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2015年8月28日 (金) 07:37時点における版
芝園町(しばぞのちょう)は、埼玉県川口市の町名。
地理
埼玉県川口市の西端に位置し、戸田用水が流れる。町の中には大規模団地の芝園団地(川口芝園団地)がある。町の大半が団地や、その他の集合住宅が占めており、一戸建ての民家は極めて少ない。住民の生活圏ではJR蕨駅の周辺地域である蕨市中央や同北町などと深い結びつきがあり、蕨駅とは北町新通りで結ばれている。人口は3,818人(2006年)で減少傾向にあり、2008年には児童数の減少により川口市立芝園小学校が閉校、更に同様の理由で2013年川口市立芝園中学校も閉校した。
外国人人口
2005年1月1日現在、芝園町には、2,908世帯、5,165人が居住している。そのうち、住民基本台帳人口は3,997人(2,268世帯)であり、外国人登録者数は1,168人(670世帯)である(『統計かわぐち』川口市)。すなわち、芝園町の総人口の22.6%は外国人であり、そのほとんどは芝園団地に居住する華人(中国人)である。
川口芝園団地に居住している華人のほとんどは1980年代後半から1990年代にかけて留学生・就学生として来日したニューカマーズ(新華僑)である。大学や大学院を修了し、専門的な知識や技術の習得を経て長年に渡って滞在している者が多いようである。2003年の調査によれば、芝園団地の華人ニューカマーズの在留資格は、「技術者」、「永住者」、「配偶者」の順に多かった。大学卒以上の学歴を有する者が90%を占め、多くが技術的職業に従事している。
歴史
1934年に日本車輌製造東京支店蕨工場が作られた。1945年に工場は火災で焼失したが、半年ほどで復旧を遂げた。しかし、1970年頃になると不景気のため日本車輌製造の業績停滞が続き、工場は取り壊された。この時に工場の跡地は日本住宅公団に売却され、芝園団地の構想が立てられた。初めは30階建ての超高層住宅を建設する構想があったとされるが、1972年に工事が始まり、結果的には10-15階建ての建造物が立ち並ぶ団地となった。それでも当時としては非常に規模の大きい団地であったため、「マンモス団地」と称された。
また、現在では道路が新たに整備されたり、広場が整備されるなど、土地の再開発が進んでいる。
施設
- 川口芝園団地
- 芝園公民館
- 川口市立芝園保育所
- 芝園幼稚園
- 川口市教育研究所
- 中央図書館分室
- 川口市北消防署芝園分署
交通
鉄道
鉄道は当地を通っていないが、隣接する芝塚原・芝西・芝樋ノ爪・芝新町を東北本線(宇都宮線)、高崎線、京浜東北線が通っている。
バス
道路等
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