タプタプアテアのマラエ は、フランス領 りょう ポリネシア のライアテア島 とう 、タプタプアテア市 し オポア地区 ちく にある祭祀 さいし 遺跡 いせき である。東部 とうぶ ポリネシア に数多 かずおお く残 のこ る祭祀 さいし 遺跡 いせき マラエ の中 なか でも、タプタプアテアのマラエはかつて最 さい 重要 じゅうよう と位置 いち づけられていたものであり、周辺 しゅうへん の森林 しんりん に覆 おお われる2つの谷 たに 、ラグーン などの自然 しぜん 景観 けいかん も神話 しんわ や宗教 しゅうきょう と結 むす びついてきた[ 1] 。そのマラエの遺跡 いせき を含 ふく む文化 ぶんか 的 てき 景観 けいかん は2017年 ねん にUNESCO の世界 せかい 遺産 いさん リストに登録 とうろく された。
このマラエが存在 そんざい するコミューン はタプタプアテア で、ソシエテ諸島 しょとう を構成 こうせい する風下 かざしも 諸島 しょとう 、ライアテア島 とう の南東 なんとう 部 ぶ に位置 いち する[ 2] 。ライアテア島 とう の古称 こしょう 「ハヴァイイ」(Havaii)は、ポリネシア人 じん の伝説 でんせつ 的 てき な発祥 はっしょう の地 ち であるとともに、死後 しご に魂 たましい が帰 かえ る場所 ばしょ を意味 いみ した[ 3] 。
一帯 いったい はポリネシアン・トライアングル の中心 ちゅうしん 付近 ふきん に位置 いち し、地球 ちきゅう 上 じょう で人類 じんるい が最 もっと も遅 おそ く定住 ていじゅう する地域 ちいき だと見 み られる[ 1] 。
マラエ(Marae)とは、東部 とうぶ ポリネシアにおける野外 やがい 宗教 しゅうきょう 施設 しせつ である。ポリネシア文化 ぶんか は東西 とうざい で差 さ が大 おお きいことが指摘 してき されており、西部 せいぶ (トンガ 、サモア など)が木造 もくぞう の「神 かみ の家 いえ 」を築 きず くのに対 たい し、東部 とうぶ (ソシエテ諸島 しょとう 、クック諸島 しょとう など)は、石造 せきぞう の祭祀 さいし 場 じょう を築 きず いた[ 4] 。「マラエ」はタヒチ語 ご であり[ 5] 、呼 よ び方 かた が異 こと なる地域 ちいき もある[ 6] 。
ポリネシアのマラエは西暦 せいれき 700年 ねん ごろには作 つく られ始 はじ めていたという説 せつ もあるが、当初 とうしょ は内陸 ないりく に築 きず かれた単純 たんじゅん なものにすぎず、後 のち に沿岸 えんがん 部 ぶ に築 きず かれるようになった[ 5] 。沿岸 えんがん 型 がた のマラエは、石 いし を敷 し き詰 つ めた長方形 ちょうほうけい の区画 くかく に、石造 せきぞう のアフ(Ahu、祭壇 さいだん )を築 きず くもので、ソシエテ諸島 しょとう の場合 ばあい 、その機能 きのう は、複数 ふくすう の首長 しゅちょう 国 こく に影響 えいきょう を及 およ ぼす「汎 ひろし 国家 こっか 的 てき マラエ」、ひとつの首長 しゅちょう 国内 こくない で意味 いみ を持 も つ「国家 こっか 的 てき マラエ」、家族 かぞく や職能 しょくのう ごとの小規模 しょうきぼ な「家族 かぞく 的 てき マラエ」の3種 しゅ に大別 たいべつ される[ 7] 。タプタプアテアのマラエは汎 ひろし 国家 こっか 的 てき マラエに分類 ぶんるい され[ 5] 、国際 こくさい 的 てき 性格 せいかく を持 も った唯一 ゆいいつ のマラエと位置 いち づけられることもある[ 8] 。
マラエはいずれも神 かみ ないし祖 そ 霊 れい を一時 いちじ 的 てき に降 お ろす場 ば と見 み なされており[ 5] 、タプタプアテアのマラエも此岸(Te Ao)と彼岸 ひがん (Te Pō)を結 むす ぶ場 ば とされていた[ 9] 。
東 ひがし ポリネシアでは海 うみ の神 かみ タンガロア (英語 えいご 版 ばん ) 、戦 せん の神 かみ ツ (英語 えいご 版 ばん ) (Tū)、農耕 のうこう の神 かみ ロンゴ (英語 えいご 版 ばん ) 、森 もり と生殖 せいしょく の神 かみ タネ の4柱 はしら が主神 しゅしん とされ、ソシエテ諸島 しょとう ではもともとタネが重視 じゅうし されていた[ 10] 。しかし、タンガロアの息子 むすこ オロ神 しん (英語 えいご 版 ばん ) ('Oro)が生 う まれたとされるライアテア島 とう オポア地区 ちく では、オロが祭 まつ られるようになった[ 11] 。ライアテア島 とう では16世紀 せいき から17世紀 せいき に首長 しゅちょう タマトア1世 せい らによる宗教 しゅうきょう 改革 かいかく が行 おこな われ、オロが主神 しゅしん と位置 いち づけられた[ 3] 。他 た の島々 しまじま への宣教 せんきょう のためにアリオイ (英語 えいご 版 ばん ) と呼 よ ばれる芸能 げいのう 集団 しゅうだん が組織 そしき され[ 3] 、その芸能 げいのう が現代 げんだい に伝 つた わるタヒチの踊 おど りになったという[ 12] 。
タプタプアテアのマラエの敷石 しきいし と石像 せきぞう
現存 げんそん するタプタプアテアのマラエは、上記 じょうき の宗教 しゅうきょう 改革 かいかく の時期 じき をはさむ14世紀 せいき から18世紀 せいき の間 あいだ に、2段階 だんかい (ないしそれ以上 いじょう の段階 だんかい )を経 へ て形成 けいせい されたと考 かんが えられており[ 13] 、ソシエテ諸島 しょとう では最古 さいこ のものである[ 3] [ 8] 。現存 げんそん するマラエのサイズは幅 はば 44 m、奥行 おくゆ き 60 mで[ 14] 、敷石 しきいし に使 つか われているのは玄武岩 げんぶがん 、アフに使 つか われているのは玄武岩 げんぶがん とサンゴ である。
オロ信仰 しんこう が広 ひろ まると、タプタプアテアのマラエはソシエテ諸島 しょとう のマラエの中 なか でも最 さい 重要 じゅうよう の地位 ちい を占 し めるようになった[ 3] 。重要 じゅうよう な儀式 ぎしき などの際 さい には、ニュージーランド 、クック諸島 しょとう 、トンガ 、ルルツ島 とう (オーストラル諸島 しょとう )などからも首長 しゅちょう や使節 しせつ が訪 おとず れたという[ 15] 。他 た の島 しま でマラエを築 きず く際 さい には、繋 つな がりを示 しめ すものとしてタプタプアテアのマラエの石 いし が組 く み込 こ まれた[ 16] 。また、他 た 島 しま の宗教 しゅうきょう 施設 しせつ の建設 けんせつ にも、タプタプアテアのマラエの神官 しんかん が赴 おもむ いた[ 11] 。ポリネシア各地 かくち にはライアテア島 とう 以外 いがい にも「タプタプアテアのマラエ」が残 のこ るが、いずれもライアテア島 とう のそれにあやかったものだという[ 8] 。なお、この広域 こういき の宗教 しゅうきょう ネットワークを維持 いじ するために、アウトリガーカヌー の建造 けんぞう と航海 こうかい 術 じゅつ は不可欠 ふかけつ な技術 ぎじゅつ であった[ 1] 。
しかし、キリスト教 きりすときょう を携 たずさ えたヨーロッパ人 じん たちが来航 らいこう するようになると変化 へんか し、19世紀 せいき にオポアの首長 しゅちょう たちが島 しま の北部 ほくぶ に移 うつ り住 す んだ後 のち 、タプタプアテアのマラエは廃 すた れてしまった[ 13] 。
タプタプアテアのマラエに対 たい する最初 さいしょ の法的 ほうてき な保護 ほご は1952年 ねん のアレテ であり[ 17] 、1969年 ねん には修復 しゅうふく 工事 こうじ も行 おこな われた[ 3] 。1994年 ねん には周辺 しゅうへん の景観 けいかん も保護 ほご 対象 たいしょう となり、2010年代 ねんだい 半 なか ばにはマラエの史跡 しせき 指定 してい も含 ふく む保護 ほご の強化 きょうか が行 おこな われた[ 17] 。そして、次 つぎ の節 ふし に見 み るように、2017年 ねん には世界 せかい 遺産 いさん リストに登録 とうろく された。
タプタプアテアのマラエと周辺 しゅうへん
世界 せかい 遺産 いさん としての「タプタプアテア」は、タプタプアテアのマラエのほか、より小 ちい さく、汎 ひろし 国家 こっか 的 てき 性格 せいかく を持 も たない他 ほか の3つのマラエ[ 13] 、テ・アバ・モア(Te Ava Moa、「聖 せい なる水路 すいろ 」の意 い [ 16] )と呼 よ ばれたラグーン 、内陸 ないりく のマラエが残 のこ る渓谷 けいこく 、聖 せい なる山 やま とされたテアエタプ(Tea’etapu)、他 ほか にも小島 こじま 、泉 いずみ 、丘陵 きゅうりょう 、サンゴ礁 さんごしょう などの景観 けいかん が含 ふく まれる[ 1] [ 13] 。渓谷 けいこく の植生 しょくせい が多様 たよう で、ライアテア島 とう の固有 こゆう 種 しゅ 、他 た のポリネシアの島々 しまじま にも生息 せいそく する種 たね 、そして古代 こだい のポリネシア人 じん が栽培 さいばい のために持 も ち込 こ んだ食用 しょくよう 作物 さくもつ が混在 こんざい している[ 1] 。
タプタプアテアのマラエやその周辺 しゅうへん 景観 けいかん は、2010年 ねん 5月 がつ 31日 にち に世界 せかい 遺産 いさん の暫定 ざんてい リスト に記載 きさい され、2016年 ねん 1月 がつ 22日 にち に正式 せいしき な推薦 すいせん 書 しょ が世界 せかい 遺産 いさん センター に提出 ていしゅつ された[ 18] 。
フランス当局 とうきょく は、オセアニアの自然 しぜん の聖地 せいち であるウルル=カタ・ジュタ国立 こくりつ 公園 こうえん (オーストラリアの世界 せかい 遺産 いさん )、トンガリロ国立 こくりつ 公園 こうえん (ニュージーランドの世界 せかい 遺産 いさん )のほか、文化 ぶんか 的 てき 景観 けいかん のロイ・マタ首長 しゅちょう の領地 りょうち (バヌアツの世界 せかい 遺産 いさん )、考古 こうこ 遺跡 いせき のナンマトル : 東 ひがし ミクロネシアの祭祀 さいし センター (ミクロネシア連邦 れんぽう の世界 せかい 遺産 いさん )、複 ふく 合 あい 遺産 いさん のパパハナウモクアケア (米国 べいこく ハワイ州 しゅう の世界 せかい 遺産 いさん )などと比較 ひかく しただけでなく、東 ひがし アジアの巡礼 じゅんれい 地 ち として富士山 ふじさん -信仰 しんこう の対象 たいしょう と芸術 げいじゅつ の源泉 げんせん (日本 にっぽん の世界 せかい 遺産 いさん )、五台山 ごだいさん (中華人民共和国 ちゅうかじんみんきょうわこく の世界 せかい 遺産 いさん )なども比較 ひかく 対象 たいしょう に取 と り入 い れ、その顕著 けんちょ な普遍 ふへん 的 てき 価値 かち を主張 しゅちょう した[ 8] 。
これに対 たい し、世界 せかい 遺産 いさん 委員 いいん 会 かい の諮問 しもん 機関 きかん である国際 こくさい 記念 きねん 物 ぶつ 遺跡 いせき 会議 かいぎ (ICOMOS)は、その顕著 けんちょ な普遍 ふへん 的 てき 価値 かち を認 みと めるとともに、世界 せかい 遺産 いさん リストの地域 ちいき 的 てき ・主題 しゅだい 的 てき な偏 かたよ り(ヨーロッパの文化 ぶんか 遺産 いさん が多 おお い)を是正 ぜせい する上 じょう でも、このタプタプアテアを登録 とうろく することには意義 いぎ があるとした[ 8] 。
かくしてICOMOSは「登録 とうろく 」を勧告 かんこく し[ 19] 、委員 いいん 会 かい 審議 しんぎ でも登録 とうろく が認 みと められた[ 20] 。フランス領 りょう ポリネシア では初 はつ の世界 せかい 遺産 いさん 、フランスの海外 かいがい 県 けん ・海外 かいがい 領土 りょうど 全体 ぜんたい で見 み てもニューカレドニアの礁湖 : サンゴ礁 さんごしょう の多様 たよう 性 せい と関連 かんれん する生態 せいたい 系 けい (2008年 ねん )、レユニオン島 とう の尖峰 せんぽう 群 ぐん 、圏 けん 谷 たに 群 ぐん および絶壁 ぜっぺき 群 ぐん (2010年 ねん )に続 つづ き3件 けん 目 め 、文化 ぶんか 遺産 いさん では初 はつ の登録 とうろく となった。
この世界 せかい 遺産 いさん は世界 せかい 遺産 いさん 登録 とうろく 基準 きじゅん のうち、以下 いか の条件 じょうけん を満 み たし、登録 とうろく された(以下 いか の基準 きじゅん は世界 せかい 遺産 いさん センター公表 こうひょう の登録 とうろく 基準 きじゅん からの翻訳 ほんやく 、引用 いんよう である)。
(3) 現存 げんそん するまたは消滅 しょうめつ した文化 ぶんか 的 てき 伝統 でんとう または文明 ぶんめい の、唯一 ゆいいつ のまたは少 すく なくとも稀 まれ な証拠 しょうこ 。
ICOMOSはこの基準 きじゅん の適用 てきよう 理由 りゆう を「タプタプアテアは傑出 けっしゅつ した方法 ほうほう をもって、1000年間 ねんかん に及 およ ぶマオヒ (英語 えいご 版 ばん ) の文明 ぶんめい を説明 せつめい している。その歴史 れきし は、海辺 うみべ にあるタプタプアテアのマラエ関連 かんれん 遺産 いさん 群 ぐん と、高台 たかだい の渓谷 けいこく にある様々 さまざま な考古 こうこ 遺跡 いせき 群 ぐん によって示 しめ されており、高台 たかだい に住 す む農民 のうみん と、海辺 うみべ に居 きょ を構 かま えた戦士 せんし ・祭司 さいし ・首長 しゅちょう からなる社会 しゃかい 組織 そしき を反映 はんえい しているのである」[ 21] 等 ひとし とした。
(4) 人類 じんるい の歴史 れきし 上 じょう 重要 じゅうよう な時代 じだい を例証 れいしょう する建築 けんちく 様式 ようしき 、建築 けんちく 物 ぶつ 群 ぐん 、技術 ぎじゅつ の集積 しゅうせき または景観 けいかん の優 すぐ れた例 れい 。
ICOMOSはこの基準 きじゅん については、「タプタプアテアは、14世紀 せいき から18世紀 せいき にマオヒによって築 きず かれ、信仰 しんこう 的 てき ・社会 しゃかい 的 てき 機能 きのう を有 ゆう していた宗教 しゅうきょう 施設 しせつ であるマラエについて、卓越 たくえつ した例証 れいしょう を提供 ていきょう する」[ 21] 等 ひとし と説明 せつめい した。
(6) 顕著 けんちょ で普遍 ふへん 的 てき な意義 いぎ を有 ゆう する出来事 できごと 、現存 げんそん する伝統 でんとう 、思想 しそう 、信仰 しんこう または芸術 げいじゅつ 的 てき 、文学 ぶんがく 的 てき 作品 さくひん と直接 ちょくせつ にまたは明白 めいはく に関連 かんれん するもの(この基準 きじゅん は他 た の基準 きじゅん と組 く み合 あ わせて用 もち いるのが望 のぞ ましいと世界 せかい 遺産 いさん 委員 いいん 会 かい は考 かんが えている)。
ICOMOSはこの基準 きじゅん については、「ポリネシアの先祖 せんぞ たちの故国 ここく として、タプタプアテアはポリネシア全域 ぜんいき の人々 ひとびと にとって重要 じゅうよう な意義 いぎ を有 ゆう する」[ 21] 等 ひとし と説明 せつめい した。
^ a b c d e “Taputapuātea ” (英語 えいご ). UNESCO World Heritage Centre . 2023年 ねん 5月 がつ 13日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 地球 ちきゅう の歩 ある き方 かた 編集 へんしゅう 室 しつ 2017 , p. 207
^ a b c d e f 太平洋 たいへいよう 学会 がっかい 1989 , p. 568
^ P・ベルウッド 1985 , pp. 16–18, 73
^ a b c d 太平洋 たいへいよう 学会 がっかい 1989 , p. 504
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^ ICOMOS 2017 , p. 173
^ 地球 ちきゅう の歩 ある き方 かた 編集 へんしゅう 室 しつ 2017 , pp. 155, 212–213
^ a b 地球 ちきゅう の歩 ある き方 かた 編集 へんしゅう 室 しつ 2017 , p. 213
^ a b ICOMOS 2017 , p. 178
^ ICOMOS 2017 , p. 173
^ ICOMOS 2017 , p. 181
^ Eight new sites inscribed on UNESCO’s World Heritage List (Sunday, 9 July 2017 at 15:15) (世界 せかい 遺産 いさん センター 、2017年 ねん 7月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん )
^ a b c ICOMOS 2017 (pp.181-182) から翻訳 ほんやく の上 うえ 、引用 いんよう 。
マルキーズ諸島 しょとう - フランスの世界 せかい 遺産 いさん 暫定 ざんてい リスト記載 きさい 物件 ぶっけん 。構成 こうせい 資産 しさん にマラエが含 ふく まれる。
座標 ざひょう : 南緯 なんい 16度 ど 50分 ふん 10秒 びょう 西経 せいけい 151度 ど 21分 ふん 33秒 びょう / 南緯 なんい 16.8361度 ど 西経 せいけい 151.3592度 ど / -16.8361; -151.3592