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モン・サン=ミシェル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標ざひょう: 北緯ほくい4838ふん10びょう 西経せいけい0130ふん40びょう / 北緯ほくい48.63611 西経せいけい1.51111 / 48.63611; -1.51111

世界遺産 モン=サン=ミシェルとそのわん
フランス
モン=サン=ミシェル
モン=サン=ミシェル
英名えいめい Mont Saint-Michel and its Bay
ふつめい Mont Saint-Michel et sa baie
面積めんせき 6,558 ha
緩衝かんしょう地域ちいき 57,589 ha)
登録とうろく区分くぶん 文化ぶんか遺産いさん
登録とうろく基準きじゅん (1),(3),(6)
登録とうろくねん 1979ねん(ID80)
拡張かくちょうねん 2007ねん
備考びこう 世界せかい遺産いさんフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼じゅんれい」の一部いちぶとしても登録とうろくされている(ID868-023)。
公式こうしきサイト 世界せかい遺産いさんセンター英語えいご
地図ちず
モン・サン=ミシェルの位置
使用しよう方法ほうほう表示ひょうじ

モン・サン=ミシェルMont Saint-Michel)は、フランス西海岸にしかいがん、サン・マロわんじょうかぶ小島こじまおよびそのうえにそびえる修道院しゅうどういんである。ノルマンディー地域ちいきけんマンシュけんル・モン=サン=ミシェルぞくする。モンサンミシェルとも表記ひょうきする[1]

カトリック巡礼じゅんれいのひとつであり「西洋せいよう驚異きょうい」としょうされ、1979ねんには「モン・サン=ミシェルとそのわん」としてユネスコ世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさんID80)(文化ぶんか遺産いさん)に登録とうろくされ、1994ねん10月にはラムサール条約じょうやく登録とうろくとなった[2]

なお、モン・サン=ミシェルは、「とううえのラプンツェル」のコロナ王国おうこくのおしろのモデルです。

地形ちけい

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サン・マロわんかぶモン=サン=ミシェル

ノルマンディー地方ちほう南部なんぶブルターニュとのさかいちかいサン・マロわんヨーロッパでもしお干満かんまんもっとはげしいところとしてられる。しおきのは15メートル以上いじょうある。このため、わん南東なんとう位置いちする修道院しゅうどういんきずかれたいわでできた小島こじまはかつてはしおときにはうみかび、しおときには自然しぜんあらわれる陸橋りっきょうりくつながっていた(タイダル・アイランド)。しま入口いりくちにはしお干満かんまん時刻じこくしめした表示ひょうじがあり、満潮まんちょうにははまりないようにとしるされている。もっとおおきいしおせるのは満月まんげつ新月しんげつの28-36あいだといわれており、しおにより沖合おきあい18kmまでいたしおが、猛烈もうれつ速度そくどせる。干潟ひがたすな海水かいすいふくんでぬかるみ、あしまってなかなかせなくなることもおおく、このためかつてはおおくの巡礼じゅんれいしゃしおまれていのちとしたといい、「モン・サン=ミシェルにくなら、遺書いしょいてけ」といういいつたえがあった[3]

1877ねん対岸たいがんとのあいだ地続じつづきの道路どうろつくられ、しお干満かんまん関係かんけいなくしまへとわたれるようになった。しかし、これによって潮流ちょうりゅうをせきめることとなり、100年間ねんかんで2mものすな堆積たいせきしてしまった。急速きゅうそく陸地りくちりくつなぎとう)がしま周囲しゅうい進行しんこうしており、しま間際まぎわまでしおがくることは滅多めったになくなりつつあったため、かつての姿すがたもどすべく2009ねんには地続じつづきの道路どうろこわされ、2014ねんあらたなはし完成かんせいした。

湾内わんないには塩性えんせい湿地しっちひろがり、一帯いったい島嶼とうしょがけ砂丘さきゅうHalimione pedunculata英語えいごばんなどの塩生しょうぶ植物しょくぶつ草地くさちがある。わんそこすなしつまたは砂利じゃりしつで、二枚貝にまいがい多毛たもうるいSabellaria alveolata英語えいごばん生息せいそくしている。湾内わんないミヤコドリコオバシギハマシギなどのシギチドリるい越冬えっとうであり、ハンドウイルカゼニガタアザラシなどの海洋かいよう哺乳類ほにゅうるいおとずれることもある[2]

建築けんちくぶつ

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全景ぜんけい

主要しゅようはゴシック様式ようしきだが、内部ないぶはさまざまな中世ちゅうせい建築けんちく方式ほうしきざりって構成こうせいされている。

教会堂きょうかいどうカロリング様式ようしきで、ろうノルマン様式ようしき11 - 12世紀せいき)、ひゃくねん戦争せんそう1421ねん破壊はかいされたロマネスク様式ようしき内陣ないじんフランボワイアン・ゴシック様式ようしき15世紀せいきなかば - 16世紀せいき初頭しょとう)として再建さいけんされた。これら周囲しゅうい13世紀せいき重層じゅうそう構造こうぞう修道院しゅうどういん建築けんちく13 - 15世紀せいき軍事ぐんじ施設しせつかこんでいる。ゴシック・リヴァイヴァル建築けんちく鐘楼しゅろう尖塔せんとう1897ねん完成かんせいし、そのうえたてまつられたけんばかりかねミカエルぞう彫刻ちょうこくエマニュエル・フレミエによって製作せいさくされた。深層しんそうからは、岩山いわやまうえいくそうにもわたり建造けんぞうされつづけた建築けんちく遺構いこうのこる。

歴史れきし

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起源きげん

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このしまはもともとモン・トンブ(はかやま)とばれ先住民せんじゅうみんケルトじん信仰しんこうする聖地せいちであったとされる。イギリスのコーンウォール地方ちほうにも同様どうよう干満かんまん対岸たいがんりくとつながったりはなれたりする同様どうようなタイダルアイランドがあり、そこもだい天使てんしミカエルゆかりとして英語えいご同名どうめいのセント・マイケルズ・マウントとばれているが、夏至げし日没にちぼつ方向ほうこう線上せんじょうにあるとして、おなレイラインうえ古代こだい信仰しんこう対象たいしょうだったとするかんがえがある。

708ねん、アヴランシュ司教しきょうオベールがゆめのなかでだい天使てんしミカエルから「この岩山いわやま聖堂せいどうてよ」とのおげをけたが、悪魔あくま悪戯いたずらだとおもしんじなかった。ふたたおなゆめたが、またしんじなかった。ついに3度目どめにはだい天使てんしはしびれをらし、今度こんどはオベールのがくゆびれてつよめいじたところ、オベールは稲妻いなづま脳天のうてんはしゆめた。翌朝よくあさ、オベールは自分じぶんあたまくと脳天のうてんあなひらいていることにづいて愕然がくぜんとし、ここにいたってだい天使てんしミカエルのおげが本物ほんものであると確信かくしんしてここに礼拝れいはいどうつくったのがはじまりである。あなひらいているものの、その周囲しゅういがややがって、そのつづけたのではないかとみられる頭骨とうこつ保管ほかんされていて、オベールのものとされている。年代ねんだい鑑定かんていでは実際じっさいほねはその時代じだいころのものだったといい、この時代じだいにこのようなひらきあたま手術しゅじゅつはあったという。

966ねんにはノルマンディーこうリシャール1せいベネディクトかい修道院しゅうどういんしま[4]、1023ねんより建造けんぞう開始かいし[5]、11~12世紀せいきにはロマネスク様式ようしきろう教会堂きょうかいどう入口いりくちから祭壇さいだんにかけてつづくスペース)が建設けんせつされた。そのふえ改築かいちくかさねて13世紀せいきにはほぼ現在げんざいのようなかたちになったものである。中世ちゅうせい以来いらい、カトリックの聖地せいちとしておおくの巡礼じゅんれいしゃあつめてきた。

利用りよう変遷へんせん堤防ていぼう造成ぞうせい

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ひゃくねん戦争せんそうでイギリスがわについたブルターニュ公国こうこくフランス王国おうこく国境こっきょう地帯ちたいフランス語ふらんすごばん。モン・サン=ミシェルはフランス王国おうこくがわの15の位置いちにある
堤防ていぼう造成ぞうせいによる鉄道てつどう道路どうろ(1905ねん)

ひゃくねん戦争せんそう期間きかんしま全体ぜんたい英仏海峡えいふつかいきょうかぶ要塞ようさい役目やくめをしていた。モン・サン=ミシェルのくちにはいまイギリスぐんてていった大砲たいほうとそのたまのこっている。

18世紀せいきすえフランス革命かくめいとき修道院しゅうどういん廃止はいしされ1863ねんまでくに監獄かんごくとして使用しようされ、その荒廃こうはいしていたが、ヴィクトル・ユゴー紹介しょうかいナポレオン3せいうごかし、1865ねんふたた修道院しゅうどういんとして復元ふくげんされ、ミサがおこなわれるようになった。

堤防ていぼう造成ぞうせい

19世紀せいきにはりくとのあいだ堤防ていぼう造成ぞうせいして鉄道てつどう道路どうろができ陸続りくつづきになり(鉄道てつどうのち廃止はいし)、フランス西部せいぶ有数ゆうすう観光かんこうとなっている。

世界せかい遺産いさんへの登録とうろく

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1979ねんにはユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされた。2006ねん8がつ5にち現在げんざい、3にん修道しゅうどう在住ざいじゅうし、9にん修道しゅうどうおんな近隣きんりんまちからかよって運営うんえいたっている。

景観けいかん修復しゅうふく事業じぎょう

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堤防ていぼう道路どうろ1849ねん築造ちくぞう)の影響えいきょうにより、しま周囲しゅうい砂洲さすしたため、国家こっか事業じぎょうとして2おく3000まんユーロやく312おくえん)をかけて、かつての「しま」にもど工事こうじおこなわれた。2006ねんから着手ちゃくしゅし、駐車ちゅうしゃじょうとなっている堤防ていぼうわりにはしでつなぎ、海流かいりゅうにより堆積たいせきすなのぞくもので、しおながれをさまたげにくい脚付あしつきのはしながやく760m)が2014ねん7がつ22にち開通かいつうした[6][7]

世界せかい遺産いさん

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1979ねん登録とうろくされ、2007ねん緩衝かんしょう地域ちいき拡張かくちょうされた。

登録とうろく基準きじゅん

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この世界せかい遺産いさん世界せかい遺産いさん登録とうろく基準きじゅんのうち、以下いか条件じょうけんたし、登録とうろくされた(以下いか基準きじゅん世界せかい遺産いさんセンター公表こうひょう登録とうろく基準きじゅんからの翻訳ほんやく引用いんようである)。

  • (1) 人類じんるい創造そうぞうてき才能さいのう表現ひょうげんする傑作けっさく
  • (3) 現存げんそんするまたは消滅しょうめつした文化ぶんかてき伝統でんとうまたは文明ぶんめいの、唯一ゆいいつのまたはすくなくともまれ証拠しょうこ
  • (6) 顕著けんちょ普遍ふへんてき意義いぎゆうする出来事できごと現存げんそんする伝統でんとう思想しそう信仰しんこうまたは芸術げいじゅつてき文学ぶんがくてき作品さくひん直接ちょくせつにまたは明白めいはく関連かんれんするもの(この基準きじゅん基準きじゅんわせてもちいるのがのぞましいと世界せかい遺産いさん委員いいんかいかんがえている)。

イベント

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ツール・ド・フランス2013(だい11ステージ)

舞台ぶたいとした作品さくひん

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映画えいが
アニメ
小説しょうせつ
ゲーム
プラモデル
  • 1/2500スケールのキットが日本にっぽん卓上たくじょう開発かいはつより発売はつばいされていた。

その

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モン・サン=ミシェル
  • くちにある「プラールおばさん」(la Mère Poulard)のオムレツ(スフレリーヌ)(fr)が名物めいぶつ料理りょうりとなっている。
  • 世界せかい遺産いさん厳島いつくしま神社じんじゃがある広島ひろしまけん廿日市はつかいちと、ル・モン=サン=ミシェル観光かんこう友好ゆうこう都市としである[9]
  • イギリス海峡かいきょうはさんで英国えいこくコーンウォールしゅうにある英語えいご同名どうめいセント・マイケルズ・マウントはモン・サン=ミシェルそっくりの小島こじまで、ふる城砦じょうさい教会きょうかいがある。また、おなひじりミカエルの修道院しゅうどういんはアイルランド南西なんせいはしにあるシュケリッグ・ヴィヒルでもケルトじんはじめており、モン・サン=ミシェルまでむすんだ、これら3かしょはほぼ一直線いっちょくせんじょう位置いちする。
  • わん反対はんたいがわからは15キロほどの干潟ひがたあるくツアーがあり、モン・サン・ミッシェルを目掛めがけて裸足はだしあるくことができる。
  • 壱岐いきのモン・サン=ミシェル」とばれる長崎ながさきけん壱岐いき小島こじま神社じんじゃ
    壱岐島いきしま長崎ながさきけん)には、干潮かんちょうにのみ上陸じょうりく可能かのう神社じんじゃ小島こじま神社じんじゃ」があり、「壱岐いきのモン・サン=ミシェル」とわれている[10]。「日本にっぽんのモン・サン=ミシェル」とわれることもある[11]
  • 京都きょうと祇園祭ぎおんまつり函谷鉾かんこぼこかかそうひんぜんかけ)に皆川みなかわやすしぞう寄贈きぞうのモン・サン・ミッシェルがある。

アクセス

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フランス国鉄こくてつ - フランス高速こうそく鉄道てつどうTGV
バス
  • パリから観光かんこうツアーバスでやく4あいだ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ パリモンパルナスえきからフランス高速こうそく鉄道てつどうTGVやく2あいだはん
  2. ^ パリモンパルナスえきからフランス高速こうそく鉄道てつどうTGVやく3あいだ

出典しゅってん

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  1. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん解説かいせつ”. コトバンク. 2018ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Baie du Mont Saint-Michel | Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1995ねん1がつ1にち). 2023ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ 新建築社しんけんちくしゃ『NHK ゆめ美術館びじゅつかん 世界せかいめい建築けんちく100せん新建築社しんけんちくしゃ、2008ねん、14ぺーじISBN 978-4-7869-0219-2 
  4. ^ めいけい世界せかい遺産いさん 水辺みずべへん』パイインターナショナル、2014ねん、61ぺーじISBN 978-4-7562-4525-0 
  5. ^ 建造けんぞう開始かいしから1000ねん世界せかい遺産いさんモン・サン・ミッシェル
  6. ^ モンサンミシェルのはし開通かいつう=「孤島ことう回復かいふく期待きたいぼとけ
  7. ^ ふつ モンサンミシェルにあらたなはし
  8. ^ モン・サン・ミッシェルマラソン - フランス観光かんこう開発かいはつ機構きこう
  9. ^ 広報こうほうはつかいち(2009ねん7がつ1にち、PDFばん)、P8 - 廿日市はつかいち
  10. ^ 壱岐いき観光かんこうナビ”. 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん壱岐いき観光かんこう連盟れんめい. 2023ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  11. ^ 壱岐いき砂浜すなはま図鑑ずかん”. 2023ねん1がつ6にち閲覧えつらん

関連かんれん書籍しょせき

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  • フィリップ・ヴァルテール中世ちゅうせい祝祭しゅくさい伝説でんせつ神話しんわ起源きげんはら書房しょぼう、2007ねんだい2はん2012ねん)、だい9しょう「ガルガン山上さんじょうひじりミシェル」

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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