名 な 機 き Amiga 500と、そのデスクトップ環境 かんきょう であるWorkbench 1.3(1987年 ねん )
Amiga (アミガ もしくはアミーガ )は、1985年 ねん にコモドール より発売 はつばい されたパーソナルコンピューター である。その名称 めいしょう は、スペイン語 ご で「女 おんな 友達 ともだち 」の意味 いみ 。
概要 がいよう
ファイル:Amiiga4000DP.jpg Amiga 4000 (1992年 ねん )
1980年代 ねんだい 後半 こうはん から1990年代 ねんだい 初頭 しょとう にかけて、主 おも に欧州 おうしゅう 市場 いちば において人気 にんき を博 はく したパソコンである。その利点 りてん は強力 きょうりょく なグラフィック機能 きのう であり、特 とく に3DCGやビデオ映像 えいぞう がまともに扱 あつか える唯一 ゆいいつ のパソコンであったため、映像 えいぞう 製作 せいさく 者 しゃ 、メガデモ 製作 せいさく 者 しゃ 、アーティスト、ゲーマーなどに熱狂 ねっきょう 的 てき に受 う け入 い れられた。1987年 ねん 発売 はつばい の廉価 れんか 版 ばん 機体 きたい Amiga 500は欧州 おうしゅう のゲーマーの支持 しじ を受 う け、ゲームコンソールとしてさまざまなゲームがリリースされた。ハイエンド版 ばん 機体 きたい はプロの現場 げんば でも利用 りよう され、Amigaを利用 りよう して製作 せいさく されたCGや映像 えいぞう 作品 さくひん が当時 とうじ のTVに多 おお く登場 とうじょう した。
AmigaOSに搭載 とうさい されたデスクトップ環境 かんきょう であるWorkbenchは、1985年 ねん の時点 じてん で先進 せんしん 的 てき なカラー表示 ひょうじ のウィンドウシステム を実現 じつげん しており、これをGUI ならぬMUI(Magic User Interface)と称 しょう した。プリエンプティブマルチタスク を実現 じつげん した史上 しじょう 初 はつ のパソコン用 よう OSである。当初 とうしょ はCPUにモトローラ のMC68000 を採用 さいよう した16ビットマシンだったが、その後 ご 68020・68030・68040を採用 さいよう した32ビットマシンも発表 はっぴょう された。
Amigaシリーズのトータルでの販売 はんばい 台数 だいすう は北米 ほくべい では70万 まん 台 だい 程度 ていど と奮 ふる わなかったが、一方 いっぽう でイギリスで150万 まん 台 だい 、ドイツで130万 まん 台 だい 、イタリアで60万 まん 台 だい など、欧州 おうしゅう 各国 かっこく で高 たか いセールスを記録 きろく している。中 なか でも最大 さいだい のヒットとなったのがAmiga 500(通称 つうしょう 「A500」)で、ドイツだけでも100万 まん 台 だい 以上 いじょう のセールスを記録 きろく している[ 1] 。
ライバル機 き となるホビーパソコンのAtari ST と激 はげ しいシェア争 あらそ いを繰 く り広 ひろ げたが、1990年代 ねんだい になってゲーム機 き やMacintosh やIBM PC/AT互換 ごかん 機 き に性能 せいのう 面 めん で追 お い抜 ぬ かれてしまい、マーケティングの失敗 しっぱい もあって1994年 ねん にコモドール社 しゃ は倒産 とうさん してしまった。シリーズ総計 そうけい で600万 まん 台 だい ほど販売 はんばい されたと推測 すいそく されている。
歴史 れきし
元々 もともと アタリ 社 しゃ のゲーム機 き Atari 2600 の開発 かいはつ に関係 かんけい しており、後 のち にAtari Lynx や3DO のハードウェア設計 せっけい を手 て がけるJay Miner 他 た のスタッフが、ゲーム機 き 専用 せんよう ジョイスティック 開発 かいはつ を隠 かく れ蓑 みの としたAMIGA社 しゃ を設立 せつりつ 。本業 ほんぎょう が歯科 しか 医 い の10数 すう 名 めい の投資 とうし 家 か グループから援助 えんじょ を受 う けつつ、新型 しんがた のゲーム機 き として元々 もともと 開発 かいはつ したものが初代 しょだい のAmiga 1000 である。コードネームは「Lorraine」。しかし、どんどん機能 きのう が肥大 ひだい して汎用 はんよう コンピューターと化 か したLorraineの開発 かいはつ 終了 しゅうりょう 後 ご 、販売 はんばい のための資金 しきん が底 そこ をつく。アメリカはアタリショック の余韻 よいん もあり、投資 とうし 家 か グループはこれ以上 いじょう のAMIGA社 しゃ への資金 しきん 援助 えんじょ は危険 きけん だと判断 はんだん する。
開発 かいはつ 陣 じん は元々 もともと 関係 かんけい が深 ふか かったアタリ社 しゃ のパソコン・ゲーム機 き 部門 ぶもん が分社 ぶんしゃ 化 か されたアタリコープ(以下 いか アタリ)に販売 はんばい を持 も ちかける。しかしアタリは当時 とうじ 、新型 しんがた 16bitコンピュータ、ATARI 520ST の発売 はつばい 前 まえ であり、この話 はなし は実現 じつげん しなかった。ここで販売 はんばい を申 もう し出 で た会社 かいしゃ がコモドール だった。パソコンメーカーは16bitコンピューターへの製品 せいひん の転換期 てんかんき を迎 むか えていたが、Commodore64 で市場 いちば を制覇 せいは した8bitパソコンの雄 お コモドールには次世代 じせだい 機 き が無 な かった。これらの背景 はいけい として、コモドールの株主 かぶぬし と対立 たいりつ して追放 ついほう されたコモドール創業 そうぎょう 者 しゃ のジャック・トラミエル が代 か わりにAtariを買収 ばいしゅう し、業界 ぎょうかい への再 さい 参入 さんにゅう を画策 かくさく しており、そのためにアタリ社内 しゃない で進行 しんこう 中 ちゅう のプロジェクトを全 すべ てリセットし、一方 いっぽう でコモドールの開発 かいはつ 者 しゃ を全員 ぜんいん アタリに引 ひ き抜 ぬ いて新型 しんがた コンピューターの開発 かいはつ に当 あ たらせている、などの裏 うら 事情 じじょう があった。コモドールとしては渡 わた りに船 ふね 、との事 こと で、ここでAMIGA社 しゃ の新型 しんがた コンピューターLorraineはコモドールで販売 はんばい される事 こと となる。また、コードネームLorraineを廃 はい して、AMIGAというブランド名 めい に変更 へんこう となる。
1984年 ねん 冬 ふゆ のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー にて、紅白 こうはく の市松 いちまつ 模様 もよう のボールが跳 は ね回 まわ る様子 ようす がリアルタイムでアニメーションされるデモ、通称 つうしょう 『Boing Ball 』が披露 ひろう され、衝撃 しょうげき 的 てき なデビューを飾 かざ る。『Boing Ball』は現在 げんざい に至 いた るまでAmigaの象徴 しょうちょう とされ、コモドールの倒産 とうさん 後 ご はロゴとしても採用 さいよう されている。
1985年 ねん 、最初 さいしょ の製品 せいひん Amiga 1000がリリースされた。同年 どうねん にライバル機 き Atari 520STもリリースされ、この2機種 きしゅ がホームコンピューター市場 いちば を席巻 せっけん する。8ビット時代 じだい にはコモドール・アタリと並 なら ぶパソコン御三家 ごさんけ の一角 いっかく としてApple II を販売 はんばい していたアップル社 しゃ も、これら2機種 きしゅ への対抗 たいこう 馬 ば として1986年 ねん にApple IIを16ビット化 か しグラフィック機能 きのう を強化 きょうか したApple II GS を投入 とうにゅう し、1980年代 ねんだい の16ビットホビーパソコン市場 いちば はこの3機種 きしゅ によるシェア争 あらそ いとなった。MIDIポートと高 こう 解像度 かいぞうど モノクロディスプレイモードを搭載 とうさい してミュージシャンやCAD きゃど 方面 ほうめん に人気 にんき があったAtari STに対 たい し、AmigaはCG製作 せいさく 者 しゃ や映像 えいぞう 製作 せいさく 者 しゃ に人気 にんき があったが、Apple IIGSは人気 にんき の面 めん でAmigaやAtari STに後 おく れを取 と っていた。(ちなみに、アップルが1984年 ねん に発売 はつばい したMacintosh は白黒 しろくろ 二 に 値 ち 表示 ひょうじ しかできず、ビジネス市場 いちば も視野 しや に入 い れた高性能 こうせいのう 機種 きしゅ として位置 いち づけられており、Amigaなどと競合 きょうごう するホビーパソコンではなかった[ 2] 。)
Amiga 500はゲームコンソールとしてゲーマーの支持 しじ を受 う けた。ちなみに画像 がぞう は英 えい シグノシス社 しゃ 『Leander』で、パッケージに日本語 にほんご であおり文 ぶん が書 か かれているなどオタクブームの影響 えいきょう を受 う けた作品 さくひん の一 ひと つ
1987年 ねん には廉価 れんか 版 ばん のAmiga 500 とハイエンド版 ばん のAmiga 2000がリリース。Amigaは倒産 とうさん まで廉価 れんか 版 ばん とハイエンド版 ばん の二 に 本 ほん 柱 ばしら でリリースされた。「ゲームパソコン」として、人気 にんき ゲームやジョイスティックと共 とも に購入 こうにゅう されることを前提 ぜんてい で販売 はんばい されたAmiga 500はゲーマーに好評 こうひょう を受 う けたが、699米 あめりか ドルと廉価 れんか ながら使 つか いやすいGUIによるOSを搭載 とうさい していたため初心者 しょしんしゃ ユーザーの支持 しじ も大 おお きかった。
1990年 ねん にはOSがVer.2にメジャーバージョンアップし、高性能 こうせいのう なECSチップセットとMC68030 を搭載 とうさい したAmiga 3000をリリース。売 う れ行 ゆ き的 てき にも絶頂 ぜっちょう 期 き を迎 むか え、Atari STを圧倒 あっとう するが、一方 いっぽう でこの頃 ころ からハードウェア性能 せいのう がMacintosh やPC/AT互換 ごかん 機 き に追 お い抜 ぬ かれる。北米 ほくべい ではビジネスユースで圧倒的 あっとうてき なシェアを得 え たPC/AT互換 ごかん 機 き がホームコンピューターの市場 いちば を食 く っていたこと、玩具 おもちゃ 屋 や で安売 やすう りされるなどのCommodore64以来 いらい の販路 はんろ が「ゲーム機 き 並 な みの玩具 おもちゃ パソコン」として敬遠 けいえん されたこと、趣味 しゅみ でデスクトップムービーを扱 あつか うような層 そう が欧州 おうしゅう に比 くら べて限 かぎ られていたことなどから、この頃 ころ からはAmigaの市場 いちば はほぼ欧州 おうしゅう のみとなっていた。世界 せかい 的 てき にシェアを持 も つモトローラ系 けい のメジャープラットホームはMacのみとなり、モトローラがMacのみに注力 ちゅうりょく するようになったため、Amigaなどには最新 さいしん の部品 ぶひん (MC68040 など)が供給 きょうきゅう されなくなり、ますます差 さ が広 ひろ がった。
1991年 ねん 、フィリップス が規格 きかく を制定 せいてい したマルチメディア機 き であるCD-i プレーヤーに対抗 たいこう して、Amiga 500のハードをそのまま流用 りゅうよう したCDTV を「マルチメディア機 き 」として売 う り出 だ したが商業 しょうぎょう 的 てき に失敗 しっぱい に終 お わる(ちなみにCD-iも失敗 しっぱい している)。また同年 どうねん 、Amiga 500の改良 かいりょう 版 ばん としてWorkBench 2.0を搭載 とうさい したAmiga 500+をリリース。ユーザーインターフェイスは進化 しんか したものの、WorkBench 1.3を搭載 とうさい していたAmiga 500との互換 ごかん 性 せい に乏 とぼ しく、いくつかのAmiga 500用 よう のゲームが動 うご かなかったためにゲーマーの不評 ふひょう を買 か う。一部 いちぶ のゲーマーはAmiga 500+にWorkBench 1.3をロードさせるプログラムを使 つか って対処 たいしょ した。
1992年 ねん 、Amiga 500+の改良 かいりょう 版 ばん としてAmiga 600をリリース。コモドールは16ビット機 き から32ビット機 き への移行 いこう 期 き にあたって、16ビット機 き であるAmiga 500シリーズを32ビット機 き に対 たい する最 さい 廉価 れんか ラインと位置 いち づけ、そろそろゲームコンソールとしての役目 やくめ を終 お えようとしていた8ビットゲームパソコンCommodore64/128シリーズをこのAmiga 500シリーズで置 お き換 か える目論見 もくろみ であった。コモドールはAmiga 600を「レミングス 」などの人気 にんき ゲームやグラフィックスエディタ の「デラックスペイント」と抱 だ き合 あ わせにしてAmiga 500と同 どう 価格 かかく 帯 たい で販売 はんばい したが、既 すで にAmiga 500シリーズはゲーム機 き としては性能 せいのう が陳腐 ちんぷ 化 か しており、欧州 おうしゅう のゲーマーは1990年 ねん 末 まつ にリリースされたSEGA MEGA DRIVE[ 3] にどんどん移行 いこう していったため、結局 けっきょく Amiga 500シリーズは打 う ち切 き られ、本来 ほんらい 上位 じょうい 機種 きしゅ と位置 いち づけられていたAmiga 1200がゲーマー向 む け廉価 れんか 機種 きしゅ として投入 とうにゅう される羽目 はめ になってしまう。1990年 ねん 前後 ぜんこう より欧州 おうしゅう 各国 かっこく でオタク ブームが起 お こり、Amiga 500でも『アビヂャ 』や『タリカン3 』など日本 にっぽん 製 せい アニメの強 つよ い影響 えいきょう を受 う けたゲームが多 おお くリリースされるが、MEGA DRIVEにてリリースされる本家 ほんけ の日本 にっぽん 製 せい ゲームは質 しつ ・量 りょう 共 ども にAmigaを圧倒 あっとう しており、Amigaは欧州 おうしゅう のオタク層 そう の支持 しじ を失 うしな った。
同 おな じく1992年 ねん 、Amiga OS Ver.3と最新 さいしん のAGAチップセットを搭載 とうさい したAmiga 1200 とAmiga 4000をリリース。しかし経営 けいえい は苦 くる しく、特 とく にゲームパソコンとしてAmiga 500に続 つづ くヒットが期待 きたい されたAmiga 1200対応 たいおう のゲームが揃 そろ わないのが痛手 いたで であった。安価 あんか なPCとは言 い えコンシューマー機 き よりもはるかに高価 こうか 、PC/AT互換 ごかん 機 き でもVGA とSoundBlaster が標準 ひょうじゅん となったこの頃 ころ にはかつてのような先進 せんしん 性 せい は失 うしな われ、市場 いちば もゲームメーカーも欧州 おうしゅう にしか無 な い、などさまざまなマイナス要素 ようそ があったためである。これまでAmiga 500用 よう のゲームを供給 きょうきゅう し続 つづ けてきた欧州 おうしゅう のゲームメーカーも、Amigaにおけるゲームの違法 いほう コピーの蔓延 まんえん とMEGA DRIVEの爆発 ばくはつ 的 てき 普及 ふきゅう を見 み て、Amiga 1200より売 う り上 あ げが見込 みこ めるMEGA DRIVE(あるいはPC/AT互換 ごかん 機 き )に乗 の り換 か える所 ところ が続出 ぞくしゅつ した。Amigaの売 う り上 あ げの低迷 ていめい に加 くわ え、同年 どうねん にはコモドールがCommodore 64/Amiga事業 じぎょう と平行 へいこう して進 すす めていたPC/AT互換 ごかん 機 き 事業 じぎょう が失敗 しっぱい に終 お わり、事業 じぎょう を清算 せいさん するなど、会社 かいしゃ が傾 かたむ き始 はじ める。同年 どうねん 、アタリからは対抗 たいこう 馬 ば としてAtari Falcon が投入 とうにゅう されていたが、既 すで に欧州 おうしゅう でもホームコンピュータ市場 いちば が消滅 しょうめつ しつつあり、アタリも経営 けいえい が苦 くる しいのには変 か わりが無 な かった。両社 りょうしゃ とも業績 ぎょうせき 悪化 あっか に伴 ともな ってハードウェア開発 かいはつ が停滞 ていたい しており、パーツのコモディティ化 か に伴 ともな ってどんどん価格 かかく が下 さ がるPC/AT互換 ごかん 機 き に比較 ひかく して価格 かかく 性能 せいのう 比 ひ が悪 わる く、かつてのライバルであったAppleのMacintosh Quadra には性能 せいのう 面 めん で対抗 たいこう できなかった。Amigaの最新 さいしん 機種 きしゅ であるはずのAmiga 1200とAmiga 4000に搭載 とうさい されたAGAチップセットがECSチップセットの小規模 しょうきぼ な改良 かいりょう に過 す ぎず、またAmiga 1200にMC68030ではなく時代遅 じだいおく れのMC68020を採用 さいよう するなど、当時 とうじ の流行 りゅうこう であったSVGA 対応 たいおう のマルチメディア PCの対抗 たいこう 馬 ば となりえなかったことは、プロユーザーとゲーマーを大 おお いに失望 しつぼう させた。
なお1992年 ねん には、日本 にっぽん ではAmigaで作成 さくせい されたCGが前面 ぜんめん に出 だ された「ウゴウゴルーガ 」の放映 ほうえい がスタートしている。
1993年 ねん 、MEGA DRIVEに奪 うば われたゲーム市場 いちば を奪回 だっかい すべく、Amiga 1200を改良 かいりょう し、ゲームパソコンではなく純粋 じゅんすい なゲーム機 き としてデザインしたAmiga CD32 をリリース。パソコンを基 もと にしているとは言 い え史上 しじょう 初 はつ の32ビットゲーム機 き であったが、MEGA DRIVEの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ 』に相当 そうとう するキラータイトルが用意 ようい できず、ゲーマーにアピールするところが無 な く失敗 しっぱい に終 お わる。このAmiga CD32が実質 じっしつ 的 てき にAmiga最後 さいご のハードとなった。一方 いっぽう 同年 どうねん にはアタリもゲーム機 き Atari Jaguar をリリース。Jaguarに注力 ちゅうりょく するためとの名目 めいもく でFalconの出荷 しゅっか を停止 ていし し、遂 つい にパソコン市場 いちば から撤退 てったい するが、Atari JaguarもAmiga CD32と同 おな じく失敗 しっぱい に終 お わった。北米 ほくべい ではもはや映像 えいぞう のプロくらいしか顧客 こきゃく が無 な いAmigaを扱 あつか う小売 こうり 店 てん は皆無 かいむ に等 ひと しく、欧州 おうしゅう でもAmigaが売 う れているのはドイツとイギリスのみとなっていた。
AmigaOne X1000とAmigaOS 4.1(2012年 ねん )
1994年 ねん 6月 がつ 、Amigaの生 う みの親 おや であるJay Minerが死去 しきょ 。その2ヵ月 かげつ 後 ご にコモドールは倒産 とうさん する。Amiga 4000のタワー型 がた 筺体「Amiga 4000T」が型番 かたばん 的 てき にはAmigaシリーズ最後 さいご の、そしてコモドール最後 さいご のハードとなっている。コモドール倒産 とうさん 前 まえ 、ヒューレット・パッカード 社 しゃ 製 せい のペンティアム 互換 ごかん CPU、AGAチップセットを上回 うわまわ るAAAチップセット搭載 とうさい 、Windows NT 駆動 くどう のAmiga 6000 の制作 せいさく が発表 はっぴょう されるが、結局 けっきょく このマシンは日 ひ の目 め を見 み る事 こと は無 な かった。
コモドール倒産 とうさん 後 ご 、Amigaの版権 はんけん は各社 かくしゃ を転々 てんてん とする。コモドール末期 まっき のハードAmiga 4000Tなどは、版権 はんけん を受 う け継 つ いだドイツのEscom 社 しゃ の下 した で生産 せいさん された出荷 しゅっか 数 すう のほうが多 おお い。Amigaはドイツではまだ人気 にんき があったし、他 た の国 くに でも特定 とくてい の方面 ほうめん には依然 いぜん として大 おお きな需要 じゅよう があったが、親会社 おやがいしゃ の経営 けいえい 方針 ほうしん のために倒産 とうさん の時点 じてん でハードの開発 かいはつ が止 と まってしまい、MacやPCに対 たい して性能 せいのう 的 てき にどんどん水 みず をあけられ、一方 いっぽう ではLightwave など主要 しゅよう なサードパーティー製 せい ソフトの他 た 機種 きしゅ への移植 いしょく も進 すす み、徐々 じょじょ に表 おもて 舞台 ぶたい から姿 すがた を消 け してゆく。時 とき を同 おな じくして他 た のホームコンピュータ(MSX やイギリスのAcorn Archimedes 、日本 にっぽん ではFM TOWNS やX68000 などがこれに当 あ たる)も次々 つぎつぎ と死滅 しめつ していき、パソコン市場 いちば はPC/AT互換 ごかん 機 き とMacintoshが席巻 せっけん するようになった。
2000年代 ねんだい に入 はい ってから版権 はんけん を獲得 かくとく したゲートウェイ より独立 どくりつ したAmiga社 しゃ の元 もと で開発 かいはつ が再開 さいかい し、Amiga社 しゃ がライセンスしたPower PC ベースの後継 こうけい 機 き AmigaOne が製作 せいさく されるなどしているが、既 すで に他 た 機種 きしゅ と対抗 たいこう できるレベルにはなり得 え ず、懐古 かいこ 趣味 しゅみ 者 しゃ に細々 こまごま と販売 はんばい されている形 かたち であり、往時 おうじ の勢 いきお いはない。それでも開発 かいはつ は継続 けいぞく されており、2012年 ねん 現在 げんざい で最新 さいしん のハードは2012年 ねん 1月 がつ 発売 はつばい のAmigaOne X1000である。一方 いっぽう 、コモドール時代 じだい の旧 きゅう Amigaに関 かん してはWindowsやMac上 じょう にて動作 どうさ するUAE などのエミュレータが存在 そんざい しており、そちらを利用 りよう している懐古 かいこ 趣味 しゅみ 者 しゃ もいる。
Amigaの周辺 しゅうへん
フォーマット
グラフィック部分 ぶぶん においては標準 ひょうじゅん とされたフォーマットであるIFF が後 ご のTIFF(タグ付 つ きIFF)となり、サウンドにおいてはMOD、MED、OctaMED等 とう のフォーマットがAMIGA以外 いがい のパーソナルコンピュータでも広 ひろ く使 つか われた。
メガデモ
北欧 ほくおう をメインとするヨーロッパ地域 ちいき にはcommodore64などを利用 りよう したコンピュータによる映像 えいぞう 作品 さくひん (デモ)を製作 せいさく するデモシーン と呼 よ ばれる文化 ぶんか が存在 そんざい していたが、Amigaの登場 とうじょう によってデモシーンは大 おお いに盛 も り上 あ がった。メガデモとはAmigaの1MB足 た らずのフロッピーディスク に収 おさ まるデータでどれだけ秀逸 しゅういつ なデモを製作 せいさく できるかを競 きそ うものであり、現在 げんざい に至 いた るまでデモシーンの代名詞 だいめいし となっている。ヨーロッパで最 もっと も普及 ふきゅう した機種 きしゅ はAmiga 500であったため、デモシーンにおいてもAmiga 500が基本 きほん となった。わずか8MHzのMC68000を搭載 とうさい したAmiga 500が、CPU的 てき にはその10倍 ばい 以上 いじょう の性能 せいのう を持 も つPentium やPowerPC を搭載 とうさい したパソコンが主流 しゅりゅう となった1990年代 ねんだい 中盤 ちゅうばん に至 いた ってもデモシーンの中心 ちゅうしん たりえたのは、メガデモグループの技術 ぎじゅつ 力 りょく の高 たか さとカスタムチップの賜物 たまもの といえる。一方 いっぽう で、高 こう 品質 ひんしつ なメガデモであればあるほどAmiga 500に極限 きょくげん まで最適 さいてき 化 か されていたため、それ以外 いがい の機種 きしゅ ではまともに動 うご かなかったことが、Amiga 600などの後継 こうけい 機 き の普及 ふきゅう を妨 さまた げた一因 いちいん ともなった。
CG・映像 えいぞう 製作 せいさく
Amiga 1000と、Amigaを代表 だいひょう するペイントソフト ・デラックスペイントを用 もち いて作画 さくが されたCG(1985年 ねん )
Amigaは低 てい 価格 かかく なパソコンでありながら、プロの間 あいだ では高価 こうか なSGI のワークステーションIRIX に匹敵 ひってき する人気 にんき を持 も ち、テレビや映像 えいぞう ソフトの製作 せいさく 現場 げんば でも大々的 だいだいてき に利用 りよう された。サードパーティーが発売 はつばい した拡張 かくちょう スロットを利用 りよう するハードウエア「Video Toaster」によるビデオの制御 せいぎょ 、およびその3DCGソフトウエアであるLightWave 3Dが有名 ゆうめい で、『マックス・ヘッドルーム 』や『バビロン5 』などのSFドラマの製作 せいさく に活用 かつよう された。日本 にっぽん においても子供 こども 向 む け番組 ばんぐみ 『ウゴウゴルーガ 』に実際 じっさい にアミーガで作成 さくせい されたCGが使用 しよう されていた他 ほか 、アミーガを代表 だいひょう するペイントソフト であるデラックスペイント [ 4] を使用 しよう して作成 さくせい されたCGを使用 しよう した番組 ばんぐみ が多数 たすう 存在 そんざい した。元気 げんき が出 で るテレビ の初期 しょき オープニング等 とう がその代表 だいひょう 例 れい である。コモドールが倒産 とうさん した後 のち も、映像 えいぞう 編集 へんしゅう ソフトのPersonal Animation Recorder(PAR、後 ご のdpsReality)、3DCGソフトのLightWave、アニメーションマスター 、Cinema 4D などの主 おも だったソフトは他 た プラットホームにてリリースされており、特 とく にLightWaveは2010年代 ねんだい においてもなお業界 ぎょうかい の主流 しゅりゅう ソフトのひとつである。
ゲーム
欧米 おうべい ではゲーミングマシンとしてAmiga500の人気 にんき が高 たか く、北米 ほくべい では1990年 ねん ごろまで、欧州 おうしゅう では1990年代 ねんだい 前半 ぜんはん まで命脈 めいみゃく を保 たも った。Amigaから人気 にんき に火 ひ がついたゲームで日本 にっぽん でも知名度 ちめいど が高 たか い物 もの としては「ポピュラス 」や「レミングス 」などが挙 あ げられる。欧米 おうべい のみで発売 はつばい され人気 にんき のある、いわゆる洋 よう ゲー も数多 かずおお い。ちなみにコモドールの本社 ほんしゃ はアメリカだったが、デモシーンの存在 そんざい やゲーマーたちの支持 しじ によりAMIGAはアメリカよりもヨーロッパで人気 にんき があり、Amigaのメガデモ製作 せいさく で名 な を成 な した若者 わかもの がゲーム業界 ぎょうかい にスカウトされるなどの好 こう 循環 じゅんかん のお陰 かげ で、ヨーロッパではAMIGA専用 せんよう のゲームも多数 たすう あった。『Speedball 』や『Alien Breed 』と言 い ったAmigaの代表 だいひょう 的 てき なゲームのいくつかは現代 げんだい 風 ふう リメイク作品 さくひん が2000年代 ねんだい 以降 いこう のコンシューマ機 き でもリリースされるなど、長 なが い人気 にんき を持 も っている。
またコンシューマ機 き 向 む けゲーム開発 かいはつ 環境 かんきょう としても少 すく なからず使 つか われ、日本 にっぽん では有限 ゆうげん 会社 かいしゃ ワープのDの食卓 しょくたく の製作 せいさく にも用 もち いられた。当時 とうじ は高度 こうど なフル3Dの映像 えいぞう をリアルタイムで描写 びょうしゃ できる家庭 かてい 用 よう ゲーム機 き は存在 そんざい しなかったので、CGムービーと静止 せいし 画 が をつなぎ合 あ わせた擬似 ぎじ 3Dアドベンチャーとして発売 はつばい された。他 た には、プレイステーション 用 よう ゲーム『ウィザードリィVII ガーディアの宝珠 ほうしゅ 』のグラフィックス製作 せいさく にもAmigaは用 もち いられている。
その他 た の使用 しよう 例 れい
Amiga OS 2.0以前 いぜん には合成 ごうせい 音声 おんせい の「sayコマンド」が付属 ふぞく しており、平沢 ひらさわ 進 すすむ が自身 じしん の楽曲 がっきょく に使用 しよう していた。平沢 ひらさわ は演奏 えんそう やミュージックビデオ製作 せいさく などにAmigaを多用 たよう する熱狂 ねっきょう 的 てき なAmigaファンであり、後 のち にAmiga OS 4.0の起動 きどう 音 おん も手 て がけることとなる。
また、キヤノン のゼロワンショップの宣伝 せんでん に使用 しよう されたマックス・ヘッドルーム の主人公 しゅじんこう もAmigaで作成 さくせい されたCGを用 もち いていた。
日本 にっぽん でのAmiga
コモドール社 しゃ はアメリカの会社 かいしゃ であり、Amigaはアメリカ、ヨーロッパ、南米 なんべい といったアルファベットを使用 しよう する国 くに で普及 ふきゅう した。しかしながら漢字 かんじ やアラビア文字 もじ などが使 つか えなかった為 ため 、それら非 ひ アルファベットの国 くに ではあまり普及 ふきゅう しなかった。コモドールジャパンからも販売 はんばい されていたが日本語 にほんご が使用 しよう できなかったため、あまり普及 ふきゅう しなかった(後 のち に日本語 にほんご 入力 にゅうりょく システムが開発 かいはつ されたが流 なが れを変 か えるまでには至 いた らなかった)。日本 にっぽん で1980年代 ねんだい 前半 ぜんはん にVIC-1001 やマックスマシーン をヒットさせたコモドールジャパンはコモドール64やAmigaの販売 はんばい に失敗 しっぱい し、1990年 ねん 前後 ぜんこう に活動 かつどう を停止 ていし したため、それ以降 いこう にAmigaを入手 にゅうしゅ するには秋葉原 あきはばら や御徒 おかち 町 まち などに数 すう 店舗 てんぽ 存在 そんざい したAmiga専門 せんもん 店 てん で購入 こうにゅう するか、欧米 おうべい から個人 こじん 輸入 ゆにゅう するしかなく、いずれにしてもハードルが高 たか いものであった。Amigaは画像 がぞう や映像 えいぞう の加工 かこう 処理 しょり に優 すぐ れていたため一部 いちぶ のデザイナーやゲームクリエイターには絶大 ぜつだい な人気 にんき があり、日本 にっぽん にAmigaを知 し らしめたテレビ番組 ばんぐみ である「ウゴウゴルーガ」に参加 さんか した個人 こじん クリエーター達 たち は軒並 のきな みAmigaを用 もち いていたほどだったが、一方 いっぽう で欧州 おうしゅう でデモシーンを牽引 けんいん したような一般 いっぱん のPCマニアなユーザーの支持 しじ は得 え られなかった。
日本 にっぽん では1987年 ねん に発売 はつばい されAmigaと同 おな じくCPUにMC68000を採用 さいよう しマルチメディアに強 つよ みを持 も ったシャープ ・X68000 が和製 わせい Amigaと呼 よ ばれ[要 よう 出典 しゅってん ] 、パソコンオタクユーザーの支持 しじ を得 え て欧米 おうべい のデモシーンと比 くら べても遜色 そんしょく ないハイクオリティな同人 どうじん シーンを形成 けいせい したが、シャープはパソコンが本業 ほんぎょう ではなく積極 せっきょく 的 てき な展開 てんかい を行 おこな わなかったことと、40万 まん 円 えん 近 ちか い高価 こうか な価格 かかく 設定 せってい もあって大 おお きなシェアを得 え ることはできなかった。
Amigaが欧米 おうべい でゲームハードとして支持 しじ された1980年代 ねんだい 後期 こうき から1990年代 ねんだい 初頭 しょとう にかけて、日本 にっぽん ではPC/AT互換 ごかん 機 き よりさらに低 ひく いグラフィック性能 せいのう しか持 も たないPC-8800シリーズやPC-9800シリーズがホビーパソコン市場 いちば で寡占 かせん 的 てき なシェアを得 え ていたため、パソコン向 む けゲームはコンシューマー機 き 向 む けに比 くら べて圧倒的 あっとうてき に不利 ふり となり、コンシューマ機 き ではリリース不可能 ふかのう な成人 せいじん 向 む けゲームを除 のぞ いて衰退 すいたい してしまった。PC/AT互換 ごかん 機 き の性能 せいのう がAmigaを追 お い抜 ぬ いた1990年代 ねんだい 中頃 なかごろ には、欧米 おうべい のパソコンゲーム会社 かいしゃ はプラットホームをPC/AT互換 ごかん 機 き に移 うつ し、同 どう 時期 じき に日本 にっぽん でブームとなったPC/AT互換 ごかん 機 はた やWindows95 とともに日本 にっぽん に流入 りゅうにゅう して「洋 よう ゲー 」として日本 にっぽん に驚 おどろ きを与 あた えることとなるが、逆 ぎゃく に成人 せいじん 向 む けパソコンゲームが高度 こうど に発展 はってん した日本 にっぽん では、CGや同人 どうじん シーンなどの分野 ぶんや もそれに牽引 けんいん されて独特 どくとく な方向 ほうこう に発展 はってん し、後 のち に「萌 も え 」文化 ぶんか として欧米 おうべい に驚 おどろ きを与 あた えることになる。
ハードウェア
カスタムチップセット
Amiga600の内部 ないぶ 構造 こうぞう
Amiga1200のメインボード
Blizzard 1230 Mk III アクセラレータ。Amiga 1200にMC68030のゲタを履 は かせる
AMIGAは発売 はつばい 当初 とうしょ より複数 ふくすう の強力 きょうりょく なカスタムチップを搭載 とうさい していた。4096色 しょく パレット中 ちゅう 16色 しょく 表示 ひょうじ 、ないしは32色 しょく 表示 ひょうじ 、特殊 とくしゅ モードであるHAMでは4096色 しょく 全部 ぜんぶ を表示 ひょうじ 、スプライト 機能 きのう を有 ゆう するグラフィックのAgnusとDenise、PCM音源 おんげん 同時 どうじ 発音 はつおん 数 すう 4音 おと と、サウンド関連 かんれん の処理 しょり を得意 とくい としたPaulaの3つである。この3つのカスタムチップの組 く み合 あ わせを後 のち にOCS(Original Chip Set)と呼 よ ぶ。そして、これらのカスタムチップはCPU の命令 めいれい を介 かい さず、独自 どくじ にメモリにアクセスできる権限 けんげん を持 も っていた。これをダイレクトメモリアクセス と呼 よ ぶ。
後 のち にアクセスできるメモリー数 すう を増 ふ やしたECS(Enhanced Chip Set)がAmiga 500Plus 、そしてAmiga3000 での標準 ひょうじゅん カスタムチップセットとなった。
なお、実際 じっさい はAmiga 3000 の設計 せっけい 時 じ には後 のち にAmiga 4000 、Amiga 1200 、そしてAmiga CD32 に搭載 とうさい されたカスタムチップセットであるAGA(Advanced Graphics Architecture、またはイギリスではAdvanced Graphics Arrayと呼 よ ぶ)チップセットは完成 かんせい していたらしいが、コモドールはAmiga 3000 に搭載 とうさい する事 こと をわざわざ見送 みおく ったらしい。AGAチップセットの内訳 うちわけ は画像 がぞう 関係 かんけい はAlice、Lisaというカスタムチップが処理 しょり し、音声 おんせい 関係 かんけい は再 ふたた びPaulaが扱 あつか った。これでAmigaは24bitカラー中 ちゅう 256色 しょく を同時 どうじ 発色 はっしょく 、特殊 とくしゅ モードであるHAM-8では262,144色 しょく を同時 どうじ 発色 はっしょく できるようになっていた。
また、ライバル機 き であるアップル Macintoshは初期 しょき は白黒 しろくろ 2色 しょく 表示 ひょうじ であり、Amigaより高価 こうか だったにもかかわらず画像 がぞう 表示 ひょうじ の点 てん で市場 いちば に与 あた えるインパクトは初代 しょだい Amigaには到底 とうてい 及 およ ばなかった。しかし、Macintoshは1987年 ねん のMacintosh II で256色 しょく 同時 どうじ 表示 ひょうじ を実現 じつげん し、のちに24ビットカラーに移行 いこう していく。Macの描画 びょうが エンジンであるQuickDraw はカラー化 か を考慮 こうりょ して設計 せっけい されており、Amigaのような互換 ごかん 性 せい 問題 もんだい はほとんど生 しょう じなかった。カスタムチップに頼 たよ らずソフトウェアの工夫 くふう で様々 さまざま な機能 きのう を実現 じつげん するというMacintoshの設計 せっけい 思想 しそう はAmigaとは対照 たいしょう 的 てき であり、Amigaの強力 きょうりょく なカスタムチップは、互換 ごかん 性 せい を保 たも ちながら高性能 こうせいのう 化 か を図 はか っていくにあたって足枷 あしかせ となった点 てん も否定 ひてい できない。
Amigaのグラフィックス
AMIGAのグラフィック表示 ひょうじ 方式 ほうしき は通常 つうじょう のWindowsパソコン、またMacintosh等 とう と大 おお きく異 こと なる。これら普通 ふつう のパソコンでの画像 がぞう 処理 しょり は、VRAM という特殊 とくしゅ RAMのメモリ一 ひと つ一 ひと つがモニターのピクセルと関連付 かんれんづ けられていて画像 がぞう 処理 しょり の度 たび に書 か き換 か わる、ビットマップ 方式 ほうしき と呼 よ ばれるもので、高速 こうそく なスクロール処理 しょり には向 む かない、といった欠点 けってん を持 も つ。
対 たい してAMIGAはWindowsを採用 さいよう する以前 いぜん のPC-9801 シリーズなどと似 に た、ビットプレーン 方式 ほうしき という画像 がぞう 処理 しょり 方法 ほうほう を採用 さいよう していた。単色 たんしょく の画面 がめん を複数 ふくすう 重 かさ ねることで多色 たしょく 表示 ひょうじ をする構造 こうぞう で、ビットマップ 方式 ほうしき と比 くら べるとビットプレーン 方式 ほうしき は色 いろ 数 すう が少 すく ない場合 ばあい にスクロール処理 しょり が比較的 ひかくてき 有利 ゆうり である。AMIGAは使用 しよう 目的 もくてき に合 あ わせて必要 ひつよう な画面 がめん の数 かず を変 か える事 こと で処理 しょり 速度 そくど とメモリの節約 せつやく をしていた。VRAM というグラフィック表示 ひょうじ 専用 せんよう のメモリ領域 りょういき が無 な く、各種 かくしゅ カスタムチップでメモリを共用 きょうよう していたからである。
OS
Amiga OSは当初 とうしょ はAmiga DOSと呼 よ ばれていた。パソコン用 よう のOSとしては、ほぼ初 はじ めての「殆 ほとん どがCで書 か かれた」OSである。ブート 用 よう のファームウェア であるKickstart と、デスクトップ環境 かんきょう であるWorkBench から構成 こうせい される。
Amiga 1000 開発 かいはつ 時 じ にブートROMの製作 せいさく が間 ま に合 あ わず、発売 はつばい 当初 とうしょ はブートROMをKickStartという名 な のフロッピーディスクで提供 ていきょう していた。Amiga 500 のリリース時 じ にはKickStartROM1.2がROMとして搭載 とうさい された。
当時 とうじ のAmiga500はROMがハンダ付 づ けされておらず基板 きばん に直接 ちょくせつ 差 さ し込 こ まれていた。そのため、Amiga 500の初 はつ 出荷 しゅっか の搬送 はんそう 時 じ の衝撃 しょうげき でROMが浮 う き上 あ がる事例 じれい が報告 ほうこく され、購入 こうにゅう したユーザーが筐体 きょうたい を開 あ けて指 ゆび でROMを基板 きばん に押 お し込 こ んでいた。
その後 ご AMIGAのデスクトップ環境 かんきょう 、WorkBenchがメジャーアップデートを行 おこな う際 さい には、システムディスクと合 あ わせてROMも同 どう 梱 こり された。ユーザーはOSのアップデートを行 おこな う際 さい に、本体 ほんたい に接続 せつぞく されている旧 きゅう バージョンのROMを取 と り外 はず し、新 あたら しいKickStartROMに差 さ し替 か える必要 ひつよう があった。ヨーロッパで多数 たすう リリースされたMegaDemoが要求 ようきゅう するROMのバージョンは1.2だったため、1.2と2.1のROMを2枚 まい 接続 せつぞく し必要 ひつよう に応 おう じて切 き り替 か えるボードなど、AMIGAならではの周辺 しゅうへん 機器 きき が発売 はつばい されることとなった。
なお、AmigaOSはUNIXを模 も した独自 どくじ 開発 かいはつ のものだった。フロッピーディスクのみでも完璧 かんぺき なマルチタスク で動作 どうさ し、アイコンサイズの無 む 制限 せいげん 、2DD 880Kフォーマット、ファイル名 めい に256文字 もじ 使用 しよう 可能 かのう 、等 ひとし 、1985年 ねん 当時 とうじ としては非常 ひじょう に画期的 かっきてき なものだった。
Amiga OS 4.0の開発 かいはつ は2001年 ねん より開始 かいし し、当初 とうしょ 2002年 ねん リリース予定 よてい だったが、権利 けんり の関係 かんけい から開発 かいはつ 会社 かいしゃ に古 ふる いOSのソースコードしか提供 ていきょう されなかったこともあって大幅 おおはば に遅 おく れ、2006年 ねん にようやくAmigaOne用 よう のOSがリリースされた(サードパーティー製 せい のゲタ を載 の せた旧 きゅう 世代 せだい Amigaで動作 どうさ するバージョンのリリースは2007年 ねん )。OSのリリース前 まえ にAmigaOneが生産 せいさん 終了 しゅうりょう してしまったこともあり、OSの開発 かいはつ 会社 かいしゃ とAmiga社 しゃ の間 あいだ で訴訟 そしょう 合戦 かっせん が行 おこな われた。なお、Amiga OS 4.0の起動 きどう 音 おん を手 て がけているのは平沢 ひらさわ 進 すすむ である。
機種 きしゅ
Amiga 4000のコンピューター内部 ないぶ
Amiga 1000
Amiga 500
Amiga 2000
Amiga 2000HD
Amiga 2500(68030搭載 とうさい )
Amiga 2500/30
Amiga 3000(68030搭載 とうさい )
Amiga 3000T
Amiga 3000/40
Amiga 3000UX Series
CDTV
CDTV32
Amiga CD32
Amiga 500Plus
Amiga 600
Amiga 600HD
Amiga 4000(68040搭載 とうさい 、表示 ひょうじ 強化 きょうか )
Amiga 1200 (68020搭載 とうさい 、表示 ひょうじ 強化 きょうか )
Amiga 1200 HD
Amiga 4000/30
Amiga 4000T
Amiga 1500
関連 かんれん 項目 こうもく
参照 さんしょう
^ Amiga Format誌 し の1993年 ねん 6月 がつ 号 ごう による[1]
^ Macintosh は1987年 ねん のMacintosh II でカラー化 か 、1990年 ねん にアップルはApple IIGSの後継 こうけい として安価 あんか かつカラー表示 ひょうじ が可能 かのう なMacintosh LC をリリースし、1990年代 ねんだい にはApple IIに代 か わってMacがAmigaの競合 きょうごう 機 き となる。
^ メガドライブ の欧州 おうしゅう 版 ばん 。SNES(スーパーファミコン )やTurboGrafx-16(PCエンジン )を抑 おさ えて欧州 おうしゅう の市場 いちば を握 にぎ った
^ デラックスペイントはエレクトロニック・アーツ が開発 かいはつ したペイントソフト。後 のち にPC・コンシューマゲームのメーカーとなるエレクトロニック・アーツは、かつてはAmigaを代表 だいひょう するソフトメーカー・ゲームメーカーであった
外部 がいぶ リンク