(Translated by https://www.hiragana.jp/)
「オランダ西インド会社」の版間の差分 - Wikipedia コンテンツにスキップ

「オランダ西にしインド会社かいしゃ」のはんあいだ差分さぶん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除さくじょされた内容ないよう 追加ついかされた内容ないよう
RedBot (会話かいわ | 投稿とうこう記録きろく)
m r2.7.2) (ロボットによる 変更へんこう: eo:Nederlanda Okcident-hinda Kompanio
編集へんしゅう要約ようやくなし
タグ: Refタグつき記述きじゅつ除去じょきょ
(17にん利用りようしゃによる、あいだの21はん表示ひょうじ)
1ぎょう: 1ぎょう:
{{Infobox company
[[画像がぞう:West-Indisch Huis.jpg|right|thumb|250px|アムステルダムのオランダ西にしインド会社かいしゃかん]]
| name = オランダ西にしインド会社かいしゃ
'''オランダ西にしインド会社かいしゃ'''([[オランダ|らん]]:West-Indische Compagnie)は、[[1621ねん]]に[[オランダ]]([[ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく]])で設立せつりつされた貿易ぼうえき会社かいしゃ当時とうじオランダは[[スペイン]]とのあいだで[[はちじゅうねん戦争せんそう]]を継続けいぞくちゅうであったが、[[中南米ちゅうなんべい]]からなが大量たいりょうぎんがスペインのとみ源泉げんせんとなっていたことから、この資金しきんげんたたくことが設立せつりつねらいだった。
| location_city = [[アムステルダム]]、[[ホールン]]、[[ロッテルダム]]、[[フローニンゲン]]、[[ミデルブルフ]]
| divisions =
| services =
| industry =
| key_people = 19にんかい([[:en:Heeren XIX|Heeren XIX]])
| locations =
| location = オランダ([[ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく]])
| location_country =
| defunct = {{End date|1792|01|01}}
| native_name = Geoctrooieerde Westindische Compagnie
| founder = [[:en:Willem Usselincx|Willem Usselincx]]ほか
| foundation = {{Start date|1621|06|03}}
| successor =
| fate =
| type = [[勅許ちょっきょ会社かいしゃ]]
| logo_caption = しゃはた
| logo = Flag of the Dutch West India Company.svg
| footnotes =
}}
'''オランダ西にしインド会社かいしゃ'''(オランダにしインドがいしゃ、{{Lang-nl|Geoctrooieerde Westindische Compagnie}}, {{IPA-nl|ɣəʔɔktroːˈjeːrdə ʋɛstˈɪndisə kɔmpɑˈɲi}}; {{Lang-en|Chartered West India Company}})は、17世紀せいき[[オランダ]]の[[勅許ちょっきょ会社かいしゃ]](略称りゃくしょうGWCまたはWIC)。


1621ねんにオランダ政府せいふから特許とっきょじょうけて設立せつりつされた。その設立せつりつは17世紀せいきのかなりはや時期じき提案ていあんされていたが、1609ねんにスペインと{{かりリンク|12ねん停戦ていせん協定きょうてい|en|Twelve Years' Truce}}が締結ていけつされたためにおくれた<ref>{{Cite book|url=https://archive.org/details/dutchseaborneemp00crbo/page/27|title=The Dutch seaborne empire, 1600-1800|last=Boxer|first=C. R. (Charles Ralph)|date=1973|publisher=Penguin|isbn=0140216006|location=Harmondsworth|pages=[https://archive.org/details/dutchseaborneemp00crbo/page/27 27]|oclc=16253529}}</ref>。オランダじん商人しょうにんだけでなく、外国がいこくじんからもおおくの投資とうしがあった。
==略歴りゃくれき==
1621ねん6がつ連邦れんぽう議会ぎかい特許とっきょじょう交付こうふしたが、この特許とっきょじょう会社かいしゃは[[アフリカ]]西海岸にしかいがん、[[アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく|アメリカ]]などとの24年間ねんかんにわたる貿易ぼうえき独占どくせんけんみとめられた。[[オランダひがしインド会社かいしゃ]]と同様どうよう支社ししゃせいがとられ、[[アムステルダム]]、[[ホールン]]、[[ロッテルダム]]、[[ミデルブルフ]]、[[フローニンゲン]]に支社ししゃかれた。資本しほんきんやく710まん[[フルデン]]で、これはひがしインド会社かいしゃ上回うわまわるものだった。設立せつりつ目的もくてきから、会社かいしゃ貿易ぼうえき植民しょくみん活動かつどうよりむしろ、スペインおよび当時とうじスペインとの同君どうくん連合れんごうにあった[[ポルトガル王国おうこく|ポルトガル]]の艦隊かんたい標的ひょうてきとした[[わたしかすめせん]]活動かつどうちかられていた。しかし成果せいか期待きたいしたようにはがらず、経営けいえい赤字あかじ状態じょうたいであった。


創設そうせつしゃなかには、ウィレム・ウセリンクス([[:en:Willem Usselincx|Willem Usselincx]]、1567ねん–1647ねん)とジェッセ・デ・フォレスト([[:en:Jessé de Forest|Jessé de Forest]]、1576ねん–1624ねん)がいた<ref>Franklin J. Jameson (1887). Willem Usselinx, Founder of the Dutch and Swedish West India Companies. Ryan Gregory University, New York.</ref>。
植民しょくみん活動かつどうとしては、[[オランダりょうブラジル]]の経営けいえいげられる。[[1630ねん]]はじめ、会社かいしゃは[[ブラジル]]の[[ペルナンブーコしゅう]]を占領せんりょうし、さらに支配しはい地域ちいきを4しゅうへと拡大かくだいした。この占領せんりょうがオランダりょうブラジルとなり、ニーウ・ホラント(''Nieuw Holland''、しんホラント)と名付なづけられて本格ほんかくてき植民しょくみん事業じぎょう開始かいしされた。[[1636ねん]]には[[オラニエ=ナッサウ]]傍系ぼうけい([[ヨハン6せい (ナッサウ=ディレンブルクはく)|ナッサウ=ディレンブルクはくヨハン6せい]]のまご)の[[ヨハン・マウリッツ (ナッサウ=ジーゲンこう)|ナッサウ=ジーゲンはくヨハン・マウリッツ]]が[[総督そうとく]]としておくまれた。しかしポルトガルじん抵抗ていこうおおきく、占領せんりょう維持いじ会社かいしゃ経営けいえいおおいに圧迫あっぱくした。会社かいしゃは[[サトウキビ]]農園のうえん経営けいえい目指めざしたが、労働ろうどう力不足ちからぶそくのため、[[アフリカ]]から黒人こくじん奴隷どれい輸入ゆにゅうすることになった。そのためにアフリカのポルトガル植民しょくみん奪取だっしゅし、だい規模きぼな[[奴隷どれい貿易ぼうえき]]を展開てんかいした。


1621ねん6がつ3にち、「西にしインド」における貿易ぼうえき独占どくせんしるした「[[wikisource:Charter of the Dutch West India Company|オランダ西にしインド会社かいしゃ特許とっきょじょう]]」が[[ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく]]から付与ふよされ、[[大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえき]]、[[ブラジル]]、[[カリブ海かりぶかい地域ちいき|カリブ海かりぶかい]]、および[[きたアメリカ]]へのオランダ商人しょうにん参入さんにゅう管轄かんかつした。会社かいしゃ事業じぎょう展開てんかいできる地域ちいきは、[[西にしアフリカ]]([[北回帰線きたかいきせん]]以南いなん、[[もちほう]]までのあいだ)と、[[太平洋たいへいよう]]と[[ニューギニアとう|ニューギニア]]東部とうぶをもふくむ[[アメリカしゅう|南北なんぼくアメリカ大陸あめりかたいりく]]だった。特許とっきょじょう目的もくてき競争きょうそう排除はいじょによる独占どくせんとくに[[スペイン帝国ていこく|スペイン]]と[[ポルトガル海上かいじょう帝国ていこく|ポルトガル]]を排除はいじょすることだった。会社かいしゃは、17世紀せいき、[[ニューネーデルラント]]をふくむ[[オランダによるアメリカ大陸あめりかたいりく植民しょくみん|アメリカ大陸あめりかたいりく各地かくち一時いちじてきなオランダの植民しょくみん]]に貢献こうけんした。1624ねんから1654ねんまでおこなわれた[[オランダ・ポルトガル戦争せんそう]]で、GWCはブラジル北東ほくとうのポルトガルりょう占領せんりょうしていたが、はげしい抵抗ていこうけて撃退げきたいされた<ref>[[:en:Charles R. Boxer]], 'The Dutch in Brazil, 1624-1654'. Oxford: Clarendon Press 1957.</ref>。
[[1640ねん]]にポルトガルがスペインとの[[同君どうくん連合れんごう]]を解消かいしょうして独立どくりつ回復かいふくしたことは、会社かいしゃにとって転機てんきとなった。ポルトガルがオランダとのあいだ休戦きゅうせん条約じょうやくむすび、会社かいしゃはポルトガルせんやポルトガル植民しょくみんたいする攻撃こうげき侵略しんりゃくおこなうことができなくなったからである。[[1645ねん]]にはオランダりょうブラジルでだい規模きぼ反乱はんらんこり、オランダじんは[[1654ねん]]にブラジルから追放ついほうされた(以後いご中南米ちゅうなんべいのオランダの植民しょくみんはオランダりょうギアナ(げん[[スリナム]])、[[オランダりょうアンティル]]のみとなった)。[[1648ねん]]には[[ヴェストファーレン条約じょうやく]]でスペインとも講和こうわ成立せいりつしたため、スペインせん攻撃こうげきもできなくなり、存続そんぞく意義いぎうしなった会社かいしゃは、[[1674ねん]]に2度目どめ特許とっきょ期限きげんれるとともに解散かいさんした。


なんかの変転へんてんのち、GWCはさい編成へんせいされ、[[大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえき]]をおも理由りゆうに、1675ねんあたらしい特許とっきょじょう付与ふよされた。この「あたらしい」会社かいしゃは、[[だいよんえいらん戦争せんそう|だい4えいらん戦争せんそう]]がわるまで、1世紀せいき以上いじょうつづいた。そのあいだ会社かいしゃのほとんどの資産しさんうしなわれた。
ただし、同年どうねん9がつ奴隷どれい貿易ぼうえき会社かいしゃとしてのあらたな西にしインド会社かいしゃ設立せつりつされている。この会社かいしゃは[[1791ねん]]まで存続そんぞくした。

== 起源きげん ==
[[ファイル:West-Indisch_Huis.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|アムステルダムの西にしインドかん([[:en:West-Indisch Huis (Amsterdam)|West-Indisch Huis]])。1623ねんから1647ねんまでオランダ西にしインド会社かいしゃ本社ほんしゃとして使用しようされた]]
[[オランダひがしインド会社かいしゃ]](VOC)が1602ねん設立せつりつされたとき、アムステルダムの一部いちぶ貿易ぼうえき業者ぎょうしゃはその独占どくせんてき方針ほうしん同意どういしなかった。[[天文学てんもんがくしゃ]]、[[地図ちずがく|地図ちず製作せいさくしゃ]]、[[聖職せいしょくしゃ|牧師ぼくし]]である[[フラマンじん|フランドルじん]]の[[ペトルス・プランシウス]]のたすけをりて、かれらはVOCの独占どくせん回避かいひするためにアジアへの[[北東ほくとう航路こうろ]]または[[北西ほくせい航路こうろ]]をもとめた。 1609ねん、VOCにやとわれていたイングランドじん探検たんけん[[ヘンリー・ハドソン]]は、[[ニューイングランド]]の海岸かいがん上陸じょうりくし、アジアへの[[北西ほくせい航路こうろ]]をもとめて現在げんざいのハドソンがわ遡上そじょうした。しかし、かれ航路こうろつけることができなかった。その結果けっか、1615ねんにアイザック・ルメール([[:en:Isaac Le Maire|Isaac Le Maire]])とサミュエル・ブロマート([[:en:Samuel Blommaert|Samuel Blommaert]])は、VOCの独占どくせん回避かいひするためにみなみアメリカの[[ティエラ・デル・フエゴ]]群島ぐんとうける南西なんせい航路こうろつけることにねらいをさだめた。

オランダ商人しょうにん最初さいしょにアフリカとの貿易ぼうえき注目ちゅうもくしたのはバルタザール・デ・ムヘロン([[:en:Balthazar de Moucheron|Balthazar de Moucheron]])で、かれは[[セネガンビア]]地域ちいき最初さいしょのオランダの拠点きょてんきずいた<ref>{{Cite book|title=Henry Hudson and the Rise and Fall of New Amsterdam|publisher=iUniverse|author=Dirk J. Barreveld|language=en|isbn=9780595198900|page=21|year=2001|url=https://books.google.co.jp/books?id=e4b6qndkk08C&lpg=PP1&hl=ja&pg=PA21#v=onepage&q=Senegal&f=false|accessdate=2020-11-06}}</ref>。[[アフリカ]]との貿易ぼうえきは、交易こうえきしょ商館しょうかん設立せつりつする可能かのうせい提供ていきょうした。1612ねん、[[オランダりょう黄金おうごん海岸かいがん]]の{{かりリンク|モリー (ガーナ)|en|Moree, Ghana|label=モリー}}にオランダの要塞ようさい建設けんせつされた。

[[カリブ海かりぶかい地域ちいき|カリブ海かりぶかい]]とのしお砂糖さとう、タバコの貿易ぼうえきはスペインによってさまたげられ、和平わへい交渉こうしょうのためにおくれた。スペインは、オランダ共和きょうわこくがアジアやアメリカとの貿易ぼうえきから撤退てったいすることを条件じょうけん和平わへいもうた。スペインは、西にしインド会社かいしゃ設立せつりつされる場合ばあいは、平和へいわ条約じょうやくへの署名しょめい拒否きょひするとした。このとき、スペインとオランダ共和きょうわこくあいだで[[はちじゅうねん戦争せんそう|オランダ独立どくりつ戦争せんそう(1568ねん–1648ねん)]]がきていた。{{かりリンク|法律ほうりつ顧問こもん|en|Grand pensionary|label=ホラントしゅう法律ほうりつ顧問こもん}}の{{かりリンク|ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト|en|Johan van Oldenbarnevelt}}は、 {{かりリンク|12ねん停戦ていせん協定きょうてい|en|Twelve Years' Truce|label=12年間ねんかん停戦ていせん}}とえに西にしインドとの貿易ぼうえきのみを停止ていしすることをもうた。その結果けっかなん年間ねんかんかは、オランダせんみなみアメリカ海域かいいきでは外国がいこくはたかかげて航海こうかいした。しかし、10ねん、[[オランダ総督そうとく]]の[[マウリッツ (オラニエこう)|マウリッツ]]はスペインとの戦争せんそう提案ていあんしたが、スペインから共和きょうわこくへの注目ちゅうもくをそらすことも提案ていあんした。 1619ねんかれ政敵せいてきのヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトは処刑しょけいされ、2ねん休戦きゅうせんわると、西にしインド会社かいしゃ設立せつりつされた。

== 西にしインド会社かいしゃ ==
[[ファイル:Willem_Usselinx_(1567-na_1647)._Koopman_en_stichter_van_de_West_Indische_Compagnie_Rijksmuseum_SK-A-1675.jpeg|みぎ|サムネイル|オランダ西にしインド会社かいしゃ創設そうせつしゃ、ウィレム・ウスセリンクス]]
[[ファイル:Delaware_Bay_Vinckeboons_14.jpg|みぎ|サムネイル|220x220ピクセル|デラウェアのズワネンデール入植にゅうしょくげんデラウェアしゅう[[ルイス (デラウェアしゅう)|ルイス]])]]
''オランダ西にしインド会社かいしゃ''は、オランダひがしインド会社かいしゃ(VOC)と同様どうよう組織そしきされた。 VOCと同様どうように、GWCは[[アムステルダム]]、[[ロッテルダム]]、[[ホールン]]、[[ミデルブルフ]]、[[フローニンゲン]]におかれた支社ししゃ(カーメル)とばれる5つの事業じぎょうしょからなり、そのうちアムステルダムとミデルブルフの支社ししゃ会社かいしゃもっと貢献こうけんした。取締役とりしまりやくかいは、19にんかい(Heeren XIX)としてられ19にんのメンバーで構成こうせいされていた<ref name="WDL2">{{Cite web|url=http://www.wdl.org/en/item/4068/|title=Freedoms, as Given by the Council of the Nineteen of the Chartered West India Company to All those who Want to Establish a Colony in New Netherland|website=[[:en:World Digital Library]]|year=1630|accessdate=2013-07-28}}</ref>。GWCの統治とうち機構きこうは、ネーデルラント連邦れんぽうのそれにていた。連邦れんぽう政府せいふでは、決定けっていには地域ちいき代表だいひょうによる広範こうはん議論ぎろん必要ひつようだった。19にん内訳うちわけはアムステルダムから8にん、ゼーラントから4にん、ノーザンクォーター(ホールンと[[エンクホイゼン]])とマース(ロッテルダムと[[ドルトレヒト]])とフローニンゲンからそれぞれ2にん、そして政府せいふからの1人ひとりだった。かく地域ちいき独自どくじ支社ししゃにはそれぞれ取締役とりしまりやくかいがあった<ref>Michiel van Groesen, ''Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil''. Philadelphia: University of Pennsylvania Press 2017, pp. 37–38.</ref>。特許とっきょじょう有効ゆうこう期間きかんは24ねん設定せっていされた。

1623ねん資金しきん調達ちょうたつのみがおこなわれた。[[スターテン・ヘネラール|オランダ議会ぎかい]]とVOCは、資本しほん助成じょせいきんかたちで100まん[[フローリン|ギルダー]]を拠出きょしゅつした。[[ゾンバルト]]らは{{かりリンク|かくれユダヤ教徒きょうと|en|Crypto-Judaism}}や[[マラーノ]]がVOCとGWCの両方りょうほう形成けいせい重要じゅうよう役割やくわりたしたとの伝説でんせつひろめたが、調査ちょうさによれば当初とうしょはユダヤじんちいさな役割やくわりしかたしておらず、[[オランダりょうブラジル]]時代じだい後述こうじゅつ)に拡大かくだいした。当初とうしょはスペインりょうネーデルラントを脱出だっしゅつして移住いじゅうしたしん教徒きょうと([[カルヴァン主義しゅぎ|カルヴァン主義しゅぎしゃ]])がGWCに多額たがく投資とうしをした<ref>[[:en:Charles R. Boxer]], ''The Dutch in Brazil, 1724-1654''. Oxford: Clarendon Press 1957, pp. 10-11.</ref>。

1621ねん設立せつりつも、一般いっぱん投資とうしはそこまで積極せっきょくてき会社かいしゃ資金しきん投入とうにゅうしなかったので、オランダ議会ぎかい投資とうしうながした。個人こじん投資とうしうごきがおそかったのは、株主かぶぬしが「取締役とりしまりやく方針ほうしん普通ふつう投資とうし資金しきんあつかいをコントロールできない」ことと、「取締役とりしまりやくがその縁故えんこにポストを提供ていきょうするのは詐欺さぎてきだ」というものだった<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', p. 12.</ref>。VOCの取締役とりしまりやくは、株主かぶぬし相談そうだんすることなくGWCに資金しきん投資とうししたため、おおくの株主かぶぬしあいだ意見いけん相違そういしょうじた<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', pp. 12–13.</ref>。外国がいこくじん株主かぶぬしけるために、GWCはオランダじん同等どうとう立場たちば外国がいこくじん投資とうし提供ていきょうし、フランス、スイス、ヴェネツィアからの出資しゅっした。もとの1621ねん特許とっきょじょうは、英訳えいやくされ「''Orders and Articles granted by the High and Mightie Lords the States General of the United Provinces concerning the erecting of a West-Indies Companie, Anno Dom. MDCXII''」のだい公示こうじされた<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', p. 13.</ref>。1623ねん時点じてんのGWCの資本しほんきん280まんフロリンは、VOCの当初とうしょ資本しほんきん650まんほどおおきくはなかったにせよ、かなりの金額きんがくだった。 GWCには15せき貿易ぼうえきせんがあり、西にしアフリカの海岸かいがんとブラジルに定期ていきてき運航うんこうしていた<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', pp. 13–14.</ref>。

VOCとはことなり、GWCには軍隊ぐんたい配備はいびする権利けんりがなかった。 1621ねんに12ねん停戦ていせんわったとき、共和きょうわこくはスペインとの戦争せんそう再開さいかいするためのフリーハンドをゆうしていた。会社かいしゃ計画けいかく、{{かりリンク|グルートデセイン|en|Groot Desseyn}}(「グランドデザイン」)は、砂糖さとう生産せいさん奴隷どれい貿易ぼうえき支配しはいするという目的もくてきした、アフリカと南北なんぼくアメリカのポルトガル植民しょくみん占領せんりょうするために立案りつあんされた。この計画けいかく失敗しっぱいしたとき、 [[わたしかすめせん]]はGWCの主要しゅよう事業じぎょうひとつとなった。もとよりスペインせんからまもるため、大砲たいほう兵士へいしといった商船しょうせん武装ぶそう非常ひじょう重要じゅうようだった。1623ねんにはほぼすべてのふねに、おそらく(自衛じえいのためだけでなく)[[海賊かいぞく|てきせん捕獲ほかく]]を支援しえんするために、40〜50にん兵士へいしんでいた<ref>{{In lang|nl}}Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 150.</ref>。

ジャック・エルミテによる[[チリ]]、[[ペルー]]、[[ボリビア]]の沿岸えんがんへの遠征えんせい総督そうとくマウリッツが議会ぎかいとVOCの支援しえんけて準備じゅんびしたものだった。
[[ファイル:Piet_Hein.jpg|ひだり|サムネイル|1628ねんにスペインのぎん艦隊かんたい捕獲ほかくしたGWC提督ていとくのピート・ハイン。]]
会社かいしゃ当初とうしょ費用ひようのかかるプロジェクトというてんでは悲惨ひさん失敗しっぱいであり、取締役とりしまりやく領土りょうど征服せいふくよりもスペイン海運かいうんからの略奪りゃくだつ重点じゅうてんうつした。 GWCのもっと目覚めざましい成功せいこうは、新大陸しんたいりくのスペイン植民しょくみんからスペインにぎんはこんでいた[[インディアス艦隊かんたい|スペインのぎん艦隊かんたい]]の{{かりリンク|ピート・ハイン (軍人ぐんじん)|en|Piet Pieterszoon Hein|label=ピート・ハイン}}による捕獲ほかくだった。かれはまた、ブラジルの砂糖さとうとか、ホンジュラスからカカオ、インディゴ、その貴重きちょう商品しょうひん満載まんさいしたガレオンせん拿捕だほした。わたしかすめせんは1620年代ねんだい後半こうはんもっと収益しゅうえきせいたか事業じぎょうだった<ref>[[:en:Jonathan I. Israel]], ''The Dutch Republic and the Hispanic World, 1606-1661''. Oxford: Clarendon Press 1982, p. 197.</ref>。しかしハインの掠奪りゃくだつぎょう成功せいこうにもかかわらず、会社かいしゃ取締役とりしまりやくは、それが長期ちょうきてき利益りえき構築こうちくするための基礎きそではないことにづき、南北なんぼくアメリカの[[イベリア連合れんごう]]の領土りょうど占領せんりょうするこころみをあらたにした。かれらはブラジルを目標もくひょうさだめた<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', pp. 198–99.</ref>。

オランダのさまざまな地域ちいき取締役とりしまりやくあいだ対立たいりつがあった。アムステルダムは会社かいしゃをあまり支持しじしていなかった。[[ハールレム]]、[[ライデン]]、[[ゴーダ]]などの港湾こうわん都市としは、[[エンクホイゼン]]と[[ホールン]]とともに、領土りょうど占領せんりょう熱心ねっしんだった。かれらは艦隊かんたいをブラジルにおくり、1630ねんに[[オリンダ (ブラジル)|オリンダ]]と[[ペルナンブーコしゅう|ペルナンブコ]]を占領せんりょうしてオランダ植民しょくみん創設そうせつしたが、ポルトガルのつよ抵抗ていこうのために保持ほじすることはできなかった<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', pp. 201–02.</ref>。会社かいしゃふねカリブ海かりぶかいわたしかすめ活動かつどうつづけ、重要じゅうよう土地とち資源しげんとく塩田えんでん占領せんりょうした<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', p. 203.</ref>。しかし会社かいしゃ全体ぜんたいとしては成功せいこうしておらず、かれらのかぶ急落きゅうらくした。オランダとスペインは1633ねん停戦ていせん交渉こうしょう再開さいかいした<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', p. 204.</ref>。

1629ねん6がつ7にちにオランダ議会ぎかいによって{{かりリンク|自由じゆう免除めんじょ勅許ちょっきょじょう|en|Charter of Freedoms and Exemptions}}が承認しょうにんされ、GWCは{{かりリンク|パトルーン|en|Patroon|label=パトルーン制度せいど}}を創設そうせつして、[[ニューネーデルラント]]への投資とうしあつめようとした。これは植民しょくみん人口じんこう増加ぞうかたすけるために創設そうせつされたもので、おもにニューネーデルラント地域ちいきで、「15さい以上いじょうの」住民じゅうみん50にん居住きょじゅうする植民しょくみん建設けんせつした投資とうしをパトルーンとみとめ、その周辺しゅうへん土地とちを[[レーエン|領地りょうち]]としてあたえるものだった<ref name="WDL2"/> <ref name="WDL">{{Cite web|url=http://www.wdl.org/en/item/4066/|title=Conditions as Created by their Lords Burgomasters of Amsterdam|website=[[:en:World Digital Library]]|year=1656|accessdate=2013-07-28}}</ref>。パトルーンは、「海岸かいがん、または航行こうこう可能かのうかわ片岸かたぎし沿って」最大さいだい{{Convert|4|mi|km}}までの土地とち領地りょうちにできた。{{かりリンク|レンセラースウィック|en|Rensselaerswyck|label=レンセラー}}はオランダ西にしインド会社かいしゃもっと成功せいこうしたパトルーンだった<ref name="WDL2"/>。

[[ニューアムステルダム]]をふくむニューネーデルラント地域ちいきは、現在げんざいのアメリカでうと、[[ニューヨークしゅう]]、[[コネチカットしゅう]]、[[デラウェアしゅう]]、および[[ニュージャージーしゅう]]の一部いちぶ相当そうとうした<ref name="WDL2"/>。入植にゅうしょくとしては、[[オランダりょうアンティル]]、南米なんべいのオランダりょうブラジル、[[スリナム]]、[[ガイアナ]]が設立せつりつされた。アフリカでは、[[オランダりょう黄金おうごん海岸かいがん]](現在げんざいの[[ガーナ]]の一部いちぶ)、[[オランダりょう奴隷どれい海岸かいがん]](現在げんざいの[[ベナン]]の一部いちぶ)、そして[[アンゴラ]]に設立せつりつされた。それはあらたな[[封建ほうけんせい|封建ほうけん制度せいど]]であり、パトルーンは海外かいがい植民しょくみん支配しはいするかなりの権限けんげんみとめられていた。

南北なんぼくアメリカでは、[[毛皮けがわ]](きたアメリカ)と砂糖さとうみなみアメリカ)がもっと重要じゅうよう貿易ぼうえき商品しょうひんだったが、アフリカの拠点きょてん奴隷どれいおもにアンティル諸島しょとうとスリナムのプランテーションけ)、きむ象牙ぞうげ貿易ぼうえきしていた。

=== 衰退すいたい ===
[[ファイル:Cidade_mauricia.jpg|ひだり|サムネイル|200x200ピクセル|[[レシフェ]]またはMauritsstad&nbsp;–ニューホランドの首都しゅと]]
北米ほくべいでは、アルベルト・バーフ、サミュエル・ブロマート、サミュエル・ゴーディン、ヨアネス・デ・ラエ([[:en:Albert Burgh|Albert Burgh]], [[:en:Samuel Blommaert|Samuel Blommaert]], [[:en:Samuel Godijn|Samuel Godijn]], [[:en:Joannes_de_Laet|Johannes de Laet]])らが、ニューネーデルラントへの入植にゅうしょくいどんだが、移民いみんあつめの意味いみでもネイティブアメリカンからの防衛ぼうえいという意味いみでもほぼ失敗しっぱいわった。{{かりリンク|キリヤン・ヴァン・レンセラー|en|Kiliaen van Rensselaer (merchant)}}だけが、ハドソンがわ沿いの北部ほくぶ入植にゅうしょく維持いじすることができた。サミュエル・ブロマートは、南部なんぶの[[デラウェア・バレー]]に[[ニュースウェーデン]]植民しょくみん設立せつりつすることで、ひそかにかれ自身じしん利益りえき確保かくほしようとした。 GWCのおも目標もくひょう当時とうじブラジルにあった。

1630ねんになってはじめて、西にしインド会社かいしゃはブラジルの一部いちぶ征服せいふくすることができた。ポルトガルからうばった領土りょうどに、1630ねん、ニューホランド植民しょくみん首都しゅとマウリッツタッド、現在げんざいの[[レシフェ]])が設立せつりつされた。しかし戦争せんそう非常ひじょうおおくの戦力せんりょく要求ようきゅうしたので、会社かいしゃ破産はさん恒常こうじょうてき脅威きょういした活動かつどうしていた<ref>{{In lang|nl}}Heijer, H. den (1994) De geschiedenis van de GWC, p. 97.</ref>。実際じっさい、GWCは1636ねん破産はさんし、再建さいけんこころみはすべて失敗しっぱいする運命うんめいにあった<ref>{{In lang|nl}}Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 169.</ref>。
[[ファイル:Pakhuiswic.JPG|みぎ|サムネイル|アムステルダムのGWCの倉庫そうこ]]
ブラジルで進行しんこうちゅう戦争せんそうのため、特許とっきょじょう期限きげんわりの1645ねんのGWCの状況じょうきょう非常ひじょうわるかった。VOCの取締役とりしまりやくのぞんでいなかったため、GWCの損失そんしつをVOCの利益りえきおぎなこころみは失敗しっぱいした<ref>{{In lang|nl}}Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 127.</ref>。両社りょうしゃ合併がっぺい実現じつげん不可能ふかのうだった。アムステルダムはポルトガルとの和平わへい健全けんぜん貿易ぼうえき関係かんけいつよ関心かんしんがあり、けようとはしなかった。アムステルダムのこの無関心むかんしん態度たいどは、やがて植民しょくみんうしなうことにつながる、ゆっくりとした中途半端ちゅうとはんぱ政策せいさく主因しゅいんだった<ref>{{Smallcaps|[[:en:Charles Ralph Boxer|Boxer, C.R.]]}} (1957) The Dutch in Brazil 1624 - 1654. Oxford, Clarendon Press. ISBN</ref>。1647ねん会社かいしゃはVOCの資本しほん150まんギルダーを投入とうにゅうすることで再生さいせいされた。総督そうとくはブラジルでの戦争せんそう責任せきにんった。

[[ヴェストファーレン条約じょうやく]]により、スペインせん捕獲ほかく許可きょかされなくなった。アムステルダムと[[ゼーラントしゅう|ゼーラント]]のおおくの商人しょうにんは、[[ハンブルク]]、グリュックシュタット(当時とうじは[[デンマーク]]りょう)、[[イングランド|イギリス]]、そのくに海運かいうんぎょう商人しょうにん協力きょうりょくすることを決定けっていした。 1649ねん、GWCは[[アクラ]]王国おうこく現在げんざいの[[ガーナ]])でかねおよびアフリカじん奴隷どれい独占どくせんけん獲得かくとくした。 1662ねんに、24,000にんのアフリカじん奴隷どれい供給きょうきゅうすることを約束やくそくした[[アシエント]]の所有しょゆうしゃとの接触せっしょくがあった<ref>{{In lang|nl}} Brakel, S. van (1918) Bescheiden over den slavenhandel der Westindische Compagnie, p. 50, 67. In: Economisch-Historisch Jaarboek&nbsp;IV.</ref>。1663ねんと1664ねんに、GWCはポルトガルとイングランドよりも多数たすうのアフリカじん奴隷どれい販売はんばいした<ref>{{In lang|nl}}[http://focquenbroch.apud.net/wilre.htm Binder, F. e.a.] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20060517220722/http://focquenbroch.apud.net/wilre.htm|date=2006-05-17}} (1979) ''Dirck Dircksz. Wilre en Willem Godschalk van Focquenbroch(?) Geschilderd door Pieter de Wit te Elmina in 1669.'' Bulletin van het Rijksmuseum 27, p.7–29.</ref>。

最初さいしょ西にしインド会社かいしゃ長期間ちょうきかん債務さいむくるしみ、1674ねん解散かいさんまでつづいた<ref>{{In lang|nl}}Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 182.</ref>。GWCが20年間ねんかんびた理由りゆう奴隷どれい貿易ぼうえきであり、そのための価値かちある[[西にしアフリカ]]の拠点きょてん保有ほゆうによるものだった。

== あたらしい西にしインド会社かいしゃ ==
GWCが1674ねん債務さいむ返済へんさいできなかったとき、会社かいしゃ解散かいさんした。しかし、西にしインドとの貿易ぼうえきおもに[[奴隷どれい貿易ぼうえき]])にたいする需要じゅようたかく、まだおおくの植民しょくみん存在そんざいしていたため、1675ねんだい2特許とっきょ西にしインド会社かいしゃ別名べつめい新西しんにしインド会社かいしゃ)を設立せつりつすることが決定けっていされた。このしん会社かいしゃは、最初さいしょ会社かいしゃおな商圏しょうけんっていた。すべてのふね要塞ようさいなどはしん会社かいしゃがれた。取締役とりしまりやくかずは19にんから10にんり、役員やくいんかずは74にんから50にんった。あたらしいGWCの資本しほんきんは、1679ねんに600まんギルダーをわずかに上回うわまわり、そのだい部分ぶぶんはアムステルダム支社ししゃから供給きょうきゅうされていた。

1694ねんから1700ねんまで、GWCは、現在げんざいの[[ガーナ]]である[[黄金おうごん海岸かいがん]]沿いのエグアフォ王国おうこくたいしてなが戦争せんそうひろげた。{{かりリンク|コメンダ戦争せんそう|en|Komenda Wars}}はかなりのかず近隣きんりんのアフリカ王国おうこくみ、かね貿易ぼうえきをアフリカじん奴隷どれい貿易ぼうえきえた。

[[だいよんえいらん戦争せんそう]]以後いご、[[シント・ユースタティウスとう]]、ベルビセ、エセキボ、デメララ、およびオランダりょう黄金おうごん海岸かいがんのいくつかのとりでがイギリスによって迅速じんそく占領せんりょうされたため、オランダ西にしインド会社かいしゃはもはや自身じしん植民しょくみんまもることができなくなったことがあきらかになった。 1791ねんに、会社かいしゃ株式かぶしきはオランダ政府せいふによって購入こうにゅうされ、1792ねん1がつ1にち、かつてオランダ西にしインド会社かいしゃ所有しょゆうしていたすべての領土りょうどが、[[ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく|オランダ共和きょうわこく]]の総督そうとく支配しはいもどった。 1800ねんごろ、3番目ばんめ西にしインド企業きぎょう設立せつりつするこころみがあったが、成功せいこうしなかった。


== 関連かんれん項目こうもく ==
== 関連かんれん項目こうもく ==
* {{かりリンク|大西洋たいせいよう世界せかい|en|Atlantic World|label=}}
* [[西にしインド会社かいしゃ]]
* [[ひがしインド会社かいしゃ]]
* [[大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえき]]
* [[オランダ海上かいじょう帝国ていこく]]
* [[オランダによるアメリカ大陸あめりかたいりく植民しょくみん]]
* [[オランダ・ポルトガル戦争せんそう]]
* {{かりリンク|オランダの経済けいざい (1500–1815)|en|Economic history of the Netherlands (1500–1815)}}
* {{かりリンク|ニューネーデルラントの総長そうちょう一覧いちらん|en|List of director generals of New Netherland}}
* {{かりリンク|商社しょうしゃ一覧いちらん|en|List of trading companies}}
* {{かりリンク|ニューホランド (アカディア)|en|New Holland (Acadia)}}
* {{かりリンク|バイーアの奪還だっかん|en|Recapture of Bahia}}
* [[17世紀せいきごろ設立せつりつされたヨーロッパの勅許ちょっきょ会社かいしゃ]]


== 注釈ちゅうしゃく ==
{{オランダ植民しょくみん帝国ていこく}}
{{Reflist|group=nb}}


== 脚注きゃくちゅう ==
{{Reflist}}

== 参考さんこう文献ぶんけん ==
{{Div col}}
*[[:en:Charles R. Boxer|Boxer, Charles R.]], ''The Dutch in Brazil, 1624-1654''. Oxford: Clarendon Press 1957.
*Ebert, Christopher. "Dutch Trade with Brazil before the Dutch West India Company, 1587–1621." ''Riches from Atlantic Commerce: Dutch Transatlantic Trade and Shipping'' (2003): 1585–1817.
*Emmer, Pieter C. "The West India Company, 1621–1791: Dutch or Atlantic?." ''Companies and trade: Essays on overseas trading companies during the ancien régime'' (1981): 71–95.
*Emmer, Pieter C. ''The Dutch in the Atlantic economy, 1580-1880: Trade, slavery and emancipation''. Vol. 614. Variorum, 1998.
*Frijhoff, W. Th M. "The West India Company and the Reformed Church: Neglect or Concern?." (1997).
* Groesen, Michiel van, (ed.) "The Legacy of Dutch Brazil", Cambridge University Press, 2014.
* Groesen, Michiel van "Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil", University of Pennsylvania Press, 2017.
*Heijer, Henk den. "The Dutch West India Company, 1621–1791." in Johannes Postma and Victor Enthoven, eds. ''Riches From Atlantic Commerce: Dutch Transatlantic Trade and Shipping, 1585-1817''. Leiden: Brill 2003, 77–114.
*_________. "The West African Trade of the Dutch West Indian Company 1674-1740," in Postma and Enthoven, eds. ''Riches from Atlantic Commerce'', pp.&nbsp;Leiden: Brill 2003, pp.&nbsp;139–69.
* Klooster, Wim. ''The Dutch Moment: War, Trade, and Settlement in the Seventeenth-Century Atlantic World''. (Cornell University Press, 2016). 419 pp.
*Meuwese, Marcus P. " For the Peace and Well-Being of the Country": Intercultural Mediators and Dutch-Indian Relations in New Netherland and Dutch Brazil, 1600–1664. Diss. University of Notre Dame, 2003.
* {{Cite book|last=Nederlof|first=Marjo|title=Eerlijckman - 1680-1713: in dienst van het Staatse leger en de West-Indische Compagnie|year=2008|publisher=De Curaçaosche Courant|location=Curaçao|isbn=9789990408201|date=}}
* ''Peltries or plantations: the economic policies of the Dutch West India Company in New Netherland, 1623-1639''. Baltimore: Johns Hopkins Press, 1969.
*Pijning, Erst. "Idealism and Power: The Dutch West India Company in the Brazil trade (1630-1654)," in Allen L. Macinnes and Arthur H. William (eds.) ''Shaping the Stuart World, 1603-1714: The Atlantic Connection''. Leiden: Brill 2006, 207–32.
*Postma, Johannes. "West-African Exports and the Dutch West India Company, 1675–1731." ''Economisch-en sociaal-historisch jaarboek'' 36 (1973).
*Postma, Johannes. "The dimension of the Dutch slave trade from Western Africa." ''The Journal of African History'' 13.02 (1972): 237–248.
*Rink, Oliver A. "Private Interest and Godly Gain: The West India Company and the Dutch Reformed Church in New Netherland, 1624-1664." New York History 75.3 (1994): 245.
*Ryder, Alan Frederick Charles. "Dutch trade on the Nigerian coast during the seventeenth century." ''Journal of the Historical Society of Nigeria'' 3.2 (1965): 195–210.
*Rutten, Alphons MG. ''Dutch transatlantic medicine trade in the eighteenth century under the cover of the West India Company''. Erasmus Pub., 2000.
* Schmidt, Benjamin, ''Innocence Abroad: The Dutch Imagination and the New World, 1570-1670'', Cambridge: University Press, 2001. {{ISBN2|978-0-521-80408-0}}
*Van den Boogaart, Ernst. ''Infernal Allies: The Dutch West India Company and the Tarairiu, 1631-1654''. 1980.
*Van Hoboken, W. J. "The Dutch West India Company: the political background of its rise and decline." ''Britain and the Netherlands'' 1 (1960): 41–61.
*Visscher, Nic Joh. ''A Bibliographical and Historical Essay on the Dutch Books and Pamphlets Relating to New-Netherland, and to the Dutch West-India Company and to Its Possessions in Brazil, Angola Etc., as Also on the Maps, Charts, Etc. of New-Netherland''. Muller, 1867.
*Weslager, Clinton Alfred. ''Dutch explorers, traders and settlers in the Delaware Valley, 1609-1664''. University of Pennsylvania Press, 1961.
*Zandvliet, Kees. ''Mapping for money: maps, plans, and topographic paintings and their role in Dutch Overseas Expansion during the 16th and 17th Centuries''. Amsterdam: Batavian Lion International, 1998.
{{Div col end}}

== 外部がいぶリンク ==
* [http://www.colonialvoyage.com/ Dutch Portuguese Colonial History] Dutch Portuguese Colonial History: history of the Portuguese and the Dutch in Ceylon, India, Malacca, Bengal, Formosa, Africa, Brazil. Language Heritage, lists of remains, maps.
* [http://www.s4ulanguages.com/wic.html Facsimile of 15 GWC books] Relating about the events in Brazil in the 17th century (PT & NL)
* [http://geneaknowhow.net/in/schepen/overig-schepen/halve-maan-replica.html GWC ship halve maan] The GWC ship the Halve Maan.
* [http://avalon.law.yale.edu/17th_century/westind.asp Charter of the Dutch West India Company] Text of the Charter of the Dutch West India Company: 1621
* [https://web.archive.org/web/20070926223653/http://www.atlasgeo.net/fotw/flags/nl-indch.html Netherlands West India Company GWC]
* [http://www.atlasofmutualheritage.nl/en/ Atlas of Mutual Heritage] - online atlas of VOC and GWC settlements

{{オランダ植民しょくみん帝国ていこく}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おらんたにしいんとかいしや}}
{{DEFAULTSORT:おらんたにしいんとかいしや}}
[[Category:ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく|にしいんとかいしや]]
[[Category:ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく|にしいんとかいしや]]
[[Category:オランダの企業きぎょう|にしいんとかいしや]]
[[Category:かつて存在そんざいしたオランダの企業きぎょう|にしいんとかいしや]]
[[Category:だい航海こうかい時代じだい]]
[[Category:特許とっきょ交易こうえき植民しょくみん会社かいしゃ]]
[[Category:特許とっきょ交易こうえき植民しょくみん会社かいしゃ]]
[[Category:オランダ帝国ていこく]]
[[Category:オランダ帝国ていこく]]
[[Category:奴隷どれい貿易ぼうえき]]
[[Category:奴隷どれい貿易ぼうえき]]
[[Category:植民しょくみん主義しゅぎ]]

[[Category:オランダの植民しょくみん政策せいさく]]
[[af:Nederlandse Wes-Indiese Kompanjie]]
[[Category:ユネスコ記憶きおく遺産いさん]]
[[bg:Нидерландска западноиндийска компания]]
[[Category:オランダ・スペイン関係かんけい]]
[[ca:Companyia Holandesa de les Índies Occidentals]]
[[Category:アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく・オランダ関係かんけい]]
[[de:Niederländische Westindien-Kompanie]]
[[Category:イギリス・オランダ関係かんけい]]
[[en:Dutch West India Company]]
[[Category:オランダ共和きょうわこく軍事ぐんじ]]
[[eo:Nederlanda Okcident-hinda Kompanio]]
[[Category:アムステルダムの企業きぎょう]]
[[es:Compañía Neerlandesa de las Indias Occidentales]]
[[Category:毛皮けがわ貿易ぼうえき]]
[[fr:Compagnie néerlandaise des Indes occidentales]]
[[Category:西にしアフリカ]]
[[gl:Compañía Holandesa das Indias Occidentais]]
[[he:חברת הודו המערבית ההולנדית]]
[[hr:Nizozemska zapadnoindijska kompanija]]
[[hu:Holland Nyugat-indiai Társaság]]
[[it:Compagnia olandese delle Indie occidentali]]
[[ko:네덜란드 서인도 회사]]
[[nl:West-Indische Compagnie]]
[[no:Det nederlandske Vestindiske kompani]]
[[pap:West Indische Compagnie]]
[[pl:Holenderska Kompania Zachodnioindyjska]]
[[pt:Companhia Holandesa das Índias Ocidentais]]
[[ro:Compania Olandeză a Indiilor de Vest]]
[[ru:Голландская Вест-Индская компания]]
[[sl:Nizozemska zahodnoindijska družba]]
[[sv:Nederländska Västindiska Kompaniet]]
[[uk:Голландська Вест-Індійська компанія]]

2021ねん7がつ30にち (金)きん 08:35時点じてんにおけるはん

オランダ西にしインド会社かいしゃ
現地げんち社名しゃめい
Geoctrooieerde Westindische Compagnie
もと種類しゅるい
勅許ちょっきょ会社かいしゃ
設立せつりつ 1621ねん6がつ3にち (1621-06-03)
創業そうぎょうしゃ Willem Usselincxほか
解散かいさん 1792ねん1がつ1にち (1792-1-1)
本社ほんしゃ オランダ(ネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこく)、
主要しゅよう人物じんぶつ
19にんかいHeeren XIX
親会社おやがいしゃ オランダひがしインド会社かいしゃ ウィキデータを編集

オランダ西にしインド会社かいしゃ(オランダにしインドがいしゃ、オランダ: Geoctrooieerde Westindische Compagnie, オランダ発音はつおん[ɣəʔɔktroːˈjeːrdə ʋɛstˈɪndisə kɔmpɑˈɲi]; 英語えいご: Chartered West India Company)は、17世紀せいきオランダ勅許ちょっきょ会社かいしゃ略称りゃくしょうGWCまたはWIC)。

1621ねんにオランダ政府せいふから特許とっきょじょうけて設立せつりつされた。その設立せつりつは17世紀せいきのかなりはや時期じき提案ていあんされていたが、1609ねんにスペインと12ねん停戦ていせん協定きょうてい英語えいごばん締結ていけつされたためにおくれた[1]。オランダじん商人しょうにんだけでなく、外国がいこくじんからもおおくの投資とうしがあった。

創設そうせつしゃなかには、ウィレム・ウセリンクス(Willem Usselincx、1567ねん–1647ねん)とジェッセ・デ・フォレスト(Jessé de Forest、1576ねん–1624ねん)がいた[2]

1621ねん6がつ3にち、「西にしインド」における貿易ぼうえき独占どくせんしるした「オランダ西にしインド会社かいしゃ特許とっきょじょう」がネーデルラント連邦れんぽう共和きょうわこくから付与ふよされ、大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえきブラジルカリブ海かりぶかい、およびきたアメリカへのオランダ商人しょうにん参入さんにゅう管轄かんかつした。会社かいしゃ事業じぎょう展開てんかいできる地域ちいきは、西にしアフリカ北回帰線きたかいきせん以南いなんもちほうまでのあいだ)と、太平洋たいへいようニューギニア東部とうぶをもふく南北なんぼくアメリカ大陸あめりかたいりくだった。特許とっきょじょう目的もくてき競争きょうそう排除はいじょによる独占どくせんとくスペインポルトガル排除はいじょすることだった。会社かいしゃは、17世紀せいきニューネーデルラントふくアメリカ大陸あめりかたいりく各地かくち一時いちじてきなオランダの植民しょくみん貢献こうけんした。1624ねんから1654ねんまでおこなわれたオランダ・ポルトガル戦争せんそうで、GWCはブラジル北東ほくとうのポルトガルりょう占領せんりょうしていたが、はげしい抵抗ていこうけて撃退げきたいされた[3]

なんかの変転へんてんのち、GWCはさい編成へんせいされ、大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえきおも理由りゆうに、1675ねんあたらしい特許とっきょじょう付与ふよされた。この「あたらしい」会社かいしゃは、だい4えいらん戦争せんそうわるまで、1世紀せいき以上いじょうつづいた。そのあいだ会社かいしゃのほとんどの資産しさんうしなわれた。

起源きげん

アムステルダムの西にしインドかんWest-Indisch Huis)。1623ねんから1647ねんまでオランダ西にしインド会社かいしゃ本社ほんしゃとして使用しようされた

オランダひがしインド会社かいしゃ(VOC)が1602ねん設立せつりつされたとき、アムステルダムの一部いちぶ貿易ぼうえき業者ぎょうしゃはその独占どくせんてき方針ほうしん同意どういしなかった。天文学てんもんがくしゃ地図ちず製作せいさくしゃ牧師ぼくしであるフランドルじんペトルス・プランシウスたすけをりて、かれらはVOCの独占どくせん回避かいひするためにアジアへの北東ほくとう航路こうろまたは北西ほくせい航路こうろもとめた。 1609ねん、VOCにやとわれていたイングランドじん探検たんけんヘンリー・ハドソンは、ニューイングランド海岸かいがん上陸じょうりくし、アジアへの北西ほくせい航路こうろもとめて現在げんざいのハドソンがわ遡上そじょうした。しかし、かれ航路こうろつけることができなかった。その結果けっか、1615ねんにアイザック・ルメール(Isaac Le Maire)とサミュエル・ブロマート(Samuel Blommaert)は、VOCの独占どくせん回避かいひするためにみなみアメリカのティエラ・デル・フエゴ群島ぐんとうける南西なんせい航路こうろつけることにねらいをさだめた。

オランダ商人しょうにん最初さいしょにアフリカとの貿易ぼうえき注目ちゅうもくしたのはバルタザール・デ・ムヘロン(Balthazar de Moucheron)で、かれセネガンビア地域ちいき最初さいしょのオランダの拠点きょてんきずいた[4]アフリカとの貿易ぼうえきは、交易こうえきしょ商館しょうかん設立せつりつする可能かのうせい提供ていきょうした。1612ねんオランダりょう黄金おうごん海岸かいがんモリー英語えいごばんにオランダの要塞ようさい建設けんせつされた。

カリブ海かりぶかいとのしお砂糖さとう、タバコの貿易ぼうえきはスペインによってさまたげられ、和平わへい交渉こうしょうのためにおくれた。スペインは、オランダ共和きょうわこくがアジアやアメリカとの貿易ぼうえきから撤退てったいすることを条件じょうけん和平わへいもうた。スペインは、西にしインド会社かいしゃ設立せつりつされる場合ばあいは、平和へいわ条約じょうやくへの署名しょめい拒否きょひするとした。このとき、スペインとオランダ共和きょうわこくあいだオランダ独立どくりつ戦争せんそう(1568ねん–1648ねんきていた。ホラントしゅう法律ほうりつ顧問こもんヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト英語えいごばんは、 12年間ねんかん停戦ていせん英語えいごばんえに西にしインドとの貿易ぼうえきのみを停止ていしすることをもうた。その結果けっかなん年間ねんかんかは、オランダせんみなみアメリカ海域かいいきでは外国がいこくはたかかげて航海こうかいした。しかし、10ねんオランダ総督そうとくマウリッツはスペインとの戦争せんそう提案ていあんしたが、スペインから共和きょうわこくへの注目ちゅうもくをそらすことも提案ていあんした。 1619ねんかれ政敵せいてきのヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトは処刑しょけいされ、2ねん休戦きゅうせんわると、西にしインド会社かいしゃ設立せつりつされた。

西にしインド会社かいしゃ

オランダ西にしインド会社かいしゃ創設そうせつしゃ、ウィレム・ウスセリンクス
デラウェアのズワネンデール入植にゅうしょくげんデラウェアしゅうルイス

オランダ西にしインド会社かいしゃは、オランダひがしインド会社かいしゃ(VOC)と同様どうよう組織そしきされた。 VOCと同様どうように、GWCはアムステルダムロッテルダムホールンミデルブルフフローニンゲンにおかれた支社ししゃ(カーメル)とばれる5つの事業じぎょうしょからなり、そのうちアムステルダムとミデルブルフの支社ししゃ会社かいしゃもっと貢献こうけんした。取締役とりしまりやくかいは、19にんかい(Heeren XIX)としてられ19にんのメンバーで構成こうせいされていた[5]。GWCの統治とうち機構きこうは、ネーデルラント連邦れんぽうのそれにていた。連邦れんぽう政府せいふでは、決定けっていには地域ちいき代表だいひょうによる広範こうはん議論ぎろん必要ひつようだった。19にん内訳うちわけはアムステルダムから8にん、ゼーラントから4にん、ノーザンクォーター(ホールンとエンクホイゼン)とマース(ロッテルダムとドルトレヒト)とフローニンゲンからそれぞれ2にん、そして政府せいふからの1人ひとりだった。かく地域ちいき独自どくじ支社ししゃにはそれぞれ取締役とりしまりやくかいがあった[6]特許とっきょじょう有効ゆうこう期間きかんは24ねん設定せっていされた。

1623ねん資金しきん調達ちょうたつのみがおこなわれた。オランダ議会ぎかいとVOCは、資本しほん助成じょせいきんかたちで100まんギルダー拠出きょしゅつした。ゾンバルトらはかくれユダヤ教徒きょうと英語えいごばんマラーノがVOCとGWCの両方りょうほう形成けいせい重要じゅうよう役割やくわりたしたとの伝説でんせつひろめたが、調査ちょうさによれば当初とうしょはユダヤじんちいさな役割やくわりしかたしておらず、オランダりょうブラジル時代じだい後述こうじゅつ)に拡大かくだいした。当初とうしょはスペインりょうネーデルラントを脱出だっしゅつして移住いじゅうしたしん教徒きょうとカルヴァン主義しゅぎしゃ)がGWCに多額たがく投資とうしをした[7]

1621ねん設立せつりつも、一般いっぱん投資とうしはそこまで積極せっきょくてき会社かいしゃ資金しきん投入とうにゅうしなかったので、オランダ議会ぎかい投資とうしうながした。個人こじん投資とうしうごきがおそかったのは、株主かぶぬしが「取締役とりしまりやく方針ほうしん普通ふつう投資とうし資金しきんあつかいをコントロールできない」ことと、「取締役とりしまりやくがその縁故えんこにポストを提供ていきょうするのは詐欺さぎてきだ」というものだった[8]。VOCの取締役とりしまりやくは、株主かぶぬし相談そうだんすることなくGWCに資金しきん投資とうししたため、おおくの株主かぶぬしあいだ意見いけん相違そういしょうじた[9]外国がいこくじん株主かぶぬしけるために、GWCはオランダじん同等どうとう立場たちば外国がいこくじん投資とうし提供ていきょうし、フランス、スイス、ヴェネツィアからの出資しゅっした。もとの1621ねん特許とっきょじょうは、英訳えいやくされ「Orders and Articles granted by the High and Mightie Lords the States General of the United Provinces concerning the erecting of a West-Indies Companie, Anno Dom. MDCXII」のだい公示こうじされた[10]。1623ねん時点じてんのGWCの資本しほんきん280まんフロリンは、VOCの当初とうしょ資本しほんきん650まんほどおおきくはなかったにせよ、かなりの金額きんがくだった。 GWCには15せき貿易ぼうえきせんがあり、西にしアフリカの海岸かいがんとブラジルに定期ていきてき運航うんこうしていた[11]

VOCとはことなり、GWCには軍隊ぐんたい配備はいびする権利けんりがなかった。 1621ねんに12ねん停戦ていせんわったとき、共和きょうわこくはスペインとの戦争せんそう再開さいかいするためのフリーハンドをゆうしていた。会社かいしゃ計画けいかくグルートデセイン英語えいごばん(「グランドデザイン」)は、砂糖さとう生産せいさん奴隷どれい貿易ぼうえき支配しはいするという目的もくてきした、アフリカと南北なんぼくアメリカのポルトガル植民しょくみん占領せんりょうするために立案りつあんされた。この計画けいかく失敗しっぱいしたとき、 わたしかすめせんはGWCの主要しゅよう事業じぎょうひとつとなった。もとよりスペインせんからまもるため、大砲たいほう兵士へいしといった商船しょうせん武装ぶそう非常ひじょう重要じゅうようだった。1623ねんにはほぼすべてのふねに、おそらく(自衛じえいのためだけでなく)てきせん捕獲ほかく支援しえんするために、40〜50にん兵士へいしんでいた[12]

ジャック・エルミテによるチリペルーボリビア沿岸えんがんへの遠征えんせい総督そうとくマウリッツが議会ぎかいとVOCの支援しえんけて準備じゅんびしたものだった。

1628ねんにスペインのぎん艦隊かんたい捕獲ほかくしたGWC提督ていとくのピート・ハイン。

会社かいしゃ当初とうしょ費用ひようのかかるプロジェクトというてんでは悲惨ひさん失敗しっぱいであり、取締役とりしまりやく領土りょうど征服せいふくよりもスペイン海運かいうんからの略奪りゃくだつ重点じゅうてんうつした。 GWCのもっと目覚めざましい成功せいこうは、新大陸しんたいりくのスペイン植民しょくみんからスペインにぎんはこんでいたスペインのぎん艦隊かんたいピート・ハイン英語えいごばんによる捕獲ほかくだった。かれはまた、ブラジルの砂糖さとうとか、ホンジュラスからカカオ、インディゴ、その貴重きちょう商品しょうひん満載まんさいしたガレオンせん拿捕だほした。わたしかすめせんは1620年代ねんだい後半こうはんもっと収益しゅうえきせいたか事業じぎょうだった[13]。しかしハインの掠奪りゃくだつぎょう成功せいこうにもかかわらず、会社かいしゃ取締役とりしまりやくは、それが長期ちょうきてき利益りえき構築こうちくするための基礎きそではないことにづき、南北なんぼくアメリカのイベリア連合れんごう領土りょうど占領せんりょうするこころみをあらたにした。かれらはブラジルを目標もくひょうさだめた[14]

オランダのさまざまな地域ちいき取締役とりしまりやくあいだ対立たいりつがあった。アムステルダムは会社かいしゃをあまり支持しじしていなかった。ハールレムライデンゴーダなどの港湾こうわん都市としは、エンクホイゼンホールンとともに、領土りょうど占領せんりょう熱心ねっしんだった。かれらは艦隊かんたいをブラジルにおくり、1630ねんオリンダペルナンブコ占領せんりょうしてオランダ植民しょくみん創設そうせつしたが、ポルトガルのつよ抵抗ていこうのために保持ほじすることはできなかった[15]会社かいしゃふねカリブ海かりぶかいわたしかすめ活動かつどうつづけ、重要じゅうよう土地とち資源しげんとく塩田えんでん占領せんりょうした[16]。しかし会社かいしゃ全体ぜんたいとしては成功せいこうしておらず、かれらのかぶ急落きゅうらくした。オランダとスペインは1633ねん停戦ていせん交渉こうしょう再開さいかいした[17]

1629ねん6がつ7にちにオランダ議会ぎかいによって自由じゆう免除めんじょ勅許ちょっきょじょう英語えいごばん承認しょうにんされ、GWCはパトルーン制度せいど英語えいごばん創設そうせつして、ニューネーデルラントへの投資とうしあつめようとした。これは植民しょくみん人口じんこう増加ぞうかたすけるために創設そうせつされたもので、おもにニューネーデルラント地域ちいきで、「15さい以上いじょうの」住民じゅうみん50にん居住きょじゅうする植民しょくみん建設けんせつした投資とうしをパトルーンとみとめ、その周辺しゅうへん土地とち領地りょうちとしてあたえるものだった[5] [18]。パトルーンは、「海岸かいがん、または航行こうこう可能かのうかわ片岸かたぎし沿って」最大さいだい4マイル (6.4 km)までの土地とち領地りょうちにできた。レンセラー英語えいごばんはオランダ西にしインド会社かいしゃもっと成功せいこうしたパトルーンだった[5]

ニューアムステルダムふくむニューネーデルラント地域ちいきは、現在げんざいのアメリカでうと、ニューヨークしゅうコネチカットしゅうデラウェアしゅう、およびニュージャージーしゅう一部いちぶ相当そうとうした[5]入植にゅうしょくとしては、オランダりょうアンティル南米なんべいのオランダりょうブラジル、スリナムガイアナ設立せつりつされた。アフリカでは、オランダりょう黄金おうごん海岸かいがん現在げんざいガーナ一部いちぶ)、オランダりょう奴隷どれい海岸かいがん現在げんざいベナン一部いちぶ)、そしてアンゴラ設立せつりつされた。それはあらたな封建ほうけん制度せいどであり、パトルーンは海外かいがい植民しょくみん支配しはいするかなりの権限けんげんみとめられていた。

南北なんぼくアメリカでは、毛皮けがわきたアメリカ)と砂糖さとうみなみアメリカ)がもっと重要じゅうよう貿易ぼうえき商品しょうひんだったが、アフリカの拠点きょてん奴隷どれいおもにアンティル諸島しょとうとスリナムのプランテーションけ)、きむ象牙ぞうげ貿易ぼうえきしていた。

衰退すいたい

レシフェまたはMauritsstad –ニューホランドの首都しゅと

北米ほくべいでは、アルベルト・バーフ、サミュエル・ブロマート、サミュエル・ゴーディン、ヨアネス・デ・ラエ(Albert Burgh, Samuel Blommaert, Samuel Godijn, Johannes de Laet)らが、ニューネーデルラントへの入植にゅうしょくいどんだが、移民いみんあつめの意味いみでもネイティブアメリカンからの防衛ぼうえいという意味いみでもほぼ失敗しっぱいわった。キリヤン・ヴァン・レンセラー英語えいごばんだけが、ハドソンがわ沿いの北部ほくぶ入植にゅうしょく維持いじすることができた。サミュエル・ブロマートは、南部なんぶデラウェア・バレーニュースウェーデン植民しょくみん設立せつりつすることで、ひそかにかれ自身じしん利益りえき確保かくほしようとした。 GWCのおも目標もくひょう当時とうじブラジルにあった。

1630ねんになってはじめて、西にしインド会社かいしゃはブラジルの一部いちぶ征服せいふくすることができた。ポルトガルからうばった領土りょうどに、1630ねん、ニューホランド植民しょくみん首都しゅとマウリッツタッド、現在げんざいレシフェ)が設立せつりつされた。しかし戦争せんそう非常ひじょうおおくの戦力せんりょく要求ようきゅうしたので、会社かいしゃ破産はさん恒常こうじょうてき脅威きょういした活動かつどうしていた[19]実際じっさい、GWCは1636ねん破産はさんし、再建さいけんこころみはすべて失敗しっぱいする運命うんめいにあった[20]

アムステルダムのGWCの倉庫そうこ

ブラジルで進行しんこうちゅう戦争せんそうのため、特許とっきょじょう期限きげんわりの1645ねんのGWCの状況じょうきょう非常ひじょうわるかった。VOCの取締役とりしまりやくのぞんでいなかったため、GWCの損失そんしつをVOCの利益りえきおぎなこころみは失敗しっぱいした[21]両社りょうしゃ合併がっぺい実現じつげん不可能ふかのうだった。アムステルダムはポルトガルとの和平わへい健全けんぜん貿易ぼうえき関係かんけいつよ関心かんしんがあり、けようとはしなかった。アムステルダムのこの無関心むかんしん態度たいどは、やがて植民しょくみんうしなうことにつながる、ゆっくりとした中途半端ちゅうとはんぱ政策せいさく主因しゅいんだった[22]。1647ねん会社かいしゃはVOCの資本しほん150まんギルダーを投入とうにゅうすることで再生さいせいされた。総督そうとくはブラジルでの戦争せんそう責任せきにんった。

ヴェストファーレン条約じょうやくにより、スペインせん捕獲ほかく許可きょかされなくなった。アムステルダムとゼーラントおおくの商人しょうにんは、ハンブルク、グリュックシュタット(当時とうじデンマークりょう)、イギリス、そのくに海運かいうんぎょう商人しょうにん協力きょうりょくすることを決定けっていした。 1649ねん、GWCはアクラ王国おうこく現在げんざいガーナ)でかねおよびアフリカじん奴隷どれい独占どくせんけん獲得かくとくした。 1662ねんに、24,000にんのアフリカじん奴隷どれい供給きょうきゅうすることを約束やくそくしたアシエント所有しょゆうしゃとの接触せっしょくがあった[23]。1663ねんと1664ねんに、GWCはポルトガルとイングランドよりも多数たすうのアフリカじん奴隷どれい販売はんばいした[24]

最初さいしょ西にしインド会社かいしゃ長期間ちょうきかん債務さいむくるしみ、1674ねん解散かいさんまでつづいた[25]。GWCが20年間ねんかんびた理由りゆう奴隷どれい貿易ぼうえきであり、そのための価値かちある西にしアフリカ拠点きょてん保有ほゆうによるものだった。

あたらしい西にしインド会社かいしゃ

GWCが1674ねん債務さいむ返済へんさいできなかったとき、会社かいしゃ解散かいさんした。しかし、西にしインドとの貿易ぼうえきおも奴隷どれい貿易ぼうえき)にたいする需要じゅようたかく、まだおおくの植民しょくみん存在そんざいしていたため、1675ねんだい2特許とっきょ西にしインド会社かいしゃ別名べつめい新西しんにしインド会社かいしゃ)を設立せつりつすることが決定けっていされた。このしん会社かいしゃは、最初さいしょ会社かいしゃおな商圏しょうけんっていた。すべてのふね要塞ようさいなどはしん会社かいしゃがれた。取締役とりしまりやくかずは19にんから10にんり、役員やくいんかずは74にんから50にんった。あたらしいGWCの資本しほんきんは、1679ねんに600まんギルダーをわずかに上回うわまわり、そのだい部分ぶぶんはアムステルダム支社ししゃから供給きょうきゅうされていた。

1694ねんから1700ねんまで、GWCは、現在げんざいガーナである黄金おうごん海岸かいがん沿いのエグアフォ王国おうこくたいしてなが戦争せんそうひろげた。コメンダ戦争せんそう英語えいごばんはかなりのかず近隣きんりんのアフリカ王国おうこくみ、かね貿易ぼうえきをアフリカじん奴隷どれい貿易ぼうえきえた。

だいよんえいらん戦争せんそう以後いごシント・ユースタティウスとう、ベルビセ、エセキボ、デメララ、およびオランダりょう黄金おうごん海岸かいがんのいくつかのとりでがイギリスによって迅速じんそく占領せんりょうされたため、オランダ西にしインド会社かいしゃはもはや自身じしん植民しょくみんまもることができなくなったことがあきらかになった。 1791ねんに、会社かいしゃ株式かぶしきはオランダ政府せいふによって購入こうにゅうされ、1792ねん1がつ1にち、かつてオランダ西にしインド会社かいしゃ所有しょゆうしていたすべての領土りょうどが、オランダ共和きょうわこく総督そうとく支配しはいもどった。 1800ねんごろ、3番目ばんめ西にしインド企業きぎょう設立せつりつするこころみがあったが、成功せいこうしなかった。

関連かんれん項目こうもく

注釈ちゅうしゃく

脚注きゃくちゅう

  1. ^ Boxer, C. R. (Charles Ralph) (1973). The Dutch seaborne empire, 1600-1800. Harmondsworth: Penguin. pp. 27. ISBN 0140216006. OCLC 16253529. https://archive.org/details/dutchseaborneemp00crbo/page/27 
  2. ^ Franklin J. Jameson (1887). Willem Usselinx, Founder of the Dutch and Swedish West India Companies. Ryan Gregory University, New York.
  3. ^ en:Charles R. Boxer, 'The Dutch in Brazil, 1624-1654'. Oxford: Clarendon Press 1957.
  4. ^ Dirk J. Barreveld (2001) (英語えいご). Henry Hudson and the Rise and Fall of New Amsterdam. iUniverse. p. 21. ISBN 9780595198900. https://books.google.co.jp/books?id=e4b6qndkk08C&lpg=PP1&hl=ja&pg=PA21#v=onepage&q=Senegal&f=false 2020ねん11月6にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b c d Freedoms, as Given by the Council of the Nineteen of the Chartered West India Company to All those who Want to Establish a Colony in New Netherland”. en:World Digital Library (1630ねん). 2013ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  6. ^ Michiel van Groesen, Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil. Philadelphia: University of Pennsylvania Press 2017, pp. 37–38.
  7. ^ en:Charles R. Boxer, The Dutch in Brazil, 1724-1654. Oxford: Clarendon Press 1957, pp. 10-11.
  8. ^ Boxer, The Dutch in Brazil, p. 12.
  9. ^ Boxer, The Dutch in Brazil, pp. 12–13.
  10. ^ Boxer, The Dutch in Brazil, p. 13.
  11. ^ Boxer, The Dutch in Brazil, pp. 13–14.
  12. ^ (オランダ)Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 150.
  13. ^ en:Jonathan I. Israel, The Dutch Republic and the Hispanic World, 1606-1661. Oxford: Clarendon Press 1982, p. 197.
  14. ^ Israel, The Dutch Republic and the Hispanic World, pp. 198–99.
  15. ^ Israel, The Dutch Republic and the Hispanic World, pp. 201–02.
  16. ^ Israel, The Dutch Republic and the Hispanic World, p. 203.
  17. ^ Israel, The Dutch Republic and the Hispanic World, p. 204.
  18. ^ Conditions as Created by their Lords Burgomasters of Amsterdam”. en:World Digital Library (1656ねん). 2013ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  19. ^ (オランダ)Heijer, H. den (1994) De geschiedenis van de GWC, p. 97.
  20. ^ (オランダ)Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 169.
  21. ^ (オランダ)Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 127.
  22. ^ Boxer, C.R. (1957) The Dutch in Brazil 1624 - 1654. Oxford, Clarendon Press. ISBN
  23. ^ (オランダ) Brakel, S. van (1918) Bescheiden over den slavenhandel der Westindische Compagnie, p. 50, 67. In: Economisch-Historisch Jaarboek IV.
  24. ^ (オランダ)Binder, F. e.a. Archived 2006-05-17 at the Wayback Machine. (1979) Dirck Dircksz. Wilre en Willem Godschalk van Focquenbroch(?) Geschilderd door Pieter de Wit te Elmina in 1669. Bulletin van het Rijksmuseum 27, p.7–29.
  25. ^ (オランダ)Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 182.

参考さんこう文献ぶんけん

  • Boxer, Charles R., The Dutch in Brazil, 1624-1654. Oxford: Clarendon Press 1957.
  • Ebert, Christopher. "Dutch Trade with Brazil before the Dutch West India Company, 1587–1621." Riches from Atlantic Commerce: Dutch Transatlantic Trade and Shipping (2003): 1585–1817.
  • Emmer, Pieter C. "The West India Company, 1621–1791: Dutch or Atlantic?." Companies and trade: Essays on overseas trading companies during the ancien régime (1981): 71–95.
  • Emmer, Pieter C. The Dutch in the Atlantic economy, 1580-1880: Trade, slavery and emancipation. Vol. 614. Variorum, 1998.
  • Frijhoff, W. Th M. "The West India Company and the Reformed Church: Neglect or Concern?." (1997).
  • Groesen, Michiel van, (ed.) "The Legacy of Dutch Brazil", Cambridge University Press, 2014.
  • Groesen, Michiel van "Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil", University of Pennsylvania Press, 2017.
  • Heijer, Henk den. "The Dutch West India Company, 1621–1791." in Johannes Postma and Victor Enthoven, eds. Riches From Atlantic Commerce: Dutch Transatlantic Trade and Shipping, 1585-1817. Leiden: Brill 2003, 77–114.
  • _________. "The West African Trade of the Dutch West Indian Company 1674-1740," in Postma and Enthoven, eds. Riches from Atlantic Commerce, pp. Leiden: Brill 2003, pp. 139–69.
  • Klooster, Wim. The Dutch Moment: War, Trade, and Settlement in the Seventeenth-Century Atlantic World. (Cornell University Press, 2016). 419 pp.
  • Meuwese, Marcus P. " For the Peace and Well-Being of the Country": Intercultural Mediators and Dutch-Indian Relations in New Netherland and Dutch Brazil, 1600–1664. Diss. University of Notre Dame, 2003.
  • Nederlof, Marjo (2008). Eerlijckman - 1680-1713: in dienst van het Staatse leger en de West-Indische Compagnie. Curaçao: De Curaçaosche Courant. ISBN 9789990408201 
  • Peltries or plantations: the economic policies of the Dutch West India Company in New Netherland, 1623-1639. Baltimore: Johns Hopkins Press, 1969.
  • Pijning, Erst. "Idealism and Power: The Dutch West India Company in the Brazil trade (1630-1654)," in Allen L. Macinnes and Arthur H. William (eds.) Shaping the Stuart World, 1603-1714: The Atlantic Connection. Leiden: Brill 2006, 207–32.
  • Postma, Johannes. "West-African Exports and the Dutch West India Company, 1675–1731." Economisch-en sociaal-historisch jaarboek 36 (1973).
  • Postma, Johannes. "The dimension of the Dutch slave trade from Western Africa." The Journal of African History 13.02 (1972): 237–248.
  • Rink, Oliver A. "Private Interest and Godly Gain: The West India Company and the Dutch Reformed Church in New Netherland, 1624-1664." New York History 75.3 (1994): 245.
  • Ryder, Alan Frederick Charles. "Dutch trade on the Nigerian coast during the seventeenth century." Journal of the Historical Society of Nigeria 3.2 (1965): 195–210.
  • Rutten, Alphons MG. Dutch transatlantic medicine trade in the eighteenth century under the cover of the West India Company. Erasmus Pub., 2000.
  • Schmidt, Benjamin, Innocence Abroad: The Dutch Imagination and the New World, 1570-1670, Cambridge: University Press, 2001. ISBN 978-0-521-80408-0
  • Van den Boogaart, Ernst. Infernal Allies: The Dutch West India Company and the Tarairiu, 1631-1654. 1980.
  • Van Hoboken, W. J. "The Dutch West India Company: the political background of its rise and decline." Britain and the Netherlands 1 (1960): 41–61.
  • Visscher, Nic Joh. A Bibliographical and Historical Essay on the Dutch Books and Pamphlets Relating to New-Netherland, and to the Dutch West-India Company and to Its Possessions in Brazil, Angola Etc., as Also on the Maps, Charts, Etc. of New-Netherland. Muller, 1867.
  • Weslager, Clinton Alfred. Dutch explorers, traders and settlers in the Delaware Valley, 1609-1664. University of Pennsylvania Press, 1961.
  • Zandvliet, Kees. Mapping for money: maps, plans, and topographic paintings and their role in Dutch Overseas Expansion during the 16th and 17th Centuries. Amsterdam: Batavian Lion International, 1998.

外部がいぶリンク