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Amiga

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Amiga 500と、そのデスクトップ環境かんきょうであるWorkbench 1.3(1987ねん

Amigaアミガもしくはアミーガ)は、1985ねんコモドールより発売はつばいされたパーソナルコンピューターである。その名称めいしょうは、スペインで「おんな友達ともだち」の意味いみ

概要がいよう

ファイル:Amiiga4000DP.jpg
Amiga 4000 (1992ねん)

1980年代ねんだい後半こうはんから1990年代ねんだい初頭しょとうにかけて、おも欧州おうしゅう市場いちばにおいて人気にんきはくしたパソコンである。その利点りてん強力きょうりょくなグラフィック機能きのうであり、とくに3DCGやビデオ映像えいぞうがまともにあつかえる唯一ゆいいつのパソコンであったため、映像えいぞう製作せいさくしゃメガデモ製作せいさくしゃ、アーティスト、ゲーマーなどに熱狂ねっきょうてきれられた。1987ねん発売はつばい廉価れんかばん機体きたいAmiga 500は欧州おうしゅうのゲーマーの支持しじけ、ゲームコンソールとしてさまざまなゲームがリリースされた。ハイエンドばん機体きたいはプロの現場げんばでも利用りようされ、Amigaを利用りようして製作せいさくされたCGや映像えいぞう作品さくひん当時とうじのTVにおお登場とうじょうした。

AmigaOSに搭載とうさいされたデスクトップ環境かんきょうであるWorkbenchは、1985ねん時点じてん先進せんしんてきなカラー表示ひょうじウィンドウシステム実現じつげんしており、これをGUIならぬMUI(Magic User Interface)としょうした。プリエンプティブマルチタスク実現じつげんした史上しじょうはつのパソコンようOSである。当初とうしょはCPUにモトローラMC68000採用さいようした16ビットマシンだったが、その68020・68030・68040を採用さいようした32ビットマシンも発表はっぴょうされた。

Amigaシリーズのトータルでの販売はんばい台数だいすう北米ほくべいでは70まんだい程度ていどふるわなかったが、一方いっぽうでイギリスで150まんだい、ドイツで130まんだい、イタリアで60まんだいなど、欧州おうしゅう各国かっこくたかいセールスを記録きろくしている。なかでも最大さいだいのヒットとなったのがAmiga 500(通称つうしょう「A500」)で、ドイツだけでも100まんだい以上いじょうのセールスを記録きろくしている[1]

ライバルとなるホビーパソコンのAtari STはげしいシェアあらそいをひろげたが、1990年代ねんだいになってゲームMacintoshやIBM PC/AT互換ごかん性能せいのうめんかれてしまい、マーケティングの失敗しっぱいもあって1994ねんにコモドールしゃ倒産とうさんしてしまった。シリーズ総計そうけいで600まんだいほど販売はんばいされたと推測すいそくされている。

歴史れきし

元々もともとアタリしゃのゲームAtari 2600開発かいはつ関係かんけいしており、のちAtari Lynx3DOのハードウェア設計せっけいがけるJay Minerのスタッフが、ゲーム専用せんようジョイスティック開発かいはつかくみのとしたAMIGAしゃ設立せつりつ本業ほんぎょう歯科しかの10すうめい投資とうしグループから援助えんじょけつつ、新型しんがたのゲームとして元々もともと開発かいはつしたものが初代しょだいAmiga 1000である。コードネームは「Lorraine」。しかし、どんどん機能きのう肥大ひだいして汎用はんようコンピューターとしたLorraineの開発かいはつ終了しゅうりょう販売はんばいのための資金しきんそこをつく。アメリカはアタリショック余韻よいんもあり、投資とうしグループはこれ以上いじょうのAMIGAしゃへの資金しきん援助えんじょ危険きけんだと判断はんだんする。

開発かいはつじん元々もともと関係かんけいふかかったアタリしゃのパソコン・ゲーム部門ぶもん分社ぶんしゃされたアタリコープ(以下いかアタリ)に販売はんばいちかける。しかしアタリは当時とうじ新型しんがた16bitコンピュータ、ATARI 520ST発売はつばいまえであり、このはなし実現じつげんしなかった。ここで販売はんばいもう会社かいしゃコモドールだった。パソコンメーカーは16bitコンピューターへの製品せいひん転換期てんかんきむかえていたが、Commodore64市場いちば制覇せいはした8bitパソコンのコモドールには次世代じせだいかった。これらの背景はいけいとして、コモドールの株主かぶぬし対立たいりつして追放ついほうされたコモドール創業そうぎょうしゃジャック・トラミエルわりにAtariを買収ばいしゅうし、業界ぎょうかいへのさい参入さんにゅう画策かくさくしており、そのためにアタリ社内しゃない進行しんこうちゅうのプロジェクトをすべてリセットし、一方いっぽうでコモドールの開発かいはつしゃ全員ぜんいんアタリにいて新型しんがたコンピューターの開発かいはつたらせている、などのうら事情じじょうがあった。コモドールとしてはわたりにふね、とのことで、ここでAMIGAしゃ新型しんがたコンピューターLorraineはコモドールで販売はんばいされることとなる。また、コードネームLorraineをはいして、AMIGAというブランドめい変更へんこうとなる。

1984ねんふゆコンシューマー・エレクトロニクス・ショーにて、紅白こうはく市松いちまつ模様もようのボールがまわ様子ようすがリアルタイムでアニメーションされるデモ、通称つうしょうBoing Ball』が披露ひろうされ、衝撃しょうげきてきなデビューをかざる。『Boing Ball』は現在げんざいいたるまでAmigaの象徴しょうちょうとされ、コモドールの倒産とうさんはロゴとしても採用さいようされている。

1985ねん最初さいしょ製品せいひんAmiga 1000がリリースされた。同年どうねんにライバルAtari 520STもリリースされ、この2機種きしゅがホームコンピューター市場いちば席巻せっけんする。8ビット時代じだいにはコモドール・アタリとならぶパソコン御三家ごさんけ一角いっかくとしてApple II販売はんばいしていたアップルしゃも、これら2機種きしゅへの対抗たいこうとして1986ねんにApple IIを16ビットしグラフィック機能きのう強化きょうかしたApple II GS投入とうにゅうし、1980年代ねんだいの16ビットホビーパソコン市場いちばはこの3機種きしゅによるシェアあらそいとなった。MIDIポートとこう解像度かいぞうどモノクロディスプレイモードを搭載とうさいしてミュージシャンやCADきゃど方面ほうめん人気にんきがあったAtari STにたいし、AmigaはCG製作せいさくしゃ映像えいぞう製作せいさくしゃ人気にんきがあったが、Apple IIGSは人気にんきめんでAmigaやAtari STにおくれをっていた。(ちなみに、アップルが1984ねん発売はつばいしたMacintosh白黒しろくろ表示ひょうじしかできず、ビジネス市場いちば視野しやれた高性能こうせいのう機種きしゅとして位置いちづけられており、Amigaなどと競合きょうごうするホビーパソコンではなかった[2]。)

Amiga 500はゲームコンソールとしてゲーマーの支持しじけた。ちなみに画像がぞうえいシグノシスしゃ『Leander』で、パッケージに日本語にほんごであおりぶんかれているなどオタクブームの影響えいきょうけた作品さくひんひと

1987ねんには廉価れんかばんAmiga 500とハイエンドばんのAmiga 2000がリリース。Amigaは倒産とうさんまで廉価れんかばんとハイエンドばんほんばしらでリリースされた。「ゲームパソコン」として、人気にんきゲームやジョイスティックととも購入こうにゅうされることを前提ぜんてい販売はんばいされたAmiga 500はゲーマーに好評こうひょうけたが、699あめりかドルと廉価れんかながら使つかいやすいGUIによるOSを搭載とうさいしていたため初心者しょしんしゃユーザーの支持しじおおきかった。

1990ねんにはOSがVer.2にメジャーバージョンアップし、高性能こうせいのうなECSチップセットとMC68030搭載とうさいしたAmiga 3000をリリース。てきにも絶頂ぜっちょうむかえ、Atari STを圧倒あっとうするが、一方いっぽうでこのころからハードウェア性能せいのうMacintoshPC/AT互換ごかんかれる。北米ほくべいではビジネスユースで圧倒的あっとうてきなシェアをPC/AT互換ごかんがホームコンピューターの市場いちばっていたこと、玩具おもちゃ安売やすうりされるなどのCommodore64以来いらい販路はんろが「ゲームみの玩具おもちゃパソコン」として敬遠けいえんされたこと、趣味しゅみでデスクトップムービーをあつかうようなそう欧州おうしゅうくらべてかぎられていたことなどから、このころからはAmigaの市場いちばはほぼ欧州おうしゅうのみとなっていた。世界せかいてきにシェアをつモトローラけいのメジャープラットホームはMacのみとなり、モトローラがMacのみに注力ちゅうりょくするようになったため、Amigaなどには最新さいしん部品ぶひん(MC68040など)が供給きょうきゅうされなくなり、ますますひろがった。

1991ねんフィリップス規格きかく制定せいていしたマルチメディアであるCD-iプレーヤーに対抗たいこうして、Amiga 500のハードをそのまま流用りゅうようしたCDTVを「マルチメディア」としてしたが商業しょうぎょうてき失敗しっぱいわる(ちなみにCD-iも失敗しっぱいしている)。また同年どうねん、Amiga 500の改良かいりょうばんとしてWorkBench 2.0を搭載とうさいしたAmiga 500+をリリース。ユーザーインターフェイスは進化しんかしたものの、WorkBench 1.3を搭載とうさいしていたAmiga 500との互換ごかんせいとぼしく、いくつかのAmiga 500ようのゲームがうごかなかったためにゲーマーの不評ふひょうう。一部いちぶのゲーマーはAmiga 500+にWorkBench 1.3をロードさせるプログラムを使つかって対処たいしょした。

1992ねん、Amiga 500+の改良かいりょうばんとしてAmiga 600をリリース。コモドールは16ビットから32ビットへの移行いこうにあたって、16ビットであるAmiga 500シリーズを32ビットたいするさい廉価れんかラインと位置いちづけ、そろそろゲームコンソールとしての役目やくめえようとしていた8ビットゲームパソコンCommodore64/128シリーズをこのAmiga 500シリーズでえる目論見もくろみであった。コモドールはAmiga 600を「レミングス」などの人気にんきゲームやグラフィックスエディタの「デラックスペイント」とわせにしてAmiga 500とどう価格かかくたい販売はんばいしたが、すでにAmiga 500シリーズはゲームとしては性能せいのう陳腐ちんぷしており、欧州おうしゅうのゲーマーは1990ねんまつにリリースされたSEGA MEGA DRIVE[3]にどんどん移行いこうしていったため、結局けっきょくAmiga 500シリーズはられ、本来ほんらい上位じょうい機種きしゅ位置いちづけられていたAmiga 1200がゲーマー廉価れんか機種きしゅとして投入とうにゅうされる羽目はめになってしまう。1990ねん前後ぜんこうより欧州おうしゅう各国かっこくオタクブームがこり、Amiga 500でも『アビヂャ』や『タリカン3』など日本にっぽんせいアニメのつよ影響えいきょうけたゲームがおおくリリースされるが、MEGA DRIVEにてリリースされる本家ほんけ日本にっぽんせいゲームはしつりょうどもにAmigaを圧倒あっとうしており、Amigaは欧州おうしゅうのオタクそう支持しじうしなった。

おなじく1992ねん、Amiga OS Ver.3と最新さいしんのAGAチップセットを搭載とうさいしたAmiga 1200とAmiga 4000をリリース。しかし経営けいえいくるしく、とくにゲームパソコンとしてAmiga 500につづくヒットが期待きたいされたAmiga 1200対応たいおうのゲームがそろわないのが痛手いたでであった。安価あんかなPCとはえコンシューマーよりもはるかに高価こうか、PC/AT互換ごかんでもVGASoundBlaster標準ひょうじゅんとなったこのころにはかつてのような先進せんしんせいうしなわれ、市場いちばもゲームメーカーも欧州おうしゅうにしかい、などさまざまなマイナス要素ようそがあったためである。これまでAmiga 500ようのゲームを供給きょうきゅうつづけてきた欧州おうしゅうのゲームメーカーも、Amigaにおけるゲームの違法いほうコピーの蔓延まんえんとMEGA DRIVEの爆発ばくはつてき普及ふきゅうて、Amiga 1200よりげが見込みこめるMEGA DRIVE(あるいはPC/AT互換ごかん)にえるところ続出ぞくしゅつした。Amigaのげの低迷ていめいくわえ、同年どうねんにはコモドールがCommodore 64/Amiga事業じぎょう平行へいこうしてすすめていたPC/AT互換ごかん事業じぎょう失敗しっぱいわり、事業じぎょう清算せいさんするなど、会社かいしゃかたむはじめる。同年どうねん、アタリからは対抗たいこうとしてAtari Falcon投入とうにゅうされていたが、すで欧州おうしゅうでもホームコンピュータ市場いちば消滅しょうめつしつつあり、アタリも経営けいえいくるしいのにはわりがかった。両社りょうしゃとも業績ぎょうせき悪化あっかともなってハードウェア開発かいはつ停滞ていたいしており、パーツのコモディティともなってどんどん価格かかくがるPC/AT互換ごかん比較ひかくして価格かかく性能せいのうわるく、かつてのライバルであったAppleのMacintosh Quadraには性能せいのうめん対抗たいこうできなかった。Amigaの最新さいしん機種きしゅであるはずのAmiga 1200とAmiga 4000に搭載とうさいされたAGAチップセットがECSチップセットの小規模しょうきぼ改良かいりょうぎず、またAmiga 1200にMC68030ではなく時代遅じだいおくれのMC68020を採用さいようするなど、当時とうじ流行りゅうこうであったSVGA対応たいおうマルチメディアPCの対抗たいこうとなりえなかったことは、プロユーザーとゲーマーをおおいに失望しつぼうさせた。

なお1992ねんには、日本にっぽんではAmigaで作成さくせいされたCGが前面ぜんめんされた「ウゴウゴルーガ」の放映ほうえいがスタートしている。

1993ねん、MEGA DRIVEにうばわれたゲーム市場いちば奪回だっかいすべく、Amiga 1200を改良かいりょうし、ゲームパソコンではなく純粋じゅんすいなゲームとしてデザインしたAmiga CD32をリリース。パソコンをもとにしているとは史上しじょうはつの32ビットゲームであったが、MEGA DRIVEの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』に相当そうとうするキラータイトルが用意よういできず、ゲーマーにアピールするところが失敗しっぱいわる。このAmiga CD32が実質じっしつてきにAmiga最後さいごのハードとなった。一方いっぽう同年どうねんにはアタリもゲームAtari Jaguarをリリース。Jaguarに注力ちゅうりょくするためとの名目めいもくでFalconの出荷しゅっか停止ていしし、ついにパソコン市場いちばから撤退てったいするが、Atari JaguarもAmiga CD32とおなじく失敗しっぱいわった。北米ほくべいではもはや映像えいぞうのプロくらいしか顧客こきゃくいAmigaをあつか小売こうりてん皆無かいむひとしく、欧州おうしゅうでもAmigaがれているのはドイツとイギリスのみとなっていた。

AmigaOne X1000とAmigaOS 4.1(2012ねん)

1994ねん6がつ、AmigaのみのおやであるJay Minerが死去しきょ。その2ヵ月かげつにコモドールは倒産とうさんする。Amiga 4000のタワーがた筺体「Amiga 4000T」が型番かたばんてきにはAmigaシリーズ最後さいごの、そしてコモドール最後さいごのハードとなっている。コモドール倒産とうさんまえヒューレット・パッカードしゃせいペンティアム互換ごかんCPU、AGAチップセットを上回うわまわるAAAチップセット搭載とうさいWindows NT駆動くどうAmiga 6000制作せいさく発表はっぴょうされるが、結局けっきょくこのマシンはことかった。

コモドール倒産とうさん、Amigaの版権はんけん各社かくしゃ転々てんてんとする。コモドール末期まっきのハードAmiga 4000Tなどは、版権はんけんいだドイツのEscomしゃした生産せいさんされた出荷しゅっかすうのほうがおおい。Amigaはドイツではまだ人気にんきがあったし、くにでも特定とくてい方面ほうめんには依然いぜんとしておおきな需要じゅようがあったが、親会社おやがいしゃ経営けいえい方針ほうしんのために倒産とうさん時点じてんでハードの開発かいはつまってしまい、MacやPCにたいして性能せいのうてきにどんどんみずをあけられ、一方いっぽうではLightwaveなど主要しゅようなサードパーティーせいソフトの機種きしゅへの移植いしょくすすみ、徐々じょじょおもて舞台ぶたいから姿すがたしてゆく。ときおなじくしてのホームコンピュータ(MSXやイギリスのAcorn Archimedes日本にっぽんではFM TOWNSX68000などがこれにたる)も次々つぎつぎ死滅しめつしていき、パソコン市場いちばはPC/AT互換ごかんとMacintoshが席巻せっけんするようになった。

2000年代ねんだいはいってから版権はんけん獲得かくとくしたゲートウェイより独立どくりつしたAmigaしゃもと開発かいはつ再開さいかいし、AmigaしゃがライセンスしたPower PCベースの後継こうけいAmigaOne製作せいさくされるなどしているが、すで機種きしゅ対抗たいこうできるレベルにはなりず、懐古かいこ趣味しゅみしゃ細々こまごま販売はんばいされているかたちであり、往時おうじいきおいはない。それでも開発かいはつ継続けいぞくされており、2012ねん現在げんざい最新さいしんのハードは2012ねん1がつ発売はつばいのAmigaOne X1000である。一方いっぽう、コモドール時代じだいきゅうAmigaにかんしてはWindowsやMacじょうにて動作どうさするUAEなどのエミュレータが存在そんざいしており、そちらを利用りようしている懐古かいこ趣味しゅみしゃもいる。

Amigaの周辺しゅうへん

フォーマット

グラフィック部分ぶぶんにおいては標準ひょうじゅんとされたフォーマットであるIFFのTIFF(タグきIFF)となり、サウンドにおいてはMOD、MED、OctaMEDとうのフォーマットがAMIGA以外いがいのパーソナルコンピュータでもひろ使つかわれた。

メガデモ

北欧ほくおうをメインとするヨーロッパ地域ちいきにはcommodore64などを利用りようしたコンピュータによる映像えいぞう作品さくひん(デモ)を製作せいさくするデモシーンばれる文化ぶんか存在そんざいしていたが、Amigaの登場とうじょうによってデモシーンはおおいにがった。メガデモとはAmigaの1MBらずのフロッピーディスクおさまるデータでどれだけ秀逸しゅういつなデモを製作せいさくできるかをきそうものであり、現在げんざいいたるまでデモシーンの代名詞だいめいしとなっている。ヨーロッパでもっと普及ふきゅうした機種きしゅはAmiga 500であったため、デモシーンにおいてもAmiga 500が基本きほんとなった。わずか8MHzのMC68000を搭載とうさいしたAmiga 500が、CPUてきにはその10ばい以上いじょう性能せいのうPentiumPowerPC搭載とうさいしたパソコンが主流しゅりゅうとなった1990年代ねんだい中盤ちゅうばんいたってもデモシーンの中心ちゅうしんたりえたのは、メガデモグループの技術ぎじゅつりょくたかさとカスタムチップの賜物たまものといえる。一方いっぽうで、こう品質ひんしつなメガデモであればあるほどAmiga 500に極限きょくげんまで最適さいてきされていたため、それ以外いがい機種きしゅではまともにうごかなかったことが、Amiga 600などの後継こうけい普及ふきゅうさまたげた一因いちいんともなった。

CG・映像えいぞう製作せいさく

Amiga 1000と、Amigaを代表だいひょうするペイントソフト・デラックスペイントをもちいて作画さくがされたCG(1985ねん

Amigaはてい価格かかくなパソコンでありながら、プロのあいだでは高価こうかSGIのワークステーションIRIX匹敵ひってきする人気にんきち、テレビや映像えいぞうソフトの製作せいさく現場げんばでも大々的だいだいてき利用りようされた。サードパーティーが発売はつばいした拡張かくちょうスロットを利用りようするハードウエア「Video Toaster」によるビデオの制御せいぎょ、およびその3DCGソフトウエアであるLightWave3Dが有名ゆうめいで、『マックス・ヘッドルーム』や『バビロン5』などのSFドラマの製作せいさく活用かつようされた。日本にっぽんにおいても子供こども番組ばんぐみウゴウゴルーガ』に実際じっさいにアミーガで作成さくせいされたCGが使用しようされていたほか、アミーガを代表だいひょうするペイントソフトであるデラックスペイント[4]使用しようして作成さくせいされたCGを使用しようした番組ばんぐみ多数たすう存在そんざいした。元気げんきるテレビ初期しょきオープニングとうがその代表だいひょうれいである。コモドールが倒産とうさんしたのちも、映像えいぞう編集へんしゅうソフトのPersonal Animation Recorder(PAR、のdpsReality)、3DCGソフトのLightWave、アニメーションマスターCinema 4Dなどのおもだったソフトはプラットホームにてリリースされており、とくにLightWaveは2010年代ねんだいにおいてもなお業界ぎょうかい主流しゅりゅうソフトのひとつである。

ゲーム

欧米おうべいではゲーミングマシンとしてAmiga500の人気にんきたかく、北米ほくべいでは1990ねんごろまで、欧州おうしゅうでは1990年代ねんだい前半ぜんはんまで命脈めいみゃくたもった。Amigaから人気にんきがついたゲームで日本にっぽんでも知名度ちめいどたかものとしては「ポピュラス」や「レミングス」などがげられる。欧米おうべいのみで発売はつばいされ人気にんきのある、いわゆるようゲー数多かずおおい。ちなみにコモドールの本社ほんしゃはアメリカだったが、デモシーンの存在そんざいやゲーマーたちの支持しじによりAMIGAはアメリカよりもヨーロッパで人気にんきがあり、Amigaのメガデモ製作せいさくした若者わかものがゲーム業界ぎょうかいにスカウトされるなどのこう循環じゅんかんのおかげで、ヨーロッパではAMIGA専用せんようのゲームも多数たすうあった。『Speedball』や『Alien Breed』とったAmigaの代表だいひょうてきなゲームのいくつかは現代げんだいふうリメイク作品さくひんが2000年代ねんだい以降いこうのコンシューマでもリリースされるなど、なが人気にんきっている。

またコンシューマけゲーム開発かいはつ環境かんきょうとしてもすくなからず使つかわれ、日本にっぽんでは有限ゆうげん会社かいしゃワープのDの食卓しょくたく製作せいさくにももちいられた。当時とうじ高度こうどなフル3Dの映像えいぞうをリアルタイムで描写びょうしゃできる家庭かていようゲーム存在そんざいしなかったので、CGムービーと静止せいしをつなぎわせた擬似ぎじ3Dアドベンチャーとして発売はつばいされた。には、プレイステーションようゲーム『ウィザードリィVII ガーディアの宝珠ほうしゅ』のグラフィックス製作せいさくにもAmigaはもちいられている。

その使用しようれい

Amiga OS 2.0以前いぜんには合成ごうせい音声おんせいの「sayコマンド」が付属ふぞくしており、平沢ひらさわすすむ自身じしん楽曲がっきょく使用しようしていた。平沢ひらさわ演奏えんそうやミュージックビデオ製作せいさくなどにAmigaを多用たようする熱狂ねっきょうてきなAmigaファンであり、のちにAmiga OS 4.0の起動きどうおんがけることとなる。

また、キヤノンのゼロワンショップの宣伝せんでん使用しようされたマックス・ヘッドルーム主人公しゅじんこうもAmigaで作成さくせいされたCGをもちいていた。

日本にっぽんでのAmiga

コモドールしゃはアメリカの会社かいしゃであり、Amigaはアメリカ、ヨーロッパ、南米なんべいといったアルファベットを使用しようするくに普及ふきゅうした。しかしながら漢字かんじやアラビア文字もじなどが使つかえなかったため、それらアルファベットのくにではあまり普及ふきゅうしなかった。コモドールジャパンからも販売はんばいされていたが日本語にほんご使用しようできなかったため、あまり普及ふきゅうしなかった(のち日本語にほんご入力にゅうりょくシステムが開発かいはつされたがながれをえるまでにはいたらなかった)。日本にっぽんで1980年代ねんだい前半ぜんはんVIC-1001マックスマシーンをヒットさせたコモドールジャパンはコモドール64やAmigaの販売はんばい失敗しっぱいし、1990ねん前後ぜんこう活動かつどう停止ていししたため、それ以降いこうにAmigaを入手にゅうしゅするには秋葉原あきはばら御徒おかちまちなどにすう店舗てんぽ存在そんざいしたAmiga専門せんもんてん購入こうにゅうするか、欧米おうべいから個人こじん輸入ゆにゅうするしかなく、いずれにしてもハードルがたかいものであった。Amigaは画像がぞう映像えいぞう加工かこう処理しょりすぐれていたため一部いちぶのデザイナーやゲームクリエイターには絶大ぜつだい人気にんきがあり、日本にっぽんにAmigaをらしめたテレビ番組ばんぐみである「ウゴウゴルーガ」に参加さんかした個人こじんクリエーターたち軒並のきなみAmigaをもちいていたほどだったが、一方いっぽう欧州おうしゅうでデモシーンを牽引けんいんしたような一般いっぱんのPCマニアなユーザーの支持しじられなかった。

日本にっぽんでは1987ねん発売はつばいされAmigaとおなじくCPUにMC68000を採用さいようしマルチメディアにつよみをったシャープX68000和製わせいAmigaとばれ[よう出典しゅってん]、パソコンオタクユーザーの支持しじ欧米おうべいのデモシーンとくらべても遜色そんしょくないハイクオリティな同人どうじんシーンを形成けいせいしたが、シャープはパソコンが本業ほんぎょうではなく積極せっきょくてき展開てんかいおこなわなかったことと、40まんえんちか高価こうか価格かかく設定せっていもあっておおきなシェアをることはできなかった。

Amigaが欧米おうべいでゲームハードとして支持しじされた1980年代ねんだい後期こうきから1990年代ねんだい初頭しょとうにかけて、日本にっぽんではPC/AT互換ごかんよりさらにひくいグラフィック性能せいのうしかたないPC-8800シリーズやPC-9800シリーズがホビーパソコン市場いちば寡占かせんてきなシェアをていたため、パソコンけゲームはコンシューマーけにくらべて圧倒的あっとうてき不利ふりとなり、コンシューマではリリース不可能ふかのう成人せいじんけゲームをのぞいて衰退すいたいしてしまった。PC/AT互換ごかん性能せいのうがAmigaをいた1990年代ねんだい中頃なかごろには、欧米おうべいのパソコンゲーム会社かいしゃはプラットホームをPC/AT互換ごかんうつし、どう時期じき日本にっぽんでブームとなったPC/AT互換ごかんはたWindows95とともに日本にっぽん流入りゅうにゅうして「ようゲー」として日本にっぽんおどろきをあたえることとなるが、ぎゃく成人せいじんけパソコンゲームが高度こうど発展はってんした日本にっぽんでは、CGや同人どうじんシーンなどの分野ぶんやもそれに牽引けんいんされて独特どくとく方向ほうこう発展はってんし、のちに「文化ぶんかとして欧米おうべいおどろきをあたえることになる。

ハードウェア

カスタムチップセット

Amiga600の内部ないぶ構造こうぞう
Amiga1200のメインボード
Blizzard 1230 Mk III アクセラレータ。Amiga 1200にMC68030のゲタをかせる

AMIGAは発売はつばい当初とうしょより複数ふくすう強力きょうりょくなカスタムチップを搭載とうさいしていた。4096しょくパレットちゅう16しょく表示ひょうじ、ないしは32しょく表示ひょうじ特殊とくしゅモードであるHAMでは4096しょく全部ぜんぶ表示ひょうじスプライト機能きのうゆうするグラフィックのAgnusとDenise、PCM音源おんげん同時どうじ発音はつおんすう4おとと、サウンド関連かんれん処理しょり得意とくいとしたPaulaの3つである。この3つのカスタムチップのわせをのちにOCS(Original Chip Set)とぶ。そして、これらのカスタムチップはCPU命令めいれいかいさず、独自どくじにメモリにアクセスできる権限けんげんっていた。これをダイレクトメモリアクセスぶ。

のちにアクセスできるメモリーすうやしたECS(Enhanced Chip Set)がAmiga 500Plus、そしてAmiga3000での標準ひょうじゅんカスタムチップセットとなった。

なお、実際じっさいAmiga 3000設計せっけいにはのちAmiga 4000Amiga 1200、そしてAmiga CD32搭載とうさいされたカスタムチップセットであるAGA(Advanced Graphics Architecture、またはイギリスではAdvanced Graphics Arrayとぶ)チップセットは完成かんせいしていたらしいが、コモドールはAmiga 3000搭載とうさいすることをわざわざ見送みおくったらしい。AGAチップセットの内訳うちわけ画像がぞう関係かんけいはAlice、Lisaというカスタムチップが処理しょりし、音声おんせい関係かんけいふたたびPaulaがあつかった。これでAmigaは24bitカラーちゅう256しょく同時どうじ発色はっしょく特殊とくしゅモードであるHAM-8では262,144しょく同時どうじ発色はっしょくできるようになっていた。

また、ライバルであるアップル Macintoshは初期しょき白黒しろくろ2しょく表示ひょうじであり、Amigaより高価こうかだったにもかかわらず画像がぞう表示ひょうじてん市場いちばあたえるインパクトは初代しょだいAmigaには到底とうていおよばなかった。しかし、Macintoshは1987ねんMacintosh IIで256しょく同時どうじ表示ひょうじ実現じつげんし、のちに24ビットカラーに移行いこうしていく。Macの描画びょうがエンジンであるQuickDrawはカラー考慮こうりょして設計せっけいされており、Amigaのような互換ごかんせい問題もんだいはほとんどしょうじなかった。カスタムチップにたよらずソフトウェアの工夫くふう様々さまざま機能きのう実現じつげんするというMacintoshの設計せっけい思想しそうはAmigaとは対照たいしょうてきであり、Amigaの強力きょうりょくなカスタムチップは、互換ごかんせいたもちながら高性能こうせいのうはかっていくにあたって足枷あしかせとなったてん否定ひていできない。

Amigaのグラフィックス

AMIGAのグラフィック表示ひょうじ方式ほうしき通常つうじょうのWindowsパソコン、またMacintoshとうおおきくことなる。これら普通ふつうのパソコンでの画像がぞう処理しょりは、VRAMという特殊とくしゅRAMのメモリひとひとつがモニターのピクセルと関連付かんれんづけられていて画像がぞう処理しょりたびわる、ビットマップ方式ほうしきばれるもので、高速こうそくなスクロール処理しょりにはかない、といった欠点けってんつ。 たいしてAMIGAはWindowsを採用さいようする以前いぜんPC-9801シリーズなどとた、ビットプレーン方式ほうしきという画像がぞう処理しょり方法ほうほう採用さいようしていた。単色たんしょく画面がめん複数ふくすうかさねることで多色たしょく表示ひょうじをする構造こうぞうで、ビットマップ方式ほうしきくらべるとビットプレーン方式ほうしきいろすうすくない場合ばあいにスクロール処理しょり比較的ひかくてき有利ゆうりである。AMIGAは使用しよう目的もくてきわせて必要ひつよう画面がめんかずえること処理しょり速度そくどとメモリの節約せつやくをしていた。VRAMというグラフィック表示ひょうじ専用せんようのメモリ領域りょういきく、各種かくしゅカスタムチップでメモリを共用きょうようしていたからである。

OS

Amiga OSは当初とうしょはAmiga DOSとばれていた。パソコンようのOSとしては、ほぼはじめての「ほとんどがCでかれた」OSである。ブートようファームウェアであるKickstartと、デスクトップ環境かんきょうであるWorkBenchから構成こうせいされる。

Amiga 1000開発かいはつにブートROMの製作せいさくわず、発売はつばい当初とうしょはブートROMをKickStartというのフロッピーディスクで提供ていきょうしていた。Amiga 500のリリースにはKickStartROM1.2がROMとして搭載とうさいされた。

当時とうじのAmiga500はROMがハンダけされておらず基板きばん直接ちょくせつまれていた。そのため、Amiga 500のはつ出荷しゅっか搬送はんそう衝撃しょうげきでROMががる事例じれい報告ほうこくされ、購入こうにゅうしたユーザーが筐体きょうたいけてゆびでROMを基板きばんんでいた。

そのAMIGAのデスクトップ環境かんきょう、WorkBenchがメジャーアップデートをおこなさいには、システムディスクとわせてROMもどうこりされた。ユーザーはOSのアップデートをおこなさいに、本体ほんたい接続せつぞくされているきゅうバージョンのROMをはずし、あたらしいKickStartROMにえる必要ひつようがあった。ヨーロッパで多数たすうリリースされたMegaDemoが要求ようきゅうするROMのバージョンは1.2だったため、1.2と2.1のROMを2まい接続せつぞく必要ひつようおうじてえるボードなど、AMIGAならではの周辺しゅうへん機器きき発売はつばいされることとなった。

なお、AmigaOSはUNIXをした独自どくじ開発かいはつのものだった。フロッピーディスクのみでも完璧かんぺきマルチタスク動作どうさし、アイコンサイズの制限せいげん、2DD 880Kフォーマット、ファイルめいに256文字もじ使用しよう可能かのうひとし、1985ねん当時とうじとしては非常ひじょう画期的かっきてきなものだった。

Amiga OS 4.0の開発かいはつは2001ねんより開始かいしし、当初とうしょ2002ねんリリース予定よていだったが、権利けんり関係かんけいから開発かいはつ会社かいしゃふるいOSのソースコードしか提供ていきょうされなかったこともあって大幅おおはばおくれ、2006ねんにようやくAmigaOneようのOSがリリースされた(サードパーティーせいゲタせたきゅう世代せだいAmigaで動作どうさするバージョンのリリースは2007ねん)。OSのリリースまえにAmigaOneが生産せいさん終了しゅうりょうしてしまったこともあり、OSの開発かいはつ会社かいしゃとAmigaしゃあいだ訴訟そしょう合戦かっせんおこなわれた。なお、Amiga OS 4.0の起動きどうおんがけているのは平沢ひらさわすすむである。

機種きしゅ

Amiga 4000のコンピューター内部ないぶ
  • Amiga 1000
  • Amiga 500
  • Amiga 2000
  • Amiga 2000HD
  • Amiga 2500(68030搭載とうさい
  • Amiga 2500/30
  • Amiga 3000(68030搭載とうさい
  • Amiga 3000T
  • Amiga 3000/40
  • Amiga 3000UX Series
  • CDTV
  • CDTV32
  • Amiga CD32
  • Amiga 500Plus
  • Amiga 600
  • Amiga 600HD
  • Amiga 4000(68040搭載とうさい表示ひょうじ強化きょうか
  • Amiga 1200(68020搭載とうさい表示ひょうじ強化きょうか
  • Amiga 1200HD
  • Amiga 4000/30
  • Amiga 4000T
  • Amiga 1500

関連かんれん項目こうもく

参照さんしょう

  1. ^ Amiga Formatの1993ねん6がつごうによる[1]
  2. ^ Macintoshは1987ねんMacintosh IIでカラー、1990ねんにアップルはApple IIGSの後継こうけいとして安価あんかかつカラー表示ひょうじ可能かのうMacintosh LCをリリースし、1990年代ねんだいにはApple IIにわってMacがAmigaの競合きょうごうとなる。
  3. ^ メガドライブ欧州おうしゅうばん。SNES(スーパーファミコン)やTurboGrafx-16(PCエンジン)をおさえて欧州おうしゅう市場いちばにぎった
  4. ^ デラックスペイントはエレクトロニック・アーツ開発かいはつしたペイントソフト。のちにPC・コンシューマゲームのメーカーとなるエレクトロニック・アーツは、かつてはAmigaを代表だいひょうするソフトメーカー・ゲームメーカーであった

外部がいぶリンク