'''オランダ西インド会社'''(オランダにしインドがいしゃ、{{Lang-nl|Geoctrooieerde Westindische Compagnie}}, {{IPA-nl|ɣəʔɔktroːˈjeːrdə ʋɛstˈɪndisə kɔmpɑˈɲi}}; {{Lang-en|Chartered West India Company}})は、17世紀[[オランダ]]の[[勅許会社]](略称GWCまたはWIC)。
創設者の中には、ウィレム・ウセリンクス([[:en:Willem Usselincx|Willem Usselincx]]、1567年–1647年)とジェッセ・デ・フォレスト([[:en:Jessé de Forest|Jessé de Forest]]、1576年–1624年)がいた<ref>Franklin J. Jameson (1887). Willem Usselinx, Founder of the Dutch and Swedish West India Companies. Ryan Gregory University, New York.</ref>。
1621年6月3日、「西インド」における貿易独占を記した「[[wikisource:Charter of the Dutch West India Company|オランダ西インド会社特許状]]」が[[ネーデルラント連邦共和国]]から付与され、[[大西洋奴隷貿易]]、[[ブラジル]]、[[カリブ海地域|カリブ海]]、および[[北アメリカ]]へのオランダ商人の参入を管轄した。会社が事業を展開できる地域は、[[西アフリカ]]([[北回帰線]]以南、[[喜望峰]]までの間)と、[[太平洋]]と[[ニューギニア島|ニューギニア]]東部をも含む[[アメリカ州|南北アメリカ大陸]]だった。特許状の目的は競争の排除による独占、特に[[スペイン帝国|スペイン]]と[[ポルトガル海上帝国|ポルトガル]]を排除することだった。会社は、17世紀、[[ニューネーデルラント]]を含む[[オランダによるアメリカ大陸の植民地化|アメリカ大陸の各地の一時的なオランダの植民地化]]に貢献した。1624年から1654年まで行われた[[オランダ・ポルトガル戦争]]で、GWCはブラジル北東部のポルトガル領を占領していたが、激しい抵抗を受けて撃退された<ref>[[:en:Charles R. Boxer]], 'The Dutch in Brazil, 1624-1654'. Oxford: Clarendon Press 1957.</ref>。
[[オランダ東インド会社]](VOC)が1602年に設立されたとき、アムステルダムの一部の貿易業者はその独占的な方針に同意しなかった。[[天文学者]]、[[地図学|地図製作者]]、[[聖職者|牧師]]である[[フラマン人|フランドル人]]の[[ペトルス・プランシウス]]の助けを借りて、彼らはVOCの独占を回避するためにアジアへの[[北東航路]]または[[北西航路]]を求めた。 1609年、VOCに雇われていたイングランド人探検家[[ヘンリー・ハドソン]]は、[[ニューイングランド]]の海岸に上陸し、アジアへの[[北西航路]]を求めて現在のハドソン川を遡上した。しかし、彼は航路を見つけることができなかった。その結果、1615年にアイザック・ルメール([[:en:Isaac Le Maire|Isaac Le Maire]])とサミュエル・ブロマート([[:en:Samuel Blommaert|Samuel Blommaert]])は、VOCの独占を回避するために南アメリカの[[ティエラ・デル・フエゴ]]群島を抜ける南西航路を見つけることに狙いを定めた。
オランダ商人で最初にアフリカとの貿易に注目したのはバルタザール・デ・ムヘロン([[:en:Balthazar de Moucheron|Balthazar de Moucheron]])で、彼は[[セネガンビア]]地域で最初のオランダの拠点を築いた<ref>{{Cite book|title=Henry Hudson and the Rise and Fall of New Amsterdam|publisher=iUniverse|author=Dirk J. Barreveld|language=en|isbn=9780595198900|page=21|year=2001|url=https://books.google.co.jp/books?id=e4b6qndkk08C&lpg=PP1&hl=ja&pg=PA21#v=onepage&q=Senegal&f=false|accessdate=2020-11-06}}</ref>。[[アフリカ]]との貿易は、交易所や商館を設立する可能性を提供した。1612年、[[オランダ領黄金海岸]]の{{仮リンク|モリー (ガーナ)|en|Moree, Ghana|label=モリー}}にオランダの要塞が建設された。
== 脚注・出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
[[カリブ海地域|カリブ海]]との塩、砂糖、タバコの貿易はスペインによって妨げられ、和平交渉のために遅れた。スペインは、オランダ共和国がアジアやアメリカとの貿易から撤退することを条件に和平を申し出た。スペインは、西インド会社が設立される場合は、平和条約への署名を拒否するとした。この時、スペインとオランダ共和国の間で[[八十年戦争|オランダ独立戦争(1568年–1648年)]]が起きていた。{{仮リンク|法律顧問|en|Grand pensionary|label=ホラント州法律顧問}}の{{仮リンク|ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト|en|Johan van Oldenbarnevelt}}は、 {{仮リンク|12年停戦協定|en|Twelve Years' Truce|label=12年間の停戦}}と引き換えに西インドとの貿易のみを停止することを申し出た。その結果、何年間かは、オランダ船は南アメリカ海域では外国の旗を掲げて航海した。しかし、10年後、[[オランダ総督]]の[[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]はスペインとの戦争を提案したが、スペインから共和国への注目をそらすことも提案した。 1619年、彼の政敵のヨハン・ファン・オルデンバルネフェルトは処刑され、2年後に休戦が終わると、西インド会社が設立された。
''オランダ西インド会社''は、オランダ東インド会社(VOC)と同様に組織された。 VOCと同様に、GWCは[[アムステルダム]]、[[ロッテルダム]]、[[ホールン]]、[[ミデルブルフ]]、[[フローニンゲン]]におかれた支社(カーメル)と呼ばれる5つの事業所からなり、そのうちアムステルダムとミデルブルフの支社が会社に最も貢献した。取締役会は、19人会(Heeren XIX)として知られ19人のメンバーで構成されていた<ref name="WDL2">{{Cite web|url=http://www.wdl.org/en/item/4068/|title=Freedoms, as Given by the Council of the Nineteen of the Chartered West India Company to All those who Want to Establish a Colony in New Netherland|website=[[:en:World Digital Library]]|year=1630|accessdate=2013-07-28}}</ref>。GWCの統治機構は、ネーデルラント連邦のそれに似ていた。連邦政府では、決定時には地域代表による広範な議論が必要だった。19人の内訳はアムステルダムから8人、ゼーラントから4人、ノーザンクォーター(ホールンと[[エンクホイゼン]])とマース(ロッテルダムと[[ドルトレヒト]])とフローニンゲンからそれぞれ2人、そして政府からの1人だった。各地域独自の支社にはそれぞれ取締役会があった<ref>Michiel van Groesen, ''Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil''. Philadelphia: University of Pennsylvania Press 2017, pp. 37–38.</ref>。特許状の有効期間は24年に設定された。
1623年は資金調達のみが行われた。[[スターテン・ヘネラール|オランダ議会]]とVOCは、資本と助成金の形で100万[[フローリン|ギルダー]]を拠出した。[[ゾンバルト]]らは{{仮リンク|隠れユダヤ教徒|en|Crypto-Judaism}}や[[マラーノ]]がVOCとGWCの両方の形成に重要な役割を果たしたとの伝説を広めたが、調査によれば当初はユダヤ人は小さな役割しか果たしておらず、[[オランダ領ブラジル]]時代(後述)に拡大した。当初はスペイン領ネーデルラントを脱出して移住した新教徒([[カルヴァン主義|カルヴァン主義者]])がGWCに多額の投資をした<ref>[[:en:Charles R. Boxer]], ''The Dutch in Brazil, 1724-1654''. Oxford: Clarendon Press 1957, pp. 10-11.</ref>。
1621年の設立後も、一般投資家はそこまで積極的に会社に資金を投入しなかったので、オランダ議会は投資を促した。個人投資家の動きが遅かったのは、株主が「取締役の方針や普通の投資家の資金の扱いをコントロールできない」ことと、「取締役がその縁故にポストを提供するのは詐欺的だ」というものだった<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', p. 12.</ref>。VOCの取締役は、株主に相談することなくGWCに資金を投資したため、多くの株主の間で意見の相違が生じた<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', pp. 12–13.</ref>。外国人株主を引き付けるために、GWCはオランダ人と同等の立場を外国人投資家に提供し、フランス、スイス、ヴェネツィアからの出資を得た。元の1621年の特許状は、英訳され「''Orders and Articles granted by the High and Mightie Lords the States General of the United Provinces concerning the erecting of a West-Indies Companie, Anno Dom. MDCXII''」の題で公示された<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', p. 13.</ref>。1623年時点のGWCの資本金280万フロリンは、VOCの当初の資本金650万ほど大きくはなかったにせよ、かなりの金額だった。 GWCには15隻の貿易船があり、西アフリカの海岸とブラジルに定期的に運航していた<ref>Boxer, ''The Dutch in Brazil'', pp. 13–14.</ref>。
VOCとは異なり、GWCには軍隊を配備する権利がなかった。 1621年に12年停戦が終わったとき、共和国はスペインとの戦争を再開するためのフリーハンドを有していた。会社の計画、{{仮リンク|グルートデセイン|en|Groot Desseyn}}(「グランドデザイン」)は、砂糖生産と奴隷貿易を支配するという目的の下、アフリカと南北アメリカのポルトガル植民地を占領するために立案された。この計画が失敗したとき、 [[私掠船]]はGWCの主要事業の一つとなった。もとよりスペイン船から身を守るため、大砲や兵士といった商船の武装は非常に重要だった。1623年にはほぼすべての船に、おそらく(自衛のためだけでなく)[[海賊|敵船の捕獲]]を支援するために、40〜50人の兵士が乗り込んでいた<ref>{{In lang|nl}}Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 150.</ref>。
会社は当初、費用のかかるプロジェクトという点では悲惨な失敗であり、取締役は領土の征服よりもスペイン海運からの略奪に重点を移した。 GWCの最も目覚ましい成功は、新大陸のスペイン植民地からスペインに銀を運んでいた[[インディアス艦隊|スペインの銀艦隊]]の{{仮リンク|ピート・ハイン (軍人)|en|Piet Pieterszoon Hein|label=ピート・ハイン}}による捕獲だった。彼はまた、ブラジルの砂糖とか、ホンジュラスからカカオ、インディゴ、その他の貴重な商品を満載したガレオン船を拿捕した。私掠船は1620年代後半、最も収益性の高い事業だった<ref>[[:en:Jonathan I. Israel]], ''The Dutch Republic and the Hispanic World, 1606-1661''. Oxford: Clarendon Press 1982, p. 197.</ref>。しかしハインの掠奪行の成功にもかかわらず、会社の取締役は、それが長期的な利益を構築するための基礎ではないことに気づき、南北アメリカの[[イベリア連合]]の領土を占領する試みを新たにした。彼らはブラジルを目標に定めた<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', pp. 198–99.</ref>。
オランダのさまざまな地域の取締役の間で対立があった。アムステルダムは会社をあまり支持していなかった。[[ハールレム]]、[[ライデン]]、[[ゴーダ]]などの非港湾都市は、[[エンクホイゼン]]と[[ホールン]]とともに、領土の占領に熱心だった。彼らは艦隊をブラジルに送り、1630年に[[オリンダ (ブラジル)|オリンダ]]と[[ペルナンブーコ州|ペルナンブコ]]を占領してオランダ植民地を創設したが、ポルトガルの強い抵抗のために保持することはできなかった<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', pp. 201–02.</ref>。会社の船はカリブ海で私掠活動を続け、重要な土地資源、特に塩田を占領した<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', p. 203.</ref>。しかし会社は全体としては成功しておらず、彼らの株は急落した。オランダとスペインは1633年に停戦交渉を再開した<ref>Israel, ''The Dutch Republic and the Hispanic World'', p. 204.</ref>。
1629年6月7日にオランダ議会によって{{仮リンク|自由・免除勅許状|en|Charter of Freedoms and Exemptions}}が承認され、GWCは{{仮リンク|パトルーン|en|Patroon|label=パトルーン制度}}を創設して、[[ニューネーデルラント]]への投資を集めようとした。これは植民地の人口増加を助けるために創設されたもので、主にニューネーデルラント地域で、「15歳以上の」住民50人が居住する植民地を建設した投資家をパトルーンと認め、その周辺の土地を[[レーエン|領地]]として与えるものだった<ref name="WDL2"/> <ref name="WDL">{{Cite web|url=http://www.wdl.org/en/item/4066/|title=Conditions as Created by their Lords Burgomasters of Amsterdam|website=[[:en:World Digital Library]]|year=1656|accessdate=2013-07-28}}</ref>。パトルーンは、「海岸、または航行可能な川の片岸に沿って」最大{{Convert|4|mi|km}}までの土地を領地にできた。{{仮リンク|レンセラースウィック|en|Rensselaerswyck|label=レンセラー家}}はオランダ西インド会社の最も成功したパトルーンだった<ref name="WDL2"/>。
北米では、アルベルト・バーフ、サミュエル・ブロマート、サミュエル・ゴーディン、ヨアネス・デ・ラエ([[:en:Albert Burgh|Albert Burgh]], [[:en:Samuel Blommaert|Samuel Blommaert]], [[:en:Samuel Godijn|Samuel Godijn]], [[:en:Joannes_de_Laet|Johannes de Laet]])らが、ニューネーデルラントへの入植に挑んだが、移民集めの意味でもネイティブアメリカンからの防衛という意味でもほぼ失敗に終わった。{{仮リンク|キリヤン・ヴァン・レンセラー|en|Kiliaen van Rensselaer (merchant)}}だけが、ハドソン川沿いの北部に入植地を維持することができた。サミュエル・ブロマートは、南部の[[デラウェア・バレー]]に[[ニュースウェーデン]]植民地を設立することで、密かに彼自身の利益を確保しようとした。 GWCの主な目標は当時ブラジルにあった。
1630年になって初めて、西インド会社はブラジルの一部を征服することができた。ポルトガルから奪った領土に、1630年、ニューホランド植民地(首都マウリッツタッド、現在の[[レシフェ]])が設立された。しかし戦争は非常に多くの戦力を要求したので、会社は破産の恒常的な脅威の下で活動していた<ref>{{In lang|nl}}Heijer, H. den (1994) De geschiedenis van de GWC, p. 97.</ref>。実際、GWCは1636年に破産し、再建の試みはすべて失敗する運命にあった<ref>{{In lang|nl}}Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 169.</ref>。
[[ファイル:Pakhuiswic.JPG|右|サムネイル|アムステルダムのGWCの倉庫]]
ブラジルで進行中の戦争のため、特許状の期限の終わりの1645年のGWCの状況は非常に悪かった。VOCの取締役が望んでいなかったため、GWCの損失をVOCの利益で補う試みは失敗した<ref>{{In lang|nl}}Dillen, J.G. van, (1970) Van Rijkdom tot Regenten, p. 127.</ref>。両社の合併は実現不可能だった。アムステルダムはポルトガルとの和平と健全な貿易関係に強い関心があり、助けようとはしなかった。アムステルダムのこの無関心な態度は、やがて植民地を失うことにつながる、ゆっくりとした中途半端な政策の主因だった<ref>{{Smallcaps|[[:en:Charles Ralph Boxer|Boxer, C.R.]]}} (1957) The Dutch in Brazil 1624 - 1654. Oxford, Clarendon Press. ISBN</ref>。1647年に会社はVOCの資本150万ギルダーを投入することで再生された。総督はブラジルでの戦争に責任を負った。
[[ヴェストファーレン条約]]により、スペイン船の捕獲は許可されなくなった。アムステルダムと[[ゼーラント州|ゼーラント]]の多くの商人は、[[ハンブルク]]、グリュックシュタット(当時は[[デンマーク]]領)、[[イングランド|イギリス]]、その他の国の海運業や商人と協力することを決定した。 1649年、GWCは[[アクラ]]王国(現在の[[ガーナ]])で金およびアフリカ人奴隷の独占権を獲得した。 1662年に、24,000人のアフリカ人奴隷を供給することを約束した[[アシエント]]の所有者との接触があった<ref>{{In lang|nl}} Brakel, S. van (1918) Bescheiden over den slavenhandel der Westindische Compagnie, p. 50, 67. In: Economisch-Historisch Jaarboek IV.</ref>。1663年と1664年に、GWCはポルトガルとイングランドよりも多数のアフリカ人奴隷を販売した<ref>{{In lang|nl}}[http://focquenbroch.apud.net/wilre.htm Binder, F. e.a.] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20060517220722/http://focquenbroch.apud.net/wilre.htm|date=2006-05-17}} (1979) ''Dirck Dircksz. Wilre en Willem Godschalk van Focquenbroch(?) Geschilderd door Pieter de Wit te Elmina in 1669.'' Bulletin van het Rijksmuseum 27, p.7–29.</ref>。
最初の西インド会社は長期間債務に苦しみ、1674年の解散まで続いた<ref>{{In lang|nl}}Klein, P.W. (1965) De Trippen in de 17e eeuw, p. 182.</ref>。GWCが20年間生き延びた理由は奴隷貿易であり、そのための価値ある[[西アフリカ]]の拠点の保有による物だった。
* {{仮リンク|オランダの経済史 (1500–1815)|en|Economic history of the Netherlands (1500–1815)}}
* {{仮リンク|ニューネーデルラントの総長の一覧|en|List of director generals of New Netherland}}
* {{仮リンク|商社一覧|en|List of trading companies}}
* {{仮リンク|ニューホランド (アカディア)|en|New Holland (Acadia)}}
* {{仮リンク|バイーアの奪還|en|Recapture of Bahia}}
* [[17世紀頃に設立されたヨーロッパの勅許会社]]
== 注釈 ==
{{History-stub}}
{{Reflist|group=nb}}
== 脚注 ==
{{オランダ植民地帝国}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
{{Div col}}
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{{Div col end}}
== 外部リンク ==
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1621年の設立後も、一般投資家はそこまで積極的に会社に資金を投入しなかったので、オランダ議会は投資を促した。個人投資家の動きが遅かったのは、株主が「取締役の方針や普通の投資家の資金の扱いをコントロールできない」ことと、「取締役がその縁故にポストを提供するのは詐欺的だ」というものだった[8]。VOCの取締役は、株主に相談することなくGWCに資金を投資したため、多くの株主の間で意見の相違が生じた[9]。外国人株主を引き付けるために、GWCはオランダ人と同等の立場を外国人投資家に提供し、フランス、スイス、ヴェネツィアからの出資を得た。元の1621年の特許状は、英訳され「Orders and Articles granted by the High and Mightie Lords the States General of the United Provinces concerning the erecting of a West-Indies Companie, Anno Dom. MDCXII」の題で公示された[10]。1623年時点のGWCの資本金280万フロリンは、VOCの当初の資本金650万ほど大きくはなかったにせよ、かなりの金額だった。 GWCには15隻の貿易船があり、西アフリカの海岸とブラジルに定期的に運航していた[11]。
^Michiel van Groesen, Amsterdam's Atlantic: Print Culture and the Making of Dutch Brazil. Philadelphia: University of Pennsylvania Press 2017, pp. 37–38.
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外部リンク
Dutch Portuguese Colonial History Dutch Portuguese Colonial History: history of the Portuguese and the Dutch in Ceylon, India, Malacca, Bengal, Formosa, Africa, Brazil. Language Heritage, lists of remains, maps.