明ふめい救急きゅうきゅうしゃ搬送はんそうによる試合しあい終了しゅうりょうとうもあった[26]終盤しゅうばんせんは12試合しあいけなしの成績せいせきのこして、年間ねんかん順位じゅんいは10最終さいしゅうぶしみぎ)ではC大阪おおさか優勝ゆうしょう阻止そしした[26]。シーズン終了しゅうりょうに、はら監督かんとく退任たいにん。また、加地かじあきらG大阪おおさか移籍いせきした。

なお、このとし7がつ9にち東京とうきょうダービー(東京とうきょうVたたかえ、FC東京とうきょう主催しゅさい試合しあい)の試合しあいまえ、FC東京とうきょうサポーターによる傷害しょうがい事件じけん発生はっせいした(FC東京とうきょうがわのサポーターやく200めいコンコースにて東京とうきょうVサポーターに挑発ちょうはつ行為こういおよんださい、FC東京とうきょうサポーター1めい場内じょうない設置せっちされていた灰皿はいざらのフタを東京とうきょうVがわ群衆ぐんしゅうげつけて、東京とうきょうVのクラブ職員しょくいん警官けいかん一般人いっぱんじん負傷ふしょうさせ傷害しょうがいざい逮捕たいほ)。この試合しあい管理かんり責任せきにんしゃとして、FC東京とうきょうにはJリーグから1000まんえん罰金ばっきんせられた。

チームスローガン:Ousadia信頼しんらい勇気ゆうき挑戦ちょうせん

 
埼玉さいたまスタジアム2002おこなわれた浦和うらわせん

クラブはつ外国がいこくせき監督かんとくとなるブラジルじんガーロ監督かんとく就任しゅうにん速攻そっこう主体しゅたいのチームを、ボールの保持ほじ(ボールポゼッション)を主体しゅたいとするパスサッカーへの転換てんかんはかったが[26]、3バックの採用さいようや「マンマークを徹底てっていする」守備しゅび基本きほんとし、みじかいパスで攻撃こうげき構築こうちくしようとする戦術せんじゅつはなかなか奏功そうこうせず、4がつ15にちだい8せつ千葉ちばせんでは前半ぜんはん完全かんぜんにゲームを支配しはいされ後半こうはん9ふんまでに3失点しってんきっ惨敗ざんぱい。ブラジルと比較ひかくすると緩急かんきゅうすくなく、運動うんどうりょうとスピードでのめのおおいJリーグでの相手あいて攻撃こうげきふせぐのに苦戦くせんした。

くわえて、怪我人けがにん多発たはつ戦術せんじゅつわせもはかれなくなり、ナビスコはいでは2ふん4はい予選よせんリーグ最下位さいかい敗退はいたいさらにガーロの要望ようぼう獲得かくとくしたブラジルじんFWワシントンも、投入とうにゅうされた試合しあいですぐさま退場たいじょう処分しょぶんけるなど不発ふはつ7がつ22にち鹿島かしませんで4失点しってんきっやぶれると(2-4)、29にち広島ひろしまたたかえ(0-2)、8がつ5にちのプレシーズンマッチ・FCソウルたたかえ(0-3)、12にち浦和うらわたたかえ(0-4)と連敗れんぱいし、8がつ15にちにクラブはつとなるシーズン途中とちゅうでの監督かんとく解任かいにん発表はっぴょうされた。

後任こうにん監督かんとくには1995ねんから大熊おおくまはらしたながくヘッドコーチをつとめ、このとしからFC東京とうきょうU-18の監督かんとくとなっていた倉又くらまた寿雄よしお就任しゅうにんだい18せつ千葉ちばせんから指揮しきり、布陣ふじんを4バックにもどすなど修正しゅうせいほどこしリーグせんを13えた。

シーズン終了しゅうりょうとも倉又くらまた監督かんとく退任たいにん(U-18監督かんとくへと復帰ふっき)。12月5にちはら監督かんとく再任さいにんされた。また、このとしかぎりでジャーン湘南しょうなん移籍いせき)、三浦みうらぶんたけ引退いんたい)、宮沢みやざわ正史せいし大分おおいた移籍いせき)、戸田とだ光洋みつひろ清水しみず移籍いせき)などが退団たいだん

2006 FIFAワールドカップ日本にっぽん代表だいひょう土肥どい洋一よういち茂庭もにわ照幸てるゆき2人ふたりがクラブとしてはじめて選出せんしゅつされ[27]茂庭もにわオーストラリア代表だいひょうせん出場しゅつじょう。クラブはつのWはい出場しゅつじょう選手せんしゅとなった。

開幕かいまくせん結果けっか
とし 会場かいじょう スコア 相手あいて とし 会場かいじょう スコア 相手あいて
1997 駒沢こまざわりく 1-0 福島ふくしまFC   2003 あじスタ 2-1 かしわ
1998 駒沢こまざわりく 3-0 国士大こくしだい 2004 あじスタ 1-0 新潟にいがた
1999 西にしおか 2-0 鳥栖とす 2005 あじスタ 4-0 新潟にいがた
2000 横浜よこはまこく 1-0 横浜よこはまFM 2006 あじスタ 2-0 大分おおいた
2001 ひがしスタ 2-1 東京とうきょうV 2007 あじスタ 2-4 広島ひろしま
2002 ひがしスタ 4-2 鹿島かしま

チームスローガン:It's Our Time 〜あお疾風しっぷうあか怒涛どとう

2007ねんふたたはら体制たいせいとなり、コスタリカ代表だいひょうFWのパウロ・ワンチョペ磐田いわたからもと日本にっぽん代表だいひょうMF福西ふくにし崇史たかふみ、ブラジルじんDFエバウド獲得かくとくした。

しかし、ワンチョペのうごきには一向いっこうにキレがもどらず、エバウドと茂庭もにわ照幸てるゆきりょうセンターバックも負傷ふしょうにより低調ていちょう[26]攻守こうしゅじくさだまらず、開幕かいまくからつまづいた[5]。J2だった1999ねんから2006ねんまで8きゅうJFL時代じだいの1997ねん、1998ねんふくめると10つづけて開幕かいまくせん勝利しょうりしていたが、広島ひろしまやぶれ、開幕かいまくせん連勝れんしょう記録きろくまった(みぎひょう)。ワンチョペはシーズン途中とちゅう退団たいだんさらに、U-22代表だいひょうとして梶山かじやま陽平ようへい野波のなみ雅彦まさひこひら山相さんそうふとしさんにんが、フル代表だいひょうとして今野こんの泰幸やすゆき常時じょうじ招集しょうしゅうされており、なかでもスタメンであった梶山かじやま代表だいひょうせんでの怪我けがで9がつ離脱りだつした。年間ねんかん成績せいせきは12終了しゅうりょう。なお、だい28せつ横浜よこはまFMせん勝利しょうりで、J1通算つうさん100しょう達成たっせいした[3]

はらは1ねんかぎりで監督かんとく退任たいにん

チームスローガン:Moving Football 〜ボールも・身体しんたいも・ているひとしんも〜

J1だい1せつ神戸こうべたたかえ (あじもとスタジアム)
コレオグラフィ中央ちゅうおうの「10」はJリーグ加盟かめい10周年しゅうねんあらわす。
J1だい34せつ千葉ちばたたかえ (フクダ電子ふくだでんしアリーナ)

2008ねんU-17日本にっぽん代表だいひょうもと監督かんとくしろぶくひろし監督かんとく就任しゅうにん

土肥どい洋一よういち福西ふくにし崇史たかふみとも東京とうきょうV移籍いせき)にくわえ、MF馬場ばばゆうふとし千葉ちばへ)、鈴木すずきただしろう神戸こうべへ)、野波のなみ雅彦まさひこ鹿島かしまへ)、FWルーカスG大阪おおさかへ)らがそれぞれ移籍いせき[27]一方いっぽうでMF羽生はぶただしつよし、FWカボレ、DF長友ながともたすく前年ぜんねん特別とくべつ指定してい)らを獲得かくとくしろぶく戦術せんじゅつに「ムービングフットボール」をかかげ、2006ねんのぞんだポゼッションサッカーへさい挑戦ちょうせんした[26]

夏場なつばには白星しろぼしからとおざかるが、だい30せつ鹿島かしませんでは長友ながとも、カボレらの得点とくてん快勝かいしょうするなど好調こうちょうてん[26]、シーズン終盤しゅうばんまで優勝ゆうしょう可能かのうせいのこした位置いちでのたたかいをつづけた。

最終さいしゅうぶしではJ2降格こうかく危機ききにあった千葉ちばたいして終盤しゅうばん11分間ふんかんで4てんうばわれて逆転ぎゃくてんけをきっした(その結果けっか千葉ちば残留ざんりゅう東京とうきょうVが降格こうかく)。

リーグせん年間ねんかん成績せいせきは6浮上ふじょう天皇杯てんのうはいでも東京とうきょうガス時代じだい1997ねん以来いらいとなるベスト4へ進出しんしゅつした。

チームスローガン:Moving Football 〜ているひとしんうごかせ〜
 
飛田給とびたきゅうえき構内こうない。ナビスコカップ優勝ゆうしょうたたえる横断幕おうだんまくかかげられている。

しろぶく体制たいせい2ねん福岡ふくおかから中村なかむら北斗ほくと水戸みとから平松ひらまつ大志ひろし獲得かくとくした。序盤じょばんせん低迷ていめいするが、MF今野こんの泰幸やすゆきをCBにコンバートし[26]ブルーノ・クアドロスとコンビをませ、またボランチに梶山かじやま陽平ようへい高卒こうそつルーキー米本よねもと拓司たくじ固定こていしたころから守備しゅび安定あんていさらに、石川いしかわ直宏なおひろの24試合しあいで15得点とくてんげるだい活躍かつやくによってリーグせん順位じゅんいがり、ACL出場しゅつじょう圏内けんないりはのがしたものの5はいった。また、長友ながともたすく石川いしかわがJリーグベストイレブンに選出せんしゅつされた[27]。2めい受賞じゅしょうしたのはクラブはつ。また、GK権田ごんだ修一しゅういちがリーグせん年間ねんかん完封かんぷう試合しあいすうタイ記録たいきろくてた。

ナビスコカップ決勝けっしょう川崎かわさきF勝利しょうりして優勝ゆうしょう。また、この試合しあい先制せんせいてんげた米本よねもとはニューヒーローしょうとMVPを獲得かくとくした。このとしより、マスコットの『東京とうきょうドロンパ』が登場とうじょう[27][3]

チームスローガン:Moving Football 〜しんをひとつに〜

しろぶく体制たいせい3ねん2002ねんからユニフォームのむねスポンサーだったENEOSが撤退てったい補強ほきょう予算よさんせばめられるなか[28]浅利あさりさとる引退いんたい[27]藤山ふじやまりゅうひとし札幌さっぽろ移籍いせき茂庭もにわ照幸てるゆき戦力せんりょくがい通告つうこく契約けいやく交渉こうしょうわずブルーノ・クアドロス退団たいだん佐原さはら秀樹ひでき期限きげん移籍いせき期間きかん満了まんりょうともない、川崎かわさきF復帰ふっきした。退団たいだん相次あいついだセンターバックには大分おおいたから森重もりしげ真人まさとぜんしゅうだい学校がっこうからキム・ヨングンを、また、新潟にいがたからMF松下まつしたみのるひろしを、ブラジルのABC FCからFWリカルジーニョ期限きげん移籍いせき獲得かくとくするも、登録とうろく選手せんしゅはJ1最少さいしょうの26にん選手せんしゅ平均へいきん年齢ねんれいはJ1で2番目ばんめわかさという陣容じんようだった。

シーズン開幕かいまく直前ちょくぜん米本よねもと拓司たくじぜん十字じゅうじ靭帯じんたい半月はんつきばん損傷そんしょう梶山かじやま陽平ようへいひだり足首あしくび手術しゅじゅつからのコンディション調整ちょうせいくるしみ[26]序盤じょばん前年ぜんねんのレギュラーボランチりょうきびしい選手せんしゅ構成こうせいとなった。開幕かいまくせんこそ4ねんぶりに勝利しょうりおさめたが(1 - 0 たい横浜よこはまFMあじスタ)、J1中断ちゅうだん期間きかんまえまでは得失点とくしってんともにすくなくける試合しあいおおかった。

また、2010 FIFAワールドカップ日本にっぽん代表だいひょう今野こんの泰幸やすゆき長友ながともたすく選出せんしゅつされた[27]。なお、長友ながともはWはい終了しゅうりょうイタリアチェゼーナ期限きげん移籍いせき退団たいだんした。Wはい期間きかんちゅうにFW大黒おおくろすすむこころざしらを獲得かくとく大黒だいこく得点とくてんもあってスルガ銀行するがぎんこうチャンピオンシップ勝利しょうりし、前年ぜんねんつづくタイトル獲得かくとくには成功せいこうしたものの、なかなかてんばせないまま、9月にしろぶく解任かいにん

後任こうにん大熊おおくまきよし就任しゅうにんしたが、最終さいしゅうぶし京都きょうと敗戦はいせんし、最終さいしゅうぶし勝利しょうりした神戸こうべわりで年間ねんかん順位じゅんいが16となり、J2降格こうかくまった。

2011ねん(J2)

編集へんしゅう

チームスローガン:TOKYO SPIRIT[ちゅう 3] 〜すべてはつために〜

大熊おおくま体制たいせい2ねん赤嶺あかみねしんわれ(レンタル移籍いせきしていた仙台せんだい完全かんぜん移籍いせき)、キム・ヨングン大宮おおみや完全かんぜん移籍いせき)、リカルジーニョなどが退団たいだんした。一方いっぽうで、FWロベルト・セザーらを獲得かくとくそううすさにくるしんだ前年ぜんねん経験けいけんまえ、MF谷澤たにさわ達也たつやなどかくポジションにJ2での経験けいけん選手せんしゅくわえた。

2がつには「FC東京とうきょうのある“まち”」というテーマでの演劇えんげき調布ちょうふせんがわ劇場げきじょうにて公演こうえんされ、FC東京とうきょうからは特別とくべつ審査しんさいんとして新任しんにん阿久根あくね謙司けんじ代表だいひょう取締役とりしまりやく藤山ふじやまりゅうひとし普及ふきゅうコーチが出席しゅっせきした[29]

4がつには東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしんおよ長野ながのけん北部ほくぶ地震じしん復興ふっこう支援しえんのため、まつ本山もとやまみやびFCとのチャリティーマッチ開催かいさい[ちゅう 4]。また、宮城みやぎけん出身しゅっしん今野こんの泰幸やすゆき発起人ほっきにん1人ひとりとなり、「東北とうほく人魂ひとだまつJ選手せんしゅかい」を設立せつりつ秋田あきたけん出身しゅっしん下田しもだひかりたいらもこれに参加さんかし、東北とうほく地方ちほうのサッカー復興ふっこうけて活動かつどうした。

リーグせん序盤じょばんるためのキーマンとされたFWひら山相さんそうふとし[30]長期ちょうき離脱りだつするなど、立石たていし敬之たかゆき強化きょうか部長ぶちょうが「想像そうぞうえて最悪さいあくちかいほど故障こしょうしゃた。しかもじくになる選手せんしゅばかり[31]」とほど状況じょうきょうおちいり、序盤じょばんは7せんで4得点とくてん、2しょうまりくるしんだが、田邉たなべくさみん高橋たかはし秀人ひでと抜擢ばってき羽生はぶただしつよしをトップえる[32] 4-2-3-1布陣ふじんみぎ)の採用さいようにより徐々じょじょ地力じりきはじめた。さらに、2007ねんまで在籍ざいせきしていたFWルーカスらを補強ほきょうだい18せつ(12試合しあい[ちゅう 5])をえた段階だんかい昇格しょうかく圏内けんないはい[26]以後いご上位じょういをキープ。11月19にち鳥取とっとりせん勝利しょうりし、1ねんでのJ1復帰ふっきめた。よく20にちに2鳥栖とすやぶれ、J2優勝ゆうしょうめた。

天皇杯てんのうはい決勝けっしょう京都きょうと勝利しょうりし、前身ぜんしん東京とうきょうガスサッカーふくめたクラブ創設そうせつはつ、J2ぜいとしてはつとなる天皇てんのうはい制覇せいはたし、クラブはつAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。どう決勝けっしょうせんもっ大熊おおくま監督かんとく退任たいにん

2012ねん - (J1)

編集へんしゅう

チームスローガン:C・O・A Football[ちゅう 6]

監督かんとくまえ町田まちだ監督かんとくランコ・ポポヴィッチ就任しゅうにん

今野こんの泰幸やすゆきG大阪おおさかへ、鈴木すずき達也たつや徳島とくしま完全かんぜん移籍いせきした一方いっぽう横浜よこはまFMから渡邉わたなべ千真ちま長谷川はせがわアーリアジャスール磐田いわたから加賀かが健一けんいち清水しみずから太田おおたひろしかい東京とうきょうVから河野こうのひろたか完全かんぜん移籍いせき獲得かくとく、また、期限きげん移籍いせきしていた選手せんしゅ復帰ふっきさせるなど、2ねんぶりのJ1およはつのACLでのたたかいに陣容じんようととのえた[32]渡邉わたなべ長谷川はせがわらの活躍かつやくでACLはグループリーグを突破とっぱし、ベスト16進出しんしゅつみぎ)したが、広州こうしゅうつねだいやぶれた。中断ちゅうだん期間きかんちゅう谷澤たにさわ達也たつや退団たいだんするも、しん加入かにゅうネマニャ・ヴチチェヴィッチあなめた。リーグせんは10、ナビスコはいはベスト4、天皇杯てんのうはいは2回戦かいせん敗退はいたいわった。

チームスローガン:C・O・A Football~さらなる進化しんかをめざして~[ちゅう 6]

ポポヴィッチ体制たいせい2ねん羽生はぶただしつよし梶山かじやま陽平ようへいらが期限きげん移籍いせきでチームをはなれるも、大宮おおみやからあずまけいさとる完全かんぜん移籍いせきで、イングランド2サウサンプトンからただしなり期限きげん移籍いせき獲得かくとく。シーズン途中とちゅう所属しょぞくもと復帰ふっき田邉たなべくさみん業務ぎょうむ提携ていけいむすんだスペイン2サバデル期限きげん移籍いせき

リーグせんではだい3せつから4連敗れんぱいし12まで順位じゅんいげたものの、得点とくてんげんとなった渡邉わたなべ千真ちま中心ちゅうしんにJ1におけるクラブ史上しじょう通年つうねん最多さいた得点とくてん記録きろくだい8せつからの3連勝れんしょうだい24せつからの4連勝れんしょうでいずれも5まで順位じゅんいげたが、翌年よくねんのACL出場しゅつじょうけんられる3以上いじょうにはとどかず、だい33せつかしわせんでの敗戦はいせんにより賞金しょうきん圏内けんないの7からも脱落だつらく、8でシーズンをえた。

ナビスコカップ決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつのがし、天皇杯てんのうはいでは準決勝じゅんけっしょうPKせんすえ広島ひろしまやぶれ3わった。

契約けいやく満了まんりょうによりこのとしかぎりでポポヴィッチ監督かんとく退任たいにん[33]。FWルーカス現役げんえき引退いんたいした。

なお、このとし東京とうきょう2020ねん開催かいさいされるオリンピック・パラリンピックの招致しょうち成功せいこう。FC東京とうきょう招致しょうちPRイベントをおこなうなど[34] クラブをげてこの活動かつどう支援しえんしており[ちゅう 7][36]2016ねん大会たいかい招致しょうち活動かつどうころからの協力きょうりょく[37][38]みのったかたちとなった。

チームスローガン:Bello e Aggressivo! -限界げんかいえて頂点ちょうてんへ-

しん監督かんとくACチェゼーナもと監督かんとくマッシモ・フィッカデンティ就任しゅうにん

ネマニャ・ヴチチェヴィッチ退団たいだん長谷川はせがわアーリアジャスールがC大阪おおさか中村なかむら北斗ほくと大宮おおみやにそれぞれ完全かんぜん移籍いせき。FWエドゥー、MF武藤むとう嘉紀よしのり前々まえまえねんから特別とくべつ指定してい)らを獲得かくとくし、梶山かじやま陽平ようへい羽生はぶただしつよし期限きげん移籍いせきから復帰ふっきした。

リーグせん序盤じょばんはなかなかてなかったものの、中盤ちゅうばんはいるとフィッカデンティの戦術せんじゅつ浸透しんとうし、試合しあいはこびが安定あんてい守備しゅびめんでは2003ねん以来いらいとなる5試合しあい(J1だい16せつからだい20せつまで)連続れんぞく失点しってん記録きろくし、リーグせんそう失点しってん前年ぜんねんの47失点しってんから33失点しってんおおきく改善かいぜんした。一方いっぽう攻撃こうげきめんではFWに転向てんこうした武藤むとうがリーグ新人しんじん最多さいた得点とくてん記録きろくタイの13得点とくてんげる活躍かつやくせた。クラブ記録きろくとなる14試合しあい(J1だい13せつからだい26せつまで。みぎ無敗むはい記録きろく[39]一時いちじは5(J1だい18せつだい21せつからだい22せつまで)にまで浮上ふじょうしたが、だい27せつ無敗むはい記録きろく途切とぎれてからは失速しっそくし、最終さいしゅうてきには9でシーズンをえた。

ナビスコはいはグループリーグ敗退はいたい天皇杯てんのうはいはベスト16にわった。また、昨年さくねん引退いんたいしたルーカスが功労こうろう選手せんしゅしょう受賞じゅしょうした。

チームスローガン:Bello e Aggressivo! -すべては勝利しょうりのために-

フィッカデンティ体制たいせい2ねんエドゥー塩田しおだ仁史ひとし渡邉わたなべ千真ちまらが退団たいだんし、前田まえだりょういち榎本えのもと達也たつやらを獲得かくとく丸山まるやま祐市ゆういちはやしひろしたいら橋本はしもとけんじん期限きげんきから復帰ふっき

1stステージはFW前田まえだのフィットがおくれたものの、前年ぜんねんからの堅守けんしゅじく前半ぜんはんせんだけで10得点とくてんげた武藤むとう嘉紀よしのり頑張がんばりと、キッカーの太田おおたひろしかい中心ちゅうしんとしたセットプレーで得点とくてんかさね、2の4連勝れんしょう健闘けんとう。2ステージせいのステージごと順位じゅんいとしては過去かこ最高さいこうの2けた。

1stステージ終了しゅうりょうには武藤むとうがドイツ・マインツ移籍いせきし、ネイサン・バーンズサンダサ2人ふたりのFWが加入かにゅうした。

2ndステージは復調ふくちょうした前田まえだがFWのじくになり、しん外国がいこくじん2人ふたりがそのパートナーをつとめるようになったものの、武藤むとう退団たいだんあなれず、終盤しゅうばんだい13せつからはあずまけいさとるがFWをつとめた(みぎ)。さらにせいGKの権田ごんだ修一しゅういちがオーバートレーニング症候群しょうこうぐんだい5せつ最後さいご離脱りだつしたためブラダ・アブラモフ緊急きんきゅう補強ほきょうし、だい10せつ以降いこうせいGKをつとめさせた。1stステージほどてんばせなくなり、最終さいしゅうぶし開始かいし時点じてんでは年間ねんかん3につけるも、どうふし鳥栖とすせんけたために、どうふし勝利しょうりG大阪おおさかとのわりで年間ねんかん順位じゅんい4転落てんらく過去かこ最高さいこうてん最高さいこうタイの年間ねんかん順位じゅんい記録きろくしたものの、チャンピオンシップ出場しゅつじょうのがした。その、G大阪おおさか浦和うらわ天皇杯てんのうはい決勝けっしょう進出しんしゅつともながりでよく2016ねんのACLプレーオフ(PO)出場しゅつじょうけん獲得かくとく[ちゅう 8]

ナビスコはい天皇杯てんのうはいともにベスト8で終了しゅうりょう同年どうねんまつにフィッカデンティが退任たいにん

チームスローガン:Challenge the Top -いただきせん-

フィッカデンティ監督かんとく後任こうにんに2008ねんから2010ねん途中とちゅうまで指揮しきしていたしろぶくひろし再任さいにんブラダ・アブラモフ太田おおたひろしかいらが退団たいだん権田ごんだ修一しゅういちSVホルンにレンタル移籍いせき湘南しょうなんから秋元あきもとようふとし鳥栖とすから水沼みずぬまひろしふとし甲府こうふから阿部あべ拓馬たくま明治大学めいじだいがくから室屋むろやなり前年ぜんねん特別とくべつ指定してい選手せんしゅ[ちゅう 9]磐田いわたから駒野こまの友一ともかず中国ちゅうごく北京ぺきん国安くにやすからハ・デソンらが加入かにゅうした(駒野こまのおよびハは1stステージ終了しゅうりょうにそれぞれ福岡ふくおか名古屋なごや期限きげん移籍いせき)。

また2がつ13にちに、2015ねんシーズン密着みっちゃくしたドキュメンタリー映画えいが『BAILE TOKYO』が公開こうかい[41]主題歌しゅだいかRIP SLYMEの「Baile TOKYO」[42]

このとしより「FC東京とうきょうU-23」を発足ほっそくさせJ3リーグ参入さんにゅう

同年どうねん公式こうしきせん初戦しょせんとなるAFCチャンピオンズリーグ2016のプレーオフではチョンブリーFC相手あいてにクラブ最多さいた得点とくてん記録きろく更新こうしんした[43] 9-0で大勝たいしょう。4ねんぶり2度目どめとなるACL本戦ほんせん出場しゅつじょうけんつかんだ[44]本戦ほんせんではぜんきた現代げんだい韓国かんこく)、江蘇こうそやすし中国ちゅうごく)、ビンズオン(ベトナム)と対戦たいせん。グループリーグ突破とっぱ最終さいしゅうぶしまでもつれたが、どうふしビンズオン対戦たいせん前田まえだりょういちの2得点とくてん活躍かつやく勝利しょうり決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつめた。決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせんでは上海しゃんはいうえこう中国ちゅうごく)と対戦たいせん。ホームでのだい1せん水沼みずぬまが2得点とくてん先勝せんしょうしたが(2-1)、アウェー・上海しゃんはい体育たいいくじょうでのだい2せん試合しあい終了しゅうりょう間際まぎわ失点しってんし(0-1)、1しょう1はいアウェーゴール敗退はいたいした。

リーグせんでは序盤じょばんより怪我人けがにん続出ぞくしゅつしメンバーりに苦戦くせん。またACLプレーオフ出場しゅつじょうのためオフやキャンプの期間きかんみじかくなった影響えいきょうにより、フィジカルコンディション不足ふそく・スタミナ不足ふそくおちいる。1stステージでは攻守こうしゅのバランスに苦心くしんしながらも堅守けんしゅかえって[45] 徐々じょじょ浮上ふじょうし9えた。しかし、2ndステージでは先制せんせいしながらも試合しあい終了しゅうりょう間際まぎわ失点しってん逆転ぎゃくてんけするゲームが頻発ひんぱつしたため、7がつ23にちの2ndステージだい5せつ川崎かわさきせん敗北はいぼくしろぶく解任かいにん後任こうにんにはコーチでもと福岡ふくおか監督かんとく篠田しのだ善之よしゆき監督かんとく昇格しょうかく篠田しのだ就任しゅうにん、8しょう2ふん2はい安定あんていかんもど年間ねんかん9でリーグせんえた。天皇杯てんのうはいはベスト8で川崎かわさきやぶれた。ルヴァンカップは準決勝じゅんけっしょう浦和うらわに2試合しあい合計ごうけい2-5でやぶれた。

チームスローガン:TOKYO GRIT~すべてのちからを~

篠田しのだ体制たいせい2ねん榎本えのもと達也たつや引退いんたい(その普及ふきゅうコーチに就任しゅうにん)、駒野こまの友一ともかずひら山相さんそうふとし高橋たかはし秀人ひでとらが退団たいだん

名古屋なごやから永井ながいけんたすく鳥栖とすからはやし彰洋あきひろ川崎かわさきFから大久保おおくぼ嘉人よしとFCソウルから髙萩洋次郎ようじろうらを獲得かくとく。1月には太田おおたひろしかい完全かんぜん移籍いせきで2ねんぶりにチームに復帰ふっきした[46]さらに3がつには広島ひろしまから前年ぜんねん得点とくてんおうピーター・ウタカ期限きげん移籍いせき獲得かくとくした。[よう出典しゅってん]

なつ移籍いせき情報じょうほうではリッピ・ヴェローゾチャン・ヒョンスジャキット・ワクピロム獲得かくとく。また、バーンズが6がつ30にちづけ契約けいやく満了まんりょうして広島ひろしま移籍いせき。そして河野こうの鳥栖とす阿部あべ蔚山うるさん現代げんだいFC完全かんぜん移籍いせき中島なかじまポルティモネンセSC期限きげん移籍いせきした。11月1にちには、ユース所属しょぞく久保くぼけんえい平川ひらかわれいがプロ契約けいやくむすんだ。

序盤じょばんこそ順調じゅんちょうてんかせいでいたものの14せつ清水しみずエスパルスせんから6試合しあい勝利しょうり、その22せつのヴィッセル神戸こうべせんから4試合しあい勝利しょうり成績せいせき低迷ていめいYBCルヴァンカップではグループリーグ終盤しゅうばん失速しっそく広島ひろしまとのプレーオフをせいしノックアウトステージへとすすんだものの1回戦かいせん川崎かわさきにトータルスコア1-7をけられ大敗たいはい天皇杯てんのうはいでも2回戦かいせん長野ながのにPKせんすえ敗戦はいせんしカップせん早期そうき敗退はいたいとなった。

9がつ10日とおか監督かんとく篠田しのだ成績せいせき不振ふしんにより退任たいにんし、コーチの安間あんま貴義たかよし昇格しょうかくしてシーズン終了しゅうりょうまで暫定ざんてい監督かんとくつとめた。監督かんとく交代こうたい成績せいせきは1しょう4ふん4はいとチームは低迷ていめいとくだい27せつ以降いこうちがなくチームをなおすことが出来できずJ1復帰ふっきとしては史上しじょう最低さいていの13でシーズンをえた。

また、立石たていし敬之たかゆき当年度とうねんどをもってGMを退任たいにん(そのベルギーリーグのシント=トロイデンVVのCEOに就任しゅうにん)。

チームスローガン:つよく、あいされるチームを目指めざして

長谷川はせがわ健太けんたしん監督かんとく就任しゅうにん神戸こうべから大森おおもりあきら太郎たろう完全かんぜん移籍いせき獲得かくとく横浜よこはまから富樫とかしたかししんかしわからディエゴ・オリヴェイラ期限きげん移籍いせき加入かにゅう。また、中央大学ちゅうおうだいがくから矢島やじま輝一きいち、U-18からはら大智たいち品田しなだあいしん加入かにゅう

開幕かいまくせんこそけるも、そのベガルタ仙台せんだいジュビロ磐田じゅびろいわたと2試合しあい連続れんぞくして敗戦はいせんだい4せつ湘南しょうなんベルマーレせんよりしん戦力せんりょくのディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットしはじ長谷川はせがわ健太けんたかかげる「ファストブレイク」戦法せんぽう定着ていちゃくしたこともありだい20せつのヴィッセル神戸こうべせんまで順調じゅんちょうてんかせつづけていた。

しかしなつ移籍いせき市場いちばしん戦力せんりょく獲得かくとく失敗しっぱい。ヴァンフォーレ甲府こうふより期限きげん移籍いせきでリンスを獲得かくとくしたのみにまり選手せんしゅ編成へんせい固定こてい

さらには戦術せんじゅつ対戦たいせん相手あいて研究けんきゅうされはじめたこと攻撃こうげきじん沈黙ちんもく徐々じょじょ順位じゅんいとしはじ最終さいしゅうてきに14しょう8ふん12はいの6でフィニッシュした。

シーズン終了しゅうりょう梶山かじやま陽平ようへい引退いんたい発表はっぴょうした。天皇杯てんのうはいはベスト16で山形やまがたにPKせんすえやぶれた。

チームスローガン:つよあいされるチームを目指めざして[47]

ディエゴ・オリヴェイラが完全かんぜん移籍いせきわり、鳥栖とすから田川たがわとおるかい新潟にいがたから宮崎みやざきいくわらい山形やまがたから児玉こだまつよし獲得かくとく横浜よこはまFM久保くぼけんえい福岡ふくおかユ・インス期限きげん移籍いせきから復帰ふっき。また外国がいこくせき選手せんしゅわく拡大かくだいをつけ、グレミオからジャエル光州こうしゅうFCからナ・サンホバンコク・ユナイテッドからナッタウットヴォトゥボランゲンセからアルトゥール・シルバ多数たすうすけ獲得かくとく新人しんじんひがし福岡ふくおか高校こうこう中村なかむら拓海たくみ中央大学ちゅうおうだいがく渡辺わたなべつよし獲得かくとくした。

田邉たなべくさみん福岡ふくおか大久保おおくぼなま鳥栖とす前田まえだりょういち岐阜ぎふ米本よねもと拓司たくじ名古屋なごやへそれぞれ完全かんぜん移籍いせき。リンス、富樫とかしたかししんはレンタル期間きかん満了まんりょうのため退団たいだんした[48]

前半ぜんはんせん久保くぼけんえい抜擢ばってきされおおきくブレイク。戦術せんじゅつ、メンバーともほぼ昨年さくねんからの踏襲とうしゅうだったが久保くぼ活躍かつやくもあり開幕かいまくから12せん無敗むはい(9しょう3ふん)とスタートダッシュに成功せいこうだい8せつ広島ひろしまとの無敗むはい対決たいけつせいして首位しゅいつと、そのまま前半ぜんはんせん首位しゅい独走どくそうした。

しかしなつ移籍いせき市場いちば久保くぼレアル・マドリード移籍いせきチャン・ヒョンスアル・ヒラル太田おおたひろしかい名古屋なごや主力しゅりょくきゅう選手せんしゅ複数ふくすう流出りゅうしゅつあじもとスタジアムラグビーワールドカップ2019試合しあい会場かいじょうとなったこともあり、だい24せつからアウェー8連戦れんせん[ちゅう 10]強行きょうこう日程にっていまれていた。

だが夏場なつばきゅう失速しっそくしたさくシーズンとことなり、けんのアウェー8連戦れんせんも4しょう2ふん2はいるなどだいくずれはせず、だい27せつまで首位しゅいをキープ。しかし調子ちょうしげてきた鹿島かしま横浜よこはまFMにげられ、28せついち鹿島かしま首位しゅいうばわれる。31せつ再度さいど首位しゅい浮上ふじょうするも、ホームあじスタに帰還きかんした32せつから湘南しょうなん浦和うらわ下位かい相手あいて連続れんぞくけ、ここを連勝れんしょうした横浜よこはまFMに首位しゅいうばわれる。とく浦和うらわせんはディエゴ・オリヴェイラと永井ながいけんたすくの2トップがそろって負傷ふしょうする痛恨つうこんけとなった。最終さいしゅうぶし横浜よこはまFMとの直接ちょくせつ対決たいけつ優勝ゆうしょうには4てん以上いじょうでの勝利しょうり必要ひつようなか前節ぜんせつ右肩みぎかた脱臼だっきゅうした永井ながい強行きょうこう出場しゅつじょうするも、0-3で敗戦はいせんしリーグ優勝ゆうしょうにはとどかなかった。だがリーグせんの19しょう7ふん8はいてん64、2という結果けっかはともにクラブ史上しじょう最高さいこう記録きろく更新こうしんした[49]天皇杯てんのうはいは3回戦かいせん甲府こうふやぶれた。

チームスローガン:つよあいされるチームを目指めざして

 
YBCルヴァンカップ決勝けっしょうせん

2019ねんシーズンの好成績こうせいせきから、同年どうねん10がつ24にちにははやくも長谷川はせがわ監督かんとく契約けいやく更新こうしんされた。2020シーズンへけ、ジュビロ磐田じゅびろいわたからアダイウトン完全かんぜん移籍いせきで、また鹿島かしまアントラーズからレアンドロ期限きげん移籍いせきでそれぞれ獲得かくとくした。U-18からは木村きむら誠二せいじバングーナガンデ佳史よしふみ野澤のざわ大志ひろしブランドンの3にん昇格しょうかくさせた。さらに大学卒だいがくそつルーキーとして法政大学ほうせいだいがく紺野こんの和也かずや明治大学めいじだいがく安部あべひいらぎ中村なかむらかいだか加入かにゅうした(3にんはいずれも2019ねんシーズンに特別とくべつ指定してい選手せんしゅとして登録とうろくされていた)。一方いっぽう大森おおもりあきら太郎たろうジュビロ磐田じゅびろいわた完全かんぜん移籍いせきした。

2020年度ねんどだい1せつ(2がつ23にち たい清水しみずエスパルス)をおこなったのち新型しんがたコロナウイルスによる試合しあい中止ちゅうしによってやく4かげつにわたって空白くうはく期間きかんしょうじた。久々ひさびさ試合しあいとなっただい2せつ(7がつ4にち たいかしわレイソル)では1-0で勝利しょうりするものの、だい3せつ(7がつ8にち たい川崎かわさきFだい35かい多摩川たまがわクラシコ)では0-4で敗戦はいせん中盤ちゅうばんせん安定あんてい最終さいしゅうてきには17しょう6ふん11はいでリーグ順位じゅんいは6比較的ひかくてき上位じょういまくじた。このあいだ、7がつには橋本はしもとけんじんFCロストフへ、8がつには室屋むろやなりハノーファー96へとそれぞれ移籍いせきした。

YBCルヴァンカップはACL出場しゅつじょうのためプライムステージからの登場とうじょうとなり、初戦しょせん名古屋なごやグランパス豪雨ごううなか試合しあいで3-0にくだし、2回戦かいせんではリーグせん首位しゅい独走どくそう前年ぜんねん王者おうじゃでもある川崎かわさきフロンターレに勝利しょうりし、決勝けっしょうせんこますすめた。 当初とうしょ11がつ7にち予定よていしていた決勝けっしょうせんは、対戦たいせん相手あいてかしわレイソルに多数たすう新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしゃ影響えいきょうよく21ねん1がつ4にち延期えんきとなり、11月下旬げじゅん集中しゅうちゅう開催かいさいされたACLとのいでチームはきびしい日程にってい余儀よぎなくされたが、国立こくりつ競技きょうぎじょうおこなわれた決勝けっしょうせんでは2-1で勝利しょうり、11ねんり3度目どめのJリーグカップ王者おうじゃとなった。

一方いっぽうACLでは1がつのプレーオフでセレス・ネグロス勝利しょうりし、グループステージへとこますすめた。しかし新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうによって試合しあいは3月で中断ちゅうだんされ、さい延期えんき開催かいさい変更へんこう結果けっかとして11月にカタールでの集中しゅうちゅう開催かいさい方式ほうしき再開さいかいされた。最終さいしゅうてきに2でグループFを突破とっぱしたものの、12月6にち決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせん北京ぺきん国安くにやす相手あいてに0-1で惜敗せきはいし、2012ねん大会たいかい・2016ねん大会たいかいいでまたしてもベスト16でまりであった。

チームスローガン:つよあいされるチームを目指めざして

こんシーズンは、主力しゅりょく大半たいはん残留ざんりゅうしたが、宮崎みやざきいくわらいがファジアーノ岡山おかやまへレンタル移籍いせきやなぎ貴博たかひろ北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろ完全かんぜん移籍いせきさくシーズンはベガルタ仙台せんだいへレンタル)。一方いっぽう阿部あべ伸行のぶゆきAC長野ながのパルセイロから、B・ウヴィニアル・イテハドから獲得かくとくした。

3月~4がつはじめにかけてホーム4連勝れんしょうげるが、その失速しっそくし4がつなかば~5がつはじめにリーグ5連敗れんぱいきっしてしまった。ただ14せつ(5がつ15にち たいかしわ)で4-0で今季こんきはつリーグせん失点しってん勝利しょうり達成たっせいし、連敗れんぱいめた。そのG大阪おおさかにも勝利しょうりするが、16せつのアウェー清水しみずせんでは、08ねん以来いらい13ねんぶりにやぶれるなど不安定ふあんていたたかいだった。中村なかむらかいだかなど多数たすうのSBの負傷ふしょう離脱りだつにより6がつにはブラウブリッツ秋田あきたから鈴木すずきじゅんわたる獲得かくとく。また9がつ12にちには11ねんぶりに長友ながともたすく復帰ふっきすることが公式こうしき発表はっぴょうされた。

6月19にちから7がつ11にちまで4連勝れんしょう,7がつ21にちまで5せんけなしと好調こうちょうだったが、アウェー連戦れんせんにより2連敗れんぱいきっする。そのG大阪おおさか仙台せんだい,神戸こうべ勝利しょうりし、アウェー7連戦れんせんは3しょう2ふん2はいえた。しかしそのたたかかた安定あんていしないままで、11月6にちアウェイ横浜よこはまFMせんでは、前田まえだまさるしかにハットトリックをゆるすなどし、チームの1試合しあいにおける最大さいだい失点しってん記録きろく更新こうしんする0-8でやぶれた。よく11がつ7にち監督かんとく長谷川はせがわ健太けんた辞任じにん森下もりしたさるいち監督かんとく就任しゅうにんする。

ルヴァンカップグループステージは首位しゅい通過つうか無敗むはい。4月28にちだい4せつ徳島とくしませんをもって、2021ルヴァンカップグループステージ突破とっぱ確定かくてい[50]、5月5にちだい5せつ神戸こうべせんをもってグループステージ首位しゅい通過つうか確定かくていし、GSだい6せつ消化しょうか試合しあいとなったためか、ベンチにおおくのユースの選手せんしゅはいっていた。 6月5にち,13にちおこなわれたプレーオフステージは湘南しょうなんたたかった。だい1せんは0-1で敗戦はいせんしたが、だい2せんアウェーで4-1と快勝かいしょう、2試合しあい合計ごうけい4-2で見事みごと逆転ぎゃくてん突破とっぱ。3ねん連続れんぞくで9がつおこなわれるプライムステージ(準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつめた。プライムステージ準々じゅんじゅん決勝けっしょう札幌さっぽろ対戦たいせんだい1せん逆転ぎゃくてんけをきっするも、だい2せんレモンS開催かいさいされたホームゲームで2-0で勝利しょうり準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつめたが、名古屋なごやグランパス対戦たいせんすえ敗退はいたい

6月9にちおこなわれた天皇杯てんのうはい2回戦かいせんは、東京とうきょうきたにあるあじもとフィールド西にしおかにておこなわれ、順天堂大学じゅんてんどうだいがく対戦たいせんした。ぜん後半こうはん90ふん決着けっちゃくがつかず、延長えんちょうせん突入とつにゅうしたがPKによりてんられ逆転ぎゃくてんてんうばえず2回戦かいせん敗退はいたいとなった。

11月22にち、クラブ運営うんえい会社かいしゃ東京とうきょうフットボールクラブ株式会社かぶしきがいしゃ)の第三者だいさんしゃ割当わりあて増資ぞうし(11おく5000まんえん)をけ、発行はっこう株式かぶしきの51.3%をクラブスポンサーであるミクシィ(げん・MIXI)譲渡じょうとすることを発表はっぴょうした。

12月5にち森下もりしたさるいち監督かんとく退任たいにん。リーグ最終さいしゅう成績せいせきは15しょう8ふん15はいで9

チームスローガン:つよあいされるチームを目指めざして

前年度ぜんねんどアルビレックス新潟にいがたひきいたアルベルト・プッチ・オルトネダ監督かんとく就任しゅうにん、また、キャプテンには森重もりしげ復帰ふっき

また、山下やましたたかしだいエンリケ・トレヴィザンヤクブ・スウォビィク木本きもと恭生きょうせい高校こうこうサッカー選手権せんしゅけん活躍かつやく注目ちゅうもくされた松木まつき玖生などが加入かにゅう。また、なつ移籍いせき市場いちばルイス・フェリッピ期限きげん移籍いせき獲得かくとくした。リーグ最終さいしゅう成績せいせきは14しょう7ふん13はいで6。ルヴァンカップはグループステージ敗退はいたいわった。

チームスローガン:東京とうきょう熱狂ねっきょう

アルベル体制たいせい2ねんサガン鳥栖とすから小泉こいずみけい横浜よこはまF・マリノスから仲川なかがわ輝人てるひとファジアーノ岡山おかやまから徳元とくもとゆうたいら獲得かくとくした。また、いわてグルージャ盛岡もりおか育成いくせいがた期限きげん移籍いせきをしていた野澤のざわ大志ひろしブランドン復帰ふっきした。 開幕かいまくぶしとなったホーム浦和うらわせんでは、オウンゴールと渡邊わたなべりょうすり得点とくてんで2-0で勝利しょうり。チームをいきおいづけた。だい10せつ終了しゅうりょう時点じてんでの成績せいせきは4しょう3ふん3はいかちてん15で順位じゅんいも6とまずまずの成績せいせきであった。しかし、苦手にがてとしているアウェイ福岡ふくおかせんやぶれたのちに、アウェイ札幌さっぽろせん大敗たいはいした。だい13せつ国立こくりつ競技きょうぎじょう開催かいさいされた多摩川たまがわクラシコでは、徳元とくもと安部あべ得点とくてんでリーグせんとしては5ねんぶりとなる勝利しょうりげた。しかし、だい14せつからだい17せつにかけて1ふん3はい、12低迷ていめいしたのち、だい17せつ終了しゅうりょうの6がつ14にち、アルベル監督かんとく退任たいにん発表はっぴょうされた。 6月16にち清水しみずエスパルスモンテディオ山形やまがた指揮しきしたピーター・クラモフスキー監督かんとく就任しゅうにんした。

なつ移籍いせき市場いちばにおいて、京都きょうとサンガFCから白井しらいやすしかいアル・ナスルSCからジャジャ・シルバ完全かんぜん移籍いせき獲得かくとく、そしてセレッソ大阪せれっそおおさかから原川はらがわりょく期限きげん移籍いせき獲得かくとくした。

7がつ14にち安部あべひいらぎRWDモレンベークベルギー)への完全かんぜん移籍いせき発表はっぴょうされた。

10月28にちしんエンブレムが発表はっぴょうされた[51]。エンブレムの4ほんのストライプは最前線さいぜんせん・クリエイティビティ・多様たようせい可能かのうせいを、みぎじょうの11ほんのストライプは選手せんしゅたちの姿すがたを、左上ひだりうえの1ほんのストライプはOne Team、「+1ゴール」のフットボールスタイルをそれぞれあらわし、これらふとさのことなる3つのストライプは東京とうきょうとクラブの多様たようせい表現ひょうげんしている。エンブレムの構成こうせい要素ようそには、サッカーボールの20面体めんてい構成こうせいする正五角形せいごかっけい正六角形せいろっかっけい角度かくどれている。また、ロゴタイプ、タイポグラフィ、クラブカラーも変更へんこうされた[1]

チームスローガン:東京とうきょう熱狂ねっきょう

クラモフスキー体制たいせい2ねんアルビレックス新潟にいがたからこう宇洋鹿島かしまアントラーズから期限きげん移籍いせき荒木あらきりょう太郎たろう北海道ほっかいどうコンサドーレ札幌さっぽろからしょうかしわつよし1.FCウニオン ベルリンから期限きげん移籍いせき遠藤えんどうけいふとしセレッソ大阪せれっそおおさかより期限きげん移籍いせきちゅうだった原川はらがわりょく完全かんぜん移籍いせきえのかたちで、それぞれ獲得かくとくした。また、期限きげん移籍いせきをしていた波多野はたのつよし野澤のざわれいあつしあずまれんふとし安田やすだとら士朗しろう品田しなだあい復帰ふっきした。

成績せいせき

編集へんしゅう

国内こくないタイトル

編集へんしゅう

国際こくさいタイトル

編集へんしゅう

個人こじんべつ

編集へんしゅう
ベストイレブン
優秀ゆうしゅう選手せんしゅしょう(ベストイレブンはのぞく)
優秀ゆうしゅう新人しんじんしょう
フェアプレー個人こじんしょう
J2 Most Exciting Player
月間げっかんMVP
  • 2013ねん9がつ 長谷川はせがわアーリアジャスール
  • 2015ねん3がつ 武藤むとう嘉紀よしのり
  • 2018ねん4がつ ディエゴ・オリヴェイラ
  • 2019ねん4がつ ディエゴ・オリヴェイラ
月間げっかん優秀ゆうしゅう監督かんとくしょう

Jリーグはい

編集へんしゅう

その受賞じゅしょう

編集へんしゅう

所属しょぞく選手せんしゅ

編集へんしゅう

国際こくさい大会たいかい選出せんしゅつ選手せんしゅ

編集へんしゅう

ホームスタジアム

編集へんしゅう

前述ぜんじゅつとおり、本拠地ほんきょち東京とうきょうスタジアム(調布ちょうふ)であるが、過去かこには都心としん23国立こくりつ競技きょうぎじょう国立こくりつ西にしおかサッカーじょう[60]江戸川えどがわ陸上りくじょう競技きょうぎじょう駒沢こまざわオリンピック公園こうえん総合そうごう運動うんどうじょう陸上りくじょう競技きょうぎじょうでもホームゲームを開催かいさいしている[ちゅう 11]

2019ねんラグビーワールドカップにより、あじもとスタジアムが使用しようできない時期じきは、8がつから11月はアウェイ8連戦れんせんとなった[62][63]。またルヴァンカップはグループステージはあじスタがこれにともな改修かいしゅうのため平日へいじつ使用しようできない都合つごうで、2試合しあい秩父宮ちちぶのみやラグビーじょうのこり1試合しあいさいたま大宮公園おおみやこうえんサッカーじょう(NACK5スタジアム大宮おおみや)にて主催しゅさいする[62]

また東京とうきょうがいでは鹿児島かごしま県立けんりつ鴨池かもいけ陸上りくじょう競技きょうぎじょう2000ねん)、香川かがわ県立けんりつ丸亀まるがめ競技きょうぎじょう(2000ねん2001ねん)、石川いしかわけん西部せいぶ緑地公園りょくちこうえん陸上りくじょう競技きょうぎじょう(2000ねん)、長野ながのけん松本まつもとたいら広域こういき公園こうえん総合そうごう球技きゅうぎじょう2006ねん2011ねんにはチャリティーマッチを開催かいさい)、熊谷くまがいスポーツ文化ぶんか公園こうえん陸上りくじょう競技きょうぎじょう(2011ねん)でホームゲームを開催かいさいした。

2022ねん以降いこうは、リーグせんホームゲームのうちのすう試合しあいしん国立こくりつ競技きょうぎじょうにてっている。24ねんにおいては4試合しあいのホームゲームを国立こくりつ開催かいさいする。[1]

しんスタジアム構想こうそう

編集へんしゅう

国立こくりつ競技きょうぎじょうについては、しん競技きょうぎじょうへの改修かいしゅう終了しゅうりょう2020ねん東京とうきょうオリンピック大会たいかい活用かつよう一環いっかんとして、球技きゅうぎじょう専用せんよう改修かいしゅううえ本拠地ほんきょちあじスタから移転いてんさせる構想こうそう報道ほうどうされた[64] が、ここを本拠地ほんきょちにするにしても使用しようりょう高額こうがくになるおそれがあるとして、しん国立こくりつにほどちかい、代々木公園よよぎこうえん代々木公園よよぎこうえん陸上りくじょう競技きょうぎじょうとサッカー・ホッケー球技きゅうぎじょう付近ふきん[65]改修かいしゅうして、4まんにん程度ていど収容しゅうよう可能かのうなサッカー専用せんよう競技きょうぎじょう建設けんせつするあんを、複数ふくすう民間みんかん事業じぎょうしゃ東京とうきょう提案ていあんしていることもかった[66]ほうじられている。

入場にゅうじょうしゃ記録きろく

編集へんしゅう

クラブは2012ねん発表はっぴょうの「2015VISION」[67] および2016ねん発表はっぴょうの「2020VISION」において[23]、1試合しあい平均へいきん動員どういんすう3まんにん目標もくひょうかかげている。

  J1
  J2
  • りゃく表記ひょうき
年度ねんど 総数そうすう 1試合しあい
平均へいきん
ホーム
試合しあいすう
会場かいじょう 000000001試合しあい平均へいきん入場にゅうじょうしゃ / そう入場にゅうじょうしゃ00000000 Jリーグ
公式こうしき
備考びこう
1999 062,963 03,498
18
西にし10、こう5
こま3
[ちゅう 11]
 
[2] [ちゅう 11]
2000 177,107 11,807
15
くに10、こま2[ちゅう 11]
かも1、まる1
いし1
 
[3] [ちゅう 11]
2001 334,698 22,313 ひがし13、くに1
まる1
 
[ちゅう 12]
2002 332,597 22,173 ひがし12、くに3
 
[4][5]
2003 373,978 24,932 あじ14、くに1
 
[6][7]
2004 381,575 25,438 あじ13、くに2
 
[8][9] [ちゅう 13]
2005 460,721 27,101
17
あじ15、くに2
 
[10]
2006 409,634 24,096 あじ14、くに2
まつ1
 
[11]
2007 429,934 25,290 あじ16、くに1
 
[12]
2008 437,176 25,716 あじ15、くに2
 
[13]
2009 440,032 25,884
 
[14]
2010 426,899 25,112
 
[15] [ちゅう 14]
2011 333,680 17,562
19
あじ14、くに3
こま1、くま1
 
[16] [ちゅう 15]
2012 407,243 23,955
17
あじ16、くに1
 
[17] [ちゅう 16]
2013 426,246 25,073 あじ14、くに3
 
[18]
2014 428,184 25,187 あじ16、くに1
 
[19]
2015 489,336 28,784 あじ17
 
[20]
2016 408,623 24,037
 
[21] [ちゅう 17]
2017 450,331 26,490
 
[22]
2018 449,338 26,432
 
[23]
2019 536,187 31,540
 
[24] [ちゅう 18]
2020 100,522 5,913
 
[68]
2021 135,637 7,139
19
あじ19
 
[69] [ちゅう 19]
2022 379,256 22,309
17
あじ15、くに2
 
[70]
2023 499,965 29,410 あじ15、くに2
 
2024
19
あじ15、くに4

※2020年度ねんど、2021年度ねんど新型しんがたコロナウイルスの影響えいきょうとうチームにかぎらず、Jリーグすべてのチームで観客かんきゃくすう減少げんしょうした。

 
くま
 
まつ
 
いし
 
まる
 
かも
がい試合しあい会場かいじょう所在地しょざいち
  • リーグせんのみ(関連かんれん日本にっぽんプロサッカーリーグ#歴代れきだい入場にゅうじょうしゃすう)。
  • そう入場にゅうじょうしゃすう
    • 2001ねん09月29にち050まんにん到達とうたつ - J1 2ndだい07せつ vs浦和うらわレッドダイヤモンズ (国立こくりつ霞ヶ丘かすみがおか陸上りくじょう競技きょうぎじょう)
    • 2003ねん07がつ06にち:100まんにん到達とうたつ - J1 1stだい11せつ vsベガルタ仙台せんだい (あじもとスタジアム)
    • 2005ねん10がつ15にち:200まんにん到達とうたつ - J1だい27せつ vsサンフレッチェ広島さんふれっちぇひろしまF.C (あじもとスタジアム)
    • 2008ねん03月30にち:300まんにん到達とうたつ - J1だい03せつ vs京都きょうとサンガF.C. (あじもとスタジアム)
    • 2010ねん07がつ17にち:400まんにん到達とうたつ - J1だい13せつ vsヴィッセル神戸こうべ (あじもとスタジアム)
    • 2012ねん12月01にち:500まんにん到達とうたつ - J1だい34せつ vsベガルタ仙台せんだい (あじもとスタジアム)
    • 2015ねん05がつ10日とおか:600まんにん到達とうたつ - J1 1stだい11せつ vs鹿島かしまアントラーズ (あじもとスタジアム)[71]
    • 2017ねん07がつ13にち:700まんにん到達とうたつ - J1 1stだい18せつ vs鹿島かしまアントラーズ (あじもとスタジアム)[72]
    • 2019ねん07がつ14にち:800まんにん到達とうたつ - J1 1stだい19せつ vs川崎かわさきフロンターレ (あじもとスタジアム)[73]
    • 2024ねん 4がつ21にち:950まんにん到達とうたつ - J1 だい9せつ vsFC町田まちだゼルビア (あじもとスタジアム)[74]

カップせん(Jリーグカップ・ACL)主催しゅさい試合しあい会場かいじょうべつ試合しあいすう

編集へんしゅう
年度ねんど Jリーグはい ACL 備考びこう
1999 西にし2、こう1
不参加ふさんか
2000 こう1 (リーグはい)2回戦かいせんからシード
2001 ひがし2
2002 ひがし2、くに1
こま1
(リーグはいひがしスタ=決勝けっしょうT1をふく
2003 あじ1、くに1
こま2
(リーグはいあじスタ=決勝けっしょうT1のみ
2004 あじ3、くに2 (リーグはいあじスタ・国立こくりつとも=決勝けっしょうTかく1ふく[ちゅう 20]
2005 あじ3
2006 あじ2、くに3
2007 あじ2、くに2 (リーグはいあじスタ=決勝けっしょうT1ふく
2008 あじ3、くに1、まつ1
2009 あじ3、くに1、こま1 (リーグはいあじスタ=決勝けっしょうT2をふく[ちゅう 20]
2010 あじ2、くに1、こま1 (リーグはいあじスタ=決勝けっしょうT1をふく
2011
不参加ふさんか
2012 あじ2 ひがし[ちゅう 21] 1、くに2 (リーグはい)ACL出場しゅつじょうのため決勝けっしょうTにシード
2013 あじ1、くに1、こま1
不参加ふさんか
2014 あじ3
2015 あじ4 (リーグはいあじスタ=決勝けっしょうT1をふく
2016 あじ2 ひがし[ちゅう 21]5 (ACL)プレーオフ1をふく
(リーグはい)ACLプレーオフ勝利しょうりのためリーグはい予選よせん免除めんじょ[ちゅう 22]
2017 あじ4
不参加ふさんか
(リーグはい)プライムステージ(決勝けっしょうトーナメント)1をふくむ。
2018 あじ3
2019 秩2、N2 (リーグはいあじスタがラグビーワールドカップ2019開催かいさいともな施設しせつ改修かいしゅう工事こうじのため、
主催しゅさい試合しあい秩父宮ちちぶのみやラグビーじょうとNACK5スタジアム大宮おおみや変更へんこう、うちNACKはプライムS1をふくむ。
2020 あじ1 ひがし[ちゅう 21]1 (ACL)プレーオフ1をふく
だいさんせん以降いこう新型しんがたコロナ対策たいさくのため中立ちゅうりつ開催かいさい
(リーグはい)ACLプレーオフ勝利しょうりのためリーグはい予選よせん免除めんじょ
2021 あじ4、こま1、レ1
不参加ふさんか
(リーグはいあじスタが2020ねん東京とうきょうオリンピック開催かいさいのため、
主催しゅさい試合しあい一部いちぶ駒沢こまざわとレモンSに変更へんこう、うちレモンSはプレーオフステージで使用しよう
2022 あじ3
2023 あじ4

年齢ねんれい構成こうせい

編集へんしゅう

[75]

年度ねんど 平均へいきん年齢ねんれい
(Jリーグ平均へいきん
年齢ねんれい構成こうせい分布ぶんぷ
18さい
以下いか
19~
22さい
23~
29さい
30~
39さい
40~
49さい
50~
59さい
60さい
以上いじょう
2004 32.5さい(34.7さい 12.0 6.8 23.9 34.2 15.4 7.7
 
2005 31.7さい(35.4さい 9.5 9.7 24.7 35.0 16.6 4.5
 
2006 35.1さい(35.9さい 5.6 3.6 23.0 37.2 20.1 10.5
 
2007 34.0さい(36.5さい 5.8 9.5 22.0 35.3 21.1 6.4
 
2008 37.5さい(37.4さい 5.8 4.7 13.2 33.4 30.1 12.9
 
2009 38.1さい(37.3さい 6.1 4.3 13.8 32.9 26.8 16.1
 
2010 38.8さい(38.2さい 3.8 8.3 11.2 29.6 28.7 18.3
 
2011 37.6さい(38.6さい 8.1 5.2 15.1 25.3 30.5 15.7
 
2012 37.2さい(39.0さい 11.1 7.5 12.9 23.7 26.9 18.0
 
2013 39.8さい(39.5さい 6.7 3.5 11.0 25.5 31.7 14.8 6.7
 
2014 43.1さい(40.4さい 3.1 4.0 9.3 20.7 32.3 18.9 11.6
 
2015 42.2さい(41.1さい 5.2 5.7 8.1 19.0 31.0 20.6 10.4
 
2016 40.2さい(41.6さい 9.1 5.1 10.0 20.3 28.1 19.2 8.1
 
2017 42.1さい(41.7さい 9.8 7.3 8.1 12.0 28.3 22.4 12.0
 
2018 42.1さい(41.9さい 5.7 7.9 9.8 15.8 28.8 21.5 10.6
 
2019 42.4さい(42.8さい 6.7 7.0 8.6 11.6 27.0 22.2 12.0
 

ユニフォーム

編集へんしゅう
ユニフォームのいろ
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) あお×あか あお あお
FP(2nd) しろ くろ しろ
GK(1st)
GK(2nd) くろ くろ くろ
GK(3rd) 水色みずいろ 水色みずいろ 水色みずいろ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 2nd
 
 
 
 
GK 1st
 
 
 
 
GK 2nd
 
 
 
 
GK 3rd

チームカラー

編集へんしゅう

ユニフォームスポンサー

編集へんしゅう
掲出けいしゅつ箇所かしょ スポンサーめい 表記ひょうき 掲出けいしゅつねん 備考びこう
むね MIXI MIXI 2019ねん - 2018ねん鎖骨さこつ右側みぎがわ表記ひょうき
2018ねん - 2021ねんは「XFLAG」表記ひょうき
鎖骨さこつ 東京とうきょうガス TOKYO GAS 2016ねん
2020ねん -
左側ひだりがわ提出ていしゅつ
2020ねんむね(ACLよう
2016ねん、2020ねん - 2022ねん鎖骨さこつ両側りょうがわ
三井物産みついぶっさん MITSUI&CO. 2023ねん - 右側みぎがわ提出ていしゅつ
2021ねん - 2022ねんそで
背中せなか上部じょうぶ 三菱商事みつびししょうじ Mitsubishi
Corporation
2017ねん - 2010ねん - 2011ねんそで
2012ねん - 2016ねん背中せなか下部かぶ
背中せなか下部かぶ なし - -
そで なし - -
パンツ前面ぜんめん 東京とうきょうガス TOKYO GAS 2003ねん -
パンツ背面はいめん なし - -

ユニフォームサプライヤーの遍歴へんれき

編集へんしゅう

歴代れきだいユニフォーム

編集へんしゅう
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001 - 2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003 - 2004
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005 - 2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008 - 2009
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010 - 2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013 - 2014
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2024 -
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2002 - 2003
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004 - 2005
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006 - 2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008 - 2009
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010 - 2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013 - 2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2024 -
FP Other
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 3rd
 
 
 
 
 
 
 
2004
ファンアクーニャはい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
ACL 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
ACL 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
フランクフルト
マインファイナンスはい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
ACL 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
ACL 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
ドイツ遠征えんせい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
20周年しゅうねん記念きねん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
ACL 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
ACL 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2023
25周年しゅうねん記念きねん

歴代れきだいユニフォームスポンサー表記ひょうき

編集へんしゅう
年度ねんど 箇所かしょ サプライヤー
むね 鎖骨さこつひだり 鎖骨さこつみぎ 背中せなか上部じょうぶ 背中せなか下部かぶ そで パンツ前面ぜんめん パンツ背面はいめん
1999 am/pm 解禁かいきんまえ Enesta - TEPCO 解禁かいきんまえ 解禁かいきんまえ adidas
2000
2001
2002 ENEOS am/pm
2003 TOKYO GAS
2004
2005
2006
2007
2008
2009 - LIFEVAL
2010 LIFEVAL TEPCO Mitsubishi
Corporation
2011 TEPCO /
-[ちゅう 24]
2012 LIFEVAL[ちゅう 25] /
MALAYSIA
LNG
[ちゅう 26]
Mitsubishi Corporation ENEOS
2013 LIFEVAL Mitsubishi
Corporation
2014
2015 UMBRO
2016 LIFEVAL /
TOKYO GAS
(ACL)
2017 LIFEVAL Mitsubishi
Corporation
-
2018 - XFLAG ES
EURO SPORTS
2019 XFLAG - LIFEVAL TOKYO GAS
2020 XFLAG /
TOKYO GAS
(ACL)
-
2021 XFLAG TOKYO GAS MITSUI&CO. TOKYO GAS New Balance
2022 MIXI
2023 TOKYO GAS MITSUI&CO. - -
2024 TOKYO GAS MIXI
  • Jリーグのチームは背番号せばんごううえにスポンサー・した選手せんしゅめい表記ひょうきしているが、FC東京とうきょうは2009ねん - 2016ねん反対はんたい背番号せばんごううえ選手せんしゅめいしたにスポンサー)表記ひょうきだった[ちゅう 27]
  • タイトル獲得かくとくチームであるが、タイトル獲得かくとくあらわほしはいっていない[ちゅう 28]

FC東京とうきょうU-23

編集へんしゅう
FC東京とうきょうU-23
原語げんご表記ひょうき FC東京とうきょうU-23
創設そうせつねん 2016ねん
解散かいさんねん 2019ねん
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

FC東京とうきょうU-23(エフシーとうきょう・アンダートゥエンティスリー、略称りゃくしょう表記ひょうき:Fひがし23)は、2016ねんから2019ねんまでJ3リーグ(J3)に参加さんかした、FC東京とうきょう所属しょぞくする23さい以下いか選手せんしゅ構成こうせいされるサッカーチーム(U-23チーム)。

概要がいよう(FC東京とうきょうU-23)

編集へんしゅう

2015ねん9がつにJリーグにおいてセカンドチームのJ3参加さんか提議ていぎされると、FC東京とうきょうさき参加さんか志望しぼう表明ひょうめい[78]

同年どうねん12がつ15にち、Jリーグ理事りじかいにおいて2016ねんシーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加さんかすることが発表はっぴょうされ[79]初年度しょねんど参加さんかチームのひとつとして参戦さんせんすることがクラブから発表はっぴょうされた[80]。ユニフォームはトップチームとことなるデザインのものを使用しようする。

トップとユースの中間ちゅうかんのチームという位置付いちづけで[81] 23さい以下いか選手せんしゅ強化きょうか育成いくせい、アカデミーのかく年代ねんだい底上そこあげを目標もくひょうとしている[80]。そのため、トップチームの成績せいせき選手せんしゅそう向上こうじょうにセカンドチームを寄与きよさせるべく、練習れんしゅうはトップとセカンドの練習れんしゅう合同ごうどう一体いったいてき[82]試合しあいまえ選手せんしゅ選別せんべつするというかたちった[83][84]。このため、連携れんけいめんではチームにおくれがちとなっている[85]。また、トップチームにおける23さい以下いか選手せんしゅ保有ほゆうすうをギリギリに制限せいげんすることで[84]2しゅ登録とうろく選手せんしゅ活用かつよう促進そくしん[83]下部かぶ組織そしきにおいては、うえのカテゴリーへのきゅう一般いっぱんさせることで、学年がくねんべつ編成へんせいから実力じつりょくおうじた編成へんせいへの移行いこうはかられている[86]

略歴りゃくれき(U-23)

編集へんしゅう
2016ねん
初年度しょねんど監督かんとくはトップチームコーチの安間あんま貴義たかよし兼務けんむしていたが、7がつにトップチームの監督かんとく交代こうたいともな安間あんまはトップチームのコーチに専任せんにん、FC東京とうきょうU-18コーチをつとめていた中村なかむらただし変更へんこうされた(中村なかむら同時どうじにトップチームコーチにも就任しゅうにん)。だい28せつ長野ながのせんにおいて久保くぼけんえいがJリーグ最年少さいねんしょう出場しゅつじょう記録きろく更新こうしん[87] U-18では、U-23に登用とうようされた選手せんしゅのみならず下級生かきゅうせいにも成長せいちょううながこう循環じゅんかんをもたらし[88]同年どうねんのクラブユース選手権せんしゅけんおよJユースカップせいした。
2017ねん
中村なかむら体制たいせい2ねん開幕かいまくせんカターレ富山とやませんでは波多野はたのつよし鈴木すずきたけ山田やまだ将之まさゆきがプロデビュー。久保くぼけんえいだい5せつCだい23せんでJリーグ最年少さいねんしょう得点とくてん記録きろく更新こうしんした[89]。また、今季こんきもユースの選手せんしゅがJ3リーグとプレミアリーグ並行へいこうしてたたかい、J3でユースの選手せんしゅ参加さんかしている場合ばあいはさまざま選手せんしゅ使つかいながら底上そこあげをし、高円宮たかまどのみやはい JFA U-18サッカーリーグEASTでのはつ優勝ゆうしょうげた[90]
2018ねん
中村なかむらわり、ふたた安間あんま監督かんとく就任しゅうにん
2019ねん
安間あんまがトップチームコーチへ転属てんぞくし、まえファジアーノ岡山おかやま監督かんとく長澤ながさわとおるあらたに監督かんとく就任しゅうにん順位じゅんいこそ過去かこ最低さいていの16しずむが、はら大智たいちが19得点とくてんげて得点とくてんおうとなった。
2020ねん
つづ長澤ながさわ指揮しきってJ3リーグに参戦さんせん予定よていであったが、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう影響えいきょう開幕かいまくおくれ、同様どうよう競技きょうぎ活動かつどう中断ちゅうだんとなったことから、ホームスタジアムとして活用かつよう予定よていしていた3競技きょうぎじょう確保かくほ困難こんなんになり[ちゅう 29]、Jリーグに参加さんか辞退じたいもう、2020ねん6がつ5にちのJリーグ理事りじかい参加さんか辞退じたい承認しょうにんされた[92]

成績せいせき(U-23)

編集へんしゅう
年度ねんど 所属しょぞく 順位じゅんい 試合しあい かちてん かち まけ 得点とくてん 失点しってん 得失点とくしってん 監督かんとく
2016 J3 10 30 36 9 9 12 32 31 +1   安間あんま貴義たかよし /   中村なかむらただし
2017 11 32 43 12 7 13 36 47 -11   中村なかむらただし
2018 14 32 36 10 6 16 38 45 -7   安間あんま貴義たかよし
2019 16 34 36 9 9 16 43 52 -9   長澤ながさわとおる

表彰ひょうしょう

編集へんしゅう

主催しゅさいホームゲーム開催かいさい(U-23)

編集へんしゅう

U-23チームは、J3キャパシティー基準きじゅん充足じゅうそくしたあじもとフィールド西にしおかきたやく7,300にん収容しゅうよう)、およびクラブオフィスのある江東こうとうゆめしま競技きょうぎじょうやく4,800にん収容しゅうよう)や駒沢こまざわオリンピック公園こうえん総合そうごう運動うんどうじょう陸上りくじょう競技きょうぎじょうやく20,000にん収容しゅうよう)で開催かいさい

年度ねんど あじフィ西にし ゆめしま 駒沢こまざわ あじスタ その
2016 8 4 2 1
2017 9 5 1 1
2018 9 7 0 0
2019 12 1 1 0 Jスタ2
生目いきめもり1

歴代れきだいユニフォーム (U-23)

編集へんしゅう
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019

ユニフォームスポンサー遍歴へんれき (U-23)

編集へんしゅう
年度ねんど むね 鎖骨さこつ 背中せなか上部じょうぶ 背中せなか下部かぶ そで パンツ サプライヤー
2016 MITSUI & CO. 解禁かいきんまえ - - OSSO ITALY TOKYO GAS UMBRO
2017
2018 -
2019 -

下部かぶ組織そしき

編集へんしゅう

競技きょうぎあいだ交流こうりゅう

編集へんしゅう

おもにテレビ中継ちゅうけいDAZN東京とうきょうメトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)でおこなわれている(以前いぜんは、TOKYO MXでは東京とうきょう以外いがいおこなわれるホームせんやアウェーせん試合しあい自社じしゃ制作せいさくしていた。一部いちぶ日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい(NHK)と同日どうじつ中継ちゅうけい場合ばあいあり)。

ただし、2001ねんからつづいていたTOKYO MXでの応援おうえん番組ばんぐみは2022ねん12月に年末ねんまつ特番とくばん放送ほうそうされた「F.C. TOKYO CONNECT」をもって終了しゅうりょうとなった[ちゅう 30] (FC東京とうきょうホームゲームの試合しあい中継ちゅうけいは2023ねん以降いこう実施じっし)。

また、ジェイコム東京とうきょうでは「いただき-ITADAKI-アスリート 東京とうきょうないで「FC東京とうきょうVIVA Paradise」コーナーが放送ほうそうされていた。「VIVA」は2002ねん放送ほうそう開始かいしで、2021ねん9がつ番組ばんぐみ終了しゅうりょうには毎月まいつき2かい更新こうしん(15日間にちかんのリピート放送ほうそう)、30分間ふんかん放送ほうそうだったが、「ITADAKI」では毎月まいつき1かい更新こうしん、15分間ふんかん番組ばんぐみなでしこリーグ1所属しょぞくの「スフィーダ世田谷せたがやFC応援おうえんコーナーとうことになった。なお、とう番組ばんぐみは2024ねん1がつ放送ほうそうぶんをもって終了しゅうりょうし、テレビでの応援おうえん番組ばんぐみすべくなることになった。

コミュニティーFMきょく調布ちょうふFM[ちゅう 31] が、あじもとスタジアム開催かいさい試合しあい中継ちゅうけいしている。また、同局どうきょくでは毎週まいしゅう火曜日かようびまるごとFC東京とうきょう放送ほうそうしている。1999ねんJ2終盤しゅうばんせんではTOKYO FMでも試合しあいなま中継ちゅうけいされたこともあった。

TOKYO FMでは『F.C. TOKYO SPIRIT 勝利しょうりへのみち』を2011ねん4がつから放送ほうそう。また、調布ちょうふFM、FM西東京にしとうきょうレインボータウンFMなどでも、番組ばんぐみないにFC東京とうきょう応援おうえんコーナーをもうけている。

新聞しんぶん雑誌ざっし

編集へんしゅう

東京とうきょう中日ちゅうにちスポーツでは、紙面しめんで「365にちFC東京とうきょう」と銘打めいうったクラブ情報じょうほうをほぼ毎日まいにち掲載けいさいしている。以前いぜんは、それにくわえて有料ゆうりょう登録とうろくせい携帯けいたいサイト「365にちFC東京とうきょうモバイル」をもうけて情報じょうほう発信はっしんしていた。

2014ねんよりクラブ公認こうにん季刊きかんである『F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO』を発刊はっかんしていたが、2016ねん休刊きゅうかんとなった。

出版しゅっぱん

編集へんしゅう

書籍しょせき

編集へんしゅう
オフィシャルファンブック
書籍しょせきめい 出版しゅっぱんしゃ 発売はつばい ぺーじすう ISBN
FC東京とうきょうファンブック 2000 毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 2000ねん4がつ
162
ISBN 4620791458
(ISBN-13 978-4620791456)
FC東京とうきょうファンブック 2001 2001ねん4がつ
130
ISBN 4620791768
(ISBN-13 978-4620791760)
FC東京とうきょうファンブック 2002 2002ねん2がつ
126
ISBN 4620792004
(ISBN-13 978-4620792002)
FC東京とうきょうファンブック 2003 2003ねん3がつ
129
ISBN 4620792225
(ISBN-13 978-4620792224)
FC東京とうきょうファンブック 2004 2004ねん3がつ
130
ISBN 462079239X
(ISBN-13 978-4620792392)
FC東京とうきょうファンブック 2005 2005ねん2がつ
130
ISBN 4620792535
(ISBN-13 978-4620792538)
FC東京とうきょうファンブック 2006 2006ねん2がつ
130
ISBN 4620792721
(ISBN-13 978-4620792729)
FC東京とうきょうファンブック 2007 2007ねん2がつ
130
ISBN 4620792926
(ISBN-13 978-4620792927)
FC東京とうきょうファンブック 2008 2008ねん3がつ
130
ISBN 4620793132
(ISBN-13 978-4620793139)
FC東京とうきょうファンブック 2009 2009ねん3がつ
130
ISBN 4620793361
(ISBN-13 978-4620793368)
FC東京とうきょうファンブック 2010 朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん 2010ねん3がつ
130
ISBN 4021902139
(ISBN-13 978-4021902130)
FC東京とうきょうファンブック 2011 2011ねん3がつ
132
ISBN 4021902163
(ISBN-13 978-4021902161)
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2012 フロムワン 2012ねん3がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2013 2013ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2014 2014ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2015 2015ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2016 2016ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2017 2017ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2018 2018ねん2がつ
132
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2019 2019ねん2がつ
100
FC東京とうきょうオフィシャルファンブック2020 2020ねん2がつ
104
その書籍しょせき
書籍しょせきめい 出版しゅっぱんしゃ 発売はつばい ぺーじすう ISBN
ゴールをめざせ! 攻撃こうげきサッカー
てんるための戦術せんじゅつ練習れんしゅうメニュー[94]
池田いけだ書店しょてん 2001ねん6がつ
191
ISBN 4262162400
(ISBN-13 978-4262162409)
シーズンレビュー
タイトル 発売はつばい 収録しゅうろく時間じかん ASIN
FC東京とうきょう J-1への軌跡きせき [VHS] 2000ねん4がつ21にち
40ふん
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Tokyo 2000 (ミレニアム) 2000ねん4がつ21にち
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FC東京とうきょう 2000-2002 シーズンレビュー (限定げんてい生産せいさん)
 
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FC東京とうきょう 2011シーズ