マクドネル・ダグラス MD-11McDonnell Douglas MD-11
マクドネル・ダグラス MD-11 (McDonnell Douglas/Boeing MD-11 、エムディー・イレブン)は、マクドネル・ダグラス (現 げん ボーイング )社 しゃ 製 せい の三 さん 発 はつ 式 しき 大型 おおがた ジェット旅客機 りょかくき 。マクドネル・ダグラス DC-10 の改良 かいりょう 型 がた で、のちにボーイング社 しゃ に買収 ばいしゅう されることになるマクドネル・ダグラス社 しゃ が最後 さいご に製造 せいぞう した大型 おおがた 旅客機 りょかくき でもあった。本 ほん 機 き 以降 いこう 、2023年 ねん 現在 げんざい に至 いた るまで三 さん 発 はつ エンジン式 しき 大型 おおがた ジェット旅客機 りょかくき は開発 かいはつ されておらず、「最後 さいご の三 さん 発 はつ 機 き 」とも呼 よ ばれる[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。
MD-11が着陸 ちゃくりく ・離陸 りりく する様子 ようす
単 たん に「市場 いちば 」と表記 ひょうき した場合 ばあい は旅客機 りょかくき 販売 はんばい 市場 いちば を、単 たん に「マイル」と記 しる した場合 ばあい はノーティカルマイル(海 うみ 里 さと ) をあらわすものとする。
MD-11(左 ひだり )とDC-10(右 みぎ )
1970年代 ねんだい に就航 しゅうこう したDC-10 に改良 かいりょう を加 くわ えて近代 きんだい 化 か した機体 きたい である。ボーイング747 では需要 じゅよう に対 たい して大 おお きすぎる路線 ろせん にDC-10が投入 とうにゅう されたように、ボーイング747-400 では大 おお きすぎる中 なか 長距離 ちょうきょり 路線 ろせん に投入 とうにゅう されることを見込 みこ んで開発 かいはつ された。
開発 かいはつ は1986年 ねん より開始 かいし された。1990年 ねん 1月 がつ 10日 とおか に初 はつ 飛行 ひこう 。1991年 ねん から運用 うんよう を開始 かいし 。旅客 りょかく 型 がた のほか、貨物 かもつ 専用 せんよう 型 がた 、貨客混載 こんさい のコンビ型 がた なども生産 せいさん された。
改良 かいりょう 点 てん としては、胴体 どうたい の延長 えんちょう (5.66 m) ・主翼 しゅよく 端 はし へのウィングレット の装着 そうちゃく ・コクピット内 ない の改良 かいりょう (グラスコックピット 化 か )などがなされた。エンジンはDC-10と同 おな じく、主翼 しゅよく 下 か に2基 き 、垂直 すいちょく 尾翼 びよく の基部 きぶ に1基 き の計 けい 3基 き 搭載 とうさい している。重心 じゅうしん 位置 いち の変更 へんこう により、DC-10と比 くら べて水平 すいへい 尾翼 びよく が7割 わり 程度 ていど の大 おお きさに小型 こがた 化 か されているのも特徴 とくちょう である。
この機体 きたい 以降 いこう 、3発 はつ エンジンワイドボディ旅客機 りょかくき は開発 かいはつ されておらず実質 じっしつ 上 じょう 「最後 さいご の3発 はつ エンジン大型 おおがた 旅客機 りょかくき 」となっている。また定期 ていき 旅客 りょかく 運航 うんこう に使用 しよう された中 なか で唯一 ゆいいつ 、航空 こうくう 機関 きかん 士 し を要 よう しない2人 ふたり 乗務 じょうむ の3発 はつ エンジン旅客機 りょかくき である。
マクドネル・ダグラスでは、1970年 ねん に3発 はつ 式 しき のワイドボディジェット旅客機 りょかくき であるDC-10 を初 はつ 飛行 ひこう させており、当時 とうじ のライバル機 き であるロッキード のL-1011トライスター の販売 はんばい 合戦 かっせん には勝 か っていたものの、1970年代 ねんだい 以降 いこう の航空 こうくう 旅客 りょかく 数 すう の大幅 おおはば な増加 ぞうか により、当時 とうじ としては超 ちょう 大型 おおがた 機 き であったボーイング747 には発注 はっちゅう 数 すう は及 およ ばなかった[ 1] 。しかし、アメリカ空軍 くうぐん から派生 はせい 型 がた となるKC-10エクステンダー の受注 じゅちゅう を得 え ていたことから、生産 せいさん ラインの維持 いじ には成功 せいこう していた[ 1] 。
DC-10は航空 こうくう 会社 かいしゃ の要望 ようぼう に応 こた える形 かたち で、各種 かくしゅ の派生 はせい 型 がた を揃 そろ えていたがそれらは翼 つばさ 幅 はば などの拡大 かくだい はあったものの、どの型 かた も胴体 どうたい は共通 きょうつう であった。DC-10では当初 とうしょ から胴体 どうたい 延長 えんちょう (ストレッチ)を考慮 こうりょ した設計 せっけい としており[ 2] 、40フィート (12.19メートル )までは無理 むり なく胴体 どうたい 延長 えんちょう できるように、40フィート延長 えんちょう しても離陸 りりく 時 じ の機首 きしゅ 上 あ げの際 さい に尾 お 部 ぶ が接地 せっち しないような形状 けいじょう としていたのである。
しかし航空 こうくう 会社 かいしゃ からのまとまった注文 ちゅうもん がなければ胴体 どうたい 延長 えんちょう 型 がた の開発 かいはつ には着手 ちゃくしゅ できない。マクドネル・ダグラスは1973年 ねん に「スーパーDC-10」と呼 よ ばれる、胴体 どうたい を25フィート(7.62メートル)延長 えんちょう した仕様 しよう と40フィート延長 えんちょう した仕様 しよう を提案 ていあん していた[ 2] が、これに関心 かんしん を示 しめ す航空 こうくう 会社 かいしゃ はなかった。
次 つぎ に胴体 どうたい 延長 えんちょう 型 がた の提案 ていあん がされたのは1979年 ねん で、以下 いか の3タイプが提案 ていあん された[ 2] 。
DC-10スーパー61
胴体 どうたい を40フィート延長 えんちょう 、座席 ざせき 数 すう は各 かく クラス合計 ごうけい で390席 せき とする。アメリカ国内線 こくないせん 用 よう として短距離 たんきょり での大量 たいりょう 輸送 ゆそう を図 はか ったモデルで、最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう は52万 まん ポンド (235,870キログラム )。
DC-10スーパー62
胴体 どうたい を26フィート(8.13メートル)延長 えんちょう 、座席 ざせき 数 すう は各 かく クラス合計 ごうけい で350席 せき 。主翼 しゅよく の翼 つばさ 幅 はば を14フィート(5.49メートル)拡大 かくだい し、DC-10-30では2輪 りん であった中央 ちゅうおう 脚 あし を4輪 りん とした上 うえ で、搭載 とうさい エンジンのパワーアップにより、最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう は62万 まん ポンド(281,230キログラム)まで高 たか めた上 うえ で、航続 こうぞく 距離 きょり はDC-10-30と同 どう レベルを確保 かくほ する。
DC-10スーパー63
上記 じょうき のスーパー61の胴体 どうたい とスーパー62の主翼 しゅよく を組 く み合 あ わせたもので、スーパー61の航続 こうぞく 性能 せいのう 向上 こうじょう 型 がた に相当 そうとう 。
胴体 どうたい を40フィート延長 えんちょう した場合 ばあい 、全長 ぜんちょう は67.21メートルとボーイング747(全長 ぜんちょう 70.7メートル)に近 ちか いものとなる。マクドネル・ダグラスでは運航 うんこう 経費 けいひ や1座席 ざせき あたりの燃料 ねんりょう 消費 しょうひ もボーイング747より低減 ていげん できるとして売込 うりこ みを図 はか った[ 2] が、ユナイテッド航空 こうくう やノ の ースウエスト航空 すうえすとこうくう が関心 かんしん を示 しめ した[ 2] ものの、発注 はっちゅう には至 いた らなかった。
さらに、マクドネル・ダグラスではDC-10スーパー30・スーパー40というモデルの提案 ていあん を行 おこな った[ 2] 。これは胴体 どうたい の延長 えんちょう は18.4フィート(5.61メートル)にとどめ、主翼 しゅよく はベース仕様 しよう となるDC-10-30・-40のままでエンジンのパワーアップを行 おこな うというものであった[ 2] 。また、胴体 どうたい 延長 えんちょう 型 がた とは別 べつ に、DC-10スーパー10と呼 よ ばれる仕様 しよう の提案 ていあん もされた[ 2] が、これはDC-10のエンジンを推力 すいりょく 20トンクラスのエンジンに変更 へんこう した上 うえ で、主翼 しゅよく にウイングレット を追加 ついか することで、巡航 じゅんこう 性能 せいのう 及 およ び経済 けいざい 性 せい の改善 かいぜん を図 はか るものであった[ 2] 。
一方 いっぽう で、1980年代 ねんだい に入 はい るとワイドボディ旅客機 りょかくき のハイテク化 か が進 すす むようになった。ボーイング はグラスコックピット を採用 さいよう し、航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ を不要 ふよう としたボーイング767 を1981年 ねん に初 はつ 飛行 ひこう させ、次 つ いでエアバス も同様 どうよう に航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ が不要 ふよう なA310 を1982年 ねん に初 はつ 飛行 ひこう させた。さらに、ボーイング747も1985年 ねん にグラスコックピットを採用 さいよう したボーイング747-400 の開発 かいはつ を発表 はっぴょう した。以後 いご の旅客機 りょかくき では、機体 きたい の大 おお きさに関 かか わらず2人 ふたり 乗務 じょうむ 機 き が常識 じょうしき となってゆくが、これはその前兆 ぜんちょう でもあった。
このような流 なが れの中 なか では、航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ が必要 ひつよう な3人 にん 乗務 じょうむ 機 き であるDC-10の販路 はんろ が狭 せま くなることは必至 ひっし であり、マクドネル・ダグラスは対抗 たいこう する機種 きしゅ を市場 いちば に送 おく り込 こ む必要 ひつよう があった[ 1] 。
そこで、マクドネル・ダグラスでは1982年 ねん にMD-100と呼 よ ばれるDC-10の発展 はってん 型 がた を提案 ていあん した[ 2] 。この案 あん では、グラスコックピットの採用 さいよう により航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ を不要 ふよう とし、全 すべ ての仕様 しよう にウイングレットが装備 そうび されることになった。この時 とき には以下 いか のような仕様 しよう が提示 ていじ された。
MD-100-10
DC-10の胴体 どうたい を5フィート(1.52メートル)短縮 たんしゅく して自重 じちょう を軽減 けいげん
MD-100-20
DC-10の胴体 どうたい を21.7フィート(6.61メートル)延長 えんちょう
MD-100-30
DC-10の胴体 どうたい を40フィート(12.19メートル)延長 えんちょう
しかし、これらの提案 ていあん に対 たい しても航空 こうくう 会社 かいしゃ からの発注 はっちゅう はなく、1983年 ねん 11月にMD-100の計画 けいかく 中止 ちゅうし が決定 けってい された[ 3] 。
それでも、マクドネル・ダグラスはDC-10の発展 はってん 型 がた の開発 かいはつ を完全 かんぜん に諦 あきら めたわけではなく、1984年 ねん にはMD-XXXとして検討 けんとう を再開 さいかい した[ 3] 。その後 ご この発展 はってん 型 がた はMD-11Xという名称 めいしょう に変更 へんこう された[ 3] が、当初 とうしょ の案 あん では開発 かいはつ 費用 ひよう が多額 たがく になるグラスコックピット導入 どうにゅう やウイングレット装着 そうちゃく を見送 みおく り、DC-10と同 おな じ胴体 どうたい を持 も つMD-11-10型 がた と、胴体 どうたい を22.5フィート(6.86メートル)延長 えんちょう するMD-11X-20型 がた を作 つく ることになっていたが、その後 ご グラスコックピット導入 どうにゅう という方針 ほうしん に変更 へんこう された。
翌 よく 1985年 ねん 6月のパリ航空 こうくう ショーにおいて、マクドネル・ダグラスはMD-11Xの開発 かいはつ 構想 こうそう を発表 はっぴょう した。この時点 じてん では、グラスコックピット導入 どうにゅう により航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ を不要 ふよう とするとともに、旅客 りょかく 定員 ていいん と貨物 かもつ 搭載 とうさい 量 りょう の増加 ぞうか 、真空 しんくう 式 しき 便所 べんじょ の設置 せっち などを特徴 とくちょう とする中 なか 長距離 ちょうきょり 機 き という位置 いち づけであった。同年 どうねん 7月 がつ 29日 にち には航空 こうくう 会社 かいしゃ への売 う り込 こ みも承認 しょうにん され、同年 どうねん 末 まつ までにはウイングレット装着 そうちゃく を行 おこな うことに変更 へんこう されるとともに、DC-10と同 おな じ胴体 どうたい の仕様 しよう は設定 せってい せず、胴体 どうたい の延長 えんちょう は18.6フィート(5.67メートル)とした仕様 しよう を標準 ひょうじゅん 仕様 しよう とすることになった。
この時点 じてん でほぼ仕様 しよう は固 かた まり、確定 かくてい 発注 はっちゅう 52機 き ・オプション40機 き の受注 じゅちゅう を集 あつ めたことにより、1986年 ねん 12月30日 にち にMD-11の名称 めいしょう によりローンチが決定 けってい されたのである。
マクドネル・ダグラスでは、MD-11の導入 どうにゅう メリットとして次 つぎ の2点 てん を挙 あ げていた[ 4] 。
大型 おおがた 4発 はつ 機 き と航続 こうぞく 距離 きょり と搭載 とうさい 量 りょう (ペイロード)が同等 どうとう であり、搭載 とうさい エンジン数 すう が少 すく ない分 ぶん だけ燃料 ねんりょう 消費 しょうひ と整備 せいび コストが低減 ていげん できる。
大型 おおがた 双発 そうはつ 機 き と航続 こうぞく 距離 きょり とペイロードが同等 どうとう であり、洋上 ようじょう 飛行 ひこう の制限 せいげん がないために柔軟 じゅうなん な経路 けいろ 設定 せってい が可能 かのう 。
MD-11では、機体 きたい 形状 けいじょう や後方 こうほう の第 だい 2エンジンの取 と り付 つ け方法 ほうほう などはDC-10をそのまま引 ひ き継 つ いだ。これは開発 かいはつ のコストや期間 きかん を削減 さくげん するには当然 とうぜん と考 かんが えられた方策 ほうさく であった[ 4] 。
だが、開発 かいはつ は大幅 おおはば に遅 おく れた。ローンチ当初 とうしょ 、1号機 ごうき は1989年 ねん 3月 がつ ごろに初 はつ 飛行 ひこう という予定 よてい であったがマクドネル・ダグラス社内 しゃない 組織 そしき の大幅 おおはば な改編 かいへん などが影響 えいきょう し、作業 さぎょう が進 すす まなかったのである[ 5] 。ロールアウト時 じ にも特別 とくべつ な式典 しきてん などは行 おこな わず、実際 じっさい に初 はつ 飛行 ひこう したのは1990年 ねん 1月 がつ 10日 とおか と、9ヶ月 かげつ 遅 おく れとなった。
さらに飛行 ひこう テストを進 すす めていくにつれ、ローンチ当初 とうしょ に航空 こうくう 会社 かいしゃ に約束 やくそく していた性能 せいのう に達 たっ しないことが明 あき らかになってしまった。それは機体 きたい の空気 くうき 抵抗 ていこう が多少 たしょう 高 たか めであったことも影響 えいきょう していたが、エンジンの燃費 ねんぴ 率 りつ が予想 よそう より高 たか いうえ機体 きたい の自重 じちょう が設計 せっけい 値 ち よりも4,000ポンド(1,800キログラム)ほど超過 ちょうか していたのである。
ローンチ当初 とうしょ のMD-11の性能 せいのう は、7,000マイル(12,960キロメートル)の区間 くかん を飛行 ひこう する場合 ばあい 、61,000ポンド(27,670キログラム)のペイロードが可能 かのう なはずであった[ 5] 。しかし飛行 ひこう テストではゼネラル・エレクトリック のCF6型 がた エンジン を搭載 とうさい した機材 きざい の場合 ばあい 、7,000マイルの飛行 ひこう で許容 きょよう されるペイロードは48,500ポンド(22,000キログラム)(乗客 じょうきゃく に換算 かんさん すると60人 にん 分 ぶん の減少 げんしょう に相当 そうとう )[ 5] で、61,000ポンドのペイロードでは航続 こうぞく 距離 きょり が6,500マイル(12,040キロメートル)となった。またプラット・アンド・ホイットニー のPW4000型 がた エンジン 搭載 とうさい した機材 きざい の場合 ばあい はさらに航続 こうぞく 距離 きょり が6,270マイル(11,610キロメートル)となった[ 5] 。
マクドネル・ダグラスではエンジンメーカーへ性能 せいのう 向上 こうじょう や燃費 ねんぴ 改善 かいぜん を迫 せま る[ 6] 一方 いっぽう で、自重 じちょう の減少 げんしょう や空気 くうき 抵抗 ていこう の低減 ていげん 策 さく をまとめた(後述 こうじゅつ )が、既 すで に開発 かいはつ が遅 おく れている中 なか 、実際 じっさい に適用 てきよう されるのがさらに2年 ねん 先 さき ということになった[ 6] 。このため、シンガポール航空 こうくう をはじめとして発注 はっちゅう をキャンセルする航空 こうくう 会社 かいしゃ もあった[ 6] 。また、キャンセルとはならなかった航空 こうくう 会社 かいしゃ へも、計画 けいかく 遅延 ちえん と性能 せいのう 不足 ふそく に対 たい しての賠償 ばいしょう 責任 せきにん まで生 しょう じることになった[ 6] 。
1990年 ねん 11月8日 にち に型式 けいしき 証明 しょうめい を取得 しゅとく し、同年 どうねん 11月29日 にち にはフィンエアー への引渡 ひきわた しが開始 かいし され、同年 どうねん 12月20日 にち にはフィンエアーで商業 しょうぎょう 運航 うんこう が開始 かいし されたがその後 ご 販売 はんばい 数 すう は伸 の びなかった。前述 ぜんじゅつ の通 とお り、予定 よてい 性能 せいのう に達 たっ しなかったためにネガティブな印象 いんしょう となってしまった[ 6] ことも一因 いちいん であるが、3発 はつ 機 き 自体 じたい が中途半端 ちゅうとはんぱ な位置 いち づけになってしまったのである[ 7] 。
ローンチ当初 とうしょ に説明 せつめい された、大型 おおがた 4発 はつ 機 き と比較 ひかく した利点 りてん において、確 たし かにMD-11の長距離 ちょうきょり 仕様 しよう (MD-11ER) では7,144マイル(13,228キロメートル)の航続 こうぞく 距離 きょり を有 ゆう し、ボーイング747の航続 こうぞく 距離 きょり (7,135 - 7,284マイル)と比較 ひかく しても遜色 そんしょく はない[ 7] が、乗客 じょうきゃく 定員 ていいん はボーイング747と比較 ひかく すると少 すく なくなるため、座席 ざせき あたりのコストが高 たか くなってしまう[ 7] 。座席 ざせき 数 すう を増加 ぞうか させると今度 こんど は航続 こうぞく 距離 きょり が短 みじか くなってしまう[ 7] ため、航空 こうくう 会社 かいしゃ はボーイング747導入 どうにゅう に動 うご くことになった[ 7] 。また、同 どう 時期 じき に開発 かいはつ が進 すす んでいた4発 はつ 機 き エアバスA340 はMD-11と同 どう 程度 ていど の座席 ざせき 数 すう ながら航続 こうぞく 距離 きょり で勝 か っていた。[ 8]
一方 いっぽう で、大型 おおがた 双発 そうはつ 機 き と比較 ひかく した場合 ばあい の利点 りてん についても、双発 そうはつ 機 き の洋上 ようじょう 飛行 ひこう について運用 うんよう 拡張 かくちょう が認 みと められることになり(ETOPS 認定 にんてい )、エンジン1基 き が停止 ていし した際 さい に着陸 ちゃくりく できる空港 くうこう までの所要 しょよう 時間 じかん として認 みと められる時間 じかん も当初 とうしょ 120分 ふん 程度 ていど だったものが180分 ふん に延長 えんちょう されるとそれまでMD-11が運航 うんこう されていた路線 ろせん が双発 そうはつ 機 き でも運航 うんこう できることになり[ 7] 、経済 けいざい 性 せい の観点 かんてん から航空 こうくう 会社 かいしゃ はボーイング767 や777 、エアバスA300-600R やA330 といった同 どう 程度 ていど の乗客 じょうきゃく 定員 ていいん の双発 そうはつ 機 き を選 えら ぶようになった[ 7] 。
こうしてボーイングはボーイング747と双発 そうはつ 機 き 、エアバスも双発 そうはつ 機 き を送 おく り出 だ し着実 ちゃくじつ に市場 いちば シェアを確保 かくほ していった[ 9] 。特 とく にエアバスのシェアはマクドネル・ダグラスのシェアを奪 うば い取 と る形 かたち で拡大 かくだい された[ 10] 。それに対 たい してマクドネル・ダグラスには3発 はつ 機 き のMD-11しかなかったのである[ 9] 。
1990年代 ねんだい に入 はい ると、中 ちゅう 近距離 きんきょり 用 よう ナローボディ機 き のMD-90 やMD-95 と、販売 はんばい が思 おも わしくないMD-11しか持 も たない上 うえ に、軍用 ぐんよう 機 き 部門 ぶもん も業績 ぎょうせき が上 あ がらないマクドネル・ダグラスの業績 ぎょうせき は悪化 あっか し、他 た のメーカーとの協力 きょうりょく や合併 がっぺい などがささやかれることになった。最終 さいしゅう 的 てき には1997年 ねん 8月 がつ 4日 にち 付 づけ で、ボーイングとマクドネル・ダグラスは合併 がっぺい した。合併 がっぺい 当初 とうしょ 、ボーイングでは「マクドネル・ダグラスの製品 せいひん 群 ぐん はそのまま受 う け継 つ ぐ」と発表 はっぴょう していた[ 10] が、わずか3ヶ月 かげつ 後 ご の1997年 ねん 10月 がつ に、ボーイングは「MD-11については新 あら たな受注 じゅちゅう を行 おこな わない」と発表 はっぴょう した[ 10] 。
最終 さいしゅう 号 ごう 機 き の引渡 ひきわた しが行 おこな われたのは2000年 ねん 8月 がつ 24日 にち [ 10] で、MD-11は生産 せいさん 開始 かいし からわずか10年 ねん で製造 せいぞう 終了 しゅうりょう となった。初 はつ 飛行 ひこう の時点 じてん では確定 かくてい 発注 はっちゅう 126機 き ・オプション発注 はっちゅう 189機 き あった[ 6] が、最終 さいしゅう 的 てき に製造 せいぞう 数 すう は全 すべ ての仕様 しよう を合計 ごうけい しても200機 き という結末 けつまつ であった。
真横 まよこ から見 み たMD-11の図 ず
DC-10の第 だい 2エンジン周 まわ り。テイルコーンは丸 まる みを帯 お びている
MD-11の第 だい 2エンジン周 まわ り。平板 へいばん 状 じょう となったテイルコーンと面積 めんせき を縮小 しゅくしょう した水平 すいへい 尾翼 びよく も見 み える
主翼 しゅよく に装備 そうび されたウイングレット
後方 こうほう から見 み たMD-11
前述 ぜんじゅつ の通 とお り、開発 かいはつ コスト低減 ていげん のため、製造 せいぞう 設備 せつび などはDC-10のものがそのまま活用 かつよう される事 こと になったため、基本 きほん 的 てき な機体 きたい 構造 こうぞう はDC-10とは大 おお きく変 か わるところはない。
胴体 どうたい はDC-10よりも18.6フィート(5.67メートル)延長 えんちょう され、3クラスでの標準 ひょうじゅん 座席 ざせき 数 すう は298席 せき となり、DC-10と比較 ひかく すると40席 せき ほど増加 ぞうか することになった[ 11] 。また、胴体 どうたい 後 ご 端 はし のテイルコーンの形状 けいじょう は、DC-10では丸 まる みを帯 お びた形状 けいじょう であったのに対 たい し、平板 へいばん 状 じょう とされた。
主翼 しゅよく 端 はし にはウイングレットが装備 そうび された。これは巡航 じゅんこう 時 じ の誘導 ゆうどう 抵抗 ていこう 減少 げんしょう を図 はか ったもので、高速 こうそく 巡航 じゅんこう 時 じ の空気 くうき 抵抗 ていこう が3%減少 げんしょう した[ 11] 。
空気 くうき 抵抗 ていこう 低減 ていげん 策 さく として、マクドネル・ダグラスがもっとも強調 きょうちょう したのは水平 すいへい 尾翼 びよく (スタビライザー)の面積 めんせき 縮小 しゅくしょう である[ 12] 。これは、他 た 機 き に比 くら べて揚力 ようりょく 中心 ちゅうしん を機体 きたい の重心 じゅうしん により近 ちか づけることとし、水平 すいへい 尾翼 びよく の面積 めんせき をDC-10と比較 ひかく して30パーセント 減少 げんしょう させることによって空気 くうき 抵抗 ていこう を減少 げんしょう させるという方策 ほうさく で、空気 くうき 抵抗 ていこう が2パーセント、重量 じゅうりょう も0.5パーセント減少 げんしょう する[ 12] 。一般 いっぱん 的 てき に大型 おおがた 航空機 こうくうき は機体 きたい 重心 じゅうしん より後方 こうほう に揚力 ようりょく 中心 ちゅうしん が有 あ る。このことで尻上 しりあ がりの姿勢 しせい を取 と ろうとするため、その姿勢 しせい を矯正 きょうせい すべく水平 すいへい 尾翼 びよく には下向 したむ きの揚力 ようりょく を生 しょう じさせる(スタビライザーとの命名 めいめい 理由 りゆう である)。水平 すいへい 飛行 ひこう 中 ちゅう であっても水平 すいへい 尾翼 びよく には下向 したむ き揚力 ようりょく が生 しょう じており、主翼 しゅよく で発生 はっせい している上向 うわむ きの揚力 ようりょく を常 つね に下方 かほう へ減 げん じている。この上向 うわむ き揚力 ようりょく の一部 いちぶ 相殺 そうさい は、機体 きたい 全体 ぜんたい の空 そら 力 りょく 特性 とくせい には抵抗 ていこう 成分 せいぶん として現 あらわ れる(ただし縦 たて 方向 ほうこう の外乱 がいらん に強 つよ くなる)。マクドネル・ダグラスが採 と った水平 すいへい 尾翼 びよく の面積 めんせき 縮小 しゅくしょう は、この抵抗 ていこう 成分 せいぶん (空 そら 力 りょく 的 てき なロス)の減少 げんしょう が目的 もくてき であった。副 ふく 次 つぎ 効果 こうか として機体 きたい 重量 じゅうりょう も前述 ぜんじゅつ のように減少 げんしょう した。また、水平 すいへい 尾翼 びよく 内部 ないぶ も燃料 ねんりょう タンク(すなわち重 おも し )とすることで機体 きたい 尾 お 部 ぶ に下向 したむ きの力 ちから を加 くわ え、さらなる水平 すいへい 尾翼 びよく の面積 めんせき 縮小 しゅくしょう を企図 きと した。この副 ふく 次 つぎ 効果 こうか として当然 とうぜん に航続 こうぞく 距離 きょり も延 の び、水平 すいへい 尾翼 びよく 内 ない のタンクまで全 すべ て満 み たした場合 ばあい の燃料 ねんりょう 搭載 とうさい 量 りょう は240,000ポンド(108,000キログラム)である[ 13] 。ただし、水平 すいへい 尾翼 びよく の面積 めんせき 縮小 しゅくしょう は縦 たて 方向 ほうこう (ピッチング )の飛行 ひこう 安定 あんてい 性 せい を減 げん じてしまうため、フライ・バイ・ワイヤ 操縦 そうじゅう システム側 がわ でソフトウェア 的 てき に外乱 がいらん 対策 たいさく を行 おこな うことになった。
エンジンはプラット・アンド・ホイットニー PW4460 またはゼネラル・エレクトリック CF6-80C2D1F を選択 せんたく できる。開発 かいはつ 当初 とうしょ にはロールス・ロイス トレント650 エンジンの選択 せんたく も考慮 こうりょ されていたが、発注 はっちゅう はなかった。
第 だい 2エンジンの装着 そうちゃく 方法 ほうほう はDC-10と同様 どうよう で、垂直 すいちょく 尾翼 びよく をエンジンとダクトで串刺 くしざ しにしたような配置 はいち となっている。
MD-11のテスト飛行 ひこう 中 ちゅう に発覚 はっかく した性能 せいのう 未 ひつじ 達 たち は、MD-11の販売 はんばい 上 じょう 重大 じゅうだい な支障 ししょう となった。マクドネル・ダグラスでは、飛行 ひこう 性能 せいのう の問題 もんだい を改善 かいぜん し、開発 かいはつ 時 じ に保証 ほしょう した性能 せいのう を発揮 はっき できるようにするために、パフォーマンス・インプルーブメント・プログラム(Performance Improvement Program、以下 いか 略 りゃく して「PIP」と表記 ひょうき する)と呼 よ ばれるプロジェクトを開始 かいし した[ 6] 。
PIPの改善 かいぜん 内容 ないよう は、燃料 ねんりょう タンクの容量 ようりょう 増大 ぞうだい や第 だい 二 に エンジンダクト形状 けいじょう 、フラップ トラックフェアリングの形状 けいじょう 変更 へんこう といった大掛 おおが かりなものから、ワイパー停止 ていし 時 じ の向 む きのような細 こま かいものまで多岐 たき に渡 わた っており、1993年 ねん 以降 いこう 数 すう 次 じ にわたって公表 こうひょう された。これらの改善 かいぜん 策 さく は生産 せいさん ライン上 じょう にあった機体 きたい に反映 はんえい されるだけではなく、一部 いちぶ の改善 かいぜん 項目 こうもく は既 すで に引渡 ひきわた しが行 おこな われた機体 きたい にも適用 てきよう (レトロフィット)することが可能 かのう となっていた[ 6] 。
各 かく 席 せき にCRTディスプレイが横 よこ に3つ並 なら んだグラスコックピット
マクドネル・ダグラスのワイドボディ旅客機 りょかくき としては、初 はじ めてグラスコックピットが採用 さいよう された。これにより、エンジン等 とう の監視 かんし についてはコンピューター制御 せいぎょ されることになり、航空 こうくう 機関 きかん 士 し の乗務 じょうむ は不要 ふよう となった。コックピットからアナログ計器 けいき 類 るい が大幅 おおはば に減少 げんしょう したため、DC-10とはコックピット内 ない の印象 いんしょう は大 おお きく変 か わることになった。その一方 いっぽう で、スラストレバー周 まわ り(センターペデスタル)の装備 そうび 品 ひん については、DC-10から大 おお きく変 か わっておらず、フラップの下 さ げ角度 かくど を1度 ど 刻 きざ みに設定 せってい できる「Dial a Flap」システムもDC-10から継承 けいしょう されている。
また、MD-11ではさらに自動 じどう 化 か を進 すす めるため、以下 いか の3システムを導入 どうにゅう した。
Longitudinal Stability Augmentation Systemの略 りゃく 、「エルサス」と呼 よ ばれる[ 14] 。日本語 にほんご で表現 ひょうげん すると「縦 たて 安定 あんてい 増加 ぞうか 装置 そうち 」である。
前述 ぜんじゅつ のように、空気 くうき 抵抗 ていこう を減少 げんしょう させるための方策 ほうさく として、水平 すいへい 尾翼 びよく の面積 めんせき をDC-10と比較 ひかく して30%減少 げんしょう させたが、そのままでは縦 たて 方向 ほうこう に対 たい する安定 あんてい 性 せい が損 そこ なわれる。LSASはこれを補 おぎな うために装備 そうび されたシステムである。自動 じどう 操縦 そうじゅう 装置 そうち の作動 さどう 中 ちゅう に機体 きたい の角度 かくど を一定 いってい に保 たも つほか、操縦 そうじゅう 士 し の手動 しゅどう 操縦 そうじゅう 時 じ に操縦 そうじゅう 桿 に力 ちから がかからなくなると、その時 とき の機体 きたい 角度 かくど を保 たも つ機能 きのう を有 ゆう する[ 15] 。
このシステムはMD-11にとっては重要 じゅうよう なシステムで[ 12] 、4重 じゅう 系統 けいとう となっているうちの3系統 けいとう が動作 どうさ しなくても、残 のこ る1系統 けいとう が正常 せいじょう 動作 どうさ していれば有効 ゆうこう に作動 さどう する[ 12] 。
Roll Control Wheel Steeringの略 りゃく 。
水平 すいへい 安定 あんてい 性 せい を維持 いじ するためのシステムで、このシステムは自動 じどう 操縦 そうじゅう 装置 そうち の作動 さどう 中 ちゅう に機体 きたい の傾 かたむ きを30度 ど 以内 いない に保 たも つほか、手動 しゅどう 操縦 そうじゅう 時 じ に30度 ど を越 こ える角度 かくど へ傾 かたぶ けようとすると操縦 そうじゅう 桿の操作 そうさ を重 おも くし、操縦 そうじゅう 桿から力 ちから を抜 ぬ くと、直 ただ ちに30度 ど まで傾 かたむ き角 かく を戻 もど す機能 きのう を有 ゆう する[ 15] 。
MD-11では、水平 すいへい 尾翼 びよく の内部 ないぶ も燃料 ねんりょう タンクとすることで航続 こうぞく 距離 きょり の延長 えんちょう を図 はか ったが、燃料 ねんりょう の減少 げんしょう に伴 ともな い重心 じゅうしん 位置 いち が移動 いどう することになる。これを補 おぎな いつつ、重心 じゅうしん 位置 いち を燃料 ねんりょう の残 ざん 量 りょう に関 かか わらず一定 いってい に保 たも ち、巡航 じゅんこう 性能 せいのう を向上 こうじょう させるため、FSC(Fuel System Controller)と呼 よ ばれるシステムを採用 さいよう した。
これは、主翼 しゅよく ・胴体 どうたい の燃料 ねんりょう タンクと水平 すいへい 尾翼 びよく 内 ない の燃料 ねんりょう タンクとの間 あいだ で燃料 ねんりょう を移送 いそう するシステムで、2つの燃料 ねんりょう タンクの残 ざん 量 りょう が60,000ポンド(27,000キログラム)以上 いじょう の場合 ばあい に機能 きのう する[ 15] 。また、燃料 ねんりょう が凍結 とうけつ しないために、30分 ふん 毎 ごと に主翼 しゅよく のタンクと水平 すいへい 尾翼 びよく のタンクの燃料 ねんりょう を循環 じゅんかん させる機能 きのう も有 ゆう している[ 15] 。また、水平 すいへい 尾翼 びよく のタンクの燃料 ねんりょう 残 ざん 量 りょう が15,000ポンド(6,250キログラム)以下 いか になると、水平 すいへい 尾翼 びよく 内 ない の燃料 ねんりょう を全 すべ て主翼 しゅよく 内 ない のタンクに移送 いそう する[ 15] 。
3列 れつ -4列 れつ -2列 れつ のエコノミークラス(KLMオランダ航空 こうくう )
中央 ちゅうおう 列 れつ 上 じょう の荷物 にもつ 棚 だな を開 あ けた状態 じょうたい (フィンエアー)
登場 とうじょう 当時 とうじ の標準 ひょうじゅん 的 てき な座席 ざせき 配置 はいち はエコノミークラス は横 よこ 9列 れつ (2列 れつ -5列 れつ -2列 れっ か3列 れつ -3列 れつ -3列 れつ )の配置 はいち で、荷物 にもつ 棚 だな (オーバーヘッド・ストウェッジ)は窓側 まどがわ 座席 ざせき だけではなく中央 ちゅうおう 列 れつ 上 じょう にも設 もう けられ、1区画 くかく の長 なが さを80インチ(2.3メートル)と大型 おおがた 化 か した。これは長 ちょう 尺 しゃく の荷物 にもつ も収容 しゅうよう できるようにしたためである[ 16] 。
機内 きない の座席 ざせき 配列 はいれつ などの配列 はいれつ に柔軟 じゅうなん 性 せい を持 も たせており、エコノミークラスに個人 こじん 用 よう テレビなどのエンターテインメント設備 せつび がない場合 ばあい は、客室 きゃくしつ 仕様 しよう の変更 へんこう を最大 さいだい 18時 じ 間 あいだ で完了 かんりょう できる[ 16] 。
操縦 そうじゅう 特性 とくせい としては、乗 の りこなすことが比較的 ひかくてき 難 むずか しいとの評価 ひょうか がある[ 17] 。
前述 ぜんじゅつ の構造 こうぞう 概説 がいせつ で記述 きじゅつ したように、MD-11では空気 くうき 抵抗 ていこう の減少 げんしょう のために重心 じゅうしん を後方 こうほう に移動 いどう することで水平 すいへい 尾翼 びよく の小型 こがた 化 か を行 おこな った。しかし、重心 じゅうしん を後方 こうほう にずらす手法 しゅほう は、本来 ほんらい 運動 うんどう 能力 のうりょく 向上 こうじょう 機 き で採用 さいよう される方法 ほうほう であり[ 12] 、(運動 うんどう 性能 せいのう を重視 じゅうし する戦闘 せんとう 機 き では一般 いっぱん 的 てき となっていたが)旅客機 りょかくき においては妥当 だとう な設計 せっけい 思想 しそう ではなかったといわれている[ 18] 。
縦 たて 方向 ほうこう の安定 あんてい 性 せい が悪 わる い上 うえ 、それをフォローするためのLSASと自動 じどう 操縦 そうじゅう 装置 そうち が外 はず れると、操縦 そうじゅう 士 し ではリカバリーが困難 こんなん となることが後 のち に判明 はんめい した[ 18] 。後述 こうじゅつ する事故 じこ 以外 いがい にも、自動 じどう 操縦 そうじゅう 装置 そうち を切 き ると激 はげ しい上下動 じょうげどう を繰 く り返 かえ す事例 じれい が報告 ほうこく されている[ 18] 。
主 おも な仕様 しよう の比較 ひかく については主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと 表 ひょう を参照 さんしょう 。
チャイナエアラインのMD-11
MD-11の基本 きほん 仕様 しよう 。最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう は当初 とうしょ 計画 けいかく では605,500ポンド(274,650キログラム)であったが、前述 ぜんじゅつ の性能 せいのう 改善 かいぜん 対策 たいさく だけではまだ不足 ふそく であるため、段階 だんかい 的 てき に引 ひ き上 あ げを行 おこな った結果 けっか 、最終 さいしゅう 的 てき には630,500ポンド(285,990キログラム)となった[ 19] 。また、当初 とうしょ は空 そら だった翼 つばさ 端 はし まで主翼 しゅよく の燃料 ねんりょう タンクを拡大 かくだい し、さらにオプションで床下 ゆかした 貨物 かもつ 室 しつ に補助 ほじょ 燃料 ねんりょう タンクを増設 ぞうせつ できるようにして、航続 こうぞく 距離 きょり の延長 えんちょう に対応 たいおう した[ 19] 。基本 きほん 型 がた の生産 せいさん 機 き 数 すう は最終 さいしゅう 的 てき に132機 き となった。
MD-11ER(航続 こうぞく 距離 きょり 延長 えんちょう 型 がた )
編集 へんしゅう
ワールドエアウェイズのMD-11ER
基本 きほん 型 がた の最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう は最終 さいしゅう 的 てき に630,500ポンド(285,990キログラム)として[ 19] まで引 ひ き上 あ げられたが、オプションの補助 ほじょ 燃料 ねんりょう タンクを2個 こ 増設 ぞうせつ した仕様 しよう は、航続 こうぞく 距離 きょり 延長 えんちょう 型 がた (Expanded Range、ER型 がた )として区別 くべつ された。CF6型 がた エンジン搭載 とうさい 仕様 しよう がガルーダ・インドネシア航空 こうくう に2機 き [ 5] 、PW4000型 がた エンジン搭載 とうさい 仕様 しよう がワールド・エアウェイズ に2機 き [ 5] 導入 どうにゅう された。
アリタリアのMD-11C
機体 きたい 前方 ぜんぽう を客室 きゃくしつ 、機体 きたい 後方 こうほう を貨物 かもつ 室 しつ として胴体 どうたい 後部 こうぶ の側面 そくめん に幅 はば 4.06メートル・高 たか さ2.59メートルの貨物 かもつ 扉 とびら を設置 せっち した。客室 きゃくしつ と貨物 かもつ 室 しつ の比率 ひりつ は変更 へんこう することが可能 かのう [ 19] 。アリタリア航空 こうくう が5機 き 導入 どうにゅう [ 20] 。
UPS航空 こうくう のMD-11F
胴体 どうたい 前方 ぜんぽう の側面 そくめん に幅 はば 3.56メートル・高 たか さ2.59メートルの貨物 かもつ 扉 とびら を設置 せっち し、床 ゆか を強化 きょうか した純 じゅん 貨物 かもつ 型 がた 仕様 しよう 。床上 ゆかうえ 貨物 かもつ 室 しつ の容積 ようせき は440立方 りっぽう メートル で、カーゴパレット26枚 まい の搭載 とうさい が可能 かのう で、床下 ゆかした 貨物 かもつ 室 しつ の容積 ようせき は158立方 りっぽう メートル。受注 じゅちゅう 機 き 数 すう は53機 き で、2000年 ねん 8月 がつ 24日 にち にルフトハンザ・カーゴ に導入 どうにゅう された機体 きたい が、MD-11最後 さいご の新造 しんぞう 機 き となった[ 10] 。なお、その後 ご も旅客 りょかく 型 がた から貨物 かもつ 型 がた への改修 かいしゅう が行 おこな われている。
MD-11CF(旅客 りょかく ・貨物 かもつ 転換 てんかん 型 がた )
編集 へんしゅう
マーティンエアーのMD-11CF
旅客 りょかく 用 よう と貨物 かもつ 用 よう の転換 てんかん が可能 かのう な「コンバーチブル型 がた 」で、貨物 かもつ 型 がた と同様 どうよう に胴体 どうたい 前方 ぜんぽう の側面 そくめん に幅 はば 3.56メートル・高 たか さ2.59メートルの貨物 かもつ 扉 とびら を設置 せっち しているが、客室 きゃくしつ 窓 まど ・乗降 じょうこう 扉 とびら もそのまま残 のこ されている。床上 ゆかうえ キャビン(旅客 りょかく 仕様 しよう なら客室 きゃくしつ 、貨物 かもつ 仕様 しよう なら貨物 かもつ 室 しつ )の容積 ようせき は410立方 りっぽう メートルと純 じゅん 貨物 かもつ 型 がた よりやや少 すく ない[ 20] 。新造 しんぞう されたのは6機 き で、マーティンエアー とワールド・エアウェイズのみ導入 どうにゅう [ 19] 。旅客 りょかく 型 がた からの改造 かいぞう も行 おこな われている[ 20] 。
MD-11LR(Long Range、長距離 ちょうきょり 仕様 しよう )
編集 へんしゅう
翼 つばさ 端 はし を3.6メートルずつ延長 えんちょう した上 うえ で中央 ちゅうおう 脚 あし を4輪 りん として、8,000マイル(14,820キロメートル)の航続 こうぞく 距離 きょり を得 え る計画 けいかく だった[ 20] 。
胴体 どうたい を主翼 しゅよく の前後 ぜんご で合計 ごうけい 34フィート(10.36メートル)延長 えんちょう する仕様 しよう 。3クラスで最大 さいだい 337席 せき 、エコノミークラスを増 ふ やした2クラスであれば474席 せき を設 もう けることが出来 でき る計画 けいかく だった[ 7] 。
MD-11ストレッチ仕様 しよう の前方 ぜんぽう 床下 ゆかした 貨物 かもつ 室 しつ を客室 きゃくしつ として使用 しよう することで、さらに旅客 りょかく 定員 ていいん の増加 ぞうか を図 はか ったモデル。階下 かいか 席 せき にはビジネスクラスで2列 れつ -2列 れつ の配列 はいれつ で66席 せき 、エコノミークラスを2列 れつ -3列 れつ の配置 はいち とすると99席 せき が設置 せっち できる計画 けいかく であった[ 7] 。
胴体 どうたい を主翼 しゅよく の前後 ぜんご で合計 ごうけい 12フィート(3.6メートル)延長 えんちょう した上 うえ で、後退 こうたい 角 かく をやや小 ちい さめにした上 うえ でアスペクト比 ひ を高 たか める新 しん 設計 せっけい の主翼 しゅよく を組 く み合 あ わせるものであった[ 20] 。
ルフトハンザ・カーゴのMD-11F
総 そう 生産 せいさん 数 すう は200機 き で、2019年 ねん 現在 げんざい は旅客機 りょかくき としての運用 うんよう は皆無 かいむ で貨物 かもつ 機 き として使 つか われているが、貨物 かもつ 機 き においても主 おも にボーイング777F に代替 だいたい され、退役 たいえき が開始 かいし されている。マクドネル・ダグラスがボーイングに吸収 きゅうしゅう された際 さい には「貨物 かもつ 機 き の需要 じゅよう がある」として生産 せいさん の継続 けいぞく が検討 けんとう されていたが、2001年 ねん 2月 がつ に、販売 はんばい 成績 せいせき が思 おも わしくないことと、貨物 かもつ 型 がた の需要 じゅよう も既 すで に就航 しゅうこう している旅客 りょかく 型 がた からの改修 かいしゅう で満 み たせること、ボーイング社 しゃ の777 と競合 きょうごう することなどから200機 き で生産 せいさん が中止 ちゅうし された。生産 せいさん 開始 かいし からわずか10年間 ねんかん しか製造 せいぞう されなかった。
販売 はんばい 成績 せいせき が伸 の び悩 なや んだ理由 りゆう は、いざ飛行 ひこう 試験 しけん が始 はじ まると空気 くうき 抵抗 ていこう が予想 よそう 以上 いじょう に大 おお きく、またエンジンの燃費 ねんぴ も予想 よそう 以上 いじょう に悪 わる かったこと、さらには機体 きたい 重量 じゅうりょう が予定 よてい を大幅 おおはば にオーバーしてしまいユーザーとなる航空 こうくう 会社 かいしゃ を満足 まんぞく させられなかったこと、ETOPS 規制 きせい の大幅 おおはば 緩和 かんわ により飛行 ひこう ルート選択 せんたく における双発 そうはつ 機 き に対 たい するアドバンテージが失 うしな われたこと、生産 せいさん が開始 かいし される前 まえ に、より経済 けいざい 性 せい の高 たか いエアバス 社 しゃ のA330 やA340 、ボーイング 社 しゃ の777などの開発 かいはつ が開始 かいし されたためである。
これらのライバル機材 きざい の開発 かいはつ の開始 かいし により、大量 たいりょう の発注 はっちゅう を行 おこな っていたシンガポール航空 こうくう など複数 ふくすう の航空 こうくう 会社 かいしゃ がMD-11の発注 はっちゅう をキャンセルしたり、日本航空 にほんこうくう の様 よう にオプション発注 はっちゅう のキャンセルを行 おこな った。また就航 しゅうこう してからも、日本航空 にほんこうくう やタイ国際 こくさい 航空 こうくう 、大韓航空 だいかんこうくう やアリタリア航空 こうくう のように、保有 ほゆう しているMD-11を売却 ばいきゃく をしてこれらのライバル機 き を購入 こうにゅう したり、保有 ほゆう はするが旅客機 りょかくき ではなく貨物 かもつ 機 き として運航 うんこう するということが相次 あいつ いだ。
マクドネル・ダグラスは当初 とうしょ の設計 せっけい 目標 もくひょう を達成 たっせい するため、前述 ぜんじゅつ のように生産 せいさん 中 ちゅう に様々 さまざま な改良 かいりょう を行 おこな っているが、航空 こうくう 会社 かいしゃ からの信頼 しんらい を大 おお きく失 うしな ってしまったのも事実 じじつ であり、最後 さいご まで販売 はんばい を上向 うわむ きにすることはできなかった。
現在 げんざい は、旅客機 りょかくき としての役目 やくめ を終 お えた機体 きたい の多 おお くが貨物 かもつ 会社 かいしゃ に売却 ばいきゃく されて貨物 かもつ 機 き に改造 かいぞう され活躍 かつやく している。旅客機 りょかくき としては不人気 ふにんき でも、胴体 どうたい の幅 はば が大 おお きく3発 はつ エンジンのため貨物 かもつ 搭載 とうさい 量 りょう が多 おお いことから貨物 かもつ 機 き としては使 つか いやすいので、需要 じゅよう が旺盛 おうせい である。しかし一方 いっぽう では、このことが旅客機 りょかくき としての活躍 かつやく 期間 きかん を縮 ちぢ めてしまったという声 こえ もある[要 よう 出典 しゅってん ] 。
導入 どうにゅう した航空 こうくう 会社 かいしゃ (一部 いちぶ )
編集 へんしゅう
貨物 かもつ 機 き として使用 しよう されるUPS航空 こうくう のMD-11F
フィンエアーのMD-11(退役 たいえき 済 ずみ )
現在 げんざい 、旅客 りょかく 型 がた は全 ぜん 機運 きうん 航 こう を終了 しゅうりょう しており、貨物 かもつ 型 がた のみが運航 うんこう されている。
貨物 かもつ 型 がた
フェデックス・エクスプレス (自社 じしゃ 導入 どうにゅう 機 き のほかアメリカン航空 こうくう などからの旅客 りょかく 仕様 しよう 機 き を購入 こうにゅう しBCFへ改造 かいぞう により増強 ぞうきょう 。)
UPS航空 こうくう (日本航空 にほんこうくう 、大韓航空 だいかんこうくう 、タイ国際 こくさい 航空 こうくう 、ヴァリグブラジル航空 こうくう などからの旅客 りょかく 中古 ちゅうこ 機 き をBCFへ改造 かいぞう している。)
ウエスタン・グローバル・エアラインズ
この
節 ふし には
複数 ふくすう の問題 もんだい があります。
改善 かいぜん や
ノートページ での
議論 ぎろん にご
協力 きょうりょく ください。
日本航空 にほんこうくう のMD-11(JA8586「コウノトリ」)
唯一 ゆいいつ 「太陽 たいよう のアーク」塗装 とそう となったJA8582(「タンチョウ」)
日本 にっぽん の航空 こうくう 会社 かいしゃ では日本航空 にほんこうくう が唯一 ゆいいつ 、国際線 こくさいせん 専用 せんよう 機材 きざい として基本 きほん 型 がた を10機 き 導入 どうにゅう し、およそ10年間 ねんかん にわたって運航 うんこう した。
導入 どうにゅう された10機 き には、整備 せいび 士 し を中心 ちゅうしん とした社内 しゃない ボランティアグループ「JALメカブラザーズ」の提案 ていあん で従業 じゅうぎょう 員 いん や乗客 じょうきゃく に親 した しみをもたせるべく機体 きたい 別 べつ の愛称 あいしょう 付与 ふよ の復活 ふっかつ が提案 ていあん され、乗員 じょういん 部 ぶ 機長 きちょう らのアイデアで「鳥 とり のように大空 おおぞら を元気 げんき に自由 じゆう に飛 と んでほしい」という思 おも いを込 こ めた「J-bird (ジェイ・バード)」の愛称 あいしょう が与 あた えられ、リアエンジンのインテーク部 ぶ には「J Bird」のロゴが入 い れられた。また愛称 あいしょう 候補 こうほ には機体 きたい 名 めい の「MD」に因 ちな み「マイ・ディアバード」「マイ・ドリームバード」も提案 ていあん されていた[ 21] 。
各々 おのおの の機体 きたい には日本 にっぽん 野鳥 やちょう の会 かい の協力 きょうりょく で選 えら ばれた日本 にっぽん の貴重 きちょう な野鳥 やちょう の名称 めいしょう が付 つ けられ、さらにウイングレット にはボーイング747-400と同様 どうよう の「JAL」ロゴと各 かく 機体 きたい に付 つ けられた野鳥 やちょう のイラストと和名 わみょう ・英名 えいめい 表記 ひょうき が描 えが かれた。また野鳥 やちょう イラストを用 もち いたアパレル商品 しょうひん や音楽 おんがく CDも発売 はつばい され収益 しゅうえき の一部 いちぶ は野鳥 やちょう 保護 ほご 活動 かつどう に寄付 きふ された[ 21] 。
日本航空 にほんこうくう では、短 たん ・中距離 ちゅうきょり 仕様 しよう と長距離 ちょうきょり 仕様 しよう の2タイプが各々 おのおの 5機 き ずつ導入 どうにゅう された。前者 ぜんしゃ は中 なか ・短距離 たんきょり のアジアやホノルル線 せん で使用 しよう されているDC-10-40の後継 こうけい 機 き として、後者 こうしゃ には747-400だと供給 きょうきゅう 過多 かた になる長距離 ちょうきょり 欧米 おうべい 路線 ろせん に投入 とうにゅう するための新型 しんがた 中型 ちゅうがた 機材 きざい としての役割 やくわり が与 あた えられた。選定 せんてい されたエンジンは、同社 どうしゃ の747-400や767-300ERなどと同 おな じGE社 しゃ 製 せい のCF6-80C2ではなく、DC-10-40と同 おな じP&W社 しゃ 製 せい のJT9D系 けい を進化 しんか させたPW4000系 けい (PW4460)を選定 せんてい した。
1993年 ねん 11月29日 にち にカリフォルニア州 しゅう ロングビーチ のマクドネル・ダグラス社 しゃ で1号機 ごうき が引 ひ き渡 わた され、翌 よく 1994年 ねん 4月 がつ 1日 にち の羽田 はた 発 はつ 鹿児島 かごしま 行 い きで運航 うんこう 開始 かいし 。国内線 こくないせん でしばらく運航 うんこう されたのち、導入 どうにゅう された全 ぜん 機 き が国際線 こくさいせん で運航 うんこう された。短 たん ・中距離 ちゅうきょり 路線 ろせん では747クラシックやDC-10-40、767-300などと、長距離 ちょうきょり 路線 ろせん では747-400と共 とも に活躍 かつやく した。以降 いこう は1997年 ねん まで10機 き が導入 どうにゅう されたが、オプション分 ぶん 10機 き の購入 こうにゅう はキャンセルされている。
しかし、1994年 ねん にデビューしたボーイング777や、その前 まえ から飛行 ひこう していたボーイング767やエアバスA330などの双発 そうはつ 中型 ちゅうがた 機 き が、次々 つぎつぎ とETOPS180/270などの規制 きせい 緩和 かんわ の恩恵 おんけい を受 う けるようになると情勢 じょうせい が一変 いっぺん し、経済 けいざい 性 せい で劣 おと る3発 はつ 機 き でそれらに対抗 たいこう するのは不利 ふり な状況 じょうきょう となっていた。
さらにボーイングとマクドネル・ダグラスが1997年 ねん に合併 がっぺい し、ボーイング777の売 う り込 こ みに併 あわ せてMD-11の有利 ゆうり な下取 したど り条件 じょうけん が提示 ていじ されたことから、2000年 ねん 頃 ころ それらの状況 じょうきょう をうけて日本航空 にほんこうくう はMD-11の退役 たいえき を決定 けってい し、その後継 こうけい として双発 そうはつ 機 き のボーイング767-300ERの追加 ついか 導入 どうにゅう と777-200ERの新規 しんき 導入 どうにゅう を決定 けってい した。
そして2002年 ねん から777-200ERの導入 どうにゅう がはじまると、MD-11はそれらの導入 どうにゅう が進 すす むにつれて急速 きゅうそく に中距離 ちゅうきょり 路線 ろせん 仕様 しよう から退役 たいえき がはじまり、2004年 ねん 10月12日 にち の香港 ほんこん 発 はつ 成田 なりた 行 い き730便 びん (担当 たんとう 機材 きざい はJA8582)をもって全 ぜん 機 き が退役 たいえき 、10年 ねん 6カ月 かげつ の営業 えいぎょう 運航 うんこう を終了 しゅうりょう した。これは先輩 せんぱい 格 かく に当 あ たるDC-10(1976年 ねん 運航 うんこう 開始 かいし ・2005年 ねん 全 ぜん 機 き 退役 たいえき )よりも非常 ひじょう に早 はや く、さらに10年 ねん 程度 ていど の運航 うんこう 期間 きかん はコンベア880 以来 いらい となる「短命 たんめい 機 き 」にもなった。
その後 ご 、日本航空 にほんこうくう より引退 いんたい した全 ぜん 機 き がアメリカの貨物 かもつ 専門 せんもん 航空 こうくう 会社 かいしゃ 「ユナイテッド・パーセル・サービス (UPS)」へ移籍 いせき した。移籍 いせき 後 ご は貨物 かもつ 専用 せんよう 機 き に改造 かいぞう されUPSの主力 しゅりょく 機材 きざい として活躍 かつやく しており、日本 にっぽん 発着 はっちゃく 路線 ろせん にも投入 とうにゅう されている。ただ、2016年 ねん にそのうちの1機 き であるN277UP(元 もと JA8587「ノグチゲラ」)が仁川 にがわ 国際 こくさい 空港 くうこう で後述 こうじゅつ する離陸 りりく 失敗 しっぱい 事故 じこ を起 お こして全 ぜん 損 そん となり、現在 げんざい は9機 き が運航 うんこう されている。
なお、2004年 ねん 10月 がつ のラストフライトを担当 たんとう したJA8582のみ当時 とうじ の日本航空 にほんこうくう のCIカラー(サンアーク塗装 とそう )に塗 ぬ り替 か えられたが、それ以外 いがい は全 すべ て旧 きゅう 鶴丸 つるまる 塗装 とそう での退役 たいえき となった。
運航 うんこう 機 き
機体 きたい 記号 きごう
製造 せいぞう 番号 ばんごう
愛称 あいしょう
登録 とうろく 年月日 ねんがっぴ
退役 たいえき 年月日 ねんがっぴ
1号機 ごうき
JA8580
48571/552
エトピリカ
1993/11
2002/9 退役 たいえき (現 げん N272UP)
2号機 ごうき
JA8581
48572/556
ヤイロチョウ
1993/12
2002/7 退役 たいえき (現 げん N271UP)
3号機 ごうき
JA8582
48573/559
タンチョウ
1994/3
2004/10/12 退役 たいえき (現 げん N279UP)
4号機 ごうき
JA8583
48574/566
イヌワシ
1993/8/11
2003/5 退役 たいえき (現 げん N273UP)
5号機 ごうき
JA8584
48575/568
ヤンバルクイナ
1994/9/13
2003/6 退役 たいえき (現 げん N274UP)
6号機 ごうき
JA8585
48576/574
クマタカ
1995/4/4
2002/11 退役 たいえき (現 げん N270UP)
7号機 ごうき
JA8586
48577/583
コウノトリ
1994/4/11
2004/8/4 退役 たいえき (現 げん N278UP)
8号機 ごうき
JA8587
48578/588
ノグチゲラ
1995/6/28
2004/5 退役 たいえき (現 げん N277UP、2016年 ねん に事故 じこ のため全 ぜん 損 そん )
9号機 ごうき
JA8588
48579/599
オジロワシ
1996/4/3
2003/10 退役 たいえき (現 げん N276UP)
10号機 ごうき
JA8589
48774/610
ライチョウ
1997/3/
2003/7 退役 たいえき (現 げん N275UP)
旅客機 りょかくき では、1990年代 ねんだい にはアメリカン航空 こうくう やデルタ航空 こうくう 、アリタリア航空 こうくう やヴァリグブラジル航空 こうくう など多数 たすう の航空 こうくう 会社 かいしゃ が定期 ていき 乗 の り入 い れ機材 きざい として運航 うんこう したものの、各 かく 航空 こうくう 会社 かいしゃ からの退役 たいえき が進 すす んだため2000年代 ねんだい 末 まつ には日本 にっぽん 国内 こくない 空港 くうこう から旅客 りょかく 型 がた の乗 の り入 い れがほぼ消滅 しょうめつ した。唯一 ゆいいつ フィンランド航空 こうくう のみが2010年 ねん 以降 いこう も中部 ちゅうぶ - ヘルシンキ線 せん の機材 きざい で使用 しよう していたが、これも間 あいだ もなくして同社 どうしゃ からの旅客 りょかく 型 がた MD-11の退役 たいえき に伴 ともな い機材 きざい が変更 へんこう され乗 の り入 い れが消滅 しょうめつ した。現在 げんざい 貨物 かもつ 機 き ではユナイテッド・パーセル・サービスやフェデラルエクスプレス 、ルフトハンザカーゴなど多数 たすう の航空 こうくう 会社 かいしゃ が日本 にっぽん へ乗 の り入 い れている。
MD-11は第 だい 四 よん 世代 せだい ジェット旅客機 りょかくき (アドテク機 き )の中 なか で最 もっと も事故 じこ 発生 はっせい 率 りつ が高 たか かった。実際 じっさい 、同 どう 世代 せだい のエアバスA330 、エアバスA340 やボーイング777 、イリューシン96 に比 くら べると墜落 ついらく や全 ぜん 損 そん 事故 じこ の確 かく 率 りつ が多 おお く、しかもそのうち操縦 そうじゅう ミスが原因 げんいん の事故 じこ が4件 けん をしめている。また巡航 じゅんこう 中 ちゅう に乱 みだれ 高下 こうげ する重大 じゅうだい インシデントも発生 はっせい していることから操縦 そうじゅう 系統 けいとう が敏感 びんかん すぎることが原因 げんいん であったといわれている。操縦 そうじゅう 特性 とくせい の項目 こうもく でも触 ふ れているように、同等 どうとう 機 き に比 くら べてMD-11は「操縦 そうじゅう が難 むずか しい」機体 きたい という意見 いけん もある[ 17] 。
フェデックス・エクスプレスのMD-11F
2016年 ねん 現在 げんざい 、MD-11の全 ぜん 損 そん 事故 じこ は10件 けん 発生 はっせい している。そのうちフェデックス・エクスプレスの事故 じこ だけでも3件 けん を占 し めており、いずれも着陸 ちゃくりく 時 じ の事故 じこ である。また、機内 きない 火災 かさい 1件 けん 以外 いがい の9件 けん はいずれも離着陸 りちゃくりく 時 じ に発生 はっせい しており、うち3件 けん は横転 おうてん している。
1997年 ねん 7月 がつ 31日 にち :ニューアーク国際 こくさい 空港 くうこう に着陸 ちゃくりく しようとしたフェデックス・エクスプレス 14便 びん (N611FE)が不安定 ふあんてい になり、着地 ちゃくち の後 のち 、横転 おうてん して炎上 えんじょう 、機体 きたい は全 ぜん 損 そん したが搭乗 とうじょう していた5名 めい は救助 きゅうじょ された。
1998年 ねん 9月 がつ 2日 にち :大西 おおにし 洋 ひろし を飛行 ひこう していたスイス航空 こうくう 111便 びん (HB-IWF)が、機内 きない 天井 てんじょう における機内 きない エンターテインメント設備 せつび の不適切 ふてきせつ な電気 でんき 配線 はいせん のために出火 しゅっか 、緊急 きんきゅう 着陸 ちゃくりく の途中 とちゅう に操縦 そうじゅう 不能 ふのう となりニューファンドランド島 とう 沖 おき に墜落 ついらく し乗員 じょういん 乗客 じょうきゃく 229名 めい 全員 ぜんいん が死亡 しぼう した。
1999年 ねん 8月 がつ 22日 にち :台風 たいふう の暴風雨 ぼうふうう のなか香港 ほんこん 国際 こくさい 空港 くうこう へ着陸 ちゃくりく しようとしたチャイナエアライン (中華航空 ちゅうかこうくう )642便 びん (B-150)が、不適切 ふてきせつ な操縦 そうじゅう のため強風 きょうふう に煽 あふ られ着陸 ちゃくりく 時 じ に横転 おうてん して地上 ちじょう に激突 げきとつ し爆発 ばくはつ 炎上 えんじょう した。火 ひ はすぐに消 け し止 と められたが、乗客 じょうきゃく 3名 めい が死亡 しぼう した。
2009年 ねん 3月 がつ 23日 にち :中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の広州 こうしゅう 白雲 しらくも 国際 こくさい 空港 くうこう 発 はつ 、成田 なりた 国際 こくさい 空港 くうこう 行 い きフェデックス80便 びん (N526FE)が、成田 なりた 国際 こくさい 空港 くうこう A滑走 かっそう 路 ろ に着陸 ちゃくりく しようとした際 さい 、滑走 かっそう 路上 ろじょう で2度 ど のバウンド後 ご 、左 ひだり に横転 おうてん して転覆 てんぷく 、大破 たいは ・炎上 えんじょう し滑走 かっそう 路 ろ 脇 わき へ停止 ていし し乗員 じょういん 2名 めい 全員 ぜんいん が死亡 しぼう した。同 どう 空港 くうこう 内 ない における開港 かいこう 以来 いらい 初 はつ の全 ぜん 損 そん 及 およ び死亡 しぼう 事故 じこ となった。
2009年 ねん 11月28日 にち :上海 しゃんはい 浦東 ほとう 国際 こくさい 空港 くうこう からキルギス 行 い きジンバブエ のアヴィエント・アヴィエーションの貨物 かもつ 便 びん が離陸 りりく に失敗 しっぱい し爆発 ばくはつ 炎上 えんじょう 、乗員 じょういん 7名 めい 中 ちゅう 3人 にん が死亡 しぼう し1人 にん が重傷 じゅうしょう 、3人 にん が軽傷 けいしょう を負 お った。同 どう 空港 くうこう 内 ない における開港 かいこう 以来 いらい 初 はつ の全 ぜん 損 そん 及 およ び死亡 しぼう 事故 じこ となった。
ほかにも墜落 ついらく には至 いた らなかったが、巡航 じゅんこう 中 ちゅう に不安定 ふあんてい となって死傷 ししょう 者 しゃ を出 だ した事故 じこ も発生 はっせい している。
1993年 ねん 4月 がつ 6日 にち 、上海 しゃんはい からロサンゼルスに向 む かっていた中国 ちゅうごく 東方 とうほう 航空 こうくう 583便 びん (B-2171)が、太平洋 たいへいよう 上空 じょうくう を飛行 ひこう 中 ちゅう 、乗組 のりくみ 員 いん が前 ぜん 縁 えん フラップのレバーに誤 あやま って触 ぶ れ、フラップが前方 ぜんぽう に稼動 かどう したため機体 きたい は上下 じょうげ に揺 ゆ れ、下降 かこう と上昇 じょうしょう を何 なん 度 ど か繰 く り返 かえ した後 のち 、5000フィートまで高度 こうど を落 お とした。この乱 らん 高下 こうげ 事故 じこ で2名 めい の乗客 じょうきゃく が死亡 しぼう 、149名 めい の乗客 じょうきゃく と7名 めい の乗組 のりくみ 員 いん がケガをした。そのうち乗客 じょうきゃく 1名 めい が両脚 りょうきゃく 不随 ふずい に、客室 きゃくしつ 乗務 じょうむ 員 いん 1名 めい が頭 あたま に重傷 じゅうしょう を負 お った。事故 じこ による機体 きたい 外部 がいぶ の損傷 そんしょう はなかったが、客室 きゃくしつ 内 ない は大 おお きな損傷 そんしょう を受 う けた。なお、この事件 じけん を題材 だいざい にアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の小説 しょうせつ 家 か マイケル・クライトン は、『エアフレーム -機体 きたい -』(日本語 にほんご 版 ばん :早川書房 はやかわしょぼう )を発表 はっぴょう [ 注釈 ちゅうしゃく 2] している。
1997年 ねん 6月 がつ 8日 にち 、香港 ほんこん から名古屋 なごや に向 む かっていた日本航空 にほんこうくう 706便 びん (JA8580)が、着陸 ちゃくりく 降下 こうか 中 ちゅう であった志摩半島 しまはんとう 上空 じょうくう で突如 とつじょ 乱 らん 高 だか 下 くだ し、複数 ふくすう の乗員 じょういん 乗客 じょうきゃく が負傷 ふしょう した。負傷 ふしょう 者 しゃ のうちの乗員 じょういん 1名 めい が1年 ねん 8ヵ月 かげつ 後 ご に事故 じこ による昏睡 こんすい 状態 じょうたい から回復 かいふく することなく死亡 しぼう した。運輸省 うんゆしょう 航空 こうくう 事故 じこ 調査 ちょうさ 委員 いいん 会 かい (当時 とうじ )は「機長 きちょう の不適切 ふてきせつ な操縦 そうじゅう が事故 じこ を招 まね いた」としたが、後 ご の刑事 けいじ 裁判 さいばん では「事故 じこ 機 き 特有 とくゆう の操縦 そうじゅう システムの不具合 ふぐあい が原因 げんいん である」として機長 きちょう は無罪 むざい になった。そのため現在 げんざい でも事故 じこ 原因 げんいん をめぐり争 あらそ いがある(日本航空 にほんこうくう MD11機 き 乱 らん 高下 こうげ 事故 じこ )。
MD-11
MD-11F
MD-11C
MD-11ER
乗客 じょうきゃく 数 すう (1クラス)
410
-
-
-
乗客 じょうきゃく 数 すう (2クラス)
323
-
204
-
最大 さいだい 離陸 りりく 重量 じゅうりょう
602,555 lb (273,314 kg)
630,500 lb (285,990 kg)
620,350 lb (283,700 kg)
630,500 lb (285,990 kg)
航続 こうぞく 距離 きょり
12,633 km
7,242 km
12,392 km
13,408 km
就航 しゅうこう マッハ数 すう
0.87 (約 やく 1050km/h)
全長 ぜんちょう
61.21 m (200 ft 10 in)
翼 つばさ 幅 はば
51.66 m (169 ft 6 in)
全 ぜん 高 こう
17.60 m (57 ft 9 in)
エンジン
P&W PW4460 ターボファンエンジン 267 kN (60,000 lbf) × 3、またはP&W PW4462 ターボファンエンジン 276 kN (62,000 lbf) × 3、またはGE CF6 -80C2D1F ターボファンエンジン 274 kN (61,500 lbf) × 3
^ ビジネスジェット 機 き では、フランス製 せい のダッソー ファルコン 900 およびダッソー ファルコン 7X が現在 げんざい でも生産 せいさん されている
^ フィクションであるため、サスペンス仕立 した てになっているうえに、機種 きしゅ 名 めい もノートンN22となっているが、死者 ししゃ 2名 めい と壊滅 かいめつ 的 てき な客室 きゃくしつ 破損 はそん を被 こうむ っているなど、実際 じっさい の事故 じこ と被害 ひがい 状況 じょうきょう は酷似 こくじ している。
^ a b c 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p65
^ a b c d e f g h i j イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p69
^ a b c イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p70
^ a b 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p66
^ a b c d e f イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p72
^ a b c d e f g h イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p73
^ a b c d e f g h i 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p67
^ ただし巡航 じゅんこう 速度 そくど がA340はマッハ0.82でMD-11はB747-400とほぼ同 どう 速 そく のマッハ0.85を出 だ せたためこの点 てん ではA340に対 たい する数少 かずすく ない有利 ゆうり な点 てん と言 い える。
^ a b 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p69
^ a b c d e 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p70
^ a b イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p71
^ a b c d e 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p52
^ 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p63
^ 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p44
^ a b c d e 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p45
^ a b 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p68
^ a b 「着陸 ちゃくりく 失敗 しっぱい のMD11型 がた 機 き 、海外 かいがい でも横転 おうてん 事故 じこ …難 むずか しい操縦 そうじゅう 性 せい 」『読売新聞 よみうりしんぶん 』2009年 ねん 3月 がつ 24日 にち 。オリジナル の2009年 ねん 3月 がつ 26日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。2023年 ねん 3月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c 『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう p53
^ a b c d e イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p74
^ a b c d e イカロス出版 しゅっぱん 『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』p75
^ a b 特別 とくべつ 企画 きかく JALスペシャル・マーキング・シップス - 世界 せかい のエアライン4(ワールドフォトプレス 1994年 ねん )
^ “ASN Aircraft accident McDonnell Douglas MD-11F N277UP ”. aviation-safety.net . 2021年 ねん 8月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
『旅客機 りょかくき 型式 けいしき シリーズ1 トライ・ワイドボディ・ジェット DC-10/MD-11 & L-1011』(イカロス出版 いかろすしゅっぱん ・2000年 ねん )ISBN 4-87149-275-3
『月刊 げっかん エアライン』2001年 ねん 2月 がつ 号 ごう (イカロス出版 いかろすしゅっぱん )