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アルビの司教しきょう都市とし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界遺産 アルビの司教しきょう都市とし
フランス
ポン・ヴィユーから眺めた宮殿と大聖堂
ポン・ヴィユーからながめた宮殿きゅうでんだい聖堂せいどう
英名えいめい Episcopal City of Albi
ふつめい Cité épiscopale d'Albi
面積めんせき 19 ha (緩衝かんしょう地域ちいき 64 ha)
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (4), (5)
登録とうろくねん 2010ねん
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
地図ちず
アルビの司教都市の位置
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

アルビの司教しきょう都市とし」は、ユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろく物件ぶっけんひとつで、フランスタルヌけん都市としアルビのこ中世ちゅうせい建造けんぞうぶつぐん対象たいしょうとしている。

概要がいよう

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アルビジョワ十字軍じゅうじぐんて、13世紀せいき以降いこうのアルビは、ローマ・カトリック教会きょうかい権勢けんせいるう都市としとなった。その司教しきょう都市とし(La cité épiscopale)は、アルビをながれるタルヌかわ左岸さがん位置いちし、アルビの歴史れきし的中てきちゅう心地ごこちにあたる。

アルビには歴史れきしてき記念きねん建造けんぞうぶつおおくある。中心ちゅうしんはきわだって保存ほぞん状態じょうたいがよく、アルビの黄金おうごん時代じだいつたえるすうおおくの建造けんぞうぶつのこっている。きゅう市街しがいには、中世ちゅうせいおもむきをのこ街路がいろやルネサンス建造けんぞうぶつぐんおおのこり、タルヌがわとそのはしなどとともに、独特どくとく都市とし景観けいかんていしている。このことから、1996ねんには「タルヌけんのアルビにのこるレンガづくりの都市とし建造けんぞうぶつぐんだい聖堂せいどう、ベルビ宮殿きゅうでんおよびタルヌかわにかかるはし」(Albi (Tarn) : ensemble urbain de briques, cathédrale, Palais de la Berbie, Pont sur le Tarn)の世界せかい遺産いさん暫定ざんていリスト掲載けいさいされ[1]、2010ねん正式せいしき登録とうろくされた。

構成こうせい要素ようそ

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世界せかい遺産いさんおもに2つの要素ようそからっている[2]

  1. ベルビ宮殿きゅうでん、サント=セシルだい聖堂せいどう、サン=サルヴィ参事さんじかい聖堂せいどうなどの歴史れきしてき建造けんぞうぶつ
  2. マドレーヌ地区ちくふくむタルヌがわ右岸うがん歴史れきしてき都市とし景観けいかん(ポン・ヴィユーをふくむ)。

キリスト教きりすときょう関連かんれん

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ベルビ宮殿きゅうでん
サント=セシルだい聖堂せいどう鐘楼しゅろう
サン=サルヴィ参事さんじかい聖堂せいどう回廊かいろう

ベルビ宮殿きゅうでん(Le Palais de la Berbie)とその庭園ていえんは、だい聖堂せいどうとともにアルビジョワ十字軍じゅうじぐんちたてられた司教しきょう都市とし構成こうせいしている。こうした建造けんぞうぶつぐんは、十字軍じゅうじぐんにアルビの主人しゅじんとなった司教しきょうたちを、カタリやブルジョワたちの敵意てきいからまもった。同時どうじにそれは、外敵がいてき侵攻しんこうめるとともに異端いたん審問しんもん強化きょうかさせた[3]

ベルビ(Berbie)のオック司教しきょう意味いみするビスベ(bisbé)に由来ゆらいする。13世紀せいき司教しきょうベルナール・ド・カスタネfr:Bernard de Castanet)が、それらの建造けんぞうぶつぐん建設けんせつにおいて決定的けっていてき役割やくわりたした。かれたかさ50メートルのドンジョン(donjon, しろなどのしゅとう)、4つのとう、そして城壁じょうへき建造けんぞうさせ、宮殿きゅうでんまくかべとタルヌがわにまでびる外壁がいへきとでかこませた[3]。それは元々もともと城砦じょうさいだったわけだが、かず世紀せいき邸宅ていたくへと変貌へんぼうした。

ベルビ宮殿きゅうでんは1905ねんけん所有しょゆうする財産ざいさんとなり、アルビ市長しちょうアンドリューはそこにアルビ博物館はくぶつかん(le musée d'Albi)を設置せっちした。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック1901ねんぼっし、1922ねんかれ母親ははおやによって作品さくひんぐん寄贈きぞうされると、博物館はくぶつかんはロートレック記念きねん美術館びじゅつかんとなった[4]

サント=セシルだい聖堂せいどう(La cathédrale Sainte-Cécile)は、13世紀せいきから16世紀せいきにかけてアルビ司教しきょうたちによって建造けんぞうされたものである[5]。それはレンガづくりであることと、フランスで作成さくせいされたイタリアふう絵画かいが膨大ぼうだい集積しゅうせきからなる内装ないそうなどによって、中世ちゅうせいのゴシック様式ようしき傑作けっさくのひとつになっている[6]とくろうかざる「最後さいご審判しんぱん」をえがいた天井てんじょうたか評価ひょうかされている[7]

だい聖堂せいどう奥行おくゆきは114メートル、はば35メートル、たかさ40メートルで、レンガづくりの聖堂せいどうとしては世界せかい最大さいだいともわれる[8]たかさ78メートルの鐘楼しゅろうとうくちは、設置せっち場所ばしょ都合つごう正門せいもんほうではなくろうがわいている。15世紀せいきにはドミニク・ド・フロランスもんとともに改築かいちくくわえられ、16世紀せいきにはくちのポーチやだい天蓋てんがいくわえられた。19世紀せいきには建築けんちくセザール・ダリ(César Daly)による増築ぞうちくおこなわれ、7メートルのひかかべ巡回じゅんかいなどがくわえられた[9][7]

だい聖堂せいどうまわりには、おな名前なまえのサント=セシル広場ひろばがある。この広場ひろばには2005ねんおおくの歩行ほこうしゃようのスペースがさい整備せいびされた。

サン=サルヴィ参事さんじかい聖堂せいどう(La collégiale Saint-Salvi)は、6世紀せいき初代しょだいアルビ司教しきょうであるせいサルヴィを記念きねんして建造けんぞうされたふる聖堂せいどうである。建造けんぞうぶつ石造せきぞうとレンガづくりがはいじっており、11世紀せいきから18世紀せいきまで、長期間ちょうきかんにわたり改修かいしゅうくわえられつづけてきた。

この聖堂せいどうにある回廊かいろうロマネスク様式ようしきゴシック様式ようしきじっており、その周囲しゅういにはかつて参事さんじ会員かいいん住居じゅうきょ使つかわれていたふるうつくしい住宅じゅうたくのこっている。鐘楼しゅろう土台どだいは11世紀せいきのロマネスク様式ようしきだが、2かいはゴシック様式ようしきである[10]

きゅう市街しがい関連かんれん

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ポン・ヴィユーとポン・ヌフ

タルヌがわにかかるポン・ヴィユー(Le pont Vieux, ふるはし)は、1035ねん建造けんぞうされたもので、なん改築かいちくされてきた。このはしによって、タルヌがわ右岸うがんがマドレーヌ地区ちくとともに発展はってんしてきた。14世紀せいきには要塞ようさいされ、ばし機構きこうそなえるようになった[11]。それとはべつに1868ねんにポン・ヌフ(Le pont Neuf, あたらしいはし)が建造けんぞうされた。

15世紀せいきから16世紀せいきにかけて、アルビはタイセイ(だいあお, pastel)の取引とりひきおおいに繁栄はんえいした。当時とうじのフランスでは、いろちしない青色あおいろ染料せんりょう使つかえることから、タイセイがもてはやされていたのである[12]。そうしてうるおったアルビの富豪ふごうたちは、とうやイタリアしきのロッジア(屋根やねづけバルコニー)をそなえた邸宅ていたく建造けんぞうしていった。そのなかでもとくうつくしいのがリヴィエールてい(l'hôtel de la Rivière)、ゴルスてい(l'hôtel de Gorsse)、レネスてい(l'hôtel de Reynès)などである。

レネスていは、レネスというのタイセイ商人しょうにんによって1520ねん建築けんちくされたルネサンス様式ようしき邸宅ていたくで、現在げんざい商工しょうこう会議かいぎしょはいっている。その中庭なかにわはレンガといし構成こうせいされており、フランソワ1せいやそのつまエレオノール・ドートリッシュ彫像ちょうぞうやロッジアにかこまれている。

アルビの街路がいろ

都市とし中心ちゅうしんのいくつかの街路がいろには、ルネサンス様式ようしき木骨もっこつづくり住宅じゅうたくのこる。そのなかでも、ピュシュ・ベランギエどおり(rue Puech Béringuier)とクロワ・ブランシュどおり(rue Croix Blanche)のかくにあるヴィエイユ・アルビのいえ(La maison du Vieil Alby)は、典型てんけいてきなアルビの住宅じゅうたくといえる。この住宅じゅうたくは、来客らいきゃくよう独特どくとく展示てんじをしていることから、おおくのひとおとずれている。ぎょう会員かいいん薬局やっきょくことアンジャルベールたく(La Pharmacie des pénitents ou maison Enjalbert)も、16世紀せいきてられたルネサンス様式ようしき住宅じゅうたくである。そこには男根だんこん擬人ぎじんした木彫きぼりのぞうかれている[13]

登録とうろく

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1996ねん9がつ20日はつかに「タルヌけんのアルビにのこるレンガづくりの都市とし建造けんぞうぶつぐんだい聖堂せいどう、ベルビ宮殿きゅうでんおよびタルヌかわにかかるはし」の世界せかい遺産いさん暫定ざんていリスト掲載けいさいされ、2010ねんだい34かい世界せかい遺産いさん委員いいんかいでのはつ審議しんぎ正式せいしき世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。文化ぶんか遺産いさんとしてのカテゴリーは「建造けんぞうぶつぐん」である。

登録とうろくにあたっては、中世ちゅうせい司教しきょう支配しはいした都市とし特色とくしょくや、レンガをもちいたみなみフランスのゴシック建築けんちく特色とくしょくをよくのこしていることなどが評価ひょうかされた。

登録とうろく基準きじゅん

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この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (4) 人類じんるい歴史れきしじょう重要じゅうよう時代じだい例証れいしょうする建築けんちく様式ようしき建築けんちくぶつぐん技術ぎじゅつ集積しゅうせきまたは景観けいかんすぐれたれい
  • (5) ある文化ぶんか(または複数ふくすう文化ぶんか)を代表だいひょうする伝統でんとうてき集落しゅうらく、あるいは陸上りくじょうないし海上かいじょう利用りよう際立きわだったれい。もしくはとく可逆かぎゃくてき変化へんかなか存続そんぞくあやぶまれているひと環境かんきょうかかわりあいの際立きわだったれい

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 古田ふるた [2009] 『世界せかい遺産いさんガイド 暫定ざんていリスト記載きさい物件ぶっけんへん』p.94
  2. ^ ICOMOS [2010], Episcopal City of Albi (France), p.233
  3. ^ a b Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.10
  4. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.32
  5. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.4
  6. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p. 5
  7. ^ a b 『ミシュラングリーンガイド・フランス』実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、p.67
  8. ^ フランス観光かんこう開発かいはつ機構きこうきゅうフランス政府せいふ観光かんこうきょく)の紹介しょうかい
  9. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.11
  10. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.56
  11. ^ Plaquette de présentation de la ville d'Albi, éditée par la mairie
  12. ^ ル・ロワ・ラデュリ『ラングドックの歴史れきし白水しろみずしゃクセジュ文庫ぶんこ、p.69
  13. ^ Albi, Cordes-sur-Ciel, le pays des bastides et des acropoles, p.60

外部がいぶリンク

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